いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

なぜ歴史が書けるのか 歴史の起源と目標 地上の神の国で神の分身として生きる

2007-06-30 04:36:19 | 創造主である神
 以下の文中で、創造主である神というのは、ヒトがこの世に存在するようになる前から、それ自体で在るようにして存在し、私たち人間存在(宇宙大では宇宙人一般)と、その生活基盤になる大自然の世界を創造した、天然自然の存在の、創造主である神を意味しています。
 間違っても、ヒトが発明したのでは無い、天然自然の存在の、創造主である神と、この後に始まった人類史の中で発明された宗教で説く神仏と混同しないでください。
 これを混同すると、以下の話が、何がナンダカ分からなくなります。


 「なぜ歴史が書けるのか?」
 また、
 「歴史家であるということがどういうことであるのか?」
 
 このタイトルで、一般法則論では何が書けるのか、挑戦してみました。

 一般法則論の理解ではーーー、

 この世界は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで、全て必然的に造られています。ここに、偶然はありません。

 創造主である神の化身/分身の存在に造られている全てのヒトの心も、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られています。

 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、創造主である神、そして、天地創造後は、創造主である神の化身/分身の存在のヒト或は単に人(創造主である神の存在を未だ知らず、自らが創造主である神の化身/分身の存在であることも未だ悟らない人の意味)が、「原因の設定者」になり、自然法則+エネルギー一体不可分の働きが、創造主である神他の原因設定を引き受けて、これを形在るものにする、「因果必然の自然法則」という関係にあります。

 また、自然法則+エネルギー一体不可分の働きには、働き方の原理があります。
 これにより、「それをそれにする原理的な仕組み」(プラトンの言う「イデア」と同じ意味)があって、これを必ず基にして造られるシステムの単位に量子化された現象・存在・出来事として、物事は起こり、またこのようなものとして認識することができます。

 これによって、原理的に、ヒトは、この世界の中で生きるために必要な、この世界の成り立ちと仕組みを発見し、認識し、理解し、全てのヒトの間でこれを共有し、この共通認識の下で共同作業をし、共生することができる仕組みがあることになります。

 これに加えて、いわゆる時間の矢があって、過去、現在、未来の区別ができます。

 しかも、例えばお湯の沸かし方一つ取り上げてみても、色々の沸かし方、即ち複数の多様なお湯の沸かし方の原理的な仕組みがあります。
 この結果は、多様性に富んだこの世界が、歴史が生まれる、ということです。

 この結果として、人類史を振り返ると、ヒトは、様々に歴史が書けるのだ、と思います。

 更に、「歴史家であるということがどういうことであるのか」を問うのならば、誰のために、何のために、如何なる必然性を持って、如何なる歴史を書くのか、という歴史家としての見識と使命は何か、に答える必要があります。

 言い換えると、人類史に、全人類が一つに共有する究極の存在理由や存在目標があるのか? ということです。
 カール・ヤスパースの『歴史の起源と目標』 は、これがある、と言ってますが、具体的には説明して無いようです。

 結論だけを言えば、一般法則論では、これがあります。

 この世界は、絶対的に無意識の存在の創造主である神が、自らの化身/分身の存在に当たるヒト(宇宙大では宇宙人一般)を多種多様に造って、その一人一人になって、様々に生きることを試み、遊び、楽しむことを唯一の目的として、最初に、ヒトが住むためのインフラになる大自然=神の国を造り、この中に、進化という名で知られる方法で、この自然=地球に生え抜きの地球人類=創造主である神の化身/分身の存在のヒトを造ったのです。

 この世界は、創造主である神が自らの身心を、天地創造の原理に則って、自己展開する形で造られています。

 この世界は、人間が存在するのに都合の良いように全て造られている、という「人間原理」という考え方があります。
 正に、この通りに、創造主である神の化身/分身の存在のヒトが、この世界の中で、各人の思い通りに容易に生きられるように、様々な仕組みが、創造主である神によってあらかじめ用意されています。

 そこで、人類史は、創造主である神が造ったこの理を理解し、この地上世界を文字通りに神の国にし、より創造主である神の化身/分身らしく生きる過程の歴史になります。
 この事実を、真理を明らかにして、そして、今、この時代は、このいかなる段階にあり、時代的な課題は何かを明らかにすることです。

 この観点で、今の時代を見れば---
 人類は、地球大で存在し、地球大で共生する歴史的な時代に入った、ということです。
 超大国アメリカでさへ、人類が地球大で存在するようになった今、外の世界と孤立して生きることは出来ません。グローバル化は、アメリカにも押し寄せています。
 しかし、これに気づかず、この意味が解からず、これに反対する人たちがいます。

 課題は、反グローバリズムの哲学や政治思想の構築ではなくて、文字通りの意味で、全人類が、地球大で共生できる原理的な仕組みを発見し、これに基づいて、世界を再構築することです。

 では、これは、如何なる形で可能になるのか?

