ただならぬ事に気付くことが名人/達人/天才への第一歩
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。
○一般法則論の世界観の図解
以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
∥ ↑ 理法 自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
(心的なD) M(記憶) Ω人 人・生・孫・化史 ↓
唯一絶対
○この文の目的
この文では、ただならぬ事、あってはならないこと、ある筈が無いこと、並外れている事、傑出していること等について、この通りに気づくことが、名人/上手/天才への第一歩である話をします。
これは、先日ここに紹介した、人生のあらゆる分野で超一流になるのに必要なことは、遺伝的な素質では無くて、鍛錬のみにあるという話に直接関係があります。
①マシュー・サイド 山形浩生&守岡桜 訳 非才! 柏書房 2010年
②ジョフ・コルヴァン 米田 隆 訳 究極の鍛錬 サンマーク出版 2010年
今、一冊、新しく次の本を付け加えます。
③J・マックス・キリシマ 一瞬で残り97パーセントの潜在能力を引き出す法 集中力・魅力・運を高める21の技術 ダイアモンド社 2009年
この前に、常識外れの変な話を一つします。
○子供への虐待に素早く気付いてこれに直ちに適切に対応するにはどうするか?
先に、子供に対する親の虐待について、児童相談所が通報を受けて知っていながら、そのまま放置して、子供を親から引き離して適切に保護をすることをしないうちに、虐待を受けていた子供が死んでしまった/実際には殺されたと言っても良い事件が複数報道されました。
この反省から、子供への虐待に素早く気付いて、これに直ちに適切に対応するにはどうしたら良いのか? という話になっているわけですが・・・。
先ほど新聞を読みながら聞いていたラジオだったかテレビだったかのニュースによると、子供に対する親の虐待に対して、児童相談所の職員等が直ちに適切に対応するには、「専門性を高めることでそれが出来る」ので、福祉士の資格試験に必要な程度の専門知識の学習を行なうことにした、とのことです。
○正しい考え方
虐待されている子供/児童を保護する任に当たる者の専門性を高めることで、虐待されている子供の保護が確実にできるようになる。
しかし、この考え方は、変です!!!
子供が虐待されているらしいと通報を受けたら、直ちに「そんなことは間違っても絶対にあってはならない!」という健全で健康的な常識的な判断をして、警察とも連携して、直ちに虐待をされているという子供を、虐待をしているらしい親から引き離して、適切な保護の下に置く手続きを採ることです。
特に、子供の安否を確認したいのに、親がこれを拒む時には、「もう子供の虐待をしません」とそこで言ったとしても、強制的に子供を保護する措置ができるようにすべきです。
これまでのように、親に会いもせずに、電話を掛けて、親が虐待をしていないとかもうしませんとか弁解するのを聞いて、しばらく経過を見ようというのは、何もしないに等しいことです。
子供を虐待するなんて絶対にあってはならないし、それが親だろうと断じて絶対に許さない!!! という、社会人として健全で健康的な常識があるヒトならば、子供の安否を直接確認せずに引き下がるなんて、絶対に出来ない筈です。
先ずは、子供を親から引き離して保護!!! です。
虐待の事実の有無を、虐待しているらしい親に訊くのは、この後で良いはずです。
また、実際に子供を虐待している親が、素直に事実を認めるとは考えられません。
こう考えるのが、常識的な判断です。
子供が虐待を受けているかどうかの判断は、専門家による法律や規則等で定めた難しい判定基準等に照らし合わせて行なうのではなくては人権侵害になるので躊躇するのではなくて、現象的な事実に基づいて、最初はごく常識的に行なうべきことです。
例えば、家の外で、突然に子供の泣き声や女性の悲鳴や救急車や消防車が来た音や何か異常な音等がしたら、直ちに外に飛び出して、何が起こっているのかを確かめたくなるものでしょう!
