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いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

喉に刺さった魚の骨を取る  自然治癒力を実感する体験をする

2009-06-13 23:16:57 | 祈り方
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


○自然治癒力を実感する体験をする
 自然治癒力を実感することで、これが確かに存在し働いていることを実感する体験をしました。
 この体験を通して再確認したことを、以下に述べます。
 文は長文になりましたので3つに分けます。これはその第一文。

○喉に刺さった魚の骨が取れるまで
 2009年6月3日の夕食に食べたカレイの縁側の部分にある骨が喉に刺さって仕舞いました。
 魚の骨が喉に刺さることは前にも何度か体験があります。そのときには、御飯の塊を飲み込むと簡単に取れたものです。
 しかし、6月3日の時にはこれが巧く行きませんでした。
 この時から、声を出しても、首を回しても、顎を上に向けても骨が刺さっている喉が痛いし、水を飲んでもそれが刺さっている魚の骨に当たるのか、喉が痛い状態が続きました。
 そして、6月10日の夕食の後、喉に刺さった儘の魚の骨が、首の付け根/鎖骨の当たりまで下がってきて、その後更に食道当たりで引っ掛かっている感じがしていました。
 この時には既に声を出しても首を回しても顎を上に向けても喉の痛みは有りませんでした。
 更に、今日6月11日の昼食のときに、やっと喉に刺さっていた骨が取れた、という感じになりました。
 多少喉に残っている違和感は、残留思念なのでしょう。

○自然治癒力に自覚的に意図的に頼る試み
 6月3日の夕食の時に魚の骨を喉に刺し、これを御飯の塊を何度か飲み込んでも取れない、と分かった時に考えたのは、翌日医者に行くか、一般法則論で説明している「Ω神が全て造っているこの世界の成り立ちと仕組み」を基にして働いている「自然治癒力」を頼りにして、自然に任せて喉に刺さった骨が自然に取れるのを待つか、何方にするのか? ということです。
 結論は、自然治癒力に頼る方を迷わず選択しました。
 医者に喉に刺さった骨を取って貰うのは、力任せの強引な方法だ、という感覚もありました。
 また、医者の治療も、結局、私の中で働いている自然治癒力を頼りにしているのですから、それならば医者に行かなくてもこの場合は済そうだ、ということになりました。

○喉に刺さった魚の骨を取るための祈り
 喉に刺さった魚の骨を取るのに自然治癒力を頼りにする。
 これは、具体的には、一般法則論で説明している「Ω神が全て造っているこの世界の成り立ちと仕組み」を大前提にして祈ることです。
 で、思いました/祈りました/イメージしました。

 私の喉に刺さった魚の骨は、私の間違った行動の因果必然の結果だ。これを認める。
 しかし、同時に、私の喉に刺さった魚の骨は、Ω神の化身かつ分身の存在の私の身心の生得的な構成物の一部/ひとつでは断じて無い!
 だから、喉に刺さった骨は、当然に私の身心から観ると余計なもの、要らないものだ。
 したがって、私の喉に刺さった魚の骨は必ず自然に取れて無くなる。
 こう断言することができる。

 こう声に出して言いながら(しかし、声を出すごとに喉が痛い!)、喉に刺さった魚の骨が自然に抜けて、食道の方に落ちて行くイメージを何度か繰り返し描きました。
 そして、このイメージ通りに事を行うことが出来るのは、Ω神の天地創造の理法=潜在意識の法則/引き寄せの法則であり、これしか頼りにできる天然自然の法則は無いので、私を無にしてこれに任せ切ることにしました。
 同時に、仮令声を出したり首を動かしたりする時や食べ物や水等を飲み込む時に喉に痛みや違和感があっても一切全く気にしないことにする、と自覚的に意図的に明確に確認して、安心することにしました。

 こんな簡単な祈り方でも効果はあります。
 この結果は、既にお話ししたように、喉に刺さった魚の骨は、一週間以上掛かって、思った通りに、自然に取れました。

○結果が出るまで----イエスはたった一度の祈りで充分だった
 喉に刺さった骨を、自然治癒力に自覚的に意図的に頼って、取った。
 しかし、祈って、その結果が出たのは、即座で無かった訳です、こう願ったのですが・・・。
 イエスは、二度・三度と祈る必要が無く、常に一度の祈りで、即座に祈ったことの成果を得ていました。
 イエスと同じでは無い・・・・・。
 だからと言って、がっかりする必要はありません。
 自分が祈るとき、イエスのように一度の祈りで即座に祈った効果を得られなくても、自分は正しい祈り方をしていると分かっているのならば、望む結果が得られるまで、何日でも何回でも祈りを続ければ良い訳です。こうだ、と割り切ることです。
 こう考えて、後は、迷わず、嘆かず、焦らず、苛立たず、諦めず、自分を責めずと決めて、成功的な成果を得るまで忍耐強く祈り続けることにしました。

○祈りの結果は本来即座に出る
 祈りの効果は、Ω神の観点では常に必ず即座に出ています。
 祈りは、世界Ⅵに居るヒトの心では無くて、常に世界ⅠにいるΩ神の心になって祈るのです。
 この時にのみ、ヒトが作り出した間違った現状をリセットできます。
 そして、Ω神の存在している世界Ⅰは、零時間でゼロ次元の永遠の今のみの世界ですから、祈りの効果は常に必ず即座に出る訳です。
 しかし、祈るヒトが、Ω神と同じ心に即座に成りきれないと、結果は即座には現れません。
 私の体験は正にこの例でした。

○一回一回の祈り方
 一度の祈りで、望んだ結果が出なかったとします。
 この場合は、どうするのか?
 これを弓矢で的を狙って射る場合を例に説明すると、次のようになるでしょう。
 普通、誰でも、最初、一度で的を射る積もりで弓を引く筈です。
 しかし、一度で的を射ることに失敗したら、的に矢が当たるまで弓を引き続けることになるでしょう。
 この時、一回一回を、それが初めての機会であるかのように、弓矢で的を射る為の動作(弓矢で的を射る原理的仕組みに基づいた完全完璧なシステム)をそのたび毎にその全体を一切の省略や手抜きなどをしないで完全完璧に作り、その動作(システム)を完全完璧に行う必要があります。
 祈り方でも話は全く同じです。

○まとめ 自然治癒力に自覚的に意図的に頼るその過程を実感する
 喉に刺さった魚の骨が自然治癒力の力で取れる一週間余りの過程を、自覚的に体験できました。
 この体験は、本当に自然治癒力なるものがあって、それが確かに働くのだ! という実感を私にもたらしてくれました。
 普段、腰が痛いとか膝が痛いと思うことがあっても、「その内に(更に悪くなることなく!)自然に治るさ」とちょっと思って、それから暫くして気が付くといつの間にか治っていて、自然に治る過程を実感することがありません。
 しかし、今回は、治る過程を意識化し実感することが出来ました。
 この実感は、何かで次に祈るときに、単なる理屈=一般法則論的世界観と人間観に、血を通わせてくれます。
 言い換えると、体験から学んだことを元にして、その分自信と信念を持って祈ることができる、ということです。
 この結果は、イエスの治療技術に更に一歩近づける、ということです。

○魚の骨は私の喉に偶然に刺さり、またそれは偶然に取れたのか?
 私の喉に刺さった魚の骨が取れたのは「偶然にすぎない」とお考えになる方もおられると思います。
 この点については、次の文で説明します。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

○追記 対カタール戦のこと
 W杯、6月10日に行われた対カタール戦は、日本チームは、選手の行動がバラバラで、注意散漫なプレイが目立ち、全く酷い内容でしたね。
 それでもよく引き分けで済みました。
 祈るのみ。
 以上

緊急の事態での祈り方

2009-01-29 22:46:58 | 祈り方
 ○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的   人・子・文歴  記憶
(心的なD)     M(記憶)          ヒト   生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                   Z→→→Z


 この文では、緊急の事態に直面した時の祈り方について、私の体験を例に説明します。

○緊急の祈りが必要になりました
 昨日、1月28日(水曜日)は、寝る前に、ラジオ(受信機)のスイッチを入れて、NHKのラジオ深夜便の午前2時台の放送を聴きました。
 内容は、1950年代のポップス音楽の特集でした。
 最初の曲「ケ・セラ・セラ」は聴き逃しましたが、2曲目の「テキサスの黄色い薔薇」から最後の曲の「エデンの東」までを聴きました。
 まあ、気持ち良く聴いたのなら問題はありませんでした。
 実際には、ポール・アンカの「君は我が運命(さだめ)」や映画音楽の「慕情」を聴いている途中から懐かしい感情が込み上げてきて、これがいても立ってもいられない焦燥感に変わり、息苦しくなり、最後の「エデンの東」を聞いているときには、寝床に横になっていた身を起こして布団の上に正座しました。
 しかし、強い焦燥感で息苦しい気分の方はいっこうに収まりそうもありません。
 で、布団に正座した儘で祈ることにしました。

