いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

一般法則論の真偽や実用性等を検証して頂くこと カメさんのコメントに関して一言

2011-02-23 01:19:44 | 一般法則論
 一般法則論の真偽や実用性等を検証して頂くこと カメさんのコメントに関して一言

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対


○この文の目的
 カメさんのブログに私が一般法則論のブログを読んで下さいと書き込みしたので、カメさんのブログの中と、ここにコメントを頂きました。
 この意味は、皆さんに一般法則論の真偽と実用性等について検証して頂く必要性がある、ということです。

○カメさんのコメント
 まずは、カメさんのコメントについて確認します。
 
 カメさんのご自身のブログでのコメント。
(一般法則論者さん)、有難うございます。
 仰せの事について理解は出来ますが、神の世界は人間の世界では無いので、人間の世界では人間の話をすれば道理は適うと私は思って、ブログで神の話を書いています。
 貴方は私のブログを読んでコメントして頂いたでしょうか。私がどんな事を書いているかを知ってコメントして頂いたでしょうか。
 これが人間の世界のコメントです。
 人間の世界には神はいません。
 2011/2/20(日) 午前 7:21 [ カメさん ]                     

 一般法則論のこのブログへのカメさんのコメント
 読ませて頂きましたが、先ず第一印象としては特別珍しい話ではないと思いました。15:52 2011/02/20
 私も創造主としての神を信じていますが、これまでにいろいろ思いを書いて来ましたが、結論としては無駄な努力でした。
 人間は神ではないので、自分が神になって人間の世界の道理を悟り、それを発信する事なんだと最近は思っています。
 神である事は間違いない事実ですが、それは個々の人の思いであり、人間は誰も神や仏、そして自分と言うモノを肉眼で見た事も無いでしょう。
 人間に観える世界で生まれて生きて死んで行く道理を話す事せば、人間の頭で理解できると思います。
 神は神思う心の中に生まれてくるモノであり、思わない人に神を説いても、その人も神に生かされている人ですから、神の話を説いて対立するのであればその行為を止めるべきです。
 私も貴方と同じような押し付けのコメントを書いて他者のブログで迷惑がられました。

○私達が生まれ住んでいるこの世界の成り立ちと仕組みについて根本的に異なる見解
 カメさんと一般法則論者の私とでは、私達が生まれ住んでいるこの世界の成り立ちと仕組みについて、根本的に異なる認識と理解をしています。
 例えば、カメさんは、「神の世界は人間の世界では無い」し、「人間の世界には神はいません。」と言われます。
 カメさんも神の存在証明を試みられたようですが、一般法則論のような、仮令一般法則論的な天然自然の存在の創造主である神の存在証明は絶対に認めないといわれる方々がおられても、それでもなお自然科学が認める「慣性の法則」が持つ属性に基づいた、これ自体で客観的に唯一・絶対・普遍的にかつ不変的に実在する、誰かヒトがでっち上げたのではない天然自然の存在の創造主である神の存在証明は出来なかったようです。
 しかし、一般法則論では、私達が生まれ住んでいるこの世界は、天地創造の最初から丸ごと神の世界=Ω神の世界=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られた世界であり、Ω神の天地創造の目的とこれを実現するΩ神の天地創造の理法に絶対的に支配されている世界です。
 端的に言えば、私達ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が生れ住んでいる世界は、最初から最後まで、この世界の何処に行っても、神の国の中にあります。
 Ω神の世界の中で、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)です。
 そこで、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトとして生きるように、Ω神によって定められています。
 しかも、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトとして生きるのを容易にするため、Ω神は、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを丸ごと活用して生きる「ヒトの生き方の原理」を定め、更にこれをハウツー化した「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法も用意してくれています。
 ヒトの生き方の原理+「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法は、俗に言う自然治癒力/自然回復力を自覚的に意図的に利用することを可能にし、例えばいわゆる「不治の病」など無いようにしてくれています。

 カメさんの世界観と人間観では、仮令、人/「自分が神になって人間の世界の道理を悟」っても、創造主である神の天地創造の理法に属し、これに任せたときのみ使うことが可能になる自然治癒力/自然回復力を最初から使うことは原理的に/自然法則的に出来ないことは明らかです。

○何事も世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)で出来ているこの世界の成り立ちと仕組みの全体の中に常に位置づけて考える
 今、ここにある、私達が生まれ住んでいる世界の起源は、世界Ⅰ存在のΩ神による天地創造の目的に始まりました。→上掲の一般法則論の世界観の図解参照。
 そして、世界Ⅳ段階で、今から137億年前のビックバン/天地創造をもたらした宇宙的大爆発により物質で出来た宇宙が造られました。
 この後、物質で出来た宇宙の中に、46億年前に太陽系ができて地球が誕生し、地球上での生命の誕生と進化、人類の誕生とこれに続いて各人の人生と文化・文明の誕生と進化が今現在まで続いていて、この中にあなたや私=一般法則論者が生まれて、今、ここに生きているわけです。
 このような世界の誕生の過程を、一般法則論では、「世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)」と略して表記しています(注記1)。
 世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるという一般法則論の世界観の中で、ヒトの起源とその生き方の原理の決定は、世界ⅠのΩ神の所から始まった、と断言しています。
 世界Ⅰにその存在根拠と存在目的と存在理由のあるヒト(宇宙大では宇宙人一般)という存在の生き方の原理を知り、受け入れることは、言い換えると、無我、無心、無私になることを自分の生き方の原理することを意味しています。
 このブログでの私個人を押し出すのではなくて「一般法則論者」という言い方をしているのは、これを示しています。
 一般法則論では、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とは何か、その生き方の原理は何か、実際にどうしらこの世で生きることができるのかを考えるときには、常に必ず世界ⅠのΩ神の所に立ち返り、Ω神が造っている世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)全体の中で考えます。
 しかし、例えばマルクス主義/共産主義のように、イギリスの産業革命の中で独自に発達した資本主義を資本主義の全てだと思い込んで、「資本家/資本主義に一方的に支配されるヒト」という、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトに生まれているヒトの本質にはありもしない人間観をでっち上げて、資本家/金持ち一般を嫉妬し、資本主義を否定する革命理論を間違って作り上げた例があるように、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)全体を知らず、この中の自分がしばしば恣意的に選んだ宇宙史や人類史の一場面で、ヒトの本質や生き方の原理やこのハウツー等を説く間違いをする人たちが後を絶ちません。
 話が飛びますが、イスラム原理主義の悲劇は、近代化して成功した西洋キリスト教世界に遅れを取ったのは、自分達イスラム教徒による神への信仰の仕方が至らなかったのだと理解して、信仰熱心な方々が「イスラム復興運動」を大々的に始めてしまったことです。
 こうではなくて、西洋キリスト教世界がやったように、神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを自然科学的に/自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きによって解明し理解することでした。

○天地創造の意図を最初から持つ創造主である神とこの神が造った世界に関する見解の「たたき台」としての一般法則論
 「私も貴方と同じような押し付けのコメントを書いて他者のブログで迷惑がられました。」とカメさん。
 一般法則論者の私は、他者(のブログ)に、一般法則論の世界観と人間観と神観念等を無理やり押し付けることをしたことはありません。
 一般法則論者がしているのは、比喩的に言えば「そら、あそこに、女優の○○○さんが来ています!」と指差ししてあなたに教えることです。
 このとき、あなたに、「そら、あそこに、女優の○○○さんが来ています!」という一般法則論者の私の言葉を鵜呑みにして信じて欲しいわけでも、その女優さんを指差すその指先を見て欲しいわけでもありません。
 あなたには、「そら、あそこに、女優の○○○さんが来ています!」という言葉で、あなたご自身で女優の○○○さんが本当にそこに来ているのかを確かめて欲しいわけです。
 これによって、「そら、あそこに、女優の○○○さんが来ています!」と指摘した一般法則論者の私の言葉の真偽や適否や確実性や信頼性等を確認して欲しいわけです。
 この意味で、「そら、あそこに、女優の○○○さんが来ています!」という一言は、自他共に、あなたと一般法則論者の私が一緒に、観察/観測/検証出来る事実や論理に基づいて客観的にその真偽や適否や信頼性や確実性を確かめるべき「たたき台」になるものになります。

○「たたき台になるものを提示する」という考え方の習慣は中学生のときから
 「たたき台になるものを提示する」という考え方は、私の中学生のときからの習慣です。
 私は、幼児のときから、それが何であるのかを説明できないけれども、自分が生れたこの世界は、自然の法則によって絶対的に支配されていて、何をするのでも自然の法則に則った正しいやり方や良いやり方をしなければならない、と生得的にというか本能的にというか、とにかく知っていました。
 言い換えると、何がそれをする正しいやり方であり、良いやり方であるのかの根拠は、私にあるのではなくて、万人にとって客観的な存在の自然の法則にある、という考え方を幼児の時から今の今までずっとしている、と言うわけです。
 正しさや良いことの根拠を自分に置かなくて済むことは、自分を客観視することを可能します。
 比喩的に言えば、「何を着てどんな格好をしていても私の正体/本質は私という存在として不変だ」と言うことを可能にしてくれることです。
 別の言い方をすると、自然の法則には根拠が無い、ヒトの理屈がでっち上げた「踏み絵」を仮令踏んでも何ちゅうことは無いといえることです。誰も「踏み絵」と無理心中しなくて良いわけです。
 お見合いパーティに参加して、声を掛けた相手に仮令百回お付き合いを断られても、それで「自分の人格的存在まで否定されたような気持ちになった」と言う必要は無いわけです。
 しかし、何かをするときに、具体的にそれをする、自然の法則に確かな根拠のある信頼性と確実性のある正しいやり方や良いやり方は何であるのかはすぐには分からない/自明ではないのです。
 正しいやり方が自明ではないときには何を頼りにしたらそれが何かを見つけることが出来るのかも、私はずっと知りませんでした(注記2)。
 そこで、何がそれをする自然の法則的に確実で信頼性のある正しい良いやり方であるのかを探して、不安で落ち着かない気持ちで絶えず試行錯誤をしていました。
 言い換えると、自分のすることに確信と自信が常に持てなくて、二十歳過ぎても情緒不安定児でした。
 二十歳を過ぎてもなお情緒不安定児の私をよく支えてくれたのが、感謝しきれないほどの恩義がある、大学のサークルの友人たちでした。
 こういうわけですから、友人や仲間と何かを一緒にする場合には、自然の法則に根拠のある、何がそれをする正しいやり方や良いやり方であるのかを知る/発見する過程で、正しい/良いと考えるやり方をたたき台として自分も出すことを義務のように感じてきました。
 そして、中学生1年生のある日、父母の前で私としては「たたき台」の積もりで出した物(これが何であったのかは思い出せません)が、「お前はそんなトンでも無いことを考えているのか!!!」と言われて、本当に困ってしまったことがあったものです。
 この中で、そのとおりにすればひとまず上手く行くことが保障されている「ハウツー物」があることを、幼児の時に知って、以来、ハウツー物が大好きになりました。
 また、いわゆる成功物語に好んで耳を傾けることが好きな人生にもなりました。
 ハウツー物や成功物語は、「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法の実際の活用にも、基礎となり、前提になり、成功の確信にもなるものとして、今でも日常的にいつでも学ぼうとしています。

