いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

敗者復活戦が無くても侍ジャパンが優勝したに違いない

2009-03-26 04:41:03 | 潜在意識の活用法
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)         Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対
                                 Z→→→Z

 イチローの奇跡  WBCは侍日本が2連破!という文を載せました。
 WBCで優勝した「侍日本」の話の続き。
 敗者復活戦がなくても、侍ジャパンが優勝したに違いない。

○もし敗者復活戦がなければ韓国が優勝した!?
 日本と五度も対戦することになって最後の優勝決定戦で負けた韓国の新聞が、「敗者復活戦(で命拾いをした日本と優勝を掛けて戦うことになる)制度は間違っている」と言う趣旨の記事を書いている、とインターネットで読みました。
 この文を書くためにもう一度確認して、この通りの理解で良いと再確認できました(注記1)。

○敗者復活戦が無い場合でも今年の侍ジャパンが優勝したに違いない
 では、もし敗者復活戦がなければ、日本に代わって韓国が優勝したでしょうか?
 いや、多分それでもやっぱり、今年は侍ジャパンが優勝したに違いありません。
 こう推測する理由は、今年の侍ジャパンは、何が何でも優勝するぞ! という確かな決意とこれを裏付ける高度の野球技術が身に付いている、しかもとてもチームワークが良い選手の集まりだ、と言えるからです。

○潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法も味方してくれるに違いない
 潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法では、目標を必ず達成するという最初の決意を目標実現の過程で遭遇する様々な困難によって翻して、目標の実現を諦めることをしない限り、必ず潜在意識の法則/引き寄せの法則の持つ全知全能の力の支援で目標の実現が可能だ、ということが既に分かっているからです。
 そして、今年の侍ジャパンは、正に何が何でも今年も勝つ! と選手団は固く決めて試合に臨んでいたし、これについては国民の多くの期待もありました。

○実現が困難な目標を成功的にやり遂げるのが民族的/国民的に上手
 実現が困難な目標をしばしば外部的要因(例えば顧客への納期の期限)で決められて頼まれた仕事をその通りにやり遂げて相手に届ける式のことをするのが当たり前の企業文化が日本にはあります(NHKの「プロジェクトX」や「プロフェッショナル」という番組を思い出します)。
 こういう民族的な/国民的風土の中ではとりわけ、潜在意識の法則/引き寄せの法則はよく働きます。
 「できます。私にやらせてください。」と一度引き受けた仕事は、知恵と工夫を凝らし、技術の粋を尽くして、約束通りに成功的にやり遂げるのが、原日本人と言うものです。このことに関するもう少し詳しい説明は、別文にします。

○まとめ
 侍日本は、今年のWBCで、仮令敗者復活戦が無くても、結局優勝したに違いない、ということです。これを裏付ける理屈もちゃんと在る、という訳です。
 あなたは、この説明を、納得し、信じてくれましたか?!

 もし、あなたが、今現在、何かの目標を実現する途中で、しかもその成功的な実現の日が今現在未だ見えず分からなくても、その目標の実現を諦めない限り、そして、あなたが決めた目標実現の為には何と何が必要かについても全て知っている潜在意識の法則/引き寄せの法則が持つ全知全能さを信じてこれに絶対的に頼ることをし続ければ、必ずその目標は実現できることに既に決まっています。
 これを、今年2009年のWBCで侍ジャパンが正にやって見せてくれました。
 これから学び、目標の成功的実現の日まで、すること/自分がしなれはならないと思うことは何でもして(こう決めると逆に多くのことをしなくて済むというのが真理です。「自分としてはそんなことまでやりたくないなぁ」式の考え方をして気持ちの上で逃げるとだめです)、耐えましょう。

○注記1 予定外の収穫 韓国ってホントに反日?
 インターネットでこの新聞記事を探しているときに、次のサイトを見つけました。
 ご参考までに。

 韓国ってホントに反日?
 http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea1.html

 注記1の終わり

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

イチローの奇跡  WBCは侍ジャパンが2連覇!

2009-03-24 23:00:00 | 余談
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対
                                 Z→→→Z

 イチローの奇跡  WBCは侍日本が2連覇!
 今日、3月24日に、アメリカはロサンぜルスのドジャース球場で、日本と韓国の間で行われた野球の世界一を決めるWBCの決勝戦で、侍日本が韓国を5対3で下して勝ちました。
 9回裏に韓国に同点にされ、しかも韓国にとってはランナーが三塁に残っていて「さよなら勝ち」のチャンスだったのに、日本はこれを凌ぎ、10回2アウトからイチロー選手の適時打で2点を取って、これが決勝点になりました。
 9回にダルビッシュ投手が締めの投手として出て来た時に、彼には不安定な所があるので嫌な予感がしたものです。この予感通りに同点にされ、あわやサヨナラ負けになりそうでした。
 昨日からの私の個人的な直観的な確信では、日本が勝つ! ということだったので、9回裏に韓国に同点にされ、なお韓国の選手が三塁に残っている段階で、これはハズレか・・・、と思ったものでした。
 しかし、この大会の緒戦の後からずっと不振のイチロー選手が、最後に奇跡的な活躍をして勝ちました。
 終わってみれば、9回の同点は、イチロー選手の出番を作るために必要だったみたいな展開でした。
 こういう奇蹟的なことが実際にある、と記憶しておきたい、と思いました。

 付け加えて言えば─────
 試合後の記者会見で、松坂大輔選手が「自分は本当にツイている運がいい人間」と言っていました。
 こういう大きな試合/大事な出来事/事件では、良い意味でも悪い意味でも「自分は本当にツイている運がいい人間」と言える人物がそれに直接参加し携わっている必要があるものです。
 それに、例えばイチロー選手の不振を他の選手が補ってなお余りあるなど、サムライ日本の選手達はよくまとまって良いチームワークを発揮しました。
 また、日本の選手は、野球の基礎的/基本的な知識と技術がしっかりと身に付いている上に、「ここ一番!」という時に職人芸のような精密な野球が出来ることが、WBCで二連覇の勝利を実力どおりに掴むことができた要因でもあった、と言えます。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。



いつかきっとさん(2009年03月04日のコメント欄)への回答 

2009-03-23 02:30:52 | 余談
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的    人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)           Ω人     生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                    Z→→→Z


いつかきっとさん(2009年03月04日のコメント欄) 
 回答が遅くなりました。

 いつかきっとさんは、一般法則論で説明している世界観を図解化したものを、ちゃんと作ってくださっていますか?
 これをして下さらないと、私のしている話が分かりませんよ。

 哲学は、平和憲法の正しさを根拠づける為に存在しているのでありません。
 哲学は、私達が生まれ住んでいるこの世界の成り立ちと仕組みを造っている根源の原理を明らかにしようとする為のものです。
 これが哲学に関する基本的な定義です。
 一般法則論は、この点では正統派もバリバリの正統派の哲学です。

 「神との対話」の筆者は、一般法則論が明らかにしているこの世界の成り立ちと仕組みの構造についての自覚的な知識はありません。
 この本の筆者は、ヒト/Ω人の生き方の原理の存在についても、明確な知識がありません。
 多くの宗教家がヒト/Ω人の生き方の原理の存在を知らない為に、殆ど自覚の無いままに「ヒトの幸不幸は金のあるなしで決まる!」と思い込んでいて、この結果金の無い特に貧しい人達を哀れに思い、Ω人の生き方を原理を知らない人達を家畜のように飼って生活を保障すると言う、原理的に不可能なことを約束する社会主義や共産主義に共感を示すことになります。
 「神との対話」の筆者もこの例に漏れないようです。

 一般法則論で言う意味の「悟りの体験」も、この本の筆者にはありません。
 そもそも、絶対的無意識の存在のΩ神が誰か特定の人に向かって直接語り掛ける、ということは原理的にありません。→絶対的無意識の意味・機能
 歴史的に知られている例えば、後に天理教の教祖になった女性の身心を神が乗っ取って教義を説いた(中身はとても正確です)例があります。
 しかし、これは、一般法則論者の私の体験では、全く何処の誰とも言わないで、他人の身心を乗っ取って、いわゆるテレパシー+遠隔操作+読心術で特定の人に自分の考えていることを、神の名を語って伝えることができるいわゆる超能力者が実在している例に当たります。
 この例のように、普通の人には想像することもできないことができる人達が世の中には実在しているのです。しかも、これは、かなり普通にある現象のようです。私の部屋に積んである本の中に「神様から人類を救済する使命を直接頂いた」という人達の本が何冊かあります。
 「神との対話」の筆者も、この例に違いありません。

