この世界の中で何かをするときには常に必ず原理・原則に則って行動する必要があることの理解 注記にもご注目を!
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。
○一般法則論の世界観の図解
以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
∥ ↑ 理法 自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
(心的なD) M(記憶) Ω人 人・生・孫・化史 ↓
唯一絶対
○この文の目的
この文では、私達が生まれ住んでいるこの世界の中では、何をするのでも常に必ずそれを可能にする原理/原則に基づいたシステムを造る/作る必要がある話をします。
世の中には、「何をするのでもそれをする原理/原則が必ずある」式にわざわざ気難しいことを言わなくても、自然になるようになって出来るものだ、という人たちがいます。
特に、日本文化の中では、原理/原則を確認してそれに従うのは、そのヒトの特別な好みや趣味みたいなもので、それをする原理/原則など在っても無くても良い式の考え方をする人たちが少なくないようです。
なお、ここで言う「原理/原則」は、「そのヒトの哲学」や「手段・方法」(注記1)と表現されることがあります。
○この世界の成り立ちと仕組みの中における原理/原則の位置づけ
私達が生まれ住んでいるこの世界の中では、何をするのでも常に必ずそれを可能にする原理/原則に基づいたシステムを造る/作る必要があります。
なぜ、こう言えるのか?
この答えは、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中にその答がある、ということになります。
そして、原理/原則は、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きの中にその存在根拠と存在目的と働き方の根拠があります。
○この世で何をするのでも原理/原則に自覚的に意図的に則ることが必要不可欠な理由
何か実現したい目的や目標や夢が私達にあるときには、これは必ず天地創造の原理である自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに則ることが必要不可欠だ、とこの世界の唯一・絶対・普遍の存在の創造主であるΩ神自身の行動も含めて、この世界の成り立ちと仕組みの最初から決まっています。
そして、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きには、「働き方の原理」が最初から決まっています。
自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きの「働き方の原理」は、宇宙大では宇宙人一般を含めた万人にとって、私達が生まれ住んでいる世界が創造される前から宇宙大で唯一・絶対・普遍的に客観的に決まっています。
その「働き方の原理」では、因果必然の法則である自然法則は、何かの目的を創造し実現するときには、エネルギーと一体不可分で/エネルギーとタッグを常に必ず組んで、「それをそれにする原理(的仕組み)(/原則)」/「それを可能にする原理(的仕組み)(/原則)」を基にした「システム」と言われる形でのみ働く、ということになっています。
この為に、何をするのでも、これを実際に可能にする/出来るようにするには、それを可能にする原理的仕組みに則ることが否応無しに必要不可欠になります。
これは、一般法則論が決めたのではなくて、この世界の成り立ちと仕組みが造られた最初からこうだと決まっています。
○自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが持つ因果必然の法則性
自然法則+エネルギー一体不可分の存在の働き方の原理は、因果必然の法則という属性を持ちます。
即ち、私達が実現したい目標や願いや夢があると、これが原因の設定になります。
そして、原因設定されたとおりの結果を実現するのが、原因を結果に変換する全知全能の知恵と力を持つ自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きです。
○自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは特定の目的を実現し得る原理的仕組みを全て知っている
自然法則は、Ω神/ヒト(宇宙大では宇宙人一般)によって与えられた特定の目的/目標/夢を実現できる原理/原則は何かを予め決めていて(一つの目的を実現しうる原理的仕組みは異なるものが複数あるのが一般的。例えばテレビ映像を映し出す装置でも多数の方式がある)(注記2)、この原理/原則とエネルギー(注記3)を素材にし、動力源にして、私達が「システム」という名で呼ぶ形の物の働きで、実際に目的/目標/夢等を形あるものにすることが出来ます。
この働きにおいて自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは全知全能の知恵と力を持っています。
例えば、大根を調理目的に合わせて切りたいときには、包丁の原理的仕組みを形ある物にした包丁システムを使うことで、実際に大根を自由自在に切ることができるようになります。
