一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
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『私の東京地図』を読む。

2005-03-28 00:09:21 | Book Review
昭和24(1949)年刊行の佐多稲子の自伝的小説。
東京の焼け跡を通じて、過去の風景とそれにまつわる《事件》とを描写している。
年代的には、メリヤス工場で働きだした大正6(1917)年頃から、作家として軍慰問にかりだされる昭和17(1942)年頃までが中心。

時代的には、関東大震災以前の東京風景や人物の描写が良い。
きびきびした文章で、感情に流されていないリアリズムが上質である。

「竹屋の渡しを渡ってゆけば、馬道から観音堂の裏手へ出て浅草へは早道なのであったが、私たちは一銭の渡し賃も惜しんで吾妻橋へ回ってゆく。このころの浅草の賑わいは、といってもここ数年来のことを言っているが、無趣味にただ真っ黒な人の行列で埋まる雑踏とちがって、色も香もある、という表現はおかしいが、かき立てられた変調子ではあっても、人と人との声の聞き分けられる賑わいであった」

「お帳場さんは角刈にしてはいるが、色の黒い、将棋の駒のような顔をした男だ。身体つきも野暮ったいが、まだ三十台のむつかしげな表情で動きまわるときはきびきびしてみえ、笑うと白い歯が出て下町の人間の気さくさになる」

「地味だったあぐりさんは、身なりは以前どおり低めなつくりで、赤ん坊のおしめを洗ったりしているけれども、さやさやとした人柄になっていて、ときどきは客の前でも身体をくねらせてはしゃぐ」
など。

また、芥川を中心とした『新思潮』の同人たちや、中野重治(Nという仮名で登場)などの『驢馬』同人の風貌、発言なども興味深い。

「『僕の手は、鶏の足のようだ、と人が言ったよ』 
 と、掌をさし出して、菊池さんや久米さんに言う芥川さんの言葉が私の耳に残る。傍らに畏まって、鯛ちりの鍋の火を見ながら、作家たちの間で取り交わされるそんな何でもない言葉の、そのニュアンスを、私はとらえようとする」
など。

一方、政治活動に引き込まれてから(「婦人戦旗」「働く婦人」への執筆、編集活動の時期)の行動や発言の描写には、制約があってか、以上のようないきいきした表現が失われている感がある。
この小説自体が、さまざまな雑誌に分載されたという事情もあってか、その意味では関東大震災前後の描写を挟んで、別の小説のような雰囲気の相違があり、統一感が損なわれている。

その意味では、小生は前半を評価するが、後半部分には違和感ありとせざるをえない。

佐多稲子
『私の東京地図』
講談社文芸文庫
定価:775円(税込)
ISBN: 4061960520


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