いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

F・ベイルズ博士著 大原武夫訳 精神力の魔術 ダヤモンド社 原著

2009-11-28 22:44:53 | 一口解説/一口メモ
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


○このブログを初めて初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01


○F・ベイルズ博士著 大原武夫訳 精神力の魔術 ダヤモンド社 1967年の原著がインターネットのアマゾンで買えます
 F・ベイルズ博士著 大原武夫訳 精神力の魔術 ダヤモンド社 1967年は、絶版です。
 しかし、この本の原著は、インターネットでアマゾンの洋書扱いで買えます。

 Frederick W. Bailes  Your Mind Can Heal You

 アメリカでも読み継がれている良書のようです。
 但し、アマゾンのインターネットの画面には、同じ本が3つの出版社から出ています。

 1 白い表紙の本 A New Thought Healing Classic 一番のお勧めのもの 一番安いし活字も綺麗。見出し付 但し活字が小さい。
 2 ニスを塗った茶色の板の上に本のタイトル 1より値段が少し高い。活字に一部欠けあり。一部インクの滲み。活字は1よりも大きい。
 3 Your Mind Can Heal You 1941 大原訳の原著。版が痛んでいて、活字の一部が欠ける頁があります。値段も高い。

○ベイルズ本を読むのに一般法則論が役立ちます
 国語で書いてある本でも、自分がよく知らない分野の本は、読んでも理解できないものです。例えば、私にとって原子炉の構造を説明している本。
 特に、その文の中にそれとかあれとかいう代名詞が出てくるとき、その本が扱っている世界全体/システム全体について予め知識がないと、何を指しているのか、文脈を分析しても分からないことがあります。
 しかし、辞書を片手にして読める外国語で書かれた本でも、自分が既によく知っている分野の話ならば、読んで容易に理解できます。
 ベイルズさんの本では、一般法則論で説明している世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの説明がありません。
 しかし、ベイルズさんは明確に説明してはいませんが、一般法則論で説明している、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みを暗黙の下敷きにして話を進めています。
 そこで、一般法則論でこの世界の成り立ちと仕組みをよく理解していると、ベイルズさんの本の記述の理解がその分容易になるでしょう。
 一般法則論は、更にベイルズさんが自覚的に意図的に或いは完全完璧には説明をしていない以下のようなことについても、よく説明をしています。
 世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みとその存在目的、「創造主である神/Ω神の存在証明」や心の存在証明、意識のある心の存在目的、ヒトの存在目的や存在理由、ヒトの生き方の原理とこの実際ということに関する自覚的な知識という考え方など。

○大原訳は原著の記述の順序をかえるなどしていますが名訳
 大原訳は原著の記述の順序をかえたり原著には無い文を書き加えるなどしていますが名訳だ、と分かりました。
 絶版の本ですが、何かの機会に手に入るようでしたら、手に入れるのが良いでしょう。

 円高が進んでいる内に、と思いました。
 ただ、私がこれらの本を買ったときよりも円高が進んでいるのに、それが価格にはまだ反映されていません。
 と言っても300~400円位高いだけのことです。

 
 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

ジョン・W.モファット/著 水谷淳/訳  重力の再発見 を手にして 

2009-11-28 11:44:46 | 一般法則論
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


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 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01

○自然法則とエネルギーとの関係も自然法則の働き方の原理の存在も知らないで・・・
 久しぶりに書店に出掛けました。
 何冊か目に付いて手にした本の中に、次の本がありました。

ジョン・W.モファット/著 水谷淳/訳 重力の再発見 アインシュタインの相対論を超えて  早川書房 2009年11月

 ご存知のように、重力のような宇宙全体の成り立ちと仕組みを説明する理論であるアインシュタインの相対性理論と、電子のような小さなものを扱う量子論とを一つの原理で説明することを、科学者はこれまで色々と試みてきましたが、未だこれに成功していません。
 この本の著者もこの試みをしている科学者の一人のようです。
 そして、アインシュタインの相対性理論と量子力学理論との理論的な統合を目指すことに関連して、私にとっては初めて知る重力理論を含めて、重力を説明しようとする、422頁もある分厚い本です。
 しかし、この本の著者も、自然科学とは、この世界の成り立ちと仕組みを、特に「物質」と私たちが名付けて呼ぶもので出来ているこの世界の成り立ちと仕組みを、自然法則+エネルギー一体不可分の法則(注記1)の働きの現われとして解明する学門だ、という自覚的な知識をお持ちではないようです。
 言い換えると、この本の著者も、重力理論でこの世界の成り立ちと仕組みの解明を言う前に、科学という学門をするのには必要不可欠なはずの以下のような基礎的で基本的な問いをして、これに自覚的に意図的に答えることを一切しないで話を進めています。

 自然法則とは何か?
 エネルギーとは何か?
 自然法則の働き方の原理は何か?
 自然法則とエネルギーとの関係はどうなっているのか?
 自然法則とエネルギーとが一体不可分でこの世界をどのように造っているのか?
 自然法則とエネルギーだけで、そこに高度な知性の働きを発見することが出来るがこの世界の成り立ちと仕組みが造れるのか?
 この他。

 この世界の成り立ちと仕組みを造っているこのような法則や原理の解明しないで、この世界の成り立ちと仕組みを解明しようとするのは、学門として変だし、間違っている!!! とはっきりと言うべきでしょう。
 しかし、個人的には、こう言い切ることが出来るようになるまで、何年も葛藤がありました。

○注記1 自然法則+エネルギー一体不可分の法則という表記
 自然法則とエネルギーとは、Ω神が造った世界Ⅰ~世界Ⅴからなるこの世界の成り立ちと仕組みの中で、一体不可分で存在し、一体不可分で働いて物質的な世界を造っています。この実際の活動は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)の中で、世界Ⅲから始まりました。
 そこで、これまでの一般法則論の文の中では、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働き、という表現をしてきました。
 これに加えて、先の文から、自然法則+エネルギー一体不可分の法則という言い方もすることにしました。これは、その法則性を意識しての表現です。
 注記1の終わり