個人的な体験では、これまでこういうことは数え切れないほどありました。
本当に色んな事がありました。
真夜中近くなのに、女性の悲鳴で最初に外に飛び出した私の後に続いて、ご近所の人達が皆出てきてしまったこともありました。
110番したこともありました。
記憶している例をここに幾つか書くだけで長い話になるので、これに触れることは止めにします。
○児童相談所が社会人としての健全で健康的な常識を欠くように見える理由の推測
子供が虐待されているという通報を受けたのに、実際には何もせず、子供は結局死んでしまうに任せる。
ただし、マスコミの前ではしおらしく反省の態度を示すことだけはする。
これは、もう何度も繰返されている光景です。
これは、何があっても何もしたくない、何かあってもそれは最初から無かったことにする、というお役所やお役所的になった発想をする企業特有の無責任な考え方に根拠があるのでしょう。
トラブルがあれば、自ら率先してその解決の任に当たるべき義務と責任を負っているヒトや部署が、最初から「俺の所に何かのトラブルを一切持ち込むな!!!」と部下に宣言している例が、世の中、あちこちにあるようです。
鳩山首相から特別に任命された湯浅誠氏が、失業して住む家も宿も無く、年を越せない人達を緊急に救済する案を実行しようとしたら、面倒なことは一切したくないお役所の妨害にあって簡単にいかなかったことは、このブログの中でも紹介しました。
虐待されている子供/児童を保護する任に当たる者の専門性を高めることで、虐待されている子供の保護が確実にできるようになる式の発想は、子供を虐待するなんて絶対にあってはならないし、それが親だろうと絶対に許さない!!! という、社会人として健全で健康的な常識は絶対に無視できない筈のところを、それでもなお、何もしないことにするための隠れ蓑的な屁理屈でしょう。
あなたは、どうお考えになりますか!?
○なぜその気にならないのか?
児童相談所と言う子供の福祉に直接係わるお役所が、実際にはこの役割を果たすことを拒否する。
この原因は、職員がそこで給料を貰う所であっても、その役割を果たすことは手間暇が掛かって面倒で苦痛なことなので、一切何もしないことを「暗黙の掟」として所長以下全職員が受け入れている、ということなのでしょう。
そこで、子供を虐待するなんて絶対にあってはならないし、それが親だろうと断じて絶対に許さない!!! という、社会人として健全で健康的な常識は、児童相談所等では、この世に存在しないことにしているのでしょう。
個人的には、こう推測しています。
○そのことにのめり込む切っ掛けになった体験
子供を虐待するなんて絶対にあってはならないし、それが親だろうと断じて絶対に許さない!!! という、社会人として健全で健康的な常識がある。
短く言い換えると、事の重大性に或いは事の異常性或いは突出性や傑出性に、そこで素早く気付く。
これが最初にあって次に、問題を解決する行動に内心から駆り立てられる、ということになります。
児童福祉に携わることを職として選んだ以上、このことに釈迦力になって当然のはずです。
しかも、この切っ掛けになる子供の虐待というトンでも無い事に向き合うことが少なくないのですから・・・。
一般的に言うと、何かする切っ掛けは、特に後にそれを専門職にし、名人、達人、天才と言われるようになる人たちにとっての切っ掛けは、ごく健康で健全で常識的な気付きに始まります。
これは、色々の言葉で言われてきました。
哲学は驚きから始まる。例えば、私が、今、ここに存在している不思議さに気付く。→私とは何か? ヒトは何処から来て、何処に行くのか?
センス オブ ワンダー。例えば、野鳥観察とこの写真撮影にのめり込むようになったのは、野外で出あった、カワセミの鮮やかなヒスイ色の羽に自然の神秘さを感じたからなど。
これって、とても楽しいし面白い!!! 例えば、子供の遊びなど。
ただならぬ事が今、自分の目の前で起こっている。例えば。火事!
