聶家庄の泥人形「拴娃娃」
1.聶家庄nièjiāzhuāngの泥人形
山東省には何カ所か泥人形の産地がありますが、先ず取り上げるのは、山東半島東部の濰坊市高密県(現在は高密市)です。青島市に隣接し、泥人形の産地は県城付近の東聶家庄、西聶家庄、高家庄の三つの村に集中しています。泥玩具の職人には聶niè姓の人が多く、高密泥人形は「聶家庄泥人形」とも呼ばれています。
濰坊市高密県(現在は高密市)
高密県は有名な民間工芸品の里であり、ここで生産される木版の年画(春節に門や室内に飾る絵画。吉祥の図柄を木版刷りの輪郭に筆または色刷りで彩色する)である「撲灰年画」(明代成化年間(1465-1487年)に始まり、清代に盛んに作られた。柳の枝を焼いて作った灰炭で輪郭を描き、それを上から紙で写し取ることから、この名が付けられた)と剪紙(切り紙細工)は何れも特色ある民間工芸品です。泥人形の生産は、明清時代に遡ります。聶家は元々、河北省泊鎮(ここも泥人形の産地です)の人で、明朝初期に高密に移り、聶家庄一帯に定住し、明の隆慶年間(1567-1572)、庄の人々は「鍋子花」の制作を副業としました。「鍋子花」は節句に使う花火で、粘土で本体を作り、中に火薬を詰め、外側は河北省白溝鎮で生産される「老頭花」、「獅子花」と似ていました。「鍋子花」の粘土の本体は、獅子、寿星(南極老人)、娃娃(赤ん坊)など、様々な形に作りました。これが聶家庄の泥人形の元になっています。清の康煕年間(1662-1722)、「鍋煙子花」の基礎の上に、泥人形の生産が始まりました。後に、「撲灰年画」制作の影響を受け、泥人形の造形や彩色に改善が加えられ、独特な風格が生み出され、今日まで伝わっています。
撲灰年画
聶家庄の泥人形は芝居の人物を題材にするのを得意とし、伝統演劇の人物に取材したり、木版年賀の内容を採り入れたりし、「劉海戯金蟾」,「猪八戒背媳婦」、「回娘家」、「孟良焦賛」など、人気のある芝居の場面を再現しました。また、縁起の良い動物を題材とした泥人形として、「対獅」、「坐獅」、「十二生肖」などのようなものもあり、石造彫刻の表現方法を採り入れ、豪胆で勇壮な風格を生み出しました。
猪八戒背媳婦
武財神
聶家庄の泥人形は全て型を使って作られ、重厚でしっかりしていて、凹凸が明確で、多くが本体の中が空洞になっておらず、ずっしり重く、存在感があります。彩色は華麗でおおらかで、泥人形でよく使われる深紅、深緑、黄色、青の他に、聶家庄では更に桃色、バラ色、深い紫を好んで使い、また補助的に金色と銀色も使います。上絵を描く時にはぼかしの技法を用い、筆に水と絵の具を十分含ませ、一気に筆を動かすと、色彩が深い色から浅い色へゆるやかに自然に変化します。獅子や虎の顔、人物の顔の頬には軽く桃色を塗り、健康で丈夫な様子を表し、更に金色、銀色の飾りを加えることで、華麗で堂々とした風格を出しています。
聶家庄の泥玩具で最も有名な製品は「大叫虎」で、虎は前後二つの部分に分けて制作し、本体が乾燥してから中間を羊皮紙や強靭な紙でつなぎ合わせ、本体の空洞になったところに竹の呼び子かヨシ笛を取り付けます。泥虎を前後に引っ張ったり押したりすると、空気が圧縮され、竹の呼び子を通って音が出ます。虎の頭の内部は大きな空洞が残してあり、虎の口が開き、呼び子の音が頭の空洞内で共鳴し、虎の口から音が出ます。音は低く重厚で、角笛のようです。こうした巧みな構造は、職人たちの創意工夫の現れです。
大叫虎
2.蒼山県の泥人形
蒼山県の泥人形
蒼山県(蘭陵県)は山東省の南部、江蘇省の北に接する臨沂línyí市の所轄で、臨沂市西南30キロに位置し、主に芝居の人物、皮老虎、揺尾翠鳥、牧童騎牛などの泥人形を作っていました。1940~60年代、蒼山の泥人形は百種類余りに達し、様々な人物や動物、動いたり音が出たりする玩具を生産していましたが、以後次第に衰退しました。1980年代より、一部の製品について生産が回復しましたが、まだ過去のレベルには戻っていません。
臨沂市蒼山県
ここで生産される芝居の登場人物の人形は、単体で直立したものが主で、高さは約18センチ、型を使って作られ、中が空洞になっていて、白粉で地色が着けられ、絵付けの時は小筆を使って色を塗り、広い面積に色を塗ることは少ないです。墨で描いた紋様はすっきりしていて、筆遣いは自由気ままな感じです。ここの泥人形の職人たちは、「先ず墨の線で衣服や顔かたち、主な部分の輪郭を描き、その後、様々な色を付けていく。たとえ色があまり正確でなくても、全体の印象にはあまり影響しない。なぜなら黒色が「一家の主」(全体の構図や色彩の中心)だから」と言います。ここの芝居の人物は色遣いが豊かで、墨の線が自由闊達に描かれ、生き生きとした動きが感じられます。
