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中国語学習者、聡子のブログ

これって中国語でどう言うの?様々な中国語表現を紹介します。読者の皆さんと一緒に勉強しましょう。

『紅楼夢』第一回・その(2)

2025年01月06日 | 紅楼夢
 前回で甄士隠の幼い娘の英蓮への不吉な予言がこのあと的中するのか気になるところですが、隣の葫芦廟に住む、貧しい書生の賈雨村がこのあと登場します。

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 士隠が考え込んでいると、ふと隣の葫芦廟に身を寄せているひとりの貧しい儒者の姿が見えた。姓は賈、名は化、字は時飛、号を雨村という者である。この賈雨村は元々湖州の人で、学問で身を立て、役人を出す一族であったが、彼は一族が衰えた末世に生まれ、父母の代には先祖からの蓄えもあらかた使い尽くし、人口は衰え、ただ彼ひとりが残り、故郷にも家産無く、このため都に上って功名を得、再び一族発展の基礎を整えようと考えていた。前の年にここに来たのだが、生活に困り、しばらく廟の中に身を寄せ、毎日手紙の代書や文書を書いて生計を立てていたので、士隠はいつも彼とやりとりがあった。

 雨村は士隠を見るとすぐさま、急いで手を組んで礼をすると、おべっか笑いを浮かべて言った。「老先生、門のところにたたずんで外を眺めておられたが、街で何か変わったことでもあるんですか。」士隠は笑って言った。「そうではなくて、ちょうど娘が泣くものだから、外に連れ出してあやしているんですよ。本当に退屈で仕方ありません。賈さん、ちょうど良いところに来られた。書斎にお入りください。お互い一緒にこの長い昼をやり過ごしましょう。」そう言うと、家の者に娘を連れて入らせ、自分は雨村を連れて書斎に入り、子供の召使に茶を持って来させた。三々五々話をしたと思ったら、ふと家人が急ぎの知らせをもたらした。「厳の旦那様がお越しになりました。」士隠は慌てて立ち上がり、謝って言った。「せっかくお越しいただいたのに、お相手出来なくなりました。しばらく座っていてください。わたしはすぐ戻って来てお相手させていただきますので。」雨村は身を起こし、譲って言った。「老先生、お気遣いなく。わたしはいつも来ている者ですから、しばらくお待ちするなど何でもないですよ。」そう言っているうち、士隠はもうそこを出て入口の間に行った。

 書斎で雨村はしばらく詩籍をパラパラめくって気を紛らしていたが、ふと窓の外から女性が咳をする音が聞こえたので、雨村は立ち上がって外を見ると、ひとりの小間使いの女がそこで花を摘んでいた。彼女の容貌は俗ならず、目鼻立ちが清々しく、たいへんな美人という訳ではないが、人の心を動かすところがあり、雨村は思わず見惚れてしまった。その甄家の小間使いは花を摘んでいて、ちょうど行こうと思っていた時に、さっと頭を上げると、窓の中に人がいるのが見えた。ぼろぼろの布の旧い服を着、貧しい身なりではあるが、身体は腰回りがふっくらして背中が分厚く、顔が広く口の形が整っていて、眉はりりしく目はきらきらとし、鼻筋が通り頬骨が張っていた。この小間使いの女は、身体の向きを変えて視線を避けたが、心の中ではこう思った。「この方は体つきがこんなに雄々しいのに、こんな貧しい身なりをされている。このお宅にはこのような貧しいお友達はいらっしゃらないから、この方はきっとご主人様がいつもおっしゃっている賈雨村とかいう方に違いない。道理でこの方はいつまでも困窮されている人ではないとおっしゃった通りだ。いつもこの方のご援助をしたいとお思いだが、ただ良い機会が無いとか。」そう考えると、また一度ならず振り向いて覗かざるを得なかった。雨村は彼女が振り向くのを見て、この女は心の中では彼に気があると思い、遂に狂喜するを禁じ得ず、この女は人を見る眼がある、この厳しい世の中で知己(ちき)を得たと思った。

 しばらくして子供の召使が入って来たので、雨村が聞いてみると、あちらでは食事を出されると聞いたので、これ以上お邪魔してはと思い、遂に裏の通路を通って、勝手口から出て行った。士隠は、客の接待が終わり、雨村が既に帰ったと知ったが、再び呼びにやるようなことはしなかった。

 中秋の佳節に入ったある日、士隠の家では宴も終わったので、書斎にもう一席設け、彼は自ら満月の下を歩き、廟の中まで行って雨村を招待した。

 実は、雨村はあの日、甄家の小間使いの女が二度振り向いて自分を見たので、自ら知己を得たと思い、いつも心に気にかけていたが、今また正に中秋に当り、月に思いのたけを願うのを免れず、それで五言の律詩を口ずさんだ。

  未だ三生の願いを卜せず、頻(しき)りに一段の愁いを添える。悶(もだ)え来たりし時は額を
  斂(しか)め、行き去りて幾度頭(こうべ)を回(めぐ)らす。自ら風前の影を顧み、誰か月下
  の儔(とも)に堪えん。蟾(せん)光は意有るが如し、先に玉人楼に上(のぼ)る。


雨村は吟じ終えると、また思い返せば、平素からの抱負は、未だ良いチャンスにめぐり合えないのを苦しみ、それでまた頭をかいて天に向け長嘆し、高らかに一聯を吟じた。

  玉は匵(はこ)の中に在って善価を求め、釵(かんざし)は奩(こばこ)の内に于いて
  飛ぶ時を待つ。

ちょうど士隠が歩いて来てこれを聞き、笑って言った。「雨村兄の抱負は実に非凡なものですな。」雨村はそう聞いて追従笑いをして言った。「とんでもない、たまたま昔の人の句を吟じたまでで、何ぞこのような栄誉を期待しているものですか。」それで尋ねた。「老先生は何の興趣でこちらに来られたのですか。」士隠は笑って言った。「今夜は中秋、俗に「団圓の節句」と言いますから、貴兄が僧房に旅寓されていて、寂寥の感をお持ちと思いますので、特にちょっとした酒席をご用意し、貴兄を我が書斎にお招きして一献差し上げたく思いますが、わたしのご招待をお受けいただけますでしょうか。」雨村はそれを聞いて、別段断ることもなく、笑って言った。「もう誤った情愛をお受けしている以上、どうして敢えてその厚意に逆らうことがありましょう。」そう言うと、士隠とまたこちらの書院の中にやって来た。

 しばらく茶を飲んでいる間に、早くも酒杯の盆が設けられ、その美酒や佳き肴のことは、一々言う必要も無いだろう。ふたりは再び対座し、先ずはゆっくりと酒を注ぎ、自由に飲んでいたが、次第にお互い意気投合し、思わず知らず頻繁に杯を挙げ乾杯した。この時街では家々で管弦が奏でられ、歌声が聞こえ、頭上には一輪の明月がまばゆく輝き、ふたりは益々興が乗り、酒が注がれるや杯を干した。雨村はこの時もう七八分方出来上がっていて、突然強烈な興趣がわくのを禁じ得ず、すなわち月に対し思いを含ませ、口をついて絶句を一首吟じた。

  時に三五(十五夜)に逢い便(すなわ)ち団欒す、満把の清光は玉欄を護る。天上の一輪
  ようやく捧げて出づる、人間万姓頭(こうべ)を仰ぎ看る。

 士隠はそれを聞くと大声で叫んだ。「この上なくすばらしい。愚弟はいつも貴兄が久しく人下に居る人ではないと言っていましたが、今吟じられた句には、飛謄される兆しが見えています。近いうち、履物をお召しになり、天上高く上られましょう。まことにおめでとうございます。」それで自ら酒一斗を斟(く)み祝った。雨村はそれを飲み干し、ふと嘆いて言った。「わたしの酒後の狂言ではなく、もし時流に合った学問を論じるなら、わたしも或いは合格名簿に名前が載るかもしれませんが、ただ現在は都までの荷物や旅費が、全く工面の目途が立っていません。都までは遥か遠く、字や文章を書く仕事に頼るだけではどうしようもありません。」士隠は雨村が言い終わる前に、こう言った。「どうしてもっと早く言ってくれなかったのですか。わたしはとっくに援助してさしあげようと思っていたのに、いつもあなたとお会いしても、そうおっしゃってくれないから、わたしも唐突に申し上げる勇気がなかったのです。今そうと分かったからには、わたしは不才ではありますが、義理の二文字は承知しております。しかも喜ばしいことに、来年はちょうど大比(会試)に当っておりますから、貴兄は宜しく速やかに都に入り、春の試験にひとたび受かれば、貴兄が学んだことも無駄になりません。旅費やその他は、わたくしが代わりに処置しますから、あなた様が余計な心配をする必要は無いのです。」すぐに子供の召使に命じて五十両の銀を包んで来させ、また言った。「19日は黄道吉日に当っていますから、貴兄はすぐに船を仕立てて西に上れば、前途の飛躍を待つばかり。来年の冬にまたお目にかかる時は、どうして痛快ならざることがありましょうや。」雨村は銀の包みを受け取ったが、簡単に一言謝意を言っただけで、別に意に介さず、依然酒を飲み談笑をした。その日は太鼓三つ(真夜中)まで酒を飲み、ふたりはようやく分かれた。

