ヒジュラ暦1426年ジュマーダー・ッサーニヤ(6月)15日 ヤウム・ル・ハミースィ(木曜日) |
先週の木曜、今週の火曜と、書道(日本の)をやっている知人からいらなくなった筆をもらい、アラビア書道用の筆作りに挑戦した。
100円ショップで買ったカッター(さりげなくダシャレ)で、キコキコと筆先を根元から落とし、少しずつ削りながら形を整え、紙やすりで仕上げる。所要時間約30分。一丁前の職人にでもなった気分。筆先を平らにするのが意外と難しかった。
先生考案の筆だと、筆先にひと工夫もふた工夫もあるのだが、そこまではできない。素朴なものながら初めての自作筆という、それなりの満足感がある。
さっそく字を書いてみる。「アル・ハムドゥ・リッラー・ラッビ・ル・アーラミーン(アッラーに称えあれ、万世の主)」(冒頭の写真)。デキはとにかく自分の手にはなじむ。
そういえば、以前読んだ『アッサラーム』誌の31号(イスラミックセンター・ジャパン発行・1984年)の記事「聖典のカリグラフィー」の中に、エジプトのサアダウィー師のこんな言葉が載っていた。
「私たちは、何故アラビア文字を書くのか。聖クルアーンを書くのか。一字一字が、信仰だからではないか。ただ形が美しければよいというものではない。神は常に、私たちが内面で意図するものを御覧になるのだ。かつて、書家たちは、一字たりとてゆるがせにしなかった。聖クルアーンを書く書家にとって、一字の誤りさえ“大罪”とみなされていたものだ」
ついつい「ただ形が美しければよいというものではない」という都合の良い部分に目が言ってしまうのが情けないが、自分で筆を作り(古筆の再利用だけど)、一字ずつ書くという行為が信仰であると実感できた。
いつかは、材料の竹や葦の切り出しから始めて筆を作ってみたいものだ。
ワタシは書道はしないんですが、主人の旧友がセタールという三弦楽器の演奏者でペルシャ書道(ホシュネヴィスィ)の書家なんです。
いつもお土産のリクエストと伺うと、他の友達の現実的で庶民的な要望とは違って、
「筆をお願いします」とおっしゃいます。
とても素晴らしいのに自分のサイトでまだUPしていませんでした。
渡イランも迫っていますので、また何か書いて頂こうかと思ってます。
(食べ物ばっかりUPしてるので反省…)
イランでは「ペルシア書道」というんですね。トルコでは「トルコ書道」だし。
イランでは「ハットゥ」と言っても通じないのかな?
やはり書体はファリーシー体(ナスタアーリク体)のみなのでしょうか?
先日、ブックフェアで買った、イランの書道の作品集を見ても、みなファリーシー体でした。
ナスヒーやスルスはやらないんですかね?
それにしても、筆が売っているというのも驚きました。
筆は「自分で作るもの」という先入観があったので。
イランに行く機会があったら、ぜひ購入したいと思います。
知人の方の作品のアップを楽しみにしています。
(食べ物ネタは好きですよ。)