 それから、2009年02月18日~24日の間の文と3月1日の文は、殆どいつかきっとさんの為に書いたような文です。これらをよく読んで下さい。
○憲法九条の会などの運動をされている方々への提言 Ω神が造った世界の仕組みは変えられません
○この世界の成り立ちと仕組みは自覚的に学ぶ必要があります 大阪の夜間中学の話
○平和の定義 図解化された一般法則論の世界観と人間観を下敷きにして
○ガルトゥング氏の言う「構造的暴力」の正体

 いつかきっとさんが信仰している平和憲法を信仰するように、他人に強要してはいけません。
 一般法則論的に言えば、悟りの体験が未だ無く、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みについても何も知らない「俗人」が作った平和憲法などにヒトの生き方の原理を置こうとするのは妄想です。

 また、「私はミミズ一匹も殺したくありません」と言いますが、ミミズを餌にしているモグラやムクドリやニワトリと異なって、いつかきっとさんは、ミミズを餌にしなくても生きて行けるのですから、ミミズを殺す必要が最初からありません。
 つまり、いつかきっとさんは、「生態学的な秩序」の存在とその意味をよく勉強してください。
 以上
       このブログの筆者

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

一般法則論の世界観の図解新 テスト 2009年3月12日

2009-03-12 23:29:52 | 一般法則論で説明する世界観の図解
 一般法則論の世界観の図解新 テスト 2009年3月12日

○Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組み全体の「見える化」の試み(矢印の順序で天地創造)
(注記1 Ω神=天然自然の存在の唯一絶対の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在)
(注記2「矢印」の前後は、原因と結果の関係/論理的前後/時間的前後/超越と被超越等の関係を示す)
(注記3 等号「=」/「∥」は、等しい関係/同じことの言い換え/同じ範疇内の大小関係等を示す)
(注記4 「・」は、隣接する用語間の単なる仕切り/区切りを示す)

世界Ⅰ    〔世界Ⅱ 「魔境 (世界Ⅲ   (世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ      (世界Ⅶ→世界Ⅰ
Ω神 =   〔A→   「Z→  (B→      (C→    (D→   (H→E→F→G→(M)」〕→Ω神
絶対的無意識 創造神  ・   Ω神の天地  天然自然 Ω人の  俗・人・子・文明 人が生きた記憶
天地創造の              創造の理法  の世界  物的身体 人・生・孫・歴史   ↓
第一原因者                ∥           ↑    ↑          Z化(妄想化)
魔境/世界Ⅲ以下を絶対超越 自然法則+エネルギー →Ω人の生き方の原理

絶対的無意識のΩ神の天地創造の目的は意識のある心を持つΩ神の創造=Ω人の創造
  ∥
霊的・心的存在のΩ人たるヒトの宇宙的地位
  ∥
Ω人=生物学的存在のヒト=西洋哲学でいう「理性」のあるヒト


Ω神の魂・Ω人の魂・俗人の魂という新しい用語の追加

2009-03-09 23:24:44 | 一般法則論で説明する世界観の図解
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境     (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ      (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
空の世界     妄想の世界
Ω神= 〔A→∥ Z→    (B→ (C→   (D→   (H→E→F→G→(M )))))∥〕 Ω=神の国
創造神 ↑ Ω神の 天然自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
 霊的     M      理法  の世界   Ω人   人・生・孫・化史  ↓
 心的     (記憶)                            Z→→→→→Z
存在のΩ人 

○Ω神の魂・Ω人の魂・俗人の魂 重要な用語の名の追加について
 これまで、Ω神(世界Ⅰ存在)、Ω人(世界Ⅴ存在)、俗人(世界Ⅵ存在)と名付けてのについて、それぞれの後に「~の魂」という言葉を付け加える用語を作ることにしました。
 即ち、Ω神、Ω人、俗人という表現/用語の他に、Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂、と言う新しい用語/表現を作った、という訳です。
 これによって、例えば、「魂を磨く」/「魂を成長させる」/「魂を汚すようなことをするな!」/「世界Ⅱ以下~世界Ⅶ~Zを絶対的に超越して存在する常に永遠に絶対的に清浄無垢の神聖不可侵の魂」という存在/「不死不滅の永遠の生命力を持つ魂」/「魂と魂が出会う」/「魂の叫び(を聴け!/に応えよ!)」等の表現に中身となる意味を与え、実体化しよう、という訳です。
 Ω神、Ω人、俗人は、言わば「魂」をその内に秘めている外観の包装物です。
 この通りに表現すれば────
 Ω神(の魂)、Ω人(の魂)、俗人(の魂)です。

○Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂の間にある基本的原理的関係
 Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂の間の基本の原理的関係は、Ω神、Ω人、俗人の間にある関係と同じです。
 即ち、Ω神の魂=Ω人の魂=俗人の魂です。
 大小関係をより正確に表現すれば────
 Ω人の魂は、俗人の魂より大きく、その内に俗人の魂の全体を含みます。
 Ω神の魂は、Ω人の魂と俗人の魂よりもも大きく、Ω人の魂と俗人の魂の全てをその内に含んでいます。

  Ω神の魂=Ω神の魂>Ω人の魂>俗人の魂

 但し、Ω人は、Ω神の化身かつ分身の存在として、Ω神の存在を否定することもできる絶対的に自由な主体者として造られているので、Ω人の魂は、現象的には、Ω神の魂の働きの外へ出ることがあります。これを妄想と言います。
 しかし、この場合でも、Ω人の魂が持つ機能は、必ずΩ神の魂の機能の一部であることには少しも変わりはありません。
 これは、比喩的に言えば、台所用の包丁として作られている物を、間違って殺人の道具に使うようなものです。

○「~の魂」を付ける新用語を作った理由
 Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの中で───
 Ω神、Ω人、俗人は、Ω神の天地創造の理法/自然科学で言う「自然法則+エネルギー一体不可分の働き」を、この世界を造る為の言わば「道具」にし、この世界を造るための素材に使う役割を担う「創造的行為の主体」となる絶対的な存在です。
 「こうある筈の存在だ」と、Ω神が全て造っているこの世界の成り立ちと仕組みの中で最初から決められています。
 Ω神、Ω人、俗人は、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの中で、「それ自体で、自立し、自律し、自己組織化され、自己完結している独自で不変の主体的な絶対存在」です。
 しかも、Ω神、Ω人、俗人の本質は、非物質的な心/精神と呼ばれるものです。
 そこで、Ω神、Ω人、俗人とそれぞれ名付けた存在の「それ自体で、自立し、自律し、自己組織化され、自己完結している独自で不変の主体的な絶対存在」を自覚的に意図的に意識化し、独自の固有の名前を付けて、しっかりと私達の意識に上らせようという訳です。この意図です。
 即ち、Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂。
 従って、この文の最初に掲げた一般法則論の世界観の略図は、Ω神(の魂)、Ω人(の魂)、俗人(の魂)のつもりものになります。

 一般法則論の世界観の図解をした2008年12月03日以降の文も、当然にこのような意味になります。

○名付けの効用を生かす
 何かについて、それを表す固有の名前を付ける効果/効用があります。
 例えば、あなたや私の名前。
 時代区分の名前の例えば、江戸時代、事件や出来事に付けられた名前の例えば、大化の改新/明治維新/カノッサの屈辱/2・26事件/原爆の日など多数。
 特定の概念を一言で言い表した言葉として、宗教、自然科学、自然法則、エネルギー物理学、化学、哲学、存在論、認識論、創造論、学名など。
 簡単な覚え易い特定の「名前」や「見出し」等を付けて「固有名詞」化することで、その全体を一言で表す。
 これに反する話は、落語の「寿限無」という「題」/と名付けられた話。
 この効用は、あなたも御存知の通りです。
 このことを意識して、一般法則論では、ここで使う概念の名付けをしています。
 例えば、一般法則論やΩ神、Ω人、俗人という言葉。
 この世界の成り立ちと仕組みは、創造主である神、自然法則、エネルギーの3語で話せるという時の、創造主である神、自然法則、エネルギーと名付けられた概念。
 そして、今、新しく、「Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂」という言葉。
 もちろん、名付けの対象は、私達が生きている全世界の最初に存在し、世界の根源的な始まりの世界を意味する「世界Ⅰ」に実在するΩ神から全て出たこの世界の成り立ちと仕組みの中にはその存在が実在しない/実在し得ない、例えば架空の動物の「龍」とか「マルクス主義」とか「平和運動家」とかガルトゥング氏がその存在と効用を主張する「構造的暴力とこの克服」などもあります。
 これはこれとして、この世界の成り立ちと仕組みとこの世界の中で起こっている諸々の事に付けられた「名前」を知らないで、例えば「自然法則」という「言葉」とこの言葉が指し示している意味/中身/概念/実体について、万人に通用し得るような何かを考えることは、事実上できないものです。
 自分が生まれて生きているこの世界の成り立ちと仕組みについての無知と不勉強は、その御本人にとってだけでなく、その人の周りの人達にとっても、社会全体にとっても、国家や全人類にとっても損失でありかつヒト迷惑なことです。

