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いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

世界平和は神の国が地上天国化した状態しかない

2011-12-08 22:11:07 | 平和の定義

  世界平和は神の国が地上天国化した状態しかない

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入 
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対


 世界平和は神の国が地上天国化した状態しかない

○今日は・・・・
 今日、12月8日は七十年前の日米開戦の日。
 そこで、世界平和を考えるには相応しい日。

○結論から先に言うと・・・・・・
 世界平和は神の国が地上天国化した状態しか有り得ません。
 平和状態とは、そのシステムとしてのパーフォーマンス、性能、効率が最高、最良、最善に発揮されている状態を意味します。
 この為には、私達か生まれ住んでいるこの世界を造った原理であるΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られた通りに完全存在することです。
 Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きに替って、例えばアメリカ文化・文明や中国文化・文明を造った原理で置き換えたのでは、私達の住むこの世界の平和の秩序は実現でません。
 美味しいスープは美味しいスープを作る原理でのみ達成できるのであって、例えば別の原理である高性能の携帯電話機を作る原理では達成出来ないのです。
 この理を無視した平和論が横行しています。
 そもそもこの世界化、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られていることを知りません。

 世界平和についての考え方について、ご理解頂けましたでしょうか・・・・・・。

 例により、誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


ガルトゥング氏の言う「構造的暴力」の正体

2009-03-01 05:08:47 | 平和の定義
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的    人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)           ヒト     生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                    Z→→→Z

○ガルトゥング氏の言う「構造的暴力」
 ガルトゥング氏の言う「構造的暴力」とは、「自分がしたいことがその通りに出来ないのは、これを妨げるさまざまな社会構造があるからだ」ということのようです。
 インターネットで「構造的暴力」を検索用語にして検索すると、沢山のサイトが出てきます。
 その殆んどの例で、ガルトゥング氏の言う「構造的暴力」という概念を丸呑みして、これを殆んど絶対的な基礎にして平和を論じています。
 しかし、ガルトゥング氏の言う「構造的暴力」とは何を意味しているのかを、多くの方々がご自分の頭で今一度考察していません。

○何が構造的暴力であるかの判断が個人の主観的な恣意になる弊害が既に
 ガルトゥング氏の言う「構造的暴力」という概念は、「自分がしたいことがその通りに出来ないのは、これを妨げるさまざまな社会構造があるからだ」ということのようです。
 言い換えると、「何が構造的暴力であるか」の判断が、個人の主観的で恣意的な判断に委ねられていて、これで決まる、という「構造的欠陥」を、ガルトゥング氏の言う「構造的暴力」という概念の中に本質的に抱え込んでいることになります。
 この結果、「構造的暴力」という概念が持つ「構造的欠陥」により、構造的に新たな暴力を生み出す原因を作ることになりそうです。
 事実、この弊害が既に現れているようです。
 このことに関して、詳しくは、別の文で説明します。
 (この文をここに投稿してすぐのご指摘有難うございます)

○間違い その1 ヒトの生き方の原理があることを知らないことにある
 「自分がしたいことがその通りに出来ないのは、これを妨げるさまざまな社会構造があるからだ」。
 上の意味のガルトゥング氏の言う「構造的暴力」とは、一般法則論的に言えば、Ω神が全て造っているこの世界の成り立ちと仕組みに絶対的な根拠のある「ヒトの生き方の原理」があることを知らず、これをハウツー化/実用化した、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法も知らないことにある、といえます。→マイケル・J・ロオジェ(2003・2006) 石井裕之監修(2007) 引き寄せの法則 東京 講談社 黄色の表紙の本。
 これらのことを知らない方々も、本当は、このような情報に接しているに違いありません。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に関する本の広告は、いま、殆んど毎日の新聞に載っています。
 しかし、例えば、無神論者を自称し、唯物論を信念にしていて、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法など始めからオカルト的な迷信、と思い込んでいるので、それらの本の広告は目に入らないのでしょう。

○それをする正しい方法があることを自覚的な知識にしてない人たち
 一般的に言えば、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの中では、何をするのでも、また、何を造る/作るのでも、他の何事でも無いそれをする原理的な仕組みに基づいてくつられるシステムを造る/作ることによって行う必要があります。
 これを簡単に言い換えると、「何をするのでもそれをする正しいやり方/正しい方法がある」ということです。
 ヒトの生き方の原理は、何をするのでもそれをする正しいやり方があることの一例です。
 しかし、これを自覚的な知識にしているヒトの方が少数派です。
 ガルトゥング氏と彼を神様のように思って無条件・無留保で追従する人たちは、これを自覚的な知識にしていない多数派と言うことが出来ます。
 こうではありませんか?