○緊急事態に陥った原因の分析
 焦燥感は、一般法則論の世界観の図解で言えば、世界Ⅵ(現在の状態)~世界Ⅶ(過去の体験の記憶)の中に、私の心が閉じ込められてしまった状態だ、と理解しました。
 ここから抜け出すには、世界Ⅵ~世界Ⅶを一方的に絶対的に超越して存在し機能する世界Ⅰに立ち帰って、この世界の成り立ちと仕組みの全てを造った絶対超越的存在のΩ神の心で、世界Ⅵの中で、焦燥感で苦しんでいる私の状態をリセットするしかありません。
 こう考えました(注記1)。

○神に祈ることがよって立つ根拠の説明 心理学的な方法との違い
 神に祈るに当たって、その前提となり、祈ることが効果を出すことを保障する根拠になるのは、このブログの2008年12月3日の文で図解化している一般法則論の世界観です。
 大事な点は、私個人の存在を絶対的に超越する視点、即ち、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの中(私はこの一部)で、Ω神の存在を持ち出して、これに任せて癒す仕事をしてもらう、ということです(また注記1)。
 言い換えると、祈るに当たって、第一に、過去の(間違った)原因設定の結果の現在の状態は一切無視し、これと闘わないことです。祈るのは、今、ここで過去の間違った原因設定を取り消し、あたらしい正しい原因設定をすることです。
 身体的な症状では、身体に自動的かつ必然的に伴う五感からの情報が、例えば痛みが伴うときには、身体感覚が現在の身心の状態を有りの儘に認めることを強く執拗に迫ることがよくあります。
 しかし、その痛みももし麻酔を掛けられていたら感じることがないのだから、また、例えば怒っている自分を「今、私は怒っているな」と判断している自分(世界Ⅰに居る本当の私)は全く怒ってはいない事実もありますから、更にまた、他人から見れば私の身体の痛みは全く他人事であるように身体の痛みは私にとって変えることが出来ない絶対的な現実では無い、と理解すべきものです。
 第二に、私個人の意思の力や思考力や努力や過去の体験や経験や諸々の知識・教養などは、自覚的に意図的に一切無視し頼りにせず使わない、ということです。
 つまり、Ω神に祈るに当たっては、祈る私も、祈られる私も、まったく「しっかりする」必要が一切無いということです。 私は、自分の存在を無にして、Ω神が自動的かつ必然的にしてくれる治療(自然治癒力の働き)に、私の心身を自覚的に意図的に積極的に肯定的に絶対的に全面的に開けっ広げにし、絶対的に開放して(Ω神の全知全能の絶対的に癒す治療に私の心身を)絶対的に委ねるのです。
 この点が、Ω神の存在を知らず、これを利用することを知らず、治療は治療される本人に基礎を置き、治療される本人から出発し、治療される本人が「しっかりする」/「心をしっかりと保つ」ことを頼りにし、これを要求する心理学や精神医学に基礎を置いた心理療法と異なる点です。

○Ω神に頼ることはヒトして未熟の証拠ではなくこの反対
 あなたや私を絶対的に超越して存在し、あなたや私を実際に造った存在=Ω神が実在しているのです。
 しかも、ヒトがこの世で生きることは、Ω神が全て造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中では、最初からΩ神の造ったこの世界の成り立ちと仕組みに依存し、これを基礎にし、これに頼って生きるようにΩ神によって仕組まれています。
 現に科学技術は、Ω神の天地創造の理法=自然法則+エネルギー一体不可分の働きが持つ宇宙大で普遍的で絶対的な支配とこれに伴うこのせかいのが持つ性質を頼りにし、これに絶対的に全面的に頼ることで成り立っています。そして、この成果の科学文明の著しさは誰の目にも明らかである筈でるす。
 しかし、この事実/真理を知らず、この事実/真理を未だ意識化し自覚的な知識にすることが出来ず、この世界の中で生きる為にこの世界の成り立ちと仕組みを知るという技術を未だ自覚的な知識にしておらず、神仏の存在を否定し、物と金と政治的権力がヒトがヒトとして生きる為の装置/道具/手段の殆ど全てという唯物論的な考え方が正しいと思い込んでいる人達がいます(注記2)。
 彼らの「唯物論」的な考え方を一般法則論的な用語で説明すれば、次のようになるでしょう。←2009年1月18日 「聖なる世界と俗なる世界の関係の図解」参照

 ヒトが生きている世界は「俗世界」が世界の全てである。
 全てのヒトの生は、俗世界の中で自己完結しているし、またそう在るべきだ、と考え行動するのが、迷信などには一切騙されず、非現実的な理想や原理原則を採らず、空想や妄想を排して現実的に理性的に科学的に合理的に生きることができる「成熟した大人」の「印」となる。
 唯物論者にとって、Ω神の存在はもちろん、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法も迷信の一つに過ぎません。しかし、どういう訳か、その原理の解明をしないで、「暗示の法則」は絶対的に認めたりしていますが・・・。
 唯物論者には困ったものです。

○Ω神とは
 この祈りの中でΩ神とは、図解化した一般法則論の世界観の中で、この世界の成り立ちと仕組み全体の絶対的かつ普遍的な創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の存在の創造主である神のことです。
 そこで、次のような言葉を心の中で繰り返して唱えました。

○祈りの中身の概略
 この祈りは、私自身の為に向けられたものだ。
 この効果は、祈ると決めて祈り出したときに既に望み通りの結果が出ていることを、一般法則論が明らかにしている祈り方の原理で既に知っている。
 祈った効果は、必ず出る。
 で、祈り出した時に望んだ通りに私の心と体が癒される結果が既に得られたことを予め感謝しておく。
 ・・・・・
 私の思考/私の思い/私の頑張りで、この事態を何とかしようという一切の計らいを止める。
 Ω神は、自らの化身かつ分身の存在の私を含めて全てのヒトの心身を完全完璧で絶対的健康のものとして造っている。
 Ω神は、私の健康さを含めてヒトの健康さとは何かについて、完全完璧に知っているのだ。
 そこで、私の心身の全体を、Ω神の完全完璧な絶対的な思考に委ね、リセットする。
 私は、癒すΩ神の理法の働きにヒトである自分の意思の力や自分が持っている知識等で助力しようとは決してしない。
 癒す力を持つΩ神の理法はこの世界の成り立ちと仕組みの全てを造った全知全能の智慧と力と威力であり、この宇宙全体の中でも私の心身の中でも他に比肩し得るものが一切存在しない万能でオールマイティなのだから。
 今、Ω神の完全完璧な思考が私の心身の全体を通して自由に巡って流れ、私は、Ω神の化身かつ分身の存在本来の心身の絶対的健康さとこれに自動的かつ必然的に伴う心の平穏さで満たされつつある。
 この通りである。

 この祈りの間、身体を脱力させ、私の思考を止めて何も思わず心配せず、Ω神の絶対的思考が私の心身を通して自由に流れ、私の焦燥感を自然に癒すことに任せました。

 祈り出してから約30分、正座している足が痺れて来た頃には、すっかり気分は楽になりました。
 このあと、変な夢を見ることもなく朝まで眠りました。
 私にとって、多分もうこの類のことで、祈ることが必要になることは無いものと思います。

 あなたに、このような祈り方が参考になり、お役に立つことがあると良い、と思います。

○マーフィー本に載っている祈り方の実例を参考にすること
 祈る実際の方法や何に祈ることが使えるかに関して、この技術の初心者は経験不足です。
 少なくとも一般法則論がその理論的な基礎を一義的/一意的に明確に確定的に提供することはできます。
 しかし、これだけでは未だ足りません。
 そこで、「眠りながら成功する」の著者J・マーフィーさんの一連の本に載っている祈り方の実例を参考にされることをお勧めします。
 なお、マーフィーさんの言う「神の国の秩序」=Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの絶対的秩序です。

○注記1 各種依存症にも使える
 アルコール、ニコチン、麻薬、ギャンブル、インターネット、買い物などの依存症の克服の方法も、原理的には同じです。
 注記1の終わり

○注記2 唯物論者の結婚
 結婚することや結婚相手を選ぶ場合にも唯物論的な発想が全てという男女がいます。
 また、唯物論的な結婚観に異議を唱え、社会制度としての結婚を否定する人達が同じくガチガチの唯物論的な発想の持ち主だったりするから話がややこしい。
 本物の真実の結婚は、常に必ず世界Ⅰから始まります。
 唯物論者の結婚は、世界Ⅳ~Ⅶ→Zに根拠を置きます。
 全ての子供は、本来、世界Ⅰに存在するΩ神の直系の子孫として、完全完璧な心身を持つ聖なる子供として生まれてきます。
 唯物論者の子供は、聖なる世界からではなくて一般法則論の世界観の図解で言えば、Z界から生まれてくることもあるようです。
 注記2の終わり

