いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

高校レベルの物理の教科書を理解すれば神など存在しないと断定する知識が得られるのか?

2008-08-07 22:31:09 | この世界の成り立ちと仕組み
○高校レベルの物理の教科書を理解すれば・・・
 高校レベルの物理の教科書を理解して身につければ、神が存在するとか、熱湯が水よりも先に氷るという常識に反する「ムベンバ効果」などを、言い出すことは有り得ない。
 なのに、このブログの主は、進化論を否定するインチキ科学の創造説を認め、ムベンバ効果を認めるという。
 ということは、高校レベルの物理の教科書をまったく理解できなかった、と言わざるを得ない。

 念のために言えば、一般法則論は創造主である神の存在を認めますが、生物進化を否定したことは一度もありません。
 また、創造説では創造主である神の存在証明をしていませんが、一般法則論では、一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的にこれをしています。

○高校レベルの科学知識では科学とは何かも理解できない
 高校レベルで教える科学の知識は、科学に関する基礎的な知識を網羅的に教えるものだ。
 この学習の中で、科学の世界に神などいらないし、そもそも神など存在しない、ということは、否応なしに知ることになる、科学の基本中の基本の知識だ。
 こう思っている方々が実在するようです。
 しかし、高校レベルの、物理学、化学、生物学、地学、天文学等の全ての知識を身につけても、科学的な知識の初歩さへ網羅的に尽くしたものにはならないのです。
 例えば、このブログの中で何度も説明している自然法則の働き方の原理的な仕組みや、自然法則とエネルギーとの関係の知識についてさへ、高校レベルの科学では何も教えません。

 科学の常識では、熱湯が水よりも先に氷になることなど絶対に有り得ないように、水に浮んだり空を飛んだりすることなど常識的に絶対に有り得ない、巨大な鉄の塊が、船にすれば水に実際に浮かんだり、飛行機の形で空を実際に飛んだりする、というのは、科学が認める自然の法則の働きには一切関係の無い偶然に過ぎない現象であるか、非科学的な人たちによくある「見ることは信じることである」式の心の錯覚、ありもしない神の存在を信じるような共同幻想であり、或いは、巧みな手品で皆が騙されているのであり、疑似科学の世界の話、オカルトの世界の話であり、科学の常識を信じる私は絶対に認めない現象だ。私は科学の常識に従う。

 しかし、こんなことを主張する自称科学者やこの追従者はいないはずです。
 なのに、ムベンバ効果については、現にそれらしい現象が日本でオカルト批判・疑似科学批判の急先鋒のお一人の大槻義彦教授が自ら直接行った実験の中でも発生しているのに、これを可能にするムベンバ効果の原理的な仕組みの存在の可能性を頭っから否定する訳です。

 ということは、現在の科学がムベンバ効果についてその実在を認めず疑うのは、同じく科学の常識では有り得ない、鉄の塊が水に浮かんだり空を飛んだりすることを可能にする、現に使われている船や飛行機の原理について、自称科学者やこの追従者たちは、自ら科学的に自覚的に解明し理解していない証拠でしょう。
 また、不可能を可能にする原理的な仕組みの発見や発明(例えばラジオや人工衛星など)をしてきた科学技術の歴史を、自称科学者やこの追従者たちは、まったく自覚的な知識にしてない、と申し上げても良いでしょう。 
 自称科学者やこの追従者が誇る現在の科学的な常識とは、この程度の不完全なものです。

 自称科学者やこの追従者が、自然法則は、私達が生きている世界の仕組みと秩序の全てを実際に造っている、その全てがヒトの作ったのではない、それ自体で私達がこの世界に生まれる前からあるようにしてある、天然自然の存在の法則であり、自然法則の存在とその働きが及ばない偶然の出来事など存在しないし、また、自然法則は、原因=結果の因果必然の法則であるので、同一原因=同一結果の原理が存在し、これは仮説検証法の科学実験を支える大事な原理だ、と言ったことさへ、自覚的な知識にしているとは思えません。

 そもそも、自然科学が成り立つ根拠を解明する科学哲学や科学基礎論と言われる学問が、これらのことを、全ての科学者が一つに共有すべき基礎的な知識として、未だ自覚的に知りません。
 大きな書店で科学論に関する本を調べ、物理や科学の事典を調べ、インターネットの日本語で書かれているものを検索する限りでは、こう申し上げても良いでしょう。

