goo blog サービス終了のお知らせ 

いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

宗教信仰上のヒトがでっち上げた神と天然自然の存在の創造主である神がある

2010-04-28 01:24:33 | 創造主である神
 いわゆる神は宗教信仰の対象の物の他に天然自然の存在の創造主である神=Ω神が実在する

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでく
ださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対



○この文の目的
 この文では、いわゆる神は宗教信仰の対象の物の他に天然自然の存在の創造主である神=Ω神が実在することを再確認します。

○宗教信仰がでっち上げた神仏が存在しているのみで神仏は実在しないと言い張る人たち
 いわゆる「神仏」というと、姿・形が無くて、ヒトの目には見えない存在のことを、普通一般に意味しています。
 そして、この意味の神仏は、人類史の過程で誕生した宗教で、ヒトが勝手にその存在をでっち上げて信仰の対象にしている神/仏のことを意味し、これが神仏の存在の全てだ、と勝手に思い込んでいる人たちが、未だ沢山います。
 この世の始まりは物質的な何かにあるという「唯物論」を正しいとする者や、
 日常体験を元にして、神仏など存在しないとか宗教は要らないと言う者や、
 唯物論に哲学的な基礎を置く自然科学者や、
 姿・形が無くて目に見えない物は、その通りに一切その存在がこの世界に存在していない証拠だという者等が、
 頑固に、神仏と言われる物は全て、在りもしないものを、ヒトが勝手にでっち上げて作った宗教上の怪物だ、と言い張ります。

○人類史に先立つ自然史を創造した存在こそが本来の意味の神仏でこれは自然科学的に存在証明ができる
 ヒトが作った人類の歴史の前には、ヒトという存在を生み出した自然史が、時間的にも論理的にも先行しています。
 人類史を作ったのは、ヒト/人類です。
 ヒト/人類(宇宙大では宇宙人一般)を作ったのは、もちろん、ヒト/人類(宇宙大では宇宙人一般)自身ではありません。
 ヒト/人類(宇宙大では宇宙人一般)を造ったのは、天然自然の世界を造った宇宙史/自然史です。
 宇宙史/自然史は、自然科学が明らかにしているところによれば、137億年前のビックバンに始まりました。
 この延長線に、私たちが生まれ住んでいる地球が、46億年前に生まれました。
 私たちの直接の祖先になる人類は、地球上に、11万年~6万年前に誕生した、と人類学は言います。
 人類の歴史は、11万年~6万年前に地球上に誕生したときから始まりました。
 ヒトは、地球上では、自然史の最後の段階に誕生したものです。
 だから、当然に、ヒトに自然を作ることはできません。
 ヒトが作ったのは、自然史ではなくて、人類史です。
 こうなります。
 ビックバンに始まる宇宙史/自然史は、一般法則論で説明する、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みでは、世界Ⅳ~世界Ⅴ段階に当ります。
 もちろん、これは、世界Ⅵ段階から初めて始まる人類史の一部ではありえません。
 ビックバンは、一般法則論で説明する、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中では、世界Ⅲ段階の自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって行なわれました。
 事実、自然科学は、ビックバンによる宇宙の誕生を、(確率的偶然の法則+)自然法則+エネルギー一体不可分の働きで解明しようとしています。
 しかし、自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、自ら主体的な自由意思が全くなく、これ自体の単独の働きでは、何も創造することは出来ません。これを、ニュートンは、慣性の法則性と名付けました。
 そこで、自然法則+エネルギー一体不可分の働きが何かを創造するには、これを手段・方法にし、素材に使ってこの世界を創造する意図を持つ者の存在を必要不可欠にします。
 この存在が、世界Ⅲに先立って存在している世界Ⅱ存在の、天地創造の過程に入っている創造主である神としてのΩ神です。→慣性の法則に基づいた創造主である神の存在証明
 Ω神は、一般法則論でいうと、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中では、世界Ⅰ存在です。
 
○天然自然の存在の創造主である神の名前
 世界Ⅰ~世界Ⅱ存在の創造主である神を、一般法則論では、天然自然の存在の創造主である神とかΩ(おめが)神と名付けています。
 もちろん、天然自然の存在の創造主に、固有の名前などありません。
 天然自然の存在の創造主である神とかΩ神という名は、一般法則論で勝手につけたものです。
 これは、一般法則論を説明するための専門用語として名付けたものです。
 もちろん、この意味の存在は、神仏以外の好きな名前を誰でもつけて呼ぶことができます。
 たとえば、何か偉大な存在、それ自体で在るようにして在るもの、水、エネルギーなど。
 しかし、一般法則論では、人類史上神仏の名で呼ばれて来た存在を、個人的に勝手に別の名前をつけて呼ぶのは適当ではない、と判断して、創造主である神とそのまま呼んでいます。
 
○宗教信仰で信仰対象になっている神仏の存在の存在証明は永遠に不可能
 宗教信仰上の神は、確かに、ヒトが勝手にでっち上げたものですから、宗教信仰の数だけ、それぞれに独自の神仏が存在しています。
 と同時に、ヒトが勝手にでっち上げた物ですから、その存在証明を自然科学的な手段・方法ですることは誰もできません。
 宗教信仰上の神仏は、信者がその存在を信じることでのみ成り立っています。
 
○まとめ
 一般法則論で言う神には二つあります。
 一つは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みにおいて、世界Ⅰ存在のΩ神です。
 これは、ヒトが想像ででっち上げた神ではなくて、全てのヒト、全ての宇宙人に絶対的に普遍的に先立って実在している、天然自然の存在の神です。
 しかも、単なる神ではなくて、私たちヒト/人類(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが住む世界を創造した創造主である神を意味します。
 即ち、最初から天地創造の意図を持って存在している神です。
 慣性の法則を使ってその存在証明をした神は、正に、天然自然の存在の創造主である神です。

 今一つの神は、人類史の中で生まれた宗教信仰の中でヒトの想像力がでっち上げた神仏です。
 この意味の神仏の存在は、宗教信仰の数だけ、それぞれに独自の存在です。
 この意味で、その存在証明をすることはできません。
 また、全ての宗教信仰で信仰の対象になっている神仏を、ひとつの神仏に統一することもできません。
 ところで、全ての宗教信仰の始まりは、天然自然の創造主である神の発見にある、というべきです。
 少なくとも、最初の発見者にとって、神仏は、天然自然の存在の創造主である神であったはずです。
 全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、ヒトとヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトの生まれだからです。
 例えば、イエス・キリストの場合では、確かにこうだ、ということができます。
 しかも、イエスには、天然自然の存在のΩ神を発見するいわゆる悟りの体験があるに違いありません。
 新約聖書/福音書の中の次の言葉はこれを示唆しています。

 「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも、雨を降らしてくださる」マタイ伝第5章の45節から。

 ここで言う「天の父」は、創造主である神の意味です。
 日を昇らせたり、雨を降らせたりするのは、自然科学的に言えば、自然法則+エネルギー一体不可分の働きに限ります。
 そして、自然法則+エネルギー一体不可分の働きを使って、太陽を昇らせ、雨を降らせているのは、天然自然の存在のΩ神しかいません。
 この例のように、宗教信仰上の神も、ヒトが想像で勝手にでっち上げた物ではなくて、天然自然の創造主である神=Ω神のことだったのだ、ということができます。
 しかし、天然自然の存在のΩ神を直接発見したヒトでない人たちにとっては、天然自然の創造主である神は、天然自然の存在のΩ神を直接発見したヒト=教祖によって説かれた観念上の神、信仰上の神になってしまうのでしょう。
 一般意味論式に言えば、現地そのものをここに持って来ることが出来ない場合は、それを地図にして、地図の上で、現地を説明しなければならないことがあります。
 そして、地図は現地その物ではありません。
 そこで、現地そのものを直接知っている者にとっては絶対に起こらない誤解が、現地そのものを知らず、地図の上だけで現地を想像する者には起こりえます。
 正しい地図にはこれで表す現地そのもの/事実/絶対的真理が実在しているという知識が無い人たちは、正しい地図の上に、想像の現地を付け加えて書き込むということをしがちです。
 ユダヤ教も、キリスト教も、イスラーム教も、起源的には一つ同じ唯一・絶対・普遍の創造主である神を信仰の対象にしていながら、お互いに相容れない創造主である神を信仰しているのは、この実例。
 一般法則論が発見している、全ての宗教を、文化・文明を超越して実在している天然自然の存在の創造主であるΩ神こそ、我らの信仰の真実の対象だ、と気付けば、起源的には一つ同じ唯一・絶対・普遍の創造主である神を信仰しているユダヤ教、キリスト教、イスラーム教で宗教戦争をする必要が、自然に消滅するはずです。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

Ω(おめが)神の全知全能さについて

2009-07-22 23:58:48 | 創造主である神
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境     (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ      (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
空の世界     妄想の世界
Ω神= 〔A→  ∥Z→    (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→ (M  ) ) ) ))∥〕 Ω=神の国
  ∥  創造神 ↑      Ω神の 天然自然 物的  俗・人・子・文歴  記憶
 霊的      M     理法  の世界  Ω人  人・生・孫・化史  ↓
 心的     ^(記憶)                          Z→→→→→Z
存在のΩ人


