いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

悟りの体験=ヒトが生物進化の最終到達点であると分かる体験  附 呪いを解く原理

2010-04-30 13:58:25 | 一般法則論の世界観の図解説明
 悟りの体験=ヒトが生物進化の最終到達点であるΩ神の化身かつ分身の存在のヒトであることを発見する体験

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでく
ださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対



○この文の目的
 この文は、ヒトが地球上の生物進化において究極の存在であることが何によって分かるのかを、再確認します。
 この答えは、いわゆる悟りの体験するヒトが地球上に現れた、という一点で知ることができる、ということになります。
 このことを、悟りの体験とは何かも含めて、以下の文で説明します。
 参照 2010年 1月27日 自然史と人類史の究極の到達点/ゴール(この世界の成り立ちと仕組みの)

○Ω神の天地創造の目的とこの実際
 世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの一番最初に、この世界の唯一・絶対・普遍の存在の創造主であるΩ神が実在しています。
 以下の文では、Ω神の天地創造の目的を説明します。

○Ω神の天地創造の目的 自分の化身かつ分身の存在のヒト(宇宙大では宇宙人一般)を造る
 世界Ⅰに実在する、天然自然の存在の創造主であるΩ神は、当初から、自らの生き方を主体的に自由に選んで決めてその通りに生きることが出来る生得的な能力を持つ、自らの化身かつ分身の存在のヒト(宇宙大では宇宙人一般)を無限に創造して、その一人ひとりになって生まれて、様々に生き、様々な生き方を試し展開し、これを遊び楽しむ目的でいます。

○天地創造の順序 先ずはヒトの住む入れ物となる天然自然の世界を造る
 自分の化身かつ分身のヒト(宇宙大では宇宙人一般)を造る。
 この為に、最初に、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が生まれ住むための入れ物になる天然自然の世界を、Ω神による世界Ⅱ~世界Ⅲの天地創造の原理に則って創造しました。→世界Ⅳ

○天然自然の世界の中にこれと一体不可分の存在としてヒト(宇宙大では宇宙人一般)を組み込む
 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、天然自然の世界の中にその一体不可分な一部として組み込む形で、生物としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)を創造しました。→世界Ⅴ
 これは、物資の誕生とこの進化→生物の誕生とこの進化→心の誕生とこの進化という過程を踏みました。→世界Ⅳ~世界Ⅴ

○神の国とこの住人のヒト(宇宙大では宇宙人一般)
 世界Ⅳ(天然自然の世界)+世界Ⅴ(ヒト)は、Ω神の心が直接造り出した世界です。
 この世界のことを、Ω神という神が造った「神の国」と言います。こう名付けます。
 即ち、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、最初から「神の国」の中に生まれた、神の国の住人であり、神の国の中に(Ω)神の化身かつ分身の存在としてのヒトとして生まれていることに自動的かつ必然的になります。

○全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心と身体と活動の原理
 Ω神によって自らの化身かつ分身の存在として造られた全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心は、Ω神の心そのものです。
 全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)の身体は、Ω神を造っているのと一つ同じものです。これは、自然科学ではエネルギーと名付けられています。エネルギーは、常に、自然法則と一体不可分で存在し働きます。
 全てのヒトの活動の原理は、Ω神のそれと同じ神の天地創造の理法です。これは、エネルギーと常に一体不可分で働く自然法則のことです。

○全てのヒトの心は絶対的に自他共に肯定の構え
 全てのヒトの心は、唯一・絶対・普遍の存在のΩ神の心そのものですから、一つ同じΩ神の心の中にある全てのヒトの心は、自他共に絶対肯定、自他共に絶対にWIN&WIN、自他共に絶対にHappy&Happyの状態しかありません。

○Ω神の心の中身は創造主である神という属性によって自動的かつ必然的に決まる
 Ω神の心の中には、Ω神がヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトの住むこの世界の成り立ちと仕組みの創造主である神であるが故に、敵意や悪意や不和や対立や摩擦や憎しみや嫉妬や誤解や行き違いや差別や不一致や拒否したり拒否されたりする心の働きを持ち得ないように出来ています。
 Ω神の心を自らの心にしている全てのヒトも、これらの間違った心の状態を恒久的に持つことは、原理的にできません。

○もしΩ神が自他共に絶対肯定の構えから外れたらどうなるか
 もし、先のような間違った心を一瞬間でもΩ神が持ったら、自他共に絶対肯定から外れて、創造主である神であるが故に、自らの存在か、自らが造った、自らの化身かつ分身の存在のヒトとヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みが消えてなくなってしまうことになります。

○Ω神は自他共に絶対肯定の構えから外れたことは一度も無い
 137億年前のビックバンに始まった宇宙の誕生以来、この世界は一度も途絶えることなく、現在まで続いている事実によって、Ω神は、自他共に絶対肯定、自他共に絶対にWIN&WIN、自他共に絶対にHappy&Happy以外の態度をとったことは一度もない、ということができます。
 即ち、世界Ⅰ存在=この世界の成り立ちと仕組みを造った第一原因者のΩ神の心は、世界Ⅱ以下から絶対的に超越して存在し、絶対心/絶対精神そのもの、絶対愛そのもの、絶対善そのもの、絶対美そのもの、永遠に神聖不可侵の清浄無垢の存在そのもの、絶対的健康さそのもの、絶対的正常性そのもの、絶対秩序そのもの、一つに和合し一つに解け合う関係そのもの、永久不変の絶対的完全完璧さそのもの・・・です。

○ヒト(宇宙大では宇宙人一の心の属性はΩ神の心の属性と一つ同じ
 Ω神の心を自らの心にしているΩ神の化身かつ分身の存在のヒトの本来の心の状態も、Ω神の心と一つ同じものです。
 即ち、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、Ω神の心以外の別の心を持つことは原理的にできません。
 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心は、Ω神の心そのものの分身だからです。

○いかなる魔法も暗示も呪いも密かな下心も憎しみ等も間違った思考もリセットできる 呪いを解く原理
 世界Ⅵ存在のヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心の本質は、Ω神の心そのものです。
 しかも、Ω神の存在とその心のあり方は、世界Ⅱ以下から、もちろん、世界Ⅵ存在の人の心のあり方から絶対的に超越して存在しています。
 したがって、Ω神の心の中に元々無いヒトの心のあり方は、いつでもΩ神の心によってリセットできます。 
 そこで、現象的には例えば誤解や無知により対立し不和の間柄にある者同士でも、世界Ⅰ存在のΩ神の心の所に戻れば、たちまちに一つに和合し解け合う関係になります。
 別の例では、誰かに掛けた呪いや暗示や魔法は、これを掛けた本人にしか解けないのではなくて、世界Ⅵ存在の、呪いや暗示や魔法を掛けた本人/個々のヒトの心から離れて、世界Ⅰ存在のΩ神の心に立つ事が出来るヒト(例えばイエス)がいれば、いとも簡単にその暗示や魔法を解くことができるという理屈になります。
 反Ω神=悪魔の心の状態の呪いや暗示や魔法は、これを掛けた本人にしか解けない/無効に出来ないという、例えばハリー・ポッターの著者や「つばさ・クロニクル」とか言うアニメの脚本家は、Ω神の心に反する如何なる呪い、暗示、魔法等が、Ω神が造った全体でただ一つのこの世界の中では絶対に存続しえない理を知らないのです。
 これは、間違って、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトにはあり得ない病気を間違って作り出したヒトの間違った心の状態を、Ω神の完全完璧に健康で健全な心でリセットして、Ω神の心がもたらす自然治癒力/自然回復力で治す場合に、頻繁に使われることになります。
 もし、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みがこうなっていなかったら、誰も潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法を使って、病気の治療はできません。
 意識の在る心+無意識の心からなる全てのヒトの心の起源とその働きは、常に必ず、世界Ⅰ存在のΩ神の心の所にのみあります。
 こうだと分かる必要があります。そして、こうだと分かれば、自然にΩ神の所に根拠を持つ絶対的な仲良し/絶対的な健康体になれます。

○Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みをヒトが知っているかどうかは問題ではない 宇宙大の絶対真理
 以上、簡単に説明したことをまとめると・・・
 この事実は、あなたや私が実際に知っているかどうか、また、認めるかどうかは一切関係がありません。
 別の例では、例えば万有引力という自然法則。
 この事実は、これ自体で、宇宙大で絶対的、普遍的な真理です。
 なぜならば、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)に先立って唯一・絶対・普遍的に存在しているΩ神が、こう決めて造ったのですから。

○全てのヒトは本質的に神の国生まれ=天国論---堕落論---地獄論---救済論 
 地球という天体に生まれたヒト/人類は、未だ殆どのヒトが、神の国の中に、神の国の住人として生まれている真理を知りません。→天国論
 それどころか、自らを神の国から追放して、Ω神が神の国の住人に唯一・絶対・普遍的に保障している天国的な生き方を自らできなくして苦しんでいます。→失楽園→堕落論+地獄論/煉獄論
 こうだと知っている人たちは、そこで、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みに正しくかつ適切に則って、ヒト/人類を再び神の国の住人にするために働いています。→救済論

○自分が生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みが分かる存在として生まれることが意味するもの
 世界Ⅴでこの世界の中に誕生したヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、自らの存在の存在目的と存在理由を発見し、この存在目的/存在理由を実際に実現し達成する為のヒトの生き方の原理と、これをハウツー化した潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法を発見し、これを支えている天然自然の世界の成り立ちと仕組みを自覚的に意図的に解明して、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの秩序に調和し和合することを、自覚的に意図的に選ぶ事ができる意識のある心を持って生まれています。
 言い換えると、自覚的に意図的に自らの生き方/職業/仕事/職責を全うする事を通して、地上に神の国の実現を目指して生きようとすることです。

○ヒトの心は天然自然の存在の創造主であるΩ神の心と一つ同じであることが分かったときから人類史が本格的に始まる
 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心の中身は、Ω神がこの世界の成り立ちと仕組みを造っているのと一つ同じ、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ています。
 そこで、ヒトは、一つ同じΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ているこの世界の成り立ちと仕組みを認識し理解することが可能になっています。
 そして、こうだと人類が分かったときに、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト/人類の歴史は本格的に始まることになります。

○Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトとして生きることは難しくはないように造られている
 Ω神は、自らの化身かつ分身の存在のヒトとして生きることが容易にできるようにしてあります。
 例えば、ヒトの身心の構造は、生物のヒトとして生きることができるように造られています。
 このお陰で、ヒト/人類は、自らがΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトであることを知る遥か前から、また、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みについて正確に知ることが出来る前から、今、現在まで生き延びることが出来たのです。 
 しかし、これからは、ヒトとはΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトであり、この世界の成り立ちと仕組みを自然科学的によく解明して、この知識+ヒトの生き方の原理+潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法で生きることを覚えるべきときです。

○ヒトがΩ神の存在を発見し、自らはΩ神の化身かつ分身の存在のヒトだと分かるのならばヒトは生物進化のゴールに到達している証拠
 上につらつら述べてきたように、ヒトがΩ神の存在を発見し、自らはΩ神の化身かつ分身の存在のヒトだと分かるのならば、ヒトは生物進化のゴールに到達している証拠ということができます。

○まとめ
 前とは少し別の角度から、ヒトは生物進化の最後の段階の存在であることを説明しました。
 これによって、ヒトがΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトであることが明らかになりました。

 一つ同じことも、別の角度でみると、それが何かがより一層よく分かったり、より一層分からなくなったりするものです。
 駅に向かうときにいつも歩く道を、道路の反対側に渡って歩き出したら、一瞬、見慣れない景色に何処を歩いてるのか分からなくなったことがありました。
 しかし、こういう体験が役立ちます。

 
 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。 

自然法則+エネルギー一体不可分の働きの全知全能の働き方その2

2010-04-26 14:02:19 | 一般法則論の世界観の図解説明
 自然法則+エネルギー一体不可分の働きの全知全能の働き方その2

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでく
ださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対


○唯心論的天地創造の原理は誰のためにどのように全知全能なのか?
 以上の文で、唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きにまつわる話をしてきました。
 しかし、一番の問題は、唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の存在とこの働きが持つ、全知全能性が実際にはどう働いているのか、ということです。
 このことについて、自覚的に意図的に考察します。

○唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きの実際の姿
 唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の存在と働きは、元々は、Ω神の天地創造の原理です。
 これゆえに、その働きは、全知全能です。
 そして、Ω神の天地創造の目的通りに、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの内の、物質でその基本の構造が造られている天然自然の自然の世界である世界Ⅳ~世界Ⅴを直接造っています。
 天然自然の世界は、ヒトの生活基盤として存在し働いています。
 元々は、Ω神の天地創造の原理である唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の存在とこの働きは、ヒトの生き方の原理の中では、各人の人生と文化・文明を作るために使われて、働いています。
 そして、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、Ω神が自ら直接造った物質でその基本の構造が出来ている天然自然の世界に文化・文明的な手を付け加えることができます。
 これは、今、科学的技術として、一般的に知られるようになりました。
 ただし、これをするには、常に必ず、物質化している天然自然の世界の成り立ちと仕組みを、(天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+)自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られている物として正確に精密に解明する自然科学的な学問とこれに基礎を置いた科学的技術か、天然自然の世界その物に直接触れて、経験則として天然自然の世界の成り立ちと仕組みを解明しないと、できません。
 Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みは、こう出来ているわけです。
 確かに、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、Ω神が自ら直接造った天然自然の物質的な世界に文化・文明的な手を付け加えることができます。
 しかし、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、Ω神が自らの化身かつ分身の存在の原理的仕組みに則って造った、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト・システムに、例えば遺伝子操作を加えて、Ω神が造ったヒト以外の新しいヒトを仮に作り出すことが出来ても、これは、時間が立つと、自然にリセットされてしまうことになります。
 即ち、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの世界の大枠の仕組みは、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)にとって絶対的に所与のものなのです。
 ある時代に、ある所で、ある人たちにとって、その存在が必要不可欠で、最高・最良・最善の物であっても、時代と所とヒトが変わると、それは無用の長物になってしまいます。
 即ち、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が作り出すものは全て、Ω神が直接造った絶対的な存在物と比べると、常に相対的な存在物なのです。
 そこで、過去の要らなくなったものは、必ずリセットし破棄できるように、この世界の成り立ちと仕組みが出来てなくては困ります。
 即ち、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が作る全ての物について、恒常的な自然治癒力/自然回復力/自己修復力/正常性維持機能等を持たせないことに、Ω神は決めています。
 そこで、遺伝子操作で新しく作られたヒトは元のヒトに戻り、耕作を放棄した田畑は、元の原野に自然に戻ってしまうことになります。
 火山噴火で破壊された原野も、火山の活動が収まると、時間がかかりますが、元の原野が復元されます。
 このような意味では、ヒトにとって唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きの全知全能性には制約があることになります。
 なお、人工のロボットやコンピューターに、ヒト/生物が持つのと同じような生命力や繁殖力や心や意志の力を持たせることは絶対に出来ません。
 これを持つことが出来るのは、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)/生物一般のみです。

○ヒトはΩ神が造ったこの世界の基本的な成り立ちと仕組みを停止することは出来ない
 アメリカ映画「スーパーマン」の中で、地球の自転方向を逆転させて、時間も過去に巻き戻す、という場面がありました。
 しかし、先ず時間の矢の名で知られているように、時空連続体のこの世界は、タイムマシンを作って過去に戻ることが原理的に出来ないように出来ています。→詳しい説明は、時間とは何か、この起源を説明する文で行ないます。
 また、地球の自転の方向を逆回転することもできません。
 Ω神が造って与えてくれた、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が住む世界の基本の構造は、絶対に変更したり改造したり出来ないことになっています。
 しかし、もし、スーパーマンがやったようなことを、誰かが、ヒトの生き方の原理に則って実際に試みたら、どういう結果になるでしょうか?
 唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、本質的に、ヒトが実現を願うことは何でも、それを自動的かつ必然的に実現するために全知全能の力を発揮するものだからです。
 しかし、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みに反することをヒトの生き方の原理に則って願ったら、どうなるか? ということです。
 するとこの結果は、これを試みたヒトをして妄想の世界に誘い込むことに、自然に、自動的かつ必然的になります。
 これを、あるいは、夢の中の体験としてみることになるかも知れません。
 これは、しかし、もっと別の形で、日常的に頻繁に起こっています。
 即ち、ヒトの生き方の原理+潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法に則って幾ら祈っても、望む結果がでない、という形になることです。
 俗に言う「無い物ねだり」ということになります。

○筆者の最近の体験と教訓
 今、手元にあるパソコンの中で唯一正常に機能しているパソコンのウイルス対策ソフトの使用期限が一日限りになって、否応無しにこれを買いに出かけたときのことです。
 出掛けるついでに、家族の者に、ある絵本を探してきて、と頼まれました。
 そのソフトを買いに、家電量販店に出かけたのですが、その途中にある大型スーパーの傍の道路を歩いているときに、探している絵本がそのスーパーの中にある本屋さんにあるという気がしました。
 しかし、ウイルスソフトを買うのが先だと考えて、これを買ってから、家電量販店が入っている隣にあるビル内の大型書店に行きました。
 ここには探している絵本がある筈だ、と考えました。
 しかし、その書店に行くと、絵本の売り場が見つかりません。
 そこで、店内を隈なく歩いて、絵本が置いてある棚を探しました。
 こうして何処にも絵本が置いてある棚が無いことが分かったときに、この大型書店には通路を挟んで第二売り場があることを思い出して、そこへ行きました。
 目指す絵本の棚がありました。
 しかし、お目当ての絵本がありません。
 何度も丁寧に棚を調べたのですが、その絵本がありません。
 で、ここで絵本を探すのは諦めて、大型スーパーの中にある本屋に行きました。
 この本屋の何処に絵本売り場があるのかは知りませんでした。
 しかし、店内に入ると、全く迷わずにまっすぐ足が向いた所に、絵本が置いてある棚がありました。
 同時に、探すように頼まれていた絵本が、そこには数冊あることが直ぐに分かりました。

 この話から得られる教訓はーーー。
 私の無意識/潜在意識の心は、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みを造っているΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きそのものであるので、直感的に探している絵本の正しい正確な在り処を私に教えてくれて、そこに正しく正確に私を導いてくれた、ということです
 この世界の成り立ちと仕組みを造っている無意識/潜在意識の心の働きは、この例のように実際に役立つということです。
 これは、一般的にいえば、例えば性と結婚の原理に正しく自覚的に意図的に則って、選びに選んで恋し愛してお互いに子孫を残す相手になる、一目ぼれで恋する相手と出会うことでも働いている、ということです。これに関する詳しいことは、別の文で説明します。
 しかも、この場合でも、自分のことも相手のことも全て知っている全知全能の無意識/潜在意識の心の働きの導きで一目ぼれして出会った相手は、正しい本物の相手だ、ということができます。
 これは、意味のある偶然の一致の例です。
 ただし、これを日常的に体験するには、普段の心がけが正しいことが必要です。

 これだけの大型書店なのだから、当然に探す絵本はあるはずだ、と思い込んだ所には、実際にはその絵本はありませんでした。
 この為に、その本屋の中では存在しない絵本を探して、私は否応無しに迷走行動をすることになりました。
 地球の自転方向を変えようとするような、妄想の世界に知らずの内に迷い込み、無いものねだり、ということをしたわけです。
 これは、意識のある心の意志の力中心で探し物をする/事を成そうとすると、こうなるという典型例です。
 視点を変えると、物事の正常性を維持することです。→ 病気はヒトの身心が本質的に持つ健康さ/正常性/健全性を失った状態です



 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

自然法則+エネルギー一体不可分の働きの全知全能の働き方 その1

2010-04-26 13:57:54 | 一般法則論の世界観の図解説明
 自然法則+エネルギー一体不可分の働きの全知全能の働き方 その1

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでく
ださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対



○この文の目的
 この文では、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中において、唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きが持つ役割と全知全能さの働き方について、簡単に説明します。
 但し、必要最低限のことを言い尽くすだけでも、長くなってしまうのですが・・・。

○唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きはΩ神の天地創造の原理
 Ω神の天地創造の原理は、唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きのことです。
 唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中では、世界Ⅰ存在のΩ神が天地万物の創造を行なう為の、唯一・絶対・普遍かつ不変&不動の手段・方法+原素材、いわば道具+原材料としての役割/機能/使命を持つものとして存在しているものです。
 しかも、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働き、と一般法則論では記述しているように、元々Ω神の一部であり、Ω神と一体不可分の存在です。

○神と子と聖霊の三位一体という場合の聖霊に当るのが自然法則+エネルギー一体不可分の存在とこの働き
 キリスト教で言う、神と子と聖霊の三位一体説の中で、聖霊と呼ばれているのは、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とこの働きのことだということができます。

○唯一・絶対・普遍の天地創造の原理に替る原理は無い
 唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の中で、唯一・絶対・普遍かつ不変&不動の存在です。
 これにとって替ることができる如何なる存在も、この世にもあの世にもありません。
 ヒトの意志の力、腕力、謀略、お金の力、権力、軍隊、原水爆、超能力、暗示の力等の全てを総動員しても、唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きと取り替えることはできません。
 その物凄い威力は、唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きを除いて、ヒトが知る全ての力を総動員しても、全く太刀打ちできません。
 なお、唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きが持つ全知全能性についてはこの文の後の方で説明します。

