(挿絵は範仲淹。本文参照)
于丹教授の《論語心得》は、《論語》そのものからの引用を必要最小限にし、《論語》の思想のポイントに関し、寓話を有効的に引用し、読者や聴衆の理解を助けており、《論語》の思想を現代人の生活や仕事に結び付けて考えることが話の主眼になっています。
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(クリックしてください。中国語原文と語句解説が見られます。)
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□ この言葉はなんて実用的なのだろう。“言寡尤,行寡悔”(言に尤(とがめ)寡(すくな)ければ、行に悔い寡(すくな)し)この6文字は、今日でも相変わらず役に立つのではないだろうか。ネット上で次のような話を見つけた:
一人の利かん気の男の子がいて、一日中朝から晩まで家で癇癪を起し、物を叩いたり、わがままのし放題だった。ある日、父親がこの子を家の裏庭の籬(まがき)の傍に連れて行き、こう言った。「息子よ、これからおまえは家族に癇癪を起こす度に、籬の上に釘を一本打ちなさい。何日かしたら、おまえがどれくらい癇癪を起したか見てみよう。いいね?」この子供は思った。それがどうしたというのだ。それなら見てやろうじゃないか。それから、彼は一回騒ぎ立てる毎に、自分で籬のところに行って釘を一本打った。一日が過ぎ、見に行ってみると、まあなんと、釘の山ができていた。彼は自分でも少し申し訳なく思った。
父親は言った。「どうだい、ちょっとは我慢しないといけないと思うだろう。もし丸一日一回も癇癪を起さなかったら、打った釘を一本抜いて構わないよ。」この子は思った。一回癇癪を起したら釘を一本打ち、一日癇癪を起さなかったら、ようやく釘を一本抜くことができる。なんて難しいんだろう。しかし釘の数を減らすため、彼は絶えず自分を抑えて我慢するしかなかった。
初めは、男の子はたいへんだと思ったが、籬の上の全ての釘を抜き終わる頃になると、彼はふと自分はもう我慢することを学んだと感じた。彼はにこにこして父親を見つけると言った。「父さん、早く行ってご覧よ。籬の上の釘を全部抜き終わったよ。僕はもう怒ったりしないよ。」
父親は子供と籬の傍に来ると、意味深長に言った。「坊やご覧、籬の上の釘はきれいに無くなったね。でもあれらの釘穴は永遠にここに残るんだよ。本当はね、おまえが家族や友達に腹を立てる度に、皆の心の中に一つの穴を開けていたんだよ。釘は抜けたから、おまえは謝れば済むが、あの穴は永遠に消すことはできないのだよ。」
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□ この寓話から、《論語》の中の“言寡尤,行寡悔”(言に尤(とがめ)寡(すくな)ければ、行に悔い寡(すくな)し)の言葉を読み解くことができる。私たちは行動を起こす前に、その結果を考えてみないといけない。それは、釘を打ってしまったら、後で抜いてしまうにしても、籬はもう元通りの姿に戻らないのと同じだ。私たちは行動する時、先ず遠くを見据えて考えてみて、慎重の上にも慎重にして、他人に害が及ばないように気を付け、自分ができるだけ以後後悔しないようにしなければならない。話をする時は頭でよく考え、行動する時にはその結果を考慮すること、これは人の処世の重要なポイントである。
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□ 入り組んで複雑な現代社会の中で、様々な人間関係をうまく処理しようと思ったら、より重要なのは礼節をわきまえていることである。それでは、孔子の眼から見て、どういうことを礼節と呼ぶのだろうか。
孔子は日常生活の中の礼節をたいへん重んじた。彼が礼を尊び、礼を守り、礼を行うのは、別に他人に見せるためではなく、自分自身の修養であった。役人をしている人、喪服を着た人、また盲人が彼の前を通り過ぎる時は、その人がどんなに若い人であっても、彼も必ず立ち上がった。彼がこれらの人の前を通り過ぎる時は、小さな歩幅で急いで通り過ぎ、これらの人への尊敬を表した。盲人は、今日の言葉で言えば、「社会的弱者集団」と呼べるもので、尚更尊敬を示さなければならなかった。彼らの行動をあまり長い時間邪魔をしてはならない。彼らの悲しみを見て驚き騒いではならず、彼らの前をそっと通り過ぎなければならない。これは一種の礼節であり、これは相手に対する一種の尊重であった。孔子はその他の場面でもこのようにした。
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□ 《論語・郷党》にこう記されている。「郷人飲酒し、杖なる者出でて、斯(すなわ)ち出づ。」「郷人追儺(ついな)し、朝服して階(きざはし)に立つ。」村人たちがいっしょに正式の宴会をする時、宴席の儀礼が終わると、孔子はいつも杖をついた老人が出て行ってから、退出するようにし、決して老人を置いて我先に外に出るようなことはしなかった。村人たちが疫病や魔物を追い払う儀式を行う時は、孔子は必ず朝服を身につけ、恭しく家の東側の石段の上に立ったが、これは最小限の礼儀作法であった。皆さんはこう感じているかもしれない。聖人がある事を行ったら、古典典籍に記載されていることを引き合いに出すんでしょう?それは誰でも知っている道理ですか。聖人をほめたたえているんでしょう?いや、実は、いわゆる聖人賢人の言動というものはたいへん素朴なもので、その素朴さが今日の私達にはいくらか胡散臭く感じさせさえする。このようなことは、隣家で起こるかもしれないし、自分の家で起こるかもしれない。けれども、なんと温かみのあることだろう。このことは私達に聖賢は決して遠い存在ではないと感じさせる。彼は今なお自分で悟った道理、体得した経験を、私達に残してくれ、いっしょに分かち合うことができる。
