いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

常に必ず何をするのでも原理・原則に則って行動する必要があることの理解  注記にもご注目を!

2011-01-19 17:43:24 | 自然法則の性質・働き方の原理
 この世界の中で何かをするときには常に必ず原理・原則に則って行動する必要があることの理解   注記にもご注目を!
 
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対


○この文の目的
 この文では、私達が生まれ住んでいるこの世界の中では、何をするのでも常に必ずそれを可能にする原理/原則に基づいたシステムを造る/作る必要がある話をします。
 世の中には、「何をするのでもそれをする原理/原則が必ずある」式にわざわざ気難しいことを言わなくても、自然になるようになって出来るものだ、という人たちがいます。
 特に、日本文化の中では、原理/原則を確認してそれに従うのは、そのヒトの特別な好みや趣味みたいなもので、それをする原理/原則など在っても無くても良い式の考え方をする人たちが少なくないようです。
 なお、ここで言う「原理/原則」は、「そのヒトの哲学」や「手段・方法」(注記1)と表現されることがあります。

○この世界の成り立ちと仕組みの中における原理/原則の位置づけ
 私達が生まれ住んでいるこの世界の中では、何をするのでも常に必ずそれを可能にする原理/原則に基づいたシステムを造る/作る必要があります。
 なぜ、こう言えるのか?
 この答えは、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中にその答がある、ということになります。
 そして、原理/原則は、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きの中にその存在根拠と存在目的と働き方の根拠があります。

○この世で何をするのでも原理/原則に自覚的に意図的に則ることが必要不可欠な理由
 何か実現したい目的や目標や夢が私達にあるときには、これは必ず天地創造の原理である自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに則ることが必要不可欠だ、とこの世界の唯一・絶対・普遍の存在の創造主であるΩ神自身の行動も含めて、この世界の成り立ちと仕組みの最初から決まっています。
 そして、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きには、「働き方の原理」が最初から決まっています。
 自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きの「働き方の原理」は、宇宙大では宇宙人一般を含めた万人にとって、私達が生まれ住んでいる世界が創造される前から宇宙大で唯一・絶対・普遍的に客観的に決まっています。
 その「働き方の原理」では、因果必然の法則である自然法則は、何かの目的を創造し実現するときには、エネルギーと一体不可分で/エネルギーとタッグを常に必ず組んで、「それをそれにする原理(的仕組み)(/原則)」/「それを可能にする原理(的仕組み)(/原則)」を基にした「システム」と言われる形でのみ働く、ということになっています。
 この為に、何をするのでも、これを実際に可能にする/出来るようにするには、それを可能にする原理的仕組みに則ることが否応無しに必要不可欠になります。
 これは、一般法則論が決めたのではなくて、この世界の成り立ちと仕組みが造られた最初からこうだと決まっています。

○自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが持つ因果必然の法則性
 自然法則+エネルギー一体不可分の存在の働き方の原理は、因果必然の法則という属性を持ちます。
 即ち、私達が実現したい目標や願いや夢があると、これが原因の設定になります。
 そして、原因設定されたとおりの結果を実現するのが、原因を結果に変換する全知全能の知恵と力を持つ自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きです。

○自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは特定の目的を実現し得る原理的仕組みを全て知っている
 自然法則は、Ω神/ヒト(宇宙大では宇宙人一般)によって与えられた特定の目的/目標/夢を実現できる原理/原則は何かを予め決めていて(一つの目的を実現しうる原理的仕組みは異なるものが複数あるのが一般的。例えばテレビ映像を映し出す装置でも多数の方式がある)(注記2)、この原理/原則とエネルギー(注記3)を素材にし、動力源にして、私達が「システム」という名で呼ぶ形の物の働きで、実際に目的/目標/夢等を形あるものにすることが出来ます。
 この働きにおいて自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは全知全能の知恵と力を持っています。
 例えば、大根を調理目的に合わせて切りたいときには、包丁の原理的仕組みを形ある物にした包丁システムを使うことで、実際に大根を自由自在に切ることができるようになります。
 大根ではなくてそれが鉄板を切る場合であるときにはどうすればそれが出来るのかを、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは知っています。
 こうだという自覚的な知識を持って、後は、例えば鉄板を加工して特定の形にするにはどういう原理に基づいたシステムを利用すれば良いのかを知っている自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働き=無意識/潜在意識の働きに訊いて教えてもらうことができます。
 まさに、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが持つこの能力こそが、Ω神/ヒト(宇宙大では宇宙人一般)にとっての自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きの存在理由です。
 なお、一般的に言えば、Ω神が自ら直接造った天然自然のシステム、即ち世Ⅳ~世界Ⅴのシステムにヒト(宇宙大では宇宙人一般)が手を入れるには、その仕組みをよく解明して理解することが大前提です。これをするのが経験則や自然科学を始めとする学問一般の役割です。
 もし、この解明が不完全のままで天然自然のシステムにヒトが手を入れると、例えば自然の生態系を破壊するなどの深刻な問題をもたらします。

○注記1 手段・方法ではなくて原理/原則という表現をあえて選ぶ目的
 日常言葉では、ここで言う「原理/原則」は、特定の目的/目標/夢等を叶えることが出来る「手段・方法」と同じ意味です。
 何か特定の目的等を実現できる「手段・方法」は、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに根拠があります。
 そして、「手段・方法」は、この世界の成り立ちと仕組みを絶対的に支配している自然法則の働き方の原理そのものを意味しています。
 そこで、このことをしっかりと自覚的な知識にする必要があるので、特定の目的を実現する「手段・方法」という言い方ではなくて、「原理(/原則)という表現を、一般法則論ではしています。
 また、原理が持つ「仕組み」/「構造」/「一つ以上の構成要素が特定の目的を実現するために一丸になってまとまった仕組みになっている面」を強調するために、一般法則論では、原理という代わりに「原理的仕組み」という表現を好んでしています。
 注記1の終わり

○注記2 特定の目的/目標/夢を叶える事が出来るようにする原理(原則/哲学/手段・方法)は予め自然法則が決めているという意味
 私達がその実現/達成を願う特定の目的/目標/願い/夢等を実際に実現できる/達成できる手段・方法としての原理・原則は、それは何かを自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが予め決めています。
 言い換えると、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、例えば空を飛ぶことが出来る機械=飛行機の原理的仕組みは何かを予め決めています(注記4)。
 空を飛ぶ機械=飛行機を作りたいヒトは、飛行機の原理的仕組みを発見するか発明して、これに利用することが必要不可欠です。
 ところで、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、唯心論的天地創造の原理として、Ω神とΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)が実現を望むことを何でもその通りに実現するために存在しています。
 こうだとΩ神による天地創造の最初から宇宙大で唯一・絶対・普遍的に決まっています。
 ーーーという意味は、Ω神とヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、「自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに支配され制約されて、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに出来ることだと予め決まっていることしか出来ないことになる」のではない!!! ことになります。
 真理は、Ω神とΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトは、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが持つ因果必然の法則性の外に絶対的に超越して存在していて、因果必然の法則の働きとこの結果に一切制限され制約され限界づけられることなく、自分が実現したいことを何でも自由に選んで決めることが出来る、ということになります(注記5)。
 言い換えると、Ω神とΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)はこの世で絶対的な自由意思と絶対的な行動の自由を持つ、ということになります。
 自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、これに応えて全知全能の知恵と力を創造して働きます。
 Ω神とΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、この世界の創造主である神として自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きより先に存在しているのですから・・・。
 自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、Ω神/ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が実現したいことを可能にする手段・方法/原理的仕組みを何でも新しく創造して使うことが出来る全知全能の知恵と力を持っています。
 但し、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きにはこのような全知全能の知恵と力があり、これを認めて/信じて、自分が実現したいことを自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに絶対的に委ねて任せ切ることが必要不可欠です。
 こうしないと、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは正しく働いてくれません。
 このような信念を、「山でも動かす信念」と表現することがあります。
 更に言えば、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きが造っているこの世界の成り立ちと仕組みの全体に調和する生き方をする必要があります。
 例えば、特定の女性を好きになったとしても、その女性と自分とが恋仲になり、結婚すべき者同士であることにはならないということです。
 この世で本当に結婚する者同士は、ヒトが勝手に決めることが出来るのではなくて、二人のことを全て知っている全知全能の自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働き/無意識/潜在意識の心が二人のための「隠れた仲人」になって、例えば俗に言う「一目ぼれ」の形で二人を自然に導いて出会えるようにしてくれるものです。
 世に言う「ストーカー」は、この原理に反して行動しているヒトの例です。

○注記3 エネルギーは物質化されている
 エネルギーは、世界Ⅳ以降の世界の中で、物質化しています。
 しかも、私達が物づくりをするときには、特定のシステムの構成要素=部品として使えるように、特定の形状に加工されているのが普通であり、こうなっていないと使えないものです。
 例えば携帯電話機の電子回路を構成する部品としてのコンデンサーや抵抗器やコイル。
 注記3の終わり

○注記4 自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きはヒトの無意識/潜在意識の心の中身でもある
 この世界の成り立ちと仕組みを造っているΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きは、ヒトの心の中身とその働きにもなっています。→ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心の起源の話
 そこで、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、飛行機の原理的仕組みは何かを予め決めているということの別の表現は、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、飛行機の原理的仕組みが何かを既に「知っている」し、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の無意識/潜在意識の心は、未だ意識化され自覚的な知識になる前から=それを発見したり発明したりする前から、飛行機の原理的仕組みは何かを既に知っている、という意味になります。
 注記4の終わり

