いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

心と脳の関係について簡単なメモ

2008-06-30 05:25:14 | この世界の成り立ちと仕組み
○心と脳の関係について簡単なメモ
 脳と心の関係について、簡単にメモ的な説明をします。

○唯物論的な科学者の立場  脳が先にあって心は脳から新しく生まれた
 心と脳の関係について、心独自の存在とその独自の存在理由もこれに伴う機能も知らない唯物論的科学者は、心という現象は、脳の中のシナプスで造られる回路とそこに働く生化学物質が生み出す現象で、心自体は独自に存在せず、何の機能もないから、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法などは迷信だ、疑似科学だといいます。

○心身相関病を認めないか範囲を限定的に考える
 心が持つ独自の存在とその役割を認めない唯物論が支配している医学界では、心身相関病を認めないか、認めてもその範囲を狭く考える、ということになります。
 つまり、物理・化学的な治療こそが、正しい医学のあり方だ、ということになります。この分、心の持つ役割は軽んじられることになります。
 この結果は、医者の何気ない不注意な一言が患者をして絶望的にさせたりすることが発生することになります。
 言い換えると、唯物論的な医学では、ヒトの体の持つ、自らを自然に癒す力である自然治癒力を認めないか、殆んど知らない、ということになります。

○唯心論的な世界観におけるヒトの心  心が先にあって脳を造った
 私たちの心身も、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られている、と理解し、ヒトの心も天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きそのもので出来ている、と理解する一般法則論では、心は、これ自体で、物質的な脳とは関係なく、独自に存在し、独自の機能を持って働いている、と理解しています。
 つまり、心が先にあって、心が物質世界で働くための回路/出口/システムとして、脳を造った、ということです。
 そこで、脳の病気を、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法で自ら治すことが実際に出来ます。
 言い換えると、一般法則論で説明しているように、自然に自らの心身の完全完璧さを守ろうとする自然治癒力を認めることになります。
 創造主である神が唯心論的な原理でこの世界の成り立ちと仕組みを造ったと認めることが、唯一可能な自然治癒力の根拠になりえます。
 突飛に聞こえるかも知れませんが、特に死者の意識の無い心が存在することを認めることになります。

○脳と心の関係
 心と脳の関係については、ラジオ放送が始まった以降、心=放送局(創造主である神の心が唯一絶対普遍の大本の放送局)から情報を載せて途絶えることがなく常に発信されている電波と、脳=放送局からの放送電波を各人が持つラジオ受信機で、放送局の電波の周波数に正しくダイヤルを同調させて受信するという関係に譬えられてきました。

 別の言い方をすると、小川に設置された水車は、それ自体で勝手に回って何かの仕事をしているのではなくて、水車は小川の水の流れの力で回って仕事をしている例で譬えれば、水車は脳に、そして、小川の流れは天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで出来ている心の存在とその働きに譬えることができる、といえます。

○身の回りにあるもので心と脳の関係を考える
 身の回りにある道具や例えば電気ポットを取り上げてもすぐに分かるように、これらは全て、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを、その道具や器具として存在させ機能させるために、それをそれにする原理的な仕組みを基にして作られているシステムで制御する形で行っている、と分かります。

 例えば、テレビはテレビの原理的な仕組みを基にしたシステムで、パソコンはパソコンの原理的な仕組みを基にしたシステムで、一つ同じ電気エネルギーを制御してテレビにし、パソコンにしている、と分かります。

 ヒトの脳は、ヒトの脳の原理的な仕組みに基づいて造られている天然自然の存在のシステムです。これは、生物進化の歴史を踏んで、形造られたものです。
 そして、ヒトの脳の働きは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを制御して、ヒト独特の心の働きを現象させている点で、テレビやパソコンや電気ポットやラジオとまったく同じです。

 テレビでは、それは(天然自然の存在の創造主である神+)自然法則+エネルギ一一体不可分の働きを、具体的には電気エネルギーをテレビの機能を持つように使っているのに、心と脳の関係では、まるでテレビの中に小人がいて絵と音とを作り出しているみたいな説明をしているのが、唯物論的な科学者です。

○脳を失って意識のある心を失った死者も無意識の心を持つ
 繰り返して言えば、死んで脳を無くして意識のある心を失った死者にも、無意識の心はあるのです。
 もちろん、意識のある心も無意識の心もヒトの目にはみえません。脳の働きを見る形でヒトの心の働きを見ることができるPETも脳が無い死者の無意識の心を知ることはできません。
 しかし、例え持っているパソコンを破棄しても、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに直接根拠のあるパソコンの原理的な仕組みも、これを基にして作られるパソコンというシステムの設計図も、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きの中で決して失われること無く存在しているように、同じく、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに直接の存在根拠と存在理由を持つヒトの心も、その生死に一切関係なく、それ自体で独自に存在しそれなりに機能しているのです。

○まとめ
 心は、これ自体で、脳とは独立に存在し機能していることと、実際の心の働きをもたらす脳と心の関係について、簡単に説明しました。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は未だに疑似科学扱いか・・・

2008-06-29 05:45:05 | 一般法則論
○潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は未だに疑似科学扱いか・・・
 新聞の記事から考えました。

○秋葉原殺傷事件に関する石田衣良氏の見解を紹介する記事を読む
 読売新聞の2008/06/28 の朝刊に、秋葉原殺傷事件について著名人の見解を紹介している連載記事で、作家の石田衣良氏のお考えが載っています。

○一般法則論者としてあるべき態度の再確認
 念のために再確認すると、そんなことはもう二度とあってはならない事件だと確認したら、もうその事件から離れて、創造主である神の化身かつ分身の存在のヒト本来の正しいあり方に心の目を向けて、目をここから離さないことだ、というのが、潜在意識の法則/引き寄せの法則を知る者への忠告です。
 このことを再度確認したうえで、本題に入ります。

○石田氏の見解
 石田氏の見解を乱暴に要約すると、『一度負けたらおしまい。再チャレンジは無理』という風潮がはびこるなかで、親も教師も官僚も失敗を恐れ何事も無難に過ごそうとする。「失敗してもはい上がれる『柔らかな粘り』のようなものを子どもたちが学べる環境を作るべきだ」ということです。

○なぜ潜在意識の活用法に話をもっていかないのだ!
 これを読んで、私は、そんな遠まわしの言い方をしないで,石田氏は、なぜ、小説を書くことで活用されているはずの「潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法」についてずばりふれないのだ! と思いました。
 実際、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は、ヒトとしての生き方の原理があることを知らずに、生きるのがつらく難しくなっている人々の実用になるからです。
 石田氏は、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法が世間で疑似科学あつかいされていることに配慮しているのでは!?
 こう、かんぐりました。

○石田氏の小説作りの現場 NHKの番組をみた
 石田氏の小説は読んだことがありません。
 しかし、半年くらい前のNHKの番組で、石田氏の小説作りの現場を紹介するのをみました。
 その方法は、小説のネタになる言葉をパソコンに登録した後は、潜在意識に任せ切りにして、潜在意識に小説を造らせて、後はこれを意識化してパソコンで文字にする、というやり方です。

○小説家は潜在意識を活用して小説を書いているのは明らか
 このときに、確か、石田氏の口からは潜在意識という言葉は出なかったと記憶します。
 潜在意識ではなくて、「小説の神様」みたいな言葉だったかも・・・。
 しかし、東西の小説家の物語作りの方法では、潜在意識の活用法が広く一般的に行われていることは、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知っているヒトならば、すぐに発見することが出来るくらいに、明白なことです。
 そこで、石田氏の小説作りの現場を紹介するその番組をみて、すぐに、石田氏も潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を使っていることを発見したわけです。

○番組の中で潜在意識を使って絵本の物語を作る実験をした
 その番組の中では、石田氏が、書斎にある辞書を手に持って三度適当に開いたページから目に付いた三つの言葉を使って、自殺しようと考えている少女をして自殺を思いとどまらせることが出来る内容の短い絵本の物語を、確か三日のうちに書くという課題に挑戦する様子も紹介していました。
 これを石田氏が行った過程は、正に潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法そのものに則った方法でした。

○出来た物語の批評―――余談
 この結果できた物語は、番組がお願いしたと思われる、何処かの女子高のクラスの皆に読んでもらって、批評してもらう、ということまでしていました。
 この中で、「説得力がなく、自殺を止められない」という意見がありましたが、私もそう思いました。

○無意識の意識化を左右するそのヒトの人間的な出来具合―――余談
 石田氏が作った絵本の物語はいま一つだった。
 この原因は何だったのか・・・。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則は、「求めよ。さらば与えられん。」の形で働く因果必然の法則です。これは、求めたとおりの結果を得る、ということです。
 これを言い換えて、「入ったもの/入れたものが出てくる」原理、山に向かって叫んだ通りにこだまが返ってくる「やまびこの法則」で働くと説明しています。
 このときに、実際に、潜在意識/無意識から何が返ってくるのかは、その人個人の「意識のある心」と「無意識の心」の中身次第です(この中身は何でも広く見聞きして自分なりに考えてみることや自分が直接体験して見ることで鍛えることができます。この場合、トースターの使い方の全体像のような良いモデルが役立ちます)。
 なぜならば、無意識の意識化は、常にその人らしくされるからです。
 無意識の意識化も、その人個人の意識と無意識の心が、絶対的な無意識の存在に繋がっている無意識からの情報を受け入れ、受けとめる準備が出来ていないと、日常生活で見聞きした通り一遍の世間的な常識や風潮等に沿ったものしか得られないものです。
 あなたもやればできる、と諭されても、「一度負けたらおしまい。再チャレンジは無理」という考え方を強固に持っていたら、この通りに考え行動することに自然になるでしょう。
 一言で言えば、無意識の情報の意識化は、その人の体験と知識と人間的な出来具合で決まります。
 こういう一般的な原因に加えて、説得力が今一つ無かった物語を作った石田氏は、自殺を決意したヒトの世界観や人間観や人生観を認識し理解する思考の枠組みとこれを訂正する知識と経験が不足しているからだ、と推測できます。
 話を、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は未だ疑似科学扱いである話に戻します。

○世間体を憚ってか中々いわゆる超能力的なことを認めたがらない人たちの存在
 石田氏は、小説家という自らの仕事を、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に自覚的に意図的に則ってされていることは、NHKの番組の映像で判断しても明らかです。
 しかし、秋葉原で事件を起こした人物は、ヒトとしての生き方(の原理があること)が分からず、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知らないから、そんなことをしたのだ、と小説家の石田氏の立場では当然に出てきて良いはずの一言がありませんでした。
 大槻某教授も、自らが持参したスプーンを、目の前で清田某氏がいわゆる超能力で曲げるのを見て、そのときには、立会人の漫画家のつのだじろう氏も同席しているところで、清田某氏の超能力がインチキではなくて、本当にそういうことが在り得ると認めたのに、後になって全てのことが無かったことにする、と大槻某教授から一方的に言ってきた、という話もあります。
 この話は、次の本に載っています。
 森 達也(2001) スプーン 超能力者の日常と憂鬱 東京 飛鳥新社

 なお、この本の読後感を述べているブログをいくつか読みました。
 その感想は、超能力の科学的な根拠となるこの世界の成り立ちと仕組みと超能力の源になるヒトの心の起源と中身とその役割について、まったくご存知ではない方々がここにおられる、という一言にまとめることができます。

○一般法則論で変わることを期待
 森達也著の「スプーン」を読んだ方々の感想について、それは、超能力の科学的な根拠となるこの世界の成り立ちと仕組みと超能力の源になるヒトの心の起源と中身とその役割をまったくご存知ではないことに基づいている、と申し上げました。
 要するに、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みについても、ヒトの心とは何かについても、無知である、無意識にある生得的な知識の意識化が未だされてない、ということです。
 ということは、一般法則論が世の中の常識になれば、特に科学者の常識になれば、今の状況は変わり得る、ということです。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知らないで生きるのは、誰にとっても人生における最悪かつ最大の悲劇だ、と申し上げることができるからです。

○この世界を科学的にみるということを知らない科学者たち
 一般法則論では、私たちが生きているこの世界の中で接する全ての現象/森羅万象は、例外なく、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きそのものの現われであるか、あるいはこれに根拠が正しくある方法でヒトが行動している結果が存在しているか、または、これを知らない人たちが自分たちで勝手にでっち上げた規則/ルールや方法で間違ったことをしている状態が出現しているか、の何れかだ、と理解しています。
 言い換えると、そこに働く何らかの法則の存在が無いという意味の「偶然」や「混沌」など、この世界には何処にも絶対に存在しない、ということです。
 この点に関して、法律家ならば、人間社会があるところには必ず法律の類が存在し絶対的に行われていて、そこには偶然など無いことを知っています。
 オカルト的な迷信家と世間から見られている神秘主義家の人たちも、この世界は因果必然の法則で全て造られていて、偶然のことなど何も無い、とよく知っています。
 しかし、科学者は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きが宇宙大で絶対的に普遍的に存在し働いている自然の世界に直接接していながら、これを疑い続け、偶然の法則もこの世界には存在し働いている、と何かというと言います。これを、科学的な謙虚さと錯覚しているみたいです。

 この世界の現象を、すべて、そこに何かの法則が存在して働いた結果として見る。
 特に、その法則を、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きだと知る。
 これが、私たちが存在し生きているこの世界を科学的に見る方法です。
 これは、科学者たる者の常識、絶対常識であるはずです。

 しかし、物質的な、唯物論的な科学の信奉者であり、かつ、ヒトの心の起源とその中身と役割についてもまったく知らないことも知らない科学者は、例えば次のような現象を目の前にしたり、人の体験談として聞いたりすると、すぐにそれを否定し偶然であると言い張ったり、まったく聞かなかったことにして無視する態度にでます。
●いわゆる超能力を使った超常現象
●全身にガンが転移してもはや西洋医学では治療のしようが無い患者が、しばらくして元気になって現れて、医学検査でガンなど患者の体の何処にも無いことが分かったあと、それは神に祈ったら治ったと聞かされた場合など
 ガンが治った例は、「神に祈って病気が治せる」科学的な仕組みを自分が発見する機会にし得る、「セレンディピティ」の例に該当しそうです。
 しかし、西洋医学=唯物論的な科学では不治の病が、ヒトが生得的に持つ自然治癒力を活用する色々な代替医療で治っている体験談を幾らきかされても、多くのお医者さんが、それをただ無視し続けるのが、実情のようです。
 この事実は、医学界の外にいる私が知っている以上に深刻な問題らしい。
 これは、一重に、科学とは何か、科学的な世界観とは何かについて、科学者自身が、未だ一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に知らない、ということにあるに違いありません。