○間違い その2 うまく行かない原因を他人の所為にする
 「自分がしたいことがその通りに出来ないのは、これを妨げるさまざまな社会構造があるからだ」という考え方の今ひとつの間違いは、自分の生き方を他人の所為にしているからでしょう(注記1)。
 この間違いも、ヒトの生き方の原理があることについて無知だからです。
 「家族が不幸なのはお父さんのあんたの稼ぎが悪いからだ!」などと子供に言われたら、父親として、男として、立つ瀬が無いものです。

○まとめ
 この世に生まれた以上、否応なしに、ヒトの生き方の原理とこれを実用化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を自覚的な知識にして、自分のものにすることが必要不可欠です。
 この世に生まれてくる手間を掛けただけで、ヒトの生き方の原理/ヒトとして生きるための正しい方法を自覚的に意図的に学ばなくては、ヒト/Ω人として生きることができないのです。
 念のために付け加えると、平和憲法やマルクス主義を勉強することは、ヒトの生き方の原理を学ぶことにはならないし、これらをたとえ学んでも現実の生活にはまったく役には立ちません。潜在意識の法則/引き寄せの法則といわれているものを学んでください。
 特に、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みを知って、これに則って生きることを憶えれば、自然にそのヒトの生きかたは、非暴力的になる=平和的になるでしょう。

○注記1 進化の歴史
 人類にいたるまでの生物進化の歴史は、「生き方の原理」を体の外にある世界Ⅳ=天然自然の存在の世界=環境に置く生物から、体の中に=心の中に取り込む生物への進化の歴史です。そして、Ω人(世界Ⅴ)の段階に至って生きる原理を全面的に体の中の心の働きに取り込んだのです。
 しかし、この事実を知らずに、Ω人、は生きる本能を失ったと言い切る人たちがいます。
 注記1の終わり(20090305)
 

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。 
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

平和の定義   図解化され一般法則論の世界観と人間観を下敷きにして

2009-02-24 03:30:09 | 平和の定義
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的    人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)           ヒト     生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                    Z→→→Z

○平和とは何かを考える
 この文では、平和とは何かについて考察します。
 もちろん、この場合も、このブログの中では、図解化された一般法則論の世界観が話の大前提になっています。

○あなたは何方ですか?
 あなたは、権威のある他人の話を鵜呑みにして信じ込んで行動に出ることを、ずっとこれまでの習慣にしてこられましたか?
 それとも、ご自分の目でこの世界の成り立ちと仕組みを見、ご自分の頭でこの世界の成り立ちと仕組みを考え、これによって発見したご自分の世界観と人間観に基づいて、ご自分で事の真偽・正否・適否・善悪等を深く考え、判断することを習慣にしておられる方ですか?
 ここで一般法則論が解明し、説明しているΩ神中心の世界観/人間観は、あなたにとって、如何なる意味がありますか?

○平和とは何かの答え
 平和/安全無事/平穏無事/Ω神の化身かつ分身のヒトとして身心が健康かつ健全な状態/飢餓、貧困等が無い状態/嫉妬や憎しみや恨みや怒り等が無い状態/軋轢やいじめや差別や暴力や争いが無い等の状態/自然環境との調和は、何も彼も事が自然にうまく行っている状態に自動的かつ必然的に伴ってのみ現れる状態のことです。
 何も彼も事が自然にうまく行っている状態を離れて、例えば「平和」の状態が独自に存在し得るのではありません。
 これが、「平和とは何か」の答えです。

○何も彼も事が自然にうまく行っている状態を一般的に言うと・・・
 「何も彼も事が自然にうまく行っている状態」を、一般法則論の世界観に則して一般的に表現すれば────
 これは、Ω神が全て造っているこの世界の成り立ちと仕組みが持つ、私達全てに絶対的に等しく、客観的に唯一絶対的に普遍的にかつ不変的に存在している絶対秩序がそこで確かに存在し行われている、ということです。
 これを一言で「Ω神的絶対的秩序がある」ということにします。
 この場合に、そして、この場合にのみ、宇宙大で平和があることになります。

○Ω神的な秩序の実際
 世界平和或いは私達の日々の平穏無事な生活は、Ω神が意図している通りにこの世界の成り立ちと仕組みの秩序が実現している時に、これに自動的かつ必然的に伴って、ヒトの意思の力や努力や腕力など一切なしで自然にもたらされるものです。
 即ち、平和の状態/平穏無事の状態とは、Ω神が全てを造り支配しているこの世界の成り立ちと仕組みの中で、ヒトの身心の状態も、人の生き方も、社会の在り方も、経済の在り方も、政治の在り方も、国の在り方も、民族同士の在り方も、国同士の在り方も、全てそれぞれが正しく存在する原理的仕組みに則って本来あるべき状態に正しく造られ、その通りに完全完璧に機能し存在している状態のことです。
 このことが絶対に必要だ、ということです。
 現に、例えば、あなたが今お使いのパソコンはちゃんとこう作られ、それが正しく維持されて働いているからこそ、今インターネットでこのブログの文を平穏無事に読むことができる訳です。
 しかも、あなたが今使っているパソコンの存在を意識せず、忘れる位あなたのパソコンは静かに動いている筈です。これが平穏無事の状態/平和な状態です。
 こういうことが、個人のレベルでも、家族のレベルでも、社会のレベルでも、国家のレベルも、国家間のレベルでも、民族同士のレベルでも、地球全体でも行われているときに、平穏無事で何事をなく、平和な状態に世界がある、ということになります。

