いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

「英語は英語でしか分からない」という「理解の原理」の再確認

2008-03-30 17:46:40 | この世界の成り立ちと仕組み
○英語は英語でしか分からない」という「理解の原理」の再確認
 「英語は英語でしか分からない」。
 この「理解の原理」を、中学生になって初めて英語を習い始めたときに発見した、という話を既にしました。
 このことについて、再確認をします。

○理解の原理
 何かあることについて認識し理解しこれと正しく適切に対応し正しい良い関係を築くには、どうしたら良いのか?
 この答えは、簡単にまとめて言えば、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きでこの世界の成り立ちと仕組みが全て造られている通りに、この世界の成り立ちと仕組みの全てについて、認識し、理解し、そして、こうして分かったことに基づいて、この世界とお付き合いをする、ということに尽きます。

○理解の原理の実際
  具体的には、その理解されるべきものと一つ同じ土俵に上がって、理解されるべきものを成り立たせている原理/法則/文法と一つ同じ原理/法則/文法に則って認識し理解するときに初めて、それを正しくかつ適切に認識し理解し対応できる、という「理解の原理」がある、というわけです。
 例えば英語。例えば今使っているパソコン。例えば中国。例えば私たちが生きているこの世界・・・。
  この「理解の原理」に基づいて、以下のような一連の原理の関係が発見できるし、理解できることになります。

○この世での私たち全ての生を可能にしている一連の原理群
 ☆この世界を造っている原理(天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き)=この世界を認識し理解し自らの独自の生き方を判断し決めるための道具になる「ヒトの心の原理」
☆「ヒトの心の原理」=この世界を認識し理解するための原理
この世界を認識し理解するための原理=この世界の中で生きるための原理・生きる拠り所になる原理
☆この世界の中で生きるための原理・生きる拠り所になる原理=潜在意識(引き寄せ)の法則の活用法
☆潜在意識(引き寄せ)の法則の活用法=この世界を造っている原理(天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き)

○スピリチュアルな原理群として見ると
 同じ一連の原理をスピリチュアル的に言い換えると、次のようになります。
☆この世界を造っている原理(霊的/スピリチュアルな存在論 注記1)=この世界を認し理解する原理(霊的/スピリチュアルな認識論)
 注記1 スピリチュアルな存在論の中身は、生者と死者の両方を含みます。先には、死者を含めることをわすれました。

☆霊的/スピリチュアルな認識論=ヒトの心の中身とその働き方の原理(霊的/スピリチュアルな心の起源)
☆霊的/スピリチュアルな心の起源=この世界の中で生きる原理・生きる拠り所になる原理(霊的/スピリチュアルな生き方)
☆霊的/スピリチュアルな生き方=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みに忠実な「現物・現場・現実尊重原理」に基づく物作り
☆この世界の成り立ちと仕組みに忠実な「現物・現場・現実尊重原理」に基づく物作り=無意識・潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法

○「理解の原理」は同義語反復・トートロジーの理屈
 「理解の原理」に基づいて、この世界の成り立ちと仕組みを理解する。
 これを可能にしているのは、この世界の成り立ちと仕組みが、次のように出来ているからに他なりません。

 ヒトがこの世界に誕生する前から存在し働いていて、ヒトの存在を含めたこの世界の成り立ちと仕組みの全てを造った、万人にとって宇宙大で唯一絶対普遍かつ客観的な存在でかつ天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きの存在。

 「理解の原理」でこの世界の成り立ちと仕組みを理解し、この世界の成り立ちと仕組みで、「理解の原理」の根拠を説明する。
 これは、哲学用語で言えば、同義語反復/トートロジーですね。

○同義語反復が果たす役割 無我・無心・無私・無欲・滅私の心で見る
 「理解の原理」でこの世界の成り立ちと仕組みを理解し、この世界の成り立ちと仕組みで、「理解の原理」の根拠を説明する。
 これによって、「理解の原理」とこれによるこの世界の成り立ちと仕組みの理解は、この他に何かを持つ出すことを一切しないで、これ自体で自己完結した論理/理屈になります。
 ここでいう同義語反復に根拠を置く「理解の原理」は、言い換えると、何かについて、これをヒトが勝手に作り上げた理屈/理論/原理・原則/思想/主義・主張等に基づいて認識し理解し、この認識と理解に基づいて行動に出るというやり方を、一切排除する、ということです。
 この世界の成り立ちと仕組みの発見と理解は、人間的な一切の思惑を排除し、無我・無心・無私・無欲・滅私の心で、私たちに全てに先立って=私たち全てにとって等しく、客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在している天然自然の存在の、ヒトが作ったのではない、この世界の成り立ちと仕組みを造っている原理そのものに則って認識し理解する、という考え方です。
 言い換えると、この世界の成り立ちと仕組み=全ての現象、全ての存在は、これに先立って客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在する天然自然の存在の自然法則が働いた結果だ、という絶対的な理解が、同時にあるわけです。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


セレンディピティ=「意味のある偶然の発見」

2008-03-28 11:26:33 | 潜在意識の活用法
○「意味のある偶然の一致」と「意味のある偶然の発見」
 「意味のある偶然の一致」というキーワードで、ブログを検索しました。
 そうしましたら、「意味のある偶然の一致」=シンクロニシティの他に、セレンディピティ、即ち、「偶然に予想外の発見をする」とか「偶然に思いも掛けない発見をする」(この結果は、しばしば幸運を招き寄せることになります)という言葉で表される事態・現象・体験があることを指摘しているものが、ありました。
 セレンディピティは、シンクロニシティ=「意味のある偶然の一致」と語感/語呂を揃えて言えば、「意味のある偶然の発見」ということができます。

○「意味のある偶然の発見」の実例
 引き寄せの法則の話に関連してした、「意味のある偶然の一致」の話の中で、探しに行った本以外の本もついでにみつけた、という話をしました。
 しかし、有名な例では、なんと言っても、アオカビから得られた抗生物質ペニシリンの発見でしょう。
 話に聞いているところによれば、電気を通すプラスチックの発見も、この例といえます。

○原理的には「意味のある偶然の一致」と「意味のある偶然の発見」はひとつ同じもの
 「意味のある偶然の一致」も「意味のある偶然の発見」も、どちらも、引き寄せの法則を活用することで発生します。
 この意味では、ひとつ同じことの別の現れ方ということができます。

○「意味のある偶然の発見」=セレンディピティという言葉を必要とする理由
 原理的には、「意味のある偶然の一致」と「意味のある偶然の発見」は、共に引き寄せの法則の活用で体験できます。
 それでも、現象結果の面で、「意味のある偶然の一致」と「意味のある偶然の発見」を区別して別の名前を付けて扱うことは、ペニシリンの発見の例のように、その発見を最初から自覚的に意図的に狙ってその通りに発見した一般的な場合と区別できる、「行きがけの駄賃」的、「瓢箪から駒」的な「意味のある偶然の発見」が確かにあるからにほかなりませんね。


 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 



引き寄せの法則が働くとき 補足説明  無為にして成す

2008-03-27 00:13:52 | 潜在意識の活用法
○はじめに
 テレビで見た女優さんにその翌日に出遭ったり、知りたいと思った情報を翌々日に本屋さんで手にした本の中の文で見付けたり、といういわゆる「意味のある偶然の一致」の話を、「引き寄せの法則が働くとき」というタイトルの文でしました。
 このことについて、もう一言付け加えます。

○その結果を得るため/結果を出すために何の努力も試行錯誤もしていない
 例に挙げた場合では、その結果を得るために/結果を出すために、何の努力もしてないし、いささかの試行錯誤もしていない、というのが、ミソです。
 即ち、その女優さんに出会うと言う、意図したこと、願った事が実現した結果を受け取ることだけを私はしている、ということです。
 このことを、引き寄せの法則を使うときには、ご記憶ください。

