のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

石井琢朗、BayからCarpへ。

2008年11月18日 23時52分24秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://www.ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#横浜から戦力外通告を受け、広島入りした石井琢朗内野手(38)が18日、広島市民球場内の球団事務所で記者会見し「カープファンとともに、赤い色のごとく燃えていければと思う。若い選手と一緒に勉強し、成長したい」と意気込みを語った。背番号は25。(MSN産経ニュースより)

横浜ベイスターズと言えば3Tだと勝手に思っていた。

3T、すなわち
石井琢朗(Takurou)
鈴木尚典(Takanori)
佐伯貴弘(Takahiro)
である。

言うまでもなく、
1998年、38年ぶりのリーグ優勝・日本一の大功労者たち。
一世を風靡した「マシンガン打線」の中心選手。

琢朗がカープに去り。
尚典が辞め。
貴弘も往年の勢いはない。

寂しい限り。
でも琢朗には新天地で頑張って欲しい。
私は応援しますよ。
横浜を去っても琢朗に対する愛着は変わらない。

琢朗が横浜を去ったことに関しては誰も責めるつもりはない。
現状、琢朗は横浜ではこれ以上輝けない。
非常(非情)に現実的な話になりますが、
琢朗を横浜にとどめたいなら、年俸大幅ダウンの提示は出来ない。
某金持ち球団と違って、横浜ベイスターズは
資金が潤沢な球団ではない。
ぶっちゃけチームの大功労者の「首を切った」わけですが、
年俸に値する活躍が絶対条件、厳しいプロの世界。
球団の決断もやむを得ないと考えます。

さて、ここらで横浜ベイスターズに関する思い入れを。

私、横浜生まれの横浜育ち。
ベイスターズは身近だ。

格好つけてもしょうがない。
正直に言おう。
私は優勝の時期から始まった「にわかファン」あがりである。
でも今となってはチームに対する愛着は深いつもりだ。
勝てば嬉しい、負ければ悔しい。

その愛着の深さゆえ、
テレビ中継はあえてほとんど観ないようになった。
ケーブルテレビに加入しているから観ようとすればほとんど全試合観られるんだけどね。
シーズン中ずっと週5~6日、
夜9時~10時まで拘束では正直なところ何も出来ない。
思い入れのあるチームの試合を何かの片手間に観られるほど私は器用ではない。
たまに観るって言うのも、なにか試合を選別しているようで嫌だし。

また正直に言おう。
今期に限って言えば試合を観る気が起きなかった。
負けが込んでいたからではない。
もちろんそれが遠因ではあるわけだが、
やっぱチームに覇気がなかったね。
試合を観ても元気を貰えないって言うか。

そういう時こそチームを支えるのが真のファン。
全く持ってその通り。
その意味で私は真のファンではないのかもしれない。
言い訳はしないよ。
でもやっぱさ。
元気な横浜ベイスターズが観たいよ。
またまた正直に言おう。
勝ってるベイスターズが観たいよ。

リアルな話をしますよ。
彼女とハマスタ観戦するのが夢。
(あ、ハマスタっていうのは横浜スタジアムのことね)
今、彼女はいない。
だから文字通り夢。

ここで十分あり得る仮定。
せっかく出来た彼女が熱烈な他球団ファンだったら・・・
その想像はしないでおくことにする。

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