 以上が、一般法則論的な平和の言わば定義です。

○平和運動家は存在し得ない 話の補強
 「闇」とは、単純に、そこに「光が存在していない状態」のことです。
 在るべき「光」がそこに無いことを離れて、「闇」これ自体がこの世に独自に或いは勝手に偶然に存在しているのではありません。
 平和等も、何も彼も事が自然にうまく行っている状態に自動的かつ必然的に自然に伴う状態であることを離れて、これ自体で独自に勝手に或いは偶然に存在することはありません。
 天然自然の存在のΩ神の存在も、私達が生まれ住んでいるこの世界の存在と離れて、それ自体で勝手に或いは偶然に気まぐれに存在しているのではありません。Ω神の存在は常に私達が生きているこの世界、私達一人一人、あなたや私と一体不可分でのみ存在しています。
 なのに、世の中には「平和運動家」とか「平和勢力」と自称/他薦する人たちがいます。
 しかし、この人達は、比喩的に言えば、「平和」という名の付いた、この世には実在しない架空の動物「龍」の保護・繁殖活動をしている、と言う、この世では有り得ないことを主張し活動しているような人達です。この人達について、何かというと、「戦争反対! 平和! 平和!」という「念仏平和主義者」と名付けた人がいます。しかし、少しその本質からずれた名称でしょう。
 どういう訳か、「平和」という名の龍のような架空の動物の保護・繁殖活動や、この架空の動物の飼育係やブリーダーと主張する人達を支持し支援することが大好きな人たちがいますね。

 以下は余談。

○戦争が無い状態/構造的暴力が無い等のこと以上の意味
 Ω神の秩序が行われている状態、「何も彼も事が自然にうまく行っている状態」は、単に「戦争が無い状態」とか「直接的暴力」・「構造的暴力」・「文化的暴力」の3つ(これを「暴力の三角形」というそうです)の「暴力の三角形」の不在(若しくは減少)の状態(平和学者ヨハン・ガルトゥングの説)という平和の定義以上のことを意味しています。例えば───
 「何も彼も事が自然にうまく行っている状態」は、軍隊や核兵器や原発が無いこと以上の意味です。
 ヒトの体に生得的な免疫システムを無くして無防備にすれば病気に罹らなくなる式の発想(事実はこの逆)をして、軍隊を無くせば戦争が無くなるという人達がいます。
 しかし、免疫システムが完全完璧に機能していて初めて身心の健康さが維持できるように、国土を守る軍隊が存在し現実に機能していて初めて国民の生命、財産、自由、権利等を守ることができます。
 ただ、現在の日本国は社会主義・共産主義体制の正しい「国の形」をしていないので、これを認めず、革命を起こし、破壊するには、自衛隊や日本に駐留するアメリカの軍隊があっては邪魔だという人達がいます(注記2)。→2009年02月12日の文 建国記念の日と国防を考える
 「何も彼も事が自然にうまく行っている状態」は、日本国の現憲法の人権規定がその通りに行われている状態を意味するのではありません。
 ヒトの作る憲法に、ヒトの生き方の原理を決めて、ヒトをして自動的かつ必然的に幸せにする魔法のような力を持たせることはできません。
 具体的にいえば、例えばヒトが病気になったときにこれを自動的かつ必然的に治そうとする自然治癒力を憲法の人権規定でヒトの身心に持たせることはできません(注記1)。
 憲法九条で軍隊と戦争の放棄を決めていることが自動的かつ必然的にもたらす魔法の力によって、日本国の国土が外からの侵略から守られ、国の秩序が保たれ、平和が守られるではありません。
 ましてや、「何も彼も事が自然にうまく行っている状態」は、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みには何の根拠も無い社会主義社会や共産主義社会が地球大で実現すれば、世界に恒久平和が実現する、という意味ではありません。
 また、多数の人命が失われ資源を無駄使いする悲惨な戦争があったことを語り継ぎ、人々に戦争に対する恐怖心や嫌悪感を植え付ければ、特にまだ判断力も無い幼稚園児の心に戦争に対する恐怖心を植えつければ、戦争が防げる式の発想やこれに基づいた運動は、間違っているとさへ言えるということです。この運動を一般法則論の世界観の図解に当て嵌めて位置づけると、過去の記憶のメンタル・ハザード化=妄想化=Z化を意味します。

