のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

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森繁久弥さん死去。老衰で死ぬということ。

2009年11月11日 22時35分09秒 | Weblog
>私、夢見生のHP本舗“裕遊字的(ゆうゆうじてき)(http://www.ikiru.jp/)”内、今日の字遊航海
#俳優の森繁久弥さん(10日、96歳で死去)の次男で会社役員の建(たつる)さん(66)らが11日、東京都内で記者会見し、同日午前中に家族だけで葬儀を済ませたことを明らかにした。(毎日jpより)

喜劇役者としての俳優だけではない。
歌手、作曲家、作詞家、トーク、文筆業。
まさに何でもありの人だったな。
エロオヤジ、エッチなおじさんという言葉は普通良い意味では使われないが、
インタビュアーの女性のおしりにタッチするといったエピソードが、
今笑顔で語られるのが凄いところだ。
詳しい生前の活動(活躍)内容については他にいくらでも書いてあるところがあるのであえて省く。

死因、老衰。
病気で亡くなったのではない。
寿命まで生きて朽ち果てたのだ。
凄いよね。
少なくとも私の身の回りには老衰で亡くなった人はいない。
稀なことなんだ。
老衰は平和の象徴でもある。

例えば戦国時代の武士、足軽などで、老衰で死んだ人など稀だろう。
若くして戦場で命を散らす人がほとんどだったはずだ。
戦場で死ぬことを美徳とはしたくないが、
大切なもの、人を守るために自らの命をかける。
その貴さは否定できない。
戦争の時代、基本男は戦場で戦い、女は家を守った。
生きて何かを守る。
死して何かを守る。
人生は守ることの連続と言えるかもしれない。
私がそう思うようになった直近のきっかけ、映画「BALLAD 名もなき恋のうた」をお勧めします。

そして現代。
戦乱に明け暮れる国がありテロも横行している。
それでも我が日本は、流れ弾や砲弾、爆弾テロの危機は、
世界的なレベルから見たら、皆無と言って良い。
ほとんどの人は病死するわけである。

そして森繁さんの死因、老衰。
実は私の人生の最終目標は
100歳まで生きて老衰で死ぬことである。
母方のおじいちゃんは89歳まで生きた。
おばあちゃんは98歳で健在である。
100まで生きるというのは遺伝的に考えて決して不可能な幻想ではない。
生きる、生ききる。
私のホームページ、裕遊字的のアドレス(URL)は、
ikiru.jp、生きる.jp、いきる.jp
である。
生きたい、生ききりたい。
百まで生きれば心の病、闘病でほとんどなにもできなかった15年は帳消しになるだろう。
百歳まで生きるのなら45歳の今だって人生の中間点にも達していないのである。

矛盾するようだが死ぬことを恐れてはいない。
百まで生きると言いながら、
明日事故死する可能性だって皆無じゃないのだ。
人生には絶対など無い。
永遠に死なない人もいない。
死ぬのはすぐ隣の世界に移動するだけ。
最近はそんなふうに考える。
具体的な死後の世界とか丹波哲郎さんが言っていた霊界とかはイメージできないけれど、
死は自然なもの、忌むべきものではないと思っている。
胎内で生を受けた瞬間に赤ちゃん自身に喜びという感情が無かったように、
本当の死の瞬間には恐怖など無いだろう。
他殺とかじゃない限りはね。

さて非難されるのを承知で事実なので白状しておく。
森繁さんの死。
遠くはないだろうと予感していました。
亡くなるなら老衰かもしれないことも。
ここ数年、まったく近況が流れてこない。
呆けたとか病気というのも聞かない。
冷たいようだがそう考えるのは自然な発想だろう。

死していろんな人に語られる。
悪口を言う人は皆無。
森繁さんを心からうらやましいと思う。
森繁さんのように偉大には生涯かけてもなれないだろうけれど、
生きて生きて生ききって満足の終焉を迎えるのは不可能ではない。
私はそこを目指している。

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