 一般法則論を人類の常識にしなければなりません。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 
 


光速一定不変の原理が必要な理由

2008-06-27 16:43:34 | この世界の成り立ちと仕組み
○光源から発する光の速さが一定不変の理由とこれがもたらす意味
 この文では、光の速さが一定不変である理由を説明し、この原理の存在によって自動的かつ必然的にもたらされるこの世界の成り立ちと仕組みと、更にこれに自動的かつ必然的に伴う現象について、この世界の成り立ちと仕組みを天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に説明することを試みている一般法則論の立場で説明をします。

○光の速さ一定不変の原理に関する問題の所在
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中で、光の速さは一定不変です。
 アインシュタインの相対性理論は、光の速さ一定不変の原理を大前提にしています。
 光の速さ一定不変性は、物理的な観測でも確かめられています。
 しかし、なぜ、光の速さが一定不変の原理が存在し、相対性理論の大前提になるのかの説明を、アインシュタイン先生は自ら明確にしていません。
 そこで、相対性理論の大前提になっている光の速さ一定不変の原理を色々の理屈を並べて否定して、相対性理論は間違っている! アインシュタイン先生に人類は騙されているのだ、という主張が執拗におこなわれています。
 こう言いたくなるのは、アインシュタインの相対性理論の中で、運動する物体が光の速さに近づくと、その物体は運動の進行方向で長さが縮む、という現象が起こることについて、非常な違和感があって、私たちの日常体験に照らし合わせて、にわかには受け入れ難い、という感じにあるようです。
 しかし、光の速度一定不変の原理は確かに存在します。
 言い換えると、アインシュタイン先生がいう4次元の時空連続体のこの世界の中では、光の速さ以上に速く運動することは、原理的に何物も出来ないのです。
 そして、アインシュタイン先生が説明している通りに、光の速度で運動している物体は、その進行方向で長さが自動的かつ必然的に縮まざるを得ないのも、事実なのです。
 そこで、ここでは、光の速さ一定不変の原理の根拠を明らかにしたい、と思います。

○光の速度一定不変の原理が必要な理由とその根拠
 光の速さ一定不変の原理があります。
 光の速さが毎秒約30万キロメートルで一定不変であることは、物理的観測で既に確かめられています。
 この原理の存在目的/存在理由は何でしょうか?
 この答えは、元々創造主である神の心身そのものであり、この世界の全ての存在物を造る素材となるエネルギーが、「光」と呼ばれているエネルギーだからです。
 この事実を、アインシュタインは、質量とエネルギーは等価であることを示す、次の方程式で表しました。

 E=MC^2 但し、この方程式中の「C」=「光」の速さは一定不変の原理で働く。

 なお、この方程式には、時間の次元が入っていません。
 そこで、アインシュタインの相対性理論の中で、時間の位置づけ方が曖昧になり、憶説を生む原因になています。

 以下に、更に詳しい説明をします。

○E=MC^2の一般法則論的な理解
  E=MC^2
 この方程式を、一般法則論では、創造主である神による天地創造の過程の中の一段階と理解しています。
 その天地創造の過程の順序は、以下のように考えます。

①E=無限大
 但し、Eは、この世界の成り立ちと仕組みを造るための唯一絶対普遍の創造主である神の心身であり、自然科学ではエネルギーと呼ばれている存在。
 創造主である神による天地創造が開始する以前の世界の状態(注記1)。
②E=C^2 /秒
 但し、Eはエネルギー。Cは光のエネルギーで、速さは一定不変。
 天地創造が開始された最初の段階。
 しかし、未だ、この世界に質量を持つ=形がある存在物Mは生まれていない段階。
 なお、E=C^2/秒はこの世界の成り立ちと仕組みを造るためのエネルギーの供給と時間の起源とが一体不可分で結びついていることを示す方程式です。
 即ち、エネルギー=時間=光の速さと等しい速度で拡大中(時間の矢の根拠)、ということです。
 エネルギーがある物質的な存在に量子化されているときのその物質の質量=その存在に取り込まれた時間、という関係にあることになります。そこで、「時空連続体」という言い方がされます。
 時間については、別の文で説明をします。

③E=MC^2/天地創造の開始の時からの絶対的な経過時間
 但し、Mは物質/存在物の質量。C=光の速さは一定不変。
 エネルギーを素材にして、質量を持つ物質M、哲学的に言えば、存在物Mが造られた段階。
 アインシュタインの物質とエネルギーは等価の式に同じ。
④E=C^2/天地創造の開始の時からの絶対的な経過時間
 但し、C=光の速さは一定不変。
 例えば、星=存在物Mの寿命が尽きて、超新星爆発を起こしたなどにより、存在物Mが消滅したなど。
⑤E=MC^2/天地創造の開始の時からの絶対的な経過時間
 但し、C=光の速さは一定不変。
 例えば、星=存在物Mの寿命が尽きて、超新星爆発を起こしたあとに、存在物Mから解放されたエネルギーを使って、新しい星が誕生するなど。

○注記1 無意識の世界での光の速さ
 一般法則論では、私たちが存在し生きているこの世界が誕生する前の世界は、アインシュタイン先生の言う4次元の時空連続体で出来ている世界が誕生する前の世界、即ち、私たちが生きている物質的な世界が未だ誕生していない、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られている非物質的=精神的、無意識の世界、とこのブログの別のところで説明をしています。
 言い換えると、未だ時空が存在していない世界です。即ち、ゼロ時間、ゼロ次元の世界です。もちろん、空間は存在していません。
 という意味は、天地創造が始まる前のこの段階の世界では、存在する時間は、永遠に今、の時間しかないことになります。
 また、宇宙の果ても全て常にここ、この場所にしか存在しないことになります。
 言い換えると、無意識の世界は、無限大の時間と空間が広がっている世界だ、ということもできるでしょう。
 ところで、ヒトの心は、この世界の成り立ちと仕組みを造っているのと一つ同じ、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られています。
 そして、ヒトの心の内の大部分は、無意識のままで存在し働いています。
 そこで、ヒトの心の働きも、ゼロ時間、ゼロ空間の、永遠の今のここで働いていることになります。
 だから、ヒトの心は一瞬にして、それを今ここで全て体験しているように、過去に戻ったり未来に飛んだり、宇宙の果てに行ったりすることができる力/性質を生得的に持っているわけです。
注記1のおわり

○この世界の成り立ちと仕組みを造るための素材としての光エネルギー
 C=光のエネルギーは、この世界の成り立ちと仕組みを造るための素材です。
 何かを造るための素材になるものは、基本になる量が単位量当たり一定不変に規格化されて決まっていることが必要不可欠です。
 なぜ、これが一定不変に決まっていることが必要なのか?
 この答えは、エネルギーがこの世界の成り立ちと仕組みを造るための素材になるとき、自然法則+エネルギー一体不可分で働いてそうするからです。

○同一原因=同一結果の原理で働く自然法則
 この世界の成り立ちと仕組みを造るためにエネルギーと一体不可分で働く自然法則は、因果必然の法則性を持っています。
 自然法則の役割は、創造主である神の天地創造の意図を受けて、創造主である神が意図する通りに、エネルギーを素材に使って、この世界の成り立ちと仕組みを造ることです。
 このときに、創造主である神の天地創造の意図とこれを具体化したこの世界の成り立ちと仕組みとの間を、因果必然の関係で結びつける役割を、自然法則は担っています。
 即ち、自然法則は、原因(創造主である神の天地創造の意図)=結果(創造主である神が意図した通りに造られたこの世界の成り立ちと仕組み)の間を結ぶ因果必然の法則として働きます。
 この結果、次のような原理が自動的かつ必然的に存在することになります。
 同一原因=同一結果の原理
 異なる原因=異なる結果の原理
 類似の原因=類似の結果の原理
 相似原因=相似結果の原理

○同一原因=同一結果の原理は同一構造=同一結果の原理と同じ
 因果必然の法則としての自然法則の役割は、エネルギーを使って、創造主である神が意図した通りに、この世界の成り立ちと仕組みを造ることです。
 素材に使うエネルギーは、二つ以上の存在に分離し分割することが絶対に出来ない唯一絶対普遍の創造主である神の心身そのものです。
 という意味は、エネルギーを素材に使ってこの世界の成り立ちと仕組みを造るとき、自然法則は、常に全体でただ一つのエネルギーから、私たちがこの世界を見て知っているとおり、多種多様な存在を自動的かつ必然的に造り出す仕組みを持っていることになります。→「無い袖は触れない」という原理の存在。
 具体的には、自然法則は、常に必ず自動的かつ必然的に、創造主である神の意図を正にその通りに正確に造ることが出来る「原理的な仕組み」を基にした/核にした「システム」を造る形で働きます。自然法則は、創造主である神とヒトの要求に直ちに応じてどんなシステムでも造れる原理的な仕組みを無限に知っています。
 自然法則が、それをそれにする原理的な仕組みを基にしたシステムの形で常に必ず働くという事は、言い換えると、原理的な仕組みもシステムも、私たちが言う 「構造」を持つ形で働く=構造的に働きますから、端的に言えば、「自然法則は構造的に働く」ということになります。
 そこで、次のようになります。
 同一原因=同一結果の原理→同一構造=同一結果の原理
 異なる原因=異なる結果の原理→異なる構造=異なる結果の原理
 類似原因=類似結果の原理→類似構造=類似結果の原理
 相似原因=相似結果の原理→相似構造=相似結果の原理
 自然法則の働きには、今説明したように、同一原因=同一結果の原理/同一構造=同一結果の原理が存在しています。

○同一原因=同一結果の原理/同一構造=同一結果の原理を担保する光速一定不変の原理
 同一原因=同一結果の原理/同一構造=同一結果の原理が存在している。
 しかし、この原理を実際に担保するには、自然法則と一体不可分で働くエネルギーの方も、量的にも質的にも常に変わらず一定不変の性質・属性を本質的に=原理的に持っていることが必要不可欠だ、と分かります。
 この要請に応えるのが、この世界の成り立ちと仕組みを造るための素材となるエネルギーとして提供されるC=光のエネルギーが、単位時間当たり一定不変の原理です。
 もし、光の速さが可変であるとすると、同一原因=同一結果の原理/同一構造=同一結果の原理も実質的には成り立たなくなってしまいます。
 また、エネルギー自体も、その実体は天然自然の存在の創造主である神の心身そのものであることによって、均質で一様のものであることが本質的に=原理的に品質保証がされています。
 同一品質の物を同時に大量に作る工場の現場では、同一原因=同一結果の原理/同一構造=同一結果の原理が使われています。
 このときに、同時に、原料となるものも、同一規格、同一品質のものにします。
 素材の品質と規格が同じでないとこの原理が貫徹できません。
 これを原理的に可能にしているのが、同一原因=同一結果の原理/同一構造=同一結果の原理と光速一定不変の原理です。
 そこで、この世界の全てを造る素材である光エネルギーは、天然自然の存在の創造主である神の心身そのものであることによって、本質的に=原理的に均一で一様の品質を持つものになっていると同時に、光の速さの基本単位が最初から一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的にかつ絶対的にかつ普遍的に決まっている必要があるのです。


○四次元時空連続体の世界では運動する全ての存在物が光速を超えられない理由
 私たちが生きているこの世界は、アインシュタインの相対性理論では、縦×横×高さ×時間の四次元の時空連続体の世界です。
 この世界の中で、全ての物資的な存在物は、全体でただ一つのエネルギーを唯一絶対普遍の素材にして造られています。
 また、その物質的な存在物が運動する場合には、一つ同じエネルギーを、今度は「エネルギーの持つ何かの仕事をする力」として使うことになります。
 すると、全ての物質的な存在物が一度に使えるのは、その物体の質量+運動に使うエネルギー=C^2/秒が最大限度になります。
 即ち、全ての物質的な存在物は、C^2/秒を最大の単位にして供給されるエネルギーを超えてエネルギーを使うことは出来ない、ということです。
 ここには、「無い袖は振れない」の原理が端的に存在し働いていることになります。

○光の速さ一定不変の原理がもたらす意味
 全ての物質的な存在物は、C^2/秒を最大の単位にして供給されるエネルギーを超えてエネルギーを使うことは出来ない。
 これが、この世界の成り立ちと仕組みを造る素材であり、何かの仕事をする力の源にもなるエネルギーを、創造主である神が、E=C^2/秒を基本の単位として提供するときの、光エネルギーの速さ一定不変の原理がもたらす意味です。
 この話の目の付け所は、エネルギーが、何かの仕事をする力という形でよく知られているほかに、宇宙大でこの世界の成り立ちと仕組みを造る唯一絶対普遍の素材である、という点です。

○なぜ光の速さは秒速約30万キロメートルの値になのか?
  なぜ、光速さは毎秒約30万キロメートルである必要があるのかは、この世界の成り立ちと仕組み全体のシステムにおいて、科学定数の形で知られているように、特定の意味があるからに違い在りません。
   なお、科学定数が、なぜ今日知られている特定の数値になるのかについては、未だ自然科学的に説明がされていませんが、やがて、光速さが一定不変であることを手掛りにして、この説明ができるようになるに違いありません。

○重力定数と光速一定不変の原理との関係
   エネルギーは物質/存在物Mの質量になり、質量はその重力と等しい関係にあります。
  これによって、光の速さが一定不変ならば、自動的かつ必然的に一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に質量だけでなく、重力も一定不変になります。これは、自動的かつ必然的に万有引力定数が一定不変に維持されるということです。
  万有引力定数は一定不変ではなく変わりうると主張する学者がいます。その人たちは光の速さが一定不変の意味を知らないのです。

 ある特定の物質、例えばこの世界を造っている原子の質量が原理的に常に一定不変でかつこれに働いている重力も自動的かつ必然的にかつ一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に一定不変であって初めて、ある肉百グラム(重さはこれを測る場所や時代によって重力と厳密には等しくはありませんが、ここではその違いは地球上ではどこでもわずかなので無視します)は原理的に時間的にも空間的にも一定不変になります。
 しかも、E=MC^2中のC=光エネルギーは、この世界が誕生してから今日まで137億年もの間この世界の成り立ちと仕組みを全て造っている根本素材です。
  そうだとすれば、過去137億年の間も、この先もずっとこの世界を造る唯一絶対普遍の素材であり続ける光エネルギーの基本単位は、毎秒約30万キロメートルで一定不変である必要があるわけです。

