いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

アフリカの伝統文化に基づいた民間治療師「サンゴマ」の話

2008-08-30 00:57:47 | 祈り方
○アフリカの伝統文化に基づいた民間治療師「サンゴマ」の話
 読売新聞の2008年8月29日(金)の夕刊の「地球びっくり箱」という記事で紹介されている話です。取材記者は、角谷志保美氏。
 この記事で、南アフリカの鉱山都市キンバリーから北西に車で二時間の所に住む、アフリカの伝統文化に基づいた、薬草と祈祷を用いて病人を癒やす民間治療師=「サンゴマ」のクレイド・ムトワ氏(86)の活動を紹介しています。
 なお、見出しは、以下の通り。
 霊験あらたか 南アの尊師/体内に眠る治癒力 それを引き出す/薬草と祈り 年数百人を無償で治療

○ムトワ氏の言葉と信念
 以下は、記事に引用されている、ムトワ氏の言葉と信念。
 「人は自分の体内に眠る治癒力に気付いていない。私はそれを引き出す手助けをするだけ」。
 治療の対価を求めないのは、「人を癒やす力は自分ではなく、多くの先輩方から学んだものだから」。
 厳格なカトリック教徒の家に生まれた子供の時に「教会でアフリカの伝統は悪魔に通じる、野蛮だと教えられ、子供のころは(その通りに)信じていた。でも、それは違った」。これが分かったのは、七歳の時に重病に罹り、「白人の薬」を幾ら飲んでも良くならず、母方の祖父であり、アフリカ文化の伝統的な呪医=サンゴマの所に預けられ、薬草と祈りによる治療で回復に向かい、十四歳で完治した体験をしたから。この間に、村の長老たちから部族の歴史と伝統を学んだ。
 「偉大な伝統文化を知り、真の意味で人を助けたい」と、サンゴマになる修行をはじめることになった。
 最初は祖父に手解きを受けて学び、後に、スワジランド、モザンビーク、ボツワナなどに行き、様々な部族の長老に教えを請うた。基本の修行だけで十年、ベテランの今も修行は続く。
 アパルトヘイト/人種隔離政策時代は非暴力を貫いたので、武力による黒人解放を求める集団からは裏切り者扱いをされて、自宅を焼かれ、息子さんを殺されたけれども、「キリスト教もイスラム教も仏教もアフリカの伝統宗教も、元は一つ。同じ水で泳ぐ美しいカエルのように人類が神々を通じて平和を模索する過程が宗教だ」という立場を信じて堅持。
 この結果は、現在、「豊富な知識と独特の発想で、南アのご意見番」として、テレビや新聞にたびたび登場し海外講演もこなしているとか。

○本物の呪医=ヒーラーとしてのサンゴマ
 上の話で明らかなのは、ムトワ氏は、「サンゴマ」と現地で呼ばれる民間治療師=伝統医学の呪医=ヒーラーと言われる人になるために必要な修行法があり、これに基づいて修行をちゃんとしていることです。
 アフリカにも、伝統医学のヒーラーがいるということを、具体例で初めて知りました。
 ヒーラーとして、ムトワ氏には、実際に治療実績もある。
 「人は自分の体内に眠る治癒力に気付いていない。私はそれを引き出す手助けをするだけ」というムトワ氏の正しい知識が役立っている、といえます。

○記者の締めの信念
 取材した記者は、「治療の効用はわからないが、いつの間にか話しに引き込まれ、太古からみなぎるアフリカの大地の力に満たされる気がした。これもサンゴマのちからなのか。」と記事を締めくくっています。
 話だけでは、科学文明国人の記者には、薬草と祈りによる民間治療は、にわかには信じ難いのかも知れません。
 あなたは、如何ですか?
 おなたも、この記事を書いた記者のように信じられないのならば、一般法則論で説明している天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みについて、よく学ばれると良いでしょう。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

北京オリンピックが終わりました いわゆる中国人とその歴史について

2008-08-26 05:38:34 | 神の化身・神の分身のヒト
○北京オリンピックが終わりました
 何が起こるか分からない、という懸念を抱かせた北京オリンピックも、24日、無事に終わりました。
 スポーツ、特にオリンピックに参加した選手たちの人生ドラマには、「人が自らの人生を自助自立して生きるための成功のノウハウ」が色々と詰まっている、と申し上げて良いでしょう。一般法則論者の私は、もっぱらこの観点で選手たちの競技を見ていました。

○大国の威信をかけた開会式と閉会式の演出
 中国共産党のメンツを懸けて、大国中国振りを演出した、開幕(と閉幕)の宴を見て、(スポーツ・バーに集まった東京大学時代の友人たち)「みんなの共通の感想は、中国のパワーは、もう誰にもとめられない・・・。」という素直というか、無知で能天気というか、手放しの中国礼賛組もいますが、ナチス・独逸のベルリン・オリンピックを連想させて不気味だとか、うそつきの中国がここでも露わになったという冷めた見方も聞きました。

○ヒトの「生き方の原理」になる「哲学」の面で何が起こるのか
 オリンピックの開催国になっても、独善的で自己中心的な中国共産党政権が民主化することは期待できない、と言って良いかも知れません。オリンピック開催国になることは、その国がその依って立つ哲学(ここではもっぱら一般法則論のことを意味しています)が変わる可能性を高めることにはならない、といえるからです。
 それでも、新聞報道をみると、ボランティアで参加して外国人選手や外国人観光客に接した人たちの間に、非中国人の世界観や人間観に触れて、自分たちとは何か異なるものを感じ取ったようです。
 これに新しい「中国人」誕生の可能性を期待したい。

○オリンピック期間中、中国人とは何かを再確認した動き
 北京オリンピック中は、自称中国人が誇りにしている、自称五千年の歴史を持つ中国、ということについて、中国大陸で多数の民族が入り乱れて争った歴史があるだけで(注記1)、現在も、中国人という単一の人種は居ないし、自称中国人が皆で話す「中国語」という一つ言語も無い、という今更ながらの指摘や、共産党による一党独裁の「中華人民共和和国」という新しい国が、中国大陸に数十年前に初めて誕生したという、国としては新しい存在であり、今も、全体で一つの国民国家の態をなしていない国、という指摘も、インターネット等で行われました。

○注記1 すれっからしの人たちを多数作り出した
 中国大陸における過去の歴史の殆んど全部を多数の民族が入り乱れて覇権を争い、同じ漢民族同士でも「三国志」で知られているように覇権争いをした結果は、人々をして、明日があることを信じるのを難しくし、自分の運命は自分では決められず、時の権力次第でどうにでもされてしまう経験の積み重ねで、他者不信と無責任と無力感が常態化し、「やられる前にやれ!」、生きるために嘘も許される(→革命歌を歌った少女の口パク問題。ニセ・ブランド商品や違法コピー商品など海賊商品の氾濫)というすれっからしの人たちが住む大陸になっているわけです。
 言い換えると、日本列島という周りを海に囲まれた国土に生まれ住み、縄文時代という名称で知られている二万年近くを、外からの侵略者/征服者の侵入がなく、豊かな自然相手に伸び伸びと育って、創造主である神の化身かつ分身の存在のヒトとしての本来の人間的な成熟を自然に果した日本民族(注記3)とは異なって、中国大陸における異民族の征服者が絶えず現れて否応なしに戦乱に巻き込まれるという過酷過ぎる生活の中では、そこに住む人たちは、すれっからしの人間にならざるを得なかった、こうなるのが一番楽な生き方だった、と申し上げて良いのかも知れません。
 すれっからしの人たちを前にすると、一般法則論的な人間観である、全てのヒトが創造主である神の化身かつ分身の存在、という言い方が空しく響きます。
 それでもなお、中国大陸に住む人たちも間違いなく、私達と一つ同じ天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られている世界を戴く、創造主である神の化身かつ分身の存在のヒトであることにはいささかも変わりは無いわけです。

 なお、次の本。
 連 根藤(1989)(台湾人 中国人ではなくて) 中国人のはらわた はまの出版
 「不信感、騙しあい、権力闘争、無力感・・・。これが中華思想に武装された中国人の正体。日本人の勝手な思い込みや、美化に警鐘を鳴らす衝撃の書。」

○大陸の外へ出た人たちのその後
 大陸の外に出た人たちは、例えば日本に来た人たちは、大陸生活で身につけた伝統的な生活習慣や思考習慣をそのまま生きて犯罪行為に走る人達と、犯罪者にはならなかったけれども、その土地の文化・習慣に溶け込まず、傍若無人に振舞って土地の人たちの顰蹙を買い(注記2)、これを反省して謝る替わりに、自分は絶対に正しく、悪いのは人の所為にして、我々中国人に対する民族的な差別だと受け取り、結局自分たちだけで中華街を作って住むしかなくなり、同時に中国人であることを自らの殆ど唯一の存在根拠にして(自らに存在根拠を一般に与える宗教信仰とか一般法則論のような哲学を知らないし持ってないのも、中国人一般の特徴かも知れません)、かって捨てられたはずの祖国、自ら捨てたはずの祖国を頼りにして、「祖国のために!」と言い出す人達と、中国大陸に居たときとは異なる体験をして、ヒトは本来信頼できる存在なのだと発見して、やすらぎを憶える人たちとに別れるようです。そして、この人たちは、中国大陸を振り返って、今のままの中国で良い訳はない、と悟るわけです。
 注記1の終わり