○なぜ例えば「(Ω神の)神格/霊格」ではなくて「~の魂」なのか?
 Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂。
 しかし、何故、例えば、Ω神の神格/霊格、Ω人の神格/霊格、俗人の神格/霊格ではいけないのか?
 こうであっても良いのかも知れません。
 しかし、一般法則論では、「神」という言葉を敢えて採用している理由を前に説明しましたが、この場合と同じ考え方で、「~の魂」という言葉を選んだのです。
 「神」という言葉を一般法則論で使うことにした経緯をここで繰り返して説明すると────。
 「神」という文字をみれば、また、「カミ」という言葉を耳にすれば、すぐにそれが何を指し、何を意味しているのかが「分かっている」と、本当は個人レベルではもちろん未だ人類全体のレベルでも何も知らない筈のことについて、直ちにそう間違って思い込む人達が普通にいます。
 こうであることを充分承知で、言い換えると、「神」という文化・文明的/歴史的な「手垢」のついた名前であることを承知で、誰かヒトがでっち上げた存在では無い、私達全ての存在に時間的にも論理的にも先立って、それ自体で在るようにして在る天然自然の存在の「神」であるΩ神を指し、Ω神を意味する言葉として、一般法則論の中では敢えて昔ながらの「神」という名を残して使うことに決めました。
 Ω神を指し、Ω神を現す言葉として、「神」という言葉は人類の文化・文明の歴史の中でこれ以上一般的に知られている言葉は無い、と考えるからです。
 言い換えると、一般法則論で、Ω神について、勝手な名前を発明して付けるのは適切では無い、ということです。
 同じく既に文化・文明的/歴史的な「手垢」のついた名前であることを承知で、「魂」というよく知られている名前を敢えて採用し、使うことに決めました。
 即ち、Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂。
 Ω神、Ω人、俗人のという存在の中心にある不変かつ永遠不滅の創造活動の心的/精神的主体について、人類はずっと「魂」と名付けて呼んで来た、と言って良いでしょう。
 これについて、一般法則論が勝手に変な名前を付けるのは良くありません。

○Ω神・Ω人・俗人は単に霊的/心的/精神的な存在では無い
 Ω神、Ω人、俗人は、一般法則論の説明では、その本質/実体は、全て非物質的な存在です。
 即ち、Ω神、Ω人、俗人は全て、本質的に非物質的存在=霊的な存在であり、心的/精神的存在です。また、こう名付けて呼ぶものです。
 同時に、Ω神、Ω人、俗人は、この世界を造る、それ自体で自己完結して独自に存在する主体的な存在であることも見逃せません。
 そこで、これを担う中核の存在性を意識化し自覚的な知識にするために、Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂という訳です。

○まとめ
 用語、Ω神、Ω人、俗人には、それぞれこの後ろに、「~の魂」という言葉を付けることにしました。
 昨日、3月8日に、こう決めました。
 また、Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂と名付けたこの日を、「サンパチの魂の日」と名付けました。
 先の「Ω人、俗人」と名前を付けた3月3日は、「雛祭の改新の日」と言うことになります。
 これによって、Ω神、Ω人、俗人の活動の不変の中心/核心となる「霊格」を意識化し自覚的な知識にして、これを意識し、自覚して生きよう、という訳です。
 Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂。
 Ω神(の魂)、Ω人(の魂)、俗人(の魂)。

 以下は余談です。

○昨日観梅に行ってきました
 昨日2009年3月8日、大学時代のサークルのOB・OG会の仲間の友人達と、鎌倉(神奈川県)へ観梅に行ってきました。
 昨日は、一週間前は雨の予想でしたが、それが前日には日中は曇りの予想になり、当日は、春の日が差すまで回復しました。これは、参加した仲間の中に「晴れ女」と「晴れ男」が揃ったお陰かも知れません。
 梅の花は、既に盛りを過ぎていました。
 それでも、梅の香を、皆で楽しんできました。
 そもそも、大学時代のサークルのOB・OG会の仲間の友人達は、私にとっては、その元気な顔を見、その笑い声を聞くだけで、とても嬉しくなります。
 それに、大学時代のサークルのOB・OG会の仲間達には、「一般法則論者の私」の「お里のほど」が知られていますので、とても安心です。

 話が飛びますが、松本清張氏の小説の主人公には、時には反社会的な行為をしてまで苦労して現在の社会的地位と名声を築いた人物が、自分の過去を知る人達を全て消しに掛かる、という筋のものがあります。
 もちろん、このようなことは間違いです。
 Ω神の存在とΩ神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みも、これに根拠のあるΩ人/ヒトの生き方の原理の存在も知らず、従って、Ω人の生き方の原理を担うΩ人の魂の存在も御存知では無かったと思われる松本氏らしい人物を中心に据えた小説の創造、と理解しています。
 以上

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


追記
 本日、3月9日の夜10時から、ポアンカレ予想についてここで書くことにNHKの番組を放送中です。
  以上



Ω神・Ω人・俗人・ヒト(人類)・人(人間)・地球人・あなたや私

2009-03-07 18:07:14 | 一般法則論の世界観の図解説明
 この文は、全体が1万1千文字を超えましたので、本文と注記1―9に分けて投稿します。
 先に注記を載せます。

○Ω神・Ω人・俗人・ヒト(人類)・人(人間)・地球人・あなたや私
 この文では、一般○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ (世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
          妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→  (B→    (C→    (D→    (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然     物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なΩ人)   M(記憶)              Ω人  人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                         Z→→→Z


 法則論の中で使われている、Ω神、Ω人、ヒト(人類)、俗人、人(人間)、地球人、あなたや私、という概念とその相互の関係を説明します。
 もちろん、一般法則論の世界観を「見える化」した図解を前提にして、以下の話をします。

○ヒト(人類) 生物学的存在
 一般法則論で言う「ヒト」は、第一に、生物学的な意味の「ヒト」です。
 「ヒト」は、「人類」という言い方もします。
 宇宙が「大爆発」で始まってから137億年、と天文学者。
 地球の誕生から46億年、と地質学者。
 現在の私達ヒトの存在は、「進化」の過程を経て誕生した、と生物学者(注記1)。
 今から5~6万年位前に私達の直接の祖先が現れ、現在に到っている、と人類学者。
 このような過程を経て生まれた、誰か人或いは宇宙人(注記2)が作ったのではない、天然自然の存在の生物の人類/人間を、生物学では「ヒト」と名付けている訳です。
 そして、生物学でのヒトは、生物進化の中で偶然に造られ存在であり、何かの存在目的や存在理由を持って存在しているのではない、が生物学の正統派の考え方ですね。

○生物学上の「ヒト」と「Ω人」(おめがじん)の関係
 一般法則論の説明の中では、生物学的な意味のヒトは、即、この世界の成り立ちと仕組み全体の創造主である「Ω神」が、自らの化身かつ分身の存在として造った者(宇宙大で言えば宇宙人一般)という理解をしています。→「Ω神による天地創造の目的を再確認します 意識のある心の存在理由 2009年02月28日の文
 そこで、この世界の成り立ちと仕組み全体の創造主であるΩ神の「化身かつ分身の存在のヒト」(宇宙大で言えば宇宙人一般)という表現を、一般法則論の中ではずっとして来ました。
 この意味のヒトを、2009年03月03日に、「Ω人」(おめがじん)と名前を新しくしました。
 即ち、生物学上の「ヒト」という用語を、一般法則論の中では「Ω人」と名付けることにした訳です。
 これによって、Ω神=Ω人という語呂合わせができるようになりました。
 一般法則論の世界観を「見える化」した図解の中では、Ω人は、大自然(世界Ⅳ)の中にある世界Ⅴに存在する、記号「D」のことになります。

○Ω神(おめがしん)
 Ω神は、私達人間存在と私達が生まれ住んでいるこの世界の成り立ちと仕組みの唯一絶対普遍かつ至高の創造主である神/天地創造の第一原因者のことです。
 つまり、この世界の創造主である神であるΩ神の存在なしでは、私達Ω人存在も私達が生きているこの世界も存在しないという意味で、Ω神は特別に大切な存在です。
 しかも、Ω神は、自らの化身かつ分身に造ったΩ人にその生活基盤となる「大自然」を与え、Ω人の生き方の原理とこの実際も決めています。
 Ω神の宇宙的な地位がこのようなものであるので、Ω神についてよく知ることが必要になりますし、大事になる、ということです。
 但し、Ω神とΩ神が造った全世界を、特定の宗教宗派や超能力を持つと名乗る個人が独占することはできません。もちろん、一般法則論でもこれはできません。