大根ではなくてそれが鉄板を切る場合であるときにはどうすればそれが出来るのかを、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは知っています。
こうだという自覚的な知識を持って、後は、例えば鉄板を加工して特定の形にするにはどういう原理に基づいたシステムを利用すれば良いのかを知っている自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働き=無意識/潜在意識の働きに訊いて教えてもらうことができます。
まさに、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが持つこの能力こそが、Ω神/ヒト(宇宙大では宇宙人一般)にとっての自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きの存在理由です。
なお、一般的に言えば、Ω神が自ら直接造った天然自然のシステム、即ち世Ⅳ~世界Ⅴのシステムにヒト(宇宙大では宇宙人一般)が手を入れるには、その仕組みをよく解明して理解することが大前提です。これをするのが経験則や自然科学を始めとする学問一般の役割です。
もし、この解明が不完全のままで天然自然のシステムにヒトが手を入れると、例えば自然の生態系を破壊するなどの深刻な問題をもたらします。
○注記1 手段・方法ではなくて原理/原則という表現をあえて選ぶ目的
日常言葉では、ここで言う「原理/原則」は、特定の目的/目標/夢等を叶えることが出来る「手段・方法」と同じ意味です。
何か特定の目的等を実現できる「手段・方法」は、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに根拠があります。
そして、「手段・方法」は、この世界の成り立ちと仕組みを絶対的に支配している自然法則の働き方の原理そのものを意味しています。
そこで、このことをしっかりと自覚的な知識にする必要があるので、特定の目的を実現する「手段・方法」という言い方ではなくて、「原理(/原則)という表現を、一般法則論ではしています。
また、原理が持つ「仕組み」/「構造」/「一つ以上の構成要素が特定の目的を実現するために一丸になってまとまった仕組みになっている面」を強調するために、一般法則論では、原理という代わりに「原理的仕組み」という表現を好んでしています。
注記1の終わり
○注記2 特定の目的/目標/夢を叶える事が出来るようにする原理(原則/哲学/手段・方法)は予め自然法則が決めているという意味
私達がその実現/達成を願う特定の目的/目標/願い/夢等を実際に実現できる/達成できる手段・方法としての原理・原則は、それは何かを自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが予め決めています。
言い換えると、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、例えば空を飛ぶことが出来る機械=飛行機の原理的仕組みは何かを予め決めています(注記4)。
空を飛ぶ機械=飛行機を作りたいヒトは、飛行機の原理的仕組みを発見するか発明して、これに利用することが必要不可欠です。
ところで、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、唯心論的天地創造の原理として、Ω神とΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)が実現を望むことを何でもその通りに実現するために存在しています。
こうだとΩ神による天地創造の最初から宇宙大で唯一・絶対・普遍的に決まっています。
ーーーという意味は、Ω神とヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、「自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに支配され制約されて、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに出来ることだと予め決まっていることしか出来ないことになる」のではない!!! ことになります。
真理は、Ω神とΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトは、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが持つ因果必然の法則性の外に絶対的に超越して存在していて、因果必然の法則の働きとこの結果に一切制限され制約され限界づけられることなく、自分が実現したいことを何でも自由に選んで決めることが出来る、ということになります(注記5)。
言い換えると、Ω神とΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)はこの世で絶対的な自由意思と絶対的な行動の自由を持つ、ということになります。
自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、これに応えて全知全能の知恵と力を創造して働きます。