○注記2 カナダでの中国人の傍若無人ぶりが話題に
 つい、先日、カナダに移住した中国人の傍若無人ぶりに、カナダ人が迷惑している、という話が、インターネットの話題になりました。
 これをご存知の方も居られるかも・・・。
 注記2の終わり。

○注記3 日本民族以外に創造主である神の化身かつ分身の存在のヒトらしさを自然に解発した民族は?
 地球規模で見て、創造主である神の化身かつ分身の存在のヒトらしさを自然に解発した民族が、日本民族以外に存在したでしょうか?
 ここで言う「解発」とは、動物行動学の用語で、その動物が生得的に持っている特定の行動の型=本能的な行動の型を、自然に発現させる条件=解発刺激が整えられることを指します。
 また、ここで言う、「解発刺激により、創造主である神の化身かつ分身の存在らしさが解発される」という意味は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを発見し理解しこれを文化・文明作りに活用するようになることまでを含んだ意味です。
 一般法則論の理解では、全てのヒトが、創造主である神の化身かつ分身の存在として造られています。これが、姿・形が見えない絶対的無意識の存在の創造主である神による天地創造の目的だからだ、と一般法則論では言い切っています。
 しかし、個々のヒトや民族などの集団レベルで、生得的な創造主である神の化身かつ分身の存在らしさが自然に解発されるかどうかに関しては、この解発が自然に行われたと一般法則論者として判断している日本民族の例から推測すると、日本民族以外の民族では、その解発条件が整わなかった、と言っても良いようです。
 日本列島内には、アイヌ民族がおりました。
 そして、アイヌ民族は、天然自然の世界の仕組みをそれなりに理解し、これを日常生活に生かして暮らす、純朴で心優しい人たちであることも、知られています。
 しかし、アイヌ民族は、世界中の他の「先住民族」と自称する人たちと同様に、自ら進んで更に深く天然自然の世界の成り立ちと仕組みを科学的に解明しようとする学問をすることを思い付かなかったわけです。
 なぜ、この違いが生まれたのか?
 これは、宿題にしておきます。
 とにかく、国民の多くが、あたかも悟りを開いたヒトのような成熟した大人らしさを持つ日本民族が、この境地を未だ知らない世界中の多くの人達のために、創造主である神の化身かつ分身の存在のヒトらしさの模範を示すことが出来るのでは、と一般法則論者として思います。
 一般法則論は、このための理論武装の役割を果せたら良い、と願っています。
 注記3の終わり。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

祝 北京オリンピックで男子400mリレー 日本が銅メダル

2008-08-24 02:57:20 | 潜在意識の活用法
○祝 北京オリンピックで男子400mリレー 日本が銅メダル
 8月22日、男子400mリレーの決勝戦に出場した日本チーム、塚原直貴、末続慎吾、高平慎士、アンカー朝原宣治のメンバーは、38秒15で3位に入り、銅メダルを獲得した、いうニュースは、既に皆さんもご存知の通りです。なお、優勝はジャマイカで、37秒10の世界新記録。
 予選は見ませんでしたが、決勝と表彰式の様子は、テレビのスイッチを入れたタイミングがとても良くて、生中継で見ることができました。
 良かった! 良かった! 良かった!

○トラック競技で男子は初のメダル
 陸上のトラック競技で、日本の男子がオリンピックでメダルを取ったのは、これが最初。
 女子を含めると、1928年のアムステルダム大会で、女子800mで銀メダルを人見絹枝選手が取ってから80年ぶり、という話。
 このアムステルダム大会では、トラック競技ではない、フィールド競技の三段跳びで、織田幹雄氏が、15.21mを跳んで金メダルを取った話は、私が小学生のころには何度も聞かされたものです。
 東京の国立競技場に、この優勝記録を記念して、高さ15.21mのポールが立てられ、東京オリンピックのときには、ここに五輪旗が掲げられたのでした。

○レースを終わった後の末続慎吾氏の発言
 リレーが終わって、テレビのインタビューに答える末続慎吾氏は、日本の陸上短距離界の諸先輩方の悲願と努力の結晶としての今日の成果であり、国民の皆様の支援の賜物、という趣旨の発言をしました。
 これを聞いていて、何か古典芸能/伝統芸能の名人と言われる演者のとても謙虚な芸談そっくりだ、と思ったものです。

○星野ジャパン
 野球の星野ジャパンは、金メダルを目指して出掛けて、結果は、四位でした。
 日本には絶対負けたくない韓国とアメリカ相手に、「今、ここに、活きているシステムがある原理」から外れた、ちぐはぐで無策の通り一遍の野球をして、負けるべくして負けた、という印象でした。
 韓国と三度対戦して一度も勝てなかった、というのが、その全てを物語っています。

○女子ソフトボールは金メダル
 女子のソフトボールは、悲願の金メダルを獲得しました。
 前の試合のことは忘れて、「今、ここに、活きているシステムがある原理」にとても忠実に戦いました。
 特に、三試合完投した上野由岐子投手は、満塁のピンチでも、「今、ここに、活きているシステムがある原理」に忠実に、冷静かつ勇敢に振舞って、それを切り抜けました。
 偉いものです!!!

○「魔物が住む」というオリンピックでは幸運の女神を味方につけなくては勝てない
 オリンピックに出場するような選手は、みな実力者揃い、と言って良いでしょう。
 その中で男子100mと200mで世界新の記録を作って勝ったウサイン・ボルト選手のようなずば抜けた力のある選手以外は、幸運の女神が味方をすれば、メダルが取れる可能性がある人たちが沢山居る、ということができそうです。
 しかし、実力だけでは勝てないし、過去の実績も役には立たないわけです。
 ましてや、意志の力による努力や人間的な創意工夫など、自らの能力にたがを自ら嵌めて、身動きできないようにするだけです。しかし、多くの人達がこれをして、普段の力さへ発揮できなくしてしまいます。
 では、幸運の女神をどうしたら味方に付けることができるのか?
 これは、通常の身体を実際に使った練習方法のほかに、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に則り、「今、ここに、活きているシステムがある原理」に忠実に、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを丸ごと利用する心の技術である、メンタル・トレーニングをする、ということに尽きます。これしか無いようです。→ラニー・バッシャム+藤井優(1988) メンタル・マネージメント 勝つことの秘訣 ヨルダン社
 これは、何度も言いますが、「意味のある偶然の一致」の例で知られて居るような、何もかも自然にうまく行って、望んだ通りの結果を自動的かつ必然的に得る式を、自覚的に意図的に起こす方法です。

 メンタル・トレーニングは、私達の日常生活でも、一般的に広く使えます。
 日常の多くのことも、幸運が加わって始めてうまく行く、と言って良いですから・・・。
 一般法則論は、メンタル・トレーニングを支え、基礎になる一般原理を解明し説明します。

 日本の男子400mリレーで銅メダルが取れたのも、予選でアメリカやイギリスやイタリアが失格するという突然の出来事が起こらなければ、有り得なかったかも知れません。
 予選を全体の2位で通過して、メダルが取れるかも知れないという期待が高まり、日本選手の日ごろの研鑽と日本選手を支える日本の陸上競技界の悲願と日本国民の期待と応援があって、運が味方をしてくれた、ということでしょう。

 北京オリンピックの競技は、後、男子マラソンを残すのみ(の筈)。
 バレーボールの男子決勝戦と女子新体操の決勝戦が残っていました。

 男子マラソンは、尾方剛選手が2時間13分13秒(決して遅くは無いタイム)で13位、佐藤敦之選手は完走した選手の中で最下位の76位でした。
 ゴールに入った佐藤敦之選手が脱帽して、観客席と走って来たコースに向かって一礼した姿は、日本の選手らしい振る舞い方で、感激しました。
 優勝は、日本ではお馴染みのケニアのサムエル・ワンジル選手。記録は、2時間6分32秒のオリンピック新記録。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


粘土団子 世界の旅 NHK こころの時代・宗教・人生 動画サイト

2008-08-21 10:42:01 | 自然農法
○粘土団子 世界の旅 NHK こころの時代・宗教・人生 動画サイト
 NHKのテレビ番組「こころの時代・宗教・人生」で放送された「粘土団子 世界の旅」を、動画で見ることができます。
 ご参考まで。

<script language="JavaScript" type="text/JavaScript" src="http://visionmovie.ameba.jp/mcj.php?id=xus52qg75nW:bhac:Nm:dj:xn8w00ksPAOXcf7/xmLehbaXWrEKPL:4BxF:33:7W:eGJMrIGUMiWYLsWlJUdA7x&width=320&height=240&skin=gray"></script>

 キーワードを、福岡正信 粘土団子 世界 でインターネット検索されると、この動画のサイトに、効率的に行き着くようです。
 以上。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


福岡正信先生の逝去に関するニュースを読む

2008-08-19 19:08:13 | 自然農法
福岡正信氏が死去 無農薬など自然農法実践(共同通信) - goo ニュース

 福岡正信、自然農法をキーワードにしてインターネットで検索すると、沢山の記事がヒットしました。
 改めて、この先、その評価が上がることはあっても下がることは無い、福岡先生の偉人振りが分かります。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


