いわゆる神は宗教信仰の対象の物の他に天然自然の存在の創造主である神=Ω神が実在する
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。
○一般法則論の世界観の図解
以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
この文は、紙に印字してよく読んでく
ださることをお願いします。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
∥ ↑ 理法 自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
(心的なD) M(記憶) Ω人 人・生・孫・化史 ↓
唯一絶対
○この文の目的
この文では、いわゆる神は宗教信仰の対象の物の他に天然自然の存在の創造主である神=Ω神が実在することを再確認します。
○宗教信仰がでっち上げた神仏が存在しているのみで神仏は実在しないと言い張る人たち
いわゆる「神仏」というと、姿・形が無くて、ヒトの目には見えない存在のことを、普通一般に意味しています。
そして、この意味の神仏は、人類史の過程で誕生した宗教で、ヒトが勝手にその存在をでっち上げて信仰の対象にしている神/仏のことを意味し、これが神仏の存在の全てだ、と勝手に思い込んでいる人たちが、未だ沢山います。
この世の始まりは物質的な何かにあるという「唯物論」を正しいとする者や、
日常体験を元にして、神仏など存在しないとか宗教は要らないと言う者や、
唯物論に哲学的な基礎を置く自然科学者や、
姿・形が無くて目に見えない物は、その通りに一切その存在がこの世界に存在していない証拠だという者等が、
頑固に、神仏と言われる物は全て、在りもしないものを、ヒトが勝手にでっち上げて作った宗教上の怪物だ、と言い張ります。
○人類史に先立つ自然史を創造した存在こそが本来の意味の神仏でこれは自然科学的に存在証明ができる
ヒトが作った人類の歴史の前には、ヒトという存在を生み出した自然史が、時間的にも論理的にも先行しています。
人類史を作ったのは、ヒト/人類です。
ヒト/人類(宇宙大では宇宙人一般)を作ったのは、もちろん、ヒト/人類(宇宙大では宇宙人一般)自身ではありません。
ヒト/人類(宇宙大では宇宙人一般)を造ったのは、天然自然の世界を造った宇宙史/自然史です。
宇宙史/自然史は、自然科学が明らかにしているところによれば、137億年前のビックバンに始まりました。
この延長線に、私たちが生まれ住んでいる地球が、46億年前に生まれました。
私たちの直接の祖先になる人類は、地球上に、11万年~6万年前に誕生した、と人類学は言います。
人類の歴史は、11万年~6万年前に地球上に誕生したときから始まりました。
ヒトは、地球上では、自然史の最後の段階に誕生したものです。
だから、当然に、ヒトに自然を作ることはできません。
ヒトが作ったのは、自然史ではなくて、人類史です。
こうなります。
ビックバンに始まる宇宙史/自然史は、一般法則論で説明する、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みでは、世界Ⅳ~世界Ⅴ段階に当ります。
もちろん、これは、世界Ⅵ段階から初めて始まる人類史の一部ではありえません。
ビックバンは、一般法則論で説明する、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中では、世界Ⅲ段階の自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって行なわれました。
事実、自然科学は、ビックバンによる宇宙の誕生を、(確率的偶然の法則+)自然法則+エネルギー一体不可分の働きで解明しようとしています。
しかし、自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、自ら主体的な自由意思が全くなく、これ自体の単独の働きでは、何も創造することは出来ません。これを、ニュートンは、慣性の法則性と名付けました。
そこで、自然法則+エネルギー一体不可分の働きが何かを創造するには、これを手段・方法にし、素材に使ってこの世界を創造する意図を持つ者の存在を必要不可欠にします。
この存在が、世界Ⅲに先立って存在している世界Ⅱ存在の、天地創造の過程に入っている創造主である神としてのΩ神です。→慣性の法則に基づいた創造主である神の存在証明
Ω神は、一般法則論でいうと、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中では、世界Ⅰ存在です。
○天然自然の存在の創造主である神の名前
世界Ⅰ~世界Ⅱ存在の創造主である神を、一般法則論では、天然自然の存在の創造主である神とかΩ(おめが)神と名付けています。
もちろん、天然自然の存在の創造主に、固有の名前などありません。
天然自然の存在の創造主である神とかΩ神という名は、一般法則論で勝手につけたものです。