○注記5 因果必然の法則を絶対的に超越した祈りによる治療=霊的な治療の存在
 私達が生まれ住んでいる物質的な世界は、因果必然の法則に絶対的に支配されています。
 そもそも物質的な世界は、因果必然の法則によって造られています。
 そこで、私達は因果必然の法則が支配している物質世界に最初から生まれ住んでいるものですから、因果必然の法則の存在とその支配は当然のことであり当たり前で絶対的だ、と無意識の内に強く思い込んでいます。
 因果必然の法則が絶対的に支配している物質世界の中では、システムに何かの故障があれば、因果必然の法則に則って、その故障の原因を解明して直すという方法が使われます。
 2011年の1月17日に発生した新幹線の運行システムの故障によるダイヤの乱れは、その原因が分かって、対策がとられました。
 だから、例えば、一度死んで墓に葬られ、既に物質的な身体が腐りかけたヒトが、イエスの祈りで蘇る話など、絶対にあり得ないと考えるのが、人類的な常識になっています。
 しかし、真理は、イエスは、因果必然の法則が絶対的に支配している物質世界を絶対的に超越して存在し、天地創造が行なわれた世界Ⅰ(~世界Ⅲ)にいて、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト本来のあり方そのものを顕現させることを、祈るという手段・方法で行なったのです。
 注目すべきことは、イエスは、死んで墓に葬られたヒトを蘇らせたときに、因果必然の法則が絶対的に支配している物質世界の中でそのヒトが死んだ死因は何かを一切問わなかったようだ、という点です。
 病気の原因が何であったかを一切問わずに病気の治療が行なわれて成功する例は、宗教信仰の世界の中で一般的に行なわれている病気の治療では、この世に生きていて知らずに犯す罪を悔い改めることを条件にして、普通のことです。
 そこで、病気の原因が何か分からなくても、例えば「生長の家」という宗教団体では、全てのヒトは本質的に「実相円満完全。神の子人間病い無し。」で在るのだから、正にこの通りになると信じた信者たちは、病気になった原因を知らず問うこと無しに、ヒト本来の病気知らずの身心の完全完璧な健康さを速やかに取り戻しています。
 なお、宗教団体での祈りによる病気の治療においても、その病気の原因についての説明が、患っている信者に説明されることがあります。
 例えば脳梗塞等の後遺症で身体の運動に支障がある信者に対して、その原因は、中気/中分(中部ではなくて中分のようです。2011年1月20日)という病名の通りヒトとヒトとの間に入って中間で不当な利益を得てきたことの咎/罰としてその病気になったのだ式の一見すると荒唐無稽の説明が行なわれたりします。
 この説明によってその信者が自ら思い当たるところに従って納得し反省し心から後悔し迷惑を掛けた人たちに心の中で真摯に詫び、もうそのようなことを二度としないと決意すると、結果的にΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みの絶対的な秩序へ調和する身心の状態が生まれて、ヒト本来の完全完璧さが取り戻される=ヒト本来の健康さが取り戻される、ということになります。
 別の例では、「これまで自分ひとりの力で生きてきた積もりでいたけれども、実際には、真理は、神仏と自分の周りにいる人たちによって愛され守られて生かされていたことが分かった!」と気付いたときに病気も自然治癒していた、ということになります。
 この辺のヒトの心のあやを理解できるヒトとこれが難しい人たちがいます。

 イエスが、全盲のヒトを治したときに、泥を取ってそのヒトの目に塗ることをしたのは別の例。
 イエスは泥に全盲を治す魔法のような力は無いことは知っていたけれども、全盲を癒されるヒトにとっては、無意識の内に、泥という物質的な物を頼りにして自らの全盲が癒されるという確信を持つ手段・方法とすることが必要不可欠だったわけです。
 今現在でも、物質的な手段・方法に全く頼らず、物質的な世界を絶対的に支配している因果必然の法則にまったく頼らずに、これを絶対的に超越して存在し働く、世界Ⅰ(~世界Ⅲ)の天地創造の最初に立ち返って、物質世界で因果必然の法則の働きで現象・結果したことを根本的にリセットし、Ω神が造ったこの世界全体の秩序に則ってヒトの身心/世界の再建をする霊的な治療法は、世の中一般の理解が得られていないのですから、全盲を癒されたヒトの場合には泥を必要としたように、薬などに頼る物質的な医療行為は必要不可欠であるわけです。
 このことは、この先、イエスが行なったような霊的な治療が一般化してもなおなくならないと思います。

 一般的に言えば、この世界には、Ω神が自ら直接創造する「天然自然のシステム」とΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトが作る「人工のシステム」とがあります(生物が作る、例えばシロアリが作る蟻塚も同じ)。
 「天然自然のシステム」の故障の修理は、イエスが行なった霊的な治療の方法が一般的に可能だということが出来ます。
 「人工のシステム」を作りその故障を修理することは、原則として物質世界を支配している(非霊的な)因果必然の法則に則って行なわれるもの、ということが出来ます。
 注記5の終わり

○まとめ
 私達が何かをするときには、必ずこれを実際に可能にする原理/原則に則って行動することが必要不可欠だ、という話をしました。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

子宮頸がん妊婦に多発 という新聞記事

2010-10-18 00:30:00 | 自然法則の性質・働き方の原理
 子宮頸がん妊婦に多発 という新聞記事

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                     


 読売新聞2010年10月16日(土)の夕刊の第一面に、「子宮頸がん妊婦に多発、発症ピーク若年化 性行為が低年齢化 発症ピーク30代に」という見出しの記事が載っています。
 インターネットのヤフーニュースにもこの記事の概要が載っています。
 以下の「」内は引用の印。(☆)は、筆者の注記。

 「妊娠中に子宮頸(けい)がんが発見される例が多発していることが、国立循環器病研究センター(大阪府吹田市)と兵庫県立がんセンター(明石市)による初の全国調査でわかった」そうです。
 「調査は、産婦人科など分娩を行なう全国1500施設を対象に、2008年1年間に子宮頸がんと診断された妊婦の数などについてアンケート。その結果、51%の施設から回答があり、患者数は計162人(平均年齢31・7歳)に達した。70%は早期がんで、子宮を一部切除し妊娠は継続できたが、子宮を全摘し、中絶の対象となった進行期の患者も44人いた。
 国立循環器病研究センター周産期・婦人科の池田智明部長によると、回答を得た病院の分娩数は国内の全分娩数の約半分であることから、妊婦10万人当たり約30人が発症していると推定。この数字は、国立がん研究センターが発表した罹患(りかん)率ピークの30歳代の35人に匹敵する。池田部長は「妊婦の数字は予想外に高い」と驚く。」

 「子宮頸がんの主因は、性行為で感染するヒトパピローマウイルスで、感染から発症まで十数年~数十年かかる。約30年前まで50歳代の患者が最多で、『子育て後の病気』といわれていたが、性行為の低年齢化などで現在の(☆最多)ピークは30代後半に移った。一方昨年度の平均出産年齢は31歳と上昇。池田部長は『このままでは出産と発症の平均年齢が一致しかねない』と懸念する。子宮頸がんは(☆性行為のあるヒトについての病気だけれど)検診で早期に発見できるが、問題は、国内の検診受信率が約20%と低く、自覚症状も無いため見過ごされ易いことだ。昨年始まったワクチン接種もすぐには効果が出ない。西村隆一郎・兵庫県立がんセンター長は『子宮頸がんは、ワクチンで7割防げる。若い女性は、早期の診断や予防接種が、将来生まれる命を救うことを胸に刻んでほしい』と話す。」

 中学生や高校生の少女の援助交際がマスコミの話題になってから十年前後立ったでしょうか・・・。
 相手が子供だろうと誰だろうと、原因=結果の因果必然の法則が絶対的にこの世界を支配し自動的かつ必然的に働いている下で、彼女たちが色々の屁理屈をこねて自分を正当化しつつ援助交際をした結果は、今になってその付けが回ってきたのでしょう。

 学校では、私達が生きているこの世界を、原因と結果の間を客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に結び付けている因果必然の自然法則が存在していて、全てのヒトを絶対的に支配していることを教えないし、これを教えるはずの先生方も、因果必然の法則のことは殆どご存知無いと申し上げて良いでしょう。
 半世紀以上前ならば、善因=善果/悪因=悪果という仏教的な教えが、市井の人々の間に生きてしましたが・・・。

 これ以上の悲劇を繰り返さないために、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中で、何のために性行為をするのかを、子供たちに正確にかつ丁寧に教える必要がありますね。

参照 例えば、2010年4月19日 Ω神の天地創造の目的を実現することが唯一・絶対・普遍かつ永遠普遍のヒトの生き方の原理


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

小森のおぱちゃまの指摘 性的なシステムの誤作動に関して  附 本の紹介

2010-05-19 00:27:37 | 自然法則の性質・働き方の原理
 小森のおぱちゃまの指摘 男女の身心に生得的に構造化されている性的なシステムの誤作動に関して  附 本の紹介

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                     


○この文の目的
 この文では、男女の身心に生得的に構造化されている性的なシステムの誤作動に関して、映画解説者の故小森のおばちゃまの指摘を思い出したので、これをここに記すことです。
 知っている実例をここに記すのは、憚れるということもあるので・・・。
 映画解説者として一世を風靡した「小森のおばちゃま」のことを、あなたも覚えていますよね。

○小森のおばちゃまの指摘
 もう十年以上は前のことと記憶します。
 テレビで放映されたある映画(本番の性交をするポルノ映画やラブホテルの盗撮ビデオでは無いという意味)の中で、「絡みのシーン」とか「濡れ場のシーン」と俗に言う場面がありました。
 この映画を解説をしていた小森のおばちゃまは、そのシーンでの女優さんの「乳首が立っている」とすばり指摘しました。
 それは、正に、「男女の身心に生得的に構造化されている性的なシステム」の誤作動の例、というべきものでした。
 小森のおばちゃまの指摘も、この意味だった、と記憶しています。
 それは、お芝居の上の行為でしたが、女優さんの身体に構造化されている性的なシステムの方は自然に正直に反応して、「乳首が立つ」という形で性的な興奮が身体化して現れたことを意味します。

