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中国語学習者、聡子のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

四合院、その門を構成する各部分について

2020年02月03日 | 中国文化

今回は、四合院の門を構成する各部分について、ご紹介したいと思います。

(1)門板(戸板)
先ずは戸板です。戸板の材料は、門の形状と同様、富貴尊卑を表わす手段になりました。木の門が一般的ですが、木材は吟味して選ばれました。しかし、たとえばエンジュの木は、「槐」の字の片側が「鬼」であるので、使うのは避けられました。四合院の表門に使う門の扉は、通常「実榻門」と「棋盤(ごばん)門」の二種類があります。前者は戸板の芯材と扉が同じ厚みであり、後者は戸の枠に木の板をはめ、横木を架け渡したもので、それによってできる格子縞(じま)が碁盤に似ているのでこう呼ばれます。

実榻門

棋盤門

門の色については、「人の主たるは黄が宜しく、人の臣たるは朱が宜しい」とされ、漢や唐の時代の黄色の門は大変高貴なものでした。朱塗りの大門もかつては至尊至貴のしるしとされました。朱色の扉の家は「九錫」に列せられました。「九錫」というのは、天子の諸侯、大臣に対する最高の礼遇を指し、朝廷から九種の器物を賜ったことによります。朱色の扉を賜るというのは、朝廷から極めて高い待遇を受けたことを意味しました。黒色の大門はどこにでもあり、官吏以外の家の門の色でした。こういう黒色は「黒煞神」(道教の守護神)と呼ばれ、これを門にすると、邪気が入ってきにくく、門の色そのものが門神でした。5世紀から6世紀にかけての南北朝時代には彩色上絵をした門が現れ、あるものは草花、あるものは龍や鳳が描かれました。これと相反するのが「白板扉」で、色を塗らず、木の地のままで、これは農家の素朴な生活を反映していました。

門の戸板にも装飾が施されました。故宮の大門上の銅の「門釘」は中でももっとも凝ったものです。これはもともと木の板の門の製作上の必要から始まったものですが、後になって、「門釘」の装飾効果がより重要になってきます。更に、一般の家の門扉は、門環、門鈸、鋪首、鉄包葉などで飾られています。

門釘

(2)門環
門の扉の把手(とって)を「門環」と言い、門を開け閉めするのに用いられました。門の上の銅の輪(わっか)の把手を「鋪首」と言います。門の上の金属の器物を俗に「響器」と言い、正式には「門鈸(はつ)」と言います。最もよく見かける門鈸は六角形をしており、形状は銅製の「鈸」(はつ。民族楽器の一種で、銅製のシンバルのようなもので、中央が半円形に盛り上がっている)の様な形をしています。四方は約七寸と言いますから、20-25センチ。真ん中に突起があり、六つの角には穴が空いていて釘を通すようになっており、門板の上に釘付けされます。門鈸には獣頭の形のものがあり、獣面と呼ばれます。一般の門鈸は鉄製で、突起の出た中央部には木の葉のように鉄片が垂れ下がっており、来客が門鈸を軽くたたき、屋敷の中の人を呼んで門を開けてもらうことになります。よく知っている人は、たたく回数、たたく強さが決まっていたそうです。

門鈸

門鈸から更にその家の主人の地位もわかります。宮殿や王府は銅製のもので、龍の頭か獅子の頭の形で、半楕円形の輪が付いています。官吏や商人の邸宅は銅製の六角形で、縁飾りや円に沿って木の葉模様が付いています。一般庶民の家は鉄製でした。

上の写真の門鈸は、元々この上に銅の輪が付いていて、ちょうど下の銅のボタンに当たるようになっていました。客が訪ねて来ると、輪を軽く打ち叩き、屋敷の中の人を呼ぶことができました。

(3)門簪
「門簪」(もんさん)は門の扉の上軸の連結柱を鴨居に固定する部品です。その位置が門の上の鴨居にあり、先が突き出ており、形が婦人の頭に挿す簪(かんざし)のようであるので、「門簪」と言います。一般には二つか三つ、多いものは四つか六つ用い、上に彩色の図柄を描いたり字を書いたり(彫ったり)します。

門簪

門簪は四角形、長方形、菱形、六角形、八角形等多くの形があり、図柄は四季の花が比較的多く、それ以外に春蘭、蓮、菊、梅の花を刻んだもの、文字は「吉祥如意」、「福禄寿禧」、「天下太平」等の字句が書かれました。

