伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

植木等 スーダラ節秘話

2020年08月07日 | テレビ

2020年7月、NHK総合の「歴史秘話ヒストリア」で、
「植木等 スーダラ節が生まれた」という番組が放送された。



NHK
https://www4.nhk.or.jp/historia/x/2020-07-01/21/3728/1458424/
歴史秘話ヒストリア「スーダラ節が生まれた」



以前(ずっと前)、テレビでコミックソング特集をしていたことがあり、
それに影響されて、自分なりの「コミックソングベスト5」というのを、

Art Maniacs 
http://isabea.web.fc2.com/index.html
のサイトで書いたことがある。


2002年10月4日(もう18年前…)

コミックソングベスト5
http://isabea.web.fc2.com/10/comicsg.htm


「テレビでコミックソングのベストテンをやっていたのに刺激され、
私なりのベスト5を選出してみた」


一位は「帰って来たヨッパライ」で、二位に「スーダラ節」を選んだ。
その時の(私の)説明文。


「 植木等の尋常でない無責任さに溢れたこの曲は、
コミックソングの名曲といえる。

植木等というキャラクターでしか表現し得ない味があった。
よって、他の誰が歌ってもちっともおかしくも何ともなくなるのである。
しかも実際の植木は大変勤勉であったという。そのギャップもまたおかしい。」



スーダラ節は植木等が歌うからこそ、おかしいのであって、
他の歌手や、歌手専門の人が歌えばおかしくもなんともない。


コミックソングのベストテンの番組を見て、そう思った。

あの軽快さ、あえて言えば軽薄さ、おかしみは誰にも追随されないと、
他の人の歌うスーダラ節を聞いて思った。

他の人の歌うスーダラ節はどこか物足りない。
どこか突き抜けた軽さが出て来ない。
面白味がないのだ。



植木等は歌はうまい。
それは確かだ。

上手いうえで、軽薄にもなれる。
それは多分、演技をしているように、
セリフのように歌うからだったかもしれない。

歌はうまいが、崩すことも出来る。
その崩し方が天才的なのだ。
軽さというより軽み。


天才的なコメディアンだったことも事実だ。

植木等のコメディアンとしての天才的なセンスが、
スーダラ節を成功させたとも言える。



…さて、歴史秘話ヒストリアの「スーダラ節が生まれた」という番組では、
植木等が、「スーダラ節」を歌ったことによる苦悩を描いていた。


植木等の父親が、浄土真宗大谷派の住職だったことは、知っていた。
三重県の貧しい寺の住職で、戦時中、招集された兵士に対し、
「生きて帰れ、敵を殺すな」と教えた。


当時、そのようなことを言えば非国民とされる。
そして植木の父親は思想犯として逮捕され、収監された。

それも知っていた。
植木等の父は、反骨の精神、というより親鸞聖人の教えを武骨に守る、
戦時中なのにリベラルで自由な精神の持ち主だったのだ。

命の危険を犯してまでも自身の思想を貫いた、筋の通った人であった。


が、取り残された植木等少年は、父の代わりに檀家通いをして、
慣れない読経でなかなか思うようなお布施がもらえなかったらしい。

植木等の人格形成に、この父の影響があったのかもしれない。



植木等がスーダラ節を歌うことになった時、意外にも深刻に悩んだらしい。

この歌を歌うことで自分の人生が変わってしまうと直感したようだ。

始め、歌いたくないと訴えたらしい。
本来の自分とは正反対のイメージで、
植木には自堕落なサラリーマン生活の歌が受け入れられなかったのだ。


その頃すでにクレイジーキャッツの一員として、
コメディアンとしてテレビでも大活躍していたはずだが、
植木等自身は父譲りの真面目な性格であったようだ。



ちょいと一杯のつもりで飲んで
いつの間にやらはしご酒
気がつきゃホームのベンチでごろ寝
これじゃ体にいいわきゃないよ

分かっちゃいるけどやめられねぇ

(詞 青島幸男)



この自堕落でいい加減なサラリーマン像は強烈な印象を残す。
もしこれを歌えば、この自堕落さが植木自身のイメージとして定着してしまう。
おそらくそれを恐れたのだろう。


悩みあぐねた植木等は父に相談する。

意外にも父は「分かっちゃいるけどやめられねぇ」

という部分に、真宗宗祖の親鸞聖人の生き様を重ね、
これこそ親鸞の教えそのものだと植木等に言ったという。



そのおかげか、植木は「スーダラ節」を歌う決心をしたようで、
何度もテイクを取り直し、最後、やけ気味に歌ったテイクが採用されたという。


高度経済成長期に乗り、サラリーマンの生態を描いたこの歌は大ヒット、
予想通り植木等のイメージは「無責任男」として定着する。



…小さい頃、植木等は大好きだった。
クレイジーキャッツの中で一番好きだった。

とぼけていて軽妙で、底抜けに明るくて、優しそうで、
何か言ったあと、自分で受けてヒャハハハハと笑うタイミングというか、
間が絶妙で、笑いが上手いなあという印象だった。

無責任男のイメージに苦悩していたという感じは微塵もなかった…。



晩年の植木等は演技派俳優としても知られるようになった。

あれだけ無責任男を演じ切ることが出来た人だ。
演技派なのは間違いない。


転機になったのは、オイルショックで植木等の需要が減っていったころ、
戦禍で両足をなくした僧侶を演じた幻の映画作品だったという。

短期間で上映が終了した、「本日ただいま誕生」というタイトルの、
シベリア抑留経験で両足を失い僧侶になった人物の実話を元にした映画だった。

無責任男からの脱却を目指したようだ。



番組ではその一部が放送された。


寺に生まれた植木等が自分のルーツであるような僧侶の役を演じた。

コメディアンの植木とは一線を画す、血を吐くような苦悩に満ちた僧侶の姿。
それを演じる植木のひたむきさに、彼の本来の姿を見たような気がした。



ある年、…平成2年(1990年)、
紅白歌合戦で植木等が特別出演したことがあった。
植木等メドレーを歌って、その年の紅白の瞬間最高視聴率をマークした、
伝説のステージ。

自分も、それを楽しみにその年の紅白を見ていた。



楽しそうにスーダラ節や、ハイそれまでヨ、などを歌い上げる植木等に、
大喜びした。

本当に楽しかった。



植木等は、無責任男を生涯、演じ続ける決心をした。


「今、今日生まれたと思えば、これから僕の人生が始まるんじゃないかと、
この人(僧侶)は気持ちを切り替えた。

無責任男という看板をずっと背負ったまま、自分で歩ける限りは
この宿命の坂道を最後まで行かなきゃならないという感じが、
最近して来た」

植木等はそう回想した。


人々が望む、無責任男というイメージを受け入れ、歌い続けるという決意。



それはスーダラ節という強烈な曲によって、
イメージが定着してしまった植木の苦悩の果ての、最後の結論だったのだろう。

それほど無責任男という看板は、彼にとって重すぎるほど重い、
のしかかって来た重しだった。


コミックソングがその人の一生をも左右させてしまう、
植木がそこまで深刻に無責任男のイメージに苦しんでいたのを、
初めて知った。
それほど強烈なイメージだったのだ。


私にとって、植木等は、ただひたすら底抜けに明るく、
優しくて、大らかで、
その笑いには温かみがあり、包容力のようなものがあり、
人を包み込むような大きさに満ちていたような記憶がある。

それは自分の父のような包容力だ。

植木等に、父のようなおおらかさと大きさを感じていたのだ。

植木等がなぜ好きだったのか、その理由が分かったような気がする。




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