○唯心論的天地創造の原理はこれ単独で勝手に働くことは絶対に無い → ニュートンによる「慣性の法則」の発見
 唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、これ単独で独自に勝手に働くことはありません。
 この理由は、既に説明したように、Ω神が天地万物を創造するための原理であり、元々Ω神と一体不可分の存在だからです。
 そこで、唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、Ω神の天地創造の目的を実現するためにだけ存在し、働くという属性を、唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、この世界に存在する最初から持っています。
 唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きが持つこの属性を、ニュートンは、「慣性の法則」と名付けました。

○ヒトにとっては自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、各人の人生と文化・文明を創造する為の手段・方法+原材料
 世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みにおいて、世界Ⅴ段階で、これに先立つ世界Ⅳの物質で造られている天然自然の世界の誕生と進化の過程の最後の段階で現れた、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトにとっても、自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、各人の人生と人類の文化・文明を創造するための唯一・絶対・普遍かつ不変かつ不動の手段・方法+原材料です。

○自然法則+エネルギー一体不可分の存在と働きをヒトの身心の中に位置づける
 Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きは、一般法則論では、この全体がそっくりヒトの魂/心/精神+物質的な身心の構造になっている、と理解しています。
 こうなっているので、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みを認識し理解することができるし、この世界の仕組みに則って存在し生きることができるのだ、と理解しています。→悟りの原理とヒトの生き方の原理

 意識のある心=絶対的無意識の存在のΩ神の心そのものが生物の進化、言い換えると、心の機能の進化を経て、意識化されたもの
 無意識の心=無意識/潜在意識の心=(Ω神の心が持つ天地創造の目的+)自然法則+エネルギー一体不可分の存在と働き

○物質化されている世界の中での心とヒトの生得的な本能
 この世界の成り立ちと仕組みは世界Ⅳで物質化していて、私たち世界Ⅴ存在のヒト(宇宙大では宇宙人一般)は世界Ⅳの中に生まれた存在ですからーーー、
 意識のある心は、大脳新皮質の左脳の働きになっています。
 無意識/潜在意識の心の働きは、大脳新皮質の右脳+大脳旧皮質~脳幹の働きになって、生命を維持し、ヒトの生得的な本能行動を司っています。
 しかも、例えば性本能は、男女の身体に物質的な形になり、その働きになっています。
 ヒトを含めた生物一般の「性と結婚の原理(的仕組み)」は物質化した男女の身心を基礎に成り立っています。
 言い換えると、性と結婚は、ヒトが文化・文明社会の中で観念的にでっち上げた物で実在しないとか、人工的に別の物に取り替えたり、昇華したりすることができる、という物ではない!!! ということです。→男を改造して子供を生めるようにして真の男女平等を実現しなければならないという主張の間違い
 これを自覚的な知識として知らないと、人生は簡単に曲がって、自らを袋小路に追い込みます。
 詳しくは、選びに選んで恋し愛する相手との間に子孫を残すことが目的で存在している性と結婚の原理/身心の構造の説明に譲ります。

 なお、殺人を含めた犯罪行為の原理的仕組みがヒトの身心に物質的に構造化/システム化されている証拠は無い、といえます。
 また、親孝行についても、同じようです。2010年4月28日追記

○世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)の中に位置づけ
 世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みにおいて、唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きはーーー、
 第一に、世界Ⅰにおいて、Ω神と一体不可分で存在しています。
 第二に、実際に天然自然の存在の天地万物の創造のために活動を始めた世界Ⅱ存在の創造主であるΩ神と一体不可分で、世界Ⅲで実際の天地万物の創造を行なっています。
 この時以来、これ以降の世界Ⅳ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)の中で、創造主であるΩ神と一体不可分で、唯心論的天地創造の原理=自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、一瞬たりとも途切れること無く、働き続けています。

○自然法則+エネルギー一体不可分の働きが「唯心論」的な天地創造の原理である理由
 世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みにおいて、私たちが生まれ住んでいる、三次元の空間+一次元の時間で成り立つ、アインシュタイン先生が発見した、時空連続体の、物質でその基本の構造/システムが造られているこの世界は、世界Ⅳ、即ち私たちが、ヒトが作ったのではない、自然に造られた天然自然の世界で初めて誕生したものです。
 世界Ⅲ以前は、世界Ⅰも世界Ⅱも、時間も空間も未だ誕生していない、非物質的な世界です。
 私たちが生まれ住んでいるこの世界の成り立ちと仕組みは、世界Ⅰ存在の創造主であるΩ神が持つ天地創造の目的を原因として、原因と結果の間を自動的かつ必然的に繋ぐ因果必然の自然法則である自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって造られた結果の世界です。
 世界Ⅳ~世界Ⅴに当る私たちが生まれ住んでいる物質的な世界は、非物質的な世界Ⅰ~世界Ⅲの原因世界の働きに基づいた、「結果の世界」として誕生したものです。

 世界Ⅳ 物質でその基本の仕組みが出来ている天然自然の世界の誕生と進化。
 世界Ⅴ 天然自然の世界の進化の頂点となる、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト/人類/宇宙大では宇宙人一般の誕生。
 (世界Ⅴ~)世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z) 各人の一生涯と人類の文化・文明の歴史。

 世界Ⅳ以降で物質世界が誕生する前の、物質世界を誕生させた原因の世界になっている、世界Ⅰ~世界Ⅲからなる非物質的な世界は、精神的な世界/心の世界/霊的な世界、と名付けることにします。
 そしてこれがまた、人類が、心の世界、精神(の)世界、霊的/霊性の世界と呼んで来た世界そのものになります。
 そこで、世界Ⅰ~世界Ⅲ世界は、心/精神/霊そのものの世界と言うことになります。
 以上の話をまとめると、心の働きを原因としてこの世界が造られた、ということになります。
 哲学用語でこれを記述すれば、(物質を起源にしてこの世界が誕生したという唯物論ではなくて)心を起源にしてこの世界が誕生したという「唯心論」的な原理でこの世界が誕生したことになります。
 よって、自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、「唯心論」的天地創造の原理ということになります。

○世界Ⅰ存在のΩ神の独自の存在目的/存在理由
 実際に、天地万物の創造を行なったのは、世界Ⅱ~世界Ⅲの天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きです。
 この点に関して、自然科学の理論では、「確率的な偶然の働き」と言って誤魔化しているのは、あなたも既にご存知のとおりです。
 では、世界Ⅰ存在のΩ神は要らないのか、ということになりそうです。
 そこで、世界Ⅰ存在のΩ神の存在目的/存在理由とこれから出てくる機能/役割が何かの確認が必要になります。
 この世のことは、何事も、それ独自の存在目的/存在理由とこれから出てくるそれ独自の機能/役割があって始めて、正常に、正当に、正統に存在し得ます。
 この世界の成り立ちと仕組みの唯一・絶対・普遍かつ不変&不動の天然自然の存在のΩ神でもこの理から自由ではありません。
 この理を造り出したのは、Ω神自身だからです。
 簡単に言えば、世界Ⅰ~世界Ⅲは、その存在理由と存在目的とこれに基づいた機能の違いが、次のように区別できます。

 ① 世界ⅠのΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働き
 ② 世界Ⅱの天地創造を実際に開始したΩ神
  +
   天地創造を実際に開始したΩ神が原因設定し実現を意図するとおりの世界を、現実に造り出す世界Ⅲの唯心論的天地創造の原理/自然法則+エネルギー一体不可分の働き

 ①+②の世界で原因設定された通りに、世界Ⅱ~世界Ⅲの働きで造られたのが、世界Ⅳ~世界Ⅴ~世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)からなる結果の世界です。
 問題は、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの全体を未だ知らないヒトが、自然法則+エネルギー一体不可分の働きを間違って使って、一般法則論で「Z」と名付けている物、仏教用語で「無明の世界」、「地獄の世界」、禅で「魔境の世界」と名付けられているものを間違って作り出すことがあることです。
 具体的には、何かが上手く行かなくて事を完成できない/成功できない、何かの病気になる、不倫の男女関係になる、殺人、窃盗、詐欺などの犯罪行為をするなど。
 これらのことが本来生じないように予防し、間違ってΩ神の天地創造の目的/意図に反して間違ったことをしてしまった場合にはこれを根本的にリセットし、癒し或いはΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトとして本来あるべき状態に自動的かつ必然的に復帰することを可能するために存在しているのが、世界Ⅰ存在のΩ神の役割です。
 このΩ神の役割は、「空」(くう)と仏教では名付けられています。

 世界Ⅰ存在のΩ神は、世界Ⅱ以下の世界から絶対的に普遍的に超越して存在しています。
 宗教用語/神学用語で言うと、世界Ⅰ存在のΩ神は、絶対的超越神。
 世界Ⅱで天地創造を始めたΩ神は、自らの身心(エネルギー)を自然法則+エネルギー一体不可分の働きに則って物質世界の形に自己展開していますが、これは、宗教用語/神学用語では、汎神論と言います。

 神学用語では、唯一絶対的な超越神と汎神論の神とは理論的に絶対的に対立する概念だと考えられています。
 この点を、特にイスラーム教では絶対化して考えているようです。
 しかし、液体の水が、個体の氷や雪になり、水蒸気という気体になるように(これを物理学では「層転移」といいますね)、一つ同じΩ神が、汎神論的な神になって、この世界を実際に造っています。ここに、いささかの不思議も矛盾点もありません。
 →この世界は、エネルギーを素材にして造られていることを明らかにしたアインシュタインの発見は言い換えると、この世界が汎神論的世界だということです。

 世界Ⅰ存在の絶対的超越神は、世界Ⅱ以降から絶対的に超越して存在しているが故に、世界Ⅱ以降のあり方から一切の影響を受けません。
 即ち、例えば地球システムの原理的仕組みで造られているガイアの地球が、ヒトの活動でどんなに破壊されようと、ヒトが住む為の地球を創造した世界Ⅰ存在のΩ神の中では、永遠に完全完璧で不滅の地球のイデアとこれをこの通りに造りだす原理が存在し続けています。
 そして、正に、永遠に完全完璧で不滅の地球のイデアとこれをこの通りに造りだす原理によって、私たちが生まれ住んでいる地球が客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に造られたのですから、これを基準にして、この世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神の所には根拠が全く無い、ヒトの間違った自然観と人間観に基づいて破壊した地球を、元の正常で健康な状態に戻すことが可能になるのです。

○自動車を叩き壊しても修理ができる 
 話が飛びますが、1980年代でしたか、日米自動車摩擦と言うものがありました。
 このときに、アメリカの国会議員が、日本製の自動車を、ハンマーを振るって叩き壊すという行為をテレビカメラの前でしました
 確かに、これによって、その自動車は壊れました。
 しかし、この自動車を作った自動車工場は、これによっていささかも壊されませんでした。→世界Ⅱ~世界Ⅲの具体化したもの
 もし、工場が壊されても、自動車を作ってアメリカに輸出する意図も自動車の設計図も自動車を作る工場の設計図も、自動車の販売組織も、これらを実際に作るための素材と人材もいささかも壊されることはありません。→世界Ⅰ存在のΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトの意識のある心の働きが生得的に持つ能力
 これらは、壊された自動車を絶対的に超越して存在してします。
 壊されたのは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中では、世界Ⅵ存在の自動車のみです。
 世界Ⅵ存在の自動車を作り出したものの本体は、ヒトの心の中にある自動車を作る意図、ヒトの心の中に生まれた自動車と言う存在のアイデア、これを具体化して実際に作る自動車の設計図、自動車を実際に作る工場とこれを管理運営するソフトウエアやノウハウ等は、世界Ⅳ以前の世界の中にありました。
 そこで、壊された自動車は、元の設計図に基づいて、工場で修理したり作り直したりすることが常にできるわけです。
 このことが、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中に始めから存在しているわけです。
 有り難いことですね。

○仏教の三仏身説 →フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』仏教
 大乗仏教では、仏は三種類の身のあり方がある、と理解しています。
 即ち、法身と報身と応身の三身(さんじん)です。
 この概念を一般法則論でのΩ神に当て嵌めてみると、次のようになるでしょう。
 法身=世界Ⅰ存在のΩ神そのもの
 報身=天地創造の活動に入った世界Ⅰ存在のΩ+世界Ⅱ存在の自然法則+エネルギーの三位一体不可分の働き
 応身=Ω神の身心を自己展開する形で造った、Ω神の化身かつ分身の存在のヒト/仏性を持って生まれている私たちと、私たちがが生まれ住んでいる世界

 この文は次に続きます。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

自然史と人類史

2010-01-17 16:28:45 | 一般法則論の世界観の図解説明
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


○自然史と人類史
 「歴史」と私たちが名付けて呼ぶものは 「私たちが生まれ住んでいる世界が歩んだ来た過程」のことだ、と言うことが出来ます。
 この意味の「歴史」は、大きく二つに分けることができます。

 即ち、一つは、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が造ったのでは無い、Ω神によって造られた、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)がこの世界の中に登場する前から存在した、「天然自然の世界の歴史」です。
 これは、「天然自然の世界の歴史」、略して、「自然史」と言うことにします。

 世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)から成るこの世界の成り立ちと仕組みで言えば、自然史は「世界Ⅰ~世界Ⅴ」の部分に当ります。
 正確には、世界Ⅳ~世界Ⅴが自然史の本体で、原因と結果の間を客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に結び付けている因果必然の自然法則でもある唯心論的天地創造の原理に則ってΩ神が働いた「世界Ⅰ~世界Ⅲ」部分が自然史を造った原因の部分と言うことができます。
 (世界Ⅰ~世界Ⅲ~)世界Ⅳ~世界Ⅴ。

 今一つは、「私たち人類が自ら作った人類の歴史」です。
 これは、人類の歴史、略して「人類史」と言うことにします。
 人類史は、人類(宇宙大では宇宙人一般)が、即ち、地球上で言えば、いわゆるビックバンに始まる宇宙史に続く地球史の中での進化の歴史の最後に現われたヒトが、自ら造った歴史の意味です。
 これは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界全体の成り立ちと仕組みでは、(世界Ⅴ~)世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)に当ります。
 そして、世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)が人類史の本体で、世界Ⅴが、原因と結果の間を客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に結び付けている因果必然の自然法則でもある「唯心論的天地創造の原理」に則って人類史を造ったヒト/人類です。

○歴史は自然史と人類史しかない
 上で、「私たちが生まれ住んでいる世界が歩んだ来た過程」は、自然史と人類史の二つからなるという話をしました。
 私たちが言う「歴史」は、大別すれば、結局、「自然史」と「人類史」の二つしか無い、ということです。

○自然史と人類史という用語と区分は一般法則論が決めたものではない
 「私たちが生まれ住んでいる世界が歩んだ来た過程」を「自然史」と「人類史」に分けることと、「自然史」と「人類史」という術語/用語は、もちろん、このブログ、一般法則論独自の、筆者個人が勝手に名付けしたものではありません。
 例えば、次の本の題名にも使われています。
 
 和田純夫 140億年の9つの進化を探る 読んで楽しむ教科書 ベレ出版 2004年3月
 嶺重慎/編著 小久保英一郎/編著 宇宙と生命の起源 ビッグバンから人類誕生まで 岩波ジュニア新書477 岩波書店

 また、「自然史」と「人類史」という用語でインターネット検索すると、一般法則論で言うのと同じ意味の話が見つかります。
 念の為に確認しました。

○自然史と人類史の究極の到達点/ゴールについての考察は別の文でします
 自然史と人類史と言えば、それぞれの行く末、言い換えるとその究極の到達点/ゴールは何か、が問題になります。
 このことについては、別の文にします。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

市井の人たちの世界観を克服する

2009-07-17 04:25:13 | 一般法則論の世界観の図解説明
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境     (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ      (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
空の世界     妄想の世界
Ω神= 〔A→  ∥Z→    (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→ (M  ) ) ) ))∥〕 Ω=神の国
  ∥  創造神 ↑      Ω神の 天然自然 物的  俗・人・子・文歴  記憶
 霊的      M     理法  の世界  Ω人  人・生・孫・化史  ↓
 心的     ^(記憶)                          Z→→→→→Z
存在のΩ人


○この文の意図
 新聞やテレビの報道に毎日接する中で、一般法則論的に一言言いたいことが沢山あります。
 しかし、一般法則論の話の全体を説明することがまだ済んでいないので、そのコメントは中途半端になる、という思いが一方にあって、コメントを先送りすることが少なくありません。
 しかし、例えば、「対豪州戦に負けた現実を乗り越えて」(今年の6月20日)の文の中で、西川美和映画監督の世界観の限界に触れた例のように、そこでしている話の中でコメントできたこともありました。
 ここでは、これをもうちょっと一般的にできないか・・・、と思いました。
 そこで、この文になりました(注記1)。
 まずは、NHKのクローズアップ現代でも取り上げられた、その出版は社会現象にもなったとさへ言われている、村上春樹氏の小説「1Q84」にコメントできるようにしたいと思います。但し、これは別文。

○注記1 同趣旨の文と補足文のこと
 この文と同じ趣旨のものは、次の文。
 2009年7月1日 この世界は世界Ⅰ~世界Ⅶ+Zからなる全体でただ一つの構造物/システム
 この文中では触れませんでしたが、世界Ⅵの世界を因果必然の自然法則が絶対的にかつ普遍的に支配していることに関しては、次の文。
 2009年7月10日 自然法則の因果必然の法則性の起源
 注記1の終わり

○市井の普通の人たちのこれまでの世界観と人間観
 この文の冒頭にも掲げてあるように、一般法則論の世界観の図では---
 私達が生きている世界は、世界Ⅰ~世界Ⅶ+Zで成り立っている、部分・部分に分離・分割することが原理に出来ない、全体でただ一つの世界です。
 しかし、市井の多くの人たちの感覚では、この世界の全体は見えていません。
 市井の人たちの感覚では、実在しているのは、世界Ⅳ(天然自然の物質的世界)~世界Ⅴ(生物としてのヒト→人間とは何かの答え)~世界Ⅵ(人間社会)~世界Ⅶ(ヒトが生きた記憶の世界)+Z(様々な妄想や間違った人間観/自然観/世界観/社会観)の世界です。
 しかも、多くの人たちには、世界Ⅳ~世界Ⅶ+Zの全体さへ丸ごと見えていないことが自覚的な知識になっていません。
 知らないことを知らないのです。これは、無知の極み、と言えます。

○「人間社会(世界Ⅵ)が実在する世界の全て」と思っている人たち
 一般法則論では、世界Ⅵをヒトとヒトが作る各人の人生と文化・文明と人類の歴史の全体と要約しています。
 そして、市井の多くの人たちにとって、自分が生きている世界の全体は、事実上世界Ⅵが殆ど全てであったりします。
 そこで、世の中で発生する全ての問題を、世界Ⅵ(~世界Ⅶ+Z)の中だけで解決しようとし、またこれが出来る! と思い込んでいます。→民主党が主張する政権交代。
 しかし、実際には、世界Ⅰ~世界Ⅶ+Zで出来ているこの世界全体の成り立ちと仕組みを無視しては、特に世界ⅠのΩ神とΩ神の理法の存在と機能を知らなくては問題の実用的な解決は出来ません。しかし、これを「世界Ⅵ(~世界Ⅶ+Z)人」/「俗人」は知りません。

○ヒト/人間とは何かに関する哲学的常識/学問的通念と一般法則論
 ヒト/人間とは何か?
 一般法則論では、ヒトは世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)で出来ているこの世界全体の成り立ちと仕組みの中で、世界Ⅴになって初めて誕生したことになります。
 即ち、宇宙進化の世界Ⅴの段階で、ヒト(宇宙大で言えば宇宙人一般)は、Ω神による天地創造の目的である、絶対的無意識の存在のΩ神が、自らの生き方を主体的に自由に選べる能力を持つ「意識のある心を持つ存在」になって誕生したものです。
 これに自動的かつ必然的に伴い、ヒトの生き方の原理も定まり、更にこれを実用化した潜在意識/無意識の法則/引き寄せの法則の活用法があることも、150年以上も前に既に一部の人たちが再発見しています。→二千年前のイエス・キリストの教え
 しかし、哲学的常識/学問的通念では、「人間とは何か?」という問いへの答えが未だ無い儘に置かれています。
 この答えは、今も未だ見つかっていない、という訳です。
 したがって、哲学的常識/学問的常識では、ヒトとしての生き方の原理の存在も知りません。

○いわゆる大自然/天然自然の世界とヒトとの関係
 世界Ⅳの世界は、俗に言う「大自然」のことであり、物質で造られている天然自然の世界です。
 世界Ⅳの大自然の世界との関係は、世界Ⅵの中で人工物に囲まれて都会暮らしをしている多くの人たちにとって、自分と直接連続して繋がっている感覚に乏しい、何かよそよそしい存在と申し上げて良いでしょう。
 今月22日は皆既日食が沖縄の島で見ることができる(日本列島では部分食)というのでもう2年も前からこれを観測する為の準備をして来た人たちがいますが、この人たちの多くの方々も、大宇宙と自分との間の連続した繋がりを自覚的な知識にしておられるのは少ない、と推測しています。
 なお、このことに関して、一般法則論のブログを始めた最初の方で説明した、意識の心の及ぶ範囲を拡大する練習の話をご参照ください。

