驚いているのか、お前泣きたいか? 傷から蜜がしたたっている
蛇を濡らすひかりのあまやかな記憶の底に凝る、何度も ※ルビ「蛇」くちなわ
まず兄が暮れて次第に弟がまみれるまでを弔いとして
濃紺の守衛の胸に伏せられて書物は冬に似たものになる
どこまでが往路でしたか咬みたがる牙をゆるめてねむる間際の
添付する遠景(錆びた鉄塔がていねいに自分を折りたたむ)
犬。呼べばすぐにみなぎり薄暗いわたしの土を今日も耕す
木のあばらあらわに見える坂道で犬が口火を切る冬の午後
あどけない雲を古びた雲が呑み雪をみごもるまでを見ている
肉体は脆い岬と告げにくる善良な善良な鳥たち
ふるまいをにぶらせて、雪、三角洲、桔梗を仮想記憶に移す
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
蛇に詫びる
ざらめ糖のような雪がそこここを悪路にかえている。風が強い。
ざっくざっくと前をゆく誰かの靴跡をたどりながら歩く。
そういえば子どものころ、こうやって父親の長靴をにらみながら
裏山を登ったことがあった。コクワをとりに行ったのだったか。
大きな長靴が笹薮をわけ、木の根方を踏み、小さな花をよけて進む
のを見つめながら歩いた。
父は無口な男だったが山歩きの時は少し饒舌になる。地面を這う
ように咲く地味な花や、木々の名前、鳥の声の聞きなしについて話
しながら歩いた。それは「教える」というよりは独り言に近いもの
だったが、妙に嬉しかったことを憶えている。
それに気づいたのは足ばかり見ていたからだ。立ち止まった父が
方角を確かめていた時のこと。黒いゴム長の土踏まずのあたりに、
薄暗い色の、紐?…と思ったとたん、それは思いがけない角度に歪み、
足首に絡みついた。青大将だった。
蛇は見慣れているとはいえ、いきなり現れれば足がすくむ。「ふ、
踏んでる」どうにか声をあげると「ああ、」と、まるでめずらしい
花でも見つけたように父は言った。それからゆっくり足を上げ、蛇
がほどけてしまうまで待ちながら、「これは大変失礼しました」と、
ひどくまじめな声で詫びたのだった。
当時の父の年齢をとうに越えた今、改めてあの奇妙なふるまいの
根にあるもののことを、謎解きのように思い返している。
エッセイ「その日その日」
あさなさなかきくどかれてしどけなくゆるむ霜柱の弱虫め
秋の水は暗いねと言う(ころされるゆめをみた日のおまえやさしい)
サドルから男言葉を投げあって十代はつくづく火の種族
寝転んでうみうしの絵をながめいる外つ国の子よ、畳は甘い
「始末」ということばに軽く濡れながら球根のおしりをなでている
厚物の菊をいびつに調える叔父の流儀のさびしさは佳い
だるそうな雲に酔う この週末はいきものだけをかわいがろうね
紅葉にだまされたくて吊り橋を渡る何度もわたくしを脱ぐ
ほんとうはずっとふざけていたいだけ風がこすっている秋の弦
つながりをほどかれたまま枝先に残んの花を滲ませている