中国語の認定試験の問題の中に、文章の間違いを見つけて訂正する問題がある。こういうものを時々やってみるのも、文法上で間違い易い語句の使い方を理解し、より正しい中国語を話したり書いたりする上で役に立つ。今手許に《字詞句語病誤五百例》張広信著、1981年内蒙古人民出版社刊という本がある。これは、中学生の文法学習教材として書かれたもので、用例は時代がかっているものもあり申し訳ないが、外国人学習者も間違い易い事例が解説されており、この内容を紹介したいと思う。今回は、名詞や動詞等の実詞と、副詞、接続詞等の虚詞の使い方についての部分である。
(一)実詞の使い方の間違い
● 実詞 単独で文の主要成分になることができる、比較的具体的な概念を表す単語。通常、名詞、動詞、形容詞、数詞、量詞、代詞の6品詞をいう(⇔虚詞)
中国語は構造上、名詞、動詞等の区分が難しく、また往々にして名詞にも動詞にもなる語句が多いことから、名詞を動詞のつもりで使ってしまうという過ちを犯しやすい。以下はその例である。
1、韋婷同学出身于一个鉄路工人家庭。
“出身”は名詞であり、名詞は一般に補語を伴うことができないが、文中の“出身”は介詞構造で構成される補語“于一个鉄路工人家庭”を伴っている。“出身”を動詞“出生”に変えることで、補語を伴うことができる。或いは、“出身”を“鉄路工人家庭”の後ろにつけて、“韋婷同学是一个鉄路工人家庭出身”と繋詞“是”を用いた体言述語文にしてしまうかである。
2、今年九月二十五日,是我国偉大的革命家、思想家、文学家魯迅(一八八一-一九三六)誕辰一百周年。
“誕辰”は“生日”の文語で、名詞である。名詞“誕辰”は補語“一百周年”を伴うことができない。“誕辰”を補語“一百周年”を伴うことのできる動詞“誕生”に変える必要がある。
3、媽媽説:“你姥爺旧社会成年累月在井下挖煤,衣服破得不能再補了,褲子膝盖上補了両塊破胶皮,現在你們已経穿得很好了,不要忘記過去。”這些話,多少年来一直烙印在我的心里。
“烙印”は名詞で、赤く熱した鉄のこてで焼きつけた印のことである。ここでは、“在我的心里”という補語を伴い、“刻みつける”という意味の動詞であるべきで、“記”、或いは“銘記”に変えるべきである。
4、粉砕“四人幇”以后,年近花甲的田老師心情無比舒暢,越老越青春了。
“青春”は名詞であり、副詞“越”の修飾をすることができない。越+形容詞で、益々若い、という意味であるので、“年軽”に変えるべきである。
● 花甲 hua1jia3 還暦。満60歳
5、対那些青少年的知識性、故事性読物,他很興趣。
“興趣”は名詞であり、名詞は一般に副詞の修飾を受けることができない。副詞“很”は動詞、もしくは形容詞しか修飾できない。したがって、“興趣”は動詞“喜愛”に変えるか、“興趣”の前に動詞“有”を付け、“有興趣”という動詞句にする必要がある。
6、社会是充満矛盾的,旧的問題解决了,新的問題又会出現,但是不管怎様,我决不会演変自己的志向。
“演変”は自動詞のため、賓語(目的語)の“志向”を伴うことができない。そこで、“演変”を他動詞“改変”に変える必要がある。
7、社会主義的江山是無数革命先烈用流血換来的。
“用……換……”の連動構造の構文になっている。前半の動詞“用”の後ろに来る語句は、後半の動詞“換”の動作の手掛かりとなるもので、用+名詞、或いは名詞句でなければならない。ところが、“流血”は動賓構造の動詞句であるので、“用”の後ろにつなげることができない。ここは、例えば名詞句“鮮血”に変えるべきである。
● 江山 jiang1shan1 山河。国家や国家の支配権を指す