○たたき台となるものを提示するという自覚も意図も無い方々
 あちこちのブログを読みますと、そこで展開されている話の正しさの根拠を、自分が学んだ先生の学説とかご自身の存在や人格の正しさに置かれている方々が沢山おられるようです。
 そこで、自分の世界観や人間観とは異質の例えば一般法則論の話を書き込みされると、自分の人生の師としている先生を否定され、自分の存在や人格が否定されたと勘違いされて、書き込みは削除され、この後、「一般法則論」の話は書き込み禁止の設定になるのだ、と推測しています。
 また、ブログの中で展開している自分の主義・主張の真偽や適否やその有効性や実用性を、読者に広く一般的に絶えず検証して頂くということにも関心がなくて、「どうだ! 俺様の考えは凄いだろう!」式になる方々も少なくないようです。
 中には最初から書き込みは一切出来ないブログ等もあります。
 その方が大学の先生であると知ると、この先生は科学的な学問の仕方を未だご存知では無い、と断じたくなります。
 つまり、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)がこの世で幸せに生きる為の大前提になっている、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの解明のために、古代ギリシャの哲学者や釈迦やイエス・キリストやムハンマドに神のことを教えた大天使やノーベル賞を頂くような科学的な大発見をした人たちなどの有名人を含む全人類がこれまで総掛かりでやってきた試みに貢献し役立つ何かを自分も提供して、その真偽や有効性や実用性を皆に吟味してもらう、という意図/目的が最初から無いのです。
 また、指摘されて自分は役に立たず違ったものを提供していたと知ったら、それを引っ込める勇気も無いようです。

○究極の万物理論/永遠の哲学としての一般法則論
 はっきり言いますと、この世界の成り立ちと仕組みがどうなっているのかに関して、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きだけで全て解明しようとしている一般法則論を超えることは難しいですよ。
 「オッカムの剃刀」という言葉があります。
 Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神、自然法則、エネルギーの3語でこの世界の成り立ちと仕組みを解明し説明し尽くすという一般法則論は、これ以上の単純化は意味が無いほどの話の単純化をしています。

(天地創造の目的を最初から持つ創造主である神、自然法則、エネルギーの三語で済むわけ)
 自然法則とエネルギーは、自然科学が物質世界の成り立ちと仕組みを説明するために使う基本的な概念です。
 ヒトが観念的にでっち上げた存在では無い天然自然の存在の創造主である神は、元々天然自然の存在として知られている自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが持つ「慣性の法則」性から論理的に自動的かつ必然的にその存在が導きだされる存在です。
 Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神、自然法則、エネルギーの3語が揃うことによって、自然科学が解明している物質世界だけでなく、精神世界も同じく解明することができます。 

 Ω神の自然科学的な存在証明だけでなく、ヒトの心の起源と中身を解明するいわゆる「心の哲学」に関して、それがΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ていると断言できる哲学に到達できるヒトには、いわゆる悟りの体験が必要不可欠です。
 ヒトの存在根拠と存在目的と存在理由とヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みはヒトの生活基盤になるものであることを、一般法則論では客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に説明しています。
 今、天文学で話題なっている、暗黒物質/ダークマターと暗黒エネルギー/ダークエネルギーの正体の解明では、この世界の成り立ちと仕組みがΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ていて、かつ、Ω神の存在とその役割、自然法則の働き方の原理、エネルギーの起源と役割、Ω神と自然法則とエネルギーとの関係等について自覚的な知識が無いと不可能と申し上げて良いでしょう。

○まとめに代えて
 一般法則論の真偽と論理的な首尾一貫性、説明の仕方、話の持っていき方の適否、その有効性と実用性等を、あなたも吟味してください。
 特に、問題は、ここで私が説明することと、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで説明している一般法則論との整合性です。
 一般法則論に未だ統合されていない考えを自覚も無いままに間違って一般法則論の一部として説明しているかも知れないからです。
 具体的な例で言えば、ピーマンが嫌いなヒトの話をここで力を込めてしたものですから、気がついたら、私自身もピーマン嫌いになってしまったのですが、「ミイラ取りがミイラになってしまった」訳ですが、この例は、日の丸を日本国の国旗と認め、国歌「君が代」を歌うことは自分の思想と良心の自由が侵されるという主張が、比喩的に言えば「聖人を直接みたら目が潰れる」という迷信や「怪物メドウサを見た人は石になってしまう」(ギリシャ神話)式の迷信に等しいものだと2011年の建国記念の日の文に書いたことと、私の心の中の何処かで矛盾しているものがあるから発生したものだと分かります。
 それでも、一般法則論は一般法則論としてこれ自体で正しい! と言い張れば良いのでしょうか・・・。
 
 一般法則論の真偽と論理的な首尾一貫性、説明の仕方、話の持っていき方の適否、その有効性と実用性等について、あなたの吟味を改めてお願いします。

○注記1 世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)は現代の文明国人の常識的な宇宙観/世界観の枠組みの中に収まる
 世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)と略記した一般法則論の世界観は、現代の文明国人の常識的な宇宙観/世界観の枠組みの中に位置づけて理解することができるものです。
 現代の文明国人の常識的な宇宙観/世界観の枠組みとは、既に科学的に学問的に明らかにされている、大雑把に言えば、ビックバンによるこの宇宙の誕生→太陽系と地球の誕生→地球上での生命の発生と進化→人類の誕生→人類の文化・文明の誕生→今、ここに生きているあなたや私の存在とその人生という過程のことです。
 注記1の終わり

○注記2 正しいやり方が自明ではないときにはどうしたら良いのか?
 正しいやり方が自明ではないときにはどうしたら良いのか?
 今ならば、それは、「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法にあることを客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に知っていて、この通りに確信と自信をもって出来ます。
 もちろん、これが良くできるようになるには試行錯誤を伴う練習/修行で経験を積むことが必要です。
 その内にこれをするコツが分かって、例えば、おらが村の伝統芸能の資料館を作って、これと共に村の伝統芸能を後の世まで生きたままで残すために、おらはどうしたらよかんベーか? というような着想が自然にできるようになり、実際にこれが出来てしまうことになります。
 注記2の終わり


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

「マヤの予言が嘘だと断言出来る根拠の再確認」2009-07-14 05:28:38 へのコメントのこと

2011-02-20 01:29:44 | 悟りの体験
 「マヤの予言が嘘だと断言出来る根拠の再確認」2009-07-14 05:28:38 へのコメントのこと 

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                     


 「マヤの予言が嘘だと断言出来る根拠の再確認(2009-07-14 05:28:38)」にコメントを頂きました。

 なお、「マヤの予言」関して、一般法則論よる最初の見解は、「マヤの予言は嘘」 2009-07-12 05:17:52 でした。


  Unknown (苺実)さんのコメント 2011-02-18 22:59:50

 根拠的に分かる方をずっと探してました。
 不安で不安で仕方がなかったんです・・・・
 まだ楽しく過ごしていけるんですよね・・
 何だかスッキリしました。

 繰り返して言いますが・・・・・
 本当に大丈夫です。
 この世界の創造主であるΩ神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みは絶対的に信頼できます。

 Ω神自らの完全完璧な化身かつ分身の存在のヒト(宇宙大では宇宙人一般)を無限に造りだして、時代と地域を越えて、その一人ひとり生まれて様々な人生を歩んで楽しみ遊びたいと意図して、先ずヒト(宇宙大では宇宙人一般)の生まれ住む生活基盤/インフラになる物質世界を造り、これが完成してからヒト(宇宙大では宇宙人一般)をそこに置いたΩ神としては、地球を例に取れば、全てのヒトがΩ神の化身かつ分身の存在のヒトとして本当に生きることができる「地上の天国」/「地上の神の国」が実際に生まれる前に、ヒト/人類を滅ぼしてしまう計画は、この世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神の天地創造のプログラムの中には最初から一切全く存在していないのです。

 この別の現れの例は、ヒトの身心に生得的に備わっている俗に言う「自然治癒力/自然回復力」です。
 こう申し上げると、次のよう反論される方がいそうなので、予め答えておきます。

 自然治癒力/自然回復力があるのに、結局病気でヒトが死んでしまうのは、自然治癒力/自然回復力が元々不完全なもので、頼りにはならない証拠にならないのか?