○私が間違っているのでは・・・
 この世界の成り立ちと仕組みの造っている自然法則+エネルギー一体不可分の働きの存在。
 二十三歳の時に悟りの体験をして、この体験により、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組み(世界Ⅰ~世界Ⅴ=天然自然の世界の自然史)+Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)が作っている世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)=ヒトが作った人類史の全体が分かり、これをちゃんと理屈で説明しようと試みはじめました。
 しかし、三十年以上も前から、一般法則論的な理解では、この世界の成り立ちと仕組みを造っている自然法則+エネルギー一体不可分の働きの存在を知らないでこの世界の成り立ちと仕組みを解明しようとする上記の本のような例に接して、私の考えは間違っているのでは・・・、と深刻に悩むようになりました。
 何しろ、私は、私たちが存在しているこの世界の成り立ちと仕組みの解明を学問的に自覚的に意図する科学的研究者としては素人で、相手は物理学でノーベル賞をもらったりしている方々なのです。
 しかし、身の周りにあるヒトが作った文化・文明的な諸文物は、自然法則+エネルギー一体不可分の法則で作られているのは明らかです。
 それどころか、自然法則+エネルギー一体不可分の法則の働きだけではそれらは作ることができません。
 ヒトが文化・文明的な諸文物のいわば創造主である神になり、自然法則+エネルギー一体不可分の法則をいわば道具にし素材にしてそれらを作っている、ということさへ出来るのです。
 しかも、悟りの体験を通して既に私が知っている知識では、ヒトが文化・文明的な諸文物を作るのに使っている自然法則+エネルギー一体不可分の法則は、Ω神が天然自然の世界の成り立ちと仕組みを造るのに使っているのと全く一つ同じものなのです。
 また、自然法則+エネルギー一体不可分の法則を自覚的に意図的に文化・文明的な諸文物を作るためにヒトが使えるのは、ヒトがΩ神の化身かつ分身の存在として生まれているからです。
 しかし・・・。

○注記2 絶対的無意識の存在のΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒト=Ω人/オメガジン=意識のある心を持ったΩ神
 Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)について、Ω人(オメガジン)と一般法則論で勝手な命名。
 Ω人は、世界Ⅴで絶対的無意識の存在のΩ神が意識のある心を持つΩ神として誕生し、世界Ⅰ~世界Ⅶからなる世界全体の仕組みの中で、世界Ⅰに立ち返って意識のあるΩ神として活動するように運命づけられている存在。
 なお、世界Ⅰは、世界Ⅱ以下を絶対的に超越して存在する「永遠に今、ここ」のみの世界。空の世界。完全完璧な絶対的な神の国の世界。
 注記2の終わり

○間違っているのは私では無いという確信
 長い話をはしょって結論だけを言えば、特にここ数年で、科学者一般は、この世界の成り立ちと仕組みを自然法則+エネルギー一体不可分の法則で説明している自覚がないのだ、ということを確信すようになりました。
 そして、自然法則とは何か、エネルギーとは何か、自然法則とエネルギーとの関係はどうなっているのかなどについて、科学者一般は、何の自覚的な知識もないのだ!!!!! と断言できるようになりました。
 言い換えると、一般法則論者の私がしているこの世界の成り立ちと仕組みに関する説明の試みは正しいのだ、と確信するようになりました。
 で、課題は、一般法則論を科学者一般に受け入れられるように説明するにはどうするか、ということになりました。

 以上、本屋さんで手にした本で一般法則論について思ったことを述べました。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

週刊現代 今週月曜日発売の11月28日号の記事から、日本人のSEX

2009-11-19 02:35:35 | 神の化身・神の分身のヒト
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


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 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01

○週刊現代 今週月曜日発売の11月28日号の記事から、日本人のSEX 
 英国のコンドーム会社が調査したところによると、日本男児は世界一セックス回数が少なくて下手ということについての考察。
 あなたはこの記事の内容を確かめられましたか?
 一般法則論を説明するために、文武百般に通じていなければ!  という半ば強迫観念があるものですから、記事の内容の確認に走りました。
 これで分かったことを簡単に説明します。

○簡単な原理的仕組みの存在
 夫婦の間のセックスは、自覚的に意図的にする必要がある、という原理的仕組みがあります。
 また、何をするのでも、それをする正しいやり方があるし、更には上手なやり方があります。これは性行為にもそのまま当て嵌ります。
 この簡単な原理的仕組みを知らない人たちが多すぎるようです。

○この世で生きること全てを自覚的に意図的にする必要
 夫婦の間のセックスに限らず、全ての性行為、更に一般的に言えば、この世に生まれて、他の誰でも無い自分自身を生きるには、これを自覚的に意図的にする必要があります。具体的には「求めよ。さらば与えられん」の原理に則る事です。
 言い換えると、これは、運や偶然を頼りにして生きてはならない!!! という意味です。
 ましてや、自分の人生を他人の所為にして、結婚出来ず、もう一人は欲しい子供が持てないのは政治が貧困で間違っているからだ式の考え方は、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みにもΩ神の化身かつ分身の存在として生まれているヒトの生き方の原理にも全く根拠がありません。
 もし、自分の中に何か特別の才能が眠っていると信じるのならば、これを自覚的に意図的に開発すると決めてそのための修行をまじめに地道にすべきで、自分の中にあるはずの才能が何の努力も修行もしないで何かのきっかけで偶然に開花することを願って日々の人生を賭けをするように生きてはならない!!! ということです。
 この理由は、Ω神が造った世界Ⅰ~世界Ⅶからなるこの世界の成り立ちと仕組みがこうで在るように全てのヒトに要求しているからです。
 全てのヒトは、絶対的無意識の存在のΩ神が、意識のある心を持つΩ神の化身かつ分身の存在になって生きるように造られています。
 意識のある心の存在目的/存在理由は、全てのヒトが自らの生き方を自覚的に意図的に自由に独自に主体的に選び決めることが出来るし、また「こうせよ!」という意味です。
 再び「自ら進んで主体的に、生きる価値があると思う自らの人生を自らが意図的に自覚的に求めよ。さらばΩ神が造っているこの世界が持つ原因=結果の因果必然の理法の働きにより、望んだ通りの事が与えられん」です。
 そして、意識のある心の能力を活用して全てのヒトが生きるように、ヒトの創造主であるΩ神は強く期待しています。→自我の主張。
 Ω神は、他の誰でも無いあなたや私に化身し分身化して生まれ、正にその通りの者として生きるためにこの世界の成り立ちと仕組みの全てを創造したのですから。

