○高校レベルの物理の教科書を理解すれば・・・
高校レベルの物理の教科書を理解して身につければ、神が存在するとか、熱湯が水よりも先に氷るという常識に反する「ムベンバ効果」などを、言い出すことは有り得ない。
なのに、このブログの主は、進化論を否定するインチキ科学の創造説を認め、ムベンバ効果を認めるという。
ということは、高校レベルの物理の教科書をまったく理解できなかった、と言わざるを得ない。
念のために言えば、一般法則論は創造主である神の存在を認めますが、生物進化を否定したことは一度もありません。
また、創造説では創造主である神の存在証明をしていませんが、一般法則論では、一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的にこれをしています。
○高校レベルの科学知識では科学とは何かも理解できない
高校レベルで教える科学の知識は、科学に関する基礎的な知識を網羅的に教えるものだ。
この学習の中で、科学の世界に神などいらないし、そもそも神など存在しない、ということは、否応なしに知ることになる、科学の基本中の基本の知識だ。
こう思っている方々が実在するようです。
しかし、高校レベルの、物理学、化学、生物学、地学、天文学等の全ての知識を身につけても、科学的な知識の初歩さへ網羅的に尽くしたものにはならないのです。
例えば、このブログの中で何度も説明している自然法則の働き方の原理的な仕組みや、自然法則とエネルギーとの関係の知識についてさへ、高校レベルの科学では何も教えません。
科学の常識では、熱湯が水よりも先に氷になることなど絶対に有り得ないように、水に浮んだり空を飛んだりすることなど常識的に絶対に有り得ない、巨大な鉄の塊が、船にすれば水に実際に浮かんだり、飛行機の形で空を実際に飛んだりする、というのは、科学が認める自然の法則の働きには一切関係の無い偶然に過ぎない現象であるか、非科学的な人たちによくある「見ることは信じることである」式の心の錯覚、ありもしない神の存在を信じるような共同幻想であり、或いは、巧みな手品で皆が騙されているのであり、疑似科学の世界の話、オカルトの世界の話であり、科学の常識を信じる私は絶対に認めない現象だ。私は科学の常識に従う。
しかし、こんなことを主張する自称科学者やこの追従者はいないはずです。
なのに、ムベンバ効果については、現にそれらしい現象が日本でオカルト批判・疑似科学批判の急先鋒のお一人の大槻義彦教授が自ら直接行った実験の中でも発生しているのに、これを可能にするムベンバ効果の原理的な仕組みの存在の可能性を頭っから否定する訳です。
ということは、現在の科学がムベンバ効果についてその実在を認めず疑うのは、同じく科学の常識では有り得ない、鉄の塊が水に浮かんだり空を飛んだりすることを可能にする、現に使われている船や飛行機の原理について、自称科学者やこの追従者たちは、自ら科学的に自覚的に解明し理解していない証拠でしょう。
また、不可能を可能にする原理的な仕組みの発見や発明(例えばラジオや人工衛星など)をしてきた科学技術の歴史を、自称科学者やこの追従者たちは、まったく自覚的な知識にしてない、と申し上げても良いでしょう。
自称科学者やこの追従者が誇る現在の科学的な常識とは、この程度の不完全なものです。
自称科学者やこの追従者が、自然法則は、私達が生きている世界の仕組みと秩序の全てを実際に造っている、その全てがヒトの作ったのではない、それ自体で私達がこの世界に生まれる前からあるようにしてある、天然自然の存在の法則であり、自然法則の存在とその働きが及ばない偶然の出来事など存在しないし、また、自然法則は、原因=結果の因果必然の法則であるので、同一原因=同一結果の原理が存在し、これは仮説検証法の科学実験を支える大事な原理だ、と言ったことさへ、自覚的な知識にしているとは思えません。
そもそも、自然科学が成り立つ根拠を解明する科学哲学や科学基礎論と言われる学問が、これらのことを、全ての科学者が一つに共有すべき基礎的な知識として、未だ自覚的に知りません。
大きな書店で科学論に関する本を調べ、物理や科学の事典を調べ、インターネットの日本語で書かれているものを検索する限りでは、こう申し上げても良いでしょう。
○不完全な科学知識ではこの世界の成り立ちと仕組みが正しく解明できない
