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前回は、ことばの最小単位である“語素”についてお話した。今回は、その語素を起点に、文の基本単位である“詞”の構造について、見ていきたいと思う。
語素と詞
“詞”は“語素”より1ランク上の言語単位である。“語素”は“詞”を構成する要素であり、成語等、固定した句(“詞組”)を構成する要素でもある。語素には単独で詞となることができ、また別の語素と組み合わさっても詞となることができるものがある。また語素によっては、単独では詞となることができず、別の語素と組み合わさってはじめて詞となるものもある。語素は、直接には文の構成(構文=“句法”)成分になることはできず、語素が詞を構成してはじめて、文の構成成分となることができる。語素が成語等の固定句を構成する時、その機能は詞に相当し、文の構成成分となることもできる。
語素と詞の関係を理解するには、語素の分類を行うことが必要である。分類の基準は下記の通り:
(一)音節の多少
一つの音節の語素を単音節の語素という。二つ、或いはそれ以上の音節から成る語素は、復音節の語素である。復音節の語素は、更に二音節の語素と多音節の語素に分かれる。以下に例を挙げて説明する:
1.単音節の語素
これは中国語の語素の基本形式であり、読むと一つの音節で、文字に書くと一つの漢字になる。例えば:
人 脚 学 去 我 你 大 冷
民 足 習 往 其 彼 巨 寒
很 却 雖 然 而 或
自 于 以 把 対 被
的 了 嗎 呢 着 所
子 儿 頭 非 初 第
単音節の語素は、中国語の中で幅広く使われ、詞を構成させる力がたいへん強い。
2.二音節の語素(“双音節語素”)
読むと二つの音節で、書くと二つの漢字になるが、一つの意味だけを表す。中国語の二音節の語素は主に二種類ある。
第一、連綿語 (“聯綿字”。“聯綿詞”ともいう)。声母、または韻母が同一、或いは類似した二つの音節を並べ、全体で一つの意味を表す単語である。これは古代漢語のなごり(遺留)といわれる。二つの音節の構造からみて、以下のように区分できる:
◆ 双声聯綿字 (声母、つまり子音が二音節とも同じもの)。双声詞ともいう。
秋千 蜘蛛 枇杷 蟾蜍
斟酌 流連 吩咐 游弋
猶豫 含胡 玲瓏 慷慨
・蟾蜍 chan2chu2 ヒキガエル
・流連 liu2lian2 遊びにふけっていつまでも帰らないこと
・游弋 you2yi4 (軍艦などが)パトロールする
◆ 畳韻聯綿字 (韻母、つまり母音が二音節とも同じもの)。畳韻詞ともいう。
橄欖 葫芦 玫瑰 蜻蜓
徜徉 慫恿 徘徊 彷徨
腼腆 肮脏 荒唐 朦朧
・徜徉 chang2yang2 ぶらぶら歩く。逍遥する
・慫恿 song3yong3 (あることをするように)そそのかす、たきつける
・腼腆 mian3tian はにかむ。内気である
・肮脏 ang1zang4 汚い、不潔である。卑劣である
◆ 非双声畳韻聯綿字 (声母、韻母が二音節ともに異なるもの)
鵪鶉 蝙蝠 珊瑚 妯娌
嘀咕 囫囵 趔趄 逶迤
・鵪鶉 an1chun2 ウズラ
・妯娌 zhou2li 兄弟の妻の総称。相嫁
・嘀咕 di2gu ひそひそ話をする
・囫囵 hu2lun2 丸ごと。そっくりそのまま
・趔趄 lie4qie よろめく。よろける
・逶迤 wei1yi2 道、山、川などが、くねくねと続いている様
第二、音訳された外来語。
葡萄 苜蓿 箜篌 石榴
菩薩 羅漢 刹那 佛陀
安培 伏特 盧布 欧姆
珈琲 沙發 撲克 拷貝
馬達 休克 摩登 幽黙
・苜蓿 mu4xu4 [植物]うまごやし
・箜篌 kong1hou2[楽器]箜篌(くご)
3.多音節の語素
基本的には、音訳された外来語である。例えば:
巧克力 白蘭地 婆羅門 法西斯
尼古丁 木乃伊 馬拉松 迪斯科
伊斯蘭 穆斯林 康拝因 奥林匹克
歇斯底里 可口可楽 阿弥陀佛 英特納雄奈尓
二音節の語素と多音節の語素は、大部分が単独で詞になることができる。また、別の語素と組み合わさって詞を作るものもある。例えば:
蜘蛛網 玫瑰紅 茉莉花 葡萄酒
坦克車 朦朧詩 巧克力餅干
奥林匹克村
(二)自由と不自由
単独で詞になることができ、また他の語素と組み合わさって詞を作ることもできる語素を、“自由語素”という。単独では詞になることができず、別の語素と組み合わさってはじめて詞となる語素を、“不自由語素”という。
(三)定位と不定位
一つの語素が別の語素と組み合わさって詞となる時、必ず決まった位置(詞の前部、或いは後部、或いは中間)に置かれるものを、“定位語素”という。置かれる位置の決まっていないものを、“不定位語素”という。
1.不定位語素
◆ 胆: 胆礬 胆管 胆碱 胆力 胆量
胆略 胆嚢 胆瓶 胆怯 胆識
胆酸 胆小 胆汁 胆固醇 胆小鬼
胆大妄為 胆小如鼠 胆戦心惊
・胆礬 dan3fan2胆礬(たんぱん)。硫酸銅から成る鉱物
・胆碱 dan3jian3 コリン(choline)ビタミンB複合体の一つで、脂肪代謝の調節に関与。胆汁に多く含まれる
・胆瓶 dan3ping2 くびの細長い徳利状の花瓶
・胆識 dan3shi2 胆力と見識
・胆小鬼 dan3xiao3gui3 臆病者。意気地なし
・胆大妄為 dan3da4wang4wei2 大胆で無謀なことをする
・胆戦心惊 dan3zhan4xin1jing1 あまりの恐ろしさに胆をつぶす
大胆 斗胆 放胆 肝胆 孤胆
苦胆 瓶胆 球胆 喪胆 壮胆
・斗胆 dou3dan3 大胆に。敢えて(謙譲語として用いることが多い)
・孤胆 gu1dan3 一人で多くの敵を相手に戦う
・瓶胆 ping2dan3 魔法瓶の内側のガラス瓶
・球胆 qiu2dan3 ボールのゴム芯。チューブ