あってはならない異常なことが起こっている。例えば、走っているトラックの車輪が外れる。
ある筈が無いことが、今、ここで起こっている。俗に言う超常現象など。
並外れている事が、今、目の前で行なわれている。例えば、名人・達人・天才のヒトの演技や工作。
これなら、非力で不器用な私にもできる!!! 例えば、「メンタル・マネージメント 勝つことの秘訣」(ヨルダン社)の著者のラニー・バッシャム氏の例。彼は、射撃の種目で、オリンピックで金メダルを取りました。
これはこれまで知られてきたことを遥か超えた傑出した出来事/発見だと分かる。例えば、アインシュタインの発見した、E=mc2の公式。
凄い!!!!! 例えば、一目惚れ。
この世界の成り立ちと仕組みの認識と理解の技術に関して大変なことを発見し説明している!!! 個人的なことですが、例えば、一般意味論、沈黙の言葉、スタニスラフスキーの俳優修行のシステム、理想的なシステムを開発し設計をするための手続きを説明するワーク・デザイン、大量の情報を体系化してまとめる技術のKJ法など。
この他。
これを、この通りに気づくことです。
これに先立つのは、「偶然は心構えのあるものにしか微笑まない」という事実です。→ルイ・パストゥールの言葉。
更にこれに先立つのは、特定の心構え/心の働き方の傾向を自然に作り出したそれまで生きてきた記憶。
更にこれに先立つのは、各人の生得的な素質/個性。
胎児診断の技術が普及した今、各人の個性の違いは、胎児の段階で既に分かるそうですね。
○それにのめり込む切っ掛けの体験をある特定の分野で名人/達人/天才を作り出すシステムの中に位置づける
①マシュー・サイド 山形浩生&守岡桜 訳 非才! 柏書房 2010年
②ジョフ・コルヴァン 米田 隆 訳 究極の鍛錬 サンマーク出版 2010年
今、一冊、新しく次の本を付け加えます。
③J・マックス・キリシマ 一瞬で残り97パーセントの潜在能力を引き出す法 集中力・魅力・運を高める21の技術 ダイアモンド社 2009年
①と②は、人生のあらゆる分野で超一流になるのに必要なことは、遺伝的な素質/生得的な特別の才能/タレントでは無くて、生まれてからの鍛錬のみにあるという話。
③は、アメリカの映画の都ハリウッドで活躍する人達が行なっているメンタル・トレーニングに関する解説をしています。
先の文では、簡単につぎのような図式を簡単に示しておきました。→小森のおばちゃまの話
一万時間または十年間の一つ事への集中的な取り組み+自発的なやる気+常に上を目指して自分の限界を超えようとする挑戦的な鍛錬=名人/達人/天才!
これに、筆者個人の体験+一般法則論の知見を付け加えて書き直すと、以下のような図式になります。
自発的なやる気をもたらした何かの切っ掛け+累積一万時間または十年間の一つ事への真摯で一途で集中的な取り組み/練習/修行(究極の鍛錬その1)+常に上を目指して自分の限界を超えようとする挑戦的な創意工夫と鍛錬/修行(究極の鍛錬その2)+イメージ・トレーニング/メンタル・トレーニング+Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを丸ごと活用する技術=名人/達人/天才!
この図式の中で、「自発的なやる気」の原動力になるのが、ただならぬ事、あってはならないこと、ある筈が無いこと、並外れている事、傑出していること等について、この通りに気づくことが、名人/達人/天才の原点になる「切っ掛け」になります。
これがあってこそ、これに続く、傍目からみると無味乾燥で辛い筈の、累積一万時間または十年間の一つ事への真摯で一途で集中的な取り組み/練習/修行(十年間ルール/究極の鍛錬その1)と、常に上を目指して自分の限界を超えようとする挑戦的な創意工夫と鍛錬/修行(究極の鍛錬その2)を、自然に可能にする殆ど唯一・絶対・普遍の原動力になる、と言い切って良いようです。
→マシュー・サイド 山形浩生&守岡桜 訳 非才! 柏書房 2010年 第一部 4章 神秘の火花と人生を変える心構え
→ジョフ・コルヴァン 米田 隆 訳 究極の鍛錬 サンマーク出版 2010年 第11章 情熱はどこからやってくるのか 「偉大な業績」を上げるためにもっとも深い疑問
○何をするのでもそれを物にするには、才能や向き不向きでは無くてひたすら練習/訓練/修行しかないという事実の確認
①マシュー・サイド 山形浩生&守岡桜 訳 非才! 柏書房 2010年
②ジョフ・コルヴァン 米田 隆 訳 究極の鍛錬 サンマーク出版 2010年
今、一冊、新しく次の本を付け加えます。
③J・マックス・キリシマ 一瞬で残り97パーセントの潜在能力を引き出す法 集中力・魅力・運を高める21の技術 ダイアモンド社 2009年