○その実現を意図もしていない
 「意図したこと、願った事が実現した」と、今、言いました。
 しかし、その女優さんに会いたいと自覚的に意図した訳ではありませんでした。
 この場合は、意識と無意識からなる全てのヒトの心の仕組みを大前提にして、私が見たテレビドラマによく出演されていたその女優さんを、私の意識のある心を介して、私の無意識の心に強く印象付けることを、それと意図せず、自覚せず、ある意味ではまったく間違って、してしまったのです。
 本のことでも、話はひとつ同じです。
 これは、「意識の無意識化」、「意識にある情報の潜在意識化」ということができます。
 言い換えると、まさに「求めよ、さらば与えられん」、「特定の結果を得るために必要な特定の原因設定」を、それと自覚をせずに、それと意図せずにした、ということです。
 つまり、その瞬間は、「ふと、そう思った」位のことです。
 記憶術に長けたヒトならば、記憶したいことは、これを覚えておくと、「ふと、思った」だけで完全完璧に記憶してしまうことが知られていますね。
 この極端な例が、「サヴァン症候群」と言われる人達が持つ並外れた記憶力。
 原理的にはこの場合と同じだといえます。

○予知も予感も無かった
 事が起こるそのときまで、私には、その女優さんに遭う、という予感も予知も、この兆候を感じることも、まったくありませんでした。

○幻想・夢・目標・予定との違い
 本田 健(2004) 夢をかなえる、お金の教え 豊かさの知恵 フォレスト出版の中に、幻想と夢と目標と予定の違いを説明する文があることを、先に、このブログの中で紹介しました。
 これに加えて、今、引き寄せの法則に基づいた、言わば、特に意図せず、何にもしないで自然に事が成ってしまう場合を持ち出しました。

○「意識の無意識化」、「意識にある情報の潜在意識化」がもたらすこと
 無意識の心に一度印象付けられたことは、潜在意識の法則/引き寄せの法則/原因=結果の法則を自動的かつ必然的に発動させることになります。
 そして、この因果必然の結果を、自動的かつ必然的に体験することになります。
 まさに、この通りになったわけです。

○「無為にして成す」の実例
 老荘思想の理論で、「無為にして成す」/「無為自然」というものがあります。
 その実際は、ここで説明をしているような形の、引き寄せの法則に則った「意味のある偶然の一致」のことを意味している、と理解することができます。

○眠っているけれども付近のネズミ退治をしてしまう猫の話
 もう四十年以上も前に読んだある本で、日本の旧海軍の砲術の教科書に、そこで眠って居るだけで、ネズミ退治の役割を立派に務めてしまう猫に譬えて、砲術の極意を説いたものがあった、と知りました。
 この話の要点をかい摘んでお話すると・・・・・。
 すばしこく逃げ回ってなかなか捕まえることが出来ない一匹のネズミを、猫たちがやっとひとつの蔵の中に追い込んだのですが、しかし、どの猫がその蔵の中に飛び込んで行っても、「窮鼠猫を噛む」状態のネズミを捕まえることができません。
 これを見ていた一匹の猫が進み出て、こういう場合は、ネズミを捕らえる腕を長年磨いた者にしか出来ない、と言って蔵の中に入っていったのですが、ネズミを結局捕らえることが出来ずに蔵から出てきて、私の腕では到底及びませんでした、とがっくり肩を落としていいます。
 すると、別の猫が進み出て、言いました。必死で逃げ回る相手に気合負けしていたのでは、幾らネズミを捕らえる技術に長けていても到底歯が立ちません。だから、最初から気合を入れて、相手を呑んで掛からなくては、到底捕まえることはできません。人生は気合だ!!!!!
 しかし、気合で相手を呑んで掛かかったその猫も、結局ネズミを捕まえることが出来ませんでした。
 この様子をじっと見ていた年老いた猫が、黙って蔵の中に入って行ったかと思うと間も無くネズミを銜(くわ)えて蔵から出てきました。
 これを見た猫たちはとても驚いて、その極意を教えてくれるように、その年老いた猫に頼みます。
 これに答えてその年老いた猫が説明をします。
 もう追い詰められて、自の生死を賭けて、自らの命を守ることだけに徹したネズミを、俺が俺がという意識を丸出しにして、自らの計らいで猫技をどんなに繰り出しても、捕まえることが出来ないのは、しかし、当然だ。猫に狩られる宿命のネズミが、自らの全ての計らいを捨て、自らの命を捨てて掛かっているのだから。
 こういう場合は、ネズミを狩ることが存在目的のわれわれ猫も、我執を捨て、一切の猫的な計らいを捨て、猫の自分が、無我・無心・無私・無欲・滅私になって、猫がネズミを捕まえる本能(という原理的な仕組み)に徹して、この本能そのものを自然に十全に発揮できるように自らの心をよく整えて行動にでることが出来て初めて、自然に、何の計らいも努力も試行錯誤もなく、自らの全ての計らいを捨て、自らの命を捨てて掛かっているネズミを捕らえることが出来るのだ。
 しかし、無我・無心・無私・無欲・滅私の心で、猫の本能に徹して行動できる、ということが、最良・最善・最高の境地ではない。
 そこにいて、ただ眠っているだけで、その付近にネズミがまったく居なくなるような、猫本来の存在目的の全てを「無為にして成す」猫こそ、究極の真の猫の在り方だ。そして、このような究極の存在の猫を、私は知っている。
 一般法則論の理屈に引き寄せて、以上の説明をしました。

○何もかも自然にうまく行く原理がある
 年老いた猫の説明を、別の角度から、一般法則論的に説明します。
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中では、私たちが何を考え、何をするのでも、それを完全完璧にすることが出来る原理的な仕組みが、既に決められています。
 そして、実際に何かを考え、何かをするには、その原理的な仕組みに常に必ず基づいて造られる完全完璧な実際の現実のシステムは何かについても、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きは全て完全完璧に知っています。
 そこで、何かを私たちがする場合、引き寄せの法則に則って、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きを丸ごと利用する精神の技術を使えるようになると、自然にそれをする原理的な仕組みに基づいたシステムを使って、何の努力も試行錯誤も計らいも無しに望むことを自然に実現できるようになります。

○オイゲン・へリゲル 弓と禅
 http://www.goodpic.com/mt/archives2/2007/11/post_217.html 
 オイゲン・へリゲル 弓と禅という本で、へリゲル氏と、和弓の先生である阿波研造師匠とのやりとりは、まさに、年老いた猫の話に通じています。

オイゲン・へリゲル(1953) 稲富栄次郎/上田 武(1981)訳 弓と禅 福村出版

○潜在意識を汚染させない
 テレビで見た女優さんに自然に遭うようになってしまうことになった原因設定を、それと明確な自覚が無いままにしてしまったのは、私の大きな間違いだった、といえます。
 こういうことにならないようにしなければなりません。
 これを、一般的に言えば、「潜在意識を汚染させない」ということになります。
 この世にあって、生きていると、否応なしに意識のある心を介して無意識の心に、或いは無意識の心に直接的に色々な情報が取り込まれます。
 これをそのまま放っておくと、私が遭う必要の無い女優さんに遭ってしまうようなことが起こります。
 これは、いわゆる生活習慣病のような形になって現れることも、少なくありません。
 そこで、一日の始まりと終わりに、自分は、創造主である神の化身かつ分身の存在のヒトとして完全完璧に造られていて、病気知らずに思い切り楽しく生きてこの世界に神の国を造る使命を担っているのだ、と確認して、これに反する一切のものを自分から解放し無害化してしまう、と例えば宣言し、さらに、もし、その日、親しいヒトと喧嘩などをしてしまったときには、これを後に引きずって遺恨を抱き、いつかこの敵をとってやる式のことを一瞬間でも考えなかったか(そもそもこんなことはまったく考えないのが良いわけですが)を反省し、直ちにこの間違った考え方を自他共に絶対肯定の構えに変えて、仲直りを試みるのが良いわけです。

 この話は、ひとまず締めます。

例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


このブログをお読みくださるみなさんへ ご迷惑にならないようにより一層注意をします

2008-03-26 17:38:56 | システム
このブログをお読みくださっているみなさんへ

 YAHOO! JAPAN の2008/03/26のトピックスに、以下のようなニュースがありました。
 その頭の部分のみを、ここにコピーしました。
 全文は、ぜひそこに当たってご確認ください。
 このブログの書き込みやトラックパック等については、今後とも、より一層警戒をします。
 以下の文は、ヤフーかのらの引用。 17:29 2008/03/26