8、我們青少年都是積極要求進歩,但是社会上総有一些不三不四的人在我們面前設置種種阻碍。
“阻碍”は一般に他動詞として使われ、後ろに名詞を賓語として伴う。一方、“設置”は動詞で、名詞を賓語として伴う。したがって“阻碍”を名詞“障碍”に変えるべきである。“阻碍”は名詞としても使われるが、修飾語を伴うことが多く、ここでの「障害」そのものの意味では使えない。
9、最使我可愛的是家郷田野里的小路,我和妹妹塔娜跑過的地方,草地上留下了一道凝碧的波痕。
“可愛”は形容詞であり、ここは使役構文、“使我+動詞”で動詞が来なければならない。したがって、形容詞“可愛”を、動詞、例えば“喜愛”に変えなければならない。或いは、“使我”を削除することで、“最可愛的”という名詞句を主語とし、“是”以下を述語とする体言述語となる。
10、清代銭鶴灘有一首《明日歌》:“明日復明日,明日何其多!我生待明日,万事成蹉跎。世人若被明日累,春去秋来老将至。朝看東流水,暮看日西墜。百年明日能几何?請君聴我《明日歌》。”這首詩歌説的是,不論学習還是工作都不要拖拉,要珍貴“現在”這個宝貴時間。
“珍貴”は形容詞であり、一般に形容詞は賓語を伴うことができない。しかし、この文では、“珍貴”は述語になっていて、賓語“時間”を伴っている。したがって、“珍貴”を動詞“珍惜”に変えなければならない。
11、我們姐妹三人中数我小,二個姐姐都上班了,我才上初二。
現代漢語で数詞“二”と量詞との結合は比較的特殊な場合で度量単位を表す量詞、“升、斗、斤、両、尺、寸、畝、顷qing3”等との結合に限定され、例えば“二升”、“二両”、“二畝”とは言うが、度量を表さない量詞とは結合せず、“二口猪”、“二張嘴”、“二盆花”、“二床被”とは言わない。“二個姐姐”という言い方は言語習慣に合わない。これらは一般に“両”が使われ、“両口猪”、“両張嘴”、“両盆花”、“両床被”という。ここも、“両個姐姐”に変えるべきである。
12、我家搬入了新居,住在紅星路両号楼両単元五号。
上記で、数詞“二”は一般に度量単位を表さない量詞とは結びつかず、“両”を用いなければならないと書いたが、序数詞として用い、量詞と結合する場合は、“二”しか用いることができず、“両”は使えない。例えば、“第二斤”、“第二尺”、“第二畝”、“第二盆花”、“第二床被”と言うことはできるが、“第両斤”、“第両尺”とは言えない。ここでは、“両号楼”、“両単元”は“二号楼”、“二単元”に変えなければならない。
13、在十天緊張的労働中,我們平整了一个長二十多米,寛五、六丈的大場院,還移筑了一条通往場院的一百多公尺的土路。
ここで、“米”、“公尺”は同じメートル法の単位だが、“丈”は市制、或いは市用制の単位で、ふたつの度量衡単位の併用はおかしい。どちらかに統一して使わねばならず、ここは、“丈”をメートルに換算し、“米”に変更しなければならない。
14、為了在挽会上写謎語用,李老師譲我和玉剛上街去買十張彩色紙張。
“紙張”は不確定の複数の紙を表すが、この文では既に前で“十張”と枚数を特定しており、ここでは“紙張”は使えない。“張”を消して“紙”に変えるべきである。
(二)虚詞の使い方の間違い
● 虚詞 機能語。文法上の働きをするだけで、単独では文成分にならない単語。副詞、介詞、接続詞、助詞、感嘆詞、擬声語をいう。(⇔実詞)
これについても、私たち日本人は、なまじ漢字を常用しているので、漢字の意味からの使い方の間違いを犯しやすい。
1、“甚矣,汝之不惠!”把它翻訳成白話文就是:“太呀,你不聡明!”