 士隠は雨村を送ってから、部屋に戻って休み、そのまま太陽が空高く昇ってからようやく目覚めた。昨夜のことを思い出し、推薦書を二件書いて雨村に持たせて都に行かせ、雨村が仕官する家に渡して、そこに身を寄せられるようにしてやろうと思った。それで使いの者を行かせて請わせたが、その者が帰って来て言うには、「和尚様は、「賈さんは今日太鼓五つ(明け方)にはもう都へ発たれました。伝言を和尚から旦那様に伝えるよう言付かりました。「読書人は「黄道」でも「黒道」でもどうでもよく、必ず事が道理に合うことが肝要で、お目にかかってご挨拶するに及ばぬ。」と。」士隠はそう聞くと、またそうしておく他無かった。

 真に閑な時は時間の経つのが早いもので、たちまちまた元宵の佳節がやって来た。士隠は召使の霍啓に英蓮を抱かせて民間芸能の出し物や飾り提灯を見に行ったのだが、夜半に霍啓が小便をするため、英蓮をある家の敷居の上に座らせ、小便を済ませてまた抱こうとすると、英蓮の姿はどこにも無かった。慌てた霍啓はそのまま夜中までずっと捜したが、夜明けになっても見つからず、かの霍啓も家に戻って主人に会う勇気がなく、自分の故郷へ逃げてしまった。

 かの士隠夫婦は娘が一晩中帰って来ないので、何か良くないことがあったと知り、もう一度何人かに捜しに行かせたが、帰って来た者皆、何の手がかりも無いと言った。夫妻には半生この娘しか生まれておらず、ひとたび失うと、なんという悩み苦しみだろう。このため昼も夜も泣きぬれ、ほとんど命も顧みなかった。こうしてひと月すると、士隠が先に病を得、夫人の封氏も娘のことを思って病気になり、日々医者に来てもらい、八卦見に見てもらった。

 思いがけずこの日、3月15日、葫芦廟の中でお供えの揚げ菓子を作っていて、かの和尚が不注意で天ぷら鍋に引火し、窓に貼った紙が燃え出した。この地方の人家は皆竹の垣根に木の壁で、また劫の数もこのようであったに違いない、そして隣近所へ次々と燃え広がり、街全体が「火焔山」のように火の海となった。この時は軍隊も駆けつけて救助に当ったが、火は既に勢いがついてしまい、どうして救助などできようか。そのまま一晩燃えてようやく収まったが、どれだけの人家が焼けたか知れなかった。ただ気の毒なのは甄家が隣であったことで、とっくに瓦礫の山となってしまった。ただ彼ら夫婦と何軒かの家の人命は傷つくことがなかったが、焦った士隠は地団太を踏み、長嘆するばかりであった。妻子と話し合って田舎の農村に行って暮らすことにしたが、あいにく近年は旱魃で不作に見舞われ、盗賊が蜂起し、官兵が討伐していて、農村も安住し難く、田畑を売り払い、妻子とふたりの小間使いを携え、妻の姑(しゅうと)の家に身を寄せた。

 妻の姑の名は封粛と言い、原籍は大如州の人で、農業を生業(なりわい)としていたが、家の中はまあまあ豊かであった。今、娘婿らが落ちぶれてやって来たのを見て、心中は幾分不愉快であったが、幸いに士隠がまだ田産を売った銀子を手元に持っていて、それを取り出し、彼に頼んで適当に家や土地を買ってもらい、それでこれからの生活をやり繰りするつもりだった。かの封粛はそれで金を半ば使い、半ばは自分の儲けにして、あらまし士隠に痩せた田畑とあばら家を押し付けた。士隠はすなわち読書人であり、農事のあれこれには不慣れで、なんとか一二年は持ちこたえたが、益々困窮してしまった。封粛は面と向かっては、適当なことを言ってお茶を濁すが、表面(おもてづら)と裏の本音があり、また士隠に生活力が無く、もっぱら美食ばかりして何もできないのを怨んでいた。士隠はこうしたことが分かり、心の中では未だ後悔の気持ちを免れなかったが、年をとって怯えがひどくなり、行き詰って憤懣やるせなかった。既に人生の終盤にさしかかり、貧しさと病に同時に襲われたのにはなんとか持ちこたえたが、遂にあの世の光景も次第に見えるようになってきた。折も折、この日は杖をついて身体を支え、街に出て気晴らしをしていると、ふとあちらからびっこの道士がやって来るのが見えた。気違いじみているが、細かいことには拘らぬ様子で、麻縄で編んだ靴、ぼろぼろの服を着て、口の中でぶつぶつ詞句を念じた。

  世人は神仙は「好し」と知るも、ただ功名を忘れられず。古今将相(将軍や宰相)
  何方(いずく)にか在る、(彼らの)荒塚は一堆の草に没す(了)。
  世人は神仙は「好し」と知るも、ただ金銀を忘れられず。終朝(終生)ただ恨む
 (金銀を)聚めるも多く無く、(金銀が)多き時に到るに(寿命が尽き)眼を閉ず(了)。
  世人は神仙は「好し」と知るも、ただ姣妻(美しい妻)を忘れられず。君生きれば日日恩情を
  説き、君死すれば又人に随いて去る(了)。
  世人は神仙は「好し」と知るも、ただ児孫(子や孫)を忘れられず。痴心(親ばか)の父母は
  古来多けれど、孝順(孝行)なる子孫を誰か見る(了)。

士隠はそれを聞き、道士を出迎えて言った。「あなたはずっと何を言っておられたのですか。「好了」、「好了」しか聞き取れませんでした。」その道士は笑って言った。「「好了」の二字を聞き取れたのなら、あなたは分かっておられる。世上の全ては、好ければ終わり(了)、終われば好しだ。終われなければ好くなく、好かれと思えば、終わらねばならない。私のこの歌は『好了歌』と言う。」士隠は生まれつき賢い人なので、こう言われるのを聞くと、心の中ではとっくに悟り、それで笑って言った。「お待ちください。わたしがあなたの『好了歌』に注釈を付けてみますが、如何ですか。」道士は笑って言った。「やってみなさい。」士隠はすなわち説いて言った。

  陋室(あばらや)や空堂(あきや)も、当年(当時)は(高官が朝廷に上る時手に持つ)
  笏(しゃく)が床(寝台)に積まれていた。荒廃した空き地は、曾ては歌舞場であった。
  蜘蛛の巣が彫刻を施した梁一面を覆い、高価な緑の紗も今はあばら家の窓に貼られている。
  口紅が濃いとか白粉(おしろい)が香るとか言って、今や(年老いて)両鬢が真っ白になって
  いる。昨日は隴山の墓地に死者の骨を埋めたと思ったら、今宵は婚礼で赤い沙の帳(とばり)の
  鴛鴦床で寝ている。金が箱に満ち、銀が箱に満つと思えば、目を転じれば乞食となり人に
  そしられる。人の命の長からざるを嘆いていても、まさか自分が死んで葬られようとは。
  家で厳しく躾けても、将来強盗盗賊にならない保証は無い。娘を富貴な家に嫁入りさせても、
  誰が最後には落ちぶれて女郎に身をやつすなど想像できようか。役人の官服の帽子が小さいと
  嫌がっていると、手枷足枷を付けられ刑場に送られる。昨日破れた上着の寒さを悲しんでいると、
  今日は紫の蟒蛇(うわばみ)の刺繍の官服が長いと嫌がる。ワイワイガヤガヤ、そちらが歌い
  終わればこちらの出番。他郷と思っていた所が実は我が故郷。実にでたらめ。結局、他人の
  ために花嫁衣裳を作ってやっているようなもの。

かの気違いでびっこの道士はそれを聞いて、手を叩き大笑いして言った。「正にその通り、その通り。」士隠は一声「行きましょう」と言い、道士が肩に担いでいた袋を奪って背負うと、遂に家に帰らず、気違いの道士と一緒に飄々と行ってしまった。

 すぐさま街は大騒ぎになり、人々はこの事件をあちこちに伝えた。封氏はこの知らせを聞くと、嘆き悲しんだが、父親と相談し、人を遣って方々を尋ね歩かすしかなかった。どこに消息があるだろうか。仕方なく、父母に頼って暮らすしかなかった。幸い身辺にはまだふたりの昔からの小間使いが仕えてくれていたので、主人と召使三人で、日がな針仕事をし、父親の出費を助けた。かの封粛は毎日不平をこぼしていたが、どうしようもなかった。

 この日、かの甄家の小間使いの女が門前で糸を買っていると、ふと街にお役人の先払いの声が聞こえた。人々は言った。「新しい知県様が赴任された。」小間使いが門の内に隠れて見ると、先見の小役人が一組一組通り過ぎ、俄かに大駕籠に担がれ、黒い官帽、赤い官服を着た役人がやって来た。この小間使いはぼおっとし、ひとり思った。「このお役人はやさしそうな顔つきをされている。はて、どこかでお目にかかったような。」そして部屋に入ると、もうそのことは忘れてしまい、気にかけなかった。夜になってちょうど寝ようとしていると、ふと声がして門が叩かれ、多くの人が口々に叫んで言った。「当県の知県様からのお使いがお尋ねである。」封粛はそれを聞いて、びっくりして呆気に取られた。どんな禍(わざわい)が起こったか分からない。まずは次回の講釈をお聞きください。

 これで第一回は終了。第二回は、甄士隠が失踪した後、残された彼の妻の姑の封粛が、新しく赴任した知県の呼び出しを受け、役所に出頭するところから始まります。乞うご期待。



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『紅楼夢』第一回・その(1)

2025年01月04日 | 紅楼夢
 皆さん、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 さて、2025年の第1回の投稿ですが、久々に『紅楼夢』を読んでいこうと思います。数年前に一度やりましたが、今回は改めて、細かい用語の解釈ではなく、物語全体の流れを見ながら読んでいきたいと思います。それでは、よろしくお願いします。