 「ブログの4割は「迷惑ブログ」――ニフティ調査
  3月26日14時19分配信 ITmediaエンタープライズ
 ニフティは3月26日、国内のブログ記事の4割が『迷惑ブログ』に分類されるという独自調査の結果を公表した。アフィリエイト広告収入や特定サイトへの誘導が目的で、同社では『無意味なコンテンツ』と定義している。・・・・・」
               このブログの主


追記
 もちろん、あなたは、ウイルス対策ソフトやファイヤーウォールソフトを、お使いのパソコンに入れて使っておられますよね。
 また、ウインドウズの欠陥を補正するアップ・デートも、必ずしておられますよね。
   以上、念のために確認。

引き寄せの法則が働くとき

2008-03-25 04:09:50 | 潜在意識の活用法
引き寄せの法則 (エトワール) 2008-03-23 11:02:15
3月21日に旅に出かけました。帰りの電車が事故で遅れました。駅の構内に小さな古書店がありました。
店頭に「引き寄せの法則」(マイケル・J・ロオジエ)が飾ってありました。お店の人のお話しでは、今日、本を売りに来た人がいて、新しい本なので店頭に飾ったそうです。それで、今、この本は私の手元にあります。
不思議なことですが、エトワールの身の回りでは、小さい頃から、こうしたことがよく起きます。

エトワール様 (ブログの主) 2008-03-23 18:02:33
エトワールさま
 良かったですね。
 引き寄せの法則を実践していると、
 いわゆる「意味のある偶然の一致」が頻繁に起こります。
 うそみたいな本当の話。
    このブログの筆者

この話の続きをします。

○「不思議なことですが、エトワールの身の回りでは、小さい頃から、こうしたことがよく起きます。」
 この世界に生まれると直ちに、誰でも否応なしに万有引力の法則の支配下に入るように、精神力の法則・信念の法則・無意識の法則・潜在意識の法則・引き寄せの法則・原因と結果の法則・成功哲学の法則など色々に呼ばれる「ヒトの生き方の原理」に関する自然法則の支配を受けるようになります。

 なぜならば、私たちが生きているこの世界の成り立ちと仕組みは、ヒトが創ったのではない天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって因果必然的に造られていて、既に造られているこの天然自然の世界の中に、私たち全てが後から生まれた、という順序になっているからですね。

 この事実を、あなたや私が知る、知らない、承認し受け入れる、承認せず受け入れない等に一切関係なく、自動的かつ必然的にこうなります。
 そして、実際に、「ヒトの生き方の原理」が働きます。
 この結果は、エトワールさんのような体験になります。

○ヒトの生き方の原理が働いていることについて自覚的な感覚や知識が必ずしもあるとは限らない
 全てのヒトが、「ヒトの生き方の原理」が働いた結果について気付くわけではないようです。
 かく言う私も、「ヒトの生き方の原理」が働いた結果については、ビー玉遊びで狙ったビー玉に持っているビー玉を当てるのとパチンコで木の幹に止まっている蝉を打ち落とすのと投げた小石を狙った所に正確に当てることでしか、知りませんでした。
 これらの全てにおいて、自覚的に意図的に「的に当たっているイメージ」を最初に描いてから自信を持って行動にでると、こうしないでするよりも確実性が高い、と知っていました。
 しかし、後に「信念の法則」という形で「ヒトの生き方の原理」を自覚的に意図的に学ぶまで、この体験を一般化して活用することがずっと出来ませんでした。

○「ヒトの生き方の原理」が自覚的な知識となって分かったこと
 「ヒトの生き方の原理」が自覚的な知識になって見ると、それと自覚が無いままで、奇跡的といえるような「意味のある偶然の一致」をたびたび体験していた、と分かりました。

 事前に必ず採集して帰るぞ! と固く決意して出掛けた、ある虫のそこでの四十年近くぶりの採集の過程は、説明するのが面倒なくらい幾つもの幸運な「意味のある偶然の一致」が重なった賜物でした。
 富士山で新種らしい虫を採集して、翌年確認のために出掛けて、この目的を果たしたときにも、話がうまく出来すぎでした。
 私の悟りの体験も、「求めよ。さらば与えられん。」をそれと自覚せずに実践した賜物でした。

○絶妙のタイミングで事が起こる
 「意味のある偶然の一致」という形で、引き寄せの法則が具体化するとき、それは、常に、絶妙なタイミングで起こります。
 その瞬間は、ちょっとでもよそ見をしていたら、探しているものや出会うべき相手が目に飛び込んでこなかった、というくらいの一瞬間です。
 例えば、もう四・五年前のことです。
 推理ドラマによく出演されていたある女優さんのことをふと思い出して、もうしばらくテレビの画面でお見かけしないし、お年で引退されたのかな、と思ったその翌日か翌々日に、偶々テレビの電源を入れたらNHKのクイズ番組にその女優さんが出演されていました。で、思わず、お珍しい! とテレビの画面に向かって言ってしまいました。
 そして、その翌日、外出先で立ち寄った本屋さんで買った本を拾い読みして、帰宅途中に、その本の中に紹介されているモノを渋谷にある「東急ハンズ」に立ち寄って手に入れようと思い、確かこの近くに渋谷駅行きのバスが止まる停留所がある筈と思って探したらすぐにそれが見つかりました。そのとき、そのバス停には、バスが既に来ていて止まっていました。これを見て、二十メートル余りを思いっきり走って、バスにのり込んだものです。
 バスの外の風景を見て、渋谷駅近くに来たな、と思っていると、下校途中の生徒たちでいっぱいだったバスの中は、次のバス停でみなバスを降りていってしまって、バスの中はがらがらになりました。
 それからバスは、交通渋滞に巻き込まれて、まったく動かなくなりました。
 つまり、そのバス路線を普段利用している人たちは、乗っているバスが交通渋滞に巻き込まれる前に、終点の渋谷駅よりひとつ手前のバス停で降りて、そこから駅まで歩くことにしているのだと渋谷駅にバスが到着して理解しました。
 バスの停留所は、渋谷の忠犬ハチ公の銅像がある駅前広場とはJRの線路を鋏んで反対側にあります。
 東急ハンズに行くは、そこから忠犬ハチ公の銅像がある駅前広場の方へ回らなければなりません。
 そして、その広場の方へ回り、広場の前の交差点で、東急ハンズに行く方向になる、広場の反対側に渡るために、広場いっぱいの人たちに混ざって交通信号が変わるのを待っていたときでした。
 私の直ぐ後ろで、「×××(女優さんの名前)さん」という女性の何か命令口調の声がしました。
 振り返ると、前夜NHKのテレビに出演されていたその女優さんに向かって、女性が何か指示しているところでした。どうも、テレビ広告の撮影らしい、ととっさに判断しました。
 そして、交通信号が変わると、その女優さんは、私の脇を通って走り出して、交差点の中央に立ち止まって、広場の方を向いて、両手を上にVの字型に挙げた姿勢になりました。
 私は、その女優さんの身長は160センチ弱かな、と思いながら、その脇をすり抜けて、交差点を渡りきりました。

○私の全行動は無意識の内に「意味のある偶然の一致」の体験をするように調整されていた
 この瞬間までの過程を振り返ってみると、バスに乗るのに思い切り走ったり、乗ったバスが交通渋滞に巻き込まれて動かなくなったことを含めて、何一つ無駄なことがなく、全てが順調に、その女優さんと出会うことが出来る絶妙のタイミングになるように、私の行動の全てが無意識の法則/潜在意識の法則により調整されていた、と分かります。
 これが、人によっては「胡散臭い存在」の、精神力の法則・信念の法則・自信の法則・セルフイメージの法則・無意識の法則・潜在意識の法則・引き寄せの法則・原因と結果の法則・成功哲学の法則などと呼ばれる自然の法則に基づいて起こる「意味のある偶然の一致」の例です。

 こういう話は、私の体験では沢山あります。
 今月の初めごろ、このブログの中でも取り上げた、かなり前に図書館で借りて読んだ、後藤学その他による「科学はアインシュタインに騙されていたのか」(徳間書店)を手に入れてその内容を確かめる必要があると思った二・三日後、なぜか近くにある新古書店に出掛けたくなって、出掛けたら、この本の他にも、このブログを書くために必要で欲しいと思い探していた本を、本が並んでいる棚の数十センチくらいのところで、数冊まとめて見つけて、買うことができました。