(4)門檻(敷居)と框(かまち)
「門檻」(敷居)は門の下の一本の横木です。門は一般に内側に開くので、敷居は一般に門の外にあります。門を閉めた時、門の前に敷居があり、門の内側には門閂(かんぬき)があり、門はしっかりと閉じられます。ちなみに門閂(かんぬき)は、門の内側に通す一本の横木です。

門檻(敷居)

敷居の高さと門の大きさは関係があります。およそ門の大きいものは、敷居が高くなければならず、必然的に身分の高い人の家となります。したがって人々はよく、「お宅は敷居が高くて、誰も行く勇気がない」と言う訳です。

家猫が敷居に寝そべっているのは、吉祥の兆候と見做されます。なぜなら猫は主人を助ける動物であり、敷居に寝そべっているのは、主人の為に持ち場にいてくれており、見知らぬ人が入ってくるのを防いでくれているからです。各地の風俗習慣でも、敷居の象徴的な意味が見られます。人を座らせてよい、人を座らせてはいけない。足を踏み入れてよい、足を踏み入れてはならない、等々。魯迅の小説、『祝福』の中で、祥林嫂は、死後、閻魔様に身をのこぎりでふたつに切られ、亡きふたりの夫に分けられることのないよう、その土地の廟(道教の寺院)に敷居をひとつ寄進し、自分の身代わりにして、人が足を踏み入れるに任せ、これによって「罪」をあがなおうとしました。

門を構成する部品には、戸板の他、敷居をはじめ、「檻」という横向きの部品があります。門檻(敷居)は「下檻」、門簪を取り付けるのは「中檻」、更にその上には「上檻」があります。一方、「框」(門の枠。かまち)というのは縦向きの部品です。「抱框」、「門框」があります。

門の各部分の名称

門簪は門扉の上軸を固定し、門の枕石の中心に据付けられた鉄の鋳物の「海窩」で門扉の下軸を固定します。門の外の「抱鼓石」と門の内側の門枕はいっしょにつながり、上面には鳥獣や草花の模様が彫られ、実用的で、且つ美しいものです。石鼓には獅子の彫り物をしたものがあり、吉祥を得るという意味があります。門の回転をなめらかにする為、下軸の海窩の中には常に多少の油を差す必要があります。そうすると、門の開け閉めが軽くなり、音もしなくなります。

門枕石(下の土台部分)と
抱鼓石(上の円筒部分)

抱鼓石

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四合院の門について

2020年02月02日 | 中国文化

四合院は外から見て、周りを塀で覆っているので、門はその屋敷の中に通じる唯一の入口となり、その家の顔であり、そこに住む人の身分を表わしています。それゆえ、歴史上も、門の形式は特別に重視されてきました。歴代の法令や制度では、門には厳格な等級規定があったそうです。それを表す成語もあり、「書香門弟」(読書人の家柄)、「朱門大戸」(朱塗りの門の大富豪)、「柴門草戸」(柴の戸や草葺屋根の貧しい家)などという言い方があります。

また、風水の面から見ると、門の位置、色、門の向きなどの要素が、この家の家族の盛衰に影響する重要な問題でした。部屋の入口が表門にまっすぐ向いていないのは、聞くところによると亡霊が歩く時に曲がることができず、部屋の入口が表門にまっすぐ向いていなければ、亡霊がたとえ表門から入ってきても、まっすぐにしか進めず、部屋の中に入って来られないからだそうです。

一本の胡同の中で、隣どうしの家の門は向かい合わないよう配置されます。さもないと邪気がぶつかりあい、不吉だからです。凶を避け、吉を求めるという心理や願望から、屋敷の前方が後方をできるだけ遮ることがないように、前方の建物は後方より高さが低くなるように設計されています。屋敷の表門は左右の家の門よりできるだけ突出するように設計されています。それは周りを威圧するためで、このため多くの通りや故同は曲がりくねり凹凸があり、直線になっていないケースが多かったようです。このように、表門と吉凶や禍福の関係は、昔の風水の重要な話題のひとつであったことが分かります。

