いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

祝 浅田真央選手が銀メダル!!!

2010-02-27 04:30:35 | 余談
 浅田真央選手が惜しくも銀メダル

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対

○浅田真央選手が銀メダルで日本国民が一つになった瞬間を体験
 浅田真央選手が、カナダのバンクーバー冬季五輪の女子フィギュア スケート シングルで、銀メダルを取った事は、既に皆さんよくご存知の通りです。
 このことで、日本国中が沸いていることも・・・。
 二つのミスをして、金メダルでなかったことを惜しむ点でも・・・。
 この光景は、期せずして、理屈抜きで、原日本国民が一つに統合された瞬間でした。

○ただ可愛い~!!!
 実を言うと、浅田選手の滑りの演技をちゃんと見たのは、個人的には今度が初めてでした。
 浅田真央選手、とても可愛いですね。
 ただもう、可愛いなぁ~と思いながら見ていました。
 可愛い、といえば、冬季五輪札幌大会の時の女子フィギュア シングルで、アメリカのジャネット リン選手の表情豊かな滑りが可愛くて、彼女を「自分のお嫁さんにする」と宣言した男が日本国中何人も居たことを思い出します。
 しかし、彼らはこれを実現するノウハウを知らなかったとみえて、彼女は、母国の男性と結婚して、普通の主婦していますね。

○金メダルは・・・
 この大会での金メダルは、韓国のキム・ヨナ選手でした。
 それも史上最高得点を出してのものでした。
 しかし、個人的には、荒川静香さんが金メダルを取ったトリノ五輪での気品に溢れた美しい演技が印象深くて、女子フィギュア スケート シングルは、荒川静香さんでやっぱり「決まりだな!」ということです。

 とにかく、浅田真央選手は可愛い~!

 こんな雑文でも、自分のブログに書くことが出来る場所があるのは、とても有り難いし、嬉しいものです。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

加藤大輔選手が男子フィギュアスケートシングルで銅メダル!!!

2010-02-23 00:00:57 | 潜在意識の活用法
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対


○加藤大輔選手が男子フィギュアスケートシングルで銅メダル!!!
 カナダのバンクーバーで、冬季オリンピックが開かれています。
 2月19日は、男子フィギュアスケートシングルで、加藤大輔選手が銅メダルを取りました。
 これを知らせる「スポニチ」の号外を、その日外出先で貰いました。
 これで、男子で欧米以外の地域の選手が表彰台に上がるのは初めてだと知りました。

○最初に結果を先取りしたイメージ・トレーニングの必要性
 金メダルを取りそこなったのは、四回転ジャンプに失敗してしまったためのようです。
 これまで、高橋選手は四回転ジャンプに成功したことが無いとか・・・。
 「四回転ジャンプが出来るし、これが出来ている」という、最初に結果を先取りしたイメージ・トレーニングが必要です。

○イメージ・トレーニングしたことを実現させる責任を負うのは誰か?!
 イメージ・トレーニングは、一般法則論で言えば、「ヒトの生き方の原理」の活用法の実例の一つです。
 そこで、イメージ・トレーニングしたことを実現するのは、Ω神の理法の働き/潜在意識の法則/引き寄せの法則の全面的な責任になります。ヒトは、これにイメージ・トレーニングした事を絶対的に全面的に引き渡して実現してもらうことになります。
 イメージ・トレーニングをしたヒトは、これをしたら、事の実現はΩ神の全知全能の理法任せです。
 そして、Ω神の理法の導きに素直に従いながら(具体的にこれは何を意味するかは自然にわかります、実際には自然に体が動いてそれをしています)結果を期待して待つのみです。
 ただ、本来の意味のイメージ・トレーニングでは、イメージ・トレーニングするヒトの奮励努力で、イメージ・トレーニングしたことを実現しなければ成らないことになっているのが、欠点です。
 イメージ・トレーニングでは、天然自然の存在のΩ神の存在を知らず、これを認めないので、イメージ・トレーニングした事を成すのは、ヒトではなくて神様の絶対責任だ、という考え方をすることができません。
 イメージ・トレーニング法を開発したのは、無神論の社会主義国の旧ソ連と旧東ドイツだったので、最初から終わりまで、イメージ・トレーニングをするヒトの自己責任に基いた奮励努力に成果が掛かる形にならざるを得なかったのでしょう。

○Ω神を知らずこれに事の実現を任せることの出来ないイメージ・トレーニング法は不完全で役立たずなのか?
 イメージ・トレーニングをしたことの実現は、神様に任せなくては金メダルを取れないのか?
 イメージ・トレーニングしたことをその通りに演技するのは、ヒトの/選手である自分の自己責任だ、と思えば、どうしても緊張してしまいます。
 この点で、NHKの番組「スポーツ大陸」で紹介された、トリノオリンピックで、女子フィギュアスケート シングルで金メダルを取った荒川静香選手のことが参考になります。
 荒川選手は、その時、採点者の前で高得点を得る演技をすることを目的/目標にしたのではありませんでした。
 荒川選手は、そのとき、「フィギュア スケートは楽しくて美しいのだ!」という日頃の自分の思い/信念を、今日の日まで厳しい練習の繰り返しで培った自分が出来る最高の演技をして観客に楽しんで貰うことに心の焦点を当てていたのでした。
 と同時に、滑るステップを一つ踏む毎にこれを物にした練習の過程をかみ締めるように振り返り、これまで自分が歩んできた道のりは、多くのヒトたちによる指導と支援の賜物であることを感謝する気持ちで心を一杯にしていたのでした。
 ところで、ヒトの身心は「身心一如」の関係にありますから、心に直結している身体の動きも喜びと感謝で一杯にして演技したのです。
 言い換えると、荒川選手は、「自分は金メダルに値する演技が出来る者だ」という自分自身に正しさや正確さの根拠をおかず、これを忘れた演技をして、緊張などする余地が無くなり、自然にリラックスして自分の実力どおりの演技をしたのです。
 本当に、この日の荒川選手のスケートの滑りは何回見ても感動的に美しいですね。
 この当然の結果の金メダルでした。

○加藤大輔選手の銅メダルは快挙でした!
 とにかく、加藤大輔選手の銅メダルは快挙でした。
 この後に続く彼を含めた日本の、そしてアジアの選手たちは、男子フィギュア スケート シングルでずっと楽に金メダルが取れるようになるはずです。

 加藤大輔選手の銅メダルを伝える号外を手にした中年の女性は、「しわくちゃにならないように、大事にしなくちゃ」と連れの女性たちに言いながら、丁寧にその号外を折り畳んででバッグに仕舞い込んでいました。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。 

ヒトの生き方の原理はヒトの生き方を支配している自然法則だ

2010-02-22 16:38:38 | 悟りの体験
 ヒトの生き方の原理はヒトの生き方を支配している自然法則だ 経験則でも偶然の法則でもましてやこれが無いのではなくて

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対


○ヒトの生き方の原理はヒトの生き方を支配している自然法則であることを明らかにする
 先の文で、ヒトの生き方の原理が存在している事を説明しました。
 これは、例えば、今カナダのバンクーバーで開かれている冬季オリンピック競技の中継をしているテレビを見たいと「思えば」そう思った通りにテレビを見ているし、緑茶でも紅茶でもコーラでも無くてコーヒーを飲みたいと「思えば」正にコーヒーを飲むということになる「ヒトの心の働き」を、「ヒトの生き方の原理」という「自然法則」の存在とその働きとして発見した、という意味になります。
 この文では、「ヒトの生き方の原理」は、「Ω神の化身かつ分身の存在として生れたヒト」の生き方を支配している「自然法則」であることに焦点を当てた話をします。