○Ω(おめが)神による全知全能さの発揮について考察する
 ここでは、Ω神による全知全能さの発揮について考察します。
 これをする前に、話の大前提になる基本的で根源的な事実の再確認をすることから始めます。
 なぜならば、以下で再確認する基本的で根源的な事実は、市井のヒトから人類全体までの常識にこれからなることですから。

○この世界の成り立ちと仕組みに関する一般法則論の理解
 私達ヒト(宇宙大で言えば宇宙人一般。以下の話ではここを省略)は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなる、全体でただ一つの世界の中に生まれ住んでいます。→この文の冒頭の図解
 そして、私達ヒトは、世界Ⅰ~世界Ⅴを、母体にし、次に生活基盤/インフラにして、世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)の中に生まれ、日々の生活をしています。
 私達ヒトが生まれ住む世界のこのような成り立ちと仕組みを造ったのは、世界Ⅰに実在する全知全能の創造主であり絶対的無意識の存在のΩ(おめが)神です。
 同時に、Ω神は、絶対的無意識の存在であるが故に、予め生得的に出来ると決まっていることしか出来ない存在、とここでは説明しています。
 この通りなのですが、すると、Ω神の全知全能さは、予め生得的に出来ると決まっていたことに限定されてしまう変なことになりそうです。
 では、Ω神が持つ全知全能さは、実際にはどのような形で発揮されているのでしょうか?
 この問いに答える必要性と責任が、一般法則論にはあります。
 以下に、この答えを説明します。

○全知全能のΩ(おめが)神らしさが現れる2つの場面
 Ω神は、全知全能さ本来の意味において、不可能を全く知らない全知全能/オールマイティの存在です。
 Ω神の全知全能さぶりは、大きく分けると2つの場面で観察・発見できます。
 一つは、Ω神がこの世界の成り立ちと仕組みを直接創造する中で発揮している全知全能さぶりです。
 今一つは、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトを通して表現される、Ω神の全知全能さぶりです。
 以下、この順序で説明します。
 なお、Ω神の全知全能さは、Ω神の属性の一つです。他の属性については、別文。

○Ω神が持つ全知全能さの直接的な現れであるこの世界の成り立ちと仕組みの巧みさ
 Ω神が持つ全知全能さが如何なく発揮されていることの一つ目は、以下の二つの世界を直接観察することで分かります。
 これは、同時に、いわゆる自然治癒力/自然回復力と表裏一体不可分で、Ω神のする仕事の完全完璧さの現れ、と理解することができます。

①宇宙大に広がる天然自然の世界(世界Ⅳ)の成り立ちと仕組みの巧みさ
②Ω神自らの化身かつ分身の存在として造られている、生物としてのヒト(世界Ⅴ)が持つ心身の成り立ちと仕組みの巧みさ

 ②は、この世界の成り立ちと仕組みの中では①の一部であり、①の中で「進化」という言葉で知られている一連の過程の最終到達点としてあります。
 ただ、話としては、①と②の2つに分けて考えるのが良いでしょう。

 こう申し上げただけで、直ちにΩ神の持つ全知全能さを納得される方々もいます。
 しかし、全人類的に考えると、この方々は未だ少数派です。

○①と②に関する知識を私達が獲得する方法
 ①と②は、私達が日々を生きる為のインフラであり、実際に日々の生活の拠り所になっています。
 そこで、①と②に関する知識(もう少し広げて言えばこの知識に基づいた発明や匠や職人の技を含みます)は、私達にとって必要不可欠な知識になります。
 現に、①と②に関する正確で精密で高度で組織的な知識が手に入る日本文明の中に生まれた私達は、この知識の恩恵をとても受けています。
 しかし、①と②に関する知識は、この世に生まれた殆ど全てのヒトにとって最初は無意識の世界に殆ど全てが属しています。
 ヒト/人類の無意識の世界に属しているとは、それが存在し働いても、ヒト/人類の意識のある心の日常的な働きの範囲内では全く気付かないし分からない、と言う意味です。
 そこで、無意識の世界にある①と②の知識を意識化して提供してくれる専門家の人たちを、個人のレベルでも人類全体のレベルでも絶対的にかつ普遍的に常に必要としています。
 そして、これを実際にしているのが、学者/科学者と言われる人たちがしている「学問」です。
 人類は、①と②の世界を意識的に自覚的に意図的に探究し解明し、これを意識化され自覚化された知識にすることに一生涯を掛けて「学問」し続けている、人類の中では本当に一握りの人たち、即ち、学者/科学者と言われる人たちがもたらしてくれる知識に依っています(注記1)。
 もちろん、学者/科学者の仕事を陰で支えているご家族がいることを見落としてはなりません。
 特に、一般法則論は、世界中の学者たち/科学者たちの学問の成果の上に成り立っています。
 このことを思うと、とてもとてもとても有り難く感じます。

 「世界中の学者/科学者の皆さん!
  (学者/科学者を陰で支えておられるご家族を含めて)
  有り難うございます!!!
  感謝しています!!!」

 こうあなたが叫んでも、決して罰は当たりませんよ。

○学者/科学者が生まれ育つ文化
 現在、学者/科学者の仕事は、専門化と高度化と精密化と組織化が進んでいます。
 これに自動的かつ必然的に伴い、学者/科学者の仕事はお金がとても掛かります。
 という意味は、これを実際に行える学者/科学者が生まれ活動することが出来る文化とこれを支える経済的な基盤をこれまでに育てることが出来なかった所では、今すでに「発展途上国」と言われる所になっています(「もうこれ以上の経済成長はいらない。後は社会の中でのお金の再配分による富の分布の平等化だけが課題だ」という人たちがいます。学問の必要性と大切さが分かっていない人たちによる狂気の主張です)。
 視点を変えると、学者/科学者が生まれ活動することが出来る文化をこれまでに育てて来なかった所では、迷信的な宗教信仰が、社会を、市井の人々を支配している所です。
 同時に、自然法則とこれに基礎を置いた法律による「法の支配」に代わって、政治権力による絶対支配や気分次第の人による支配が常態化している所になります。→例えば、今現在も変わらない中国。


○①と②に関する知識を私達が実際に得る方法
 ①と②に関する知識は、具体的には、学校教育、書籍、マスコミ等から提供されていることは、あなたも既によくご存じの通りです。
 つまり、全てのヒトにとって、この世に生まれる手間を掛けただけでは、①と②に関する知識は自覚的な知識として日常生活で使えるモノにはならないのです。
 例えば----

 雑誌「ニュートン」編 天文学 躍進の400年 現代の宇宙像はこうして創られた ニートンムック別冊 ニュートンプレス 2009年5月15日

 しかし、このことに関して、現実の話はそう簡単ではありません。

○世の中政治だけをやっていれば良いのだ! という人たちが権力を握っている
 世界Ⅳ~世界Ⅴの成り立ちと仕組みは、Ω神がその全知全能さを発揮して造っているものです。
 学者は、私達にこのことに関する貴重な知識を提供してくれる仕事をしています(注記2)

 しかし、社会作りを直接担っている人たちの中に、このことがどうしても理解できない人たちがいます。このことについては、ここでの話の流れの関係で、この文の文末に「余談」文として纏めました。
 話を話題の本筋に戻します。

○ヒトを通して発揮されるΩ神の全知全能さ
 Ω神の全知全能さは、ヒトの生き方を通して発揮されます。
 ヒトは、Ω神の化身かつ分身の存在として、Ω神の天地創造の直接の目的です。
 Ω神は、自らの化身かつ分身の存在の多様なヒトの在り方を通して、自らを多様に表現したいと思っている訳です。
 これは、Ω神の唯心論的天地創造の原理である自然法則(+エネルギー一体不可分)による全知全能の働きの形で全て行われます。
 問題は、ヒトが、自らの人生を自らが主体的に自覚的に肯定的に積極的に生き、「ああもしたい、こうもしたい」と実現を望むことにより初めて、自然法則の実際の使い方が決まることです。
 即ち、ヒトが「不可能」と思われることに挑戦する行動に出ることによって、これを実現する全知全能の自然法則(+エネルギー一体不可分)による奇蹟的な働きも発動することになります。

○世界Ⅳ~世界ⅤでΩ神が発揮している全知全能さを知ることが役立つ
 Ω神は、ヒトを通してその全知全能さを発揮します。
 ヒトから見ると、各人がそれぞれに自らの可能性を実際に具体化することです。
 禅的な表現を借りると、各人が自らを「真面目躍如」の状態にすることです。
 これは、Ω神の唯心論的創造原理である自然法則(+エネルギー一体不可分)の働きを丸ごと利用する潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に則って行われます。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則は、因果必然の法則です。
 そこで、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は、これを使って、何かを実現することを意図し原因設定をすることによります。
 このとき、Ω(おめが)神の化身かつ分身の存在のヒトである自分の可能性を確信する/自信を持つ根拠になるのが、世界Ⅳ~世界ⅤでΩ神が発揮している驚異的な全知全能さです。
 正に、Ω神が世界Ⅳ~世界Ⅴで発揮している驚異的な全知全能さを、私達は誰でも自らか実現を望むことを確実に達成する為に、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法という形で丸ごと使うことができるのです。
 こう考えることで、ヒトは、自らが望むことの実現の確実性に自信が自然に持てる、という訳です。