これは、一般法則論を説明するための専門用語として名付けたものです。
もちろん、この意味の存在は、神仏以外の好きな名前を誰でもつけて呼ぶことができます。
たとえば、何か偉大な存在、それ自体で在るようにして在るもの、水、エネルギーなど。
しかし、一般法則論では、人類史上神仏の名で呼ばれて来た存在を、個人的に勝手に別の名前をつけて呼ぶのは適当ではない、と判断して、創造主である神とそのまま呼んでいます。
○宗教信仰で信仰対象になっている神仏の存在の存在証明は永遠に不可能
宗教信仰上の神は、確かに、ヒトが勝手にでっち上げたものですから、宗教信仰の数だけ、それぞれに独自の神仏が存在しています。
と同時に、ヒトが勝手にでっち上げた物ですから、その存在証明を自然科学的な手段・方法ですることは誰もできません。
宗教信仰上の神仏は、信者がその存在を信じることでのみ成り立っています。
○まとめ
一般法則論で言う神には二つあります。
一つは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みにおいて、世界Ⅰ存在のΩ神です。
これは、ヒトが想像ででっち上げた神ではなくて、全てのヒト、全ての宇宙人に絶対的に普遍的に先立って実在している、天然自然の存在の神です。
しかも、単なる神ではなくて、私たちヒト/人類(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが住む世界を創造した創造主である神を意味します。
即ち、最初から天地創造の意図を持って存在している神です。
慣性の法則を使ってその存在証明をした神は、正に、天然自然の存在の創造主である神です。
今一つの神は、人類史の中で生まれた宗教信仰の中でヒトの想像力がでっち上げた神仏です。
この意味の神仏の存在は、宗教信仰の数だけ、それぞれに独自の存在です。
この意味で、その存在証明をすることはできません。
また、全ての宗教信仰で信仰の対象になっている神仏を、ひとつの神仏に統一することもできません。
ところで、全ての宗教信仰の始まりは、天然自然の創造主である神の発見にある、というべきです。
少なくとも、最初の発見者にとって、神仏は、天然自然の存在の創造主である神であったはずです。
全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、ヒトとヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトの生まれだからです。
例えば、イエス・キリストの場合では、確かにこうだ、ということができます。
しかも、イエスには、天然自然の存在のΩ神を発見するいわゆる悟りの体験があるに違いありません。
新約聖書/福音書の中の次の言葉はこれを示唆しています。
「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも、雨を降らしてくださる」マタイ伝第5章の45節から。
ここで言う「天の父」は、創造主である神の意味です。
日を昇らせたり、雨を降らせたりするのは、自然科学的に言えば、自然法則+エネルギー一体不可分の働きに限ります。
そして、自然法則+エネルギー一体不可分の働きを使って、太陽を昇らせ、雨を降らせているのは、天然自然の存在のΩ神しかいません。
この例のように、宗教信仰上の神も、ヒトが想像で勝手にでっち上げた物ではなくて、天然自然の創造主である神=Ω神のことだったのだ、ということができます。
しかし、天然自然の存在のΩ神を直接発見したヒトでない人たちにとっては、天然自然の創造主である神は、天然自然の存在のΩ神を直接発見したヒト=教祖によって説かれた観念上の神、信仰上の神になってしまうのでしょう。
一般意味論式に言えば、現地そのものをここに持って来ることが出来ない場合は、それを地図にして、地図の上で、現地を説明しなければならないことがあります。
そして、地図は現地その物ではありません。
そこで、現地そのものを直接知っている者にとっては絶対に起こらない誤解が、現地そのものを知らず、地図の上だけで現地を想像する者には起こりえます。
正しい地図にはこれで表す現地そのもの/事実/絶対的真理が実在しているという知識が無い人たちは、正しい地図の上に、想像の現地を付け加えて書き込むということをしがちです。
ユダヤ教も、キリスト教も、イスラーム教も、起源的には一つ同じ唯一・絶対・普遍の創造主である神を信仰の対象にしていながら、お互いに相容れない創造主である神を信仰しているのは、この実例。
一般法則論が発見している、全ての宗教を、文化・文明を超越して実在している天然自然の存在の創造主であるΩ神こそ、我らの信仰の真実の対象だ、と気付けば、起源的には一つ同じ唯一・絶対・普遍の創造主である神を信仰しているユダヤ教、キリスト教、イスラーム教で宗教戦争をする必要が、自然に消滅するはずです。
例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。