④ラニー・バッシャム&藤井 優 メンタル・マネージメント 勝つことの秘訣 ヨルダン社 1988年
これらの本で分かることは、何の分野で何をするのでも、これをする天賦の才能があるかどうかは問題ではなくて、少なくとも、それをナントカして物にしたいとひたすら練習/修行を続けることだけが王道だ、ということです。
これから子供に天才教育をしたい人達(→ヴァイオリンの五島姉弟)や、年齢・性別・今現在の境遇等に一切関係なく、これから一旗揚げたい人達には、励ましになることを、自覚的に意図的に、科学的な方法で説明している、とても有り難い本です。
こうだとお分かり頂けると、嬉しく思います。
なお、バッシャム氏の体験も、上記の①と②の本で説明している事に当て嵌まります。
毎日五時間、週五日、十年間の練習+ご自分で発見したメンタル・マネージメントというイメード・トレーニングの成果として射撃で世界選手権とオリンピックで優勝しています。
○追記 小学校で電子黒板を導入した授業に消極的な教師のこと
来年度2011年から小学校の教科書の半数が電子黒板に対応した指導用デジタル教科書が作られることになっているそうです。
電子黒板を使った授業は、分かり易いと児童には好評だそうです。
しかし、まだ電子黒板が導入されていない大阪府内の小学校の55歳の校長は、「一部の教師だけが使えても意味がなく、教師の負担になっても困る。導入費用も高く、本当に必要か疑問だ」と言っているそうです。→読売新聞 2010年6月1日朝刊
つまり、子供のためではなくて、教師が新しく導入される電子黒板を扱う勉強をするのは面倒だから、言い換えると、教師としての腕を上げる努力など、もうするつもりはないし、これを期待されるのはヒト迷惑だから、止めて欲しい! ということなのでしょう。
しかし、子供ために存在している教師が、子供のためになることでは無くて、自分のために新しく学ぶことを拒否するのは、本末が転倒した発想です。
でも、新しい事を学び、これに自動的かつ必然的に伴う訓練を受ける必要のあることは何でも反対!!! という人達が何処にでもいるものです。
人間、三十を過ぎたらもう新しいことは学ばないし、また学べないものです、と面と向かって言われて、面食らったことがあったのは、私が五十を過ぎたときでした。
しかし、私は、この後にも、必要性に駆られて、色々のことを新しく学んでいます。
追記の終わり
例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。
○一般法則論の世界観の図解
以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
∥ ↑ 理法 自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
(心的なD) M(記憶) Ω人 人・生・孫・化史 ↓
唯一絶対
○この文の目的
この文では、ただならぬ事、あってはならないこと、ある筈が無いこと、並外れている事、傑出していること等について、この通りに気づくことが、名人/上手/天才への第一歩である話をします。
これは、先日ここに紹介した、人生のあらゆる分野で超一流になるのに必要なことは、遺伝的な素質では無くて、鍛錬のみにあるという話に直接関係があります。
①マシュー・サイド 山形浩生&守岡桜 訳 非才! 柏書房 2010年
②ジョフ・コルヴァン 米田 隆 訳 究極の鍛錬 サンマーク出版 2010年
今、一冊、新しく次の本を付け加えます。
③J・マックス・キリシマ 一瞬で残り97パーセントの潜在能力を引き出す法 集中力・魅力・運を高める21の技術 ダイアモンド社 2009年
この前に、常識外れの変な話を一つします。
○子供への虐待に素早く気付いてこれに直ちに適切に対応するにはどうするか?
先に、子供に対する親の虐待について、児童相談所が通報を受けて知っていながら、そのまま放置して、子供を親から引き離して適切に保護をすることをしないうちに、虐待を受けていた子供が死んでしまった/実際には殺されたと言っても良い事件が複数報道されました。
この反省から、子供への虐待に素早く気付いて、これに直ちに適切に対応するにはどうしたら良いのか? という話になっているわけですが・・・。
先ほど新聞を読みながら聞いていたラジオだったかテレビだったかのニュースによると、子供に対する親の虐待に対して、児童相談所の職員等が直ちに適切に対応するには、「専門性を高めることでそれが出来る」ので、福祉士の資格試験に必要な程度の専門知識の学習を行なうことにした、とのことです。
○正しい考え方
虐待されている子供/児童を保護する任に当たる者の専門性を高めることで、虐待されている子供の保護が確実にできるようになる。
しかし、この考え方は、変です!!!