第一回

甄士隠は夢幻に通霊を識(し)り、
賈雨村は風塵(浮世)に閨秀(名家の娘)を懐(おも)う

 これはこの物語の第一回である。作者自ら云うに、曾て一度夢幻を見てから後、それゆえ真実を隠し、「通霊」(霊魂と対話、交流する能力)に借りてこの『石頭記』という書を書いた。それゆえ「甄士隠」zhēn shì yǐn(「真事隠」と発音が同じ。真実を隠す)と言うのである。けれど書に書かれたのはどんな人物のどんな事なのだろう。自らまたこのように言う。今の世の中で多忙に過ごすも、一事も成し遂げず、ふと当時見識った女性のことに思いがおよび、いちいち細かく比べるに、その行状見識が脳裏に浮かんだ。わたしは堂々とした男子であるが、誠にかの女性たちに及ばない。わたしは実に恥じ入るばかりであるが、悔いても益なく、如何ともし難いことである。今日ここに至り、曾て天の恩、祖先の徳に依り、きらびやかな衣装に身をつつみ、美食に飽きる日々を送るも、父兄の教育の恩、師友の訓戒の徳に背き、今日の一技も成せず、未熟で落ちぶれるという罪を負ったからには、一書を編纂し、以て天下に告げんと欲するのである。わたしの負った罪はもとより多いが、閨房の中にはひとりひとりりっぱな人物がおり、万に一つ、わたしが不肖で、自ら己の短所を弁護するあまり、一緒にそれらを忘れ去らしむことは許されないのである。それゆえたとえ茅葺のあばら家に住み、粗末な竈(かまど)や器を使っていても、決してわたしの気概を妨げるに足るものではない。ましてやかの朝(あした)の風や夕べの月、階(きざはし)の柳や庭の花々は、なおさら筆遣いを豊かにしてくれる。わたしは学問も無いが、それでも何ら村人の言葉を借りて、いいかげんなことを書くのを妨げるものではないし、また閨房での出来事を伝えることで、一時の憂さを晴らし、同人たちの目を惹くのも、また宜いのではないか。それゆえ「賈雨村」jiǎ yǔ cūn(「賈雨」は「假語」(うそ)と発音が同じ。假語存cúnうそを残す)と言うのである。さらに文章中に「夢」「幻」などの文字を使うことで、この書物の本来の趣旨を示し、且つ読者に気づかせる意味を含ませているのである。

 読者の皆さん、この物語はどこから説き起こすのでしょうか。話は荒唐無稽に近いが、細かく見てみると頗る味わいがある。さて、女媧氏は石を煉って天を繕った時、大荒山無稽崖に高さ12丈、四方が24丈の大きさの頑石3万6千5百と1個を錬成したのだが、かの媧皇(女媧)は3万6千5百個だけを用い、ただ1個が使われることなく、青埂峰の下に棄てられた。誰知ろう、この石は自ら鍛錬の後、霊性が既に通じ、自ら行き来ができ、大きくも小さくもなることができた。他の石たちが天を繕うことができたのを見て、ただ自分ひとりだけが才無く、選ばれることができなかった。遂に自ら羞じ恨み、日夜悲哀に暮れた。

 ある日、ちょうど悲しみに暮れていると、にわかにひとりの僧侶、ひとりの道士が、遠くからやって来るのが見えた。ふたりの身なりは普通でなく、態度や風格が特別であったが、青埂峰の麓まで来ると、地面に座っておしゃべりを始めた。この明るく輝くきれいな石を見ていると、扇墜(扇の柄にぶら下げる飾り)の大きさに縮まり、たいへん可愛らしかった。その僧侶は手のひらに載せ、笑って言った。「形から見ると、まあ不思議なものだ。ただ実際に良いところが分からないので、いくつか文字を刻んでやって、見る人々におまえが珍奇なものだと分かるようにせんとな。それからおまえを携え、かの栄え発展した国や、高位高官の一族、繁華な街並み、温かく仲睦まじく、豊かな村々を廻るとしよう。」石は話を聞くと大いに喜び、そこで尋ねた。「どんな文字を刻むんですか。どこへ連れて行ってくれるんですか。どうか教えてください。」その僧侶は笑って言った。「君、しばらくは聞かないで。そのうち自然と分かるから。」言い終わると、石を袖の中にしまい、その道士と共に、飄然と行ってしまい、遂に何処へ向かったか知れなかった。


それからまた何世何劫が過ぎたか分からないが、空空道人という人が道術や不老不死の法を求め、大荒山無稽崖青埂峰の下を通ると、ふと大きな石が見え、その上に文字がはっきりと書かれ、かくかくしかじかと述べられていた。空空道人はそこで最初から読むと、実は才無く天を繕うことができず、形を変え現世に入り、かの茫々大士、渺渺真人に携えられ紅塵に入り、彼岸(仏教の悟りの境地)に連れて行かれた頑石であった。その文には堕落の郷、生を受けるところ、家庭内の細々とした事柄、閨房でのやりとり、詩やなぞなぞなど、何でも揃っていた。ただいつの王朝のどの年代の話であるのかが、分からなかった。後ろにはまた偈頌(げじゅ)があり、こう記されていた。

  無才蒼天を補う可からず、紅塵に枉(まぎ)れ入る若許(いくばく)年。此は身前身后の事、
  誰か倩(やと)い記して奇伝を作らん。

 空空道人は一度読んで、この石の来歴が分かると、遂に石に向かって言った。
「石さん、あなたのお話は、ご自身が言われるところによれば、幾分おもしろみがあり、それゆえここに刻み、世に問いたい伝奇であるとのことですが、わたしが読んだところ、一つ目にどの王朝のどの年のできごとか分からず、二つ目に、別段賢者や忠義者により、朝廷を管理し、風俗を治め善政を行う話では無く、ただその中で何人か変わった女性が、痴情を交わしたり、ちょっとした才気を発揮するだけです。わたしがたとえこれを書き写しても、奇書とは見做せないでしょう。」石は果たしてこう答えた。「我が師がどうして大馬鹿者と申せましょう。わたしが思うに、歴代の野史の王朝の年代は、仮に「漢」や「唐」の名称を借用しないものはありません。我がこの石が記するように、こういうやり方を採らず、自らの実情ややり方に基づくのが、却ってこの上なく新鮮と言えるのです。ましてやそうした野史の中には、君主や大臣をあざけったり、皇后や妃を貶めたり、姦淫、凶悪など、枚挙にいとまがありません。また専ら男女の色ごとを書いて、そのみだらで汚いものは、最も子弟に悪影響を与えます。才子佳人などの書に至っては、口を開けば「文君」、一篇全部が「子建」で、全く画一的で、遂には淫乱に関わらざるを得なくなる。作者が自ら二首の情愛を詠った詩や賦を書き、男女ふたりの名前をひねり出し、また必ず傍らにはひとりの小者がその間をそそのかし、まるで芝居の道化のよう。もっと煩わしいのは、「之乎者也」(なり・けり・べけんや)と、非合理に文人を気取り、人の情理に合わず、自己矛盾を引き起こしてしまうことです。結局わたしがこの半生、自ら見聞きした何人かの女性は、昔の書物の中の人物に勝るとは敢えて申せませんが、その事跡や事の顛末を見れば、愁いを消し憂さを晴らすことができます。何首かのよこしまな詩にしても、噴飯ものでも酒の肴にはなります。その間の離合集散の喜びや悲しみ、盛衰のめぐり合いは、共に一定の手がかりや痕跡に基づき真相を尋ねることができ、敢えて多少のこじつけを加え、その真実を失うに至ることがないのです。ただ世の人が酒に酔って眠りから醒める時や、事を避け愁いを消す時に、これを弄べば、旧きを洗い流して気持ちが新たになるだけでなく、寿命や体力を温存でき、これ以上不合理なものを追求する必要がなくなります。我が師のご意見は如何でしょうか。」

 空空道人はこのように言われたので、しばらく思い量り、この『石頭記』をもう一度読み返してみたところ、上記の大意は情実を述べたに過ぎず、またただ実際に起こったことを記録しただけで、決して時世を嘆き、他人に淫らな気持ちを起こさせる弊害は無いことが判ったので、そこでようやく頭から終わりまで書き写し、世にこの奇妙な物語を問うたのである。これより空空道人は、空により色を見、色から情を生じ、情を伝えて色に入り、色より空を悟り、遂に情僧と改名し、『石頭記』を『情僧録』に改めたのである。東魯の孔梅渓が題して『風月宝鑑』と言った。後に曹雪芹は悼紅軒にてこれを十回読み、五回添削し、目録を編纂し、章や回に分け、またその題を『金陵十二釵』と名付け、且つ一絶を題した。すなわちこれが『石頭記』の縁起である。詩に言う。

  満紙荒唐の言、一把(つかみ)の辛酸の涙。みな言う作者は痴なりと、誰かその中味を解すか。

 『石頭記』の縁起が明らかになった上は、正にその石の上に何人何事を記しているか知らず、読者の皆さん、お聞きください。

 その石の上の書によれば、当時地が東南に陥没したが、その東南に姑蘇城有り、城内に閶門があり、最も紅塵(俗世)の中でも一二等の富貴、風流の地である。この閶門外に十里街があり、街の中に仁清巷があり、巷内に古廟があった。その土地が狭隘で、人々はこれを「葫芦廟」と呼んだ。廟の傍らに、ある郷宦(官を辞し故郷に帰った元役人)の一家が住んでおり、姓を甄、名を士隠と言った。正妻を封氏と言い、賢く貞淑で、礼儀を深く理解していた。家はあまり豊かではなかったが、当地でも彼を名望家として尊敬していた。この甄士隠は生まれつき無欲で、功名を求めず、毎日花を眺め竹を植え、酒を酌み詩を吟じるのを楽しみとし、つまり仙人のような人物であったが、ひとつ足らないものがあり、齢五十を越えるも、後継ぎの息子がおらず、ただひとりの娘は、幼名を英蓮と言い、年はようやく三歳になったところであった。