○光速一定不変の原理の意味が説明できて初めて重力の発生する仕組みが説明できる
 光速一定不変の原理がある、と説明しました。
 これが説明できると、次に、重力が発生する仕組みが説明できます。
 同時に、光速に近い速度で移動する物体が、進行方向に向かって長さが縮むというアインシュタインが発見した現象についても、説明ができるようになります。
 詳しいことは、別の文にします。

例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


今一つの超常識 ヒトの目に見えなくても在るものは在る

2008-06-26 09:28:04 | この世界の成り立ちと仕組み
○今一つの超常識 目に見えなくても在るものは在る
 三つの常識がある話をしたばかりですが、今一つ、もう当たり前すぎる常識=超常識がありました。
 それは、たとえヒトの目にはまったく見えなくても、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中で、それ自体の独自の存在理由、存在目的があって、存在しているものがある、ということです。

 そもそも、天然自然の存在の創造主である神、自然法則、エネルギ一の存在と、この三位一体不可分の働きは、目には見えません。
 これが働いた結果の現象については、ヒトの五感で感知可能ですが・・・。

  しかし、私たちが観察できる現象から、これを結果した天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに気が付き、これを特定化して発見することは、誰にでも出来る容易なこと、ではありません。
 そもそも、人類が、観察できる現象の裏に、これをもたらした何らかの原因があり、この原因は普遍的な自然の法則の働きだと認識し理解できるようになったのは、そんな昔ではない、と言って良いでしょう。
 見えている現象を幾つか組み合わせて、現象を説明する間違ったことも広く行われていますね。

 例えば、2+3=? の答えは5と一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に決まります。
 しかし、5=? になる答えは無限に存在するように、ある現象・結果から、これをもたらした原因を特定するのは、一般的にとても難しいものです。
 犯罪捜査で、科学的な捜査を動員して、初動捜査をしっかりしないと、犯人を特定するのがとても難しくなってしまうのも、このためですね。
 また、現象・結果から、これをもたらした原因を特定しようするとき、無限の可能性の中に自動的かつ必然的に迷い込んでしまい、例えばエイズが社会的に知られるようになってすぐにそれは「アメリカの陰謀説」をマスコミで宣伝して歩いたお医者さんが現れたように、デマ宣伝が跋扈する事態にも成り易いものです。これを知っておく必要がありますね。

 天然自然の存在の創造主である神については、これが天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の関係で実在しているものだと申し上げても、全ての神という存在はヒトが勝手にでっち上げたもので実在するわけが無いと言い張るヒトが沢山いることを、一般法則論を書いてよく知りました。

 細菌なども、小さすぎてヒトの目には直接見えません。
 目には見えないから、それは無いものとしてその存在を一切否定したり無視したりして済むものではないことは、先日、前日から作り置きの点滴液に繁殖した細菌で点滴を受けたヒトが死亡するという事件が報道された例一つでも分かるというものです。
 私たちの五感ではその存在もその働く過程もまったく感知できない、天然自然の存在の創造主である神、自然法則、エネルギ一のように、この三位一体不可分の働きで、私たちの存在をふくめて、私たちが生きているこの世界の成り立ちと仕組みの全てを造っている例もあります。

 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られているヒトの心の存在とその働く過程も、ヒトにはまったく見えません。

 たとえ目には見えなくても、存在するものは、この世界に天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで自動的かつ必然的に存在するものは、その通りに存在している。
 このことを、しっかりと自覚的な知識にしておく必要があります。

 大切なものは目には見えない。
 これは、サンテクジュペリの「星の王子様」の中にもでてくる言葉。
 愛とか志とか決意とかも目には見えません。

 最近は、仕事を協同してする者同士の間で、一緒にしている仕事が皆に見えないと困るので、それを自覚的に意図的に「見える化する」ことが推進されているようですね。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。

一様に造られている全体でただ一つの世界 今一つの常識について 附 多世界解釈は間違い

2008-06-26 05:17:41 | この世界の成り立ちと仕組み
○この世界は全体でただ一つの世界であることについて
 一般法則論を理解するのに役立つ知識の枠組みとして、「この世界の成り立ちと仕組みを理解するための二つの常識」(6月5日) の中で、次の二つの事実を挙げました。

○この世界は私たちがこの世界に生まれる前からそれ自体で既に独自に造られ存在していた
 一つ目は、私たちが生きているこの世界は、私たちがこの世界に生まれてくる遥か大昔から存在している、という事実。
 二つ目は、私たちがこの世界に生まれてくる遥か大昔から存在しているこの世界は、偶然にでたらめに造られている混沌とした世界ではなく、原因=結果の因果必然の働きを持つ天然自然の存在の自然の法則で造られ支配されている世界である、という事実。

 なお、天然自然の存在の法則=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働き、と一般法則論では説明しています。

○いまひとつの常識 この世界は何処も一様に造られている全体でただ一つの世界
 以上の二つに加えて、いま一つ、私たちが無意識の内に承認し、しかも、そのとおり正しい事実がありました。そして、これを自覚的な知識にすることが、一般法則論の理解にも直接役立ちます。
 なお、ここでいう「一般法則論」は、私たちが生まれ住んでいるこの世界は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られている、という事実について説明しているものの事です。

 三つ目の事実とは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られているこの世界は、何処も一様に造られている、全体で唯一つの世界である、ということです。

○アインシュタインのいう四次元の時空連続体という世界
 アインシュタインの言う、この世界は縦と横と高さに加えて時間の四つの次元からなる時空連続体という世界、一般法則論では創造主である神の存在を発見して居ますので、これを加えて五次元の時空連続体の世界と言います。
 これは、この世界は、何処も一様に造られている、全体で唯一つの世界である、ということの別の言い方です。

○多世界解釈説でも話は同じ
 「多世界解釈」という、私たちが知っているこの世界の他に、私たちが住んでいる世界に居ては絶対に知りえない多数の宇宙が同時に存在しているという並行宇宙存在説や、更にこの説の中には、この世界の中で何かが一つ造られたり行われたりする過程で幾つもの並行宇宙が同時に自動的かつ必然的に発生するという説もあります。
 この説を仮にそのまま認めて受け入れたとしても、即ち、多世界解釈の立場に立っても、私たち全てにとって等しく、私たちが生きているこの世界は、常に全体でただ一つの、その何処を取り出しても一様に出来ている世界であることにはいささかも変わりが無いわけです。
 そもそも、私たちが生まれ住んでいるのとは異なる平行宇宙は、私たちが住んでいる世界を造っているのとはまったく異なる天地創造の原理で造られているかもしれない、という説明がされていますから、この意味することは、私たちが住んでいる世界を造っている原理を私たちの心の中身にすることで、この世界を認識し理解することを可能にしているのですから、異なる天地創造の原理で造られている平行宇宙は私たちには誰も原理的に認識することが出来ず、理解しようが無いわけです。

 私たちが住むこの世界の成り立ちと仕組みを造っている天地創造の原理=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働き=この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解する原理=私たちヒト全ての心の中身とその働き。

○多世界解釈が誤って生まれた原因 エネルギーとは何かを知らない
 なお、このブログの別の所で簡単に説明しているように、この世界の全てを造っている唯一絶対的かつ普遍的な素材になっているエネルギーが、これ自体で振動する波の性質を持っているものですら、電子のような小さな存在では、電子を造っている素材のエネルギーの振動が観測されてしまう現象が発生して、電子という粒子の形をしていながら、同時に振動する波であるのが不可解だという誤解から、多世界解釈は間違って生まれたものに過ぎません。
 言い換えると、エネルギーとは何かについて、自然法則の機能と働き方の原理とこの関係を含めて、これまでの科学的な常識が不完全だった、ということです。

○多世界解釈が間違って生まれた根本の理由は創造主である神の存在を知らないことにある
 多世界解釈が間違っているもっと根本的な真の理由は、この世界の成り立ちと仕組みが天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているのに、天然自然の存在の創造主である神を未だ知らず、これを認めず、自然法則+エネルギー一体不可分の働きだけで、この世界の成り立ちと仕組みを説明しようとしていることにあるのです。
 そもそも、エネルギーは、これ以上分解することが絶対にできない唯一絶対普遍の創造主である神の不生不滅の永遠の存在の心身そのものを起源にしています。そこで、天地創造の過程で、唯一絶対普遍の創造主である神の心身そのものであるエネルギーが、私たちが生まれ住んでいる世界とは異なる平行的に存在する別の宇宙を造る素材として二つ以上の存在に分割され分裂することは原理的にありえないのです。
  客観的かつ唯一絶対的かつ普遍的な存在の創造主である神の下では、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きにより、ただ一つの世界しか創造されえなかったのです。
 これは、多世界解釈説/平行宇宙説を思い付いたヒトやこのヒトを支持する人たちだけの問題ではなくて、自然科学を含む全ての学問が、未だ一般法則論でいう意味の天然自然の存在の創造主である神を知らないことに問題があるといえます。
 そして、学問が未だ天然自然の存在の創造主である神の存在を知らず認めないものですから、学問を基礎にして行われている学校教育でも、天然自然の存在の創造主である神について公的に教えることがなく、この結果、創造主である神の存在は迷信家のみが信じている架空の存在だという間違った社会常識が罷り通ることになっているわけです。
 そこで、人類の神を名乗る宇宙人を認めたり、多世界解釈説を真理だと思い込む市井の人たちが少なからず存在することになるわけです。
 確認をしますが、この世界の何処を取り上げても同じなのは、この世界の何処も、万物と万人に等しく存在する唯一絶対普遍の創造主である神の心身=エネルギーで造られているからです。
 平たく言えば地球上の何処か特定の所にのみ創造主である神が存在している聖なる場所がある式の言い方は、一般法則論的には、嘘だ、ということになります。
 この説明は、唯一絶対普遍の創造主である神という存在から自動的かつ必然的に演繹して出来るものです。自然科学は、この世界の一様性を別の形で説明していますが、その説明はどうだったか、今、思い出せません。

○創造主である神の存在が持つ意味を再確認
 一般法則論において、創造主である神の存在証明はすでにしました。
 ご存知で無い方は、このブログの過去の文を検索してください。
 ここでは、今一度、創造主である神の存在が果している役割り、機能を説明します。
 創造主である神は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを通して、ヒトという存在(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが住むこの世界のインフラとなるこの世界の成り立ちと仕組みの創造主としての役割を唯一担う存在です。
 同時に、創造主である神の化身かつ分身の存在に造ったヒト(宇宙大では宇宙人一般)にその存在目的と存在理由と生き方の原理を与え、これを守り、ヒトをして、この地上に神の国を造る歴史を歩ませようとしています。
 そして、これに辻褄が合うように、ヒトという存在の資質(例えば意識のある心と無意識の心からなる心の仕組みや、ヒトの心が、創造主である神がこの世界を創造する原理として使ったのと一つ同じもので出来ていることなど)やこの世界の成り立ちと仕組みのすべてを造っています。
 なお、ヒトの生き方の原理は潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に具体化されています。
 簡単にいえば、これだけの話です。
 しかし、この簡単な事を、創造主である神の存在を含めて、学問的な常識するために、ヒトを、一般法則論を必要としているわけです。

○私たちの日常感覚の確信
 世界は一つ、人類は地球上で一種類の生物、われら地球市民、私がいる今ここから夜空を見上げて見る宇宙の果てまで世界は一つに続いているし、昔、菅原道真が見た配所の月も今私たちが見る月も一つ同じ月であり、またいま腕にはめて使っている時計は、国内や外国の何処に行ってもそのまま使えるし、飲む水は世界中どこでもすべてH2Oという化学式が当て嵌まる、と多くの人達が殆んど何の疑いもなく思っている、と言って良いでしょう。
 即ち、この世界のどこでも、今、私が居るここと一つ同じ世界である=世界中一様に造られている世界である、と誰もが直感的に/生得的に/無意識の内に知っている、ということです。
 言い換えると、同じ世界観と同じ人間観と同じ生き方の原理を共有し合っている者同士の間でしか、原理的に共生はできない、ということです。
 同じ伝で、同じ発想で、同じ理屈で、一般法則論が説明している事とも、地球大、宇宙大に当て嵌めて考えることができる、なぜならば、この世界は、全体でただ一つの一様の世界であるから・・・。

○三つの常識はその根拠が説明されなければならない
 もちろん、私たちが生きている世界は、私たちがこの世界に生まれる前から、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て一様に造られている、全体で一つの世界であることが、一般法則論の前提としてあるのではありません。
 これら三つのことは、一般法則論では、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きでその根拠について全て説明できることですし、また、説明をしなければなりません。

○無意識にある事実=知識は意識化され自覚化される必要があるしこれが役立つ
 それでも、一般法則論で以上の三つのことを説明する前も説明した後も、この三つの常識は常に意識化され自覚化された知識として持っていることが役立ちます。
 直感的に、生得的に、無意識の内に知っていることは、自覚的に意図的に意識化して確認されない内は、その無意識の知識の自覚的で意図的な活用は難しいし、意識化し自覚的な知識を持っているヒトと、未だこれが出来ていないヒトとの間で、話が通じない、ということもよく起こります。
 一般法則論が説明していることに関しても、現にこのようなことが発生しています。

○地球人類が共有できる根本哲学の一つの候補としての一般法則論
 そして、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みは、全てのヒトが、全地球人類が、等しく客観的かつ唯一絶対的かつ普遍的に共有すべき、意識化され、自覚化された知識にすることが出来て初めて、年齢や性別や人種や民族や言語や地域や文化や宗教や思想・信条等の違いを全て超越して、一つ同じ地球に生まれ住むヒト同士として仲良く共生できる哲学的な共通基盤が確立する、というものです。
 一般法則論的な全人類が一つに共有し得る普遍性のある根本哲学を抜きにして、地球人類の共生はありえません。
 これが無いままで、「神などくそ食らえ! 人間様が一番偉いのだ!」という間違った思想の「人道主義」にしばしば基づいて、多文化の共生を説くのは、既にアメリカや欧州でこれをして、異なる文化を生きる人/民族同士の間で深刻な摩擦と対立を引き起こしている実例があるとおり、既に実験済みで最初からうまくいかないことが分かっていることを勧める無責任なことだと言えるでしょう。
 一般法則論は、この自覚の下に、地球人類の共有哲学たらん、と名乗りを挙げているものです。
 ダカラこそ、今、ここで、直ちに、一般法則論の真偽とその可能性を真面目に真剣に検討していただきたい、と申し上げているわけです。

○天然自然の存在の創造主である神が人類的に認知されるまで後一歩!
 あなたも既によくご存知のように、(天然自然の存在の創造主である神+)自然法則+エネルギ一一体不可分の働きでこの世界の成り立ちと仕組みを説明する自然科学に基礎を置いた科学技術が、年齢や性別や人種や民族や言語や地域や文化や宗教や思想・信条等の違いを難なく超越して、地球大で人々に受け入れられている事実があります。
 自然法則+エネルギー一体不可分の働きと一体不可分で存在し働いている天然自然の存在の創造主である神が、全人類に発見され、認められるのは後一歩の所に来ている、ということも出来るかと思います。
 これには、まず、自然科学/学問一般とは、この世界の成り立ちと仕組みを、自然法則+エネルギー一体不可分の働きで説明し尽くそうとする理論である、という定義を、まずは科学者/学者一般の自覚的な知識にする必要があるかも知れませんね。

○あなたのお持ちになる哲学は一般法則論以上のものですか?
 あなたの信仰しておられる宗教や信奉しておられる思想やあなたが支持しておられる政治家や政党が掲げる信条やあなたが専攻しておられる学問(科学を含みます)は、世界観と人間観において、その世界認識の方法論も含めて、一般法則論以上のものですか?