子供が虐待されているらしいと通報を受けたら、直ちに「そんなことは間違っても絶対にあってはならない!」という健全で健康的な常識的な判断をして、警察とも連携して、直ちに虐待をされているという子供を、虐待をしているらしい親から引き離して、適切な保護の下に置く手続きを採ることです。
特に、子供の安否を確認したいのに、親がこれを拒む時には、「もう子供の虐待をしません」とそこで言ったとしても、強制的に子供を保護する措置ができるようにすべきです。
これまでのように、親に会いもせずに、電話を掛けて、親が虐待をしていないとかもうしませんとか弁解するのを聞いて、しばらく経過を見ようというのは、何もしないに等しいことです。
子供を虐待するなんて絶対にあってはならないし、それが親だろうと断じて絶対に許さない!!! という、社会人として健全で健康的な常識があるヒトならば、子供の安否を直接確認せずに引き下がるなんて、絶対に出来ない筈です。
先ずは、子供を親から引き離して保護!!! です。
虐待の事実の有無を、虐待しているらしい親に訊くのは、この後で良いはずです。
また、実際に子供を虐待している親が、素直に事実を認めるとは考えられません。
こう考えるのが、常識的な判断です。
子供が虐待を受けているかどうかの判断は、専門家による法律や規則等で定めた難しい判定基準等に照らし合わせて行なうのではなくては人権侵害になるので躊躇するのではなくて、現象的な事実に基づいて、最初はごく常識的に行なうべきことです。
例えば、家の外で、突然に子供の泣き声や女性の悲鳴や救急車や消防車が来た音や何か異常な音等がしたら、直ちに外に飛び出して、何が起こっているのかを確かめたくなるものでしょう!
個人的な体験では、これまでこういうことは数え切れないほどありました。
本当に色んな事がありました。
真夜中近くなのに、女性の悲鳴で最初に外に飛び出した私の後に続いて、ご近所の人達が皆出てきてしまったこともありました。
110番したこともありました。
記憶している例をここに幾つか書くだけで長い話になるので、これに触れることは止めにします。
○児童相談所が社会人としての健全で健康的な常識を欠くように見える理由の推測
子供が虐待されているという通報を受けたのに、実際には何もせず、子供は結局死んでしまうに任せる。
ただし、マスコミの前ではしおらしく反省の態度を示すことだけはする。
これは、もう何度も繰返されている光景です。
これは、何があっても何もしたくない、何かあってもそれは最初から無かったことにする、というお役所やお役所的になった発想をする企業特有の無責任な考え方に根拠があるのでしょう。
トラブルがあれば、自ら率先してその解決の任に当たるべき義務と責任を負っているヒトや部署が、最初から「俺の所に何かのトラブルを一切持ち込むな!!!」と部下に宣言している例が、世の中、あちこちにあるようです。
鳩山首相から特別に任命された湯浅誠氏が、失業して住む家も宿も無く、年を越せない人達を緊急に救済する案を実行しようとしたら、面倒なことは一切したくないお役所の妨害にあって簡単にいかなかったことは、このブログの中でも紹介しました。
虐待されている子供/児童を保護する任に当たる者の専門性を高めることで、虐待されている子供の保護が確実にできるようになる式の発想は、子供を虐待するなんて絶対にあってはならないし、それが親だろうと絶対に許さない!!! という、社会人として健全で健康的な常識は絶対に無視できない筈のところを、それでもなお、何もしないことにするための隠れ蓑的な屁理屈でしょう。
あなたは、どうお考えになりますか!?
○なぜその気にならないのか?