 ある日夏の暑い日の昼下がり、士隠は書斎でぼんやり座っていたが、倦み疲れ書を放り投げ、机に伏してしばらくの間眠ってしまったのだが、思わず朦朧とした中、あるところまで歩いて来たのだが、そこがどこかは分からなかった。ふとそこの母屋に僧侶と道士がやって来て、歩きながら話をしていたが、道士がこう尋ねるのが聞こえた。「あんたはこんなものを持って、どこに行こうとされているんじゃ。」僧侶は笑って言った。「安心しろ。今ちょうどある色恋沙汰の事件を、正に解決せにゃならんのだが、この色恋の敵役はまだ生を受け社会に出ていないので、この機会に、こいつをこっそり持ち込み、経験をさせてやろうと思うんだが。」道士が言った。「なるほど間もなくこの色恋の敵役がまた世に出て劫を積むのですな。して何処に始まり、どちらに行かれるのか。」僧侶の言うには、「このことは言うも可笑しなことだが、当時この石は、媧皇(女媧)が使ってくれなかったので、自分でも勝手気ままに振舞い、あちこち遊びまわり、ある日警幻仙人のところに来たのだが、その仙人は石の来歴を知っており、石が赤霞宮の中に置かれていたことにより、赤霞宮神瑛侍者と名付けた。石はいつも西方の霊河の岸を歩いていたが、その霊河の岸の三生石畔に「絳珠仙草」が植わっていて、たいへん姿が美しく可愛らしかったので、毎日甘露をかけてやったので、この「絳珠草」は長寿を得ることとなった。後に天地の精華を受けただけでなく、甘露の滋養も得て、遂には草木の身体から脱け、人の形に変化し、ただ女体になるのを覚え、一日中「離恨天」で遊んだ他、腹がすくと「秘情果」を食べ、喉がかわくと「灌愁水」を飲んでいた。ただまだ灌漑の徳に報いていなかったので、五臓内の鬱気が身に纏わりついて尽きなくなり、いつも「自分は雨露の恵みを受けたが、まだこの水のお返しをしていない。石がもし下界に降りて人間になられるのなら、わたしも一緒に行って一回りし、わたしの一生のすべての涙でお返しすれば、十分なお返しと言えるだろう。」このことがあって、多くの色恋の仇たちが皆下界に降りて、幻の世界を形作った。かの「絳珠仙草」もその中に含まれた。今、この石は正に下界に降りるところだったので、わたしが特にこの石を警幻仙子の机の前に連れて来てやって、登録をし、これらの色気狂いたちと一緒に下界にやれば、一件落着だ。」その道士は言った。「なるほど、可笑しなことだな。これまで「涙を返す」なんて言い方は聞いたことがない。この機に我々も下界に降りて何人か解脱させてやるのも、功徳というものではないか。」その僧侶は言った。「正に拙僧もそう考えておった。あんたはしかもわたしと警幻仙子宮の中に来たんだから、この「やくざ者」をきっちり受け渡しし、この色恋のよこしま者が下界に送られるのを待って、われわれも出立いたそう。今は半分は下界に行ったが、まだ全部は揃っていないからな。」道士は言った。「こうなったら、あんたに付いて行こうかの。」

 さて、甄士隠はすべて聞いてよく理解し、遂に前に進み出て一礼し、笑って「ご両人、ごきげんよう」と挨拶するのを禁じ得なかった。その僧侶も急いで答礼し、互いに挨拶した。士隠はそれでこう言った。「ちょうど貴僧らが言われる因果を伺いましたが、実に人間世界ではあまり聞かないことです。わたしは愚鈍で、おっしゃったことがよく分かりません。もし愚鈍、無知を大いに啓蒙いただき、詳しくお聞かせいただければ、わたくし耳を洗って聞かせていただきます。多少なり悟ることができ、深い苦しみにはまりこむのを免れることができます。」ふたりの仙人は笑って言った。「これは玄妙な道理であり、予め漏らすことはできない。その時になって、我々ふたりを忘れていなければ、生き地獄から脱することができよう。」士隠はそう聞くと、再び尋ねることができず、それで笑って言った。「玄妙な道理はもとより漏らすべきものではないですが、ちょうど「やくざ者」と言われたのは、どんなものでしょうか。或いは見てみることはできるでしょうか。」僧侶は言った。「こいつのことを尋ねられるなら、ある面、ご縁もあることじゃて。」そう言いながら、取り出して士隠に手渡した。

 士隠は受け取って見てみると、それは鮮やかな美玉であり、その上には文字がくっきりと見え、「通霊宝玉」の四文字が刻まれていた。裏側には何行か小さな文字が書かれ、それを子細に見ようとすると、僧侶が「もう幻境に着いた」と言い、無理やり手の中からそれを奪い去り、道士と遂に大きな石の牌楼を過ぎた。その牌楼は、上に大きく「太虚幻境」の四文字が書かれ、その両側には対聯があり、こう書かれていた。

  假が真になる時、真も亦假。無が有に為る処、有は無に還る。

 士隠はついて行こうと、ちょうど足を挙げると、突然雷鳴が聞こえ、山が崩れ地面に穴が開くかのようで、士隠は大きく叫び声を上げ……目を開けてあたりを見ると、厳しい日差しが照りつけ、芭蕉の葉が垂れ、夢の中のことは、大半を忘れてしまった。すると乳母が英蓮を抱いて入って来た。士隠が娘を見ると、皮膚は益々おしろいを塗ったように真っ白で、聞き分けがいいのが喜ばしく、手を伸ばして引き寄せ、胸の中で抱きかかえると、ひとしきりあやした後、娘を連れて街に行き、縁日の賑わいを見に行った。ちょうど廟に入ろうとしていると、あちらから僧侶と道士の二人連れがやって来るのに出会った。僧侶はしらくも頭に裸足、道士はびっこでぼさぼさ頭、見た目は気違いのようであったが、自由気ままに談笑しながらやって来た。彼らの前まで来て、士隠が英蓮を抱いているのを見ると、その僧侶は大きな声を上げて泣き出し、士隠に言った。「施主様、おまえ様はこの不運な運命で、類が父母に及ぶものを胸に抱かれて如何なされるのか。」士隠は聞いていたが、気違いの言うこととて、相手にしなかった。僧侶はまた言った。「わたしにくだされ。わたしにくだされ。」士隠は我慢できず、娘を抱いて向こうを向き入って行こうとすると、その僧侶は彼を指さしながら大声で笑い、口の中で次の四句の言葉を念じた。

  甘やかして育てるおまえの痴を笑う、菱の花は虚しくしとしと降る雪に遇う。
  くれぐれも注意あれ元宵の佳節の後、つまり煙が消え火が滅する時。


 士隠はこう聞き取れたので、彼らにどういうことか聞こうと思ったが、ためらっていると、道士がこう言うのが聞こえた。「我らは一緒に行く必要がないから、ここで分かれるとしよう。各々やるべきことをやったら、三劫の後、わたしは北邙山であんたを待っているから、また出会ったら、太虚幻境へ行って方(かた)をつけよう。」僧侶は言った。「それは妙案じゃ。」言い終わると、ふたりは行ってしまい、もう再びその姿を見ることは無かった。士隠は心の中で思った。このふたりはきっといわくがあるに違いない。一言聞いておくべきだったが、今となっては後悔してももう遅い。

 本日はこれまで。『紅楼夢』第一回の続きは、次回に投稿します。
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《紅楼夢》の中の節句行事(5) 中秋節[その2]

2011年09月12日 | 紅楼夢

 ※ 口絵は、凸碧堂中秋賞月図

 今回は、中秋節の続きです。過年、元宵節もそうですが、娯楽の少なかった当時に於いて、これらの節句は夜通しはめをはずして騒げる数少ない機会であったことから、宴会が終わっても、すぐに寝てしまうのでなく、ゲームをしたり、詩を作って競い合ったり、という場面が描かれています。

■[1]
 ( ↓ クリックしてください。中国語原文が表示されます)


・壁廂 bi4xiang1 このあたり。あのへん。
・煩心 fan2xin1 心を悩ます。心配する。
・古往今来 gu3wang3 jin1lai2 [成語]昔から今まで。古今を通じて。
・后半夜 hou4ban4ye4 夜の12時から夜明けまでの時間。
・鳴咽 wu1ye4 むせび泣く声。
・嫋嫋 niao3niao3(簡体字では“鳥”の下に“衣”)音声が長く響いて絶えないさま。
・聯詩 lian2shi1 日本の連歌のように、一人が五言や七言の句を発すると、次の人がそれに和して、韻を踏むなどの体裁を取って、それに続く五言或いは七言の対句を返すこと。