中国語古文で“甚”は“很”、“太”の意味である。“很”、“太”は副詞で、現代漢語では単独では使用できず、動詞、形容詞、否定を表す副詞の前に前に置く。この古文を翻訳する時も元々の語句の語順を変え、“你不太聡明了!”と訳すべきである。
2、王老師為了培養下一代,総是辛勤的工作着。
助詞“的”は通常、定語(限定語)の後ろについて、限定語が後ろの名詞の修飾成分、或いは限定成分になるのを助ける働きをする、つまり連体修飾語を構成する。したがって通常後ろに名詞を伴う。一方、前の語句の後ろについて、後ろの動詞、形容詞の状語(状況語)となり、連用修飾語を構成する働きをする助詞は“地”である。この例では、動詞“工作”の前で連用修飾語を構成する働きをとるので、“的”は“地”に改めなければならない。ちなみに、“辛勤的園丁”であれば、連体修飾語を構成しているので“的”で正しい。
3、奶奶最会説笑話,一説起那“新姑爺学話”来,就逗人們笑地前仰后合。
この例で、“笑”という動詞は“人們”の述語であり、“地”の後ろの“前仰后合”は“笑”の程度を表す補語である。したがって、この場合は助詞“地”は使うことができない。動詞や形容詞の後ろについて、後ろの形容詞、その他の補語と結びつける働きをする助詞は“得”であり、ここは“得”に改めなければならない。
● 前仰后合 qian2yang3hou4he2 体が前へのめったり後ろへのけぞったりすること。笑い転げることの形容。“前俯后仰qian2fu3hou4yang3”ともいう。
4、那挺拔得塔松象威厳的衛士一様,整斉地站立在路的両旁。
助詞“得”は、上で書いたように、動詞や形容詞の後ろに付き、前の動詞や形容詞の程度を“得”の後ろの形容詞、その他の補語で補充説明する作用をする。ところが、この例では、形容詞“挺拔”を定語(限定語)として後ろの名詞“塔松”と結びつける必要があり、“得”は使えず、“的”に変えなければならない。
5、我底心象大海的海涛,久久不能平静。
“底”は嘗ては従属関係を表す助詞として用いられていたが、現在は“的”を使わなければならない。したがって、“底”を“的”に変えなければならない。
6、我土生土長在這茫茫的草原上,這里的一草一木対我都是很熟悉的。
介詞“対”は動作の対象を表す。この例で、“熟悉”の対象は“我”ではないので、この位置で“対”は使えない。削除しなければならない。“熟悉”の対象は“這里的一草一木”であるので、“這”の前に“対”を置いてもよいし、なくても構わない。
● 土生土長 tu3sheng1tu3zhang3 その地で生まれその地で育った
7、対這個二元一次方程,我已経解過几次了。
介詞“対”は、あまり使うと文章がくどい感じになるので、使わないで済む場合は使わない方がよい。この例では、“這個二元一次方程”は“解”の動作の対象、目的語であるが、“対”が無くても文章は成り立つ。よって“対”は削除した方がよい。
8、老師説,上文科班和上理科班,可以自己選択。
連詞(接続詞)“和”は文章の接続するふたつの部分が、通常は併存する場合に用いる。ところがこの例では、接続するふたつの部分、“上文科班”と“上理科班”は選択内容であるので、選択を表す連詞の“或”、“或者”に変えるべきである。
9、包頭和呼和浩特和集寧与大同同張家口跟北京在一条鉄路線上。
“和、与、同、跟”は連詞(接続詞)としても介詞としても使うことができるが、混ぜて使うと文章に誤解を生じたりするため、使い方にある程度のルールが設けられている。一般に“和”、“与”は連詞として用いられ、うち“与”は書面、特に表題などで用いられる。“同”は介詞として用いられる。“跟”は使われるケースが比較的少なく、主に口語で用いられる。語句中で3つ以上のことばの接続がある場合、一般に“和”は最後のふたつのことばの間に用い、それより前のことばは読点(、)で区切る。上記の例は、“包頭、呼和浩特、集寧、大同、張家口和北京在一条鉄路線上”と直すべきである。
10、在九月一日,我們開学了。
時間、場所、方位を表す介詞“在”の使い方の問題である。複文の従節、主述文の句首の状況語には、一般に“在”は使わない。例えば、“家里有五口人。”で“家里”の前に“在”を付けるのは、文法的には間違いではないだろうが、くどい感じになり、一般には使わない。例の冒頭の“在”も同様で、削除すべきである。
11、魯迅先生的妙筆把阿Q這一典型人物躍然紙上。