 ドラマの中のキス・シーンで、相手の女優さんが舌を絡ませてきたので驚いた、という男優さんの話はこれまでに何度も聞いていますが、これはお芝居に名を借りた本気の行為。
 テレビの人気番組を舞台化したものを見に行ったときに、いわゆるベッドシーンの所で舞台が暗転したあと、その番組のテーマソングが流れ、その先の話の展開を説明するナレーションが行なわれている間、ベッドの上で、脇役の若い女優さんが、相手の主役の男優さんの股間に手を置いて・・・が、一番前の席にいたものですから、よく見えてしまったことがありました。
 この後、暗転した舞台から、二人は肩を組んで、子供みたいにスキップしながら舞台の袖の中に引っ込みました。
 なお、ドラマの中で恋人役の女優さんとは、ラブシーンになると舞台が暗転し、と同時に磁石の同じ極同士が反発するみたいに、即座に弾けるように二人は左右に離れるのが、分かりました。
 もう四十年以上も前の話です。また、この男優さんは、とっくの昔に亡くなられています。

○男女の身心に生得的に構造化されている性的なシステムの誤作動の例は日常的に多発している
 「男女の身心に生得的に構造化されている性的なシステム」の誤作動の例は、多くの人たちが日常的に体験していることだ、と言っても良いかも知れません。
 ただ、その瞬間、多くの人達が、それは「性的なシステム」が本来持つ存在目的と存在理由から外れた誤作動だと自覚していないだけのことだと思います。

○「性的なシステム」が本来持つ存在目的と存在理由の再確認
 「性的なシステム」が本来持つ存在目的と存在理由とは何かを再確認すると・・・、
 自分が恋し愛する相手或いは自分が優れた素質があると思う相手との間に子孫を残す為の結婚をし、安定した家庭を築き(→二人の間を死が別つまで一夫一婦制の結婚)、自分達の子供たちをしてΩ神の化身かつ分身の存在のヒトとしての自覚が生まれるように子育てをする、としっかりと自覚的に意図的に決めて、これ以外の相手とは出来心にでも間違いを起こさないような関係を保つことを目指す、ということです。
 この大前提になり、基礎となるのが、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトとしての自覚を持って、ヒトの生き方の原理に則り、自らが選んだ職業や仕事や地位等を通して、自他共に絶対肯定の構えで、自他共に絶対WIN&WINの関係、自他共に絶対Happy&Happyの関係を築きつつ、いま、この瞬間から永遠の未来に向けて、自分自身のためにはもちろん、世の為、ヒトの為、仲間や自民族の為、国家の為、全地球人類の為に働いて、地上に神の国を実現することを自覚的に意図的に目指すことです。

○性的なシステムの誤作動に対応する心構え
 性的なシステムの誤作動による性的な誘惑が来るのは、自然の成り行きです。
 しかし、ここで踏みとどまって、「据え膳食わぬは男の恥」式の誘惑を跳ね除けることができてこそ、本物の品格のある男或いは女と言うものでしょう。
 この為に、Ω神が自らの化身かつ分身の存在のヒトのために定めた唯一・絶対・普遍かつ不変・不動の人生目標(前掲)とこれを具体化する人生脚本があるわけです。

○まとめ
 小森のおばちゃまが指摘した「男女の身心に生得的に構造化されている性的なシステム」の誤作動の例の話をしました。

○余談 この2日の間に買ったばかりの本
 ①マシュー・サイド 山形浩生&守岡桜 訳 非才! 柏書房 2010年
 ②ジョフ・コルヴァン 米田 隆 訳 究極の鍛錬 サンマーク出版 2010年
 ③C・M・ブリストル 信念の奇跡 かんき出版 2008年

 ①と②は、人生のあらゆる分野で超一流になるのに必要なことは、遺伝的な素質では無くて、鍛錬のみにあるという話。
 「好きこそ物の上手なれ」/「練習は裏切らない」という言葉を、あなたもご存知でしょう。
 一万時間または十年間の一つ事への集中的な取り組み+自発的なやる気+常に上を目指して自分の限界を超えようとする挑戦的な練習・鍛錬=名人/達人/天才!
 これが、自然科学的に既に解明されていることを、この二冊の本で知りました。
 根拠になったデータは、二冊の本で共通。
 後ほど、解説の予定。

 ③は、同じ著者が書いた「信念の魔術」の前著。
 四十年以上前にも邦訳がありました。
 この本で、多数の人達が恩恵を得たというのですから、一読しておいて損はありません。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

ムベンバ効果を巡る論争の核心はムベンバ効果をもたらす「原理」があるかどうかだ

2008-08-04 02:44:31 | 自然法則の性質・働き方の原理
○ムベンバ効果を巡る論争の核心はムベンバ効果をもたらす「原理」があるかどうかだ
 NHKの番組「ためしてガッテン」で、「ムベンバ効果」を利用して、冷蔵庫で、水よりも熱湯を使った方が早く氷を作れる、という放送をしました。
 「ムベンバ効果」とは、ある条件の下で、熱湯の方が水よりも早く氷になる、という現象があることを指すものです。
 そこで、NHKのその番組の趣旨は、冷蔵庫で氷を作るときには、この効果を利用するのが良い、というわけです。
 この実験を、番組の中でやって見せました。

○示唆に富む実験
 特に、冷凍庫の中で、コップに入れたお湯をヒトに向かって掛ける実験では、コップから出た熱湯が一瞬にして白く凍って靄状になって落ちる、という現象が印象的でした。
 この実験の中に、ムベンバ効果の原理的な仕組みを発見し、実用的なシステムにするヒント/秘密が隠れていそうです。

○科学的常識に反するムペンバ効果に批判が続出 大槻義彦教授の実験
 しかし、常識的には、熱湯の方が水よりも早く氷るなんて有り得ないことです。
 そこで、NHKのその番組で紹介された実験は、「手品だ」とか疑似科学だとかいう批判が、自称科学的な常識を誇る人たちのブログ等で噴出している、というわけです。
 これには、オカルト批判で有名な大槻義彦教授も参入されて、ムベンバ効果など有り得ないことを証明する実験の結果を公表しています。
 「大槻義彦のページ」
 http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/75_8f39.html

○大槻教授の実験例の中にムベンバ効果が出現している!
 しかし、大槻教授の実験の中で、水よりもお湯の方が先に凍った例が含まれています。
 それは、プラスチック製のまな板に、お湯と水を掛けた実験装置。
 この例では、現象として、明らかに、お湯の方が水よりも早く凍るという実験結果が得られたわけです。

○ムベンバ効果があり得る可能性を一般法則論的に説明する
 大槻教授の実験例の中で、ムベンバ効果が起こっていた。
 しかし、大槻教授は、「NHKの言うと通りの結果になった」と認めながら、この結果を、正にムベンバ効果の現われかどうか科学的に考察せずに無視します。
 そこで、大槻教授に代わって、一般法則論者の立場で、ムベンバ効果の説明をしようと思います。

○全ての現象の裏にはそれを可能にする原理的な仕組みが必ずある
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中では、何をするのでも、それを可能にする正しい原理的な仕組みに基づいた正しいシステムを造ることが必要不可欠です。
 これに例外は一切ありません。
 それが如何に稀な現象であり、これまでの常識では有り得ない現象であっても、この世界の成り立ちと仕組みの隅々まで客観的にかつ唯一絶対的にかつ普遍的にかつ不変的に支配している天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに根拠を持たない現象は有り得ません。
 言い換えると、偶然の現象など、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きが絶対的に普遍的に支配しているこの世界の成り立ちと仕組みの中では原理的に存在し得ないのです(注記1)。これは神秘主義者の常識。
 例えば、1kgの鉄の塊を水中に投げ入れれば、それはすぐに水の中に沈みます。
 これは、常識的に分かります。
 しかし、その鉄の塊を、「アルキメデスの原理=浮力の原理」に根拠のある船の原理的な仕組みに基づいて、船という形=船というシステムにすれば、50万トンの鉄の塊でも水に簡単に浮かびます。
 同様に、1gの鉄の塊でもそれ自体では空中を飛ぶことが出来ませんが、飛行機の原理的な仕組みに基づいて、飛行機というシステムにすれば、100トンの鉄の塊でも空を容易に飛ぶことが出来ます。
 船の原理的な仕組みも飛行機の原理的な仕組みも、共に、自然法則の働き方の原理がその根拠になっています。

○科学的な常識に反する現象は全て科学的に存在し得ない疑似科学やオカルトと言い出す人たち
 船の場合は、人類史上早くから実用化されていたので、鉄の塊の船が水に浮くわけが無いことを、自然科学的に証明してみせるという科学者は現れなかったようです。
 しかし、飛行機に関しては、飛行機が空を飛ぶわけが無いことを、科学的に証明する論文を学会に発表した科学者がいたようです。
 これまでの科学の常識では不可能なことも、それを扱う別の原理的な仕組みを採用すると、いとも簡単に出来るようになることは、私達の身の回りにある例で、幾らでも確かめることができます。
 例えば、電話システムやテレビ放送システム。
 百五十年以上前は、どちらも、技術的にはもちろん、科学の理論としても絶対にありえないものでした。
 しかし、これまでの科学の常識に反する現象に接したり、これまで知られていない現象=システムの話を聞いたりすると、直ちに否定し、科学的に有り得ない、と言い張り、「私は常識に従う」と言う人たちが、いつの時代でも必ずいるもののようです。