○ヒトがΩ神の全知全能さを利用する場合の限界について
 ヒトは、Ω神が持つ全知全能の理法を丸ごと使うことができます。
 しかし、潜在意識の活用法、別の言い方をすると、魔法/妖術と呼ばれるものにはある限界があります。
 それは、例えば、「Ω神が持ち上げることが出来ない石」を作ることを意図する式のことです。
 何故駄目なのか?
 Ω神の理法は、元々創造主である神であるΩ神の天地創造の目的を実現する為に存在するものです。
 Ω神は、創造主である神であるが故に、自他を否定することは自己矛盾になります。
 そこで、自他ともに絶対肯定の構えで行動することしかΩ神は採用できません。
 そこで、自他ともに絶対肯定の構えしか採用できないΩ神は、Ω神にとって自他の存在を否定することは、原理的に実現出来ないことになります。
 詳しいことは、Ω神の属性をまとめて説明する中でします。

○まとめ
 Ω神の理法の全知全能さを理解する方法について、簡単に説明しました。

○余談1 以下に列挙する人たちは学問するヒトたちでは無い。しかし----
 念の為に確認すると、以下の人たちは普通、学問する人たちでは断じて無い!!! ということです。
・ジャーナリスト/キャスター/新聞記者などのマスコミ関係者 
・例えばマルクスのような思想家やマザー・テレサのような実践的な活動家
・俗世界(世界Ⅵ~世界Ⅶ+Z)に深く埋没している小説家/芸術家等
・社会主義革命を煽動する詩人
・政治家/政党/政治団体/お役人(官僚)
・人権擁護派の弁護士 (法律家を削除20090724)
・「平和憲法を守れ!」と活動している平和運動家を自称する人たち
・宗教家/宗教指導者/聖職者
・芸能人
・スポーツ選手等
 もちろん、これらの人たちは一般的には学問するヒトではありませんが、それぞれの分野で大事な仕事をしています。
 先日はちょっと点けたテレビで琉球の伝統舞踊をやっていて、余りに美しい舞なので、つい終わりまで見てしまいました。
 但し、例えば、カトリックの神父の中には、本格的な学者が沢山います。
 芸能活動をしながら、自分が携わる芸能について研究をする人たちもいます。
 余談1の終わり

○余談2 俗世界が全てという人たちの例としての政治家/お役人
 社会作りを直接担っている人たちの中に、俗世界が全てで、Ω神が造っているこの世界全体の成り立ちと仕組みがどうしても理解できない人たちがいます。
 この代表例が、政治家や官僚(お役人)と言われる人たちです。
 そして、政治家/官僚が、社会/国家/国際関係を支配し動かす政治権力を握っています。
 政治家/官僚と言われる人たちは、この世界は全て世界Ⅵ~世界Ⅶ+Z(妄想)=俗世界だけで全て成り立っている、と哲学的な考察を殆ど何もしないで、考えている/思い込んでいる人たちです。
 俗世会の中で発生する諸々の問題、即ちこの世の問題は全て政治的な問題である(注記3)、と考えるのが、政治家/官僚と言われる人たちです。
 そして、政治的な問題は世界Ⅵ~世界Ⅶ+Z(妄想)/俗世界の中だけで解決できる、と強く思い込んで方々が、政治家/官僚と言われる人たちです(注記4)。
 これは、日本だけでは無くて、世界中で同じです。

○政治家的な言いぐさ
 「宇宙や星の成り立ちや仕組みを沢山の税金を使って学問的に解明することが、私達の日常生活に何の役に立つというのだ!
 そんな雲を掴むような役立たずのことに、国民の貴重な税金を使うのは無駄だから反対だ!
 それよりも日々の生活に困窮している人たちにこそ、その金を支給することの方が緊急の課題だ!
 そして、これをするのが正に政治であり、世の為人の為に直接汗を流している政治家/官僚の神聖な仕事だ。
 これ故に、特に政治家は神聖不可侵の存在だ(注記5)。
 また、世の為人の為になる政治家の神聖な仕事を実際に実現するには、政治を自分(たち)の思い通りに進めるのに必要不可欠な政治権力を何が何でも獲得しなければならない。
 要するに、この世の中、政治家/官僚が政治をやっていれば全て済むのだ!
 自分(たち)が政治をすれば、世の中は自然に良くなるのだから・・・。」

 例えばNHKの「日曜討論」などに出演する政治家の話を聞いていると、こう思いませんか?
 しかし、ご多分に漏れず、政治家もお役人も、世界と言えば俗世界の存在が全てで、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの全体については、未だとんとご存知で無いのです。
 Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みが、ヒトの生活基盤/インフラとして直接役立っていることを、今現在の人類の大部分の人たちと同様に/市井の人々と同様に、政治家もお役人も知らないのです。
 ヒトとは何かという基礎的/基本的な問いにさへ、彼らは答えることが出来ないのです。
 これは、政治学や社会学の本を読むと分かります。
 しかし、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みこそ、全てのヒトが生きて幸せになることを保障している宇宙大で通用する絶対的かつ普遍的で不変・不動の原理/真理なのです。
 政治は、宇宙大で通用するこの絶対的原理/真理に取って替わることは絶対にできません。
 政治家がΩ神に取って代わることは絶対に出来ません。
 人権と平和を保障しているといういわゆる平和憲法が、Ω神とΩ神の全知全能の理法に取って替わることもできません。
 本物の本当の政治は、宇宙大で通用するΩ神の絶対的原理を大前提にしてのみ正しく機能します。
 また、これが出来る本物の政治家を人類はずっと必要とし待望しています。
 余談2の終わり

○注記1 金儲けとはご縁が無い人たち
 学者と言われる人たちは、特に日本では、金儲けとは一生涯ご縁が無いのが一般的です。
 もちろん、本田静六氏のように、学究生活を含めて人生を生きるには、それなりの個人資産を自ら造って持つことが必要で大切だ、と知っていた人もいます。
 聞くところによると、本田静六氏に学ばれたに違いない、渡部昇一上智大学名誉教授は、私財を投じて学究の為の奨学基金を設けて運営しておられるとのことです。
 しかし、このような人は、学者の中では例外的です。
 注記1の終わり

○注記2 学者先生は世界Ⅰ~世界Ⅲの存在を知らないのが玉に瑕
 学者、特に科学者と言われる方々は唯物論者でもあって、この結果、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの全体像を知らず「画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く」のが「玉に瑕」です。
 即ち、世の学者の殆どが、未だ世界Ⅳ~世界Ⅶ(+Z)の世界しか知りません。
 この前に、世界Ⅰ~世界Ⅲが原理的に存在していることをご存じでは無いのです。
 この点は、世の学者の殆どが殆ど無批判的に自動的に取り入れる「哲学」という学問の成果自体が、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの全体像を知らないことにある、と言うことができるでしょう。
 このことに関して脳天気の学者もいます。
 しかし、世界Ⅳ~世界Ⅶ(+Z)の前に、世界Ⅰ~世界Ⅲが存在することを直観的に発見している学者もいます。だだ、それについて、一般法則論のような明快な説明方法を知らずに深刻に悩んでいるのです。
 注記2の終わり

○注記3 有名なスローガン
 「個人的なことは政治的なことである。」
 これは、女性解放運動が行き着いた結果の主張です。
 しかし、間違っています。
 女性解放運動に携わっている人たちは、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みのことを、全く知りません。
 しかも、この方々もまた、マルクス主義の強い影響下にありかつ唯物論的思考に毒されています。
 そこで、唯心論的(天地)創造原理を知らず、これに基づいているヒトの生き方の原理があることを知らず、また、ヒトの生き方の原理をハウツー化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の話に接しても、これに興味関心を持たず受け入れない心の構え/マインド・セットが強固に出来上がってしまっています。
 まったく取りつく島もありません。
 注記3の終わり

○注記4 政治決着
 靖国神社への首相の公式参拝について、中国はこれをしないように政治的解決を求め、大勲位元首相もこれに応じてそれをしないことで政治決着を付ける式の発想をしました。
 しかし、靖国神社参拝は、中国人/中国文化が全く知らない、日本の霊的文化に基礎をおくものです。
 また、これには、死んだ/亡くなっただけでは俗に言う「成仏」しないし出来ないでいる人たち(世界Ⅶ~Z存在)の為の供養/慰霊/鎮魂等による「リセット」が持つ全人類に関係のある霊的意味と目的=Ω神が造っているこの世界全体の成り立ちと仕組みにおける意味と役割について、まったく無知の唯物論者たち(ヒトは死んだらそのヒトの個人史はそこで全て永久に終わると考えている人たち)の間違いが絡んでいます。
 このことについては、更なる考察と説明が必要です。
 注記4の終わり

