衣・考

松本衣デザイン専門学校校長・太田が、衣服とその周辺、デザイン他について感ずること考えることを書きます。

コラボの難しさ・・・・・・ウチワ話ですが・・・・

2010-06-30 13:04:12 | 衣・考
いつもの仲間でない人と共に1つへ向かう、ということは、おもしろい!と大変!が表裏一体です。

若者には、常々それをけしかけている私ですが・・・・

SO松本とのコラボで、ファッションショー企画を進行中です。

市内の、某中学生も30人程度、協力参加することは、話をいただいたときから決まっていました。

「どこかでお手伝いさせてください・・・」と。

ならば、裏方などより、舞台に出ていただきましょう、そのほうが楽しいでしょうし・・・・と

我々は、計画しました。

で、第1回の打ち合わせ兼練習時に、「本番に近い服装(Tシャツ&ジーパンのような)で来てください」とお願いしたところ・・・・・・

「中学でそろっているジャージではいけませんか?」と

うちのディレクターのAが、「できるだけ本番のイメージ(個人も全体も)をつかみたいので私服でお願いしたい・・・・」

と言うのですが、中学側ではなく、間の連絡担当者が「なぜ、練習からそこまでやらなくてはいけないのですか・・・・」と言う。

世界が違う、仕事の種類がちがう・・・ということでしょうか?

「イメージをつかむ」「イメージをつくる」ということが、舞台に立つひとりひとりにとって、

また全体にとって、どんなに大切なことか・・・・・

第一、中学生ひとりひとりの「自覚」と「自立」を促す「しかけ」なのですよ、これは。

どうか、理解していただけますように!私は祈るばかりです。

「自分で服を選ぶ」とは、こういうことにつながっているのです。

こういうやりとりを一つ一つ乗り越えて、・・・・・・

本番を迎えるのです・・・・

特別授業「デッサン&クロッキー」終了!

2010-06-29 09:21:52 | 衣・考
ファッションテクニカル科1,2,3年生合同のデッサン&クロッキーの夏季補習授業第1段が終了しました。

先生は大阪から、モデルさんは東京からお招きしての「夏の恒例授業」です。

半数の学生が「初体験!」

わたしは合評会後半だけのぞかせてもらいました。

学生一人につき30枚近い作品集になったものを、パラパラめくりながら、すべてを皆で見ました。

おもしろいですねー・・・・・

30枚近くもあると、必ず「ハッとする箇所」がいくつも見えてきます。

先生は「いいねー・・・・」「色彩センスあるねー・・・・」「好きだなー・・・・」などと楽しんで眺めておられる様子で、ほとんど講評など無しです。

で、「わかるでしょう?・・・・」とときどき言われる。

そう、ひとりの作品をこれだけの量まとめてみることで、きらきらした輝きが見えてくるのです。

どれも「部分」に確かな魅力がある・・・・・・

でも1作品全体がよくできているものはない・・・・・・

これはなぜかなー・・・・・・?

集中力の無さか・・・・?

理解していないのか・・・・・?

この辺が「プロ」との差でしょうか・・・・・

アトリエ内に、随時展示しますので、意識して眺めましょう。

いつもいつも観ていると、「見える!」瞬間があります。

そこから次がスタートします。

「芸術」に関して・・・・・

2010-06-28 09:28:54 | 衣・考
ちっとも言いたいことが表現できなくて、読んでくださる皆様にも「申し訳ない!」という思いの数日です。

芸術の存在の意味を理解することによって、人生の意味をつかむことができ、一層前向きに生きていこう!と思えますよ、と言いたいのです。

芸術とは、人類の築いてきた文化の結晶です。凝縮されたものです。

ですから、人類とは?人生とは?生きるとは?が見えやすいのです。

でも、簡単に理解できるものとは限りません。直感的に理解できるものもあるけれど、理解しようとする努力なしでは無理なものもある。

だから「主体性」が問われることになるのです。

そこをちゃんと向き合うことで、「生き方の方法」が見つかるように思います。

芸術とは、「過去の人が決めた価値観」でもあります。

多くの人が認めたものを、理解してみましょう。

強引に、「自分の世界」を表現しようとするだけでなく・・・・

絵画、彫刻、音楽、書、ダンス、文学、映画、演劇、などなど・・・・・

夏休みはよい機会です!

