猫研究員の社会観察記

自民党中央政治大学院研究員である"猫研究員。"こと高峰康修とともに、日本国の舵取りについて考えましょう!

三笠宮寛仁親王殿下、本格的に女系天皇に異議

2006-01-11 05:08:29 | 皇位継承問題・皇室
 皇位継承問題をめぐり、三笠宮寛仁親王殿下は昨年11月に「個人的見解」として、福祉団体の会報のエッセーにおいて、女系天皇容認に批判的な見解を述べられているのは、周知のことだと思う。新年に入り、毎日新聞のインタビューや『文芸春秋』誌の対談記事の中で、さらに明確に公的な立場で女系による皇位継承への反対を表明された。ここでは、毎日新聞の記事を取り上げることにしたい。是非全文に目を通してください。
 言うまでもなく、我が国の皇位は一つの例外もなく男系で継承されてきた。秋篠宮殿下より若い皇族男子が現在いらっしゃらず、予見しうる将来にわたってそれを期待できない以上、何らかの措置が必要である。男系維持の立場からは、旧宮家の復活や旧宮家から断絶確実な現宮家への養子を認めることにより何とか男系での皇位継承を維持すべきだというのが具体案である。この点は寛仁親王殿下も全く同じお考えのようで、こういう表現をするのは失礼極まりないが、特に新味があるというわけではない。しかし、皇族の一員が明確に「男系継承を維持すべきだ」と公に主張したことの意義は計り知れないほど大きいものである。おそらく、今後の国会での皇室典範改正に関する議論にも大きな影響を与えるのではないだろうか。当事者である皇族の意見を聞く事が違憲であるという「有識者会議」座長の発言の異常さに今こそ気づくべきだと思う。また、旧宮家の方々と現皇室のメンバーが交流を深める菊栄親睦会の存在をあらためて紹介したのは、今後の国民の意識に変化をもたらす可能性がある。こういう情報なくして「男女平等なんだから女系でもいいではないか」という安易な世論が形成され、それに従って皇室典範が改正されるなどあってはならないことである。そもそも、皇室典範が法律と同格にとどまっていることが間違いである。憲法改正では、この点も正すべきであるというのが私見である。例えば、皇室典範の発議は皇室会議がこれをなし、議決は国会の特別多数によるなどの案が考えられる。
 皇位継承からは話がそれるが、寛仁親王殿下がインタビューの中で述べられたことの中で興味深いと感じたのは「皇族のあり方」の部分である。この中で殿下は「皇室は悠久の歴史の中で常に受動態であった。突き詰めると、存在することに意義があるということだ。政治や営利にも関与できないし、ある意味”ニッチ(すきま)産業”だ。 政府や行政も、国民のためにいろんなことを展開していくが、足らざるところはある。皇族がそれを補い、光が当たっていないところに光を当てる。それぞれの皇族が、国民の要望、希望に沿っていくことが大事だ。」とのお考えを示されている。我が国の歴史に根差した皇室論として実に正鵠を射ていると感じた。とりわけ「皇室は悠久の歴史の中で常に受動態であった」という部分には「無為なもの、受身のものこそ最も強い」という道教的思想が私には読み取れた。


