伊佐子のPetit Diary

何についても何の素養もない伊佐子の手前勝手な言いたい放題

若冲展

2007年05月22日 | 展覧会・絵

伊藤若冲を見て来た。

はっきり言って、1500円出して来た。断腸の思いである。くうううっ。
前売りとしては売っていたが、展覧会が始まったら、京都各所にあった前売りが撤収され、どこを探してもない。同志社のプレイガイドまで行ったのだけど、おばさんに済まなそうに前売りだけで会期が始まったらもうないの、と言われた。
ほかの展覧会は会期が始まっても余裕で(割引券を)売ってるのにな。
そんなわけで、まるまる定価で見ざるを得なかった。

確かに、あれは準備するだけで金がかかるだろう。前売りはとっとと撤去して、なるべく定価で見させようという魂胆なのだろう。
東京と違い、客の絶対数が違う。ならば一人一人からなるべく多くの金を取りたいのだ。仕方がない。
若冲の展覧会なのに、相変わらずお金の話ばかりである。我ながらじつにせこい。
いや、定価で見ても値打ちがあるとは思う。思うよ、うん。思うんだけど割引に命を賭けている身としては…
いやいや、それはもう言うまい。

MBSのテレビ特番では若冲の役に石橋蓮司様が扮しておられた。ナレーションも。蓮司様すてき…。

さて相国寺承天閣美術館は、前は靴を脱いで上がる旅館のようなゆるい美術館で、お茶の道具などを展示したぬるさ抜群の、それが故にごきげんな美術館だったのだが、今回の若冲のために(?)改装し、大きくした。
(若冲展が終わったらあの広いスペース、どうするんだろう?)
若冲展に入るのに建物を一周しなければならない。これがものすごい距離である。テントが張り巡らされ、そこに係の若いお兄さんやお姉さんが随所に配置されている。
ずいぶん大掛かりである。むちゃくちゃ力が入っている。

相国寺承天閣美術館へ行くには、地下鉄烏丸線で京都駅からひとっ飛びである。今出川で降りる。大変便利だ。
相国寺というお寺の中にあるので、初めて行く人はうろたえてはいけない。
相国寺は私の大好きなお寺で、禅寺であるので、境内へ入るととても落ち着いた良い雰囲気である。
この機会に宗旦キツネ(字が違うかもしれない)という伝説のキツネのお稲荷さんを見て来たぞ(境内にある)。

で、相国寺へ入るには同志社の正門前から歩くのが良い。
横に啓明館、アーモスト館というヴォーリズ建築を見ながら相国寺の門へと歩むのが実に良い気持ち。

土日は大変混んでいる。待ち時間も出ている。3時半か4時頃になると空く。
ただ5時が閉館なので、夕方に行ったら気が急くかもしれない。
しかし正倉院展やルーブルなどのでたらめな激混みはないので、じっくり見られる。
「動植綵絵」の部屋では客が動かざること岩の如しだが、かえってその分、ゆっくり見られてグッドだ。

前の相国寺承天閣美術館では鹿苑寺(金閣寺)の襖絵が常時展示されていたが、それは襖絵全図の一部だったらしく、今回全部(50面)展示されている。もちろん若冲の描いたものだ。
あの葡萄の絵が好きだったので大変嬉しい。
この襖絵は軽く重要文化財になっている。やるじゃん若冲、という感じである。
金閣寺は相国寺の境外塔頭なのである。

「動植綵絵」は、とにかく色がきれい。修復がされたばかりというのもあって、とても鮮やかでびっくりする。
鮮やかというよりむしろギタギタで、目がチカチカして来る。
タコの図から始まっていたが、掛け軸を掛ける順番はどうやって決めたのだろう。それが気になった。

「動植綵絵」は明治時代まで、相国寺の観音なんたらという催しで年に一度、方丈や法堂に掛けられ、人々におまいりがてら観覧されていたという。
今回は美術館の方に掛けられたが、相国寺のお坊さんがこの展覧会に尽力したと聞く。
彼は修行時代、金閣寺の方丈を掃除していて、そこにあった若冲の襖絵を初めて見た。
それ以来若冲に私淑し、それから25年かかって今回の展覧会を実現させたと。

それにつけても、廃仏毀釈さえなければ今でも若冲の望みどおり、相国寺に伝わっているはずだった。
「以って万季山相国承天禅寺に喜捨し、……永久に伝はらんことを図る」
自筆の寄進状が合わせて展示されていて、そこに若冲の切々とした願いを感じた。