いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

新親王さまのお名前

2006-09-12 17:06:27 | 皇室
 秋篠宮文仁殿下と紀子妃殿下の間に、9月6日に誕生した親王様のお名前は、お七夜に当たる今日9月12日、悠仁(ひさひと)親王殿下 と命名されました。

 このニュースを、今日12日の午後3時半すぎに、大相撲9月場所の中継を中断して始まった特別番組の中で知りました。

 とにかく、めでたい。

 未だ名前のないものに、自分で名前をつける。
 その名前も、個人的、私的にのみ通用する名前ではなくて、社会的に、公に通用する名前を、自分が付ける。

・我が子の名前。
・名付け親になって、他人の子供に名前を付ける。
・芸名。
・動植物の学名。
・商品名。
・学術用語として、新しい方法(論)や概念に付ける名前。
・その他

 名づけ親になる心理は、何か特別です。



9月11日の同時多発テロ後5年目を迎えて

2006-09-12 02:08:51 | 一般法則論
 9月11日。
 アメリカで起こった同時多発テロから5年目。
 今日は、アメリカで事件発生の時刻に合わせて始まった追悼式典のニュースやこれ関連の特別番組が色々。

 5年前、この事件を知ったのは、(日本時間の)12日午前1時50分頃でした。
 寝ていたのですが、目が覚めて、いつもの習慣で枕元のNHK第一にダイアルを固定してあるラジオの電源スイッチを入れると、やっている筈の「ラジオ深夜便」ではないので、何か事件だ! と直観して、寝室から直ちに居間に飛んでいって、テレビの電源スイッチを入れました。
 テレビ画面は、大きなビルが爆発して崩壊しつつある画面でした。
 何が起こっているのか最初は分かりませんでしたが、やがて事情が飲み込めました。
 と同時に、強い怒りを覚えたものです。

 この事件の根本にあることは、しかし、極めて単純です。
 これは、2つのことに要約できます。
 この二つは、結局、一つ同じことの別の言い方です。

 第一には、イスラム教が持っている世界観、正確にはイスラムの聖職者がイスラムの聖典から理解した世界観が、この世界の中でうまく生きるのには相応しく無いように出来ている、ということでしょう。

 この点について、マレーシアのマハティール(元)首相が、イスラムの聖職者の世界観が宗教世界の中だけに偏りすぎていることがイスラム的な停滞を招いている、という趣旨の発言をされています(朝日新聞2005年11月26日)。
 このことは、多かれ少なかれ、全ての宗教に当て嵌るということが出来ます。

 これを、追悼式典で演説したブッシュ米大統領は、イデオロギーの問題と表現していました。

 適切では無い世界観を持っている結果は、論理必然的に、イスラムの信仰に熱心になればなるほど益々生きるのが難しくなる、具体的には西洋諸国に遅れをとることになる、ということです。
 これは、悲劇です。

 第二には、この世界の中で生きる為の大前提になりその基礎になる、この世界の成り立ちと仕組みに関する科学的に根拠のある正しい知識の得方と理解の仕方が不適切なことの因果必然的な結果として、本来ならば誰にでも当然に自然に出来る筈の主体的に自助自立した生き方が出来ず、何をやってもうまく行かないことについて、これを自分の無知と不勉強が原因であることに気が付かずに、他人の所為、特にアメリカ帝国主義の所為にしてしまう、という間違いを、同時多発テロやこの後もテロを繰り返している人達がし続けていることです。

 ついでに言えば、この世界の中で生きる為の大前提になりその基礎になる、この世界の成り立ちと仕組みに関する科学的に根拠のある正しい知識の得方と理解の仕方が不適切なことの結果、国家の運営もままならない所は、しかし、イスラム世界以外にも世界のあちこちにあります。
 これらの所では、イスラムの過激派が主張する聖戦に代わって、マルクス主義や毛沢東主義に民族主義/先住民族の権利回復運動が加わって、これ基づくテロが行われています。
 もちろん、民族主義やマルクス主義や毛沢東主義を持ち出しても、問題の解決には全く役立ちません。

 以上説明した通り、この世界の中で生きる為の大前提になりその基礎になる、この世界の成り立ちと仕組みに関する科学的に根拠のある正しい知識の得方と理解の仕方を、人類的な常識にすることが、根本的な問題解決になる、と考えます。

 この為の、このブログで説明中の「一般法則論」です。
 「人の所為にするな!」の哲学の一般法則論です。

 それにしても、差し当たりは、テロを封じ込める為に軍事力の行使を含めた対応策が必要不可欠だ、と筆者は理解しています。
 一般法則論的な考え方が、人類の常識になるのには、今しばらく時が必要のようですから・・・。

 全く驚いてしまうのは、同時多発テロもその後のテロの頻発も、また、世界の大部分が未だに貧しいのも、アメリカ帝国主義やアメリカ一国主義やアメリカの力の政策の所為だ、と主張するテレビキャスターやジャーナリストや学者・評論家、また欧州の政治家がいることです。

 日本では、自分の生き方の失敗を、「他人の所為にするな!」という躾教育が行われてきました。
 筆者も、子供の頃に、こう言って何度も叱られたものです。
 また、友人その他の人達がこう言って叱られる場面に何度も立ち会ったものです。
 しかし、今は、自分の生き方の失敗を他人の所為にする考え方が蔓延するようになりました。
 マルクス主義や社会主義、また同和対策事業も女権拡張運動も各種の人権擁護の主張等も、自分の不幸を第一に他人の所為/社会の所為にする発想です。