○世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)は実在
 私達の生きている世界は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)で出来ています。
 そして、この全体は、一体不可分の一つの存在として出来ています。
 この全体を、私達が意識化することが出来る出来ないに一切関係なく、この世界の仕組みの実在性は、これ自体で絶対的な真理です。
 このことを、再確認しましょう。
 世界Ⅳ~世界Ⅵの大部分は、物質と呼ばれ、意識のある心が持つ五感の働きでその存在が確かめられるもので出来ています。
 なのに、事実上、この一部分しか、人の目、人の心には見えていません。
 こうであっても、なお、世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)の前に、時間的にも論理的にも先立って、世界Ⅳ~世界Ⅴがあり、更に私達が存在し生きている世界Ⅵ~世界Ⅶ存在を自動的かつ必然的に造り出した世界Ⅰ~世界Ⅴ存在があります。
 そして、世界Ⅰ~世界Ⅴ存在は、誰かヒトが考えて作ってこの世界に置いた観念的なものではありません。
 或いは、数学的公理のように、これが在ると想定する/仮定することに皆で約束した結果として存在しているのではありません。
 世界Ⅰ~世界Ⅴ存在は、全てのヒトに絶対的にかつ普遍的に等しく、世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)に時間的にも論理的にも先だって絶対的に普遍的に客観的に実在しています。
 世界Ⅰ~世界Ⅳ(Ⅴを訂正20090807)存在は、世界Ⅰ存在の天然自然の存在のΩ神(創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在で自然科学の研究対象)による天地創造の目的である世界Ⅴ~世界Ⅵ(世界Ⅵを訂正20090807)を創造する為に無くてはならないものです。

○哲学的思考の大前提を再確認する
 「哲学の道具箱」という本をここで取り上げたときに(7月2日)、哲学的思考の大前提を確認しました。
 それは、一般法則論で説明している、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)の実在性を、私達が、絶対的かつ普遍的に所与の物として認めて受け入れることでした。
 私達にとって、考えること/思考することの元型/原型とも言うことができる原理的思考、即ち哲学的思考は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)の実在性を、私達が、絶対的かつ普遍的に所与の物として認めて受け入れることから始まる、という訳です。
 簡単ですが、哲学思考の大前提を再確認しました。

○歴史的事実も所与のもの
 世界Ⅴでヒトが、「絶対的無意識の心の存在であるΩ神」から「意識のある心を持つ、Ω神の化身かつ分身の存在」として誕生したのは、今から約6万年前です。
 それから人類史が始まって、今現在の西暦2009年に至っている訳です。
 この意味で、今日、今現在までの人類の歴史も、既に過去に属し、それが何だったかも既に確定しているという意味で、私達全てにとって絶対的にかつ普遍的に所与のものです。
 しかも、人類史は、大きく言えば、宇宙史は、地上にΩ神の国=地上に天国を築く目標に向かう過程です。
 こうだと認めて受け入れないと、犯罪事件を例にとれば、犯人と犯罪を刑事/検察官/裁判所が勝手にでっち上げることになってしまいます。
 「犯罪事件」では無くて、それが「歴史」と名付けられるものになると、途端に嘘と出鱈目なことをでっち上げることが当たり前のように行われています。
 例えば、天安門事件。最近のチベットやウイグル自治区の事件。
 また、歴史とは何かに関する多くの見解。
 以上の話を纏めると、ヒトがする全ての思考は、原理的に可能な哲学的思考の枠組みの中に全て収まる筈のものです。

○実在するこの世界の成り立ちと仕組みを離れて自分独自の思想も世界観も無い
 上に説明した通り、哲学的な思考の出発点は既に決まっています。
 したがって、当然に、個々のヒトのする全ての思考とこの結果の世界観・人間観も、原理的に可能な哲学的思考の枠組みの外に出て、勝手な思考ができる訳ではないことが決まっています。
 私達の社会(世界Ⅵ中心の世界)の中では、一般法則論で説明している意味での哲学的な思考の大前提に関する知識が未だ常識化されていはいません。
 この結果は、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みに関係の無い、自分独自と称する或いは平和憲法を守り人権を保護し生かすべしという主張が世の為人の為になると称するような、勝手気儘でしばしば妄想的な思考/思想/信念等が社会に溢れています。→日の丸・国歌を巡る教育現場での紛争。
 困ったことです。

○世界は世界Ⅰ~世界Ⅶ+Zからなる全体でただ一つの単純明解な構造物/システム
 一般法則論が明らかにしているのは、この世界の成り立ちと仕組みは、世界Ⅰに存在するΩ神を根本原理として造られた、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなる単純明解な構造物/システムです。
 しかも、この世界は常に全体でただ一つの世界として存在し、部分部分に分離・分割することが出来ない仕組みになっています。端的な例は、生態学的な秩序の世界。
 しかし、実際には、一般法則論が明らかにしている世界の単純な成り立ちと仕組みの全体が一気にヒトの視野に入ってこない、と言うのも事実です。
 この点を次に確認します。

○全体でただ一つの世界を認識する問題はΩ神の存在を知る必要性の問題
 私達が生まれ住んでいる世界は、Ω神が造った、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなる、全体でただ一つの単純明解なシステムです。
 一般法則論はこうであることを明らかにしています。
 しかし、事実上、一般法則論以前には、人類はこれを知りませんでした。
 この理由は色々とあると思います。
 この中で、Ω神が造った、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなる全体でただ一つの世界を認識することを妨げている一番の要因は、世界Ⅵ(~世界Ⅶ+Z)、即ち、「現世」/「この世」/俗世界/物質的世界が持つ、ヒトにとっての圧倒的な存在感/実在感にある、と思います。
 多くの人達の思いでは、生きていて、意識のある心の働きを働かせ、五感で感覚的に分かる「この世」は、唯物論者ならずとも、自分が生きている世界の全ての全て! なのです。
 これがまた、普通の人の普通の感覚でしょう。
 この外にある別の世界、即ち、世界Ⅰ~世界Ⅲの世界は、ヒトの無意識の心に属する、非物質的な世界であり、意識のある心が日常的に働く範囲内の五感の働きではその存在を知ることができません。
 例えば-----
 現在、「エネルギー」(自然法則と一体不可分で世界Ⅲ存在/元々は世界Ⅰ存在)という言葉を知らない人はまず居ません。
 しかし、19世紀にエネルギーの存在が自然科学の世界で発見されるまでは、科学者にとってもエネルギーは存在していないものでした。なぜならば、今現在でもなお、エネルギーには目に見える姿・形が一切なく、五感でもその存在が分からない無意識の世界に属するものだからです。
 特に意識のある心の働きである五感が日常的に及ぶ範囲内ではその存在が分からない絶対的無意識の世界に属する世界ⅠのΩ神の世界の存在、一般的に言うと「神仏の存在」については、市井の人たち一般にとっては、実在感のある世界Ⅵの世界とは異なって、存在感は希薄です。
 だいたいからして、神仏の存在/実在を想定する必要性や必然性を感じないし、それは、在っても無くても私達の生/生活には一切関係の無い、存在理由も実用性も無い、人の観念が生み出した妄想的存在と決めつけることができるのです。
 しかも、神仏の存在を、因果必然の法則または慣性の法則性を手掛かりにして自ら発見することができるほど、因果必然の法則または慣性の法則性について市井の人たちはもちろん、科学者も知りません。
 また、世界Ⅴでヒトの心として誕生し、世界Ⅵの中で実際に働き出した意識のある心の働きでは、これと表裏一体不可分の関係にある「無意識の心」の存在を、G・フロイトによる発見が行われるまで学問的に知ることが出来ませんでした。
 そして、今現在でもなお、無意識の心の存在とその働きは、学問的には認めないと言い張る唯物論的科学者によって否定され続けています。
 同時に、無意識の心の存在と働きは、「心の闇」とか言われて、胡散臭い扱いです。
 もちろん、無意識の心の中身(単純化するとΩ神とヒトの生きた記憶とZ)を知らないと、その役割も使い方も知ることが出来ません。
 そして、世界Ⅵ(~世界Ⅶ+Z)が余りに現実的なものですから、この世界をヒトが生きている世界の全ての全て、ということになってしまっているのでしょう。
 この結果は、神仏の存在(世界Ⅰ)を含めて全ての個人的また人類的な問題全てを、世界Ⅵ(~世界Ⅶ+Z)の中に位置づけて考え、世界Ⅵ(~世界Ⅶ+Z)の中だけで答えを出すことに慣れてしまうことになった、と断言して良いでしょう。
 言い換えると、これは、私達全ての生の基礎になっている世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)で一体不可分の全体でただ一つのこの世界の成り立ちと仕組みの存在とその働きを無視することに自動的かつ必然的になります。
 しかし、それが個人的な問題であれ人類全体の問題であれ、これを解決するには、常に、この世界の成り立ちと仕組みの全てを造っている根本原理であるΩ神の所に立ち帰る必要性があります。→詳しい話は別文。
 そして、全ての問題は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界全体の仕組み/システムの中に適切に位置づけて解決するが、唯一、理に適った正しいやり方です。
 これを知らず、或いは知っても受け入れないとどうなるか?
 この答えは、自動的かつ必然的に、例えばパソコンの仕組みの知識とこれに基づいたこの使い方を知らないで、或いはパソコンに関する知識を得ることを拒否したままで、パソコンを使ってインターネットをしようとするようなことになります。
 即ち、私達が存在し生きている、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの全体を知らずに生きるやり方では、自動的かつ必然的に人類的な様々な問題の解決に苦しむだけになります。

○意識のある心の持つ問題
 私達の生まれ住むこの世界の全体は、世界Ⅰ~世界Ⅶ+Zで成り立っています。
 しかし、ヒトの意識のある心の働きは、世界の全体を自動的かつ必然的に意識化して知ることが出来るようには出来ていません。
 この世に生まれる手間を掛けただけでは、世界全体が自動的かつ必然的に見えるようになる、という上手い具合にはならない訳です。
 (絶対的)無意識の心の世界に、意識のある心の働きが及ぶには、意識の変成状態と名付けられている、意識のある心が無意識の心と一つに繋がり一体になる特別の状態になる必要があります。
 この結果、ヒトの意識のある心が、全てのヒト(宇宙大で言えば宇宙人一般)の心の一番底にあるΩ神の絶対的無意識の心にうまく繋がれば、これは悟りの体験になります。
 Ω神まで繋がらず、Z即ち妄想の世界に繋がると、俗に言う神秘体験や精神に異常が生ずる体験になります。

○ヒトと世界全体との関係
 私達の存在とその営みは、世界Ⅰ~世界Ⅶ+Zで出来ているこの世界の成り立ちと仕組みを基礎にし、この上に成り立っています。
 にも関わらず、この世に生まれただけでは、世界Ⅰ~世界Ⅶ+Zで出来ているこの世界の成り立ちと仕組みの全体が自動的かつ必然的に意識化されて自覚的な知識になるようには出来ていません。
 全てのヒトは、この世に生まれてから、世界Ⅰ~世界Ⅶ+Zで出来ているこの世界の成り立ちと仕組みの全体を、自覚的に意図的に自ら発見し、これで足らないことは他者から素直に謙虚に学ばなければならないように、私達ヒトとヒトの住む世界を創造したΩ神によって最初から仕組まれているのです。→教育の目的/修行の目的
 話を単純化すると、全てのヒトにとって、自らの存在を含めて、殆ど絶対的な無意識に属している、自らが生きている世界を、意識化する(→悟る)ことが、一生涯の課題です。
 これは、ヒトが、予めプログラムされて出来ると決まっていることしかできない絶対的無意識の存在のΩ神に代わって、自らの生き方を自由に選んで決めることができる意識のある心を持つΩ神の化身かつ分身の存在として生まれている事と表裏一体の関係にあります。
 こうなっていることによって、約6万年前に、ヒトそれぞれ/社会それぞれ/民族それぞれが存在し生きている環境に根ざした生活を始めることから、人類史をスタートさせることがができた訳です。
 言い換えると、意識化された世界の拡大に合わせて、ヒトの数/人口を増やし、社会集団を大きくし、より快適でより高度な文化・文明を発達させることを可能にした訳です。

○意識のある心の働きの特徴
 意識のある心は、見よう! 知ろう! と意識の焦点を当てたことしか見えません。
 比喩的に言うと、真っ暗闇(無意識)の中で、懐中電灯の光(意識のある心の働き)を当てた所しか見えないようなものです。
 で、次のよう言い方は、実際には通用しないものです。
 あるヒトにとって自明のことも、他のヒトにはとってはそうでは無いからです。

 「何をしているのですか?」
 「見りゃ分かるだろう! トンチキ!」

 しかも、最初に懐中電灯の光を当てた所と、次に光を当てた所との関係/繋がりが自動的かつ必然的に分かるようにもなっていません。→群盲象を撫でる状態。
 この世界の成り立ちと仕組みは全て、システムの形に出来ています。
 そして、システムは単純であってかつ複雑だからです。→システムとは何かについても未だ学問的に未確定。
 つまり、意識が焦点を当てた所の情報は、「何かの存在目的/存在理由を実現し果たすための原理的仕組み」に基づいた一つのシステムとして、相互に関連づけがされ一つに統合された知識である必要があります。こう認識できる必要があります。
 これが出来ないとき、相互の関係が無い或いはそれが分からないばらばらの知識を沢山持っているようなことになっている、ということです。
 これらバラバラな知識を一つに統合し総合化するには、一般法則論が明らかにしているΩ神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの全体の知識が先に必要です。

○世界観の解発と文化・文明
 例えば、五感でその存在が分かる天然自然の世界についてさへ、ましてやその成り立ちと仕組みに関することになると、人類史上、一部の文化・文明しか、意識的に、自覚的に見ることに成功していません。例えば、自然科学的な学問知識と西洋キリスト教文明。
 いわゆる先住民族は、天然自然の世界(世界Ⅳ)の成り立ちと仕組みを自然法則+エネルギー一体不可分の働きの現れとして発見することに失敗した、といえます。
 日本文明を担っている日本民族は、天然自然の世界を自然法則+エネルギー一体不可分の働きの現れと発見することは出来ませんでした。
 しかし、Ω神の存在から始まっているこの世界の成り立ちと仕組みを直観的に発見し理解することに成功し(→皇室の存在/自らの人生を作る唯心論的な天地創造の原理の発見→「言霊の法則」/この世により良く在りより良く生きるために自らの心を磨き人格を磨く必要性と大切さの発見→芸「道」など「~道」修行の一般化)、16世紀に西洋の科学と技術に出会うと、すぐにこれを理解し物にし、今ではノーベル賞学者を何人も生み出すほどになっています。、
 但し、ヒトは人類として全体でただ一つの存在です。
 そこで、正に日本民族がその実例であるように、事実上、人類の中の誰か一人或いはある特定の文化・文明だけが発見したこの世界の成り立ちと仕組みに関する知識は、この後発見者による知識の絶対的独占が続くのではなくて、自動的かつ必然的に全人類で一つに共有して使うことができます。
 しかし、自然科学者でも、世界Ⅳを造っている自然法則+エネルギー一体不可分の働き全体(世界Ⅲ)を意識化して解明することが、未だよく出来ないでいる訳です。
 このことに関して、私個人の体験をお話するのが役に立つかも知れません。
 しかし、これは別文で行います。

○まとめ
 一つ同じ話を、しつこく繰り返す話をしてきました。
 この意図は、世界Ⅵが私達が存在する世界の全てでは無いことを発見して欲しい!/気付いて欲しい! という一点にあります。
 即ち、世界Ⅵ(~世界Ⅶ+Z)の中だけで、個人的或いは人類的な問題を解こうとする一切の試みは無駄に終わる、ということです。
 こうならない為に、一般法則論の世界観の図解として説明している、Ω神が造っている世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの全体を、あなたに意識化して物にして頂きたいのです。


誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

○追記
 今日、2009年7月16日午前9時22分に、ミンミンゼミが鳴くのをききました。
 テレビのニュースで、映像の背景に蝉の声が沢山入っているのを既に聞いています。
 しかし、私にとっては、今日が今年の「蝉の初鳴きの日」です。
 以上。


「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する

2009-07-02 05:01:40 | 一般法則論の世界観の図解説明
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境     (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ      (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
空の世界     妄想の世界
Ω神= 〔A→  ∥Z→    (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→ (M )))))∥〕 Ω=神の国
  ∥  創造神  ↑      Ω神の 天然自然  物的   俗・人・子・文歴  記憶
 霊的      M     理法  の世界   Ω人   人・生・孫・化史  ↓
 心的     ^(記憶)                           Z→→→→→Z
存在のΩ人


○「哲学の道具箱」という本
 ジュリアン・バッジーニ/ピーター・フォスル著 長滝祥司/広瀬 覚訳 哲学の道具箱 共立出版(2007年) 東京
 この本を、先日、本屋で見掛けて買いました。

○文明国日本では私が知らない外国の本を国語で読める有り難い体験ができる
 いきなり余談ですが----
 日本という文化・文明国では、仮令外国語に堪能でなくても、外国の本を翻訳で読むことができます。これは有り難いことです。
 また、私の知らないこのような本があることを知っている人たちがいて、それをこの本の例のように広く一般的に紹介して下さるシステムが日本国の文化・文明では確立している訳です。

○文明国を知性の面からみると----これも余談
 文明国とは、自国語で、お互いに直接知らない者同士の間でも、殆ど只に近い形で教えたり教えられたりする知のネットワークが広く深く精密に確立していて、常時これが機能している所です。
 インターネットは、地球世界の文化・文明化を促進する道具になりつつありますね。
 ただ、今はまだ、一般法則論の世界観の図解でいえば、俗世界(世界Ⅵ~世界Ⅶ+Z)の中に閉じ込められた言説が主流のようですが・・・。

○「哲学の道具箱」の目次を見る
 この本の中身は、哲学者が使う概念や哲学的な方法に関する事典的解説をしているものです。
 これは、以下に示す章立てからも推測できるように、中々よく出来た内容の本です。
 著者による話の進め方は、平明で、公平でかつ厳密で、よく行き届いています。
 私にとっては有り難い内容の本で、買った甲斐がありました。

 第一章 論証の基本ツール
 第二章 その他の論証ツール
 第三章 論証評価のツール
 第四章 概念的区別のツール
 第五章 ラジカルな批判のためのツール
 第六章 極限のツール

○哲学的な思考をする大前提について
 この本の第一章で最初に取り上げているのは、「論証・前提・結論」です。
 哲学的な思考にとって、論理を展開する大前提になる事実の大切さと重要性を、この本の著者はよく自覚的な知識にし理解しています。

○この本の著者は哲学的思考の前提になるものを何と考えているのか・・・
 以下は、この本の5頁からの引用(「」内)。

 「前提は哲学的論証の出発点です。知的な構成物であれ何であれ、建物がたつには土台がしっかりしていなければならないのです。」
 しかし、この為には、「そもそもある主張を前提として用いることがどうして正当と言えるのかという悩ましい問題を片づけておく必要があります。」
 そして、哲学者が哲学的思考の前提になる基礎的な事実があると考えている例に、「私は存在する」を挙げています。

 「私は存在する」-----哲学的思考の前提になる基礎的な事実の例

 これがなぜ基礎的な前提になるのかについて、哲学者が持ち出す理由の例を、この本では具体的に列挙しています。
①直接に把握可能な自明の知覚にもとづいているから(ストア学派)
②センス・データ(五感で分かること)に直接根ざしているから(実証主義者)
③直観や洞察と呼ばれる能力によって把握されるから(プラトン主義者)
④神が啓示したものだから(ユダヤ教、キリスト教、イスラームの哲学者)
⑤神が保証してくれた認知能力を用いて把握したものだから(デカルト、リード、プランティンガ)

○問題点
 以上の例は、「私は存在する」ことを哲学的思考の出発点=前提に決める根拠にするには、まだ「悩ましい問題」を根本から解決するにいたってない、と言えます。
 例えば、⑤神が保証してくれた認知能力を用いて把握したものだから、というならば、この前に、皆が否応なしに認めざるを得ない(神の存在と、そのやり方の神の存在証明を否定する人達は間違っている! と皆に分かる)神の存在証明をしていなければなりません(しかし、デカルトによる神の存在証明はこの意味で不十分です)。
 ②センス・データに直接根ざしているから、というには、俗に言うオカルト現象を否定する場合には「五感は当てにならない!」と言いながら、科学的な真理については五感で確かめられることを条件にするなど、科学がよって立つ「唯物論」の間違いも含めて御都合主義が目立ちます。
 根本的な問題として、五感で分かることが実在することになる根拠は何にあるのかについて説明不足です。

○悟りの体験が抜けている
 確かに、哲学史をまとめて見ると、哲学的思考の前提になるある事実について、その通り理由があり正しい、と根拠付ける主張は、このようなものですね。
 しかし、一般法則論的にいえば、根拠づけの理由として「悟りの体験」が抜けています。
 これは、③の直観や洞察と呼ばれる能力によって把握されるから(プラトン主義者)に属する、と理解できるかも知れません。確かに、プラトンやソクラテスには悟りの体験があるように見えます。
 この本の著者は、「悟りの体験」という言葉とこれが意味していることを、多分御存知ではない、と推測します。
 しかし、何と言っても問題は、哲学的思考の大前提になる事実の考え方です。
 一般法則論の知識がある者にとっては、「哲学の道具箱」で考察している哲学の大前提の考え方は、本質的に、根本的に、間違っている! 或いは、単に、未だそれを知らない、とすぐに分かります。
 哲学をすることにおいて、何が正しい前提になるのか?
 これを、以下に明らかにします。
 その前に、哲学をする目的について、簡単に確認をします。

