恵山泥人「阿福」
中国全土で、泥人形の産地には、以下のようなところがあります。
北京市
天津市
山東省:蒼山県、臨沂市、済南市、黄県、掖県、高密県等
河北省:新城県、泊鎮、玉田県、保定市
江蘇省:無錫市、徐州市
安徽省:阜陽県、蚌埠
河南省:淮陽県、浚県、沈丘県、霊宝県
陝西省:鳳翔県、富県、西安市等
甘粛省:泰昌県
四川省:南充市
浙江省:嵊県
遼寧省:瀋陽市
これから、これらのうちの主な産地と、そこで作られる泥人形の特徴を紹介していきます。今回は、先ず、江蘇省無錫市の恵山泥人について、紹介していきます。
恵山は慧山とも言い、江蘇省無錫市の西郊に位置し、江南の名山の一つです。山中に泉が多く、またの名を恵泉山とも言い、「天下第二泉」、「龍眼泉」など十数カ所の名所旧跡があります。恵山の東側に錫山という山があり、現在は、2つ併せて錫恵公園となっています。少なくとも今から400年前の明朝末期には、錫山で泥人形が売られていたという記録があります。
錫恵公園
1.恵山泥人の歴史
初期の恵山泥人は、子供のおもちゃが主体でした。春に江蘇地方では多くの土地で「迎神賽会」という、神像を廟から担ぎ出し、街を練り歩く、災いを消して福を賜うことを祈る祭りが行われ、更に「赶場」という市が立ち、交易活動が行われました。これらの行事の中で、恵山泥人形が大量に販売され、職人たちは大きな器に泥人形を並べ、人込みの中で呼び売りをしました。これらのおもちゃは多くが型を使って作られ、一面型か両面型で押して土の原型を作り、乾かしたら下地に色を塗り、絵付けを施しました。また多くは人形を動かしたり、音を鳴らしたりすることができ、子供が遊ぶのに適していました。
清の乾隆年間(1736-1796)、恵山の泥人形は大いに発展し、専門に泥人形を制作することを職業とする工房が現れ始め、泥人形の生産は安定した手工業に変化し始めました。泥人形の品種は増加し、品質は向上しました。この頃から、泥人形は、大人が家に飾って鑑賞するものが増えてきました。
清朝末期、恵山泥人形の生産は日増しに専門化し、技巧が巧みな専門の作家が現れ、恵山の泥人形の名声は日増しに高まりました。製品は高級品にシフトし、多くの職人が、型で大量に作るのではなく、手先の技で一個一個作り、人物描写に力を入れ、有名な恵山泥人形の「細貨」(高級品)である、「手捏戯文」(手で捏ねて作った人形で芝居の場面を表現する)を完成させました。
「手捏戯文」は、先ず芝居の人物に取材しました。無錫地方で流行した「草台戯」(田舎回りの大衆演劇)はたいへん人気があり、人形職人たちは芝居の舞台に表現する題材を求めました。
無錫では、こうした高級泥人形を「細貨」、それに対し、子供が手に取って遊ぶ玩具は「粗貨」(安価な一般品)と呼ばれました。
「手捏戯文」は通常、芝居の一場面に登場する二三人の人物で構成され、芝居の主要な情景を表現しました。後に、芝居の舞台という制約を超え、神話の人物、伝説、歴史上の人物、宗教上の人物、風俗風習の情景などが加わりました。清の同治(1862-1874)、光緒年間(1875-1908)に、恵山の「手捏戯文」は最盛期を迎えました。
「粗貨」(一般品)と「細貨」(高級品)とでは、技術の要求もサービスの対象も異なっていました。「細貨」は主に権勢のある家や金持ちが季節の行事、嫁取り、長寿の祝いなど、祝い事を盛大に行う時、室内のしつらえに用い、気分を高揚させ、見栄を張るのに用いられました。「細貨」は当時、親しい友人への贈り物となりました。光緒年間、西太后が長寿祝いをした時、無錫地方の役人は特に手作りの八人の仙人の像一式を都、北京に送り、ご機嫌を取りました。当時は恵山の「細貨」は都・北京でもたいへん有名だったのです。