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


非西洋医学の民間療法で末期ガンでも治りますが―――附 理想的な恋愛の仕方の原理

2008-09-01 03:33:17 | 祈り方
○民間療法についてkokoroさんよりの問いに簡単にお答えできること
 南アに住むアフリカの伝統的な呪医のクレイド・ムトワ氏について紹介した文に書き込みがあった質問に、簡単にお答えすることが出来ることがあります。

 Kokoroさんの書き込み全文は、以下の通り。
 「私の妹は末期がんで亡くなりました。彼女の夫が、某カルト信者で、早期発見だったのですが、民間療法、霊感療法だけで、現代医学の治療を受けることなく、亡くなりました。
 サマンゴで末期がんが民間療法で治った治療例がありますか。ただ治ったと言うのではなく、末期がんであったことの医師の診断書と完全に癌が治ったと言う医師の証明書付きで出す事ができますか。」

 簡単に答えることが出来るのは、下記の通りです。

○サマンゴで末期がんが治った治療例がありますか?
 アフリカの伝統的な呪医=「サンゴマ」のクレイド・ムトワ氏(86)が、末期がんを治療されたかどうかは、新聞からの情報では不明です。

○末期がんが民間療法で治った治療例がありますか?
 あります。
 もう、無数にある、と申し上げても良いくらいです。
 手元に次の本があります。

 医学博士 帯津良一 編著(1997)  ガンを治す大事典 増補改訂新版 治療法がすべて分かる本 二見書房

 この本の中には、ガンが非西洋医学によって自然治癒した例が幾つも紹介されています。
 この他に、創価学会、天理教、生長の家などの信者の例にも沢山あります。部屋に積んである本の中にこれがあるのですが、それを見つけ出すのが大変なので、しません。
 「あなたの信仰があなたを救ったのです」という例です。
 般若心経を熱心に唱えるだけで病気を治す会を主唱しているヒトもおられます。

 英国心霊主義者のハリー・エドワーズ(1893-1976)氏の「霊的治療の解明」という本には、エドワーズ氏がロンドンのアルバートホールの客席を埋めた人々の前で、複数の医者を立会人にして、既に医学的に病んでいるという診断が下されているヒトを、例えばクル病で背骨が極端に曲がっている少年を、瞬時に治した治療例についての医学的な記録があって、見て確かめたい人たちにその情報が公開されているそうです。この本も持っていますが、ある筈の所にそれが見当たりません。

 しかし、民間療法でガンが治ったと分かると、ガンと最初に診断した医者が、「実は私の誤診だった。患者は最初からガンではなかったのだ」と言い出す例があると聞きますし、祈りでヒトの病気が治ることが理解できず、そんなことを認めたら自然科学の理論が崩壊してしまうという誤った懸念と信念から、「その話は、最初から医者の誤診で、元々ガンではなかったのだ」、と言い出す、自称科学者でオカルト嫌いの人もいます。

○自然治癒力に頼りながら自然治癒力の原理的な仕組みを知らない
 確かに、帯津先生が編著のこの事典には、いわゆる民間療法でガンが癒やされた例が沢山載っています。
 しかし、この本に紹介されている全ての方法が、ガンを何が何でも治さなくては! という「とんがった心」で読むと、今一つ、ガンを確実に治す原理的な仕組み=自然治癒力の原理的な仕組みについての根本的な理解に欠けていて、頼りない感じがします。
 これは民間療法一般にいえることですし、病気の治療が売りの各種新興宗教の場合でも話は同じです。

○それをするための原理的な仕組みを知らなくて愕然とした体験―――理想的な恋愛の仕方
 「自然治癒力の原理的な仕組みについての根本的な理解に欠けていて、頼りない感じ」とはーーー、
 パソコンを操作して、インターネットでブログを書いているけれども、パソコンの原理的な仕組みも、インターネットの原理的な仕組みも、ブログの仕組みもよく知らないままで、とにかく一応のことはできているのでそれで良いことにしているような状態の心境とでも言ったら良いでしょうか。
 原理的な仕組みに関して、私自身にとって強烈な体験は、大学の三年生のときでしたが、恋する女性が出来たときに、自分が理想とするような人同士の関係を自分の全存在を懸けて自覚的に意図的に創り育てる原理的な仕組みについて何も自覚的な知識が無い、と気がついて、愕然とした時です(注記1)。
 更に、一年以上後に、その女性に恋文を書くことにして、それを書き出したのですが、「あなたを幸せにします」と書いてから、何を根拠にして幸せにするといえるのか、と気がついて、ヒトを幸せにする原理的な仕組みについて何も自覚的な知識が無い! と知って、また、愕然としたものです。このときには、二週間あまり、ああでもない、こうでもない、と考えあぐねた末に、ヒトを幸せにする原理的な仕組みが分からず、結局、「好きです」と一行書いて渡すしかなかったものでした。
 これは、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法で、この世界の成り立ちと仕組みの全てを創り、ヒトの人生の全てを造っている唯一絶対普遍の知恵と力である、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを丸ごと利用する心の技術に出会うまで、解決の方法が分かりませんでした。

○注記1 人同士の仲を創り育てる原理的な仕組み
 人同士の仲を創り育てる原理的な仕組みは、一言でいえば、一緒に何かをすると、この中で自動的かつ必然的に何らかの人間関係が生まれ育つ、という天然自然の存在の原理的な仕組みがあるので、この原理を自覚的に意図的に利用して、人間関係を自動的かつ必然的に創る役割がある「一緒に何かをすること」を自覚的に意図的に選んで、この中で、説明すると長くなるので一言でいえば、自分の人間的な出来具合で勝負する、ということです(注記2)。
 この結果は、俗に言う相性があって、良縁だけでなく悪縁も育ってしまい、全てが自動的かつ必然的にハッピー・エンドになる、とは限らない、と知らなければなりません。
 更に、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知らないと、よく行き詰ります。
 なお、私が一行の恋文を書いて渡した女性とは、ちょっと前に、久しぶりに会う機会がありました。東京の下町育ちの香りが残っていて、若いときよりも美人振りが一段と上がった! と思いました。「先日は孫の教育を巡って主人と大喧嘩をした」と言っていましたが、これも、いわゆる熟年離婚など関係のない、御主人との結婚生活が幸せで来た証拠と理解して、とても嬉しかったものです。
 注記1の終わり

○注記2 友人たちには不評でした
 恋愛関係を、自覚的に意図的に制御して創り育てる。
 しかし、恋愛関係は、成り行き任せで自然に育つのに任せるべきものだ、という友人たちには、私の考え方は極めて不評だったようです。
 その当時は、創造主である神の化身かつ分身の存在のヒトの生き方の原理は、「インサイド・アウト型人間」として生きるのが本来の在り方、即ち、自分の人生を如何に生きるのか、自覚的に意図的に自ら選んで決めることで始めて自分の人生になるという原理的な仕組みがあることについて、自覚的な知識は未だありませんでした。
 しかし、恋愛と結婚に関して、「私には夢がある!」状態でしたから、自然に「インサイド・アウト型人間」式に振舞っていたことになりました。
 注記2の終わり

○ガンでも確実に治せる自然治癒力の発動をさせるには創造主である神の存在が必要不可欠
 ガンでも確実に癒やす自然治癒力の原理的な仕組みの中核に存在しているのは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きでこの世界の成り立ちと仕組みを造り、ヒトを自らの化身かつ分身の存在に造った天然自然の存在の創造主である神の存在と働き/役割りです。
 したがって、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの大本に存在している、天然自然の存在の創造主である神の存在抜きでは、自然治癒力の仕組みを、説明することも理解することも実際に活用することもうまくできません。
 民間療法ではもちろん、ときには、宗教でさえもが、自然治癒力の大本の知恵と力になる、天然自然の存在の創造主である神の存在を認めたがらず、拒否して、自然治癒力の十全の発揮を妨げることを、それと知らずにしています。

 一般法則論は、自然治癒力の解明とその説明に関して、諸説に無い主張をしています。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

アフリカの伝統文化に基づいた民間治療師「サンゴマ」の話

2008-08-30 00:57:47 | 祈り方
○アフリカの伝統文化に基づいた民間治療師「サンゴマ」の話
 読売新聞の2008年8月29日(金)の夕刊の「地球びっくり箱」という記事で紹介されている話です。取材記者は、角谷志保美氏。
 この記事で、南アフリカの鉱山都市キンバリーから北西に車で二時間の所に住む、アフリカの伝統文化に基づいた、薬草と祈祷を用いて病人を癒やす民間治療師=「サンゴマ」のクレイド・ムトワ氏(86)の活動を紹介しています。
 なお、見出しは、以下の通り。
 霊験あらたか 南アの尊師/体内に眠る治癒力 それを引き出す/薬草と祈り 年数百人を無償で治療