自然農法の福岡正信先生が亡くなられました

2008-08-19 06:38:27 | 自然農法
○自然農法の提唱者の福岡正信氏が亡くなられました
 本日、2008年8月18日(月)の新聞の朝刊に、無耕起・無化学肥料・無農薬・無除草を原理として稲作りをする、「自然農法」と言われる方法を発見・開発した、福岡正信氏が、8月16日、老衰で亡くなられた、という記事が載っていました(1913~2008年)。

○NHKの番組で福岡氏の自然農法を知る
 私が、福岡氏の自然農法について初めて知ったのは、1976年11月23日、NHKのテレビ・ドキュメンタリー番組「一株の稲に始まる」でした。

○福岡先生の本を読む
 NHKのその番組を見て、翌年の2月に、福岡正信先生のお書きになられた次の本を手に入れました。
 福岡正信(1976・12・01)  自然農法 緑の哲学の理論と実践 時事通信社

○一般法則論の強い味方を得たと思う
 私は、この本を、夢中になって繰り返し何度も読んだものです。
 そして、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られている、部分部分に分離・分割することが決して出来ない、常に全体でただ一つのこの世界の成り立ちと仕組み=その土地の天然自然の生態学的な秩序を、稲作、野菜作り、果樹作りに丸ごと活用する実例がここにある!!! ととても感激し、(当時はまだ一般法則論とは言っていませんでしたが)一般法則論の強い味方を得た、と思ったものです。

○自然農法の効用
 もちろん、無耕起・無化学肥料・無農薬・無除草の農法自体が、自然の環境破壊を軽減する、俗に言う「自然に優しい」農法としても、また、従来の農法よりも手間が掛からず、化学肥料や農薬を使わない分、経済的に安上がりだし、農業従事者の農薬中毒を無くす農法としても、とても優れていることは、言うまでもありません。

○天然自然の世界は無耕起・無化学肥料・無農薬・無除草で成り立っている
 森や林や草原の形で存在している天然自然の生態学的な秩序が支配している世界は、無耕起・無化学肥料・無農薬・無除草で、しかも、それ自体で自己完結し自立している完全完璧な秩序で成り立っています。
 この事実は、自然の中に入ったヒトならば、自然に気が付くはずのものです。

○個人的な体験
 個人的な話をすれば、小学校に上がる前の子供のときに、農家の庭に咲いているオシロイバナやホウセンカに勝るとも劣らない美しいミソハギの花が野に咲いているのを見て、ヒトが栽培していないのに天然自然の中にこんなに美しい花があるのかととても不思議に思ったものです。
 中学二年生のときに伊豆の河津温泉の宿に泊まって河津浜で行われた学校の臨海教室に参加したときに、旅館から浜まで歩いて行く道沿いの崖の中腹の下から見上げる所に咲く山百合の花(白百合は街の花屋さんの店頭にあるので、ヒトの手で作り出された園芸種だとずっと思っていましたから、天然自然の中に野生でこれが在ることにとても驚きました。付近には野生の山百合が沢山咲いていました)とこれに訪れている、初めて見るモンキアゲハを見たときには、これはヒトが作ったのでは無い、本当に天然自然の物なのだ!!! と強く印象付けられたものです。
 以来、天然自然の世界に自生する、ヒトの手がまったく加えられなくても美しく咲く野生の花々に魅せられるようになりました。

○完全完璧に美しく造られている天然自然の世界
 ヒトの手が加わった園芸種では無いのに、野生で美しい花が咲いている。
 以上の話は、言い換えると、天然自然の世界は、ヒトの手が一切入らなくても、それ自体で自己完結している自立した秩序を持って完全完璧に造られている世界だ、という事実を、私は発見した、ということです。
 しかし、後に、西欧では、天然自然の世界は野蛮で不完全で、文化・文明の形でヒトの手が加えられて初めて完成し、完全完璧な存在になる、という社会通念がある、と知りました。
 女性解放運動/ウーマン・リブの闘士が、(私の理解では女性に対するほめ言葉なのですが)「女性は自然により近い存在だ」と言われて、女性を侮辱するものだと激怒したという話があると知りました。これを紹介している日本の活動家がこの話に同調していることにも驚いたものです。
 但し、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を説く欧米の人たちは、天然自然の世界、特にヒトの心身の完全完璧さをよく知っています。

○自然農法は自然の生態学的な秩序の中に農作物を組み込む技術
 その土地の天然自然の生態学的な秩序を、稲作、野菜作り、果樹作りに丸ごと活用するとは、全てのヒトに先立って、全てのヒトに等しく存在するその土地の自然の生態学的な秩序の中に、稲や野菜や果樹を組み込んで、その生態学的な秩序に溶け込ませ、それと一体化させることで、無耕起・無化学肥料・無農薬・無除草でも農作物が作れるようにすることです。
 この基礎には、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られている、天然自然の世界を支配している完全完璧な知性とこれがもたらす完全完璧な秩序に対する無条件・無留保の信頼があります。この話は、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法の場合でも同じです。

○ヒトの世話無しでは育たなくなっている農作物を野生に戻すのが自然農法の眼目
 問題は、人の力で改良され続けた農作物は、本来の野生味を失ってしまって、人が徹底的に管理し世話をしないと育たない植物、無耕起・無化学肥料・無農薬・無除草では殆んど育たない植物になっていることです。
 そこで、無耕起・無化学肥料・無農薬・無除草で成り立っている天然自然の生態学的な秩序の中に、無耕起・無化学肥料・無農薬・無除草では最早育たない人工栽培の農作物を組み込むハウツーとノウハウの発見が、自然農法の眼目になります。

○粘土団子
 無耕起・無化学肥料・無農薬・無除草の実際は、複数の種子を「粘土団子」(直径は2cm足らず)の中に入れて、土地にばら撒く、という方法。これで、例えば砂漠に自然に発芽した植物が育つ、という凄いことが自然に出来てしまうわけです。
 NHKテレビで、小型のコンクリート・ミキサーを使って、粘土と種子を一つに混ぜる様子を見た記憶があります。この方法を発見して、粘土団子作りの効率が上がった、という話でした。

○福岡先生の発見とこれを否定する人たち
 福岡先生は、試行錯誤を重ねられて、この方法を発見され、かつ、自然農法として確立されたのです。
 それでも、無耕起・無化学肥料・無農薬・無除草で農作物が育つ自然農法は、ムベンバ効果を科学的な常識に反するものだと認めないのと同様に、非科学的な理論に基づくオカルト的な方法だとか、自然農法をやっている周りで、従来どおりの農業/慣行農業、即ち、耕起・化学肥料・農薬・除草などを行う農法が行われているお陰で、自然農法の畑の病害虫が除かれて、やっと成り立っているのだ、と主張する人たちが、多分今でも正統派なのです。
 しかし、事実は、農薬が使われている畑から、虫たちは逃げ出して、無耕起・無化学肥料・無農薬・無除草の畑へ集まってくるのです。虫たちは、どちらの環境が安全で住み易いかをちゃんと判断できるのです。

○福岡先生の自然農法はその有無を言わせぬ成果で新しい実践者を生んだ
 無耕起・無化学肥料・無農薬・無除草の自然農法など科学的な常識に反する、という批判。
 しかし、それでも、福岡先生の自然農法は、NHKのテレビやラジオの番組で何度も取り上げられましたし、全国的に、また、海外にも知られ、実践者が出るようになりました。なぜならば、自然農法は実際に成果があるからです。

○自然農法の実践者を知る 木村秋則氏の無農薬・無肥料のリンゴ栽培
 福岡先生のご消息を最後に知ったのは、もう数年以上も前のNHK番組で、でした。
 それが、先日、新聞で新刊書の広告で知って買った本の中で、福岡先生の自然農法を参考に、リンゴを自然農法で育てることに成功されたヒトを知りました。

 石川拓治(2008) NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」製作班監修 奇跡のリンゴ 「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則 幻冬舎

 この本の、柴田周平 NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」のディレクターの前書きとこの番組の司会者の茂木健一郎氏のあとがき「木の上に広がる青空」がとても良い。

 この本の中の参考文献の中で知った次の本も手に入れました。

 木村秋則(2007) 自然栽培ひとすじに 無農薬・無肥料の技と心 創森社

 前書と合わせて読むと、リンゴは農薬づけでしか栽培できない、という常識を覆して、リンゴを無農薬・無肥料で自然栽培に成功した過程のご苦労がわかります。

○動的な生態学的な秩序がある
 自然の生態学的な秩序というと、生物進化の果てに到達した生態学的な秩序が「生物の棲み分け」という形で固定化しているみたいなイメージを、私は持っていました。
 しかし、日々変化する天気(図)のように、自分の体の時々刻々の血圧や心拍数の変化のように、棲み分けの秩序が年ごとにダイナミックに/動的に激しく変化しつつ、全体としてまとまりのある一つの生態学的な秩序を保ち、維持していることを、木村秋則氏に関する二冊の本で、初めてよく知り、理解できました。