泥人形の一般品(粗貨)は、市が立つ時(赶場)や祭り(賽会)で販売するだけでなく、常設の店舗でも販売されました。蘇北地方(江蘇省の長江北岸地方)や北方の省、市から来た商人も、毎回無錫に来ては泥人形を仕入れました。当時はまだ物々交換による交易が盛んで、運んできた大豆や綿花、落花生などを泥人形と交換しました。
2.恵山泥人の主要作品
恵山泥人形の「粗貨」は、歴史が長く、販路も広いものでした。表現する題材は、おおよそ三種類に分類されます。すなわち、子供の人形、物語上の人物、吉祥やめでたさを表すものです。
子供の人形のうち、最も代表的なのは「大阿福」です。歴史的に各時代の阿福の形式は決して同じではありませんが、その基本的な造形はおおよそ同じで、ひとつ、或いは一対の健康で豊満な太った子供です。対になった阿福は「対阿福」と言い、一男一女で、「梅花五福袍」という梅花柄の中華服を身に着け(梅の花は花びらが五枚あり、「五福花」とも言い、快楽、幸福、長寿、順調、平和の5つの福を代表している)、手には金の毛の大青獅(青い獅子)を抱き、恥ずかしそうに微笑み、飾り気がなく、実直で、穏やかで慎み深い表情をしています。
恵山泥人「阿福」
「阿福」は誕生以来、恵山泥人形の中で最も人々に愛される商品でした。当地に伝わる多くの神話や物語は、阿福に対する賛美の気持ちで溢れていますが、中でも有名なのが、「阿福降獅」の物語です。
昔、恵山に邪悪な獅子がいて、専ら村々で子供を捕まえて食べていた。獅子は凶暴、残虐で、無数の罪のない子供を噛み殺していた。後に、天上より二人の神様が下りて来られた。神様は「沙孩儿」と言い、勇敢で強く、法術に優れていた。神様は邪悪な獅子を打ち負かし、人々の害を除き、幸福と安寧を人々にもたらした。このため、人々は神様に感謝し、神様の姿を土で刻み、家々でお供えした。神様が幸福をもたらしてくれたので、この像は「阿福」と呼ばれた。
こうした子供の人形は、幸福と安寧の象徴となり、人々の生活への祈りとなっています。
「阿福」は標準的な造形以外に、様々な形式の変化が生まれ、「団阿福」(「団」は丸い形)、「小阿福」、「撲満阿福」(「撲満」は貯金箱。素焼きのつぼで、貨幣がやっと入る細長い口があり、つぼを割らないとお金が取り出せない)などがあります。「阿福」は中国で有名であるだけでなく、世界でも名声を博し、中国の「泥娃娃」、子供の人形の代表となっています。
団阿福
「花囡」huānānは恵山泥人形のもうひとつの重要な商品です。江蘇省の方言で、女の子のことを「囡」nānと言い、「花囡」は「かわいい女の子」の意味で、その基本的な造形は、にっこり笑った女の子の形で、無邪気で素直で、喜びにあふれた様子をしています。
惠山泥人“花囡”
「花囡」も様々に変化し、双桃囡、西瓜囡、如意囡、団囡などが現れました。「花囡」の装飾の紋様には、多くは天青(赤みがかった黒、紺)、大红(深紅色。緋色)、紫、緑、群青(“佛青”ともいう。ラビスラズリ。青金石という鉱物から作る青い顔料)などの色で絵が描かれ、鮮やかな色彩の中、古風さ、素朴さが溶け合い、子供の活発さの中に、厳かさが溶け合っています。
团囡
