散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

猛暑到来

2022-06-28 11:54:08 | 日記
2022年6月28日(火)
 日本という国の豊かさの源は、地方の多様性と歴史の多層性にあり、それがとりわけ文化の面に発揮されて多彩な花を開かせている。この特質を知って最大限に活かす環境を整えるのが政治の役割のはずだが、現実は逆行しているように見える。

 で、どうしたらいいか?
 さて…と、どうも暑いですね…
Ω

安息日は人のために

2022-06-27 08:52:24 | 日記
2022年6月26日(日)
 朝、イサク奉献の物語を子どもたちと引率の保護者らに話し終え、ここしばらくの肩の荷をおろした。
 拝聴する側にまわり、今朝M師の説教のポイントは「安息日は人間のためにある」ということである。「安息日が真の安息をもたらしているかどうか」という問いに置き換えてもよい。
 「このところ体調が悪くて礼拝に出られない」とこぼした信徒に対して、牧師が「礼拝に出ないから体調が悪いのではないか」と反問したという逸話も実は同じところを突くもので、要するに真の安息とは何であり、どこでそれが与えられるかということに尽きる。律法主義の倒錯ぶりを嘲ってすむ話ではない。

 そのように首尾一貫した説教の、どこにどう織り込まれたのだったか、「キリスト教は物故者を大事にしない」というありがちの誤解に反論されたことに意を強くした。
 仏教では○○回忌の法事を多年にわたって繰り返し、家族がうっかりしていてもお寺さんからちゃんと報せが来る、それに対してキリスト教とりわけプロテスタントは、葬儀を行ったあとは意向次第で記念会を行うぐらいで、その後は定期的な供養を行わない。
 それは事実だが「だから故人に対して薄情だ」というのは無知というもので、クリスチャンは毎日曜日の礼拝の中で召された信徒を覚え、再会の希望を週毎に確かめている。大事にしないどころか、日々の信仰生活の中でいつも故人を覚えているというのである。
 先生よくぞ言ってくださった。訳を知らない者があれこれ詮索し難詰するとしても、そうした者に限って故人が何を大事にしていたかを知らず、存命中にも知ろうとはしなかったのである。
 血縁の無意味なること斯くの如し。
Ω

夏至に寄す/育った子が育てた子

2022-06-22 06:27:53 | 日記
2022年6月21日(火)
 北半球は夏至、早くも。
 昼の長さが最長となるこの日に寄せて、先月からとってあった切り抜きを貼りつけておく。

愛媛新聞 2022年5月5日(木・祝)

 宇宙太陽光発電はなるほど魅力的で目のさめるような話題だが、僕にとっては旧聞に属する。高校時代の友人 ~ ときどき思い出話のネタに使うRという異能のワカモノが、あるときこれに言及したうえで「だけどダメだ」と切って捨てたのである。
 「本来地球に到達しないはずの太陽光をとりこむのだから、地球に降り注ぐ太陽光が増すのと同じことだ。必然的に大気の温度が上昇し、生態系が壊れてしまう。」
 この言葉を聞いたのは1976年頃で、今は誰でも知る二酸化炭素の温室効果も専門家以外に語る者は少なかった。Rの博識と斬新な発想にはしばしば驚かされたが、この時も二歩先を行っている感じがした。宇宙太陽光発電の可能性に想到することで一歩、その問題点に気づくことでもう一歩、おそれ入谷の鬼子母神である。
 念のために言えば、この件は温室効果とは別の問題である。宇宙太陽光発電によって獲得され、地上に転送された電気エネルギーはさしあたり「カーボンニュートラル」であり、それがこの壮大なプロジェクトの今日的な魅力でもある。しかし、得られたエネルギーを使用するその後の過程で熱を発生することは避けがたく、必然的に気温上昇を招くというのがRの理屈だった。
 気温の問題だけでなく、地球上の物理化学および生命現象の最大のエネルギー源である太陽光入力の量が大きく変動すれば、環境バランスを崩さずにはすまない……気がする。
 そのあたりはどうなんでしょうね?
 そしてR君、その卓越した頭脳をキミはいま何に使ってるの?

***

 切り抜きを、ついでにもう一つ。「ののちゃん」で久しぶりにうなった。
朝日新聞 2022年6月15日(水)

 「着いたところが 目的地」というジャブに続き、
 「育った子が 育てた子」
 アッパーが急所に決まって一発KO、ぐうの音も出ない。
 おそれ入谷の鬼子母神、その2である。
 
 (… 山野しげ『名言録』は実在?読んでみたいがネット検索に引っかかってこない)

Ω

英文読解

2022-06-20 21:34:33 | 日記
2022年6月20日(月)