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□ 孔子の弟子の子路は嘗て先生にどうやったら君子になれるか尋ねたことがある。孔子は彼に告げて言った。「己(おのれ)を修めて以て敬せよ。」自分自身を修練した上で、厳粛で敬虔な態度を維持しなさい。子路はこれを聞くと、こう思った。“修己以敬”の四文字のようにできたら君子になれるのか。こんなに簡単なはずがないだろう。そこで更に問うて言った。「斯(か)くの如きのみか。」こうすれば、それでよいのか。孔子はまたちょっと付け足して言った。「己を修めて以て人を安んぜよ。」自分自身をきちんと修練した上で、他人の気持ちを安らかにする方法を考えなさい。子路は明らかにそれでも尚満足できず、更に尋ねた。「斯(か)くの如きのみか。」孔子は更に付け足して言った。「己を修めて以て百姓(ひゃくせい)を安んぜよ。己を修めて以て百姓(ひゃくせい)を安んずるは、堯、舜も其れ猶(なお)諸(これ)を病(や)めり。」自分自身を修練し、更に一般民衆が幸福な生活を送れるようにしなさい。堯、舜のような聖賢の君子であってもこれについては十分出来ない点があった。そこまで出来て、どうして君子と呼ぶに足りないなんていうことがあるだろうか。
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□ 《論語》には至る所にこうした素朴さがあり、あたかも私たちの身近で起きた出来事であるかのようで、長いページを割いて展開する大論理はほとんど無い。私たちは《論語》が述べる道理は遥か高所にあって自分には及ばないなどと感じることはなく、却ってたいへん温かみがあり、身近なものであると感じる。 孔子が私たちに教えるのは、先ず、如何に天下を安んずるかではなく、如何に最も良い自分自身を作るかということである。「修身」とは、国家、社会に責任を負うための第一の前提である。孔子と彼の弟子は「最も良い自己」を実現するに努めたが、その目的は国家や社会に対する責任をより良く果たすためであった。
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□ 別の人が嘗て子路に尋ねた。あなたの先生の孔子はどのような人ですか。子路はそれに答えなかった。孔子は後になって子路に尋ねた。おまえはどうしてこのように答えなかったのかね。「其の人と為りは、憤(いきどおり)を発して食を忘れ、楽しんで以て憂いを忘れ、老いの将に至らんとするを知らざるのみ」と。私は発憤して懸命に努力している時には、食事をとるのを忘れてしまうことがある。楽しくてうれしい時には、悩みや憂いを忘れることができる。このようにしてやるべき仕事をし、楽しめることを思いきり楽しんでいると、私の生命がもう終焉に近づいているということを忘れることができる。これは孔子の描写であるが、中国の知識層の、理想の人格を追求した描写でもある。
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□ 儒家の哲学とは、つまるところ、道を実践する者を育成することであり、文化を担うという使命を果たすことのできる特殊な階層を育成することでもある。この階層の中の傑出した人物の品格は、範仲淹の言うところの「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに后(おく)れて楽しむ」(《岳陽楼記》)である。そういう人は自分自身の損得を忘れ、自分自身を大きな民衆の利益の中に融合することができる。これはある種の信仰であり、ある種の心意気であり、社会の担い手である。けれども、その前提は飾らないことで、先ず自分の足下から始めることである。身を修め精神を涵養し、きっちりとした自我を持つこと、それが始まりである。
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□ 私たちは、人が社会が不公平だと怨み、世渡りは大変だと嘆くのをよく耳にする。実際は、天を恨み人をとがめるより、わが身を振り返って反省する方がましである。もし私たちが本当に物事の頃合いを知っていて、言行を慎み、礼儀作法を世の中に普及させ、身を修め精神を涵養することができるなら、様々な煩悩を少なくし、自然と人としての処世の道を理解することができるだろう。
楽観的で積極的な気持ちを持ち、人と交際する上での頃合いを理解し、自分自身によって他人を気持ちよくさせることのできる人は、自分自身の心地よい気持ちを陽の光のようなエネルギーにし、他人を照らし出し、他人を温める。それは、家族や友人、ひいてはより幅広い社会に、自分自身の体から多少なりとも安堵の理由を得さしめることができる。
私は、このことは《論語》の中のある種の道徳的理想に止まらず、それは同様に21世紀にも通用するものだと思う。孔子とその弟子たちが享受した快楽は、同様に私たちの今日の快楽の源でもある。この点がおそらく《論語》が私たち現代人への最大のお手本であり、経験たり得るところであろう。
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