 この疑問に対する答えは、人類一般は、未だ自然治癒力/自然回復力を完全完璧に発揮させる霊的な技術をマスターしていないだけでなく、このような霊的な技術があることについてさへ、一般的に、無知であり、不勉強であり、無理解なのだ、ということです。
 この一般法則論のブログでは、自然治癒力/自然回復力を完全完璧に使いこなすのに必要不可欠な基礎的な知識の解明を試みています。
 即ち、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られている世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組み、ヒトの存在目的と存在理由、また、ヒトがΩ神の化身かつ分身の存在のヒトとして生きるための「ヒトの生き方の原理」とこれをハウツー化した「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法の話など。

 Ω神は、ヒトとヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みを造るに当って、自他共に絶対肯定の立場で、全てを完全完璧に造り、この後も、無時間で無空間の「永遠に、今、ここしかない世界Ⅰ」に常在して、自らが造った全世界を永遠の相の下で絶対的に支配し、その完全完璧さを維持し続けています。
 この世界は、Ω神を手放しで信頼してΩ神に委ね任せることが出来ます。

 全ての存在が、特に自分にとってとても大切な人たちが、Ω神の絶対的な支配下にあって、彼等の生命・身体・自由・財産そして名誉/尊厳の全てが、Ω神により絶対的に絶えず守られている、と断言できることは、とても有り難いことです。

 但し、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトそのものの存在です。
 即ち、全てのヒトは、その一人ひとりがΩ神そのものの存在です。
 この事実を、この真理を仮令知らず理解できなくても、ヒトがこの世に生まれる前から絶対的にこうだと決まっているこの真理から誰も逃れることはできません。
 従って、ヒトが、自らの存在根拠と存在目的と理由を知らず、理解せず、この世界の全てを造り支配し動かしているΩ神とΩ神の理法の全知全能さを頼りにせずに、本来本質的に何の頼りにもならない、例えば父母やお金や他人や権力や政治や例えば平和憲法やマルクス主義/共産主義などの思想やΩ神とΩ神の理法について未だ知らない宗教や「フェイスブック」などを頼りにして生きようとすれば、これらがΩ神とΩ神の理法の働きに取って代わってしまうことになり、結局生きることに行き詰ることになります。

 マヤの予言についてコメントを頂いたことに感謝します。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

天然自然の客観的で絶対的で普遍的で不変・不動的な存在/実在に関するメモ

2011-02-15 05:05:10 | 一口解説/一口メモ
 (私達にとって)天然自然の客観的で絶対的で普遍的で不変・不動的な存在/実在に関するメモ

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対


○この文の目的
 この文では、この一般法則論のブログの中で使っている、「天然自然の客観的で絶対的で普遍的で不変・不動的に存在/実在」とは何かについて、念のため確認しておきます。

 何が「天然自然の客観的・・・な存在であるのか」が問題になるのは、あなたや私にとっての意味です。宇宙大で言えば、ヒト一般、宇宙人一般にとっての天然自然の客観的・・・存在の意味です。2011年2月16日追記

○「世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)+いま、ここにいるあなたや私」からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中に位置づける
 天然自然の客観的で絶対的で普遍的で不変・不動的な存在/実在とは何かを考えるときにも、一般法則論では、「世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)+いま、ここにいるあなたや私」の中に全てを位置づけて考えることになります。

○世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)はあなたや私の存在よりも先に存在している事実の確認
 世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)については、上掲の「一般法則論の世界観の図解」の中で説明している通りです。
 そこで説明している事は、あなたや私は、既にこの世界に時間的にも論理的も物理・化学・生物的自然法則の観点でも先に存在している世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)の中に生まれた、という事実です。
 これを、素朴実在論という事にしました。
 この素朴実在論を、あなたや私が認めず、承諾せずに、あなたや私の存在に先立つ物は何も存在していなかった、と考えると、これまで哲学者たちがやってきたように、一人一説の妄想的な哲学論なります。
 もちろん、一般法則論は素朴実在論を一般法則論的な説明の大前提にしているわけです。

○素朴実在論を大前提にして「天然自然の客観的で絶対的で普遍的で不変・不動的な存在/実在」を定義する
 天然自然の客観的で絶対的で普遍的で不変・不動的な存在/実在、と一般法則論で言うときには、常に必ず素朴実在論を打前提にしています。
 天然自然の存在の意味は、第一に、素朴実在論から言って、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が作った存在ではない意味なります。
 世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)の中では、天然自然の存在とは、常に必ずΩ神=世界Ⅰ(~世界Ⅲ)が造った物です。
 第二に、天然自然の存在は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の中に誕生した全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)に時間的にも論理的も自然法則的にも先立って造られて存在している、という意味になります。
 そこで、上の第一と第二を言いえると、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)は、この世界の存在を大前提にして生まれてきた全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)とって、客観的に、絶対的に、普遍的に、不変・不動的に実際に存在している、ということになります。

 同義語反復的な話をしました。

○余談1 積雪
 2011年2月14日~15日に掛けて、東京、名古屋、大阪、奈良に道路に積もるほどの雪が降りました。
 この中を、外出される方々は、足元に十二分のご注意をしてください。
 余談1の終わり

○余談2
 前文の「今日(皇紀2671年/平成23年/2011年)2月11日は日本国の建国記念の日」ついては説明不足の部分を補うつもりです。
 余談2の終わり

○余談3 「<妊娠>日本の知識、最低水準 「子ども欲しい」も低く 毎日新聞 2月14日(月)21時34分配信」
 ヤフーのニュースをみたら、このような物が掲載されていました。

 「日本人の妊娠に対する知識が、国際的にみて低い水準であることが、英カーディフ大などの調査で分かった。「子どもが欲しい」という欲求が低い傾向も明らかになった。調査責任者のジャッキー・ボイバン教授は「知識不足や育児への負担感が、日本の出生率の低さにつながっている可能性がある」と分析している云々。
 ご参考までに
 余談3の終わり

 余談4 ハチクイ(鳥)の結婚の儀式はカワセミと同じでした 2011年2月16日追記
 NHKの日曜日の番組「ダーウィンが来た」の中で、2月13日は、アフリカのザンベジ川の川岸の地中に穴を掘って繁殖するハチクイ(南紅ハチクイ)という鳥の生態を紹介していました。
 ハチクイの名は、蜂を好んで捕食することから名づられているそうです。
 このハチクイが番になる儀式、即ち、考えてしたらとても複雑になる結婚相手選びを簡単に効率よくする本能的な行動様式を、カワセミと同じやり方でしているのを知りました。
 カワセミの場合は魚でしたが、ハチクイでは、それが蜂でした。
→一瞬にして恋に落ちる原理による結婚は本物であるとは(必ずしも)いえない その1 2010年6月8日文参照
 この文では、ヒトもカワセミの結婚相手選びと同じ本能的な行動様式を持っていることを指摘して、これに騙されずに、結婚相手は、自分がその相手との間に子孫を本当に残したい相手かどうかを自覚的に意図的に判断して選ぶものだという話をしています。
 余談4の終わり


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

今日(皇紀2671年/平成23年/2011年)2月11日は日本国の建国記念の日

2011-02-12 06:57:49 | 皇室
 今日(皇紀2671年/平成23年/2011年)2月11日は日本国の建国記念の日ですが・・・

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対 


○この文の目的
 建国記念日に当り、一言あるべきところです。
 日付が替ってしまいましたが・・・。

○雪の建国記念日
 今日(皇紀2671年/平成23年/2011年)2月11日は、日本国の建国記念日です。
 大阪も奈良も名古屋も東京も雪の建国記念日でした。
 私は、日本国独自の年号である、今現在の日本国が、2671年前の神話の「神の国」の存在に始まって現在まで建国の何年目になるかを示す皇紀で、2600年目という切りの良い年の生まれのものですから、今年が皇紀で何年になるのかの計算が簡単にできます。
 なお、NHKのテレビニュースは、午後零時、午後7時、午後九時の中で、本日が建国記念の日であることは、一言も言及しませんでした。
 陛下の心臓病に関する話は、診断した医師団の見立ての通り、心配は要らないでしょう。

○朝まで生テレビでの議論
 先日のテレビ朝日の「朝まで生テレビ」でも取り上げられていたのは、国とは何か、天皇家とは何か、国旗と国歌とは何か、国を守るとは何かなどでした。

○国の要は国民の生活基盤として大切な領土を守ること
 国とは何かに関しては、その領土が国民皆の物理的な生活基盤になるという意味で、国土を外国の侵略から守ることが要になります。
 最近は、自国の領土内にある「生物資源」や「希金属」の囲い込みを行なうことを国家戦略にするのが、国家防衛の常識になりつつあります。
 しかし、この視点からの議論が「朝生」では抜けていました。
 というよりも、国民にとって国土の存在目的が何かについて、特に堀江貴文氏や東浩紀氏は全く理解していないようでした。
 東氏は、対馬や尖閣列島を日本の領土として守るか守らないかは、自分がそこに愛着を持つかどうかが判断基準になる、と言います。
 自分が行った事も無い所に愛着は持てないと東氏。
 堀江氏にいたっては、日本国が沖縄を中国にやるといっても中国がそんなものはいらないと言うと発言するなど、中国の動きについて無知ぶりの極みというか、殆ど中国の工作員みたいな発言を繰り返していました。
 堀江氏と東氏は、日本国が外国/中国に侵略されても地球大のインターネットやフェイスブックなどに参加している人々がそれを許さず非難の声を挙げるから、それを止めさせることが出来るとまで言い張っていました。
 お二人は、中国が周辺の小国に住む民族を勝手に中国人だと決めて併合し、更にチベットやウイグルを自国の領土だと攻め込んで民族浄化のような事をしている事実や、他国に属する南沙諸島を実力で占領して自国の物にし、尖閣列島と沖縄を勝手に自国の領土と決めて実力で取りに来ていることを知らない振りをしています。
 もちろん、国土と領土の維持・管理と防衛は、日本国やその国土/領土に対する好き嫌いや愛着の有無に基づくのではなくて、日本国に国民として住む者たちの必要不可欠な生活基盤を維持するためにあるわけです。
 いま、外国の人、特に中国人によって、例えば北海道の水資源があるところを狙って山林を買っていることについて、危機感を持ってこれを防ぐための法律を作るために活動している自民党の代議士もいます。早くこの法律の成立が望まれます。
 このような考え方/発想は、縄張りを生活基盤にしている生物の本能に属するものです。
 縄張りを生活基盤にしている生物では、生存のための食べ物の確保と自らの生殖活動と子育てのために必要な縄張り抜きには生存できません。
 ヒトの場合には、自国の文化・文明の独自性を守ること(平和憲法だって日本国が存在していての話)や日々の生活の安穏を守るためにも、主権が行なわれる国民皆のものである領土・国土の存在は必要不可欠です。