 福岡正信先生が亡くなられた、と知って、自然農法の話を急遽しました。
 福岡先生が説明し切れなかった自然農法の原理を、一般法則論で説明しているつもりでいます。
 先生のご冥福を祈ります。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


北島康介選手が平泳ぎの100mを世界新で金メダル

2008-08-11 15:20:24 | 潜在意識の活用法
○北島康介選手が平泳ぎの100mを世界新で金メダル
 今日、2008年8月11日(月) 北島康介選手が、100メートル平泳ぎで、金メダル!
 それも世界新でした。
 生中継で、この様子を見ることができました。

○優勝インタビューを受けた北島選手の仕草
 優勝のインタビューで、北島選手は、タオルで顔を覆って、しばらく声がありませんでした。
 この仕草から、彼の深い喜びぶりが伝わってくる感じでした。

○何気ない仕草の持つ意味を読む
 何気ない仕草でかつ象徴的な仕草が、何万言の言葉よりも雄弁に信頼できる情報を伝えてくれる、ということがあります。
 何気ない仕草は、ヒトの意識のある心によって意志的にゆがめられることが少ない、無意識=本音に根拠を置いたものである可能性が高いものです。
 これらが幾つも重なって、その全てがただ一つの方向を指していると分かるとき、その情報の信頼性は、ますます確かなものになります。
 経験的にこうだと知っているので、私は、ヒトの何気ない仕草をよく観察することを習慣にしています。
 少し混んだ夕方の電車に乗り込んで、車内の蒸し暑さに頭がぼーっとした瞬間に、特定の人物に関するそれまでの仕草の情報が一気に結晶化して、一つの意味が了解できた、という体験をしたことがありましたね。

○メンタル・トレーニング
 なお、水泳選手の場合、体を動かす練習の他に、これに勝るとも劣らない大事な練習方法のメンタル・トレーニングも行っているようです。他に、アイス・スケート選手たち。
 北島選手も、メンタル・トレーニングをよく行っている、と聞いています。
 メンタル・トレーニングは、ヒトの全ての知識と能力の唯一絶対普遍かつ不変の源である、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを丸ごと活用する方法である、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法の、またその中核を成す技術です。
 しかし、柔道や相撲やレスリングでは、勝つぞ! という意志の力と体を動かす練習が絶対で、メンタル・トレーニングは未だ自覚的に意図的に採用されていないようですね。

○メンタル・トレーニングに関する本
 メンタル・トレーニングに関しては、次の本を、先に紹介しました。
 100頁足らずの本ですが、中身の濃い本です。

 ラニー・バッシャム+藤井優(1998) メンタル・マネージメント 勝つことの秘訣 ヨルダン社

○男子柔道73キロ級で金メダル宣言の金丸雄介選手初戦で負ける
 男子柔道73キロ級で金メダル宣言の金丸雄介選手が、この文を書いている最中に、初戦でイランの選手に一本負けしました。
 何の試合でもそうですが、勝ちたい、といえば、勝てるのではありません。
 今年の五月二十五日の文、「一般法則論的な祈り方の実際 琴欧州の初優勝を祈る」の中でも説明したとおり、「今、ここに、活きているシステムがある原理」に忠実に、自然に勝ちが転がり込んでくるように振舞わないと、実際には勝てません。
 このとき、全ての行動を目標の実現に向けて自動的かつ必然的にまとめて整えてくれる、日ごろのメンタル・トレーニングが威力を発揮します。
 私個人にとっては会う必要の無い女優さんと出遭う、という間違った目標の実現へ向けて、その日の私の行動が全て見事に秩序付けられていた、と後から分かった話も、メンタル・トレーニングの威力を示した実例です。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。




谷亮子選手金メダルを逃す  「今、ここに、活きているシステムがある原理」

2008-08-10 05:08:22 | 潜在意識の活用法
追記 八月十一日
 金メダルを逃した谷亮子選手が、十日記者会見を開いて、「金メダルを取れる練習が確実にできた時に目標を設定したい。今はその時期ではない。」と発言したことを、今日十一日の新聞で知りました。
 このような状況での適切な判断ですね。引退するしないを決める時ではありません。
 成功のコツは、よく知られているように、成功するまでやることです。
 この点に関しては、これを禁止するルール/規則/法律は無いのが普通ですから、「ママでも金」の目標を自ら放棄しない限り、谷選手の場合は必ず実現できる地力を持っていると言って良いでしょう。
 以上。


○谷 亮子選手金メダルを逃す
 柔道の谷亮子選手が金メダルを逃しました。
 九日の夕方、家の近所に買い物に出掛けて、戻ってきて、テレビの電源を入れたら、谷選手が、ボグダノワ(ロシア)を相手に三位決定戦の試合中でした。即ち、谷選手は、既に準決勝で負けた、ということです。
 谷選手は、金メダルを逃しただけでなく、メダルはゼロの可能性の危機にどう対処するのか、と見ている内に、谷選手が鮮やかに払い腰で一本勝ちして、銅メダルを獲得しました。

○格下の選手を相手に切れの悪い技
 この試合に先立って、谷選手が準決勝に出場を決めた試合二つを、生中継中で見ました。
 しかし、格下の選手に対して、今一つ乗りが悪く、技の切れが悪いのが、気になったものです。
 解説者の山口香氏は、谷選手の技が通用しなくなった、という話をしました。

○北京オリンピックから適用の新ルールで敗れる
 準決勝への出場を決める試合中、北京オリンピックの柔道では、判定のルールが変わった、という解説がありました。
 試合運びが消極的という判定は、以前なら両方に出すものだったのに、極力、どちらか一方にだけ出す、という新ルールに変わった、と言うのです。
 そこで、格下の選手相手に技の切れが悪い谷選手について、この新ルールが不利に働かないようにする試合運びを! と解説者の山口氏は述べていました。
 しかし、準決勝の試合の経過を、この文を書くためにインターネットで調べましたら、金メダルを獲得することになるドゥミトル(ルーマニア)相手に、正にこの新ルールで谷選手は負けたのだと知りました。
 解説者の山口氏の危惧が、現実になったわけです。
 言い換えると、解説者の山口氏の分析は、とても正確だったことになります。

○釈然としない話だが、ルールはルール
 谷選手は、新しいルールで負けた。
 しかし、そのスポーツの本質に関ることでは無い、と思えるルールで試合の勝敗が決まる、というのは、何か釈然としませんね。
 しかし、ルールはルール。また、ルールは全ての選手に等しく適用されます。だから、負けをルールの所為にするわけはいきません。

○ルールを超える方法は?
 ルールはルール。
 負けをルールの所為にするわけはいきません。
 そこで、仮令ルール等が変わっても、確実に勝てる方法は無いのか? という話になります。
 言い換えると、運を良くする方法はあるのか、という話です。
 前にも、運を良くする話をしています。
 ここでは、新しい視点でこれをします。

○どうしたら勝てる運を呼び込めるのか?
 「ママでも金」と宣言し、過去に輝かしい実績を残している谷選手が、新ルールに基づいた判定で、まさかの敗退。
 「この世に神も仏も無いのか?」という決まり文句の一つも言ってみたくなる場合です。
 しかし、それでも、勝ちたいときには、安定して確実に勝ちたい。
 こんなうまい方法はあるのか?
 結論的に言えば、ヒトの生き方の原理をハウツー化した、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法をマスターすることが、安定して勝ちをもたらす方法になります。
 この説明。

○「今、ここに、活きているシステムがある原理」
 例えば、電話を掛ける場合を考えてみます。
 過去に、或いは、直前まで、何千回、何万回、電話機を使って電話を掛けたことがあったとします。
 しかし、今、この瞬間、持っている電話機が故障していたり、電話機を持ってなくて使えなかったりしたら、電話を掛けることができません。
 この通りだ、と直感的に直ちにご理解頂けるでしょうか・・・。
 即ち、何をするのでも、今、ここに、それをすることを可能にするシステムが、存在しかつ活きている/アクティブである/死んでいてはダメ、ということが絶対的に必要なのです。
 この先、これを、「今、ここに、活きているシステムがある原理」と言うことにします。
 なぜならば、望むことを実現するためのシステムを造る、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法で丸ごと利用できる天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きは、時空を超えて存在し、常に、今、ここにのみ存在し、今、ここでのみ働く、という性質=禅で言う「空」(くう)の性質があるからです、過去や未来で働くのではなくて・・・。
 そして、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きは、ヒトが考え得ることを遥かに超えて、文字通りの意味で、全知全能であり、万能なのです。
 そこで、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを実際に丸ごと利用することができる潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法をマスターすれば、ヒトがこの世で失敗したり挫折したりすることは有り得ないことになります。

○過去の成功体験も失敗を乗り越えた体験も役に立たない
 「今、ここに、活きているシステムがある原理」がある。
 この原理が意味していることを言い換えると、過去の実績、過去の成功体験は、今、この機会の勝敗には一切関係が無い、ということです。
 この意味することは、過去の失敗(注記1)は、それが如何に重大なものであろうと、今、現在から未来に向けての成功を制限し、制約し、限定することは絶対に有り得ない、ということです。
 即ち、過去を忘れて、今、ここで、新しい成功に向けて、新しい一歩を踏み出すことが、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みで、全てのヒトに等しく、絶対的にかつ普遍的に保証されている、ということです。
 何をするのでも成功するまで何回も試行錯誤をしなければならない私にとってはとてもとてもとても有り難い仕組みであり、原理の存在です。
 もちろん、過去だけでなく、例えば占いが告げる未来が、今、現在の勝敗を制限・制約し、限定して、左右することもありません。未来は、「今、ここに、活きているシステムがある原理」で、今、ここで、常に新しく創ることが出来るのですから・・・。