○ムトワ氏の言葉と信念
 以下は、記事に引用されている、ムトワ氏の言葉と信念。
 「人は自分の体内に眠る治癒力に気付いていない。私はそれを引き出す手助けをするだけ」。
 治療の対価を求めないのは、「人を癒やす力は自分ではなく、多くの先輩方から学んだものだから」。
 厳格なカトリック教徒の家に生まれた子供の時に「教会でアフリカの伝統は悪魔に通じる、野蛮だと教えられ、子供のころは(その通りに)信じていた。でも、それは違った」。これが分かったのは、七歳の時に重病に罹り、「白人の薬」を幾ら飲んでも良くならず、母方の祖父であり、アフリカ文化の伝統的な呪医=サンゴマの所に預けられ、薬草と祈りによる治療で回復に向かい、十四歳で完治した体験をしたから。この間に、村の長老たちから部族の歴史と伝統を学んだ。
 「偉大な伝統文化を知り、真の意味で人を助けたい」と、サンゴマになる修行をはじめることになった。
 最初は祖父に手解きを受けて学び、後に、スワジランド、モザンビーク、ボツワナなどに行き、様々な部族の長老に教えを請うた。基本の修行だけで十年、ベテランの今も修行は続く。
 アパルトヘイト/人種隔離政策時代は非暴力を貫いたので、武力による黒人解放を求める集団からは裏切り者扱いをされて、自宅を焼かれ、息子さんを殺されたけれども、「キリスト教もイスラム教も仏教もアフリカの伝統宗教も、元は一つ。同じ水で泳ぐ美しいカエルのように人類が神々を通じて平和を模索する過程が宗教だ」という立場を信じて堅持。
 この結果は、現在、「豊富な知識と独特の発想で、南アのご意見番」として、テレビや新聞にたびたび登場し海外講演もこなしているとか。

○本物の呪医=ヒーラーとしてのサンゴマ
 上の話で明らかなのは、ムトワ氏は、「サンゴマ」と現地で呼ばれる民間治療師=伝統医学の呪医=ヒーラーと言われる人になるために必要な修行法があり、これに基づいて修行をちゃんとしていることです。
 アフリカにも、伝統医学のヒーラーがいるということを、具体例で初めて知りました。
 ヒーラーとして、ムトワ氏には、実際に治療実績もある。
 「人は自分の体内に眠る治癒力に気付いていない。私はそれを引き出す手助けをするだけ」というムトワ氏の正しい知識が役立っている、といえます。

○記者の締めの信念
 取材した記者は、「治療の効用はわからないが、いつの間にか話しに引き込まれ、太古からみなぎるアフリカの大地の力に満たされる気がした。これもサンゴマのちからなのか。」と記事を締めくくっています。
 話だけでは、科学文明国人の記者には、薬草と祈りによる民間治療は、にわかには信じ難いのかも知れません。
 あなたは、如何ですか?
 おなたも、この記事を書いた記者のように信じられないのならば、一般法則論で説明している天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みについて、よく学ばれると良いでしょう。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

北京オリンピックが始まりました

2008-08-09 14:46:47 | 祈り方
○北京オリンピックの開会式
 北京オリンピックが始まりました
 八月八日。
 「一つの世界。一つの夢」を大会スローガンに掲げた北京オリンピックの開会式の模様を、テレビでみました。
 この大会は、史上最大の204の国と地域から参加があった、という話です。
 あなたも、この開会式を、ご覧になったかも知れません。

○祈り
 一般法則論者としては、大会全体が、平穏無事に終わることを、祈るのみです。
 一日本国民としては、日本の選手の活躍を祈るのみです。

○入場行進をする選手に多様性のある世界を実感 如何にして多様性の統一を図るか
 オリンピックの各国の選手団の入場行進を見ていつも思うことは、多様な人種、多様な文化が地球上にはあることを実感する、ということです。
 この多様性のある世界を、多様性を尊重しながら一つの世界にするハウツーを見つけないと、世界を一つの秩序にまとめる=世界平和を実現する、ということは実現できない、と言えます。

○「インサイド・アウト型人間」か「アウトサイド・イン型人間」か
 実際の競技が始まると、例えば柔道の試合を見て思うのは、「生き方の原理」をハウツー化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知っているか(メンタルト・レーニングはこの一部)、更には、相手の出方を待って自分の技を掛ける「アウトサイド・イン型人間」ではなくて、自分から積極的に技を掛けて(しかし、相手に返し技を掛けられる危険があるのをものともせずに)勝ちに行く「インサイド・アウト型人間」であるか、の違いです。
 日本の選手は、一般に、相手の出方を見て、一発必殺の自分の技を掛けるよなうところがある、といつも思います。

 四年ぶりのオリンピックを楽しみたい。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

キューバ危機の裏話 BS世界のドキュメンタリー 20世紀  “核”の内幕

2008-07-25 14:50:25 | 祈り方
○キューバ危機の裏話 BS世界のドキュメンタリー 20世紀  “核”の内幕
 2008年7月22日から25日まで、NHKの衛星放送第一の午前零時10分に始まる、BS世界のドキュメンタリーで、20世紀  “核”の内幕、という放送をしていました。
 最終日は、キューバ危機の裏話。

○フルシチョフが意図した核兵器による西側への先制奇襲攻撃
 キューバ危機。
 そのとき、ソ連の首相、フルシチョフは、西側に核による奇襲攻撃を意図し、キューバにアメリカ全土の都市を同時に攻撃できるミサイルの配備を進めていて、配備が済み次第、アメリカを核攻撃するつもりでいた、という話です。
 フルシチョフがそのような無謀で冒険的な意図を持って、実際にその準備をしつつある、ということを、西側、特にケネディ大統領を戴くアメリカは、知らなかっただけでなく、そのような可能性すら想像も出来ないで居た、というわけです。

○ソ連陸軍の情報将校からもたらされた衝撃の情報を本物と受け入れるまで
 ソ連の首相、フルシチョフが、西側に核兵器による奇襲攻撃を意図し、実際にその行動に踏み出している。
 しかし、ソ連の陸軍の情報担当の大佐が、親しくしている上官からフルシチョフの意図を聞いて、この情報を、ソ連のミサイルに関する情報も含めて、イギリスの諜報機関MI6にもたらし、イギリスから情報を提供されたアメリカのCIAも最初は半信半疑だったけれども、キューバへの配備が進行中の36基のミサイルの航空写真の解析で、それが射程1500キロメートルのSS4型では無くて、射程3000キロメートルのSS5型と分かり、フルシチョフは本気だと知って、キューバに向かう船の海上封鎖が行われることになった、というわけです。

○明日は無いと覚悟したアメリカ国民の話は本当だった
 このとき、アメリカ国民は、キューバの海上封鎖に対してソ連が核攻撃を仕掛けてきたら、自分たちの明日はないし、アメリカもなくなってしまうと覚悟し、今日一日、家族が集まって最後の日を過ごした、という家族の話を、同じくドキュメンタリー番組で、以前に聞いた記憶があります。
 これを知って、大げさな! と思ったものでした。
 キューバへのソ連の核ミサイルの配備は、アメリカを脅すだけのものだったと、その当時私は理解していたからです。これは、私だけでなく、当時の多くの人達の理解でもあったはずです。
 しかし、そのとき、フルシチョフは、キューバに核ミサイルの配備が終わったら、直ちにアメリカ全土を核で先制奇襲攻撃するつもりでいた、というのが真相だったことを、今回は知りました。注記1
 私は、この話に、本当に仰天しました。
 もし、アメリカがフルシチョフの核兵器による奇襲攻撃の意図と行動を知らず、西側のスパイになると自ら志願したソ連陸軍の情報担当の大佐からもたらされたソ連のミサイルに関する詳細な情報に基づいて、キューバに配備されたミサイルがアメリカ全土を攻撃し得る射程を持つものだと発見しなかったら、そのときに、地球人類は、核戦争で実際に滅びていたかもしれないと分かりました。
 今日が最後の日と覚悟したというアメリカ国民の恐怖は、本物だったわけです。