○注記1 この世界に偶然があるという間違った主張の根拠を推測
 自然法則とエネルギーとの間の自然法則的な関係も知らず、科学とは何かを未だ説明できない科学者とこの無批判な追従者は、何かというと「それは偶然だ」といいます。
 偶然とは、一般法則論的には、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中に、一切の自然の法則が存在しない部分がある、という主張のことです。
 科学とは、この世界の成り立ちと仕組みを自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て説明し尽くそうとする学問だという理解の仕方をしていないことも、そこに自然の法則の存在とその働きを認めない偶然の世界があると間違って言い出す原因がひとつあるのでしょう。
 量子現象が発見されてからは、ミクロな世界は確率的な偶然で成り立っており、この延長線上にある、私達が日常体験しているマクロの世界も、原理的に確率的な偶然で成り立っていると主張する科学者が正統派と言われるようになりました。
 しかし、真実は、量子現象がなぜ生じるのかを知らずに、全ての存在物を造る素材になっているエネルギーがそれ自体で振動する波の性質を持っていることから、例えば電子の原理的な仕組みで造られている電子システムのような小さな存在の場合、素材になっているエネルギーの波が直接観察できてしまうものですから、誤解を生じているに過ぎません。
 この世界の全てを造っている素材はエネルギーであること、そして、自然法則とエネルギーとの関係に関する知識、自然法則は、それをそれにする原理的な仕組みを基にしたシステムを造る形でのみ働くといったことを、多くの人達が未だ自覚的な知識にしていないのが、誤解の本であるといえます。
 注記1の終わり

○ムベンバ効果の原理的な仕組みがあるに違いない
 「鉄の塊が水に浮かんだり空を飛んだりする」という常識に反することを起こす、船の原理的な仕組みで造られた船や飛行機の原理的な仕組みを基にして造られた飛行機がある。
 翻って、現に起こっている「ムベンバ効果」を考えて見ると、これを現象させる原理的な仕組みがあることが分かります。
 即ち、水よりも熱湯の方が早く氷る現象をもたらす「ムヘンバ効果の原理的な仕組み」があり、この原理的な仕組みを正しくシステム化できると、確実にムヘンバ効果を得られる、という訳です。

○原理的な仕組みの実用化には試行錯誤とこれに自動的かつ必然的に伴う時間が必要
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中では偶然など有り得ない以上、ある特定の現象が観察されたら、この特定の現象をもたらす原理的な仕組みの存在が自動的かつ必然的に推測できます。
 しかし、その原理的な仕組みが何かがすぐに特定できないことは有り得ます。
 ムベンバ効果の現象をもたらす原理的な仕組みは、まさにこの例なのでしよう(注記2)。
 或いはその原理的な仕組みが確定的に発見されても、この原理的な仕組みを形にする=実用的なシステムにする技術を中々整えることができなくて、何年にもわたる試行錯誤をすることになる、ということは、ごくありふれた話でしょう。
 例えば、クォーツ時計の原理が発見されてから実際にそれが実用化されるまでに五十年掛かったとか、ロータリーエンジンの原理を実際に自動車に搭載して動くエンジンにすることは、マツダの技術者たちが成功するまで世界中で誰も出来なかったとか、「窒化ガリウム(GaN)」を材料に使って、中村修二氏が実際に青色系発光ダイオードを工業的に確実に作ることに成功するまで、「それではできっこない」と学会の偉い学者が保証していたという例などもあります。
 反対に、技術的には既に確立したものになっていても、その全体を現在の科学では説明することが出来ない例もあります。例えば、日本刀作りや自然農法(注記3)。

○注記2 既に発見されてない原理的な仕組みは存在しないと言い張る人たち
 ムベンバ効果について、中々その再現が出来ない、という事実があるということは、「熱湯の方が水よりも早く氷る」という科学の常識に反するムベンバ効果がそもそも科学的にありえない現象であるということの一つの有力な証拠である。
 科学的に在りうるとすぐに説明が出来ず、その原理が特定出来ない以上、そんなものは存在しないのだ。
 科学は、それが科学的に存在するものならば、直ちにそれが何かが分かるものであり、これがすぐに出来ないムベンバ効果の原理的な仕組みは存在していないということを意味しているのだ。
 現在の科学で説明出来ない物理・化学的な現象は無い。逆に言えば、科学的に説明出来ないことはこの世界に存在しえないのだ。「熱湯の方が水よりも早く氷る」などという科学的な常識に反するムベンバ効果を科学的に説明できなくて当然なのだ。それは、科学が説明できる世界の一部に存在していないのだから。
 ―――という主張をする人達がいることを、これに関するブログを調べていて知りました。
 しかし、この意見は、科学的な発見について、その実際をご存知ではない方々の見解でしょう。
 そもそもこれまでの科学は、自然法則とは何かさへ説明できない不完全な科学理論なのですから。
 注記2の終わり

○注記3 自然農法について
 疑似科学扱いされている自然農法ですが、何一つ欠けるものが無い完全完璧なシステムである大自然の生態系を丸ごと利用する農法であることを、後で説明の予定。
 注記3の終わり

○大槻教授は何をご存知ではないのか?
 大槻教授も前節で説明したこれらのことをご存知のはずです。
 しかし、大槻教授は、ムベンバ効果がもたらす現象さへも無視し否定されることから推測すると、これらを自覚的に意識化された知識にはいまだされてはいない、と推測できます。
 しかし、これも、とてもよくある話です。
 他の例で言えば、テレパシーのようないわゆる超能力は、ヒトの心の働きと理解することが直ちにできるのに、その心とは何かも知らないで、そんなことはありえないこととかオカルトとか疑似科学と断定する例。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

慣性の法則の理解の仕方 自然法則と物質とエネルギーには自らの心が無い

2008-08-03 04:25:18 | 自然法則の性質・働き方の原理
○慣性の法則の理解の仕方 自然法則と物質とエネルギーには自らの心が無い
 ここでは、慣性の法則が持つ意味について、説明をします。
 結論を言えば、自然法則にも物質にもエネルギーにも自らの主体的な自由意志がなく、これ自体で単独に勝手に働いたり動き出したりすることは絶対に無い、ということです。
 実際には、自然法則と物質とエネルギーとは、自然法則+エネルギー(物質)一体不可分の働きの形で働きますが、慣性の法則性を現すことではいささかも変わりがありません。
 自らの主体的な自由意志が無い、という意味は、自然法則にも、物質にも、エネルギーにも、私達が「心」と呼ぶもの、特に、物事を自由に主体的に考えて、何をどうするかを自ら選択し決定し、それを採択することができる、この結果として新しいものを創造する機能を持つ、意識のある心の働きを持ってない、という意味です。

○慣性の法則に関する物理学的な説明
 慣性の法則、という言葉を聞いたことが、皆さんはあるでしょう。
 この法則は、動いている物体はそのまま止まることが無く等速で動き続けるし、止まっている物体は、自ら動き出すことがなく、そのままの状態を維持し続ける、というという現象をもたらす自然の法則の働きのことですね。
 平たく言えば、物を棚に並べて置けるのも、この法則があるおかげです。
 慣性の法則を、ヒトだけでなく、例えば、リスは、どんぐりの実を地面に穴を掘って埋めたり、巣穴に溜め込んだりしたときに、そのどんぐりの実が勝手に動いて何処かに行ってしまうことが無いことを、ちゃんと知っています。

○慣性の法則の本質的な意味 意識のある心の働きが無い
 自然法則や物質やエネルギーに慣性の法則性をもたらすものは何でしょうか?
 この答えは、自然法則にも、物質にも、物質を造る素材になっているエネルギーにも、自らの主体的な自由意志を持つ「意識のある心」がなく、それ自体で、勝手に働くことが無い、ということです。
 端的に言えば、自然法則も物質もエネルギーも、意識のある心が無い、意識のある心を持って居ない、ということです。
 意識のある心が無いということは、何かを新しく創造する機能・能力を持ってない、ということです。
 実際、自然法則も、物質も、エネルギーも、これ自体の主体的な働きで、勝手に何かを造り出すということがまったくありません。
 このお陰で、ヒトは、自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって造って欲しいものだけを選択して造らせることができる訳です。もし、自然法則+エネルギー一体不可分の働きに自らの主体的な自由意志があったら、ヒトの言うことを何でも素直に聞いて、ヒトが命ずる通りにモノを造る、ということをしてくれないでしょう。

○意識のある心の働きは生物、特に動物に顕著な現象
 自らの物質的な身体や物を自由に動かし何かを創り出す機能を持つ心は、生物、特に動物に顕著な現象です。
 このことを、狩りをする動物は、本能的に知っています。
 アンリ・ファーブルの「昆虫記」に登場する狩人蜂は、獲物の蜘蛛やイモムシの神経節に針を刺して麻酔をかけて動けなくさせます。
 生物は、死んで意識のある心の働きを失い、無意識化=物体化すれば最早勝手に動きだすことが絶対に無いことを知っているライオンのメスは、捕らえたウシカモシカが窒息死したことが確認できるまで、その口元を噛んで離しません(文字通りの意味で「死の接吻」)。この狩りの様子は、テレビの動物番組によく登場しますが、見るたびごとに、ライオンですら慣性の法則をよく知っている、と感心しています。

○慣性の法則に関するまとめ
 慣性の法則が意味していることは、一般に理解されている意味の他に自然法則にも物質にもエネルギーにも自らの意識のある心が無い、という意味を含んでいる、ということです。
 ここまで理解したのでなければ、慣性の法則を理解したことになりません。

