伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

祇園祭・鷹山の復興へ

2018年07月01日 | 祇園祭
祇園祭・鷹山の復興へ


沼からなかなか抜け出られていないが、
ここら辺で何とか別の話題を━
7月1日は切符入りの日でもあるし・・。

水無月をおやつにうんとバクバク食べたことでもあるし・・・
最近の水無月は台がふにゃふにゃしてびろーんと伸びる伸びる・・
前はあんなに伸びた記憶はないのだが…



話をもどして


鷹山、2022年巡行復帰へ 祇園祭、約200年ぶり
http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20180621000131

「祇園祭後祭(あとまつり)の「休み山」の鷹山
(京都市中京区三条通室町西入ル)について、
鷹山保存会の山田純司理事長(63)は21日、
八坂神社(東山区)での記者会見で
2022年の巡行復帰を目指すと発表した。

山鉾の復活は14年の大船鉾以来で、鷹山が復帰すれば計34基となる。

会見では高さ約14メートル、幅約4メートル、全長約6メートルとなる
山の基本設計案も明らかにした。

 鷹山は1826年の巡行時の風雨で懸装品(けそうひん)を傷めて以降、
巡行に参加せず、64年の大火では山本体を焼失した。

2015年に保存会が結成され、
これまでは26年までの復興を目指していた。

 基本設計案では、巡行に加わっていた江戸後期の姿への復元を目指し、
前(さき)祭の岩戸山や後祭の南・北観音山に似た曳山(ひきやま)とする。

頂上部には真松を立て、
舞台には3体のご神体人形とともに囃子(はやし)方が乗る。

 鷹山は、
すでに車輪などの部材一部をほかの保存会から譲渡されている。

今後これらの部材が使えるか検討し、
同時に寄付を募って懸装品などを準備する。

 山での巡行復帰に先だって、
八坂神社の祭神の名をしたためた掛け軸を唐櫃(からびつ)に収め、
「唐櫃巡行」を19年から3年間実施する。

 山田理事長は
「ご神体の力で多くの人が集まり、夢が目標になり近づいて来た」
と笑顔を見せた。

八坂神社の森壽雄宮司は
「できるだけ早く復活し立派に巡行する姿を見せていただきたい」
と期待を込めた。」

【 2018年06月21日 23時30分 】
(京都新聞)




祇園祭・鷹山は1864年の禁門の変の大火で焼失してから、
休み山として、
残された懸装品のみを宵山飾りで例年、披露するのみだった。

復興の話が近年出ていたが、まだまだ夢物語だと思っていた。

150年以上、復興がならなかったのだから、
夢だと思っていても不思議はないだろう。

残された品を見るだけで、
往時を偲ぶのが当然のことのように思っていた。


それでも山鉾町の方々は諦めていなかったようだ。

2026年に復興予定と発表され、
前倒しして2022年の巡行復帰を目指すという。

着々と復帰に向け、準備しておられることに頭が下がった。

辛抱強く、年月をかけて、失われたものを新たに復元しようとする。
その努力は京都ならではの、辛抱強さの現れだと思う。

自分たちの文化を大事にすること、誇りに思うからこその努力だと思う。


一方で京都の革新を望む部分に対して、
疑問の声があることもよく承知している。
伝統を大事にしたいという思いと、新しいものも求める、
欲しいという気持ち。
それが京都の町を破壊している根本にもなっている。


それでも自分はあまり悲観的ではない。
高層建築規制で、高層ビルのない町。
膨張しすぎないで、あまり人口が増え過ぎない町。


京都駅のような近未来的な建築も、はじめは非難されていたが、
今では市民に愛され、滞在型の駅ビルとして親しまれている。

過去の伝統と革新がごちゃっと混在する。
それもまた、京都の一つの側面として、我々は享受している。


過去の伝統にしがみついているだけでは、京都とは言えない。
そこが市民の誇りでもあると思うのだ。



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