今回は焼き饅頭、小ぶりの肉まんを焼いた一品の話です。上海人はこの“生煎饅頭”に何か特別な思い入れがあるのでしょうか?上海出身の沈宏非の説明にも、たいへん力が入っています。表題の“十八春”は、上海出身の女流作家で、今も人気のある張愛玲の小説の題名です。《十八春》と生煎饅頭の関係、それは本文を読んでください。
十八春
“生煎饅頭”(焼き饅頭)は、上海の市井の軽食(“市井小食”)である。私はこのことばを聞くだけで、或いはこの四文字を見かけるだけで、上海の横丁(“弄堂”)のにおいが漂ってくるような気がする。ちょうど、船酔いになり易い人が、船の切符を手に取るだけで、明らかに陸地の上の体と、明らかに体の上の頭が、実際は舟の上にいるのではないのに、ゆらゆら揺れて、目が回り、頭がくらくらしてくるのと同じである。
およそ市井のものは、第一に上流の宴席には登らない(“不登大雅之堂”)-私の知っているところでは、ある高級レストランでは、“生煎饅頭”は実は店のオーナーやシェフもこの料理に私淑しているのであるが。多くは、横町の入口の屋台で、その場で焼いて売っている。第二に、安くなければならない。20年前、生煎饅頭は一両(50グラム)0.18元で売っていたが、20年後、一両1.8元に値上がりし、既にこの類の商品の中では名品と見做されている。通常の販売価格は一両1.5元、安くても1.2元以下にはならないし、高くても2.2元以上にはならない。価格の差異は大きくないが、量の上では、一律、一両4個である。二、三元のお金で、お腹一杯になることができる。五元も出せば、一家が飢えをしのぐことができ、十元はたけば、人にごちそうすることができる。
古龍は小説の中でこう書いている。胡鉄花は小さな茶館に座って楚留香を待つ間、一度に蟹肉入りの小籠包を二蒸籠、生煎饅頭を二十個食べ、「更に麻糖(表面にゴマなどをちりばめ、齧るとサクッと割れる飴菓子)を一皿取ってお茶を急須に二杯飲んだ」。これはまさしく(“純属”)小説家の言、それも男性の小説家の言である。それに比べ、「当地の」市井の小説家の言といったら、つまるところ、やはり張愛玲のものを見なければならない。《十八春》の中で、踊り子の曼璐のことをこう書いている。彼女は「夜食を食べる習慣があり」、ある日の深夜、家に帰ってから、温め直した生煎饅頭を食べようとしていると、ふと物音で二階の母親がまだ寝ていないのに気が付いた。彼女は「その時、生煎饅頭を一皿両手で持ち、黒い緞子の黄色の龍を刺繍したバスローブをはおり二階へ上がって来た。」「曼璐は母親に生煎饅頭を一つ食べるよう言い、彼女自身も饅頭を一個、ひと口食べると、ふと怪訝に思い、電灯の下で食べかけの饅頭を左右にかざして見ると、その肉は真っ赤だった。彼女は、「こん畜生!この肉はまだ生じゃあないの!」と言い、もう一度見てみると、その白い皮の部分も赤く染まっており、それでようやくこれが彼女の口紅であることが判った。」
張愛玲のペンにかかると、赤色は、セクシーだが不吉で、市井にいるのに荒涼として、華麗な服の上をはう蚤のようである。壁の上の蚊の血の跡や、胸の一点の朱砂色の痣以外に、張愛玲ファン達は未だこの赤く染まった生煎饅頭の肉餡と皮に付いた口紅に気づいていない。この小説を原作として撮影された映画《半生縁》の中で、梅艶芳演じる妾の曼璐は、真に迫って生煎饅頭を食べる場面を演じていた。これは香港映画の中でも珍しい原作に忠実な作品である。“十八春”の三文字は映画を作った時の時宜に合わなかったのかもしれないが、生煎饅頭を売る店の名前にはふさわしい。“半生縁”はやめてほしい。どこかのステーキ・レストランのようだから。実際は、“十八春”でもよいし、“半生縁”でも構わない。生煎饅頭とは別段のつながりもないことだ。私がここで取り持ちたいのは、主に私のあの熱心で客好きな上海の友人たちの巾着の中身のために、これから以降、生煎饅頭一皿か二皿で、三々五々、店名を目当てでやって来て色目を送る小金持ちの旅行客にお引き取りいただきたいということである。