・・・・・・・・・・・・・

写真は、昨日今日のデッサン授業の合間、外に出て、フィクサチーフかけをしているところ。

就職活動と芸術の関係・・・・・・

2010-06-27 15:19:00 | 衣・考
コメント、応援ありがとうございます・・・・「下書き保存」が瞬時に消えるのです・・・

さて本日は・・・どうかなー・・・

・・・・・・・・・・・・・

就職活動のいきづまりや、「就職への意欲がわかない」問題は、「自立」しようとする意欲の無さとイコールなのではないかと思うのです。

まず「自立」して、あるいは「自立」をめざして人生は歩いていくものだと思うのです。

親やつれあいに依存して・・・・という気持ちがあると、就職活動は楽しくはないし、第一あまり意味のないことでしょう。

で、芸術とまで言わなくとも、「ものづくり」というのは、服にしても、一人でつくることに向かうわけですよ。

これが「自立」への練習の役割を果たすと思います。

で、芸術の意味ですが・・・・

人類の文化の結晶であると思います。凝縮されています。

わかる、わからない・・・・と言う話になりがちですが・・・・

一応は、歴史が認めたものを、そうなのかー・・・と眺めてみましょう。

人生に希望がみえてくるはずです・・・・

アートに親しんでください・・・・

2010-06-26 13:09:23 | 衣・考
最近、ほぼ毎日、ブログをアップしたとたんに消えています。

よりによって、熱意ある意見を述べているのですが・・・・・結構長く・・・・・

苦手なのに、打ち込みが・・・

本日も然り。

同じことを2度書く気にはなれず・・・・

原因ご存じの方、教えてください。

就職活動に、芸術の勉強が必要なわけ・・・

2010-06-24 16:29:28 | 衣・考
6月18日分を、「下書き状態」で保存してありました。

今からでも読んで頂けると嬉しいです。

//////////////////////////////////////////

昨日は2年生のアパレルデザインのプレゼン;

一昨日の3年生衣服製作実習が尾を引いた、続きのような、きびしい講評が相次ぎました!

学生がちゃんと勉強していると、教師は嬉しくなって、勢いづいて、それをネタに「言いたいこと」が次々わいてくるのです!

まず、①「課題の意図」を理解して、応えた結果ができているか?

②「自分ならでは」の表現ができているか?

私が最も評価したのは、Hさんのイメージ設定の説明で、

「自転車に乗っているときの風を切る感じが気持ちよいので、それを感じられる服をデザインしました。」

・・・・・なぜこれを評価するかというと「実感」からスタートさせているからです。

アイデンティティーを感じさせるからです。また「体感」からの発想もすばらしい!

デザインそのものも、ボイル地のブラウスに、ジャージーのミニマルなスカート。自転車に乗っていなくても、それをイメージできるものになっていました。

ていねいな仕事ぶりのYさんのスカート、

面白いシルエットの、ふくらみのポイント位置が絶妙なので、指摘すると

「そこをこだわって、検討しなおした結果です・・・・・・」と。

今後へ;

学んだことを、他の科目へつなげること。また、衣服製作へ、来年へつなげること。

楽しみにしています。

・・・・・・・・・・・・・

タイトルと中身が違ってしまいました、「タイトルについては、明日・・・」


「芸術」を、「芸術」から学ぼう!・・・・

2010-06-24 09:52:01 | 衣・考
3年生の衣服製作課題は「アパレル(量産を想定した衣服デザイン)」か「クリエーション」かを選択できる。

昨年までは、「クリエーション」を課していたのですが・・・・・・

あまりに重い、・・・・・といいますか・・・・・

・・・・できない・・・・・も多く・・・・

今年度からは「選択」でよい、ことにしました。

それにしても、「服はつくれる」人が、突然「できなく」なります。

何が問題か?