○注記1 自然治癒力の根拠を知らない人たち
 自然治癒力の存在とその働きの仕組みについて殆ど全く知らない人たちが普通にいます。
 この人達の信念では、病院施設等で提供される医者の治療や薬が病気を治す、と間違って思い込んでいます。
 即ち、憲法が保障する国民の権利が十二分に尊重され、十全の医療を受けることができれば、不治の病など無い! と思い込んでいます。
 そこで、自然治癒力を憲法の人権規定でヒトの身心に持たせることはできない、と申し上げても、この説明は意味不明でお分かりにならないようです。
 まさか、あなたもこのお一人では?!
 しかし、例えば大金持ちで幾らでも医療費を払うことが出来る人でも、病院で治療を受ければどんな病気でも必ず治して貰える、というわけでは無い! ということです。
 健全な常識を常に働かせましょう。
 注記1の終わり

○注記2 表向きの理由づけは色々
 表向きの理由付けは色々です。
 例えば、アメリカによる日本の植民地支配、属国化を許さない! など。
 まるで民族主義者の右翼のようです。
 しかし、「植民地支配」という左翼のヒトたちが好んで使う言葉でもその正体を自ら明らかにしているように、社会主義・共産主義体制の国家では無い現状の日本国の存在は一切正統の国の形/国体として認めないから、当然に、現在の日本国を象徴する天皇も国歌も国旗も絶対に認めないし拒否する、という行動に、機会あるごとにでます。もうじきに卒業式のシーズンですが、彼らはまたやってくれるでしょう。
 ましてや、今の日本国や日本国民の存在を認めて守るようなことは、一切認めないというのが、左翼の人たちの立場です。
 注記2の終わり

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

イマヌエル・カント(1795) 池内 紀訳(2007) 永遠平和のために 

2008-04-06 02:46:37 | 平和の定義
イマヌエル・カント(1795) 池内 紀訳(2007) 永遠平和のために 集英社

 巷で評判のこの本第五刷り(2008)を、昨日、四月五日、やっと手に入れました。

 しかし、一般法則論でいう神の国の絶対平和の世界しか、永遠の平和を、人類は手に入れることは出来ないでしょう。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。 




自分で自分を知るための自己観察の方法 下  平和の定義 を含む

2004-12-01 18:15:57 | 平和の定義
 自己観察の仕方のハウツーの話は、(上)と(中)の文です。
 以下は、その続きの(下)です。

○意識の及ぶ範囲の自覚的な拡大化の練習
 意識の及ぶ範囲を拡大する練習は、自己観察による自己発見そのものの方法論の一部で
はありません。
 しかし、この練習は、人本来の心の働くべき範囲を取り戻させてくれます。

○人の心の本来の大きさは宇宙大
 人の心は、宇宙大に広がるこの世界を創造した神の心と一つ同じものですので、本来、
宇宙大で存在し、宇宙大で働くべきものです。

○本来の大きさの宇宙大で働いていない心
 しかし、実際には、人の意識の及ぶ範囲は、目先のことだけ、自分自身のことだけ、自
分の子供や家族や一族のことだけ、自分の会社のことだけ、自分の役所のことだけ、自民
族・自部族のことだけ、自国のことだけ、人間のことだけ・・・、と極めて狭い範囲に限
定されています。
 この儘では、幾ら自己観察をして自分の有りの儘を知っても、自分自身の発見を通して
人本来の姿が見えてきません。

○元の宇宙大の心を取り戻す練習をしよう!
 そこで、人の意識を、もう一度人本来の意識が及ぶ範囲に戻すことが必要です。
 それには、それなりの練習が必要です。
 実際にはどうするのかを、以下に簡単に説明します。

○本来の宇宙大の心を自分の心に取り戻す実際の方法
・最初に、身心をリラックスさせて、例えば、家の何処かの部屋/場所に座ります。
・次に、想像力を働かせて、自分の身体の中心から自分の等身大まで拡大して感じてみま
す。
 頭のてっぺんから足の裏まで、身体全体に意識を巡らせて、身体的自分の存在の意識化
をします。
・自分自身を感じてみたら、徐々に自分の意識を拡大して、自分の居る部屋/場所全体に
まで拡大し、その全体を一つに感じてみます。
・更に、想像力を使って、自分の意識を部屋/場所の隅々まで行き渡らせて、部屋/場所
を細かく感じるのです。
・次に、同じことを、家全体にまで広げてします。そして、同じく、自分も自分が居る部
屋も含めた家全体を一つの物として感じてみるのです。
・次に、家の隅々まで、意識を行き渡らせて、家を細かく感じるのです。
 目には直接見えない、壁の中の柱や電気の配線なども意識化し感じてみるのです。
・次に更に意識の範囲を拡大して、住んでいる町全体の大きさまでにします。
・そして、既に身体や部屋や家でやった意識化を、町全体を一つに捉えてやります。
・更に、これを地域大、国土大、例えばアジア全体、地球大、太陽系大、銀河系大、宇宙
大に拡大し、それを一つのものとして意識化してみます。