○注記1 アメリカの軍事偵察機Uー2の撃墜が意味していたもの
 キューバ危機の最中、キューバのミサイル建設現場を偵察撮影に行ったアメリカの偵察機Uー2が、地対空ミサイルで撃墜される事件がありました。
 キューバにアメリカ全土を一斉に攻撃できる核ミサイル36基の配備が終わり次第直ちに先制奇襲攻撃を開始する予定だったというキューバ危機の裏話を知った今、この撃墜事件を考え直してみると、単なる脅しのミサイル配備ならば、それがアメリカに知られても構わないので、アメリカの偵察機を撃墜する必要がなかった、と推測できます。
 しかし、アメリカ全土への核兵器による先制奇襲攻撃を意図していたとすれば、
事前に、核ミサイルの配備がアメリカに知られることは、どうしても避けなければならなかったに違いない、と考えることができます。
 そこで、アメリカの偵察機の撃墜。
 注記1の終わり

○有り得ない話が現実にはある
 秋葉原での無差別連続殺人と同じような事件が、東京都下の八王子で起こりました。
 密かに一方的に準備をして、ある日、核兵器で外国を奇襲攻撃する。
 既に広島と長崎で知られている核兵器の使用がもたらす惨劇を考えたら、こんなことを考え、実行する国が、国家の指導者が存在するわけがない。
 私達の常識は、こう考えます。
 実際、キューバに配備されつつあるソ連のミサイルの射程がアメリカ全土に届くものであると分かるまで、西側のスパイになると自ら志願したソ連陸軍の情報担当の大佐からもたらされた、フルシチョフがアメリカに核の先制奇襲攻撃を準備しているという情報が本物だとは、CIAの情報分析担当者は信じられなかった、というのが、今回のドキュメンタリーの話です。

○惨劇は防がれた これを可能にしたものは?
 歴史的な事実は、フルシチョフが意図したアメリカを核兵器で先制奇襲攻撃することは防がれたことになりました。

 一般法則論の理解では、人類史は、地上に神の国を作り出すことにあります。
 創造主である神の化身かつ分身の存在として生まれているヒトは、この地上に神の国を作り出すまで、創造主である神によって守られている、と理解しています。
 今回、キューバ危機の裏話を知って、人類は本当に守られていた、と知りました。
 但し、地上に神の国が建設されるまでの過程の人類史で何が実際に起こるのかは、結局、人類次第で決まります。
 何しろ、ヒトは、人類は、創造主である神の化身かつ分身の存在であって、自らの運命が如何にあるのかを自らが決めるように、創造主である神によって予め定められているのですから。
 ということは、人類の中に、人類全体を破滅させるようなことを試みる人たちの意図を、つまり、このようなことを考え意図するのは常に政治家(注記1)とこの支持者である大衆ですが、その意図を、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みには何の根拠も無い妄想的な「平和憲法」に基づいてではなくて、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みに直接の根拠がある、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に則って無害化する祈りをしているヒトたちが存在しているに違いない、ということです。

○全人類のために祈っている人たちの存在
 全人類を破滅させてしまうようなことを意図する政治家(注記1)と、これを支持する大衆の存在。
 このような政治家とその支持者は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを知らず、認めず、否定する、唯物論的な政治家や宗教とは何かも知らずに特定の宗教の狂信的な信者の政治家です。
 そして、全人類を破滅させるような意図をもち、これを実行しようとする政治家とこの支持者から、全人類を守ろうとして、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に則って、密かに祈っている人たち。
 実際に、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に基づいて、世界の平和的な秩序を守り、人類が、地上に神の国を建設する過程で、人類に惨禍をもたらすような事件を少しでも減らせるように、真剣に祈り続けているヒトたちが居るに違いありません。
 改めて、一般法則論者の私も、地球人類の未来のために、真剣に祈る覚悟をしました。

○注記1 世界を破滅から守るのも同じく政治家
 人類を破滅させるようなことを、殆んど思いつきで意図する政治家がいます。
 しかし、同時に、世界を破滅から防ぐのも、政治家です。
 有り得ないことを意図し実行に移す者が居る可能性を、絶えず想像することが出来る政治家と、こんなことは想像だにしない能天気の政治家や自らの利権確保のためにのみ政治家をやっている政治家。
 あなたは、どちらの政治家ですか?

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。

霊的なレベルの治癒と心理的なレベルの治癒  父の肺気腫の話に関連して

2008-07-19 16:00:50 | 祈り方
○タバコを止めた父が罹った肺気腫は肺炎を患った後から症状が出た
 私の父が、70歳の半ばを過ぎたある日、タバコを吸うのを止めると決意した直後から、まったくタバコの禁断症状を見せることもなく、本当にきっぱりとタバコを吸うのを止めた話は、既にしました。
 この後、父は、長年タバコを吸ってきた後遺症で、肺気腫になり、これは治らなくて、歩くときには、酸素ボンベが無いと息切れしてしまうことになった、という話もしました。

 父に、肺気腫の症状が出たのは、80歳半ばを過ぎて、肺炎を患ってからでした。
 これまでは、従兄の幼い子どもたちと一緒に飛ぶように歩いても、何でもなかったのです。

○三度の肺炎からの生還
 高齢者が肺炎を患うと、それが命取りになる話は、よく聞きます。
 しかし、父は、90歳過ぎに亡くなるまで三回肺炎を患いましたが(注記1)、三回とも治って、肺炎では亡くなりませんでした。
 最初のときに、医者が見せてくれた父の肺のレントゲン写真は、全体が殆んど真っ白に写っていたものです。
 殆んど老衰で亡くなるときには、院内感染で、多耐性葡萄状球菌に陽性でしたが、これも、悪さをしていませんでした。
 これらのことが意味することは、たとえ病原菌が体に入っても、常に必ず発病する訳ではない、ということです。
 肺炎のときにも、多耐性葡萄状球菌に感染したときにも、抗生物質の点滴による投与が行われました。
 これにプラスして、「創造主である神の化身かつ分身の存在の父は、自他共に絶対的に肯定の構えを持つ者であって、相手がたとえ病原菌でもいささかも敵対関係にはなく、調和のある秩序の中で平和共存していて、お互いに少しも傷付け合うことがなく、害し合うこともない」と、私は繰り返して祈ったものでした。

○病原菌を育てる心身の環境
 誰かに対する密かな敵意や憎しみや意地悪な心などは、病原菌がよく育ち繁殖し毒素を出す環境を、ご本人がそれと知らずに整えてしまうもののようです。

○注記1 一度で永久治癒の筈が・・・霊的治癒と心理的治癒
 三度の肺炎とこれからの生還。
 創造主である神の化身かつ分身の存在のヒト本来の完全完璧さを実現し維持する天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを、丸ごと利用する潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に則った祈り=霊的なレベルでの祈りでは、原理的には、一度の祈りで、恒久的な効果が得られる、と理解されています。→霊的レベルの治癒
 それを、更に二度繰り返したのは、ひとえに、その当時の私の祈りの技術がよってたつ根拠が、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きそのものではなくて、癒やされた実例に関する私の知識に基づいていた証拠のようなものです。これを、心理的レベルの治癒と言います。このレベルでも、一度の祈りで永久治癒が起こることがあります。
 もちろん、病気が再発せず、症状がぶり返すことがない、霊的な恒久的治癒を目指して祈る技術をモノにするのが良いわけです。
 一般法則論は。このための理論の提供を目指しています。
注記1のおわり

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。

祈りるヒトは科学的な医療行為に反対したりこれを止めたりはしない

2008-06-17 04:26:42 | 祈り方
○祈るヒトは医者のように振舞うことは有り得ない
 全ての祈りは、祈るヒトの心の中で全て自己完結的に完成する形で行われる。
 先の文でこう説明しました。
 このことに関連して、祈るヒトは、自らがちゃんと免許を持つ資格のある医者でもない限り、如何なる意味でも、医療行為やこの真似事をすることは有り得ないことを、ご記憶ください。

○医療行為に関ることは真似もしない
 心/精神のみを使う潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法での祈り方の技術では、祈るヒトが、何かの医療行為に属するようなことは一切しません。
 医療行為を真似することさへしません。

○医者に掛かることや医者に処方された薬を飲むことを止めたりはしない
 祈られるヒトが、医者に掛かる事や医者から処方された薬を飲むことに反対したり、これを止めたりすることも、心/精神のみを使う祈りの技術では絶対にしません。

○医者に掛かることを止めない理由
 祈るヒトは祈られるヒトが医者にかかるのを止めないのは如何なる根拠に基づくのでしょうか?
 この理由は、直接的には、祈られるヒトの自由な判断や希望を尊重し大切にするからです。
 根本的な理由は、通常の医療行為と心/精神を使って祈る技術とは、頼りにしている原理が異なっていますし、この原理の前提になっている世界観も人間観も、今現在、大きく異なるからです。