上海語で“包子”(バオズ。肉まんのこと)のことを饅頭(マントウ)と言う。したがって、“生煎饅頭”は実は“生煎包子”である。(北の包子が南下すると、自動的に一段低く見られる。ちょうど、小豆餡の包子が主食と見做されないことや、村長が政府の幹部と見做されないのと似ている。しかし、彼らが白湯を“茶”と呼ぶことを考えれば、「世の中に解けない梁は無い」の譬えの如く、解決の糸口はあるだろう。)そう、包子(バオス)である。大きさはゴルフボールぐらいで、見たところ、無邪気さが実にかわいらしい(“憨態可掬”)。“生煎”の名は、聞いた感じは、伝説上の酷刑のようだが、実際は先ず半発酵(小発酵)させた小麦粉の皮で餡を包み、平底のフライパンに並べて少量の油で焼き、何度か上から水を吹きかけてやれば出来上がるのは、全く“鍋貼”(クオティエ。焼き餃子のこと)とよく似ている。鍋から取り出す時に、白ゴマとネギのみじん切りを振りかける。香港の上海料理屋の中には、先に蒸してから焼く方法があるが、実に邪道(“歪門邪道”)である。“生煎生煎”、大事なのは“生”、つまり現場中継のように、その場で焼いてその場で売るという感覚、“Live”である。先に蒸して後で焼こうが、先に焼いて後で蒸そうが、つまり専業でなく誤魔化しをする「録画放送」では、おもしろくないのである。
優秀な生煎饅頭の評価基準は三つ。焼いたその場で売ること、肉餡が新しくて柔らかく、肉汁(スープ)があること。下部がきつね色でサクッとしているが焦げておらず、皮が厚すぎないこと。
高さを知ろうと思えば、先ず足元を見よ(“欲摸高,先探底”)。生煎饅頭の底の作り方には特殊な要求があり、これと鍋貼の間で一つの重大な分野を形成している。この底部は断じてピザとは異なり、薄さは各々好みがある。良い底は、堅く香ばしくサクッと脆く、キツネ色だが焦げてはいない。小麦粉以外に、これがうまくできるのは、直接、火加減が関係している。火が強すぎると堅くなり焦げてしまうし、火加減が足りないと柔らかすぎてぺしゃんこになってしまう。これを北京人は“底儿潮”(“潮”は品質や技術が劣っているの意味)と言う。強火で焼いている時、もし饅頭の底が鍋に付いていると、底の大きな面積に焦げ跡ができてしまう。したがって、生煎饅頭の焼く工程で工夫されているのは、“底朝天”(底を上に向ける)、或いは焼いている途中で饅頭の向きを変えてやることが、少なくとも欠かすことのできない工程である。しかし、効率のため、或いは怠けて、現在ではそんなことをする人はたいへん少ない。
生煎饅頭の内部では、肉汁が成功か失敗かのカギである。味の良いこと、他に比べるもののないこのスープは、主に肉餡からのもので、その次に餡をかき混ぜる時に適量加えた豚肉の皮の煮凍りが援軍となる。小麦粉の皮が半発酵でないといけない、その目的も、発酵により餡の中のスープを吸い尽くしてほしくないからである。
この基準に基づけば、呉江路小吃街東段の“小楊生煎館”が上海の生煎饅頭業界全体で、全てに優れた(“三好”)模範である。私が一人、店の入り口に着いたのは、ちょうど晩飯の時間で、「ザアッ」という音の中、既に十数メートルの行列ができていた。付近の“王家沙”は、上海で最も美味しく最も値段の高い生煎饅頭と称しているが、今しがた店の入り口を通った時は、店は閑古鳥が鳴き、子猫が二三匹佇み、この楊という名の男は、あの王という名の男より確かに何か秘訣を持っているのに違いない。道理で、最近《Wall Street Journal》までも取材に来て賞賛し、場を賑わしている。