○今一つの問題
 男女共に、強い性的な欲望を持って生まれています。
 これは、ヒト/生物一般に対して、Ω神が意図し望んでいることです。
 問題は、特にヒトの場合です。
 男の場合は、性行為をすれば自動的かつ必然的に快感がえられるように造られています。
 しかし、女性はこうでは在りません。
 女性がしばしば強い性的衝動にしたがって性行為に及んでも、これで妊娠してしまうことはあっても(→出来ちゃった婚)、性行為に伴う本当の快感/脳波にシータ波が出るような深い快感は一般的には獲得できないのです。これを繰り返しても結果は同じです。
 女性は、強い性的な衝動にしたがって性行為をしても自動的かつ必然的に女性が本来もっている性的快感がえられるわけではない。
 女性の場合には、ここに関する勘違いが元の悲劇が待っています。
 しかし、女性の勘違いに、神経言語プログラミング/NLPの心理的な技術を悪用するいわゆるラブハンターが付け入る隙があります。
 女性が性行為でシータ波の脳波が出る強い快感を知るようになるには、これを自覚的に意図的に開発する/解発する(動物行動学の用語)過程を踏む必要があります。成年の男女は、この必要性と重要性を自覚的で意図的な知識にしている必要があります。
 このことに関して、詳しい説明はここではしません。
 しかし、簡単に言ってしまうと、動物行動学が既に知っているように、特定の適切な解発刺激が無いと生得的に本能的に決まっている強い性的快感の解発が行われない、ということです。
 そして、これには、前提として、男女間の愛情と信頼関係と更には相手に対する尊敬の念さえもが必要なのです。
 しかも、男女間の愛情と信頼関係が生まれるには、それなりの時間が必要です。
 この時間は、性行為をした時間ではなくて、ごく普通の当たり前の様々な人生の場面を身体的にも精神的にも共有し一緒にし楽しいことも苦しいことも怖いことも共に分かち合って生きることです。そして、それは、苦楽を共にする生き方をする中で(そして、この中に在る「人間関係を自動的かつ必然的に作り育てる原理的仕組み」の存在により)自然に生まれ育つものです。これを性的な技術で取って代えることはできません。
 言い換えると、単にセックスの回数ではそれは解発できないし決まらない、ということです。ここに自然の欲望に従った通り一遍のセックスを多数回たとえこなしても、その内にセックスレスになる落とし穴がまっています。
 ましてや、女性の場合は、性的な欲望にしたがって通りすがりの男性に身を任せても、オナニーがもたらす快感を超えるものが得られる可能性はまず無い、と言って良いようです。
 現実にはそれでもこういう行動に出る人がいるのは、文字通りに肌のふれあいを強く求める心の状態にあるからでしょう。

 上記週刊誌の記者は、この原理を知らないでその記事を書いています。

 取り急ぎ、したためました。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

追記1 シータ波と男女の性差 2009/11/21 0:08
 女性の深い性的な快感の時に出る脳波シーター波の発見は、日向野春総氏によります。1980年代のことと記憶。
 この発見の発表のあと、NHKの特別番組に取り上げられました。
 また、男女の性差については、例えば次の本など。
 ハイト・リポート 先日見かけたばかりなのに今調べたらその場所に無い・・・。
 モア・リポート 積んである本のどこかにあります。日本版のハイト・リポート 集英社?
追記1の終わり

追記2 この世で生きること全てを自覚的に意図的にする必要ですが・・・ 2009/11/21 0:09
 如何に生きるか。
 これを決めるには、これを自覚的に意図的にすることが必要です。
 しかし、何をして生きるかを決めた後は、この実現は、唯心論的天地創造の原理/自然法則+エネルギー一体不可分の法則/潜在意識の法則/引き寄せの法則に任せてするものです。
 これを、一般法則論では、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを丸ごと利用して生きる、と言っています。
 追記2の終わり

スーパーコンピューターは科学と産業の基礎的学力

2009-11-14 00:42:57 | この世界の成り立ちと仕組み
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


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 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01

○スパコンの予算大幅削減の驚き
 民主党の鳩山政府の行政刷新会議で、2010年度予算の概算要求から無駄を洗い出す「事業仕分け」の三日目。
 この中で、独立行政法人理化学研究所などが計画中の次世代スーパーコンピューター開発のための補助金が「効果が国民に見えない」/「世界一になる必要など無い!」(NHKの夜七時のニュースでこのやり取りが報道されました)などとして、「限りなく予算計上見送りに近い削減」になりました。
 テレビニュースと新聞の夕刊の記事でこれを知って、非常に驚きました。
 何が間違っているのかを、考えます。