龍胆紫 赤胆忠心 大胆潑辣 肝胆相照
心惊胆戦 披肝瀝胆 提心吊胆 卧薪嘗胆
・龍胆紫 long2dan3zi3 [薬]ゲンチアナ・バイオレット。一般に“紫薬水”、“甲紫”という。
・赤胆忠心 chi4dan3zhong1xin1 非常に忠実であること
・大胆潑辣 da4dan3po1la 大胆果敢
・披肝瀝胆 pi1gan1li4dan3 肝胆を披瀝(ひれき)する。腹を割って、あからさまに打ち明ける
◆ 動: 動人 動産 動詞 動蕩 動工
動火 動机 動静 動力 動量
動乱 動脉 動怒 動气 動情
動物園 動員令 動人心弦 動輒得咎
・動蕩 dong4dang4 情勢が動揺する、不穏である。波が揺らめく
・動怒 dong4nu4 怒る。癇癪を起す
・動人心弦 dong4ren2xin1xian2 人の心を揺さぶる。心の琴線に触
・動輒得咎 dong4zhe2de2jiu4 なにかするとすぐにとがめられる
暴動 被動 変動 波動 搏動
策動 顫動 衝動 出動 伝動
蠢動 地動 電動 調動 発動
・搏動 bo2dong4 心臓などが拍動する
・顫動 chan4dong4 小刻みに揺れ動く。震える
・蠢動 chun3dong4 うごめく
◆ 習: 習慣 習気 習俗 習題 習性
習作 習慣法 習非成是 習以為常
補習 伝習 悪習 復習 積習
見習 教習 練習 陋習 実習
温習 学習 演習 預習 自習
・習気 xi2qi4 (よくない)癖。風習
・習題 xi2ti2 練習問題
・習非成是 xi2fei1cheng2shi4 間違ったことが習慣となって、間違いとは認められなくなること
・習以為常 xi2yi3wei2chang2 不慣れなことでも、繰り返しているうちに当たり前になる
・積習 ji1xi2 長年の習慣
・教習 jiao4xi2 [旧]教員、教師・陋習 lou4xi2 悪い習わし
・温習 wen1xi2 復習する。おさらいをする
◆ 袖: 袖標 袖管 袖箭 袖口 袖筒
袖章 袖珍 袖子 袖手旁観
拂袖 領袖 水袖 罩袖 長袖善舞
両袖清風
・袖標 xiu4biao1 腕章
・袖管 xiu4guan3 そで
・袖箭 xiu4jian4 そでの中に隠しておき、ばね仕掛けで矢を発射する昔の武器
・袖手旁観 xiu4shou3pang2guan1 手をこまねいて見ている
・拂袖 fu2xiu4 袖を振り払って怒る様。
・水袖 shui3xiu4 京劇の衣装で、袖口についている長い白絹
・罩袖 zhao4xiu4 そでカバー
・長袖善舞 chang2xiu4shan4wu3 (長い袖は踊りがきれいに見えて有利なことから)何か頼りになるものがあると、成功しやすい。財力、権力のある人や、手練手管に長けた人は、うまく立ち回り、成功しやすいこと。
・両袖清風 liang3xiu4qing1feng1 袖の下を取らないことから、官吏が清廉潔白であるたとえ。
2.定位語素 [注]
[注]一般に不自由(単独では詞になることができず、別の語素と組み合わさってはじめて詞となる)な定位語素を“詞綴”と呼ぶ。自由(単独で詞になることができ、また他の語素と組み合わさって詞を作ることもできる)、もしくは不自由な不定位語素を“詞根”と呼ぶ。
● 詞の前部に置かれるもの
◆ 第: 第一 第二
◆ 阿: 阿爸 阿哥 阿Q
◆ 老: 老板 老虎 老師 老婆 老百姓
接頭語の“阿”や“第”、また“老”も接頭語として用いる時は、不自由な定位語素である。
● 詞の後部に置かれるもの
◆ 頭: 鋤頭 風頭 骨頭 号頭 戸頭
花頭 話頭 勁頭 口頭 指頭
・風頭 feng1tou ①風向き、形勢。②出しゃばる。自分をひけらかす
・号頭 hao4tou2 番号・戸頭 hu4tou2 口座
・花頭 hua1tou ①模様(花紋)。②手管、悪巧み(花招)。③新しい趣向、思いつき。④秘訣。奥義
・話頭 hua4tou2 話の糸口。話題
・勁頭 jin4tou2 ①力。②意気込み、意欲。③様子。ふり
◆ 子: 包子 杯子 痴子 墊子 面子
◆ 化: 丑化 悪化 激化 浄化 緑化
美化 氧化 大衆化 電気化 規範化
現代化
● 詞の中間に置かれるもの
和 跟 同 与
ある不自由な定位語素と別の自由な不定位語素が同一の漢字である場合は、その区別に注意しなければならない。例えば、上で挙げた“老師”、“老虎”等の詞の中の“老”は不自由な定位語素であるが、“老人”、“老伴”、“老当益壮”等の詞の中の“老”は自由な不定位語素である。
・老当益壮 lao3dang1yi4zhuang4 [成語]老いて益々盛んである
この二つの“老”は発音と漢字は同じであるが、意味が異なり、詞の構造も異なるので、二つの異なる語素と考えなければならない。
また、次の二組の詞を見てみよう。
◆ 饅頭 苗頭 念頭 苦頭 甜頭
→ 位置が後ろの“頭”は不自由な定位語素である。
不自由、かつ定位の語素である“頭”は、発音時、軽声になることが多い。
・苗頭 miao2tou 兆し、兆候
・苦頭 ku3tou 苦しみ
・甜頭 tian2tou ①甘み、うまみ。②うまい汁、利益
◆ 船頭 帯頭 灯頭 黒頭 頭版 頭巾
頭領 頭脳 大頭針 回頭路 出人頭地
→ 位置が不定の“頭”は自由な不定位語素である。
・帯頭 dai4tou2 先頭に立つ。率先して手本を示す
・灯頭 deng1tou2 (電灯の)ソケット。(石油ランプの)口金
・黒頭 hei1tou2 京劇のくま取りの一つ。敵役や悪役で、黒でくま取りする
・頭版 tou2ban3 新聞の第一面
・大頭針 da4tou2zhen1 虫ピン。待ち針
・回頭路 hui2tou2lu4 通ってきた道。もと来た道
・出人頭地 chu1ren2tou2di4 [成語]一頭地を抜く。人にぬきんでる
これらの語素の間の関係は、傾向としては次のようになる。