○自然法則を発見することの大事な目的
 ある現象に特定の自然法則が存在し働いていることを発見する。
 この意味は、その現象を造りだし、支配し、そのあり方や働き方を特定の状態に絶対的に普遍的にかつ不変・不動に永続的に秩序付けている特定の自然法則が宇宙大で普遍的に絶対的に存在している、という意味です。
 ある特定の現象とこれをもたらす特定の自然法則とは一対一の対応関係にあります。
 同一原因=原因と結果の間を常に客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的にかつ普遍的に絶対的につなぐ因果関係法則という属性を持つ同一の自然法則の存在とこの働き=同一結果の原理が存在しているからです。
 そこで、ある特定の現象を支配している自然法則を発見すれば、自然法則的な知識に基いて、その現象を人為的に制御して、特定の目的を実現することに使えるようになります。
 そこで、ヒトの生き方の原理を自然法則として発見すると、これに基いて、あなたや私のヒトとしての生き方や人生を、あなたや私の思うおりに実現することが出来ることになります。
 このことが、宇宙大で存在し働く自然法則が持つ属性によって、私たち全てに絶対的に普遍的に客観的に保障されているということになります。

○ニュートンによる「万有引力」の発見の例で確認
 リンゴの木から、リンゴの実が落ちた。
 一般的に言うと、「物が上から下に落ちる」という現象がある。
 これは、私たちも日常的に観察することができる現象です。
 そして、これを私たちは、「物は上から下に落ちる」ことを一つの経験則として理解し、経験則として例えば小川の流れに水車を設置してこの力で粉引きをするとか猪脅しに使う程度しかできません。
 しかし、リンゴの木からリンゴの実が落ちたのを見たニュートン(というのが歴史的な事実だったかどうかは問題ではありません)は、そこに宇宙大で途絶えることが無く普遍的に絶対的に不変かつ不動に働いている「万有引力という自然法則が存在して働いているからだ!」という自然科学的な発見をしました。
 ニュートンが万有引力を自然法則として発見したことにより、人類は、地球を回る軌道に人工衛星を打ち上げたり、地球の引力圏外にロケットを打ち上げたり、宇宙に存在する惑星や恒星の間に働いている引力の作用を理解し、この力を利用して宇宙探査衛星を「スイング・バイ」させたりすることが、科学技術で正確に精密にできるようになったわけです。

 なお、余談になりますが、万有引力が発生する原因、万有引力とこれにまつわる現象の起源については、ニュートンは説明しませんでした。これは、ニュートン後の物理学者も未だ明らかにしていないということができます。一般法則論では、しかし、既にしています。詳しい説明は別の文でします。

○ニュートンの凄いところはあらゆる所にそれを支配している自然法則を自覚的に意図的に発見しようとしたこと
 ニュートンは、多くの人たちにとって当たり前の「物が上から下に落ちる」という経験則的な現象を、そこに宇宙大で途絶えることが無く普遍的に絶対的に不変かつ不動に働いている「『万有引力』という自然法則が存在して働いているからだ!」という自然科学的な発見をすることができたのでした。
 もちろん、ニュートン以前にも、例えば、今から約四百年前にガリレオ・ガリレイは、例えば振り子の等時性という自然法則を発見していました。
 また、この頃には、既に、自然法則は因果必然の法則で、同一原因=同一の自然法則の働き=同一結果の原理があることが知られていたと聞いています。
 ニュートンが凄いのは、日常的に観察できる諸々の物質的な現象に働いている自然法則を多数発見するという天才ぶりを発揮したことです。
 この成果は、「ニュートン力学」の名で知られていることは、あなたもご存知の通りです。
 更にニュートンは、オカルトの世界にもこれを支配している自然法則があることを発見しようとしていたことが知られています。
 しかし、ニュートンは、心の存在を明確な知識にして居なかったようですね。

○ヒトの心の働き方の自然法則に関する発見をした人たちがいる
 ニュートンは、物質世界を支配する自然法則を発見しました。
 同様に、ヒトのという存在とヒトが持つ「心」という現象にも、ここに自然法則が存在しこれを支配し働いているという発見をした人たちが、人類史上には複数存在しています。
 心理学で知られている、例えば記憶の法則の発見は、この一例です。
 ヒトの心は、意識のある心と無意識/潜在意識の心が一体不可分で存在し、一体不可分で働く自然法則があるという発見も大事な発見です。
 心を支配している自然法則の発見の中で特に大事な発見は、ヒトの生き方の原理の存在の発見と、これをハウツー化した、潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法の発見です。
 ニュートンが発見した自然法則は、自然史=物質的な世界の誕生過程を支配している、物質に関する自然法則でした。
 釈迦やイエスや道元禅師や新思想/ニューソートの人たちが発見したのは、この世界の成り立ちと仕組みの唯一・絶対・普遍の創造主であるΩ神「自らの化身かつ分身の存在として生れているヒト」の持つヒトの生き方の原理に関する自然法則です。
 一般法則論で説明しているのは、このことに関する全人類の成果の総決算、いや、「一般法則論」による「仮」決算のようなものです。

○ヒトの生き方の原理は自然法則だから誰にでも使える便利な法則
 ヒトの生き方の原理は、自然法則の一つである。
 この意味することは、自然法則の持つ属性、即ち宇宙大で普遍的に全てのヒトに絶対的に等しく存在し、全てのヒトに絶対的に等しく働く属性のゆえに、ヒトと時と所と機会の違いを絶対的に超越して、ヒトの生き方の原理が誰にでも使える、ということです。
 ここが、自然法則の有り難い性質です。

○まとめ
 ヒトの生き方の原理は自然法則としての属性を持つ話をしました。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
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ヒトの生き方の原理とは何かを説明する

2010-02-15 07:54:47 | 一口解説/一口メモ
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01掲載
 この文は、紙に印字して良く読んで下さることを、お願い致します。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずして下さい。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読み下さい。
 この文は、紙に印字してよく読んで下さることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


○この文では「ヒトの生き方の原理」について簡単に説明します
 一般法則論の文中では、「ヒトの生き方の原理」があるということを繰り返し言っています。
 そこで、ここでは、「ヒトの生き方の原理」だけを説明します。
 つまり、「ヒトの生き方の原理」を見出しにする文を書いておく、ということです。

○最初に大事な話 誰が責任を負っているのか?
 「ヒトの生き方の原理」の存在が意味することは、全てのヒトは、自らの日常生活と人生の唯一・絶対・普遍の製造元であり、こうであらねばならない、ということです。
 話が人類レベルになっても同じです。
 言い換えると、全てのヒト/人類は、自らのあり方と生き方に自己責任を負っているのです。
 但し、ヒトとヒトの住む世界の創造主であるΩ神は、全てのヒトがこの課題を容易に果たせるように、この世界の仕組みを造っています。天然自然の存在の創造主である神=Ω神の存在を知る事もこの一部です。
 即ちーーー、
 何をして如何に生きるのかを決めるのは、Ω神の化身かつ分身の存在のヒト各人が持つ唯一・絶対・普遍かつ不変・不動の責任です。
 しかし、ヒトがそう決めたことをその通りに実現するのは、Ω神の理法の専売特許で、Ω神の唯一・絶対・普遍かつ不変・不動の全責任だということです。
 この点に関して、大事なことがあります。
 事を成すことにおいて、ヒトである自分に責任があり、人力を尽くして奮闘努力しなければならないと、ホンの一瞬間でも、ホンのわずかでも思うと、もうΩ神の理法は「そういうことならば、あなたに任せます。あなたのお気の済むようにして下さい」と言っているかの如くに働いてくれなくなるのです。→Ω神の理法の働きに関しても、ヒトがそう思いそう言った通りに働く「山彦の原理」が支配していることを忘れてはいけません。
 祈った事の実現は、全知全能のΩ神の理法に絶対的に任せ切る必要があるのです。
 これを知らないと、この世に生まれて生きる事は、苦労が多くてそれでもなお「人生は自分の思い通りにならない」と嘆く事になります。

○誰がヒトの生き方の原理を決めたのか Ω神だ!
 ヒトの生き方の原理は、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの唯一・絶対・普遍の創造主であるΩ神/天然自然の存在の創造主である神が直接定めたものです、
 ヒトの生き方の原理は、ヒトとヒトが住むこの世界の成り立ちと仕組みを創造したΩ神が決めたのであって、一般法則論者の私や誰かや、時の権力者が勝手に定めたものではありません。