○注記5 死刑反対論を支えているもの
 神聖な政治をする過程で仮令人を大量に殺しても、それが世の中のより多くの人たちの安定した生活を保障する政治社会体制の実現を目指している革命家によるのであるならば、その革命家を絶対に犯罪者として死刑にしてはならない!
 人類の救世主である革命家を守れ!
 この場合の革命家は、現代的には終始マルクス主義革命をしようとする人たちです。
 しかし、こうあからさまに言ってしまったのでは、身も蓋もありません。
 そこで、殺してしまった人は「死人に口なし」で文句を言わないからその人権は無視できるので、犯罪者の人権の保護を言い立て、殺人者一般の人権を守れ! 死刑にするな! ということになります。
 政治家には他の職業の人たちとは異なる特権が、憲法で保障されているのは、あなたもご存じの通りです。
 民主党の小沢一郎元代表が、「不正な献金だ」と指摘されている事に関して「政治家が神聖な政治の仕事をするにはとにかく金が掛かるのだ。だから、その為の金集めをして何が悪いのだ!」と言っているように、私個人には聞こえます。
 注記5の終わり

○追記 今日2009年7月22日は46年ぶりの皆既日食の日
 今日2009年7月22日は46年ぶりの皆既日食の日でした。
 日本では奄美列島の悪石島や屋久島でこれを見ることができる筈でしたが、そこへ出掛けた方々にはお気の毒なことに雨で見ることができませんでした。
 それでも、今日は、46年ぶりの皆既日食の日でした。
 この日にお誕生日を迎えられた方々、おめでとうございます。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
  書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

横山紘一 唯識で読む般若心経 の書評を読んで

2009-06-14 19:12:01 | 創造主である神
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


 ここに載せる文の順序の予定を変更して、読売新聞の2009年6月14日の書評蘭に取り上げられていた次の本に関する紹介記事を基にして、簡単なコメント。

 横山紘一 唯識で読む般若心経 大法輪閣

 先ずは、小倉紀蔵氏によるこの本の紹介の文の冒頭をその儘引用。

 「一人一宇宙」という言葉が何度も出てくる。「人人唯識」という唯識の教理から著者が作った言葉。
 誰にも共通の世界や宇宙などというものは存在しない。
 自分自身の阿頼耶識(もっとも深層の根源的な心)(注記1)の中から流れ出てきて、一人一人別々の世界や宇宙があるだけである。
 だから、その世界や宇宙での出来事は、すべて自分の心の内に起こっている現象にしかすぎない。
 ところが、これを実体と考えて執着するところから、すべての苦しみが生まれる。
 引用の終わり
(以下省略)

 「誰にも共通の世界や宇宙などというものは存在しない。」!
 もし、本当にこうであるのならば、では、例えば----
 ある人同士の間で、「この夏、一緒に富士山に登りましょう。」という約束や「今年中か来年早々には結婚しましょう。」という約束は、どういう根拠で出来るのかが説明できなくなります。
 その友人同士の間だけでなく、大きく出れば全地球人類の間で、私達がそこに生まれ住んでいるこの世界の成り立ちと仕組みの中で、「富士山」そのものもや「富士山」という観念も、そして、「この夏」、「一緒」、「登る」という言葉の意味も一つに共有して一義的/一意的に明確に確定的に客観的に、お互いに認識し理解できることになっているからこそ、「この夏、一緒に富士山に登りましょう。」という約束ができるのではありませんか!?
 「今年中か来年早々には結婚しましょう。」という約束は、富士山に登る約束よりもこれを実現する為に準備することが多いかも知れませんが、それでもこの約束の意味は誰にでも分かります。

 歯に絹を着せぬ厳しい言い方をすれば、この本の筆者は、一般法則論が発見しているΩ神が造っている全体でただ一つのこの世界の成り立ちと仕組みを未だ知らず、ヒトがこのこの世界の成り立ちと仕組みを「悟り」、認識し、理解できる原理を知らず、これをするヒトの心とは何かを知らない、ということでしょう。

 物を考えるのに、両腕を組んで天井を見つめて考えることを習慣にしていると、こういうことになりがちです。
 もっと、日常の生活の中で色々と観察できることや否応なしに知ることになることを元にして、常識を働かせて考えれば、間違っても「誰にも共通の世界や宇宙などいうものは存在しない。」式の認識/理屈は出て来ない筈です。
 反対に、全てをヒトの認識と理解の限界と壁を超えて、万人が一つに共有する世界認識とこれに基づいた共通理解があって、これによって共同生活する社会が成り立っている、と言う結論になる筈です、日常の生活の中で色々と観察できることや否応なしに知ることになることを元にして、常識を働かせて考えれば---。
 「誰にも共通の世界や宇宙などというものは存在しない。」ということに関して、著者の本を未だ読んでいない私のここでの理解の仕方が、もし仮に間違っているとしても、「誰にも共通の世界や宇宙などというものは存在しない。」式の、ちょっと考えればすぐに変だ! と思うような表現はすべきでは無いでしょう。

 「すべて自分の心の内に起こっている現象にしかすぎないその世界や宇宙での出来事を実体と考えて執着するところから、すべての苦しみが生まれる。」。
 しかし、苦しみの本当の原因は、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みを知らず、ヒトに生まれた自分が、絶対的無意識の存在のΩ神が「意識のある心」を持った、Ω神の化身かつ分身の存在であることを知らず、Ω神の化身かつ分身の存在の自分がヒトとして生きる原理的仕組みがあるのにこれに正しく則って生きることを知らず出来ないことの因果必然的な結果としての苦しみであることを知らないことによる訳です。
 言い換えると、ヒトの生き方の原理の存在やこれを実用化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知って使えるようになれば、生老病死の苦しみは解決し解消できる、ということです。
 なお、この本のような考え方を、先日私が手に入れて読んでいる本の中に、次のような図式にとまとめてくださる方がいます。

 宮元啓一 ブッダが考えたこと これが最初の仏教だ 春秋社 2004年

 欲望→行為(善悪の業)→輪廻
 この輪廻の業を解脱するには----
 欲望の滅→行為(善悪の業)の滅→輪廻の滅(=解脱)(48頁)

 これに関するブッダの独創的な大発見(! と宮元氏)を図式化すると次のようになります。

 根本的な生存欲(渇愛、癡、無明)→欲望(貪と瞋)→善悪の業→輪廻(苦)
 これから解脱するには-----
 根本的な生存欲の滅→欲望の滅→善悪の業の滅→輪廻の滅(=解脱)(55~56頁)

 宮元氏の説明が正しいのならば、仏陀の悟り/発見は、「人はなぜこの世に生まれたのか? その存在目的や存在理由は何か?」という問いに答えず、人がこの世に生まれた意味など何も無い! 早く死んでしまうのが良い、ということを意味し、一般法則論的には根本的に間違っている考え方だ、ということになります。
 これでは、「悟りの体験」の原理的仕組みも役割も、仏陀は知らなかったことになります。
 このことに関しては、後に別文の予定。

○注記1 阿頼耶識=もっとも深層の根源的な心
 阿頼耶識=もっとも深層の根源的な心は、一般法則論で発見し理解している、Ω神(創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在)の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの図解では、世界Ⅰの絶対的無意識の存在のΩ神の心のことになります。
 注記1の終わり


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

世界Ⅰと世界Ⅵに存在する二つの異なる神について  天然自然の存在の神とヒトの想像がでっち上げた神

2009-02-10 22:12:27 | 創造主である神
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的    人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)           ヒト     生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                    Z→→→Z

○はじめに
 ここでは、私達が知っている、いわゆる「神」には、二つがある話をします。
 もちろん、ここでは、図解化された一般法則論の世界観を前提で話をしています。

○二つの神(神仏)の存在
 1つは、ヒトが思弁的に観念的にでっち上げたのでは無い、天然自然の存在の、創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の存在の創造主である神です。
 この創造主である神を、この「一般法則論」のブログの中では、「Ω神」と名付けています。
 Ω神は、一般法則論で説明するこの世界の成り立ちと仕組みの図解では、世界Ⅰに、実在します。
 Ω神は、私達ヒトの存在を含めてこの世界の成り立ちと仕組みの全てを造った第一原因者です。
 この意味は、私達からみると、唯一絶対普遍かつ至高の存在の創造主である神としてのΩ神ということになります。
 今1つは、一般法則論の世界観で言うと、世界Ⅵ、即ちヒトが作り、その中にあなたや私が住み、日々を生きている俗世界/五感が支配する現実世界の中に存在する宗教の信仰の対象になっている神仏です。

○「私は無神論者だ」という方々の言う神仏
 「私は無神論者だ」という方々の言う神仏の存在は、宗教信仰上の神仏のことです。
 リチャード・ドキンスが存在しないという言う神も、この意味の神です。
 しかし、全てのヒトが、否応なしに、Ω神の化身かつ分身の存在として生まれています。
 ですから、本質的にヒトは、無神論者である筈がありません。