[自由語素] ← → [不自由語素]
↑胆 頭 習 阿↑
袖 化
↓動 子↓
[不定位語素] ← → [定位語素]
【原文】胡裕樹主編《現代漢語》重訂本 上海教育出版社1995年より翻訳
尚、一部誤字や間違いと思われるところの修正、補足説明を加えた。
ただ、筆者の誤解や誤りがある可能性があるので、お気づきの点、ご指摘いただければ幸甚です。
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今年は9月22日が中秋節、お月見である。中国で中秋節と言えば、月餅が頭に浮かぶ。今回は、月餅について、調べてみた。《追憶甜蜜時光―中国糕点話旧》(由国慶編著、百花文藝出版社 2005年)という本があり、これは中国のお菓子の歴史をまとめたものだが、その中で、月餅に関する記述がある。以下に、その内容をご紹介する。
月はまん丸、月餅は甘い(“月儿圓圓月餅甜”)
小さい時から今まで、二種類のお菓子が最も印象深い。一つは薩其馬(サチマ。小麦粉を練って細く伸ばして油で揚げたものを型に入れて蜜で固めて四角く切ったもの)、もう一つが月餅である。こんなに何年も食べてきて、思い返してみると、やはり子供の時に食べた提漿月餅(皮に砂糖を溶かした蜜を混ぜた月餅)、百果月餅(木の実や干した果物などを餡にした月餅)の方が、現在の蛋黄月餅(広東式の餡の中に卵の黄身の塩漬けを入れ、月に見立てた月餅)よりももっとおいしく、人々をうっとりさせる。
中秋節に月餅を食べる習慣は古くは周代に遡る。それは先人たちが月を祭り、月を拝む時の儀礼用の菓子で、自然崇拝とたいへん深い関係がある。嫦娥奔月(嫦娥が夫の后羿が西王母からもらった不老不死の薬を飲んだところ、体が軽くなり、月に昇っていき、帰れなくなってしまった)、呉剛折桂(呉剛が天帝の怒りを買い、月にある大きな月桂樹を切り倒すよう命じられた)、玉兔搗薬(月にいる白い兎が薬草を搗いて仙薬を作っているという)のうるわしい神話が私たちの輝かしい農耕文明の中で演繹され、言い伝えられた。
言い伝えによると、唐代になったばかりの頃、月餅は“胡餅”と呼ばれていた。楊貴妃が中秋の名月の下で味わっていたのは胡餅で、月光の下の景色に感動し、彼女はこれを月餅と呼んだという。これはもちろん民間の情緒的な説話の一つに過ぎない。歴史上、中秋節に月餅を食べるという民俗的な起源については、一致した結論に達していない(“莫衷一是”)。或いは言う、唐の高祖の時(618年-626年)、匈奴が長年辺境を侵犯するため、高祖は大将軍・李靖を出征させると、勝利の知らせが次々と伝わってきた。敵の血を浴び奮戦した李靖が凱旋すると、その日はちょうど8月15日であり、勝利の喜びで高祖はたいへん興奮し、長安城の内外で音楽を奏で号砲を打ち鳴らさせ、夜を徹して祝った。当時、長安に常駐していた吐蕃人(チベット系の人々)が、高祖に戦勝祝いの菓子(“捷餅”)を献上したので、高祖はすぐに菓子を李靖や群臣に分け与え、共に祝った。中秋節に月餅を食べるのは、これより広まったと。
月餅の文字が最初に出現するのは、北宋の蘇東坡の詩句の中である。“小餅如嚼月,中有酥和飴。”(小さな菓子は月を食べるかのよう。中にバターと飴が入っている)宋代以来、月餅は次第に民間に広まり、まん丸い月餅は甘くておいしく、家族団欒と無病息災の最も良い象徴となった。月餅が食品の名称として初めて見られるのは《武林旧事》の中で、話の中で取り上げられた各種の菓子の中に“月餅”の名がある。
月餅を食べることの起源については、宋、元両朝でも異なった説があった。北宋の都、開封では、毎年中秋節に、人々は皆古い風習を守り高い所に登り、名月が夜空に高く懸かると、祭祀礼拝を行った。祭祀の時にお供えするのが、月餅、果物の類の食品で、これが中秋節に月餅を食べる習慣に発展した。もうひとつの説は、元の世祖フビライは領土を統一したが、一般大衆に対する圧迫をやめなかったので、人々の恨みの声が至る所にあふれていた(“怨声載道”)。それから何年も経ってから、朱元璋と劉伯温が知り合い、如何にして元王朝を打倒するか謀議をした。当時の朝廷は謀叛を防ぐため、鉄器に対し厳格な管理を行っていた。これに対し、朱元璋と劉伯温は一計を案じ、月餅の中に文字を書いた紙を挟み込み、民衆が互いに月餅を贈る時、情報が伝えられ、8月15日の夜、蜂起することが決められた。後に、明の太祖、朱元璋はこの日を記念し、毎年中秋節の日に全国で月餅を食べることを提唱した。“月餅”ということばが中秋と関連づけていっしょに記載されるのは明朝に始まった。《宛署雑記》に言う。毎年中秋になると、民間では多く小麦粉の菓子が作られ、互いに贈り合った。「大きさは様々だが、月餅と呼ぶ。」
満人が入関後(満州族の清が居庸関を超え北京に都を置いて後)、清の宮中の生活は多くは明の制度を踏襲し、中秋節には月餅を作り、月餅を食べた。満州族の食習慣、味覚に合わせ、清の宮中の月餅にはバターの成分が多く加えられ、“敖尓布哈”(満州語で、奶餅子、つまりミルクビスケットの意味)、桃頂月餅、捶手月餅、供尖月餅、攅盤月餅など二十種類以上の特色ある品種が出現した。月餅は、小さいものは一寸余り(4-5センチ)、大きなものは30センチ余り、軽いもので50-100グラム、重いものは10キロぐらいに達した。
ラストエンペラー・溥儀は内務府を主管する大臣、紹英に恩賞として大きな月餅を与えた。この月餅は直径60センチ、重さ10キロ、宮中の料理を司る御膳房の点心師が自ら製作した。歴史文献によれば、この月餅の表面の図案はたいへん精緻で美しく、図柄が多彩(“豊富多彩”)で、細工が巧み(“巧奪天工”)で、見る人は感嘆してやまなかった(“嘆為観止”)。図案は外から内に3層に分かれ、花草果実、良田沃土、月宮図などが、秩序立って配置された。特に月宮の中の亭台殿閣は本物と見紛うばかり、月桂樹の木陰の白兔は更に生き生きと真に迫っていた(“栩栩如生”)。