○国全体の学術と産業の基礎学力としてのスパコン
 国民の全てに身に着けさせるべき基礎学力は、「(国語の)読み・書きとソロバン(算術/計算能力)」と昔から言われてきました。
 今、これに、コンピューターを操作する能力と外国語(英語)を使える能力を加えようとしています(しかし、コンピューターの操作能力と外国語は、初等教育においては基礎学力から外しても良いように思います)。
 話が、日本国の学術研究や産業のレベルでの基礎的な学力の整備=インフラ作りということになると、「読み書きソロバン」の内のソロバンに当たるスーパーコンピューター/スパコンは、必要不可欠です。
 例えば、台風の進路予測や被害の予測には、スーパーコンピューターレベルの強力なコンピューターが必要です。
 また、例えば、空気抵抗を少なく出来る=省エネになる自動車の形を発見するにも、スパコンが使われています。
 新薬の開発の現場でも、膨大な化学物質の組み合わせの中から狙い通りのものを発見することに使われています。
 
 この意味で、スパコンは、ごく日常的に役立っています。
 こういうことは、知っているヒトは知っています。
 しかし、国民の多くはこの事実を知らないかもしれません。つまり、全く見えてはいないかも知れません。

○地球シュミレーターを超えるスパコンの開発
 地球温暖化を予測するのに「地球シュミレーター」という日本がその当時開発した世界最速? のスーパーコンピューター/スパコンが特にアメリカに衝撃を与えて、その後、地球シュミレーターを凌駕するスパコンがアメリカで次から次に造られています。
 中国においても地球シュミレーターを凌駕するスパコンが既に開発されています。
 そして、現在の世界のスパコンの中では、日本のスパコンは十位までに入っているものはありません。→ヤフーのコンピューター関連のニュース参照
 この意味は、そろばんの基礎学力で日本は世界の中ですっかり遅れをとってしまった、ということです。

○なぜ次世代のスパコン開発を妨げるのか?
 今連日行われている行政刷新会議の「事業仕分け」の中で、独立行政法人理化学研究所などが計画中の次世代スーパーコンピューター開発のための補助金が「効果が国民に見えない」/「世界一になる必要など無い!」などとして、「限りなく予算計上見送りに近い削減」になりました。
 思うに、スパコンの必要性と重要性について、行政刷新会議の委員が理解できないからでしょう。
 文部省の担当者の説明/プレゼンテーションが下手だったこともあるでしょう。
 しかし、大事な存在は、それ自体がその必要性が認められることを要求しているものです。
 例えば、「急病人です!! 助けてください!!」と言いたいヒトが気が動転してはっりとこう言えない場合でも、「はっきりと言葉で救助を求めてないから、放っておけば良い」というのではなくて、事情を即座に察して必要な手を差し伸べるようにしなければならないように、何が大事で必要であるかの判断は、これをしなれければならないヒトが、独自に判断できなければなりません。
 私たちの生活基盤になっているこの世界の成り立ちと仕組みを解明する自然科学(特に基礎科学と呼ばれることがあります)とこの成果を文化・文明的な利器に具体化する科学技術を実際に担う産業の育成と強化(基礎学力の内の読み書きに該当する)やこれを効果的に行うのに必要不可欠な基礎的な計算能力=スパコンの重要性の理解は、国民的な常識である必要があります。ましてや、国民の選良の国会議員にあってはなおさらこう言えます。
 毒カレー事件で実際に使われた砒素の特定の為に超精密な鑑定に使われた理化学研究所の大型放射光施設(SPring-8)関連の植物科学研究事業、バイオリソース事業や(独)海洋研究開発機構の深海地球ドリリング計画推進、地球内部ダイナミクス研究のような基礎科学的な事業の予算も削られてしまいました。
 勘ぐれば、日本の科学や産業の弱体化を密かに意図した恣意的な「限りなく予算計上見送りに近い削減」かも知れません。
 
 
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最近頂いたコメントが表示できないなどの故障中

2009-11-13 14:21:16 | 一口解説/一口メモ
 このブログに来て下さる方々に感謝しております。

 今、現在、原因が不明なのですが、頂いたコメントは読めるのですが、表示が出来ません。
 使っているパソコンに原因があるのではないことがわかっています。
 投稿する文の文字数を数える機能も働きません。
 他のグーブログへも投稿しようとするとエラー表示が出てしまいます。

 調査して直します。
 よろしくお願いします。


   

天皇陛下ご在位二十年を祝います

2009-11-12 14:31:59 | 皇室
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


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 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01

○天皇陛下ご在位二十年を祝います
 今日、平成十一年十一月十一日は、天皇陛下ご在位二十年の日に当たります。
 このことを祝います。
       一般法則論者  天皇陛下ご在位二十年の記念式典のテレビ中継を観ながら・・・

  例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
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ヒトの起源と存在目的/存在理由と生き方の原理に関する確認

2009-11-11 17:19:49 | 神の化身・神の分身のヒト
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


○このブログを初めて初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01

○ヒトの起源と存在目的/存在理由と生き方の原理に関する確認 この文の目的
 創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の存在のΩ神による天地創造の目的は、Ω神自らの化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)を無限に造り出して、その一人ひとりになって、様々な時代に、様々な所に、色々な個性を持つヒトに生まれて、自分の生き方を試し開拓し遊び、生きることを楽しむことにあります。
 そして、この目的をヒトが容易に行い達成することが出来るように、Ω神は、具体的には、潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法というヒトの生き方の原理を決めて、全てのヒトに等しく、この世に生まる前から与えています。

○ヒトの起源と存在目的/存在理由と生き方の原理に関する一般法則論の見解の真偽の根拠 筆者の悟りの体験
 ヒトの起源と存在目的/存在理由と生き方の原理に関する一般法則論の見解の真偽の根拠。
 この根拠/情報の出所とその真偽については、ヒトの起源と、ヒトの存在目的と存在理由、そして、その生き方の原理を、人類史上で再発見した、このブログ、「一般法則論」を説明している筆者のいわゆる悟りの体験の真偽に懸かっています。

○世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの発見と理解が必要不可欠
 ヒトの生き方の原理をハウツー化した潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法を物にするには、この自然科学的な根拠と活用の「ノウハウ」が明らかになる、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの発見と理解が必要不可欠です。
 この世界の成り立ちと仕組みは、ヒトが生きるためのインフラでもあるのです。
 一般法則論では、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みについて、詳しい説明を試みつつあります。