介詞“把”は名詞と組み合わさり、後ろの動詞の前に置かれる。“把”の後ろの名詞は、たいていが後ろの動詞の賓語である。“把”と名詞を組み合わせる場合、通常その後ろに形容詞や自動詞を置くことはできない。例えば“把茶杯打了”と言えるが、“把茶杯壊了”とは言えない。“把它消滅了”とは言えるが、“把它滅亡了”とは言えない。例文で、“躍然紙上”は形容詞句であり、“阿Q這一典型人物”のことを述べている。したがって、ここで“把”を動詞“使”に変え、全体を兼語式の文にするか、或いは“把”を使うのであれば、後ろの“躍然紙上”を動詞句“写活了”に変えなければならない。
● 躍然紙上 yue4ran2zhi3shang4 紙上で生き生きと描写されていること。躍然:ありありと。生き生きと。
12、我在房頂上下来,看到房檐下有个鳥窩。
介詞“在”は動作の発生した時間や場所を表すが、動作の起点や開始時間といった意味は持っていない。こういう意味を持つ介詞は“従”である。したがって、例文の“在”を“従”に変えなければならない。
13、張明徳同学為了響応党中央的号召,為了祖国実現四個現代化而勤奮学習,一年来取得了優秀成績。
“為了”は原因、目的を示す介詞であるが、“響応党中央的号召”は“勤奮学習”の原因や目的ではなく、独立した行為であるので、ひとつ目の“為了”は削除しなければならない。
14、我愛花卉,而且愛那撒満草原的山丹丹花,因為它是純潔、美好、淳朴、自然的象征。它既不想嬌柔造作地与別人争芳斗艶,也不願自暴自棄地不給人們放出光華。
“而且”は前で述べたことに更にもうひとつ付け加えることを表す接続詞で、それゆえ“不但”や“不僅”と呼応して用いられるのだが、ここでは、「花が好き」で、その中でも「山百合の花が好き」と、好きな花を比較して、特に突出していると言っているので、接続詞には“尤其”を用いなければならない。
15、不管你説得多好聴,但是在行動上不厳格要求自己,那麼還是入不了団。
接続詞“但是”は逆接を表すが、“在行動上不厳格要求自己”の意味は仮定を言っているので、接続詞には“如果”を使わなければならない。
16、張磊不但毛筆字写得好,即使画画在全校也是数第一的。
接続詞“即使”は仮定、譲歩を表すが、ここでは“不但”と呼応し、“毛筆字写得好”に更に付け加えて“画画在全校也是数第一的”と言っているので、接続詞は“而且”を用いなければならない。
17、臨摹書画応当有一個持之以恒的精神,一遍不行,就臨摹両遍,而遍不行,就臨摹三遍,以致上百遍,総可以摹仿得很象。
接続詞“以致”は最後にはこういう結果になるという意味で、前の文で述べてきた状況がもたらした結果を述べるものである。ところが例文では、“臨摹書画”(書画を模写する)という行為を根気よく続け、その結果が百回にまで至る、と言っている。このように、小から大に至るというような場合は、接続詞“以至”を用いなければならない。
● 持之以恒 chi2zhi1yi3heng2 根気よく続ける、あくまでもやり通す
18、林彪、“四人幇”反党叛国,倒行逆施,以至落得个身敗名裂的可耻下場。
接続詞“以至”は動作がある状態、程度になる、ということを表すだけでなく、上の文で述べた状況により生じた結果を表す意味もあり、この点では接続詞“以致”と同じ意味あいを持つが、その結果が好ましくない、或いは希望していなかった結果を生じた場合は、“以致”を用いなければならない。この例は、正によくない結果がもたらされたので、“以致”に変えなければならない。
● 倒行逆施 dao4xing2ni4shi1 正義にもとる。時流に逆行する
● 身敗名裂 shen1bai4ming2lie4 地位を損ない名誉を傷つける。地位も名誉も失う
19、陸永年見義勇為、智擒盗賊的行為,頗受同学們的賛揚。
“頗”は“很、甚”の意味であるが、「少し」「やや」というニュアンスがあり、手放しで称賛するという意味ではない。ここでは、陸永年の行為が皆の賞賛を受けているのだから、もっと意味の強い“很”を使うべきである。
● 見義勇為 jian4yi4yong3wei2 正義にかなったことをするのに勇敢である。義を見て勇敢にこれをなす
20、五月四日青年節,我校団委組織了一次十分有意義的活動――野游,参加的団員恐怕不只一百人。
“不只”は接続詞で、“而且”や“并且”と呼応し、前で述べた事柄の他に、更に一層の事柄を後ろの文で述べる働きをする。ところが、例文は活動に参加する団員の人数が百人を超えるだろう、と言うのであり、接続詞ではなく、一定の数量、範囲を超えることを表す動詞の“不止”を使わなければならない。
21、人們在生理上是有差異的,人脳作為一種器官,則是有差別的。従重量上説,正常成年人的脳重平均在一千四百克左右。有的人重一些,可達二千克以上,有的人也軽一些,只有一千克左右。