○国旗と国歌を自らの思想と良心の自由に基づいてこれを認めるのを拒否するという学校の先生方の話
 日本国の国歌と国旗に関しても、これを認めると自分の思想と良心の自由が侵され、それが傷つくと言い張っている先生方がいます。
 文部省が決めた学習指導要領で、学校で生徒等は国歌を覚え、国旗を尊重するように、先生方は教えて、と決めている事を東京都は受けて、学校の行事等で国歌を歌い、国旗を掲揚するときには先生方は率先して範を示すようにと通達を出したのに、これに従わない先生方を東京都が処分したのは、各人の思想と良心の自由を侵害する不当な処分だと裁判に訴えていることについて、「朝生」での議論は、処分を受けて裁判を起している先生方の言う各人の思想・良心の自由がそもそも存在しうるのかについて、何も哲学的な考察をせずに、思想・良心の自由を絶対的で普遍的な真理として受け入れていました。
 これは、「踏み絵」を踏んだら「転びキリシタン」になる、と間違って考えたキリシタンと同じ発想です(このとき、踏み絵を、踏む、踏まないは、内心の信仰心の有無などをお上は質したいのではなくて、キリシタンも徳川幕府の支配の秩序を認め受け入れることを示してもらうつもりの形式的な問題だったのだと聞きます)。
 しかし、もし、(日本国の)国歌と国旗を認めると自分の思想と良心の自由が侵され、それが傷つくというのならば、例えば、太陽の存在を認めたら直ちに焼け死んでしまわない理由を、万人が納得するように科学的に説明する責任を、教育の場では生徒の前でも裁判の場でも説明すべきです。
 面と向かって、誰かにあなたが、「お前は馬鹿だ! トットと死んじまえ!」と言われたら、あなたはその人に言われたとおりに自動的かつ必然的に馬鹿になり、即座に死んでしまいますか!?
 他人の言葉であなたの生死が絶対的に自動的かつ必然的に決まってしまう自然法則的な原理がある、とあなたは常日頃から思い込んでいますか!?
 あなたが嫌いな例えばピーマンや葱を、あなたの隣にいるヒトが食べていたら、あなたは、自分の感情が害され、耐え難い苦痛を味わい、「他人が嫌いなことはするな!」の原理に基づいて、あなたの隣でピーマンや葱を食べている人に向かって、それを止めさせる道義上の、更に進んで法律上の、遡れば憲法上の権利に基づいて要求する権利がある、と思いますか?
 実際に、ヒトの頭を先に殴っておいて、殴られたヒトに反撃されそうになると、自分の身心の安全が脅かされようとしている! 私の人権を守れ! と騒ぐ人たちがいます。「私の人権を守れ!」と先に言った者勝ちが裁判所でも通用するらしい。
 思想と良心の自由があると主張する人たちは、太陽の存在を認めたら、その表面温度でも六千度もある太陽の熱で自動的かつ必然的に即座に焼け死んでしまうので、生れて以来一度も太陽を見たことが無いし、その存在さへ認めたことがいないのでしょうか?
 しかし、このようなことは絶対に起らないわけです。

○自分が気に食わない存在を「思想と良心の自由」を楯にして無視し差別し排除することを求めている
 自国の国歌と国旗を、思想と良心の自由を理由に、認めないと言い張る人たち。
 この人たちの論理は、自分が気に入らない存在は何でも、自分の「思想と良心の自由」を絶対化し、これを楯にして自分たちの前から一切否定し差別し排除しようというものです。
 この意味で、これらの人たちは、「人権」無視の反社会性が強い人たちだということができます。

○ヒトが持つ心の絶対的な超越性と神聖不可侵性
 太陽を見ても、太陽があると認めても、これをしたヒトの心は太陽その物になり、そして絶対に燃えてしまう、ということは常識で考えてもあり得ません。
 このようことがもし本当にあるのならば、太陽を始めとする恒星の内部を研究する科学者たちは皆焼け死んでいます。
 このような事が絶対に起らない理由は、ヒトが持つ心の物質世界からの絶対的な超越性とこれに自動的かつ必然的に伴う神聖不可侵性にあります。
 ヒトの心の起源は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中で、因果必然の自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが支配している、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが生まれ住む物質世界の成り立ちと仕組みを絶対的に超越して存在している精神世界の世界Ⅰ存在のΩ神の所にあります。
 そこで、あなたや私の心は、因果必然の法則が絶対的に普遍的に不変的に支配している世界Ⅳ~世界Ⅶ(+Z)の世界を、絶対的に普遍的に不変的に超越して常に存在し、常に働くことができるようになっています。
 これは、仮令、世Ⅳ~世界Ⅶ(+Z)の世界の中で例えば何かの病気に罹っても、世界Ⅰ~世界Ⅲの世界に立ち返り、病気を自動的かつ必然的にリセットして治すことが出来る霊的な原理/自然治癒力/自然回復力の原理となっていて、実際にこの理屈をよく理解したヒトならば、自分で自分が罹った病気を治す形で確かめることができます。
 この世界の成り立ちと仕組みの唯一・絶対・普遍かつ不動の創造主であるΩ神の所には、この世界の成り立ちと仕組みが造られた目的と原因とこれを実現する天地創造の原理があります。
 この実際の意味は、例えばこの世の富の起源は、全てΩ神の所にある、ということです。
 この世(世界Ⅳ~世界Ⅶ(+Z))の富の起源は、全て、世界Ⅰ存在のΩ神の心の中に、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトの心の中にある、ということになります。
 そこで、キリストは、ヒトに盗まれる可能性がある世界Ⅳ~世界Ⅶ(+Z)の世界にある蔵の中に積むのではなくて、誰にも盗まれることが無いΩ神の所、即ち、Ω神の心をヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心に生得的にしているあなたや私の心の中に積みなさい、と教えたわけです。
 そして、Ω神とヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心の働きは、Ω神の天地創造の原理によって自動的かつ必然的にこの世で形になることに決まっています。心に富を思う/積む場合についても同じです。
 そして、この逆ではありません。
 目の前に自分の物である現金が山と積まれた状態をみて、初めてヒトの心に豊かな富という観念/考えが生れるのではないわけです。
 目の前に山と積まれた現金は、あなたが最初に心の中で自分の物として当然に持つことが出来る豊かな富の存在を信じて受け入れた原因設定の因果必然の結果として存在することになったものです。
 私の記憶はあやふやですが、イエスは、物質的身体が殺されても、決して殺すことが出来ない魂をヒトに与えた神を恐れよ、という趣旨のことを言っています。
 上の話を理解してくださった方々は、イエスのこの言葉の意味が理解できるでしょう。
 また、ヒトの生命が存在しているのは世界Ⅰで、物質的な身体を失っても存続し得ることが分かるでしょう。

○唯物論者の間違い
 世界は、世界Ⅳ~世界Ⅶ(+Z)、即ち物質世界しか存在し無いと言う唯物論者のマルクス主義/共産主義を宗教の如くに信じる人たちや国旗と国歌の存在を認めることが自らの思想と良心を侵害すると裁判を起している先生方とこれを支持する弁護士や裁判官たちは、ヒトの心/自分の心とはどんな機能と属性をもっているのかを、例えば太陽を見、太陽の存在を認めたときに何が自分の心に生じているのかを意識化し、自覚したことが一度も無いのです。

○天皇家や国の存在を世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)の全体の中に位置づける
 一般法則論では、この世の全ての事を世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中に位置づけて認識し理解します。
 この理解の下では、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の存在とその本質/属性の起源は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)の中の世界ⅠのΩ神の所にのみあります。
 これを、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、Ω神の化身かつ分身の存在と言っています。
 このことを素直に認める神道に基礎を置く天皇家の起源とこの赤子である私達日本国民は、この宇宙の仕組みにその存在根拠を持つバリバリに正統派の、地球という惑星に生え抜きの宇宙人です。
 実際にも、日本国は地球上で最古の国のようです。中華人民共和国や韓国や北朝鮮は、第二次世界大戦後に生れた国です。
 天皇家の存在は、社会的な差別の起源とか言い張る人たちがいます。
 しかし、実際は、天皇の赤子である日本国民/日本民族は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の全体の成り立ちと仕組みの中で、Ω神から直接生れた天皇家の存在によってその存在根拠が明らかにされているのです。
 世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)の全体の中に天皇家を位置づけて考えると、天皇家の地位は、現日本国民による民主主義的な総意によって認められているのでは無い!!! ということです。
 あなたや私だって、その生物学的なヒトとしての存在の真の起源は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)の中で、世界Ⅴからでは無くて、世界Ⅰ存在のΩ神にあるのです。
 私達ヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、あなたや私による民主主義的な手続きを経た賛成決議や同意や承諾など一切無しに、Ω神によって一方的に有無を言わせない形で造られ、この世に生れてきたのです。
 天皇家の存在も、同じです。 
 ましてや、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の起源一般について哲学的に考察する立場では、ヒトはΩ神から直接生れたというその最初の存在の天皇家から私達日本民族の起源が出発して、現在の天皇家と私達日本国民の存在に建国の最初から途切れることなく続いている、というのは、人類史上殆ど奇跡的な歴史ということになります。
 この意味でも、天皇の存在は、国民の総意などとは一切無関係にそれ自体で永遠に日本国民の象徴であり統合の象徴です。
 言い換えと、歴史的な事実に属する天皇家と国民との関係は、唯物論に基づき、世界Ⅵから始まる人類史を解明する実証主義的な歴史学にのみ基づいてその真偽が決められるべきだという考え方は、採用できないことになります。
 なぜならば、人類の本当の歴史は、世界Ⅰ存在のΩ神の所から始まるのですから・・・。
 以上の意味で、大東亜戦争に日本が負けたときに、国歌も国旗も当然に別の新しい物に取り替えるべきだったという朝生の中での田原総一郎氏の主張は必然性が全く無く、受け入れることはできません。