・意識を段階を追って拡大するごとに、そこでちょっと止まって、その全体を一つのもの
として感じるのです。次にこの細部を想像力を使って歩く。
・宇宙大に心を拡大したときには、宇宙と一つになって、宇宙に自分が溶け込んでしまう
ことを想像してみましょう。

・以上のことが終わったら、今度は、意識を一気に(一気にです)自分大に縮小します。
 そして、宇宙全体の中に存在している自分の存在をよく感じてみます。

 以上で、意識の拡大・縮小の練習はお終いです。
 これを、最初は、毎日、1度位します。

○練習に掛ける時間は自由に
 この全体をするのに掛ける時間は、1分でも5分でも15分でも出来ます。

○心の及ぶ範囲を自在に拡大・縮小できるようになる
 大事なのは、この世界の全ての存在を感じる意識の働きを、私大から宇宙大まで、それ
を感じながら、拡大したり縮小したりすることが、滑らかに自由自在にできるようになる
ことです。

 その内に、あなたの心は、常に宇宙大で存在し、自分が今居る所から宇宙大まで一つに
繋がって働くのが普通になります。

○使うのは基本的には自分の想像力のみですが────
 使うのは、自分の心の想像力のみです。
 ただ、これをやってみると、子供向けの簡略な身体の解剖図、自分の家の設計図、様々
の縮尺の地図、地球儀などを使いたくなります。そのときには、それを使いましょう。
 また、出来たら、NHKBSで放送している国際ニュースを見ましょう。

 興味のある方は、意識の拡大・縮小の練習をお試しください。

○私の体験
 このようなことを、私は中学生時代に、天文学が好きな友人と、ここでやったのとは逆
の方向で、宇宙大から自分大にまで心の及ぶ範囲を縮小する遊びをやったものでした。
 私の悟りの体験のときには、自分の存在から一気に心が宇宙大に拡大し、宇宙に完全に
溶け込んで一つになり、しかも私の存在は無くならずに、宇宙そのものを一つに感じる体
験をしました。
 この時の感覚は、未だに私の身体感覚の一部に残っています。

○あなたもリアルタイムの自己観察を早速試されては・・・
 リアルタイムの自己観察の方法は、上に説明したような単純で簡単なことです。
 あなたも早速試してみるのは、如何ですか。
 このことから得られる利益は、あなたご自身で確かめて下さい。

○リアルタイムの自己観察法以外の自己観察方法
 リアルタイムの自己観察の他にも、例えば、毎日日記をつける、瞑想(座禅)する、内
観法、「フォーカシング」など、複数のものが色々とあります。
 ただ、大きく異なるのは、これらの方法では、自己観察を、限られた場合でするか、リ
アルタイムにやらないことです。

○日記を付ける
 ここで説明している自己観察の方法は、その場で即座に行う方法です。
 普通、一日終わりに書く日記は、この点で、リアルタイム性に欠けます。
 しかし、例えば、ある日、突然にふとある特定の友人のことを思った/地震?! とふ
と思った、というようなことは、その日時を日記(日付順の手帳)に記録しておくと、後
でそれが実際に何であったのかを確認することに役立つことになります。
 例えば、突然にふとある特定の友人のことが心に浮かんだのは、その友人が手紙を私宛
に出そうとしていたのを、その翌日受け取る前に察知したのだとか。
 こういうことが自分の例で分かっていると、いわゆる超能力があるか無いかの論争を聞
いても、自分のした体験を含めて考えると、超能力など全く無い! と頭から否定して仕
舞わずに、その根拠は何か、それが本当に在るのかどうかを含めて、他人の頭ででは無く
て、自分自身の頭でよく考えてみる気になるし、現にそれが出来ます。
 なお、ついでに結論的なことを言えば、誰にでも生得的にいわゆる超能力があります。
 但し、この能力開発に乗り出すことは、一般的にはお勧め出来ません。
 いわゆる超能力は、神に属しています。神に任せて使うだけで、実際上十分です。

○自分を知るためにKJ法の活用
 自分で自分をどう思っているのかを、客観的にかつ正確にやる方法があります。
 それは、KJ法の活用です(KJ法をご存じない方は、早速インターネットで検索して
調べて下さい)。
 まず最初に、自分で自分をどう思っているのか、一人ブレーン・ストーミング(ご存じ
ない方は、早速インターネットで検索して調べて下さい)をして、それを、KJ法式の情
報処理の方法に則って構造化してまとめることです。
 頭の中だけで考えていたことを、全て頭の外へ取り出して、頭の中だけでなく手も動か
しながらKJ法式の情報処理の方法で客観的にそれを構造化してみると、本当にすっきり
と何をどう自分で思っているのかが分かります。
 但し、KJ法を、リアルタイムの自己観察と結び付けてやるのは、ちょっと面倒。
 ここでは、何の道具だても必要とせずに、何時でも何処でも手軽に出来るリアルタイム
の自己観察の方法を、まずお勧めします。

