散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

M師の連続購解説教、10年越し完結の朝

2023-08-30 07:33:05 | 聖書と教会
2023年8月27日(日)
 礼拝中のメモから:

● テレビドラマと違って、マタイ福音書は最終頁をもって「完」とはならない。これが始まりである。

 確かにそうだ。他の福音書も同じである。最も衝撃的なのは、オリジナルのテキストの末尾が引きちぎられていたともいわれるマルコ福音書かもしれない。その本来の結句は下記である。

 「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」(マルコ 16:8)

 この飾り気のなさがマルコの魅力であり、これに出会わなかったら人生が変わっていたかもしれない。

● 「ひれ伏した」とあるところ、口語訳では「拝した」と訳されていた。そのような言葉である。

 「すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。」(マタイ 28:9)

 原語は προσεκυνησαν < προσκυνεω 、人の手に接吻するという原義があり、そこから
 ① (目上の人に平伏して)敬意を表する
 ② (神に対して)礼拝を捧げる
の意で用いられる。
 ここは②だというのである。
 マタイの用例を追ってみると面白い。冒頭近くの2章でこの言葉が3回出てくるが、いずれも東方の博士たちの幼子イエス礼拝に関わる場面である。

 「わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」(マタイ 2:2)
 「見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」(同 2:8)
 彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。(同 2:11)

 ついで4章、荒野の試練の場面。

 「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」(同 4:9)
 「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」(同 4:10)

 これらはいずれも宣教者イエスの活動開始に先立つ序章に属する。その後、公に姿を現してからのイエスを人々は畏れ敬い喝采するが、実は「拝する」ことをしていない。序章で予告されていた神性を人々が悟るのは、死と復活を経た後のことだった。
 それでもなお…

● ユダが欠けて11人、その中にはなお疑う者も含まれていた。

 そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。(マタイ 28:17)

 然り、この世の終わりに至るまで「信」と「疑」のせめぎあいは終わることがない。それで絶望することはない。
 最後に、山上の説教のよく知られた言葉にM師は話を向ける。

 一日の苦労は、その日一日だけで十分である。(マタイ 6:34)

● 「苦労」という言葉は、「災い」とも訳せる。

 κακια: ① 悪意 ② 邪悪、悪徳 ③ 不幸、苦労、凶事
 これは大事なことを、これまで知らずにいたものだ。それでこの箇所の意味合いはガラリと変わる。与えられた職場で汗水垂らして働いてもなかなか成果は出ず、一日の終わりにはへとへとに疲れているなどという幸せな「苦労」のことではない、滅びをもたらす邪悪な霊に内でも外でもつけ狙われ、いつなんどき陥れられるかわからないという「苦労」なのだ。
 だから…

●「わたしがあなたがたと共にいて、あなたがたの時を満たす」という主の約束が、かろうじてわたしたちの今日一日を過ぎ越させる。

 言葉が少し違っているが、講壇を見あげて自分が受け取ったのはそういったことだった。
 毎月一回のM師によるマタイ福音書講解説教、満10年をもって今朝完結。その半ばで天に召された御令室が、微笑んでねぎらっていらっしゃることだろう。

Ω

蝉を狙うかまきりは

2023-08-29 10:07:40 | 日記
2023年8月28日(月)
 せっかくの中国時代劇が後半とみに停滞、戦国末期(中国の)歴史事情を追う以外に興趣がなくなり、最後は録画倍速で筋だけたどるという愚かしさ。その筋立ても史実(=司馬遷等の歴史書が史実と認定したところ)からはかけ離れ、大河ドラマとどっこいの勝手気ままな迷走の末、気の抜けたビールのようにだらしなく終わった。しかし当初はなかなか面白かったのである。
 たとえば、はるか昔の5月30日に見たこんな場面:


 「蝉を狙うかまきりは、背後の雀に気づかない」、そのまた雀が背後のカラスに気づかないこともある次第で、ともかく気の利いた言い回しである。脚本のオリジナルか、もともと中国語にこういう表現があったのか。
 いずれにせよ、実際にカマキリが蝉を仕留める様を見ていないと、この言葉の醍醐味は半減するだろう。
 僕は二回見た。最初は夏の午後のにわか雨でヤマモモの木陰に退避した際、突然頭上で蝉が死に物狂いの大騒ぎを始めたのである。それはもう豚が塩辛を舐めた体のけたたましさで、びっくりして見回すと緑のカマキリが両腕で蝉をがっきり抱き留め、早くも三角形の頭を動かしつつ獲物の腹に食い入っていた。
 紀元前三世紀の中国では、宮廷の最奥といえども壁一枚隔てた外の自然を強く意識し、常にこれと連動していたことだろう。東京二十三区内のベランダにも、どこから舞い来たったのか撒きもしない種が生えたりするが、カマキリのハンティングは期待すべくもない。
 帰京二週間、早くも田舎が恋しくなっている。

Ω


「ちげえよ」は平成の発明

2023-08-28 08:45:43 | 言葉について
2023年8月28日(月)

 「違うよ」を「ちげえよ」と発音するのは平成生まれの子どもたちが始めたことで、それ以前にはなかったものである。一見(一聞?)、東京下町言葉のように聞こえるとすれば、「違いない」を「ちげえねえ」などと発音することからの連想なのだろうが、これは ai(あ‐い) が eh (え-え)に変わるという古い通則に従った現象である。「たいしたもんだ」が「てえしたもんだ」、「大丈夫か?」が「でえじょうぶか?」になる要領。結果的に中国語や韓国朝鮮語の読みに近づくのが面白い。大門 → でえもん →  damonというのは、某局の面白い工夫でしたね。

 似たれども非なり、au(あ‐う)の方は決して eh (え-え)にはならない。au(あ-う)が変化する先は、 eh (え-え)ではなくて ou(お-う)であり、これなら古来いくらも例がある。

 逢ふことの絶えてしなくはなかなかに 人をも身をも恨みざらまし 
中納言朝忠

 『拾遺集』から百人一首に選ばれた有名な歌だが、カルタ取りの詠み人は冒頭を「おうことの」と発音するはずだ。「逢瀬」を「おうせ」と読むのと同じである。
 「違うよ」についても「ちごうよ」と発音される例を実際に読んだり見たりした記憶がある。しかし「ちげえよ」は知られていなかったし、口がそのように動こうとはしなかっただろう。
 ちなみに、昭和の耳に「ちげえねえ」は威勢良く快活に聞こえるが、「ちげえよ」は下卑た響きしか残さない。このあたりは習慣の影響力ということか。
 
 毎朝なにかしら、考えたり確認したりする材料をもらっている。

Ω

二十四節気 処暑

2023-08-23 07:33:01 | 日記
2023年8月23日(水)

処暑 旧暦七月中気(新暦8月23日頃)
 処暑とは「暑さが止む」という意味です。この頃から暑さも少しおさまりはじめ、涼やかな初秋の風もちらほらと感じられる日が出てきます。
 また、この日は雑節の二百十日とともに、台風の被害が多い特異日とされています。農作物などの実りの時期でもあり、暴風雨への注意が必要です。
(『和の暦手帖』P.70-71)

 暑さもおさまりはじめる時期とは、残念ながら昨今は言えそうもない。あいも変わらず全国的な猛暑、とりわけ札幌で36℃には驚いた。強いて言うなら、用事があってひと駅分ほど歩いたこの午後のこと、午後三時前に出る時にはひたすら暑さに圧し拉がれていたのが、小一時間後に戻る道ではあたりを見回すゆとりがあった。確かにピークは過ぎているのであろう。この花はルリマツリというものらしい。




七十二候
 処暑初候 綿柎開 (わたのはなしべらく)  新暦8月23日~27日
 処暑次候 天地始粛(てんちはじめてさむし) 新暦8月28日~9月1日
 処暑末候 禾乃登 (こくものすなわちみのる)新暦9月2日~7日