○哲学をする目的の確認
 哲学の究極の目的は、ヒトに生まれて、ヒトらしく良く/善く生きることを可能にする原理を発見することです。
 ニーチェ式に言えば「高貴に生きる」原理を発見する、になるでしょう(注記1)。
 哲学は、この原理の発見の前提になり基礎になる、ヒトが生きているこの世界の成り立ちと仕組みを造っている根本原理を、まず先に明らかにすることから掛かるものです。
 物質的な世界を造り支配し秩序づけている法則や原理を発見し解明する自然科学は、正にこの実例になっています。
 哲学する目的は、こう理解をすべきものでしょう。

○哲学は既にあるものを全て疑うことから始めるものか・・・
 「哲学の道具箱」の著者が暗黙の前提にしている考えは、哲学的思考の方法に関する間違った思い込みでしょう。
 これは、「我思う。故に我あり。」のデカルトにはっきりと見て取れるものです。
 即ち、哲学は、私達が生きているこの世界の最初に立ち戻って、この世界の成り立ちと仕組みを成り立たせている根源的で根本的な原理を発見するものであり、これをするには、既にあるものを全て疑い、既に有るものは無い物とみなし、全てをリセットして、ゼロから考え直すことだ、という考え方です。
 しかし、これは間違いです。
 実際、この間違った考え方で哲学すると、全人類が共有できる哲学説を生み出さず、哲学者一人一説になります。
 以下に、正しい哲学が正しく前提にし得るものを説明します。

○この世界は既に存在していることを哲学的な思考の出発点にする
 この世界の成り立ちと仕組みはどう造られているかをあれこれ哲学的に考察する前に、私達人間存在と私達が生まれ住んでいるこの世界は、全てのヒトに絶対的に等しく、絶対的に客観的に普遍的にかつ不動のものとして既に与えられている、という歴史的な事実が存在しています。
 即ち、人間とは何か? を問うときに既に「私は『私が私』であるよう造られて存在している」のです。
 しかも、私達人間存在と私達が生まれ住んでいるこの世界は、嘘、出鱈目、偶然に造られているのではない(らしい)、ということです。
 そこには、ヒトが勝手に作ったのではない、天然自然の存在の法則、それも何か特定の事/目的/意図を実現する為に絶対的かつ普遍的な存在の「原因=結果の因果必然の法則」が働いています。
 この天然自然の存在の因果必然の法則の働きにより、私達人間存在と私達が生まれ住んでいるこの世界は自動的かつ必然的に何かの存在理由/存在目的を持つ意味のある存在に造られることになります。
 そう、この世界は、Ω神の天地創造の目的を原因にし、これを実現する(結果を出す)為に存在する因果必然の自然法則の働きにより(実際に)造られ、支配され、秩序づけられて存在しています。
 この考え方は、自然科学者には殆ど自覚が無い儘に、自然科学の基礎を成している考え方です。
 しかも、この考え方を採用した自然科学は、物質世界の成り立ちと仕組みをとてもよく説明し、これによって科学技術文明を築くことに大成功していることが明らかです。
 また、犯罪事件の捜査を例にとれば、歴史的に既に存在している犯罪事実を絶対的な前提にしてそれは行われます。これを無視しこれを離れると、犯罪や犯人を刑事が勝手にでっち上げたり真犯人を見逃すことになってしまいます。
 こうだとすれば、哲学的な思考も、既にそれを造る原理に基づいて造られ歴史的に存在しているこの世界の成り立ちと仕組みを大前提にして始めなければならないでしょう。
 これを一般法則論の世界観の図で説明し直すともっと話は簡単になります。

○一般法則論の世界観の図で哲学的思考の大前提を確認する
 この文の冒頭にも掲げてあるように、一般法則論の世界観の図では---
 今、ここに生きている私達は、世界Ⅳ~世界Ⅶ(+Z)の存在です。
 しかし、世界Ⅳ(宇宙大に広がる物質的な天然自然の世界)~世界Ⅴ(ヒトという存在そのもの)は、まるで「空気」のような存在で、事実上存在しないのも同然です。
 最近は、地球温暖化問題で自然が意識されはしていますが、ヒトとは何かについては、相変わらず、ナゾの儘です(注記2)。
 そこで、事実上、ヒトである自分が存在している世界は、世界Ⅵ(+世界Ⅶ/記憶+妄想Z)存在です。
 つまり、「私は世界Ⅵ(+世界Ⅶ/記憶+妄想Z)に存在する」です。
 しかし、私達はいきりな世界Ⅵ(+世界Ⅶ/記憶+妄想Z)存在に生まれたのではありません。
 この世界の前に、時間的にも論理的にも先立って、私達が存在し生きている世界Ⅵ~世界Ⅶ存在を自動的かつ必然的に造り出した世界Ⅰ~世界Ⅴ存在があります。
 そして、世界Ⅰ~世界Ⅴ存在は、誰かヒトが考えて作ってこの世界に置いた観念的なものではありません。
 或いはこれがあると想定する/仮定することに皆で約束した結果として存在しているのではありません。
 世界Ⅰ~世界Ⅴ存在は、世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)に時間的にも論理的にも先だって絶対的に普遍的に客観的に実在しています。
 世界Ⅰ~世界Ⅴ存在は、世界Ⅰ存在の天然自然の存在のΩ神(創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在で自然科学の研究対象)による天地創造の目的である世界Ⅴ~世界Ⅵを創造する為に無くてはならないものです。
 こうだ、とあなたももう認めて受け入れて下さるものと思います。

○人類の共通認識に!
 私達が生きているこの世界の成り立ちと仕組みとこれを造っている原理は、私達全てに絶対的に等しく、絶対的に客観的に唯一絶対的に普遍的にかつ不変的に所与のものです。
 しかし、未だこの世界の成り立ちと仕組みは全人類(宇宙大で言えば宇宙人一般)一人ひとりにとって絶対的に等しく、絶対的に客観的に唯一絶対的に普遍的にかつ不変的に所与のものであることを、哲学者たちでさへ意識化し自覚化し共通理解にすることが出来ないでいます。ましてや、市井の人々にあっては・・・。
 一般法則論は、これをまずは哲学者や自然科学を含めた学問をする人たちや教育者や宗教家や政治家の共通認識にしたいと考えている訳です。
 まずは、この文を読んで下さっているあなたの常識にこれをして欲しいと思います(注記3)。

○一般法則論でいう世界観を再確認
 私達がこの世界の中に生まれて来る前からそれ自体の持つ存在目的/存在理由と、これを自動的かつ必然的に形在るものにする原理である、自然の法則(Ω神の天地創造の原理)/論理/理屈の働きで独自に存在しているこの世界の成り立ちと仕組みがあります。
 即ち、私達が現に生きている世界(世界Ⅵ~Ⅶと妄想世界のZ)は、無時間で無次元の絶対的無意識の存在のΩ神が存在している世界Ⅰに始まりました。
 Ω神による実際の天地創造は、Ω神の天地創造の目的である「自らの生き方を主体的に自由に創造することができる機能が備わっている意識のある心を持つ、Ω神の化身かつ分身の存在のヒト=Ω人(宇宙大で言えば宇宙人一般)を創造することに向けて、唯心論的天地創造の原理に則り始まりました。
 これは、創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の働き(世界Ⅱと世界Ⅲ)が自動的かつ必然的に始動する、という形で行われました。
 この結果として空間3次元+時間1次元の天然自然の物質的な世界(世界Ⅳ)が、進化の名で知られている過程を経て造られました。これは天文学によると(絶対時間で)137億年前に始まったということでほぼ決まりだそうです。
 そして、天然自然の物質的な世界(世界Ⅳ)を母体(私達人類にとっては太陽系の第3惑星の地球、これ自体で一つの生命体のような自己完結しているシステムという意味の「ガイアの地球」を意味します)として、地球上(誕生は46億年前)の生物の誕生と進化→神経系の誕生と心の進化→意識のある心の誕生と進化が行われたことが、自然科学的に既に知られている、と言って良いでしょう。
 宇宙における物質の誕生と進化→特に地球上の生物の誕生と進化→神経系の誕生と心の進化→意識のある心の誕生と進化が行われ、そして、全ての進化の最後にΩ神の心を完全完璧に持つΩ神の化身かつ分身そのものの存在の「意識のある心を持つΩ人」、言い換えると「理性を持つヒト」(世界Ⅴ)が誕生しました。人類学によるとこれは約6万年前のことです。
 そして、Ω神による天地創造の目的であるΩ人が誕生し(世界Ⅴの誕生)、ここから、実際に各人の人生と人類史/文化文明史が始まって、現在に到っている(世界Ⅵ)ということです。
 しかし、人類の大部分の人達は、以上説明したこの世界の成り立ちと仕組みの理を全く知りません。
 また、これに根拠があり、これに基づいているΩ神の化身かつ分身のヒト=Ω人の生き方の原理があることも、市井の殆どの人達が知らず、この原理を実用化し、ハウツー化し、システム化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法も知らずにいるのです。
 この結果は、ヒトに生まれた意味や目的も生き方も分からず、無我夢中で出鱈目な生き方をして自ら苦しんで来た、と言えます。
 この記憶(世界Ⅶ)が人類史、人類の文化・文明史ということです。
 これは、様々な妄想の歴史(世界Z)と言い換えることができます。

○まとめ
 Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの存在とその働きは、全てのヒトに先立って、全てのヒトに絶対的に等しく、絶対的に存在し機能しています。
 だから、既にあって機能しているこの世界の成り立ちと仕組みこそ、哲学的な思考と方法論の大前提になる、というべきです。
 哲学的な思考に限らず、(自然)科学を含む学問、理論、主義主張、思想、宗教の教理/神学、信念、信条等で使われる論理、概念、定義等の正当性や妥当性の根拠は全て、創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の存在の働きによって全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みにあります。

○注記1 F・W・ニーチェ 摘菜 収・訳 キリスト教は邪教です 現代語訳「アンチクリスト」 講談社+α新書 講談社 2005年
 本文まえがき
 「私が皆さんに一番言いたいことは、人間は高貴に生きるべきであるということです。」8頁。
 注記1の終わり

○注記2 ゴーギャンの絵が来る
 人はどこから来て、何処へいくのか 我々とは何か というタイトルのゴーギャンの絵が初めて日本に来るそうですね。
 この実物を見に行く予定です。
 注記2の終わり

○注記3 愚者は論に負けず
 圓生の落語でしたか、枕で「愚者は論に負けず」という話がありました。
 「ああ言えば、こう言う」で、例えば三段論法を無視する理屈の展開やそもそも三段論法的な論理の展開方法を知らなかったりする人がいます。
 また、途中で俗に言う「話のすり替え」をしたり、「我思う。故に我は絶対的に正しい。」式で、しばしば話の前提や話の進め方に関して客観性を確保する必要性を知らなかったりします。
 その人にとって唯一の関心事は、相手の言うことは絶対に認めない! ことにある訳です。
 議論の相手の理屈を受け入れたら、自分の人格や存在さへもが否定されてしまう! という根本的に間違っている信念をもっておられる、と推測できます。
 これは、政治家の言い訳によくありますね。
 注記3の終わり


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。



この世界は世界Ⅰ~世界Ⅶ+Zからなる全体でただ一つの構造物/システム

2009-07-01 01:20:48 | 一般法則論の世界観の図解説明
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境     (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ      (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
空の世界     妄想の世界
Ω神= 〔A→  ∥Z→    (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→ (M )))))∥〕 Ω=神の国
  ∥  創造神  ↑      Ω神の 天然自然  物的   俗・人・子・文歴  記憶
 霊的      M     理法  の世界   Ω人   人・生・孫・化史  ↓
 心的     ^(記憶)                           Z→→→→→Z
存在のΩ人

○この世界は世界Ⅰ~世界Ⅶ+Zからなる全体でただ一つの構造物/システム
 一般法則論は、私達が生まれ住んでいるこの世界全体の成り立ちと仕組みを明らかにしています。
①この世界全体の成り立ちと仕組みは、以下のようなものである、ということです。
②世界Ⅰに存在する唯一絶対普遍かつ絶対的無意識の存在のΩ神を根本原理として、
③唯心論的天地創造の原理(=自然法則)に則り、                 
④Ω神自らの身心(=エネルギー)を直接自己展開する形で造られた、
⑤世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなる、全体でただ一つの構造物/システムだ。

○この世界は全体でただ一つの世界
 この世界は常に全体でただ一つの世界として存在し、部分部分に分離・分割することが出来ない仕組みになっています。端的な例は、生態学的な秩序。
 この世界を幾つかの部分・部分に分離・分割することが出来ない理由は前にも簡単に触れましたが、この世界の成り立ちと仕組み(→E=Mc^2 )を造っている素材のエネルギーは、この世界の唯一絶対普遍不動の存在の創造主であるΩ神の唯一絶対普遍の身心(E=c^2 /秒 但し光速cは一定不変)のことであり、決して部分・部分(複数の創造主である神)に分離し分割することができないからです。

○この世界の成り立ちと仕組みの存在の意味
 この世界の成り立ちと仕組みは、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなる全体でただ一つの構造物/システムだ。

 それが何か?
 だから、それがどうしたというのだ!
 この世界がどう出来ていようと、私には一切関わりの無いことだ!
 この世界の成り立ちと仕組みについて、世間が/学者が何と言っていようと、誇るべき学歴もなく、貧乏暮らしをしている自分には一切関係無いことだ・・・。頼りになるのは、庶民の味方の政治家先生のみ・・・・。

 こう反論する方がおれるかも知れません。
 そこで、念のため説明しておきます。
 世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなる全体でただ一つの構造物/システムであるこの世界の成り立ちと仕組みは、私達のこの世での存在の生活基盤になり、この世界の中で幸せに生きるにはどうしたら良いのかを決めているものです。
 そこで、この世界が世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなる全体でただ一つの構造物/システムであることに関する正しい知識なしでは、この世で生きることは、実際しばしば困難になります。
 こうなので、誰でも否応なしに、この世界の成り立ちと仕組みについて、意識的に自覚的に意図的に自ら進んで学ぶ必要があります。

○この世に生まれる手間をかけただけではこの世界の成り立ちと仕組みは分からない
 私達が生まれて生きているこの世界は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなる全体でただ一つの構造物/システムです。
 しかし、私達は、Ω神の化身かつ分身の存在のヒト(宇宙大で言えば宇宙人一般)としてこの世界の中に生まれる手間をかけただけでは、この世界の成り立ちと仕組みが持つ、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなる全体でただ一つの構造物/システムの全体が自動的かつ必然的に見えるようになるわけではない! ということです。
 即ち、端的に言えば、この世に生まれる手間をかけただけで、この世界の成り立ちと仕組みを自覚的に意図的に自ら進んで学ばない者には、生きることが厳しくなる世界になります。

○この世界を丸ごと知るにはこの為の勉強と修行が必要
 「四角い部屋を丸く掃く」という諺があります。
 四角い部屋をほうきで掃除するとき、部屋の四隅まで心が行き届かなくて、部屋の四隅の掃除を忘れたり、しないで済ませる横着なヒトがいるという訳です。
 そこで、四角い部屋をその通りに四角く掃除するのでも、部屋の四隅にも心を行き届かせかつ心を行き届かせた通りに実際に部屋の四隅もちゃんと掃除ができるようになるには、これが既に正しく上手に出来る人の厳しい指導の下で、時には「まだ出来てない!」と叱られながら、修行を積む必要があるものです(注記1)。

○自己流/我流しかできない人達
 「四角い部屋を四角く掃除する」ことが正しく上手にできる。
 しかし、現実には、「四角い部屋を丸く掃く」自己流を直してくれる師匠に一生涯巡り合うこともなく終わったり、折角出会えた師匠を「私流を貫く」ことを妨げる口うるさい意地悪な人と受け止めて煙たがり敬遠することしかできなかっりするヒトが少なくは無いわけです。
 「四角い部屋を丸く掃く」の譬えは、世界Ⅰ~世界Ⅶ+Zから成るこの世界の成り立ちと仕組みを知り生きることにも当て嵌まります。

○この世界の成り立ちと仕組みの半分は見えない
 この世界の成り立ちと仕組みに関する、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなる全体でただ一つの構造物/システムがあります。
 このシステムの内で、世界Ⅰ(絶対的無意識の存在のΩ神/俗に言う神仏の存在)~世界Ⅱ(天地創造を開始した創造主である神)~世界Ⅲ(自然法則+エネルギー一体不可分の存在とこの働き)の部分は、非物質的な存在で、しかも、その殆どが、ヒトの無意識の心に属しています。
 で、世界Ⅰ~世界Ⅲの部分は、ますます気付き難いことになります。
 また、人類的な常識では、圧倒的な実在感を伴って「この世」/現世/五感で分かる世界は存在するけれども、五感でその存在を確かめることができないあの世、即ちこの世界の外は観念の世界や妄想の世界で実在しない! ことになっています。
 特に世界Ⅰに存在するといういわゆる神様の世界は人がでっち上げた妄想の世界で実在しないことになっています。

○この世界の成り立ちと仕組みは全て基本的に無意識に属し気付かれない
 五感でその存在を確かめることができる物質で出来ている世界も、これを見えるようにしてくれるヒト/広い意味で自分の師匠になるヒトが居ないと、実際には「心、ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞かず」になります。
 学校で、物質的世界の仕組みを学んでその存在を知る必要があり、また、旅館の仲居さんや落語家の弟子の人達が師匠の下での修行が必要な所以です。
 そこで、実際には、一般法則論が明らかにしているこの世界の成り立ちと仕組みの全体が一気にヒトの視野に入ってこない、と言うのも事実です。

○まとめ
 この世界の成り立ちと仕組みは、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなる全体でただ一つの構造物/システムだ、という話をしました。

○注記1 修行の例
 6月29日テレビ東京で夜8時から放送の番組「和風総本家SP」で、「日本の強い女24時間 全国59人大追跡」の一部を観ました。
 この一人に、旅館の仲居頭の女性が登場しました。
 彼女は、部下の仲居さん達相手に、お客さんを迎えてお客さんに真心をもってサービスするとは何かを学ばせる為に厳しく指導していました。厳しい指導に泣き出す仲居さんもいました。
 この旅館には接客のためのマニュアルがあるのですが、しかし、仲居頭の女性に言わせると、マニュアルに書いてあることは全部完全完璧に出来て当たり前で、これを基礎に、更に2段、3段の心遣いがお客さんにできるように各人が考え工夫する必要がある、とのことでした。
 つまり、お客さんを迎えてお客さんに真心をもってサービスするとは何かを学ばなければ、仲居さんになっただけでは仲居さんとしての仕事が実際には出来ない、という訳です。
 もう一人----
 関西で女性落語家の弟子になっている女性がした玄関の掃除の後で、すぐに師匠に玄関の戸の敷居の隅を丁寧に掃除するように指導されていました(あなたはこの種の掃除をご自分でされたことがありますか? この時に敷居の隅の所に心が行き届きましたか?)。
 こういう気配りが隅までよく出来るようになることが、落語の修行にも高座に上がった時の観客とのやり取りにも自然に役立つ、という説明でした。
 注記1の終わり


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

Ω神・Ω人・俗人・ヒト(人類)・人(人間)・地球人・あなたや私

2009-03-07 18:07:14 | 一般法則論の世界観の図解説明
 この文は、全体が1万1千文字を超えましたので、本文と注記1―9に分けて投稿します。
 先に注記を載せます。

○Ω神・Ω人・俗人・ヒト(人類)・人(人間)・地球人・あなたや私
 この文では、一般○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ (世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
          妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→  (B→    (C→    (D→    (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然     物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なΩ人)   M(記憶)              Ω人  人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                         Z→→→Z


 法則論の中で使われている、Ω神、Ω人、ヒト(人類)、俗人、人(人間)、地球人、あなたや私、という概念とその相互の関係を説明します。
 もちろん、一般法則論の世界観を「見える化」した図解を前提にして、以下の話をします。

○ヒト(人類) 生物学的存在
 一般法則論で言う「ヒト」は、第一に、生物学的な意味の「ヒト」です。
 「ヒト」は、「人類」という言い方もします。
 宇宙が「大爆発」で始まってから137億年、と天文学者。
 地球の誕生から46億年、と地質学者。
 現在の私達ヒトの存在は、「進化」の過程を経て誕生した、と生物学者(注記1)。
 今から5~6万年位前に私達の直接の祖先が現れ、現在に到っている、と人類学者。
 このような過程を経て生まれた、誰か人或いは宇宙人(注記2)が作ったのではない、天然自然の存在の生物の人類/人間を、生物学では「ヒト」と名付けている訳です。
 そして、生物学でのヒトは、生物進化の中で偶然に造られ存在であり、何かの存在目的や存在理由を持って存在しているのではない、が生物学の正統派の考え方ですね。