○ヒトの生き方の原理の実際
 「ヒトの生き方の原理」とは、「ヒトは、他の誰でも無くて自らが考え思う事が、否応無しに自らの体験になり現実になるという、唯心論的な因果必然の自然法則の存在を知って、この法則に自覚的に意図的に則って生きること」です。

○誰でも日常的にしている事とこれを支える原理
 ヒトの生き方の原理というと、何か特別の物があるみたいに聞こえます。
 しかし、これはごく常識的なことです。
 日常生活でも、テレビを見たいと思ったらテレビをその通りに見ています。
 アメリカのニューヨークに行くと決めたら、北京やソウル行きの飛行機ではなくて、正しくニューヨーク行きの飛行機に乗ります。
 なお、「我思う。故に我あり」(デカルト)ではなくて、正しくは「我在りと思う。故に我在り」ですね。
 全てのヒトがこうすることが出来るのは、ヒトの身心に、この世界の成り立ちと仕組みを造っているΩ神の理法の働きが物質化して働いているからです。
 但し、ヒトの身心に物質化しているΩ神の理法は全知全能とは言えないのです。この大枠は、物質世界を絶対的に支配する光の速度に制約されるからです。
 しかし、本来非物質的な存在のΩ神の理法そのものは、全知全能の力を発揮できます。
 これを、ヒトの生き方の原理では頼りにして直接使うのです。

○テレビを見たいのにそのテレビを買うお金が無い場合にこそ役に立つヒトの生き方の原理
 問題は、テレビを見たいのにそのテレビを買うお金が無い! ことがあることです。
 この問題を解決するのが、ヒトの生き方の原理の存在とこの使い方を自覚的な知識にして、これを意識的に自覚的に使うことができるように成ることです。
 この方法は、テレビを買う為のお金を得るために銀行強盗をする式のヒトの知識と腕力や権力等のみを頼りにしこれを駆使してする人間的な手段・方法に頼るのでは無いことです。
 ヒトの生き方の原理が頼りにするのは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなる、宇宙大に広がって存在するこの世界の成り立ちと仕組みを造った全知全能のΩ神の理法です。

○ヒトの生き方の原理は因果必然の法則に自然に絶対的に則って働く
 ヒトが、たとえば、あなたや私が何かを考え思い願い夢や希望を抱く。
 すると、自動的かつ必然的に/自然に、Ω神がヒトを含めた天地万物の創造に使った全知全能の「唯心論的天地創造の原理」が働いて、あなたや私が何かを考え思い願い夢や希望を描いたことがその通りにあなたや私の体験になる。
 なお、「唯心論的天地創造の原理」=Ω神の因果必然の理法は、その一部がヒトの身心に物質化していますので、この限度で事を成す事が出来ます。例えば腕力を発揮する。
 こうなっています、私たちが生まれ住んでいるなこの世界の成り立ちと仕組みの中においては!
 唯心論的天地創造の原理は、創造主である神(とその天地創造の目的)、自然法則、エネルギーの三語で説明できる、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)から成るこの世界の成り立ちと仕組みの中においては、自然法則+エネルギー一体不可分の法則の働きのことです。
 自然法則+エネルギー一体不可分の法則は、原因と結果の間を客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に結び付けている因果必然の自然法則、即ち、ヒトが決めた法律やゲームのルールとは異なる、天然自然の世界の中に存在する法則です。
 自然法則の存在も、自然法則が因果必然の法則性を持っていることも、ヒトがこの世界の中に生まれて来る前から、この世界の中に絶対的に存在し、絶対的に決まっています。こう決まっている中に私たち全てが生まれているわけです。
 これにヒトが文句を言っても変える事は絶対にできません。
 即ち、あなたや私が何かを考え思うことは、因果必然の働き方をする自然法則の側から見ると、直ちに自らの因果必然の働きに則って実現すべき「原因設定」が自動的かつ必然的にされたことになります。
 この結果は、あなたや私が考え思った通りの事が、あなたや私の実際の現実の体験の形になります。

○ヒトの生き方の原理とこれを支える因果必然の自然法則をヒトは変える事は出来ないし無視して生きることも出来ない
 ヒトの生き方の原理とこれを支える因果必然の自然法則の存在とその働きは、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)にとって絶対的なものです。 
 しかし、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを知らないし、これを知ろうともしない人たちが実在しています。
 この人たちによればーーー

 ヒトが作った憲法秩序が、この世界を作り支配する唯一の絶対的かつ普遍的な秩序だ。
 特に、いわゆる平和憲法に勝る憲法は世界の何処にもない。
 憲法に定められた個人の基本的人権で保障されている「思想・信条・良心の自由」によって、憲法秩序の一部ではない、この世界の成り立ちと仕組みとこの創造主である神など、私は絶対に認めず受け入れない。
 これが、近代以降の科学の時代に生まれた者の絶対的な世界観だ!
 神の存在を信じる宗教などに頼らずに、自然科学とヒトである自らにのみを頼りにして生きるのが、成熟した大人の生き方の原理だ!

 本気でこう決め込み、思い込んでいる人たちがいます。
 この主張は、一般法則論の理解している、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中では、ヒトが存在し生きている世界は、世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)がその全てだ! という考え方に根拠があるということができます。
 それに、この方々は、基本的人権を持つという「ヒトの存在証明」をしていません。
 良心を持つというヒトの心の起源とその存在証明も、この方々はしていません。
 しかし、この種の見解/世界観は、私たち全てに先立って絶対的に存在する天然自然の存在のΩ神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みには何も根拠がありません。
 ヒトに出来るのは、この世界の成り立ちと仕組みがヒトの都合の良いように変わってくれることは絶対に無いので、この世界の成り立ちと仕組みにヒトの方から合わせるしかありません。
 この理をよく理解する必要があります。
 今、トヨタ自動車の技術者の安全性に関する判断基準に顧客を従わせようとして、顧客から大反発をうけて、トヨタが大ピンチに陥っています。
 しかし、ヒトとヒトが住むこの世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神は、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)を絶対的に一方的に従わせます。
 これが、嫌だ! 認めない! と言い張る人たちは、直ちに自分の思い通りの生き方が出来ないという形で既にこの世でΩ神の理法の働き/イエスの言う「聖霊」の絶対的な働きによって裁かれています。

○収穫する前に畑に種を蒔く必要がある 無い袖は振れない
 昔から使われている比喩を使うと、ヒトの生き方の原理は、次のように言うことができます。
 「ヒトの生き方の原理」は、「畑から収穫物を得るには、これに先立って、その畑に収穫したい作物の種を蒔いて育てる必要がある」ということです。
 言い換えると、ヒトの生き方の原理は、「蒔かぬ種は生えぬ」/「無い袖は振れない」という因果必然的な自然法則の下で存在し働く「原理」だ、ということです。
 思いや願いや夢や希望という、自分が育てたい果実の種を、「自然法則+エネルギー一体不可分の法則/唯心論的天地創造の原理というΩ神の理法/潜在意識/無意識」という名の畑に自ら蒔く。
 すると、この因果必然の結果として、自然に「自然法則+エネルギー一体不可分の法則/唯心論的天地創造の原理/潜在意識/無意識」という名の畑の中で発芽し成長し夢や希望の実現になり、これを収穫することができる、という訳です。
 ヒトの生き方の原理は、「畑への種まきと収穫」という比喩が使えるように、分かってみればごく常識的な原理です。
 今、テレビで見ることができる何かの広告で、「今の私の姿は過去に描いた『私自身の夢』が実現したもの」と言う意味の台詞付のものがあります。あなたはこのテレビ広告をご存知ですか?!
 この広告を作ったヒトは、ヒトの生き方の原理を自覚的な知識にしているに違いありません。

 以上の話をまとめると、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、この世界の中に生まれ出たならば、否応無しに、ヒトの生き方の原理を知り、これを自分の物にして、これに則って生きなければならないことになっているわけです。