武旦
蒼山の泥人形の表面には、絵付けが終わると、たまごの白身がかけられます。これは化学塗料が未発達の時代の伝統的な彩色後の仕上げ方法です。たまごの白身を割りほぐし、水で薄めて、絵付けした人形の表面に塗るのです。乾くと弱い光沢が出て、てかてかと艶が出て、禿げにくくなります。現代の泥人形ではあまりこのような方法は使いませんが、蒼山泥人形ではまだこうした伝統的な方法を維持しています。
3.掖県(莱州)の泥人形
戯曲旦角(芝居の中の人物)
掖県は山東省東北部に位置し、北に莱州湾に臨み、古くは莱州と呼ばれました。ここで作られる民間工芸品は長い歴史を有し、曾ては泥人形、「江米人」(糝粉細工)、剪紙(切り紙細工)などの産地でした。この土地に伝わる民謡では、「坊や、泣かないでおくれ。父さんは莱州府に行ったよ。天秤棒の前には「江米人」、後ろには「皮老虎」を担いで行った」と歌われています。「江米人」は当地で年越しや節句のお祭りの時に作る、米粉を捏ねて作った人形で、「皮老虎」はここの泥人形のひとつです。
掖県(莱州)
泥人形の生産は、県城の西北の塔埠村と西坊北村に集中していました。塔埠村では、不倒翁(起き上がりこぼし)、揺叫(「揺鼓」とも言う。でんでん太鼓)、「四老爷打面缸」(滑稽劇の題名)など動くおもちゃが有名でした。起き上がりこぼしは粘土で張り子の本体を支えます。張り子の本体の型は粘土で作り、型の周囲にはぐるりと深い溝を付け、水に漬けた紙を何層にも貼り付けて乾いたら、深い溝に沿って紙の層をはずし、粘土の型から取り出し、粘土の支えの上に取り付けました。人形は上が軽く下が重いので、倒してもまた起き上がります。寿星(寿老人。七福神の一人)、娃娃(小さな子供)、小閨女(未婚の女性)、猴子(猿)など、様々な形の起き上がりこぼしが作られました。また、青蛙や小鼓の形の揺叫(でんでん太鼓)を考え出し、農家の子供たちに喜ばれました。
不倒翁(起き上がりこぼし)
揺叫(でんでん太鼓)
塔埠村には老作家、周紹榜がおり、長年泥人形を作ってきました。泥人形は、型を取って作りました。単体の人形は、古装束の人物、芝居の人物が多く作られました。「猪八戒背媳婦」(猪八戒が嫁を背負う)は高さ約10センチ、八戒の体と背負った人物は一つの型で作り、前面には小さな穴を残し、別に猪八戒の頭を取り付け、また書生や大男の頭にも取り換えることができ、こうして猪八戒が変身して人を騙す場面を表現しました。「猴子换草帽」(猿が麦わら帽子を交換する)は、猿の手足は紙の板で作り、ひもでつないだ把手を動かすことで、頭の麦わら帽子が二匹の猿の頭に代わる代わる被さるようになっていました。
猪八戒背媳婦
猴子换草帽
掖県の泥人形の特徴は、簡素で、実直で、過度な装飾はせず、本体は空洞になっていないので、堅牢で、ずっしりと重く、壊れにくいことでした。
4.臨沂línyíの泥人形
褚庄の泥人形(騎馬)
臨沂市の東、1.5キロの九曲郷・褚庄chǔzhuāng(臨沂市河東区)も泥人形の産地で、ここでは泥人形で鳥、雄鶏、馬が作られ、また牛頭哨、双音哨(「哨」は呼び子の笛)という呼び子の笛が作られました。
褚庄では曾て「五絲哨」という笛が作られていました。赤、黄、青、白、黒の五色の絹糸で一個の、陶器の呼び子を結び付けて子供が胸から吊るし、災いや疫病を避けるのを祈りました。『風俗通義』という古い書物に、「五月五日に五色の糸を腕に吊るし、妖怪や兵乱を避け、疫病にかからないようにする」という記載があります。「五絲哨」は残念ながら、今はもう伝わっていません。しかし「牛頭哨」と「双音哨」は今日でも作られています。これらの陶器の呼び子は全て二つの穴が開けられていて、一つは深くもう一つは浅く、一つは大きくもう一つは小さく作られています。一方からは高い音、もう一方からは低い音が出て、二つの音は共鳴し、耳に快いものです。
牛頭哨
褚庄の泥人形の鳥、雄鶏は、形は粗削りですが描かれた紋様は変化に富み、同じ鳥でも、個別に牡丹、菊花、縞模様、網目模様、点の模様など十種類以上の図柄が鳥の体を飾っています。下地は白粉が塗られておらず、「ベンガラ」(鉄土子。鉄丹とも言う)が塗られています。先ず、ベンガラを細かく砕いて擦り、水や膠と調合し、下地に塗り、乾いたら上絵を施します。ここの泥人形の主な色調は暗い赤色で、独特な色合いとなっています。
山東省内には泥玩具の産地が他にもたくさんあり、済南市、青島市、黄県、棗庄市などでも曾ては各種の泥玩具を生産していました。