□ “撃鼓傳花”の遊びが終わっても、ご隠居様のお気持ちは猶尽きず、「こんなに佳い月なら、笛の音を聴かなくっちゃ」と言われた。しばらくすると、「あのキンモクセイの樹の下あたりから、むせびなくような、抑揚のある、笛の音が聞こえてきた。この、月が輝き風は澄渡り、空は晴れ地面には塵一つ無い時に乗じて、人々の心の悩みをしばし解き放たせ、全ての愁いは除かれ、皆ひっそりと畏まって座り、黙って月を見上げていた。茶を二杯喫するほどの時間、笛の音に聴き入っていたが、それが止まるや、皆は口々にそれを称賛し、止まることがなかった。」笛の音はたいへん美しかったが、もの寂しい美しさで、古今を通じて、あらゆる笛に関する描写、例えば、「山の南の笛の残響は聞くに堪えず」、「旧きを懐い空しく吟じ、笛の賦を聞く」など、ほとんど全てが悲惨で悲しい意味を帯びている。果たして、夜ふけになると、さわやかな風が月夜に吹きぬけ、あたりは灰色に染まり、「ただキンモクセイの蔭に、むせび泣くように、長く絶え間なく、再び笛の音が発せられ、その結果先ほどより一層もの寂しく感じられた。皆静まり返って座っていた。静かな月夜に、笛の音の物悲しさが加わり、ご隠居様のように年老いて酒に酔った人は、このような音を聞くと、心を動かされ、涙が落ちるのを止めることができなかった。人々はお互いにもの寂しい気持ちになるのを禁じ得ず、しばらくして、ご隠居様が泣かれているのを知ると、急いでご隠居様に向かって作り笑いをし、言葉をかけて取り繕った。更に暖かい酒を持ってくるように命じ、笛をやめさせた。」
 このむせび泣くような笛の音の中で、二人の人物がこの場を離れた。それは林黛玉と史湘雲であった。二人は水辺の凹晶渓館に来ると、その風景に感動し、しばらくの間、それを詩に詠み、相手がそれに和して返すというやり取りをしていた。二人の詩才はその詩の中に余すところなく表現され、その中の一句、「寒き池に渡る鶴の影、冷たき月は花の魂を葬る」は尚更に静寂な美しさが絵の中に描き切られ、妙なる玉がそれを聞いても、悲しみに涙するとも、怪しむに足りないほどであった。

■[2]


・闌干 lan2gan1 “欄干”に同じ。五言詩や七言詩は、同じ字数の語句が並んでいるので、その形を欄干に見立てた。
・対仗 dui4zhang4 詩の修辞法の一つで、字音の平仄や字義の虚実を考えて対句を作ること。
・粘対 zhan1dui4 律詩の平仄の規律。平には平がくっつく(“粘”)、仄には仄がくっつく、という意味。
・四声八病 si4sheng1 ba1bing4 南朝斉の永明年間、周顒zhou1yong2が《四声切韻》で“平上去入”の四声を唱え、沈約が四声の区別と伝統的な詩賦の音韻知識を結合させ、五言詩を作る時に避けないといけない音律上の問題を規定し、後の人がこれを“八病”と称した。
・向晩 xiang4wan3 夕方
・闕如 que1ru2 欠如
・懺語 chen4yu3 不吉な予言
・脂硯斎 zhi1yan4zhai1 小説《紅楼夢》の初期の印刷出版の版元で、小説に注釈やコメントを加えた批評家。
・俟 si4 待つ
・江郎才尽 jiang1lang2 cai2jin4 [成語]江郎、才尽く。文筆の才能が衰えることの喩え。南朝の江龍は若いころ才で名を挙げながら、晩年は詩文に佳作が無かったことによる。

□ 林黛玉と史湘雲が“聯詩”のやりとりをする際、先ず韻を選ぶ遊び、“数闌干”(“欄干”を数える)をした。これはどういうことだろうか。実は、嘗ては詩を書く時の要求がたいへん厳格で、押韻、平仄、対仗、四声八病などに気をつけなければならなかった。当時の韻には順番がついていて、一東、二冬、三江、四支、五微、六魚などと続き、最後が十三元、十四寒であった。平声は更に上平声、下平声に分かれ、この他、上声、去声、入声にもそれぞれ韻の部分の順番があった。黛玉はこう提案した。「この“欄干”(詩の一句)の棒の部分を数えてみましょう。この頭のところからあの頭のところまでです。それが何本目かによって、それに合った順番の韻を用いることになります。」二人は13本の欄干(詩句)を数えたので、十三元の韻を踏む必要がある。けれどもここで問題があり、つなげられた詩の語句の韻脚は“門”、“昆”、“痕”などで、それと“元”にはどんな関係があるのか。実は、十三元の韻は、当時は “元”は、 “門”、 “昆”、“痕”と同じ韻部にあり、したがって韻を踏んでいることになるのだ。例えば:“向晩意不適,駆車登古原(夕方、気分がすぐれなかったので、車を駆って古原に上った);夕陽無限好,只是近黄昏(夕陽はとてもすばらしかったが、程なくたそがれて暗くなった)”がその一例である。
 中秋の夜宴で賈宝玉、賈環、賈蘭は三首の詩を作った。この三首の詩は物語では、ただ賈政に渡して見てもらった云々とされているが、三首がどのような詩であったかは、物語では触れていない。《紅楼夢》の中の詩は多くが不吉な予言手か性質を帯びており、後ろの物語の伏線となっている。この回の題目は「中秋の新たな詞を賞し、佳懺(佳い予言)を得る」である。明らかに、家運が傾いている中で、これらの詩はたいへんめでたい吉兆である。脂硯斎はここでこうコメントを加えている:「中秋の詩の欠落は、雪芹を待つ」、つまり、この三首の詩が暫時欠落していることについては、曹雪芹が完成されるのを待つ、と言っている。《紅楼夢》には二百首近い詩や賦があるが、それぞれ特色があり、作者の才気や智慧を充分に表しているが、ひとりこの中秋の夜宴では、一貫して詩を用いて未来を予言し、運命を暗示するのに長けた曹雪芹がこの三首の中秋の詩を書いていないのは、「江郎、才尽く」で能力が衰えたのか、それとも別に隠れた理由があったのだろうか。

■[3]


・秋爽斎 qiu1shuang3zhai1 《紅楼夢》の中で、大観園の中の建物の一つ。
・藕香榭 ou3xiang1xie4 これも、大観園の中の建物の一つ。“榭”とは、四方を展望できるように造った高殿。
欣欣向栄 xin1xin1 xiang4rong2 [成語]草木がすくすく伸びる。勢いよく発展すること。
・粛殺 su4sha1 厳しい秋や冬の寒さが草木を枯らす。
・愁緒 chou2xu4 憂慮。心配。
・凄風苦雨 qi1feng1 ku3yu3 [成語]寒い風と冷たい雨。悲惨な境遇の喩え。
・炎涼 yan2liang2 暑さと涼しさ。転じて、人情の移り変わりの激しさの喩え。相手の地位などが変わると、すぐに態度を変えること。[用例]人情冷暖,世態~(人情は変わりやすく、世間は薄情なものだ)
・糟粕 zao1po4 滓(かす)。

□ 本来、中秋の佳節は、一家団欒を祝う祝日である。大観園が真っ盛りであった時期には、秋爽斎で海棠社を結成し、藕香榭で菊の花を題した詩を作って競い、大観園は勢いよく発展するにぎやかで盛んな情景を呈していた。然るにこの時の大観園はちょうど「役所の取り調べを受ける」騒ぎがあったばかりで、厳しい冬の時代の情景であった。こうした情況の下、皆ふつふつとふさぎ込んで歓び少なく、精神を鼓舞してうら寂しい中秋節を過ごそうとしたのであった。曹雪芹はここまで書いてきて、既に頭の中は憂いで一杯であったに違いない。自分自身の栄華から衰退、度重なる一族のもめ事が連想され、どうしてまた良い予言となる詩を考えようという気持ちになれるだろうか。だから、気持の上で、言葉にならず、書くことができなかったという可能性が、能力が衰えたので書けなかった可能性よりずっと大きい。
 曹雪芹の筆による中秋節は美しく華麗であるが、もの寂しくもある。悲惨な境遇により作られた物悲しい心境は、彼の筆に無限の霊感と力を与えた。正にこうした心境が、その重々しいけれどもバランスを崩していない精神の筆に触れて、中秋をより深化させ、中秋に詩意を持たせ、濃く解けることのない愁いの雲にし、読者の心の中で固まり、いつまでも振り解こうにも解けない……

 課題研究はこれで終了する。けれどもこの幾つかの重要な節句行事から分かってくるのは、単なる伝統文化の話ではなく、これらの節句を通じ、物語の中のたくさんの、そして現実の生活の中での人情の移ろいやすさと世間の薄情さを説明しているのである。だから、私がこのテーマで主に研究しているのは、古典作品の研究だけでなく、古典作品の背後の、後世の人々に残された貴重な財産の研究であり、現象を通じて本質を理解することである。私たちはこのことを理解し、時が来ればできるだけそれを継承し、それを発揚させ、再び育てると同時に、かすを除き、精華を留め、世界に我々民族の財産を残していくこと、これこそが私の最終目的である。

        -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 以上で、《紅楼夢中的節日》の全文の紹介を終わります。最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。なにかご質問がございましたら、遠慮なくお問い合わせください。


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《紅楼夢》の中の節句行事(4) 中秋節[その1]

2011年09月10日 | 紅楼夢

 ※ 口絵は、“撃鼓傳花”、宴会の余興として行われたゲーム

 紅楼夢の中で取り上げられている節句行事、最後は中秋節です。ここでも、中秋節が物語の展開に重要な役割を果たしています。この部分の説明もやや長いので、二回に分けます。

■[1]
 ( ↓ クリックしてください。中国語原文が見られます)


