(9月7日になってしまいましたが・・・・)
今日、平成18年(2006年)9月06日は、とても嬉しいニュースが朝からありました。
それは、秋篠宮殿下・妃殿下の間に、親王殿下が誕生したニュースです。
御皇室にとっては、41年ぶりの男子ご誕生。
日本国民にとっては待望の、いま一人新しい皇位継承者の誕生を告げる、とても嬉しいニュースです。
親王殿下のお健やかな御成長を祈り、この喜びを皆さんと共に共有したい、と思います。
ところで、一般法則論では、全ての人間存在は、唯一絶対普遍かつ至高の創造主である神が自らの身心(自然科学で言うエネルギーと同じ意味)を、天地創造の原理(同じく自然法則)に則って、直接自己展開して創造した、創造主である神の化身/分身そのものの存在です。
これを、神話的に言えば、神の降臨によって人類が誕生したことを意味します。
実際にこうである、と私の悟りの体験の時に知り、これを、今、一般法則論の形で説明しているところです。
念の為に確認しておきます。
ここで言う「創造主である神」の存在は、唯物論者が主張する、人間がでっち上げたものではありません。
そうでは無くて、人間存在の遙か前に遡り、人間存在を含めた天地万物の存在に絶対的に先立って、それ自体で在るようにして絶対的に存在していた創造主である神(この存在は「絶対的無意識の存在」という心的/精神そのものの存在だ、と一般法則論では説明します)が、ここでいう創造主である神です。
また、ここでいう創造主である神は、如何なる意味でも、何か特定の宗教宗派の教典等にその存在が(その存在証明が未だに一切されないままに)啓示されている神のことでも全くありません。
ここで言う「創造主である神」は、筆者が悟りの体験の中で発見し、これに基づいて、自然科学で言う自然法則+エネルギー一体不可分の働きを完全なものにする存在として、「創造主である神」と一般に呼ばれている存在が必要不可欠だという形で、自然科学的にその存在証明をした意味の、創造主である神のことです。
一般法則論の発見では、全ての人が、この世界の天地万物の創造主である神の化身/分身の存在です。
これを、神話的に言えば、神の降臨によって人類が誕生したことを意味します。
日本の皇室は、神話によれば、神の降臨(天孫降臨)によって誕生したものです。
そして、皇室の誕生物語である日本神話では、日本国民は全て、天孫降臨によって誕生した皇室の子孫、という関係にあることになっています。
そこで、日本国民の全ての人が、家系図を昔に遡ると、全て皇室に行き着きます。
即ち、一般法則論で説明している人類の誕生の秘密が、皇室を戴く日本で具体的な形をもって現実に存在している訳です。
こうだと、一般法則論の説明をしている中で気が付きました。
言い換えると、一般法則論と、天孫降臨で誕生した皇室を戴く日本と日本民族の存在とは親和性がとても良いことになります。
そこで、今改めて、皇室を戴く日本の世界史的な役割を、一般法則論的に考察中です。
皇室の存在意義の解明は、この考察の一部になります。
この考察は、間違いなく、弥生文化が日本列島にもたらされる遙か前に、日本列島に住む日本民族の宗教観(神観念)、自然観/世界観、生死観、労働観等の元型を形造ったと推測できる、日本列島の中でほぼ自己完結的に1万3千年以上続いた縄文時代まで遡ることになりそうです。
日本の皇室の起源は神々の神話の世界に直結していて、それが現在の皇統にその儘直接連綿と続いていることになっています。
上智大学名誉教授の渡部昇一先生によると、日本の皇室は、もうとっくの昔に「昔の神話伝説」になってしまったギリシア神話の神々の世界が、その儘現在のギリシアに存在しているようなものだ、と説明すると、ギリシア文明の継承者のつもりの西洋人は、すぐに日本の皇室は、世界にその類例が一切無いことをよく理解するそうです。
この説明を知って、皇室の存在の位置づけ方にはこのような方法もある、と初めて知りました。