大事なことは、自然法則の働き方の原理的な仕組みや自然法則とエネルギーとの関係について、一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に知らないと、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを発見できませんし、科学とは何かの定義を一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的にすることさへできない、ということです。
正確には、天然自然の存在の創造主である神を最初に発見しなくては、自然法則とエネルギーの性質や役割や働き方の原理も正しく知ることができません。なぜならば、自然法則は創造主である神の天地創造の原理であり、エネルギーは、創造主である神の心身を素にしたこの世界の全てを造るための素材であるがゆえに、自然法則やエネルギーとしての性質や機能や働き方の原理等が決められているからです。自然法則とエネルギーと物質が、意識の無い、自らの主体的な自由意志を持たない存在として、「慣性の法則」性を現すのも、このためであるわけです。
○科学をすれば自然に身に付くはずの謙虚ささへ身に付かない現在の不完全な科学
高校レベルに限らず、現在の不完全な科学知識では、これを振り回して、他をニセ科学、疑似科学呼ばわりする尊大さを垂れ流すのみで、自然科学を学べば、その自然観察の方法から本来自然に学んで身に付けるはずの謙虚さへ、まったく身に付けることが難しい、といえます。
○まとめ
と申し上げても、この意味が、高校レベルの科学の知識が、科学的な知識の基礎を網羅的に説明し尽くしていると思い込んでいるとしたら、まったく理解できないかも知れません。
また、それが科学的にその真偽が検証されるべき仮説に限らず、全ての知識は、この知識の元になった現地=私達がこの世界に誕生する遥か前に、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られ始めたこの世界の成り立ちと仕組みそのものに照らし合わせて、その真偽を必ず検証すべきものだ、という科学的な常識を持たない人たちは、手間の掛かる真偽の検証方法よりも、権威やレッテル張りや既成の知識や常識で手っ取り早く判断する癖から抜けられないのかも知れません。
例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
高校レベルの物理の教科書を理解して身につければ、神が存在するとか、熱湯が水よりも先に氷るという常識に反する「ムベンバ効果」などを、言い出すことは有り得ない。
なのに、このブログの主は、進化論を否定するインチキ科学の創造説を認め、ムベンバ効果を認めるという。
ということは、高校レベルの物理の教科書をまったく理解できなかった、と言わざるを得ない。
念のために言えば、一般法則論は創造主である神の存在を認めますが、生物進化を否定したことは一度もありません。
また、創造説では創造主である神の存在証明をしていませんが、一般法則論では、一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的にこれをしています。
○高校レベルの科学知識では科学とは何かも理解できない
高校レベルで教える科学の知識は、科学に関する基礎的な知識を網羅的に教えるものだ。
この学習の中で、科学の世界に神などいらないし、そもそも神など存在しない、ということは、否応なしに知ることになる、科学の基本中の基本の知識だ。
こう思っている方々が実在するようです。
しかし、高校レベルの、物理学、化学、生物学、地学、天文学等の全ての知識を身につけても、科学的な知識の初歩さへ網羅的に尽くしたものにはならないのです。
例えば、このブログの中で何度も説明している自然法則の働き方の原理的な仕組みや、自然法則とエネルギーとの関係の知識についてさへ、高校レベルの科学では何も教えません。
科学の常識では、熱湯が水よりも先に氷になることなど絶対に有り得ないように、水に浮んだり空を飛んだりすることなど常識的に絶対に有り得ない、巨大な鉄の塊が、船にすれば水に実際に浮かんだり、飛行機の形で空を実際に飛んだりする、というのは、科学が認める自然の法則の働きには一切関係の無い偶然に過ぎない現象であるか、非科学的な人たちによくある「見ることは信じることである」式の心の錯覚、ありもしない神の存在を信じるような共同幻想であり、或いは、巧みな手品で皆が騙されているのであり、疑似科学の世界の話、オカルトの世界の話であり、科学の常識を信じる私は絶対に認めない現象だ。私は科学の常識に従う。