○世界Ⅵ=ヒトが作りその中にあなたや私が住み日々を生きている現実世界を確認
 世界Ⅵは、世界Ⅴにいるヒトが作る世界です。
 この意味で、ヒトは世界Ⅵの唯一絶対普遍かつ至高の創造主である神です。
 但し、現状は、ヒトは、世界Ⅵを、ヒト本来のΩ神の化身かつ分身の自覚を持って、Ω神の理法に正しく則って作っている、とは言えません。
 それどころか、Ω神の存在を未だ知らず、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを正確に知らず、ヒトがΩ神の化身かつ分身の存在であることを知らず、Ω神が決めてくれた「ヒトの生き方の原理」を知らず、ヒトの生き方の原理を実用化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法さへも知らずに、殆ど意志の力と人力/腕力と過去の体験の記憶或いは「間違った世界観のZ」を頼りにすることのみで生きています。
 この結果は、個人的にはもちろん人類全体でも、生老病死が皆苦痛になってしまう生き方しか出来ないでいます。
 この状態から抜け出すには、世界Ⅵの外の世界に出て、Ω神を発見することです。
 しかし、今現在の人類にとって、感覚が支配する世界Ⅵの世界が生きている世界の殆ど全ての生き方をしています。
 世界Ⅵの外に在り、世界Ⅵの世界を作っている世界Ⅴの「ヒト」という存在についても、世界Ⅵに生きている人達は、未だに「ヒトは如何なる存在か?」という問いをするだけで、ヒトとは何かの説明が出来ないでいます。
 世界Ⅳ、即ち天然自然の世界であり物質でできている世界は、世界中の自然科学者が「科学」の名でその仕組みを解明する研究しています。
 しかし、世界Ⅵの世界に生きている市井の人達の多くは、「私は科学に弱いから」と言って、世界Ⅳの世界の成り立ちと仕組みに関する知識を著しく欠いています。
 しかし、自然科学者でも、世界Ⅳ以下を造り出した世界Ⅲの自然法則+エネルギー一体不可分の働きの世界については、特に基礎科学と言われる部分では、市井の人達が世界Ⅳについて知らないように、知りません。
 これは、科学者による、市井の人達に対する理科・科学の教育を間違ったものにしています。
 ましてや、Ω神の存在には、多くの人達は、到底思考が及びません。
 宗教家でさへのこの始末です。
 一般法則論者としては、これを何が何でも何とかしなければならない! と思う訳です。
 天然自然の存在のΩ神は実在します。
 だだ、無神論者のあなたは、Ω神の実在を未だ自覚的な知識にしておられないだけです。

○世界Ⅵに存在する宗教の信仰対象の神仏の起源
 世界Ⅵに存在する宗教の信仰対象の神仏の起源は、実は、Ω神にあります。
 宗教の教祖たちは、神仏とは天然自然の存在のΩ神のことだ、と知っているのが普通です。中には、明らかにそうでは無い人達もいますが・・・。
 しかし、教祖たちは、自分が知っているそのΩ神の存在証明をしてその実体を分かり易く説明することをしてないか、これが出来ないでいる内に、宗教教団の組織が自己目的化し始めます。
 そして、Ω神としての姿はその実体が教祖以外には分からない中で、信者によって教義の整備が行われ、教典が作られ、Ω神は如何なるものであるのかについて、自覚的に意図的に或いは直観的に無意識的に、論理を駆使し、推理し、想像し、そして、教祖の言葉や教典を「解釈」することが行われます(注記1)。
 この結果は、Ω神の実像は歪み、形骸化して、Ω神が持つヒトの生き方に直接役立つ実用性を失ってしまう、という経過を辿ります。
 教団の中でΩ神を元にして作られた神は、教祖が亡くなると、もはやΩ神のことではなくて、その教団独自の教義にその存在根拠がある神仏になります。
 その教団独自の教義にその存在根拠がある神仏とは、他の宗教宗派にはもう通用しません。もちろん、社会的にも通用する絶対的に客観的に普遍的に実在する神仏=Ω神そのものでは有り得なくなります。
 言い換えると、宗教集団毎に独自の神仏を持つ、ということになります。
 そして、ある教団が、自分たちが信仰している神は、唯一絶対普遍かつ至高の存在の創造主である神だ、と言っているとしても、それは実際には、その教団の中でしか通用しない創造主である神に過ぎないことになります。
 この為に、同じく、我々が信仰しているのは唯一絶対普遍かつ至高の創造主である神であるという別の教団と対立し、宗教戦争をすることになったりします。
 こうなると、原理的に世界Ⅲ~世界Ⅶ~Zから絶対的に超越して実在しているΩ神の場合では絶対に有り得ない、「神がヒトに侮辱される」という妄想が生まれ、神を守れ!神の存在を説いている我が教団の教義を守れ! 我が教団の教義の正統性を守り異端を許すな! ということになったりします(注記1)。
 こういう訳で、世界Ⅵの世界に根拠のある宗教の信仰対象の神仏は、架空の動物の「龍」の存在のように、この世界に実在していない、偽物の神仏であることが殆どになります。

○注記1 仏教の場合
 仏教は、数在る宗教の中で、色々の民族や文化・文明に生きた天才や秀才が哲学的な思考を極め尽くしている(これは多数の教典類になっています)、特異な宗教ということができます。中には、ニセの教典もあるようですが。
 仏教では、「教外別伝」と言って、仏陀の教えを言葉/教典の文字によらずに、Ω神の存在を発見した仏陀の悟りの体験を再現する形で伝える技術を最初から作りました。
 「教外別伝」とは、例えて言えば、「教え」という「魚」だけでなく、「魚の取り方」=教えを自ら直接知ることができる「悟りの体験」が出来る方法を教えるものです。
 この技術は、現在「坐禅」という名で知られ、実際に行われています。
 これによって、Ω神とは何かが分からなくなることを防いでいます。
 注記1の終わり

○神を研究する学問が異なる
 Ω神は、ヒトがこの世界に誕生する遙か前から天然自然の中にそれ自体で在るようにして在る、自然法則とエネルギーと一体不可分の存在です。
 そこで、Ω神は、自然科学の研究対象です。
 宗教信仰の対象の神/仏は、ヒトが観念的にでっち上げたものですから、自然科学ではなくて、宗教学や社会学の研究対象です。

○その実在の証明の可否
 Ω神は、天然自然の世界に実在しています。
 そこで、その実在の証明が自然科学的にできます。
 一般法則論では、慣性の法則を使って、これを実際にしています。
 宗教信仰の対象の神/仏は、ヒトが観念的にでっち上げたものですから、即ち、架空の動物の「龍」のように実在していませんから、その存在を科学的に学問的に証明することができません。
 実際、その数5千とも6千とも言われる宗教の中で、万人が否応なしに認めざるを得ない神の存在証明をした例は一つも無い、と断言できます。

○この世界を実際に造っている神かどうかの区別
 世界Ⅰに実在するΩ神は、私達の世界を造った第一原因者です。
 そして、あなたや私に化身し分身しているΩ神は、私達一人ひとりが、そして私達全てが生きるための究極の原理です。
 世界Ⅵに存在する、宗教の信仰対象である神仏は、ヒトが観念的にでっち上げた存在ですから、私達が生きる為の原理には成り得ません。

○Ω神の存在を未だ人類が殆ど知らない
 俗に言う神には、以上の二つがあります。
 しかし、人類の殆どは、世界Ⅵに存在するヒトがでっち上げた架空の神仏しか知りません。
 そして、多くの人達が、神仏の存在と言えば、世界Ⅵの世界に存在する、宗教信仰の対象の神仏が全てと思い込んでいます、良い意味でも、悪い意味でも・・・。

○今こそ実在するΩ神の存在を知ることが人類の緊急の課題
 しかし、これから人類が知る必要があるのが、世界Ⅰに実在するΩ神の存在です。
 一般法則論は、Ω神の存在と、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組み、そしてこれに基づいて決まっている「ヒトの生き方の原理」の存在と、これをハウツー化/実用化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を誰でもが知るようにすることです。
 そして、この一連の知識を基礎にして、潜在意識の法則/引き寄せの法則を人生を、日々を生きることに使えるようにすることです。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

○注記1 天皇の存在を認めるとキリストの神が否定されると思うらしいヒトたち
 先日の建国記念の日に、これに反対する人たちの集会が報道されました。
 この集会には、キリスト教の新教系の教会が会場に使われ、これに牧師や信者が参加するのが通例のようになっています。靖国神社へ政府関係者や国会議員が参拝する機会にも険悪な顔をしたキリスト教関係の信者たちが集まります。
 こうしないと、キリスト教の神の存在が否定されるままになるし、信者としての証が立たない、とでも言いたげです。
 注記1の終わり

創造主である神はこの世界の隅々まで等しく均一にその全部が全ての場所に存在している

2008-07-07 23:22:18 | 創造主である神
○創造主である神は何処にでも存在しているという意味
 この文では、自らの心身を、天地創造の原理の原理に則り、自己展開する形で全て造っているゆえに、創造主である神はこの世界の隅々まで何処にでも存在していることの意味を、確認します。

○この世界の造られ方
 一般法則論では、この世界は、天然自然の存在の創造主である神が、天地創造の原理に則って、自らの心身を自己展開する形で全て造ったものだ、と説明しています。

○言葉の説明
 なお、創造主である神の心身=エネルギー、天地創造の原理=自然法則、と自然科学では名付けられています。
 ここで言う「この世界」とは、日常会話で使われるごく一般的な、常識的な意味の世界を指します。
 また、「この世界」とは、宇宙全体や天然自然の世界+私達が実際に生きている文化・文明世界全体を指して言っているものです。
 一般法則論的な意味では、「この世界」とは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られた現象世界の全て、森羅万象の全て、そして、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とこの働きも当然に含んだ、全体でただ一つの世界、という意味になります。