○自信の真の源
 こう申し上げると、少なくとも過去の成功体験は、特に、失敗の体験や挫折を乗り越えた体験は、今、ここで、新しい試みをするときに、必ずそれができるという自信になるはずだ、と言う方が居られるかも知れません。
 何事も、私にもそれが出来るという自信があることが、成功の元といわれています。
 しかし、電話を掛ける例で説明したように、過去の成功体験や失敗や挫折を乗り越えた体験自体は、それがどんなに自分の自慢であり、自信の源になっていようとも、今、ここでの成功体験をまったく保証してはくれないのです。
 何を望むとしても、これを成功的にやり遂げるには、「今、ここに、活きているシステムがある原理」に適っていなくてはダメなのです。電話を掛けたいのに、今、ここに、これを可能にする、活きている電話機が無くては、話にならないのです。
 この原理を信頼し、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きが持つ全知全能さを信頼し、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を信頼し、これらは全て、私達がこの世界に誕生する前から、全てのヒトに等しく、客観的に唯一絶対的に、普遍的にかつ不変的に存在し、働いているのだということに信頼を寄せることが、本当のぶれない、揺るぎの無い自信の源になるものです。

 以上の意味で、過去に栄光に満ちた実績がある谷亮子選手でも、「今、ここに、活きているシステムがある原理」に、試合をしているその瞬間に適っていなくては、勝ちたくても勝てないのです。
 ということは、誰でも、常に、いつでも、何処でも、何をするのでも、「今、ここに、活きているシステムがある原理」に則って考え行動するしかないわけです。

○過去はもう関係ないと公言しているというイチロー選手
 児玉光雄 鹿屋体育大学助教授(2001)  イチローに学ぶ「天才」と言われる人間の共通点 河出書房新社を、先に「インサイド・アウト型人間」の話で紹介しました。
 この本の中に、イチローは、今、この瞬間の打撃に集中して結果を出すことに専念するのを習慣にしていることが書いてあります。
 イチローは、正に、「今、ここに、活きているシステムがある原理」に忠実な振舞い方を習慣にしている、と分かります。
 そして、イチローにとって、過去の記録は通過点としてのみ意味がある、というわけです。

○注記1 過去の悲しい事件でも話は同じ
 過去の悲しい体験や不本意な体験がトラウマになって、今、現在が生き難い、という話がよくあります。
 しかし、「今、ここに、活きているシステムがある原理」があるので、本来、過去が現在を絶対的的に支配する、ということは絶対的に有り得ません。
 注記1の終わり

○「今、ここに、活きているシステムがある原理」を「うまい話」にすり替えるヒト
 「今、ここに、活きているシステムがある原理」がある。
 こう申し上げると、必ず目端の利く商売上手の人たちが現れるものです。
 即ち、現世の罪を一切自動的かつ必然的にチャラにして死後は天国に自動的かつ必然的に行けることを保証する「免罪符」なるものを考え出したキリスト教会の坊さんの例のように、「今、ここに、活きているシステムがある原理」を誰でも自ら使わなくては何も出来ない点を、一般的に解決する方法を売りにすることです。
 俗に言う「うまい話」がこれに当たります。
 例えば、あなたに代わって、あなたの資産を運用して儲けて差し上げますという投資の話。
 おなたが、金持ちの家に強盗に入って、家人を殺して、金を奪うことに成功しても犯罪者になってしまうことが無いように、あなたに代わって全ての金持ちから合法的にその富を国家が奪い、その富をあなたに分配して差し上げると申し上げている我が政党の議員を選挙で沢山当選させてください、とお願いしている政党。
 「私くらい立派な人間は世の中にいないのに、その私がガンだというのは、どうしても納得が行かない!!!」と言い張るヒト。
 こういうヒトに、「霊感商法」が取り入ります。
 こういう例を、あなたは、幾つご存知ですか?

○自分の運命は自分で良くするしかない
 自分の運は、自分で良くするしか方法はありません。
 なぜならば、創造主である神は、あなたに化身しかつ分身して、あなたとして生きたいのだからです。これが、創造主である神の天地創造の目的であり、その理由だからです。
 そして、これは、「今、ここに、活きているシステムがある原理」に忠実な生き方をする、ということです。
 具体的には、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法をマスターして使えるようになる、ということです。
 これがこの世界の成り立ちと仕組みの中でヒトとして生きるには必須だ、ということです。

○決断すること
 潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は、「求めよ。さらば与えられん。」とイエスが言った言葉を借りると、「求めよ」ということで、自動的かつ必然的に始動するのです。
 求めよ、とは、自分は、今、ここで、何が欲しいのかを一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に明らかにして、それを物にする、と「決断する」という単純なこと一つに全てが懸かっていることを知ることです。
 この点については、別の文にします。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


北京オリンピックが始まりました

2008-08-09 14:46:47 | 祈り方
○北京オリンピックの開会式
 北京オリンピックが始まりました
 八月八日。
 「一つの世界。一つの夢」を大会スローガンに掲げた北京オリンピックの開会式の模様を、テレビでみました。
 この大会は、史上最大の204の国と地域から参加があった、という話です。
 あなたも、この開会式を、ご覧になったかも知れません。

○祈り
 一般法則論者としては、大会全体が、平穏無事に終わることを、祈るのみです。
 一日本国民としては、日本の選手の活躍を祈るのみです。

○入場行進をする選手に多様性のある世界を実感 如何にして多様性の統一を図るか
 オリンピックの各国の選手団の入場行進を見ていつも思うことは、多様な人種、多様な文化が地球上にはあることを実感する、ということです。
 この多様性のある世界を、多様性を尊重しながら一つの世界にするハウツーを見つけないと、世界を一つの秩序にまとめる=世界平和を実現する、ということは実現できない、と言えます。

○「インサイド・アウト型人間」か「アウトサイド・イン型人間」か
 実際の競技が始まると、例えば柔道の試合を見て思うのは、「生き方の原理」をハウツー化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知っているか(メンタルト・レーニングはこの一部)、更には、相手の出方を待って自分の技を掛ける「アウトサイド・イン型人間」ではなくて、自分から積極的に技を掛けて(しかし、相手に返し技を掛けられる危険があるのをものともせずに)勝ちに行く「インサイド・アウト型人間」であるか、の違いです。
 日本の選手は、一般に、相手の出方を見て、一発必殺の自分の技を掛けるよなうところがある、といつも思います。

 四年ぶりのオリンピックを楽しみたい。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

高校レベルの物理の教科書を理解すれば神など存在しないと断定する知識が得られるのか?

2008-08-07 22:31:09 | この世界の成り立ちと仕組み
○高校レベルの物理の教科書を理解すれば・・・
 高校レベルの物理の教科書を理解して身につければ、神が存在するとか、熱湯が水よりも先に氷るという常識に反する「ムベンバ効果」などを、言い出すことは有り得ない。
 なのに、このブログの主は、進化論を否定するインチキ科学の創造説を認め、ムベンバ効果を認めるという。
 ということは、高校レベルの物理の教科書をまったく理解できなかった、と言わざるを得ない。

 念のために言えば、一般法則論は創造主である神の存在を認めますが、生物進化を否定したことは一度もありません。
 また、創造説では創造主である神の存在証明をしていませんが、一般法則論では、一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的にこれをしています。

○高校レベルの科学知識では科学とは何かも理解できない
 高校レベルで教える科学の知識は、科学に関する基礎的な知識を網羅的に教えるものだ。
 この学習の中で、科学の世界に神などいらないし、そもそも神など存在しない、ということは、否応なしに知ることになる、科学の基本中の基本の知識だ。
 こう思っている方々が実在するようです。
 しかし、高校レベルの、物理学、化学、生物学、地学、天文学等の全ての知識を身につけても、科学的な知識の初歩さへ網羅的に尽くしたものにはならないのです。
 例えば、このブログの中で何度も説明している自然法則の働き方の原理的な仕組みや、自然法則とエネルギーとの関係の知識についてさへ、高校レベルの科学では何も教えません。

 科学の常識では、熱湯が水よりも先に氷になることなど絶対に有り得ないように、水に浮んだり空を飛んだりすることなど常識的に絶対に有り得ない、巨大な鉄の塊が、船にすれば水に実際に浮かんだり、飛行機の形で空を実際に飛んだりする、というのは、科学が認める自然の法則の働きには一切関係の無い偶然に過ぎない現象であるか、非科学的な人たちによくある「見ることは信じることである」式の心の錯覚、ありもしない神の存在を信じるような共同幻想であり、或いは、巧みな手品で皆が騙されているのであり、疑似科学の世界の話、オカルトの世界の話であり、科学の常識を信じる私は絶対に認めない現象だ。私は科学の常識に従う。