○最近の体験
 先日起こった中国によるチベット弾圧に関するあるブログの中で、韓国は世界一強姦事件が多く、韓国に旅行する場合にはこれに警戒するように、とアメリカの外務省のHPに書いてある、という記述がありました。
 本当かな!? と思いましたが、この真偽を確かめるのは面倒だな、という気持ちでした。
 しかし、この二日後の三月二十二日、近くの本屋さんで目に付いた次の本を手にしてその目次を読んで、その中身の記事を読んだら、事の真相がわかりました。

 西村幸祐 責任編集 教科書が教えない日本被害史 拉致と侵略の真実(2008) オークラ出版

 この本の130頁以下の、中宮 祟氏が書いている「韓国人による性犯罪の実情」という文中に、答えがありました。
  この記事によると、韓国は世界一の強姦発生国ではないけれども、アジアの中では「アジア一の強姦民族である」そうです。
 「在韓アメリカ大使館は2004年の八月に、韓国人の強姦に注意するようにとの渡航者向けの警告をわざわざ発表しているほどだが、日本の外務省が同様の警告をだせばたちまち、人権派どものバッシングを浴びることは間違いなしである。」131頁。

  なお、この手の本に、強いアレルギー反応を示す方々がおられることを知っています。
 それどころか、このような本を手にしたり人に教えたりすることは、品格を疑われることだし、何よりもロシヤや中国や韓国・北朝鮮に対する復讐心に基づいた悪意の表明だ!!! と非難する人たちがいることも知っています。
  今のインターネットが、パソコン通信と言われていたころ、まだ崩壊以前のソ連の内情を暴露する文を投稿した人に対して、ソ連の敵を利することだと非難する文が載ったのを覚えています。
 私が、中学・高校生のころ、日本が大東亜戦争に負けて、ソ連、中国、朝鮮半島から引き上げる途中で日本人が体験した悲惨な事件を、直接的・間接的に知っている大人がいて、教室でもこの手の話をする先生が、思い出すと三人くらい居りました。

○「意味のある偶然の一致」の法則は因果必然の自然の法則
  「意味のある偶然の一致」の法則は、これで分かるように、偶然の法則ではなくて、ヒトが作ったのではない、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって全て造られている、常に全体でただひとつのこの世界の成り立ちと仕組みを、潜在意識の法則/引き寄せの法則等で丸ごと利用する因果必然の法則だ、ということになります。
 
○「意味のある偶然の一致」の法則の利用は「人事を尽くして天命を待つ」ではない
  「意味のある偶然の一致」の法則の利用は、「人事を尽くして天命を待つ」ということではありません。 
 「人事を尽くして天命を待つ」は、ヒトが出来ることを尽くすと、これを見ていた天が感じて、天が手助けをしてくれる、という意味でしょう。
 しかし、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用によって働く「意味のある偶然の一致」の法則は、因果必然の法則が自動的かつ必然的に働いてくれる、ということです。

○三月二十三日、茨城県土浦市のJR常磐線荒川沖駅付近で八人の人たちが殺傷された事件
 三月二十三日、茨城県土浦市のJR常磐線荒川沖駅付近で八人の人たちが殺傷された事件を、この可能性を事前に予測して特別警戒していた警察は防ぐことができませんでした。
 確かに、警察は「人事を尽くして天命を待つ」式の手を尽くしたに違いありません。
 しかし、こういう場合、「意味のある偶然の一致」の法則の利用によって、人智を超えた行動が出来るように、この法則の自覚的で意図的な選択するのが好ましい、といえます。

 もうかなり前に新聞で報道された例ですが、盗難車の発見の手配があった自動車のナンバーを自分のもっているポケコンに入力してパトロールに出た警察官が、不審な車を発見して、直ぐにポケコンに予め入力しておいた盗難車のナンバーと照合して、その車が手配されている盗難車であることを確認した、という話は、「意味のある偶然の一致」の法則を活用したもの、と私は理解したものでした。

○気味の悪い体験
  信念の法則・潜在意識の法則を使うことにより、「意味のある偶然の一致」が自覚的な体験になった当初は、実を言えば、私は、これがとても気味が悪くて、困りました。
 気味が悪いとは、例えば、英文を読みながら、意味の分からない言葉を英和辞書で調べているときに、片手に持った辞書を手探りで開いたのに、その頁に探していた言葉が載っている式のことです。

○「意味のある偶然の一致」は事故も引き寄せる!?
  「意味のある偶然の一致」は、これが、私にとって例えば事故に遭う場合も含んでいる! と理解して、「大変なことになってしまった!!!!!」と思い、潜在意識の法則の活用法を何年もの間自覚的に意図的に使えなくなる、という体験もしました。

○克服
 気味の悪い体験という理解は、「意味のある偶然の一致」が、この世界に生きている限り自然なことなのだと理解できるようになって克服できました。
 また、潜在意識の法則の活用法を悪用しないことと、ヒトが作ったのではない、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって全て造られている、常に全体でただひとつのこの世界の成り立ちと仕組みが、創造主である神の化身かつ分身の存在のヒトのために本来良き事をもたらすために存在していることを理解するようになって、再び潜在意識の法則が自覚的に意図的に使えるようになりました。

 この話は、ひとまず終わります。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


「この世界の中で生きるための基本原理群」(仮)を理解するための「理解の原理」

2008-03-20 04:33:20 | この世界の成り立ちと仕組み
○この世界の中でヒトとして存在し生きるための一連の原理の存在
 この世界の中でヒトとして存在し生きるための一連の原理がある、と一般法則論では言い切っています。
 それは、以下の一連の原理とその間にある一体不可分の関係です。

 この原理をここに書くごとに言い方が変わっていますが、中身は同じです。
 言い方が変わるのは、一連の原理に関する適切な表現の仕方を、未だ試行錯誤しているからです。

 この世界を造っている原理(天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き)=この世界を認識し理解し自らの独自の生き方を判断し決めるための道具になる「ヒトの心の原理」=この世界を認識し理解するための原理=この世界の中で生きるための原理・生きる拠り所になる原理=潜在意識(引き寄せ)の法則の活用法。

 この一連の原理とその間にある一体不可分の関係を理解するには、次の簡単な体験的な「理解の原理」を知っている必要があります。

○英語を中学生になって初めて学んで知った「理解の原理」
 英語は、まず最初は英語そのものに依るので無くては、英語で言っていることの内容が何かが分からない。
 英語を、頭っから日本語で理解しようとしても、それは出来ない。
 端的に言えば---
 「英語は英語でしか分からない」

 この簡単な原理を、私は中学生になって初めて英語を習ったときに、発見しました。
 この体験的に知った原理をその後敷衍して、例えば人の言っていることを理解するには、その人の言っていることに則して、即ち、その人の世界観や人間観等に関する考え方と価値観に則して理解するのを、まず最初にする--自分の主義・主張や意見は一先ず脇に置いておいて・・・、ということを覚えました。

○「理解の原理」の「普遍原理」化
 「人の言っていることを理解するには、その人の言っていることの世界観と価値観等に則して理解するのをまず最初にする」式のことを実践している内に、一個人の論理と価値観を超える唯一絶対普遍かつ客観的な原理に基づいて、これを尺度にして、ヒトの言ってることを始め、色々のことを判断し理解することが必要だ、と分かるようになりました。

○その意見の普遍的な真理性と普遍的な妥当性を判定するための原理の必要性
 ある個人の意見や主義・主張等の理解に留まっていたのでは、私個人には元より、世の中の人々一般にとって役立つ情報/教訓を、その発言から得ることができません。
 つまり、ある人の意見、主義・主張等をただその人個人の論理と価値観に則して理解しているのでは無くて、その普遍的な真理性や普遍的な妥当性を判断し判定しなければならない、という発見をした、ということです。
 言い換えると、ある人の意見、主義・主張等の普遍的な真理性や普遍的な妥当性を判断し判定する基準になる唯一絶対普遍かつ客観的な原理が必要だ、ということです。

○悟りの体験による必要な原理の発見
 人の意見、主義・主張等の普遍的な真理性や普遍的な妥当性を判断し判定する基準になる唯一絶対普遍かつ客観的な原理の発見。
 このような原理の発見は、どうしたら可能になるのか?

