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『浅草十二階 塔の眺めと《近代》のまなざし』を読む。

2005-03-23 00:26:35 | Book Review
明治23(1890)年から大正12(1923)年の関東大震災まで、東京浅草に《凌雲閣》という塔が建っていた。
通称《十二階》、高さ173尺(約52メートル)、10階まで煉瓦造り、その上に木造2階部分を持つ「明治一の高塔であり、東京のランドマークだった」。
その物理的な高さが持つ意味よりも、「街のあちこちから塔が見え、塔をまなざすと、塔からのまなざしが感じられる」という、《近代》のまなざしが、当時の人々にとってどのようなものであったかを探るのが、本書のねらいである。

まずは「上昇感」と「所有感」。
塔の1階から8階まで、電動の「エレベートル」が設置されていた。速度は毎秒数十センチメートル、地上階から最上階まで約2分かかったという。しかし、当時の人々にとって、この体験は初めてのもので、
「四方の窓外を眺むれば夢の如く九層の階上に達する」
という《だまし部屋》のような効果を持っていた。
当然、高い場所からの視線は、関八州を一望に収めうる。そこには、人々の《所有》
するという欲望を喚起すると、著者は指摘する。
「上昇感」と「所有感」、塔の持主は自覚的にそれらを喧伝する。
《近代》以前にはない欲望の喚起である。
以下、パノラマ館との《まなざし》の比較、啄木の見た/見られた塔のあり様、と記述が続く。

しかし、塔は関東大震災によって崩壊する以前に、その役割をすっかり変えていた。
明治44(1911)年、白木屋にエレベータが設置される。そして大正3(1914)年には三越にも。
「上昇することが、百貨店の快楽として演出され始めたのだ」
「かくしてメディアに現れる十二階からの隠れたまなざしの担い手は、東京人、次に田舎者を経て、大正期には『女小供』へと移ったのだ」

そして、関東大震災による塔の物理的な崩壊。
「明治の高塔は、倒れたあともなお、二つのまなざしの乖離、すなわち塔から眺めることと塔を眺めることの乖離を体現している」
のである。

今日、高層ビルの林立した東京において、《十二階》ほどの意味をもつ建築はあるだろうか。すでに、人々の《まなざし》自身が変容している、ということを考慮に入れた上でもなお、《十二階》の幻は人々を誘ってやまない磁力を発揮しているのではないだろうか。
『緋牡丹博徒・お竜参上』『関東無宿』『帝都物語』『十二階の棺』『菊坂ホテル』『かの蒼空に』『サクラ大戦』など、メディアに現れ続ける《十二階》は、そのようなことを物語っている。

細馬宏通
『浅草十二階 塔の眺めと《近代》のまなざし』
青土社
定価:本体2,400円(税別)
ISBN4791758935