 これは、一個人が勝手にでっち上げた思想とか哲学とかではどうにもなりません。
 また、既存の哲学や宗教や思想を持ち出しても、現にそれらが何の役にも立ってないことをみても、使えないのは明らかです。
 唯一可能なのは、創造主である神がこの世界を造った通りにこの世界を理解して、この中にそれを見つけることです。

 幸い、自然法則+エネルギー一体不可分の働きのたった二つの基本概念だけでこの世界の成り立ちと仕組みを解明している自然科学の成功が示しているように、人種や言語や宗教や哲学や思想や民族や地域等の違いを超えて、これ等の存在以前から存在し、万人に等しく働く創造主である神の理法と、これにより造られたこの世界の成り立ちと仕組みがあります。
 これに則れば、様々な違いや対立を超越して、全人類が一つになって共生する道が見つかります。


 今、地球大で人類が生きる時代を意味づけ、これを可能にする哲学・思想の発見が、時代のこの課題を自覚する人たちの間で、様々に試みられています。
 一般法則論者の私の試みも、その一つです。

 一般法則論は、創造主である神の存在証明をして、神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みについて説明し、人類史のリセットと再構築を試みようというわけです。

 これは、「早いもの勝ち」で決まる、いわゆる世界標準を造る試みではありません。
 あくまでも、創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みに忠実である必要があります。

 と言っても、「神よ、神よ・・・、」と言って、毎日何度も神様の前で頭を下げて祈る生活をせよ、という意味ではありません。
 ホンダの創業者の本田宗一郎氏のように、無神論者であることを公言していても、その実際の生き方は、創造主である神が造った神の国=現場・現物・現実をとても尊重し、これにとても忠実な心正しい生き方をされた、創造主である神の化身/分身のヒトに正に相応しい生き方をされたご一生でした。

 神道に則った生き方も、基本的に、何か特定の教義等に縛られない、現物・現場・現実尊重主義ということができます。

 ただし、これを、世界に向けて、理屈で、自覚的に意図的に一義的に/一意的に明確に確定的にかつ客観的に説明することも、この文化を生きている日本人の一人として、必要なことでしょう。


 「なぜ、歴史がかけるのか」
 「歴史家であるということがどういうことであるのか」を問う答えになっていたでしようか・・・。

 誤記があれば、発見次第、訂正します。
 追加するものがあれば、後から書き加えます。

 

仮 E=mc^2で説明するこの世界の成り立ちと仕組み

2007-06-30 03:42:49 | この世界の成り立ちと仕組み
 以下の文中で、創造主である神というのは、人がこの世に存在するようになる前から、それ自体で在るようにして在り、私たち人間存在(宇宙大では宇宙人一般)と、その生活基盤になる大自然の世界を創造した、天然自然の存在の、創造主である神を意味しています。
 間違っても、人が発明したのでは無い天然自然の存在の創造主である神と、この後に始まった人類史の中で発明された宗教で説く神仏と混同しないでください。
 これを混同すると、以下の話が、何がナンダカ分からなくなります。

 私達が知っている天然自然の世界は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きでつくられた、と一般法則論では繰り返ししつこく言ってきました。
 この中で、自然法則+エネルギー一体不可分の働きや、これと創造主である神との関係について、その時の話に即した説明をしてきました。
 しかし、全体を纏めて話をしなければなりません。
 即ち、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られるこの世界の成り立ちと仕組みを纏めて説明することです。
 これを、どういう形でするのか、色々と試行錯誤をしてきました。
 この結果、有名なE=mc^2の式を使って、次のようなことを説明するのが良いようだ、という結論に到達しました。

・創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の関係の全体
・自然法則とエネルギーとは何か
・自然法則の役割、働き方の原理的な仕組み
・自然法則との関係
・この他、因果の法則など

 差し当たりは、あるブログに書き込んだものに少し手を加えたものを、仮にここに載せておきます。

 あとで、詳しい説明の文と差し替えます。

  
 E=mc^2
 即ち、この世界の全ての存在とこれにまつわる諸々の現象=mは、エネルギーのみで出来ている、という単純明快な発見をされたのが、アインシュタイン先生。

 しかし、E=mc^2のエネルギーと物質=質量とは等価だという方程式が同時に示していることを、アインシュタイン先生も、他の自然科学者も見逃しています。

 即ち、自然科学とは、この世界の全てを、少なくとも物質世界の全てを、自然法則とエネルギーというたった二つの基本概念のみを使って、自然法則+エネルギー一体不可分の働きとして説明し尽くそうという考えだ、ということです。
 いま、一つ、この方程式が示していることは、自然法則とエネルギーとの間にある関係に関することです。

 この世界を造っている唯一絶対普遍かつ不変かつ客観的に存在する素材であり、「何かの仕事をする力」と定義されるエネルギーの働き方を、例えば人がパソコンを作り使いたいという目的に合うように、自然法則は、秩序付けて働かせる役割を担っている、と言う関係にあることです。

 私達が知っている通り、この世界には、様々な物が存在します。
 また、様々な現象が存在します。
 
 この違いをもたらすのが、自然法則の働き方の原理的な仕組みの違いです。
 原理的な仕組みとは、プラトンが言う「イデア」そのものです。

 それをそれにするイデア=本質は、無いと言う説が正しいと信じている人たちがいます。
 例えば、自然科学者、禅で言う「空」の意味を知らない殆ど全ての禅者、モダンだかポストモダン哲学を正しいという哲学者、そして、この盲従者たち・・・。
 しかし、自然法則には、それをそれにする原理的な仕組みに基づいて全てのシステムを構造的に造る形で働く性質/本質があります。
 このお陰で、様々の存在と現象が自動的かつ必然的に造られることになっています。

 例えば、パソコンはパソコンの原理的な仕組みを基にしたシステムの形に造られたときに初めて、パソコンとして存在し使えるものになります。
 言い換えると、こうしてパソコンが作られたときに、パソコンと言う他の如何なるシステムも担うことができない、価値ある存在になります。
 この意味で、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、この世界に、良い意味でも悪い意味でも存在価値を持つものを創造する働きがあると判ります。
 