 しかし、主体的に自助自立して生きるのに、社会がどうあろうと、アメリカがどうあろうと、本来一切関係ないことです。
 誰でも、何処の国でも、どの民族でも、どんな思想・信条を持ち、どんな宗教を信仰していようとも、自助自立して主体的に生きたかったら、科学的に根拠のある正しい世界観と人間観に則って行動すれば済むように出来ている世界に生きているのですから・・・。

 もう何年にも渡って、国際的に多額の経済援助や技術援助、NPOの支援等を幾ら受けても、自助自立することが出来ない国々が存在しています。
 これは、援助を受け取る側の国々や民族の持つ世界観と人間観と労働観等が根本的に間違っている、と推測するべきです。
 これを糺さなくては、問題の解決はありません。

 明治維新当時の日本は、外国から借りた金はその後、「債務免除」を求めることなく、まして借り倒すこともなく、利息を付けて全額をちゃんと返しましたし、必要な知識と技術を西洋先進国から得る為に、外国人に高額の給料を支払って多数雇いました。

 大東亞戦争に負けて、国のインフラまで破壊された日本が、短い期間の間に「戦後復興」を果たした時にも、アメリカの所為にせず、アメリカを恨むこともせず(アメリカ兵に向かってのテロ的な行為は一件も無かったと聞きます)、同じ様なことをしました。

 今、明治維新当時の日本よりももっと恵まれた環境にあるのに、後進国と言われる国々が、日本のように出来ない訳です。
 どうして、日本にできて、他の国、例えばアフガニスタンやイラクには、それが出来ないのか?
 その答えは、ここに既に述べました。
 どうしたら良いのかも、もう明らかです。



新しい親王さまのご誕生を祝います

2006-09-07 02:02:15 | 天孫降臨説
(9月7日になってしまいましたが・・・・)
 今日、平成18年(2006年)9月06日は、とても嬉しいニュースが朝からありました。
 それは、秋篠宮殿下・妃殿下の間に、親王殿下が誕生したニュースです。
 御皇室にとっては、41年ぶりの男子ご誕生。
 日本国民にとっては待望の、いま一人新しい皇位継承者の誕生を告げる、とても嬉しいニュースです。

 親王殿下のお健やかな御成長を祈り、この喜びを皆さんと共に共有したい、と思います。

 ところで、一般法則論では、全ての人間存在は、唯一絶対普遍かつ至高の創造主である神が自らの身心(自然科学で言うエネルギーと同じ意味)を、天地創造の原理(同じく自然法則)に則って、直接自己展開して創造した、創造主である神の化身/分身そのものの存在です。

 これを、神話的に言えば、神の降臨によって人類が誕生したことを意味します。
 実際にこうである、と私の悟りの体験の時に知り、これを、今、一般法則論の形で説明しているところです。

 念の為に確認しておきます。
 ここで言う「創造主である神」の存在は、唯物論者が主張する、人間がでっち上げたものではありません。
 そうでは無くて、人間存在の遙か前に遡り、人間存在を含めた天地万物の存在に絶対的に先立って、それ自体で在るようにして絶対的に存在していた創造主である神(この存在は「絶対的無意識の存在」という心的/精神そのものの存在だ、と一般法則論では説明します)が、ここでいう創造主である神です。
 また、ここでいう創造主である神は、如何なる意味でも、何か特定の宗教宗派の教典等にその存在が(その存在証明が未だに一切されないままに)啓示されている神のことでも全くありません。

 ここで言う「創造主である神」は、筆者が悟りの体験の中で発見し、これに基づいて、自然科学で言う自然法則+エネルギー一体不可分の働きを完全なものにする存在として、「創造主である神」と一般に呼ばれている存在が必要不可欠だという形で、自然科学的にその存在証明をした意味の、創造主である神のことです。

 一般法則論の発見では、全ての人が、この世界の天地万物の創造主である神の化身/分身の存在です。
 これを、神話的に言えば、神の降臨によって人類が誕生したことを意味します。

 日本の皇室は、神話によれば、神の降臨(天孫降臨)によって誕生したものです。
 そして、皇室の誕生物語である日本神話では、日本国民は全て、天孫降臨によって誕生した皇室の子孫、という関係にあることになっています。
 そこで、日本国民の全ての人が、家系図を昔に遡ると、全て皇室に行き着きます。

 即ち、一般法則論で説明している人類の誕生の秘密が、皇室を戴く日本で具体的な形をもって現実に存在している訳です。

 こうだと、一般法則論の説明をしている中で気が付きました。
 言い換えると、一般法則論と、天孫降臨で誕生した皇室を戴く日本と日本民族の存在とは親和性がとても良いことになります。

 そこで、今改めて、皇室を戴く日本の世界史的な役割を、一般法則論的に考察中です。
 皇室の存在意義の解明は、この考察の一部になります。
 この考察は、間違いなく、弥生文化が日本列島にもたらされる遙か前に、日本列島に住む日本民族の宗教観(神観念)、自然観/世界観、生死観、労働観等の元型を形造ったと推測できる、日本列島の中でほぼ自己完結的に1万3千年以上続いた縄文時代まで遡ることになりそうです。

 日本の皇室の起源は神々の神話の世界に直結していて、それが現在の皇統にその儘直接連綿と続いていることになっています。

 上智大学名誉教授の渡部昇一先生によると、日本の皇室は、もうとっくの昔に「昔の神話伝説」になってしまったギリシア神話の神々の世界が、その儘現在のギリシアに存在しているようなものだ、と説明すると、ギリシア文明の継承者のつもりの西洋人は、すぐに日本の皇室は、世界にその類例が一切無いことをよく理解するそうです。

 この説明を知って、皇室の存在の位置づけ方にはこのような方法もある、と初めて知りました。