門のことを「門楼」と言いますが、その本来の意味は、四合院の門の上部を指し、レンガや瓦で構成される屋根の部分のことです。建築学的には、「門楼」というと、屋根以外に、抱鼓石、門簪、石段や、門の傍らの側壁なども含まれます。王府(皇族の邸宅)の宮門の門楼は、風格や身分に気が配られていますが、形式上の変化はあまりありません。一般の人々の家の門楼は、王府の宮門のように規定が厳格ではなく、自分の好みや経済条件により、自由に設計できました。それで、これらの門楼は形式が多様で、装飾も多様で、それぞれ特徴を持ち、たいへん凝っていました。

北京で最も多い四合院の門は「道士帽式」というものです。ここで俗に「道士帽」と呼ばれるのは、中国の土着の宗教である道教の僧侶、道士のかぶっている帽子が、その門の形とよく似ているからです。

道士帽(純陽巾)

道士帽式門楼

上の写真が純陽巾という種類の道士帽で、その下の写真の門の屋根の形とよく似ている、ということです。

こういう門楼は一般の四合院の中では比較的凝ったもので、作るのに手間がかかり、費用も高くなります。こうした門を建てる手間は、家を建てるのとほぼ同じです。屋根の上は、比較的厚い漆喰の上に、陰陽瓦を積み上げて作ります。「陰陽瓦」というのは半円形の瓦で、積み上げる時に、一列は開口部を下に向け、一列は開口部を上に向けるので、「陰陽瓦」と呼ばれます。

陰陽瓦

「清水脊門」(又は魚脊門(魚の背形の門)と呼ばれる)は、外観は道士帽式と大同小異ですが、見た感じがそれより多少複雑です。棟を上げなければならないだけでなく、彫刻のある磚を積み上げたものもあり、建てるのにかなり費用がかかります。前、後に屋根の傾斜があり、両方の傾斜は陰陽瓦で形作られ、てっぺんには円筒瓦が積み上げられ、一番上端にはそれぞれ跳ね上がった尾根の先があり、門楼全体が青黒色に塗られており、「清水脊」の名はここから来ています。

清水脊門

「轂轆銭門」(「轂轆」は車輪のこと。銅銭門)は、一般の人々が住む四合院の中でごく普通の門楼です。通りに面した門の両側に四つのレンガ積みの突起が立っており、突起と突起の間は瓦でつないで装飾模様がいくつか作られていて、俗に「轂轆銭」(銅銭模様)と呼ばれます。上端はレンガを平らに積み、更に白い漆喰で車輪や銅銭形の模様を白色に塗り、周囲は青みがかった灰色にします。「清水脊」の門楼と異なり、「轂轆門」のレンガの突起とレンガの隙間は外側に露出していて、漆喰を塗りません。この門のことを、「歩歩上台階、階階上有銭」(一歩一歩石段を上がると、一段上がる度にお金が儲かる)と言います。一種の縁起かつぎですね。

轂轆銭門

次回は、門楼を構成する各パーツについて、紹介していきたいと思います。

 

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四合院について

2020年01月30日 | 中国文化

四合院というのは、中国の伝統的な建築様式で、家の周りが塀に囲まれ、敷地の四方に建物が建てられ、真ん中に中庭がある建築様式で、灰色のレンガの塀が、北京市内では「故同」(フートン)と呼ばれる横丁に立ち並び、曾ては独特の景観を呈していました。北京オリンピックによる都市再開発で、かなりの部分が取り壊されてしまい、今は一部の景観保存地区に残されているだけです。

しかし、ホテルに改造されたり、或いは新たな快適な四合院様式の高級分譲住宅が設計されたりと、その建築の思想は、今に受け継がれています。
ちょうど、京都の町家の再生プロジェクトとつながるところもあるように思います。

今、私は通訳案内士として、主に中国語圏からのお客様を日本の観光地にご案内するガイドをしていますが、京都の町家や各地の古民家の伝統的な建築群と、四合院は、その地の気候風土に合わせて発展してきた住まいという意味で、その内容を知ることは、人々の暮らしや文化を知るうえで、大きな意義があるように思います。

ちょうど手元に、2003年に出版された、『四合院』という本があります。筆者の高巍氏は1958年生まれ、北京の歴史や民俗学の研究、著作をされています。
この本では、四合院の建物の解説のみならず、四合院とそこで暮らす中国の人々の様々な文化や伝統との関わりなどが紹介されています。
そこで、この本の内容をベースにして、私の理解できる範囲で、四合院の紹介をしていきたいと思います。
間違い等ございましたら、遠慮なくご指摘いただければ助かります。