 What Is Community Development? Community development is any set of initiatives designed to develop the social resources of the community in order to enhance its quality of life. This means that community development initiatives may cover a broad range of recreational, health, welfare, educational and workplace dimensions of social life. However, what distinguishes community development initiatives from simply government or business initiatives is that the needs, wants or problems identified are those articulated by a cross-section of the community affected by those needs or problems. Furthermore, solutions to the newly identified needs or problems are not sought simply in advocating for greater provision of private or government services. Solutions are sought in connecting people and resources together in new or novel ways. Indeed, sometimes the impetus for community initiatives has to do with the limitations or shortcomings of existing social services. For example, police cannot be everywhere at all times so ‘safety houses’ for children and ‘neighbourhood watch’ are initiatives developed by neighbourhoods with police to transcend the understandable limitations of a paid surveillance workforce such as the police.
—『Compassionate Cities』Allan Kellehear著
https://a.co/1NKLmI1

 Yさん:
 問題の英文を拝見しました。
 翻訳本の出版を待たず、おつれあいの力を借りながら自分で読み込む熱意に、まずは敬意を表します。本当はすべての学習者がそのようにあるべきなのですよね。私たちはみな中学以来さんざん英語を勉強してきており、そこで学んだことの水準は、世界的に見てもけっして低くはないはずです。なのに大方の人が「学校の英語は役に立たない」と決め込んで、英会話スクールだの何だのに大枚をつぎこむか、あるいは単に諦めてしまうのは残念なことです。
 私は英語の専門家ではありませんが、妻および当時3歳と1歳の息子たちと一緒に事前準備ナシで渡米し、三年間たっぷり楽しんできたという生活実績(?)はちょっとした成功体験です。それと英語の論文を読むこととは、まあ別の話なんでしょうが、ともかくYさんの心意気に感じて御一緒に一汗かいてみるとしましょう。

 さてさて、なるほど訳しづらいですね。さしあたり私から二つの提案をしておきます。

 その一は、Yさんを悩ませているキーワード initiatives について。
 ぴったりハマる言葉がなくて迷いますが、こういう時に心がけたいのは、「英和辞典に挙げられている訳語の中から一つ選んであてはめる」という姿勢を捨てることです。そうではなく、その言葉がどういう成り立ちでどういう意味をもつのか、英語そのものの背景の中で理解することを考えたい。
 高校の英語の先生から、「できるだけ早く英和辞典を卒業して、英英辞典を使いなさい」といわれた時には「無茶なことを言う」と思ったものですが、これはまことに至言でした。
 で、早速 initiative を手許の英英辞典 ~ Webster の古いもの ~ で引いてみると、こんなふうに出ています。

 An introductory act or step; the first active procedure in any enterprise; power of taking the lead or of originating.
 
 どうでしょう、わかりやすいと思いませんか?料理でいえば素材と調理法を簡潔・具体的に解説してくれています。一方、英和辞典で「手始め、率先、首唱」などと書かれているのは、できあがってお皿に盛られた料理の完成形にあたるもので、それだからしっくり来ないのです。
 そしてYさんはもう「あ!」と声を挙げているのではないでしょうか。昨日の Zoom ゼミで、「ふらっと」のTさんが繰り返しおっしゃいましたね。
 「何か手伝うことはありませんか、と言ってくれる人はたくさんいるけれど、率先して旗を振ってくれる人がいない」と。
 まさにその「率先して旗を振る行為」が initiative、つまり the first active procedure in any enterprise なのです。Tさんは文面を読まずして言い当てていたのですね、素晴らしいですね。
 坂本龍馬が蘭学塾でいつも寝転んで聞いているばかりでオランダ語はちっとも勉強しないのに、ある日突然「今の訳は違う」と言い出したという『竜馬がゆく』の一場面を思い出します。日頃語られる内容と、首尾一貫しない訳文が語られたことに反応したわけです。外国語読解の達人は、皆このセンスをもっていますけれども、それは私たちも心がけて養えるものでしょう。
 そうとわかっても的確な日本語に落とし込むのは簡単ではありませんが、少なくともYさんのイメージの中では、正解のありかが明確になってきたのではないでしょうか。
 このように initiative を「(率先して旗を振るような性質をもった)住民活動」と理解し、そのニュアンスを伝えることができているなら、実際の訳文の中では「活動」「住民活動」と表記してもさしつかえないと私は思います。

 提案その二。
 冒頭第二の文の修飾語をすべてはぎ取って骨格だけを残すと、"Development is a set of initiatives." となりますね。この文はちょっとヘンじゃないでしょうか。上述のような意味での initiative のセットが development だと言うのだけれど、そのまま日本語に置き換えるのはどうしたって不自然です。
 住民活動がコミュニティの発展を「支える」「加速する」とか、この種の活動が次々に出てくることが発展を「可能にする」とかいうなら分るのですが、イニシアティヴ(のセット)そのものが発展「である」というのは、日本語でも往々見られる品詞ズレの悪文と私には思われます。
 なお、原文5行目の simply はマチガイです。どうしたって形容詞が来なくてはいけない位置に、副詞が来ちゃってるんですから。編集者の怠慢かもしれませんし、これなどは単純なミスだとしても、全般的な印象として Kellehear 先生、たぶんそんなに英語はうまくないのではないか。日本人研究者だって、日本語のヘタクソな人は山ほどいますからね。
 そこで今はすっきりした日本語にすることを優先し、思いきって言い換えてしまいましょう。目下のところ、私たちが「共感都市」をしっかりイメージできることが最優先ですから。

 以上二点を踏まえ、さしあたりこんなふうに書いてみました。「意訳が過ぎる」と叱られるかな?