“人們在生理上是有差異的”と“人脳作為一種器官……是有差別的”のふたつの文は並列関係にあり、話題の転換はみられない。“則”は対比や転換を表す接続詞で、ここで用いるのは不適切である。ここは“也”を用いなければならない。“也”は、副詞だが、接続詞的に用いられ、「同様に」という意味がある。一方、後半の“有的人重一些,可達二千克以上”と“有的人……軽一些,只有一千克左右”の間には話題の転換が見られ、ここには“也”ではなく“則”を用いなければならない。
22、我們只看到最后的成功的結果,而那些逐步被抛棄了的中間階段則従不為我們所知,這是很可惜的,然而其中蘊藏着許多経験和教訓。
“我們只看到最后的成功的結果……這是很可惜的”と“……其中蘊藏着許多経験和教訓”のふたつの文の間は因果関係にあり、前の文の結果に対し、後ろの文は原因が書かれている。したがって、“然而”は“因為”に変えなければならない。
● 蘊藏 yun4cang2 埋蔵する。~を潜ませている
【原文】張広信《字詞句語病誤五百例》1981年内蒙古人民出版社
以上、長々と引用したが、このように語句の使い方を文法的に見ていくことは、語学力アップのために必要である。皆さんの学習の一助になれば幸いである。
(一)実詞の使い方の間違い
● 実詞 単独で文の主要成分になることができる、比較的具体的な概念を表す単語。通常、名詞、動詞、形容詞、数詞、量詞、代詞の6品詞をいう(⇔虚詞)
中国語は構造上、名詞、動詞等の区分が難しく、また往々にして名詞にも動詞にもなる語句が多いことから、名詞を動詞のつもりで使ってしまうという過ちを犯しやすい。以下はその例である。
1、韋婷同学出身于一个鉄路工人家庭。
“出身”は名詞であり、名詞は一般に補語を伴うことができないが、文中の“出身”は介詞構造で構成される補語“于一个鉄路工人家庭”を伴っている。“出身”を動詞“出生”に変えることで、補語を伴うことができる。或いは、“出身”を“鉄路工人家庭”の後ろにつけて、“韋婷同学是一个鉄路工人家庭出身”と繋詞“是”を用いた体言述語文にしてしまうかである。
2、今年九月二十五日,是我国偉大的革命家、思想家、文学家魯迅(一八八一-一九三六)誕辰一百周年。
“誕辰”は“生日”の文語で、名詞である。名詞“誕辰”は補語“一百周年”を伴うことができない。“誕辰”を補語“一百周年”を伴うことのできる動詞“誕生”に変える必要がある。
3、媽媽説:“你姥爺旧社会成年累月在井下挖煤,衣服破得不能再補了,褲子膝盖上補了両塊破胶皮,現在你們已経穿得很好了,不要忘記過去。”這些話,多少年来一直烙印在我的心里。
“烙印”は名詞で、赤く熱した鉄のこてで焼きつけた印のことである。ここでは、“在我的心里”という補語を伴い、“刻みつける”という意味の動詞であるべきで、“記”、或いは“銘記”に変えるべきである。
4、粉砕“四人幇”以后,年近花甲的田老師心情無比舒暢,越老越青春了。
“青春”は名詞であり、副詞“越”の修飾をすることができない。越+形容詞で、益々若い、という意味であるので、“年軽”に変えるべきである。
● 花甲 hua1jia3 還暦。満60歳
5、対那些青少年的知識性、故事性読物,他很興趣。
“興趣”は名詞であり、名詞は一般に副詞の修飾を受けることができない。副詞“很”は動詞、もしくは形容詞しか修飾できない。したがって、“興趣”は動詞“喜愛”に変えるか、“興趣”の前に動詞“有”を付け、“有興趣”という動詞句にする必要がある。
6、社会是充満矛盾的,旧的問題解决了,新的問題又会出現,但是不管怎様,我决不会演変自己的志向。
“演変”は自動詞のため、賓語(目的語)の“志向”を伴うことができない。そこで、“演変”を他動詞“改変”に変える必要がある。
7、社会主義的江山是無数革命先烈用流血換来的。
“用……換……”の連動構造の構文になっている。前半の動詞“用”の後ろに来る語句は、後半の動詞“換”の動作の手掛かりとなるもので、用+名詞、或いは名詞句でなければならない。ところが、“流血”は動賓構造の動詞句であるので、“用”の後ろにつなげることができない。ここは、例えば名詞句“鮮血”に変えるべきである。
● 江山 jiang1shan1 山河。国家や国家の支配権を指す
8、我們青少年都是積極要求進歩,但是社会上総有一些不三不四的人在我們面前設置種種阻碍。
“阻碍”は一般に他動詞として使われ、後ろに名詞を賓語として伴う。一方、“設置”は動詞で、名詞を賓語として伴う。したがって“阻碍”を名詞“障碍”に変えるべきである。“阻碍”は名詞としても使われるが、修飾語を伴うことが多く、ここでの「障害」そのものの意味では使えない。