○心の起源と中身
 これまでの話は、私の心の働きに基づいています。
 では、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)一般が持つ「心」の起源と中身は何か?
 この答えは、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心は、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みを認識し理解し、この世で自らの生き方を選択し決めるためのいわば道具であることにある、と言うことになります。
 Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みは、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ています。
 そこで、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心は、同じくΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ていなければなりません(注記1)。
 これによって、原理的には、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ているこの世界の成り立ちと仕組みを、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心は、完全完璧に認識し理解できることになります。

○注記1 ヒトの心の中身の発見
 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の持つ心が、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働き造られたこの世界の成り立ちと仕組みを理解することができるとすれば、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心も同じくΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ていなければならないはずだ。
 この発見の直接の源は、中学生になって初めて英語を学び始めたときに、「英語は英語でしか分からない!」と知った体験にあります。
 これには、これに先立つ体験があります。
 一つは、小学生のある日、今でも聴くことが出来る、当時は810kHzで受信できた、FEN=駐留軍向けの英語の放送を聴きながら、全くチンプンカンプンの言葉をどうしたら理解できるようになるのだろうか・・・と深刻に考えたことです。
 今一つは、同じく小学生のときですか、家の裏側に住んでいたイギリス人ロートンさんのオンリーさんの女性が、ある日、髪の毛を振り乱し、紫のガウン姿で、電話口で「日本語で話しなさい!!!」と殆ど悲鳴のような声を挙げているのを、その姿が見える家の遊んでいて、何かとても哀れに思ったことがあったことです。英語を話す人を相手に、英語が分からず話せないということは、こういうことになるのだ・・・とこの時も深刻に受け止めました。
 そして、この二つの先立つ体験があって、中学生になって英語を習いだしてすぐに理解したのが、「英語は英語でしか分からない」という事実です。
 この後、ラジオの原理とこの実際の仕組みは、ラジオその物の原理とその実際の仕組みでしか理解出来ないことを知りました.
 この体験が一般化して、この世界の成り立ちと仕組みは、これを実際に造っているΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きでしか分りようがない! という発見になりました。
 更に、英語とラジオの原理がそうであったように、ヒトの心もこの世界を造っているのと一つ同じΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ていなくては、この世界の成り立ちと仕組みは分からないの発見になったわけです。
 一つの発見は、これを準備する事前の幾つかの体験が必ず先行しているものですね。
 注記1の終わり

○無意識の意識化
 この世界の成り立ちと仕組みを認識するとは、「無意識にあるものを意識化する」という仕組み/意味を含んでいます。
 そもそもΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きは、絶対的な無意識に属しています。
 意識のある心がこの世に存在するようになったのは、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中で、世界Ⅳ段階で、何処かの惑星上に生物が誕生してからです。これ以前は、Ω神の心を含めて、全て無意識の心しか存在して居ませんでした。
 そして、意識のある心は、(Ω神の化身かつ分身の存在としての)ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の誕生によって完全完璧に完成したわけです。こうだと言える根拠は、悟りの体験の原理によって分かる、ヒトが悟りの体験をしてΩ神の存在を発見出るようになったことにあります。

 「神は、岩石の中では眠り、植物の中では目覚め、動物の中では活動し、人間の中では自らに目覚める」
 
 出所は古代インドのウパニシャッド哲学にあるらしい。
 「人間の中では自らに目覚める」という意味は、ヒトが悟ろうとして悟るのではなくて、道元禅師の言葉では、「仏の側から行われて」、言い換えると、Ω神が、悟りの体験をする準備の出来たヒトの心の中に、Ω神自らの情報を自ら公開することによって行なわれる、ということです。
 何かが「アッ! 分かった!」という私達の日常体験でも、この仕組み/構造は同じです。

 今一つの古代ウパニシャッド哲学から出たらしいものは・・・、

 「この世界は、神が、自らの身心を、自らが持つ理法に則って自己展開して造ったものだ」

 一般法則論は、私の悟りの体験に基づいて、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みを説明する形で、ウパニシャッド哲学のこの世界観の通りの説明をしています。

 Ω神の絶対的な無意識の一部が、生物進化の過程を経てヒト(宇宙大では宇宙人一般)の意識のある心になった訳です。
 この結果として、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ている絶対的無意識/潜在意識の全体を一気に意識化するのが、ヒトのいわゆる悟りの体験。
 少しずつ意識化するのを、その真偽を実験等で検証しながら確実に着実に行うのが、実証的な学問一般。特に自然科学。

○まとめ
 建国記念の日にあたり、一言、三言意見を述べました。
 ご検討をお願いいたします。

○追記 エジプトのムバラク大統領が辞任を表明
 12日の日本時間午前1時のNHKラジオのニュースで、エジプトのムバラク大統領が辞任したと、副大統領のスレイマン氏が発表したと伝えていました。
 これで、エジプトは平常の秩序を取り戻すと良いです。
 追記の終わり


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

ホーキング博士の間違い   重力は天地創造の原因では無い  加筆追記あり

2011-02-10 03:02:49 | この世界の成り立ちと仕組み
 ホーキング博士の間違い 重力は天地創造の原因では無い

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対


○この文の目的
 イギリスの物理学者、スティーヴン・ホーキング博士は、最新の著書の中で、「量子力学に重力の理論を組み合わせた最新の研究成果から、太陽系の地球に人類が上手い具合に誕生したような偶然の一致に見える現象は『創造主なしで説明は可能』、『宇宙誕生に神は不要』と主張している」そうです。
 イタリアのローマにあるカトリックの総本山のローマ法王庁は、創造主である神は存在しないと言うホーキング博士の説に落胆しているという話ですね。
 しかし、ホーキング博士の理論は間違っています。
 その間違いを、この文では(改めて)指摘します。

○博士も認めるビックバンによる宇宙の始まり
 ホーキング博士も、137億年前のビックバン/天地創造をもたらした宇宙的大爆発に始まった宇宙の歴史を認めています。

○ビックバンが起った瞬間に関するホーキング博士の説明
 ビックバンによる天地創造の瞬間は、重力理論と量子力学理論のみで説明できるとホーキング博士は言っています。
 ホーキング博士も他の自然科学者と同様に、重力はこの世界の成り立ちと仕組みを(いわゆる創造主である神の存在なしに)自然に造り出す原因力がある、と言っていることになります。
 しかし、ここに大きな間違いがあるわけです。

○ビックバンの前に何があったのか?  哲学的な問い
 私達は、例外なく、既に存在しているこの世界(上記の「一般法則論の世界観の図解」の中で、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)で出来ているこの世界の仕組みを説明しています)の中に生れてきます。
 既に存在しているこの世界の中には、自分の存在よりも先に存在している両親やご先祖様/一般的に言うと自分より先にこの世に生まれた他者の存在を含んでいます。
 私達全て(宇宙大では宇宙人一般)にとって既に存在しているこの世界は、この世界が造られた最初の瞬間に遡ることができます。
 そこで、私達が生れる前から存在していたこの世界の始まりにおいて、どのような目的/原因と原理によって、ヒトとヒトが生まれ住むこの世界が存在するに至ったのか? を知りたくなります。
 つまり、この世界の創造は、この世界が実際に造られるよりも先に、この世界が造られる目的や原因があって、この結果として行なわれたのだ、という考え方です。

○古代ギリシャの哲学者が言う「哲学すること」
 古代ギリシャの哲学者も、この世界の始まりにあって、この世界を創造した目的/原因や原理を問うたとき、この前提には、この世界は、原因→結果の因果必然の法則に支配され、この法則に則って事が起る、という経験則を直感的に知っていたに違いありません。
 そこで当然に、古代ギリシャの哲学者にとって、この世界を造りだした普遍的な目的や原理を探求し解明することが「哲学をする」という意味でした。

○慣性の法則に絶対的に従う因果必然の法則
 念のために確認すると、因果必然の自然法則は、これ自体で単独に存在し、これ自体で単独に働くことはできません。
 この性質を、物理学では、慣性の法則といいますね。
 因果必然の法則が働くためには、因果必然の法則の外に存在していて、因果必然の法則が実現すべき目的を与える存在を必要とします。
 これは、経験則でも明らかです。
 例えば、私達の周りには自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが存在していますが、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが勝手に自動的かつ必然的に働いて例えばテレビや冷蔵庫や携帯電話機を作ってしまうことは無い事実をご確認ください。
 テレビや冷蔵庫や携帯電話機は、これを必要としたヒトが、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きにこれを作り出す目的を与えることで出来たものです。
 ヒトが使った自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、ヒトの存在よりも先に存在し、この世界を実際に造りだした法則です。
 そして、この世界を造りだすように命じた存在が自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きよりも先に存在していて、私達が知っている世界Ⅳ~世界Ⅶ(+Z)の世界を創造したわけです。
 自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きを天地創造の原理としてこの世界の成り立ちと仕組みを造った存在こそが、天然自然の存在の創造主である神であるわけです。
 
○今現在の天地創造に関する自然科学的な常識
 現在の自然科学的な常識では、この世界の始まりは、いわゆる宇宙的な大爆発/ビックバンだと言います。
 この後に、宇宙の進化→太陽と地球の誕生と進化→地球上での生物の誕生と進化→人類の誕生と進化→各人の人生と文化・文明の誕生と進化→いまここにいるあなたや私の存在とその人生が続きます。
 つまり、古代ギリシャの哲学者が知っていたこの世界は、現在ではビックバンの瞬間に遡ることになります。
 そこで、古代ギリシャの哲学者の問題意識を引き継ぐと、では、「ビックバンは、何の目的/原因で、どんな原理に基づいて行なわれたのか?」ということになります。