○ヒトの生き方の原理のハウツー化
 Ω神の天地創造の意図を実現するのは、自然法則+エネルギー一体不可分の法則の働きです。
 例えば、身近にある様々な電気器具は、物質化したエネルギーを、自然法則が予め決めている「それをそれにする原理的仕組み」(例えばテレビの原理的仕組み、蛍光灯の原理的仕組み、電気冷蔵庫の原理的仕組み等)を必ず基にして作られるシステムの形にして作られています。
 これに例外はありません。
 そして、こうして作られた異なるシステムで一つ同じ電気エネルギーを制御して使うことで、それぞれのシステム独自の役割/機能を作り出します。例えば、テレビはテレビの、蛍光灯は蛍光灯の、冷蔵は冷蔵庫の働きをする物が出来るわけです。
 何の原理(的仕組み)についても言える事ですが、これを基にした具体的なシステム/構造物が造られて初めて、その原理は使い物になります。
 例えば、パソコンの原理(的仕組み)は、実際にパソコンの形に作られて売っている物にもなっていて初めてパソコンとして使えます。
 畑に種まきして確実に収穫物を得るには、種まき以上の色々の技術やハウツーが必要なものです。
 世の中には、その原理的仕組みは分かっているのに、それを基にした実際のシステムをどう造ったら良いかのか実際に試行錯誤を何年も繰り返ししても技術的に不明のことがあります。
 その原理を具体的なシステムにするアイデアさへ浮かばないことさへあります。
 水晶(クォーツ)式時計の原理がフランスで発見されてから、これを日本のセイコー社が腕時計の形にするまで50年掛かったそうです。
 幸いにして、ヒトの生き方の原理に関しては、既にこれを実際に使えるシステムが造られています。
 それは、潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法という形でハウツー化されています。
 これを説いた本は現在多数あります。あなたの知識と気質と今この時の必要に応じた本を、本屋さんで選ぶことができます。
 先に紹介したベイルズ氏の「Your Mind Can Heal You」(インターネットのアマゾン日本で買えます)もこの一冊です。

○キャサリン・ポンダー 花塚 恵訳 「宇宙の力」を使いこなす方法
 ここで、最近紹介した次の本があります。あなたは既に本屋さんで手にしてみましたか?

 キャサリン・ポンダー 花塚 恵訳 「宇宙の力」を使いこなす方法 サンマーク出版 2009年

 この本で言う「宇宙の力を使いこなす方法」は、一般法則論では、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの全体を丸ごと活用する生き方と表現しています。
 この本には、ヒトの生き方の原理の存在を自覚的な知識にしていないヒトには、嘘みたいな事例が幾つも紹介されていて、面食らうかも知れません。
 「そんな簡単な願い/祈りで事が実現するならば、世の中誰も苦労などしない!!!」
 ・・・という人も居るかも知れません。しかし、これはこの位単純明快な事実なのです。
 何事も、その存在目的と仕組みを知って自覚的に使って初めてそれが実際に使えます。
 ヒトの生き方の原理があり、これをハウツー化した物があることを知らなくては、これが使えないのは当たり前です。
 いや、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトに生まれている全てのヒトが、既にヒトの生き方の原理を生得的に持ち、その自覚が無いままで何かの為に使っているのです。しかし、それが意識化され自覚的な知識になっていないので、自覚的に意図的に制御して使うことが出来ないだけです。
 ヒトの生き方の原理を意識的に自覚的に制御して使えないということは、結局、自分の思い通りの人生を生きることが出来ないという意味に、因果必然的になります。

○ヒトの生き方の原理の二つの使い方
 ヒトの生き方の原理は、大別すると、一つは、何かを実現する為/獲得する為/作り、使う為に使う事です。
 この中には、悟りの体験をする事も含まれて居ます。
 筆者の悟りの体験も、この世界の成り立ちと仕組みをその根源で支えている原理を何が何でも見つけだしたい! という子供の頃から育てた強い願いによります。
 今一つは、身心の病気を治す目的で、ヒトの生き方の原理を使うことです。
 これは、自然治癒力/自然回復力/自発的治癒力(アンドルー・ワイルの造語)を自覚的に意図的に利用する方法です。

○故障はこれを設計し造った/作った製造元に送り返して修理してもらうのが良い
 例えば、使っているパソコンが壊れたら、自分で直そうとしないで、そのパソコンの設計者で製造元の所に送って修理・修繕してもらうのが一般的です。
 ヒトが何かの病気等になった場合でも、治す原理は同じです。
 Ω神が直接自ら造った天然自然の存在物には、自然治癒力/自然回復力/自発的治癒力という力が備わっていて、これが自動的かつ必然的に働く仕組みが天然自然の世界の中にあります。
 Ω神が造った全てのヒトの中にもこれがあります。
 この証拠は、例えば手足の擦り傷が自然に治る例。
 これをしかしちゃんと正しく利用するには、ヒトの製造元のΩ神の所に、病んでいるヒトの身心を送り返してΩ神に治してもらう必要があります。
 しかし、天然自然の存在の創造主であるΩ神など絶対に認めようとしない現在の医療の現場、特に無神論が強く広く支配している日本の医療現場では、代替医療の現場を含めて、医者も治療を受ける患者も共に、Ω神からみけば天地創造の結果生まれた物質的な身体だけを治療の対象にする間違いをしています。
 この点では、西洋医学でも東洋医学でも基本的に同じです。
 なお、既にここで紹介している、ベイルズ氏のYour Mind Can Heal Youでは、原因の世界であるΩ神の所に戻って、ここから結果の物質的な世界にある身心の病気の治療をします。
 一般法則論で説くのも、ベイルズ氏が採用しているのと原理は同じです。
 遡れば、これはイエス・キリストが使った原理です。

 代替医療に関する参考書は、次の本。読んで損はありません。
 上野圭一 著 代替医療 オルタナティブ・メディスンの可能性 角川oneテーマ文庫 2002年
 
○ヒトの生き方の原理自体が持つ意味
 ヒトの生き方の原理これ自体が持つ意味は、少なくとも二つありす。
 その第一は、ヒトの生き方の原理が確かに実在している、ということです。
 これを知らず、知っても使わず、更にはこれを否定して生きることは、その人にとっても社会や国家にとっても災いになります。
 第二に、ヒトは、自らの日々の生活とこの積み重ねの人生全体を、自らが責任を持ってその製造元になるように決められている、ということです。
 このことを知っていて、「受身の生き方をしない」ことを生活信条にしている方々もいます。
 社会/国家/人類レベルでは、世の為/ヒトの為/人類の霊性の向上を目指す生き方を自覚的に選ぶ人たちがいます。
 誰もが「自らの人生の製造元」という責任から一瞬間たりとも逃れることはできません。
 いや、仕事を他人に任せてすることなど社会的に日常的にありふれているといわれる方がいるかもしれません。
 しかし、この場合は、他人に任せた分は、自分の生きた人生そのものでは無いことは明らかです、仕事を任されたヒトにとっては、それはそのヒトの人生の一部になっても、です。
 苦労は色々とあるけれども、乳児から四~五歳位までの可愛い盛りの子供を他人に預けて、自分は外の仕事に出掛けたら、子供に教えられながら自分が親になる貴重な体験をする機会を自ら失います。