 結論だけを言えば、「求めよ。さらば与えられん」と言う「生き方の原理」にそれと自覚せずに則って、いわゆる「悟りの体験」をして、その客観的な原理を発見しました。

○悟りの体験の中で発見した普遍的な原理
 唯一絶対普遍かつ客観的な原理とは、私が「悟りの体験」の中で発見した、この世界が天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られている、という絶対的な原理のことです。

○普遍的な原理の中核になる創造主である神の存在証明
 私たちが生きているこの世界は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られている、と一般法則論では言い切っています。
 そして、天然自然の存在の創造主である神の存在証明は、ヒトがするのでは無くて(ヒトにはこれが原理的に出来ません)、創造主である神自身にさせる形で、それをしています。
 自然科学も、天然自然の存在の世界の成り立ちと仕組みの解明に当たって、自然自らに語らせるという方法に則っています。この結果は、「発見」といわれます、自然を「発明」することではなくて。

 更に、次のような一連の原理がある、と一般法則論では言い切っています。

○一連の原理の間にある一体不可分の関係の発見
 この世界の成り立ちと仕組みが、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られている。
 これを、ヒトの心の起源とその働きや哲学で言う「存在論」と「認識論」や、既に知られている「人の生き方の一般原理」をハウツー化した潜在意識(引き寄せ)の法則の活用法などとの関係を「理解の原理」で考えてみると、次のような一連の原理とその間に一体不可分の関係があることが分かりました。

○一連の原理の一体不可分の関係
 この世界を造っている原理(天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き)=この世界を認識し理解し自らの独自の生き方を判断し決めるための道具になる「ヒトの心の原理」=この世界を認識し理解するための原理=この世界の中で生きるための原理・生きる拠り所になる原理=潜在意識(引き寄せ)の法則の活用法。

○一連の原理の間の関係の説明--「理解の原理」の適用
 一連の原理の間の関係は、どうなっているのでしょうか・・・。
 その答えは、つまり、こうです。

 この世界の成り立ちと仕組みは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られています。

 しかもこのことは、全てのヒトがこの世界に生まれる前に、既に、全てのヒトにとって等しく、客観的に唯一絶対普遍かつ不変的に決まっていた訳です。
 これについて、誰も異議を唱えることが原理に出来ない訳です。何故ならば、この世界の成り立ちと仕組みが天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られた後に、同じく、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで私たちヒト(宇宙大で言えば宇宙人一般)全てが造られているからです。

 そして、このことを、私がしたように、いわゆる悟りの体験で発見できるような仕組みも、この世界の成り立ちと仕組みの一部として、全てのヒトの心の仕組みの中に組み込まれている訳です。

 ということは、この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解するには、この世界の成り立ちと仕組みを造っている「天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き」に基づいて認識し理解するしか、正しい方法はないことになります。
 ところで、この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解するのは、常に必ず、ヒトの心の働きによります。
 ということは、ヒトの心の中身とその働きは、この世界の成り立ちと仕組みを造っている天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来ていなかったならば、この世界の成り立ちと仕組みを正しく認識し理解できないことになる筈です----英語は英語でしか認識し理解出来なかったように・・・。
 そして、正に、ヒトの心の中身とその働きは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来ています。
 このことを、悟りの体験の中で端的に体験し理解することになります。

 神は、岩石の中では眠り、植物の中では目覚め、動物の中では活動し、人間の中では自らに目覚める---ウパニシャッド哲学の言葉---

 以上の通りです!
 単純明解な話でしょう!!!

 この一連の原理群の全体を一言で呼ぶ名称が必要のようです。

○一連の原理を一言で言い表す名称を考え中・・・
 一連の原理を一言で言い表す名称は後で決めます。

 「この世界の中で生きるための基本原理群」という仮の名称をつけます。

○原点は「英語は英語でしか分からない」という原理の発見
 この世界を造っている原理(天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き)=この世界を認識し理解し自らの独自の生き方を判断し決めるための道具になる「ヒトの心の原理」=この世界を認識し理解するための原理=この世界の中で生きるための原理・生きる拠り所になる原理=潜在意識(引き寄せ)の法則の活用法。
 この一連の原理の間の関係の成立とその理解は、「英語は英語でしか分からない」という「理解の原理」を基礎にしています。

 話が最初に戻りました。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。


「すべてのアメリカ人のための科学」という提言を知る

2008-03-15 17:07:43 | 一般法則論
 「すべてのアメリカ人のための科学」(Science for All Americans)という、アメリカ人一般の科学的リテラシー(基礎的な教養)を向上させようという提言「プロジェクト2061」を、民間団体の全米科学振興協会が、1989年からしていることを、数日前に知りました。

 日本では、文部科学省が音頭をとって、「すべてのアメリカ人のための科学」の日本版を作るプロジェクトが、「科学技術リテラシー構築のための調査研究」と言う形で既に始まっている、と知りました。

 「すべてのアメリカ人のための科学」については、これを紹介している日本のインターネットの次のサイトを読むと、その中身が分かります。
 科学技術リテラシー構築のための調査研究 研究の詳細と参考資料

http://www.jst.go.jp/shincho/db/seika/2006_s/2006_s_1/2006_s_1_4_kagakugijyutsu/2006_s_1_4_kagakugijyutsu_1_4_2.htm

 この中に、「すべてのアメリカ人のための科学」の目次が紹介されています。
 これを読むと、中に何が書かれているのかが推測できます。

 また、「すべてのアメリカ人のための科学」の序文についても、抜粋が紹介されています。
 これを読むと、「提言された内容、即ち、知識と技能」は、有用性/社会的責任/知識の内的価値/哲学的価値/少年期の豊かさ等に貢献すべきものだ、と書いてあります。
 更に、「すべてのアメリカ人のための科学」の中身は、生物学・健康科学パネル報告書/数学パネル報告書/物理学・情報科学・工学パネル報告書/社会科学・行動科学パネル報告書/技術パネル報告書で構成されていることが紹介されていて、その目次も紹介されています。

 これは、「すべてのアメリカ人のための科学的なリテラシー」向上に関する提言が目配りすべき範囲を意識化し自覚化しているものとして、同じく、一般法則論の形で、「宇宙大で通用する地球人の為の哲学的なリテラシー」(この中に、哲学はもとより、科学・技術と宗教とヒトとしての日々の生き方の原理等を含みます)の向上を意図している一般法則論者としては、とても参考になります。

 ただ、「すべてのアメリカ人のための科学」には、「自然科学とは、ヒトが作ったのでは無い、私たち全てがこの世界に生まれる前に、既に万人に等しく客観的に絶対的に普遍的に不変的に実在する天然自然の世界の成り立ちと仕組みを、(天然自然の存在の創造主である神+)自然法則+エネルギー一体不可分の働きで説明尽くそうとする学問である」式の科学の定義が無いようです、自然科学についてどう定義しているか、興味津々で接したのですが・・・。

 一般法則論の哲学的な強みと言えば、「絶対的な無意識の存在(創造主である神)の意識化」を原理としているいわゆる「悟りの体験」の仕組みを明らかにし、創造主である神の存在証明をヒトがするのではなくて創造主である神自らにさせ=自然科学的にし、この世界の成り立ちと仕組みは天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られている、と言い切っているところでしょう。

 なお、一般法則論で言う天然自然の存在の「創造主である神」を因数分解すると、次のようになっています。
 創造主である神=〔創造主である神、自然法則、エネルギー〕

 そして、一般法則論は、ヒトの存在理由/存在目的と人類史的な使命を明らかにし、天然自然の存在の創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みから、これを前提にしたヒトとしての生き方の原理とその実際まで首尾一貫した論理で説明しているところに一番の利点がある、と思っています(今の段階は一般法則論の自己宣伝に努めなくてはならない所、と自覚しています)。即ち----

