のんきいきいき So(走) Happy! -櫻庭健一の日記-

いつも笑顔と感謝を忘れずに
甘っちょろいと言われても希望を捨てず生きる
過去の少しの試練はそれで乗り越えたのだから

スランプ。好きで始めたことを難行苦行にしていませんか。

2012年09月06日 04時13分00秒 | Weblog
好きで始めたことがうまくいかなくなったら。
好きで始めたという原点に返れば良い。
嫌なこと、辛いことにしてしまっていたり、
しがらみ、邪念にまみれてしまっていたり、
好きってことから離れていないかな。
好き。
そうシンプルに考えられたら、
少なくとも苦しみの大半から逃れられる。
楽しい。
心からそう思えたら苦しくなるはずがないし、
邪念は勝手に消えていく。

なんでそんな偉そうなことを言えるのかって?
コンピューターに関わること。
大学時代の学業。
すっぽり当てはまるからですよ。
本当に好きで始めたことなのに。
自分で勝手に苦行にしてしまった。
将来の地位収入、そのための方法になってしまった。
それである日、プッツンと切れた。
心の病の始まりだった。

今はコンピューターに関すること。
心から楽しんでいるよ。
だから仕事にしても長続きするわけで。
好きっていうシンプルなところに戻れたからね。

愛することも同じじゃないかな。
愛のスランプってあると思うんだ。
カップル、恋人だろうが夫婦だろうが。
大抵の人が経験すること。
今好きなんだという気持ちが揺らいだならば、
私はこの人を好きになったんだ。
好きになったから始まった愛なんだ。
相手を嫌いになりかけたらその原点に返ること。
それすらも不能ならば、もう修復不能かもしれない。
愛は名詞じゃない。
愛するという動詞で初めて存在意義があることだから。
どうやっても愛することができなくなったら、
冷たい言い方をするともうお終いだ。
少しでも愛することが可能ならばまだ見込みがある。
ラブラブに戻ることだって可能だ。
暴力が絡んでいたりとか難しいケースはある。
だからこの理屈をすべての人に押しつけようとは思わない。

ま、愛については偉そうなことは言えない。
周囲の危機を迎えたカップルを見て思うこと。
それくらいのレベル。
恋愛経験が人と比べて著しく少ないからね。
頭でっかちの机上の空論と言われれば返す言葉がない。

要は「好き」あるいは「自分が好きで始めた」ってことを
何事でもシンプルに意識できれば、
何も難しく考えることはない。
「なぜ」なんて考える必要はない。
それを超越して生まれたのが「好き」って感情だから。
「なぜ好きなのか」よりも「好きなんだ」ってこと。
好きで始めたってこと。

「好き」って感情は物凄いパワーを持っている。
好きこそ物の上手なれ。
深い言葉だ。
いやいやしていることは上達しない、そもそも続かない。
スランプになったら。
自分はこれを好きか嫌いか。
そこに戻ってみるのもひとつの手ではないでしょうか。