○一般法則論の世界観の図解
以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
この文は、紙に印字してよく読んでく
ださることをお願いします。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
妄想
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→(M)))))∥〕 Ω=神の国
∥ ↑ 理法 自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
(心的なD) M(記憶) Ω人 人・生・孫・化史 ↓
唯一絶対
○この文の目的
この文では、いわゆる神は宗教信仰の対象の物の他に天然自然の存在の創造主である神=Ω神が実在することを再確認します。
○宗教信仰がでっち上げた神仏が存在しているのみで神仏は実在しないと言い張る人たち
いわゆる「神仏」というと、姿・形が無くて、ヒトの目には見えない存在のことを、普通一般に意味しています。
そして、この意味の神仏は、人類史の過程で誕生した宗教で、ヒトが勝手にその存在をでっち上げて信仰の対象にしている神/仏のことを意味し、これが神仏の存在の全てだ、と勝手に思い込んでいる人たちが、未だ沢山います。
この世の始まりは物質的な何かにあるという「唯物論」を正しいとする者や、
日常体験を元にして、神仏など存在しないとか宗教は要らないと言う者や、
唯物論に哲学的な基礎を置く自然科学者や、
姿・形が無くて目に見えない物は、その通りに一切その存在がこの世界に存在していない証拠だという者等が、
頑固に、神仏と言われる物は全て、在りもしないものを、ヒトが勝手にでっち上げて作った宗教上の怪物だ、と言い張ります。
○人類史に先立つ自然史を創造した存在こそが本来の意味の神仏でこれは自然科学的に存在証明ができる
ヒトが作った人類の歴史の前には、ヒトという存在を生み出した自然史が、時間的にも論理的にも先行しています。
人類史を作ったのは、ヒト/人類です。
ヒト/人類(宇宙大では宇宙人一般)を作ったのは、もちろん、ヒト/人類(宇宙大では宇宙人一般)自身ではありません。
ヒト/人類(宇宙大では宇宙人一般)を造ったのは、天然自然の世界を造った宇宙史/自然史です。
宇宙史/自然史は、自然科学が明らかにしているところによれば、137億年前のビックバンに始まりました。
この延長線に、私たちが生まれ住んでいる地球が、46億年前に生まれました。
私たちの直接の祖先になる人類は、地球上に、11万年~6万年前に誕生した、と人類学は言います。
人類の歴史は、11万年~6万年前に地球上に誕生したときから始まりました。
ヒトは、地球上では、自然史の最後の段階に誕生したものです。
だから、当然に、ヒトに自然を作ることはできません。
ヒトが作ったのは、自然史ではなくて、人類史です。
こうなります。
ビックバンに始まる宇宙史/自然史は、一般法則論で説明する、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みでは、世界Ⅳ~世界Ⅴ段階に当ります。
もちろん、これは、世界Ⅵ段階から初めて始まる人類史の一部ではありえません。
ビックバンは、一般法則論で説明する、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中では、世界Ⅲ段階の自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって行なわれました。
事実、自然科学は、ビックバンによる宇宙の誕生を、(確率的偶然の法則+)自然法則+エネルギー一体不可分の働きで解明しようとしています。
しかし、自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、自ら主体的な自由意思が全くなく、これ自体の単独の働きでは、何も創造することは出来ません。これを、ニュートンは、慣性の法則性と名付けました。
そこで、自然法則+エネルギー一体不可分の働きが何かを創造するには、これを手段・方法にし、素材に使ってこの世界を創造する意図を持つ者の存在を必要不可欠にします。
この存在が、世界Ⅲに先立って存在している世界Ⅱ存在の、天地創造の過程に入っている創造主である神としてのΩ神です。→慣性の法則に基づいた創造主である神の存在証明
Ω神は、一般法則論でいうと、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中では、世界Ⅰ存在です。
○天然自然の存在の創造主である神の名前
世界Ⅰ~世界Ⅱ存在の創造主である神を、一般法則論では、天然自然の存在の創造主である神とかΩ(おめが)神と名付けています。
もちろん、天然自然の存在の創造主に、固有の名前などありません。
天然自然の存在の創造主である神とかΩ神という名は、一般法則論で勝手につけたものです。