○この世界の成り立ちと仕組みを発見し理解するには正しい哲学の仕方を知っている必要がある
 世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みを正しく発見し理解するには、正しく哲学することが必要不可欠です。
 この目的で、一般法則論では、「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01を書いています。
 哲学学者たちの、人類の、これまでの哲学の仕方は根本的に間違っていることを、この文で指摘し、正しい哲学の仕方を説明しています。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

ヒトの悟りの体験は仏の側から仏自らによる情報開示と存在証明によって行われるその1

2009-11-01 23:12:03 | 悟りの体験
 以下の文は、2009-10-07 08:02:44掲載の文に訂正と加筆をして新しく載せたものです。2009年11月01日
 なお、元の文は削除せずに、誤記を訂正することにとどめ、そのままにしておきます。
この文は、2万字を優に越えましたので、3つの文に分割してここに載せます。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


○悟りの体験の持つ自然科学的な客観性について
 この文の目的は、いわゆる悟りの体験の客観的性について、説明することです。
 この説明は、創造主である神(の天地創造の目的)+自然法則+エネルギー三位一体不可分の存在とその働きですべて造られているこの世界の成り立ちと仕組みに基づいて、自然科学的に行います。
 自然科学的に説明するとは、この世界の成り立ちと仕組みを、創造主である神(の天地創造の目的)+自然法則+エネルギー三位一体不可分の存在とその働きの現れとして理解し説明する一般法則論的な方法のことです。

○「悟りの体験は悟りの体験をする個人の心の中の体験である」と言うことがもたらす「誤解」の問題
 前に、悟りの体験の仕方の説明の中で、創造主である神の存在証明は、ヒトがするのではなくて、創造主である神自らにさせるものだ、という説明をしました。
ところで、悟りの体験は、これを体験するヒト個人の心の中でそれ自体で自己完結する形で行われます。
 悟りの体験は、物質的な何かに係わる体験、例えば神を名乗る人物に面会するような体験ではなくて、純粋に、悟りの体験をするヒトの心の中だけで行われる体験であることを最初に知る必要があります。しかも、悟りの体験は他の何かを何も必要としない、それ自体で完全完璧に自己完結している体験です。
 悟りの体験は、これを体験するヒトの心の中の体験だと言うと、直ちに、それは、個人的なものであり、したがって主観的なものであり、特殊なものであって普遍性が無く、したがって自然科学的な客観性など何も無い個人的な妄想に近いものか妄想そのものだと断言する人たちが現れます。これを(心の存在証明の仕方も知らない)心理学的に或いは大脳生理学的に証明しようとしたり、これができたと主張する人たちが実際にいます。神秘体験とか悟りの体験と称するものは精神異常者の妄想体験だと断言する心理学者さへいます。
 しかし、本物の悟りの体験は、悟りの体験をする心の客観的実在性(この存在証明が必要です。一般法則論ではこれをしています)と私たちが生まれ住んでいるこの世界の自然科学的に解明できる成り立ちと仕組みの客観的実在性(この存在証明が必要です。一般法則論ではこれをしています)の上に客観的に成り立っています。
 このことは、これまでの文でも説明して来ましたし、改めて、この文の先を読んで頂けると自然に分かります。

○悟りの体験の鍵言葉/キーワードは「(絶対的)無意識の意識化」であることについて
 悟りの体験の鍵言葉/キーワードは、一瞬間で行われる「(絶対的)無意識の意識化」/「(絶対的)潜在意識の顕在意識化」です。
 一瞬間で行われる無意識の意識化は、何も悟りの体験の中でのみ行われるのではありません。
 私たちの日常生活の中でもたびたび体験する、何かの記憶を思い出す体験や、「アッ分った!!!」体験でも、無意識の意識化が一瞬間で行われています(もし、記憶の再生や「アッ分かった!!!」体験が「無意識の意識化」の形で全て行われていることをご存知で無い方々は、今、ここでこのことをご自分でご確認くだるようお願いします)。
 ただ、悟りの体験では、その殆どが(ヒトの)無意識に在るこの世界の成り立ちと仕組み(自体とこれに関する情報)の全体が丸ごと一瞬間で意識化されるのです。この規模の大きさが、日常生活における記憶を思い出す体験や、例えば中々答えが見つからない数学の問題の答えを「あっ分った!!!」体験するのとは異なる点です。

 以上二つの話を踏まえて、以下の文を読んでください。

○創造主である神の存在証明の仕方は創造主である神自らにさせる
 ここでは、本物の悟りの体験がある道元禅師を例にして、悟りの体験の瞬間の話をします。
 道元禅師は、悟りの体験の瞬間を「仏の側から(自動的かつ必然的にかつ自然に)行われて(この道元が)仏になる」と表現しました。
 道元禅師が悟りの体験をした瞬間は、道元禅師が「意識のある心」の働きが持つ「意思の力」を使って「これが仏の存在だ」と思い込んだのではありません。
 その瞬間、道元禅師は、「意識のある心」の働きが私たちが普段日常的に体験している範囲を「無意識の心」の奥深くまで拡大するいわゆる「意識の変性状態」になり、自らの「意識のある心」の働きの中核を担っている「自我」/各人の存在の核になっている個人的な「魂」の働きを一瞬間だけ失う「無我」の境地になったのです(注記1)。