児童相談所と言う子供の福祉に直接係わるお役所が、実際にはこの役割を果たすことを拒否する。
この原因は、職員がそこで給料を貰う所であっても、その役割を果たすことは手間暇が掛かって面倒で苦痛なことなので、一切何もしないことを「暗黙の掟」として所長以下全職員が受け入れている、ということなのでしょう。
そこで、子供を虐待するなんて絶対にあってはならないし、それが親だろうと断じて絶対に許さない!!! という、社会人として健全で健康的な常識は、児童相談所等では、この世に存在しないことにしているのでしょう。
個人的には、こう推測しています。
○そのことにのめり込む切っ掛けになった体験
子供を虐待するなんて絶対にあってはならないし、それが親だろうと断じて絶対に許さない!!! という、社会人として健全で健康的な常識がある。
短く言い換えると、事の重大性に或いは事の異常性或いは突出性や傑出性に、そこで素早く気付く。
これが最初にあって次に、問題を解決する行動に内心から駆り立てられる、ということになります。
児童福祉に携わることを職として選んだ以上、このことに釈迦力になって当然のはずです。
しかも、この切っ掛けになる子供の虐待というトンでも無い事に向き合うことが少なくないのですから・・・。
一般的に言うと、何かする切っ掛けは、特に後にそれを専門職にし、名人、達人、天才と言われるようになる人たちにとっての切っ掛けは、ごく健康で健全で常識的な気付きに始まります。
これは、色々の言葉で言われてきました。
哲学は驚きから始まる。例えば、私が、今、ここに存在している不思議さに気付く。→私とは何か? ヒトは何処から来て、何処に行くのか?
センス オブ ワンダー。例えば、野鳥観察とこの写真撮影にのめり込むようになったのは、野外で出あった、カワセミの鮮やかなヒスイ色の羽に自然の神秘さを感じたからなど。
これって、とても楽しいし面白い!!! 例えば、子供の遊びなど。
ただならぬ事が今、自分の目の前で起こっている。例えば。火事!
あってはならない異常なことが起こっている。例えば、走っているトラックの車輪が外れる。
ある筈が無いことが、今、ここで起こっている。俗に言う超常現象など。
並外れている事が、今、目の前で行なわれている。例えば、名人・達人・天才のヒトの演技や工作。
これなら、非力で不器用な私にもできる!!! 例えば、「メンタル・マネージメント 勝つことの秘訣」(ヨルダン社)の著者のラニー・バッシャム氏の例。彼は、射撃の種目で、オリンピックで金メダルを取りました。
これはこれまで知られてきたことを遥か超えた傑出した出来事/発見だと分かる。例えば、アインシュタインの発見した、E=mc2の公式。
凄い!!!!! 例えば、一目惚れ。
この世界の成り立ちと仕組みの認識と理解の技術に関して大変なことを発見し説明している!!! 個人的なことですが、例えば、一般意味論、沈黙の言葉、スタニスラフスキーの俳優修行のシステム、理想的なシステムを開発し設計をするための手続きを説明するワーク・デザイン、大量の情報を体系化してまとめる技術のKJ法など。
この他。
これを、この通りに気づくことです。
これに先立つのは、「偶然は心構えのあるものにしか微笑まない」という事実です。→ルイ・パストゥールの言葉。
更にこれに先立つのは、特定の心構え/心の働き方の傾向を自然に作り出したそれまで生きてきた記憶。
更にこれに先立つのは、各人の生得的な素質/個性。
胎児診断の技術が普及した今、各人の個性の違いは、胎児の段階で既に分かるそうですね。
○それにのめり込む切っ掛けの体験をある特定の分野で名人/達人/天才を作り出すシステムの中に位置づける
①マシュー・サイド 山形浩生&守岡桜 訳 非才! 柏書房 2010年
②ジョフ・コルヴァン 米田 隆 訳 究極の鍛錬 サンマーク出版 2010年
今、一冊、新しく次の本を付け加えます。
③J・マックス・キリシマ 一瞬で残り97パーセントの潜在能力を引き出す法 集中力・魅力・運を高める21の技術 ダイアモンド社 2009年
①と②は、人生のあらゆる分野で超一流になるのに必要なことは、遺伝的な素質/生得的な特別の才能/タレントでは無くて、生まれてからの鍛錬のみにあるという話。
③は、アメリカの映画の都ハリウッドで活躍する人達が行なっているメンタル・トレーニングに関する解説をしています。
先の文では、簡単につぎのような図式を簡単に示しておきました。→小森のおばちゃまの話
一万時間または十年間の一つ事への集中的な取り組み+自発的なやる気+常に上を目指して自分の限界を超えようとする挑戦的な鍛錬=名人/達人/天才!
これに、筆者個人の体験+一般法則論の知見を付け加えて書き直すと、以下のような図式になります。
自発的なやる気をもたらした何かの切っ掛け+累積一万時間または十年間の一つ事への真摯で一途で集中的な取り組み/練習/修行(究極の鍛錬その1)+常に上を目指して自分の限界を超えようとする挑戦的な創意工夫と鍛錬/修行(究極の鍛錬その2)+イメージ・トレーニング/メンタル・トレーニング+Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを丸ごと活用する技術=名人/達人/天才!