 同様に、人は人の、犬は犬の原理的な仕組みで造られているシステムということです。

 そして、エネルギー不滅の法則で直感的に理解されているように、エネルギーは、この世界にただ一つしか存在していません。
 そこで、全体でただ一つのエネルギーを素材に使って様々なものを造り出すには、論理必然的に、全体で一つのエネルギーの一部分を、それをそれにする原理的な仕組みを基にして造られる個別のシステムの形に量子化する形で造るしかないことになります。
 これが、この世界の中で、エネルギーが量子化されている、という理由、根拠です。

 なお、エネルギーは、これ自体が振動している波の性質を持ちます。
 そこで、電子のような小さなものでは、電子の原理的な仕組みで造られている電子の形のほかに、電子を造っている素材のエネルギーの振動そのものが観測できることになるようです。
 この結果は、電子は波の性質と粒子の性質を合わせ持ち、とても変だと言う話になります。

 しかし、自然法則とエネルギーの関係や自然法則の働き方の原理的な仕組みを知っていれば、何も変なことは無いとわかります。

 なお、創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みでは、エネルギーは唯一絶対普遍かつ不変かつ客観的に実在する創造主である神の身体そのもの、自然法則は、天地創造の原理そのものです。

 また、創造主である神の存在の証明は、一つにはいわゆる悟りの体験でできますし、これが出来る原理的かつ方法論的な説明もできます。
 今、一つは、自然法則+エネルギー一体不可分の働きの持つ慣性の法則性によるものです。
 自然法則+エネルギー一体不可分の働きだけではこの世界を造れないのです。
 さらに今一つは、慣性の法則性の別の言い方である、自然法則+エネルギー一体不可分の働きの持つ因果の法則性です。
 自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、原因設定なしでは勝手に働かない本質的な性質があります。
 というのも、自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、創造主である神が天地創造の道具に使っているもので、これ自体に主体的な自由意志などがあって、勝手に働いては困るからです。

 以上は、E=mc^2の式を使って、この世界の成り立ち=構造を説明する試みをする前に、仮にここに載せておくものです。
 あとで、もっと詳しい説明を、手順を踏んで行ないます。

 誤記は見つけ次第、訂正します。

無神論を公言していた本田宗一郎氏の場合・・・

2007-06-30 00:18:48 | 神の化身・神の分身のヒト
 天然自然の存在の創造主である神が、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造ったこの世界の成り立ちと仕組みにおいては、無神論者は、原理的に存在し得ない、と考えることができます。

 では、無神論を公言されていた、オートバイと自動車と最近はロボットのホンダの創業者、本田宗一郎氏の場合は、どう理解したら良いのでしょうか?
 これを、考えておきます。

 「仮令、創造主である神の存在や、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きに関する意識も知識も理解も無くても、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きにより造られている全体で唯一つのこの世界=神の国に、常に直接向き合って生きている人たちは、自然にこの理を体得して、正しくこの世界の摂理に則って行動しているものです。
 例えば、物作りをしている人たち。陶芸家、工場の現場の技術者など。」

 上の鍵括弧の中の文は、ある方への私信に書いた文です。

 物づくりをしている人と言えば、オートバイから自動車、最近はロボットのホンダの創業者の本田宗一郎氏を挙げないわけにはいきません。

 本田氏は、無神論者でした。これを公言している人でした。
 しかし、徹底的に物作りの現場にこだわり、現場が大好きな人でした。
 物作りの現場で鍛えられたその傷だらけの手の写真があるくらいです。
 この結果は、本田氏をして、自動的かつ必然的に、創造主である神が、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造った全体でただ一つのこの世界に絶えず向き合って、これに忠実な生き方をする人にしました。

 同時に、この生き方は、本田氏をして、無我・無心・無私・無欲の心を持つ、悟りを開いた禅僧のような行動をする人にしました。

 そして、ある日、時代の変化についていけないでいるご自分を自ら発見されると、直ちに社長の座を後継者に明け渡しました。

 創造主である神が、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造った、全体で唯一つのこの世界とは、言い換えると、「神の国」そのものです。

 この意味では、本田氏は、終始神の国の中に生きた、とても深い神信仰をした人だ、ということができます。
 こう申し上げても良いでしょう。

 本田氏の例でも明らかなように、神を意識せず、神を知らず、神を認めず、神を信じないという人が、即無神論者、と断定することは出来ない、ということです。

 創造主である神が、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造った全体でただ一つのこの世界=神の国そのものに、直接触れて、これと真正面から向き合い、これと格闘しながら生きている人たちは、仮令、その人が、神を意識せず、神を知らず、神を認めず、神を信じてはいないと公言していても、なお、とてもよく神の国を生きている人達だ、ということができます。

 考えてみると、日本では、日本文化の中では、物造りをしている多くの人たちが、それを通して、神の存在を感じているのが普通だ、と言って良いようです。
 で、仕事の現場に神棚がよく祭ってあったりします。

 この点では、神の存在を認め、一日の内に何度も神に向かって礼拝をする人たちが、創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みに忠実な生き方とは全く異なる、人間の自我中心、人の思いや欲望中心の生き方をしているように見える例があるわけです。