“紅白翻毛制造精、中秋送礼遍都城。”(紅餡のものも白餡のものも、パイ皮のものも、精緻に作られている。この中秋に贈り物をする習慣は街中で広く普及している。)この清代の“竹枝詞”(七言絶句に似た漢詩の一体で、主にその土地の風俗、人情を詠んだもの)は、月餅を贈る習慣が、当時既に相当普及していたことを表している。楊光輔は《淞南採府》の中でこう書いている。「月餅には桃の果肉餡がたっぷり詰められ、雪糕(アイスクリーム)の甘いことといったら、甘蔗糖が霜のように真っ白に積み上げられている。」これからみると、清代の月餅の味は、現代のものに既に相当接近していたことがわかる。
辛亥革命後、月餅は一年を通して生産される伝統的な菓子となっただけでなく、その作り方、風味の上で、土地土地に合った作り方がなされるようになった(“因地而宜”、“因地制宜”とも)。各々長い歴史を経た(“各具千秋”)京式(北京風)、広式(広東風)、蘇式(蘇州風)の三大月餅は、おおよそ提漿(皮に砂糖を溶かした蜜を混ぜたもの)、酥皮(パイ皮)、硬皮の三種類に分けられる。
京式月餅は、前文でもかなり述べたが、伝統的月餅で、植物性の油を多用し、餡は精進もので、有名なものは自来紅(初めから赤い、生まれた時から革命的ということで、特に文革期に用いられた)月餅(小豆餡の月餅)、自来白(逆に初めから白い、生まれた時から反動的という意味になってしまうが)月餅(白餡の月餅)、提漿月餅、翻毛月餅(パイ皮の月餅)など、すっきりした甘さで、ふわふわやわらかく、おいしい。
提漿月餅、漿酥月餅等は、京式糕点の中でも極めて特徴を備えた伝統的な製品で、提漿糕点は先ず糖漿、つまり蜜を作らなければならない。糖蜜を濾して不純物を取り除いて(“提純”)後、小麦粉と混ぜ合わせ、皮(“漿皮”)を作る。これは見たところ専門的な問題のように見えるが、実際に食べてみるとよくわかる。専門家に聞いたところでは、蜜を作る時には定量の水と砂糖を(普通は5:2で)とろ火で煮詰める。絶えず攪拌して砂糖を充分に溶かし、その後濾過して糖蜜中の不純物を取り除くので、提漿は俗に清漿と呼ばれる。濾過した糖蜜の中に適量の麦芽糖を加え、引き続き煮詰める。麦芽糖は穀物を原材料とし、澱粉の酵素を利用し、澱粉をデキストリン、麦芽糖と、少量の葡萄糖に加水分解する。淡黄色で透き通った麦芽糖の甘味はさっぱりとしている。麦芽糖を加えて、糖蜜の温度が105℃前後になると、糊状になるので、小麦粉と合わせるまで置いておく。糖蜜が42℃前後で小麦粉と混ぜ合わせて作った月餅が、口当たりが最も良く、やわらかさと堅さが適当で、見かけも美しく仕上がる。
広東式月餅の餡は殊のほか凝っていて、蓮餡、椰子餡、肉餡は最も特色を備えた伝統的な風味である。蓮餡の月餅は香りが清々しくしっとりして、肉餡の月餅は風味があって美味しい。特に有名な加頭鳳凰焼鶏月餅の中身は、砂糖漬けの豚の脂身、鶏肉のロースト、塩漬けの卵の黄身、シイタケ、橘餅(蜜柑の実を砂糖漬けして乾燥させたもの)、胡麻、胡椒、及び各種の木の実であり、肉の風味、甘味、辛味が混じり合い、味わいが尽きない(“回味無窮”)。広東の月餅の型は模様がはっきりとしていて美しく、形は円形、楕円形、四角形、鼓形等があり、種類がたいへん多い。
蘇州式月餅は、酥皮月餅とも呼ばれ、油、砂糖を多く使い、パイ皮が何層にも重なり、外観は北方の白皮点心のようで、甘いの、塩味のもの、生臭もの、精進と品種も多い。その味は、玫瑰(マイカイ。ハマナシ)、百果(木の実や干した果物)、椒塩(山椒塩)、豆沙(小豆餡)、薄荷(ハッカ)、中華ハム、豚肉、ネギ油などがあり、甘く柔らかく、油でしっとり滑らかな食感は、涎が垂れそうになる。蘇州の老舗、稲香村の清水玫瑰月餅はその代表と言うに値し、歴史は古く、評判は中国全土に鳴り響いている。伝統的な蘇州式月餅は一般に四個が一箱に入っていて、油を多く含むので、月餅を包んだ包装紙はすぐに油が染み通り、油の香りがほんのりと漂う。
上海の月餅も生臭と精進の二種類がある。初期の上海月餅は小豆餡、白砂糖、玫瑰(マイカイ)、五仁(数種の木の実の餡)などの味があっただけだが、清末になると、上海の飲食文化の発展に伴い、月餅の品種も豚肉、ハム、鶏肉、海老などの多少塩気のある風味のものが加わり、同時に甘い月餅にも棗をつぶした餡、白餡(豆蓉)、蓮餡などの種類が増え、一部の餡の中には特に卵の黄身が加えられた。上海の月餅は、杏花楼、冠生園、老大房、稲香村など老舗の製品が特に人気があった。
西北高原の青海省は、多くの民族が共に暮らす土地であり、中秋節を祝うのは、漢族、チベット族、土族などで、彼らは皆、月を崇拝し、月餅を食べる習慣がある。青海の月餅は一般に竈で焼くのでなく、蒸したもので、色彩豊かで美しく(“五彩斑斕”)、他とは異なっている(“与衆不同”)。青海の月餅は発酵させた小麦粉と、色の美しい苦豆粉、紅曲粉(米飯に麹を加えて密封し、発酵させた鮮紅色の粉)、姜黄粉(ウコンの粉)、紅糖(黒砂糖)などを合わせて使った小麦食品である。酵母で膨らせた小麦粉の生地を棒で伸ばして広げ、表面に油を薄く塗り、先ず上記の「色粉」を一面に撒いて広げ、その後、生地を巻いていき、棒で全体を平たく伸ばし、また別の色の粉を一面に撒く。このようにして何層にも異なった色の粉と黒砂糖を加えていき、これにより、何層にも色の層ができ、見た目がたいへん美しい。この他、手先の器用な人たちは、大きな月餅の上に、小麦粉の生地を使って生き生きとした蛇や桃の形を貼りつけていく。どうしてそんなことをするのか。実は、当地の風俗では、蛇は子や孫がたくさん生まれることの象徴で、桃は幸福や長寿の意味があるからである。したがって、人々は中秋に月を拝み、月餅を食べることを通じ、子孫が増え、子供や孫たちが安全、幸福であることを祈る心理を表しているのである。