○一般法則論の真偽の検証法の再確認
 なお、繰り返していいますが、一般法則論の真偽の判断は、これを説明しているこの私の出自の正しさや信用できる人物であるかどうかで決まるのではないことです。
 ましてや、詐欺師かも知れない私に、一般法則論が正しいことの証明を求めるのは、自殺行為に等しいものでしょう。しかし、世の中には、騙している相手の所に単身で乗り込んで、「世間はあなたを詐欺師だと言っているけれどもそうではないと言ってください!」とお願いしたり、「よくぞ俺をだましたな! 警察に訴えてやる!」と息巻いて返り討ちになる人たちが後を絶ちませんね。
 一般法則論の真偽は、この世界は天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て出来ているという一般法則論の説明=地図の、その信憑性、正確さ、実用性を、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで現に全て造られている筈のこの世界そのもの=現地に、あなたが自ら照らし合わせて確かめるべきものです。
 この実際のやり方は、「この世界そのものに自ら語らしめる」形の方法、即ち、自然科学が現に採用している方法になるはずです。
 そして、この世界の成り立ちと仕組みを発見する自然科学の方法の正当性は、一般法則論が説明しています。具体的には、全てのヒトの心が、この世界の成り立ちと仕組みを造っているのと一つ同じ、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで出来ている、という「理解の原理」の存在です。

○一般法則論が同義語反復の形式になっているわけ
 あなたもお気付きのように、一般法則論は、これ自体で論理が自己完結しているがゆえにこれ自体で自助自立した仕組みを作っている、同義語反復の論理になっています。
  私たちは、誰も、私たちが生まれる前から天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを無視して、この世界の外に出て、万物と万人に等しく現に存在しているこの世界の成り立ちと仕組みを超越して、勝手な世界観と人間観を述べることは出来ないのです。
 そもそもこの世界の成り立ちと仕組みを説明する全てのヒトの心は、この世界の成り立ちと仕組みを唯一絶対普遍的に造っている天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きそのもので出来ているのですから・・・。

○まとめ
 私たちが生きている世界は、私たちがこの世界に生まれる前から、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られている、全体で一つの世界であることが意識化され、自覚的な知識になっていれば、例えば、この世界がどう見えるかはヒトの見方次第で相対的に決まるという社会構成説とか、これに基礎を置いているジェンダー・フリー説などに、最初から騙されないで済みます。

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中山敬真(2008) たった3秒のパソコン術 をお薦め

2008-06-25 01:10:37 | 創造主である神
○中山敬真 たった3秒のパソコン術 という本のお薦め
  中山敬真(2008) たった3秒のパソコン術 東京 知的生きかた文庫 三笠書房
  この本を、買いました。
  ウインドウズ・パソコンを使いこなすための便利な裏技を色々と説明しています。

  この本で知って、その裏技を一般法則論の文作りにさっそく使っています。

  この本は、文句無く、お薦めです。

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潜在意識の法則/引き寄せの法則に関する推薦本の再確認

2008-06-24 01:07:56 | 潜在意識の活用法
○ここで推薦している引き寄せの法則の本の再確認
 マイケル・J・ロオジェ(2003・2006) 石井裕之監修(2007) 引き寄せの法則 東京 講談社 黄色の表紙の本。

 先般の秋葉原での無差別連続殺傷事件の犯人や、この事件を真似た事件を自分もやるとネットに書き込みをしている人たちが、もし、この本を事前に読んでいたら、そのようなことはたとえ出来心でもしなかった、と思います。

 このブログにはじめてアクセスしてくださる方々のために、このブログでは、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法の本の中で、上記の本を推薦していることを、お伝えします。 

 内容は、本屋さんで、実物を手にしていただいて、他の本と比較していただくがよいでしょう。

 なお、引き寄せの法則の働き方は、叫んだ通りにこだま/やまびこが返ってくる「こだまの法則」/「やまびこの法則」にしたがっている、という説明もしています。

  また、引き寄せの法則がよって立つ根拠について、このブログの中で、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みにそれがあることを説明しています。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


祈りるヒトは科学的な医療行為に反対したりこれを止めたりはしない

2008-06-17 04:26:42 | 祈り方
○祈るヒトは医者のように振舞うことは有り得ない
 全ての祈りは、祈るヒトの心の中で全て自己完結的に完成する形で行われる。
 先の文でこう説明しました。
 このことに関連して、祈るヒトは、自らがちゃんと免許を持つ資格のある医者でもない限り、如何なる意味でも、医療行為やこの真似事をすることは有り得ないことを、ご記憶ください。

○医療行為に関ることは真似もしない
 心/精神のみを使う潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法での祈り方の技術では、祈るヒトが、何かの医療行為に属するようなことは一切しません。
 医療行為を真似することさへしません。

○医者に掛かることや医者に処方された薬を飲むことを止めたりはしない
 祈られるヒトが、医者に掛かる事や医者から処方された薬を飲むことに反対したり、これを止めたりすることも、心/精神のみを使う祈りの技術では絶対にしません。

○医者に掛かることを止めない理由
 祈るヒトは祈られるヒトが医者にかかるのを止めないのは如何なる根拠に基づくのでしょうか?
 この理由は、直接的には、祈られるヒトの自由な判断や希望を尊重し大切にするからです。
 根本的な理由は、通常の医療行為と心/精神を使って祈る技術とは、頼りにしている原理が異なっていますし、この原理の前提になっている世界観も人間観も、今現在、大きく異なるからです。

 即ち、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に基づく祈りによる治療方法は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きを丸ごと治療に使う全知全能の方法だ、という理解を祈るヒトが持っていることにあります。
 言い換えると、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に基づいた祈りの技術では、原理的に不治の病は無い、と理解しています。
 この理由は、治療を実際に担当するのは、医者でも薬でもなくて、全てのヒトが生得的に持つ、天然自然の存在の自然治癒力であり、これはこの世界の成り立ちと仕組みの全てを造っている全知全能の天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きそのものだ、と祈るヒトは理解しているからです。

 しかし、現在の常識的な科学的な医療技術では、このような世界観や人間観を未だ知らないのです。
 それでも、根本的には、科学的な医療技術も、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みに基づいているのですから。
 特に、自然治癒力やこれに基づいて行われる祈る技術について理解のある医療関係者に関しては・・・。
 以上の話を、ぜひ憶えておいてください。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


政治に頼らない生き方について 証券(株式)投資を選択した人たち

2008-06-16 05:31:31 | 潜在意識の活用法
○政治に頼らない生き方
 前の文で、全人類に等しく客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在し働いている、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みと、これに直接根拠があるヒトの生き方の原理、更にこれを実用化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用を、未だ自覚的な知識にしていない政治家とこの政治を頼りにして生きることは、今、現在、一般法則論的には出来かねる、と一言申し上げました。
 この方法は、具体的には、もちろん、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を頼りにすることです。このことを、一般法則論では強くお勧めしています。

○株式投資という選択をした人たち
 今、日本でも正当に市民権を得つつある株式投資で、老後の年金を、政府に頼らずに、自分で作るのだ、という決意をしている人たちがいます。
 この方々も、「政治には頼らない生き方を選んだ」ということを、しばしば表明しています。
 株式投資でも、もちろん、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は有効ですし、現に自覚的に意図的にこれを使っている人たちがいます。これで成功している人が書いた本もあります。
 先に申し上げたように、神経言語プログラミング(NLP)を、しばしば独善的になり易い投資行動の正常化のために使うことも行われています。

○株式投資の基本の考え方とその一例
 株式投資の話をして、具体的なことを何も申し上げないわけにはいきません。
 聞いた話によると、東京大学の入学試験に合格するための「基本書」があり、実際、これを中心に勉強して成功したヒトが書いている本がありました。二―三ヶ月前に本屋でちょっと立ち読みしただけで、著者名と本の題は覚えていませんが・・・。
 同様に、株式投資の本についても、基本書があるのかも知れません。
 私が知っている範囲では、次の著者の本がお勧めです。

 田中 勝博(2004) 田中式機械的トレードで株長者になる! 東京 東洋経済新報社
 投資話で騙されないためにも、この本の目次と前書きだけでも、本屋さんで確かめられることをお勧めします。

 次の本は、こつこつと長期の株式投資で資産を作っておられる方のハウツー本。

 友成 正治(2001) あなたも株長者になれる超安全投資法 東京 日本実業出版社
 その方法は、正に田中氏が説明しているのと同じです。

 更に、いわゆる株式チャート分析ソフトがあると良いでしょう。
 もし、自分独自の投資ルールを作りたいヒトは、この有効性の検証機能が付いた株価分析ソフトがお勧めです。たとえば、次のもの。

 パンローリング(2007) チャートギャラリープロ4 Expert パンローリング社

 ある本で、テクニカル分析で上がる株を見つける方法を幾つも紹介していて、これの有効性を自ら検証しているのですが、その本の著者が検証している2005年と言う年の日本の株式市場では、思いつくどんなルールで投資しても、利益が右肩上がりで機械的に直線的に伸びる年でした。
 2006年からつい最近までは、買い方と利益の確定の仕方を上手にしないと、殆んどのやり方で利益は結局マイナスになります。
 こういうことが分かるのも、検証ソフトのお陰。

○良いモデルの効用
 潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法も何か実例を知っていることが役立つように、株式投資でも良いモデルを知っていることが役立ちます。
 茶道から生まれたと聞く、「守―破―離」の茶道における上達の順序は、他のことにも広く当て嵌めて使うことができます。
 この最初は、「守」、即ち、良いモデルの徹底的な真似です。
 良いモデルは、それを上手に行うのに必要不可欠な全体像が何かを教えてくれることです。
 トースター=パン焼き器の使い方も知らずに初めて買って使ったヒトが、小麦粉を水で溶いてトースターに流し込んで、パンが出来なかった、欠陥商品だとメーカーに苦情を言った、という話を聞いたことがあります。
 何も知らず、生まれて初めてするようなことでは、これはよく有り得る話でしょう。
 この方が、かって一度でも、トースターを使って、スライスされた食パンを焼いているヒトの行動をみていたら、このような間違いをしなかったはずです。
 イメージ・トレーニングやメンタル・トレーニングやNLPでは、自覚的に意図的に良いモデルを探します。
 人真似、物真似は、ヒトの本能的な行動に属しています。
 しかし、本能的な行動に属しているがゆえに、無意識にあって、これを自覚的に意図的に使えないことがあるものです。
 そこで、時には、人真似、物真似を、自覚的に意図的にするのがお勧めです。
 自分独自の個性の発揮は、「守―破―離」で言えば、守がよく出来た後に自然に続く、破と離の段階を待つべきものです。

○株式投資における自己責任を担保するもの
 なお、株式投資などの投資行動は、自己責任で、と必ず釘をさされます。
 この自己責任の根拠となり、これを実際に担保するのが、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法であることは、言うまでもありません。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知らないと、自己責任はしばしば自己破産と表裏一体です。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


秋葉原の通り魔事件の一般法則論的な受け止め方について

2008-06-15 03:36:03 | 潜在意識の活用法
○秋葉原の通り魔事件の一般法則論的な受け止め方について
  秋葉原の連続殺傷通り魔事件から今日六月十五日で、丁度一週間目です。
  このような事件は、どのように受け止めて、どう対処したら良いのでしょうか?
  一般法則論の立場で、簡単にお話し申し上げます。

○あってはならない事件と認識することが最初に必要
  一言で言えば、それは、本来、あってはならない事件です。
  創造主である神の化身かつ分身の存在のヒトは決して起こすはずがない事件だからです。

○事件のことにはもう関らない この理由
  あってはならない事件だ。
  こうだと分かったら、もうその事件の処理は警察と司法の手に任せて、事件の内容に更に立ち入ることは避けるのが好ましい。←「山彦の法則」←潜在意識の法則/引き寄せの法則
  事件の内容に立ち入れば立ち入るほど、本来あってはならない間違ったことに実在性と真実味を与え、強化し、また同じことがあるぞ! 今度は自分がその当事者になるかもしれないと思うと怖い!!! ということになってしまうからです(話は例えば病気を自然治癒力に頼って治そうとする場合でも同じです。闘病日記などをつけて、病気を見つめるのは間違い!)。

○一般法則論論者の行動の仕方
  一般法則論者としては、こうならないために、事件から直ちに離れて、ヒト本来の在り方/生き方を再確認することに心を向けることです。
 そして、よく考えれば、この方法しか、この事件のようなことを二度と再び引き起こさないようにするための根源的な解決策はない、と分かります。

○この事件の犯人の素地 世間の常識になっている間違った世界観と人間観
  この事件の下地は、この世界の成り立ちと仕組みが天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られていて、これに直接根拠のある創造主である神の化身かつ分身の存在のヒトとしての生き方の原理があり、この原理は、例えばイエス・キリストが「求めよ、さらば与えられん」という形で説いたものを、今から百年あまり前からは、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法という形でハウツー化して説明するようになっていることについて、事件の犯人にはまったくの知識が無い、ということにあります。
  事件の犯人が、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知らなかったのは間違いないし、たとえ知っていたとしても、その有用性も使い方も知らなかったと断定しても良いでしょう。
  もし、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知っていたら、絶対にそのような事件は引き起こさなかったはずですから。

○未だ世の人々はヒトの生き方の原理の存在を自覚的な知識にしていない
  しかし、ヒトとしての生き方の原理をハウツー化したものを知らなかったことについて、事件の犯人の青年だけを責めることはできません。
 それどころか、未だ潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知らず、知っても受け入れないのが、日本人だけではなくて、人類規模の常識、と言い切っても良いくらいなのですから。