出来たての生煎饅頭を二両(100グラム)、琺瑯びきの皿を両手で持って、薄汚れた店の壁のところへ人をかき分け進んで食べる。うん、皮は薄い。底の焼け具合もちょうど良い。肉汁(スープ)は、有る、有るだけでなく、充分に有る、思った以上に多い、啜れるだけでなく、吸えるほど有る、飲めるほど多い、噴き出せる程だ。私が言いたいのは、このスープは食べている間の供給を保障するだけでなく、余分に出てくる部分は遊びに使うこともできるということだ。その時の状況は実際、少しかじると、濃厚で熱いスープが皮を破って飛び出し、まっすぐ上に飛び出し、私の眼に命中した。手で拭うと、指に糊でべとべとになったような感じで、まばたきをしていないと、まぶたが貼りついてしまいそうだった。二つ目を食べる時はひとつ目で経験したので、流体力学の理論をおさらいするまでもなく、この起爆物を危険距離より向こうに置いて、箸の先で慎重に穴を一つ開け、タイミングをみて、それに吸いつくと、大きな口で続けざまに三、四回吸い、スープを飲み尽くし、もう自分にかかったり、人に向け飛び出すことがないことが確認できたら、安心してむしゃむしゃ食べることができた。
前で述べたが、私の見たところ、スープは肉餡と調味料の中から自然に出てくるべきであり、粘りや濃厚さを増加させる他は、豚肉の皮の煮凍りは、補助、或いはスターターに過ぎない。広東語では、ある人が色っぽいことを形容するのに、“出汁”という言い方をするが、実際、“出汁”であれ“入骨”であれ、意味は自然に現れ浸透することであり、こんこんと溢れて歯と頬の間を濡らし、“分泌”とよく似た現象である。“出汁”と“分泌”には原因があり、餡と合わせる時に決して手で柔らかくしてはいけない豚肉の皮の煮凍りを投入し、もたらされる滔々とした流れは、もはや内分泌とは言えず、外分泌である。よしんば内分泌と見做すにせよ、甚だしく調和を失っている。ようやく鍋貼から脱却し、自ら進んで湯包(小籠包)を見習うようになった。スープが多いと益々病みつきになることはとっくに分かっていたが、あのカレー牛肉スープは見れば見るほど余計なものに思えてきた。
しかし、このことは全てを店側の責任にはできない。現在、街で売っている質の劣った生煎饅頭は、通常、乾いて水気が無いことで有名だが、それなら生煎饅頭のスープに対する要求は、食客の生煎饅頭に対する要求であろう。人間の欲望は渦を巻いているが、生煎饅頭のスープはその濫觴(らんしょう。「大河といえども、水源はやっと觴(さかずき)を浮かべることのできる小さな水たまりに過ぎない」という原議があり、普通は物事の始まりの意味)ではないか。私は“小楊生煎館”の入口で行列に並んでいる時、一人の女性が慣れた様子で先ず箸先で生煎饅頭の皮を突き破り、肉をつまみ出し、饅頭のスープを一滴残らず捨てているのを見た。このような行為に、専門家は悲しみ眉をしかめて「愚かな行為だ」(“洋盤”)と責めるが、今思えば、これも女性の身を守る術の一つに違いないではないか。
胡蘭成はこう考えている。張愛玲の生活の中には「世俗的な清潔観があった」、すなわち「物事を処理するのに彼女の条理があり、且つ侮りを受けなかった」。《今生今世之民国女子》の中でこう書いている。彼女はある時上海の街頭で、チンピラに手に持っていた生煎饅頭をひったくられた。半分は地面に落ちたが、残り半分は彼女は紙の包みとともに「しっかりと」奪い返した。もし張愛玲の時代の上海の生煎饅頭の名店、例えば“大壺春”や“夢春閣”のものであったら、このようにスープがたっぷりで、チンピラが同じようにひったくろうとしたら、淑女も当然防戦するだろうが、“小饅頭”はこらえ切れず、スープが四方に飛び散り、めちゃくちゃになってしまった(“一塌糊涂”)だろう。張愛玲はたとえスープが顔にかかることはなかったとしても、手はおそらくチンピラの手といっしょにヌルヌルになり、世俗的と言えばたいへん世俗的だが、“清潔”とは言いようがないだろう。
【原文】沈宏非《飲食男女》 江蘇文藝出版社2004年から翻訳
どうも沈宏非という人は、餃子や包子(バオズ)の時もそうでしたが、肉汁(スープ)に強いこだわりがあるようです。これは上海の人の一般的な感覚なのかもしれません。この話も、表題の張愛玲の《十八春》の艶めかしい世界は一瞬に通過し、肉汁の話に終始してしまいました。