○Ω神の出自 世界Ⅰに実在するΩ神の属性
 Ω神は、私達人間存在と私達が生まれ住んでいるこの世界の成り立ちと仕組みの唯一絶対普遍かつ至高の創造主である神であり、天地創造の第一原因者のことです。
 Ω神の中身は、ヒトや宇宙人が作ったのではない、私達全てに絶対的に等しく、唯一絶対的に客観的に普遍的にかつ不変的に先立って存在している、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の存在の創造主である神です。
 余りに長い名前なので、簡単に「Ω神」と名付けました。
 一般法則論の世界観の図解では、Ω神は、この世界の始まりの世界である世界Ⅰ、即ち、無空間(無次元の世界/私達が住む世界Ⅳ以下は空間3次元+時間1次元でできている世界)で無時間の世界の中に、創造主である神として絶対的で自己肯定かつ絶対的に他者肯定の構えを持つ存在(=絶対愛の存在)であり、永遠に不死不滅の生命力と無尽蔵の創造性を持つ完全完璧な非物質的な存在(物質は世界Ⅲ~世界Ⅳで初めて誕生)=心的存在=霊的存在として実在しています。

○Ω人(旧名称は「ヒト」) 世界Ⅴに存在
 Ω神の天地創造の目的である、Ω神の化身かつ分身の存在のヒト。
 具体的には、あなたや私のことです。
 宇宙大で言えば、宇宙人一般。
 Ω人は、Ω神の化身かつ分身の存在ですから、Ω神の化身かつ分身その者らしさを当然に持ちます。
 例えば、Ω人は、完全完璧に健康な身心を持って造られています。この意味は、Ω人は病気を本来知らない、ということです。こう造られているので、間違って病気になると、これを治す力である自己組織化力=自然治癒力が自動的かつ必然的に働き出す仕組みを、全てのΩ人が生得的に持って生まれている訳です。
 ヒトの説明中でも述べたように、2009年03月03日に、「Ω人」と名付けて呼ぶことにしました。

○Ω人は物質的な身体と非物質的心を合わせ持つ存在
 Ω人(世界Ⅴ)は、生物進化の過程を経て、物質的な世界(世界Ⅳ)の中に生まれています。
 同時に、物質的な世界(世界Ⅳ)の中で、Ω人は、絶対的無意識の心を持つΩ神が、意識のある心を持つように造られたものです。
 そこで、Ω人は、物質的な身体と非物質的な心とを合わせ持つ存在です。

○Ω人の意識のある心が真にある所
 Ω人は、物質的な身体と非物質的な心とを合わせ持つ存在です。
 この内、Ω人の持つ物質的な身体は、常に世界Ⅳの物質的な世界/天然自然の世界の中にあります。
 同時に、Ω人の意識のある心は、世界ⅠのΩ神の所に常にあります。
 物質的身体と非物質的な心を合わせ持つΩ人の全体のイメージは、次のように描くことが出来ます。

 Ω人は、足を地獄の中(世界Ⅵ以下)に突っ込んで立ちつつ、その頭(心)は遙か高く雲を突き抜けて天国(世界ⅠのΩ神)の所に常にある。

 このイメージは、筆者がいわゆる悟りの体験をした直後に心に浮かんだものです。

○意識のある心の働きは物質的な身体に先立って存在し身体を支配し制御できる
 Ω神と常に一緒にあるΩ人の意識のある心(後ほど説明するように西洋哲学では「理性」と名付けています)は、Ω人の物質的な身体とこれが自動的かつ必然的にもたらす五感の働きと、更に五感に基礎をおく快・不快/喜怒哀楽/好き嫌い等の感覚と感情を常に超越しこれらを一方的に支配し制御することが常に出来ます。
 「意識のある心の存在とこの機能が、Ω人の物質的な身心の存在と機能に先立つ?」
 「話はこの逆では無いのか?!」と言われる方がいるかも知れません。
 こう言われる方々は、Ω神が全て造っているこの世界の成り立ちと仕組みの基本構造とこの造られ方の順序に基礎をおいた意識のある心の持つ機能について未だ意識化され自覚化された知識をお持ちではないだけのことです。
 常識的に言っても、例えば歩き出す方向を、意識のある心の働き=意思の力で自覚的に意図的に選択し、この選択を採用する決意をし、しかも、一度選択し決定した歩く方向を歩く目的地に到達するまでしっかりと維持することもこれを変えることも出来ること一つ取り上げても、意識のある心の働きがΩ人の身体の存在とこの働きを一方的に超越しこれを一方的に制御できることは明らかです。
 この話は例えば、アルコール中毒患者のヒト(後で登場する「俗人」のヒト)が、お酒をこの先も飲む飲まないについて自覚的で意図的な選択をし、決意を新たにすることにも当て嵌めて考えることができます。

○Ω人の意識のある心は常に世界Ⅰに存在するΩ神と共にあるという真理
 Ω人の意識のある心は、常に、世界Ⅰに実在するΩ神の心の所にある。
 この事実を、Ω人が、そして、後で説明する「俗人」が、自覚する自覚しない、知る、知らない、認める、認めない、承諾して受け入れる、承諾せず受け入れない、信じる、信じない等に一切関係なく、これ自体で宇宙大で普遍的かつ絶対的な真理です。

○Ω人の意識のある心は西洋哲学でいう「理性」に該当する
 「Ω人の意識のある心」は、西洋哲学では「理性」と名付けています。
 と同時に、西洋哲学の本場の西洋では、また、西洋哲学を輸入した日本でも、理性=Ω神の化身かつ分身の存在のΩ人の「意識のある心の働き」の事である、という理解に未だ到達できずにいます。

○理性は全てのΩ人が生得的に持つ
 理性は、性別や年令や人種や民族、話す言葉や文化・文明や時代等の違いを超えて、全てのΩ人が、天然自然の世界(世界Ⅳ)の中にある世界ⅤにΩ神の化身かつ分身の存在として生まれついていることにより自動的かつ必然的に持つ心の働きです。
 繰り返して確認すると、理性=意識のある心の働きは、性別や年令や人種や民族、話す言葉や文化・文明や時代等の違いを超えて、全てのΩ人が絶対的に等しく持つものです。
 簡単に言えば、西洋人だろと非西洋人だろうと、性別や年令や話す言葉や民族や人種等の違いを超えて、Ω神の観点では、全てのヒトがΩ人であり、Ω神の化身かつ分身の存在であり、自動的かつ必然的に、全てのΩ人が等しく理性を持つ、ということです。

○理性は西洋人だけが持つという誤解とこれがもたらしたもの
 Ω人の意識のある心とこの働きが、西洋哲学で「理性」と名付けられているものです。
 しかし、西洋哲学の中で、理性についてこのような理解に到達出来ないでいます。
 この為に、「理性を持つ者のみがヒトであり文明人である」かつ「理性は西洋人のみが持つ」という誤った理解が西洋で一般化してしまった、と言うことが出来るようです。
 この結果は、非西洋人は、例えばアフリカ人は「理性」が無いので、ヒトでは無く、文明人では無い! という変な理解になって、西洋人による非西洋人の住む地域の文明化=植民地化が正当化されることになった、と一般法則論では理解しています。

○「名誉白人」となった日本民族
 非西洋民族は理性を持たないと、西洋人。
 しかし、西洋人は、非西洋の世界に、西洋の学問と科学技術を理解し、これをたちまちにして学び使いこなすことができる文明を持つ国の民族、即ち、「独自の主体性を持ち、まるで悟りを開いた人のように温和で清潔で、秩序を重んじ知性に溢れる庶民と、与えられた仕事を無私になってやり遂げる強い責任感と誇り高いサムライの日本民族」が存在していることを知り、強く感銘を受けて、やがて日本人を「名誉白人」と認めることにまでになった訳です。
 これは、歴史的な事実です。
 また、日本国は、一度も異民族の植民地になったことが無い国として、西洋では知られるようになりました。
 なお、西洋人に「名誉白人」として認められたのは、人類史上、日本民族だけのようです。

