のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

物書きとしての夢見生

2009年03月01日 07時33分47秒 | Weblog
スランプが全くなかったと言えば嘘になるが、
書くことが枯渇したことはまだない。
これはとても幸いなことである。

著書「きもちだいすき」の絶版によって
私はまた物書きとしてはアマチュアに戻った。
物書きとしての収入がないのだからね。

「あなたの本を出版したい」って言う。
出版社さんって結局はね。
「本を売りたい」
ではなく、
「儲けたい」
なだけなわけ。
それに気づいちゃったわけですよ。
遅まきながら。

「きもちだいすき」を再流通させませんか。
という話を持ちかけてくれる出版社さんはあるんですが
私がびた一文払う意思がないことを示すと、
なんとあっさり引き下がることよ。

自費出版はたいていの場合成功しない。
出版のプロが見て
「これは売れる」
という本は、放っておいても出版社が出してくれる。
逆に言えばね。
どこからもお声がかからない本を自分(自費)で出版しようとしてもね。
それはほぼ間違いなく売れない。
ここで言う「どこからもお声がかからない本」っていうのはね。
「自費出版しませんか」って声がかかる本も含むんだよ。

厳しいことを言えばね。
「取りあえず本を出せば売れるかもしれない。」
ってのはね。
ほとんどの場合妄想ですよ。

だからね。
自費出版は自己満足のため。
それくらいの割り切りは必要だと思う。
私も今では「きもちだいすき」の出版についてはそう割り切っている。
だからこそもう一度(お金をかけて)再流通させようという気持ちにはならないわけ。
私、通帳にお金が有り余っているわけじゃないからね。

そこで冒頭に戻る。

私の頭は文章を書くことに関しては枯渇したことがない。
たぶん一生物書きとして世間に認められることはないのだろうけれど、
書きたいときに書きたいだけ書きたいことを書ける。
これはアマチュアの特権です。
そう考えたら楽で楽しいものだよ。

健康上とかのやむを得ない理由で書けなくなるまでは、
私は書くことやめない。
だから私は気楽に書ける。
だからこそ枯渇することがない。

アマチュア、夢見生。
一生書き続けまーす!

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