明日は三島由紀夫の命日で憂国忌です。私は24才でした。とてもショックでした。40年経ちました。毎年、11月25日が来ると思い出します。同時に思い出すことがあります。四国での会社を辞め実家へ帰った頃です。辞める原因は医師への賄賂を拒否したからです。ずいぶん迷いました。四十年前の業界では当たり前のように行われていました。「所長さんどこに?」「別荘です」なんかのか会話を実際に聞いたこともあります。「別荘?」と先輩に聞くと「刑務所や」と簡単に答えました。また、挫折と取られるのもいやでした。ただ生活は荒れていました。辞める時に父がついてきました。退職を止めようとする所長に、父は「息子には道の真ん中を歩かしたいですわ」と商売人らしくやんわりと言いました。所長は翻意をあきらめました。よい旅館を手配してくれました。あの時父は還暦前。今の私より6才年下でした。父も今は亡く、もう、十七年になります。次に勤めた病院に薬剤師として三十七年勤めることになるとは当時思いもしませんでした。
明日は三島由紀夫の命日で憂国忌です。私は24才でした。とてもショックでした。40年経ちました。毎年、11月25日が来ると思い出します。同時に思い出すことがあります。四国での会社を辞め実家へ帰った頃です。辞める原因は医師への賄賂を拒否したからです。ずいぶん迷いました。四十年前の業界では当たり前のように行われていました。「所長さんどこに?」「別荘です」なんかのか会話を実際に聞いたこともあります。「別荘?」と先輩に聞くと「刑務所や」と簡単に答えました。また、挫折と取られるのもいやでした。ただ生活は荒れていました。辞める時に父がついてきました。退職を止めようとする所長に、父は「息子には道の真ん中を歩かしたいですわ」と商売人らしくやんわりと言いました。所長は翻意をあきらめました。よい旅館を手配してくれました。あの時父は還暦前。今の私より6才年下でした。父も今は亡く、もう、十七年になります。次に勤めた病院に薬剤師として三十七年勤めることになるとは当時思いもしませんでした。
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