○慣性の法則から天地万物の創造主である神の存在を証明する 附 客観的ということ
 自然法則にも、物質にも、エネルギーにも主体的な自由意志がなく、自ら進んで働いて、何かを創り出すことが出来ない。
 それなのに、私達が見て知っている通りの天然自然の存在の世界があります。
 自然科学は、天然自然の世界を、自然法則+エネルギー一体不可分の働きのみで説明しようとします。そして、天地創造の前段階として、物質的な揺らぎを持ち出します。しかし、慣性の法則から言って、原因無しに物質自体が勝手に揺らぐことは無いはずです。
 自然法則+エネルギー一体不可分の働きだけでは、天地創造が始まりようがないのです。
 この天然自然の存在の世界を、心を持たず、何かを新しく創り出す機能を持たない、自然法則や物質やエネルギーの働きが、創り出した、というのは無理な話です。
 そこで、自らの主体的な自由意志がなく、自ら進んで何かを新しく創り出す能力がまったく無い自然法則+エネルギー一体不可分の働きを、この世界を造る素材といわば道具に使って、この世界を、そして、ヒトという存在を創造した創造主に当たる存在が必要不可欠になります。
 そして、この意味の創造主に当たる存在を、このブログの中では、創造主である神と呼んでいます。
 言い換えると、天然自然の存在の世界の創造主は、創造主である神のみだ、自然法則とエネルギーは、天然自然の存在の創造主である神では無いし、創造主である神には成れないのだ、ということです。
 しかも、この世界も、私達の存在も、そして、この世界の成り立ちと仕組みの全体を造り出した天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きも、全てのヒトに先立って、また、全てのヒトに等しく、それ自体で、普遍的に絶対的に不変的に存在し働いています。
 この意味で、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とその働きも、また、この働きによって創り出されたこの世界の成り立ちと仕組みも、この中に進化の過程を踏んで生まれた私達も、全てのヒトに等しく、自動的かつ必然的に、「客観的に」実在していることになります。
 但し、このことを、自覚的な知識にするためには、ヒトは、生物進化の過程を踏んで、意識のある心の働きを獲得する必要があったわけです。そして、このことが、創造主である神の化身かつ分身の存在のヒト(宇宙大では宇宙人一般)に実現するまで、この世界は絶対的な無意識の状態に置かれていた訳です。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


携帯電話機で空を飛べないのは人に教わらなくても自分で気付くべこと

2007-07-01 05:43:58 | 自然法則の性質・働き方の原理
○この世界にある全てのモノの造られ方
 携帯電話機で空を飛べないのは、人に教えられなくても自分で気付くべきことです。

 「犬が西向きゃ、尾は東」と言います。
 これは、犬の原理的な仕組みで造られている犬というシステムの持つ構造により、自動的かつ必然的にこうなります。
 犬が、亀になっても、馬になっても、鹿になっても、ブタになっても話は同じです。

 ところで、私達が持っているこの世界に関する知識の大部分は、気が付くまでは、「知らない」ということです。
 「知らない」ということは、言い換えると、いわゆる「無意識」に属している、ということです。
 そこで、「犬が西向きゃ、尾は東」と言うことも、人に「言われてみればそうだ」ということも在り得ます。

 しかし、原理的には、建前的には、むしろ、人に指摘されて初めて気が付く、と言うようなことはあってはならない、ということが出来ます。

 例えば「犬が西向きゃ、尾は東」と言うようなことは、仮令人に教えられなくても、自分で自ら気が付いて、すなわち、無意識でいることを意識化し、自覚的な知識にして、自分の発見にするべき筈のものです。
 この世界に生まれて、自助自立して生きる人間になるには、何から何まで人に指摘され、人に教えられなくても、自分が人らしく生きるために必要な気付きや発見は自らできることをしっかりと自覚的な知識にしているべきです。
 幸いに、全ての人に、生得的にこの能力が与えられています。

 何度も繰り返して言いますがーーー、
創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界を、同じく創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られ働いている人の心の働きで認識し理解するという仕組みがあるからです。

 しかし、何かというと、「そんなことは教わってない!」とか、「それは未だ科学的に証明されてない!」という人がおります。
 「人を殺してはいけない」と教わっていなかった、と言った子供もいました。

 しかし、一般的に言えば、この世に存在している全てのモノ、存在、現象は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きにより、因果必然的に造られています。
 この意味では、この世にある全ての存在、全ての出来事、全ての現象は、既に、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きによってその根拠が証明済みだ、ということができます。
 この例の中には、いわゆる超能力現象も含まれて居ます。
 この理屈がお分かりいただけるでしょうか・・・。

○自然法則が構造的に働くのは科学的に証明されない!?
 もう十数年位前の話です。
 ある方に、『自然法則は構造的に働きますから云々・・・』と申し上げたら、即座に、「自然法則が構造的に働くなんて、未だ科学的に証明されていません!」と言い返されました。

 この方は女性で、私と同じ母校の、建築科を卒業されていると聞いていたのですが、私には全く想定外のその反論に頭の中が真っ白になってしまって、もう二の句が継げませんでした。

○自然法則は構造的に働いている証拠
 昨年(2006年)、建築の構造計算を出鱈目にやった建築士の設計図を元に建てられた建築物の構造的な強度不足が、社会問題にまでなりました。

 建築物は、構造の塊で出来ています。
 そして、その構造の根拠になるのは、物理・化学の自然法則です。

 自然法則とは、人が勝手に作った規則のようなものではなくて、私達が知っている天然自然の世界を造った、天然自然の法則の意味です。

 物理・化学の自然法則以外の何かの法則、例えば建築主の思いや魔法の力で、建物は作られ、立っているのではありません。
 建物の構造は、物理・化学的な自然法則の働きがそのまま形になったものです。

 物理の自然法則は、よく数学的な方程式の形で表現されます。
 それは、その自然法則が持つ構造を、数学的な方程式の持つ構造に置き換えて表現しているものです。

○枚挙式の帰納法ではその法則性を証明できない!?
 自然法則が構造的に働くことを証明するのに、今、例に挙げた二例では、論理的にも経験的にも、不完全だ! と反論される方がいるかも知れません。
 しかし、この反論は、自然法則は、この世界の全てを造っている創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きの中で、元々構造的に働く機能があり、この必然性もあることについて、無知のための誤解です。
 このことに関する詳しい話は、別のところでします。

○自然法則は自動的かつ必然的に働く性質を持つ
 言い替えると、自然法則は、偶然に働くことは絶対にない、ということです。
 これも、自然法則は、エネルギーと一体不可分で働いて、創造主である神の天地創造の道具としての役割を果たすための存在なので、一言で言えば慣性の法則性や原因と結果の間を自動的かつ必然的に繋ぐ因果関係の法則性により、働くときには、一義的に/一意的に明確に確定的にかつ客観的に即座に自動的かつ必然的に働くようになっていることに関係があります。

 これゆえに、たった一つの成功例でも、それと同じやり方をすれば、同じことを百万回繰り返しても必ずうまく行く、と断定できるのです。
この考えは、大量生産の工業製品で実用化されていますね。

○経験的な事実
 経験的にも、何かをするその正しいやり方を、試行錯誤で発見するとき、これがうまく行った時に、それは偶然で、その成功を支える確かな自然法則は何も無い! という理解の仕方は、しないものでしょう。

 例えば、地震で家具が転倒するのを防ぐために、壁に金具でしっかりと固定された箪笥の裏側に物を落としてしまったときに、箪笥を壁に固定したままの状態でその物を取るのにあれこれ工夫をしてやっと取り出すことに成功したとき、これは、偶然にうまく行ったのであって、これを可能にした自然法則など何もない、と言うでしょうか・・・。
 少なくとも、こういう間違った理解の仕方をする人は、発明家にはいません。

○試行錯誤で見つけたうまく行く方法をシステムとして確立する原理
 あることを正しくする方法を求めて、何千、何万の試行錯誤の中から、一つでも成功する事例が見つかれば、自然法則の持つ因果の法則性から自動的かつ必然的に導かれる、同一原因=同一結果の原理、そして、自然法則は構造的に働きますから、同一原因=同一結果の原理は同一構造=同一結果の原理に置き換えることが出来ますから、これに基づいて、試行錯誤の中で成功した場合の構造を再現して、純粋化し、成功の再現性の確率を高める工夫をすることになります。

 なお、再現性が百%ではないのは、同一構造を再現するのは、元々この世界の成り立ちと仕組みにより多様性豊かに造られ、一つ一つがそれ自体で独自の存在であるものを使って、同一構造を作り出すのですから、原理的に難しいからです。
 これは、例えばネジの長さが三センチ±2/100mmの誤差の範囲内に収まるように作るネジの工場の品質管理では、これを実現する同一原因=同一結果の原理に基づいたネジの作り方を維持するに、試行錯誤を伴う作り方の工夫をしているものです。

○自然法則が構造的に働くのは科学的な証明が不要な一般常識
 最近は、何か商品を買うと、色々の注意書きがその商品の取り扱い説明書に書かれています。
 これは、文字通りに注意書きの意味もありますが、これを書いておかないと、それで何かあったときに、そういうことがないように予め忠告し警告してなかったのは消費者保護の観点から法律的に許されない、ということに対する訴訟対策の面もあるようです。

 しかし、例えば、「携帯電話機では空を飛べません」と書いてなかったから、携帯電話機を持って高い建物の屋上から空を飛ぼうとして墜落して大怪我をした人からの損害賠償を求める訴えに、その携帯電話機を作った会社やその販売店は、法律的に自動的かつ必然的に負けてしまうのでしょうか!?

 電話機という機能に絞って作られているモノは、最初からこれ以外の目的には使えないように、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き的に決まっています。
 電話機の原理的な仕組みを基にして作られている電話機というシステムは、飛行機の原理的な仕組みで作られている飛行機というシステムの役割を果たすことができません。
 電話機は電話機以外の目的には使えないし、これを無視して電話機を使ってはならないことになっています。
 これを、常識と言います。
 また、例えば、携帯電話機で頭を殴られた人が決して怪我をしないような電話機の構造や作りになっていなければならない、ということもありません。

 この理屈は、全てのことに当て嵌まります。

 しかし、全ての商品は、その機能や目的以外の使用に対しても、それなりに対応していなければならない式の発想を、裁判官や弁護士がするのだから、困ります。



 ひとまず、話を締めます。
 誤記は、発見次第訂正します。
 追加まは削除を必要とするときには、これを後から行ないます。

ニュートンは林檎の木から林檎の実が落ちるのを見て何を発見したのか

2004-12-04 03:08:36 | 自然法則の性質・働き方の原理
○万有引力の法則でニュートンは何を発見したのか
 ニュートンは、林檎の木から林檎の実が落ちるのを見て、万有引力の法則を発見したと
言う話を、私は小学校の4~6年生頃に子供向けの本で先ず知って、次に授業で聞いた覚
えがあります。

 ところで、林檎の木から林檎の実が落ちるのを見て、ニュートンは、一体何を発見した
のか?