北方の一般の人々が家で焼いた月餅も、なかなか美味しい。自家製の月餅の餡で最も簡単なのは黒砂糖と白砂糖を主に使い、砂糖の中に少量の小麦粉を加える。ちょっと凝った餡の中には、青紅絲(青や赤の色素で色を付けた、蜜柑の皮、大根、パパイヤなどの細切りの砂糖漬け)、キンモクセイの花の砂糖漬けや、胡麻の類が加えられている。多少金持ちの家では、お菓子屋からこの為に蜜餡を買ってくる。小麦粉の生地で餡を包み、丸めて小さな団子状にすると、それを月餅型の中に詰めて押し付け、型をひっくり返して裏向けに伏せると、図案の付いた月餅のタネが出てくるので、それを熱したオーブンの中でゆっくりと焼き上げる。
中国各地の月餅の品種はたいへん多く、味付けにもそれぞれ特徴がある。例えば、北京、天津の提漿月餅、百果月餅、翻毛月餅、饟子月餅、麻餅月餅、紅月餅、白月餅、香油果餡月餅、奶皮月餅。山西の郭杜林月餅。黒竜江の老鼎豊月餅。蘇州の清水玫瑰月餅。揚州の葷餡月餅、月宮餅、八味月餅、黒麻椒塩月餅。寧波の苔菜月餅。紹興の酒香月餅。上海の葱油月餅、鮮肉月餅。広東の加頭純正蓮蓉月餅、足斤(500g以上ある)五仁甜肉月餅、加頭鳳凰焼鶏月餅、加頭鮮奶椰絲蓮子月餅。福建の桂圓月餅、奶油椰子月餅、閩蝦月餅、橘子月餅、福腿月餅、蓮蓉月餅。海南島の瓊式(“瓊”は海南島の別称)月餅、雲南の雲腿月餅などが、人口に膾炙している。
時代は変わり、今日になっても、私たちは月餅を食べているが、現代の人々は益々糖分の取り過ぎを恐れるようになっているので、月餅も自然と甘さを控えるようになり、機を見るに敏な商人は様々な(“五花八門”)ツバメの巣、フカヒレ、熊の手入り月餅を作り出し、何でもできないことのない(“無所不能”)完全無欠の滋養補助剤のようである。これで十分でしょうか?いや、“白銀”、“純金”月餅はもはや珍しくもなく、ひょっとすると今度は宇宙神月餅が生み出されるかもしれない。伝統的な食習慣の美しさはこのように世俗的なものに変質させられた。月餅について言えば、伝統は今日の飲食する男女にとって、まだ重要なのだろうか?
【出典】由国慶編著《追憶甜蜜時光―中国糕点話旧》百花文藝出版社 2005年
我が家は、10年近く香港で暮らしていたので、妻も子供も、月餅というと、蓮の実の白餡で、真中に塩漬けの卵の黄身の入った大ぶりの月餅を切り分けて食べるもの、というイメージがあり、この蛋黄蓮蓉月餅が好きである。
私が蘇州に単身赴任していた時、国慶節の休みに、家に蘇州式の月餅の箱を持って帰ると、その中に混じっている鮮肉月餅は家族のひんしゅくを買った。食べてみると、ビーフジャーキーを柔らかくしたようなものが中に入っていて、それはそれ、なかなか美味しいと思うのだが。また、蘇州式の鮮肉月餅は、もう一種類、パイ皮で、焼き立てを食べるスタイルがあり、スーパーやケーキ屋の店頭で、その場で焼いたものを売っていた。焼き立ての月餅を並んで買うのは、この季節の蘇州の風物詩である。
今回、上記の文の中で、青海式の蒸し月餅というのが出てきたが、これはカルチャーショックだった。百度で、青海月餅を調べると、写真も出てくるので、興味のある方はご覧いただきたい。
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一般に文法で分析する文の構成単位は“詞”と呼ばれる。“詞”は文法的に、独立して運用でき、意味を有する最小の言語単位である。しかし、ことばの単位でみると、“詞”は更に細かく分解することができる。漢字で表記された文で、漢字一文字に相当する、ことばの音と意味の結合した単位を語素と呼ぶ。漢字という表記単位でみると、これ以上区分することはできない。語素について学ぶことで、文の中での漢字の音と意味の関係を知ることができ、“詞”の役割をより深く理解することができる。今回は語素、及びそれに呼応する漢字、また語素を構成する音、意味についてみていきたい。
語素と漢字
語素は語音と語義の最小の結合体であり、最小の言語単位である。例えば、“我們学習漢語”と言う時、この文は三つの単位(ユニット)に分けることができる。
我們 | 学習 | 漢語
しかし、これは最小の言語単位ではなく、まだ次のように区分できる。
我|們|学|習|漢|語
この六つの単位(ユニット)以上の区分はできない。もし分けるとしたら、音と意味の結合した言語単位でなく、語音の単位となる。中国語の語素は多数が単音節で、文字として書かれたものが漢字である。口語の中で、単独で言うことができ、意味を表す単音節のものが、語素である。中国語の語素には二音節(“双音節”)、多音節のものもあり、文字として書くと、二個、或いはそれ以上の漢字になる。例えば、“玫瑰”、“莎士比亜”がそうである。多音節の言語単位が一つ、それともいくつかの語素で構成されるのか鑑定するには、「代替法」(“替代法”)を用いることができる。例えば、“漢語”ということばを調べるには、既に知っている語素を使って、双方向に置き換えを行う。
漢語 漢語
英語 漢族
日語 漢人
口語 漢字
このように双方向に置き換えができるということから、“漢語”という二音節の言語単位は、二つの語素から成ることがわかる。
もうひとつ、三音節の単位を例に挙げると:
科学 家 科学 家
藝術 家 科学 書
思想 家 科学 城
このことから、“家”は一つの語素であることがわかる。“科学”が一つの語素か二つの語素かは、再び置き換えを行えばよい。置き換えの結果、二つの語素から成ることがわかる。
ある言語単位が単方向にしか置き換えができない場合、一つの語素であると見做さないといけない。例えば、“啤酒”は一つの語素である。
啤酒 啤酒
黄酒 啤?
白酒 啤?