 即ち、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に基づく祈りによる治療方法は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを丸ごと治療に使う全知全能の方法だ、という理解を祈るヒトが持っていることにあります。
 言い換えると、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に基づいた祈りの技術では、原理的に不治の病は無い、と理解しています。
 この理由は、治療を実際に担当するのは、医者でも薬でもなくて、全てのヒトが生得的に持つ、天然自然の存在の自然治癒力であり、これはこの世界の成り立ちと仕組みの全てを造っている全知全能の天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きそのものだ、と祈るヒトは理解しているからです。

 しかし、現在の常識的な科学的な医療技術では、このような世界観や人間観を未だ知らないのです。
 それでも、根本的には、科学的な医療技術も、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みに基づいているのですから。
 特に、自然治癒力やこれに基づいて行われる祈る技術について理解のある医療関係者に関しては・・・。
 以上の話を、ぜひ憶えておいてください。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


意志の力と精神の集中力に関する補足説明

2008-05-25 13:16:13 | 祈り方
○意志の力と精神の集中力に関する補足説明
 祈りによる事の実現は、私の意志の力や精神集中によるのではなくて、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きであることをよく知って、これに任せ切りにします。
 ここで、注意を改めて喚起したいのは、祈ったことを実現する本当の力は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きであることです。
 これに任せることが、とても大事であり、必要なことです。
 意志の力や、精神/心を実現したいことに集中して、自分の超能力を発揮して事を実現しよう、とするのでは断じてないことです。

○正しい意味の意志力と精神の集中力の使い方とその判断方法
 意志の力や精神の集中力で事を成そうとするのではなくて、祈ることに心を集中すること、例えば弓で的を射ようとするときに、的に向かって正しく構える姿勢を維持し続けるような心の集中や意志の使い方は、正しいものです。
 しかし、的に自分の意志の力と精神集中で矢を当ててやろう、と思うのは、間違いになります。的に矢を当てるのは、ヒトの力に属している事柄ではなくて、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きの専売特許だからです。
 正しい意志の使い方や正しい集中の仕方と間違ったそれとの区別は、例えば、あなたがまったくのど素人から短期間にその道のプロとして通用する知識と技術を身に付けることを可能にしたのならば、あなたは祈り方の技術と意志の使い方と正しい意味の心の集中力を身につけているといえます。

○事を成すのは創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働き
 祈ったことの実現や、私たちの日常生活での色々のことを実現することができる客観的かつ絶対的かつ普遍的な力は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きしかありません。
 祈りによる事の実現は、私たちが日常生活の中で頼りにしている天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを、自覚的に意図的に、特定の目的、例えば病気を治すことを実現するために使おう、ということです。
 しかし、多くの人達が、祈ることで事を実現しようとすると、力んで普段絶対にしないことをしようとします。
 例えば、電話をかけるときに、力んで声を大きくすれば、遠くの相手によく電話の声が届くようになる、とは普通思わないものでしょう。
 また、ガスコンロに水を入れた薬缶を掛けてお湯を沸かすときに、その傍に棍棒を持って立って、薬缶やコンロを棍棒で叩いて、「早くお湯を沸かせ!  そうしないと許さないぞ!」と言ったりはしないでしょう。
 しかし、祈るときには、また、子供の躾やヒトに何かをやって頂く場合には、どういう訳かこのようなことをしたがるヒトが少なくありません。
 このような勘違いは、いわゆる超能力者を自認する人たちの間でもあります。
 そこで、大地震の発生を止めるために三日間祈り続けた結果、疲労困憊して死にそうになった、というような話を聞きます。
 また、超能力を強く否定する科学者も、超能力は超能力者自身の力にある、と決め込んでいます。そして、超能力者がテレパシーで通信するのに必要な物理的なエネルギー源を示せと言い張ります。しかし、超能力のテレパシー力は、姿・形の無い心の持つ能力であり、物質的なシステムを通して現れる前の、心的/精神的な生の天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きそのものに根拠があります。
 つまり、事を成すのは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きであることについて、一般的な自覚的な知識が無いために、こうしたくなるもののようです。
 繰り返していいますが、祈る場合でも、日常生活の全ての場合でも、事を成すことが出来るのは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きであり、ヒトの意志の力や腕力や努力や或いは政治の力や何かの権力や権威等ではない、ということです。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。

追記
 琴欧州が千秋楽も勝って、テレビの画面は、その表彰式が行われているところです。
 良かった・・・。
 以上。




一般法則論的な祈り方の実際 琴欧州の初優勝を祈る

2008-05-25 02:22:36 | 祈り方
○琴欧州の初優勝を祈る
 大相撲夏場所14日目の5月24日の今日、既にご存知の方も多いと思いますが、今場所角番の大関琴欧洲(25)(佐渡ヶ嶽部屋)が、初優勝を決めました。
 私は、この三日間、琴欧州の優勝をテレビの前で祈っていました。
 どのように祈ったのかについて、ご参考までに、簡単に説明をします。
 なお、ここで言う「祈る」とは、「潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法」と同じ意味のことです。

○祈り方の実際
 琴欧州の初優勝を祈る。
 この祈り方は、「琴欧州を優勝させてください。」/「琴欧州を勝たせてください」式の祈りではありません。
 こういう祈り方をしても、この世界の全てを造っている天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを丸ごと活用する潜在意識の法則/引き寄せの法則は応えてはくれません。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は、魔法ではありません。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法のことをお話しすると、例えば全く受験勉強をしなくても、あるいは嘘でたらめなことをし続けていても、希望の大学に合格できる様にしてくれる魔法だと勘違いしてしまう人たちが少なからずいますが、間違った理解の仕方です。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則は、私たちが生きているこの世界の現実に則してのみ働くのですから。
 そして、私たちが理解している「現実」は、その全てが唯一天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きの支配下にのみあるわけです。
 実際、祈ったことが実現した後でふりかえると、祈った事が実現したのは、魔法でも自然の法則の存在とその働きを否定し無視することで可能になる奇跡でもなくて、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに正しく則ってごく常識的にやるべきことを真面目にちゃんとやった結果だと知ることになるものです。
 私たちは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを知らず、認めず、これに則らず、これを無視して行動すれば、何もできないし、この世に存在することも出来なくなる、という事実を知らなければなりません。
 そこで、効果の出る祈り方を、以下に説明します。

 最初に、心身の緊張を解いて、リラックスするようにします。
 これは、祈ったことが、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを担っているヒトの無意識/潜在意識に正しく届くようにするためです。
 祈るときに緊張していると、祈っている内容だけでなくて、緊張そのものが潜在意識化/無意識化されて、実現されてしまう、という困る事態になることがあるからです。

 リラックス。これが出たら、祈りに入ります。
 「(祈りの対象である)琴欧州/彼は(注記1)、普段の稽古で精進している通りに、土俵の上で、対戦相手に対して、落ち着いて、冷静に、持てる技と力の全てを的確に発揮することが自然に出来ます。

○注記1
 「琴欧州」は或いは「彼」は、と言って、「あなた」は、とは言いません。
 祈るのは、全てのことを唯一実現できる天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを活用することであって、彼に暗示を掛けて、彼に事の実現をさせるのではないからです。

 もちろん、自分自身のために祈るときには、主語は「私は」になります。
 但し、自分の意志の力や今現在自分が持っている知識と技術だけで事を実現させようというのではありません。後で説明するように、祈りの法則は山彦の法則に従うので、他からの一切の助けが無く自分一人の奮励努力に事の成否が全て掛かっていると思えば、自動的かつ必然的に天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きは排除されてしまうことになります。
 正しく理解しなければならないのは、この世界の成り立ちと仕組みを造っている天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを丸ごと活用して事をなすのが、祈る方法/潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法であることです。
 注記1の終わり

 そして、私のこの祈りの言葉も、祈った私も、祈られた琴欧州も全てひっくるめて潜在意識の法則/引き寄せの法則に引き渡し、その実現を任せることにします。
 事の実現は、潜在意識の法則/引き寄せの法則自らが、全知全能の天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを丸ごと活用してやってくれます。
 事の実現は、私の意志の力や精神集中によるのではなくて、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きであることをよく知っているので、これに任せ切りにします。
 テレビの前の私は、「琴欧州頑張れ!」と力んで、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに意志の力や精神集中で助力をしようなどとは絶対にしません。
 なぜならば、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きによって太陽の周りを自転しながら公転する地球を、私の意志の力を添えて正しくそうさせようとは絶対にしてないのと同じだからです。
 そして、祈った結果を得る前に、祈ったとおりの結果を既に得ていることを感謝します。