○日本民族の使命
 西洋人に日本民族は「名誉白人」として認められた。
 但し、私達日本民族は、西洋人に「名誉白人」として認められたと言っても自慢することではありません。
 こうでは無くて、西洋人の間違った「理性」観を改めさせ、全地球人が/現世人類の全てが一つ同じΩ神の化身かつ分身の存在のΩ人であることを、全人類的な常識にすることが、「地球村」に於ける日本民族の使命でしょう。
 実は、既に、日本民族は、人類史の「近代」において、アジアの近代化と白人の植民地の解放という大事な使命を果たしています(注記6)。
 「独自の主体性を持ち、まるで悟りを開いた人のように温和で清潔で、秩序を重んじ知性に溢れる庶民と、与えられた仕事を無私になってやり遂げる強い責任感を持つ誇り高いサムライの日本民族」は、二万年近い縄文時代を日本列島の内外からの侵略者や征服者の脅威に晒されることがなく、日本列島の豊かな自然(世界Ⅳ)相手に暮らす中で、Ω神の化身かつ分身のΩ人本来の心が自然によく育ち、Ω人らしさ=ヒト本来の人間らしさを持つ素直な民族になったのでしょう。
 地球世界広し、と言えども、Ω神の化身かつ分身のΩ人本来の心が自然によく育った民族は、日本民族以外にはどうも存在しないようです。
 だからこそ、現世人類の全てが本来Ω人なのですから、これを全地球人の常識にすることが、日本民族の使命になります(注記7)

○Ω人とΩ神との関係
 Ω人とは、上の「ヒトとΩ人との関係」の中で説明した通り、一般法則論の中でずっと「ヒト」と名付けていたものを「Ω人」と新しい名前にして呼ぶことにした、という通りです。
 Ω人は、Ω神にとって天地創造の唯一絶対普遍かつ至高の目的です。→「Ω神による天地創造の目的を再確認します 意識のある心の存在理由 2009年02月28日の文
 簡単に説明を繰り返すと───
 予め出来ると決まっていることしか出来ない「絶対的無意識の存在のΩ神」が、何でも自分が好きなことを主体的に自由に選んですることが出来る機能/役割/働きがある(とΩ神の所で最初から決まっている)「意識のある心を持つ存在」を無限に無数創り出して、その一人ひとりに化身し分身して多種多様に様々に生まれ、様々に生きて遊び楽しむことを謳歌しよう! とした結果この世に生まれたのが、私達ヒト/Ω人(宇宙大で言えば宇宙人一般)です(注記3)。
 Ω人は、地球上で「進化」(注記4)の名で知られる過程を経て、絶対的無意識の存在のΩ神の心がΩ神の化身かつ分身の意識のある心を持つΩ人として誕生したものです(注記5)。

○俗人(世界Ⅵで生きているΩ人)
 「俗人」は、2008年12月03日の「一般法則論の世界観の『見える化』の図解」の中に、2009年03月03日に追加したものです。
 俗人の宇宙的な地位を、一般法則論の世界観を簡略した図解の中に位置づけて確認します。
 以下は、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの全体です。
 この世界の成り立ちと仕組みの中で、Ω神は、全ての始まりであり、世界全体を絶対的に超越して存在しているが故に、この世界の成り立ちと仕組みの中では構造的に、特に世界Ⅳ以下の世界の中で何があろうと、永遠に完全完璧で清浄無垢のままの不変の神聖不可侵性を保っている存在です。

 この世界を創造した第一原因者であるΩ神(世界Ⅰ)→
 (矢印は次のAに繋がると言う意味。以下同じ)
 A(創造主である神/世界Ⅱ)→
 B(Ω神の天地創造の理法/自然法則+エネルギー一体不可分の働き/世界Ⅲ)→
 C(宇宙大の天然自然の世界/世界Ⅳ)→
 D(Ω人/世界Ⅴ)→

☆H(俗人/世界Ⅵ)→

 E(俗人の生活・人生/世界Ⅵ)→
 F(俗人の子孫/世界Ⅵ)→
 G(人類が作る文化・文明/人類の生活により自然に作られた歴史/世界Ⅵ)→
 M(Ω人/俗人がこの世に生きた記憶/世界Ⅶ)→
 Z(Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを知らずに生きた俗人が作り上げた間違った諸々の世界観・人間観・人生観=妄想/Ω神の世界の中には本来存在しない観念/世界)

○自分はΩ人であると悟った俗人と未だこれが出来ないでいる俗人
 「俗人」には、事実上、2種類の人達が存在しています。
①「自分はΩ人でありΩ神の化身かつ分身の存在である」と悟った俗人
②「自分はΩ人でありΩ神の化身かつ分身の存在である」と悟ることが未だ出来ないでいる俗人

 「自分はΩ人である」と悟ることは、一般法則論の理論の中では、自動的かつ必然的に、Ω人の自分はΩ神の化身かつ分身の存在であるということを同時に悟ることを意味します。
 言い換えると、私=Ω人=Ω神という悟りは、「Ω人としての生き方の原理」があることを発見し、これを実用化/ハウツー化した「潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法」を知り、これをモノにして実際に使えるようになります(注記9)。
 ①と②。この両者の間には、この結果もたらさせる諸々の違い/諸々の格差が、例えば、富や稼ぎの格差等が、各人の人生に自動的かつ必然的に生まれることになります。

○人(人間)・地球人・あなたや私
 一般法則論で言う「世界Ⅵ存在の俗人」を、日常の言葉で表現すれば、人(人間)や地球人ということになります。
 これを具体化例で表現すると、「あなたや私」という言い方になります。
 言い換えると、一般法則論的な意味のΩ神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを未だ知らない人達が、Ω人について言及するときに使う言葉が、人(人間)/地球人/あなた私、ということです。

○まとめ
 Ω神、Ω人、俗人、ヒト(人類)、人(人間)、地球人、あなたや私 という一般法則論で多用する概念をまとめて説明しました。
 更に具体的な意味は、一般法則論を説明する中で述べます。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

 以下は、「Ω神・Ω人・俗人・ヒト(人類)・人(人間)・地球人・あなたや私」という文の注記1―9です。
 注記1は、重複。

○注記1 性別と性差
 生物進化の過程において、♂と♀、男と女という二つの基本的な性とこの違いも露になりました。
 なお、性と結婚の起源の話は、なぜ基本の性が♂と♀/Ω神の化身かつ分身の存在のΩ人でもなお男と女という二つなのかの解明も含めて、別文。
 注記1の終わり
 先に投稿した文に続く

、「Ω神・Ω人・俗人・ヒト(人類)・人(人間)・地球人・あなたや私」という文の注記1―9

2009-03-07 18:00:48 | 一般法則論の世界観の図解説明
 以下は、「Ω神・Ω人・俗人・ヒト(人類)・人(人間)・地球人・あなたや私」という文の注記1―9です。

○注記1 性別と性差
 生物進化の過程において、♂と♀、男と女という二つの基本的な性とこの違いも露になりました。
 なお、性と結婚の起源の話は、なぜ基本の性が♂と♀/Ω神の化身かつ分身の存在のΩ人でもなお男と女という二つなのかの解明も含めて、別文。
 注記1の終わり

○注記2 地球人を作ったのは宇宙人では無い証拠
 私達地球人は、宇宙から地球にやってきた宇宙人が、そのときに地球に存在した何かの生物の遺伝子を操作して作った生物である、という人がいます。
 この説は、神=宇宙人で、いわゆる神は存在しない、という無神論の一種として唱えられているものと推測します。
 また、遺伝子操作という技術が生まれると、早速このアイデアを使って、宇宙人が遺伝子操作でヒトを作ったという説で、ヒトが誕生した謎を「自分が解いた」という言わば「特許申請をいち早くする」目的の説と推測しています。そして、これだけの目的の説ですから、「人間とは何か?」という大昔からの問いにはまったく答えることが出来ていません。
 しかし、生物進化の過程を観れば、「個体発生は系統発生を繰り返す」と知られているように、ヒト/人類は、地球という天体の「自然」の仕組み(世界Ⅳ)から「生え抜き」の存在として造られているのは明らかです。
 この証拠だけで、「地球人を作ったのは宇宙人」ではない、ということができるでしょう。
 また、「地球人を作ったのは宇宙人」説は、では地球人を作った宇宙人はいったい誰が作ったのか? という問いに答える必要があります。しかし、「地球人を作ったのは宇宙人」説は、この問いに答える用意が出来ている訳では無いようです。
 より、根本的には、一般法則論が説明しているように、Ω神が、自らの化身かつ分身の存在のΩ人(宇宙大で言えば宇宙人一般)を創り出すために、この世界の宇宙の果てまでΩ神が全て造ったという考え方の方が、より確からしいということです。
 前にも説明したように、宇宙から地球にやって来る程の科学技術を身に付けた宇宙人ならば、Ω神の存在も進化の目的と原理も、そして、これが行われる過程も知っている筈です。
 そして、これから引き出せる結論は、遺伝子操作をしなくても、やがて自然にΩ人が地球上に誕生することは、宇宙人には自らが住む天体での進化の歴史に照らして分かっているので、地球を訪れた時に発見した何かの生物に遺伝子操作をしてヒトを誕生させることはしなくても良いし、そんなことをすべきでは無い! と考える違いない、ということです。
 注記2の終わり