Ω神とΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、この世界の創造主である神として自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きより先に存在しているのですから・・・。
自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、Ω神/ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が実現したいことを可能にする手段・方法/原理的仕組みを何でも新しく創造して使うことが出来る全知全能の知恵と力を持っています。
但し、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きにはこのような全知全能の知恵と力があり、これを認めて/信じて、自分が実現したいことを自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに絶対的に委ねて任せ切ることが必要不可欠です。
こうしないと、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは正しく働いてくれません。
このような信念を、「山でも動かす信念」と表現することがあります。
更に言えば、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きが造っているこの世界の成り立ちと仕組みの全体に調和する生き方をする必要があります。
例えば、特定の女性を好きになったとしても、その女性と自分とが恋仲になり、結婚すべき者同士であることにはならないということです。
この世で本当に結婚する者同士は、ヒトが勝手に決めることが出来るのではなくて、二人のことを全て知っている全知全能の自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働き/無意識/潜在意識の心が二人のための「隠れた仲人」になって、例えば俗に言う「一目ぼれ」の形で二人を自然に導いて出会えるようにしてくれるものです。
世に言う「ストーカー」は、この原理に反して行動しているヒトの例です。
○注記3 エネルギーは物質化されている
エネルギーは、世界Ⅳ以降の世界の中で、物質化しています。
しかも、私達が物づくりをするときには、特定のシステムの構成要素=部品として使えるように、特定の形状に加工されているのが普通であり、こうなっていないと使えないものです。
例えば携帯電話機の電子回路を構成する部品としてのコンデンサーや抵抗器やコイル。
注記3の終わり
○注記4 自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きはヒトの無意識/潜在意識の心の中身でもある
この世界の成り立ちと仕組みを造っているΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きは、ヒトの心の中身とその働きにもなっています。→ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心の起源の話
そこで、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、飛行機の原理的仕組みは何かを予め決めているということの別の表現は、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、飛行機の原理的仕組みが何かを既に「知っている」し、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の無意識/潜在意識の心は、未だ意識化され自覚的な知識になる前から=それを発見したり発明したりする前から、飛行機の原理的仕組みは何かを既に知っている、という意味になります。
注記4の終わり
○注記5 因果必然の法則を絶対的に超越した祈りによる治療=霊的な治療の存在
私達が生まれ住んでいる物質的な世界は、因果必然の法則に絶対的に支配されています。
そもそも物質的な世界は、因果必然の法則によって造られています。
そこで、私達は因果必然の法則が支配している物質世界に最初から生まれ住んでいるものですから、因果必然の法則の存在とその支配は当然のことであり当たり前で絶対的だ、と無意識の内に強く思い込んでいます。
因果必然の法則が絶対的に支配している物質世界の中では、システムに何かの故障があれば、因果必然の法則に則って、その故障の原因を解明して直すという方法が使われます。
2011年の1月17日に発生した新幹線の運行システムの故障によるダイヤの乱れは、その原因が分かって、対策がとられました。
だから、例えば、一度死んで墓に葬られ、既に物質的な身体が腐りかけたヒトが、イエスの祈りで蘇る話など、絶対にあり得ないと考えるのが、人類的な常識になっています。
しかし、真理は、イエスは、因果必然の法則が絶対的に支配している物質世界を絶対的に超越して存在し、天地創造が行なわれた世界Ⅰ(~世界Ⅲ)にいて、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト本来のあり方そのものを顕現させることを、祈るという手段・方法で行なったのです。
注目すべきことは、イエスは、死んで墓に葬られたヒトを蘇らせたときに、因果必然の法則が絶対的に支配している物質世界の中でそのヒトが死んだ死因は何かを一切問わなかったようだ、という点です。