○生物学上の「ヒト」と「Ω人」(おめがじん)の関係
 一般法則論の説明の中では、生物学的な意味のヒトは、即、この世界の成り立ちと仕組み全体の創造主である「Ω神」が、自らの化身かつ分身の存在として造った者(宇宙大で言えば宇宙人一般)という理解をしています。→「Ω神による天地創造の目的を再確認します 意識のある心の存在理由 2009年02月28日の文
 そこで、この世界の成り立ちと仕組み全体の創造主であるΩ神の「化身かつ分身の存在のヒト」(宇宙大で言えば宇宙人一般)という表現を、一般法則論の中ではずっとして来ました。
 この意味のヒトを、2009年03月03日に、「Ω人」(おめがじん)と名前を新しくしました。
 即ち、生物学上の「ヒト」という用語を、一般法則論の中では「Ω人」と名付けることにした訳です。
 これによって、Ω神=Ω人という語呂合わせができるようになりました。
 一般法則論の世界観を「見える化」した図解の中では、Ω人は、大自然(世界Ⅳ)の中にある世界Ⅴに存在する、記号「D」のことになります。

○Ω神(おめがしん)
 Ω神は、私達人間存在と私達が生まれ住んでいるこの世界の成り立ちと仕組みの唯一絶対普遍かつ至高の創造主である神/天地創造の第一原因者のことです。
 つまり、この世界の創造主である神であるΩ神の存在なしでは、私達Ω人存在も私達が生きているこの世界も存在しないという意味で、Ω神は特別に大切な存在です。
 しかも、Ω神は、自らの化身かつ分身に造ったΩ人にその生活基盤となる「大自然」を与え、Ω人の生き方の原理とこの実際も決めています。
 Ω神の宇宙的な地位がこのようなものであるので、Ω神についてよく知ることが必要になりますし、大事になる、ということです。
 但し、Ω神とΩ神が造った全世界を、特定の宗教宗派や超能力を持つと名乗る個人が独占することはできません。もちろん、一般法則論でもこれはできません。

○Ω神の出自 世界Ⅰに実在するΩ神の属性
 Ω神は、私達人間存在と私達が生まれ住んでいるこの世界の成り立ちと仕組みの唯一絶対普遍かつ至高の創造主である神であり、天地創造の第一原因者のことです。
 Ω神の中身は、ヒトや宇宙人が作ったのではない、私達全てに絶対的に等しく、唯一絶対的に客観的に普遍的にかつ不変的に先立って存在している、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の存在の創造主である神です。
 余りに長い名前なので、簡単に「Ω神」と名付けました。
 一般法則論の世界観の図解では、Ω神は、この世界の始まりの世界である世界Ⅰ、即ち、無空間(無次元の世界/私達が住む世界Ⅳ以下は空間3次元+時間1次元でできている世界)で無時間の世界の中に、創造主である神として絶対的で自己肯定かつ絶対的に他者肯定の構えを持つ存在(=絶対愛の存在)であり、永遠に不死不滅の生命力と無尽蔵の創造性を持つ完全完璧な非物質的な存在(物質は世界Ⅲ~世界Ⅳで初めて誕生)=心的存在=霊的存在として実在しています。

○Ω人(旧名称は「ヒト」) 世界Ⅴに存在
 Ω神の天地創造の目的である、Ω神の化身かつ分身の存在のヒト。
 具体的には、あなたや私のことです。
 宇宙大で言えば、宇宙人一般。
 Ω人は、Ω神の化身かつ分身の存在ですから、Ω神の化身かつ分身その者らしさを当然に持ちます。
 例えば、Ω人は、完全完璧に健康な身心を持って造られています。この意味は、Ω人は病気を本来知らない、ということです。こう造られているので、間違って病気になると、これを治す力である自己組織化力=自然治癒力が自動的かつ必然的に働き出す仕組みを、全てのΩ人が生得的に持って生まれている訳です。
 ヒトの説明中でも述べたように、2009年03月03日に、「Ω人」と名付けて呼ぶことにしました。

○Ω人は物質的な身体と非物質的心を合わせ持つ存在
 Ω人(世界Ⅴ)は、生物進化の過程を経て、物質的な世界(世界Ⅳ)の中に生まれています。
 同時に、物質的な世界(世界Ⅳ)の中で、Ω人は、絶対的無意識の心を持つΩ神が、意識のある心を持つように造られたものです。
 そこで、Ω人は、物質的な身体と非物質的な心とを合わせ持つ存在です。

○Ω人の意識のある心が真にある所
 Ω人は、物質的な身体と非物質的な心とを合わせ持つ存在です。
 この内、Ω人の持つ物質的な身体は、常に世界Ⅳの物質的な世界/天然自然の世界の中にあります。
 同時に、Ω人の意識のある心は、世界ⅠのΩ神の所に常にあります。
 物質的身体と非物質的な心を合わせ持つΩ人の全体のイメージは、次のように描くことが出来ます。

 Ω人は、足を地獄の中(世界Ⅵ以下)に突っ込んで立ちつつ、その頭(心)は遙か高く雲を突き抜けて天国(世界ⅠのΩ神)の所に常にある。

 このイメージは、筆者がいわゆる悟りの体験をした直後に心に浮かんだものです。

○意識のある心の働きは物質的な身体に先立って存在し身体を支配し制御できる
 Ω神と常に一緒にあるΩ人の意識のある心(後ほど説明するように西洋哲学では「理性」と名付けています)は、Ω人の物質的な身体とこれが自動的かつ必然的にもたらす五感の働きと、更に五感に基礎をおく快・不快/喜怒哀楽/好き嫌い等の感覚と感情を常に超越しこれらを一方的に支配し制御することが常に出来ます。
 「意識のある心の存在とこの機能が、Ω人の物質的な身心の存在と機能に先立つ?」
 「話はこの逆では無いのか?!」と言われる方がいるかも知れません。
 こう言われる方々は、Ω神が全て造っているこの世界の成り立ちと仕組みの基本構造とこの造られ方の順序に基礎をおいた意識のある心の持つ機能について未だ意識化され自覚化された知識をお持ちではないだけのことです。
 常識的に言っても、例えば歩き出す方向を、意識のある心の働き=意思の力で自覚的に意図的に選択し、この選択を採用する決意をし、しかも、一度選択し決定した歩く方向を歩く目的地に到達するまでしっかりと維持することもこれを変えることも出来ること一つ取り上げても、意識のある心の働きがΩ人の身体の存在とこの働きを一方的に超越しこれを一方的に制御できることは明らかです。
 この話は例えば、アルコール中毒患者のヒト(後で登場する「俗人」のヒト)が、お酒をこの先も飲む飲まないについて自覚的で意図的な選択をし、決意を新たにすることにも当て嵌めて考えることができます。

○Ω人の意識のある心は常に世界Ⅰに存在するΩ神と共にあるという真理
 Ω人の意識のある心は、常に、世界Ⅰに実在するΩ神の心の所にある。
 この事実を、Ω人が、そして、後で説明する「俗人」が、自覚する自覚しない、知る、知らない、認める、認めない、承諾して受け入れる、承諾せず受け入れない、信じる、信じない等に一切関係なく、これ自体で宇宙大で普遍的かつ絶対的な真理です。

○Ω人の意識のある心は西洋哲学でいう「理性」に該当する
 「Ω人の意識のある心」は、西洋哲学では「理性」と名付けています。
 と同時に、西洋哲学の本場の西洋では、また、西洋哲学を輸入した日本でも、理性=Ω神の化身かつ分身の存在のΩ人の「意識のある心の働き」の事である、という理解に未だ到達できずにいます。

○理性は全てのΩ人が生得的に持つ
 理性は、性別や年令や人種や民族、話す言葉や文化・文明や時代等の違いを超えて、全てのΩ人が、天然自然の世界(世界Ⅳ)の中にある世界ⅤにΩ神の化身かつ分身の存在として生まれついていることにより自動的かつ必然的に持つ心の働きです。
 繰り返して確認すると、理性=意識のある心の働きは、性別や年令や人種や民族、話す言葉や文化・文明や時代等の違いを超えて、全てのΩ人が絶対的に等しく持つものです。
 簡単に言えば、西洋人だろと非西洋人だろうと、性別や年令や話す言葉や民族や人種等の違いを超えて、Ω神の観点では、全てのヒトがΩ人であり、Ω神の化身かつ分身の存在であり、自動的かつ必然的に、全てのΩ人が等しく理性を持つ、ということです。

○理性は西洋人だけが持つという誤解とこれがもたらしたもの
 Ω人の意識のある心とこの働きが、西洋哲学で「理性」と名付けられているものです。
 しかし、西洋哲学の中で、理性についてこのような理解に到達出来ないでいます。
 この為に、「理性を持つ者のみがヒトであり文明人である」かつ「理性は西洋人のみが持つ」という誤った理解が西洋で一般化してしまった、と言うことが出来るようです。
 この結果は、非西洋人は、例えばアフリカ人は「理性」が無いので、ヒトでは無く、文明人では無い! という変な理解になって、西洋人による非西洋人の住む地域の文明化=植民地化が正当化されることになった、と一般法則論では理解しています。

○「名誉白人」となった日本民族
 非西洋民族は理性を持たないと、西洋人。
 しかし、西洋人は、非西洋の世界に、西洋の学問と科学技術を理解し、これをたちまちにして学び使いこなすことができる文明を持つ国の民族、即ち、「独自の主体性を持ち、まるで悟りを開いた人のように温和で清潔で、秩序を重んじ知性に溢れる庶民と、与えられた仕事を無私になってやり遂げる強い責任感と誇り高いサムライの日本民族」が存在していることを知り、強く感銘を受けて、やがて日本人を「名誉白人」と認めることにまでになった訳です。
 これは、歴史的な事実です。
 また、日本国は、一度も異民族の植民地になったことが無い国として、西洋では知られるようになりました。
 なお、西洋人に「名誉白人」として認められたのは、人類史上、日本民族だけのようです。

○日本民族の使命
 西洋人に日本民族は「名誉白人」として認められた。
 但し、私達日本民族は、西洋人に「名誉白人」として認められたと言っても自慢することではありません。
 こうでは無くて、西洋人の間違った「理性」観を改めさせ、全地球人が/現世人類の全てが一つ同じΩ神の化身かつ分身の存在のΩ人であることを、全人類的な常識にすることが、「地球村」に於ける日本民族の使命でしょう。
 実は、既に、日本民族は、人類史の「近代」において、アジアの近代化と白人の植民地の解放という大事な使命を果たしています(注記6)。
 「独自の主体性を持ち、まるで悟りを開いた人のように温和で清潔で、秩序を重んじ知性に溢れる庶民と、与えられた仕事を無私になってやり遂げる強い責任感を持つ誇り高いサムライの日本民族」は、二万年近い縄文時代を日本列島の内外からの侵略者や征服者の脅威に晒されることがなく、日本列島の豊かな自然(世界Ⅳ)相手に暮らす中で、Ω神の化身かつ分身のΩ人本来の心が自然によく育ち、Ω人らしさ=ヒト本来の人間らしさを持つ素直な民族になったのでしょう。
 地球世界広し、と言えども、Ω神の化身かつ分身のΩ人本来の心が自然によく育った民族は、日本民族以外にはどうも存在しないようです。
 だからこそ、現世人類の全てが本来Ω人なのですから、これを全地球人の常識にすることが、日本民族の使命になります(注記7)

○Ω人とΩ神との関係
 Ω人とは、上の「ヒトとΩ人との関係」の中で説明した通り、一般法則論の中でずっと「ヒト」と名付けていたものを「Ω人」と新しい名前にして呼ぶことにした、という通りです。
 Ω人は、Ω神にとって天地創造の唯一絶対普遍かつ至高の目的です。→「Ω神による天地創造の目的を再確認します 意識のある心の存在理由 2009年02月28日の文
 簡単に説明を繰り返すと───
 予め出来ると決まっていることしか出来ない「絶対的無意識の存在のΩ神」が、何でも自分が好きなことを主体的に自由に選んですることが出来る機能/役割/働きがある(とΩ神の所で最初から決まっている)「意識のある心を持つ存在」を無限に無数創り出して、その一人ひとりに化身し分身して多種多様に様々に生まれ、様々に生きて遊び楽しむことを謳歌しよう! とした結果この世に生まれたのが、私達ヒト/Ω人(宇宙大で言えば宇宙人一般)です(注記3)。
 Ω人は、地球上で「進化」(注記4)の名で知られる過程を経て、絶対的無意識の存在のΩ神の心がΩ神の化身かつ分身の意識のある心を持つΩ人として誕生したものです(注記5)。

○俗人(世界Ⅵで生きているΩ人)
 「俗人」は、2008年12月03日の「一般法則論の世界観の『見える化』の図解」の中に、2009年03月03日に追加したものです。
 俗人の宇宙的な地位を、一般法則論の世界観を簡略した図解の中に位置づけて確認します。
 以下は、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの全体です。
 この世界の成り立ちと仕組みの中で、Ω神は、全ての始まりであり、世界全体を絶対的に超越して存在しているが故に、この世界の成り立ちと仕組みの中では構造的に、特に世界Ⅳ以下の世界の中で何があろうと、永遠に完全完璧で清浄無垢のままの不変の神聖不可侵性を保っている存在です。

 この世界を創造した第一原因者であるΩ神(世界Ⅰ)→
 (矢印は次のAに繋がると言う意味。以下同じ)
 A(創造主である神/世界Ⅱ)→
 B(Ω神の天地創造の理法/自然法則+エネルギー一体不可分の働き/世界Ⅲ)→
 C(宇宙大の天然自然の世界/世界Ⅳ)→
 D(Ω人/世界Ⅴ)→

☆H(俗人/世界Ⅵ)→

 E(俗人の生活・人生/世界Ⅵ)→
 F(俗人の子孫/世界Ⅵ)→
 G(人類が作る文化・文明/人類の生活により自然に作られた歴史/世界Ⅵ)→
 M(Ω人/俗人がこの世に生きた記憶/世界Ⅶ)→
 Z(Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを知らずに生きた俗人が作り上げた間違った諸々の世界観・人間観・人生観=妄想/Ω神の世界の中には本来存在しない観念/世界)

○自分はΩ人であると悟った俗人と未だこれが出来ないでいる俗人
 「俗人」には、事実上、2種類の人達が存在しています。
①「自分はΩ人でありΩ神の化身かつ分身の存在である」と悟った俗人
②「自分はΩ人でありΩ神の化身かつ分身の存在である」と悟ることが未だ出来ないでいる俗人

 「自分はΩ人である」と悟ることは、一般法則論の理論の中では、自動的かつ必然的に、Ω人の自分はΩ神の化身かつ分身の存在であるということを同時に悟ることを意味します。
 言い換えると、私=Ω人=Ω神という悟りは、「Ω人としての生き方の原理」があることを発見し、これを実用化/ハウツー化した「潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法」を知り、これをモノにして実際に使えるようになります(注記9)。
 ①と②。この両者の間には、この結果もたらさせる諸々の違い/諸々の格差が、例えば、富や稼ぎの格差等が、各人の人生に自動的かつ必然的に生まれることになります。

○人(人間)・地球人・あなたや私
 一般法則論で言う「世界Ⅵ存在の俗人」を、日常の言葉で表現すれば、人(人間)や地球人ということになります。
 これを具体化例で表現すると、「あなたや私」という言い方になります。
 言い換えると、一般法則論的な意味のΩ神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを未だ知らない人達が、Ω人について言及するときに使う言葉が、人(人間)/地球人/あなた私、ということです。

○まとめ
 Ω神、Ω人、俗人、ヒト(人類)、人(人間)、地球人、あなたや私 という一般法則論で多用する概念をまとめて説明しました。
 更に具体的な意味は、一般法則論を説明する中で述べます。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

 以下は、「Ω神・Ω人・俗人・ヒト(人類)・人(人間)・地球人・あなたや私」という文の注記1―9です。
 注記1は、重複。

○注記1 性別と性差
 生物進化の過程において、♂と♀、男と女という二つの基本的な性とこの違いも露になりました。
 なお、性と結婚の起源の話は、なぜ基本の性が♂と♀/Ω神の化身かつ分身の存在のΩ人でもなお男と女という二つなのかの解明も含めて、別文。
 注記1の終わり
 先に投稿した文に続く

、「Ω神・Ω人・俗人・ヒト(人類)・人(人間)・地球人・あなたや私」という文の注記1―9

2009-03-07 18:00:48 | 一般法則論の世界観の図解説明
 以下は、「Ω神・Ω人・俗人・ヒト(人類)・人(人間)・地球人・あなたや私」という文の注記1―9です。

○注記1 性別と性差
 生物進化の過程において、♂と♀、男と女という二つの基本的な性とこの違いも露になりました。
 なお、性と結婚の起源の話は、なぜ基本の性が♂と♀/Ω神の化身かつ分身の存在のΩ人でもなお男と女という二つなのかの解明も含めて、別文。
 注記1の終わり

○注記2 地球人を作ったのは宇宙人では無い証拠
 私達地球人は、宇宙から地球にやってきた宇宙人が、そのときに地球に存在した何かの生物の遺伝子を操作して作った生物である、という人がいます。
 この説は、神=宇宙人で、いわゆる神は存在しない、という無神論の一種として唱えられているものと推測します。
 また、遺伝子操作という技術が生まれると、早速このアイデアを使って、宇宙人が遺伝子操作でヒトを作ったという説で、ヒトが誕生した謎を「自分が解いた」という言わば「特許申請をいち早くする」目的の説と推測しています。そして、これだけの目的の説ですから、「人間とは何か?」という大昔からの問いにはまったく答えることが出来ていません。
 しかし、生物進化の過程を観れば、「個体発生は系統発生を繰り返す」と知られているように、ヒト/人類は、地球という天体の「自然」の仕組み(世界Ⅳ)から「生え抜き」の存在として造られているのは明らかです。
 この証拠だけで、「地球人を作ったのは宇宙人」ではない、ということができるでしょう。
 また、「地球人を作ったのは宇宙人」説は、では地球人を作った宇宙人はいったい誰が作ったのか? という問いに答える必要があります。しかし、「地球人を作ったのは宇宙人」説は、この問いに答える用意が出来ている訳では無いようです。
 より、根本的には、一般法則論が説明しているように、Ω神が、自らの化身かつ分身の存在のΩ人(宇宙大で言えば宇宙人一般)を創り出すために、この世界の宇宙の果てまでΩ神が全て造ったという考え方の方が、より確からしいということです。
 前にも説明したように、宇宙から地球にやって来る程の科学技術を身に付けた宇宙人ならば、Ω神の存在も進化の目的と原理も、そして、これが行われる過程も知っている筈です。
 そして、これから引き出せる結論は、遺伝子操作をしなくても、やがて自然にΩ人が地球上に誕生することは、宇宙人には自らが住む天体での進化の歴史に照らして分かっているので、地球を訪れた時に発見した何かの生物に遺伝子操作をしてヒトを誕生させることはしなくても良いし、そんなことをすべきでは無い! と考える違いない、ということです。
 注記2の終わり

○注記3 Ω人の造られ方
 Ω人。
 この中に、Ω人はΩ神の化身かつ分身である自らの出自を悟ったり、Ω神が創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の働きのみで造っているこの世界の成り立ちと仕組みをその通りに正確に認識し理解したりできる、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きをその中身とする心を持っています。
 注記3の終わり

○注記4 進化の意味と方法
 進化とは、非物質的世界(世界Ⅰ)に存在する絶対的無意識のΩ神が、意識のある心を持つΩ人になって地上の物質世界(世界Ⅳ)に生まれ出る為に自動的かつ必然的に行われたものです。
 ここに含まれている進化の原理は、Ω神が自らの身心をΩ神の理法に則って自己展開する形で全て造っている形になっています。
 言い換えると、進化によって世界Ⅳ~世界Ⅶに現れて来るのは、始めからΩ神の中にあるモノだけだ、ということです。
 即ち、この世界の成り立ちと仕組みの創造主である神であり、第一原因者のΩ神の中に無かったモノが、進化の過程で新しく創造される(例えば適者生存式の結果)のでは無いということです。
 例えば「他人と仲良く生活できる協調性がより強くある人」を、進化の法則は「適者生存の法則」を使って選んで来た、という人がいます。例えば、佐倉 統氏。→読売新聞2009年2月××日の記事
 しかし、真理は、Ω神が創造主である神として、自己絶対肯定・他者(Ω神が自らの化身かつ分身の存在に造ったΩ人とΩ人が住む天然自然の世界)絶対肯定の構えを持つという属性、言い換えると、万物と万人に対する絶対愛を持ち、これを表現することしか出来ないΩ神の属性が、Ω人を造り出す中で自動的かつ必然的=自然にΩ人の中に現れた、ということです。
 しかも、一つの生物の存在は、これを含む生物の生態学的な秩序の中に常にありますから、これを離れ、これを無視して、「適者生存の法則」だけで、一つの生物の進化が行われることは無いでしょう。→一般法則論における「進化」の理解(まだ説明途中)。
 注記4の終わり

○注記5 進化と意識のある心の誕生と意識と無意識の関係
 神は、岩石の中では眠り、植物の中では目覚め、動物の中では活動し、ヒトの中では自らに目覚める────ウパニシャッド哲学