(引用記事)
[寛仁親王 「一度切れた歴史はつなげない」女性天皇に異議]
 昭和天皇が自らの神格性を否定し、後に人間宣言と呼ばれた「新日本建設に関する詔書」が発表されたのは、終戦翌年の1946年1月1日だった。4日後に生まれた昭和天皇のおい、寛仁親王殿下が毎日新聞の単独インタビューに応じ、皇室の歩みや将来像などについて語られた。殿下は「(詔書について)昭和天皇ご自身は『自分は戦前から何も変わっていない』とおっしゃっていた」と明かすとともに、皇室の役割を「光の当たっていないところに光をあてるもの」との考えを示された。
 皇室典範改正問題についての質問にも応じ、「政治を超えた歴史の問題」との認識のうえで、男系による皇位継承の伝統を踏まえ、「一度切れた歴史はつなげない。腰を据えて議論すべきだ」とした。「皇室典範に関する有識者会議」が出した「女性・女系天皇の容認」の結論に異を唱えた形だ。
 殿下は既に福祉団体の会報のエッセーで、元皇族の皇籍復帰や女性皇族に養子を取ることを認めることなどによる男系男子継承方法を示しているが、「過去にはこうした方法で、皇位継承の危機をたびたび回避してきた」「先人が築き上げた貴重な財産(方法)にならって、できるだけの手を尽くしていくべきだ」とした。
 「人間宣言」については、「戦前・戦中と戦後を区別し、新しい日本に向かうという意味があった」と位置づけた。また、皇室のあり方について「日本民族の知恵が権力を持たせないようにしてきた。国を守っていくために必要な存在」とした。【大久保和夫】
 ◇インタビューの要旨
 昭和天皇の「人間宣言」の4日後に生まれた寛仁親王殿下。その生い立ちは戦後の皇室の歩みと重なる。皇室の「来し方行く末」を、内側から語られた。要旨は次の通り。
■人間宣言
 終戦の御前会議で陛下(昭和天皇)のご意見をと奏上し、そこで陛下が「平和を望む」とおっしゃったことが、後に「ご聖断」となった。人間宣言も同じで、用語自体はメディアが勝手に作ったものだ。
 人間宣言が、戦前・戦中と戦後を区別した新しい日本に向かうという詔書であるのは事実だが、陛下とお話ししたとき、戦前・戦中・戦後を通して、ご自身は「何も変わっていない」とおっしゃっていた。現人神というのもみんなが勝手に言っていたことだ。
■昭和天皇のこと
 皇族のあり方について、2度じっくりとお話をうかがう機会があった。その際、ご自身の意思で発言・行動されたのは、2・26事件と終戦の決断の2度だけだとおっしゃっていた。2・26事件では内閣が機能しなくなって、終戦では御前会議で意見が割れたからで、どうしても判断されなければならなかった時だ。
 このご発言には大変驚いたが、後に記者会見でご自身で語られたので安心して今、このように話せる。立憲君主というお立場を十二分にお分かりになってのことだったと思う。
 そして、公平無私であられた。いろんな方の話を聞かれて、よく事情をご存じだった。戦前、戦中、戦後を通じて多くの人に会われて話を聞き、激動の時代を生きてこられたわけだから、陛下には勝てない。
 しゃべり方は、「あ、そう」が多くてお上手とは言い難いが、パーティーなどでも部屋にお入りになれば、みんなの視線が自然と集中してしまう、そういうすごさがおありになった。
■皇族のあり方
 皇室は、一部の例外を除いて権力を握ることがなかった。権力を持つところと、皇室を分けてきたのは、大和民族の知恵だと思う。国を守っていくためにそういう形になった。外国の王族の中には、パワーの論理が働いて権力を握ったりしたから、その後つぶれたケースもある。
 皇室は悠久の歴史の中で常に受動態であった。突き詰めると、存在することに意義があるということだ。政治や営利にも関与できないし、ある意味「ニッチ(すきま)産業」だ。
 政府や行政も、国民のためにいろんなことを展開していくが、足らざるところはある。皇族がそれを補い、光が当たっていないところに光を当てる。それぞれの皇族が、国民の要望、希望に沿っていくことが大事だ。
■皇室典範改正
 皇室のあり方に関する問題を有識者会議による1年、三十数時間の議論で決めてしまうことに素朴な疑問を抱く。この問題は、政治を超えたものだ。多くの国民が歴史を理解したうえで大いなる論議がわき上がって、国会で、審議に審議を重ねて結論が出ればと思う。男系で継いできた歴史は、一度切ってしまえばつなげないことを分かってほしい。
 皇位継承をめぐってはいくつかの危機があったが、これまで回避してきた。10親等ぐらい離れた傍系から皇女に婿入りしたり、宇多天皇のように臣籍降下したのに復活して皇太子になり、その後天皇になったケースもある。
 1947年に臣籍降下した11宮家の当主にカムバックしていただいたり、養子ができるようにするなどの方法がある。できるだけの手段を講じるのが先だ。すべての手を尽くしたうえで、駄目なら仕方がない。
 11宮家の復帰には、60年間一般の中で生活してきたので違和感があるというが、異様な意見だ。菊栄親睦会という昭和天皇のご親族が集まる会がある。旧宮さま、元宮さまとの付き合いは深い。
 むしろ愛子さまの夫になった人が、突然「陛下」と呼ばれる方が違和感が強いのではないか。
(毎日新聞) - 1月4日10時4分更新


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