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十八春
“生煎饅頭”(焼き饅頭)は、上海の市井の軽食(“市井小食”)である。私はこのことばを聞くだけで、或いはこの四文字を見かけるだけで、上海の横丁(“弄堂”)のにおいが漂ってくるような気がする。ちょうど、船酔いになり易い人が、船の切符を手に取るだけで、明らかに陸地の上の体と、明らかに体の上の頭が、実際は舟の上にいるのではないのに、ゆらゆら揺れて、目が回り、頭がくらくらしてくるのと同じである。
およそ市井のものは、第一に上流の宴席には登らない(“不登大雅之堂”)-私の知っているところでは、ある高級レストランでは、“生煎饅頭”は実は店のオーナーやシェフもこの料理に私淑しているのであるが。多くは、横町の入口の屋台で、その場で焼いて売っている。第二に、安くなければならない。20年前、生煎饅頭は一両(50グラム)0.18元で売っていたが、20年後、一両1.8元に値上がりし、既にこの類の商品の中では名品と見做されている。通常の販売価格は一両1.5元、安くても1.2元以下にはならないし、高くても2.2元以上にはならない。価格の差異は大きくないが、量の上では、一律、一両4個である。二、三元のお金で、お腹一杯になることができる。五元も出せば、一家が飢えをしのぐことができ、十元はたけば、人にごちそうすることができる。
古龍は小説の中でこう書いている。胡鉄花は小さな茶館に座って楚留香を待つ間、一度に蟹肉入りの小籠包を二蒸籠、生煎饅頭を二十個食べ、「更に麻糖(表面にゴマなどをちりばめ、齧るとサクッと割れる飴菓子)を一皿取ってお茶を急須に二杯飲んだ」。これはまさしく(“純属”)小説家の言、それも男性の小説家の言である。それに比べ、「当地の」市井の小説家の言といったら、つまるところ、やはり張愛玲のものを見なければならない。《十八春》の中で、踊り子の曼璐のことをこう書いている。彼女は「夜食を食べる習慣があり」、ある日の深夜、家に帰ってから、温め直した生煎饅頭を食べようとしていると、ふと物音で二階の母親がまだ寝ていないのに気が付いた。彼女は「その時、生煎饅頭を一皿両手で持ち、黒い緞子の黄色の龍を刺繍したバスローブをはおり二階へ上がって来た。」「曼璐は母親に生煎饅頭を一つ食べるよう言い、彼女自身も饅頭を一個、ひと口食べると、ふと怪訝に思い、電灯の下で食べかけの饅頭を左右にかざして見ると、その肉は真っ赤だった。彼女は、「こん畜生!この肉はまだ生じゃあないの!」と言い、もう一度見てみると、その白い皮の部分も赤く染まっており、それでようやくこれが彼女の口紅であることが判った。」
張愛玲のペンにかかると、赤色は、セクシーだが不吉で、市井にいるのに荒涼として、華麗な服の上をはう蚤のようである。壁の上の蚊の血の跡や、胸の一点の朱砂色の痣以外に、張愛玲ファン達は未だこの赤く染まった生煎饅頭の肉餡と皮に付いた口紅に気づいていない。この小説を原作として撮影された映画《半生縁》の中で、梅艶芳演じる妾の曼璐は、真に迫って生煎饅頭を食べる場面を演じていた。これは香港映画の中でも珍しい原作に忠実な作品である。“十八春”の三文字は映画を作った時の時宜に合わなかったのかもしれないが、生煎饅頭を売る店の名前にはふさわしい。“半生縁”はやめてほしい。どこかのステーキ・レストランのようだから。実際は、“十八春”でもよいし、“半生縁”でも構わない。生煎饅頭とは別段のつながりもないことだ。私がここで取り持ちたいのは、主に私のあの熱心で客好きな上海の友人たちの巾着の中身のために、これから以降、生煎饅頭一皿か二皿で、三々五々、店名を目当てでやって来て色目を送る小金持ちの旅行客にお引き取りいただきたいということである。