・当下 dang1xia4 即刻。すぐさま。
・羊角灯 yang2jiao3deng1 透明な角質で覆いを作った照明。羊の角を切って、それを煮て作ったことからこの名がある。
・斗香 dou3xiang1 線香を一束に束ねたもの。燃やすと煙や火が盛んに出るので、祖先に対する敬虔さを表すものとされた。
・伏筆 fu2bi3 伏線。“暗筆”ともいう。・嘆惋 tan4wan3 ため息をついて惜しむ。
・皎潔 jiao3jie2 (月が)白く光って明るいさま。

□ 「月の明かりに灯の彩り、人々の息吹に線香の煙」 
 《紅楼夢》第75回で、寧国府は一日前に「中秋節」を過ごし、人々は「西瓜と月餅は全て揃ったので、後はそれを分けて皆に送るだけ」という状態になっていた。翌日、ご隠居様は賈珍に言った:「おまえが昨日送ってきた月餅は上等だ。西瓜は見たところ良さそうだけど、切ってみないとね。」賈珍は笑って言った:「月餅は新しく来た点心専門の料理人が作ったもので、私も試してみましたが、予想通り良かったので、お贈りできると思いました。西瓜は例年はまずまずでしたが、今年はどうも良くないかもしれませんよ。」ここから、西瓜と月餅が中秋節で並んで取り上げられる、無くてはならない食品であったことが分かる。したがって“瓜餅”(西瓜と月餅)、“瓜餅酒”(西瓜と月餅と酒)という言い方があり、例えばご隠居様が人々を連れて屋敷内をお祝いの挨拶に回る時、本ではこう書かれている:「すぐさま屋敷の正門は悉く開け放たれ、大きな明かりが吊るされた。嘉蔭堂の前のバルコニーの上では、大いに線香を焚き、蝋燭の光を手に持ち、西瓜と月餅、その他様々な果物やお菓子を並べていた。」ここで“各色果品”とあるように、他は簡略にして一々書かなくてもよいが、“瓜餅”、西瓜と月餅は無くてはならないものなのである。
 中秋節は民族の習俗的色彩の濃い節句で、人々は月明かりの下で酒を飲み、足を踏み鳴らして歌を歌い、賑わいは夜通し、明け方まで続くだけでなく、故人を懐かしみ、一家団欒を願うための祝日である。《紅楼夢》の中では二回、中秋の晩が描かれ、何れも物語の重要な転機となっている。正にいわゆる「人には悲しみと楽しみ、別れと出会いがあり、月には曇りと晴れ、満ち欠けがある」であり、物語中の人物の秦可卿が言うように、「水は満ちれば溢れ、月は満ちれば欠ける」で、比類無く賑やかな中秋の夜宴の中に、作者は巧妙に玄妙な道理の伏線を埋め込み、月を隠喩にして、楽しそうな情景によって悲しみを描き、物語中の人物が、読者をしてため息をつきて惜しませる運命を、白く輝く月光と見かけの派手やかさの下に潜ませている。

■[2]


・聯袂 lian2mei4 手を携えて。[用例]~而往(いっしょに行く)
・開場白 kai1chang3bai2 前口上。
・寓懐 yu4huai2 想いを託する。“寓”は意味を含ませること。
・口占 kou3zhan4 口ずさむ。原稿を書かないで、気の向くままに話をすること。即興の詩を自由気儘に唱えること。
・潦倒 liao2dao3 落ちぶれる

□ 《紅楼夢》の最初の第1回に中秋節を書き、物語全体の始まりとしている。作者は甄士隠、賈雨村の二人を鍵となる意味を備えた人物として同時に登場させている。一人は“真事隠去”(真実を隠し去る。“甄士隠”と“真事隠”は中国語の音が同じ(“諧音”xie2yin1という))、もう一人は“假語村言”(うそや粗野なことば。“賈雨村”と“假語村”は“諧音”)で、両者は手を携えて《紅楼夢》の実際の意味での前口上となる話を完成させている。賈雨村は都へ出て功名を上げることを望んだのだが、懐具合が乏しかったので、甄家の隣の瓢箪廟に下宿していた。ある時、偶然の機会に、彼は甄家の下女の嬌杏を見かけ、中秋の夜、月に想いを託し、五言の律詩を口ずさんだ:「未だ三世の契りを占わざるに、頻りに一段の愁いを添う。悩ましき時、額に皺寄せ、行きては何度も振り返る。自ら浮世に一人居るも、誰か月下の伴侶にふさわしからん。月光よ、もしその意あらば、先に楼に上りてその美人を照らせ。」白く光る月光は、彼にまとわりついた恋心を燃え上がらせ、また彼の盛んな野心を呼び覚まさせた。
 《紅楼夢》の出だしは末世の悲観に満ち、落ちぶれた書生の自負心と軽度の狂騒、蘇州の名家での事件と没落が、ある種の牽引力となり、全篇、人の世の無常という悲劇性が基調を成している。こうした基調の下では、如何に楽しい情景やにぎわいを描いても、ある種のむなしさを帯びる。それゆえ、《紅楼夢》の一番目の中秋節は、小から大を見、小さな栄枯盛衰を伏線として、大きな栄枯盛衰を予告しているのである。

■[3]


・灯紅酒緑 deng1hong2 jiu3lv4 [成語]あかいともしび、緑の酒。ぜいたくで享楽的な生活のたとえ。
・本応 ben3ying1 本来ならば……すべきである。
・守制 shou3zhi4 昔、父母が死ぬと、その子は27カ月、家に閉じこもって身を慎み、官職にある者は必ず一時その職を退いたことをいう。
・酒酣耳熱 jiu3han1 er3re4 酒が回って顔がほてる。“酣”は気持ちよく存分に酒を飲むこと。
・恍惚 huang3hu1 どうも……のような気がする。(中国語の“恍惚”は、「ぼんやりする」という意味で、日本語の恍惚の「うっとりする」という意味はない)
・隔扇 ge2shan 部屋の仕切り板。紙、またはガラスをはめ込んだ板製の戸を屏風のように連ねたもの。部屋の入口としても使う。“格門”ともいう。(“隔”は「木」偏を使うこともある。発音は同じ)


・森森 sen1sen1 うす暗く、陰気で、薄気味悪いさま。
・詭譎 gui3jue2 怪しい。奇怪な。
・毛骨悚然 mao2gu3 song3ran2 [成語]恐ろしくて、身の毛がよだつ。ぞっとして、鳥肌が立つ。
・怪力乱神 guai4li4 luan4shen2 怪異現象、妖怪の存在。
・看官 kan4guan1 読者
・隠約 yin3yue1 かすかなさま。はっきりしないさま。
・描摹 miao2mo2 描写する。
・觥筹交錯 gong1chou2 jiao1cuo4 酒宴が盛んに行われるさま。“觥”は昔、獣の角で作った酒器。
・天倫之楽 tian1lun2 zhi1 le4 一家団欒の楽しみ。“天倫”は、親子兄弟の関係(これは自然の秩序であることから)をいう。
・温情脉脉 wen1qing2 mo4mo4 [成語]人や物に対し、やさしい感情がこもっているさま。まなざしに愛情がこもっているさま。
・面紗 mian4sha1 女性がかぶる、ベール。

□ もう一回の中秋節に関する描写は第75回である。この回では、一家が団欒し、贅沢な飲食を享受しているのだが、繁華でにぎやかな背後には、悲しさ、さびしさの霧が次第に広がってきている。中秋の前夜、本来ならば賈敬のため喪に服さなければならない賈珍は、大々的に一族の宴席を催し、簫の演奏や歌を聴き、月を愛でて楽しんだ。ちょうど酒が回って顔がほてってきた時、突然壁の下あたりから長いため息が聞こえてきた。「一言も発せず、ただひとしきり風の音が聞こえるばかりで、やがて壁越しに消えていった。ふと祀堂の中の折戸が開いたり閉じたりする音が聞こえてきた。」この時の情景は「薄気味悪く、月明かりもうす暗く」、元々こっそりどんちゃん騒ぎをしようと思ったのに、楽しめずに終わった。不思議な怪奇現象を書いて、読む者をぞっとさせている。
 曹雪芹が怪異現象や妖怪の存在を信じていたかどうか、祖先の霊魂のようなことを信じていたかどうかは、知る由も無い。曹雪芹はふと聞こえてきたため息によって、中秋節前のこの時の一族の宴会は、実は不吉の兆しであったと、読者の注意を喚起したのである。行間に、私たちはかすかに、悲劇の序幕が既に開き、百年続く名門の一族が正に一歩一歩衰亡に向かおうとしていることが見てとれるのである。
 その後、作者は再び栄国府が凸碧山庄で中秋の夜宴を催すところを描写した。ご隠居様は一家の者全員を連れて線香を手向け月を拝み、月餅を賞味した。月明かりと提灯の火の下で、酒宴が盛んに催され、たいへん賑やかである。酒が三巡すると、ご隠居様は皆に“撃鼓傳花”の遊びをするようお命じになり、負けて罰として酒を飲まされたり、冗談を言ったりして、この大家族の一家団欒の楽しみを思う存分に描き出した。しかしながらこのやさしさに満ちたベールが破られると、家族の内部に隠されていた様々な矛盾が遂に水面に浮かび上がり出した。

■[4]


・心火 xin1huo3 癇癪。漢方で、人体の臓器に発生する熱のこと。漢方では、この熱が様々な病気を引き起こす原因と考えられている。
・肋条 lei4tiao 肋骨。あばら骨。
・遮掩 zhe1yan3 遮り隠す。ごまかす。
・避忌 bi4ji4 禁句を言わない。忌み嫌う。タブーとする。
・前程 qian2cheng2 官吏の資格。官職。
・庶 shu4 妾腹の。
・長房 zhang3fang2 長男の家系。
・二房 erfang2 妾。側室。
・嫡 di2 嫡出の。