 ブログに、自分は無神論者だ、と書いているような人は、神の国とは無縁の観念の世界の中に生きている、文字通りの無神論者であったりします。

 まずは投稿。
 誤記は、気づき次第訂正。
 必要な追記は後でします。


神の名に怯えないでください。神はあなたを裁かず罰しません。

2007-06-29 23:03:14 | 創造主である神
 以下の文中で、創造主である神というのは、人がこの世に存在するようになる前から、それ自体で在るようにして存在し、私たち人間存在(宇宙大では宇宙人一般)と、その生活基盤になる大自然の世界を創造した、天然自然の存在の、創造主である神を意味しています。
 間違っても、人が発明したのでは無い、天然自然の存在の、創造主である神と、この後に始まった人類史の中で発明された宗教で説く神仏と混同しないでください。
 これを混同すると、以下の話が、何がナンダカ分からなくなります。

 神という言葉を聞くと、不快になり、心が乱れ、精神が不安定になる方々がいます。
 この方々のために話をします。

 しかし、それは、絶対に神の所為ではありません。

 創造主である神は、あなたを裁かず、罰することは、絶対に有りません。
 創造主である神には、自己絶対的に肯定、他者絶対的に肯定の立場しか採れないからです。

 あなたの身心を造り、あなたに化身化し分身化している神は、一日二十四時間、あなたの一生涯、おなたが何処で何をしていても、常にあなたと共にあって、あなたを見守り、あなたを害する全てのものからあなたを守っています。

 これは、私がこういうから、こうなのではありません。
 あなたを含めた全ての人に当て嵌まる、客観的で普遍的な絶対的な真理です。
 このことは、人類史が始まる遥か前の自然史の中で、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きにより造られたこの世界の成り立ちと仕組みで、このように決められているからです。

 実に、あなたは、この地上に生きている神そのものの存在です。

 あなたが、この事実を知る知らない、認める、認めない、受け入れる、受け入れない等に一切関係なく、これ自体で宇宙大で通用する普遍的で絶対的な真理です。

 したがって、あなたになっている神が、あなたを裁き、あなたを害することは原理的に百パーセント在り得ません。

 あなたを害しているのは、あなたご自身以外に誰もいません。
 そこで、この状態から、あなた自身を自ら救い出す方法について、簡単に説明します。
 話を短くするために、二つの比喩を使います。
 一つは、楽器のギターの仕組み、今一つは、パソコンを買った時の状態に全て戻す初期化のリセットの話です。

 私がギターを初めて手にしたのは、もう四十年も前のことです。その時以来、ギターに触れたことがありませんが、比喩的存在のギターき、今も使っています。

 四十年前に私が触ったギターは、六本の弦が正しくチューニング/調音されていて、そのままの状態で(解放弦と聞きました)、指先で弦を撫ぜると、とても快い音がしました。
 そして、これを基本にして、六本の弦をギターのネックと呼ばれる部分のフィンガーボード上で指で押さえて音階を変えてギターを演奏する約束事に則って、色々のギター曲が演奏されることになります。

 全ての人本来の身心の状態も、最初は、そして、本来的には常に、ギターで言えば、解放弦状態に調整されています。
 これは、全ての人に生得的に備わっている、例えば体温を三十六度五分位に維持するなど、身心の状態を正常な状態に保とうとする、身心の「恒常性維持機能」と言うことが出来ます。

 これは、一般法則論的に言えばーーーー
 創造主である神が、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造ったこの世界の成り立ちと仕組みという大枠の中で、創造主である神の化身/分身の存在の地球人の原理的な仕組みに基づいて造られた、あなたや私の身心という人間システムを維持しようという自己組織化力と、これに基づく自然治癒力のことになります。

 しかし、比喩的に言うと、正しく調音されているギターを、何が正しく調音されている状態であるかも知らず、ギターの仕組みも知らずに自分で勝手に自分流に調音し直して、ギター曲を演奏する楽器としてのギターとしてもはや使えないモノにしてしまう人たちがいます。

 こういう場合、焦れば焦るほど、元の正しく調音された状態に戻すことが難しくなるものです。

 しかし、話がパソコンの場合には、これを買ったときの状態=工場から出荷されたときの初期設定状態に一気に戻す、「初期化のリセット」という方法があります。

 ここで注意すべきは、パソコンをリセットすのは、そろばんで「ご破算で願いましては~」というのと同じで、その前にどんな計算や作業をしていたのかには一切制限も制約もされることなく、リセットできることです。

 こうするのは、人です。パソコンが勝手にリセットすることは、パソコン事態は慣性の法則の支配下にあってこれに従いますから出来ません。
 こうできるのは、創造主である神とこの化身/分身の存在の人は、因果関係法則の働きの外に常にある存在だからです。このことを、仏教で「空」という概念で説明します。

 人の身心にも、狂った身心の状態を、ギターで言えば、正しく調音された元の状態に戻す機能が、誰の身心にも備わっています。自然治癒力、自然の復元力というものです。

 具体的には、身心をリラックスさせる、好きなことを思い切りする、休養や静養を十分に取る、よく眠る、軽い或は激しい運動をするなど、することです。

 或は、ここに説明している一般法則論のように、創造主である神がこの世界を造った通りにこの世界の成り立ちと仕組みをなぞって、人本来の正常な状態に、心の中を整理するなど。

 とにかく、神の名を聞いて怯えるのは、人として正常ではありえません。
 そして、神の名に怯えるのは、神の側にはなくて、常に神の名を怯える人の方にあります。
 しかし、これは必ず治せるし、リセットできます。
 あなたという神になっている神は、常にあなたが安全無事で、正しくあるように守っていますから・・・・・。

 ひとまず、この文を締めます。
 誤記は気づき次第訂正します。
 説明不足の部分は書き足します。

潜在意識の活用法に理論的な根拠を与える

2007-06-29 06:38:56 | 潜在意識の活用法
○創造主である神が造ったこの世界のこの世界の成り立ちと仕組みに驚き!
 