○不完全な科学知識ではこの世界の成り立ちと仕組みが正しく解明できない
 大事なことは、自然法則の働き方の原理的な仕組みや自然法則とエネルギーとの関係について、一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に知らないと、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを発見できませんし、科学とは何かの定義を一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的にすることさへできない、ということです。
 正確には、天然自然の存在の創造主である神を最初に発見しなくては、自然法則とエネルギーの性質や役割や働き方の原理も正しく知ることができません。なぜならば、自然法則は創造主である神の天地創造の原理であり、エネルギーは、創造主である神の心身を素にしたこの世界の全てを造るための素材であるがゆえに、自然法則やエネルギーとしての性質や機能や働き方の原理等が決められているからです。自然法則とエネルギーと物質が、意識の無い、自らの主体的な自由意志を持たない存在として、「慣性の法則」性を現すのも、このためであるわけです。

○科学をすれば自然に身に付くはずの謙虚ささへ身に付かない現在の不完全な科学
 高校レベルに限らず、現在の不完全な科学知識では、これを振り回して、他をニセ科学、疑似科学呼ばわりする尊大さを垂れ流すのみで、自然科学を学べば、その自然観察の方法から本来自然に学んで身に付けるはずの謙虚さへ、まったく身に付けることが難しい、といえます。

○まとめ
 と申し上げても、この意味が、高校レベルの科学の知識が、科学的な知識の基礎を網羅的に説明し尽くしていると思い込んでいるとしたら、まったく理解できないかも知れません。
 また、それが科学的にその真偽が検証されるべき仮説に限らず、全ての知識は、この知識の元になった現地=私達がこの世界に誕生する遥か前に、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られ始めたこの世界の成り立ちと仕組みそのものに照らし合わせて、その真偽を必ず検証すべきものだ、という科学的な常識を持たない人たちは、手間の掛かる真偽の検証方法よりも、権威やレッテル張りや既成の知識や常識で手っ取り早く判断する癖から抜けられないのかも知れません。

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 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


「天才バガボンのパパとママ」の生みの親の赤塚不二夫氏の告別式の日に当たって

2008-08-07 17:23:06 | 神の化身・神の分身のヒト
○「天才バガボンのパパとママ」の生みの親の赤塚不二夫氏の告別式の日に当たって
 今日、2008年8月7日(木)は、ギャグ漫画の文字通りの天才、赤塚不二夫の告別式が行われた日です。
 漫画には余り造詣が深くない私でも、赤塚不二夫氏の漫画の登場人物については、幾つも知っています。

 天才バガボン、天才バガボンのパパとママ、天才バガボンの中に登場する何かというと「死刑なのだ!!!」と言って、拳銃を空に向かって撃つおまわりさん、モーレツアタロー、イヤミ、ケムンパス、(六つ子の兄弟の)おそ松くん、ハタ坊、ニャロメ、おでん好きのチビ太、ダヨーン、ココロのボス、ウナギイヌ、レレレのおじさん、デカパンなど。
 どのキャラクターも、天真爛漫さを持っています。

 これらは、誰でも思いつきそうであって、しかし、まず思いつくのが不可能に近いキャラクター。
 本当に、誰にでもできそうでできない、天然ボケ風に生み出されたキャラクター群。
 これに加えて、これらのキャラクターが登場するギャグのストーリー。

 中でも、天才バガボンのパパとママは、印象深いキャラクターです。
 バガボンのママは、「良妻賢母」の、気品のあるお嬢様風の飛びきりの美人。
 バガボンのパパは、バガボンのママには似合わない、オヤジ風の風采の人物。
 しかし、バガボンのパパは、「アウトサイド・イン型人間」ではなくて、「インサイド・アウト型人間」。
 自分から積極的に物事にトライして、うまくいかなくても、「それでいいのだ!!!」と名ゼリフを吐きます。
 自分からは積極的に何もしないで、他人から与えられた御仕着せの生き方を、「まっ、イッか・・」と言って受け入れる「アウトサイド・イン型人間」では無い、天才バガボンのパパ。