○余談───KJ法の世界規模の普及を!
 KJ法は、「衆知を集める」方法としても、無限の可能性を持つ技法です。で、もっと
世界的に知られて、全人類的に活用されることが望ましいと思っています。
 KJ法は、各人の頭の中にある情報を、テーブルの上の紙切れに書かれた情報の形に変
えて取り出して(一度に取り出し損なったものは後から幾らでも追加可能)、この紙切れ
上の情報でKJ法的情報処理を、皆で一緒に行います。
 この過程で、自動的かつ必然的に情報処理の参画的民主化と客観化を同時にやってしま
います。
 また、KJ法のやり方で処理できる情報の量に、言い換えると本の情報の提供者の数に
制限や制約が一切ありません。
 そこで、例えば社会的な意思決定の場面で、民主主義的参画を保障する為に、意思決定
会議の構成人数は何人位が適切で、最大何人位が限界か式の議論は、KJ法をやっている
人達には最初から問題になりません。

○自己観察でやっているのは無意識の意識化
 リアルタイムの自己観察でやっていることを、この世界の仕組みの面から見てみます。
 それは、「無意識の意識化」と一言で言うことができます。
 「無意識の意識化」は、この世界を理解するための、とても大事な鍵言葉です。
 「女性(無意識)から(のみ)人(意識)が生まれる」ということも、この世界が無意
識の意識化で出来たその成り立ちと仕組みで観ると分かります。

○気が付くまでは無意識の儘
 その存在に自らが気付くまでは/自らが発見するまでは、自分が生きている世界につい
てはもちろん、自分自身の存在さえもが、その大部分について、無知の儘、意識の外/意
識下の儘、無意識の儘にある、と言えます。

○気が付いたことしか制御できない
 無知の儘、意識の外/意識下の儘、無意識の儘にあることは、それを、自分で意図的に
自覚的に操作し制御することが出来ません。
 そこで、無知の儘、意識の外/意識下の儘、無意識の儘にあることを意識化し、自覚化
することは、それを、自分で意図的に自覚的に操作し制御するを可能にすることを意味し
ます。
 これが具体的に何を意味するのかは、場合場合によって色々です。
 あなたが、何かのスポーツをやっているのならば、自分の身体の動きや特定の筋肉の状
態を意識化できると、その技術の向上にとても役立つ筈です。
 科学技術は、自然の仕組みについての高度に自覚化された精密な知識が元になって初め
て可能になった顕著な例。
 何かの危険を避ける行動(危機管理)も、この前にその危険を意識化していることが普
通必要です。
 他人とあるいは多くの人達と一つ同じ危機・危険を共同認知して、皆でそれに対応しよ
うとする場合の問題の解決法が、今、危機管理ビジネスになっているのは、あなたも存じ
の通りです。

○悪い癖を直す場合
 悪い癖を直すことが必要なことがあります。
 しかし、癖になっていることは、最初は意図的に自覚的に始めたことでも、慣れて来る
と必ず自動化し無意識化した状態になっています。
 自動化し無意識化した習慣は、その瞬間を捉えてやうと身構えていた積もりでも、気が
付いたらいつもの通りにやってしまった後で、それをいつどのようにやったのか、全く覚
えてない、ということがあります。
 この自動化し無意識化した状態になっている癖を直すには、それを自覚的に意図的に意
識してやる別の行動を開始するしかありません。
 場合によっては、別の望ましいやり方に置き換えなくても、変な癖に気が付いただけで
瞬間的に直ってしまうことさえあります。
 煙草を吸う習慣をこの方法で治した人がいます。

○自己観察を続けると何が分かり変わるのか
 自分を自分で知る為の自己観察を続けると、この結果として、何が明らかになり、何が
変わるのか?
 私自身の体験を、思いつく儘に列挙すれば・・・

 第一に、自分のことが、自分で本当にわかるようになります。

 意外に、自分のことは自分でよく分かっているつもりで、知らないものです。
 「無くて七癖」(自分に癖といえるようなものは無い! と言い張る人でも、他人の客
観的な目で見れば、七つ位の癖はすぐに見つかるものだ)とか、奥さんの浮気について、
「知らぬは亭主ばかりなり」とか、同棲している女性の日頃の教養の無いトンチンカンな
振る舞い方について、ラジオ番組に投稿したのが取上げられて放送されているのを、当の
ご本人の女性が聞きながら、それが自分の事だとは露ほども思わず、「世の中には馬鹿な
女がいるのよねぇ」と言った話とか、自分で自分のことが分からない喜悲劇は、他人毎と
して聞くのは良いですが、自分のことであってはたまりませんね。