(1)四合院の建物構成

一般に「四合院」と言う場合、最も代表的なのが、「三進四合院」、つまり三重になった四合院です。

次の図が、「三進四合院」の見取り図です。

三進四合院見取り図

①大門(表門)②影壁(目隠しの壁)③屏門(外庭と内庭を仕切る門)
④垂花門(二の門)、上に短い柱4本で支えられた屋根があり、屋根の下の壁に彫刻や彩色が施されている ⑤廊下 ⑥倒座房(母屋の反対側、南側の棟の部屋)
⑦正房(母屋)⑧耳房(正房の両端に連なる背のやや低い棟の部屋)
⑨廂房(母屋の前方の両側の棟)⑩過庁(前後に入口があり、通り抜けられる部屋)
⑪後罩房(正房の後ろに正房に平行に建てられた棟)
⑫盝顶ルーディン(廂房より少し小さな建物、“盝”頂、小さな箱の意味)

幅は一般に五丈(16.5メートル。一丈は約3.3メートル)、長さは八丈(26.4メートル)。通りの北側に位置し、北側にあって南向きであり、道路側は五間続きで、間口は一間(柱と柱の間の間隔)当たり一丈。

表門から入ると、正面は磨きレンガの目隠し壁で、東側の棟の南側の切妻屋根の壁にすぐ接しています。目隠し壁の前で左に曲がると、円形の「月亮門」、或いは四枚扉の小門があります。入ったところが三間の南側の部屋。東側は月亮門に向かい、西側にも月亮門があり、その中は一丈四方の小さな中庭で、そこには南棟の西端の一間があります。

 影壁(目隠し壁)   

月亮門

ちょうど南の棟の門に相対しているのが、中庭に通じる「垂花門」(二の門)で、垂花門の左右両方から、両側の月亮門までが一枚の壁で、これにより一つの屋敷を外院(外側の四合院)と内院(内側の四合院)に分け、外院の南棟と内院の北、東、西棟を切り離すと、その外側は、幅一丈あまり、長さ三丈くらいの中庭となります。

垂花門

内院は正方形で、垂花門の門楼が内院の南面のちょうど中心の位置にあり、その他の場所は、北側に三間の正房(母屋)があり、東西に各々三間の廂房があります。

 四合院の内院。西側の建屋は夏の午前中は陽光に晒されるので、
すだれや布の日よけが掛けられている。北側の建屋は直接日に晒されず、
しかも前に廊下があるので、より快適である。
       

垂花門と東、西の廂房、正房の間は、曲尺(かねじゃく)形の回廊で、「鑽(穿)山遊廊」と呼ばれます。正房の東、西両側には各一間の耳房(正房の両端に連なる背のやや低い棟の部屋)があり、耳房の前には各々一丈四方の小さな中庭があります。二間の耳房を三間の正房と比べると、建物の大きさはずっと小さくなっています。

鑽山遊廊(穿山遊廊)

耳房

東、西の廂房と外院を分かつ背の低い壁(或いは渡り廊下)の間にも「耳房」がありますが、耳房とは呼ばず、「盝頂(ルーディン)」と呼ばれます。「“盝”」の字の意味は小さな箱のことで、それからも部屋の面積が小さいことがわかります。そこは一般には召使の住む部屋か便所にします。東側の一間の「盝頂(ルーディン)」は厨房にします。

このような標準の四合院は、大小全部で6つの四合院を含んでいます(外院、内院と、四隅の小院を含む)。部屋は二本の柱と一本の桁による「間」で数えると、全部で17間あります。その中で、表門、垂花門には人が住むことができないので、実際は15間になり、部屋の総面積は200平方メートルを超えることになります。

では、次回は四合院を構成する建物について、詳細を見ていきたいと思います。

 