 天然自然の存在の創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを知ると、そのシステムの余りの完全完璧さと巧みさに、もう鳥肌が立つほどの感動を覚えます。

○天然自然の仕組みを丸ごと活用する方法としての潜在意識の活用法
 しかも、創造主である神の化身/分身の存在に造られている全ての人が、等しく自由に、創造主である神が造ってくれたこの世界の成り立ちと仕組みを丸ごと利用して生きることが出来る仕組みもあります。

 この仕組みは、一言で言うと次の名前で知られています。

 潜在意識の活用法

○一般法則論が潜在意識の活用法に根拠を与えます
 潜在意識の活用法を使うに当たっては、一般法則論の知識が役立ちます。
 なぜならば、一般法則論は、潜在意識の活用法の根拠やこの活用法のハウツーやノウハウの根拠やその実際について、纏めて説明する理論だからです。

 そもそも、一般法則論は、潜在意識の活用法に理論的な根拠を与え、誰にでもこれを使い易くするために開発したものだからです。

○潜在意識の活用法の中核になるアイデア
 潜在意識の活用法の中核となるモノは、天然自然の存在の絶対的な無意識の存在の創造主である神が、無意識の心の他に、意識のある心を持つ、自らの化身/分身の存在になる人間(宇宙大では宇宙人一般)を多様に造り出して、その一人一人になって様々に生きて、遊んで、楽しみたいと意図して、人(宇宙大では宇宙人一般)を造り、この世界を全てこの意図を実現することに合わせて造った、ということにあります。

 これを知らないと、例えば歯磨きの習慣のように、成功を習慣化し、自動化することができません。


 一先ず締めます。
 誤記の訂正と、追加文は、後に行います。


無神論を名乗る方々へ 人が発明した神仏と天然自然の創造主である神がいる

2007-06-29 05:38:16 | 神の実在
 神は宗教の専売特許で作り出したものではない。
天然自然の存在の創造主である神が存在している。

○この文の意図ーーー無神論者のために
 自分は無神論者であり、神の存在を認めない自由がある、と主張する方々のために、
この文を書きました。
 確かに実在するものを否定することで、もうこれ以上、隣人や社会や国家や人類に迷惑を掛けないでください!

○神仏という存在の起源 天然自然の神と人が作った神 一般法則論の役割
 神の存在は、何かの宗教が作り出した後に、初めてこの世に存在するようになったわけでは有りません。

 この誤解、それも隣人や人類に対する敵意と悪意に溢れた「無神論」という誤解を解くために、一般法則論を説明しています。

 多くの人たちが、よく考えずに理解している神は、私達が生きているこの世界=天然自然の世界が造られたときに(=自然史)、一緒に造られた人間=人類(宇宙大では宇宙人一般)が、天然自然の世界を生活基盤にして独自に生きるようになってから造られた文化文明の歴史=人類史の中で発明された、何かの宗教の中で説かれているいわゆる神とか仏のことです。

 人類史上で発明された意味の神は、例えばあなたがその神を、その宗教と一緒に、認め、受け入れ、信じるかどうかは、あなたの自由だし、あなたの勝手です。

 しかし、今ひとつ、人類史上の神では無い、自然史上の神が存在します。
 この神は、人が作ったのではない天然自然の中に、それ自体で在るようにして在る天然自然の神であり、天地万物の創造主である神のことです。
 ここ、一般法則論ではこの自然史上の天然自然の神の存在を証明し、あなたや私だけではなくて、全人類にとってその意味することを説明しようとしています。

○天然自然の神が存在する 万有引力の法則を手掛かりにして説明する
 例えば、ニュートンが発見した万有引力の法則は、ニュートンがこの自然法則を発見した後から、初めてこの世界に存在するようになり、私たちは、これ以降、万有引力の法則の支配を受けるようになったのでは有りません。

 万有引力の法則の法則は、ニュートンが発見する前から、私達がこの世界に誕生する遥か昔の、この世界が誕生するときから既に存在し、働いていたものです。

 そこで、万有引力の法則を、「自分は知らないし、認めないし、この自由がある」式の主張をするのは、その人の勝手ですが、これによって、万有引力の法則がその人のためには存在しなくなり、万有引力の法則の支配から一切自由になれる、ということには絶対になりません。

 失礼ながら、無神論を採るというあなたに、このことが理解できますか?