□ 先ず賈赦が冗談を言ったのだが、そのためご隠居様を怒らせてしまった。この冗談の内容は、鍼灸をやるばあさんに来てもらって癇癪の治療をしてもらったのだが、針がつぼに刺さらず(中心に刺さらず)、あばら骨に刺さっただけと、こう言ったのである。ご隠居様はそれを聞かれて、いくらか皮肉の意味を感じられた。それでこう言われた:「私もその婆さんに針を打ってもらった方が良いね。」(自分が“偏心”、つまり公平でなく依怙贔屓をしていると皮肉られたので、“心”に針を打ってもらったら依怙贔屓は直るね、と返した。)賈赦はそれを聞くと、大慌てでごまかして言い訳をした。それから、賈政と賈環の詩の評価をしたのだが、その時タブーを避けるのを忘れた。賈政は賈環の詩の語句の中に勉強が嫌いであるという意味が込められているように感じ、「おまえと宝玉の二人は、「二つの難物」と並び称すことができる」と言った。一方、賈赦がこの詩が通り過ぎようとする時、続けざまに褒めて、賈環に言った:「今後はこのようにしよう。そうして初めて私たちの言葉になるし、将来の世襲の資格も定まり、おまえが跡継ぎ間違いなしになる。」
 爵位の継承者はただ一人で、何人もが分担できるものではない。賈環は賈宝玉の弟で、めかけの子供であり、この世襲の資格がどうして彼の手に来ることがあろうか。これはなぜかというと、世襲の資格は一つ前の世代では賈赦の名義だからである。彼は殊更に賈環はこういう所やああいう所が良いと言うが、実際には暗に賈政一派に強い対抗心があるからである。したがって、私たちは話の内外から、長男の家と側室の家との間、嫡子と庶子の間に、様々な錯綜した複雑な矛盾が存在していることが分かる。

[次回に続く]

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《紅楼夢》の中の節句行事(3) 元宵節、端午節

2011年09月04日 | 紅楼夢

 ※口絵: “猜灯謎”

 今回は、春節に続く、正月15日の元宵節のことと、5月5日の端午節についてです。
 元宵節は、暮れの年越しの行事から春節までの一連の正月の行事を締めくくる行事ですが、《紅楼夢》にあっては、物語の展開の契機となる、重要な転機として描かれています。
 端午節も、その行事の中で、賈宝玉、林黛玉、薜宝釵の将来の関係についての暗示があり、この小説は、こうした中国の伝統的な節句行事を物語展開の契機として、うまく使っています。

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・倏忽 shu1hu1 たちまち
・寥寥 liao2liao2 極めて少ない。数えられるほどの。

□ この後、53回の後半及び54回の中で描写されているのは、大観園での元宵節のにぎわいであるが、元宵節の描写はここだけに止まらない。例えば小説の第1回《甄士隠は夢に通霊を識り、賈雨村は風塵に閨秀を懐う》の中で、元宵節は二度描かれている。一番目は、「士隠は娘が白粉を塗り玉を磨いたように真っ白な肌に育っており、おりこうさんで好ましいのを見ると、手を伸ばして胸の中に抱きかかえ、ひとしきり遊ばせると、彼女を連れて通りの方へ行ったところ、そちらは縁日でたいへんにぎやかであった。」ここで文中の“過会”(“会”は“廟会”で、お寺の縁日)というのは、元宵節の行事の一つである。この節の初めに詩があり、「なんぞ防げよう、佳節元宵の後、煙消火滅の時を」とあり、ここから元宵節がこの話の重要なヒントになっていることが分かる。それに続いて二番目にこう書かれている:「誠に閑居していると光陰矢のごとしで、たちまち元霄の佳節となった。士隠は召使の霍啓に命じて英蓮を抱いて、出し物や提灯を見に行かせた。夜半に霍啓が小便に行きたくなり、英蓮を一軒の家の敷居の上に座らせ、小用を終えて帰って来ると、どこにも英蓮の影も形も無くなっていた。」文中の“社火花灯”とは、元宵節の夜の街角での鳴り物入りの音楽、歌や踊り、様々な芝居、手品や曲芸、飾り提灯を照らすといった娯楽活動で、当時の一般の人々が出し物や提灯を見る行事の盛況さが描かれている。作者は限られた字数の中で、元宵節のにぎやかさが並はずれている様子を描いている。“社火花灯”というのは、当時の元宵節のにぎやかな情景を言い尽している。

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・花団錦簇 hua1tuan2 jin3cu4 [成語]色とりどりに着飾った華やかな一団。
・撃鼓傳花 ji1gu3 chuan2hua1 民間の遊び、或いは宴会の余興。十数人が円形に座り、一人が花束を持つ。鬼を一人決め、皆に背中を向け、目隠しをして太鼓を叩く。その間、円座の皆は花束を手渡しし、太鼓が止まったら手を止める。太鼓が止まった時に花束を持っていた人が負けとなる。宴会の時は、負けると酒を飲まされた。
 ※現在の農村での“撃鼓傳花”風景

・酒令 jiu3ling4 酒席に興を添える遊び。負けると酒を飲まされる。
・亭台楼閣 ting2 tai2 lou2ge2 あずまやや高殿、楼閣といった、庭園の中の様々な建物。
・張灯結彩 zhang1deng1 jie2cai3 [成語]提灯を掲げ、色絹で飾り付ける。
・興高採烈 xing4gao1 cai3lie4 [成語]上機嫌である。大喜びだ。
・如花美眷 ru2hua1 mei3juan4 咲く花のように美しい一族。“眷”は“眷属”のこと。
・筆 bi3 [量詞]ここでは、絵画、転じて景色、風景を数えるのに用いてる。
・閨中 gui1zhong1 婦人が暮らす場所をいう。

□ 《紅楼夢》の中で賈府が元宵節を過ごす様子は二回、詳細に描かれている。一回目は元妃が里帰りした時で、当時の賈府は最も繁栄していた時で、栄国府全部の人々が色とりどりに着飾り、灯火が光り輝き、普通の家とは比べようもなかった。賈府の元宵節は、《紅楼夢》第18回、《林黛玉誤って香嚢の帯を剪り、賈元春は帰省し元宵を慶う》より始まる。元春晋封賢徳妃が、実家に里帰りした時は、ちょうど元宵の佳節であった。
 元妃が帰省を終えて宮廷に戻ってから、特に“灯謎”(元宵節に飾り付ける提灯に吊るすなぞなぞ)を作り、一家で楽しんだ。ご隠居様を頭に、多くの美女を率いて芝居を見たり、講談を聞いたり、酒席の遊びを楽しんだり、なぞなぞをしたり、花火を見たりと、どんなに楽しんでも疲れることを知らなかった。大観園での元宵節は、園内の様々な建物の到るところに提灯を吊り飾り付けがなされ、多くの女達や召使達が大喜びで参加し、節句の楽しみを心行くまで味わい、節句をたいへんにぎやかなものにした。紅楼夢の中での元宵節は、大観園の咲く花のように美しい一族のため、女達の花園に一風景を添えることとなった。

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・笙歌 sheng1ge1 笙(しょう)に合わせて歌う。楽器を奏で、歌うこと。
・聒耳 guo1er3 やかましい。うるさい。
・喧天 xuan1tian1 騒々しさが天まで響く。
・年邁 nian2mai4 年をとる。高齢になる。
・淹纏 yan1chan2 まとわりつく。
・(有)一等 yi1deng3 ある種。~のたぐい。
・妬富愧貧 du4fu4 kui4pin2 他人の富みに嫉妬し、自分の貧しさを恥じること。
・賭気 du3qi4 不平でふてくされる。怒って意地になる。
・羞口羞脚 xiukou3 xiu1jiao3 恥ずかしくてものが言えず、はにかんで前に出ようとしない様。
・流光溢彩 liu2guang1 yi4cai3 光り輝き、色彩が溢れる。
・浮華 fu2hua2 派手。華美。
・雍容華貴 yong1rong2 hua2gui4 おっとりしていて美しい。“雍容”は態度が鷹揚で、ゆったりしていること。
・万千気象 wan4qian1 qi4xiang4 人々の雰囲気が変化に富んでいる。
・盎然 ang4ran2 満ちあふれる。

□ 賈府が翌年また元宵節を迎える時には、(さしもの栄華を誇った一族にも)衰退の気配がはっきりと現れ出した。《紅楼夢》第53回《寧国府は大晦日に宗廟を祭り、栄国府は元宵に夜宴を開く》のお話の中で、ご隠居様が夜に宴会を開く時、栄国、寧国の両府では、提灯を愛で、酒を飲み、にぎやかに楽器を奏で、歌を歌い、にぎやかさは天まで響くほどであたが、賈氏一族の参加者は数えるほどしかなかった:「ご隠居様も人を遣って一族の男女に来るように言ったが、如何せん、彼らはある者は年をとったので賑やかなところは苦手となり、またある者は家に他に人がいないので出かけるのは都合が悪く、またある者は病気が体にまとわりつき、来ようにも来られず、またある者は他人の富を妬み自分の貧しさを恥じるたぐいであり、甚だしきは煕鳳の人となりを憎み恐れ、意地になって来ないたぐいの者までいる。またある者は恥ずかしがってものを言ったり前に出たりできず、人に会うのに慣れておらず、来る勇気がない……」今宵は元宵の佳節で、なお光り輝き色彩が溢れ、派手でぜいたくであるけれども、嘗てのゆったりとして美しい、変化に富んだ雰囲気は、もはやとっくに失われていた。かくの如き尋常ならざる情景により、この年の元宵節は賈府の最後の輝きとなった。
 元宵節はこの小説全体を貫き、《紅楼夢》の幕開けでは、賈府はまだ出てこず、最初に甄家が出てくる。物語の中での甄家の滅亡は、実は賈府の滅亡の前奏であり、甄家は元宵節の後、大火に遭って衰退し、曹雪芹の筆により、賈府が最後に滅亡するのも元宵節であり、実際に曹家が家財を差し押さえられたのも元宵節の後であった。曹雪芹の筆による元宵節は、悲喜こもごもが加わり、現実と幻想が互いに生じ、同時にまた生き生きとしていて、かつ詩趣が満ち溢れている。