今日、平成18年(2006年)9月06日は、とても嬉しいニュースが朝からありました。
それは、秋篠宮殿下・妃殿下の間に、親王殿下が誕生したニュースです。
御皇室にとっては、41年ぶりの男子ご誕生。
日本国民にとっては待望の、いま一人新しい皇位継承者の誕生を告げる、とても嬉しいニュースです。
親王殿下のお健やかな御成長を祈り、この喜びを皆さんと共に共有したい、と思います。
ところで、一般法則論では、全ての人間存在は、唯一絶対普遍かつ至高の創造主である神が自らの身心(自然科学で言うエネルギーと同じ意味)を、天地創造の原理(同じく自然法則)に則って、直接自己展開して創造した、創造主である神の化身/分身そのものの存在です。
これを、神話的に言えば、神の降臨によって人類が誕生したことを意味します。
実際にこうである、と私の悟りの体験の時に知り、これを、今、一般法則論の形で説明しているところです。
念の為に確認しておきます。
ここで言う「創造主である神」の存在は、唯物論者が主張する、人間がでっち上げたものではありません。
そうでは無くて、人間存在の遙か前に遡り、人間存在を含めた天地万物の存在に絶対的に先立って、それ自体で在るようにして絶対的に存在していた創造主である神(この存在は「絶対的無意識の存在」という心的/精神そのものの存在だ、と一般法則論では説明します)が、ここでいう創造主である神です。
また、ここでいう創造主である神は、如何なる意味でも、何か特定の宗教宗派の教典等にその存在が(その存在証明が未だに一切されないままに)啓示されている神のことでも全くありません。
ここで言う「創造主である神」は、筆者が悟りの体験の中で発見し、これに基づいて、自然科学で言う自然法則+エネルギー一体不可分の働きを完全なものにする存在として、「創造主である神」と一般に呼ばれている存在が必要不可欠だという形で、自然科学的にその存在証明をした意味の、創造主である神のことです。
一般法則論の発見では、全ての人が、この世界の天地万物の創造主である神の化身/分身の存在です。
これを、神話的に言えば、神の降臨によって人類が誕生したことを意味します。
日本の皇室は、神話によれば、神の降臨(天孫降臨)によって誕生したものです。
そして、皇室の誕生物語である日本神話では、日本国民は全て、天孫降臨によって誕生した皇室の子孫、という関係にあることになっています。
そこで、日本国民の全ての人が、家系図を昔に遡ると、全て皇室に行き着きます。
即ち、一般法則論で説明している人類の誕生の秘密が、皇室を戴く日本で具体的な形をもって現実に存在している訳です。
こうだと、一般法則論の説明をしている中で気が付きました。
言い換えると、一般法則論と、天孫降臨で誕生した皇室を戴く日本と日本民族の存在とは親和性がとても良いことになります。
そこで、今改めて、皇室を戴く日本の世界史的な役割を、一般法則論的に考察中です。
皇室の存在意義の解明は、この考察の一部になります。
この考察は、間違いなく、弥生文化が日本列島にもたらされる遙か前に、日本列島に住む日本民族の宗教観(神観念)、自然観/世界観、生死観、労働観等の元型を形造ったと推測できる、日本列島の中でほぼ自己完結的に1万3千年以上続いた縄文時代まで遡ることになりそうです。
日本の皇室の起源は神々の神話の世界に直結していて、それが現在の皇統にその儘直接連綿と続いていることになっています。
上智大学名誉教授の渡部昇一先生によると、日本の皇室は、もうとっくの昔に「昔の神話伝説」になってしまったギリシア神話の神々の世界が、その儘現在のギリシアに存在しているようなものだ、と説明すると、ギリシア文明の継承者のつもりの西洋人は、すぐに日本の皇室は、世界にその類例が一切無いことをよく理解するそうです。
この説明を知って、皇室の存在の位置づけ方にはこのような方法もある、と初めて知りました。