 以下は、余談

○因果必然の原理に関する別の言い方がある 基礎は「同一原因=同一結果の原理」/「異なる原因=異なる結果の原理」
 自らが考え思った通りのことが原因設定になり、この結果が、自らが考え思った通りの自らの体験になり、現実になるという「因果必然の原理」は、色々の言い方があります。
 これは、「同一原因=同一結果の原理」/「類似原因=類似結果の原理」/「異なる原因=異なる結果の原理」の下で働きます。
 山彦の原理、作用と反作用の原理、鏡に映るのはその前に居る自分の姿のとおりだという鏡の原理、自分はいかなる人間で、何が出来て何が出来ないと思っている通りに考え振る舞うことを仮令この自覚がなくても自動的かつ必然的に因果必然的に自ら決めている自らのセルフ・イメージの原理、言霊の法則など、別の言い方が色々あるのも、あなたは既にご存知の通りです。
 諺には、「二度あることは三度ある」(一つの考え/思いの習慣化/思い込み化/信念化)、ヒトを呪わば穴二つ(Ω神のただ一つの心に起源の持つ心を万人/天地万物で一つに共有して使っていますから、誰か他人について考え思い信じることは自動的かつ必然的に自らについて考え思い信じることを意味しています。そこで、他人を呪えば即自らについて呪ったことに自動的かつ必然的になります。しかも、その呪いの効果は自分自身の方に先に現われたりしがちです)など、ヒトの生き方の原理について述べたものが、探せば色々とあるはずです。

○ヒトの生き方の原理の存在を知らず自らの生き方を自覚的に意図的に制御して生きることを知らない人たち
 世の中には、Ω神が創造したこの世界の成り立ちと仕組みの中に、ヒトの生き方の原理=「ヒトが考え思うことがその通りに自らの体験/現実になる『唯心論的な因果必然の法則』に自覚的に意図的に則って生きること」を、未だ自らの自覚的な知識にしていない人達が、普通に居ます。
 この因果必然の結果は、自分の思い通りの人生が生きられないだけではなくて、生きること自体に困難をもたらすことになります。
 しかし、この原因を、自らがそう考えそう思った因果必然の結果とは理解せずに、この人たちの言う、諸悪の根源の資本主義や社会主義/共産主義社会ではないことや運や偶然や誰か他人の悪意のある妨害や政府が平和憲法の規定通りに政治を行わなわず可哀相な人たちの生活の面倒を看ることをしないことや、軍隊や核兵器や戦争があることや国家と言う存在がヒトの自由な生き方を妨げることなどに原因がある、という現実には何の役にも立たず、更に自らをこの世で生き辛くさせる思考を信念化している人たちがいます。
 このような考え方は、同時に、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの発見と理解を妨げ、ヒトの生き方の原理の存在の発見を妨げる働きをします。
 これに関して、「馬の耳に念仏」/「猫に小判」という諺があります。
 新約聖書から出た格言では、これを、「豚に真珠」と言います。
 「猫に小判」という場合は、猫は与えられた小判に見向きもしないという意味です。
 「豚に真珠」の場合は、豚は真珠を足で踏みつけ、向き直ってあなたに噛み付いてくるだろう(マタイによる福音書第七章六節)という意味になります。
 実際、ヒトの生き方の原理を説明する一般法則論には、豚に真珠式の反応がときどきあります。
 だからと言って、簡単に引き下がる訳にはいきません。
 これが、一般法則論者の役回りですから・・・。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

本日の[建国記念の日」に当り、一年前に「建国記念の日」を考察した文の再掲載

2010-02-11 14:25:51 | 余談
 本日の[建国記念の日」に当り、一年前に「建国記念の日」を考察した文の再掲載

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


○今日は「建国記念の日」
 本日2月11日は、「建国記念の日」です。
 そこで、建国記念の日について考察した、一年前の2009年2月12日掲載の次の文を、一部加筆して、ここに再掲載します。

 タイトル
  建国記念の日と国防について考える  なぜ「建国記念の日」の中に「の」の字があるのか?
 2月11日中に投稿のはずが、ブログへの接続が出来ずに、日付が変わってしまいました。 

 今日、2月11日は、「国民の祝日」になっている「建国記念の日」です。
 如何お過ごしでしたでしょうか・・・。
 今日は、「建国記念日」なので、建国記念日と国を守ること(国防)について考えます。

○日本という国の出自と「建国記念日」
 日本国は、殆ど自然発生的に生まれたものです。
 この点で、誰か特定の人が、何かの建国の理想や国家目標を掲げて、これに基づいて人工的に建国した、例えばアメリカや旧ソ連や現在の中国のような国とは、日本国は大いに異なります。
 現在の中国などこれらの国では、建国の日が明らかです。
 日本国は、殆ど自然発生的に生まれたものです。
 この場合、では、いつ日本国が生まれたのか、即ちその「建国日」を決めるには一工夫が必要です。
 そこで、日本国が自然発生した時を過去に最大限遡ると、日本国の「建国神話」に行き着くことになります。
 そして、建国神話から、これを2月の11日に決め、この日を「建国記念日」(名前がとっさに出てきませんでしたが、戦前は「紀元節」と呼んでいたのでした)にしたのですね。
 しかし、これは「戦前」の話。

○自然発生した国の建国記念日の決め方
 日本には、大昔に「建国神話」があった。
 そこで、これに基づいて、建国記念日を決めた。
 このような決め方は、特にいつの間にか自然に生まれた国に相応しいものでしょう。
 そもそも、日本の建国神話によれば、日本国は全世界を創造した神によって造られた、一般法則論的に言えば世界ⅠのΩ神を起源にしているというのですから、国の出自としてはこれ以上のものは望めないことになります。
 そして、創造主である神の直接の子孫である、万世一系の天皇と、これから出た国民で構成されている国家として、神による日本国の建国以来途切れることなくずっと続いているというのですから、こういう「神話」を持っているというのですから、これは凄いことです。
 この話には先があって、「天孫降臨」の形で誕生した天皇は、国民となった人々を征服して天皇になったのではなくて、国民は天皇から別れた、天皇自らの子孫であること、そして、天皇は国民を代表して、皆の祖先神である創造主である神に、自分たちが住むこの世が神の国に相応しい状態に保たれることを祈る役割を担う存在であることです。これをする天皇を、「祭祀王」と名付けるのだそうです。
 世界広しと言えども、このような出自の国家は日本国以外には存在しないようです。
 この意味で、天皇を戴く日本国は、「世界遺産」に登録されてしかるべきでしょう。
 今日は、このような日本国の「建国記念日」です。

○日本国の出自に関する一般法則論的意味
 上の表現で「凄い」と申し上げた根拠は、一般法則論の世界観にあります。
 一般法則論の世界観では、この世界の成り立ちと仕組みの全てがΩ神から出ていることになっています。
 これに照らすと、全世界を創造した神によって造られたという建国神話に基づいて決められた日本の戦前の「紀元節」は、「凄い!」ということです。

○「の」の字が入ったことの意味その1
 日本の戦前の国の建国記念日は、「紀元節」と呼ばれていました。
 戦後、戦前の体制を一切否定することになって、「紀元節」と呼ばれていた日も廃止されたのでした。
 そこで、最初は、日本の建国神話に基づいた昔の「紀元節」を、紀元節と同じ2月11日に復活させる筈でした。
 日本国が自然発生した時を過去に最大限遡ると、建国の神話に行き着くことになり、これを紀元節と同じ2月の11日に決め、「建国記念日」にするという訳です。
 しかし、「社会主義・共産主義体制の国家の誕生日でなければ日本国の建国の日とは絶対に認めない!」という左翼の人達の強硬な主張に押し切られて(政府・与党のなかにこの共鳴者が少なからず存在しているのです)、「の」の字が入ることになったのです。こう私は理解しています。

○日本国の正統的な「国の形」/「国体」は何か? 左翼の人達が問うたもの
 左翼の人達は、建国記念日を決めるに当たって、日本国の国の形=国体を問うたのです。
 そして、左翼の人達は、「唯物論に基礎を置いた社会主義・共産主義体制の国家だけが日本民族が住む国として唯一絶対的に正しい国の形/国体だ!」と主張したのです。
 この結果、左翼の人達の言う「国の形」の主張が、「の」の字の入った国民の祝日「建国記念の日」の形で正当化されたのです。
 同時に、「神話」など「非科学的存在」で、これに基づいて国の建国記念日を決めることなど有り得ない、という唯物論者の歴史家の意見が通ったことになりました。
 日本国国歌の「さざれ石が巌となる」という歌詞の部分は、非科学的なもので、故に非科学的な歌詞の国歌では、国歌として認めることができない、という主張も盛んにされました。
 しかし、科学的な内容の国歌を歌っている国が世界の何処かにあるのでしょうか?!
 左翼の人達が絶対的に支持する日本国憲法は、一般法則論的にみれば、嘘と出鱈目の非科学的思考と信念の塊です。