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中国文化と“虎”の係わり

2010年02月28日 | 中国文化

 今週は、久々に中国・蘇州に出張に来ている。今日は元宵節、旧暦の正月十五日であり、家族で元宵という米の粉で作った団子を食べ、また様々な飾り提灯を眺めに外に繰り出す日である。提灯とともに、燈謎というなぞなぞが掲げられ、それを当てると、いろいろ景品がもらえる、子供たちのお楽しみがついている。
 さて、今年は虎年ということで、中国でも景気の一層の飛躍が期待されている。人民日報に、中国の虎文化という題の小文が載っていた。中国人と虎にまつわる雑学として、おもしろい内容なので、紹介したいと思う。

                人民日報海外版:中国虎文化
           2010年02月19日 来源:人民網-《人民日報海外版》

■ 中華虎文化源遠流長。自古以来,人們就習慣用“生龍活虎”、“龍騰虎躍”、“虎背熊腰”、“藏龍卧虎”、“如虎添翼”、“虎頭虎脳”、“将門虎子”、“虎老雄心在”、“虎虎有生气”等詞語,賛揚生活中的人物和事物,表達中華民族的精神面貌、民族性格和民族自我意識,逐漸形成了独特的虎文化。
 中華の虎文化の起源は、はるか昔まで遡る。太古より、人々は“生龍活虎”、“龍騰虎躍”、“虎背熊腰”、“藏龍卧虎”、“如虎添翼”、“虎頭虎脳”、“将門虎子”、“虎老雄心在”、“虎虎有生气”等のことばを習慣的に用い、生活の中の人物や事物を賞賛し、中華民族の精神、民族性、民族としての自我の意識を表現し、次第に独特な虎文化を形成した。
・源遠流長 yuan2yuan3liu2chang2 [成語]源が遠ければ流れも長くなる。歴史や伝統が長いたとえ。

 ここで、“虎”を使った成語、慣用句がたくさん出てきたので、それぞれの意味を下記にまとめておく。
・生龍活虎 sheng1long2huo2hu3 [成語]生気に満ち活気にあふれているさま
・龍騰虎躍 long2teng2hu3yue4 [成語]龍が飛び立ち虎が躍り上がる。沸き返るような活気に満ちていることの形容
・虎背熊腰 hu3bei4xiong2yao1 [成語]虎の背に熊の腰。体格の逞しいことの形容。
・藏龍卧虎 cang2long2wo4hu3 [成語]隠れた龍に伏せた虎。まだ世に見出されていない有能な人物、或いはその居場所を形容する。
・如虎添翼 ru2hu3tian1yi4 [成語]虎に翼を添えたようだ。強いものが一層強くなるたとえ。鬼に金棒。
・虎頭虎脳 hu3tou2hu3nao3 [成語]丈夫で元気なことのたとえ。(男の子について言うことが多い)
・将門虎子 jiang1men2hu3zi3 ①“将門”は代々将軍を出す、武勇の誉れ高い家柄の意味。“将門虎子”で親や祖先が才能があると、子や子孫も技量が非凡であることを言う。或いは、子や子孫が家柄を汚さないこと。②家庭環境は子供の成長に影響を与えるので、特にスポーツ選手で親子二代ですばらしい成績を残すことを喩えて“将門虎子”という。“将門出虎子”ともいう。
・虎老雄心在 hu3lao3xiong2xin1zai4“虎痩雄心在”とも言う。肉体が老い衰えても、立ち向かいチャレンジする気持ちを持ち続けていること。
・虎虎有生气 hu3hu3you3sheng1qi4 勇ましくて元気いっぱいである。/虎虎:威勢のあるさま。