 万有引力の法則を認めないと言う人に、試してみなさい、と言いたいところですが、万有引力の法則を無視して行動すると、その瞬間自動的かつ必然的に働く万有引力の法則が本当にその通りに働いたという認識が一切なくても、実験者がいとも簡単に死んでしまう事態も起こり得るので、実際に試さないで理解してください、というしか有りません。

 なぜならば、万有引力の法則は、これを認めないと言う人を含めて、全人類(宇宙大では宇宙人一般)がこの世界に誕生する前から、それ自体で存在し、働いていているものであり、万有引力の法則が既に存在し働いている世界の中に、後から私たち全てが生まれてきたものだからです。
 で、この世に生きている限り、全ての人が、否応なしに、万有引力の法則の存在を前提にしてこの世界の中に生まれて生きており、この支配を自動的かつ必然的に受けることになります。
 そして、この万有引力の法則は、これ自体で勝手に存在し働くことが出来ないことが、万有引力の法則をその一つに含む、自然法則+エネルギー一体不可分の働きの持つ性質、即ち、慣性の法則性とこの別の言い方である、その因果法則性により、論理的に明らかになります。
 そこで、自動的かつ必然的に、自然法則+エネルギー一体不可分の働きをいわば道具に使って、この世界、即ち、人が作った文化文明以前の、天然自然の世界を造った創造主である神の存在が必要不可欠になります。

 この意味の神の存在証明については、既にこのブログ中でしてありますので、それを読んでください。

○万有引力の法則と人との関係についての自覚的な知識について
 万有引力の法則は、全ての人に先立って存在し、全ての人を否応なしに支配し、全ての人をして否応なしに従わせている。
 こういう基本的な事実さへ、自覚的な知識になって居られない方々が少なく有りません。
 これが分かっていれば、天然自然の万有引力の法則と一緒に、同じく天然自然の存在の創造主である神の存在も、自ら発見されるでしょう。

 日本の理科の教育は万有引力の法則そのものは教えても、これが存在している意味については、何も教えていません。
 理科の教科書の大前提になっている、科学哲学は、何をしているでしょうか!!!

○万有引力の法則の存在とその働きは文化文明等を超えて存在し働く
  しつこいようですが、念のために確認しておくと、万有引力の法則が学校教育で教えられている国でのみ、万有引力の法則は存在し、働いているのでは有りません。
 万有引力の法則は、国の違い超え、民族の違いを超え、文化文明の違いを超え、人種の違いを超え、宗教信仰の有無やその違いを超え、時代も地域も超えて、全ての人に等しく絶対的に普遍的に存在し、自動的かつ必然的に働いています。
 ここが、社会構成(構築)説を真理だという方々と、素朴実在論を採用する一般法則論と異なるところです。

○まとめ 天然自然の中に存在する神と人が作った神とがあり、この区別をすべきだ
 以上の話をまとめます。
 すると、天然自然の中に存在する神と人が作った神とがあり、この区別をすべきだ、に自動的かつ必然的になります。

○天然自然の世界の中に元々存在している創造主である神
 誰か人が作ったのでは無い天然自然の世界があります。
 この天然自然の世界の創造主である神=絶対的に無意識の存在の創造主である神が存在しています。
 この絶対的無意識の存在の創造主である神は、絶対的無意識の存在の創造主である神であるが故に、自らの生き方を自由に選んで決定し採用できる機能を持つ、「意識という心」を持つ自らの化身/分身の存在である人間(宇宙大では宇宙人一般)を多様に造って、その一人一人になって様々に生きて、遊んで、楽しんで見たいという、このただ一つの意図を実現するために、人を造り、その生活基盤になる天然自然の世界を造りました。

 創造主である神が、自らの身心(自然科学で言うエネルギー)を唯一絶対普遍の素材に使って、この身心を天地創造の原理(自然科学でいう自然法則のこと)に則って、自己展開して造ったのが、意識という心を持った、あなたや私という存在=人類(宇宙大では宇宙人一般)と、その生活基盤になる天然自然の世界=神の国そのものです。

○創造主である神によって造られた天然自然の世界の歴史=自然史=神による歴史
 創造主である神による天地創造。
 人間存在(宇宙大では宇宙人一般)は、創造主である神による天地創造の一部であり、創造主である神の天地創造の唯一絶対的かつ普遍的な目的でした。
 ここまでが、天然自然の世界の歴史。
 これを、自然史ということにします。
 自然史は、次に説明する人類史に、時間的にも論理的にも先立って存在します。


○進化の歴史
 自然史の過程は、自然科学的には、「進化」という名前を付けられています。
 進化の過程は、この地球上に生え抜きの一宇宙人である私たちを、創造主である神が自らの身心を自己展開して造るために必要不可欠な過程だったようです。
 進化の歴史は、神自身の歴史ということが出来ます。

○人類史とこの中で発明された神仏の存在
 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きでこの世界に存在す
るようになった私たち(宇宙大では宇宙人一般)が、創造主である神が生活基盤として用意してくれた天然自然の世界を利用して作った世界が、人類の歴史。
諸々の神や仏の存在を説く宗教は、この人類史の中で誕生したものです。

○人類史上で発明された神仏と天然自然の創造主である神との関係
 文化文明上の神仏の存在は、自然史上の神の存在を指している/意味していることもあるし、これとは一切関係の無い、妄想の存在の神仏のどちらかになります。


○その起源が異なる二つの神の神の存在を区別
 つまり、一言で神とか仏と言っても、私たち全ての存在とその生活基盤である天然自然の世界を、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造った創造主である神と、この後、人が作った文化文明の中で、人が宗教を発明して、その中で神仏の存在を説くようになった、その神仏との二つがあることになります。

○この世に生まれれば天然自然の存在の創造主である神に否応なしに出会う
 自然史上の神の存在は、仮令あなたが絶対に認めないと言い張っても、万有引力の法則と共に、これと一体不可分のものとしてある存在です。

 「結婚したら、その相手には(自分には一切要らない面倒な)親がついて来た」という人たちがいます。
 しかし、誰にでも、その人の親が存在するものです。
 この世界の中に生まれれば、自動的かつ必然的に、親も、自然史上の創造主である神の存在もついて回ります。


○実在するものはその通りに認めてそれに真正面から向き合うしかない!
 文化文明上の神仏の存在については認めない、という主張はなりたち得ます。
 しかし、自然史上の創造主である神の存在を認めない、という主張は、私達が生きているこの世界のこの世界の成り立ちと仕組みが認めないし、それどころか、絶対に許されません!!!!!

