伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

紅テントと京都書院の頃

2021年03月20日 | 演劇・ミュージカル
NHK BSの「アナザーストーリーズ」でだいぶ前になるが、
唐十郎の紅テント・状況劇場を特集していた。

2021年2月16日「越境する紅テント ~唐十郎の大冒険~」



80歳を超え、脳挫傷という病を得ても今も活動を続けているのを知り、
感慨深かった。ずっと活動していたことに。
京都では演劇に関して、情報はあまり入って来ないのだ。



唐十郎の紅テント「状況劇場」はあの時代、1960年代後半、
70年安保に向け学生運動が盛んになって来た時と切り離せないと思う。



若者たちのアングラ文化が台頭して来た時期である。

当時の学生運動も、若者たちが社会や政治に関して自分の意見を持ち、
自己主張を始めたからであった。

時を同じくして、
音楽や美術などで新しい動きが始まり、
若者たちが新しいことに挑戦し始めたのは、偶然ではないと思う。



映画は「心中天網島」「エロス+虐殺」、

音楽では岡林信康や高石ともや、フォーククルセダーズ、
ロックでは村八分、頭脳警察など、
過激な主張やパフォーマンスをするバンドがあのころ急増したのは、
お仕着せの、与えられた歌だけ歌うのではなく、
自分が作り、歌い、主張する、その土壌が醸成されて来たからだろう。

学生運動の学生たちがそうであったように、
若者たちが自分の言葉を持ち始めたのだ。





それは演劇でも同様だった。

それまでの、新派や翻訳劇などのトラディショナルで、
出来上がったものではなく、
自分たちで考え、作り、自分たちの価値観で劇を一から作り上げる。

そのようなムーブメントが文化全般から押し寄せていた時代だった。


あの時代は若者文化という、一つの文化が出来上がった時代だった。

既存の価値観にとらわれない、
新しい表現のあり方を誰もが模索し形にしようとした。
それを文化にまで押し広げた、そういう時代だった。



唐十郎自身は丸顔で、気の良さそうな、普通の人だったので、
彼が過激な内容のアングラ劇を創出した人とはとても思えない。

紅テントの彼らが警官と乱闘騒ぎを起こしたりしたのも、
彼らは時代が要求していた存在だったのだと思う。





京都では紅テントはいつも、下鴨神社の境内で行われていた。



ある時から、私は四条河原町の京都書院という書店に入り浸っていた。

三条河原町にあった駸々堂とともにこの二つの書店が私の聖地だった。



京都書院は駸々堂に比べればあまり大きくない。
1階にはわりと普通の本を置いていた。

が、階段を上がって2階へ行くと、そこは異世界というか、
魔窟というか、まるで桃源郷のような世界が広がっていた。


澁澤龍彦、種村季弘、埴谷雄高、塚本邦雄、はもとより
マニアックな美術書がずらりと棚に並んでいた。


グスタフ・ルネ・ホッケの「迷宮としての世界」、
ヴァザーリの「画人伝」、マニエリスムに関する本たち…、

子供の私には高くてとても手が出ない美術書が欲しくて欲しくてたまらず、
京都書院へ行くたび、棚から引き出しては立ち読みしていた。


今でもルネ・ホッケの3000円以上した「迷宮としての世界」を
買えなかったことが心残りのまま…。

それでも京都書院の2階で「澁澤龍彦集成」を何冊も買い集めた。




その京都書院の2階へ行く階段の脇の壁に、
アングラ映画などのポスターが貼られていた。

そこに下鴨神社で行われる紅テントのポスターもあった。

京都書院の2階へ行く階段の脇の壁、それは魔界への入り口のようだった。




まだ子供だったあの頃、下鴨神社の紅テント・状況劇場のポスターに、
ただならぬ異世界的雰囲気を感じて、
これはどんなものなんだろう、
と想像しながらいつも2階への階段を上がっていた。




京都書院も今思えば、先鋭な京都文化を発信していたんだと思う。

京都はその頃(も今も)学生が多い、学生の町だったから、
学生向けの最先端カルチャーの町だったのだ。

円山音楽堂や京大西部講堂など…
京都でも独自の学生文化が華開いていた。

それだから、紅テントの状況劇場も受け入れる土壌が出来ていたのだろう。



まだ子供の私はとても紅テントに潜る勇気はない。
どんなものだろうと想像をめぐらすばかりだった。

あの時代、
安保闘争やアングラ文化からは遅れて来た世代だったので、
何事かの新しい波が押し寄せていたことは分かっていても、
自分の中に把握することは出来ず、それを見上げるだけだったのだ。



当時、唐十郎の戯曲は角川文庫からたくさん発売されていた。
それを買い漁って読んだりもしていた。
あまり理解は出来ていなかったと思うが…。




それからだいぶ経ち、大人になって就職してから、
また下鴨神社に紅テントが来るのを知った。

一度はどうしても見ておきたいと思い、
このチャンスにと知人を誘って見に行った。

その時の状況劇場は根津甚八がスターだったころだ。



紅テントの中に入ると通常の席はなく、
シートの上に地べたに坐る、それに驚いた。

そして一緒に行った知人が後ろの人の足が自分のお尻に触ると言い、
もう出ようというので、仕方なく途中で劇を見るのを止め、
テントを出ることになった。

そのため、たった一度見に行った状況劇場の劇を、
最後まで見ることが出来なかった、という顛末に、
後々まで知人を恨んだ。

劇の内容もまったく覚えていない。




私の紅テント体験はお粗末なものだったが、
「アナザーストーリーズ」で紹介されていた、
状況劇場がパレスチナへ行って上演したことは知っていた。


唐十郎の困難なこともどこまでも実現させてしまうエネルギーに
驚嘆した。
パレスチナという象徴的な場所で芝居をする、という
事実が必要だったのだろう。

あの時代の渦巻くエネルギーがそうさせたのかもしれない。



時代を駆け抜けた風雲児、という表現がぴったりのような気がする。

根津甚八は俳優を辞め、京都書院はとうになくなった。



角川文庫の唐十郎にしか出会えなかった私には、
懐かしさともどかしさが入り混じった思い出…。








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