9、最使我可愛的是家郷田野里的小路,我和妹妹塔娜跑過的地方,草地上留下了一道凝碧的波痕。
“可愛”は形容詞であり、ここは使役構文、“使我+動詞”で動詞が来なければならない。したがって、形容詞“可愛”を、動詞、例えば“喜愛”に変えなければならない。或いは、“使我”を削除することで、“最可愛的”という名詞句を主語とし、“是”以下を述語とする体言述語となる。
10、清代銭鶴灘有一首《明日歌》:“明日復明日,明日何其多!我生待明日,万事成蹉跎。世人若被明日累,春去秋来老将至。朝看東流水,暮看日西墜。百年明日能几何?請君聴我《明日歌》。”這首詩歌説的是,不論学習還是工作都不要拖拉,要珍貴“現在”這個宝貴時間。
“珍貴”は形容詞であり、一般に形容詞は賓語を伴うことができない。しかし、この文では、“珍貴”は述語になっていて、賓語“時間”を伴っている。したがって、“珍貴”を動詞“珍惜”に変えなければならない。
11、我們姐妹三人中数我小,二個姐姐都上班了,我才上初二。
現代漢語で数詞“二”と量詞との結合は比較的特殊な場合で度量単位を表す量詞、“升、斗、斤、両、尺、寸、畝、顷qing3”等との結合に限定され、例えば“二升”、“二両”、“二畝”とは言うが、度量を表さない量詞とは結合せず、“二口猪”、“二張嘴”、“二盆花”、“二床被”とは言わない。“二個姐姐”という言い方は言語習慣に合わない。これらは一般に“両”が使われ、“両口猪”、“両張嘴”、“両盆花”、“両床被”という。ここも、“両個姐姐”に変えるべきである。
12、我家搬入了新居,住在紅星路両号楼両単元五号。
上記で、数詞“二”は一般に度量単位を表さない量詞とは結びつかず、“両”を用いなければならないと書いたが、序数詞として用い、量詞と結合する場合は、“二”しか用いることができず、“両”は使えない。例えば、“第二斤”、“第二尺”、“第二畝”、“第二盆花”、“第二床被”と言うことはできるが、“第両斤”、“第両尺”とは言えない。ここでは、“両号楼”、“両単元”は“二号楼”、“二単元”に変えなければならない。
13、在十天緊張的労働中,我們平整了一个長二十多米,寛五、六丈的大場院,還移筑了一条通往場院的一百多公尺的土路。
ここで、“米”、“公尺”は同じメートル法の単位だが、“丈”は市制、或いは市用制の単位で、ふたつの度量衡単位の併用はおかしい。どちらかに統一して使わねばならず、ここは、“丈”をメートルに換算し、“米”に変更しなければならない。
14、為了在挽会上写謎語用,李老師譲我和玉剛上街去買十張彩色紙張。
“紙張”は不確定の複数の紙を表すが、この文では既に前で“十張”と枚数を特定しており、ここでは“紙張”は使えない。“張”を消して“紙”に変えるべきである。
(二)虚詞の使い方の間違い
● 虚詞 機能語。文法上の働きをするだけで、単独では文成分にならない単語。副詞、介詞、接続詞、助詞、感嘆詞、擬声語をいう。(⇔実詞)
これについても、私たち日本人は、なまじ漢字を常用しているので、漢字の意味からの使い方の間違いを犯しやすい。
1、“甚矣,汝之不惠!”把它翻訳成白話文就是:“太呀,你不聡明!”
中国語古文で“甚”は“很”、“太”の意味である。“很”、“太”は副詞で、現代漢語では単独では使用できず、動詞、形容詞、否定を表す副詞の前に前に置く。この古文を翻訳する時も元々の語句の語順を変え、“你不太聡明了!”と訳すべきである。
2、王老師為了培養下一代,総是辛勤的工作着。
助詞“的”は通常、定語(限定語)の後ろについて、限定語が後ろの名詞の修飾成分、或いは限定成分になるのを助ける働きをする、つまり連体修飾語を構成する。したがって通常後ろに名詞を伴う。一方、前の語句の後ろについて、後ろの動詞、形容詞の状語(状況語)となり、連用修飾語を構成する働きをする助詞は“地”である。この例では、動詞“工作”の前で連用修飾語を構成する働きをとるので、“的”は“地”に改めなければならない。ちなみに、“辛勤的園丁”であれば、連体修飾語を構成しているので“的”で正しい。
3、奶奶最会説笑話,一説起那“新姑爺学話”来,就逗人們笑地前仰后合。
この例で、“笑”という動詞は“人們”の述語であり、“地”の後ろの“前仰后合”は“笑”の程度を表す補語である。したがって、この場合は助詞“地”は使うことができない。動詞や形容詞の後ろについて、後ろの形容詞、その他の補語と結びつける働きをする助詞は“得”であり、ここは“得”に改めなければならない。