 この進化の過程を踏んで、Ω神の「絶対的無意識の心」の一部が、Ω人の「意識のある心」としての働きを持つようになり、Ω人は、自らがΩ神の化身かつ分身の存在という悟りを得ることが可能になった訳です。
 比喩的に言えば、その全体が水面下にあったΩ神の絶対的無意識の心の一部が「心の進化」という過程を経て水面上に姿を現して、Ω神の化身かつ分身のΩ人の持つ「意識のある心」として働くようになったのです。
 しかし、「心」という存在全体の大部分は、なお水面下の無意識と言われる部分にある、という訳です。
 言い換えると、Ω人の心の構造は、Ω神の絶対的無意識の心の存在とその機能/働きを基礎にして、Ω人の意識のある心の存在とその機能/働きがある、と言うことです。
 そして、Ω人の意識のある心とΩ神の絶対的無意識の心の関係は、Ω人の意識のある心が思ったことを、Ω神の無意識の心が自動的かつ必然的にかつ自然に、世界Ⅵの中で、Ω人の体験という形にする、という関係にあります。
 注記5の終わり

○注記6 日本民族が「近代」において果たした役割
 日本民族は、人類史の「近代」において、アジアの近代化と白人の植民地の解放という大事な使命を果たしています(注記10)。
 しかし、このやり方は、朝鮮半島、中国、アジアの諸国に対する侵略と植民地支配以外の何物でも無かった、と日本国内の左翼(そもそも社会主義国/共産主義国では無い現在の日本国の存在を一切認めないという立場で自国民、特に子供達を教育して、自国に対する嫌悪感と拒否感を植えつけようとする意図を持ち続けている人達です。この人達は日本原住民でしょうか?)と一部の国から今になってもずっと非難されっ放しです。
 その言い分の一つは、日本がかの国を「おんぶにだっこ」で優しく近代化をしてくれなかったのが不満だ、ということにあるようです。何様の積もりだ! と言いたい所ですが、石器時代を生きていて未だ文化・文明を知らない日本人に最初に文化・文明を教えた自分たちにはその特権がある、と本気で信じているようです(注記8)。
 同時に、自分たちの力で自国の近代化をやろうとしていたのに、これを不当に妨害され、この間過酷な植民地支配により一方的に搾取されたということのようです。
 しかし、これらの事に関する歴史的な事実は、全く異なることが既に知られています。

 自分たちの力で近代化の途上だったと、かの国の人達はいいます。
 しかし、何事かを思いつきこれを形ある物にするには、この前にこれが可能な準備が出来ている必要があります。
 例えば、パソコンの「表計算」ソフト(「ビジカルク」でしたかね)を最初に思いついて作った人がいます。
 この人は、アメリカの経営学の大学院で経営学を学ぶ中で、経営資源の配分の仕方を条件を色々と変えて計算し比較せよ、という宿題をもらった時に、この思考実験が即座に出来るようにする必要性を強く感じることから始まって、これをパソコンのソフトにする、即ちその当時のパソコンが持つ機能と性能と可能性を既によく理解していて、これに加えて、プログラミングの知識と技術とこれを実行できるパソコンを既に持っていたことによって、実際にその表計算ソフトを創造することが可能になった訳です。
 経営学の大学院で経営学を学ぶ人達が大勢いる中で、また、パソコンを既に持ちパソコンのソフトを自分で作れる知識と技術を持つ人達も多数居たに違いない中で、経営資源の配分の仕方を条件を色々と変えて即座に思考実験することが出来るようにする必要性を強く感じて、パソコンで動かす表計算ソフトを実際に作ったのは、そのヒト一人だけだった訳です。
 国の近代化でも、話は同じです。
 日本民族は、既に近代化された西洋文明に接すると即座にこの意義を理解して、自ら進んで日本の近代化をやり遂げた訳です。これに先立つ江戸時代にこの準備が既に済んでいた訳です。
 しかし、この当時の中国大陸や朝鮮半島に住む人達は、特に国を実際に支配し動かしている人達は、殆ど近代化の意義が理解出来なかったようですね。
 だから、後になって、近代化を自力で出来たというのは嘘でしょう。

○注記7 日本民族の使命の果たし方
 日本民族の使命の果たし方は、Ω神によって造られているこの世界の成り立ちと仕組みを説明している一般法則論の理解と採用が前提になるでしょう。
 いや、この言い方は正しくありません。
 この前に既に、日本民族の使命を果たすことをしています。
 例えば、日韓共同の世界サッカー開催時に、外国のチームとこの応援に来た外国のサッカー・ファンに対して見せた、日本のサッカー・ファンとそれらチームの練習場所を提供した日本各地の地域の人たちによる、公平で温かいどころか熱い応援の仕方。
 一般法則論は、精々、これらの行為が偶然に行われたのでは無いことの理論的な根拠を示し、正当化し、理論武装を提供するのみです。
 但し、妄想的な理論に基づくいわゆる「平和憲法」を世界に広める、ということでは無い筈です。
 これを話すと長い話になりそうですね。
 注記7の終わり

○注記8 日本の文化はこの大本の中国文明をちょっとひねって作ったものという人
 人様のブログをあちこち見て歩く中で、中国と貿易をしているという社長さんが、日本の文化は、この大本の中国文明をちょっとひねって作ったものに過ぎない、と書いているのを読みました。
 自国の文化について、そして、多分中国文化についても、この程度の理解しかしないヒトがいる、と知った次第です。
 常識的に言っても、自分の生活のスタイルは、お隣のヒトのそれを頂いてちょっと自分なりの工夫を付け加えただけのものだ、ということは無いでしょう。
 文化・文明の基本は、その風土等に合わせて、民族それぞれが独自に創り出すものです。
 この自覚的な知識がないと、中国共産党によるチベット民族の文化の破壊の不当性が見えては来ないでしょう。
 多分、中国貿易で食っているその社長さんには、中国共産党によるチベット民族独自の文化の破壊に危機感を持っているチベット民族の苦悩が見えないものと推測できます。
 注記8の終わり

注記9 また一人
 先ごろ、私が深く敬愛する大事な友人が、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法が自分のために自覚的に意図的に使える、と分かって来た、と話してくれました。
 この友人は、真っ直ぐな性格で謙虚で真面目すぎるくらいの方です。
 だからこそ、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法をモノにして欲しい、と密かに思っていました。
 とにかく、とても嬉しいことです。
 注記9の終わり

○注記10 使命をひとまず果たして自ら墓穴を掘り解体された
 アジアの近代化と白人の植民地支配を止めさせる使命を果たす主体を担った日本の軍隊は、結局自らの行為の稚拙さで墓穴を掘り、解体されることになりました。
 そして、この後は、人類史が一つステップ・アップし、日本国内では自由主義と民主化により、再び元の軍隊が復活することはなくなりました。
 しかし、その当時、軍の活躍を支持し熱烈に礼賛した人たちが今「左翼」と名前を変えて、「無謀な戦争などしなければ、(今も凛々しい軍服姿の将校さんの姿を見ることができたのに、未だに勇ましく行進する兵士の軍靴の音の幻聴がする位悔しい! 遅ればせながら)、当時の戦争今も絶対反対!」の運動するという不思議なことになっています。
 執拗に過去のすでに結果の出ている戦争に強いこだわりを見せ、「無謀な戦争をした」と繰り返して言う左翼の人たちの運動を見ていると、軍国少年・少女として大好きな大日本帝国陸海軍を失った悔しさがそういわせるのに違いない、と、戦後の自由な社会を素朴に有難いと受け止めている者として、思います。
 とにかく、日本の帝国軍隊は人類史的な使命を果たして散りました。
 この後、自由主義と民主主義が人類の常識になりました。
 但し、全てのアイデアは、具体的な形となって現れます。即ち、アメリカ式の自由主義と民主主義の形になりました。
 これは、今もこの代わりになるものがありませんね。
 注記10の終わり

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

Ω神による天地創造の目的を再確認をします   意識のある心の存在理由

2009-02-26 06:28:20 | 一般法則論の世界観の図解説明
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的    人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)           ヒト     生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                    Z→→→Z


 この文では、Ω神による天地創造の目的を再確認します。

○お手元に用意して頂く物は一般法則論の世界観の図解
 この文の冒頭にも略図が掲げてありますが、2008年12月03日の文で、その全体を概略説明した一般法則論の世界観、即ち、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの図をお手元に用意してください。
 これに基づいて、これに基づいてのみ、以下の説明をします。
尚、Ω神が存在している「世界Ⅰ」に関して、「世界Ⅰは心の世界であるわけ」2008年12月26日参照。
ヒトの存在目的 「地球が静止する日」という映画 2008年12月22日の文も。
 なお、以下の文中、「Ω神」とは、「天然自然の存在の天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在の創造主である神」を短く一言で表現したものです。

○Ω神が意図し造ったこの世界の成り立ちと仕組みの復習
 私達ヒトという存在(世界Ⅴ)と私達が生まれ住んでいるこの世界(天然自然の世界Ⅳ+ヒトが作っている世界Ⅵ以下)があります。
 この世界は、自分の存在も含めて実在している、と私達が素朴に信じている世界です(注記1)。
 ところで、この世界(世界Ⅰ~世界Ⅴ)は、以下に説明するように、この世界の始まりの原点の世界Ⅰに存在するΩ神が、自らが意図するただ一つの目的を実現する為に、その全ての仕組みを造ったことの結果として存在しているものです(この意味で、Ω神はこの世界を造った唯一絶対普遍かつ至高の第一原因者)。
 Ω神が実現を意図する唯一つの目的とは、即ち───
 世界Ⅰに存在している(絶対的無意識の存在の)Ω神は、「意識のある心」を持つ自らの化身かつ分身の存在のヒト(宇宙大で言えば宇宙人一般/世界Ⅴの存在)を、その一人ひとりが異なる独自の個性を持つ多種・多様な存在として無数に無限に創り出し、その一人ひとりになって様々に生まれ、様々に生き、様々に遊び楽しむ(世界Ⅵ以下)こと。

○Ω神は私達ヒトを創り出す為にのみ存在している
 上で説明したことを言い換えれば────
 私達ヒトという存在(世界Ⅴの中のヒト。宇宙大で言えば宇宙人一般)と私達が住んでいる世界(天然自然の世界=世界Ⅳ)は、Ω神が最初に存在していて(世界Ⅰ)、その意図に基づいて全て造っているものです。
 これを私達ヒト(世界Ⅴ)の立場で考えると、Ω神は、意識のある心を持つ私達ヒトを創り出す為にのみ、この世界に存在していることになります。
 実際、この通りである訳です。
 言い換えると、Ω神は、意識のある心を持つ私達ヒト(宇宙大で言えば宇宙人一般)の存在を抜きにし、私達のヒトの存在を離れて、Ω神自体で勝手に偶然に気まぐれにこの世界に存在することが絶対的に出来ないのです。

○Ω神はなぜ意識のある心を持つヒトの存在を必要としたのか?
 Ω神は、なぜ意識のある心を持つヒトの存在を必要としたのか?
 この答えは、「意識のある心を持つ存在」、即ち、私達ヒトという存在(宇宙大で言えば宇宙人一般)を絶対に必要としたからです。
 意識のある心を持つ存在であるヒトは、自らの生き方を、自ら主体的に自由に考えて、自分が生きたい人生を、何にも頼らず、何にも支配されずに自分一人で自由に主体的に決めて選べる能力を持ちます(注記2)、(注記4)。
 なぜ、こうなっているでしょうか?
 この答えは、「意識のある心を持つ存在」とは、「自らの生き方を、自ら主体的に自由に考えて、自分が生きたい人生を、何にも頼らず、何にも支配されずに自分一人で自由に主体的に決めて選べる」機能/能力を持つ者だ、とΩ神自らが予め決めているからです。
 即ち、Ω神とは、終始首尾一貫して最初からこうだと決め、こう思い込んでいる存在なのです。
 そして、Ω神という存在は、意識のある心を持たない、(絶対的)無意識の存在であるのです。

○無意識の存在のΩ神に出来ること
 「意識のある心を持たない」=(絶対的)無意識とは何を意味するのでしょうか?
 意識のある心を持たない、(絶対的)無意識の存在という意味は、「することが出来る」と予め決まっている事しか出来ない存在、ということです。
 (絶対的)無意識の存在のΩ神は、正に、「することが出来る、と予め決まっている事しか出来ない存在」と言う訳です。
 そして、これが、Ω神の存在を含むこの世界全体(世界Ⅰ~世界Ⅶ+世界Z)が最初から持っている性質/属性/絶対的な決まりなのです。
 これは、ヒト(宇宙大で言えば宇宙人一般)がこの世界に誕生する前からこうだと、私達には、一切全く相談も無く、承認と承諾も無く、一方的に(注記3)、私達ヒトという存在全てにとって絶対的に等しく、絶対的に客観的に、唯一絶対的に普遍的にかつ不変的に決まっています。
 この事実を、ヒトはもちろん拒否したり、否定したり、無視したりすることは一切絶対にできません。
 何しろ私達がこの世界に誕生する前から、Ω神の存在とその属性等は、私達には一切相談も無く、承認と承諾も無く、一方的に絶対的に存在し、そうだと決まっているのですから。
 そして、(絶対的)無意識の存在のΩ神が「することが出来る、と予め決まっていること」の中に、Ω神自らの化身かつ分身の存在でかつ意識のある心を持つ存在であるヒト(宇宙大で言えば宇宙人一般)を創り出す為に天地創造を行う、という目的が最初から含まれているのです。
 そして、Ω神は、自らの存在目的をその通りに完全完璧に百%実現することが出来る全知全能の智慧と力を持つ天地創造の理法/(自然科学的に言えば)自然法則+エネルギー一体不可分の働きも合わせ持っているのです。
 この結果、自動的かつ必然的に=自然に、意識のある心を持つΩ神の化身かつ分身の存在の私達と、私達が住むこの世界(私達にとってはΩ神が予め用意してくれた天然自然の存在の生活基盤/インフラになる物)が誕生することになったのです。但し、これは、自然科学で知られている「進化」という名で知られている過程を踏む必要がありました(進化についてはこれ独自の説明が必要のようです)。

○何故Ω神は自らの化身かつ分身の存在を創り出さなければならなかったのか?
 なぜ、Ω神は自らの化身かつ分身の存在を創り出すという天地創造の意図を持っていたのでしょうか?
 この答えは、(絶対的)無意識の存在のΩ神は、否応なしに最初からこのように存在していた、ということに尽きます。
 Ω神は、自らの化身かつ分身の存在を創り出すという天地創造の意図無しには存在しえないし、天地創造の意図を持っている以上、これ以外のことを選択する自由を全く持っていないのです。
 話が循環していますが、実際Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みがこうなっているのですから、これで良い訳です。言い換えると、一般法則論は、自覚的に意図的に、循環論法/同義語反復の構造/トートロジーを採用しています。

○Ω神の天地創造の実際
 Ω神による天地創造を詳しく言えば、Ω神は、単にヒト(宇宙大で言えば宇宙人一般)を造ったのではないのです。
 Ω神が無数に無限に創り出すヒトは、その一人ひとりが異なる独自の個性を持つ多種・多様な存在である必要があります(注記5)。
 そして、全てのヒトが、一人ひとり、様々に生まれ、様々に生き、様々に遊び楽しむ能力を、生得的に持つ存在です。
 こうであって初めて、Ω神は「意識のある心」を持つヒトを創り出す意義があることになります。
 つまり、あなたの人生は、私とは異なることに意味/意義があることになります。
 もちろん、その一部を、クラスメートになったり、会社の同僚になったり、結婚することで共有し、共に生きることになる場合も有ります。
 そして、これに全ての辻褄が合うように、この世界の成り立ちと仕組みの隅々まで全てが造られているのです。ここが何とも凄いところです。
 Ω神がこの世界の成り立ちと仕組みを造った仕事の巧みなことは、知れば知るほど驚愕に値します。

○天地創造を実際に行った智慧と力の源
 Ω神の意図に絶対的に従って天地創造を実際に行ったのは、全知全能の智慧と力を持つ、不可能を全く知らない「Ω神の天地創造の理法」の働きです。
 「Ω神の天地創造の理法」は、自然科学では、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きを意味します。
 「Ω神の天地創造の理法」は、Ω神の一部であり、Ω神と一体不可分の存在です。
 そして、「Ω神の天地創造の理法」、言い換えると「天地創造の原理」は、第一に、Ω神の天地創造の意図を実現するための道具として存在しています。
 「Ω神の天地創造の理法」はΩ神の天地創造のための道具なのですから、全ての道具は使い手に素直に絶対的に服従して使われるという「道具」の持つ本質的機能に従って当然に自らの主体的な自由意志を持っていませんので、これ自体で独自に勝手に働くということがありません。これをニュートンは、「慣性の法則」と名付けました。
 一般法則論では、「Ω神の天地創造の理法」の「慣性の法則性」を使って、Ω神の存在証明をしています。
 「Ω神の天地創造の理法」=「天地創造の原理」は 、Ω神の化身かつ分身のヒトにとっては、生き方の原理として働くものになります。
 全てのパソコンは、「Ω神の天地創造の理法」=「天地創造の原理」の働きによって造られているこの世界の成り立ちと仕組みに根拠のある「パソコンの原理的な仕組み」に正しく則って作られているときにのみ実際に使える物になります。
 全てのヒトの日々の暮らしも、同じく「Ω神の天地創造の理法」=「天地創造の原理」の働きに根拠のある「ヒトの生き方の原理的な仕組み」に正しく則って行われているときにのみ、現実に、実際に成り立ちます。
 「ヒトの生き方の原理的な仕組み」をハウツー化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を説く本の一例は、次のもの。
 マイケル・J・ロオジェ(2003・2006) 石井裕之監修(2007) 引き寄せの法則 東京 講談社 黄色の表紙の本。

○まとめ
 Ω神による天地創造の目的とその根拠/理由について、改めて説明しました。

○注記1 この世界の実在に関する懐疑
 この世界は確かに実在しているのか?
 こう思うと、もう夜も眠れなくなる、という人達がいるようです。
 手塚治虫氏の全作品を取り上げて、これが持つ21世紀的な意味を考察するNHKの衛星放送の番組(→手塚治虫の哲学の可能性を考える番組 2009年2月12日の文)の初日に、自分自身の存在を含めて、この世界の確かな実在性に強い懐疑を持つ少年を描いた作品を取り上げました。
 この日の出演者の香山リカ氏は、この懐疑を自分も共有すると言い、「この世界の実在性に関する自らの考えを述べよ」という趣旨の問いを試験問題にして、学生に答えさせていた、と言いました。
 そして、ある日、ある哲学者にこの試験問題の答えをたずねたら、「哲学者でもその答えを知らない」と言われて、これ以降、この試験問題を学生に出すことは止めにしたそうです。
 もちろん、一般法則論では、この世界は、天然自然の存在のΩ神の実在や私達ヒト(宇宙大で言えば宇宙人一般)の存在を含めて、必然的な存在理由を持って実在していると言い切っているのは、あなたも既に御存知の通りです。
 このことを、ここでは改めて説明しています。
 注記1の終わり

○注記2 ヒトが持つ絶対的自由意思の根拠と起源
 ここで説明しているのは、言い方を変えると、「ヒトが持つ絶対的自由意思の根拠と起源」の話、ということになります。
 Ω神が自らの化身かつ分身の存在として造ったヒト、即ち自らの生き方を自ら主体的に自由に考え選ぶことができる機能がある「意識のある心」を持つヒトは、Ω神から見れば、当然に絶対的自由意志を持つものでなければなりません。
 この自由意志は、Ω神の存在を認めず、否定する自由も含んでいます。
 但し、ヒトが自らの造り主であり存在根拠であるΩ神を否定すると、この世で生きるための大事な道具であるΩ神の全知全能の理法/自然法則+エネルギー一体不可分の働きを十全に活用するノウハウも一緒に失ってしまうことに自動的かつ必然的になりますが・・・。
 具体的には例えば、いわゆる神に祈るという方法で、自分で病気を治すためのノウハウを発見できなかったり、仮令知っても使えないなど。→緊急事態の祈り方  2009年01月29日の文参照
 注記2の終わり