○この世界の中で創造主である神の存在の仕方 何処にでも等しく均一にその全部が存在
 この世界は、天然自然の存在の創造主である神が、自らの心身を、天地創造の原理に則って、自己展開する形で全て造っている世界です。
 しかも、創造主である神は、元々姿・形の無い存在=時間と空間の概念と因果必然の法則を常に超越している、心とか精神と呼ばれる存在であり、同時に、二つ以上の存在に分離・分割することができない永遠にただ一つという属性を持つ存在です。
 この結果、創造主である神は、この世界の隅々まで、その何処でも、あなたや私という一存在においても、一様に、むらや偏りや揺らぎなどもなく、等しく、均一に、普遍的に、その全部が丸ごと遍在していることになります。
 言い換えると、この世界の中では、神が存在している場所、それも神が濃く存在している場所と、神が全く存在していない場所や神の存在が薄い場所やわずかしか存在しない場所とがある、ということは絶対にありません。この世界の全ての場所が創造主である神の心身を自己展開する形で造られたのですから、当然なんですが・・・。
 創造主である神自体は、非物質的な存在であり、心とか精神とか魂とか言われる存在であり、それに姿・形がありません。形が無い故に、特定の大きさもありません。存在しているのは、この世界の創造主である神として全体で常に変らずただ一つの存在であり、二つ以上の部分に分離し分割することが絶対にかつ永遠にすることが出来ない、ただ一つの創造主である神です。
 そこで、この世界の全てのところで、例えば針の先端のところでも、創造主である神はその全部が、何一つ欠ける事無く実在している、ということになります。
 創造主である神が、自らの存在を分身化して造っている全てのヒトという存在は、全てのヒトに等しく、その全部の存在が、全てのヒト、一人ひとりに等しく化身化しています。
 言い換えると、神に特別に愛されているヒトも、神から見捨てられたヒトも、共に存在しないことになります。
 創造主である神の前では、全てのヒトが平等の存在です。

○まとめ
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに則り、自らの心身を自己展開する形でこの世界の全てを造っている、非物質的な存在=心とか精神とか魂と言われる存在であるがゆえに姿と形が無い、天然自然の存在の客観的かつ唯一絶対的かつ普遍的に実在している創造主である神は、この世界の隅々まで、この世界の全ての場所を、均一に、むら無く、等しく、一様に造っています。
 そこで、全てのヒトが、何処でも一様に等しく造られているこの世界の中で、何処で、何をしていても、常に、創造主である神のその丸ごとの全体と一緒に生きていることになります。
 言い換えると、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法により、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの全てを生きるための資源として全部使えるような仕組みが、この世界にはある、ということになります。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


神の実在を知る意味  悟りの体験をした、神秘体験をしただけでは十分ではない

2008-07-06 15:24:05 | 創造主である神
○神の実在を知るとは何を知ることか?
 神の実在を知る。
 しかし、「神秘体験をした」/「悟りの体験をした」と、感激して、この段階で息切れしてしまって、思考停止になるのは、未だ神を知ることの半分もしていません。

○神を知るということの本当の意味
 神を知るとは、万物と万人の創造主である神、即ち、私達全てに先立って、それ自体で在るようにして在る、天然自然の存在の客観的かつ唯一絶対的かつ普遍的存在の創造主である神を知ることです。
 創造主である神を知るとは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中で、創造主である神の化身かつ分身の存在に造られているヒトがこの世界に健康に存在しつつ(自然治癒力/各人の心身に組み込まれている自己治癒力の存在とこの自動的かつ必然的な働き=病気を治すことが出来る客観的かつ唯一絶対的かつ普遍的な力)、自分の人生を思い通りに生きることが出来る原理があることを知ることです。
 「ヒトが生きる原理」は、具体的には、「潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法」の形で、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みに調和しながら、これを丸ごと利用して生きる心の技術のことです。

  例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


中山敬真(2008) たった3秒のパソコン術 をお薦め

2008-06-25 01:10:37 | 創造主である神
○中山敬真 たった3秒のパソコン術 という本のお薦め
  中山敬真(2008) たった3秒のパソコン術 東京 知的生きかた文庫 三笠書房
  この本を、買いました。
  ウインドウズ・パソコンを使いこなすための便利な裏技を色々と説明しています。

  この本で知って、その裏技を一般法則論の文作りにさっそく使っています。

  この本は、文句無く、お薦めです。

  例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


子供たちの未来を守るぞ!!!!!

2008-06-08 00:21:39 | 創造主である神
今日六月七日と明日は、地域の産土神社の夏祭りです。
 家の前を、山車を引いた子供たちが通りました。

NHKで地球温暖化問題に何が出来るか、半日討論していました。

 山車を引いて通った子供たちの未来を何としても確保しなければ! と思ったものです。
 
 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


ヒト+(創造主である神+)自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きという表記

2008-04-30 17:24:48 | 創造主である神
○ヒト+(天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働き)
 天然自然の世界の成り立ちと仕組みは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られている。
 一般法則論では、こう説明し、こう表記しています。

 では、ヒト/人類が作る各人の人生と文化・文明は、どうやって作られるのでしょうか?
 この答えは、ヒトの生き方の原理に則って、言い換えると、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に則って、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを丸ごと活用することによって、です。
 そこで、ヒトの人生と文化・文明の成り立ちと仕組みを作り出すヒトの創造的な行為は、天然自然の存在の世界の成り立ちと仕組みを創造主である神が造りだす場合の表記に倣って決めれば、次のようになるでしょう。

 ヒト+(天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働き)。
 或いは、ヒト+(創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働き)。

 ところで、自然科学は、この世界の成り立ちと仕組みを、自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て説明し尽くそうとする学問です。
 しかも、この方法によって、自然科学とこれに基礎を置く科学技術は、人類社会において絶大の信頼を得ており、科学に貢献した人たちはノーベル賞の対象にもなるくらい、大成功を収めています。
 そこで、ヒト+(天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働き)という表記ではなくて、自然法則+エネルギー一体不可分の働きの部分を見える化して、ヒト+(天然自然の存在の創造主である神+)自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働き、と表記するのが良さそうです。

 まだ話の途中ですが、ひとまず話を締めます。
 これから、家族と外に食事に出掛けます。
 連休中、家の中でごろころ寝ていても、家族に文句を言われない極意を先日テレビで聞いて、その一つを早速実行しようという魂胆です。後一つ、連休中にダーウィン展に出掛ける予定です。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。

2月27日本日の読売新聞朝刊の「届け宇宙人への手紙」という記事を読んでください

2008-02-27 14:48:29 | 創造主である神
 今日、2月27日(2008年)の読売新聞の朝刊の1~2頁に、「届け宇宙人への手紙」という記事が載っています。日本の知力 第二部 科学で考える⑥

 読売新聞のこの記事を未だ読まれて無い方は、是非、この記事を読んで下さい。

 この記事には、宇宙人=地球外知的生命体とは如何なるもの、と科学者が考えているのかを手短によく纏めてあります。
 これは、このブログで説明したばかりの、一般法則論で理解する宇宙人の話の大前提として役立つものです。

 なお、この記事で紹介されてないことがあります。
 それは、既に出身地が異なる宇宙人が地球に来ているとか、少なからずの宇宙人が既に私たちに溶け込んで生活をしているとか、いわゆる未確認飛行物体(UFO)で宇宙人が来ていて、この中には私たちに友好的では無い宇宙人がいる、とかいう話です。
 特に、問題なのは、私たちに友好的では無い宇宙人が来ているという説です。
 これは、本当ならば、一般法則論論者の私には深刻な問題です。
 一般法則論的には、一般法則論で考える「あるべき宇宙人」の条件を満たさずに宇宙の何処かから地球にやってきている、という意味だからです。
 以上のことについては、別文で考えます。

 今日の読売新聞の記事は、ここで宇宙人について論じたばかりの時に都合良くこの様な記事が出て、私が説明しなければならない部分を大きく省略できました。
 この意味で、この記事が出るのを予め予測していたかのようなタイミングで私が宇宙人論を書けたのは、ユングの言う「意味のある偶然の一致」の一例と言って良いでしょう。

 今日の読売新聞の宇宙人の存在を科学者がどう考えているのかを纏めた記事を、是非読んで欲しいことを再度お願いして、この文を閉じます。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。

一般法則論でいう「創造主である神」の意味

2008-02-17 02:01:14 | 創造主である神
○一般法則論でいう「創造主である神」の意味
 一般法則論について説明しているこのブログの文の中で、「天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き」と書いている、その天然自然の存在の創造主である神とは何を意味しているのか、確認しておきます。

 「一般法則論でいう哲学」という文の中で、次のよう言いました。

 私が、哲学に関する「図解書」などで知っている哲学とは、私たちが生きているこの世界を造り支えている根源的な原理を明らかにするのが哲学だ、というものです。
 そして、この世界を造り支えている根源的な原理は何かを、真面目に真剣にトコトン追求していくと、最後は、否応なしに、この世界を創造した神の存在の有無に必ず行き着くことにならざるを得ない、と言います。
 この世界を創造した神の存在の有無にまでその哲学的な思考が及ばないのは、本物の哲学思考をしているとは言い難い、とさへ言われています。