○あなたは正しくその答えが直ちにお分かりになった・・・
 あなたは、ニュートンは何を発見したのか、すぐにお分かりになりましたか?
 そう、万有引力の法則です。
 あなたは、正しい。

○私には分からなかった
 しかし、私は、その時に、その話で、ニュートンの発見したのは、万有引力の法則とは
思わなかったのです。
 私がその時に分からないと思った理屈は、次の通りです。

 林檎の木から林檎の実が落ちても、それは物が落ちるという体験的に/経験的にもうよ
く知っている事実から判断すれば、もうしごく当たり前のことではないのか?
 それなのに、林檎の木から林檎の実が落ちるのを見て、万有引力の法則を発見した、と
いうのはどういう意味だ?
 何か、とても話が飛躍していて、ついて行けない・・・。

 ニュートンは、本当は何を発見したのだ?!

 私には、その時、幾ら考えても、その意味が分かりませんでした。
 しかし、余りに馬鹿げた疑問に思えたし、私の周りの皆はすぐに分かっているようなの
で、手を挙げて先生に聞くこともできず終いでした。

○40歳すぎまで考えて気が付いたこと
 その時から40歳をすぎるまでずっと、ニュートンは本当は何を発見したのだ?! と
思い続けました。
 この結果、分かったことは、次のことです。

○ニュートンは落ちる林檎の実に働く普遍的な自然法則を発見した
 私が、林檎の木から林檎の実が落ちても「当たり前のこと」と思っていたことを、ニュ
ートンは、それを宇宙大に普遍的な自然法則の働きとして発見したのです。

○体験的に当たり前の現象をそこに働く自然法則の働きとして発見する意味
 では、体験的に当たり前の現象を、自然法則として発見するとは、どういう意味か?
 まず最初に、ニュートンは、宇宙にある全ての物同士の間で、物と物との間に働く引力
という力があること、そして、この力は、引力定数Gと物体同士の質量に比例し、物体同
士の距離の二乗に反比例するという形の自然法則があって、この通りのことを単純な数式
で表現できることを発見したのです。

 大事なことは、私が単なる個人体験的真理或いはもう誰でも知っている当たり前のこと
と思い込んでいたことを、宇宙に普遍的な真理───自然科学な真理───自然法則的な
真理として、ニュートンは発見したのです。

 ここでの話の理解で大事な鍵言葉は、法則、それも、人間が作ったのではない、天然自
然の法則───自然法則の存在とその働きの理解です。

 詰まり、物が落ちるというのは、それぞれの人の個人的な体験の世界の中だけで当たり
前であっても全ての人の間で一つに通用する普遍性は無いということでも、偶々物が落ち
ることがあるという偶然の話でも無くて、そこには全ての人に普遍的に通用する宇宙大で
普遍的な因果必然の自然法則の働きがあるのだということを、ニュートンは発見したので
す。

 物が落ちるというのは、万有引力の法則という名前を付けた自然法則の働き。
 これを自然法則という形で/概念で/範疇で捉える・理解するという意味は、神が全て
を造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中では、万有引力の法則という名前を付けた自然
法則の働きが、ニュートンが発見する前から存在し働いていたということであり、ニュー
トンが発見してから突然に働きだしたものでは無い、ということです。

 言い換えると、仮令あなたや私が、万有引力の法則の存在もその働きも一切知らなくて
も、また何かの理由でそれを一切認めず受け入れないと言い張っても、この世界が誕生し
て以来ずっと、それでもそれ自体で存在し、それ自体で働く条件が整ったときには自動的
かつ必然的に働いて、その現象・結果を自動的かつ必然的にもたらしていたし現に今もこ
の点は少しも変わらないということです。

○物が落ちるのを自然法則の働きと捉えた成果の実例
 物が落ちるという誰にも当たり前の現象を、自然法則の働きと捉えた成果は────
  私たちがそれと知らずに御世話になっている通信用の人工衛星も、ニュートンが、宇宙
大で普遍的な万有引力という因果必然の自然法則を発見してくれたお陰で、人工衛星とい
うアイデアが生まれ、実際にこれを、ニュートンの後に生まれた人間が実現してしまうこ
とを可能にしてくれたのです。
 ニュートン大先生に感謝!

○全ての自然法則の性質
 今、話したことは、全ての自然法則に共通する話です。
 この世界の成り立ちと仕組みを説明する概念として、エネルギーと共に自然法則を扱う
のは、自然科学。
 自然科学は、この世界の成り立ちと仕組みを自然法則とエネルギーというたった二つの
基本概念/基本用語で全てを説明し尽くそうとする試み。
 この自然科学の試みは、とても成功しています。

 一般法則論は、しかし、自然法則とエネルギーだけではこの世界の成り立ちと仕組みを
十分説明し切れないと考えて、いや、本当は、創造主である神の発見が先にあって、この
創造主である神の存在を自然法則(この起源は創造主である神の天地創造の原理であり、
この世界を秩序付けている力)とエネルギー(この起源は創造主である神の身心であり、
この世界を造っている唯一絶対普遍の素材)の持つ性質で証明して、創造主である神+自
然法則+エネルギーの3つの基本用語でこの世界の成り立ちと仕組みを説明します。

 実際には、この3つの基本用語の他に、絶対的無意識の意識化/(物質・生物・心の)
進化/創造主である神の化身・分身の人間(宇宙人一般)/心(意識と無意識)/生と死
/♂と♀2つの性と結婚/天然自然の世界と文化文明世界の諸概念を使いますが、基本的
にはこれらの概念を全て導き出す、創造主である神、自然法則、エネルギーの3語です。
 詳しい説明は別の文。

○自然法則という単独の説明項目が科学の辞典にない
 まったく不思議なことに、科学の辞典/物理学の辞典には、「自然法則」という見出し
のついた独立/単独の説明項目がありません(2004年12月04現在)。
 百科事典にも、「自然法則」という見出しのついた独立の説明項目がありません。
 一般法則論では、エネルギーについても、自然法則についても、自然科学者、科学哲学
者もしていない、詳しい説明をします。
 この説明抜きでは、この世界の成り立ちと仕組みがよく説明できないからです。

○自然法則の存在を否定する人達
 ここでの話の理解で大事な鍵言葉は、天然自然の法則───自然法則の存在とその働き
の理解でした。
 しかし、自然法則の存在とその働きをどうしても理解できない人達がいます。
 例えば、この世界の成り立ちと仕組みを説明しようとしている哲学者。

○哲学者によるこの世界の理解の仕方
 哲学者は、昔から、最初に何でもその存在を疑って掛かり、「それは当然にある」式の
考え方を強く排除する結果、この世界を造っている自然法則の存在と働き(自然科学がこ
れを使ってこの世界の成り立ちと仕組みの説明に大成功しているのに!)さえ疑い、「盥
の水と一緒に赤子(自然法則)を流してしまう」間違いをして見せてくれます。
 この後、哲学者自身でそれぞれに、この世界を説明するのに必要な自然法則に代わる法
則を勝手にでっち上げて、それでこの世界を説明しようと悪戦苦闘します。
 しかし、もう当然のことに、その説明はうまく行きません。
 この結果は、私たちが生きているこの世界には、この世界を支える確かな根拠は何も無
い! 人がこの世に存在することに何の目的も意味も無い! などという飛んでもない事
を言っているのは、あなたもご存じ?!

○一般法則論的な人間存在の理解
 哲学者は、人がこの世に存在することに何の根拠も目的も意味も無い! と言います。
 悟りの体験した結果、人間存在は絶対的無の存在だと分かり、哲学者が言っていること
が本当だ、と分かったと言う人もいます。こう言って、結局、この方は自殺した?!

 一般法則論の理解では、人間(宇宙大では宇宙人一般)という、創造主である神自らの
化身(創造主である神と一つ同じ心と能力を持つ存在)であり、神自らの分身(多種多様
な沢山の神の化身)を造って、その一人一人になって様々に生きて、様々に遊んで、様々
に楽しんでみたいと意図したことが切っ掛けで、自らの化身=人間/人類/地球に生え抜
きの宇宙人が住むこの世界/地球を造った、と理解します。

 この世界を実際に造った神の天地創造の理法である自然法則には、これを実現する仕組
みが当然に組み込まれています。
 それが、それをそれにする原理的仕組みを必ず基本の単位(これを必ず基にして造られ
るシステムを全ての存在の基本の存在単位にする)として働く自然法則で造られるシステ
ムの多様性の形(例えば生物でいう種とこれを構成する個体群。種という概念は存在しな
いと言う人に、この世界の秩序を造っている自然法則の働き方の原理を持ち出して反論し
たことになります)になって実現しています。

 神にとって人間(/人類。宇宙人一般)という存在は、天地創造の唯一絶対普遍かつ至
高の目的です。
 この人間を、神が愛して愛して愛して愛さずにおくものですか!!!
 で、神の化身/分身の存在の人間には、もう有り余る程沢山の存在理由/存在目的が、
全ての人一人ひとりに生得的にあります。
 今、申し上げた意味を、繰り返し何度もお考えください。

 既に別の所で説明した、自分探しの為の自己観察をして、ご自分に相応しい生き方、生
きがいを発見して下さい。

 自然法則について、詳しい説明をするため準備運動でした。

 以下は、2004年12月06日に、上記の文に加筆訂正したついでに追加した文。

○悟りの体験の時の発見
 この私(人間/人類)は、神の化身であり、その分身。
 この理解は、私の悟りの体験で直接発見したことの一つです。

○私は神である
 悟りの体験のその瞬間、私は神である、と本当に思いました。
 これにすぐ続いて、私が神ならば、一つ全く同じ原理で、父母や弟や妹も、そして、私
の友人たちも、今、私のいる部屋/家の外の道を歩いている人達も皆全て神だ、と思い
ました。