■[4]


・冰片 bing1pian4 龍脳香
・孝敬 xiao4jing4 目上の人に物を差し上げる。贈り物をする。

□ 《紅楼夢》第24回で初めて端午節が描かれる。賈宝玉の本家のおいの賈芸は、賈府の中でちょっとした使い走りをしようとしていた。つまり端午節に王煕鳳に贈り物をしようとしていた。賈芸は金を借り、龍脳、麝香などの香料を王煕鳳に贈った。賈芸は王煕鳳に言った。「いつもの年はおばさんがたくさんのお金でこれらの物を買われているのを知っています。今年はお妃さまが宮中におられるのは言うまでもなく、まして端午節であれば、これらの香料は当然いつもの十倍の値がつくのは当然のことです。」それに続いて、《紅楼夢》ではこう書かれている:「煕鳳はちょうど端午節の祭礼をするのに、香料や薬、お菓子を買おうとしていたので、突然賈芸がこうしてやって来て、この話をしたので、心の中では得意になり、また嬉しく、召使の豊儿にこう命じた:「芸兄さんの贈り物を受け取ったら、家に届けて、平儿に渡してちょうだい。」賈芸のこの端午節の“薄礼”(ちょっとした贈り物)により、賈芸は賈府の中で、庭木を植えるのを管理するほどの使い走りを果たすことができたのである。

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・太監 tai4jian4 宦官の通称。
・賞賜 shang3ci4 下賜する。
・宮扇 gong1shan4 うちわ。宮中で多く使われたので、こう言われる。
  ※宮扇

・淋漓尽致 lin2li2 jin4zhi4 [成語]文章や話が詳しく徹底していること。
・玄机 xuan2ji1 (道教でいう)玄妙な道理。
・用意 yong4yi4 意図。心づもり。
・鉄心 tie3xin1 揺るぎない決心をする。
・保駕護航 bao3jia4 hu4hang2 ある事物を保護し、それが正常に発展するようにさせる。“保駕”、“護航”ともに護衛すること。
・不了了之 bu4liao3liao3 zhi1 [成語]事を未解決のまま棚上げにする。うやむやのうちに終わらせる。

□ 第28回では賈元春が賈宝玉に下賜した「贈り物」のことが書かれていて、これは夏太監に言って端午節に下賜させたもので、上等のうちわ二本、紅麝香の数珠の腕輪二つ、鳳の尾の薄絹二反、蓮の花の図柄の竹のむしろ一枚が見られた。宝玉はこれを見て、うれしくて仕方が無く、「他の人のも同じなの?」と聞いた。襲人は言った:「大奥様のは、この他に香の如意と瑪瑙の枕がございました。奥様、旦那様、薜の奥様には如意が一つ余分にございました。若様のは、宝のお嬢様のと同じでございます。林のお嬢様のは、迎春様、探春様、惜春様と同じでうちわと数珠だけで、他の人にはございませんでした……」宝玉はそう聞くと、笑って言った:「これはどうしたことだろう。どうして林ちゃんのは僕と同じでなくて、宝姐ちゃんのが僕といっしょなのだろう。渡し間違えたということは無いの?」ごく短い限られたことばの中に、宝玉が端午の贈り物をもらった喜びの心情が余すところなく表現されている。紅楼夢研究家によれば、この時の端午節の贈り物には暗に玄妙な道理が隠されている。というのは、林黛玉がもらったものは、賈迎春、賈探春、賈惜春と同じで、品種も数量も少なく、レベルも低いのだが、賈宝玉に下賜したものは、薜宝釵のものと全く同じで、品種も数量も多く、レベルも高かった。その中には同じように特別なもの、蓮の花の図柄の竹のむしろ、これは細い竹で編んだもので、上に蓮の花の図案のあるむしろで、この前の三つのものが皆二つなのに、これだけが一枚なのは、どうしてだろうか。なぜなら二人用なのである。賈元春の心づもりは言うまでもなく明らかで、二人を結婚させようという意向が込められていて、彼女は暗に、薜宝釵を賈宝玉に嫁がせようという意向を表しているのである。このことは賈のご隠居様はあまり賛成でなかった。ご隠居様は賈宝玉と林黛玉を結婚させたいと堅く決めていたので、知らないふりを装い、この事はその後もうやむやにした。この意図は宝玉と黛玉は知らなかったが、薜宝釵は分かっており、理屈から言うと、普段は薜宝釵は自分の感情が外に現れ出るのを拒んだが、この時はそうではなかった。第28回の題名の後半に「薜宝釵恥じらいて紅麝の串(うでわ)を籠(は)む」とあり、ここから分かるのは、たとえ彼女自身は本能では恥ずかしがっていたとしても、彼女は公然とそれを身につけ、故意に賈宝玉にそれを見せたということは、この時彼女自身も賈宝玉が好きで、敢えて彼を射とめたいと表に現したことを物語っている。

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・布帛 bu4bo2 綿織物と絹織物の総称。
・雄黄酒 xiong2huang2jiu3 雄黄を入れた酒で、端午の節句に飲み、解毒作用があるとされる。雄黄は鶏冠石ともいい、硫化砒素の一種で橙黄色で光沢があり、本来は色ガラスや染料の原料。
・桑椹(子) sang1shen4 クワの実
・不失為 bu4shi1wei2 ……たるを失わない。……だといえる。

□ 第31回で端午節を描写している言葉数は多くはないが、端午節に関わる民間の習俗を書き留めている。その中でこう言っている:「この日はちょうど端陽(“端午”に同じ)の佳節で、菖蒲とヨモギを門に挿し虎符を腕に付ける。午後、王夫人は酒席を設え、薛家の女達を招き端午節の宴席を共にした。」ちょっと資料を捜してみると、“蒲艾簪門”、“虎符系臂”は端午節の習慣で、今日では虎符を腕に付けるのはあまり見かけないが、菖蒲、ヨモギを挿す習慣は広く流布しており影響は強い。“蒲”は菖蒲のことで、香りがあり、水辺に生える。“艾”はヨモギであり、茎や葉に香りがある。“蒲艾簪門”とは、菖蒲、ヨモギを門の上に挿すことで、それにより蚊、蠅、蟻を駆除するとおもに、邪気を払い、邪気を避ける意味を含む。“虎符”とは昔の人が邪気を避けるお守りとしたもので、人々は綾や薄絹、綿や絹などで小さな虎の形を作り、子供の(服の)腕の上に縫い付ければ、悪を避け災いを消すことができると信じた。“賞午”も端午節の風習で、端午節の午後、雄黄酒を飲み、桃、桑の実、サクランボ、チマキなどを食べ、ザクロの花などを鑑賞し、金持ちも貧しい者も、互いに食事に招待する。こうした活動一切を、“賞午”と総称する。紅楼夢のこの回で書かれているのは、王夫人が端午節の酒席を整え、「薛家の女達を招いて“賞午”をする」、すなわち客を招いて端午節の宴会に加わるということである。この回にはもう一つ、「チマキの分け前のことで争い、腹を立てる」というのがあり、それは黛玉のたった一言、「節句だというのにどうしてそんなに泣いているの?まさかチマキの分け前のことで腹を立てているのではないでしょうね」という場面が付け加えられている。
 端午節には他に“斗百草”(百草勝負)という遊びがあり、第62回に“斗草”遊びが描かれている:「たちまち、また宝玉の誕生日(紅学の学者の考証によれば、宝玉の誕生日には二説あり、一つは4月26日、もう一つは5月4日、すなわち端午節の前日である)がやって来た。実は宝琴もこの日が誕生日で、二人いっしょである……外には、小螺、香菱、芳官、蕊官、藕官等4~5人がいて、中庭中を捜しまわって、皆が草花を摘んで袋に入れ、草むらの上に座って“斗草”遊びをした。」“斗草”には“武斗”と“文斗”の別があり、“武斗”というのは、二人がそれぞれ草の茎の一端を持ち、力を入れて引っ張り、先に切れた方が負けである。“文斗”は、双方が詩で問答するかのように、草の名前について、一方が草の名前の質問を出し、相手が答えられなかったら、勝ちである。“斗草”遊びを通じ、人々は草花の名前を憶え、新鮮な空気も吸え、有益な遊びの風習だといえる。

 ※蒲艾簪門


   ※斗草(左は武斗、右は文斗)


(次回に続く)

 子供の服の腕のところに縫い付ける布製の“虎符”について、写真がないか、捜してみたのですが、見つかりませんでした。こういうものは残りにくいのかもしれません。ただ、虎をデザインした赤ちゃんの布製の帽子、布靴はよく見ますが、ああいうものではないかと思います。もしご存じの方がいらっしゃいましたら、お教えください。

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