 しかし、こんなことを主張する自称科学者やこの追従者はいないはずです。
 なのに、ムベンバ効果については、現にそれらしい現象が日本でオカルト批判・疑似科学批判の急先鋒のお一人の大槻義彦教授が自ら直接行った実験の中でも発生しているのに、これを可能にするムベンバ効果の原理的な仕組みの存在の可能性を頭っから否定する訳です。

 ということは、現在の科学がムベンバ効果についてその実在を認めず疑うのは、同じく科学の常識では有り得ない、鉄の塊が水に浮かんだり空を飛んだりすることを可能にする、現に使われている船や飛行機の原理について、自称科学者やこの追従者たちは、自ら科学的に自覚的に解明し理解していない証拠でしょう。
 また、不可能を可能にする原理的な仕組みの発見や発明(例えばラジオや人工衛星など)をしてきた科学技術の歴史を、自称科学者やこの追従者たちは、まったく自覚的な知識にしてない、と申し上げても良いでしょう。 
 自称科学者やこの追従者が誇る現在の科学的な常識とは、この程度の不完全なものです。

 自称科学者やこの追従者が、自然法則は、私達が生きている世界の仕組みと秩序の全てを実際に造っている、その全てがヒトの作ったのではない、それ自体で私達がこの世界に生まれる前からあるようにしてある、天然自然の存在の法則であり、自然法則の存在とその働きが及ばない偶然の出来事など存在しないし、また、自然法則は、原因=結果の因果必然の法則であるので、同一原因=同一結果の原理が存在し、これは仮説検証法の科学実験を支える大事な原理だ、と言ったことさへ、自覚的な知識にしているとは思えません。

 そもそも、自然科学が成り立つ根拠を解明する科学哲学や科学基礎論と言われる学問が、これらのことを、全ての科学者が一つに共有すべき基礎的な知識として、未だ自覚的に知りません。
 大きな書店で科学論に関する本を調べ、物理や科学の事典を調べ、インターネットの日本語で書かれているものを検索する限りでは、こう申し上げても良いでしょう。

○不完全な科学知識ではこの世界の成り立ちと仕組みが正しく解明できない
 大事なことは、自然法則の働き方の原理的な仕組みや自然法則とエネルギーとの関係について、一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に知らないと、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを発見できませんし、科学とは何かの定義を一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的にすることさへできない、ということです。
 正確には、天然自然の存在の創造主である神を最初に発見しなくては、自然法則とエネルギーの性質や役割や働き方の原理も正しく知ることができません。なぜならば、自然法則は創造主である神の天地創造の原理であり、エネルギーは、創造主である神の心身を素にしたこの世界の全てを造るための素材であるがゆえに、自然法則やエネルギーとしての性質や機能や働き方の原理等が決められているからです。自然法則とエネルギーと物質が、意識の無い、自らの主体的な自由意志を持たない存在として、「慣性の法則」性を現すのも、このためであるわけです。

○科学をすれば自然に身に付くはずの謙虚ささへ身に付かない現在の不完全な科学
 高校レベルに限らず、現在の不完全な科学知識では、これを振り回して、他をニセ科学、疑似科学呼ばわりする尊大さを垂れ流すのみで、自然科学を学べば、その自然観察の方法から本来自然に学んで身に付けるはずの謙虚さへ、まったく身に付けることが難しい、といえます。

○まとめ
 と申し上げても、この意味が、高校レベルの科学の知識が、科学的な知識の基礎を網羅的に説明し尽くしていると思い込んでいるとしたら、まったく理解できないかも知れません。
 また、それが科学的にその真偽が検証されるべき仮説に限らず、全ての知識は、この知識の元になった現地=私達がこの世界に誕生する遥か前に、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られ始めたこの世界の成り立ちと仕組みそのものに照らし合わせて、その真偽を必ず検証すべきものだ、という科学的な常識を持たない人たちは、手間の掛かる真偽の検証方法よりも、権威やレッテル張りや既成の知識や常識で手っ取り早く判断する癖から抜けられないのかも知れません。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


「天才バガボンのパパとママ」の生みの親の赤塚不二夫氏の告別式の日に当たって

2008-08-07 17:23:06 | 神の化身・神の分身のヒト
○「天才バガボンのパパとママ」の生みの親の赤塚不二夫氏の告別式の日に当たって
 今日、2008年8月7日(木)は、ギャグ漫画の文字通りの天才、赤塚不二夫の告別式が行われた日です。
 漫画には余り造詣が深くない私でも、赤塚不二夫氏の漫画の登場人物については、幾つも知っています。

 天才バガボン、天才バガボンのパパとママ、天才バガボンの中に登場する何かというと「死刑なのだ!!!」と言って、拳銃を空に向かって撃つおまわりさん、モーレツアタロー、イヤミ、ケムンパス、(六つ子の兄弟の)おそ松くん、ハタ坊、ニャロメ、おでん好きのチビ太、ダヨーン、ココロのボス、ウナギイヌ、レレレのおじさん、デカパンなど。
 どのキャラクターも、天真爛漫さを持っています。

 これらは、誰でも思いつきそうであって、しかし、まず思いつくのが不可能に近いキャラクター。
 本当に、誰にでもできそうでできない、天然ボケ風に生み出されたキャラクター群。
 これに加えて、これらのキャラクターが登場するギャグのストーリー。

 中でも、天才バガボンのパパとママは、印象深いキャラクターです。
 バガボンのママは、「良妻賢母」の、気品のあるお嬢様風の飛びきりの美人。
 バガボンのパパは、バガボンのママには似合わない、オヤジ風の風采の人物。
 しかし、バガボンのパパは、「アウトサイド・イン型人間」ではなくて、「インサイド・アウト型人間」。
 自分から積極的に物事にトライして、うまくいかなくても、「それでいいのだ!!!」と名ゼリフを吐きます。
 自分からは積極的に何もしないで、他人から与えられた御仕着せの生き方を、「まっ、イッか・・」と言って受け入れる「アウトサイド・イン型人間」では無い、天才バガボンのパパ。

 天才バガボンのパパは、赤塚不二夫氏自身がモデルだそうですね。
 確かに・・・。

 文字通りに、ギャグ漫画の天才の赤塚不二夫氏のご冥福を祈ります。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


哲学の新常識 哲学的な思考の大前提を再確認する

2008-08-07 04:51:19 | この世界の成り立ちと仕組み
○誰も勝手に哲学することはできない 哲学の新常識
 「哲学するとは何か 岩波講座 哲学の広告を読んで」(2008年7月29日)で、次の様に申し上げました。
 「一言で言えば、誰も勝手に哲学することなどできない、ということです。
 なぜならば、私達がこの世界の成り立ちと仕組みと人という存在について哲学する遥か前に、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで、この世界の成り立ちと仕組みもヒトとは何かも、既に造られ、既に決められているからです。」
 「この事実を前提にしないと、哲学的な思考は、自動的かつ必然的に、全てがこの世界の成り立ちと仕組みに関係の無い、これに基礎を置かない、妄想の哲学になります。」
 これを、「哲学の新常識」ということにします。

 しかし、この見解は、これまでの哲学の常識ではありませんでした。
 この事実は、本屋さんにある哲学書や哲学事典、思想書或いは自然科学に関する本の頁を読めば、すぐに理解していただけるもの、と思います。

○これまでの哲学的な思考方法は根本的に間違っていたと分かる
 簡単に説明した「哲学の新常識」に照らして見ると、これまでの哲学的な思考は、根本的に間違っていた、と分かります。
 十八世紀のイギリスの哲学者バークレーは、物質の実在を否定し、「物体は知覚されたときにはじめて実体を持つ」と主張したそうです。
 しかし、この世界の成り立ちと仕組みの歴史から言えば、私達全てに先立って、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きでこの世界が造られ、この後に、この世界の中に私達は生まれ、そして、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで既に造られて実在しているこの世界を意識化し認識することができる意識のある心の働きを持つようになったのですから、バークレーの説は、根本的に、原理的に成り立たないことになります。
 しかし、話は、哲学の分野に留まりません。
 なぜならば、哲学がこの世界を造っている根本原理の解明をしようとしていますが、哲学が解明の対象にしているのと一つ同じ世界について、自然科学も同じくその成り立ちと仕組みを解明しようとしているからです。
 そして、バークレーの説は、量子論の形に姿を変えて、「コペンハーゲン解釈」なるものの形で、いまや自然科学者一般の常識になっているからです。例えば、次の本の77頁の説明。