この図式の中で、「自発的なやる気」の原動力になるのが、ただならぬ事、あってはならないこと、ある筈が無いこと、並外れている事、傑出していること等について、この通りに気づくことが、名人/達人/天才の原点になる「切っ掛け」になります。
これがあってこそ、これに続く、傍目からみると無味乾燥で辛い筈の、累積一万時間または十年間の一つ事への真摯で一途で集中的な取り組み/練習/修行(十年間ルール/究極の鍛錬その1)と、常に上を目指して自分の限界を超えようとする挑戦的な創意工夫と鍛錬/修行(究極の鍛錬その2)を、自然に可能にする殆ど唯一・絶対・普遍の原動力になる、と言い切って良いようです。
→マシュー・サイド 山形浩生&守岡桜 訳 非才! 柏書房 2010年 第一部 4章 神秘の火花と人生を変える心構え
→ジョフ・コルヴァン 米田 隆 訳 究極の鍛錬 サンマーク出版 2010年 第11章 情熱はどこからやってくるのか 「偉大な業績」を上げるためにもっとも深い疑問
○何をするのでもそれを物にするには、才能や向き不向きでは無くてひたすら練習/訓練/修行しかないという事実の確認
①マシュー・サイド 山形浩生&守岡桜 訳 非才! 柏書房 2010年
②ジョフ・コルヴァン 米田 隆 訳 究極の鍛錬 サンマーク出版 2010年
今、一冊、新しく次の本を付け加えます。
③J・マックス・キリシマ 一瞬で残り97パーセントの潜在能力を引き出す法 集中力・魅力・運を高める21の技術 ダイアモンド社 2009年
④ラニー・バッシャム&藤井 優 メンタル・マネージメント 勝つことの秘訣 ヨルダン社 1988年
これらの本で分かることは、何の分野で何をするのでも、これをする天賦の才能があるかどうかは問題ではなくて、少なくとも、それをナントカして物にしたいとひたすら練習/修行を続けることだけが王道だ、ということです。
これから子供に天才教育をしたい人達(→ヴァイオリンの五島姉弟)や、年齢・性別・今現在の境遇等に一切関係なく、これから一旗揚げたい人達には、励ましになることを、自覚的に意図的に、科学的な方法で説明している、とても有り難い本です。
こうだとお分かり頂けると、嬉しく思います。
なお、バッシャム氏の体験も、上記の①と②の本で説明している事に当て嵌まります。
毎日五時間、週五日、十年間の練習+ご自分で発見したメンタル・マネージメントというイメード・トレーニングの成果として射撃で世界選手権とオリンピックで優勝しています。
○追記 小学校で電子黒板を導入した授業に消極的な教師のこと
来年度2011年から小学校の教科書の半数が電子黒板に対応した指導用デジタル教科書が作られることになっているそうです。
電子黒板を使った授業は、分かり易いと児童には好評だそうです。
しかし、まだ電子黒板が導入されていない大阪府内の小学校の55歳の校長は、「一部の教師だけが使えても意味がなく、教師の負担になっても困る。導入費用も高く、本当に必要か疑問だ」と言っているそうです。→読売新聞 2010年6月1日朝刊
つまり、子供のためではなくて、教師が新しく導入される電子黒板を扱う勉強をするのは面倒だから、言い換えると、教師としての腕を上げる努力など、もうするつもりはないし、これを期待されるのはヒト迷惑だから、止めて欲しい! ということなのでしょう。
しかし、子供ために存在している教師が、子供のためになることでは無くて、自分のために新しく学ぶことを拒否するのは、本末が転倒した発想です。
でも、新しい事を学び、これに自動的かつ必然的に伴う訓練を受ける必要のあることは何でも反対!!! という人達が何処にでもいるものです。
人間、三十を過ぎたらもう新しいことは学ばないし、また学べないものです、と面と向かって言われて、面食らったことがあったのは、私が五十を過ぎたときでした。
しかし、私は、この後にも、必要性に駆られて、色々のことを新しく学んでいます。
追記の終わり
例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。