 即ち、一般法則論で言う「創造主である神」、ここでその存在証明をしている「天然自然の存在の創造主である神」とは、この世界を造り支えている根源的な原理は何かについて、自覚的に意図的に問題意識を持ち、この答えを求めて、哲学的に、真面目に真剣にトコトン追求して行った結果行き着いた、この世界を創造した神の存在の発見、ということです。
 詰まり、人類史で哲学がその答えを求めて来た、「この世界を造り支えている根源的な原理」としての「天然自然の存在の創造主である神」の発見、ということです。
 言い変えると、「この世界にいわゆる神とか仏という存在はあるのかなぁ」と何となく漫然と考えてみた結果、それがあると分かった、という話では無い、ということです。
ましてや、一般法則論者で言う「創造主である神」は、特定の宗教宗派で言う神の存在証明をしようとしたのではありません。

○創造主である神、自然法則、エネルギーについて説明する文を載せる「予定」
 一般法則論で言う「創造主である神」は、「この世界の成り立ちと仕組みを造り支配している根源的存在」の有無を追求している哲学(西洋哲学のみがよくしています)で、正にこの世界の全てを造った根源的な原理としての「創造主である神」を意味している、という話をしました。
 なお、一般法則論を説明する基本になっている、創造主である神、自然法則、エネルギーについて、この3つの基本概念の間の関係を含めて、説明する「予定」です。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。


一般法則論でいう創造主である神は自然科学の研究対象、社会学の対象ではなくて・・・

2007-07-09 22:26:19 | 創造主である神
一般法則論で言う「創造主である神」は、自然科学が研究対象として取り扱うもの

○天然自然の存在の創造主である神
 一般法則論で言う「創造主である神」は、自然法則+エネルギー一体不可分の働きと一体不可分で存在し、自然法則+エネルギー一体不可分の働きをいわば道具に使って、天然自然の世界の天地万物を創造した、唯一絶対普遍かつ不変かつ客観的に実在する神、即ち、創造主である神のことです。

 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られた天然自然の世界は、ヒトが天然自然の世界の一員として誕生した後、人類の歴史を作る前に既に、存在していました。

 この意味の創造主である神と、この創造主である神が造った天然自然の存在の世界を取り扱う学問は、自然科学という学問の分野になります。

 自然科学は、天然自然の世界を、創造主である神が天地万物の創造の道具に使った自然法則とエネルギー一体不可分の働きの現われとして認識・理解し、これによって造られたこの世界の成り立ちと仕組みを解明することを研究課題にしています。

○無神論者の言う神仏は宗教信仰で言う意味の神仏
 ところで、神仏の存在など、一切認めないし、一切信じないし、一切要らないし、個人と人類文化に脅威を与えるだけのあってはならない存在だという無神論者が「存在しないし、存在してはならない!!!」という場合の神仏の存在は、人類の歴史が始まってから作られた宗教信仰の中でその存在を信者が「信じる」と言っているものに当たります。
 即ち、自然科学がその研究対象にする、天然自然の存在の創造主である神ではありません。
 無神論者が幾ら神仏の存在を目の敵にしようとも、無神論者を含めた全ての人が誕生する前から、それ自体であるようにして在る創造主である神(+自然法則+エネルギー一体不可分の働き)を否定するはできない相談です。
 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、無神論者を含めた全てのヒトにとって、その存在の大前提になっているものですから。

○無神論者のいう神仏は文化人類学や社会学などの研究対象
 宗教信仰の対象になっている神仏の存在を取り扱っている学問は、文化人類学や民俗学や社会学や宗教学、あるいは神学です。
 宗教信仰の対象になっている神仏の存在は、自然科学の学問の対象にはなりません。

○短い文のまとめ
 天然自然の世界に、自然法則+エネルギー一体不可分の働きと一体不可分で存在し、自然法則+エネルギー一体不可分の働きを道具に使って、天然自然の世界の創造主になっている神、即ち、一般法則論がその実在を自然科学的に証明した創造主である神。
 この神を研究対象にする学問は、自然法則やエネルギーと共に、自然科学です。

 宗教信仰の世界で言う神仏の存在を学問的な対象にしているのは、自然科学ではなくて、文化人類学や民俗学や社会学や宗教学や神学。

○以上のことをご指摘してくださった方に感謝します
 こうだ、とある方がまとめて教えて下さいました。
 ご指摘を受けて考えて見ると、正にこの通りなので、感謝しながら、これからは次のように言います。

 一般法則論で言う天然自然の存在の創造主である神は、無神論者や社会学や文化人類学などが知らないし、扱うことが出来ない、もっぱら自然科学が研究対象にする存在。

○天然自然の存在の創造主である神と宗教信仰上の神仏とは別物で区別すべし
 ヒトが認める認めない、信じる信じない等に一切関係なく、私たち全てのヒトに等しく絶対的に普遍的に客観的に実在するところの、天然自然の存在の創造主である神と、文化人類学的の対象になるような宗教信仰上で、「信じる」人にのみ存在することになる神仏の存在。
 この二つ神仏の存在は、区別して扱う必要があります。
 そんなのは存在しないし、要らない、と言えるのは、宗教信仰上の神仏のこと。
 これは、文化人類学や社会学や宗教学の研究対象。

 信じる信じない等に一切関係なく、天然自然の世界の中に、それ自体で在るようにして在る創造主である神は、一般法則論でその実在を証明した創造主である神。
 これは、もっぱら自然科学の研究対象。

 ひとまず、投稿します。

 誤記等は、気が付き次第、訂正します。
 論旨が曖昧の所があれば、訂正し、より分かり易いように、追加の説明をします。

なぜ歴史が書けるのか 歴史の起源と目標 地上の神の国で神の分身として生きる

2007-06-30 04:36:19 | 創造主である神
 以下の文中で、創造主である神というのは、ヒトがこの世に存在するようになる前から、それ自体で在るようにして存在し、私たち人間存在(宇宙大では宇宙人一般)と、その生活基盤になる大自然の世界を創造した、天然自然の存在の、創造主である神を意味しています。
 間違っても、ヒトが発明したのでは無い、天然自然の存在の、創造主である神と、この後に始まった人類史の中で発明された宗教で説く神仏と混同しないでください。
 これを混同すると、以下の話が、何がナンダカ分からなくなります。


 「なぜ歴史が書けるのか?」
 また、
 「歴史家であるということがどういうことであるのか?」
 
 このタイトルで、一般法則論では何が書けるのか、挑戦してみました。

 一般法則論の理解ではーーー、

 この世界は、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで、全て必然的に造られています。ここに、偶然はありません。

 創造主である神の化身/分身の存在に造られている全てのヒトの心も、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られています。

 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、創造主である神、そして、天地創造後は、創造主である神の化身/分身の存在のヒト或は単に人(創造主である神の存在を未だ知らず、自らが創造主である神の化身/分身の存在であることも未だ悟らない人の意味)が、「原因の設定者」になり、自然法則+エネルギー一体不可分の働きが、創造主である神他の原因設定を引き受けて、これを形在るものにする、「因果必然の自然法則」という関係にあります。

 また、自然法則+エネルギー一体不可分の働きには、働き方の原理があります。
 これにより、「それをそれにする原理的な仕組み」(プラトンの言う「イデア」と同じ意味)があって、これを必ず基にして造られるシステムの単位に量子化された現象・存在・出来事として、物事は起こり、またこのようなものとして認識することができます。

 これによって、原理的に、ヒトは、この世界の中で生きるために必要な、この世界の成り立ちと仕組みを発見し、認識し、理解し、全てのヒトの間でこれを共有し、この共通認識の下で共同作業をし、共生することができる仕組みがあることになります。

 これに加えて、いわゆる時間の矢があって、過去、現在、未来の区別ができます。

 しかも、例えばお湯の沸かし方一つ取り上げてみても、色々の沸かし方、即ち複数の多様なお湯の沸かし方の原理的な仕組みがあります。
 この結果は、多様性に富んだこの世界が、歴史が生まれる、ということです。

 この結果として、人類史を振り返ると、ヒトは、様々に歴史が書けるのだ、と思います。

 更に、「歴史家であるということがどういうことであるのか」を問うのならば、誰のために、何のために、如何なる必然性を持って、如何なる歴史を書くのか、という歴史家としての見識と使命は何か、に答える必要があります。

 言い換えると、人類史に、全人類が一つに共有する究極の存在理由や存在目標があるのか? ということです。
 カール・ヤスパースの『歴史の起源と目標』 は、これがある、と言ってますが、具体的には説明して無いようです。

 結論だけを言えば、一般法則論では、これがあります。

 この世界は、絶対的に無意識の存在の創造主である神が、自らの化身/分身の存在に当たるヒト(宇宙大では宇宙人一般)を多種多様に造って、その一人一人になって、様々に生きることを試み、遊び、楽しむことを唯一の目的として、最初に、ヒトが住むためのインフラになる大自然=神の国を造り、この中に、進化という名で知られる方法で、この自然=地球に生え抜きの地球人類=創造主である神の化身/分身の存在のヒトを造ったのです。

 この世界は、創造主である神が自らの身心を、天地創造の原理に則って、自己展開する形で造られています。

 この世界は、人間が存在するのに都合の良いように全て造られている、という「人間原理」という考え方があります。
 正に、この通りに、創造主である神の化身/分身の存在のヒトが、この世界の中で、各人の思い通りに容易に生きられるように、様々な仕組みが、創造主である神によってあらかじめ用意されています。

 そこで、人類史は、創造主である神が造ったこの理を理解し、この地上世界を文字通りに神の国にし、より創造主である神の化身/分身らしく生きる過程の歴史になります。
 この事実を、真理を明らかにして、そして、今、この時代は、このいかなる段階にあり、時代的な課題は何かを明らかにすることです。

 この観点で、今の時代を見れば---
 人類は、地球大で存在し、地球大で共生する歴史的な時代に入った、ということです。
 超大国アメリカでさへ、人類が地球大で存在するようになった今、外の世界と孤立して生きることは出来ません。グローバル化は、アメリカにも押し寄せています。
 しかし、これに気づかず、この意味が解からず、これに反対する人たちがいます。

 課題は、反グローバリズムの哲学や政治思想の構築ではなくて、文字通りの意味で、全人類が、地球大で共生できる原理的な仕組みを発見し、これに基づいて、世界を再構築することです。

 では、これは、如何なる形で可能になるのか?