○天然自然の存在の創造主である神は何の役に立つのか
 では、私たち一人一人にも、否応なしにその存在を認めることを迫る創造主である神は、実際、あなたや私のために、全人類のために、宇宙大では宇宙人一般のために、何の役に立っているのでしょうか?

 自然法則+エネルギー一体不可分の働きを基にした科学技術が人類に多大の恩恵をもたらしてくれたことは、あなたもお認めになるでしょう。
 創造主である神の存在は、自然法則+エネルギー一体不可分の働きの活用法=科学技術の正しい使い方を含めて、全ての人が創造主である神の化身/分身の存在して、思い切り自由に望み通りの人生を生きるためのハウツーを提供し、かつこれが容易にできるようにしてくれる様々の仕組みを用意して、それをいつでも誰でも等しく自由に使えるようにしてくれていることです。

○本来誰も無神論者であることはできない
 天然自然の創造主である神が、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中ではーーー、
 全ての人が、創造主である神の化身/分身の存在として造られています。
 この事実は、私達がこの世界に生まれる前に既に決定され、実際にそのように私たちの全てが造られています。
 この結果は、自動的かつ必然的に、実際に創造主である神の化身/分身の存在として生きるのが、唯一、絶対的に、人らしい本来の生き方をすることになります。

 そして、創造主である神の化身/分身の存在として生きるのには、創造主である神が創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造ったこの世界に全面的に向き合い、その成り立ちと仕組みを自然科学的に理解して生きるしかありません。
 これを知らず、学ばず、認めないという生き方は、結局、ご本人の生き方を難しくし、この尻拭いを周りの人たちや社会や国家がしなければならなくなります。

 全ての人が、この世界の成り立ちと仕組みの中では、原理的に、無神論者ではありえません。

○天然自然の存在の創造主である神を知らず認めない人たちの社会的責任
 自然史上の創造主である神の存在を知らず、これを認めない人たちは、結局、人としての本来の在り方を知らず、人本来の自然な生き方を知らず、これが出来ず、自動的かつ必然的に世間の厄介者になります。
 これを知らない北朝鮮の指導者が、如何に人迷惑な行動をしているか、あなたも見て知っている通りです。

 一先ず、終わります。

 誤記の訂正と、説明不足な部分は、後から付け足します。

あなたがこの世に存在する前にこの世界が先に実在した

2007-06-25 05:06:32 | この世界の成り立ちと仕組み
 以下の文中で、創造主である神というのは、人がこの世に存在するようになる前から、それ自体で在るようにして在る、私たち人間存在(宇宙大では宇宙人一般)と、その生活基盤になる大自然の世界を創造した、天然自然の存在の、創造主である神を意味しています。
 間違っても、人が発明したのでは無い、天然自然の存在の、創造主である神と、この後に始まった人類史の中で発明された宗教で説く神仏と混同しないでください。
 これを混同すると、以下の話が、何がナンダカ分からなくなります。


 人が生まれる前から、この世界は、誰にとっても客観的に実在している

○あなたがこの世に存在するようになる前からこの世界は実在した
 あなたがこの世界に生まれる前から、この世界は既に、それ自体の存在理由と存在目的を持って、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きにより造られて、唯一絶対的に、普遍的にかつ不変的にかつ客観的に実在しています。

 それどころか、このことは、過去・現在・未来の全ての人に絶対的に普遍的に客観的に当て嵌まる事実であり、真理です。

○これを、あなたは自覚的な知識にしていますか
 あなたがこの世に存在するようになる前からこの世界は実在した。
 あなたは、このことを、既に、あなたご自身の自覚化された確固たる知識にしておられますか?
 このことを、自覚的に、意図的に、意識化して、確認し、これが意味していることを理解しておられますか?

○素朴実在論
 これを肯定する立場を、「素朴実在論」という名前をつけて呼ぶのは、あなたもご存知であるかも知れません。

○伝統的な自然科学の世界観は素朴実在論が大前提になっている
 正統派というか、伝統的な自然科学の前提になっている世界観は、素朴実在論です。
 このことも、あなたは、既にご存知かも知れません。

○一般法則論の立場も素朴実在論
 ここでお話ししている「一般法則論」も、素朴実在論の立場です。

○一般法則論は素朴実在論の根拠を説明する
一般法則論は、素朴実在論的世界観を採用する。
 と言うよりも、一般法則論は、素朴実在論が成り立つ根拠とこの意味するところを明らかにします。
 即ち、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られたこの世界と人の心(として知られているもの)の実在を明らかにして、一義的に/一意的に明確に確定的にかつ客観的に、その実在根拠とその意味することを説明します。

○なぜ素朴実在論の根拠づけを自覚的に意図的に徹底的にする必要があるのか?
 なぜ素朴実在論の根拠づけを自覚的に意図的に徹底的にする必要があるのか?
 この理由は、素朴実在論が肯定しているこの世界の存在が、私たちの存在とその在り方、その活動の唯一絶対的かつ普遍的かつ不変的かつ客観的な大前提になっているからです。