 この世界を造っている原理(ヒトとヒトが住むこの世界の成り立ちと仕組みの存在理由と存在目的を明らかにする、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き)=ヒトの心の中身とその働きの原理=この世界を認識し理解する原理=この世界の中でヒトがヒトとして生きる原理・生きる拠り所になる原理=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きを丸ごと活用する、潜在意識の法則(引き寄せの法則)の活用法を身に付けること。

 正直なところ、「すべてのアメリカ人のための科学」も日本版のそれも、一般法則論の「宇宙大で通用する地球人の為の哲学的なリテラシー」でカバーできる、と思い、「やれやれ・・・」というと気持ちです。
 1963年の秋、23才の時に悟りの体験をして以来、その中身をどう説明したら良いのか、「天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き」=無意識の力の導きのみを頼りにして試行錯誤をして来て、途中何度か「これで良いのか?!」という迷いとも戦いながら、やっとその目処が出来た、という所まで来ましたから・・・。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 投稿したその直後から、誤記等に気が付くことが、未だ続いています。


歴史的判断の理論負荷性について

2008-03-15 02:24:50 | 一般法則論 適用編
○歴史判断の理論負荷性について
 ある歴史的事実、例えば大東亞戦争(学術用語では太平洋戦争)について判断し評価を下すには、如何なる原理・原則や理論を判断基準にするのかについて、万人の間で、少なくとも学者仲間で一致がある必要があります。
 これが無くては、それぞれに勝手な意見や主張を述べて、話しはお終いです。

 では、何が、実際に、歴史的事実の判断基準になりうるのか?
 この候補は、ヒトが勝手にでっち上げたようなものではダメ、と分かります。

 創造主である神の存在証明でも、人が勝手にでっち上げた神の存在を、誰か人の思いついた理屈で証明する形は万人の納得を得られないことを、一般法則論では問題にしました。
 自然科学に於ける事実の判断でも、理論負荷性は、常に問題になります。
 例えば、次の本の中に紹介されている、アインシュタインとハイゼルベルクの対話。
 後藤 学/早坂秀雄/千代島 雅/窪田登司 ハワード・C・ヘイドン/(他)(1996年) 科学はアインシュタインに騙されていたのか 東京 徳間書店の24頁(注記1)。

 アインシュタイン 「理論があってはじめて、何が観測できるかということが決まります。」W・K・ハイゼルベクル『部分と全体-私の生涯の偉大な出会いと対話-」 山崎和夫訳 みすず書房 103~104頁からの引用文中。
 村上陽一郎(1979年) 新しい科学論 「事実」は理論をたおせるか 講談社 ブルーバックスB-373
 この本は、全体を通して、科学的事実が科学理論に依存して決まる話をしています。

 そこで、この種の話を聞いて、現在の科学の理論は将来更に新しい発見があれば否定されるのだから、結局何時までも仮説の儘であり、科学的な真理は無いのだ、と言う人達もいます。

 しかし、科学の理論も、歴史の当否を判断する理論も、一般法則論的には共に、ヒトがこの世界に誕生する前から存在し働いていて、ヒトの存在を含めたこの世界の成り立ちと仕組みの全てを造った、万人にとって宇宙大で唯一絶対普遍かつ客観的な存在でかつ天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きにある、と理解します。
 そこで、これを、科学にも歴史にも人の生き方にも倫理道徳にも・・・全てに共通する絶対的な判断基準として認めて受け入れることを、一般法則論では提案しています。

○注記1 アインシュタインの相対性理論が、アインシュタイン自身による説明抜きで大前提にしている、「光速度一定不変の原理」が、この世界の成り立ちと仕組みの中で果たしている役割・機能について未だご存知では無い人達が、アインシュタインの相対性理論に色々と文句を言っています。
 確かにアインシュタインさんは、例えば重力が発生する仕組みを含めて、色々と説明不足なのです。
 この本で指摘されている相対性理論の問題点も「理論に依存して科学的な事実が決まる」話の一部です。
 そして、ここでも、一般法則論が問題を解決します。これは、別の文。

 以上、一先ず話を締めます。

人間の歴史=人類史の考え方について

2008-03-14 22:04:34 | 一般法則論 適用編
 この文では、人間の歴史=人類史の考え方について、簡単に説明します。

○一般法則論的な歴史観=人類史観
 一般法則論では、歴史=人類史は、天然自然の存在の創造主である神の化身かつ分身の存在として造られているヒトが、この地上世界に、各人の人生と文化・文明の形で具体化する方法で「神の国」を実際に形あるものにする過程だ、と理解しています。

 ただ、人類は未だ自らが、天然自然の存在の創造主である神の化身かつ分身の存在として造られているヒトの存在であることの自覚が無い儘に、創造主である神が人の心に組み込んでいる、神の化身かつ分身の存在として神の国を建設するという内心の無意識の衝動に突き動かされながら、無我夢中で正しい生き方を試行錯誤をしている状態だ、と言うのが良いでしょう。

 そこで、人類は、まっすぐに神の国の実現に向けて歩んでいるのではありません。
 それでも、「意味のある偶然の一致」式に、例えば、日本が起こした大東亞戦争を切っ掛けにして、一気に欧米列強が持つ植民地(これは正当な人類史の観点では間違っているわけですが、現実にはそれなりに役立った訳です。例えばインドにおける民主主義)が崩壊することが、人類史に起こる訳です。
 言い換えると、地球上の歴史的な事実では、反日日本人や反日外国人がどう言おうと、このような形でしか植民地解放は実現しなかった、ということです。
 これが人類史の実際/現実です。
 それでも、結果的には、日本民族という人類史に不思議な役割を担う人々が自然に作った日本国の行為で、植民地解放が行われて、神の国を地上に実現する為の確実な一歩が記録された訳です。
 西洋以外で、西洋の助けを借りながらも、独力で近代化に成功したのは、日本(民族)だけというのも、人類史の現実です。そして、これが、他の非西洋以外の所でも近代化を実現する切っ掛けやそのモデルになりつつある訳です。一般法則論はこれを哲学面から支援するものになる筈です。これが必要なようです。

○ヒトが生きる存在理由と存在目的を明らかにしないで歴史を論じることはできない
 自然科学の一部である生物学の常識では、ヒトは、地球上に進化の過程で偶然に生まれた存在であり、人には特に存在理由も存在目的も無い! と断言しています。
 本当にこうならば、人は、虚無的になるのが必然でしょう。
 また、ヒトの存在理由に関する生物学の常識が本当ならば、何かの希望を持って生きることは、科学的に何の根拠が無い間違ったことになる筈です。
 政府が、例えば学校教育の達成目標を作るなどは、生物学者はそんな非科学的な事に国民の税金を無駄遣いするな! と言ってこぞって反対しなければならないことになる筈です。しかし、生物学者がこういう行動に出たという話は未だ聞いたことがありません。

 しかし、この点に関して、一般法則論では違います。
 一般法則論では、全てのヒトが一人の例外も無く、天然自然の存在の創造主である神の化身かつ分身の存在として造られている、と断言します。
 そして、ヒトそれぞれに様々に産まれて生きて遊んで楽しむことが、その存在理由であり、存在目的だ、と断言します。これが出来るヒトになる躾と教育が、もちろん必要不可欠です。

 更に、天然自然の存在の創造主である神の化身かつ分身の存在として、ヒト/人類は、否応なしに地上に神の国を形あるものにする歴史的な使命を担っている、と一般法則論では断言します。
 即ち、一般法則論では、一人ひとりのヒトにも、人類という全体のレベルでも、ヒトには存在理由と存在目的があり、神の国を地上に実現するという歴史的な使命があることになります。
神の国を地上に実現することは、ヒトそれぞれに様々に産まれて生きて遊んで楽しむことが最大限に可能な世界を造ることでもあるからです。
 そして、これを人類の歴史の歩みを認識し理解し判断する為の普遍的かつ絶対基準にして初めて、実際に発生した人類史的な事件の是非/善悪を評価し判断することができるようになります。

 しかし、このようなものを持たずに、特定の人類史的な事件を裁くことをしたがる人達がいます。その実際は、主観的で恣意的で、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みには全く根拠を持たない特定の思想や主義・主張を絶対化して、これを根拠に一方的な断罪になります。
 具体的には例えば次の本。