○悟りの体験についての簡略な説明
 悟りの体験とは、悟りの体験をする人の純粋に心の中の体験です。
 神とは、姿・形が一切無い純粋に精神的な存在、心の存在として存在しています。
 そこで、神の存在を発見をする悟りの体験は、悟りの体験をする人の純粋に心の中の体
験になります。この方法以外では、神そのものを発見することはできません。

○神は絶対的無意識の存在
 しかも、心の形で存在する神は、私たちが無意識と呼ぶ世界に存在しています。
 それも、無意識は無意識でも、全ての人の無意識の根底に共通して横たわるただ一つの
絶対的無意識として存在しています。
 悟りの体験のときに、この絶対的無意識の存在の神を意識化し(正確には絶対的無意識
の存在側から自然に意識化されて来る。この最後の瞬間は、「仏の側から行われて」と道
元禅師が発見した通りです。これは悟りの体験をさせてくれる自然法則の自動的かつ必然
的な働きの性質によります)、悟った人による神の発見と確認が行われるのです。

 絶対的無意識の存在の神を発見するには、この絶対的無意識の存在の神を意識化して確
認することでしか、本当の神の存在を発見する方法はありません。
 人は、意識の心の働きでその存在を確認できたときに初めて、その存在を認めることが
できます(神の存在でさえ、その存在を確認できると、「神に祈る」とか「潜在意識の活
用法」/イメージトレーニング等の形で意図的に操作できる存在に変わります)。

 神の存在について無意識の儘では、音楽の才能が幾らあっても、これに気が付かず、自
覚的に意図的にそれを開発/解発しない内は音楽の才能など初めから無いも同然になると
の話しは同じ。

○普通の日常生活の中で神の存在を発見することが出来ない理由
 人の心は、意識と無意識の心で出来ています。
 意識は、無意識の心の一部が、心の進化の過程を通して、意識として働くようになった
ものです。そこで、意識と無意識とは連続しています。しかも、それぞれ異なる別の機能
を担っています。意識のシステムと無意識のシステムとは、同じ心でも、その原理的仕組
みが違う、言い変えると、存在目的が違う、と言う意味です。

 神は、岩石の中では眠り、植物の中では目覚め、動物の中では活動し、人間の中では自
らに目覚める。───古代インドの哲学書に書かれている言葉。
 これは、神とは何か、心とは何かについて、本当によく分かっている人が言った言葉で
す。

 意識中心の生活をしていて、意識中心の心の働きが自らの無意識の心の底に絶対にと言
い切って良い位に及ばない多くの人にとって、絶対的無意識の存在の神は容易には発見で
きない訳です。
 また、悟りの体験時のその意識化の程度、覚醒度の程度が、仮令向精神薬の力を借りて
も日常体験ではまず実現できない高度のものであって初めて、全ての人の無意識の根底に
横たわる絶対的無意識の意識化が可能になりますから、この点でも、多くの人にとって、
絶対的無意識の意識化によるしか方法が無い悟りの体験は、とても難しいのです。
 そこで、多くの人達が、神など何処にも存在しないのが本当のように間違って思うこと
になる訳です。

○神が化身化した人間の姿・形は誰にでも見える
 あなたや私の存在は、神が、あなたや私に実際になって存在している姿です。
 あなたや私の存在は、目に見えます。詰まり、視覚化された神/「見える化」された神です。

 この姿・形のある神の存在を認め受け入れ大事にすることが出来ない人が、姿・形の無
い神の存在を認めて受け入れることは出来ないでしょう。
 しかし、姿・形のある神の存在を殺して、神は偉大なり! と叫んだりする訳です。

○殺人の禁止
 人殺しは、端的に言って、神殺しです。
 即ち、それなくしては、自らが最初から存在し得ない自らの創造主である神の否定!
 だから、人を殺してはいけないのです。
 この本能的な感覚が、神の化身の人にはあるのです。



一般法則論による神の存在証明

2004-11-28 02:12:08 | 自然法則の性質・働き方の原理
 この文では、自然法則とエネルギーに関する自覚的な知識に基づいて、いわゆる神の存
在証明をします。

○神の存在証明
 私たちが住んでいるこの世界を見渡してみると、そこには多種多様な存在物で溢れてい
ることが分かります。

 それら多種多様な存在物は、常識的に大別すると、2つに分類できる、と分かります。

 一つは、人が作った物。
 例えば、今、あなたがお使いのパソコンやインターネット・システムやブログ。
 包括的に言うと、文化文明的な諸文物。

 今一つは、人が作った物では無い、天然自然の産物。
 例えば、山川草木、日月星辰。地球。大自然。生物としての人間/人類。ゴキブリ。

 私たち人間/生物としての人類は、今日の自然科学的な常識では、元々、天然自然の産
物の一部として、その中で、物質的→生物的→心理的(精神的)な「進化」の名前で知ら
れている過程を経て誕生した、天然自然の存在です。

 この内、人が作った物(文化文明的な諸文物)の言わば「創造主である神」は、私たち
人間です。
 私たちは、文化文明的な諸文物の唯一絶対普遍かつ至高の創造主である神です。
 こうだ、と断言して良いと思いませんか?

 では、文化文明的な諸文物の一つ、今あなたがお使いになっているパソコンを、私たち
は、何を頼りにし、何を道具とし、何を材料にして作ったのでしょうか?
 この答えは、自然科学で既によく知られているところの、物質、自然法則、エネルギー
の3つを一体不可分で一つのものとして使って、全て作った、です。

・物質は、パソコンの形を作っている質量。
 物質は、元々は姿・形が無く、人の目には一切見えない存在(これを私たちは心とか精
 神と呼ぶ習わしです)のエネルギーそのものの一部が、姿・形があり、目にも見える物
 質の形になったものです。
 アインシュタインが発見した、物質とエネルギーとは同じ物であることを端的に数式で
 表した次の式。後で、この式の持つ詳しい意味を説明します。
 この式の中のMは物質/質量。Mは、哲学的に言えば、存在物一般の意味。
 EとC^2 は共にエネルギーを表します。

  E=MC^2  但し、光速Cは一定不変。

・自然法則は、他の何でも無い正にパソコンを作るための「パソコンの原理的仕組み」を
 決め、またこれに則って実際にパソコンを作る方法を決めているものです。
・エネルギーは、パソコンを作るのに必要な機械エネルギーや人の手作業エネルギーと、
 パソコンを動かし使う為に必要な動力源としての電気エネルギー(物理学で言う「何か
 の仕事する力」)です。

 つまり、私たちは、パソコンだけでなく全ての文化文明的な諸文物を、物質と自然法則
とエネルギーとを一体不可分のものとして一つに使う方法以外の、例えば、気合とかカボ
チャを馬車にするような何かの魔法のような方法で作ったのでは無いということです。

 ところで、確認しますが、物質、自然法則、エネルギーは、この3つが一つになって、
私たち人間が必要とするパソコンを始めとする文化文明的な諸文物を勝手に造ってくれた
のでしょうか?
 あなたの身の回りにある物で、人が作った物をなんでも取り上げて確かめて下さい。
 それらは全て、人が、それを作ることを意図して、それを作る目的に合わせて、物質と
自然法則とエネルギーとを一体不可分のものとして一つに使って、適切な方法で作ったも
のだ、とお分かりになる筈です。

 人は、なぜ、物質と自然法則とエネルギーとが一体不可分で勝手に働いて、パソコンを
始め、その他の文化文明的な諸文物を自然に造ってくれることを、期待することができな
いのか?

(なぜ、そう期待できないと、人間は直観的に知っているのかの説明は、心とは何かの説
明をするところでします。この直観が働かない人達が世の中にはいるから困ります。)

 この答えは、物質にも、自然法則にも、エネルギーにも、それ自体に主体的な自由意思
が一切全く無いからです。これを、物理学では、慣性の法則と言います。
 この3つのものには、それ自体に主体的な自由意思が一切全く無いから、勝手に働いて
例えばパソコンを造ることが出来ないのです。

 物質にも自然法則にもエネルギーにも、それ自体に主体的な自由意思が一切全く無いか
ら、私たちは、例えばパソコンが欲しいと思えば、これが因果必然的に出来るように、物
質と自然法則とエネルギーとを適切に使って、自らパソコンを作るしか無い訳です。

 自分の持っているパソコンは売っているのを買ってきたもので、自分が作ったのではな
い、と言われる方も、そのパソコンは、やはり誰か人間の手で作られたことをご存じでし
ょう。

 では、鳥や獣やゴキブリや生物としての人間、山川草木、日月星辰、地球なとの天然自然の物は、何で造られているのでしょうか。
 これらは、人間が創造主である神となって作った文化文明的な諸文物と同じく、物質、
自然法則、エネルギーの一体不可分の働きで造られている、と分かります。

 いや、鳥や獣やゴキブリや生物としての人間、山川草木、日月星辰、地球などの天然大
自然の物は、物質、自然法則、エネルギーの一体不可分の働きで全て造られている、と理
解するのが、今、現在、私たちが持っている科学的な常識ですね。

 考え直してみると、私たちが文化文明的な諸文物を作るために利用した、物質、自然法
則、エネルギーの一体不可分の働きは、元々は、天然自然の諸物を造るために使われてい
たものです。
 即ち、物質、自然法則、エネルギーは、3つとも、人が作ったものではなくて、天然自
然の世界の中に元々あったものでした。
 この自然の働きを、私たちは自然から学んで、私たちが必要とする文化文明的な諸文物
を作るために利用し、応用したものだ、と分かります。

 さて、文化文明的な諸文物は、人間が創造主である神になって作ったものでした。
 では、天然自然の産物は、誰が造ったのでしょうか?