■ 虎,很早就成为中国的図騰之一。1987年河南省濮陽西水坡一帯発掘出土了一対蚌塑龍虎,距今大约6000年,它伴于一位祖先遺骨的東西両側,依照方位,恰与后世盛行的“東青龍、西白虎、南朱雀、北玄武”相吻合,被誉為“中華第一虎”。著名的司母戊大鼎鼎耳外廓飾着一対虎紋,虎口相向,口中含着人頭。《周易•乾卦文》也説:“雲従龍,風従虎。”因為龍飛于天,虎行于地,所以龍虎相合成為雄偉強盛的象征。漢朝時,人們就開始在除夕之夜在門上画虎以駆鬼魅,以后最正宗的門神画上,都絵有老虎。
 虎は、早くから中国のトーテムのひとつであった。1987年河南省陽西水坡一帯で一対の貝殻で描かれた龍虎像が出土したが、今から6000年前のもので、ひとりの祖先の遺骨の東西両側に置かれ、方位を見ると、ちょうど後世に盛んになった“東青龍、西白虎、南朱雀、北玄武”と符合しており、“中華第一虎”と呼ばれている。有名な司母戊大鼎の鼎耳の外郭に一対の虎紋の飾りがあり、虎の口は向かい合っており、口の中に人の頭をくわえている。《周易•乾卦文》でも、「雲は龍に従い、風は虎に従う」と言う。なぜなら龍は天を飛び、虎は地上を駆けるので、龍虎相見えて雄壮で盛んなことの象徴となったのである。漢代になると、人々は大晦日の夜に家の門に虎の絵を描き、妖怪変化を追い払うようになり、その後、最も正統な家の門の守り神の絵には、虎が描かれるようになった。
・図騰 tu2teng2 トーテム
・蚌塑龍虎 bang4su4long2hu3 貝殻で墓室の地面に描かれた龍と虎の図案。
・司母戊大鼎 si1mu3wu4da4ding3“司母戊大方鼎”、“司母戊鼎”とも言われる。商代(日本では“殷”代と呼ぶ)後期(B.C.16世紀~B.C.11世紀)の王室の祭祀用の青銅器の方形の鼎(かなえ)で、1939年河南省安陽市の農地から出土した。鼎の内部に“司母戊”という文字が鋳込まれていることから、こう名づけられた。高さ133cm、長さ110cm、幅78cmで、現在まで発見されている中で、世界最大の青銅器である。
・鬼魅 gui3mei4 化け物。妖怪変化。

■ 我国虎文化内容非常豊富,虎的形象無所不在,深入人心。在上古的甲骨文中,“虎”字就是一只造型優美可愛的象形虎。従殷商、西周、春秋、戦国,到秦朝、漢朝的石雕、石刻和画像石,以及青銅器、鉄器、金銀器、玉器、瓷器中,以虎為原型的芸術品的紋飾、造型更加豊富。在青銅器中,商代的龍虎尊的主題紋是“虎口銜人”;婦好墓出土的銅鉞上也有“虎釘銜人”紋;特別是一件名叫“虎食人卣”的商代作品,卣的三个支点是虎的両条后腿和尾巴,虎的前爪抱持一人,張口欲啖人首,形象生動,撼人心魄,反映了古代人対虎的崇拜。
 我が国の虎文化の内容はたいへん豊かで、虎の姿かたちはどこにでもあり、深く人々の心に入り込んでいる。古代の甲骨文字で、“虎”は造型が優美で可愛い象形の虎である。殷商(都を殷に移してからの商)、西周(都が長安にあった時代の周。次の春秋時代は都を洛陽に移し、東周と呼ばれる)、春秋、戦国から、秦朝、漢朝に至るまでの石雕、石刻、画像石、及び青銅器、鉄器、金銀器、玉器、陶磁器の中で、虎を原型とする芸術品の紋様、造型は更に豊富である。青銅器の中で、商代の龍虎樽の主要な紋様は「虎が人を口にくわえる」で、婦好墓出土の銅のまさかりにも「虎の釘が人をくわえる」紋様がある。特に「虎が人を食べる図柄の酒器」と呼ばれる商代の作品は、酒器の三本の脚は虎の二本の後ろ足と尻尾であり、虎の前足の爪は一人の人間を抱え持ち、口を開いて人の首を食おうとしており、姿かたちが生き生きとしていて、人を感動させ、古代の人の虎への崇拝を反映している。
・無所不在 wu2suo3bu4zai4 [成語]ないところはない。どこにでもある
・銜 xian2 口にくわえる
・婦好墓 河南省安陽の殷墟で1976年に発掘された、商の王室関係者の唯一完全な墓。
・鉞 yue4 古代の武器。まさかり
・卣 you3 酒を入れる器で、口が小さく、腹が大きい。
・啖 dan4 食らう
・撼 han4 揺り動かす。揺さぶる
・魄 po4 人の肉体に宿る霊魂。魂