 天才バガボンのパパは、赤塚不二夫氏自身がモデルだそうですね。
 確かに・・・。

 文字通りに、ギャグ漫画の天才の赤塚不二夫氏のご冥福を祈ります。

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哲学の新常識 哲学的な思考の大前提を再確認する

2008-08-07 04:51:19 | この世界の成り立ちと仕組み
○誰も勝手に哲学することはできない 哲学の新常識
 「哲学するとは何か 岩波講座 哲学の広告を読んで」(2008年7月29日)で、次の様に申し上げました。
 「一言で言えば、誰も勝手に哲学することなどできない、ということです。
 なぜならば、私達がこの世界の成り立ちと仕組みと人という存在について哲学する遥か前に、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで、この世界の成り立ちと仕組みもヒトとは何かも、既に造られ、既に決められているからです。」
 「この事実を前提にしないと、哲学的な思考は、自動的かつ必然的に、全てがこの世界の成り立ちと仕組みに関係の無い、これに基礎を置かない、妄想の哲学になります。」
 これを、「哲学の新常識」ということにします。

 しかし、この見解は、これまでの哲学の常識ではありませんでした。
 この事実は、本屋さんにある哲学書や哲学事典、思想書或いは自然科学に関する本の頁を読めば、すぐに理解していただけるもの、と思います。

○これまでの哲学的な思考方法は根本的に間違っていたと分かる
 簡単に説明した「哲学の新常識」に照らして見ると、これまでの哲学的な思考は、根本的に間違っていた、と分かります。
 十八世紀のイギリスの哲学者バークレーは、物質の実在を否定し、「物体は知覚されたときにはじめて実体を持つ」と主張したそうです。
 しかし、この世界の成り立ちと仕組みの歴史から言えば、私達全てに先立って、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きでこの世界が造られ、この後に、この世界の中に私達は生まれ、そして、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで既に造られて実在しているこの世界を意識化し認識することができる意識のある心の働きを持つようになったのですから、バークレーの説は、根本的に、原理的に成り立たないことになります。
 しかし、話は、哲学の分野に留まりません。
 なぜならば、哲学がこの世界を造っている根本原理の解明をしようとしていますが、哲学が解明の対象にしているのと一つ同じ世界について、自然科学も同じくその成り立ちと仕組みを解明しようとしているからです。
 そして、バークレーの説は、量子論の形に姿を変えて、「コペンハーゲン解釈」なるものの形で、いまや自然科学者一般の常識になっているからです。例えば、次の本の77頁の説明。

リチャード・モリス(2002) 杉本由美訳(2002)  ビッグ・クエスチョンズ 神はいるのか、いないのか、科学が解き明かす12の大疑問 はまの出版

 そこで、哲学の新常識は、自然科学の世界にまで自動的かつ必然的に及びます。

○哲学の新常識を量子論に当て嵌めて考えると・・・
 例えば、電子にも光子にも、私達が常識的に考えるような、形のある「粒子」のような実体はない、と量子論では言います。
 このために、量子論の実体は何かの説明ができません。
 しかし、この量子論の考え方は、私達がこの世界に生まれて来る遥か前に、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで既にこの世界の成り立ちと仕組みが造られていた、という客観的な事実を、まったく無視していることの上に成り立っているものです。
 即ち、この世界の成り立ちと仕組みがどうできているのか、例えば、電子や光子はどうできているのか、また、それが私達にはどのように認識されるのかも、自然科学者がとやかく言う前に、既に一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に決まっているのです。
 一般法則論では、電子も光子も、それぞれ、電子の原理的な仕組みと光子の原理的な仕組みを基にして、エネルギーを素材にして造られている、システム的に実在する存在です。
 この場合、波の性質を持つエネルギーが電子と光子を観測すると現れるものですから、素材のエネルギーではなくて、波としてのエネルギーに心を奪われて、奇妙な量子論や多世界解釈などの珍説を生んでいる、というわけです。

○高校レベルの物理学の教科書を理解してもこの世界の成り立ちと仕組みは分からない
 話は、量子論に限らず、例えば、高校レベルの物理学の教科書の記述にも当て嵌まります。
 即ち、高校レベルの物理学の教科書の記述によって、この世界の成り立ちと仕組みが決められ、造られているのではない、ということです。
 そこで、高校レベルの物理学の教科書を仮令丸ごと理解できても、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを発見し理解し尽くすことはできないことに自動的かつ必然的になります。

○まとめ
 私達が生きているこの世界の成り立ちと仕組みについて、私達がその実体についてとやかく言う前に、既に天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に形が与えられている。 
 この事実を無視して、ヒトは、勝手に哲学することも、自然科学を打ち立てることもできないのです。
 このことは、幾ら強調しても強調し切れません。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
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