病気の原因が何であったかを一切問わずに病気の治療が行なわれて成功する例は、宗教信仰の世界の中で一般的に行なわれている病気の治療では、この世に生きていて知らずに犯す罪を悔い改めることを条件にして、普通のことです。
そこで、病気の原因が何か分からなくても、例えば「生長の家」という宗教団体では、全てのヒトは本質的に「実相円満完全。神の子人間病い無し。」で在るのだから、正にこの通りになると信じた信者たちは、病気になった原因を知らず問うこと無しに、ヒト本来の病気知らずの身心の完全完璧な健康さを速やかに取り戻しています。
なお、宗教団体での祈りによる病気の治療においても、その病気の原因についての説明が、患っている信者に説明されることがあります。
例えば脳梗塞等の後遺症で身体の運動に支障がある信者に対して、その原因は、中気/中分(中部ではなくて中分のようです。2011年1月20日)という病名の通りヒトとヒトとの間に入って中間で不当な利益を得てきたことの咎/罰としてその病気になったのだ式の一見すると荒唐無稽の説明が行なわれたりします。
この説明によってその信者が自ら思い当たるところに従って納得し反省し心から後悔し迷惑を掛けた人たちに心の中で真摯に詫び、もうそのようなことを二度としないと決意すると、結果的にΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みの絶対的な秩序へ調和する身心の状態が生まれて、ヒト本来の完全完璧さが取り戻される=ヒト本来の健康さが取り戻される、ということになります。
別の例では、「これまで自分ひとりの力で生きてきた積もりでいたけれども、実際には、真理は、神仏と自分の周りにいる人たちによって愛され守られて生かされていたことが分かった!」と気付いたときに病気も自然治癒していた、ということになります。
この辺のヒトの心のあやを理解できるヒトとこれが難しい人たちがいます。
イエスが、全盲のヒトを治したときに、泥を取ってそのヒトの目に塗ることをしたのは別の例。
イエスは泥に全盲を治す魔法のような力は無いことは知っていたけれども、全盲を癒されるヒトにとっては、無意識の内に、泥という物質的な物を頼りにして自らの全盲が癒されるという確信を持つ手段・方法とすることが必要不可欠だったわけです。
今現在でも、物質的な手段・方法に全く頼らず、物質的な世界を絶対的に支配している因果必然の法則にまったく頼らずに、これを絶対的に超越して存在し働く、世界Ⅰ(~世界Ⅲ)の天地創造の最初に立ち返って、物質世界で因果必然の法則の働きで現象・結果したことを根本的にリセットし、Ω神が造ったこの世界全体の秩序に則ってヒトの身心/世界の再建をする霊的な治療法は、世の中一般の理解が得られていないのですから、全盲を癒されたヒトの場合には泥を必要としたように、薬などに頼る物質的な医療行為は必要不可欠であるわけです。
このことは、この先、イエスが行なったような霊的な治療が一般化してもなおなくならないと思います。
一般的に言えば、この世界には、Ω神が自ら直接創造する「天然自然のシステム」とΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトが作る「人工のシステム」とがあります(生物が作る、例えばシロアリが作る蟻塚も同じ)。
「天然自然のシステム」の故障の修理は、イエスが行なった霊的な治療の方法が一般的に可能だということが出来ます。
「人工のシステム」を作りその故障を修理することは、原則として物質世界を支配している(非霊的な)因果必然の法則に則って行なわれるもの、ということが出来ます。
注記5の終わり
○まとめ
私達が何かをするときには、必ずこれを実際に可能にする原理/原則に則って行動することが必要不可欠だ、という話をしました。
例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。
○一般法則論の世界観の図解
以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
∥ ↑ 理法 自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
(心的なD) M(記憶) Ω人 人・生・孫・化史 ↓
唯一絶対
○この文の目的
この文では、私達が生まれ住んでいるこの世界の中では、何をするのでも常に必ずそれを可能にする原理/原則に基づいたシステムを造る/作る必要がある話をします。
世の中には、「何をするのでもそれをする原理/原則が必ずある」式にわざわざ気難しいことを言わなくても、自然になるようになって出来るものだ、という人たちがいます。
特に、日本文化の中では、原理/原則を確認してそれに従うのは、そのヒトの特別な好みや趣味みたいなもので、それをする原理/原則など在っても無くても良い式の考え方をする人たちが少なくないようです。
なお、ここで言う「原理/原則」は、「そのヒトの哲学」や「手段・方法」(注記1)と表現されることがあります。
○この世界の成り立ちと仕組みの中における原理/原則の位置づけ
私達が生まれ住んでいるこの世界の中では、何をするのでも常に必ずそれを可能にする原理/原則に基づいたシステムを造る/作る必要があります。
なぜ、こう言えるのか?