○注記3 Ω人の造られ方
 Ω人。
 この中に、Ω人はΩ神の化身かつ分身である自らの出自を悟ったり、Ω神が創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の働きのみで造っているこの世界の成り立ちと仕組みをその通りに正確に認識し理解したりできる、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きをその中身とする心を持っています。
 注記3の終わり

○注記4 進化の意味と方法
 進化とは、非物質的世界(世界Ⅰ)に存在する絶対的無意識のΩ神が、意識のある心を持つΩ人になって地上の物質世界(世界Ⅳ)に生まれ出る為に自動的かつ必然的に行われたものです。
 ここに含まれている進化の原理は、Ω神が自らの身心をΩ神の理法に則って自己展開する形で全て造っている形になっています。
 言い換えると、進化によって世界Ⅳ~世界Ⅶに現れて来るのは、始めからΩ神の中にあるモノだけだ、ということです。
 即ち、この世界の成り立ちと仕組みの創造主である神であり、第一原因者のΩ神の中に無かったモノが、進化の過程で新しく創造される(例えば適者生存式の結果)のでは無いということです。
 例えば「他人と仲良く生活できる協調性がより強くある人」を、進化の法則は「適者生存の法則」を使って選んで来た、という人がいます。例えば、佐倉 統氏。→読売新聞2009年2月××日の記事
 しかし、真理は、Ω神が創造主である神として、自己絶対肯定・他者(Ω神が自らの化身かつ分身の存在に造ったΩ人とΩ人が住む天然自然の世界)絶対肯定の構えを持つという属性、言い換えると、万物と万人に対する絶対愛を持ち、これを表現することしか出来ないΩ神の属性が、Ω人を造り出す中で自動的かつ必然的=自然にΩ人の中に現れた、ということです。
 しかも、一つの生物の存在は、これを含む生物の生態学的な秩序の中に常にありますから、これを離れ、これを無視して、「適者生存の法則」だけで、一つの生物の進化が行われることは無いでしょう。→一般法則論における「進化」の理解(まだ説明途中)。
 注記4の終わり

○注記5 進化と意識のある心の誕生と意識と無意識の関係
 神は、岩石の中では眠り、植物の中では目覚め、動物の中では活動し、ヒトの中では自らに目覚める────ウパニシャッド哲学

 この進化の過程を踏んで、Ω神の「絶対的無意識の心」の一部が、Ω人の「意識のある心」としての働きを持つようになり、Ω人は、自らがΩ神の化身かつ分身の存在という悟りを得ることが可能になった訳です。
 比喩的に言えば、その全体が水面下にあったΩ神の絶対的無意識の心の一部が「心の進化」という過程を経て水面上に姿を現して、Ω神の化身かつ分身のΩ人の持つ「意識のある心」として働くようになったのです。
 しかし、「心」という存在全体の大部分は、なお水面下の無意識と言われる部分にある、という訳です。
 言い換えると、Ω人の心の構造は、Ω神の絶対的無意識の心の存在とその機能/働きを基礎にして、Ω人の意識のある心の存在とその機能/働きがある、と言うことです。
 そして、Ω人の意識のある心とΩ神の絶対的無意識の心の関係は、Ω人の意識のある心が思ったことを、Ω神の無意識の心が自動的かつ必然的にかつ自然に、世界Ⅵの中で、Ω人の体験という形にする、という関係にあります。
 注記5の終わり

○注記6 日本民族が「近代」において果たした役割
 日本民族は、人類史の「近代」において、アジアの近代化と白人の植民地の解放という大事な使命を果たしています(注記10)。
 しかし、このやり方は、朝鮮半島、中国、アジアの諸国に対する侵略と植民地支配以外の何物でも無かった、と日本国内の左翼(そもそも社会主義国/共産主義国では無い現在の日本国の存在を一切認めないという立場で自国民、特に子供達を教育して、自国に対する嫌悪感と拒否感を植えつけようとする意図を持ち続けている人達です。この人達は日本原住民でしょうか?)と一部の国から今になってもずっと非難されっ放しです。
 その言い分の一つは、日本がかの国を「おんぶにだっこ」で優しく近代化をしてくれなかったのが不満だ、ということにあるようです。何様の積もりだ! と言いたい所ですが、石器時代を生きていて未だ文化・文明を知らない日本人に最初に文化・文明を教えた自分たちにはその特権がある、と本気で信じているようです(注記8)。
 同時に、自分たちの力で自国の近代化をやろうとしていたのに、これを不当に妨害され、この間過酷な植民地支配により一方的に搾取されたということのようです。
 しかし、これらの事に関する歴史的な事実は、全く異なることが既に知られています。

 自分たちの力で近代化の途上だったと、かの国の人達はいいます。
 しかし、何事かを思いつきこれを形ある物にするには、この前にこれが可能な準備が出来ている必要があります。
 例えば、パソコンの「表計算」ソフト(「ビジカルク」でしたかね)を最初に思いついて作った人がいます。
 この人は、アメリカの経営学の大学院で経営学を学ぶ中で、経営資源の配分の仕方を条件を色々と変えて計算し比較せよ、という宿題をもらった時に、この思考実験が即座に出来るようにする必要性を強く感じることから始まって、これをパソコンのソフトにする、即ちその当時のパソコンが持つ機能と性能と可能性を既によく理解していて、これに加えて、プログラミングの知識と技術とこれを実行できるパソコンを既に持っていたことによって、実際にその表計算ソフトを創造することが可能になった訳です。
 経営学の大学院で経営学を学ぶ人達が大勢いる中で、また、パソコンを既に持ちパソコンのソフトを自分で作れる知識と技術を持つ人達も多数居たに違いない中で、経営資源の配分の仕方を条件を色々と変えて即座に思考実験することが出来るようにする必要性を強く感じて、パソコンで動かす表計算ソフトを実際に作ったのは、そのヒト一人だけだった訳です。
 国の近代化でも、話は同じです。
 日本民族は、既に近代化された西洋文明に接すると即座にこの意義を理解して、自ら進んで日本の近代化をやり遂げた訳です。これに先立つ江戸時代にこの準備が既に済んでいた訳です。
 しかし、この当時の中国大陸や朝鮮半島に住む人達は、特に国を実際に支配し動かしている人達は、殆ど近代化の意義が理解出来なかったようですね。
 だから、後になって、近代化を自力で出来たというのは嘘でしょう。

○注記7 日本民族の使命の果たし方
 日本民族の使命の果たし方は、Ω神によって造られているこの世界の成り立ちと仕組みを説明している一般法則論の理解と採用が前提になるでしょう。
 いや、この言い方は正しくありません。
 この前に既に、日本民族の使命を果たすことをしています。
 例えば、日韓共同の世界サッカー開催時に、外国のチームとこの応援に来た外国のサッカー・ファンに対して見せた、日本のサッカー・ファンとそれらチームの練習場所を提供した日本各地の地域の人たちによる、公平で温かいどころか熱い応援の仕方。
 一般法則論は、精々、これらの行為が偶然に行われたのでは無いことの理論的な根拠を示し、正当化し、理論武装を提供するのみです。
 但し、妄想的な理論に基づくいわゆる「平和憲法」を世界に広める、ということでは無い筈です。
 これを話すと長い話になりそうですね。
 注記7の終わり

○注記8 日本の文化はこの大本の中国文明をちょっとひねって作ったものという人
 人様のブログをあちこち見て歩く中で、中国と貿易をしているという社長さんが、日本の文化は、この大本の中国文明をちょっとひねって作ったものに過ぎない、と書いているのを読みました。
 自国の文化について、そして、多分中国文化についても、この程度の理解しかしないヒトがいる、と知った次第です。
 常識的に言っても、自分の生活のスタイルは、お隣のヒトのそれを頂いてちょっと自分なりの工夫を付け加えただけのものだ、ということは無いでしょう。
 文化・文明の基本は、その風土等に合わせて、民族それぞれが独自に創り出すものです。
 この自覚的な知識がないと、中国共産党によるチベット民族の文化の破壊の不当性が見えては来ないでしょう。
 多分、中国貿易で食っているその社長さんには、中国共産党によるチベット民族独自の文化の破壊に危機感を持っているチベット民族の苦悩が見えないものと推測できます。
 注記8の終わり

注記9 また一人
 先ごろ、私が深く敬愛する大事な友人が、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法が自分のために自覚的に意図的に使える、と分かって来た、と話してくれました。
 この友人は、真っ直ぐな性格で謙虚で真面目すぎるくらいの方です。
 だからこそ、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法をモノにして欲しい、と密かに思っていました。
 とにかく、とても嬉しいことです。
 注記9の終わり