***

 コミュニティの発展とは、そもそも何だろうか?
 住民のQOLを高めるためにコミュニティの社会資源を開発するようなデザインの、あらゆるタイプの住民活動が活発に提起され着手されること、それがコミュニティ発展の意味するところである。そのような活動は、レクリエーション・健康・福祉・教育・職場といった、社会生活の広汎な次元に自ずと拡がるものとなるだろう。
 こうした住民活動を政府・自治体や企業の活動と区別するのは、ニーズや課題に突き動かされた住民自身によって発信されているということである。そして、このように新たに認知されたニーズや課題は、民間や行政の既存のサービス拡大を訴えるだけでは解決できない。解決策は、人々と社会資源とを、これまでとは違ったやり方で結びつけるところに求められる。
 既存の社会的サービスの制約や限界が、住民活動の起爆剤になるということも、往々にして起きるだろう。たとえばの話、必要とされるすべての場所に警官が常駐するのは、不可能な話である。そこで子どもたちのための「安全な家」や「近隣の見守り」を実現しようとすれば、地域住民と警察の協力のあり方を工夫することにより、警察のように税金で支えられる公共監視システムのやむを得ざる限界を克服することが必要になる。

 以上、どうぞ参考になさってください。
Ω

おかげさまで

2022-06-20 07:31:10 | 日記
2022年6月18日(土)
 収録は2週間前に行われた。Zoom を使ったオンラインインタビューも、この二年間ですっかり慣れて違和感はない。
 とはいえ事前の打ち合わせは皆無、質問項目の概要を当日の朝になってメールで送ってくるという呑気さには大いに違和感がある。日中は別の仕事をしているから目を通す余裕などはなく、事実上16時30分から準備ナシのぶっつけ本番。諸方面で鍛えられたおかげさまで、当方は気にもしないが、毎回このやり方だとマナーを問われるかもしれませんね。
 インタビュアーは非常によく勉強しており、拙著を端々まで読んで核心を的確につかんでいるのに驚いた。以前登場した山口創先生(桜美林大)へのインタビュー内容も、突然の質問にも関わらず瞬時に正確に想起するなど、たいへん頭の良い人であることは間違いない。自分がそうだと相手も同じだと思いこむのはありがちのことで、それがまた相手に伝染して語り手は自分の頭が良いものと錯覚する。それも織り込みずみかしらん、錯覚に浸ってペラペラと30分しゃべったのへ、友人・知人がコメントを寄せてくれた。
***
 時間が短く感じられたのは成功の証左でしょう。お疲れさまでした。
 とりわけ摂食障害とメディアの話、それと「統合失調者の監視妄想が今やIT技術の発達によりGPSによる個人追跡=監視は万人にとって現実となっている」云々のくだりはとても良かった。リスナーにとって印象的だったのではないでしょうか。
(E君)
***
 インタビュアーがポイントを絞って尋ねてくれるので、初心者の私も分かりやすく聴くことができました。
 「自分の退職手続まで第三者に依頼する人」についての質問は、なかなか答えづらい難問かなと思いましたが、事例ごとにまずはケアをし、並行して事例を蓄積して分析していく態度 ~ そのように理解しました ~ は、医療と医学に携わる人らしいと思いました。「異常/正常」の議論に関しての「最初に定義ありきではない」という考えも、同様に理解しました。
(O君)

 二人の畏友の注目点が違うのを面白く感じていたところ、家族の中でも次男からはE君、三男からはO君とほぼ重なる感想が返ってきた。
 「自分の退職手続まで第三者に依頼する人」の件は、桜美林時代の教え子さんが評したとおり「精神医学を学んだ人からは出てこない」類いのもので、専門家泣かせの無茶振りだが、そういう問いこそ貴重かもしれない。当方、専門家ではないから泣きもしない。
 「人間関係の「抽象化」という表現は初めて聴いた気がするけど、大変腑に落ちたので今後使わせていただこうと思います」と国語の先生から。
 どうぞ存分にお使いください。

 ついでにO君からの付記:
 「プロ野球のラジオ中継が生活の一部分だった時代は、はるか昔のことになったのですね。今回はPCを通してでしたが、人の声を介するラジオ放送を聴いて、デジタルにはない温もりを感じました。」
 まことにもって、われら「ナイター中継/深夜放送」世代というべきか。
 新宿の飲み屋さんで順番待ちをしながら、手にしたラジオで王選手756号の瞬間を「聴いた」のは、1977年夏の終りのこと。
 その一球を投じたヤクルトスワローズ鈴木康二朗は、翌78年には13勝3敗で最高勝率を挙げ、チーム初の日本一の一翼を担った地味な名投手。記録がかかっていることをよくよく知りながら、カウント2-3から逃げなかった潔さを今でも嬉しく思い出す。


Ω