子供の人形の中には他に「和合」、つまり手に蓮の花(荷花héhuā)と宝箱(宝盒bǎohé)を持った太った子供の人形で、発音が同じ「和合héhé」(和睦同心。仲良くし、気持ちをひとつにすること)を意味し、「忍を高しとし、和を貴しとする」という儒教思想を表しています。泥人形には他に「三胖子」、「吹炉火」、「皮鼓木鱼」などがあり、何れも子供の姿を題材にした作品す。
和合二仙
子供の姿に取材した泥人形作品は、中国の人々の素朴で偽りのない伝統的な道徳観念を体現しました。伝統的にこの種の作品は、多子で多幸、人口がどんどん増加するという意味合いが含まれていました。
恵山泥人形は、この他、芝居の一場面、神話や伝説、歴史事件、著名な人物などが表現されています。中でも有名なのは、「武松打虎」(水滸伝)、「草船借箭」(三国志)、「老爷(関羽)看兵書」、「西遊記」、「小尼姑下山」、「哪吒閙海」、「十八般兵器」、「八仙過海」、「水斗」(白蛇伝)などであります。こうした泥人形は、一般的な娯楽、鑑賞の役割の他、子供たちにとって、作品の内容を理解することを通じ、知識の増進や、広範な分野への興味を養うことができました。
水斗
泥人形にはこの他、吉祥や喜び事を意味する作品があり、民間で幅広く流布している吉祥の題材が表現されます。例えば、「大青牛」と呼ばれる泥玩具があります。当地の民謡で、「青牛の頭をなでてごらん。田を耕すのに心配はいらない。青牛の角をなでてごらん。田を耕すのに役に立つ」と歌われます。大青牛は体中が青や黄色をしており、農民の豊作への祈りを象徴しています。
童子春牛
もうひとつ、農民が好む作品に「蚕猫」があります。これは「蚕宝宝」、蚕の守り神です。無錫市は江南地方にあり、周辺では桑を植え養蚕をする農家が多くあります。ネズミは蚕の大敵であり、蚕が成長する期間中、ネズミの害を防がなければならず、猫はネズミの天敵ですので、猫により蚕の保護を象徴しました。養蚕農家では多く猫を飼っていました。「蚕猫」の造形の様式は様々で、玩具であるだけでなく、吉祥の象徴でもありました。「青牛」、「蚕猫」と同工異曲の作品には、他に「車状元」、「車老虎」、「吉慶有余」、「一団和気」、「福寿三星」、「聚宝盆」、「劉海戯金蟾」などがあります。
蚕猫
泥人形の職人たちは、更に子供が遊ぶのに相応しいおもちゃを作り出しました。例えば、ニワトリやトラの人形、「揺叫」(人形の首のところにばねを入れた首振り人形)、「皮老虎」(上下の容器が空気が漏れないようつなげられ、一方に呼び子が取り付けられ、上蓋に虎の顔が描かれ、蓋を押したり引っ張ったりすると音が鳴る)などです。
皮老虎
3.恵山泥人形の技法と特徴
恵山泥人形の主な生産工程は、土を篩にかけ、槌で叩き、土を捏ねて形を作り、型を取り、型抜きをし、全体を修正し、下地を塗り、絵付けをし、艶出しをするなどの工程があります。型には一面型と両面型の二種類があります。両面型で作るものの多くは空芯になっていて、泥人形の重さを軽減でき、且つ材料を節約できます。例えば、「肖形撲満」、「観音」、「寿星」、「対阿福」などの作品は両面型で制作されます。最近は一部の人形はシリコンの型で作られ、型は内外二層に分かれ、内層は柔軟性のある型で、外層は二面の固いシリコンが使われています。内側の型は柔軟性があるので、複雑な造形も一度で造形が可能で、粘土の水分を増やして泥状にし、一定の流動性を持たせ、それにより粘土が型の隅々に充填するようにします。硬質シリコンの外型、液状の粘土を流し込む時に内型が変形するのを防いでくれます。