○注記3 私が、知らないこと、理解できないこと、認めないことは存在しない!
 「Ω神の存在とΩ神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みは、私達がこの世界に誕生する前から、私達には一切相談も無く、承認と承諾も無く、一方的に絶対的に存在し、私達ヒトという存在全てにとって絶対的に等しく、絶対的に客観的に、唯一絶対的に普遍的にかつ不変的に、そういうことになっている、と決まっています」。
 こういう言い方は、しかし、絶対に認めない、という人たちがいます。
 即ち、神という存在はヒトが創り出したもので実在せず、ヒトこそ本来の意味の神である、という考え方を殆ど何の疑いを持たずに信じ込んでいる人たちです。
 この人たちとっては、この世界の中で、「私」という存在は殆んど絶対的です。
 そして、この私に一切の相談や承認や承諾を事前に得ずに、私の意思や世界観/人間観や利害得失、権利、基本的人権等に係わることに関して、誰かによって、勝手に一方的に決められて、その決定に無条件・無留保で絶対的に従え、と要求されることは絶対に認めないし、絶対に許さない! というわけです。
 こういう「常識」をお持ちの方々が実在しています。
 この人達にとって殆ど唯一の例外は、マルクスが大英博物館に籠もって、万巻の書を読み構築した、「共産主義」という「人類が未だ乗り越えることが出来ない最高の実践的哲学」だけは、無条件・無留保で認めて、これに従って行動にでるべきものだ! ということのようです・・・。
 しかし、「マルクスが大英博物館に籠もって、万巻の書を読み構築した共産主義・・・」と聞いたときに直ちに、(Ω神の存在もΩ神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みも知らずに)頭の中ででっち上げたマルクス主義は非現実的な「卓上の空論」の実例だ、とすぐに見破るのが、本物の常識あるヒトの常でしょう。
 自然法則+エネルギー一体不可分の働きに直接根拠のあるモノ作りの場合でさへ最初の設計通りにモノは作れないものです。
 例えば、東海道新幹線が営業運転を始めて間もなく、パンタグラフが壊れるなどの小さな色々な事故が多発しました。
 これは何かのシステムを作ってこれを動かした初期の段階では避けることが出来ない「初期不良」(初期故障)、と言われるものです。→中村義作 編著 加久間 勝・村尾 洋・徳山五郎 共著(1987) システム工学 オーム社 故障率 57頁
 なぜ、こういうことが必然的に起こるのか?
 それは、一言で片付ければ、そのシステムが何であろうと、ヒトが考え、ヒトが作るシステムは、最初から完全完璧なシステムに作ることができないから、ということです。
 「事実は小説よりも奇なり」と言われるように、システムそれ自体は仮令完全完璧に作られていても、そのシステムが実際に稼働する環境は、そのシステムが想定していた事を超えることがあって、そのシステムでは対応できずに故障する、ということが普通にあります。
 初めての冬を体験した新幹線は、米原付近で雪を車輪に巻き込んで故障した、という話があったように記憶します。
 幾ら複雑で巨大なシステムの新幹線と言えども、私達が生きているこの社会/ヒトが作ったのでは無い、未だ自然科学で解明途中の天然自然の存在の世界の複雑さと巨大さに比べたら、ヒトの論理/理屈をその隅々まで貫徹出来るという意味で、単純で簡単なシステムです。
 複雑で巨大なシステムであるこの世界を、「机上の空論」のマルクス理論で、完全完璧に捉え支配し制御することが出来る、と考えるのは、妄想以外の何物でもありません。
 この点に関して一般法則論は、何を実現したいのかは決めても、この実現の方法は、この全世界を唯一絶対的に造る力を持って現に造っている全知全能のΩ神の理法/自然法則+エネルギー一体不可分の働きに丸ごと絶対的に全面的に任せて、その全てを知っている全知全能の導きに従って行動にでる、というやり方をします。
 この時に、一般法則論では、事を成すに当たって、Ω神の全知全能の絶対に失敗を知らない威力を頼りにします。この結果、ヒトの意思の力や暴力等は一切不要になりますから、これらは最初から使う予定に入っていません。
 この点に関して共産主義社会を実現するための革命は、あなたも既に十二分に御存知のように、ヒトの強い革命精神に裏付けられた意思の力と暴力が必須の要素になっています。
 例えばパソコンを動かすときには、自然法則+エネルギー一体不可分の働きに全て任せてしているように、Ω神が造ったこの世界の天然自然の存在の成り立ちと仕組みの中では、ヒトがこの世に在って生きる為に、本質的にヒトの意思の力や腕力や暴力等を一切全く必要としていません。
 全てのヒトにとってただ一つ必要なのは、自分は如何に生きたいのかを選ぶことのみです。
 ここまで単純化して言い切ることができるほど、自らの化身かつ分身のヒトのためにΩ神が造ってくれたこの世界の成り立ちと仕組みは簡単にできているのです。
 この天然自然の仕組みの存在を知らず、使えないマルクス主義革命が暴力的なのには、このような根拠があることになります。
 このような話は、一般法則論を持ち出すまでもなく、本来、理科教育/科学教育の分野で、この世界の成り立ちと仕組みは(創造主である神+)自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって全て造られ、支配され、これに基づいて私達全ての存在とその生活が成り立っているので、この事実/真理を自覚的な知識にして、これに則って生きる生き方を説く筈のものです。
 しかし、科学は、この世界の成り立ちと仕組みを自然法則+エネルギー一体不可分の働きのみで全て説明し尽くそうとする考え方だ、ということさへ、科学者や哲学者の間の自覚化された共通認識になっては居ないわけです。
 「他人の頭のハエ(疑似科学)を追い払うよりも、自分の頭のハエ(科学とは何かの説明が出来ないでいる)を追い払え」でしょう。
 注記3の終わり

○注記4 唯心論的な原理でこの世界の成り立ちと仕組みが造られていることを認める
 ここで表明されている、ヒトの意識のある心の働きで、自らの生き方を考え選び決定することができる、という考え方は、心の実在を肯定し、この心の働きによって初めて世界が創造され、ヒトの人生が生まれる、ということを当然のこととして認めている、ということです。
 すなわち、唯心論的創造原理があることを認め受け入れている、ということです。
 汎神論的天地創造の原理と唯心論的創造原理 2008年02月25日参照
 注記4の終わり

注記5 この世界は自動的かつ必然的に多様性に富むものに造られている
 この世界は、自動的かつ必然的に多様性に富むように造られています。
 この現われは、分子化合物が造られるあたりから顕著になるようです。
 指紋は一人ひとり異なることが広く知られています。しかし、これに加えて、音声指紋、脳指紋、物質指紋など、この世界の存在物がそれぞれそれ一つしかない存在であることが、自然科学的に分かるようになりましたね。
 そこで、一つ同じヒトの原理的な仕組みを基にして造られる実際のヒト・システムは、使われる物質的素材が少しずつ異なるし、生き方=ヒト・システムの使われ方が個人ごとに異なるので、遺伝子の点では全く同じ一卵性双生児でさへ年を取るに従って若いときにはよく似ていた顔が異なってくる、ということになります。
 工業的には、同一の物、例えば同一規格に当て嵌まるものを作るには、品質管理をするという特別な工程を踏む必要があるのは、あなたもご存知のとおりです。
 注記5の終わり

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。 

Ω神とヒトとの関係について

2009-01-16 02:58:17 | 一般法則論の世界観の図解説明
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的   人・子・文歴  記憶
(心的なD)     M(記憶)          ヒト   生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                   Z→→→Z


 この文は、図解化された一般法則論の世界観の説明を、図解に基づいて行います。
 この文は、Ω神とヒトとの関係について説明します。
 文の目的は、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を簡単に説明するための準備です。

○Ω神とヒトとの関係
 ヒトは、意識のある心と無意識の心と物質的な身体を一つに合わせ持つ存在です。
 宇宙大で言えば、多分間違いなく宇宙人一般も、意識のある心と無意識の心と物質的な身体を一つに合わせ持つ存在です。ついでに付け加えれば、男女の性別も宇宙大で普遍的な筈です。
 ヒトは、絶対的無意識の存在のΩ神が、自らの化身かつ分身の存在を無数に無限に造って、その一人一人になって様々に生まれて、様々に生きて、様々に遊び楽しむことを目的の為に造ったものです。
 即ち、Ω神は、正に自らの化身かつ分身の存在を無数に造って、その一人ひとりになって生きる意図で、私達が知っているこの世界の成り立ちと仕組みを造ったのです。
 そして、私達が天然自然の世界と呼んでいるのは、ヒトが住む為の生活基盤/インフラとして造ったものです。
 これが、Ω神とヒトそして世界との基本の関係です。

○Ω神とヒトがそれぞれに造る世界の範囲
 Ω神が天地創造によって自ら直接造った世界は、図解化された一般法則論の世界観で言えば、世界Ⅰから世界Ⅴ(Ω神の化身かつ分身の存在のヒト)までです。
 ヒトが自覚的に意図的に或いはそれと自覚しないで作った世界は、世界Ⅵ(ヒトが物質世界の中で生きることで作った世界)~世界Ⅶ(ヒトが生きた記憶)~Z(妄想)です。

○自然改造ができるヒトの存在根拠とこの世界の成り立ちと仕組みに於ける地位
 ヒトによる「自然の改造」という言葉があります。
 天然自然の世界は、Ω神が自ら直接造ったものです。
 ヒトは、天然自然の世界を改造し、Ω神が造った天然自然の世界には存在して無かった文物を沢山作りだして、これを天然自然の世界に付け加えています。例えば、川の堤や貯水池。
 では、これを可能にしている原理は何にあるのでしょうか?
 この答えはこの世界の成り立ちと仕組みに於ける「意識のある心を持つΩ神の化身かつ分身の存在のヒト」という言葉の理解の中にあります。

○図解の中の「意識のある心を持つΩ神」のヒトの位置
 ヒトは、意識のある心+無意識の心+(無意識の心に属する神の理法/自然法則+エネルギー一体不可分の働きにより造られた、その殆どの存在と働きがヒトの無意識の心に属している)物質的な身体を持つ存在です。

  ヒトという存在=意識のある心+無意識の心(潜在意識)+物質的な身体(殆んどが無意識の支配下)

 ヒトは、絶対的無意識の存在のΩ神の意図により、自然科学では「進化」として知られている過程を踏んでこの世界に誕生した者です。
 そして、ヒトは、物質で造られた世界(世界Ⅳ)に物質的な身体を持って生まれつつ、Ω神の絶対的な無意識の心の一部が「意識のある心」として働くようになった心を持つ存在です。全てのヒトが、Ω神によってこのように造られています。
 Ω神がその全てを造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中では、私達が「心」/「精神」と呼ぶものは、無次元(無時間で無空間)の世界Ⅰに「Ω神の心」/Ω神の魂として存在するものです。
 但し、Ω神の持つ心は、絶対的無意識の心です。
 「意識のある心」は、Ω神の化身かつ分身の存在のヒト(宇宙大で言えば宇宙人一般)が「意識のある心を持つΩ神」として世界Ⅴに誕生するまでは、この世界に存在していなかったのです。
 念のために再確認すると、絶対的な無意識の存在のΩ神は、自らの化身かつ分身に造ったヒトに「意識のある心」を持たせることによって、自らの在り方と生き方を自覚的に意図的に主体的に自由に考え選び決めることができる能力を持つようにした訳です。
 そして、意識のある心を持つ存在として生まれたヒトは、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中で、意識のある心を持つΩ神の化身かつ分身の存在として、常に世界Ⅰに絶対的無意識の心を持つΩ神と一緒に存在することになったのです。
 かつ、ヒトの抱く、「自分はΩ神の化身かつ分身の存在」、「私はこの世に生きている存在」、「自己意識」、「自我意識」(注記1)等の気付き/自覚は、世界ⅠにΩ神と一緒に存在するヒトの「意識のある心」の働きとして自動的かつ必然的に生まれるものです。
 つまり、ヒトのヒトたる存在証明は、ヒトの持つ「意識のある心」の働きにこそあることになります。
 この意味で、ヒトは、無意識にその大部分が属する物質的な身体や物質的な身体に伴う「五感」とこの結果の快・不快感や喜怒哀楽等に、ヒトとしてのその存在証明や存在根拠があるのではないことになります。これを、イエスは、「人はパン(物質的身体の象徴)のみにて生きるに非ず」(ヒトの本質は非物質的な存在の「心」とその働きがある)という訳です。
 なお、ヒトの物質で出来た身体は、物質世界の世界Ⅳの中に誕生し(世界Ⅴ)、ここに一生涯留まっています。

○意識のあるΩ神のヒトが存在する世界Ⅰの世界の位置について再確認
 この世に生きて存在するヒトは、意識のある心+無意識/潜在意識の心+物質的身体を一つに合わせ持つ存在です。
 ヒトは、意識のある心を持つΩ神として、絶対的無意識の存在のΩ神と共に、世界Ⅰに存在しています。
 ところで、世界Ⅰは、「図解化された一般法則論の世界観」の中で見て分かるように、世界Ⅲ以下から絶対的に超越して存在し、この世界の成り立ちと仕組みを創造する源になった所です。
 この故に、世界Ⅰに存在するΩ神と意識のある心を持つΩ神の化身かつ分身のヒトは、世界Ⅲ以下より先に存在し、Ⅲ以下の世界(注記2)を創造することができる存在として在るわけです。

注記1 ヒトの自己存在意識の範囲を決めているのは、ヒトというシステム
 ヒトの自己存在意識の範囲は何で決まるのか?
 この答えは、ヒトは、自然法則的に既に決まっている「ヒトの原理的な仕組み」を素にして造られるヒト・システムの存在範囲によって自動的かつ必然的に決まります。
 注記1の終わり

○注記2 ヒトはΩ神に代わり法則を作れる
 世界Ⅲは、本来、Ω神の天地創造の原理/自然法則+エネルギー一体不可分の働きのことです。
 しかし、ヒトは、Ω神が直接造った天然自然の存在の法則にはない、例えばテレビの原理的な仕組みの発明のように、複数の天然自然の存在の法則を組み合わせて、新しい法則を作ることができます。
 但し、天然自然の存在の自然法則がするような、原理的な仕組みを基にした自己修復能力を持つシステムを作ることが出来ません。しかし、これによって時代遅れの人造のシステムを、天然自然の存在の法則の一つである「エントロピー増大の法則」に任せて廃棄することが可能になります。
 また、倫理・道徳の法則や法律など、社会生活に必要な人工の法則を作ることができます。
 ヒトは意識のある心を持つΩ神として、自分が生きている社会の創造主である神だからです。
 問題は、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みに一切根拠の無い法則をでっち上げて、それを他人に強制することです。
 注記2の終わり

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


一般法則論の世界観の図解の中の創造主であるΩ神の位置

2009-01-15 05:11:23 | 一般法則論の世界観の図解説明
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的   人・子・文歴  記憶
(心的なD)     M(記憶)          ヒト   生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                   Z→→→Z



 この文では、図解化された一般法則論の世界観の説明を、図解に基づいて行います。
 まずは、この世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神の位置について。
 なお、この文は、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を説明するための準備です。

○図解化された一般法則論の世界観の中でΩ神の位置の確認
 Ω神とは、何か?
 Ω神は、Ω神が全て造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中で、私達全ての存在に絶対的に先立ってそれ自体で在るようにして在る天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在を、一般法則論では「Ω神」という言葉一つで表現したものです。
 一般法則論の世界観における「Ω神」は、「図解」の中で示したように、この世界の成り立ちと仕組みの最初に位置し、「世界Ⅰ」(と一般法則論で名付けた所)に属しています。

○創造主である神としてのΩ神
 Ω神は、あなたや私の存在を含めて、この世界の成り立ちと仕組みの全てを造った第一原因者=「創造主」である神です。

○全てがΩ神の造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中に在る Ω神は創造主である神である。
 この意味は、あなたや私の存在を含めて、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの全てが、Ω神のみから生まれ、Ω神の世界Ⅰの中に全て在る、ということです。
 言い換えると、誰も/何物も、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの外に存在することは出来ないし、Ω神が全て造った世界の外に何かが存在することは、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中では絶対に有り得ない、ということです。

○Ω神の世界の絶対秩序に否応なしに従う必要性
 私達全てが否応なしに、Ω神が全て造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中に生まれて生きていることが直接意味することは何か?
 Ω神は、この世界の成り立ちと仕組みの秩序を、Ω神の天地創造の原理(注記1)=Ω神の理法=自然法則+エネルギー一体不可分の働きに則って全て造っています。
 詰まり、私達と私達が生まれ住んでいるこの世界は、唯一絶対普遍かつ至高のΩ神の絶対的な法則が造る絶対的秩序の中にある、ということです。
 そこで、この世界の中に生まれた私達は、否応なしに、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みが持つ法則的な秩序に従い、この秩序に調和して存在し生きることが必須になります(注記2)。
 言い換えると、Ω神が造った世界の中に、ヒトとして存在し生きる原理的仕組みが、Ω神によって定められている、ということです。→ヒトの生き方の原理とこれを実用化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法。

○Ω神の存在とこれが果たしている役割について未だ無知の人が多い
 Ω神はこの世界の成り立ちと仕組みの創造主である神であり、この世界の成り立ちと仕組みの秩序を造り、ヒトの生き方の原理を決めている、ということ。
 しかし、このことは、未だ人類全体の常識になっていません。
 これを教えるべき自然科学者達が、このことを未だ自覚的知識にしているとは言えません。
 これを指摘する一般法則論はこの意味で一つの存在理由がある、と言えるでしょう。

○注記1 天地創造の原理について別の表現
 天地創造の原理については、一般法則論で、次の2つの用語を作りました。
①唯心論的創造原理
②汎神論的天地創造の原理
 注記1の終わり

○注記2 科学教育の目標
 科学教育の目標は、この世界の中に生まれた私達は、否応なしに、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みが持つ法則的な秩序に従い、この秩序に調和して存在し生きることが必須だということと、Ω神が造った世界の中に、ヒトとして存在し生きる原理的仕組みが、Ω神によって定められていることを知り、これが「ヒトの生き方の原理」の形で存在し、更にこれを実用化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法があることを教えることにある、と言えます。
注記2の終わり

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


「現地と地図」の比喩で「図解」化を説明すると

2008-12-31 02:04:10 | 一般法則論の世界観の図解説明
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの十二月三日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的   人・子・文歴  記憶
(心的なD)     M(記憶)          ヒト   生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                   Z→→→Z


〇「現地と地図」の比喩で「図解」化を説明すると・・・
 ここで、図解(化)とは何かについて、自覚的に意図的に説明をしておきます(注記1)。
 「一般法則論の世界観」の「図解」化の基になったものは何か?
 これは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在の創造主である神=Ω神の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組み、即ち「現地」を、私がいわゆる「悟りの体験」で知ったことにあります。
 即ち、「一般法則論の世界観」の「図解」化は、私が「悟りの体験で知った現地」を「地図」化=「図解」化してみたものです。
 ということは、自動的かつ必然的に「現地の地図化」に伴う問題を抱えることになります。
 以下に、この問題の考察。

〇現地の地図化の目的
 私たちが生きている「世界」があります。
 これは、一般法則論の世界観の図解では、次の二つの世界からなるものです。
①五感で分かる物質的な世界である世界Ⅳ~Ⅵ(天然自然の物質世界を生活基盤/インフラとして存在している人の生活)(注記2)
②五感ではその存在が分からない世界Ⅰ~Ⅲ(Ω神とΩ神の天地創造の目的を実現する理法/自然法則+エネルギー一体不可分の働き)(注記2)

 物質的な世界は、ここから宇宙の果てまで一つに繋がっている全体で一つの世界である、というのが、現在の科学的な世界観ですね。
 物質的な世界を造る原因設定をしたΩ神とΩ神の理法の働きの世界も、勿論、物質的世界と同じかそれ以上の大きさがあることになります。
 また、全ての人にとってとても身近な自分の体と心も(物質的身体は世界Ⅳ~Ⅵに、理性的な心は世界Ⅰに常にあって、絶対的無意識の存在のΩ神と一体不可分である、というのが一般法則論の理解)(注記2)、この「世界」の一部です。
 この意味の「世界」を「現地」と名付けて呼ぶことにします。
 ところで、五感でその存在が分かる筈の物質で出来ている世界Ⅳ~Ⅵに属する「現地」でさえ、原理的にヒトの無意識に属し、「気が付く」/「気付く」という形で意識化し自覚化がないと、その存在さへ分かりません。
 ましてや、五感ではその存在が分からない非物質的なもので出来ている世界Ⅰ~Ⅲの世界は、多くの人にとって一生涯にわたってその存在と働きに気付かず、無意識の世界に属する儘であってもおかしくはありません。
 「無意識に属する」とは、それがあっても、ヒトの意識のある心に意識化されて、自覚的に意図的に認識しないと、それはこの世に存在しないも同然の存在だ、と言う意味です。
 言い換えると、この世界の中に生まれてきても、また、これまでの学校教育で教えられるモノを全て身に付けても、この世界と自分自身の存在とその存在目的や存在理由(ヒトの存在目的や存在理由は世界ⅠのΩ神の所にあります)、またその存在の成り立ちと仕組みも、私たちにとって、自動的かつ必然的に自明なものになるのでは無い、ということです。
 しかし、私たちの日々の生活は、この積み重ねで造られる人の一生涯は、生きているこの世界全体の仕組みに否応なしに則って全て行われています。
 Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みが自動的かつ必然的にもたらす「ヒトの生き方の原理」の存在や、これをハウツー化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を自覚的な知識にして使えなかったら、ヒトとしてこの世界に存在することはとても難しいことに自動的かつ必然的になります。
 更に、現地そのものの全体を鳥瞰し一覧することは、これを自覚的に意図的に試みても普通これは出来ないものです。例えば、東京タワーの展望台に登って、東京都の全体を眺望しようとしても、その一部しか見えません。ましてや地球全体をそこから見ることは出来ません。
 更に、絶対的超越神かつ絶対的創造主であるΩ神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを発見しその全体を鳥瞰する場合には、更に難しいことになります。
一般法則論の世界観の図解は、この試み。
 全体を鳥瞰し一覧することができない「現地」を、可視化し、その全体の構造/仕組み/成り立ちを一望することができるようにするにはどうしたら良いのか?
 この工夫を最初にした人がいて、それが、「現地」の「地図」化や「図解」化の工夫です。
 一般法則論の図解化は、これに学んだものです。
 
 現地を地図化/図解化することで可視化し、全体の構造を一望できるようにし、
 現地の地図化/図解化によって、その全体を一気に鳥瞰して見ることが出来ない現地を、現地を直接実際に歩いて探検して現地がどうなっているのかを調べなくても、現地を歩く前に、地図の上で現地を歩く方法や道筋を計画できるようになります。
 これに伴って以下のような考察が必要不可欠になります。

〇現地の地図化に自動的かつ必然的に伴う問題
 第一に、「地図は現地そのものでは無い」
 第二に、「地図は現地の骨組み/構造/仕組みと主要なランドマークのみからなる」
 第三に、「地図には、現地にある多くの存在物が省略されて載っていない」
 第四に、「現地を表す地図の正確さと信頼性の保証が常に問題になる」
 第五に、「現地の地図化をするに当たり、先に現地の直接測量が必要不可欠になる」 
 第六に、「現地の測量技術が即これに基づいて作られる地図の正確さと精度と信頼性を左右する」
 第7に、この他・・・。

〇現地の地図作りは皆の協同作業
 現地の地図化に自動的かつ必然的に伴う問題点を指摘しました。
 この意味で、地図をより正確で精密で信頼できるものにするための改定が必要不可欠であり、この作業には多くの人々の協同作業が必要になるし、これに誰でもが貢献できる、ということができます。

○「一般法則論の世界観」の図解化の要と信頼性の検証方法
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの図解化において、「地図作り」のための「現地」の測量をする代わりになったのが、私の「悟りの体験」です。
 Ω神が全て造ったこの世界の成り立ちと仕組みは、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られており、これを認識するヒトの心の仕組みも、同じく創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きで造られています。
 この事実を基にして、ヒトはΩ神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを、ヒトの心で完全完璧に認識し理解することが原理的に出来ますし、この究極の方法が、物質的な世界の認識と理解に限られる自然科学の方法ではなくて、世界Ⅰ~世界Ⅶまで一気に丸ごとその全体を知ることに自動的かつ必然的になる「悟りの体験」であることになります。
 そこで、私のした「悟りの体験」の信頼性と品質が問われることになります。
 その正確さは、第一に、ここに掲載した「図解」とこれを元にした一般法則論の説明と、これに基づいて日々を、人生を生きることが実際にできるか、ということに掛かっています。
 実際的には、「ヒトの生き方の原理」とこれをハウツー化した「潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法」に則って、一般法則論が説明する「天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組み」の中で、例えば、次のようなことが実際にできるかと形で試すことができます。
 自分や家族の病気を治せるか?
 必要なお金や物が手に入るか?