○素朴実在論を大前提に哲学する必要性
 私達が生れてきた世界は、私達より先に実在していたと認める立場を「素朴実在論」と名付けましょう。
 素朴実在論で認めるこの世界の存在は、偶然に出鱈目に造られているのではありません。
 私達の日常的な経験則でも明らかなように、例えば季節毎に確実に巡って来る自然現象があります。
 例えば春になると、雪が融け、サクラの花が咲き、ツバメが姿をみせるようになるなど。
 これを考えても、自然現象は、何らかの自然法則に支配されているのは明らかです。
 また、台所包丁を使えば何度試しても大根が切れるという経験則を知ることになります。
 素朴実在論は、この世界の成り立ちと仕組みを造り支配する自然の法則の存在も、私達ヒト(宇宙大では宇宙人一般)よりも先に存在していることを認めることを含みます。
 この自然法則が何かも、ヒトがそれは何かという前に既に決まっていて、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)に無条件で客観的に普遍的に絶対的に与えられています。
 これは、そこで発見の対象になります、ヒトが自然の法則なるものを勝手にでっち上げたり発明したりするものでは無くて・・・。
 全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)の存在に唯一・絶対・普遍的に先立って存在し、それ自体で客観的に絶対的に普遍的に在るように存在し、この世界を唯一・絶対・普遍的に支配している例えば万有引力の法則の存在とこの働きは、そこで、これをヒトが知る、知らない、認める、認めない、承諾する、承諾しない、理解する、理解出来ない等に一切関係なく、また、性別にも年齢にも民族の違いや話す言葉の違いや国籍の違い等にも一切関係なく、歴史的時代や地域や文化・文明や宗教信仰などの違いを超えて、(例えば万有引力の法則は)全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)に絶対的に普遍的に客観的に等しく働くことになります。この事実は、経験則でも確かめることができます。
 哲学する場合には、この素朴実在論を大前提にしないと、哲学者の数だけ一人一説の妄想の哲学理論を唱えることになります。

○哲学は万学の基礎であり第一学問
 今一度確認しますが、哲学するとは、古代ギリシャの哲学者が考えていたように、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)がこの世に誕生する前から既に存在しているヒト(宇宙大では宇宙人一般)という存在とヒト(宇宙大では宇宙人一般)が生まれ住むこの世界の仕組みが造られた目的、原因と、実際にこの世界が造られた原理を解明しようとするものです。
 この意味で、哲学は万学の基礎、第一学問(古代ギリシャの哲学者のアリストテレスの言葉)といえるわけです。

○この世界の成り立ちと仕組みについて未だ自覚的な知識の無い人たちの難題
 自然を支配する天然自然の存在の法則の存在について、特に因果必然の法則の存在について、日常生活の中で例えば包丁で大根を切り焚き火の火を見つめるような日常的に体験していることについて意識化し自覚的に受け止めて自分が今、何を体験しているのかを確認する習慣が無く、無知と不勉強と無教育と迷信のために、自覚的な知識として知らない人たちが今も人類の中に少なからず存在しているようです。
 自分が生まれ住んでいるこの世界が、自分の存在よりも絶対的に普遍的に不変的に先に存在していることを自覚的な知識にしていない人たちは、法律家や学者や現代の哲学者を含めて知識人と言われる人たちの中にも沢山いますね。
 例えば日の丸の国旗を認め、国歌「君が代」を歌うと自分の思想・良心が傷つくという迷信的なトンでも説を信じている左翼の唯物論者の人たちはこの実例。詳しい話は別文。

○ビックバンを宇宙的な結果とする天地創造の目的と原理  端的に答える
 ビックバンを宇宙的な結果とする天地創造の目的と原理は何か?
 答を先に言えば・・・・・

○ヒトがでっち上げたのでは無い天然自然の創造主である神の実在/一般法則論におけるその名前=Ω神
 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが生まれ住みその生活基盤にしているこの世界の成り立ちと仕組みを創造した天然自然の存在の創造主である神が実在しています。
 一般法則論では、天然自然の存在の創造主である神の存在証明を、物理法則の一つである慣性の法則を使って客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的にしています。
 この天然自然の存在の創造主である神は、一般法則論では、Ω神(オメガシン)と名付けています。

○Ω神の因数分解
 Ω神は、これを因数分解して、一般法則論で理解している自然科学の考え方を一般法則論の中に統合し総合化することにすると・・・
 Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きということになります。
 そして、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きが、ビクバンに始まるこの世界の成り立ちと仕組みを造る目的を持つ存在であり、天地創造の宇宙的な第一原因であり、この世界の成り立ちと仕組みを造った唯一・絶対・普遍の原因/原理になります。

○自然科学という学問の再確認
 自然科学とは、この世界の成り立ちと仕組みを、量子力学的な確率的な偶然の法則を原理とする天地創造の開始(注記1)+自然法則(注記2)+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで説明し尽くそうという学問のことです。
 自然科学の自然科学たるゆえんは、その要素還元式方法論(注記3)や自然法則を数学式で量的に表現することにあるのではありません。
 ビックバンをもたらしたのは、量子力学的な確率的な偶然の法則を原理とする天地創造の開始+自然法則(因果必然の法則)+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働き、ということにあると考えているのが自然科学という学問です。

○注記1 確率的な偶然の法則に基づいた天地創造の開始
 最近の自然科学では、天地創造は、量子力学的な確率的な偶然の法則を原理として行なわれた、と言っています。
 ホーキング博士は、これに重力理論を付け加えるようです。
 こうだとすると、この世界が造られた確かな目的は存在しないことになります。
 実際、生物学者は、進化にもヒトという存在についても確率的な偶然の法則が支配している、と言います。
 自分独自の生きがい、自分独自の存在理由を探すことなど、生物学的には、妄想以外の何物でもないことになります。
 確率的な偶然の法則に支配されているという量子力学論の間違いは、Ω神の天地創造の目的を自然法則が自動的かつ必然的にうけとって、自然法則がエネルギーを素材にしてΩ神の意図とおりにこの世界を造るという仕組みを知らず、また、素材となるエネルギーがそれ自体で振動する波という属性を持っていることを自覚的な知識にしていないことから起るものです。
 注記1の終わり

○注記2 因果必然の法則であるはずの自然法則を確率的な偶然の法則と理解する現在の自然科学
 天地創造が確率的な偶然の法則で行なわれた説が自然科学者の共通理解になって、因果必然の法則である自然法則も確率的な偶然の法則と理解されるようになったようです。
 しかし、自然法則が確率的な偶然の法則ならば、例えば厳密に働く「同一原因=同一結果の原理」の下で行なわれている品質管理は、原理的に/自然法則的に意味の無いことになる筈です。
 しかし、事実は、今なお、物造りの現場では、同一規格の同一品質の物を、例えば国際的な「ISO規格」や日本国内の「JIS規格」を満たしたネジを大量に作り出すことを可能にする品質管理は、同一原因=同一結果の原理の下で厳密に行なわれています。
 自然法則がなぜ因果必然の法則性という属性を持つのは、Ω神の天地創造の目的を原因として、Ω神が意図したとおりにこの世界を創造し実現し具体化するために存在するからです。
 この下での同一原因=同一結果の原理です。
 注記2の終わり

○注記3 要素還元主義的な科学的方法論と一般法則論
 この世界の成り立ちと仕組みの仕組みを解明し理解するための科学的な要素還元主義的な方法論は、二つの点で、一般法則論を認めがたいとするようです。
 その一つは、偶然に造られているこの世界の中であるはずが無い、この世界を造る目的を持つ、天然自然の創造主である神の存在を一般法則論は認めること。
 今一つは、「全ての人(宇宙大では宇宙人一般)よりも絶対的に普遍的に先に存在し働いている自然法則で決まっている『それをそれにする原理的仕組み』を常に必ず基にして造られているシステム」という「要素」とは言いがたい存在を認めることは、要素還元主義に反する全体主義的な考え方であり、自然科学という学問から排除すべしという考え方。
 問題は、要素還元主義を科学の手段・方法として殆ど絶対視するのは、自然科学者/科学哲学者が、未だ、天然自然の存在のこの世界の創造主である神を慣性の法則で存在証明することが出来ることを知らず、自然法則とはなにであり、何のためにこの世に存在しているのか、その存在目的を果たすために自然法則はどのように働くのか、自然法則とエネルギーとの関係はどうなっているのかについて自覚的な知識が無いからにすぎません。
 注記3の終わり

○自然法則の働きがもたらすもの
 自然法則は、この世界を造る唯一・絶対・普遍的な素材であるエネルギーと一体不可分でΩ神の天地創造の目的を実現するために存在しています。
 具体的には、Ω神の天地創造の目的を実現し得る原理的仕組みを基にしたシステムを宇宙大でただ一つのエネルギー(この本質は唯一・絶対・普遍の存在のΩ神の身心です。そこで、Ω神の唯一・絶対・普遍性を否定することになる部分部分に分離し分割することが絶対に出来ません)を素材にしてしてシステムの形に造ることです(この時にこの世界の量子化と質量/物質の誕生とこれと表裏一体の関係で構造的に発生する重力等の話は別の文にします)。
 なお、アインシュタインのE=mc^2の式で言えば、ここで言う「存在物」/「システム」は、「m」のことです。
 この時に、比喩的に言うと、自然法則は、エネルギーという宇宙大でただ一枚の布の一部を自然法則が特定のシステムを造る目的に合わせて絞り染め紋を作るみたいに摘み上げて(エネルギーの本質上分離・分割は絶対に出来ません)造ります。これが量子化と知られているものです。
 この世界を造る為の唯一・絶対・普遍の素材であるエネルギーは、光の電磁エネルギーでこれ自体振動しています。
 そこで、エネルギーを素材に造られるこの世のすべての存在=m=システムは、自動的かつ必然的にシステム性=粒子性とシステムの素材になっているエネルギーが持つ波動性を併せ持つことになります。
 そして、そのシステムが電子のようなミクロの微小な物ならば、粒子性と同時に電子という粒子の素材となっているエネルギーの波動が顕わになります。
 例えば建物のようなマクロの存在の場合は、その素材のエネルギーが持つ波動性はその建物の固有振動数の形で顕わになります。