リチャード・モリス(2002) 杉本由美訳(2002)  ビッグ・クエスチョンズ 神はいるのか、いないのか、科学が解き明かす12の大疑問 はまの出版

 そこで、哲学の新常識は、自然科学の世界にまで自動的かつ必然的に及びます。

○哲学の新常識を量子論に当て嵌めて考えると・・・
 例えば、電子にも光子にも、私達が常識的に考えるような、形のある「粒子」のような実体はない、と量子論では言います。
 このために、量子論の実体は何かの説明ができません。
 しかし、この量子論の考え方は、私達がこの世界に生まれて来る遥か前に、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで既にこの世界の成り立ちと仕組みが造られていた、という客観的な事実を、まったく無視していることの上に成り立っているものです。
 即ち、この世界の成り立ちと仕組みがどうできているのか、例えば、電子や光子はどうできているのか、また、それが私達にはどのように認識されるのかも、自然科学者がとやかく言う前に、既に一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に決まっているのです。
 一般法則論では、電子も光子も、それぞれ、電子の原理的な仕組みと光子の原理的な仕組みを基にして、エネルギーを素材にして造られている、システム的に実在する存在です。
 この場合、波の性質を持つエネルギーが電子と光子を観測すると現れるものですから、素材のエネルギーではなくて、波としてのエネルギーに心を奪われて、奇妙な量子論や多世界解釈などの珍説を生んでいる、というわけです。

○高校レベルの物理学の教科書を理解してもこの世界の成り立ちと仕組みは分からない
 話は、量子論に限らず、例えば、高校レベルの物理学の教科書の記述にも当て嵌まります。
 即ち、高校レベルの物理学の教科書の記述によって、この世界の成り立ちと仕組みが決められ、造られているのではない、ということです。
 そこで、高校レベルの物理学の教科書を仮令丸ごと理解できても、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを発見し理解し尽くすことはできないことに自動的かつ必然的になります。

○まとめ
 私達が生きているこの世界の成り立ちと仕組みについて、私達がその実体についてとやかく言う前に、既に天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に形が与えられている。 
 この事実を無視して、ヒトは、勝手に哲学することも、自然科学を打ち立てることもできないのです。
 このことは、幾ら強調しても強調し切れません。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。



ムベンバ効果を巡る論争の核心はムベンバ効果をもたらす「原理」があるかどうかだ

2008-08-04 02:44:31 | 自然法則の性質・働き方の原理
○ムベンバ効果を巡る論争の核心はムベンバ効果をもたらす「原理」があるかどうかだ
 NHKの番組「ためしてガッテン」で、「ムベンバ効果」を利用して、冷蔵庫で、水よりも熱湯を使った方が早く氷を作れる、という放送をしました。
 「ムベンバ効果」とは、ある条件の下で、熱湯の方が水よりも早く氷になる、という現象があることを指すものです。
 そこで、NHKのその番組の趣旨は、冷蔵庫で氷を作るときには、この効果を利用するのが良い、というわけです。
 この実験を、番組の中でやって見せました。

○示唆に富む実験
 特に、冷凍庫の中で、コップに入れたお湯をヒトに向かって掛ける実験では、コップから出た熱湯が一瞬にして白く凍って靄状になって落ちる、という現象が印象的でした。
 この実験の中に、ムベンバ効果の原理的な仕組みを発見し、実用的なシステムにするヒント/秘密が隠れていそうです。

○科学的常識に反するムペンバ効果に批判が続出 大槻義彦教授の実験
 しかし、常識的には、熱湯の方が水よりも早く氷るなんて有り得ないことです。
 そこで、NHKのその番組で紹介された実験は、「手品だ」とか疑似科学だとかいう批判が、自称科学的な常識を誇る人たちのブログ等で噴出している、というわけです。
 これには、オカルト批判で有名な大槻義彦教授も参入されて、ムベンバ効果など有り得ないことを証明する実験の結果を公表しています。
 「大槻義彦のページ」
 http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/75_8f39.html

○大槻教授の実験例の中にムベンバ効果が出現している!
 しかし、大槻教授の実験の中で、水よりもお湯の方が先に凍った例が含まれています。
 それは、プラスチック製のまな板に、お湯と水を掛けた実験装置。
 この例では、現象として、明らかに、お湯の方が水よりも早く凍るという実験結果が得られたわけです。

○ムベンバ効果があり得る可能性を一般法則論的に説明する
 大槻教授の実験例の中で、ムベンバ効果が起こっていた。
 しかし、大槻教授は、「NHKの言うと通りの結果になった」と認めながら、この結果を、正にムベンバ効果の現われかどうか科学的に考察せずに無視します。
 そこで、大槻教授に代わって、一般法則論者の立場で、ムベンバ効果の説明をしようと思います。

○全ての現象の裏にはそれを可能にする原理的な仕組みが必ずある
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中では、何をするのでも、それを可能にする正しい原理的な仕組みに基づいた正しいシステムを造ることが必要不可欠です。
 これに例外は一切ありません。
 それが如何に稀な現象であり、これまでの常識では有り得ない現象であっても、この世界の成り立ちと仕組みの隅々まで客観的にかつ唯一絶対的にかつ普遍的にかつ不変的に支配している天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに根拠を持たない現象は有り得ません。
 言い換えると、偶然の現象など、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きが絶対的に普遍的に支配しているこの世界の成り立ちと仕組みの中では原理的に存在し得ないのです(注記1)。これは神秘主義者の常識。
 例えば、1kgの鉄の塊を水中に投げ入れれば、それはすぐに水の中に沈みます。
 これは、常識的に分かります。
 しかし、その鉄の塊を、「アルキメデスの原理=浮力の原理」に根拠のある船の原理的な仕組みに基づいて、船という形=船というシステムにすれば、50万トンの鉄の塊でも水に簡単に浮かびます。
 同様に、1gの鉄の塊でもそれ自体では空中を飛ぶことが出来ませんが、飛行機の原理的な仕組みに基づいて、飛行機というシステムにすれば、100トンの鉄の塊でも空を容易に飛ぶことが出来ます。
 船の原理的な仕組みも飛行機の原理的な仕組みも、共に、自然法則の働き方の原理がその根拠になっています。

○科学的な常識に反する現象は全て科学的に存在し得ない疑似科学やオカルトと言い出す人たち
 船の場合は、人類史上早くから実用化されていたので、鉄の塊の船が水に浮くわけが無いことを、自然科学的に証明してみせるという科学者は現れなかったようです。
 しかし、飛行機に関しては、飛行機が空を飛ぶわけが無いことを、科学的に証明する論文を学会に発表した科学者がいたようです。
 これまでの科学の常識では不可能なことも、それを扱う別の原理的な仕組みを採用すると、いとも簡単に出来るようになることは、私達の身の回りにある例で、幾らでも確かめることができます。
 例えば、電話システムやテレビ放送システム。
 百五十年以上前は、どちらも、技術的にはもちろん、科学の理論としても絶対にありえないものでした。
 しかし、これまでの科学の常識に反する現象に接したり、これまで知られていない現象=システムの話を聞いたりすると、直ちに否定し、科学的に有り得ない、と言い張り、「私は常識に従う」と言う人たちが、いつの時代でも必ずいるもののようです。

○注記1 この世界に偶然があるという間違った主張の根拠を推測
 自然法則とエネルギーとの間の自然法則的な関係も知らず、科学とは何かを未だ説明できない科学者とこの無批判な追従者は、何かというと「それは偶然だ」といいます。
 偶然とは、一般法則論的には、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中に、一切の自然の法則が存在しない部分がある、という主張のことです。
 科学とは、この世界の成り立ちと仕組みを自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て説明し尽くそうとする学問だという理解の仕方をしていないことも、そこに自然の法則の存在とその働きを認めない偶然の世界があると間違って言い出す原因がひとつあるのでしょう。
 量子現象が発見されてからは、ミクロな世界は確率的な偶然で成り立っており、この延長線上にある、私達が日常体験しているマクロの世界も、原理的に確率的な偶然で成り立っていると主張する科学者が正統派と言われるようになりました。
 しかし、真実は、量子現象がなぜ生じるのかを知らずに、全ての存在物を造る素材になっているエネルギーがそれ自体で振動する波の性質を持っていることから、例えば電子の原理的な仕組みで造られている電子システムのような小さな存在の場合、素材になっているエネルギーの波が直接観察できてしまうものですから、誤解を生じているに過ぎません。
 この世界の全てを造っている素材はエネルギーであること、そして、自然法則とエネルギーとの関係に関する知識、自然法則は、それをそれにする原理的な仕組みを基にしたシステムを造る形でのみ働くといったことを、多くの人達が未だ自覚的な知識にしていないのが、誤解の本であるといえます。
 注記1の終わり

○ムベンバ効果の原理的な仕組みがあるに違いない
 「鉄の塊が水に浮かんだり空を飛んだりする」という常識に反することを起こす、船の原理的な仕組みで造られた船や飛行機の原理的な仕組みを基にして造られた飛行機がある。
 翻って、現に起こっている「ムベンバ効果」を考えて見ると、これを現象させる原理的な仕組みがあることが分かります。
 即ち、水よりも熱湯の方が早く氷る現象をもたらす「ムヘンバ効果の原理的な仕組み」があり、この原理的な仕組みを正しくシステム化できると、確実にムヘンバ効果を得られる、という訳です。