この答えは、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中にその答がある、ということになります。
そして、原理/原則は、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きの中にその存在根拠と存在目的と働き方の根拠があります。
○この世で何をするのでも原理/原則に自覚的に意図的に則ることが必要不可欠な理由
何か実現したい目的や目標や夢が私達にあるときには、これは必ず天地創造の原理である自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに則ることが必要不可欠だ、とこの世界の唯一・絶対・普遍の存在の創造主であるΩ神自身の行動も含めて、この世界の成り立ちと仕組みの最初から決まっています。
そして、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きには、「働き方の原理」が最初から決まっています。
自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きの「働き方の原理」は、宇宙大では宇宙人一般を含めた万人にとって、私達が生まれ住んでいる世界が創造される前から宇宙大で唯一・絶対・普遍的に客観的に決まっています。
その「働き方の原理」では、因果必然の法則である自然法則は、何かの目的を創造し実現するときには、エネルギーと一体不可分で/エネルギーとタッグを常に必ず組んで、「それをそれにする原理(的仕組み)(/原則)」/「それを可能にする原理(的仕組み)(/原則)」を基にした「システム」と言われる形でのみ働く、ということになっています。
この為に、何をするのでも、これを実際に可能にする/出来るようにするには、それを可能にする原理的仕組みに則ることが否応無しに必要不可欠になります。
これは、一般法則論が決めたのではなくて、この世界の成り立ちと仕組みが造られた最初からこうだと決まっています。
○自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが持つ因果必然の法則性
自然法則+エネルギー一体不可分の存在の働き方の原理は、因果必然の法則という属性を持ちます。
即ち、私達が実現したい目標や願いや夢があると、これが原因の設定になります。
そして、原因設定されたとおりの結果を実現するのが、原因を結果に変換する全知全能の知恵と力を持つ自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きです。
○自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは特定の目的を実現し得る原理的仕組みを全て知っている
自然法則は、Ω神/ヒト(宇宙大では宇宙人一般)によって与えられた特定の目的/目標/夢を実現できる原理/原則は何かを予め決めていて(一つの目的を実現しうる原理的仕組みは異なるものが複数あるのが一般的。例えばテレビ映像を映し出す装置でも多数の方式がある)(注記2)、この原理/原則とエネルギー(注記3)を素材にし、動力源にして、私達が「システム」という名で呼ぶ形の物の働きで、実際に目的/目標/夢等を形あるものにすることが出来ます。
この働きにおいて自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは全知全能の知恵と力を持っています。
例えば、大根を調理目的に合わせて切りたいときには、包丁の原理的仕組みを形ある物にした包丁システムを使うことで、実際に大根を自由自在に切ることができるようになります。
大根ではなくてそれが鉄板を切る場合であるときにはどうすればそれが出来るのかを、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは知っています。
こうだという自覚的な知識を持って、後は、例えば鉄板を加工して特定の形にするにはどういう原理に基づいたシステムを利用すれば良いのかを知っている自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働き=無意識/潜在意識の働きに訊いて教えてもらうことができます。
まさに、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが持つこの能力こそが、Ω神/ヒト(宇宙大では宇宙人一般)にとっての自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きの存在理由です。
なお、一般的に言えば、Ω神が自ら直接造った天然自然のシステム、即ち世Ⅳ~世界Ⅴのシステムにヒト(宇宙大では宇宙人一般)が手を入れるには、その仕組みをよく解明して理解することが大前提です。これをするのが経験則や自然科学を始めとする学問一般の役割です。
もし、この解明が不完全のままで天然自然のシステムにヒトが手を入れると、例えば自然の生態系を破壊するなどの深刻な問題をもたらします。
○注記1 手段・方法ではなくて原理/原則という表現をあえて選ぶ目的
日常言葉では、ここで言う「原理/原則」は、特定の目的/目標/夢等を叶えることが出来る「手段・方法」と同じ意味です。
何か特定の目的等を実現できる「手段・方法」は、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに根拠があります。
そして、「手段・方法」は、この世界の成り立ちと仕組みを絶対的に支配している自然法則の働き方の原理そのものを意味しています。
そこで、このことをしっかりと自覚的な知識にする必要があるので、特定の目的を実現する「手段・方法」という言い方ではなくて、「原理(/原則)という表現を、一般法則論ではしています。
また、原理が持つ「仕組み」/「構造」/「一つ以上の構成要素が特定の目的を実現するために一丸になってまとまった仕組みになっている面」を強調するために、一般法則論では、原理という代わりに「原理的仕組み」という表現を好んでしています。