○システムの造られ方 2011年2月10日 午後2時すぎ加筆追加
 システムは、「このシステムをこれ以外の如何なるシステムでもない独自のシステムにする原理的仕組み」に基づいてそのシステムの存在目的/存在理由/機能/働きを実現するのに必要な一つ以上のシステム構成要素の存在と働きをこのシステムの原理的仕組みで一つに秩序付ける形で造られています。
 この意味で全てのシステムはその内にそのシステムを造っている原理的仕組みに反し矛盾する構成要素を含むことは原理的に出来ません。
 これは、ヒトが作る全てのシステム(例えばパソコンやパソコンを動かすプログラム)
にも、特にΩ神が造った天然自然のシステム=世界Ⅰ~世界Ⅴからなるこの世界の成り立ちと仕組みにも唯一・絶対・普遍的に当て嵌まる原理/自然法則です。
 この意味で、システムが必然的に持つ内部矛盾によって、システムは弁証法的に発展するという考え方は、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中ではその根拠が全くありません。
 もしそのシステムが内部矛盾を含んでいる場合は、そのシステムが果たすべき機能を実現することを自然法則的に、原理的に可能にする「原理的仕組み」に一切関係ない要素を寄せ集めただけの野合のシステム/偽りのシステムです。このような偽りのシステムが自然崩壊しても何の不思議もありません。

○Ω神による天地創造の目的  Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)を造ること
 Ω神は、Ω神自らの化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)を多様に無限に造り出して、その一人ひとりになって様々に生まれいきて、遊び楽しみたいと意図して、最初にヒト(宇宙大では宇宙人一般)が生れ住み、その生活基盤/インフラとなる、物質といわれる物で出来たこの世界の仕組みを造り、この物質的な世界の中に進化という過程を踏んで、自らの化身かつ分身の存在のヒト(宇宙大では宇宙人一般)を造り、各人に「意識のある心」を持たせて、各人がそれぞれに自由に自らの生き方を自覚的に意図的に選んで生きることができるようにしています。

○ヒトの生き方の原理の存在
 各人がΩ神の化身かつ分身の存在として生きるにあたっては、これを容易にするために、ヒトの生き方の原理を定め、更にこれをハウツー化した/具体化した「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法を、Ω神は全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)に等しく提供しています。
 しかし、「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法を、例えばNHKの番組では例えばイメージ・トレーニングの形では認め受け入れても、ヒトの生き方の原理の存在とこれをハウツー化した「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法としては、一切触れない訳です。

 これまでこの一般法則論のブログの中で説明してきたことを簡単に振り返ると、このような話になります。

○自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きについてさへ自覚的な知識が未だに無い自然科学者たち
 ホーキンス博士を含めて自然科学者たちが、重力が天地創造の原理であるとかこれに量子論を加えて創造主である神抜きの天地創造が可能だと言っているのは、一般法則論的に理解すると、自然法則とはなにか、エネルギーとは何か、自然法則とエネルギーとの関係はどうなっているのかについて、未だ自覚的に意図的に考察することなく思いつきで話をしているからだ、ということになります。

○ホーキング博士の本
 スティーヴン・ホーキング/著 レナード・ムロディナウ/著 佐藤勝彦/訳 ホーキング、宇宙と人間を語る エクスナレッジ 2010年12月20日
 この本の目次 インターネットから

第1章 この宇宙はなぜあるのか?――存在の神秘
第2章 自然法則はいかに創られたか?――法則の決まり
第3章 実在とは何か?――モデル依存実在論
第4章 すべては無数の歴史の足し上げで決まるのか?――量子論の描く世界
第5章 万物の理論はあるのか?――無数の宇宙を予言するM理論
第6章 この宇宙はどのように選ばれたのか?――相対論と量子論の描く宇宙像
第7章 私たちは選ばれた存在なのか?――見かけ上の奇跡
第8章 グランドデザイン――宇宙の偉大な設計図
 以上。
 宇宙論に興味があり知識がある方ならば、この目次だけでこの本の内容、その妄想的な理論振りが推測できるはずです。
 
 例えば、「第3章 実在とは何か?――モデル依存実在論」は、「いまここに何が存在しているかは科学的な理論が先にあってこそ決められる」というもので、上に説明した素朴実在論とは相容れない考え方ですね。
 例えば万有引力の存在とその働きは、ニュートンがこれを発見し、西洋発の自然科学理論の一部になっていることとは一切無関係に、この世界の仕組みが造られてから存在していて、宇宙大では宇宙人一般を含めて誰もこれを無視して行動できないという点で、ホーキンス博士の言う「モデル依存実在論」、別の言い方をすると「社会構成説」のような考え方は、間違いであることになります。
 モデル依存実在論は、事実の理論負荷性、「事実は理論を倒せるか」という形でも論じられますね。
 一般法則論では、事実は、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)に絶対的に普遍的に客観的に先立って実在するΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られた世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)というこの世界の成り立ちと仕組みの中に位置づけて理解します。
 この結果は、自動的かつ必然的に事実に何か特定の意味づけがされることになります。例えば、正しいとか間違っているとかの価値判断を含めて、です。
 しかし、自然科学では、(ヒトが体験する/経験する)事実は、ヒトが勝手にでっち上げた科学理論の枠組みの中にのみ位置づけられ意味づけされます。
 この違いは、例えば万有引力の存在とその働きの理解に現れます。
 また、いわゆる超能力や超常現象の認識と理解においても・・・。

○まとめ
 ホーキング、宇宙と人間を語る という本を知って、ホーキングは博士の間違いをし指摘して、一般法則論の天地創造の考え方を再確認しました。
 バチカンも天然自然の存在の創造主である神の存在証明を自然科学的にしている一般法則論を知れば安心するかもしれません。
 いや、バチカンは、文化現象としての宗教の存在が危うくなる、と一般法則論を拒否するかも知れません。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

立春、シュークリーム、「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法

2011-02-04 23:13:57 | 潜在意識の活用法
 立春、シュークリーム、「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法 

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                     

○この文の目的
 この文では、この世界の成り立ちと仕組みを知るのは意志の力で想像力を逞しくすることによるのではなくて、この世界の成り立ちと仕組みを造っている無意識の心/潜在意識に任せ、委ねて知ることである話を簡単にします。
 こうすることが、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ているこの世界の成り立ちと仕組みを丸ごと活用して生きることを可能にします。

○立春
 昨日は節分。
 そして、今日、2011年2月4日は、立春。
 全国的に一日とても暖かい日だったようです。
 朝遅く点けたガスストーブを切って、昼過ぎの暖房をしていない室温は、17度もありました。
 しばらく前から「光の春」を感じるようになっていましたから、立春で「光の春」が本格化します。

○シュークリームの味
 先日NHKのラジオ深夜便で知った今田奈美子氏の話で、洋菓子は、例えばバウムクーヘンは、ドイツの「伝統菓子」として素材も作り方も見た目の形も決まっていることを初めて知りました。
 今田女史の話によると、「伝統菓子」としての洋菓子は、国際会議の晩餐会などのデザートや宮廷で食される菓子として欧州で発達し確立したのだそうです。
 この話の中で、今田女史が日本に初めて紹介した「チーズケーキ」(これも伝統菓子の一つ)がそれから日本でも定番の洋菓子になったことを知って、翌日チーズケーキを近くの洋菓子屋さんで買い求めて味わいながら食したものです。
 そして、今日は、洋菓子の国際コンクールで過去に三度優勝したことがあるという辻口博啓(つじぐち ひろのぶ)氏の仕事の仕方を紹介する勝間和代さんのNHK番組を録画で見て、辻口氏が、その洋菓子店の実力を判断する物としてシュークリームを選んで買うという話を聞いて、そのシュークリームが食べたくなって、早速近くの洋菓子店でそれを買い求めてきて、先ほど食しました。
 確かに、記憶にある別の洋菓子店のシュークリームとは、外観は同じでも味が異なっていました。今日食べたのは、私にとってはいまひとつの味でした。

○菓子職人の辻口氏の哲学
 辻口氏は、菓子はすでに在る物を作るだけで良いとか売れるから作るとかでは無くて、この菓子は何のために誰のためにどんな味の物を作るのか、「自分の思いを込めた菓子」を作りたい、と言います。
 この考えに基づいて、シュークリームは子供のお小遣いでも買える値段に設定しているそうです。
 これを自らの哲学にしている、と辻口氏。
 正に、Ω神が天地創造に当り、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトの生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みは何のために造るのかを決めていたように、そして、これをヒトが自覚的な知識にするのが「哲学」であるように、辻口氏は、自らの菓子の創造主である神として哲学していることを知りました。

○素材に自分がなりきる 辻口氏の菓子作り
 洋菓子作りの第一歩は、菓子の素材になる例えば「卵」に自分がなりきることだ、と辻口氏。
 「素材に自分がなりきってその気持ちを知り、どう生かして欲しいのかを知ろう」と常にしていると、辻口氏は言います。
 このやり方は、小学生のときに蛸釣りで、釣り針が海中の岩などに引っかかってしまう「根がかり」だと思ってそれを外そうとしていた三年もたったある日、すっと引き上げたら蛸が釣れていた体験をして、その瞬間蛸と一体になって蛸の気持ちが分かった体験から学んだものだそうです。この体験の後は、それまで釣れなかった蛸が釣れるようになったそうです。
 「素材に自分がなりきる」辻口氏のやり方について、勝間氏は、「素材について知るために想像力を働かせることか」と辻口氏に訊ね、辻口氏もそのようなことだと答えました。
 しかし、勝間氏の理解の仕方は間違いです。