型を使って人形の頭を作成
白地を型から取り出して後、毛筆に水を含ませるか、濡れた布で一度全体を洗い、白地の表面を滑らかに整えてやります。白地が乾いたら、窯で焼いて、人形の強度が増すようにします。
人形の下地には通常白色土やリトポン(硫酸バリウムと硫化亜鉛の混合物である白色顔料)を用いますが、一部の小型の人形は下地を塗らず、直接彩色し上絵を描きます。彩色や上絵描きは恵山泥人形制作の重要な工程で、「造形三分、彩色七分」という言い方があります。よく使われる色は、花青(アントシアン。花、果実、紫蘇の葉などの細胞液中に含まれる植物色素)、石緑(孔雀石で作った緑色の絵具。マラカイト。緑色の単斜晶系の鉱物)、赭石(しゃせき。代赭石。主に顔料に用いる。赤い色の石)、青連(薄い紫色)、群青(ラピスラズリ。鮮麗な藍青色)、大紅(深紅。緋色)、鵞黄(卵色。淡い黄色)などで、少量の金、銀を入れることもあります。
彩色作業
恵山泥人形の色彩は、柔らかくつやつやしているのが特徴で、「ぼかし」の手法を用いて色の深みに変化をつけ、落ち着き、均一でむらがなく、変化が自然であることを重視しています。現在は一般にスプレーを使って色のぼかしをつけています。彩色は色毎にまとめて行い、彩色後に墨で輪郭を描き、目や鼻を描き入れ、髪の毛を描く等の細部の描写を行います。
恵山泥人形の造形は簡潔で、作品の大小にかかわらず、細部の形状に複雑なところはなく、できるだけ造形は大きな部分に留め、不必要な細部は省略し、簡単な手法で全体のイメージをまとめています。外形の輪郭は線が流れるように優美で、やわらかいなめらかな曲線を多用し、直線をできるだけ避けています。表面の起伏はなだらかで、深くしつこい彫刻はせず、ふくよかで丸みのある造形を形成しています。
職人たちは色使いに豊かな経験を持ち、「赤に緑を合わせると、玉のように美しくなるが、赤に紫を合わせると、全体が死んでしまう」と言い、また「赤は鮮やかな赤でなければならず、緑は若々しい緑でなければならず、白は穢れのない白でなければならない」と言います。一個の作品で使う色はあまり多くありません。職人たちは、「頭の色は四つを超えず、体の色は三を超えること勿れ」と言います。色を選び、色の種類を抑え、色を使いすぎてけばけばしくなるのを避けるようにするということです。
泥人形の作品の細かい造形は絵付けで完成しますが、職人たちは作品により、異なった筆遣いや画法を使い分けます。例えば、人の眉には8種類の描き方があり、柳葉眉(眉毛の両側が吊り上がり、柳の葉のような形になっている)、臥蚕眉(眉毛の端が高く上がり、全体は二段に多少まがっている。毛は艶やかで蚕のよう。一般に男の英雄豪傑の眉)、散眉(眉毛が途中まで伸びているが、途中で散らばる)、八字眉(眉先が上に跳ね、眉尻が下に払われる)、剣眉(眉の端が跳ね上がって剣の形になっている。俗に「倒八字眉」(逆八字眉)と呼ばれる)、寿眉(長く伸びた眉毛。眉毛の長いのは長寿の象徴)、掃箒眉(眉の端が次第に薄く散らばる。箒の形。俗に悪い意味で浪費の象徴と言われることもある)などがあります。更に目も描き分けられ、例えば悪役の人物の時は「蛇眼」(眼が長く細く、眼球は小さく丸い。こうした眼をした人は、残忍で、腹黒く、陰険)を多く使います。
柳葉眉
臥蚕眉
散眉
八字眉
剣眉
寿眉
掃箒眉