○「の」の字が入っていることの意味その2
 「建国記念日」という言葉の中に「の」の字が入ることで、現在の日本国は「唯物論に基礎を置いた正しい存在の社会主義・共産主義体制の国家」になる過程にある「仮」の姿/「偽りの姿」の「国家」にすぎない、ということなった訳です。
 こういう「性格」の建国記念日として、国民の祝日になった、ということです。

○なぜ左翼のいう「国の形」が正統なものにされてしまったのか?
 なぜ左翼の言う「国の形」が、「建国の記念日」の形でそのまま正統なものにされてしまったのでしょうか?
 この原因は、唯物論に基礎を置く社会主義・共産主義とは何かついて、本来絶対的に唯心論者である筈の宗教家までもが知らずに(注記1・注記2)、社会主義・共産主義社会の到来が、「地上に天国が実現する日」だ、と単純に思い込む、「一億総左翼化」的な空気の下での産物だ、と私は解釈しています。

○「の」の字が入ったことと国防との関係
 国の形/国体は、国を守る根拠、国防の必要性の根拠の考え方の基礎にもなります。
 国家の体制=国体の如何によって、国を防衛する必要があるかないかが決まる、と考える人達=左翼の人達が存在するのです。
 左翼の人達は言います。
 現状の日本国は、「正しい存在の社会主義・共産主義体制の国家」になる過程にある「仮」の姿/「偽りの姿」の「国家」にすぎない。
 だから、現在の日本国の存在を認め、日本国を守り、日本国=国民の国益を追求し守るのは間違いだし、これを許してはならない!
 これは、「偽りの存在の日本国」を象徴する現状の、天皇、国歌、国旗を全部否定し絶対に認めないことにも当て嵌まる。
 当然に、現在の守るに値しない偽りの存在の日本国を守るという「自衛隊」はいらない! 現に憲法九条は自衛のための戦力でも保持を禁止している! だから現在の自衛隊は違憲の存在だ。自衛隊が他国の軍隊と協力して共通の敵に共同して当たる「集団自衛権」は無いし(日本を正しく社会主義国/共産主義国にしてくれる「解放軍」は大歓迎だ。けれども、偽りの存在の今の日本国を守ってくれるという外国軍隊とりわけアメリカ軍は絶対拒否だ! 日米安全保障条約、通称「安保条約」はいらないから破棄せよ!)(注記5)、ましてや、自衛隊が国外で活動するなど絶対に認めない(追記2009年2月13日)。

 これらのことについて、話し合いの余地、妥協の余地は全くない!
 なぜならば、我々は絶対に正しいのだから!!!
 そして、我々の主張は、憲法が保障している思想及び良心の自由(19条)で保護されている。
 この様に言うのが、「戦後」の左翼が首尾一貫して採用してきた立場です(注記3)。
 戦後民主主義を絶対化していると言われる左翼の大江健三郎氏が、ノーベル文学賞をもらうことになったときに、文化勲章の授与を辞退されたのは、左翼のヒトの象徴的な行為だ、と私は受け止めたものです。

 インターネットで、自分は平和主義者だという人達、憲法9条を守れ! と主張している人達のブログやサイトでも、このことが強く主張されています。
 中学生か高校生と思われる子供までが、こういう主張をするのですから、彼らがどんな教育をされているのが推測できます。
 大阪では、中学校の卒業式で国歌の斉唱の際、一人の生徒以外は席に座ったままだった事件が、昨年ありましたね。この卒業式の前に、教師が自分は国歌を否定し認めない話をしていたとか。

○国の何をまず守るのか? この答えは私達が住む国土=領土!
 国歌や国旗や国体を云々する前に、我々国民が安全に住む「我が国土」が無くては話になりません。
 幾ら「我が愛する郷土/故郷」があっても、その「我が愛する郷土/故郷」を含んだ国全体が外国の領土になり、或いは外国の支配下にあったのでは、話になりません。
 旧ソ連の時代から不当に占拠されている「北方4島」のことを考えてください。
 自らの国土を持たない人達/民族が世界にいます。例えば、クルド族やバレスチナの人達。この人達が体験している悲劇を思うべきです。
 東チモール独立の経過やスリンカの「タルミイーラム解放の虎」の執拗なテロ事件は何の為に行われた/行われているのでしょうか? 
 これらは、自分たち民族独自の国家を持ちたいがためです。この問題を解決しない「国際和平調停」など、何の意味もありません。
 世界中の彷徨えるユダヤ人が戦後「イスラエル」いう国と自分たち独自の国土を持つことになって、この国土を守り維持する為になりふり構わぬ態度に出ているのを、あなたも御存知でしょう。
 国防は、今ある国土を維持・管理し、国外の国から我が国土を奪われることから守るのが第一です。
 我が国土を守る。
 我が国土は、私達日本国民全体の「生活基盤」だからです。
 これをいささかも疎かにしてはなりません。
 これに一切の条件や留保は要りません。

○「建国記念『の』日」から「の」の字が無くなる日
 「建国記念『の』日」から、「の」の字が取れて無くなるのは、いつの日か?
 この答えは、現在の日本国は「正しい存在の社会主義・共産主義体制の国家」になる過程にある「仮」の姿/「偽りの姿」の「国家」にすぎない、ということが、Ω神の存在するこの世界の成り立ちと仕組みには何の根拠も無いことが人類一般の常識になることです。
 それは、社会主義・共産主義体制の国家の実現という「妄想」が妄想と正しく理解される日です。

○一億総左翼化
 「一億総左翼化」と言いましたが、本当に、その考え方/その発想は、正に、唯物論に基礎を置く社会主義・共産主義的なものそのものだ、ということに気が付かないで物を言う人達に接する機会が多い、という私の体験的な実感に基づいています。
 社会主義・共産主義社会の実現の「実験国」の(旧)ソ連が失敗して崩壊した今現在でも、日本の左翼は、「社会主義・共産主義社会の実現はマルクスの妄想だったのだ」とは少しも理解してはいないようです。
 南米は、左翼政権一色になりつつあります。しかし、その崩壊は時間の問題。
 最近、社会主義革命の妄想を実行半ばで亡くなったチェ・ゲハラを礼讃する映画が作られて、世界的な話題になっている、と聞きます。
 日本でもこの映画を見て、「世の中、金が全て」の妄想で動いた俗に言う「グローバル資本主義」の失敗の結果の100年に一度の世界経済危機が訪れていると言われている今、チェ・ゲバラのような人物が再び現れることを期待するという女性作家の文を、つい先日新聞で読んだばかりです。
 以上のことをまとめると、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みについて、それだけ多くの人達が無知であることの証拠だ、ということになります。

○「物言えば唇寒し秋の風」
 「一般法則論」のような形で「哲学」していると、色々と感じるものがあります。
 これを、諺を借りて一言で言えば、「物言えば唇寒し秋の風」になります。
 一言で言えば、「何も考えるな!」あるいは「それが本当だろうと嘘だろうと、今現在自分たちが享受している利権を脅かし否定するような世界観を一切説くな!」です。
 誰がこれを言っているのかについて、具体的に申し上げる必要はありません。
 一般法則論者は、現状の何がΩ神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みから外れているのかを確認するだけです。
 これは「ワークデザイン」という「理想システム設計の方法」であるし、「バック・キャスティング」という手法でも行われていることです。
 そして、正しくない現状とは一切闘わず、速やかに現状から絶対的に超越して、本来ヒトがあるべきΩ神の世界に入って、これがこの通りに地上でも行われるようになれ!、という考え方をするからです。