 「柎」はここでは花の萼(がく)の意だそうで「はなしべ」と読ませるようだが、萼なら「おしべ/めしべ(雄蕊/雌蕊)」などの蕊とは別の器官であり、混同が起きているようでもある。他に「いかだ」「うてな」「つ(ける)」などの読みがあがっており、そうした形に由来する言葉なのだろう。
 「禾」は「のぎ」と読むことが多いのだと思うが、ここでは「こくもの」、とりわけ稲のことだそうだ。綿が開花し稲が実り始める、秋はすでに始まっている。
 ついでながら旧暦八月一日(朔日)の「八朔」は処暑に属す。早稲の初穂を恩人などに贈る「田実の節(たのみのせち)」の風習が武家にあり、家康の江戸入城の日とも重なって、江戸幕府の重要な式日であったという(上掲書)。田舎の自慢のハッサクは、この時期に食べ始めるところからその名が付いたというが、まるで季節がずれている。そもそも同じ植物であったのかどうか。
***
 外出の間に高校野球の決勝が終わり、慶応が107年ぶりとやらの優勝を果たした。のびのびとよく打つ好チームで、選手らに賞賛を惜しむものではないが、一方その大応援団の応援ぶりが物議を醸している。
 高校野球の季節には仕事をすべて断り、ひきこもって全試合を見たという阿久悠先生には及ばないが、かつてはそれに近いぐらいの熱烈なファンだった。いつの頃からかすっかり興が冷めたのは、愛媛代表がめっきり弱くなったことばかりが原因ではない。強豪校が有力な選手を全国から集めることが常態になり、地域代表の実質が大きく減じたことが一つ、もう一つが応援の煩わしさである。「相手の失策を喜ぶ」といったマナーの問題はそれぞれ自戒すべきところだが、中立の立場にある人々の身勝手な「判官贔屓」もこれに劣らず疎ましく、時にはひどく残酷ですらある。古代ローマの闘技場の観客と、心理的現実はさほど離れていないのではあるまいか。
 一方のチームに肩入れして野次り倒すのでなく、選手らのひたむきな戦いに対して左右の別なく拍手を送る、テニスなどではしっかり守られている涼やかな応援の態度が、甲子園でも期待できないものだろうか。
 ちなみに「音がすごすぎる」は顰蹙ではなく、賞賛の表現なんですね…

Ω

亀が駆け寄る

2023-08-22 11:09:15 | 日記
2023年8月22日(火)
 「亀があわてて駆け寄ってきた」などと言ったり書いたりしようものなら、即座に「こいつはよっぽどものを知らない」と切って捨てられそうである。切って捨てる前に、以下の連続写真を御覧いただきたい。ゆっくり待って撮ったわけではない。けっこう急いで連写している。
 「四本の脚のいずれも接地していない時間があること」が「走る」の定義だとすれば、走っているとは言えないかもしれないが、脚の回転や移動速度はかなりのもので、「血相変えて駆けてくる」という表現がぴったりだ。駆け寄ってきた後は、ひたすらすり寄ってまとわりつき、足の甲に上がってきたりする。接近の意志は明白そのもの、犬のようにじゃれついたり顔を舐めたりしないのは、ただ身体構造がそれを許さないからに違いない。


 ほら……ね?


 ベランダに放し飼いにすることを思いついたのは六月頃で、当初から「毎日餌をくれる存在」としての認知はあったようだが、接近の頻度や反応速度はその後日増しに高まってきた。行動パターンは思いのほか多様で、西側の大きな洗面器とは別に、浅いプラスチック容器に水を張って北側に置いてみたところ、気分にまかせて(?)行ったり来たりしている。どこにいるのか、探させられることも多い。
 サンダルの並ぶ上がり口で出待ち風情の時間が長いが、昨日その付近で掃除機をかけたら轟音にタマゲたのか大慌てで逃げ出し、鉢植えの蔭でしばらく首をすくめていた。爬虫類は頭が悪いものときめつけていたが、なかなか捨てたものではない。見知らぬ人間が接近した場合に反応の違いがあるかどうか、次なる関心事である。
 この亀はもうずいぶん前に自由ヶ丘あたりの路上をのそのそ歩いていたのを、見かけた小学生が車に轢かれるのを心配して確保した。しかしその子の家では飼えない事情があり、代わりに託された級友というのが我が家の三男である。僕は小学生の頃、松江で似たような亀を飼っていた。近所の水辺でタニシをとってきては餌に与えていたが、どうかするとタニシに哀れを催して水に返してしまうことがあった。今は市販の固形の餌である。
 亀一匹でも生き物の同居する家は、その分だけ空気が柔らかく暖かい。

Ω