 これは、一個人が勝手にでっち上げた思想とか哲学とかではどうにもなりません。
 また、既存の哲学や宗教や思想を持ち出しても、現にそれらが何の役にも立ってないことをみても、使えないのは明らかです。
 唯一可能なのは、創造主である神がこの世界を造った通りにこの世界を理解して、この中にそれを見つけることです。

 幸い、自然法則+エネルギー一体不可分の働きのたった二つの基本概念だけでこの世界の成り立ちと仕組みを解明している自然科学の成功が示しているように、人種や言語や宗教や哲学や思想や民族や地域等の違いを超えて、これ等の存在以前から存在し、万人に等しく働く創造主である神の理法と、これにより造られたこの世界の成り立ちと仕組みがあります。
 これに則れば、様々な違いや対立を超越して、全人類が一つになって共生する道が見つかります。


 今、地球大で人類が生きる時代を意味づけ、これを可能にする哲学・思想の発見が、時代のこの課題を自覚する人たちの間で、様々に試みられています。
 一般法則論者の私の試みも、その一つです。

 一般法則論は、創造主である神の存在証明をして、神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みについて説明し、人類史のリセットと再構築を試みようというわけです。

 これは、「早いもの勝ち」で決まる、いわゆる世界標準を造る試みではありません。
 あくまでも、創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みに忠実である必要があります。

 と言っても、「神よ、神よ・・・、」と言って、毎日何度も神様の前で頭を下げて祈る生活をせよ、という意味ではありません。
 ホンダの創業者の本田宗一郎氏のように、無神論者であることを公言していても、その実際の生き方は、創造主である神が造った神の国=現場・現物・現実をとても尊重し、これにとても忠実な心正しい生き方をされた、創造主である神の化身/分身のヒトに正に相応しい生き方をされたご一生でした。

 神道に則った生き方も、基本的に、何か特定の教義等に縛られない、現物・現場・現実尊重主義ということができます。

 ただし、これを、世界に向けて、理屈で、自覚的に意図的に一義的に/一意的に明確に確定的にかつ客観的に説明することも、この文化を生きている日本人の一人として、必要なことでしょう。


 「なぜ、歴史がかけるのか」
 「歴史家であるということがどういうことであるのか」を問う答えになっていたでしようか・・・。

 誤記があれば、発見次第、訂正します。
 追加するものがあれば、後から書き加えます。

 

神の名に怯えないでください。神はあなたを裁かず罰しません。

2007-06-29 23:03:14 | 創造主である神
 以下の文中で、創造主である神というのは、人がこの世に存在するようになる前から、それ自体で在るようにして存在し、私たち人間存在(宇宙大では宇宙人一般)と、その生活基盤になる大自然の世界を創造した、天然自然の存在の、創造主である神を意味しています。
 間違っても、人が発明したのでは無い、天然自然の存在の、創造主である神と、この後に始まった人類史の中で発明された宗教で説く神仏と混同しないでください。
 これを混同すると、以下の話が、何がナンダカ分からなくなります。

 神という言葉を聞くと、不快になり、心が乱れ、精神が不安定になる方々がいます。
 この方々のために話をします。

 しかし、それは、絶対に神の所為ではありません。

 創造主である神は、あなたを裁かず、罰することは、絶対に有りません。
 創造主である神には、自己絶対的に肯定、他者絶対的に肯定の立場しか採れないからです。

 あなたの身心を造り、あなたに化身化し分身化している神は、一日二十四時間、あなたの一生涯、おなたが何処で何をしていても、常にあなたと共にあって、あなたを見守り、あなたを害する全てのものからあなたを守っています。

 これは、私がこういうから、こうなのではありません。
 あなたを含めた全ての人に当て嵌まる、客観的で普遍的な絶対的な真理です。
 このことは、人類史が始まる遥か前の自然史の中で、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きにより造られたこの世界の成り立ちと仕組みで、このように決められているからです。

 実に、あなたは、この地上に生きている神そのものの存在です。

 あなたが、この事実を知る知らない、認める、認めない、受け入れる、受け入れない等に一切関係なく、これ自体で宇宙大で通用する普遍的で絶対的な真理です。

 したがって、あなたになっている神が、あなたを裁き、あなたを害することは原理的に百パーセント在り得ません。

 あなたを害しているのは、あなたご自身以外に誰もいません。
 そこで、この状態から、あなた自身を自ら救い出す方法について、簡単に説明します。
 話を短くするために、二つの比喩を使います。
 一つは、楽器のギターの仕組み、今一つは、パソコンを買った時の状態に全て戻す初期化のリセットの話です。

 私がギターを初めて手にしたのは、もう四十年も前のことです。その時以来、ギターに触れたことがありませんが、比喩的存在のギターき、今も使っています。

 四十年前に私が触ったギターは、六本の弦が正しくチューニング/調音されていて、そのままの状態で(解放弦と聞きました)、指先で弦を撫ぜると、とても快い音がしました。
 そして、これを基本にして、六本の弦をギターのネックと呼ばれる部分のフィンガーボード上で指で押さえて音階を変えてギターを演奏する約束事に則って、色々のギター曲が演奏されることになります。

 全ての人本来の身心の状態も、最初は、そして、本来的には常に、ギターで言えば、解放弦状態に調整されています。
 これは、全ての人に生得的に備わっている、例えば体温を三十六度五分位に維持するなど、身心の状態を正常な状態に保とうとする、身心の「恒常性維持機能」と言うことが出来ます。

 これは、一般法則論的に言えばーーーー
 創造主である神が、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造ったこの世界の成り立ちと仕組みという大枠の中で、創造主である神の化身/分身の存在の地球人の原理的な仕組みに基づいて造られた、あなたや私の身心という人間システムを維持しようという自己組織化力と、これに基づく自然治癒力のことになります。

 しかし、比喩的に言うと、正しく調音されているギターを、何が正しく調音されている状態であるかも知らず、ギターの仕組みも知らずに自分で勝手に自分流に調音し直して、ギター曲を演奏する楽器としてのギターとしてもはや使えないモノにしてしまう人たちがいます。

 こういう場合、焦れば焦るほど、元の正しく調音された状態に戻すことが難しくなるものです。

 しかし、話がパソコンの場合には、これを買ったときの状態=工場から出荷されたときの初期設定状態に一気に戻す、「初期化のリセット」という方法があります。

 ここで注意すべきは、パソコンをリセットすのは、そろばんで「ご破算で願いましては~」というのと同じで、その前にどんな計算や作業をしていたのかには一切制限も制約もされることなく、リセットできることです。

 こうするのは、人です。パソコンが勝手にリセットすることは、パソコン事態は慣性の法則の支配下にあってこれに従いますから出来ません。
 こうできるのは、創造主である神とこの化身/分身の存在の人は、因果関係法則の働きの外に常にある存在だからです。このことを、仏教で「空」という概念で説明します。

 人の身心にも、狂った身心の状態を、ギターで言えば、正しく調音された元の状態に戻す機能が、誰の身心にも備わっています。自然治癒力、自然の復元力というものです。

 具体的には、身心をリラックスさせる、好きなことを思い切りする、休養や静養を十分に取る、よく眠る、軽い或は激しい運動をするなど、することです。

 或は、ここに説明している一般法則論のように、創造主である神がこの世界を造った通りにこの世界の成り立ちと仕組みをなぞって、人本来の正常な状態に、心の中を整理するなど。

 とにかく、神の名を聞いて怯えるのは、人として正常ではありえません。
 そして、神の名に怯えるのは、神の側にはなくて、常に神の名を怯える人の方にあります。
 しかし、これは必ず治せるし、リセットできます。
 あなたという神になっている神は、常にあなたが安全無事で、正しくあるように守っていますから・・・・・。

 ひとまず、この文を締めます。
 誤記は気づき次第訂正します。
 説明不足の部分は書き足します。