○岩波書店のブックレットの著者たち
  事件の翌日、6月9日月曜日の読売新聞の夕刊の第一面で事件を新聞としてはじめて報じているその下には、岩波書店の「今月の出版案内」/「岩波ブックレット」という広告が載っています。
  この広告に載っている岩波ブックレットのタイトルから推測すれば、これらの小冊子の著者と岩波書店の経営者たちも、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きですべて造られているこの世界の成り立ちと仕組みについて、自覚的な知識があるとは到底思えません。ましてや、この世界の成り立ちと仕組みに根拠があるヒトの生き方の原理の存在やこれをハウツー化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法をご存知のようには思えません。
  これらのブックレットの著者たちの人間観と世界観では、ヒトが生きずらいとすれば、その原因は、その人個人に原因や責任があるのではなく、また、最初から個人の力ではどうしようもないこととしてある、つまり、国の政治体制や社会の経済の仕組みにこそ真の原因があり、真の責任がある、という発想をされていて、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法のような考え方を受け入れるどころか、受け取ることさへ出来ない心の構えでおられる、と推測できます。
   もし、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知っていたら、とてもこのような小冊子を岩波書店から出版することを選ばなかったはずでしよう。

○政治家たちーーー自民党に政権の交代を迫っている民主党も知らない
   しかし、この世界の成り立ちと仕組みに直接根拠がある、ヒトの生き方に関するハウツーがあることを未だ知らないのは、事件の犯人と岩波ブックレットの著者たちに限りません。
  今、民主党が、自民党に政権交代迫っています。国民の半数がこれを期待している、という世論調査が、数日前に報道されたばかりです。
  では、民主党に属する政治家たちは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みに直接の根拠のあるヒトの生き方の原理をハウツー化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を、自らの自覚的な知識にし、その行動原理にしているでしょうか?
  これは、期待することも出来ない、と申し上げて良いでしょう。
  そこで、政権が自民党から民主党にたとえ交代しても、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みに直接の根拠のあるヒトの生き方の原理をハウツー化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知らないかぎり、個人の抱える人生上の諸問題の根本的な解決は、原理的にありえない、と断言できます。
  ヒトの生き方の原理について自覚化された知識がないのは、民主党の政治家に限らず、自民党やその他の政党に所属する殆んど全ての政治家に当て嵌まる、と推測できます。
  このことは、報道を通して知る外国の政治家を例にしても同じです。

○政治に頼らない生き方
  政治家は、この世界の成り立ちと仕組みを造っている根本原理もヒトの生き方の「根本原理」も知らない。
  もちろん、政治学者も同様に知らない。
  そこで、現状のままで、政治家に/政治を第一の頼りにして、人類が抱える諸々の問題の解決を図る式の発想は、一般法則論的には出来ません。
  一般法則論的には、一般法則論を人類の常識にすることを直接の目的にするしかない、と考えます。そして、一般法則論が人類の常識になるとき、自然に政治家の行動にも反映されることになるでしょう。

○今現在人類が持つ文化・文明的な諸文物はこの先も必要
  念のために確認しますが、一般法則論が人類的な常識になれば、政治も政治家の存在も不必要になる、ということには決してならないことです。
  天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界は、何をするのでもそれを可能にするシステム、それもたとえその一部だけでも物資的な存在で造られている/作られている(システムの)構成要素を含むシステムになります。
  そして、ヒトの行動を集団レベルでまとめて秩序付ける政治は必要不可欠ですから。
  同様な意味で、たとえテレパシーによる通信が人類に普及しても電話機のような物理的なシステムによる通信手段も、医者と病院も医薬品も警察も軍隊も消防署も、もちろん国家も、また例えばヒトが持つ生得的な免疫システムも、幾ら一般法則論が人類的な常識になっても決して無くなる事はありません。
  そもそも創造主である神は、この世界の成り立ちと仕組みを物質的な物で造っているのですから。


○潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知らないと陥り易い考え方
  潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知らない、ということは、何かあると、その原因を他人や社会の所為にして、自分は悪くない、自分には責任がない、自分の存在を認めて受け止めて受け入れてくれない妻や夫や両親や兄弟姉妹や友人や学校の先生や会社の上司などの周りの人たちや社会や政府自民党が悪いし責任がある式に発想し易いことです。

○世間がそれと知らずに事件の犯人の間違った世界観と人間観を支援する
  何かあると、その原因を他人や社会の所為にする。
  これを、例えば岩波のブックレットの著者たちや民主党の政治家たちが肯定し、後押しする言動をしているわけです。
  しかし、これらの人たちは、秋葉原の通り魔事件の犯人の犯行を、それと自覚しないで支援していることについての自覚は、殆んどゼロであるに違いありません。
  これを正さないままでは、またいつか、同じような事件が起こります。

○一般法則論者の私にさしあたりできること
  さしあたり一般法則論者の私にできることは、このような文を書いて、自分のブログに載せることと、一般法則論的な人間観と世界観に基づいて、創造主である神の化身かつ分身の存在に生まれている全てのヒトにとって本来あるべき状態がそのまま一人ひとりの現実になっていることを祈ることのみです。

○潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法の本が本屋にいけば在る
  今一つは、本屋さんにいけば、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法関係の本が、その棚に沢山並んでいることをお伝えすることです。
  1950年代の終わりごろから1970年代にかけて日本にアメリカから入ってきた成功哲学や潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法の本を読みつないで、それを自分のものにした人たちが、今、ご自分の成功体験に基づいて、易しく潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を説く時代になりました。
  しかし、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は、未だ世間一般の常識にはなっていませんね。
  初詣には日本全国で百万人単位の方々が出掛けられるのに、祈り方の原理があることを知らずに、殆んど迷信的に祈っている、と推測できます。

○恐れてはいけません
  なお、自分がそのような事件に巻き込まれるか知れないと心配したり、被害者に同情することにおいて度が過ぎて、被害者と自分を同一視したりしてはいけません。
  この理由は、すでに説明しているように、潜在意識の法則/引き寄せの法則に基づいた、山彦の法則が存在しているからです。

○事件に巻き込まれなかった方々へ
  事件の現場付近に居て、事件には巻き込まれなかった方々は、自らに化身かつ分身化している創造主である神に感謝するのが良いでしょう。

○文字通りに数学的な正確さと精密さで働く自然の法則
  原因=結果の因果必然の天然自然の存在の法則である天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きは、自然科学でその存在が数学の方程式で記述されるように、文字通りの意味で数学的な正確さ、精密さをもって働きます。
  ここに、気まぐれな幸運や偶然が働く余地はまったくありません。

○本来何もかも自然にうまく行く世界に住んでいる
  要は、自分が天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の完全完璧な働きによって造られている創造主である神の化身かつ分身の完全完璧な存在であり、何もかも自然にうまくいって、天寿を全うするように、創造主である神に常に守られている存在であることを、有り難く思いながら、日々を生きることに尽きます。

○潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を自分のモノにしよう!!!
  具体的には、私たちが生きているこの世界の成り立ちと仕組みが、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られていて、これに直接根拠があるヒトの生き方の原理があり、これを更に実用化した/ハウツー化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を使える、という事実を真剣に受け止めて、これを何が何でも自分のものにする! と決意することです。
  潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を実際にものにして使えるようになりつつあります、という祈りも、もちろん有効です。

  例によって、誤記・誤字・脱字・舌足らずの表現や不明確な表現等がありましたら、気が付き次第訂正します。

子供たちの未来を守るぞ!!!!!

2008-06-08 00:21:39 | 創造主である神
今日六月七日と明日は、地域の産土神社の夏祭りです。
 家の前を、山車を引いた子供たちが通りました。

NHKで地球温暖化問題に何が出来るか、半日討論していました。

 山車を引いて通った子供たちの未来を何としても確保しなければ! と思ったものです。
 
 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


人生最大の悲劇は潜在意識の法則の活用法を知らないこと 祈り方の技術その二

2008-06-07 02:52:05 | 潜在意識の活用法
○「人生最大の悲劇」は何か?
 人生で最大の悲劇は何か?
 こう聞かれたら、あなたは何と答えますか?

 「人生、金さへあれば何でもできて、思いのままに生きることが出来る。なのに、その金とは自分は縁がない。これは、わが人生最大の悲劇だ。」式に考えるヒトのことについて、前文で触れました。

○一般法則論で考える人生最大の悲劇は・・・
 一般法則論で考える人生最大の悲劇は、この世界の成り立ちと仕組みを造っている原理を知らず、これを知ろうともせず、この結果、ヒトとしての生き方の原理があり、それは、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法というハウツーになっていて、これを何にでも使える、という事実を知らないことに尽きます。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法によれば、自分の収入を増やすことも出来るのですから。

○実際に在り得る話
 自分の収入を増やす原理や金持ちになる原理を知らず(これらは潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法一つで全て解決)、「金のある奴は運と偶然と不正なことをして金持ちになっている」(注記1)と勝手に決めて、金持ちを憎み、金持ちからあらゆる手段で金を奪うことを考え、「金持ちにだけ沢山税金を掛けてその富を奪い、富の格差をなくし、金に縁の無い人たちに富の再配分をする」と約束する政治家や左翼の政党の熱心な支持者になったりするヒトが実際にいます。

 もちろん、こんなことをすれば、自分が考え発言した通りに=自らが原因設定をした通りに結果を自動的かつ必然的に受け取ることになる、潜在意識の法則/引き寄せの法則=「山彦の法則」の働きで、自らますます貧しくなるだけです。
 しかも、自分が自ら進んで自らをますます貧しくするようなことをしているという自覚がまったく無く、自分の収入が自分が望んでいるよりも低く、貧しいのは、社会の経済の仕組みや金持ちに搾取されているからだと見当外れの信念を頑なに持っていて、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法の話に何かで接する機会があっても、「そんな簡単なことで金持ちになれるのならば誰も苦労はしないさ。嘘言うんじゃねぇ!」と受け入れることも出来ません。
 しかし、金持ちは、実際にそんな簡単なことで金持ちになっているわけです。しかも、大金持ちほど、このことをよく知っています。

○注記1 沖縄サミットで行われた国際子供サミットでの話
 2000年7月の沖縄サミットのときに、国際子供サミットなるものが同時に行われました。
 このテレビ中継を、私は観ていました。
 このときの日本代表は、中学生位の女の子でした。
 彼女は、その会議の中で、「不正なことをしなければ金持ちにはなれない」といったものです。
 左翼の強い土地柄の沖縄ですから、そのような場で、年端も行かない少女にそんな発言をさせて悦に入る大人が彼女の周りにいるのだと思いました。
 しかし、これを聞いていて、その少女の行く末がとても心配になりました。
 もしその少女が金持ちになるには、自ら不正なことをしなければならなくなるからです。
 もし絶対に不正なことをしないと決めると、清く正しく貧しくなる「清貧」の生き方を否応なしに自らに課すことになるからです。
 注記1の終わり

○祈りとその技術
 こういう場合の祈り方はただ一つです。
 この祈りの効果は、沖縄サミットの国際子供サミットに参加した日本代表の少女の上にあります(注記2)。
 彼女は創造主である神の化身かつ分身の存在の一人であり、創造主である神の化身かつ分身の存在として、生まれながらにして無条件・無留保・無制約で創造主である神によって認められ祝福されています。
 だから、彼女を通しても、創造主である神の無限の富が流れ出て、彼女の人生を尽きることの無い富が満たし尽くします。
 「幸運や偶然に頼ったり不正なことをしたりしなければ金持ちにはなれない」という考え方は一般法則論的な根拠(この世界の成り立ちと仕組みの全てを造っている天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに根拠)が一切ありません。このような間違った信念は、彼女の潜在意識からも、彼女の言葉を聴いた外国から参加した子供たちの潜在意識から、彼女を取り巻く全ての大人の潜在意識からも一斉に洗いざらい取り除かれます(注記3)。
 そして、この祈りの言葉とその少女とその関係者の全てを、全面的に全知全能の天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに引き渡して、この通りに実現をしてもらいます。
 自然にこのとおりになります。
 そして、現実の結果を見る/知る前に、絶対に失敗を知らない、時間も空間も無い、常に今、ここでのみ働く、文字通りに全知全能の天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きによって、即座に既に祈りが実現していることを認め、先回りして感謝することにします。
 有難うございました(山彦の法則の確認)。
 以上、全てを、全知全能の天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに任せて、私は、私の仕事に戻ります(祈ったことを実現できるのはヒトの意志の力や努力ではありません。天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きです。そこで、これに任せることを自覚的に意図的にします)。
 終わり。

 なお、この効果は、祈られたヒトが天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに根拠のある祈りを受け入れる程度にしたがって、実現します。
 このブログで私が体験した「意味のある偶然の一致」の例でも明らかなように、「祈る」という特に改まったことをしなくても、一瞬間思っただけでも、意外に簡単に事がなるということも、ご記憶に留めておいてください。
 もちろん、祈り方の基本的な方法を知っていることが役立ちます。

○注記2 祈りの対象の特定
 祈るときに、祈る対象を特定する、というやり方があります。
 特定の方法は、住所と氏名でするのが一般的です。
 しかし、これが出来ないときには、これに代わる何かを採用します。
 例えば、今、この例でしたように、です。
 或いは、祈ることを商売にしているヒトでは、祈られるヒトが普段よく使っているものや洗濯してきれいになっている肌着などを、ご本人を特定する代わりにするヒトもいます。
 なお、念のために付け加えますが、祈られるヒトの体のどこかに触るとか、衣服が祈るのに邪魔になるとか言って祈られるヒトを裸にするとか、あなたの性器を見なくては何をどう祈って良いのか祈り方が分からないとかいうヒトがいるようですが、このヒトは、本物ではない偽祈祷師です。こういうことは、祈りには一切関係ありません。
 但し、相手を安心させるために、その手を握り締める、ということはあります。
 注記2の終わり