上海語で“包子”(バオズ。肉まんのこと)のことを饅頭(マントウ)と言う。したがって、“生煎饅頭”は実は“生煎包子”である。(北の包子が南下すると、自動的に一段低く見られる。ちょうど、小豆餡の包子が主食と見做されないことや、村長が政府の幹部と見做されないのと似ている。しかし、彼らが白湯を“茶”と呼ぶことを考えれば、「世の中に解けない梁は無い」の譬えの如く、解決の糸口はあるだろう。)そう、包子(バオス)である。大きさはゴルフボールぐらいで、見たところ、無邪気さが実にかわいらしい(“憨態可掬”)。“生煎”の名は、聞いた感じは、伝説上の酷刑のようだが、実際は先ず半発酵(小発酵)させた小麦粉の皮で餡を包み、平底のフライパンに並べて少量の油で焼き、何度か上から水を吹きかけてやれば出来上がるのは、全く“鍋貼”(クオティエ。焼き餃子のこと)とよく似ている。鍋から取り出す時に、白ゴマとネギのみじん切りを振りかける。香港の上海料理屋の中には、先に蒸してから焼く方法があるが、実に邪道(“歪門邪道”)である。“生煎生煎”、大事なのは“生”、つまり現場中継のように、その場で焼いてその場で売るという感覚、“Live”である。先に蒸して後で焼こうが、先に焼いて後で蒸そうが、つまり専業でなく誤魔化しをする「録画放送」では、おもしろくないのである。
優秀な生煎饅頭の評価基準は三つ。焼いたその場で売ること、肉餡が新しくて柔らかく、肉汁(スープ)があること。下部がきつね色でサクッとしているが焦げておらず、皮が厚すぎないこと。
高さを知ろうと思えば、先ず足元を見よ(“欲摸高,先探底”)。生煎饅頭の底の作り方には特殊な要求があり、これと鍋貼の間で一つの重大な分野を形成している。この底部は断じてピザとは異なり、薄さは各々好みがある。良い底は、堅く香ばしくサクッと脆く、キツネ色だが焦げてはいない。小麦粉以外に、これがうまくできるのは、直接、火加減が関係している。火が強すぎると堅くなり焦げてしまうし、火加減が足りないと柔らかすぎてぺしゃんこになってしまう。これを北京人は“底儿潮”(“潮”は品質や技術が劣っているの意味)と言う。強火で焼いている時、もし饅頭の底が鍋に付いていると、底の大きな面積に焦げ跡ができてしまう。したがって、生煎饅頭の焼く工程で工夫されているのは、“底朝天”(底を上に向ける)、或いは焼いている途中で饅頭の向きを変えてやることが、少なくとも欠かすことのできない工程である。しかし、効率のため、或いは怠けて、現在ではそんなことをする人はたいへん少ない。
生煎饅頭の内部では、肉汁が成功か失敗かのカギである。味の良いこと、他に比べるもののないこのスープは、主に肉餡からのもので、その次に餡をかき混ぜる時に適量加えた豚肉の皮の煮凍りが援軍となる。小麦粉の皮が半発酵でないといけない、その目的も、発酵により餡の中のスープを吸い尽くしてほしくないからである。
この基準に基づけば、呉江路小吃街東段の“小楊生煎館”が上海の生煎饅頭業界全体で、全てに優れた(“三好”)模範である。私が一人、店の入り口に着いたのは、ちょうど晩飯の時間で、「ザアッ」という音の中、既に十数メートルの行列ができていた。付近の“王家沙”は、上海で最も美味しく最も値段の高い生煎饅頭と称しているが、今しがた店の入り口を通った時は、店は閑古鳥が鳴き、子猫が二三匹佇み、この楊という名の男は、あの王という名の男より確かに何か秘訣を持っているのに違いない。道理で、最近《Wall Street Journal》までも取材に来て賞賛し、場を賑わしている。