○注記1 ここで言う「自我」の説明
 ここで言う「自我」とは、神仏の存在を含めた諸々の存在やこれにまつわる多種多様で様々な思い込み/観念を作り出しそれらを真実の実在のように思い込む「意識のある心」/「各人に独自の唯一絶対的な個人的魂」/「個我」/「理性」の働きのことです。
 西洋哲学では、「意識のある心」の存在と働きは、一般法則論の説明の中では、「理性」と名付けられているものに該当するようです。
 「意識のある心」/「各人に独自の唯一絶対的な個人的魂」/「理性」の大本は、全てのヒトの個人的な魂が生まれ出た唯一絶対普遍の母体であり、かつ、この世界の成り立ちと仕組み全体の創造主である神であるところのΩ神の絶対的無意識の心/Ω神の唯一絶対普遍の魂です。
 個我を捨て、自我を捨て、理性を捨て、自我を忘れ、無我になるとは、その瞬間、またこの仕組みを悟った後は常に、世界Ⅰ存在のΩ神の心そのものになり、Ω神の心で思考し生きることを覚えることです。
 自らの存在と自らが存在し生きている世界に関する理性的で個我的で自我的なしばしば妄想的な思い込みは、禅の修行では「魔境」と言います。仏教一般では「無明」とか「煩悩」或いは「業」(ごう)と言います。一般法則論では、これを「Z」(ゼット)と表現しています。
 魔境やZ等は、個人的なものでもあるし、一つの民族や全人類が一つに共有して持つ、ユングの言う「集合的な無意識」が持つものでもあります。
 キリスト教神学では、魔境やZは「原罪」と名付けられているものが指し示そうと意図しているものに該当するようです。
 西洋哲学で言う「理性」(西洋哲学や論理学や倫理学や自然科学や学問等はこの働き/活動の一部)では、魔境やZに当たる物の存在について自覚的な知識に欠けているようです。この論理必然的な結果として、無意識の存在とその役割の発見と理解に遅れをとり、しばしば無意識の心の存在を無視して(例えば「現象学」のベングルソンのように無意識の世界に直接触れる体験をしているようなのに、無意識それ自体の解明と理解には向かわなかったようです。ペングルソンに限らず、著名な多くの哲学者たちが無意識の世界を直接垣間見る体験をしているというとができます。例えば、プラトン、ヘーゲル、ニーチェ、サルトル、西田幾多郎など)、「理性」大万歳!!! 主義、理性万能主義になり(共産主義の提唱者のマルクスはこの典型例と言われていますね。誕生したばかりの民主党政権にもこの傾向があるようです)、理性的な思考がもたらす魔境やZに対する警戒感に著しく欠けるようですね。
 注記1の終わり

 悟りの体験前の道元禅師の心は、全知全能ではないのにこれをしばしば知らず認めようとしない個我/自我/理性により枠付けされ、限定され制約されていた、ということができます。
 しかし、悟りの体験の瞬間、道元禅師の意識のある心自体の働きによって制約されていた状態が、意識の変性状態に伴って自然に壊れ、これから解放されて自由になり(この瞬間は絶対的と表現できるような解放感/自由感に心が満たされます)、無限定で無制約で無留保の「無我」の心の状態になった瞬間に、これに自動的かつ必然的にかつ自然に伴って、全てのヒトの「無意識の心」の根底/奥底に在るこの世界の唯一・絶対・普遍の存在の創造主である神であり、これ故に全知全能で絶対愛を持つ「絶対的無意識の心」という存在の「仏」(注記2)が道元禅師の「意識のある心」の中に絶対的に意識化されたのです。
 これが道元禅師の悟りの体験の瞬間です。
 そして、その瞬間には、道元禅師の自我の働き/意識のある心の働き/理性の働きは一瞬間停止しているのです。
 即ち、悟りの瞬間は、道元禅師の意識のある心の働きで、仏の存在を自分勝手にでっち上げたのでは無い、ということです。
 そこで、道元禅師は、自らの悟りの瞬間を次のように的確に表現することが出来たのです。

 悟りの体験の瞬間は、道元の意識のある心の働き/理性的な心の働きによるのでは無くて、「仏の側から(自動的かつ必然的にかつ自然に)行われて(この道元が)仏になる」。

○注記2「絶対的無意識の心」という存在の「仏」
 全てのヒトの「意識のある心」と「無意識の心」からなる心(注記3)の仕組みの根底/奥底に在る「絶対的無意識の心」という存在の「仏」については、一般法則論で説明している「世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界全体の成り立ちと仕組み」で言えばーーーー、
 「仏」とは、世界Ⅳで初めて物質(三次元の空間)と時間(一次元の不可逆の時間の矢)とが一体不可分の形で造られる世界が誕生する前の、世界Ⅳを創造する原因になっている、ヒトの目に見えるような姿・形が一切無い非物質的=精神的/心的存在で、無次元で無時間の永遠の「今、ここ」しか存在し得ない世界Ⅰに存在するΩ神(天地創造の目的を最初から持っている創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の存在)に当たります(注記4)。
 注記2の終わり

○注記3 意識のある心と無意識の心の成り立ち
 全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心は、意識ある心と無意識(潜在意識)の心とが常に一体不可分で出来ています。
 こうである仕組みとその目的/理由は以下の通りです。
 この世(世界Ⅴ~世界Ⅶ+Z)に生きているヒト(宇宙大では宇宙人一般)が持つ意識のある心は、起源的にはΩ神の絶対的無意識の心からこの世界の創造と進化の過程を経て分化し分節して生まれたものです。
 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心の誕生とその起源は、世界Ⅰの絶対的無意識の存在のΩ神の心が、物質的→生物的→心理的(大脳的)→霊的進化(これには言語の発生を自動的かつ必然的に伴う)の過程を経て(注記5)、絶対的無意識の心の一部が意識のある心の働きとして全面的に機能するようになったヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心の仕組みになっている訳です。