■ 我国歴史上,以虎為題的工筆画、写意画等不勝枚挙。在年画、泥塑、皮影、剪紙、布玩具等民間美術作品中,虎的形象有很多不再是凶猛的野獣或者権威的象征,而是一種可親可愛的動物,其中不乏堪称世界経典的作品。《山海経》中説道:在滄海之中有一座大山,名叫“度朔”。山上有一株魁偉的桃樹,枝叶盤曲舒張,覆蓋三千余里。在山的東北面有一処間隙,是供衆鬼出入的“鬼門”。山上住着両位神仙,一个名叫神荼,一个名叫郁塁,専門負責監管衆鬼。凡是遇到為非作歹的悪鬼,二神就用縄子把它梱上,投給老虎吃掉。
 我が国の歴史上、虎をテーマにした工筆画、写意画は数え切れないほど多い。年画、泥人形、影絵、切り紙、布製の人形等の民間の美術作品で、虎の形象にはもはや凶暴な野獣や権威の象徴ではなく、一種の親しみやすく可愛い動物であり、その中には世界の代表作と呼べるような作品もたくさんある。《山海経》の中に次のような話がある。大海原の中に大きな山があり、名を“度朔”という。山には一本の大きな桃の木があり、その枝や葉はくねくねと伸び拡がり、あたり三千余里を覆っている。山の東北に一ヶ所隙間があり、たくさんの鬼が出入りする“鬼門”である。山の上にはふたりの仙人が住んでいて、ひとりは神荼、ひとりは郁塁といい、専ら鬼を管理している。いつも悪事を働く鬼を見つけると、ふたりの仙人は縄で鬼を縛り、虎に投げて食べてしまわせる。
・工筆画 gong1bi3hua4 中国画の画法のひとつで、細密画。
・写意画 xie3yi4hua4 中国画の画法のひとつで、微細な描写をせず、情趣の表現に重きを置く表現方法。
・不勝枚挙 bu4sheng4mei2ju3 [成語]枚挙に暇が無い。いちいち数えきれない
・魁偉 kui2wei3 体格のりっぱなさま
・盤曲 pan2qu3 ぐるぐる曲がりくねる
・舒張 shu1zhang1 心臓や血管の弛緩。拡張
・為非作歹 wei2fei1zuo4dai3 [成語]悪事の限りを働く

■ 我国民間還認為“虎毒不食子”。為了儿童的安全、健康成長,常在小孩的鞋帽上繍上虎頭等装飾,称為虎鞋、虎帽,以討吉利,駆邪避祸。著名現代文学家魯迅先生写過:“無情未必真豪杰,怜子如何不丈夫,知否興風狂嘯者,回眸時看小於菟。”賛美虎的愛子之心,這里的“小於菟”就是虎的幼仔。
 我が国の民間ではまた「虎の毒があると子供を食べられない」と言われている。子供の安全、健康な成長のため、よく子供の靴や帽子に虎の頭などの装飾を刺繍し、虎鞋、虎帽と呼び、縁起をかつぎ、邪気を払い禍を避ける。有名な現代文学作家の魯迅はこう書いている。「冷血無情な者が必ずしも豪傑ではないし、子供をいつくしむ者は男らしい男ではないとは言えない。野生の虎は風のひどい時、時々子供の虎の方を気にかけて見ていることを知っているか。」こう、虎の子を愛する心を賛美している。ここでの“小於菟”とは虎の幼子のことである。
・吉利 ji2li4 縁起
・駆邪 qu1xie2 邪気を追い払う。魔よけをする
・於菟 wu1tu2 虎

■ 虎,還是我国民俗中影響広的十二生肖之一。其形象広汎流伝于人們的口語中,在文学、雕塑、絵画、戯曲、民俗,以及更为広汎的民間伝説、神話、故事、儿歌等伝統文化的各個領域,成為中華文明不可或缺的一部分。
 虎は、また我が国の民俗風習に広く影響している十二支のひとつである。その姿かたちは人々の口語の中に幅広く流布しており、文学、彫刻や塑像、絵画、戯曲、民俗風習、及びより広汎な民間伝説、神話、物語、わらべ歌等の伝統文化のそれぞれの領域で、中華文明の欠くことのできない一部分となっている。
・十二生肖 shi2er4sheng1xiao1 十二支

  中国人と虎の係わりを見てきた。中国は、昨年経済の復興を果たし、今年は上海万博を控え、間違いなく“龍騰虎躍”な一年になる。心配なのは日本経済の状態で、昨年はエコポイントなどのカンフル剤で多少は持ち直したが、息切れしないか気がかりである。是非“生龍活虎”な一年になってほしいものである。
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