 高橋哲哉(2001) 歴史/修正主義 思考のフロンティア 岩波書店

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。



○「エネルギーは創造主である神の心身」云々に関する誤解を解く

2008-03-14 21:51:39 | 一般法則論
○「エネルギーは創造主である神の心身」云々に関する誤解を解く
 一般法則論の説明の中で-----
 なぜ、(天然自然の存在の)「創造主である神の心身」が、自然科学で言う「エネルギー」に、また、創造主である神の「天地創造の原理」が「自然法則」にそれぞれ該当するのか?
 このことについて、簡単に説明をしておきます。

○この世界は私たち全てに先立って存在していた
 私たちが住む太陽系を含むこの宇宙の存在は、私たち全てがこの世界に生まれる前に、天然自然の存在の創造主である神によって、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって、全て造られたものです。
 私たちがこの世界に生まれると同時に、否応なしに、既に造られて存在しているこの世界の中に自動的かつ必然的に組み込まれる形で、この世界の成り立ちと仕組みが与えられます。
 自分が生まれる前に既にあった文化・文明や人類の歴史についても、全ての人が、同じくその中に自動的かつ必然的に組み込まれる形で生まれてくることでも話は同じです。

 また、私たちヒトという存在も、自らがヒトであるという自覚を持つ前に、既に、創造主である神によって造られた存在です。
 以上のことは、宇宙大で客観的に絶対的に普遍的に認めることができる事実であり、真理です。
 この事実/真理を、一般法則論者と自然科学者はもちろん、全ての人が最初から一つに共有しています。
 この結果、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中で、一般法則論で言う創造主である神の心身と創造主である神の天地創造は、自然科学にとっても、一つ同じものになります。

○自然科学の目で見直す
 この世界は、創造主である神が、自らの心身を、天地創造の原理に則って、自己展開する形で造った(この過程を自然史とすると、人類が天地創造の原理に則って作りつつ有るのが人類史。これについては余談として別の文)。
 この事実を、自然法則+エネルギー一体不可分の働きでこの世界の成り立ちと仕組みを説明する自然科学の目で見直して見ましょう。
 そうすると、「創造主である神の心身」とは、自然科学で言う「エネルギー」のことだ、と分かります。
 同様に、「創造主である神の天地創造の原理」は、自然科学的には「自然法則」のことだ、と分かります。

○名付けの順序
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中では、「創造主である神の心身」が、エネルギーという言葉よりも先に存在していました。
 同じく、「創造主である神の天地創造の原理」が、自然法則という言葉に先立って存在していました。
 また、創造主である神の心身も、創造主である神の天地創造の原理も、共に、万人にとって、万人に先立って、客観的に絶対的に普遍的に実在しています。
 即ち、一般法則論者にとっても、自然科学者にとっても、創造主である神の心身と創造主である神の天地創造の原理は、共に、先に実在していることになります。
 そこで、「創造主である神の心身」を「エネルギー」と名付け、「天地創造の原理」を「自然法則」と名付けて呼んでも良いことになります。
 この理を理解していないと、なぜ(例えば)エネルギーが創造主である神の心身を指す/意味するのか? という話しの順序/名付けの順序が転倒した疑問をもって間違って悩むことになります。

○ブタの名前の付け方 -般意味論的な常識
 念を押すとブタを豚と名付けて呼ぶ必然性は何も無いように(現に生物学的には一つ同じブタについて異なる言語ごとに異なる名前を付けて呼んでいます)、創造主である神の心身や創造主である神の天地創造の原理を、エネルギーや自然法則と名付けて呼ぶ必然性は無い、ということです。→一般意味論的常識。正しい名前が在るという迷信。
 つまり、創造主である神の心身のことを、「エネルギー」以外の名前を付けて呼んでも良い訳です。
 しかし、この世界の成り立ちと仕組みを造っている、唯一絶対普遍かつ客観的に実在する基本的な要素である「創造主である神の心身」をヒトそれぞれに勝手な名前を付けて呼ぶのでは、他者に話しが通じなくなります。
 そこで、「創造主である神の心身」と「創造主である神の天地創造の原理」を指して言う呼び名を、今では地球人全体で唯一殆ど無条件・無留保で共有し得る「世界観」/「自然観」を提供している自然科学の分野で、それぞれ、「エネルギー」と「自然法則」と言っている言語習慣を尊重して、この呼び名を地球大で万人が一つに共有する用語にしようと、一般法則論では意図している訳です。
 なお、エネルギーという言葉はとにかく、自然法則という言葉は、物理・化学の辞典にも独立の項目として載ってはいませんので、未だ学術用語ではないようです。

○一般法則論の説明に当たって勝手に新語を作らないようにしている
 一般法則論で、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きでこの世界の成り立ちと仕組みを造っている神仏の存在について、「何か偉大な存在」とか「それ」とか「何とかの神」とか「何とかの大明神」とか、勝手に独自の名前を付けて呼ばないのも、一般法則論でのエネルギーと自然法則に関する名付けの原則が同じく当て嵌まります。

 また、無我・無心・無私・直感、直観など、日本文化・文明の中では日常的に使われていて、私たちには辞書で一々確かめなくても直感的に分かる言葉=日常言葉についても、一般法則論的な新語を使わずにその儘使っています。
 但し、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中で、これらの日常言葉が指し示す「現地その物」は何かを説明することは、出来る限りしているつもりです。例えば、創造主である神について、その存在証明をして・・・。

○無我・無心・無私でこの世界の成り立ちと仕組みに直接向かい合う状態
 無我・無心・無私でこの世界の成り立ちと仕組みの丸ごと全体に直接向かい合う状態に入ったときにこれをこう説明する用語を知らない欧米の人達は、それを「ゾーンに入る」(メンタル・トレーニングや神経言語プログラミング=NLPなどの分野)(注記1)/「完璧な自信と集中力を漲らせ、神がかり的、奇蹟的な好プレーを連続させる理想的な心理状態=メンタル・タフネス」(注記2)などと表現しますね。

 しかし、「この世界を造っている原理(天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き)=ヒトの心の中身とその働きの原理=この世界を認識し理解する原理=この世界の中でヒトがヒトとして生きる原理・生きる拠り所になる原理=潜在意識の法則(引き寄せの法則)の活用法」という一連の原理的関係を前提で考えると---
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みそのもの丸ごと全体に、無条件・無留保で、無我、無心、無私になって素直に謙虚に向き合う瞬間は、この世界を造っている原理と(途中の原理を括弧に入れて)潜在意識の法則の活用とが直結した状態になっている、と言うことができます。
 この意味で、ゾーンに入るとか言うよりも、これを端的に「この世界の成り立ちと仕組みそのもの丸ごと全体に、無条件・無留保で、無我、無心、無私になって素直に謙虚に向き合う瞬間」というのが、良いのではないか・・・、と思います。

○注記1 ゾーンとNLPに関しては株式投資家の心理面での強化の必要性を説く本
 株式(証券)投資に成功するために必要不可欠な心理面での条件/心の構えがあり、これを知ってその強化の方法を説く本が現れました。
 マーク・ダグラス(?) 世良敬明訳(2007) ゾーン 相場心理学入門 東京 パンローリング
 エイドリアン・ラリス・ダグラス(2001年) 井上 実訳(2008年) NLPトレーディング 東京 パンローリング

○注記2 メンタル・タフネスについて
 ジム・レーヤー(1987年) 小林信也訳(1987年) メンタル・タフネス 東京 TBSブリタニカ

○一般法則論的な意味の天然自然の存在の創造主である神を色々に名付けて呼ぶ
 宗教学では、仏教でいう仏とキリスト教などで言う神や神道でいうカミ等を区別します。
 しかし、一般法則論では、現地=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きに於ける創造主である神そのもの=神の実物/実体を、地図化している人たち=実物の神を認識した人たちがそれぞれ異なる名前、即ち、仏、神、カミ等と名付けて呼んでいる、と理解しています。
 一つ同じ実体について沢山の名前/呼び名があるのは、ブタの名前が言語毎に異なるのと本質的に同じです。