○注記10 使命をひとまず果たして自ら墓穴を掘り解体された
 アジアの近代化と白人の植民地支配を止めさせる使命を果たす主体を担った日本の軍隊は、結局自らの行為の稚拙さで墓穴を掘り、解体されることになりました。
 そして、この後は、人類史が一つステップ・アップし、日本国内では自由主義と民主化により、再び元の軍隊が復活することはなくなりました。
 しかし、その当時、軍の活躍を支持し熱烈に礼賛した人たちが今「左翼」と名前を変えて、「無謀な戦争などしなければ、(今も凛々しい軍服姿の将校さんの姿を見ることができたのに、未だに勇ましく行進する兵士の軍靴の音の幻聴がする位悔しい! 遅ればせながら)、当時の戦争今も絶対反対!」の運動するという不思議なことになっています。
 執拗に過去のすでに結果の出ている戦争に強いこだわりを見せ、「無謀な戦争をした」と繰り返して言う左翼の人たちの運動を見ていると、軍国少年・少女として大好きな大日本帝国陸海軍を失った悔しさがそういわせるのに違いない、と、戦後の自由な社会を素朴に有難いと受け止めている者として、思います。
 とにかく、日本の帝国軍隊は人類史的な使命を果たして散りました。
 この後、自由主義と民主主義が人類の常識になりました。
 但し、全てのアイデアは、具体的な形となって現れます。即ち、アメリカ式の自由主義と民主主義の形になりました。
 これは、今もこの代わりになるものがありませんね。
 注記10の終わり

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

2008年12月3日の「一般法則論の世界観の図解」の修正に伴って削除した文をここに

2009-03-04 02:33:58 | 余談
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的    人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)           Ω人     生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                    Z→→→Z

○はじめに
 2008年12月3日の「一般法則論の世界観のみえる化の図解」の修正に伴い、ブログの一万字の字数制限で除いた文を、修正し、一部加筆して、ここに掲げることにします。
 もちろん、以下の文は、一般法則論の世界観を見える化した図解を前提に話をしています。

○Z=妄想の世界観を真理化する間違い
 Zは、ヒト/Ω人が、Ω神の造ったこの世界の成り立ちと仕組みを知らず、これ基礎があるΩ人としての生き方の原理があることも、これを実用化し、ハウツー化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法も知らずに、生きもがいた結果の記憶から生まれた、間違った「ヒトの正しい生き方」や「幸せになれる生き方」に関する妄想のことです。
 これZを、その真偽を科学的に検証もしないで、それ自体で自明の人間的真実/人生の真理と、多くの人達が勝手に決め込んで、他人にもこうであると認めるようにしばしば強要します。
 例えば「誰でも犯罪者になる可能性があり(注記しかし普通の人は一生涯犯罪行為から無縁です!)、犯罪者も刑を終われば幸せに生きる権利がある(注記犯罪者が奪った被害者の幸せを追求する権利は? これを過去の日本の行為を問い続けている中国や韓国の人達に向かっても主張できるのか?)」(浜井浩一龍谷大学教授 読売新聞20081216朝刊)というわけです。
 例えば死刑に値する犯罪者の人権を言いたてて、彼を死刑にするな! 殺されたヒトの関係者の所在を調べて、犯人を恨むな、犯人を許せる人になれ! と言い寄る人達。
 俗に言う「平和憲法を守れ!」と言い、現在の日本国は、国の形として正しい社会主義・共産主義体制の国家では無いから、その存在を絶対に認めず承認せず拒否することが憲法で「思想・良心の自由」として認められている、と強行に主張し、現在の日本国の象徴である天皇、国旗、国歌等も国防の必要性も認めないと言って、小・中・高校の卒業式で国旗を掲げたり国歌を歌うことなどに反対したり、国歌斉唱のピアノ伴奏をするのを「憲法の禁止する苦役」と強弁して拒否したりするなど、自分たちの主張を絶対化して、これを世の人々に強要するのも、このZの真理化の実例。
 念のために確認すれば、唯物論に根拠をおくマルクス主義=共産主義は、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中には、どこにもその正当な根拠がありません。
 平和憲法が保障する基本的人権、この一部である思想・良心の自由や平和的生存権(注記1)は、Ω神が全て造っているこの世界の成り立ちと仕組みを基礎においてのみ初めて実効性を持ちます。
 しかし、いわゆる平和憲法信者やいわゆる左翼の人たち(この中にはキリスト教の牧師が多数含まれています。そして、「敵の敵は味方」とお考えのようで、無神論者の左翼の人たちの平和憲法を守れの集会や建国記念の日反対の集会の場所に教会を提供しています)は、Ω神の存在を全く知らず、世界Ⅵの文化的現象の宗教信仰のみを見て、神など存在しないと早とちりをして、平和憲法を絶対化し、天然自然の存在のΩ神が造った天然自然の存在の世界をも超越する存在に祭り上げています。
 困った人たちです。

○注記1 平和的生存権という妄想
 平和的生存権とは、「平和」という名前を付けた架空の動物の「龍」を全ての人が自分で飼う権利を持っていることを認める、という妄想的な法理論です。
 しかし、この妄想的な権利を認める判決文を書いている裁判官が実在します。
 これ自体で独自に存在し得ない「闇」を実体化するように、「平和」というこれ自体で単独には存在し得ないモノを実体化して認める、という原理的な間違いです。
 ガルトゥング氏の言う「構造的暴力」という間違った考え方が実際にヒトを支配しているのです。
 注記1の終わり

○ベイルズ氏の親思考理論
 Ω人のヒトの生き方の原理の存在を未だ知らず、これをハウツーした潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法や神に祈る技術を知らず、生物のヒトである自らの意志の力と自らの才能と能力と腕力と暴力、或いは金の力を総動員して生きることしか知らない人たちでこの世は溢れています。
 この結果は、自動的かつ必然的に、貧困、格差、病気、失敗、犯罪、挫折などになります。
 これら、人にとって不都合なことを色々と子沢山に自動的かつ必然的に生み出す原因となる思考を、「親思考」と名付け、ベイルズ氏は説明しています。
 例えば、他人や社会や国家や金持ちなどに対する敵意と拒否感情。自己中心的な考え方。自己否定の感情。些細なことで苛立ち怒る。マルクスは「三度の飯よりも喧嘩が好き」と言っていたとマルクス伝で読んだ記憶がありますが、人との闘争を好む性格。家族や他人や社会から孤立することをそれと自覚しないで選ぶなど。
 F・ベイルズ 大原武夫訳 信念──幸福な生活を生む力 ダイアモンド社 絶版 
 原著は、HIDDEN POWER FOR HUMAN PROBLEMS BY FREDERICK BAILES(1957)
 「人は野生動物が持っているような生きる本能を、大脳の発達によって失った動物だ」、「人生は自分の思い通りにならない」というような人生を否定的にする思い込み/偏見/Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みには何の根拠も無いマルクス主義のような思想。
 医者や薬剤師や代替医療に頼る人達が結局頼らざるを得ない自然治癒力の存在を真正面から否定する「人は病気になるように出来ている」という間違った信念。

○メンタル・ハザード/心理的な障害物。
 Zとしてのメンタル・ハザートと言えば、ゴルフ理論の中ではよく知られているようです。
 ゴルフ・コースの途中に設けられた池は、ただそこに在るだけなのです。
 しかし、ゴルフをする人の中にはこれに心が囚われて、自ら障害物がそこにあるように感じて(ゴルファーが自らの心の中でそこに在るだけの筈の池を心理的障害物化する)、心が乱れ、ショットが乱れ、コースから逸れて、その池の中にボールをわざわざ打ち込む間違いをしでかします。
 この間違いを敢えてさせてゴルフを心理ゲームとする目的で、ゴルフ・コースの途中にメンタル・ハザートとなるモノを作り込む訳です。