しかし、“啤”は、別の言語単位において置き換えができるので、これも一つの語素であると証明できる。
黄啤 黄啤
黒啤 黄酒
生啤 黄花
これより、“啤酒”は一つの語素であり、“啤”も一つの語素であると説明することができる。同様の理由から、“蝴蝶”は一つの語素であり、“蝶”も一つの語素である。“駱駝”は一つの語素であり、“駝”も一つの語素である。置き換えは以下のようになる:
蝴蝶 蝴蝶 粉蝶
粉蝶 蝴? 粉筆
幼蝶 蝴? 粉末
彩蝶 蝴? 粉刷
駱駝 駱駝 駝毛 駝毛
?駝 駱? 駝峰 鳥毛
?駝 駱? 駝背 羊毛
?駝 駱? 駝絨 鴨毛
語素は“詞”(独立して運用でき、意味を有する最小の言語単位)を構成する単位であり、したがって“詞素”とも呼ばれる。しかし、“詞素”を詞から分離するには、先ず文中でどれが詞であるか確定して、その後はじめて詞素を分離することができる。実際は、私たちは代替法によって語素を分析するので、置き換えを行う単位が詞であるかどうかを確定する必要はない。
語素も、成語・熟語など、固定したことば(“固定詞組”)を構成する基礎である。例えば、“国泰民安”という成語は四つの語素から構成されるが、この四つの語素は、現代漢語の中では単独では“詞”にならない。
“豊衣足食”という成語では、“豊”と“足”は“詞”にならないが、“衣”と“食”は“詞”になる。
多くの語素は昔から使われてきたが、その中の多くは、昔は“詞”であったが、現代漢語では“詞”にならない。ただ、その中間のものも存在する。例えば、“葉”は一般には単独では使用しない。“一葉知秋”の中の“葉”は語素であるが“詞”ではない。しかし、生物学で“花”、“葉”は併称され、単独で“詞”として使われる。
金、石は一般には“金子”、“石頭”と言わなければならないが、鉱物学では単独で“詞”として使われる。
口語では、しばしば単音節の語素を略称として、二音節のことばの代わりに使用している。例えば:
医院領導 略称:“院領導”
学校所辧工廠 略称:“校辧工廠”
外交部所属機関 略称:“部属機関”
言うまでもなく(“不言而喩”)、これらの略称は特定の使用環境の中でのみ使われる。
上で述べたように、中国語の語素の語音形式が音節であり、書面形式、つまりそれを文字で表したものが漢字である。一つの漢字は一つの音節を表し、多くの漢字と語素は一対一の関係にある。しかし、例外もある。音節、語素、漢字の三者のそれぞれの関係は比較的複雑であり、下記はそのよく見られる情況である。
(一)一つの音節が一つの漢字で書かれ、一つの意味を表す、或いは複数の意味を表し、これらの意味は互いに関連している。これは一つの語素と一つの漢字の関係である。
例えば:
◆ jing1 ― 睛(眼珠:ひとみ)
◆ gong1 ― 工(工人:労働者。“工作:仕事。工程:工事。工業。技術、技能。長于:秀でている。精巧である)
(二)一つの音節が複数の異なる漢字で書かれるが、同じ意味を表す。これは一つの語素と複数の漢字の異体字との関係である。
例えば:
◆ hui2 ― 回、囘など“回”の異字体(曲がる、めぐる。別の場所から元の場所に戻る)
◆ yuan2 ― 園、园(野菜、果樹、樹木を植える場所)
(三)一つの音節が一つの漢字で書かれ、複数の意味を表し、これらの意味は互いに関連しない。これは複数の語素と一つの漢字の関係である。(注)
例えば:
◆ gong1 ― 公(1)“私”に相対する「公の」。共通の。公開。公正。公事。
(2)公爵。男子に対する尊称。夫の父。雄の
(注)複数の意味が関連するかしないかは、ここでは現代漢語のレベルで見ている。もし、古代漢語、現代漢語を合わせてみると、一般には関連しない意味も、関連する場合がある。例えば、“書信”(手紙、書簡)の“信”と信任、信用の“信”は、古書の中で用いられる“信使”(公文書の送達者。使者)の“信”と関連づけると、同一の語素と見做すことができる。また、快楽の“快”、スピードの速い“快”、刃物が鋭利であることの“快”、といった意味が関連したものかどうかは判断が難しい。したがて、ここでは“多義字”と呼び、異形、異義の“同音字”と区別している。
(四)異なる音節が同一の漢字で書かれ、同一の語素を表す。これは一つの語素と多音の漢字の関係である。
例えば:
◆ xiao1 削(削皮:皮を剥く。削鉛筆:鉛筆を削る)
xue1 削(削減。削足適履:[成語]足を削って靴に合わせる。無理に調子を合せること)
◆ ke2 殻(蛋殻:卵の殻。子弾殻:銃弾の薬莢)
qiao4 殻(地殻。金蝉脱殻:[成語]蝉が外皮を脱ぐように、人に知られずそっと姿をくらますこと)
(五)異なる音節が同一の漢字で書かれるが、意味は異なる。これは複数の語素と一つの多音多義の漢字の関係である。
例えば:
◆ xing2 行(歩く。流通する、広める。行う、する)
hang2 行(行列。行業:職業、業種。排行:同族中の同世代間での、長幼の順序)
◆ shen1 参(人参。参商:参星と商星の二つの星は同時に現れないことから、親しい人が互いに遠く離れ、会うことができない譬え)
cen1 参(参差cen1ci1:長さや大きさが不揃いである。参錯:雑然として不揃いである)
can1 参(参加。参考。参拝)
以上で述べた音節、語素、漢字の間の五種類の関係は、一定程度簡略化したものである。例外や判断がつかないものも、実際のことばの中では少なからず存在する。例えば、儿化した音節は、一つの音節の末尾音に巻き舌の動作を付加したもので、“儿”は単独の音節ではない。“gai4r ― 蓋儿”、“wan2r ― 玩儿”は何れも一つの音節だが、二つの漢字で書かれる。語素の角度から見ると、“蓋”、“ 玩”は一つの語素を表し、“儿”も一つの語素を表す。このように、儿化音節は一つの音節が二つの漢字で書かれ、二つの語素を代表するという例外のケースである。
また、例えば:
beng2 ― 甭(不用) fiao4 ― 覅(不要)
lia3 ― 倆(両個) po3 ― 叵(不可)
sa1 ― 仨(三個) sa4 ― 卅(三十)
人によっては、これらは皆一つの音節、一つの漢字で二つの語素を代表していると考える人もいる。しかし実は、これらは一つの語素を代表している。もし“甭”が二つの語素なら、“beng2”は二段に分かれ、それぞれ“不”と“用”の意味を表わさなければならない。そうしてはじめて「語素が語音と語義の最小の結合体である」という定義に符合することになる。分割できない以上は、これらは当然一つの語素である。