 琴欧州に関する祈りは、以上で全てです。

 この後は、祈る前の仕事に戻ります。
 この場合は、相撲のテレビ観戦に戻ることです。

○祈りの回数
 なお、祈る回数は、一日、朝、昼、晩の三回も祈れば十分です。
 イエスは、たった一度の祈りで、祈りの目的を達成していました。
 私の「意味のある偶然の一致」の体験は、常に一瞬間思っただけで十分でした。
 要は、的確な言葉で、確実に潜在意識/無意識に祈りの言葉が届くようにすることです。
 しかし、自信の無いときには、納得がいくまで祈ることです。ただし、ことをなすのは、自分の意志の力や集中力でなくて、潜在意識の力=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きが持つ全知全能の知恵と力だということを、決して忘れないことです。
 言い換えると、祈ったことの実現は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きだとしっかりと理解して、これに祈りの言葉を自覚的に意図的に引き渡して、即ち、この祈りの言葉を、潜在意識の法則=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに任せて実現します、と明言することを祈りの言葉の一部にすることです。

○祈り方のコツ 祈るとき、祈ることについては、既に得たと思いなさい
 祈るとき、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに「ああせい、こうせい」と何かの要求を一切していないことに、ご注意ください。
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きは、ヒトの知識や技術や知恵などが及びも付かないことも知っている、文字通りの意味で全知全能ですから。
 そして、祈りの法則では、祈った通りに結果を得ます。
 これを、あるヒトは、「山彦の法則」/「エコー(反響)の法則」と言いました。
 つまり、「ヤッホー」と叫べば、山彦は必ず「ヤッホー」と戻ってくるように、祈りも、祈ったとおりのことが、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きから戻ってきます。
 そこで、たとえ今何かの病気で苦しんでいても、祈るときには、現状を一切無視して、機械的に、事務的に、既に健康を取り戻して元気に活動しているイメージを自覚的に意図的に描く必要があるわけです。
 そして、指の小さな擦り傷をいつの間にか自然に治す自然治癒力のことを思い出して、自然治癒力が教えてくれるのは、ヒトは本来心身共に完全完璧に健康であることが自然なのだと知っている天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きが自然治癒力の形で指の傷を治してくれたように、いかなる病気もこの自然治癒力が必ず治してくれるのだ、という理屈を納得して知っていると、この病気も必ず自然になおる、という確信が持てて、祈る効果がでるのをより確かなものにしてくれます。

○ヒトは自分ができると思うことしか出来ない
 ヒトは、自分は出来る、と思うことしか出来ません。
  祈りの法則は、山彦の法則に従いますので、自分が思った通りに自分に返って来ることを思い出してください。
 そこで、これは私にできる、と最初に断言できないことについては、自分にもこれができるという、自分が納得できる理屈を思いつくまで自分自身と延々と何日も議論をしなければならないことがあります。

○一般法則論による助力
 一般法則論は、ヒトは誰でも天然自然の存在の創造主である神の化身かつ分身の存在であり、自分が望むことを実現する形で創造主である神の化身かつ分身の存在としての自分を表現するのだから、そして、全知全能の不可能を知らない天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きはまさにこのために存在しているのだから、自分が望んだことは、それが誰かを傷付けたり、誰かが生きることを妨害する意図に出たものではない限り、つねに必ず望んだ通りに実現できる、ということを、創造主である神の存在証明もして、首尾一貫した理屈で説明して、祈るヒトに、一般的に「私はできる!」といえるようにしています。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


全ての祈りに先立つ基本の祈りがある 附 国防について考える

2008-04-01 03:37:10 | 祈り方
 この文では、全ての祈り=潜在意識の法則/引き寄せの法則の法則の活用に先立ってするべき、基本の祈りがある話をします。

 なお、ここで「引き寄せの法則」に関するお薦めの本は、次のものでした。
 マイケル・J・ロオジェ(2003・2006) 石井裕之監修(2007) 引き寄せの法則 東京 講談社 黄色の表紙の本。

 最初に、本田 健(2004年) 夢をかなえるお金の教え 豊かさの知恵 フォレスト出版、で学んだことの再確認。

○夢の叶え方
 上記の本田氏の本によれば、願うことを実現する行為について、次のような段階がありました。

 1 幻想
 2 夢
 3 目標
 4 予定

 この4つの場合は、何をするのでもその実現を、自らの才能・能力を頼りにし、意思の力で努力を積み重ねる方法で行っている場合、と言えるかも知れません。
 即ち、自らの才能・能力に頼る必要や意思の力で自らを強いて努力する必要が一切なくなる、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き(注記1)を丸ごと活用する潜在意識の法則/引き寄せの法則を自覚的に意図的に使うことを未だ知らずにいる段階、と言えるかも知れません。

○注記1 ヒトの本当の才能・能力の源
 全てのヒトが「潜在意識/無意識の心」の形で生得的に持っている「天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き」。
 これこそ、実は、誰もが自らの人生の凡ゆる課題を実現するために、意識のある心の持つ機能/働きを自覚的に意図的に使うことによって活用することができる、「不可能を知らない、全知全能かつ無尽蔵で無限大の絶対的かつ普遍的な本当の才能・能力」です。
この事にひとつ気が付いて、潜在意識の法則/引き寄せの法則を活用できるようになれば、もはや、自分の才能・能力に絶望して、自殺したり、大麻や麻薬やお酒に助けを求めたりする必要が一切なくなります。

○潜在意識の法則/引き寄せの法則を使える段階へ
 条件が整えば自動的かつ必然的に働く潜在意識の法則/引き寄せの法則を、自覚的に意図的に制御して使うことが未だ充分に出来ない段階では、即ち、この法則の働きが暴走するのに任せている段階では、次のようになります。

 5 意味のある偶然の一致/意味のある偶然の発見・発明

 この実例に、私が遇う必要が無い女優さんに遇ってしまった体験を、先に挙げました。

 この事件よりも更に前のことですが---。
 私が降りる一つ前の駅で電車を降りて行った女性が、「どこかでお見掛けしたことがある方だ」とふと思ったあと直ちに、「しかし、その真偽を確かめることは必要ない!」と自覚的に意図的に明確にキッパリと否定して取り消さなかったばかりに、その翌日、その女性に道でばったり出会ってしまう体験をしたことがあります。
 その日、手紙を投函しに行った家の近くの郵便ポストで、この郵便ポストの本日の最終収集時刻まであと10分、ということはこの郵便ポストでは既に本日の収集が終わっているかも、と判断し、そこから150メートル歩いた所にある別の郵便ポストの最終収集時刻ならば更に1時間余り余裕があると考えて、その郵便ポストに向かったのでしたが、その郵便ポストの手前50メートル位の所で、前日、何処かでお見掛けしたような、と思った女性とばったり遇うことになったことがありました。その女性は私の家の近くに住んでいる方であることを思い出しました。
 また、誤って「砂糖壺をひっくり返す」ようなことして、そんなことはしないで済んだ筈のその後始末をする羽目になる、ということもあります。

 この3つの例で明らかなように、潜在意識の法則/引き寄せの法則を自覚的に意図的に制御して使うことを覚えることは、この法則を活用する上で必須のことだ、と分かります。

○潜在意識の法則/引き寄せの法則を自覚的に意図的に制御して使うことを覚える

 6 潜在意識の法則/引き寄せの法則を自覚的に意図的に制御して使って事を成す

 自覚的に意図的に制御して、潜在意識の法則/引き寄せの法則を使って事を成す段階に来て、やっと自分の思い通りに生きる、ということが実現します。

 潜在意識の法則/引き寄せの法則を自覚的に意図的に制御して使うとは、自分は何を実現したいのかをよく知っていて、これを実現する為にこそ、潜在意識の法則/引き寄せの法則を自覚的に意図的に集中的に活用することです。

 何が、自分の人生において、本当に実現する価値があることであるかは、各人が自分でよく考えて、選んで、決めることです。

○何でも体験してやろう! を止める
 「何でも体験してやろう!」、「色々の体験をするのも有り」かも知れない未だ20代、30代ではなくて、もう70才近くの歳になった私の場合では---。
 それも、「一般法則論」を完成させなければならない身なので---。
 「何でも有り」で、「来るものは拒まず」、「据膳食わぬは男の恥」みたいに考えていたら、私にとっては遇う必要の無い女優さんに遇って仕舞う式の不必要な事や好ましくない事に時間を浪費することになりかねません。
 この為には、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を、私にとって必要不可欠なことを選んで実現させるように、その働きをよく制御することが必要不可欠です。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則の自動的かつ必然的働き方を自覚的に意図的に制御するとは、具体的には、私が実現を望むことと、実現を望まないこと! とを自らに明確にすることです。

○身心の安全を確保するために潜在意識の法則/引き寄せの法則を使う
 自分の人生で何を実現したいのか/或いは、自分の人生で実現したく無い事は何かは、各人が自分で考えて決めるべきことです。
 但し、殆ど万人に共通する必須の実現目標があります。
 あなたも、他の全ての祈りに先立って、この祈りを、是非、常日頃からの習慣にしてください。