注記1の終わり
○注記2 特定の目的/目標/夢を叶える事が出来るようにする原理(原則/哲学/手段・方法)は予め自然法則が決めているという意味
私達がその実現/達成を願う特定の目的/目標/願い/夢等を実際に実現できる/達成できる手段・方法としての原理・原則は、それは何かを自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが予め決めています。
言い換えると、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、例えば空を飛ぶことが出来る機械=飛行機の原理的仕組みは何かを予め決めています(注記4)。
空を飛ぶ機械=飛行機を作りたいヒトは、飛行機の原理的仕組みを発見するか発明して、これに利用することが必要不可欠です。
ところで、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、唯心論的天地創造の原理として、Ω神とΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)が実現を望むことを何でもその通りに実現するために存在しています。
こうだとΩ神による天地創造の最初から宇宙大で唯一・絶対・普遍的に決まっています。
ーーーという意味は、Ω神とヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、「自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに支配され制約されて、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに出来ることだと予め決まっていることしか出来ないことになる」のではない!!! ことになります。
真理は、Ω神とΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトは、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが持つ因果必然の法則性の外に絶対的に超越して存在していて、因果必然の法則の働きとこの結果に一切制限され制約され限界づけられることなく、自分が実現したいことを何でも自由に選んで決めることが出来る、ということになります(注記5)。
言い換えると、Ω神とΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)はこの世で絶対的な自由意思と絶対的な行動の自由を持つ、ということになります。
自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、これに応えて全知全能の知恵と力を創造して働きます。
Ω神とΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、この世界の創造主である神として自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きより先に存在しているのですから・・・。
自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、Ω神/ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が実現したいことを可能にする手段・方法/原理的仕組みを何でも新しく創造して使うことが出来る全知全能の知恵と力を持っています。
但し、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きにはこのような全知全能の知恵と力があり、これを認めて/信じて、自分が実現したいことを自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに絶対的に委ねて任せ切ることが必要不可欠です。
こうしないと、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは正しく働いてくれません。
このような信念を、「山でも動かす信念」と表現することがあります。
更に言えば、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きが造っているこの世界の成り立ちと仕組みの全体に調和する生き方をする必要があります。
例えば、特定の女性を好きになったとしても、その女性と自分とが恋仲になり、結婚すべき者同士であることにはならないということです。
この世で本当に結婚する者同士は、ヒトが勝手に決めることが出来るのではなくて、二人のことを全て知っている全知全能の自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働き/無意識/潜在意識の心が二人のための「隠れた仲人」になって、例えば俗に言う「一目ぼれ」の形で二人を自然に導いて出会えるようにしてくれるものです。
世に言う「ストーカー」は、この原理に反して行動しているヒトの例です。
○注記3 エネルギーは物質化されている
エネルギーは、世界Ⅳ以降の世界の中で、物質化しています。
しかも、私達が物づくりをするときには、特定のシステムの構成要素=部品として使えるように、特定の形状に加工されているのが普通であり、こうなっていないと使えないものです。
例えば携帯電話機の電子回路を構成する部品としてのコンデンサーや抵抗器やコイル。
注記3の終わり
○注記4 自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きはヒトの無意識/潜在意識の心の中身でもある
この世界の成り立ちと仕組みを造っているΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きは、ヒトの心の中身とその働きにもなっています。→ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心の起源の話