【原文】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社1995年より翻訳
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中国語を勉強し始めた頃、聞きとり、書きとりの練習で、同音語の存在、文章の中での正しいことばの区分の仕方を訓練されたことと思う。今日は、同音語がどのように形成されたか。同音語の文章修辞上の効用。及び、文章の中で、同音語を正しく分別する方法について、紹介する。
ことばの同音現象
(一)同音語と同音語の生まれる理由
ことばの語音の形式から見て、現代漢語の中の多くのことばは、意味は全く異なるが、その語音の形式(音声、音韻、声調等を含む)は完全に同じである。このようなことばを同音語(“同音詞”)と呼ぶ。例えば:
第一組
◆“別”bie2(“分別”:区別する。区分する)――“別”bie2(“挿挂”:ピンで止める。差し込む)――“別”bie2(“不要”:~するな)
◆“搪”tang2(“抵擋”di3dang3:防ぐ)――“搪”tang2(“塗抹”tu2mo3:塗る。塗り付ける)――“搪”tang2(用搪床対机器零件的鑚孔進行加工切削:ボール盤で部品のドリル穴に加工切削を行う)
◆“管”guan3(中空的圓柱体:パイプ)――“管”guan3(管理)――“管”guan3(介詞。把:~を)
第二組
◆ “班”ban1 ――“斑”ban1
◆“嬌気”jiao1qi4(ひ弱い。お上品だ) ――“驕気”jiao1qi4(おごり高ぶった態度。傲慢)
◆“仙人”xian1ren2 ――“先人”xian1ren2
◆“公式”gong1shi4 ――“公事”gong1shi4 ――“攻勢”gong1shi4 ――“工事”gong1shi4
第一組のことばは、語音は同じで、文字に書いた形も同じであり、“同音同形詞”である。第二組のことばは、語音は同じだが、文字に書いた形が異なり、“同音異形詞”と呼ぶことができる。これ以外に、文字に書いた形は同じだが、語音が異なるものがあり、例えば、“中”zhong1と“中”zhong4、“好”hao3と“好”hao4、“重”zhong4と“重”chong2、“長”chang2と“長”zhang3がそうで、何れも同音語ではない。
同音語は、言語の中では、一般的な現象である。同音語ができる直接の原因は、以下のいくつかの理由による。
1、ことばが作られた時に語音の形式がたまたま一致した
異なった時代に、異なった場所で、異なった人々が元々あったことばの基礎の上に新しいことばを創造すると、作られたことばが語音の形式がたまたま一致する(“偶合”)ことは避け難い。言語中の大部分の同音語は、何れもこのようにして作られた。例えば、“驕気”と“嬌気”、“油船”と“郵船”がそうである。
2、語音の変化の結果
語音の変化と意味の変化は、釣り合わない。古代には同音ではなかったことばが、語音の発展、変化により、現代では同音語に変化していることがある。このような同音語は、現代漢語では、古代よりも多い。例えば、“軽”と“清”、“青”と“清”で、以前は何れも同音語ではなかった(“軽”と“清”は古代には“声母”(漢字の音節の初めの子音)が異なった。“青”と“清”は古代には“韻部”が異なった)が、現在は同音語に変化した。
3、意味の変化の結果
同音語には意味の変化の結果生まれたものがある。これらの同意語は古代にはひとつのことばで、多義語であるに過ぎなかった。後に、長い時間を経て進化し、ことばの本来の意味は次第に分化、解体し、元々あった関係は失われたが、語音の形式はそれに対応した変化を生じなかったため、同音語になった。例えば、“刻”(時間を計る単位)と“刻”(“彫刻”の“刻”)は、嘗てはひとつのことばであったが、現在は意味のつながりのない同音語に変化した。“副”(正・副の副)と“副”(量詞)、“管”(パイプ)と“管”(管理の管)などは、このような原因により生じた。
4、外来語を仮借した結果
中国語が外来語を借用する場合、常に外来語の語音の形式を中国語化する。この時、借用したことばの語音形式が元あった中国語のことばの語音形式と同じであると、同音語が形成される。例えば、モンゴル語の“jam”を借用し、このことばを中国語化して“站”(“車站”、すなわち「駅」の意味)が形成されたが、これは元々あった“站”(“站立”、すなわち「立つ」という意味)と同音である。英語の“meter”が中国語化して“米”となったが、これは“谷米”(穀物の米)の“米”と同音である。その他、例えば、“瓦”(watt。電力の単位)と“瓦”(“磚瓦”の“瓦”。つまり屋根瓦)、“听”(tin。缶詰の缶の意味)と“听”(聞く、という動詞)なども、同様の原因で生まれた同音語である。
(二)同音語の言語中での作用
同音語は、言語中で1語で2語の意味を兼ねる、これを“双関”と言うが、“同音双関”の修辞手法として用いる、すなわち「かけことば」として用いることにより、言語の生き生きとしたイメージの表現能力を強めることができる。
例えば、毛沢東が書いた《蝶恋花》という詞(詩の一形式)の中で、
我失驕楊君失柳,
楊柳軽揚
直下重宵九
…………
第二句の“楊柳”は、表面上は軽々と風に吹かれ、天上の一番高いところ(“九重雲宵”)まで昇っていく柳絮のことを書いているが、実際には戦死した楊開慧、柳直荀のことを指し、彼らの忠魂が昇天し、彼らの功績は永遠に朽ちることがない(“永垂不朽”)ことを言っている。このように、“同音双関”の修辞手法を用いることで、思想や感情に含蓄を持たせ、寓する意味を深くする(“寓意深長”)ことができる。
しかし、同音語が多過ぎると、意味の上での混同(“混淆”hun4xiao2)を引き起こし、思想表現に影響し、誤解を生じる場合もある。例えば、“郵船”や“油船”のことを言う時、この二つの同音語の存在は話す人や聞く人を煩わしく感じさせ、学校関係では、“期中考試”(中間試験)や“期終考試”(期末試験)の話をする時は、しばしば口を尽くして(“費唇舌来”)説明を加えざるを得ない。
一般的に言うと、このようなケースは実際は稀であり、決して現代漢語に於ける普遍的な現象ではない。なぜなら、大部分の同音語は、実際の会話や文章の中では、その意味は前後の文によって確定されるからである。例えば、“這地方 shu4mu4 很多”という文の中で、“shu4mu4”が指すのは当然“樹木”であり、“数目”ではない。“yu4jian4了一位朋友”と言う時の“yu4jian4”は“遇見”であり、“預見”ではない。このように、表現の困難を生じることなない。
