「中心化する周縁」
先日紹介した「DRESSTUDY」の論説のタイトルですが、
今年の松本衣デザインにおける「デザイン論」授業のキーワードとさせていただきました。
わかりきったことではありますが、これは何もデザイン界、服飾界を解説する言葉ではありません。
今、グローバル社会も、日本社会も、まったく同様の現象がおこっているわけです。
・・・・・
欧米文化の中からは、イッセイミヤケもコムデギャルソンも出てはこなかった。
「周縁」にいたからこそ「異なる提案」、「クリエーション」ができた。
今日の新聞で、フジTVを番組をリサーチにきた外国人(欧米人の氏名でした)が、
「日本人はなぜこんな変な番組がつくれるのか・・・・」と語った、と書かれていましたが、
「異なる文化」が、まだ厳然とある、ということではないかと思います。
であれば、外の人間が見ればそれは「変」であったり「新し」かったりするわけですよね。
・・・・・・・・
しかし、
衣服デザインの世界においては、
少なくとも、イッセイ、カワクボ、ヨージというのは、
「変」「異文化」としての認識を越えた存在として、確かな位置づけをされました。
世界のイッセイ、世界のカワクボであるのです。
その理由は、歴史的タイミングと実績であると思います。
・・・・・・・・
1枚の衣服を「好き嫌い」の視点で見ることもよいですが、
ときには、専門を学ぶ学生であれば、
上記3人のような人を「ライバル」と位置付けてみてもよいのではないかと思います。
先日紹介した「DRESSTUDY」の論説のタイトルですが、
今年の松本衣デザインにおける「デザイン論」授業のキーワードとさせていただきました。
わかりきったことではありますが、これは何もデザイン界、服飾界を解説する言葉ではありません。
今、グローバル社会も、日本社会も、まったく同様の現象がおこっているわけです。
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欧米文化の中からは、イッセイミヤケもコムデギャルソンも出てはこなかった。
「周縁」にいたからこそ「異なる提案」、「クリエーション」ができた。
今日の新聞で、フジTVを番組をリサーチにきた外国人(欧米人の氏名でした)が、
「日本人はなぜこんな変な番組がつくれるのか・・・・」と語った、と書かれていましたが、
「異なる文化」が、まだ厳然とある、ということではないかと思います。
であれば、外の人間が見ればそれは「変」であったり「新し」かったりするわけですよね。
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しかし、
衣服デザインの世界においては、
少なくとも、イッセイ、カワクボ、ヨージというのは、
「変」「異文化」としての認識を越えた存在として、確かな位置づけをされました。
世界のイッセイ、世界のカワクボであるのです。
その理由は、歴史的タイミングと実績であると思います。
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1枚の衣服を「好き嫌い」の視点で見ることもよいですが、
ときには、専門を学ぶ学生であれば、
上記3人のような人を「ライバル」と位置付けてみてもよいのではないかと思います。