これは、一般法則論を説明するための専門用語として名付けたものです。
もちろん、この意味の存在は、神仏以外の好きな名前を誰でもつけて呼ぶことができます。
たとえば、何か偉大な存在、それ自体で在るようにして在るもの、水、エネルギーなど。
しかし、一般法則論では、人類史上神仏の名で呼ばれて来た存在を、個人的に勝手に別の名前をつけて呼ぶのは適当ではない、と判断して、創造主である神とそのまま呼んでいます。
○宗教信仰で信仰対象になっている神仏の存在の存在証明は永遠に不可能
宗教信仰上の神は、確かに、ヒトが勝手にでっち上げたものですから、宗教信仰の数だけ、それぞれに独自の神仏が存在しています。
と同時に、ヒトが勝手にでっち上げた物ですから、その存在証明を自然科学的な手段・方法ですることは誰もできません。
宗教信仰上の神仏は、信者がその存在を信じることでのみ成り立っています。
○まとめ
一般法則論で言う神には二つあります。
一つは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みにおいて、世界Ⅰ存在のΩ神です。
これは、ヒトが想像ででっち上げた神ではなくて、全てのヒト、全ての宇宙人に絶対的に普遍的に先立って実在している、天然自然の存在の神です。
しかも、単なる神ではなくて、私たちヒト/人類(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが住む世界を創造した創造主である神を意味します。
即ち、最初から天地創造の意図を持って存在している神です。
慣性の法則を使ってその存在証明をした神は、正に、天然自然の存在の創造主である神です。
今一つの神は、人類史の中で生まれた宗教信仰の中でヒトの想像力がでっち上げた神仏です。
この意味の神仏の存在は、宗教信仰の数だけ、それぞれに独自の存在です。
この意味で、その存在証明をすることはできません。
また、全ての宗教信仰で信仰の対象になっている神仏を、ひとつの神仏に統一することもできません。
ところで、全ての宗教信仰の始まりは、天然自然の創造主である神の発見にある、というべきです。
少なくとも、最初の発見者にとって、神仏は、天然自然の存在の創造主である神であったはずです。
全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、ヒトとヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトの生まれだからです。
例えば、イエス・キリストの場合では、確かにこうだ、ということができます。
しかも、イエスには、天然自然の存在のΩ神を発見するいわゆる悟りの体験があるに違いありません。
新約聖書/福音書の中の次の言葉はこれを示唆しています。
「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも、雨を降らしてくださる」マタイ伝第5章の45節から。
ここで言う「天の父」は、創造主である神の意味です。
日を昇らせたり、雨を降らせたりするのは、自然科学的に言えば、自然法則+エネルギー一体不可分の働きに限ります。
そして、自然法則+エネルギー一体不可分の働きを使って、太陽を昇らせ、雨を降らせているのは、天然自然の存在のΩ神しかいません。
この例のように、宗教信仰上の神も、ヒトが想像で勝手にでっち上げた物ではなくて、天然自然の創造主である神=Ω神のことだったのだ、ということができます。
しかし、天然自然の存在のΩ神を直接発見したヒトでない人たちにとっては、天然自然の創造主である神は、天然自然の存在のΩ神を直接発見したヒト=教祖によって説かれた観念上の神、信仰上の神になってしまうのでしょう。
一般意味論式に言えば、現地そのものをここに持って来ることが出来ない場合は、それを地図にして、地図の上で、現地を説明しなければならないことがあります。
そして、地図は現地その物ではありません。
そこで、現地そのものを直接知っている者にとっては絶対に起こらない誤解が、現地そのものを知らず、地図の上だけで現地を想像する者には起こりえます。
正しい地図にはこれで表す現地そのもの/事実/絶対的真理が実在しているという知識が無い人たちは、正しい地図の上に、想像の現地を付け加えて書き込むということをしがちです。
ユダヤ教も、キリスト教も、イスラーム教も、起源的には一つ同じ唯一・絶対・普遍の創造主である神を信仰の対象にしていながら、お互いに相容れない創造主である神を信仰しているのは、この実例。
一般法則論が発見している、全ての宗教を、文化・文明を超越して実在している天然自然の存在の創造主であるΩ神こそ、我らの信仰の真実の対象だ、と気付けば、起源的には一つ同じ唯一・絶対・普遍の創造主である神を信仰しているユダヤ教、キリスト教、イスラーム教で宗教戦争をする必要が、自然に消滅するはずです。
例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。