同時に、別の面から言うと、混同を引き起こす可能性のある同音現象にぶつかった時、現代漢語では多くの方法でそれを補足することができる。
第一、現代漢語の発展の過程で、多くの単音節の語素は独立して“詞”を構成することはなくなり別の語素と組み合わさり二音節語(“双音節詞”)となった。このように、混同を引き起こし易い同音現象は大幅に減少した。例えば、単音節の“優”、“憂”は二音節の“優良”、“憂愁”となり、同音語ではなくなった。
第二に、中国語には意味の同じ語素がたくさんあり、適当な状況下では互いに置き換えができ、消極的な同音現象を避ける手助けになる。例えば、“期終”を“期末”に変えることで、“期中”と区別することができ、“遇見”を“遇到”、或いは“碰見”と改めることで、“預見”と区別することができる。
第三に、中国語には多くの同義語が存在し、それらと置き換えることで、同音による混同を避けることができる。例えば、“食用油”により“食油”を置き換え、“石油”と区別することができる。“海里”により“浬”を置き換え、“里”と区別することができる。“出口処”により“出口”を置き換え、“出口”(“対外出口”、つまり輸出)と区別することができる。
これからわかることは、一つ一つの文字の読音から見ると、中国語の中の同音のものはたいへん多いが、実際に、現代漢語中の同音語(“同音詞”)はそれほど多くない。《漢語拼音詞滙》(初稿)に収める20,133個のことば(“詞”)の中で、同音語は2,100個で、総数の10%を占めるだけである。また、大部分の同音語の意味は、前後の文から確定できるので、意味の混同が起こるケースは稀である。
【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社1995年
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中国語には、同義語が数多く存在するが、またそれらの間にはニュアンスの違いが存在する。ここでは、それを「語義の交叉現象」(“詞義交叉現象”)という言い方をしている。このニュアンスの違いを見分ける方法は、一つはその用例を見ることであるが、もうひとつ、これら同義語に呼応して、多く存在する反意語を利用する方法がある。
語義の交叉現象、及びその語義の分析での役割
現代漢語では、言葉(“詞”)の多義現象、同義現象、反義現象が常に同時に併存する。大量の多義語、同義語、反意語の存在により、現代漢語の語彙の系統の中に複雑な語義の交叉現象が形成される。ひとつの言葉がしばしば多くの意味を持つので、これらの言葉はいくつもの同義語を持つことができ、同時にいくつもの反意語を持つことができる。逆に言うと、多くの言葉は常にある意味の上では同じであるので、ひとつの言葉が多くの同義語を持ち、同時に多くの反意語を持っている。語彙系統中の言葉のひとつひとつが、常に複雑な意味関係の中に置かれ、その他の多くの言葉の意味と相互に連携し、相互に制約を与えられている。
例を挙げると、現代漢語での“深”という言葉は、それが指すのが上から下までの距離が大きいという場合、この同義語は“高”(例えば“高山深谷”中の“高”と“深”)であり、それが指すのが中から外、或いはここからあそこまでの距離が大きいという場合、同義語は“遠”(例えば“深遠”、“深入沙漠几十公里”)であり、それが指すのは色が濃い(“顔色深”)という場合、同義語は“濃”である。それが指すのが、親しみが深い(“感情深”)という場合は、同義語は“厚”である。これを状況語として程度を表す場合、その同義語は“很”、“十分”である。このように、同じ“深”という言葉が、その異なる意味の上では、“高”、“遠”、“濃”、“厚”、“很”、“十分”等の異なる同義語が存在し、同時にこれと対応して、これらの異なる意味において、“浅”、“近”、“淡”、“薄”等と反意語を形成する。このように、複雑な語義の交叉関係の中で、“深”という言葉は一連の異なる言葉と連携し、異なる関係を形成する。
語義のこうした交叉関係は、ひとつひとつの言葉の意味を分析するうえで大きな助けとなる。語義を確定するのに、以下のいくつかの方法を用いることができる。
第一、同義語を使って多義語の異なる意味を確定する。多義語の意味は正確に把握するのが困難である。その異なる同義語を関連付けてみると、比較的はっきりする。例えば、“開”ということばには、“打開”、“発動”、“操縦”、“開抜”、“開辧”、“開始”、“挙行”、“発付”、“沸騰”等の同義語があることがわかれば、“開”の各種の用法、意味を理解するのは容易である。
第二、反意語を利用して多義語の異なる意味を確定する。多義語の異なる意味は、常に異なる反意語がそれと呼応しているので、異なる反意語を利用すれば、多義語の異なる意味を確定することができる。例えば、“薄”という言葉を理解するには、“厚”、“肥沃”、“濃”、“深”等と反意語を構成するので、その各種の異なる意味を確定することができる。“酒太薄”と言う場合、その反意語は“濃”であり、ここでは“薄”は“淡”の意味である。“地太薄”と言う場合、その反意語は“肥”、或いは“肥沃”fei2wo4であり、そのここでの意味は“貧瘠”pin2ji2(土地がやせている)である。
第三、反意語を利用して同義語の語義上の細かな違いを確定する。多くの同義語は、同じ意味の上でそれに相応する反意語があるが、その意味の細かな違いの上で、異なる反意語が存在し得る。したがって、異なる反意語の手助けにより、同義語の間の細かな意味の差異を理解することができる。例えば、“果断”と“武断”は同義語であるが、“果断”は“遅疑”(ためらう。躊躇する)と反意語の関係になる。“武断”は“審慎”(周到かつ慎重である)と反意語の関係になる。“遅疑”と“審慎”の意味の上での差異から、“果断”(断固として。きっぱりと)と“武断”(独断。権勢を盾にみだりに裁断する)という同義語の細かな差異を見ることができる。
ここから、言語の語彙の中で、言葉と言葉の間、語義と語義の間は互いに連携し合い、互いに制約し合い、これらの関係は複雑である。これらの複雑な相互関係が、語彙の完全な系統を形作る。したがって、正しく言葉の意味、機能、用法を把握するには、これをその他の言葉との連携の中に置いて検討しなければならない。
【出典】胡裕樹主編《現代漢語》重訂版・上海教育出版社1995年