○素朴実在論的世界観はこう役立つ
 言い換えると、私たち全ての存在に先立って、私たち全てにとって、唯一絶対的に普遍的にかつ不変的にかつ客観的にこの世界が実在しているからこそ、例えば、一つの地球を全人類で一つに認識し、一つに共有して生きることが出来るようになります。
 本当に、もし、この世界が、私たち全てに先立って、唯一絶対的かつ普遍的かつ不変的かつ客観的に存在している形に出来てなかったら、一つの地球という概念、考え方、イメージを、全人類で一つに共有することでも、議論百出で中々まとまらないことになるでしょう。これでは、全人類が一つの地球を共有して平和共存することが著しく困難になります。

○全人類を代表する地球連邦政府が無くても地球温暖化対策を全人類規模で出来る
 つまり、例えば世界連邦政府が地球大で出来る前でも、素朴実在論的な世界観に根拠をおいて、例えば地球温暖化対策に、全人類が一丸となって取り組むことを可能にする、ということです。
 素朴実在論的な世界観を人類の常識にすれば、地球温暖化対策に、全人類が参加してすることができるし、個人的な理由や民族的な理由等を挙げて、これを拒む人たちを、無理やりにでもその対策に引き込むことができる、唯一絶対的かつ普遍的かつ不変的かつ客観的な根拠になるからです。

 一般法則論が申し上げている意味が、意図が、あなたに通じましたか?!

○人を小馬鹿にしたような質問をあえてしなければならない理由
 そんな人を小馬鹿にした質問は失礼だぞ!!!
とあなたは言われるかも知れません。

 しかし、現実には、こんな失礼な質問を、あえてあなたにもして確かめなければならない理由があります。

○素朴実在論を否定する珍説の社会構成(構築)説の横行
 それは、人が、自分が、「この世界とはこれこれのものだ」と言うときに初めてこの世界は、この世に実在するようになり、また、そう言った通りの形で、この世界が存在するようになる、という珍説が、現在、地球大で、哲学・思想や学問、特に文系の学問分野や、更には自然科学の世界にさへ、広く一般的に罷り通っているからです。

 このような考え方は、「素朴実在論」を否定する、「(社会)構成(構築)説」と呼ばれていることは、あなたもご存知であるかも知れません。

○社会構成説が意味する世界観ーー人の数だけ独自の世界があるという困難さ
 社会構成(構築)説の世界観を一言で言えば、人の数だけ、それぞれに独自の地球の概念・イメージがある、ということです。
 この結果は、皆で一つの地球観を共有するのは、原理的にも事実的にも不可能になります。
 社会構成(構築)説では、一つ同じ地球観を全人類で一つに共有することが原理的に不可能というのですから、地球温暖化対策に、全人類が一丸となって取り組むことは、原理的にも事実上も不可能であることが、最初から明らかです。

○素朴実在論と社会構成(構築)説の存在とこの違いを知ってください
 ところでーーー、
 私達がその中に生まれ住んでいるこの世界が、私達がどう言い、どう考え、どう思うか等には一切関係なく、それ自体で全ての人にとって等しく(これを「普遍的に」と言います)、絶対的に(否応なしに)、客観的に(あなたや私が知る、知らない、認める、認めない等に一切関係なく)実在しているという素朴実在論と、これを否定する社会構成(構築)説とがあることさへ、自覚的な知識にされていない方々も、決して少なくはありません。

○素朴実在論を自覚的な知識にする義務があなたにはある
 しかし、素朴実在論こそが正しいのですから、このことをしっかりと自覚的な知識にして頂く必要があります。

○思想・良心・内心の自由など無い!!!
 創造主である神が、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造ったこの世界の成り立ちと仕組みについて、これを無視して勝手に自分独自の考え方や世界観を持つ自由は、一切認められません。
 思想・信条、良心の自由、内心の自由も、創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを前提で考えると、一切認められません。

○この世界を認識し理解するための自然科学的な原理
 なぜならば、この世界も、この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解する人の心も、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られていて、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界を、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られている人の心で認識し、理解する、という仕組みになっているからです。

 これを前提にすれば、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きでこの世界が造られている通りに正確に、この世界を、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られている人の心で認識し理解することが原理的に可能になります。
こうであるときにのみ、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みを、同じく創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られている人の心で認識し理解するのが、唯一絶対的かつ普遍的かつ不変的かつ客観的に正しいことになるからです。

 言い換えると、人が、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを、これ以外の何かで、認識し、理解するのは原理的に根本的に間違っている、ということです。

この理屈が、あなたにも分かりますね。

○ブログは社会構成(構築)説のオンパレード
 ブログに文を書いておられる方々の文を、あちらこちらで、色々と読ませて頂きましたが、素朴実在論と、これを否定する社会構成(構築)説があることを、自覚的な知識にされていないと推測できる方々が少なく無い、と知りました。

 というよりも、社会構成(構築)説的な考え方で凝り固まっておられる人たちがブログの世界では頑張っている、と言い切った方が良いかも知れません。
 社会構成(構築)説で既に出来上がって仕舞われた方々は、この世界が提供してくれる事実から謙虚に新しいことを学ぶ、というのが、とても難しいようです。

○一般法則論者の祈り
 ここ、一般法則論でやっている、素朴実在論の根拠付けは、インチキな社会構成(構築)説を、地球上から一掃したい!!! という意図と願い・祈りを込めてしています。

 一先ず、締めます。