○祈りは祈るヒトの心の中で全て自己完結的に完成する
 以上の話を別の角度からまとめると、全ての祈りは、祈るヒトの心の中で全て自己完結的に完成する形で行われるということです。このことを理屈で理解するのは、自然法則の働き方の原理を知る必要があります。これは、別の文でします。
 具体的に言えば、何かの生け贄を必要としたり、生け贄やお賽銭を要求したり、祈られるヒトに「ああせいこうせい」と要求したり(例えば何かのサプリメントを飲むように要求したり幸運グッズを買わせたりする)、はしません。
 但し、祈られている間、楽な気持ちでいてくださいとか、祈りなどはニセ科学、疑似科学なので断固として抵抗する! などは言わないで、信じる、信じないはしばらく問題にしないことにして素直な気持ちでいてくださいとか、祈る技術について説明をすることを聴いてください、とお願いすることはあります。
 この関連で、祈りの効果がでるのを妨げる明らかに間違った考え方を聞き出してその否定をするように求める必要があることがあります。例えば、ヒトに対する敵意や憎しみや嫉妬の感情など。また、人生で成功するには、孤立無援の自分一人の努力と闘争一つに懸かっている式の考え方。天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに本質的に相容れないこういう感情や考え方があると、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きが妨げられ、著しく効果が出にくくなります(→山彦の法則)。

 家族のような親しい間柄にあるもの同士では、何の説明もしないで、いきなり祈ることもします。

○祈りは時間と空間に制約されない
 更に付け加えますが、祈るヒトと祈られるヒトとが空間的にどんなに離れていても、祈る効果は、いささかも妨げられません。
 なぜならば、祈ったことを形あるものに実現してくれる、唯一絶対普遍の全知全能の知恵と力である、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きは、ここから宇宙大に広がって働いているからです。
 祈るヒトと祈られるヒトの心も、一つ同じ天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て出来ています。
 こういうわけで、東京にいて、沖縄や或いはアメリカにいるヒトのために祈っても、その効果が出ます。

○祈る言葉を百%信じている必要がある 2008/06/07 21:04
 祈り方は色々の方法があります。
 祈りの言葉もさまざまでありえます。
 但し、どう祈ろうと、祈っている内容について、百%正しいと信じている必要があります。
 なぜならば、祈った通りに結果を得ることになるからです。←山彦の法則
 また、祈った効果が出るまで、祈ったことを取り消したり、否定したり、迷って別の内容に取り替えたりしては、当然祈りの効果は出ないことになります。
 これは、原理的には、お湯を沸かすとき、ガスコンロに掛けたやかんのお湯が沸くまでは、その状態を維持しなければならないのと話はまったく同じです。
 それが正しいと信じて祈るときや行動するときには、結果が出るまで自然に祈ったことや行動することをそのまま維持して続けることが出来ます。

 以上は、祈る技術に関する常識です。

○注記3 「克服の思考」
 祈ったことの実現を妨げる信念や、望まない結果を現にもたらしている原因となっている間違った信念/思い込み/偏見等があることが明らかな場合には、これを一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に否定する言葉を付け加えて、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに確かな根拠がある新しい正しい原因設定で置き換える、という手があります。
 これを「克服の思考」と名付けたのは、F・ベイルズ氏。
 ベイルズ(1960年代) 信念 幸福を生む力 ダイヤモンド社 絶版
 英文の本が手に入るようです。
 注記3の終わり

○そもそもの間違い
 そもそもの間違いは、金さへあれば自分の人生を思い切り自由に生きられる、という間違った考え方です。
 お金にはそんな万能の力などありません。
 お金は、使えば、減ります。
 お金は、ヒトに盗まれることもあります。

 同様の考え方は、日本国憲法の九条が世界平和をもたらす、という主張。
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きには根拠がまったく無いこの主張が、いわば利権化し金儲けの手段になっているようなので厄介です。
 言い換えると、こういうことにも、経済の法則が働いている、ということです。

○自分の人生を自分の思い通りに生きたいのならば・・・
 自分の思い通りの人生を生きたかったら、文字通りの意味で全知全能の潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法をモノにすることです。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法の技術は、誰の心にも生得的に備わっています。
 そして、自らの心の内にあるこの技術は、使えば使うほど、使い方のコツが分かって、しかも、減ることが絶対にありません。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法の技術は、ヒトに盗まれることも絶対にありません。
 これを知って、今、すぐからでも使わない手はありません。
 これを知らないのは、本当に、誰にとっても、人生最大級の悲劇だ、と申し上げても良いでしょう。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


この世界の成り立ちと仕組みを理解するための二つの常識

2008-06-05 19:14:35 | この世界の成り立ちと仕組み
○はじめに この世界の成り立ちと仕組みを理解するための二つの基本的な事実の存在
 私たちが生きているこの世界の成り立ちと仕組みを発見し理解する上で大前提になっている二つの基本的な事実があります。
 つまり、一般法則論の話を聞いて、一般法則論的な発見やその理解を容易にしてくれる考え方、マインド・セットがあるのです。
 言い換えると、一般法則論の理解を妨げる間違った思い込みがあるのです。
 これは、二つある、と思います。

 一つ目は、私たちが生きているこの世界は、私たちがこの世界に生まれてくる遥か大昔から存在しているものだ、という事実です。
 地球上に恐竜が存在したのは、私たち人類が地球に存在するようになる遥か大昔のことだった、という事実は、この証拠の一例です。
 二つ目は、私たちがこの世界に生まれてくる遥か大昔から存在しているこの世界は、偶然にでたらめに造られている混沌とした世界ではない、という事実です。
 つまり、この世界を創造した、宇宙大でただ一つの天然自然の存在の法則が存在していて、私たちは否応なしにこの法則に支配されている、という事実です。
 この「天然自然の存在の法則」のことを、一般法則論では、「天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き」と言っています。

  この二つの事実は、この世界の成り立ちと仕組みが、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られている、という説明の中で、例えば「絶対的な無意識の意識化」という悟りの仕組みの説明の中で、五次元の時空連続体の世界であるという説明の中で、自動的かつ必然的に証明されることになります。つまり、一般法則論の説明は、常に循環論法/同義語反復の形式を踏んでいるわけです。
   

○話しても分からないか・・・
 前節で、一般法則論を理解するための二つの常識、という話をしました。
 多くの人達にとっての難問は、私たちが生きているこの世界は、自然の法則に絶対的に普遍的に支配されている、という点にあるようです。だから、この天然自然の存在の法則の働きを無視した、自分が勝手に作った何かの法則で、この世界やヒトが作られ支配されているという類の一切の主張は根拠がなく間違っているという指摘をしても、私は自分が作ったルール以外の、自分の外側から押し付けられるルールには従わない式のことを言い張るヒトがよくいます。
 「この世界の成り立ちと仕組みを分かるヒトが最初に存在していて、このヒトがこの世界を観測し認識した結果、この世界の存在も、この世界には自然の法則が存在していることも分かった。結局、ヒトの存在抜きにはこの世界も自然の法則も無い、ということだ。」
 では、ヒトはいつからこの世界に存在しているのか?
 上の説を素直に理解すれば、この世界の存在に先立って、具体的に言えば、例えば恐竜よりも先に人類は存在していたので、恐竜が存在していたことが分かる、ということになりそうです。
 しかし、科学的に知られている地球の自然史に照らして考えれば、恐竜が地球上に住んでいた時代は、まだヒトが住める環境ではないし、史実としても、人類は恐竜が滅びた後に地球上に現れた存在です。
 まったく、間違った思い込みは、簡単には訂正していただけないもののようです。
 科学とは何かについても、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みとは関係なく、ヒトが、自分が、科学とは何かと実のところは勝手に決めたものが先にあって、日常的には「感じ」で、それは科学的だ/科学的ではない、という判断をするのを、まったく変だとは思わない感覚の持ち主がいます。

 話が通じなくても、いたし方ないのかなぁ・・・。
 ただ、この方々が、例えば国の理科教育の在り方を事実上決定する権限を持っていたりすると、とても人迷惑なことになります。
 いわゆるゆとり教育の推進者は、子供に優しいようでいて、子供の学習能力を過小評価どころか馬鹿にしていたように思ったものです。
 こういうことを防ぐためにも、とにかく、あきらめずに、前に進みましょう。

○基礎づけ主義は破綻しているし真理は文化と時代で相対的だ説は間違い
 上に述べた二つの事実を常識にしていれば、この世界の存在を基礎付けるものは何も無いとか、真理は、文化により、時代により、ヒトにより変わるもので、絶対的で普遍的な真理など存在し得ないなどという間違ったことを言い出す余地などないことを、こういうことを言う人達自らが気が付くはずでしょう。
 もちろん、社会構成説のような考え方も、最初から生まれようがありません。
 端的にいえば、私たちがこの世界に誕生する前からそれ自体で存在していたこの世界の成り立ちと仕組みは、私たちが知る知らない、認識できる認識できない、理解できる理解できない、認めて受け入れる認めず受け入れない等には一切関係なく、それ自体で客観的に、但しその大部分は無意識の世界に、実在している、という素朴実在説が正しいことになります。
 この理解を、全人類が一つに一致して共有できるように、ただ一つの自然の法則の働きで、この世界の成り立ちと仕組みが元々出来ている、ということです。

○何をするのでもそれをする正しいやり方や適切なやり方がある
 この世界は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られていて、この天然自然の存在の法則に支配されている。
 この結果、私たちの生きているこの世界は、天然自然の存在のこの法則が予め決めている、「何をするのでも、それをする正しい方法、適切な方法で行動しなければならない」という原理に否応なしに従わなければならない仕組みになっている、ということです。
 つまり、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを知らず、学ばず、無視してでたらめに行動したのでは、何をやっても自動的かつ必然的にうまく行かない、ということです。

○自分の収入に関する真実
 私たちの生きているこの世界は、天然自然の存在のこの法則が予め決めている、「何をするのでも、それをする正しい方法、適切な方法で行動しなければならない」という原理に否応なしに従わなければならない仕組みになっている。
 それなりの収入を得、それなりの資産を作るのでも、この原理が当て嵌まります。
 これを知らずに、認めず、否定する考え方、即ち、収入の社会的な格差は社会の間違った仕組みにある式の考え方が、今、マスコミを支配しています。したがって、自らの収入について自己責任を問うのはまったくの間違いであり、本人は絶対に責任が無いし悪くはないし、責任を負うべき悪者は社会の仕組みだ、これを放置している政府与党だ式の主張まで行われています。
 今週の火曜日六月三日のNHKの「爆笑学問」に登場した経済学者もこう主張していましたね。
 もし、仮にそうだと分かっても、では個人的に何が出来るのでしょうか?
 世直しを唱えたり、富の平等化を実現する社会主義・共産主義社会を作ると主張する政党を支持することで問題は解決するのでしょうか?
 仮にこうするとして、その実現に何年掛かるのでしょうか?
 しかし、この流行の説を信じて受け入れると、「原因=結果の因果必然の法則」=「山彦の法則」によって、潜在意識の法則/引き寄せの法則が働いて、機械的に、事務的に、自動的かつ必然的に益々貧しくなることになります。
 そうではなくて、自分が望むだけの収入が得られるように、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を理解して、使うことです。これをするのに、既にある社会の仕組みに制限・制約されてしまうことは絶対にありません。なぜならば、意識のある心が考え、判断し、選択し、決定することは、現状に一切制限/制約されること無く、自由に出来るように、即ち、現状を常に超越して行動できるように、意識のある心は「空」性を持つ=因果必然の法則である天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きの外に常にあって、この法則を自由に操作できる生得的な能力を、全てのヒトが備えているからです。
 文字通りの意味で全知全能の潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に頼れば、その人個人にふさわしい形で適切な収入の道を開いてくれますから。

○金が無いのは人生最大の悲劇という説を一般法則論は採らない
 人生、金さへあれば何でもできて、思いのままに生きることが出来る。
 しかし、その金とは自分は縁がない。
 これは、人生最大の悲劇だ。
 しかも、世の中の大部分の人たちは自分と同じく金には縁が無い。
 それでも、金のあるところにはうなるほどの金がある。
 その金は、偶然や運や何か悪いことをしなければ手には入らないものだ。
 個人の思いや努力ではどうにもならないこのような不平等は到底受け入れることはできない。
 こうなると、「個人的なことは政治的なことだ」。このような不当な不平等は政治的に解決しなければならない。
 まずは累進課税を強化して金持ちからは金を沢山取り、持っている貯金については、使わないとどんどん自動的に目減りがするように税金を掛け、更に高い相続税を掛けて残っている資産の殆どを巻き上げるのが、社会正義に適う。
 つい、先日、殆どこのとおりの主張を、あるテレビ番組でコメンテーターをしている某大学の教授が言うのを聞いたばかりです。
 しかし、収入に関しても、運や偶然により、或いは悪いことをすれば自動的かつ必然的に増えるのではありません。これも、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法により、自然に入ってくるようになるものです。この意味で、収入も自己責任に属しています。
 金持ちを憎み、非難し、その富を奪おうとすれば、「山彦の法則」の働きで自動的かつ必然的に、自ら自らの富を奪い去ることになります。
 「金持ちはますます富み、持たないものは持っているものについて更に、他の誰でもない自らがそれを奪い、取り去る」ということになります。
 光源から発して自動的かつ必然的に広がる光の性質を誰も妨げて止める事が出来ないように、富と貧困に関する法則も誰も止めることは出来ません。
 金持ちから富を奪おうとする代わりに、金持ちの効用を考えることのほうが実用的で役に立ちます。
 世界の文化遺産とか美術館の貴重な絵画作品の蒐集などは、特定の個人の金持ちに負っていることがしばしばあります。
 あなたも、金持ちの効用や役割の例を自ら探してみてください。
 また、もし、自由に使える百億円の現金があったら、自分ならどう使うのかを、考えてみてください。
 ちなみに、私にはすぐにその活用法が思い浮かばなくて、金持ち道の修業が必要だと痛感したことがあります。

○「こんなの常識♪」ではないと分かってきたので遅ればせながら説明
 一つ目は、私たちが生きているこの世界は、私たちがこの世界に生まれてくる遥か大昔から存在しているものだ、という事実。
 二つ目は、私たちがこの世界に生まれてくる遥か大昔から存在しているこの世界は、偶然にでたらめに造られている混沌とした世界ではない、という事実。
 この二つの事実は、例外的な人たちが居ますが、基本的には、誰でも大人になるまでの間に自然に身に付く知識だ、と私はずっと理解していました。
 しかし、一般法則論の説明を始めて、世界中の科学者を含めて、殆どの人たちにとって、上の二つの事実は意図的に自覚的に学ばないと身に付かない知識であることが明らかになってきました。
 私にとってはもう子供の時からの常識で、今更説明をする必要が無いと思っていたこの二つの事実に関する自覚的な知識がないことが原因で、このブログを読んで下さる少なからずの方々に一般法則論の話が正確に通じない、と分かってきました。
 そこで、遅ればせながら、自覚的に、意図的に、上の二つの事実について、ここに指摘をしました。

○私にとって二つの事実はどんな感じか?
 二つの事実を簡単に言ってしまえば、次のように言えます。
 ☆この世界は、私たちがこの世界に登場する前から既にある。
 ☆この世界の諸々の存在・現象の裏には、それをそれにしている天然自然の存在の法則の働きが必ずある。

 「この世界は私たちがこの世界に登場する前から既にある」ことに関して私が幼児の時から持ち続けている感じは、次のようなものです。

 私にとって絶対的かつ圧倒的な存在感があるこの世界が実在している。
 この世界は、とても美しい。
 この世界の懐の中に私は抱かれて確かに実在している。

 この感じは、私に何をもたらしたのか?