 これは、次のように説明できます。
 最初に、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中で、世界ⅠにΩ神が実在しています。
 Ω神は、この世界の成り立ちと仕組みの唯一・絶対の創造主である神としての目的を実現するために、創造主をして他の如何なる存在でも無い正に創造主にするための「創造主である神の原理的仕組み」に基づいて存在する、創造主である神(の天地創造の目的)+自然法則+エネルギー三位一体不可分の存在です。
 誤解を恐れずに単純化してしまうと、Ω神は、自らの化身かつ分身の存在=私たちヒト(宇宙大では宇宙人一般)を創造するために天地創造をするしか能が無い存在です。そして、このことが、私たち世界Ⅴ存在にとってとても大事な意味を持っています。
 また、Ω神は、創造主である神であるが故に自動的かつ必然的に創造主である神の原理的仕組みに基づいて、物質的な姿・形がまったく無い、非物質的存在=心/精神的と名付けられて呼ばれる絶対的無意識の存在です。
 この絶対的無意識の存在/潜在意識のΩ神が、顕在化し、世界Ⅳ以降の世界で物質化し、世界Ⅴで初めてヒト化(宇宙大では宇宙人一般。地球上ではこれは六万年前。137億年前に宇宙の創世が始まり、日本のスバル望遠鏡の発見により129億年前には既に銀河系星団が誕生していたそうですから、このとき既に最初のヒトが宇宙に誕生していたに違いありません)し、かつ、ヒトが持つ姿・形の無い心の中身を物質化し客観化して、姿・形の無い心をヒト皆で一つに物質的に客観的に共有することを可能にする言語の誕生とこの使用を自動的かつ必然的に伴いつつ、絶対的無意識の心が意識のある心化して居るのです。
 そして、「意識のある心」のみが唯一絶対的に持ち得る、自らの独自のあり方や生き方を自分で自由に主体的に選んで決めることが出来る能力/機能/働きを生み出しています(注記6)。
 意識のある心の働きは、ヒト各々がそれそれぞれに唯一絶対普遍の存在として様々に生まれ様々に生きて遊んで生きる可能性を自ら主体的に選び試しこれを拡大し楽しむことを意図したΩ神の天地創造の目的の実現を意味します。
 Ω神自身から観ると、自らの化身かつ分身の存在を無限に造り出して、その一人ひとりになって様々に生まれて、自らの存在の現実の可能性を拡大し楽しむことを意味します。
 このことを実現するために、創造主である神であるΩ神により、自動的かつ必然的に、絶対的無意識の意識化が行われたのです。
 注記3の終わり

○注記4 創造主である神・自然法則・エネルギーの本質は本来は非物質的=心的/精神的存在
 唯物論的世界観では、自然法則とエネルギーという存在はもちろん、いわゆる神仏の存在さへも全て物資的な存在であるか、物質的な物を起源にしているもの、と決め込んでいる、ということができます。
 しかし、自然法則とエネルギーはもちろん、いわゆる神仏の存在は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中では、私たちが生まれ住んでいる物質的な世界(世界Ⅳ~世界Ⅶ(+Z))を創造した「世界Ⅰ」に存在する非物質的=心や精神と私たちが名付けて呼ぶものであることを、本来の状態、性質、本質としています。→創造主である神が創造主である神であるために必要な創造主である神の原理的仕組みに根拠がある。なお、創造主である神の原理的仕組みはこれから別文で詳しく説明。
 そして、ヒトの心の中で、最初から天地創造の目的を持って存在している創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の存在とその働きが、ヒトによる正確で確かな理解と無条件で無留保の受容=無我/無心の心の状態になった下で、精神的に=霊的に働き出すとき、例えば不治の病が完全・完璧に永久に自然治癒するような奇跡が自動的かつ必然的に起こることになります。
 注記4の終わり

○注記5 進化の仕方
 念の為に確認しておきます。
 ヒトはサルから進化したのではありません。
 ヒトは、最初から、Ω神の化身かつ分身の存在の原理的仕組みに基づいて、Ω神の化身かつ分身の存在として生まれるべくして生まれた存在です。そして、その本性は、サルから来たのではなくて、最初からΩ神の本性そのものから直接来ているのです。
 サルの原理的仕組みで造られているサルは、そのサルを含むそこにある生態学的秩序が変化しないかぎり、サルの原理的仕組みで造られたサルであり続けます。
 また、自動車は自転車が進化して生まれたのでは無いように、「サルの原理的仕組み」が、「突然変異」で「ヒトの原理的仕組み」になることはありません。
 注記5の終わり