 第二に、第一のことの裏返しですが、私のことを他人がどう思っているのかを気にしな
くなります。
 第三に、第二のことの別の言い方になりますが、自分自身に関する他人の評価をその儘
鵜呑みにして、自分自身の評価にしなくなります。
 他人に馬鹿呼ばわりされても、それですぐに自動的かつ必然的に怒らずに、それを鵜呑
みにするのでは無くて、誰が馬鹿かを自分で判断して決める余裕ができます。
 第四に、他人がよく分かるようにもなります。

 「人間は万物の尺度」と言った、大昔のギリシャの哲学者がいました。
 実際には、人間一般では無くて、「自分が万物の尺度」でしょう。
 自分についての正確な知識が増すと、自分という尺度について客観的に扱えるようにな
るものです。
 言い換えると、例えば、人に騙され難くなります。
 例えば、「人に対して誠実に振る舞う」とは、実際にどう振る舞うことであるのかが、
自分自身の例で既によく分かっているので、これを物差しにして人の振る舞い方も観察す
ると、もし誠実では無い人の振る舞い方には何が欠けているのかがすぐに見抜けます。

 第五に、謙虚さは、破滅的な多くの誘惑から我身を守ってくれるものですが、自分自身
についてよく分かって来ると、謙虚さの意味を自然により深く知るようになります。

 自分が自分で思っている程の人物ではない、とよく分かって来ると、そして、このこと
について冷静に客観的に受け入れることかできるようになると、もう、謙虚にならざる得
なくなります(自分が自分で思っている程の人物ではないと分かる人が只者では無いのは
言うまでもありません)。
 また、自分よりも才能・能力が優れた人に出会うと、嫉妬の感情を少しも交えずに、そ
の凄さをその通りに凄いと素直に分かり、受け入れ、その優れた人の存在を他の人にも広
く知らせることもできるようになります。

 第六に、魔が差す・出来心で悪いことをすることが防げます。
 自己観察がよく出来るようになり、一瞬の自分の思考にも気が付くことができるように
なると、「魔が差す」と言われるような悪心を起こして、出来心で悪いことをすることを
よく防ぐことができます。
 本当に、出来心で悪心を起こして、人生の晩節を汚す事件を聞くと、悲しくなります。

 第七に、人の忠告が骨身に染みてよく分かるようになり、このことに関して、出来心に
も逆恨みすることが無くなります。
 第八に、「人の振り見て我が振り直せ」と諺に言いますが、自分にも当て嵌まることを
聞いて、それを他人事だと思うようなことが無くなります。

 第九に、とても大事な話をします。
 それは、意識と無意識の存在とこの二つの心の間にある法則的な関係に関する気付きの
話です。
 自己観察を続けていると、自分の心の無意識の部分の存在とその働きについても、自然
に気が付くようになるのです。
 この結果は、例えば、心の無意識の部分の存在とその働きについて解説した本等が本屋
に行くと自然に目に入ってきて、更に無意識の心の存在とその働きについて深く知るよう
になります。
 例えば、J・マーフィー 「眠りながら成功する」 産能大出版

 自己観察が足らず、ご自分を知らない人は、無意識の心の存在と働きを、即座に否定す
る傾向が強いようです。

 しかし、話は、悟りの体験にも結びつく、とても大事な事に関わりがあります。
 このことについて、別の文にして説明をします。

○道具に関する一般的な話
 私たちは、何をするのでも必ず、それをするために造られた/作られた道具・システム
を必要とし、これを使い、これにしばしば頼り切り、命さえ預けます。

 なぜ、道具を使う必要がある世界に私たちが生きているのかについては、神が造ったこ
の世界の成り立ちと仕組みを詳しく説明する所で行います。
 日常生活の中にも、この世界の成り立ちと仕組みが、常に顔を出していますよ。

○この世界を見ると、何かをするための道具だらけ
 この世界を造るに当たって、神様も、自然科学で言うエネルギー(物質)と自然法則と
いう道具を必要とし、使いました。
 この世界の設計者であり建築主でもある神様自体も、私たちから見ると、この世界を造
っている道具の一つです。
 また、私たちが文化文明社会の諸文物を作るのにも、その道具として、神様が使ったの
とひとつ同じエネルギー(物質)と自然法則を必要とし、使っています。
 文化文明社会の中では、人間自身も、自然法則とエネルギー(物質)に並んで、文化文
明的諸文物を作る道具だ、ということができます。

 また、台所にある調理器具を見てもすぐに分かるように、行動する目的/使う目的に合
わせて、複数の道具を自然に使い分けています。

 例えば、鋏ではなくて台所包丁で髪の毛を切る場合のように、ある道具を使えば簡単に
かつ精密にできることが、他の道具ではそれがとても難しくなる例もあります。

 言語/ことばは、私たちがこの世界について、また自分自身について表現する道具とし
て、とても便利な道具です。しかも、とても正確で精密な表現に使える道具です。

○言語で説明しない平和論
 よく「世界平和を実現するための芸術展」とか言って、音楽会、絵画展、演劇祭、踊り
の祭典などが開かれたり、反戦平和を祈る集会、デモ行進、署名活動等が行われます。
 しかし、それで実際にやっていることは、正に間違いなく、音楽会、絵画展、演劇祭、
踊りの祭典、祈ること、デモ行進、署名活動等です。これが、「世界平和の実現」とどう
結びついているのかが、私にはよく分かりません───。