 それらは、私たち人間が作ったものでは無いことは、もう分かっています。
 物質、自然法則、エネルギーがそれを勝手に造ることが出来ないことも明らかです。
 そうすると、物質、自然法則、エネルギー一体の働きを使って、私たち人類をその内に
含む天然自然の物を造ることを意図して、実際に造らせた存在が必要になります。
 この存在を、昔から、神、それも(唯一絶対普遍かつ至高の)「創造主である神」の名
前で呼ぶのです。

 以上が、一般法則論における創造主である神の存在証明です。
 なお、これに量子理論に基づいた反論については、この文の終わりで纏めて答えてあり
ます。

○神はいつからかそれ自体であるようしてある天然自然の存在
 今、一般法則論における創造主である神の存在証明を済ませました。
 ところで、この神自体も、いつから在るのか人には分からないけれども、それ自体で在
る様にして在る、人が作った物では決してない、天然自然の産物の神です。

○神の存在証明をした後の話が大事
 神の存在証明は、これが何を意味しているのかが分からないと、何の意味もありません
が、多くの方々は、その意味を自ら発見することができません。
 で、この部分の話しも、更に一般法則論的に説明します。
 で、説明すべき重要点を列挙して、この後、詳しいことは別の文で説明することにしま
す。
・如何なる宗教宗派の聖典の類や教祖のお説教の類に一切関係なく、神の存在証明をした
・単なる神の存在ではなくて、創造主である神の存在証明をした
・実在する神が創造主である神だと分かると、創造主である神とは如何なる存在である筈
 だということが、論理必然的に分かる
・自然法則とエネルギー(物質)の持つ自然科学的な性質に基づいた神の存在証明は、神
 の存在を一切全く認めないと主張する人の前でも神の実在を宣言できる
・神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みが分かる
・神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みとこれに関連して、自然法則とエネルギーの正
 体とその役割、働き方の原理、創造主である神と自然法則とエネルギーの間にある関係
 なども自動的かつ必然的に明らかになる
・自然科学とは何かがよく分かると同時に、自然科学の大切さがよく分かるようになる
・神が造った人間存在(宇宙大で言うと宇宙人一般。私たちは地球に生え抜きの宇宙人)
 とは如何なる存在で、如何に生きるべき存在であるかも分かる
・男女両性がある意味、女性のみが子を生む意味が分かる
・心の起源、意識と無意識で出来ている心の構造の起源等が分かる
・生死のことが分かる
・倫理・道徳の起源とその根拠が分かる
・言葉/言語の役割が分かる
・この世界の諸現象が首尾一貫してよく説明できるようになる
・色々の意味で分裂しているこの世界を再統合し、実在する唯一絶対普遍かつ至高の神の
 本に一つに統合し統一できる
・そもそも神の存在を知らず、神抜きで作られている人類史や自然科学や学問等をリセッ
 トして、神の実在を前提にして再構築できる
・マルクス主義に代表される唯物論的思想を根本的に一掃ができる
・この他。

 神の存在証明をすると、こういう問題が自動的かつ必然的に解けることになります。

 さて、以上で、一般法則論的な神の存在証明をしました。
 私個人にとっては、いわゆる悟りの体験の中で発見した創造主である神の存在を、悟り
の体験を前提にしないで、理屈だけで完全に説明するという課題を果たした、という意味
があります。

 あなたは、もう神の実在を信じるのではなくて、神の実在を知るようになりました?

 しかし、まだ一つ問題が残っています。
 一般法則論的な神の存在証明の仕方について、次のような疑問をお持ちになる方が、お
いでになるかも知れません。

○一般法則論の神の存在証明は成り立たない!
 「物質、自然法則、エネルギーには、それ自体に主体的な自由意思が一切全く無いから
勝手に働いてパソコンを造ることは無いかも知れない。
 しかし、現在の量子力学理論によれば、自然法則は確率的な偶然で働くと言っている通
りに、偶然に働いてパソコンを造ることはあるのではないのか。仮令この確率がどんなに
低くても、原理的、理論的には、こうだ、と言って良いではないのか。

 つまり、言いたいのは、仮令人間が作らなくても、自然にパソコンなり何なりが、確率
的な偶然の法則の働きで自然にできる可能性を、現在の量子力学理論が保障している。
 それどころか、現在の量子力学理論に基づいて考えられている多世界解釈理論でいう、
私たちが知っている世界以外の他の世界では、パソコンもこれ以外の文化文明的な諸文物
もその全てが、確率的偶然の働きで実際に造られていることだってある筈だ。

 よって、パソコンは、人間が自ら作ることもあるが、これが全ての場合では無くて、原
理的、理論的には、自然法則の確率的偶然の働きで造られることもある。
 だから、パソコンを造る物質と自然法則とエネルギーにはそれ自体に主体的な自由意思
が一切全く無いことを根拠に、神の存在証明をしようという積もりらしいが、もう最初か
らその試みは、失敗している!
 これは、量子力学的理論が教えてくれることだ・・・。」

○一般法則論からの回答
 結論から言えば、この世界が量子化されている理由/根拠さへも説明する事が出来ない
量子力学理論は、自然科学の中でもっともインチキで出鱈目な理論です。
 インチキ理論の原因は、エネルギーと自然法則との関係や、自然法則の働き方の原理に
ついても、自然科学者に自覚的な知識が無いためです。
 そこで、今のような誤解を生むのです。

○自然法則とエネルギーに関するここだけの詳しい話
 自然法則とエネルギー(物質)の存在とこの働きは、私たちが住んでいるこの世界を造
り、秩序づけている唯一絶対普遍かつ至高の力です(この話で、エエッというあなたは、
一般法則論を、これからよく勉強してください)。

 そこで、自然法則とエネルギーが、それ自体で勝手に働いたり、偶然に働くことがもし
本当にあったら、この世界の秩序はめちゃめちゃになってしまいます。

 自然法則とエネルギーの全ての働きは、一つの意思で統一的に完全・完璧に制御されて
いて初めて、私たちが安心して住むことができるこの世界の秩序が造られ、保たれるので
す。実際、これは、唯一絶対普遍かつ至高の存在の創造主である神によって行われていま
す。この世界の全てが、本はと言えば、この創造主である神から生み出されたのですから
当然と言えば当然の話しですが・・・。

 そもそも創造主である神が、自然法則とエネルギーの前に存在していて、エネルギーと
自然法則はこの世界を創造し秩序づけ支配する為の神の道具だから、それに主体的な自
由意思などあっては困るし、実際にそれが一切無い存在です。
 自然法則とエネルギーの働きは、神が命じた時にのみ、また命じた通りにのみ、一切躊
躇することなく即座に、その命令を一切拒否することなく、その命令に反抗することなく
仕事をする役割を持っているだけの存在です。
 だから、自然法則とエネルギー(物質)はそれ自体で勝手に働かないのはもちろん、神
(或いは神の化身の人)が働けと命じないのに確率的な偶然で働くことも無いです。

○スーパーコンピューターの例で考える
 一秒間に70兆回以上の計算ができるIBMの最新(2004年)のスーパーコンピュ
ーター(スパコン)をご存じでしょう。
 もし、自然法則が確率的な偶然で働くものならば、スパコンの計算には自然法則の確率
的な偶然の働きが間違いなく入っている筈で、高性能のスパコンほどその計算結果は出鱈
目になり、信用できないことになる筈です。
 しかし、こんなことを言う科学者は、一人もいません。それどころか、百兆回かこの千
倍、一万倍のスパコンを作ること目指しています。

○自然法則は厳密に働く因果必然の法則
 自然法則は、確率的な偶然で働くのではなくて、常に厳密に、原因=結果の因果必然の
法則としてのみ働くのです。

 自然法則は確率的な偶然で働くという量子論の考え方に馴染めず、「神はサイコロを振
らない」と言ったというアインシュタイン先生が正しい。

○因果必然の法則の実際の働き方と原理的仕組み
 自然法則の因果必然の法則としての働きは、「それをそれにする原理的仕組み」を基に
造られるシステム/構造物の形で働くことと表裏一体の関係にあります。
 詰まり、カレーライス作りは、カレーライスの原理的仕組みに則って実際に作る限り、
それは他の如何なる物(例えば草履とかマフラーとか)になるではなく、常に必ずカレー
ライスになるように、この世界の仕組みが最初から出来ているのです。

 この世界の仕組みがその根底からこうなってなかったら、言い換えると、原因=結果の
因果必然の法則があって、これが厳密に守られて働いていなかったら、誰も安心してカレ
ーライス作りが出来ませんし、また、何度作ってもカレーライス作りは必ずカレーライスになるのでなかったら(同一原因=同一結果の原理の存在)、料理人の修行など成り立たなくなります。

○因果必然の法則は全ての事に当て嵌まる
 因果必然の法則の話は、カレーライス作りや料理人の修行のことだけに当て嵌まるので
はなくて、この世界の全ての事柄に当て嵌まるものです。
 だから、金持ちになりたいとその原因設定をした人のみが、金持ちに実際になることが
できるし、これが因果必然の法則で絶対的にかつ普遍的に保障されているのです。

○因果必然の法則を無視して行動する人達
 金持ちになる原因設定をしないで、運や偶然頼りでは絶対に金持ちにはなれません。
 しかし、このことを知らずに或いは知っていて自己流で行動している人が沢山います。
 挙げ句の果てが、うまく自分が金持ちに成れない原因を他人の所為にしたり、悪いこと
をしなければ金持ちにはなれないのだ! と言って、金持ちを非難したり、金持ち優遇は
許さないという政党に選挙の時に一票を入れたりすることになったりします。

○重ね合わせの理論のこと
 スパコンの働きにいわゆる「重ね合わせの理論」は当て嵌まらない、と考えます。
 重ね合わせ理論は、物質的な存在のスパコンそのものには当て嵌まるかも知れません。
 しかし、計算過程には、それは当て嵌まらない筈です。

 一般法則論では、そもそも、「重ね合わせの理論」を全く必要としません。
 このことは、後で説明をします。