○奇跡・超能力の根拠
 Ω神によるΩ人を造りだすための天地創造は、常に必ず「Ω神の天地創造の理法」、自然科学で言う「自然法則+エネルギー一体不可分の働き」に則って行われます。
 そして、「Ω神の天地創造の理法」、自然科学で言う「自然法則+エネルギー一体不可分の働き」は、元々天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在のΩ神と一体不可分のモノです。
 Ω神が存在する世界Ⅰの世界は、Ω神が造った世界全体の仕組みの中で、その原点にある、無時間で無空間の世界です。
 このことが意味することは、世界Ⅰの世界は、この存在が途絶えることが絶対に無い、永遠に不変の、今、ここしかない世界だ、ということです。
 また、無時間で無空間の永遠に不変の世界Ⅰより前に、別の世界は存在し得ないし、そこに、Ω神を造った別の何かの神が存在していることも原理的に無い、という意味になります。
 この結果、Ω神もΩ神の天地創造の理法も、永遠に不変の、今、ここしかない世界だ、ということです。
 これらから明らかになることは、Ω神はもちろん、Ω神の化身かつ分身の存在のΩ人(宇宙大では宇宙人一般)は、何をするのでも必ずΩ神の天地創造の理法/自然科学で言う自然法則+エネルギー一体不可分の働きに頼ることでしか仕事をすることができない、ということになります。
 話が、いわゆる奇跡や超能力のことになっても、このことがそのまま当て嵌まります。
 しかし、奇跡や超能力は、自然法則+エネルギー一体不可分の働きに根拠が無い、或いは自然法則+エネルギー一体不可分の働きを一時的に停止させたり、無視したりして偶然に起こる超自然的な現象であると勝手に決めて、そんなことは有り得ないし、これができるという人の存在や神の存在など認めない、という人達がいますが、そもそもその勝手に決めた話の前提が間違っています。
 この間違いの元は言えば、自然法則+エネルギー一体不可分の働きが存在する目的、即ち、自然法則+エネルギー一体不可分の働きが、Ω神の活動の唯一絶対的原理であり、天地創造の唯一絶対的原理であることに付いて、その人達が無知だからです。

○まとめ
 以上の文は、2008年12月3日の「一般法則論の世界観のみえる化の図解」の修正に伴い、ブログの一万字の字数制限で除いた文を、修正し、一部加筆して、ここに掲げたものです。


 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

2008年12月3日の「一般法則論の世界観のみえる化の図解」の修正の件

2009-03-03 22:00:00 | 一般法則論で説明する世界観の図解
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください(2009年3月3日修正)。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的    人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)           Ω人     生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                    Z→→→Z

 今日、2009年3月3日は、桃の節句。
 そこで、夕方、近くの花屋さんに行って、桃の蕾がいっぱいついた一枝を買って帰りました。
 女性方、桃の節句、おめでとうございます。
  一般法則論者

○2008年12月3日の「一般法則論の世界観のみえる化の図解」の修正をしました
 2008年12月3日の「一般法則論の世界観のみえる化の図解」の修正をしました。
 修正し変更した点は、以下の通りです。
 
○修正と変更点
 D=「意識のあるΩ神の化身かつ分身のヒト」を、D=Ω人に名称を変更しました。
 そして、D=Ω人とE=Ω神人各人の人生の間に、H=俗人を挿入しました。
 これに伴い、2008年12月4日以降の文の冒頭に掲げてある一般法則論の世界観の簡略図も、この文の冒頭のよう順次に修正することになります。

○変更前の原文のときの理解とその後の修正の経緯
 2008年12月3日現在の時点では、この図解は、「Ω神が造る完全完璧な世界の図解」のつもりでした。
 そこで、D=ヒトは、Ω人であると同時に、世界Ⅵ存在のヒトでも当然にΩ人である、としたのです。
 しかし、Zをこの図解に入れましたから、D=Ω人であっても、世界Ⅵ世界のΩ人は必ずしもΩ人では無いことを見える化する必要が生まれました。
 また、一般法則論の世界観の見える化の図解を使って祈るときに、H=俗人の見える化が役に立つと分かりました。
 そこで、これを「H」と記号化して、世界Ⅵの住人=俗世界の住人=「俗人」と名付け、見える化することにしました。
 H=「俗人」を一般法則論の世界観の見える化の図解の中に位置づけると、D=Ω人の後で、E=Ω人各人の人生との間になります。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

ガルトゥング氏の言う「構造的暴力」の正体

2009-03-01 05:08:47 | 平和の定義
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的    人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)           ヒト     生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                    Z→→→Z

○ガルトゥング氏の言う「構造的暴力」
 ガルトゥング氏の言う「構造的暴力」とは、「自分がしたいことがその通りに出来ないのは、これを妨げるさまざまな社会構造があるからだ」ということのようです。
 インターネットで「構造的暴力」を検索用語にして検索すると、沢山のサイトが出てきます。
 その殆んどの例で、ガルトゥング氏の言う「構造的暴力」という概念を丸呑みして、これを殆んど絶対的な基礎にして平和を論じています。
 しかし、ガルトゥング氏の言う「構造的暴力」とは何を意味しているのかを、多くの方々がご自分の頭で今一度考察していません。

○何が構造的暴力であるかの判断が個人の主観的な恣意になる弊害が既に
 ガルトゥング氏の言う「構造的暴力」という概念は、「自分がしたいことがその通りに出来ないのは、これを妨げるさまざまな社会構造があるからだ」ということのようです。
 言い換えると、「何が構造的暴力であるか」の判断が、個人の主観的で恣意的な判断に委ねられていて、これで決まる、という「構造的欠陥」を、ガルトゥング氏の言う「構造的暴力」という概念の中に本質的に抱え込んでいることになります。
 この結果、「構造的暴力」という概念が持つ「構造的欠陥」により、構造的に新たな暴力を生み出す原因を作ることになりそうです。
 事実、この弊害が既に現れているようです。
 このことに関して、詳しくは、別の文で説明します。
 (この文をここに投稿してすぐのご指摘有難うございます)

○間違い その1 ヒトの生き方の原理があることを知らないことにある
 「自分がしたいことがその通りに出来ないのは、これを妨げるさまざまな社会構造があるからだ」。
 上の意味のガルトゥング氏の言う「構造的暴力」とは、一般法則論的に言えば、Ω神が全て造っているこの世界の成り立ちと仕組みに絶対的な根拠のある「ヒトの生き方の原理」があることを知らず、これをハウツー化/実用化した、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法も知らないことにある、といえます。→マイケル・J・ロオジェ(2003・2006) 石井裕之監修(2007) 引き寄せの法則 東京 講談社 黄色の表紙の本。
 これらのことを知らない方々も、本当は、このような情報に接しているに違いありません。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に関する本の広告は、いま、殆んど毎日の新聞に載っています。
 しかし、例えば、無神論者を自称し、唯物論を信念にしていて、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法など始めからオカルト的な迷信、と思い込んでいるので、それらの本の広告は目に入らないのでしょう。

○それをする正しい方法があることを自覚的な知識にしてない人たち
 一般的に言えば、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの中では、何をするのでも、また、何を造る/作るのでも、他の何事でも無いそれをする原理的な仕組みに基づいてくつられるシステムを造る/作ることによって行う必要があります。
 これを簡単に言い換えると、「何をするのでもそれをする正しいやり方/正しい方法がある」ということです。
 ヒトの生き方の原理は、何をするのでもそれをする正しいやり方があることの一例です。
 しかし、これを自覚的な知識にしているヒトの方が少数派です。
 ガルトゥング氏と彼を神様のように思って無条件・無留保で追従する人たちは、これを自覚的な知識にしていない多数派と言うことが出来ます。
 こうではありませんか?

○間違い その2 うまく行かない原因を他人の所為にする
 「自分がしたいことがその通りに出来ないのは、これを妨げるさまざまな社会構造があるからだ」という考え方の今ひとつの間違いは、自分の生き方を他人の所為にしているからでしょう(注記1)。
 この間違いも、ヒトの生き方の原理があることについて無知だからです。
 「家族が不幸なのはお父さんのあんたの稼ぎが悪いからだ!」などと子供に言われたら、父親として、男として、立つ瀬が無いものです。

○まとめ
 この世に生まれた以上、否応なしに、ヒトの生き方の原理とこれを実用化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を自覚的な知識にして、自分のものにすることが必要不可欠です。
 この世に生まれてくる手間を掛けただけで、ヒトの生き方の原理/ヒトとして生きるための正しい方法を自覚的に意図的に学ばなくては、ヒト/Ω人として生きることができないのです。
 念のために付け加えると、平和憲法やマルクス主義を勉強することは、ヒトの生き方の原理を学ぶことにはならないし、これらをたとえ学んでも現実の生活にはまったく役には立ちません。潜在意識の法則/引き寄せの法則といわれているものを学んでください。
 特に、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みを知って、これに則って生きることを憶えれば、自然にそのヒトの生きかたは、非暴力的になる=平和的になるでしょう。

○注記1 進化の歴史
 人類にいたるまでの生物進化の歴史は、「生き方の原理」を体の外にある世界Ⅳ=天然自然の存在の世界=環境に置く生物から、体の中に=心の中に取り込む生物への進化の歴史です。そして、Ω人(世界Ⅴ)の段階に至って生きる原理を全面的に体の中の心の働きに取り込んだのです。
 しかし、この事実を知らずに、Ω人、は生きる本能を失ったと言い切る人たちがいます。
 注記1の終わり(20090305)
 

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。 
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。