一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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『私の「漱石」と「龍之介」』を読む。

2005-03-21 00:26:08 | Book Review
百間にとって夏目漱石は文学上の「師」、芥川龍之介は「友」ということになる。
ただし、漱石は「師」と言っても、寺田寅彦や小宮豊隆のように、学校で英語や英文学を教わったという関係ではなく、いわば私淑して木曜会などに出入りするようになった。
また、芥川も、同窓関係にはあったが、より深いつながりができたのは、木曜会への出席を縁にしてのことである。
そのような関係でもあり、一癖も二癖もある百間のことであるから、さぞかし風変わりな面が描かれているかと期待すると、意外に素直な観察に驚かされることだろう。特に、芥川の項目は、意外な一面が描かれていて、興味深く読むことができる。

まずは「竹杖記」にある、海軍機関学校教官への就職斡旋の件。
「機関学校の件なども、私から見れば、芥川が適材をもとめたものとは考へられない。私に祖母があつて、その当時、もう八十に近かった。私が薄給で家族が多く、毎月の暮しに困つてゐるところへ、機関学校の口が一つ殖えるやうな話になつたので、祖母が非常によろこんだのは云ふまでもない。芥川も『君のお祖母さんがよろこばれるだらうから』と云ふ事をよく云つた」
など、世話好きな側面が描かれている。

また、芥川の茶目な一面。これも「竹杖記」より。
同じく機関学校でのこと。この学校では「食堂には食卓が縦長の馬蹄形に置かれて、その突当りの主卓の真中に、校長が座を占め、校長に面した前側は、毎日順番が変はつて、異つた顔振れが入れ代はつて列ぶのである。その席に芥川が出た時に、老校長と議論を始めたのである」
「しまひには校長がわつはははと、浪の崩れるやうな大笑をして、立ち上がつた時、芥川がどんな顔をしてゐたか覚えてゐない。話しの切れ目がどう云ふ事になつたか、全然記憶もなく、丸で取り止めもない長閑な議論だつたのである」
など。

以上のような記述から得られる芥川は、いかにも下町育ちの芥川である。

もちろん、芥川の死を悼む文章も、有名な「湖南の扇」「亀鳴くや」など収められている。

一読して感じるのは、内田百間の芥川に対する友情であろうし、芥川の人懐っこい、百間に対する友情であろう。神経質な憂い顔の写真でしか芥川を知らない方々に、この百間の目を通しての、また異なる芥川像を得ていただきたい。

内田百間
『私の「漱石」と「龍之介」』
ちくま文庫
定価:714円(税込)
ISBN4480027653


「門構え」に「月」という漢字がないので、「間」を以て代用する。諒とせられよ。