 これには、肯定的に答えることができる、とだけ、今ここでは申し上げておきます。

○注記1 気付きの効用
 自分が今していることに気付き、自覚的になって、そのやり方や結果/成果についても自覚的に知って、その有効性や信頼性や是非や真偽を自ら評価することは、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みついて知る第一歩です。
 注記1の終わり

○注記2 聖なる世界と俗世界という名付け
 世界Ⅰ~Ⅲの世界を「聖」なる世界と名付けることにします。
 世界Ⅳ~Ⅶの世界を「俗」世界と名付けることにします。
 「人は、地獄に足を突っ込んで立ちつつ、頭(=心)は常に雲を上に突き抜けた天国にある」。
 即ち、人は、聖と俗の世界を常に併せ持つ存在です。
 聖なる世界は、ヒトとヒトが住むこの世界の成り立ちと仕組みの絶対的創造主であるΩ神と、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトが共にある世界です。
 私達ヒトが生きている現実の世界は、「聖と俗」とを一つに併せたもので成り立っています。
 そして、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みでは、聖なる世界の絶対秩序の中に俗世界がある、という形になっています。→一般法則論の世界観の入れ子構造の図解を参照
 しかし、人類は、「聖」なる世界の役割を知らず、現在「聖」なる世界を見失い、「聖」なる世界の存在を否定し、「俗」なる世界を、自分たちが生きている現実世界の全てだ、という間違った考え方に毒されています。
 詳しい話は別の文。
 注記2の終わり

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


クリスマス おめでとうございます。 イエスの教えは今も生きています

2008-12-26 03:39:26 | 一般法則論の世界観の図解説明
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの十二月三日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的   人・子・文歴  記憶
(心的なD)     M(記憶)          ヒト   生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                   Z→→→Z


 26日になって仕舞いましたが・・・。

 クリスマス おめでとうございます。

○クリスマスを祝う意味
 今日は、12月25日です。
 人類の偉大な教師の一人であり、人類の教師として卓越した存在のイエス・キリストが生まれた、とされている日です。
 今日は、このことを祝う日という訳です。

○人類の偉大な教師の意味
 「人類の偉大な教師」という意味は、この世界の成り立ちと仕組みを造っている根本的な原理、根源的な原理を、人類に教えてくれたヒトの意味です。
 一般法則論的に言えば、「人類の偉大な教師」は、この世界の成り立ちと仕組みを造っている根本原理としての「Ω神」の存在と、これに基づいた人の生き方の原理を教えるヒトの意味です。
 Ω神によって造られているこの世界の成り立ちと仕組みは、私達が生きる基礎になり、私達が生きる前提になっているものです。
 このことを知らなくては、私達の日々の生活は正しく成り立つことができません。
 イエスは、このことに関して、偉大な貢献をしたのでした。

○人類の教師たち
 人類の教師には、イエスの他にも、仏陀や大乗仏教の聖者たち、また、イエスが「求めよ。さらば与えられん。」の形で説いたヒトの生き方の原理を、潜在意識の法則/引き寄せの法則の形で、現代的に蘇らせた人達が入ります。
 物質で造られている天然自然の世界の仕組みや生物世界や生命世界の仕組みを解明した多くの科学者も、この内に入ります。

○「人類の偉大な教師」の中に入っていな人達
 偉大な思想家とか聖人と言われる人達の殆どは人類の教師とは言えません。
 この理由は、この世界の成り立ちと仕組みを造り、これによってヒトの生き方を決めている根本的な原理、根源的な原理を全く知らず、これを説くことが出来なかった人達だからです。
 それどころか、中には、人類に間違ったことを積極的に教える間違いをしています。
 この中には、マルクスやレーニンや毛沢東、チェ・ゲバラなどがいます。
 ばら蒔き福祉のマザー・テレサも、残念ながら、ここで言う意味の人類の教師とは言い難いようです。
 著名な哲学者の多くもこの中に入ります。
 政治政党で「人類の偉大な教師」と言えるのは、皆無です。

○イエスはΩ神の存在を説いた
 イエスが説いた神は、一般法則論で言う「Ω神」のことです。
 私の悟りの体験の直後、新約聖書のイエスの言葉を拾い読みして、こうだと思いました。
 しかも、イエスの説いたΩ神は、自然科学的には風や波を絶対的に支配している物理・化学の法則を超える力を発揮する力を持つものでした。
 一般法則論の世界観の図解を基に理解すれば、これは超自然的な奇跡では無くて、世界Ⅲの神の理法/自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きを絶対的に超越して存在し働く世界Ⅰ存在のΩ神には、別に何でも無いことです。
 イエスは、自分がΩ神の化身かつ分身の存在そのものであり、意識のある心を持つΩ神そのものの存在であることを全面的に理解し受け入れた、人類史上極めて稀なヒトでした。
 そこで、文字通りにΩ神の如く振る舞って、人々の前で風や波を支配して見せたのでした(注記1)。
 しかし、これは現在でもなお、この世界の成り立ちと仕組みに於けるΩ神の地位を知らない多くの人達には、全く理解を超えることに違いありません。

○Ω神は超文化・文明の唯一無比の絶対的存在の創造主である神
 Ω神とは、超・物質を支配する自然法則+エネルギー一体不可分の働き/超自然/超人間社会/超民族/超文化・文明/超法規/超宗教/超哲学/超思想信条/超学問の存在の唯一絶対無比の存在で、人が造ったのではない、それ自体で在るようにして在る天然自然の存在の唯一絶対普遍かつ至高の創造主である神の意味です。
 なぜならば、Ω神は、世界Ⅰに存在し、世界の全てを造った存在であるからです。
 イエスの説いた神は、天然自然産の唯一絶対無比の存在のΩ神そのものです。

○Ω神の文化・文明化=相対化
 イエスの説いた神は、天然自然産の唯一絶対無比の存在のΩ神そのものです。
 しかし、イエスが教えを説いたその当時に人々の間で知られていた神の存在は、一般法則論の世界観の図解で言えば、世界Ⅵに存在する、様々な宗教でそれぞれに説かれている相対的存在の多様な神々のことです。
 そこで、イエスが説いた、世界Ⅳ―Ⅵを絶対に超越して存在する天然自然産の唯一絶対無比の存在のΩ神そのものの存在など、市井の人達には全く理解を越える存在だったに違いありません。
 イエスが説いた言葉から、悟りの体験でΩ神の存在を既に知っているヒトでも無い限り、天然自然産の唯一絶対無比のΩ神の存在を発見し理解するのは至難の技です。
 イエスが存在していた時代を下るにしたがって、Ω神の存在は、益々理解し難い存在になるだけでした。
 キリスト教会も、世界Ⅳ-Ⅵ(金や権力や暴力が物を言う現実の世界/地上世界)の中だけでイエスの言葉と行動を理解することしかできませんでした。
 イエスの説くΩ神は、一般法則論の世界観の図解の中では、世界Ⅳ-世界Ⅵを絶対的に超越して存在し、現実世界を絶対的に超越的して働くことを理解できませんでした。
 そして、遂には、神など元々存在せず、人の想像力が創り出した架空の存在である、ということになってしまいました。この代表例が、唯物論に基礎をおく、言い換えると、世界Ⅳ~Ⅵが世界の全てと頑なに思い込んだマルクスとエンゲルスの共産主義。
 特に自然科学は、全ての神は、人の想像力がでっち上げた文化・文明的な宗教上の産物である、と主張し、全ての神観念を自然科学から排除したのでした。
 キリスト教神学でも、イエスは、世界Ⅵに生きた歴史的或いは架空の人間存在であり、当時の世界Ⅵの中で、時代を間違えて早く生まれすぎたマルクス主義者のような扱いをされているようです。
 実際に、キリスト教の聖職者が「解放の神学」等で、マルクス主義者に転向することが起こっているようです。
 こういう訳で、Ω神とヒトとの関係を理解して、Ω神の化身かつ分身の存在として生きるヒトの生き方を説いたイエスの教えは、殆ど理解されない儘に、現在まで来ている訳です。
 しかし、なお、イエスの持つ人類の教師としての存在価値は、いささかも減っていません。
 そこで、今現在でも、イエスの誕生日を自覚的に祝うのは、意義のあることになります。

○注記1 イエスは自らの超能力に頼り超能力を発揮したのではない
 イエスは、自らが持つ超能力に頼り、超能力で波や風を鎮めたのではありません。
 イエスは、世界を造り、世界を絶対に支配しているΩ神の理法=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きが持つ全知全能の知恵と力の威力をヒトの何倍もよく知っていて、波や風を鎮めるに当たって、Ω神の理法を信じて、全面的に任せることにしたのです。
 注記1の終わり

 以下は余談。

○イエスの教えの再発見
 19世紀から20世紀にかけて、イエスの教えは、再発見されました。
 これが、現在私達が知っている「潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法」として知られているものです。
 また、スポーツの世界では、イメージ・トレーニングやメンタル・トレーニングという非宗教/脱宗教の潜在意識の法則/引き寄せの法則が実践されています。
 これに、最近は、例えば茂木健一郎氏が脳科学の成果を取り入れた物も加わるようになりました。
 しかし、Ω神の存在とこの役割を正しく理解して、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を説いて人は、先にお名前を挙げた、ベイルズ氏やダン・カスター氏のような少数の人のみです。
 ベイルズ(1941) 大原武夫訳(1967) 精神力の魔術 ダイアモンド社 絶版 私がこの本を手にしたのは、1969年
 原題は、YOUR MIND CAN HEAL YOU by Dr.Fredrick W.Bailes

 ダン・カスター(1962) 大原武夫訳(1962) 精神力ーーーその偉大な力 ダイアモンド社 絶版
 原題 THE MIRACLE OF MIND POWER by Dan Custer

 しかし、なお、ベイルズ氏も、カスター氏も、Ω神の世界とこれ以外の世界とを明確に自覚的に分けて説明してはいません。
 この点で、Ω神の存在を自覚的な知識にしてないと、なお、これらの本の内容の理解は難しいようです。

○仏教の場合
 仏教の場合には、悟りの体験を文字化して教典/経文の形で伝える方法の他に、悟りの体験そのものを伝える禅仏教を残しました。
 弟子が残した道元禅師の言葉は、その一部を聞き齧って知っているのみですが、とても正確にΩ神の世界を説いています。
 しかし、道元禅師の時代は、未だ自然科学的な世界観が知られて居ませんでした。
 そこで、一般法則論がしているような、Ω神が造っている世界を7つに分けて説く方法を知りませんでした。

 仏教は、また、この世界の創造主である神を説かず、「理法」(自然法則)の存在を説く宗教、と理解されています。
 しかし、大乗仏教を作り上げた仏教哲学者達により、事実上、創造主である神に当たる多数の仏の存在を創り出しました。例えば、大日如来。
 理法だけでは、この世界の成り立ちと仕組みを説明し、人々の苦難を救うには不足だからです。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


世界Ⅰは心の世界であるわけ  心の起源の解明

2008-12-26 03:36:03 | 一般法則論の世界観の図解説明
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの十二月三日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的   人・子・文歴  記憶
(心的なD)     M(記憶)          ヒト   生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                   Z→→→Z


○心は非物質的な存在である
 この文では、唯心論的創造原理でこの世界の成り立ちと仕組みを造っている「心」が、非物質的な存在である理由/根拠を考えます。
 言い換えると、心の起源の解明をします。

○世界Ⅰは心の世界
 一般法則論の世界観において明らかになっていることによれば(→筆者の悟りの体験)、この世界の成り立ちと仕組みの最初に存在したのは、私達が「心」とか「精神」と名付けて呼ぶ、非物質的な存在です(注記1)。
 「心」が最初に存在している世界は、一般法則論の世界観の図解では、世界Ⅰです。

○なぜ世界Ⅰは心の世界なのか?
 なぜ、世界の始まりの最初に存在している世界Ⅰは、物質の世界ではなくて、心/精神の世界なのでしょうか?
 この答えは、簡単です。
 一般法則論の理解では、物質は、世界Ⅳになって初めて生まれたのです。
 つまり、世界Ⅳでこの世界に物質が誕生するまでの世界Ⅰ~Ⅲには、未だ「物質」と私達が名付けて呼ぶものは全く存在しなかったのです。
 そうです、世界Ⅰのみならず、物質が誕生する前の世界Ⅲまでの世界は、未だ物質が存在していない非物質的な世界なのです。
 正確には、どうも世界Ⅲの世界では、目には見えない微小な存在ですが、自然法則とエネルギーの存在自体が、少なくとも一部は物質化して存在し働いているようです。例えば自然法則の働きをしていると思われるグルーオン(糊)。
 特に、世界Ⅰは、物質がこれから造られる前のしかも一番最初にある、無時間、無空間、無次元故の非物質的な世界です。
 そして、一般法則論では、物質が未だ存在しない世界=非物質的な世界は、私達が、心とか精神と呼ぶもののみで出来ている世界が存在して、物質的なこの世界の成り立ちと仕組みを造り出す為に働いている世界だ、と理解します。
 端的に表現すれば、非物質的存在とは、「心」とか「精神」と、私達が呼ぶ存在のことです。
 即ち、この世界の成り立ちと仕組みの起源は、物質(唯物論)ではなくて、非物質的な心が起源だという唯心論を、一般法則論は採用しています。
 というより、この世界の成り立ちと仕組みは「心」と私達が名付けて呼ぶ存在からしか生まれようが無かった、というのが真相です(注記2)。詳しい説明は別文。

○唯物論を採用する物理学者たちの標準的な見解
 物理学でも「物質の起源」を論じます。
 今年2008年のノーベル物理学賞は、この点の解明に貢献された南部陽一博士らの功績に与えられたのでした。
 即ち、物理学で物質の起源を論じることは、物質がこの世界(一般法則論では世界Ⅳのここから宇宙の果てまで一つに繋がって広がっている天然自然の世界)に誕生する前の世界には、物質は未だ存在していない世界があったことを、物理学でも認めていることになります。
 詰まり、この世界は物質的存在から生まれた、と主張する唯物論者の物理学者は、この点で既に破綻している/自己矛盾に陥っている、ということができます。
 ただ、物理学では、物質がこの世界に生まれる前の世界について、その世界が非物質的世界=私達が「心」とか「精神」と呼ぶ世界である、とは言わないのです。
 物質をこの世界に創り出した非物質的世界は、物理学では、一般法則論的に表現すると、「自然法則+エネルギー一体不可分の存在が働いている」と理解しているようです。
 しかし、この点は、物理学者の見解は曖昧です。
 しかも、自然法則とエネルギーは、姿や形が見えない非物質的な存在であることは、物理学者も認め、こう理解しているようです(注記3)。
 物理学では、この世界の成り立ちと仕組みの始まりを、「物質的な存在」にあると考える「唯物論」に置いている、と公言しています。
 しかし、実際には、物理学者は、物質が生まれる前の世界には物質は無かったと実際には認めているのですから、これは唯物論との整合性がないことになります。
 しかも、自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、「慣性の法則」に支配されています。
 だから、自然法則+エネルギー一体不可分の働きこれだけで何かの物質を造り出すことは原理的にできません。
 実際には、自然法則+エネルギー一体不可分の働きが造り出した物質は、元素のみを取り上げても約百種類、元素を組合せた化学物質になると殆ど無限の数があります。
 生態学的秩序を構成する生物を造り出すとなると、更に複雑になります。
 これらを自然法則+エネルギー一体不可分の働きが、これ自体単独で自動的かつ必然的に造ることができるのならば、食卓の上の箸を転がすことなどいとも簡単に出来る筈です。
 あなたは、食卓の上の箸が、自然法則+エネルギー一体不可分の働きのみで自然に動き出すのを見たことがありますか?
 私は、これまで一度もそのような現象を見たことはありません。
 なぜならば、食卓の上の箸は、慣性の法則の働きの絶対的な支配下にあるからです。

○天地創造の実際の前後
 こういう訳で、非物質的存在の自然法則+エネルギー一体不可分の働きを言わば道具に使って、物質的な世界を誕生させた非物質的な存在、即ち、いわゆる創造主である神の存在が、この世界にはどうしても必要不可欠なのです。→一般法則論の創造主である神の存在証明。
 そして、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きでこの世界の成り立ちと仕組みが造られる前には、原理的に、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きが未だ未分化で存在していた状態、即ち、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在の創造主である神=Ω神が、天地創造が開始する前の世界=世界Ⅰに存在していたことになります。

○まとめ
 唯心論的創造原理でこの世界の成り立ちと仕組みを造っている「心」が、非物質的な存在である理由/根拠を考えました。
 以上の説明は、あなたを納得させることができたでしょうか・・・。

○注記1 魂/霊という言葉を定義しておく
 「心」とか「精神」を担う主体的存在を「魂」/「霊」と呼ぶことにします。
 そこで、絶対的無意識の心を持つΩ神はΩ神という魂/Ω神という霊的存在です。
 全てのヒトが自覚的に意図的に思考することができる心を持つヒトは、それぞれが自ら魂を持つ「霊的」存在です。
 注記1の終わり

○注記2 心の力
 心は、心と言われる存在のみが、自動的かつ必然的に、自然に、思考し、欲望し、創造する力を持ちます。
 なお、心=「絶対的に、永遠不変の、今、ここ」に存在する生命力そのもの=無尽蔵の無限大の創造力を持つ存在である意味は別の文。
 心の持つこの力により、この世界の成り立ちと仕組みが生まれたのです。
 私達全てが持つ心にも、各人の人生を創造する力が生得的に備わっています。
 ヒトの心は、この世界を創造したΩ神の心そのものです。
 しかも、絶対的無意識の存在のΩ神の心とは違って、自らの生き方を主体的に自由に選んで決めることができる意識のある心を持ちます。
 この生得的な心の力を思い切り発揮できるようにするのが、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法です。
 注記2の終わり

○注記3 物質的な神仏を考えている唯物論的な科学者たち
 旧ソ連の宇宙飛行士が、宇宙空間に飛び出した時に、そこに神の姿は無かった、と言ったという話があります。
 しかし、心の存在のΩ神に、4次元世界(世界Ⅳ)で初めて存在可能になった物質的存在のような何か特定の姿・形がある訳が、元々ある筈がありません。
 しかも、心は、ここも宇宙の果ても無く、無時間で、無空間で、無次元の世界に、「絶対的に、永遠に、今、ここ」に存在する、空の存在です。
 心はこういう性質を持つから、何にでもなれて、しかも、その何者/何物でも無いことができるのです。
 言い換えると、世界Ⅰに存在するΩ神の持つ絶対的な超越性の特質は、Ω神が心という存在であることにあるのです。
 端的に言えば、時間も空間も知らず、無次元の存在の「心」、「精神」という存在に、「絶対的超越性」という特質が備わっているのです。
 注記3の終わり

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。