散日拾遺

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朝の祈り/F先生/ジンベエザメ

2013-10-17 06:18:39 | 日記
2013年10月17日(木)

昨春まで松山番町教会を牧していらした小島(おじま)誠志先生、広島カープファンなので、クライマックスシリーズの行方に今頃やきもきしていらっしゃるだろう。
たいへんな読書家であるうえ、人柄の現れた温かく内省的な文をものされる。
番町教会の週報を両親がとりおいて、送ってくれるのが楽しみだった。

昨夜、思いきって早めに休んだら、今朝は6時前に自然に目が覚めた。
その時ふと、下記の文が頭に浮かんだ。

 朝、目を覚まします。今日しなければならないことがドサッとかぶさってきます。急いで立ち上がるのではなく、静まるのです。沈黙して聞くのです。そうすると何をしなければならないかがわかってきます。何が大事で何が大事でないかが見えてきます。何を選び何を捨てていいかがわかってきます。
 全部、何もかもをしなくていいのです。脈絡なくあれもこれもして、結局何をしたかわからなくなります。一生駆け回って、その一生が何だったかわからなくなります。
 わたしたちは忙しいのです。目まぐるしい毎日です。仕事に追われています。仕事に追われてパニックになる。ある場合には仕事ができなくなってウツになります。
 仕事は選びとって行かなければなりません。そのために「聞く」のです。聞くとき、混沌の中に一筋の道が現れてきます。
(番町教会報 No. 127、2009.7.12)

10分ほどか、これを思い出しながら布団の中でぬくぬくと過ごした。
そしたら、大量の仕事がドサッとかぶさってきている現実が思い出されて、のんびり寝ていられず起きてしまった。ダメだなぁ・・・

そこで小島語録からもうひとつ。

 祈りは
 日常に打ち込まれた杭(くい)
 祈らなければ流される
 時代に、人々に、
 肉の自分に
(番町教会週報 2008.4.20)

祈りだ。

***

1987年から88年にかけての別府時代は、思い出したくもないような最低の一年だった。
天中殺とか大殺界とかいうのは、ひょっとしてこういうものかと考えたりした。
けれども後から振り返るに、困難の中でこれほど他人から助けられたこともなかった。
おかげで生かしてもらったと、つくづく思う。

恩人のひとりがF牧師で、別府市内に3つある教団の教会のうちいちばん小さなF教会を牧していらした。
凛とした気品のある大柄で穏やかな方だったが、主日の講壇では静かな語り口の行間から抑えがたく火の噴き出るような、魂のこもった説教をなさった。
当時すでに体調を崩していらしたのであろう、命を削って言葉を紡ぎ出されるのが伝わってきた。

ときどきお宅に呼んでくださり、「お風呂にいきましょう」と筋向かいの銭湯に誘ってくださったりした。安くて快適な別府の街湯である。
奇しくも同郷、伊予・松山の御出身で、数年後に郷里に戻り、そこで他界なさった。
留学などもあり、再会を果たすことができなかった。

先日の白浜の集まりで、事務局を担当して周到に御準備くださったのは、和歌山県A教会のS先生だった。牧師の家系であることがお名前からわかる、背筋のよく伸びた女性教職である。
この方が大分の生まれとうかがったので、かつてF先生にお世話になったことを告げた。

「父もF教会におりました。その後任がF先生です。」

表情を抑えながらS先生がおっしゃった。

「小さな世界ですので、このようなことがよくあります。」

白浜で虹を見た、その帰り道の会話である。

*****

和歌山からのニュースに目が向いている。

先日はカメムシ、今朝はジンベエザメ。
串本町の海岸に体調4m、推定体重500kg超のジンベエザメが打ち上げられているのが見つかった。台風26号の高波で浅瀬に迷い込み、戻れなくなったらしい。
町内の水産会社の従業員らが救助し、沖へ逃がしたという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131016-00000000-agara-l30
(紀伊民報 10.16)

伊豆大島の土石流、死者17人、行方不明43人。
和歌山の浜辺で大きな生き物を救う人々の力が、400km東の島へ伝わることを切に祈る。

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