○素材になり切るのは無意識/潜在意識の心に任せ委ねてする
 素材になりきって、素材の声を聴くのは、意識のある心の想像力を駆使してするのではありません。
 そうではなくて、素材を無意識の心/潜在意識によく見させて判断させるのです。
 こうすると、無意識の心/潜在意識から答が得られるのです。
 具体的には、「これはこうして見ようか・・・」というアイデアが意識のある心にふと浮かんでくるのです。
 アイデアが浮かんだら迷わずに素直に実行してみて、その結果を確認することです。
 この技術は、「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法の肝です。
 そして、こうすることが、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで全て出来ているこの世界の成り立ちと仕組みを丸ごと活用して生きる技術、即ち、「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法になります。
 詳しいことは別の文にします。

 まずはこの文の投稿。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

数(学)はこの世界の成り立ちと仕組みを創った原理や原因の一部では無い +追記

2011-02-02 05:19:34 | 一口解説/一口メモ
 数(学)はこの世界の成り立ちと仕組みを創った原理や原因の一部では無い

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対

○この文の目的
 数(学)は、この世界を創った原理や原因の一部では無いことを確認します。→一口メモ

○この世界の成り立ちと仕組みを創った原理の確認
 一般法則論では、私達ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の存在と、私達の生活基盤/インフラになっている天然自然の世界+文化・文明を創り出した原理になり、原因となったのは、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働き、と説明しています。
 言い換えると、天地創造の目的を最初から持つ創造主である神、自然法則、エネルギーの3語で、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の存在を含めてこの世界の成り立ちと仕組みを説明できる、ということです。

○数或いは数学はこの世界の成り立ちと仕組みを創った原理であり原因であるという説
 古代ギリシャの(哲学者アルキメデスでしたかではなくて、自然科学者の)ピタゴラスは、この世界を創った原理は数である、と言ったと聞きます。
 現在では、数学が、具体的には特定の方程式で表されるものが先にあって、これを原理とし、原因として、この世界が創られている、という説があります。これは、超弦理論の名で知られていますね。

○自然法則がこの世界を造る素材であるエネルギーを制御している姿が数学の方程式で表現できる
 この世界は、Ω神による天地創造の目的を、天地創造の実際の原理である自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが具体化した物として在るわけです。
 この結果が、私達が見て知っているような物質で出来た世界の形になっているわけです。
 具体的には、自然法則が、創造主である神の天地創造の目的を実現するために、「それをそれにする原理的仕組み」に基づいたシステムをこの世界を造る素材であるエネルギーを使って造る、という形になっています。
 なお、この世界を造る唯一・絶対・普遍的な素材のエネルギーは、ビックバンに始まるこの世界の物質化の中で、元素とこの化合物や混合物の形に物質化しています。→E=mc^2(/秒)
 この時に、システムの素材になり、この働きを担うエネルギーの働きを、自然法則が、「それをそれにする原理的仕組みを具体化した個別具体的な特定のシステムの形」になるように宇宙大で唯一・絶対・普遍的に制御しています。
 そして、自然法則によるエネルギーの働き方は、数学という言語で、数学的な方程式の形にして厳密に記述できることを、ニュートンなどが発見したわけです。
 つまり、自然法則がエネルギーの働きを制御している姿は、元々から数学的な方程式で記述できるようになっているわけです。

○数式が先にあってこれを原理とし原因としてこの世界がつくられているのでは無い!
 自然法則がエネルギーの働きを制御している姿は、元々から数学的な方程式で記述できるようになっている訳です。
 しかし、数学的な方程式が先にあって、これに則って自然法則が働いているのではありません。
 言い換えると、何か格好の良い美しい方程式があるから、これを原理とし、原因として、何か特定の自然法則があるとか、この世界が造られている、ということではありません。
 「『竜』という言葉があるから、『竜』という動物がこの世に実在するはずだ」式の発想の超弦理論は、根本的に間違っています。

○まとめ
 Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みは、数式で表現/記述できるけれども、数式自体は、言い換えると数学がこの世界の成り立ちと仕組みを造っている原理でも原因でも無いことを確認しました。

○余談 システムをその構成要素に分解して認識し理解することが必要なことがある
 例えば、商品化されている音楽CDは、CD本体とこれを収めたCDケースとCDに録音されている音楽が何かが書いてある紙の印刷物の三つの構成要素で出来ている「システム」です。
 そして、音楽を聴くときには、CD本体しか使いません。
 時と場合によっては、CDの音楽を聴きながら、録音されている音楽が何かを確認し演奏時間を知るために、付属の印刷物を必要とするかも知れません。
 CDの保管のときには、普通、CD本体+CDケース+紙の印刷物の三つがワンセットのシステムとして使われます。
 では、CDの持ち運びの場合には、どうなるでしょうか?
 この場合は、持ち運んだ先でそのCDに収められている音楽を他人にも聴いてもらうつもりならば、CD本体+CDケース+紙の印刷物の三つをワンセット/一揃えのシステムとして持っていく必要があるでしょう。
 しかし、CDに収められている音楽を聴く必要が無く、単に何の音楽CDを持っているのかを他者に示したいのならば、そのCDに収められている音楽が何かを示した紙の印刷物のみを持っていくだけで済みます。

 このように出来るのは、商品化されている音楽CDシステムは幾つの構成要素で出来ているのかを、最初に自覚的に意図的にその構成要素に分解して認識し理解した上で、次に、その音楽CDシステムを何の目的で使うのかを、これも自覚的に意図的に確認することで、その目的に応じて、その音楽CDシステムのフルセット/全部が必要なのか、それともその一部で済むのかの判断が自然に可能になります。

 別の例。
 工場内で、ヒトの力では重くて簡単に持ち上げられないけれども車輪付きの機械を移動中、ゴムホースが床を這っている所に来て、さて、床に這っているこのゴムホースをどうしたら乗り越えられるのか!? と騒ぎになっている所に通りかかった人が、そのゴムホースをヒョイと持ち上げて機械の上を通して見せた、という話を聞いたことがあります。
 これは、その場の事態を一つのシステムとしてみて、その構成要素が何と何であるかを自覚的に意図的に確認し、床に横たわっているゴムホースのこちら側から反対側に重い機械を移動させるには何が可能かを、観る視点を変えて発見した例になります。

 一般的に言えば、こういう問題の解き方は、いわゆる創造性解発/開発技法の名で知られている様々なアイデアの見本を参考にすることができます。
 私も二十代にこのことを盛んに学んだものでした。
 余談の終わり

○追記1 システムの構成要素の属性が問題になることがある  2011/02/02 12:25すぎ
 上の「余談」で、システムをその構成要素に自覚的に意図的に分解して認識し理解し、そのシステムを使う目的に合わせて、システムを分解してその一部のみを使うことが出来る話をしました。
 「抜き身の刀」という表現がありますが、ここでは、そのシステム全体やその構成要素が持つ属性/特性が、そのシステムを使うときに重大な意味がある話をします。
 
 例えば、こうもり傘が持つ細長い棒状の形態。
 そこで、こうもり傘を肩に担ぐように持つと、人ごみの中ではこうもり傘の石突部分で他人に怪我を負わせる可能性があります。
 これを自然に避けるには、こうもり傘の持つ細長い形状について、事前に自覚的に意図的に認識し理解して、これに基づいてこうもり傘の安全な持ち方を、人に教えられたり注意されたりしなくても、自分で考えて見つけることが出来ます。
 自転車の例では、人力で走るという自転車本来の機能の他に、ヒトが乗って走っている自転車はかなりの重量になるという属性を自覚的で意図的な知識にしておく必要があります。
 この属性によって、走って来た自転車に衝突した人はかなりの衝撃を受けて転倒したり怪我をしたりする可能性が常にあります。
 現に自転車に衝突して亡くなるヒトの例が毎年何件も報告されていますね。
 また、最近、街中を夜間に無灯火で走る自転車によく出会います。
 中には幼い子供を後ろに乗せた女性もいます。
 ご本人は無灯火でも乗っている自転車の先に何があるかよく見えているから良いつもりなのでしょう。
 しかし、歩行者の方から見ると、特に視力が落ちている老齢者から見ると、無灯火の自転車は、目の前に来るまで見えなかったりするものです。
 駅に通じる坂道を、夜間無灯火で飛ぶように走る自転車に何台も遭遇することがあります。
 すれ違いざまに「明かりをつけて!」と注意しても一瞬のことで相手には通じないものです。
 私が子供の頃には、無灯火で自転車に乗っていると、お巡りさんに注意されたものです。
 そこで、日が暮れたら、灯火の無い自転車を降りて、手で押して家に帰ったものでした。

 場合によっては、そのシステムの設計ミスや製造ミス/手抜きの製造で、そのシステムを使うヒトが怪我をしてしまうこともあります。
 例えば中国製の折り畳み式自転車で走行中に、車体が折れたとかサドル部分が壊れたとかいう事故で乗っているヒトが怪我をしたとか、折り畳み式のベビーカーで、折り畳みする部分で幼児が指を切断したとかの事故があります。
 学生時代、大学の生協で買ったバインダーにノート用紙を挟み込むときに、指を掛けて押す金具のバリ取りをしてない欠陥商品だったものですから、指を深く切って、鋏み込んだノートが血だらけになったことがありました。
 これに懲りて、日常生活の中で使う諸々のシステムの持つ機能以外の属性について、そのシステムを手に入れた瞬間から即座に自覚的に意図的に点検して、これがもたらす事故等を想像し、事故が起らないようにする使い方を考えるようになったものです。
 注記1の終わり

○追記2 金属のバリ取りに金やすりが活躍 2011/02/02 14:11過ぎ
 生協で買ったバインダーの金具のバリで怪我をした後、そのバリを金やすりで削り取りました。
 この後、金やすりは、金属製の家具などのバリとりに活躍することになりました。
 追記2の終わり

○法隆寺の襖絵の展覧会のこと
 先日、テレビの番組で、日本画家の小泉淳作氏が3年余り掛けて描いた法隆寺の襖絵のことを知りました。
 襖絵は、サクラと蓮を描いたものです。
 テレビの画面で見てもとても素敵なものでした。
 この襖絵の展覧会が、大阪の島屋で今週中にも始まるようです。
 近くの方でご興味のある方は、一見の価値がありますよ。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。