伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

母と面会す

2021年11月10日 | 日常生活・つぶやき

 

NHK杯のパンフレット、ウチにも届いた。
けれどもそれはまた今度…
少し私的なことを・・
(暗くてすみません💦)

 


施設にいる母親とはコロナ感染対策のため長く面会が出来ない状態だった。

 

コロナが落ち着いて来たので
時間を予約して面会が出来ると施設から連絡があった。

それで予約時間を決め施設の母と初めて会って来たのだ…。

 

 

母が入院する時には、もう頭脳が壊れた状態だった。
それでも手を引けば歩けたし、言葉も少しは話せた。

食事はもう一人では出来なかった。
油断していたら手づかみで食べようとするので、
ひと口食べ終わったころを見計らって
こちらがお箸で母の口に食べ物を入れた。


家にいた時はすでにそんな状態だったので、
施設に入ればもっと退化するだろうとは覚悟していた。

 

面会時間は15分。


母は車椅子に乗っていた。
当然ながら私のことは分からなくなっていた。

話しかけても目を合わさない。
きょろきょろして、何が起こっているか理解出来ないのだ。
目が合ってもうつろで…反応がない。
言葉も出ないようだった。
話すことが出来なくなっていた。

時々歌のようなものを歌うというか、
鼻歌のようにふんふんと口にしていた。

 

私のこと分かる?
と聞いても、言葉が理解出来ない。
目の前のことにはもう何も興味を持てないのだ。

また来るから、また来るからと話しかけても反応がない。
そうだとは分かっていても、同じことを繰り返すしかない…

 


係の人は時々暴れると言っていた。
今日はまだ大人しい方だと。

襟はだらしなくはだけていて、
足は言うことが聞かないらしく車椅子からはみ出していた。


母はもう当たり前の人間ではないのだった…。

家にいたころからそうだったから驚きはなく…
まだ寝たきりではなく車椅子に乗れるだけ
状態はいいのだと言い聞かせる。

 

 


母は大人しく、お人よしだった。

人の言うことに黙って従い、従順だった。
自分の意志より人のことを気にかける人だった。

時々押し売りの売るものも買っていたくらいに人が良かった。

 

そしていろんなことを私に教えてくれた。
ご飯の炊き方、味噌汁の作り方、
お経の上げ方、
季節が変わるごとに暖簾を変えること、
洗濯物を干す時ガラス戸の桟も拭くこと、
等々生活全般について…


玄関の飾りもきれいにしていた。
季節ごとに扇子を変えてみたり
友達にもらった細工物を飾ったり…

 

そういう母はもういなくなった。
どうしてこうなったのかと考えることもある…
母はどこへ行ったのかと考えることも。

 

ただ年を取ると誰でも衰えてゆく、
体も頭も…
衰えてゆくさまを、すぐそばで見続けるのはつらいけれども…

 

 


・・・

地下鉄で帰る時、結構混んでいたので立っていた。
すると坐っていた若い中学生くらいの女の子たちが私を見て、
席を立った。

私に席を譲ったのだ。
席を譲られるほど、
見た目もおばあさんになっていたのか、と少し衝撃だった。


人は誰でも年を取る…
少しずつ年を取り、衰えてゆくのだ
誰でも。


ただそれでもそれを…衰えを、
努力で遅らせることも出来るはずとも思う。

時に抗うことは難しいが、人間には力と知恵がある。
いつも頭を、体を、フル回転させて
少しでも時間に抵抗することは可能だと思うのだ…





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