 この世界は、人もこの世界自体も実は存在していない。
 この世は、幻覚を体験しているようなものだ。
 人の本当の生は、死後の世界にこそある。
 ヒトと言う存在もこの世界も偶然に造られたもので、人には存在理由も存在目的も無い!
・・・・。
 こういう主張は、最初は聞くのですが、私が幼児の時からこの世界について抱いている感覚を逆撫でされた感じになり、その内に拒否反応が起こり、とても強い怒りの感情が生まれ、「もっと真面目に考えて、この世の生をもっと真面目に真剣に生きろ!」と言い出したくなります。
 そして、この世のヒトの存在、各人の人生を否定する考え方は根本的に間違っていることを、何が何でも証明しなければならない! と最初は衝動的に無意識の内に思うようになりました。
 この怒りと思いが、一般法則論の形になっています。

○怒りの感情は怒るヒトの心身を自動的かつ必然的に傷付ける
 なお、怒りの感情は、怒るヒトの心身を自動的かつ必然的に傷付けるものです。実際、この通りになりました。そこで、一般法則論は、私自身にとっては怒りを鎮め解毒剤になるものです。
 このようなことは、まあ、人には理解されないかも知れませんが、一般法則論は、ヒトの存在理由と各人の存在目的を、よく説明している、と評価いただけるでしょうか・・・。

 この世界の諸々の存在・現象の裏には、それをそれにしている天然自然の存在の法則の働きが必ずある。
 このことは、前文で説明をしました。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。


この世界の諸々の存在と現象は自然の法則の働きの現われと常に理解する

2008-06-05 18:17:21 | この世界の成り立ちと仕組み
○はじめに
  この文では、この世界の諸々の存在と現象の全ては、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きの結果と理解する、というやり方が、一般法則論が奨励する科学的な考え方だ、という点をお話しします。

○この世界の造られ方
  私たちが生まれ住んでいるこの世界は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られている。
  私たち人間存在(宇宙大では宇宙人一般)も、同じく、心身の全てが、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られている。
  一般法則論ではこう断言しています。

○この世界の造られ方に則ってこの世界を発見し理解する方法を奨励
  もし、一般法則論のこの世界観、人間観が正しいのならば、次のような結論になります。
  私たちが生まれ住んでいるこの世界も、私たち人間存在も、全て天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きの現われ/現象、と理解することです。
  言い換えると、何かの現象を見るときには、その現象の裏には常に必ず、何らかの天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きが在る、と理解する、ということです。
  そして、その現象の裏に存在し働いている天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きが具体的には何かを解き明かし、その真偽を検証して、真と分かったら、自然の法則の新しい発見として認め、活用できる方法を考える、という順序になります。
  これは、ヒトが気が付かず、無意識にあるものを、意図的に自覚的に意識化して確認する、という過程でもあることになります。

○この世界を理解するには先に何らかの理解の理論が必要という間違った考え方
  現象の裏にあるのは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きのみだ、というのが、一般法則論の考え方です。
 しかし、こうではなくて、例えばマルクス主義理論や、自分独自の理論のような、何かの理論や概念や観念や世界観や人間観等が、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きの前に存在していて、この世界は如何にあるかを決めている、と考えている人たちがいます。
  例えば、何が科学的事実かということに関して、これを決めるのは、科学理論が先にあって決めるのだという「理論負荷性」の主張があります。

  社会科学が対象とする社会現象の解明と理解でも、この理屈が幅を利かせています。

  しかし、この世界を認識し理解する前提になる何かの理論や概念は、実際に天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みには関係なく、これに根拠がなく、「学者」たちが頭の中で理屈で勝手にでっち挙げたもの過ぎません。

○私たちの存在全てに先立って自然の法則の働きが存在した
  しかし、自然の法則の存在とこの働き、即ち、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きは、ヒトがこの世界に誕生する遥か前から存在し働いていて、私たちが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みを造っているのです。
  このことは、全てのヒトにとって等しく、唯一絶対的で普遍的で不変的かつ客観的な事実であり、真理です。

○一般法則論に関する誤解を解く
  天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きは、ヒトがこの世界に誕生する遥か前から存在し働いていて、私たちが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みを造っている、と一般法則論では説明する。
  こう申し上げると、「一般法則論の考え方も一つの理論にすぎず、一般法則論なる理論でこの世界の成り立ちと仕組みを説明しているのに過ぎないのではないのか? だから、自分が正しいと考えている(例えば)マルクス主義理論を捨てて、一般法則論を認め受け入れることは絶対にしない!」式にいう人たちがいます。
  しかし、一般法則論では、私たちが生まれ住むこの世界や私たち人間存在に先立って存在するのが、一般法則論だ、理論だ、科学だ、世界観だ、何とか主義、平和憲法だ、と申し上げているではありません。
  全てに先立ってあるのは、この世界の成り立ちと仕組みを、万人に等しく、客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に造っている天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きだ、と言っているのです。
  これを発見し説明する一連の理屈、世界像、世界認識を、一般法則論とたまたま名付けて言っているに過ぎません。何度か既に申し上げているように、一般法則論者の私がこのブログで説明していることは、一般法則論ではなくて、あなたが好きな名前をつけて呼んでも、何らその中身が変わることはないのです。
  天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きに先立って、一般法則論なるものが存在するのではありません。

  この点の誤解が無いようにお願いします。

○一般法則論への誤解を解く 理解の原理 ダメ押し
 一般法則論では、このブログの別のところでも説明しているように、神とは何かを明らかにするいわゆる「神の存在証明」を、神自らにさせる、と言っています。
 言い換えると、人間が、例えば私が、神とはこういう存在だと最初に勝手に決め付けて、そのような意味の神の存在証明をするのではない、ということです。
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られている天然自然の存在の世界を解明している自然科学も、同じく、天然自然の存在に自らを語らせる形でこの世界の成り立ちと仕組みを解明しています。こうしている、とあなたにも分かりますね?
 ヒトを理解するのでも、自分の意見を相手に一方的に当て嵌めて、「お前はこういう人間だ。だから一切信用しない。」などとは、常識のあるヒトはしません。
 あなたが誰かにこのようにされたら、困惑し怒るかも知れません。
 こうではなくて、相手について観察した事実や表明された考え方や性格類型等に基づいて、その人の存在/実存に即して、そのヒトを理解しようとする筈です。
 一般法則論におけるこの世界とヒトの理解についても、私個人の考えを勝手に表明しているのではありません。
 そもそも、一般法則論の本になった私の悟りの体験は、「仏(=無意識=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働き)の側から行われて」(道元禅師の言葉)、「絶対的な無意識の意識化」という、「悟りの体験をしてやろう」という私個人の野心や意志の力や私の創意工夫や奮励努力によるのではない形で自然に行われたものです。
 そして、悟りの体験で知ったことを、一般法則論の形で説明しているに過ぎません。
 即ち、最初に、「一般法則論」という私が勝手に作った神観念や世界観や人間観で自らの悟りの体験の説明をしているのではありません。
 或いはこれまでの哲学用語で説明しようとしているのでもありません。
 哲学的なことは、哲学者が一つに共有している用語や概念で説明するのが正しいやり方だ、という考え方には、一般法則論は最初から従っていません。私のした悟りの体験は、これまでの哲学用語や概念では説明しきれないからです。

 一般法則論では、理解の対象はその対象を造っているのと一つ同じ原理で理解するのが正しいという「理解の原理」を説明しています。

 例えば、パソコンはパソコンというシステムを作る基になっているパソコンの原理的な仕組みで理解するし、冷蔵庫は冷蔵庫の原理的な仕組みで説明するのが正しいやり方です。
 冷蔵庫をパソコンの原理的な仕組みで説明しようとしても、原理的に不可能です。
 しかしまた、例えば「冷蔵庫の普及が日本の家庭の食生活習慣をどのように変えたか或いは変えなかったか? 電子レンジの普及の場合と比較してその異同・大小」という仮説を証明するには、冷蔵庫の原理的な仕組みを持ち出したのでは解けません。

 解明し理解する対象は、それを造っている原理そのものに即してする。 
 しかし、この考え方は、哲学界の常識ではありません。
 この点を一つ取り上げても、一般法則論をこれまでの哲学的な考え方や用語の使用の延長線上で説明するのは最初から出来ない相談であるわけです。

 そこで、まさに、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているヒトとこの世界の成り立ちと仕組みについて、私の悟りの体験でこうだと分かったことを、同じ天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで説明しようとしています。
 ここで、この世界の理解の仕方について、基本的な考え方を説明しているつもりです。

○一般法則論の真偽の検証の仕方の再確認
  この世界は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て出来ている。
  これを、一般意味論でいう「現地と地図の関係」で置き換えて言えば、次のように説明できます。
現地=この世界そのもの
地図=この世界の成り立ちと仕組みは天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているという一般法則論の発見
  この真偽の検証法は、一般法則論の説明の揚げ足取りをしたり、一般法則論者の私の顔を見てなん癖をつけたりすることではなくて、現地=この世界そのものに自ら赴いて、この世界が確かに天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られているのかを、自らその真偽を検証してみることです。
  このやり方は、一般法則論の真偽の検証に限りません。

○ごく当たり前の真偽の検証法
  例えば、「コウスレバ必ず儲かる」という話が持ち込まれたら、こう言ってきた人物やその言葉を信じるか信じないかの問題になるのではなくて、そのやり方で本当に儲かるのかを、自ら現場に赴いて、事実に則して調べ、検証してみることです。
  実際、株式投資で、「過去数日間のろうそく足の形から判断するともう下がりすぎで底値になったのではないの?」という株を選んで、翌日それを買って、更にその翌日買値よりも一円でも値上がりしていたら売るし、三日買値よりも高くならなかったら損きりするルールを守る式を繰り返す方法で勝率九十五%の儲けを出している、というやり方を検証すると、そうはならないのですが、その方は、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を自覚的に意図的に使っていて、本当に都合よく確かに儲かる株にだけ集中して投資をしていることを、つい先日「意味のある偶然の一致」の形で知って、納得したものです。
  嘘みたいな本当の話。

  例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。

この世界を知る方法としての悟りの体験・哲学・学問・職業・日常体験・学習

2008-06-04 20:13:37 | この世界の成り立ちと仕組み
○この世界を知る方法しての悟りの体験・哲学・学問・職業・日常体験・学習
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界を知る方法が幾つか知られています。
 それを、悟りの体験、哲学、学問、職業、日常体験、他人からの学習と仮に分類してみました。
 宗教と思想等は、上の六つの成果を基礎に生まれたもの、と考えることにします。
 この中心になるのは、いわゆる悟りの体験です。
 なぜ悟りの体験であるのかを中心に、以下で説明をします。

○私たちは非物質的な心と物質的な身体を併せ持つ
 私たちヒトは、「心は存在するか?」式の難しい問いを省略して(一般法則論では既に心の起源とその中身は簡単に説明済み)、ごく常識的に言えば、目には見えない非物質的な心と物質的な身体とを同時に併せ持つ存在です。

○心身を持つ私たちはこの世界の一部
 心身を持つ私たちは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の一部です(なお、この事実を生きた実在として実感できるようにすると、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法で役に立ちます。別文で説明の予定)。
 私たちは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界とは無関係に存在しているのではありません。

○物質で出来ている世界
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られている世界の仕組みは、物質と名付けて呼ばれるものを主な素材にして出来ています(注記1)。
 日月星辰、山川草木など天然自然の存在物だけでなく、私たちの身の回りにあるパソコンやテレビなど人工物を取り上げてみれば、それらが全て物質といわれるもので主に出来ているのは明らかですね。

 物質で出来ている世界の成り立ちと仕組みを、自然法則+エネルギー一体不可分の働きの現われとして学問的に解明しているのが、自然科学を中心とする学問ですね。

○意識のある心が誕生した世界
 生物一般、特にヒトが持つ(非物質的な)心は、意識のある心と、存在しているにも関らずその存在が意識のある心では分からないがゆえに「無意識」/「潜在意識」と呼ばれる心からなっています。
 意識のある心は、創造主である神による天地創造が行われて、アインシュタインの相対性理論で言う、縦×横×高さの空間三次元と時間一次元の四次元時空連続体的な世界が誕生してから、物質の進化に続く生物の進化の中で、生物の脳神経系が発達し進化することに伴って自然に生まれたものです。
 そこで、「神は、岩石の中では眠り、植物の中では目覚め、動物の中では活動し、ヒトの中では自らに目覚める」と喝破したウパニシャッドの哲学者の言葉を、このブログではたびたび引用しています。
 ヒトの心を物質で出来た脳神経系の働きとして解明しようとしているのが大脳の科学、人間に近いサルの行動を通して解明しようとしているのが日本のサル学でしょう。

 なお、この世界の成り立ちと仕組みは天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られていると理解している一般法則論に基づいて正確言えば、天然自然の存在の創造主である神が自らの心身を、即ちエネルギーを、創造主である神の天地創造の原理である自然法則に則って自己展開する形で造った汎神論的な世界ですから、この世界は、創造主である神の存在を加えて、五次元の時空連続体です。

○注記1 物質の本体はエネルギー
 物質は更にその本をただせば、エネルギーという素材で全てできています。
 このことは、アインシュタインの発見でした。そして、これを次のような有名な方程式にまとめました。
 E=MC^2 (注記2) 
 但し、Eはエネルギー。
 Mは物質の質量。
 Cは光。
 光源から出た光は自動的かつ必然的に広がっていく、という天然自然の性質を持ちます。
 ヒトは、光がその源から自然に広がっていくこと自体を、妨げることができません。
 そして、光が広がって進む速度は毎秒約三十万キロメートルで一定不変(注記3)です。