○平和論も言葉を使って理屈でやろう!
 「世界平和を実現するため」には、その前に言語を使って、正確に精密に平和とは何か
を、誰もが分かる言葉でよく分かるように説明することが出来て居なければならないでし
ょう。
 これが実際に出来る道具は、繰り返しますが、言語の持つ機能しかありません。

○一般法則論的な平和の定義
 話のついでに、平和とは何かについて、一般法則論ではどう理解するのかについて、こ
こで、ちょっとだけ言えば───。

 平和とは、「戦争が無いこと」+「構造的暴力が無いこと」説があります。

 一般法則論流の平和論を一言で言えば、平和とは、「そこに本来在るべき秩序が保たれ
ていること」に自動的かつ必然的に伴う一定の国際社会の状態のことです。

 ところで、お金儲けの原理的仕組みは、「世のために人のために役立ち、幸せにする、
良いことをしたり、良い商品を先に提供した結果としてできる」ものであるように、平和
の実現も、先に「そこに本来在るべき秩序が保たれている」状態を作り出すことです。
 こうでは無くて、お金そのものを先に手に入れようとすると、現金輸送車を襲うとかす
ることになるように、平和を得る秩序を作り維持することも平和を壊す戦争をすることだ
と言って反対し、それを阻止すると言って暴力を振るうことになったりします。

○神の国の秩序の地上的実現
 一般法則論でいう「本来あるべきの秩序」の究極は、「神の国の秩序」です。
 そこで、究極の平和とは、神の国の地上的な実現です。
 一般法則論の究極の目的は、神の国の地上的な実現です。

○一般法則論的な秩序の理解
 秩序は、一般法則論の理解では、神の国の世界の秩序を造り保つために、自然法則+エ
ネルギーの働きで構造的に/システム的にのみ造られているものです。

 例えば、いま、この瞬間、お使いのパソコンを例に想像して頂くとお気付きになると思
いますが、構造物/システムの性質として、その一部が故障したり壊れたり失われると、
その構造物/システム全体が一気に機能不全になって使い物にならなくなることになり易
いと言えます。言い換えると、秩序の一部または全部が一気に失われます。
 あなたが今お使いのパソコンに、バックアップのパソコンがありますか?

○そこに本来在るべき秩序が保たれていること
 そこに本来在るべき秩序が現にあり、それが維持されていること。
 これは、平和のことだけでなく、健康さ、平穏無事な今日一日、機械の調子、学校のあ
るクラスの状態など全てに共通する「秩序の原理」です。
 正しいお金儲けにも、これは当て嵌まります。
 これに根拠を与えるのが、「それをそれにする原理的仕組み」(自然法則)です。
 平和、平穏無事な今日一日、健康さ、機械の調子良さ等は、「そこに本来在るべき秩序
が現にあり、それが保たれている」ときに初めて、これに自動的かつ必然的に伴って実現
できるものです。

○危機管理の原点
 秩序の原理は、「そこに本来在るべき秩序が現にあり、それが保たれている」こと。
 言い換えると、この原理は、「そこに本来あるべき秩序の創造と維持と管理」を目的と
する危機管理の原点になるものです。
 詳しい話しは、別の所で。

○死者がしている思考について
 この文の中で、意識と無意識の話をしました。
 このときに浮かんでことを、ここに記録しておきます。

 意識のある心を失って、無意識だけの存在になった死者も、生者と同じく、無意識の中
で、この世界と自分自身を色々と独自に観察し、考え、判断しているのか、です。
 それとも、意識の働きを失うと、これに自動的かつ必然的に伴って、無意識の心も思考
停止状態になる?!

 この答えは、意識のある心が持つ機能は無いので自分から主体的に動けないけれども、
無意識の心独自の思考はあることに、YESらしい。
 但し、その思考の中身は、その人独自の生前の人生の記憶に制約される部分があるらし
い。
 こう理解した方が、意識と無意識の機能に素直に忠実な考え方になるでしょう。

○小乗仏教の修行
 小乗仏教の悟りを得る為の修行で、ここで説明したような自己観察するものがある、と
もう数年前にNHKで放送された「仏陀」という番組で知りました。

 この実際のやり方を紹介している最新の本を、新聞の広告で知りました。
 スリランカ仏教界長老 A・スマナサーラ著 自分を変える気づきの瞑想法 ヴィパサ
ナー瞑想法 株式会社サンガ刊

 どういう理論を前提にして行うのかも含めて、私が学ぶことがあるかも知れません。