○夕方7時のNHニュース
 今日の夕方の七時のニュースで、例年通り、紀元節の復活を目的の集会と、建国記念の日に反対し、平和憲法を守れ! という活動をしている左翼グループに関する報道がありました。
 しかし、それが何と言う名の憲法であれ、世界Ⅵでヒトによって作られたものであり、それがヒトの生き方の原理として働くことも、その根拠にも絶対に成り得ません。
 憲法が保障しているという「ヒトがヒトとして生きる権利」を実現するには、結局暴力に訴えることになります。
 建国記念の日に反対と言うヒト達の一番の問題点は、一般法則論が説明し図解化している世界観に向かって心が永遠に閉じられていることです。
 しかし、国の建国神話に基づく建国記念日を持とう、という考え方は、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みに心が開かれています。
 この点が異なります。

 「建国記念の日」に当たり、一言述べました。

○注記1
 この世界の成り立ちと仕組みに関して、宗教関係者の哲学的な思考力の貧困と無知と不勉強はもうどうしようもない!
 宗教は、本来、ヒトが観念的にでっち上げて作ったのでは無い、天然自然の存在のΩ神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中で、全ての人が、Ω神の化身かつ分身の存在として健康で豊かで幸せに生きることが出来る、「ヒトの生き方の原理」があり、この実際を教える筈のものです。
 この中には、ヒトがこう生きることが自然に出来るように、国家・社会の体制も造られるべきだ、という意味も含みます。
 注記1の終わり

○注記2
 現に、「仏教社会主義」(創価学会)や「仏教共産主義」(教団として明言しているのではありませんが、何かと言うと日本共産党と共闘する僧侶が目につくのが浄土真宗)の実現を目指す、宗教宗派や信者団体が存在しています。
 イスラーム社会主義を実践しているカダフィ少佐のリビアという国もあります。
 注記2の終わり

○注記3
 私がまだ中学生の頃ですから、もう50年以上も前の話です。
 今は当時の面影もありませんが、山の手線の「恵比寿」駅傍の通称「アメリカ橋」の袂にあった黄土色に塗られたコンクリートの壁に、電車に乗っていて読むことか出来る大きな白い文字で「守るに値する国家の建設即ち革命!」というスローガンが書いてありました。
 私が大学生になる頃まで、このスローガンは残っていたように記憶します。
 このスローガンを、私は通学する電車の中から殆ど毎日見ていたことになります。
 そして、このスローガンが意味することを、そのスローガンの真偽を殆ど毎日吟味することになった、ということです。
 この結果が、この一般法則論に関する文ということになります。
 注記3の終わり

○注記4 社民党党首の福島発言
 ソマリヤ沖の海賊対策で、自衛隊が出掛けることになった件について、福島党首は、自衛隊の隊員たちの「命が大切だから、反対だ!」と民主党の党大会に招かれて演説しましたね。
 これが正しいのならば、警察官や消防署所員になることも、落ちたら怪我をしたり死んだりすることがある高いところに登ることがある鳶職や植木屋さんにもなってはならない、ということになります。
 あなたや私だって、外出すれば交通事故等に遭遇することがあるから、絶対外出しては行けなくなりそうです。
 そもそも、この世に生まれてくること自体が、生老病死の苦痛の原因なのだら、この世に生まれて来てはいけなかった、ということになる筈です。
 もちろん、福島党首の発言の意図は、自衛隊が国外にでることに一切反対! ということでしょう。それならそれで、弁護士さんなのだから、もう少し筋の通った話をすべきでしょう。
 注記4の終わり

○注記5 神谷不二慶応大学教授の話
 日本で安保改正に反対の左翼の運動が激化していたときに、アメリカの大学におられた神谷教授は、それを、アメリカの政府関係者が「日本の民族主義者が騒いでいる」と理解していた、という話をされたのを聞いたことがあります。教授がテレビの番組でそういわれたのを聞いたと記憶します。
 これを知って、アメリカは、ずいぶん的外れな理解をしていると思ったものでした。
 翻って、日本で聞く外国に関する報道でも、このような見当外れのことが行われているに違いない、との報道に注意して接するようになったものです。
 注記5の終わり(2009年2月17日)
 
 神谷不二氏が2月20日にお亡くなりになったという新聞の記事を見ました。
 先生!
 お疲れさまでした。
 ご冥福を祈ります。
   一般法則論者

○一年前は自民党政権でしたが・・・
 今は、民主党と国民新党と社民党の連立政権です。
 これは、一年前の文で指摘した一億総左翼化が論理必然的にもたらしたもの、と一般法則論者の視点では理解できます。
 しかし、如何なる主義・主張も、私たちヒト/全人類(宇宙大では宇宙人一般)の全てに先立って存在し、この世界に存在目的と存在理由を与え、これを具体化する「ヒトの生き方の原理」=「唯心論的な因果必然の法則に則って生きること」を定めたΩ神の天地創造の意図に取って代わることは、絶対に出来ません。
 現在の左翼連立政権の論理必然的な失敗によって、国民が左翼幻想から目が覚めることを期待したい。

 
 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

万人がΩ神の心を唯一の起源にし皆で共有している事実を示唆する話 附 心の盲点をつく話

2010-02-05 16:46:50 | 心/精神
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


○ただ一つのΩ神の心を全てのヒトが共有して使っている話の実例
 1月31日の午前二時過ぎ、東京都八王子市のあるお好み焼き店で、店長が営業を終えて後片付けをしているときに、裏口のドアをノックする人がいたのでドアを開けると、包丁を持った男が押し入って来て、店にあった3日分の売上金を強奪して逃げた、という事件が、あったと報道されています。この事件は、新聞に載る前にラジオの未明のニュースで知りました。
 この事件を聞いて、昨年夏にあった不思議な話を思い出しました。
 それは、全てのヒトが、Ω神の持つただ一つの心を起源として持ち、Ω神のそのただ一つの心を皆で共有して使っていることを示唆する実際の話です。

○知り合いのヒトからこのお正月に聞いた話
 今年のお正月、知り合いの男性から、住んでいるアパートで起こった不思議な事件のことを聞きました。
 出来事があったのは、去年の八月の終わり頃のことだそうです。
 時刻は、午前零時半過ぎらしいとのことです。
 彼は、そのとき寝ていて、夢を見ていたのだそうです。
 その夢の中で、誰を相手に話をしているのか分からないのだけれども、彼はその相手に対して、「声を挙げなさい!!!」と何度も励まし、そして、夢の中の相手が声を挙げると、「出来た! 出来た! 良かった!」と褒めたのだそうてす。
 この後、しばらくうとうとしている状態の中で、部屋の外で何かが起こっている!!! と気がついて、飛び起きてアパートの廊下に出だそうです。
 すると、隣りの部屋に住む二十代の娘さんの所で、事件が起こっていたことを知ったのだそうです。これは、午前零時四十分頃のことだったそうです。
 その娘さんの部屋の入り口のドアを軽くノックし続ける音がしたので、そのアパートの直ぐ近くに住む娘さんのご両親が訪ねてきた、と思ってドアの鍵を外して開けると、そこには見知らぬ男が立っていて、部屋の中に入ろうとしたのだそうです。
 娘さんは驚いて、ドアを急いで閉めようとすると、男がドアの取っ手を掴んで強引に開こうとしたものだから、もう恐怖でしばらく声も出なかったそうです。
 しかし、娘さんはやっと悲鳴を上げることが出来て、男は逃げ去ったそうです。
 この後、警察の鑑識係りの人も来た、という話です。

○意味のある偶然の一致の例
 私の知人と隣の娘さんの間では、普段のお付き合いは無いそうです。
 しかし、お隣り同士ということで、行き擦りの人同士以上の心の繋がり、それも無意識/深層意識での繋がりが自然に出来ていたのでしょう。この筈です。
 そこで、その娘さんの方は、無意識の内に隣りに住む私の知人に助けを求め、これにそのとき眠っていた私の知人は無意識/深層意識の中で応えたのが、知人の夢になったと推測できます。
 これは、一般的に言うと、「意味のある偶然の一致」の例と言うことができます。