○衣食住の確保等
 殆ど万人に共通する必須の実現目標の例。
 例えば、衣・食・住と生きることを楽しむための遊ぶ金に困らないようにすること。
 また、本来の生得的な完全完璧な健康さを実現しこれを維持するように心身を鍛えて、一生涯、日常生活が支障なく円滑に遂行できるようにすること。
 自分と自分の家族と大切な友人、お隣り・ご近所の人達の身心を病気や事故等から遠ざけ、身辺の安全無事・平和を守ること。
 この為に、潜在意識の法則/引き寄せの法則を活用すること。

○自分と家族の身心の安全を守った体験
 かなり前に書いたこのブログ文で、私の母が針仕事を先程までしていた仏間に足を踏み入れると同時に、「縫い針が落ちている!」と思い、それを直ちに見つけた話をしました。
 また、風呂に入って、湯船に身を沈めると同時に、いつもはしていない微かな音に気がついて、ガス風呂の配管が腐食して小さな孔が開いていて、そこからガスが洩れ出ていたことを発見した話をしました。

 これらは、一見すると、「意味のある偶然の発見」の例のようです。
 しかし、私にとっては、自分と家族の身心と身辺の安全を守る、という自覚的で意図的で明確な目的を持った常日頃の祈り=潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法の成果でした。

 もう40年位前のことですが、我が家のすぐ西隣りのアパートに住む学生さんがいた部屋から、日中に火事が発生した時にも、それに素早く気が付いて、消防車が来るまでの間、どういう訳かその日は会社に勤めて家に居るはずの無い弟が「昼飯を食べに来た」と言って居合わせていて、内の家族とお隣りの娘さんとで風呂の残り湯を使ってバケツリレーで消火に当たり、小火段階で食い止めることが出来たのも、日頃の祈りのお陰だと思っています。
 これに先立つ暫く前から、夜、寝ようとして寝床に入ろうとすると、目の前が火の海になるイメージが自然に浮かぶことが続いて、その内に、家の近くで二日続いて家が全焼する火事がありましたが、それでもなお目の前が火の海になるイメージは続いていて、神経がピリピリしていたことが、西隣りの家で発生した火事にすぐに気が付くことに役立ったようです。
 そして、この夜から、寝ようとして寝床に入ろうとすると目の前が火の海になるイメージはピタリと止みました。

○国の領土を護るための祈り
 今ひとつ、国民として忘れてはならないのが、次の祈り。

 国家、即ち日本独自の文化的伝統や風土でも国民でも無くて、ましてや平和憲法や人権の擁護でもなくて、先ずは「国の領土」を国外からの侵害・侵略から護ること。

 この祈りは、「意味のある偶然の一致」や「意味のある偶然の発見・発明」に任せておくのは、ましてや偶然の幸運や他人や他国の好意・善意や気まぐれな意思や国際政治の成り行き次第等に任せて置くのは、適切ではありません。

 ところで、例えば電話を掛けるには、物理・化学的なシステムとしての電話システムが必要です。
 これが、物資的に出来ているこの世界の中で生きている私たちに、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きが、唯一絶対普遍かつ不変的に定めている掟です。
 国を護るにも、それなりの物理的なシステムが必要不可欠になります。
 国を護るために必要不可欠な物理的なシステムは、「軍隊」と呼ばれているものです。
 しかも、今の国際情勢で、日本一国で自国の領土を護り切るのは難しいと言えます。
 この為には、一般法則論で言うような人類的基本理念/基本目標を共有する友好国と共同して、相互に助け合いながら、集団的な自衛権を活用するしか現実の道は有り得ないでしょう。

 軍隊があるから戦争が起こり、平和が破壊されるのではありません。
 必要不可欠な軍隊を持たず、国を自覚的に意図的に護ることを怠るから、戦争をもたらすのです。
 国外からの侵略を防ぐための軍隊があり、国際社会の秩序を護るための国の国際外交の努力があるのに、これに加えて、国を護る為に潜在意識の法則/引き寄せの法則を使うのは、物理的な存在の軍隊だけでは、また、外交努力だけでは、国を実際に護れないからです。
 ましてや、紙に書いた憲法に、我が国の領土を物理的に侵害する他国の軍隊を排除する魔法のような力など全くありません。現に、竹島と尖閣諸島は、外国の軍隊に不当に侵略され占拠されたままです。

 潜在意識の法則/引き寄せの法則は、この宇宙全体を造っている唯一絶対普遍かつ至高の知恵と力です。
 そこで、国民も政府も軍隊も外交官もこれも活用しない手はありません。
 少なくとも、日本国内で活動している反日日本人や反日外国人から日本を護ることには、潜在意識の法則/引き寄せの法則は能くその仕事をしてくれるでしょう。

○一国の領土の範囲
 一国の領土の範囲は、自然的に、次に歴史的に、更に国際法的に決まっています。
 言い換えると、今、国の内外に向かって中国が主張しているような意味の、「自分の物は自分の物。他人の物も俺の物」式の「我が国の固有の領土」など無い、ということです。

○中国のしていることの間違い
 他国の領土を武力で侵略して奪うことは、今では、もう国際的に認められません。
 しかし、中国は、文化人類学的には、中国とは別の文明で、チベット高原という風土に独自に高度に発達した文明を持つチベット民族の国を、中国文明よりも劣ると勝手に独断的に判断して、チベット民族独自の文化はもとより、チベット国民の意思も主権もまったく一方的に無視して、あたかもチベット高原には何も無い土地のように扱って、「中国の固有の領土の一部」という勝手な理屈を付けて、武力で自国の一部にしてしまいました。→業田良家 チベット、で検索すると出て来る漫画をご存知ですか?
 しかし、先日のまた繰り返されたチベット弾圧に関するニュースの中で、街頭で取材を受けた中国の人達は、チベットという中国固有の領土をチベット民族が不当に奪って住んでいるのはけしからん、それでも寛大な心を持ってチベットに住まわせ、恩恵を与えているのに、これが不満だというのは許せん! と言わんばかりのことを主張していましたね。

○何故我が国の領土を護るのか?
 なぜ、我が国の領土の現在の範囲を護る必要があるのか?
 何故ならば、我が国の領土こそ、私たち国民全てにとって、国外からの一切の制限・制約や干渉等を受けることなく自由に使えて、私たちが自由に思いの儘に生きる為に必要不可欠な物理的、化学的、生物的、更には文化的な生存基盤と生活基盤/諸資源を確保し維持し利用する大本になるものだからです。
 それが小さな島でも、海洋資源を独占的に利用する為の中核になる大切なものです。
 日本の領土は日本だけのものであることは、国際法的にも認められています。

 国民が自覚的に意図的に国防することを怠った、チベットの、今まだ続いている、悲劇を見よ!!!

○自国の領土を護ることの根拠はどこにあるのか?
 「国の領土」を国外からの侵害・侵略から護ること。
 これは、憲法や何かの政治的な思想・主義・主張や、近隣諸国の思惑やこれを斟酌し、これに配慮することに根拠があるのではありません。
 自国の領土を護ることの唯一の正しい根拠は、生物としてのヒトが生得に持つ、自らの縄張りを護ろうとする本能に、その根拠があります。

○国の領土は元々神の国の一部
 生物としてのヒトが持つ本能的な縄張り意識は、自らの生存と生活の基盤になる領土をを守ろうとするものです。
 国の領土は、更に遡れば、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中で、全てのヒトのための生存・生活基盤/神がヒトに与えてくれた天然自然の存在のインフラ/大自然/神の国の一部だ、と分かります。
 しかし、創造主である神によって与えられた国土を乱暴に扱い、これを搾取し、破壊することばかりをしてきたし今もそれを続けている中国の国民のような人達もいます。

○国の領土を護ることの次の来るもの
 国の領土の次に護る優先順位があるのは、国民。次に、日本独自の文化的伝統。この次に、領土が守られて国と国民が物理的に存在すれば、幾らでも好きなように作ることができる憲法。
 以上の話は、国の領土を護るよりも先に、国民を外国による不当な拉致から護ることよりも先に、第一に平和憲法を守り、これに絶対的に従え、という左翼の人達と、優先順位が根本的に異なります。

 繰り返して言います。
 国を護ることを実現するための祈りは、「意味のある偶然の一致」や「意味のある偶然の発見・発明」に任せておくのは、ましてや偶然の幸運や他人や他国の好意・善意や気まぐれな意思や国際政治の成り行き次第等に任せて置くのは、適切ではありません。
 日本は、チベットのようにならない為に、国民として国防を疎かにしてはならないでしょう。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。

追記
 7 無為にして成す(眠っていてもネズミを退治してしまう猫)
   物事を実現する究極の方法は、これでした。
   これを、書き忘れていました。2008/04/02