● 前仰后合 qian2yang3hou4he2 体が前へのめったり後ろへのけぞったりすること。笑い転げることの形容。“前俯后仰qian2fu3hou4yang3”ともいう。
4、那挺拔得塔松象威厳的衛士一様,整斉地站立在路的両旁。
助詞“得”は、上で書いたように、動詞や形容詞の後ろに付き、前の動詞や形容詞の程度を“得”の後ろの形容詞、その他の補語で補充説明する作用をする。ところが、この例では、形容詞“挺拔”を定語(限定語)として後ろの名詞“塔松”と結びつける必要があり、“得”は使えず、“的”に変えなければならない。
5、我底心象大海的海涛,久久不能平静。
“底”は嘗ては従属関係を表す助詞として用いられていたが、現在は“的”を使わなければならない。したがって、“底”を“的”に変えなければならない。
6、我土生土長在這茫茫的草原上,這里的一草一木対我都是很熟悉的。
介詞“対”は動作の対象を表す。この例で、“熟悉”の対象は“我”ではないので、この位置で“対”は使えない。削除しなければならない。“熟悉”の対象は“這里的一草一木”であるので、“這”の前に“対”を置いてもよいし、なくても構わない。
● 土生土長 tu3sheng1tu3zhang3 その地で生まれその地で育った
7、対這個二元一次方程,我已経解過几次了。
介詞“対”は、あまり使うと文章がくどい感じになるので、使わないで済む場合は使わない方がよい。この例では、“這個二元一次方程”は“解”の動作の対象、目的語であるが、“対”が無くても文章は成り立つ。よって“対”は削除した方がよい。
8、老師説,上文科班和上理科班,可以自己選択。
連詞(接続詞)“和”は文章の接続するふたつの部分が、通常は併存する場合に用いる。ところがこの例では、接続するふたつの部分、“上文科班”と“上理科班”は選択内容であるので、選択を表す連詞の“或”、“或者”に変えるべきである。
9、包頭和呼和浩特和集寧与大同同張家口跟北京在一条鉄路線上。
“和、与、同、跟”は連詞(接続詞)としても介詞としても使うことができるが、混ぜて使うと文章に誤解を生じたりするため、使い方にある程度のルールが設けられている。一般に“和”、“与”は連詞として用いられ、うち“与”は書面、特に表題などで用いられる。“同”は介詞として用いられる。“跟”は使われるケースが比較的少なく、主に口語で用いられる。語句中で3つ以上のことばの接続がある場合、一般に“和”は最後のふたつのことばの間に用い、それより前のことばは読点(、)で区切る。上記の例は、“包頭、呼和浩特、集寧、大同、張家口和北京在一条鉄路線上”と直すべきである。
10、在九月一日,我們開学了。
時間、場所、方位を表す介詞“在”の使い方の問題である。複文の従節、主述文の句首の状況語には、一般に“在”は使わない。例えば、“家里有五口人。”で“家里”の前に“在”を付けるのは、文法的には間違いではないだろうが、くどい感じになり、一般には使わない。例の冒頭の“在”も同様で、削除すべきである。
11、魯迅先生的妙筆把阿Q這一典型人物躍然紙上。
介詞“把”は名詞と組み合わさり、後ろの動詞の前に置かれる。“把”の後ろの名詞は、たいていが後ろの動詞の賓語である。“把”と名詞を組み合わせる場合、通常その後ろに形容詞や自動詞を置くことはできない。例えば“把茶杯打了”と言えるが、“把茶杯壊了”とは言えない。“把它消滅了”とは言えるが、“把它滅亡了”とは言えない。例文で、“躍然紙上”は形容詞句であり、“阿Q這一典型人物”のことを述べている。したがって、ここで“把”を動詞“使”に変え、全体を兼語式の文にするか、或いは“把”を使うのであれば、後ろの“躍然紙上”を動詞句“写活了”に変えなければならない。
● 躍然紙上 yue4ran2zhi3shang4 紙上で生き生きと描写されていること。躍然:ありありと。生き生きと。
12、我在房頂上下来,看到房檐下有个鳥窩。
介詞“在”は動作の発生した時間や場所を表すが、動作の起点や開始時間といった意味は持っていない。こういう意味を持つ介詞は“従”である。したがって、例文の“在”を“従”に変えなければならない。
13、張明徳同学為了響応党中央的号召,為了祖国実現四個現代化而勤奮学習,一年来取得了優秀成績。
“為了”は原因、目的を示す介詞であるが、“響応党中央的号召”は“勤奮学習”の原因や目的ではなく、独立した行為であるので、ひとつ目の“為了”は削除しなければならない。
14、我愛花卉,而且愛那撒満草原的山丹丹花,因為它是純潔、美好、淳朴、自然的象征。它既不想嬌柔造作地与別人争芳斗艶,也不願自暴自棄地不給人們放出光華。