出来たての生煎饅頭を二両(100グラム)、琺瑯びきの皿を両手で持って、薄汚れた店の壁のところへ人をかき分け進んで食べる。うん、皮は薄い。底の焼け具合もちょうど良い。肉汁(スープ)は、有る、有るだけでなく、充分に有る、思った以上に多い、啜れるだけでなく、吸えるほど有る、飲めるほど多い、噴き出せる程だ。私が言いたいのは、このスープは食べている間の供給を保障するだけでなく、余分に出てくる部分は遊びに使うこともできるということだ。その時の状況は実際、少しかじると、濃厚で熱いスープが皮を破って飛び出し、まっすぐ上に飛び出し、私の眼に命中した。手で拭うと、指に糊でべとべとになったような感じで、まばたきをしていないと、まぶたが貼りついてしまいそうだった。二つ目を食べる時はひとつ目で経験したので、流体力学の理論をおさらいするまでもなく、この起爆物を危険距離より向こうに置いて、箸の先で慎重に穴を一つ開け、タイミングをみて、それに吸いつくと、大きな口で続けざまに三、四回吸い、スープを飲み尽くし、もう自分にかかったり、人に向け飛び出すことがないことが確認できたら、安心してむしゃむしゃ食べることができた。
前で述べたが、私の見たところ、スープは肉餡と調味料の中から自然に出てくるべきであり、粘りや濃厚さを増加させる他は、豚肉の皮の煮凍りは、補助、或いはスターターに過ぎない。広東語では、ある人が色っぽいことを形容するのに、“出汁”という言い方をするが、実際、“出汁”であれ“入骨”であれ、意味は自然に現れ浸透することであり、こんこんと溢れて歯と頬の間を濡らし、“分泌”とよく似た現象である。“出汁”と“分泌”には原因があり、餡と合わせる時に決して手で柔らかくしてはいけない豚肉の皮の煮凍りを投入し、もたらされる滔々とした流れは、もはや内分泌とは言えず、外分泌である。よしんば内分泌と見做すにせよ、甚だしく調和を失っている。ようやく鍋貼から脱却し、自ら進んで湯包(小籠包)を見習うようになった。スープが多いと益々病みつきになることはとっくに分かっていたが、あのカレー牛肉スープは見れば見るほど余計なものに思えてきた。
しかし、このことは全てを店側の責任にはできない。現在、街で売っている質の劣った生煎饅頭は、通常、乾いて水気が無いことで有名だが、それなら生煎饅頭のスープに対する要求は、食客の生煎饅頭に対する要求であろう。人間の欲望は渦を巻いているが、生煎饅頭のスープはその濫觴(らんしょう。「大河といえども、水源はやっと觴(さかずき)を浮かべることのできる小さな水たまりに過ぎない」という原議があり、普通は物事の始まりの意味)ではないか。私は“小楊生煎館”の入口で行列に並んでいる時、一人の女性が慣れた様子で先ず箸先で生煎饅頭の皮を突き破り、肉をつまみ出し、饅頭のスープを一滴残らず捨てているのを見た。このような行為に、専門家は悲しみ眉をしかめて「愚かな行為だ」(“洋盤”)と責めるが、今思えば、これも女性の身を守る術の一つに違いないではないか。
胡蘭成はこう考えている。張愛玲の生活の中には「世俗的な清潔観があった」、すなわち「物事を処理するのに彼女の条理があり、且つ侮りを受けなかった」。《今生今世之民国女子》の中でこう書いている。彼女はある時上海の街頭で、チンピラに手に持っていた生煎饅頭をひったくられた。半分は地面に落ちたが、残り半分は彼女は紙の包みとともに「しっかりと」奪い返した。もし張愛玲の時代の上海の生煎饅頭の名店、例えば“大壺春”や“夢春閣”のものであったら、このようにスープがたっぷりで、チンピラが同じようにひったくろうとしたら、淑女も当然防戦するだろうが、“小饅頭”はこらえ切れず、スープが四方に飛び散り、めちゃくちゃになってしまった(“一塌糊涂”)だろう。張愛玲はたとえスープが顔にかかることはなかったとしても、手はおそらくチンピラの手といっしょにヌルヌルになり、世俗的と言えばたいへん世俗的だが、“清潔”とは言いようがないだろう。
【原文】沈宏非《飲食男女》 江蘇文藝出版社2004年から翻訳
どうも沈宏非という人は、餃子や包子(バオズ)の時もそうでしたが、肉汁(スープ)に強いこだわりがあるようです。これは上海の人の一般的な感覚なのかもしれません。この話も、表題の張愛玲の《十八春》の艶めかしい世界は一瞬に通過し、肉汁の話に終始してしまいました。
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