そこで、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、飛行機の原理的仕組みは何かを予め決めているということの別の表現は、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、飛行機の原理的仕組みが何かを既に「知っている」し、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の無意識/潜在意識の心は、未だ意識化され自覚的な知識になる前から=それを発見したり発明したりする前から、飛行機の原理的仕組みは何かを既に知っている、という意味になります。
注記4の終わり
○注記5 因果必然の法則を絶対的に超越した祈りによる治療=霊的な治療の存在
私達が生まれ住んでいる物質的な世界は、因果必然の法則に絶対的に支配されています。
そもそも物質的な世界は、因果必然の法則によって造られています。
そこで、私達は因果必然の法則が支配している物質世界に最初から生まれ住んでいるものですから、因果必然の法則の存在とその支配は当然のことであり当たり前で絶対的だ、と無意識の内に強く思い込んでいます。
因果必然の法則が絶対的に支配している物質世界の中では、システムに何かの故障があれば、因果必然の法則に則って、その故障の原因を解明して直すという方法が使われます。
2011年の1月17日に発生した新幹線の運行システムの故障によるダイヤの乱れは、その原因が分かって、対策がとられました。
だから、例えば、一度死んで墓に葬られ、既に物質的な身体が腐りかけたヒトが、イエスの祈りで蘇る話など、絶対にあり得ないと考えるのが、人類的な常識になっています。
しかし、真理は、イエスは、因果必然の法則が絶対的に支配している物質世界を絶対的に超越して存在し、天地創造が行なわれた世界Ⅰ(~世界Ⅲ)にいて、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト本来のあり方そのものを顕現させることを、祈るという手段・方法で行なったのです。
注目すべきことは、イエスは、死んで墓に葬られたヒトを蘇らせたときに、因果必然の法則が絶対的に支配している物質世界の中でそのヒトが死んだ死因は何かを一切問わなかったようだ、という点です。
病気の原因が何であったかを一切問わずに病気の治療が行なわれて成功する例は、宗教信仰の世界の中で一般的に行なわれている病気の治療では、この世に生きていて知らずに犯す罪を悔い改めることを条件にして、普通のことです。
そこで、病気の原因が何か分からなくても、例えば「生長の家」という宗教団体では、全てのヒトは本質的に「実相円満完全。神の子人間病い無し。」で在るのだから、正にこの通りになると信じた信者たちは、病気になった原因を知らず問うこと無しに、ヒト本来の病気知らずの身心の完全完璧な健康さを速やかに取り戻しています。
なお、宗教団体での祈りによる病気の治療においても、その病気の原因についての説明が、患っている信者に説明されることがあります。
例えば脳梗塞等の後遺症で身体の運動に支障がある信者に対して、その原因は、中気/中分(中部ではなくて中分のようです。2011年1月20日)という病名の通りヒトとヒトとの間に入って中間で不当な利益を得てきたことの咎/罰としてその病気になったのだ式の一見すると荒唐無稽の説明が行なわれたりします。
この説明によってその信者が自ら思い当たるところに従って納得し反省し心から後悔し迷惑を掛けた人たちに心の中で真摯に詫び、もうそのようなことを二度としないと決意すると、結果的にΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みの絶対的な秩序へ調和する身心の状態が生まれて、ヒト本来の完全完璧さが取り戻される=ヒト本来の健康さが取り戻される、ということになります。
別の例では、「これまで自分ひとりの力で生きてきた積もりでいたけれども、実際には、真理は、神仏と自分の周りにいる人たちによって愛され守られて生かされていたことが分かった!」と気付いたときに病気も自然治癒していた、ということになります。
この辺のヒトの心のあやを理解できるヒトとこれが難しい人たちがいます。
イエスが、全盲のヒトを治したときに、泥を取ってそのヒトの目に塗ることをしたのは別の例。
イエスは泥に全盲を治す魔法のような力は無いことは知っていたけれども、全盲を癒されるヒトにとっては、無意識の内に、泥という物質的な物を頼りにして自らの全盲が癒されるという確信を持つ手段・方法とすることが必要不可欠だったわけです。
今現在でも、物質的な手段・方法に全く頼らず、物質的な世界を絶対的に支配している因果必然の法則にまったく頼らずに、これを絶対的に超越して存在し働く、世界Ⅰ(~世界Ⅲ)の天地創造の最初に立ち返って、物質世界で因果必然の法則の働きで現象・結果したことを根本的にリセットし、Ω神が造ったこの世界全体の秩序に則ってヒトの身心/世界の再建をする霊的な治療法は、世の中一般の理解が得られていないのですから、全盲を癒されたヒトの場合には泥を必要としたように、薬などに頼る物質的な医療行為は必要不可欠であるわけです。
このことは、この先、イエスが行なったような霊的な治療が一般化してもなおなくならないと思います。
一般的に言えば、この世界には、Ω神が自ら直接創造する「天然自然のシステム」とΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトが作る「人工のシステム」とがあります(生物が作る、例えばシロアリが作る蟻塚も同じ)。
「天然自然のシステム」の故障の修理は、イエスが行なった霊的な治療の方法が一般的に可能だということが出来ます。
「人工のシステム」を作りその故障を修理することは、原則として物質世界を支配している(非霊的な)因果必然の法則に則って行なわれるもの、ということが出来ます。
注記5の終わり
○まとめ
私達が何かをするときには、必ずこれを実際に可能にする原理/原則に則って行動することが必要不可欠だ、という話をしました。
例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。