“而且”は前で述べたことに更にもうひとつ付け加えることを表す接続詞で、それゆえ“不但”や“不僅”と呼応して用いられるのだが、ここでは、「花が好き」で、その中でも「山百合の花が好き」と、好きな花を比較して、特に突出していると言っているので、接続詞には“尤其”を用いなければならない。
15、不管你説得多好聴,但是在行動上不厳格要求自己,那麼還是入不了団。
接続詞“但是”は逆接を表すが、“在行動上不厳格要求自己”の意味は仮定を言っているので、接続詞には“如果”を使わなければならない。
16、張磊不但毛筆字写得好,即使画画在全校也是数第一的。
接続詞“即使”は仮定、譲歩を表すが、ここでは“不但”と呼応し、“毛筆字写得好”に更に付け加えて“画画在全校也是数第一的”と言っているので、接続詞は“而且”を用いなければならない。
17、臨摹書画応当有一個持之以恒的精神,一遍不行,就臨摹両遍,而遍不行,就臨摹三遍,以致上百遍,総可以摹仿得很象。
接続詞“以致”は最後にはこういう結果になるという意味で、前の文で述べてきた状況がもたらした結果を述べるものである。ところが例文では、“臨摹書画”(書画を模写する)という行為を根気よく続け、その結果が百回にまで至る、と言っている。このように、小から大に至るというような場合は、接続詞“以至”を用いなければならない。
● 持之以恒 chi2zhi1yi3heng2 根気よく続ける、あくまでもやり通す
18、林彪、“四人幇”反党叛国,倒行逆施,以至落得个身敗名裂的可耻下場。
接続詞“以至”は動作がある状態、程度になる、ということを表すだけでなく、上の文で述べた状況により生じた結果を表す意味もあり、この点では接続詞“以致”と同じ意味あいを持つが、その結果が好ましくない、或いは希望していなかった結果を生じた場合は、“以致”を用いなければならない。この例は、正によくない結果がもたらされたので、“以致”に変えなければならない。
● 倒行逆施 dao4xing2ni4shi1 正義にもとる。時流に逆行する
● 身敗名裂 shen1bai4ming2lie4 地位を損ない名誉を傷つける。地位も名誉も失う
19、陸永年見義勇為、智擒盗賊的行為,頗受同学們的賛揚。
“頗”は“很、甚”の意味であるが、「少し」「やや」というニュアンスがあり、手放しで称賛するという意味ではない。ここでは、陸永年の行為が皆の賞賛を受けているのだから、もっと意味の強い“很”を使うべきである。
● 見義勇為 jian4yi4yong3wei2 正義にかなったことをするのに勇敢である。義を見て勇敢にこれをなす
20、五月四日青年節,我校団委組織了一次十分有意義的活動――野游,参加的団員恐怕不只一百人。
“不只”は接続詞で、“而且”や“并且”と呼応し、前で述べた事柄の他に、更に一層の事柄を後ろの文で述べる働きをする。ところが、例文は活動に参加する団員の人数が百人を超えるだろう、と言うのであり、接続詞ではなく、一定の数量、範囲を超えることを表す動詞の“不止”を使わなければならない。
21、人們在生理上是有差異的,人脳作為一種器官,則是有差別的。従重量上説,正常成年人的脳重平均在一千四百克左右。有的人重一些,可達二千克以上,有的人也軽一些,只有一千克左右。
“人們在生理上是有差異的”と“人脳作為一種器官……是有差別的”のふたつの文は並列関係にあり、話題の転換はみられない。“則”は対比や転換を表す接続詞で、ここで用いるのは不適切である。ここは“也”を用いなければならない。“也”は、副詞だが、接続詞的に用いられ、「同様に」という意味がある。一方、後半の“有的人重一些,可達二千克以上”と“有的人……軽一些,只有一千克左右”の間には話題の転換が見られ、ここには“也”ではなく“則”を用いなければならない。
22、我們只看到最后的成功的結果,而那些逐步被抛棄了的中間階段則従不為我們所知,這是很可惜的,然而其中蘊藏着許多経験和教訓。
“我們只看到最后的成功的結果……這是很可惜的”と“……其中蘊藏着許多経験和教訓”のふたつの文の間は因果関係にあり、前の文の結果に対し、後ろの文は原因が書かれている。したがって、“然而”は“因為”に変えなければならない。
● 蘊藏 yun4cang2 埋蔵する。~を潜ませている
【原文】張広信《字詞句語病誤五百例》1981年内蒙古人民出版社
以上、長々と引用したが、このように語句の使い方を文法的に見ていくことは、語学力アップのために必要である。皆さんの学習の一助になれば幸いである。