○緊急時の救助の要請は無意識/深層意識の中でも行われる
 緊急事態に陥ったヒトが、意識のある心を使って助けを求めるだけでなくて、無意識の内でも遠くに離れ住んでいる親兄弟など親しい人や隣り近所の人たちなど周りの人たちに助けを求める。
 ここでの私の知人の例は、正にこれに当て嵌まります。
 しかも、この種のことは結構よく聞きます。 
 このようなことが起こり得るのは、一般法則論の理解では、全てのヒトの心がこの世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神の心に唯一・絶対・普遍の起源を持ち、Ω神の心を万人で一つに共有して使っている事実に根拠がある、ということができます。
 それに、人同士は、緊急事態の中では無条件・無留保で、自然にお互いに助け合うように、Ω神によって予めプログラムされていることも手伝っているのでしょう。
 なお、地震や台風などの自然災害時や何かの事故・事件の際に、火事場泥棒的な行為をする者は、非ヒトですから厳罰に値します。

○まとめ
 全てのヒトの心が、私たちが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神の心に唯一・絶対・普遍の起源を持ち、Ω神の心を万人で一つに共有して使っている事実がある。
 これを示す一つの実例をお話しました。
 ご納得頂けたでしょうか・・・・・。

○余談 ドアをノックされると思わず開けてしまう行為  心の盲点を巧みにつく話
 トイレ中にそのドアをノックされても戸を開けてしまうヒトはまずいません。
 いや、実はそのときにドアを思わず開けてしまったヒトの話を幾つか聞いています。
 ドアをノックする音を聞いたら、その相手や安全性を確かめる前に、思わずドアを開けてしまう。
 特に、時刻を問わずに自分の所を訪ねてくるのは限られた特定の親しい信頼できるヒトたちに決まっていると思い込んでいて、ドアをノックする音がしたらとにかくドアを開けてしまう。
 こちらが姿を見せたのに、更に烈しくドアを叩かれると、「何か緊急の事態が発生したのか」と思ってドアを開けたら、単なるセールスの訪問だったという体験を、私は何度かしています。私はこの瞬間、「緊急事態には直ちに対応しなければならない」という自分の心の習慣に自ら騙されたのです。しかし、この先はだまされませんでした。
 これで失敗したのが、私の知人の隣に住んでいる娘さんの例です。
 同様に、この文の最初に掲げた強盗の被害に遭ったお好み焼き店の店長さんです。
 このような、思わず習慣的に条件反射的に行動してしまう例が、誰にでもあります。
 行動の習慣は、この元になった心の習慣です。
 心の習慣は、思い込みなど「決まった特定の思考の枠組み」とか「マインド・セット」と呼ばれます。
 これは、普通、最初は「意識のある心」の働きで自覚的に考え思ったことや親・兄弟姉妹や親しい友人などから「あなたはこれこれの人!」と断定的に言われ続けたことが、習慣的な思考の型になり或いはセルフ・イメージになり、その真偽や適否の自覚的で意図的な検証も無いまま、もはや修正や否定を受け入れない自分の自己像/セルフ・イメージなり、絶対的な信念になり、やがて無意識化/深層意識化されて、その内ご本人にも自らの思い込みがしばしば自覚されなくなっているものです。
 詐欺的な商法では、多くのヒトが一般的に持つ思い込みを巧みに利用して行われます。「ヒトの心の盲点をつく」わけです。私の姿が見えたのに、更に烈しくドアを叩いて、私にドアの鍵を開けさせたのは、悪意のあるセールスマンの作戦だったわけです。
 1980年代の初期、アメリカで大学生によるデート・レイプが深刻な問題になっているという話を、日本でも放送されるようになったばかりのCNNニュースで知りました。
 レイプは、知らない面識さへ無い相手ではなくて、身心共に日頃無防備で無警戒で接している身近のごく親しい「まさか!!!」の相手やこの関係者からされるのが圧倒的に多いことは犯罪の被害者学の常識です。しかし、これは犯罪被害者学の常識で、世間一般の常識では無い、というべきでしょう。→子供への性犯罪 教員の摘発増加 2年で88人、目立つ悪質ケース 2010年2月5日(金)毎日新聞
 そこで、「ヒトの心の盲点」を自覚的な知識にして、誰もが持つ思い込みなどを利用して自覚的に意図的に他人を操作する心の技術があります。
 これを、「人生は催眠術の掛け合い」と表現したヒトがいます。
 これをもっと本格的に技術化しているのが、「深層心理学」/「現代催眠術」/「神経言語プログラミング」(NLP)の名で知られているものです。
 いわゆる催眠商法や振り込め詐欺では、最初は「潜在意識の活用法」から始まって、NLPの技術が生まれてからは直ぐにこれを積極的に学んで使っているようです。しかし、催眠商法等の鴨にされる方は、潜在意識の活用法もNLPも知らず、その概要でも学ぶ必要を知らず、そのような心理的な技術は「疑似科学」だとさへ言ってただ否定するだけだったりします。
 もちろん、潜在意識の活用法や神経言語プログラミングの技術が開発され知られるようになる前にも、優れた人間観察力と洞察力と行動力を持つ人たちによる人心操縦術は行われてきました。
 例えば、世間に広く伝えられている、田中元総理の例。
 「狙った女は必ず物にしてきた」というある人の話。なお、この人の話を私が聞いたのはもう四十年以上前のことです(ご本人を含め、その隣りの席に「物にされた女性の一人」が座っていた会合の出席者はその殆どの方々が既に鬼籍に入られている筈です)。
 この人の話は「物にした女性」と公の席で隣同士で自然に同席していたことから推測できる、腕力等に訴えたのではないし、スキャンダルにもヒトの噂話にもならない「物に仕方」の巧みな技術を含めて(注記1)、誇張の無い本当のことに違いない、と分かるまで私は神経言語ぷプログラミングなど多くのことを学び知る必要があって、三十年以上掛りました。
 ご参考まで。

○注記1 「魔がさす」ということ
 物にされた女性が、行為が終わって我に返った瞬間にトンでも無いことをしてしまったと気付いた例もあったでしょう。
 そして、「魔がさしたのだ」と自分を納得させようとしたかも知れません。
 しかし、真相は、物にした方は、その日の遥か前から罠を仕掛けて獲物が罠に落ちるのをずっと待っていたのです。
 世の中には、こういうことでも自覚的に意図的に計画してやる人たちがいるのです。実用性そのものの計画術ですから、換骨奪胎式に私には参考になったりしますが・・・。
 一般的に言って、「魔がさす」と言うとき、その瞬間に魔がさしたのではなくて、これに先立って、その日、そのときに、起こるべくして起こるような思考習慣や生活習慣が、そのヒトには普段からあったことの因果必然的な結果です。
 詐欺的な投資話に引っかかる人たちは、自分自身で投資に必要な勉強をして時には投資に失敗するなどの高い授業料を支払って身に着けた自分の確かな投資技術によらないで、他人に頼り切って儲けようという安易な気持ちに付け込まれたのでしょう。
 「上手の手から水が漏れる」と諺にいいます。「『昔取った杵柄』でしょう」などとお立てられくすぐられて、もう足を洗ったはずの世界にもどって、怪しげなことをさせられる、という話もよく聞きます。しかも、ご本人にはその怪しげさに関しての自覚がなくて嬉々としていたりします。 
 欠陥商品による事故が起こったときに、その当事者の企業が速やかな対応をすることが出来ずに、対策が後手後手になる例があります。
 これは、普段から「わが社の製品の品質は世界一で不完全な製品や欠陥商品はあり得ない」という思い込み+この世界の中には因果必然の自然法則の支配が一切及ばない偶然ということがあり(もちろん、この世界は、そのすみずみまで、因果必然の自然法則のみが絶対的に支配している世界です)、わが社の製品について報告された事例は、その偶然によるものである式の考え方が、その企業を支配していることにある、と推測できます。
 なお、思いもしなかった事故や事件や他人による悪意のある密かな侵害の試みの犠牲にならないための常日頃の祈り=これらを防ぐ思考の枠組みを造ることについては、別文。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。