しかし、こんなことを主張する自称科学者やこの追従者はいないはずです。
なのに、ムベンバ効果については、現にそれらしい現象が日本でオカルト批判・疑似科学批判の急先鋒のお一人の大槻義彦教授が自ら直接行った実験の中でも発生しているのに、これを可能にするムベンバ効果の原理的な仕組みの存在の可能性を頭っから否定する訳です。
ということは、現在の科学がムベンバ効果についてその実在を認めず疑うのは、同じく科学の常識では有り得ない、鉄の塊が水に浮かんだり空を飛んだりすることを可能にする、現に使われている船や飛行機の原理について、自称科学者やこの追従者たちは、自ら科学的に自覚的に解明し理解していない証拠でしょう。
また、不可能を可能にする原理的な仕組みの発見や発明(例えばラジオや人工衛星など)をしてきた科学技術の歴史を、自称科学者やこの追従者たちは、まったく自覚的な知識にしてない、と申し上げても良いでしょう。
自称科学者やこの追従者が誇る現在の科学的な常識とは、この程度の不完全なものです。
自称科学者やこの追従者が、自然法則は、私達が生きている世界の仕組みと秩序の全てを実際に造っている、その全てがヒトの作ったのではない、それ自体で私達がこの世界に生まれる前からあるようにしてある、天然自然の存在の法則であり、自然法則の存在とその働きが及ばない偶然の出来事など存在しないし、また、自然法則は、原因=結果の因果必然の法則であるので、同一原因=同一結果の原理が存在し、これは仮説検証法の科学実験を支える大事な原理だ、と言ったことさへ、自覚的な知識にしているとは思えません。
そもそも、自然科学が成り立つ根拠を解明する科学哲学や科学基礎論と言われる学問が、これらのことを、全ての科学者が一つに共有すべき基礎的な知識として、未だ自覚的に知りません。
大きな書店で科学論に関する本を調べ、物理や科学の事典を調べ、インターネットの日本語で書かれているものを検索する限りでは、こう申し上げても良いでしょう。
○不完全な科学知識ではこの世界の成り立ちと仕組みが正しく解明できない
大事なことは、自然法則の働き方の原理的な仕組みや自然法則とエネルギーとの関係について、一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に知らないと、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを発見できませんし、科学とは何かの定義を一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的にすることさへできない、ということです。
正確には、天然自然の存在の創造主である神を最初に発見しなくては、自然法則とエネルギーの性質や役割や働き方の原理も正しく知ることができません。なぜならば、自然法則は創造主である神の天地創造の原理であり、エネルギーは、創造主である神の心身を素にしたこの世界の全てを造るための素材であるがゆえに、自然法則やエネルギーとしての性質や機能や働き方の原理等が決められているからです。自然法則とエネルギーと物質が、意識の無い、自らの主体的な自由意志を持たない存在として、「慣性の法則」性を現すのも、このためであるわけです。
○科学をすれば自然に身に付くはずの謙虚ささへ身に付かない現在の不完全な科学
高校レベルに限らず、現在の不完全な科学知識では、これを振り回して、他をニセ科学、疑似科学呼ばわりする尊大さを垂れ流すのみで、自然科学を学べば、その自然観察の方法から本来自然に学んで身に付けるはずの謙虚さへ、まったく身に付けることが難しい、といえます。
○まとめ
と申し上げても、この意味が、高校レベルの科学の知識が、科学的な知識の基礎を網羅的に説明し尽くしていると思い込んでいるとしたら、まったく理解できないかも知れません。
また、それが科学的にその真偽が検証されるべき仮説に限らず、全ての知識は、この知識の元になった現地=私達がこの世界に誕生する遥か前に、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られ始めたこの世界の成り立ちと仕組みそのものに照らし合わせて、その真偽を必ず検証すべきものだ、という科学的な常識を持たない人たちは、手間の掛かる真偽の検証方法よりも、権威やレッテル張りや既成の知識や常識で手っ取り早く判断する癖から抜けられないのかも知れません。
例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。