○注記2 E=MC^2 に関する一般法則論的な解釈
 E=MC^2に関する一般法則論的な解釈は、次のとおりでした。
 存在物МのエネルギーEは、質量=高さに、光の自乗のエネルギーの量を掛け合わせたものになる。
 MC^2は、底辺の面積、即ち光のエネルギーの自乗に、高さ即ち質量Мを掛けたという意味。
 この本の過程は、次のように理解するのが、一般法則論。
①E=無限大(天地創造が始まる前の天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在のエネルギーの総量)
②E=C^2 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きによる、天地創造の開始。但し光Cの速度は毎秒一定不変。
 エネルギーは、天地創造のための唯一絶対普遍かつ不変の素材。
 C^2/秒(但し、光の速度は毎秒一定不変)は、この世界の仕組みを造るために創造主である神により供給される光のエネルギーが、一秒単位ごとに供給されるときの、規格化された基本のエネルギー量。
③E=MC^2
 アインシュタインの物質とエネルギーは等価であることを表す物理学的な方程式。
 この一般法則論的な意味は、常に全体でただ一つの、断片に分離し分割することが決して出来ない、唯一絶対普遍の創造主である神の心身=Cのエネルギーの一部をMを造る素材として、Mの量だけ摘み上げて、言い換えるとMの量だけ量子化して、造ったのが、M量の質量を持つ、存在物Mの意味。
④・・・・・

○注記3 光の速度一定不変の理由と意味
 光の速度は一定不変の理由とその意味は別文にします。
 以上、三つの注記の終わり。

○天地創造が始まる前の世界は全て無意識の世界
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在だけがあって、未だ物資が一切存在していない状態の世界は、もちろん、意識のある心を持つヒトも未だ存在していません。
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在だけで出来ている世界では、意識のある心を持つ存在は未だ現れてはいない、ということです。
 即ち、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在全てが、無意識のままに在る世界です。

○創造主である神でさへ無意識の存在ゆえに意識のある存在を必要とした
 そう、天地創造が行われる前の世界では、創造主である神さへ、未だ無意識の存在です。
 このブログの別のどこかで説明したように、無意識は、自らの主体的な自由意志を持たず、予め無意識の機能として定められていること、即ち、本能とか生得的な能力とか言われることしかできない存在です。ヒトが決めたのではない、天然自然の存在の仕組みとして、ヒトがこの世界に現れる前からこう決まっていたのです。
 無意識の存在の創造主である神は、ヒトが住むことが出来る生活基盤になる天然自然の世界である天地の創造をして、ここに自らの生き方を自由に選んで創造する機能を持つ意識のある心がある自らの化身かつ分身の存在(地球上では私たち人類。宇宙大では宇宙人一般)を無限に造って、その一人一人になって生きることを生得的な本能にしているのです。
 なお、創造主である神の化身かつ分身の存在のヒトが生きるに当たって、各人の運や偶然や創意工夫や奮闘努力や学歴や身分や腕力や権力や政治の力やお金の力などに依るのではなくて、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法というヒトの生き方の原理をハウツー化した「原因=結果の因果必然の法則」=「山彦の法則」として働く、ヒトに優しい万能の自然の法則も、神がヒトを造った最初から全てのヒトに与えられています。

○科学者という迷信家
 科学の名で、天然自然の存在の創造主である神の存在を否定し、創造主である神の化身かつ分身の存在としてのヒトの生き方の原理をハウツー化した潜在意識の法則の活用法を疑似科学だ、迷信だと言って否定し、そして、国家・社会、特にこういうことをまったく知らない左翼思想の政治家=救世主に頼って生きよ! というのが、世界中の多くの自称科学者、特に社会科学系の科学者です。

○ヒトが創造主である神の化身かつ分身の存在であることの不思議さ
 全てのヒトが創造主である神の化身かつ分身の存在であり、このような存在として生きるのが、ヒト本来の在り方。
 嘘みたいな本当の話。
 このことを知ったとき、そして今もなお、私は奇異の念で思考がしばし停止状態になり、改めて、このことは真理なのだ、と再確認するほどです。

○無意識から意識が誕生した
 無意識から意識が誕生する過程は、ウパニシャッドの哲学者が喝破したように、物質と生物の進化の過程を踏んだのでした。
 これは、ヒトが地球という自然に生え抜きの創造主である神の化身かつ分身の存在であること、言い換えると、この世界は創造主である神が自らを自己展開して造ったことに関係があるのです。

○この世界は全てのヒトにとって基本的に全て無意識の世界に属す
 私たちの心身を含めて、この世界の成り立ちと仕組みの全てを創っているのは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きの結果です。
 この世界に五次元の時空間が誕生する前の天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在だけがあった世界は、非物質的な世界であると同時に、自然法則+エネルギー一体不可分の働きはもちろん、創造主である神を含めて、意識のある心が未だ存在していない、無意識の世界だ、ということになります。
 そして、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きでこの世界が造られた後も、私たちにとっては基本的に、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きも、これによって造られたこの世界もヒトの無意識に属しています。

○私たちの無意識にあるものとは意識のある心ではその存在が分からないという意味
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とこの働きは、天地創造によって意識のある心を持つ私たちヒトという存在が誕生した後もこの前も、私たちの心の無意識と言われる部分にそのまま留まっています。
 という意味は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とこの働きは、私たちの意識のある心には、そのままの状態ではその存在が分からない、気が付かないということです。

○理解の原理の再確認
 このブログで説明する「理解の原理」によれば、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みを正しくその通りに発見し認識し理解するには、この世界の成り立ちと仕組みを造っているのと一つ同じ原理によるのが正しい方法になります。
 この世界の成り立ちと仕組みを造っている原理とは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きです。
 そして、私たちがするこの世界の成り立ちと仕組みの発見と認識と理解は、私たちの心の働きに依存しています。
 こうだとすると、この世界を発見し認識し理解する私たちの心も、この世界の成り立ちと仕組みを造っているのと一つ同じ原理である、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とその働きで出来ている必要があります。そして、事実この通りだと断言して良いでしょう。
 なお、この世界の発見と認識と理解をする心の働きは、広い意味の「言語」の使用によって行われます。そこで、この世界を例えば科学的に理解しようとするときには、科学の言葉が必要になります。この科学の言葉は、数式/方程式の形を一般に採ることは、あなたもご存知の通りです。
 しかし、私たちの心が、この世界の成り立ちと仕組みを造っているのと一つ同じ天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで出来ているのに、その大部分は、無意識の心の部分にあります。
 このために、例えば、生物である私たちの心身を造る設計図の遺伝子DNAの二重ラセン構造が発見されたのは、今から五十年ばかり前のことでした。それまでは、このことは、私たちの無意識の心に属していて、その意識化が出来ないでいたのでした。
 フロイトによる無意識の心の発見は、しかし、「見えない存在は在るとは認めない」と言い張る物理系の科学者とこの共鳴者によって、未だに認められていませんし、精神分析学はニセ科学、疑似科学扱いなのは、あなたもご存知の通り。
 しかし、自然法則とエネルギーだって、ヒトの目には一切見えません。

○私たちの無意識にある存在を知るにはそれなりの方法が必要
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とその働きは、私たちにとつて、意識のある心では普通知ることが出来ない無意識の心の世界に属しています。
 そこで、私たちの無意識に属している、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とその働きとこの結果を知るには、無意識の存在を意識化して知り、その真偽を確かめることが出来る何らかの方法が必要です。

○無意識を意識化できる仕組みがヒトの心に生得的に備わっている
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とこの働きいう無意識の存在を、私たちが知るにはどうしたら良いのか?
 幸いにして、全てのヒトには、生まれながらに/生得的に/本能的に、無意識に属する天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とこの働きを、意識のある心の部分に意識化することができる能力が備わっています。
 何事も「無い袖は振れない」のです。
 この世界の成り立ちと仕組みを造っている、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とその働きという無意識にあることを、意識化して理解できる能力がヒトに予め備わっていて初めて、これが可能になります。
 そして、実際にこの能力があるので、全てのヒトが、この世界の成り立ちと仕組みの全てを造っている、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とその働きを意識のある心で知ることが、原理的に出来るわけです。

○知ることが出来る原理があることと実際との落差 神の存在を知る
 但し、原理的には知ることができても、実際に知ることができるかどうかは別の話です。
 例えば、創造主である神の存在については、多くのヒトにとって、意識化して確認することがとても難しいし、一般法則論のような形の理屈で一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的にその存在について説明されてもなお、創造主である神などヒトがでっち挙げた架空の存在だ、と多くの人達が言い張りたくなるような、とても意識化が難しい無意識的な存在です。
 ここのところを乗り越えることで、一般法則論者の私は色々と試行錯誤をしています。

○無意識にある存在を意識化して知ることの意味
 ヒトの心の無意識に属する天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の中に生まれた全てのヒトは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを発見し理解できることによって初めて、この世界の一部になって生きることができるというものです。
 そもそも、地球という天体に生まれ育ったヒトは、大宇宙の中に存在する太陽系の地球という自然の環境から生え抜きで生まれた存在です。そこで、私たちが生まれ住んでいる地球上で生活をするには、私たち自身のことと、生まれ住んでいる地球についてよく知ることが必要不可欠になります。そして、私たちも地球も共に、まさに天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られているのです。そこで、私たち自身と地球について知るとは、私たちと地球を造っている天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在と働きについて知ることを意味します。

 こういうことですので、繰り返し同じ話をして、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とその働きで、私たちが生きているこの世界が造られているという話をします。

○上空に飛来したヘリに向かって弓を引いて構えるアマゾンの未開人の写真
 一週間余り前の新聞に、上空に飛来したヘリに向かって弓を引いて構えるアマゾンの未開人の写真というのが載りました。ご覧になられた方も多いと思います。
 この写真の方々は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みについては、想像力と体験を通して知る以上の知識は無いものと推測できます。そのために、文明世界とは縁の無いアマゾンの緑の密林の中に封じ込まれているのでしょう。
 彼らも間違いなく、一般法則論的には、創造主である神の化身かつ分身の存在のヒトです。
 しかし、彼らは、ヒト本来の生き方をしていない、と思います。
 なお、ブラジルの政府は、彼らをたとえわずかでも文明化することを避け、今のままの状態で保護し続けるという強い方針を持ち続けているようです。
 これに関連する話があります。
 もう四十年以上も前の話ですが、そのような未開の原住民の保護に当たる特別の政府機関がブラジル国にはあって、保護に当たる保護官は、原住民との接触で何かの行き違いで殺されそうになったら、抵抗して相手を殺すのではなくて、そのまま彼らに殺されよ! というのが保護官の使命と定められている、と聞いて、とても驚いて、マンイーター、例えば自然の生態学的な秩序から外れてヒトを餌の獲物として狙うようになったヒグマや虎をどうするかの問題や、野生化した台湾ザルの駆除、将来人類が未だ未開のヒトが住む惑星を訪れることになった場合などを例に思い浮かべて、とても考えさせられたものです。やたらにヒトを殺したがる人たちを死刑にする問題も、この関連問題だと理解しています。

○私たちの生きているこの世界は無意識の世界から天地創造によって誕生した
 私たちが生きているこの世界があります。
 この世界は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在だけがあって、私たちが生きているような世界が未だ存在していない世界から、即ち無意識の世界から、創造主である神による天地創造の意図に自動的かつ必然的にしたがって、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一一体不可分の働きにより自然に造られたものです。

○無意識の世界はこの世界の根底に唯一絶対普遍的かつ不変的にある
 私たちが生きている、縦×横×高さの空間三次元、時間一次元、更に創造主である神の五次元の時空連続体的な世界の根底には、これを造った天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とこの働きが、客観的にかつ絶対的にかつ普遍的にかつ不変的に存在しています。
 意識と無意識からなる心と物質的な身体を持つ私たちヒト全ては、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きにより創造されたこの世界の中に、この世界の成り立ちと仕組みの進化の過程の順序では、遅れて最後に誕生した存在です。
 という意味は、私たちヒトの存在の根底にも、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とこの働きのみで造られている非物質的な絶対的な無意識の心が、客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在していた、ということになります。
 そこで、今説明したように、私たち全てに先立って、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の存在とその働きは、私たち全てにとっても、非物質的な絶対的な無意識の心が、客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に存在していた、ということになります。

○この世界の成り立ちと仕組みについて「悟りの体験」という知り方
 私たちが生きているこの世界のこのような成り立ちと仕組みを、私たちが発見するには、「絶対的な無意識の存在の意識化」を行う、いわゆる悟りの体験でしか可能になりません。
 そこで、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを、心と身体を持つヒトという存在を含めて丸ごと発見し、丸ごと認識し、丸ごと理解することは、絶対的な無意識の意識化、という悟りの体験が第一に来る必要があります。

○悟りの体験の真偽の判断
 問題は、悟りの体験をしたと自称する者がいるとき、絶対的な無意識の意識化によって得られた発見や知識の信憑性です。
 悟りの体験の後、私がすぐに直面した問題もこれです。
 そこで、「私は悟りの体験をした」ということを避け、自分で自分のした悟りの体験の原理的な仕組みを説明し、悟りの体験で得られた成果の真偽の検証をし、同時に、私のした体験の真偽を客観的にかつ絶対的にかつ普遍的に私自身に一切よらないで検証して頂くには、私の悟りの体験の全体を、その成果も含めて、一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に私自身が説明することから始めなくてはならなくなりました。いま、それが、このブログで書いている「一般法則論」になります。

○この世界の成り立ちと仕組みを知るための悟りの体験以外の方法
 悟りの体験以外に、この世界の成り立ちと仕組みを知る別のやり方があります。
 即ち、この世界の成り立ちと仕組みを造っている根本原理の有無の解明をする哲学。
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで既に造られているこの世界の中の諸々の現象を手掛りにして、この世界の存在の裏に働いている天然自然の存在の法則の発見と解明を最初から実証的に試みるのが、自然科学を筆頭とする学問一般の役割です。
 職業は、その仕事を通して、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きて全て造られているこの世界そのものに直接触れることで、学問一般にも負けない発見をしているものです。特にもの作りやその芸を極めるのに限界が見えて来ない古典芸能/伝統芸能/伝統文化の世界。
 例えば、砂鉄を材料にして鍛造して造られる日本刀が到達している高度な金属加工技術。
 また、私たちの日常体験も、全て天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで造られた世界の中で行われていますから、当然に、この世界の成り立ちと仕組みに関する普遍的な意味のある発見があります。そして、これは、諺や格言や箴言の形に結晶化しています。
 例えば、「うわさをすれば影」/「人を呪わば墓(穴)二つ」/「妊婦に火事を見せるな」/胎教など。
 胎教は、十年くらい前まで医者には迷信扱いされていましたが、いまでは胎児診断技術の発達で、変わりましたね。
 これも含めて、例に挙げた諺は、潜在意識の法則/引き寄せの法則を指しているもの、と理解できます。

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