○仏の慈悲と神の愛の違いを論じる人もいますが・・・
 仏の「慈悲」とキリスト教で言う「神の愛」とはどう異なるか? と大真面目に論じている論文もあるようです。
 この話の大本は、一般法則論で言う「天然自然の存在の創造主である神の愛」そのもの=現地について、仏教とキリスト教それぞれの立場で異なる「地図」を作った、ということでしょう。
 仏の慈悲と神の愛の大本になる、一般法則論で言う「創造主である神の愛」そのもの=「現地そのもの」を明確に説明しないで、或いは、現地その物を直接体験する方法を説明しないで、「創造主である神の愛」という実体はただ一つの同じ物に関する異なる地図の違いを、あたかも「創造主である神の愛」そのものに地図と同じ違いがあるみたいに論じているようなものだ、と私は理解しています。

○一般法則論的な意味の天然自然の存在の創造主である神を「神仏」と言うとき
 神とカミと仏を区別しない日本文化・文明独自の考え方がある、と思います。
 「世界は江戸化する」等の著書でお馴染みの、「日本文化・文明は現在の世界が抱えている諸問題をとっくの昔に解決済み」と言われる日下公人氏は、日本独自の神道の他に、外国から入って来た諸宗教、即ち仏教、儒教、道教、景教、回教その他を全部一つに足して、その良いとこ取りをして、新しく「日本教」/「日の丸教」を作って、世界に先駆けて全宗教の統一と総合化を果たして、宗教信仰の対立を無くしていると言います。
 それも、このことを、もうとっくの昔にやり遂げた、という訳です。
 この日本的な宗教環境の下で、全宗教の神を一つにまとめて、「神仏」と呼ぶのが、日本文化・文明の用語法、ということです。こう私は理解しています。

 日本以外の文化・文明では未だに、諸思想・諸哲学や全宗教の統一と総合化ができないでいます。
 これが未だ分からない人達が日本にもいて、日本国内でも自分達が信仰する宗教宗派を唯一絶対のものにしようと、覇権争いをしています・・・。
 唯物論に基づくマルクス主義や社会主義等は、ヒトが抱える諸問題の根本的な解決には実際に無力で、人々の間に対立と争いをもたらして、その良き人格/人間性を破壊して、社会の中に憎しみと暴力を常態化させるだけなのに、未だにこの思想が唯一絶対普遍かつ至高のものだと言い張る人達が、政治の世界だけでなく、教育やマスコミの世界を支配しています。この悪魔の思想は、一般法則論の常識化で自然消滅を待つしかありません。
 御本人達は仮令認めなくても、それでもこの世界の成り立ちと仕組みは、一個人がでっち上げたマルクス主義等で出来ているのではなくて、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来ているし、彼らも、天然自然の存在の創造主である神の化身かつ分身の存在として造られているヒトとして生きるのが一番相応しく、これが、党中央や政治や有名な進歩的な文化人などに頼らなくても自らの主体的な自由な判断と決断で自然に楽しく生きて幸せになれる一番の方法だと自然に知る時が来るのは、一般法則論的には明らかだからです。

○纏め
 一般法則論で言う、天然自然の存在の創造主である神の心身と創造主である神の天地創造の原理を、自然科学ではそれぞれエネルギーと自然法則と呼ぶのは、別に一般法則論者の私一人の独断でも勝手でもない、という話を、余談を交えてしました。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。


井上順孝・國學院大学教授等による大学生の宗教意識調査に関する新聞記事

2008-03-05 01:35:44 | 一般法則論
○井上順孝・國學院大学教授等による大学生の宗教意識調査に関する新聞記事
 読売新聞2008年3月4日の夕刊に、井上順孝・國學院大学教授を中心にする研究グループが、日本と韓国の大学生を対象に、宗教意識に関する調査を行って明からなったことを紹介する記事があります。
 なお、報告書は実費で配付中。問い合わせ先は国学院大03・5466・0205

 この調査によると、日本の大学生では全体の87%が、「命の大切さを教える授業を充実させた方がいい」と答えているそうです。
 また、「高校までに日本や世界の宗教文化について基礎的な知識を学ぶべきだ」と答えた大学生は80%にもなるそうです。

○この記事を読んで思うこと
 この報告書に関する記事を読んで、高校までに日本と世界の宗教文化に学んでおくべきだ、という回答が80%にも達しているのは意外でした。
 この背景には何があるのか?
 宗教文化は人間/自分にとって如何なる意味を持つものだ、と考えているのかによって、宗教文化は彼ら大学生にとって肯定的な意味にも否定的な意味にもなり得ます。

○一般法則論の宗教観
 宗教(宗教文化)とは何か?
 一般法則論的な答え。
 宗教は、いわゆる神仏の存在を認め、神仏が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中で、(現世のことだけではなくて来世を含めて)人としてあるべき良い/善い生き方の原理とこの原理に基づいた人としての実際の生き方を説くもの、です。

 問題は、以下の点で多くの宗教宗派の説明が曖昧であることです。
①その神仏とは如何なる存在であるのか、
②神仏が造ったこの世界の成り立ちと仕組みはどうなっているのか、
③神仏の存在と人(個人と人類の両方)との関係はどうなっているのか、
④・・・

 加えて、その宗教宗派の信者の信仰を組織化して強化し支え継続させるための教団が、信仰これ自体や信者の教化や保護等をそっちのけにして、教団の組織の運営に係わる人達の野心や私利私欲を満たす為の存在にいつの間にかなってしまう例を、普遍的に観察することができます。
 つまり、宗教文化は、人の良い/善い生き方の原理を元にした人の実際の生き方を純粋に説くものではなく、教団の組織の運営に係わる人達の野心や私利私欲を満たす為に、信者に他の宗教宗派との争いの方を要求するような、著しく歪んだものになっています。

 昔から手を変え品を変えて繰り返されてきたのは、悟りが得られるという宗教を騙って、自分を教祖にして、自らの性的な欲望を満たすために、もっともらしい教えを説いて、信者を毒牙にかける式のもの。
 最近では韓国発の「摂理」。
 1970年代の「和尚」ことバグワン・ラジネーシによる老子や荘子の教え(を自らの悟りの体験による裏付けもなしに丸暗記したものと私は理解していました)を説きながらフリー・セックスが目的の集団。
 古くは、立川流真言など。

 ついでに言えば、悟りの体験は、性行為の中では原理的に得られません。
 悟りの体験は、絶対的無意識の存在の創造主である神を意識化して確かめることを原理としている体験だからです。

 これでは、純粋に宗教文化を求める若者達の要求に真正面から応えることができません。
 あなたなら、善い/良い宗教文化を求めているに違いない若者達のために、何が出来、何をしますか?

○宗教的・スピリチュアルな生き方に関する一般法則論の常識的な答え
 宗教的・スピリチュアルな生き方に関する一般法則論の「常識的な答え」と言いました。
 ここで言う「常識的な答え」とは、この世界にヒトとして生まれた人の全てが、無意識的に生得的に本能的に、一般法則論で説明しているようことを既に知っている、という程の意味です。
 実際、一般法則論とはまったく関係なく、一般法則論で説明しているのと同じことを説く方々のブログがあります。
 引き寄せの法則を説く本も、この例になります。
 マイケル・J・ロオジェ(2003・2006) 石井裕之監修(2007) 引き寄せの法則 東京 講談社 黄色の表紙の本。あなたは既に読みましたか?

 一般法則論では、全ての人がこの世界に誕生する前からそれ自体で独自に存在し、私たち全ての創造主になった天然自然の存在の創造主である神の存在証明をして、この世界の成り立ちと仕組みは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られている、と説明します。
 そして、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きということを敷衍して、次のような原理があることを指摘します。

 この世界を造っている原理(天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き)=ヒトの心の中身とその働きの原理=この世界を認識し理解する原理(→言語能力と表裏一体。一般意味論で言う「現地と地図との関係の比喩」の自覚的かつ意図的な採用)=この世界の中で生きる原理・生きる拠り所になる原理=潜在意識の法則(引き寄せの法則)の活用法。

 話は、ここまで徹底しないと、日常生活の中で、一生涯を通して本当に実用になる本物の宗教文化を説明したことにはならないでしょう。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。


追記
 tanpopoさま
 ご理解とご支援に感謝します。
 世界がこれ本来通りの良い方向に向くように、微力ながら尽力をしたい。