まず、クリエーションの条件は

①社会に向けて発言したい、表現したい「考え」「気持ち」「意見」がある

②それを、「衣服」に落とし込んで「表現する」(学生ですから、課題ですから、今まで学んだ服づくりの技術、知識を生かして)

③歴史、時代の流れの中での仕事であることを自覚しつつ

④多くの人に「美」を感じてもらえるものとして、完成させる

以上は、わたしの勝手な考えですが・・・・・

で、これをするには、「芸術」を学んでおく必要があります。

日本の教育制度のなかでは、年々おろそかにされているように見えます。

専門学校で、突然やっても、遠い・・・・・・です!

それは、就職活動にもつながります・・・・・明日・・・

自分で考えること!

2010-06-23 08:54:30 | 衣・考
明日までの1週間は、1学期の「クラス内プレゼン」週間です。

昨日は、初めての1年生のFB用語につづき、2年生の衣服製作実習を参観しました。

終了後に、何人かが「私の作品を講評してください」と来ました。

なぜか、最近このような傾向ですが・・・・・・?

浅はかなバカな教師(私のこと)は、喜んで応えてしまいました。

深く反省しております。

なぜなら・・・・

本人が完成させていないものを、講評してはいけません。

まず、本人は、どの状態を完成、と決めるのか?

完成とは、自分のできることをすべてやった!ということです。

で、「客観視」しましたか?

この、自作を「客観視する」ということが重要です。

「子育て」と同じで?なかなか自分の産んだ子、育てた子を客観視することは難しいのですが、

それをせずには「完成」には至りません。

また、次へいかすことができません。

もうひとつ、気になった学生の発言;

「クラス内でモデルをえらばなくてはならなかったので、イメージとは違うモデルなんです」

という発言。

モデルも自分でつくるべきです。モデルに演出するのです。その気にさせるのです。

ただそのときに「着てください」と言って、その気になるはずがありません。

「衣服製作」は、「服作り」50%、スタイリング50%というのは、そういうことです。

上級生になるにつれ、「自分で考える」ことをしましょう。

続けて「フセイン・チャラヤン」について

2010-06-22 08:39:59 | 衣・考
フセイン・チャラヤンについての関心は、今まで、友人のデザイナーが「最も注目する」と言っていたこと、加えて「なんとなく他と違う」という印象をもっていた・・・にすぎなかった。

だから、彼に関する知識はほとんどない。

で、一昨日「展覧会」をみて、今後もっとも注目したい!ぐらいに思っている。

その理由;なぜ彼は若くして「歴史的視点」に立てたのだろうか?ということ。

私は、ほとんど口癖のように、

「本人の自覚するしないにかかわらず、われわれは歴史の上に存在する」と言っております。

だから、とくに若者は「ファッションを意識しなくとも、存在自体がファッションだ」と。

しかし、彼の場合は、もっと視点が引けている。

それを、視野が広い、というのだろうけれど。

けっして「1点の服作り」をやっているのではない。でもちゃんとやっている。

そういう態度で、時代のこれからを拓いてみせてくれている。

それは、プレゼン、インスタレーション、順路のすべてが作品である、ということでした。

しみじみとおもしろいものです・・・・・

フセイン・チャラヤン最終日に間に合いました!

2010-06-21 08:38:19 | 衣・考
近年にないほどずっと気になっていた「フセイン・チャラヤン」の展示、東京都現代美術館、最終日になってしまったけれど、行ってきました!

行ってよかったです。

学生は何人もが、早くに観ているので、感想をきいてみなくてはなりません。

私の感想は

まず、1点ずつの服が、丁寧にきちんと、美しくつくられている。

それでいて、服は、1つのシーンの装置の「部品」でしかない。

このデザイナーには「語りたいこと」がまずある。

だから、その手段は、衣服でなくてはならない理由は無かったと思う。

それでいて、あたりまえに「丁寧な仕事」であることに感動を覚える。


また、姿勢は、アーティストとして当然の、「本人のアイデンティティーの追及」であるけれど、

それが、必然性の上に成り立っている。

更に、プレゼン方法も新しい。

服そのものには「新しさ」は感じなかったけれど、彼の目的はファッションではないのだろうと思う・・・・・・・

今後注目していきたいアーティストだと思う。

それにしても、最終日と思えないほど人が少なくて残念でした。