○原理的な仕組みの実用化には試行錯誤とこれに自動的かつ必然的に伴う時間が必要
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中では偶然など有り得ない以上、ある特定の現象が観察されたら、この特定の現象をもたらす原理的な仕組みの存在が自動的かつ必然的に推測できます。
 しかし、その原理的な仕組みが何かがすぐに特定できないことは有り得ます。
 ムベンバ効果の現象をもたらす原理的な仕組みは、まさにこの例なのでしよう(注記2)。
 或いはその原理的な仕組みが確定的に発見されても、この原理的な仕組みを形にする=実用的なシステムにする技術を中々整えることができなくて、何年にもわたる試行錯誤をすることになる、ということは、ごくありふれた話でしょう。
 例えば、クォーツ時計の原理が発見されてから実際にそれが実用化されるまでに五十年掛かったとか、ロータリーエンジンの原理を実際に自動車に搭載して動くエンジンにすることは、マツダの技術者たちが成功するまで世界中で誰も出来なかったとか、「窒化ガリウム(GaN)」を材料に使って、中村修二氏が実際に青色系発光ダイオードを工業的に確実に作ることに成功するまで、「それではできっこない」と学会の偉い学者が保証していたという例などもあります。
 反対に、技術的には既に確立したものになっていても、その全体を現在の科学では説明することが出来ない例もあります。例えば、日本刀作りや自然農法(注記3)。

○注記2 既に発見されてない原理的な仕組みは存在しないと言い張る人たち
 ムベンバ効果について、中々その再現が出来ない、という事実があるということは、「熱湯の方が水よりも早く氷る」という科学の常識に反するムベンバ効果がそもそも科学的にありえない現象であるということの一つの有力な証拠である。
 科学的に在りうるとすぐに説明が出来ず、その原理が特定出来ない以上、そんなものは存在しないのだ。
 科学は、それが科学的に存在するものならば、直ちにそれが何かが分かるものであり、これがすぐに出来ないムベンバ効果の原理的な仕組みは存在していないということを意味しているのだ。
 現在の科学で説明出来ない物理・化学的な現象は無い。逆に言えば、科学的に説明出来ないことはこの世界に存在しえないのだ。「熱湯の方が水よりも早く氷る」などという科学的な常識に反するムベンバ効果を科学的に説明できなくて当然なのだ。それは、科学が説明できる世界の一部に存在していないのだから。
 ―――という主張をする人達がいることを、これに関するブログを調べていて知りました。
 しかし、この意見は、科学的な発見について、その実際をご存知ではない方々の見解でしょう。
 そもそもこれまでの科学は、自然法則とは何かさへ説明できない不完全な科学理論なのですから。
 注記2の終わり

○注記3 自然農法について
 疑似科学扱いされている自然農法ですが、何一つ欠けるものが無い完全完璧なシステムである大自然の生態系を丸ごと利用する農法であることを、後で説明の予定。
 注記3の終わり

○大槻教授は何をご存知ではないのか?
 大槻教授も前節で説明したこれらのことをご存知のはずです。
 しかし、大槻教授は、ムベンバ効果がもたらす現象さへも無視し否定されることから推測すると、これらを自覚的に意識化された知識にはいまだされてはいない、と推測できます。
 しかし、これも、とてもよくある話です。
 他の例で言えば、テレパシーのようないわゆる超能力は、ヒトの心の働きと理解することが直ちにできるのに、その心とは何かも知らないで、そんなことはありえないこととかオカルトとか疑似科学と断定する例。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

慣性の法則の理解の仕方 自然法則と物質とエネルギーには自らの心が無い

2008-08-03 04:25:18 | 自然法則の性質・働き方の原理
○慣性の法則の理解の仕方 自然法則と物質とエネルギーには自らの心が無い
 ここでは、慣性の法則が持つ意味について、説明をします。
 結論を言えば、自然法則にも物質にもエネルギーにも自らの主体的な自由意志がなく、これ自体で単独に勝手に働いたり動き出したりすることは絶対に無い、ということです。
 実際には、自然法則と物質とエネルギーとは、自然法則+エネルギー(物質)一体不可分の働きの形で働きますが、慣性の法則性を現すことではいささかも変わりがありません。
 自らの主体的な自由意志が無い、という意味は、自然法則にも、物質にも、エネルギーにも、私達が「心」と呼ぶもの、特に、物事を自由に主体的に考えて、何をどうするかを自ら選択し決定し、それを採択することができる、この結果として新しいものを創造する機能を持つ、意識のある心の働きを持ってない、という意味です。

○慣性の法則に関する物理学的な説明
 慣性の法則、という言葉を聞いたことが、皆さんはあるでしょう。
 この法則は、動いている物体はそのまま止まることが無く等速で動き続けるし、止まっている物体は、自ら動き出すことがなく、そのままの状態を維持し続ける、というという現象をもたらす自然の法則の働きのことですね。
 平たく言えば、物を棚に並べて置けるのも、この法則があるおかげです。
 慣性の法則を、ヒトだけでなく、例えば、リスは、どんぐりの実を地面に穴を掘って埋めたり、巣穴に溜め込んだりしたときに、そのどんぐりの実が勝手に動いて何処かに行ってしまうことが無いことを、ちゃんと知っています。

○慣性の法則の本質的な意味 意識のある心の働きが無い
 自然法則や物質やエネルギーに慣性の法則性をもたらすものは何でしょうか?
 この答えは、自然法則にも、物質にも、物質を造る素材になっているエネルギーにも、自らの主体的な自由意志を持つ「意識のある心」がなく、それ自体で、勝手に働くことが無い、ということです。
 端的に言えば、自然法則も物質もエネルギーも、意識のある心が無い、意識のある心を持って居ない、ということです。
 意識のある心が無いということは、何かを新しく創造する機能・能力を持ってない、ということです。
 実際、自然法則も、物質も、エネルギーも、これ自体の主体的な働きで、勝手に何かを造り出すということがまったくありません。
 このお陰で、ヒトは、自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって造って欲しいものだけを選択して造らせることができる訳です。もし、自然法則+エネルギー一体不可分の働きに自らの主体的な自由意志があったら、ヒトの言うことを何でも素直に聞いて、ヒトが命ずる通りにモノを造る、ということをしてくれないでしょう。

○意識のある心の働きは生物、特に動物に顕著な現象
 自らの物質的な身体や物を自由に動かし何かを創り出す機能を持つ心は、生物、特に動物に顕著な現象です。
 このことを、狩りをする動物は、本能的に知っています。
 アンリ・ファーブルの「昆虫記」に登場する狩人蜂は、獲物の蜘蛛やイモムシの神経節に針を刺して麻酔をかけて動けなくさせます。
 生物は、死んで意識のある心の働きを失い、無意識化=物体化すれば最早勝手に動きだすことが絶対に無いことを知っているライオンのメスは、捕らえたウシカモシカが窒息死したことが確認できるまで、その口元を噛んで離しません(文字通りの意味で「死の接吻」)。この狩りの様子は、テレビの動物番組によく登場しますが、見るたびごとに、ライオンですら慣性の法則をよく知っている、と感心しています。

○慣性の法則に関するまとめ
 慣性の法則が意味していることは、一般に理解されている意味の他に自然法則にも物質にもエネルギーにも自らの意識のある心が無い、という意味を含んでいる、ということです。
 ここまで理解したのでなければ、慣性の法則を理解したことになりません。

○慣性の法則から天地万物の創造主である神の存在を証明する 附 客観的ということ
 自然法則にも、物質にも、エネルギーにも主体的な自由意志がなく、自ら進んで働いて、何かを創り出すことが出来ない。
 それなのに、私達が見て知っている通りの天然自然の存在の世界があります。
 自然科学は、天然自然の世界を、自然法則+エネルギー一体不可分の働きのみで説明しようとします。そして、天地創造の前段階として、物質的な揺らぎを持ち出します。しかし、慣性の法則から言って、原因無しに物質自体が勝手に揺らぐことは無いはずです。
 自然法則+エネルギー一体不可分の働きだけでは、天地創造が始まりようがないのです。
 この天然自然の存在の世界を、心を持たず、何かを新しく創り出す機能を持たない、自然法則や物質やエネルギーの働きが、創り出した、というのは無理な話です。
 そこで、自らの主体的な自由意志がなく、自ら進んで何かを新しく創り出す能力がまったく無い自然法則+エネルギー一体不可分の働きを、この世界を造る素材といわば道具に使って、この世界を、そして、ヒトという存在を創造した創造主に当たる存在が必要不可欠になります。
 そして、この意味の創造主に当たる存在を、このブログの中では、創造主である神と呼んでいます。
 言い換えると、天然自然の存在の世界の創造主は、創造主である神のみだ、自然法則とエネルギーは、天然自然の存在の創造主である神では無いし、創造主である神には成れないのだ、ということです。
 しかも、この世界も、私達の存在も、そして、この世界の成り立ちと仕組みの全体を造り出した天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きも、全てのヒトに先立って、また、全てのヒトに等しく、それ自体で、普遍的に絶対的に不変的に存在し働いています。
 この意味で、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とその働きも、また、この働きによって創り出されたこの世界の成り立ちと仕組みも、この中に進化の過程を踏んで生まれた私達も、全てのヒトに等しく、自動的かつ必然的に、「客観的に」実在していることになります。
 但し、このことを、自覚的な知識にするためには、ヒトは、生物進化の過程を踏んで、意識のある心の働きを獲得する必要があったわけです。そして、このことが、創造主である神の化身かつ分身の存在のヒト(宇宙大では宇宙人一般)に実現するまで、この世界は絶対的な無意識の状態に置かれていた訳です。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。