ヒトの悟りの体験は仏の側から仏自らによる情報開示と存在証明によって行われるその2

2009-11-01 23:09:08 | 悟りの体験
 2009年11月03日訂正と加筆
○注記6 ヒト即ちあなたや私が「意識のある心」を持っている意味の確認
 ヒトが、意識のある心をもって生まれているという第一の意味/目的は、自らの在り方、自らの生き方を、自らの手で自覚的に主体的に制御し、自らの人生を、主体的に選んで決めて生きる、ということにあります。
 具体的には「求めよ。さらば与えられん。」という簡単な原理/方法を採用することです。
 言い換えると、「自らの為に自ら何か特定の夢や実現したい目標を決め/それが実現している状態をイメージに描き続けながら、この実現を目指す行動に自ら出る」ことです。
 これが、Ω神が定めた「ヒトの生き方の正しい原理」であるわけです。
 しかし、この簡単な方法が未だ世の中一般の受け入れることになっていません。
 ヒトとして生きる為には自分の夢を持つ必要があります。しかし、多くの人たちがこれを知りません。また、夢の実現をするにも正しいやり方があることを知りません。更に、夢の実現は、潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法(この理論的な根拠とノウハウを説明する一般法則論を含めて)が絶対に必要不可欠であることを全く知りません。
 それどころか、潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法などはオカルト的/非科学的迷信と言う、Ω神から始まるこの世界の成り立ちと仕組みなど何も知らない人たちの言うことを真に受けて、それを学ぼうとは中々しません。
 他方で、今、東京大学で、潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法と言わずに、「希望学」という名前で、しかも既に150年位前から実績のある潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法を無視する形で「新しい学問の誕生」を囃子たてていたりするわけです。
 この結果は、多くの人達が、見当外れの方法で自分らしい人生を求めて生きようとして、結果的に挫折を繰り返すことになります。
 実際、「ヒトの生き方の正しい原理」を知らず、これを知ろうともせずに、自覚的に或いはその自覚が無いまま無意識の衝動に駆り立てられて、闇雲に自分らしい生き方を求めて、自分探しをしている人たちでこの世の中は溢れている、とさへ言うことができます。
 しかし、実際には、中々本当の自分(一般法則論的にはΩ神の化身かつ分身の存在で決まり)とその生き方を見付けられない人たちばかりだ、ということも事実のようです。
 この現実の中で、世の中の多くの人たちが、「ヒトの生き方の原理」とこれを実用化しハウツー化した「潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法」が存在していることを知らず、認めず、受け入れず、この因果必然の結果として、自らの人生を自らが主体的に意図的に自由に制御し、正しくあるように秩序付けて、自分の思い通りの人生を生きるようにすべきところを、これを自ら出来ないようにしているわけです。
 自らの人生を自らが主体的に生きる「ハウツー」を知らない人たちは、見当外れの間違った所にこれを求めている内に、それを教えるとか、あなたに代わってあなたの人生を満足させ幸せにすると断定的に言う、その多くの場合、野心と良からぬ下心を持った人たちの格好の餌食になる、という悲劇を自らに招き入れます。例えば、あなたの多量な借金を棒引きにする上手い方法があります。それにはこのための活動費が必要でして・・・、と百万を越えるお金の振込みを要求されるなど。
 もう少し詳しく言えばーーーーー
 他人が抱く野心を実現するための手段や道具に使われたり、他人が持つしばしば他者や社会/世界に対する密かな或いはあからさまな悪意や敵意や嫉妬や害意や悪意のあるいたずら等の実現のために、生命/財産を奪われたり、身体や名誉等を傷つけられ辱めを受ける、という体験をすることになります。2009年10月31日のNHKのドラマ「オトコマエ2」のテーマは、鳥居耀蔵が遠山金四郎を失脚させる目的で仕組んだ悪意のある罠に嵌められて親の敵を討つことが必要だと思い込まされた若者の話でした。もしこの行動に出れば親の敵が討てないだけでなく、自らの命が失われる悲劇が待っていたのでした、しかも、自分が他人の野心等の実現の手段や道具にされているという自覚さへ無いままに、です(なお、これには裁判所のような公的な機関さへよく利用されます)。
 例えば、芸術のためにとかエンターテイメントのためにとか「あなたのためだから」とか言われて、結婚相手/夫婦でも恋人でさへ無い相手と生本番の性行為をすることになっても、「変だ!!!」とは全く気が付かないで、「自分から進んで意図したものではないけれども、これって結構楽しい!!!」 なんてご本人は思っていることが実際にあります(これは例えば俳優さんの「職業的な業」のような形になっている場合があります。先日は、清楚な感じで好感を持っていた長身で美人の女優さんが全裸で性行為をするという場面を、ポルノ映画でなく普通の映画の中で演じていることを知ってとても驚き、嫌な気分になりました)。これは、しかし、ご本人は能天気でも、周りのヒトや特に親しいヒトには非常に不愉快で嫌悪を覚えるものです。
 唯心論的天地創造の原理の下で常に自動的かつ必然的に働く自然法則は、冗談やお芝居と実際の行為との区別を全く知りません。で、ポルノ映画の中の生本番の性行為で、女優さんが妊娠してしまうことが実際にあるわけです。
 「嘘から出た誠」という諺があります。また、「戯れに恋をしてはらならい」という昔から知られている警句もあります。
 「お前たち結婚するんだ」という友人たちの冗談が元でその後本当に結婚したヤツが知り合いに居ます。ただ、数年後二人は離婚することになりましたが・・・。
 唯心論的天地創造の原理の下では、イエスが断言したとおり、「誰でも情欲を抱いて女を見るものは、心の中で既に姦淫したのである」、即ち姦淫する原因設定を心の中でしたその行為の後は自動的かつ必然的に自然法則の働きがそれを現実のものにする過程を認めて受け入れたのだ、という意味になります。
 筆者個人の体験では、悟りの体験をするずっと前からでしたが自らの存在に目覚めてからは、自分の制御が事実上取り上げられてできなくなり、代わって他人の野心やしばしば他者による社会/世界に対する密かな或いはあからさまな悪意や敵意や嫉妬や害意や辱め等を実現するための標的や手段や道具に自分がなることを、自覚的に避けることを覚えました。この種の意図を秘めた思想の例えばマルクス主義を受け入れることを、私は自覚的に意図的にしませんでした。
 こういうことでは、特に人間関係で気を付けなければなりません。
 人生において、人間関係は自分の人生の質を左右し決めるようなとても大事なものです。
 酒の席で出会った女性に手を出して(「若気の至り」という例)、結局その責任を取る形でその女性を妻にしたけれども、自分の名誉ある社会的地位に相応しい相手ではないことを、自分の行為の結果を全て消してしまいたいと思う(事実こうなりました)位に、一生涯悔いておられたらしいと、日頃のその方の言動から推測できた例を知っています。とても教訓的な事例です。しかし、そのご一家のことを思うと教訓的と言うことには少なからず躊躇を覚えます。
 また、誰を師として仰ぐかがとても大事な職業の世界もあります。
 しかし、人間関係においても、自ら制御し調節し正しく秩序づけて交際する相手を選び決めることが妨げられ、他人が意図した個人的な野心/万人の人生それぞれの実現では無い野心の犠牲になる例は、日常的にありふれた現象です。昔の「政略結婚」はこの典型。
 一般的に言えば、「朱に交われば(義理人情や行き掛かり等に引きづられ強いられて否応なしに)赤くなる」と言われるように、付き合う相手/友人を自覚的に意図的に選ぶ知恵と勇気と覚悟が必要になることがあります。なお、これをして相手からの反撃を防ぎ封じるには、「殺しに来た相手と友達になる」ことが可能な、この世界の成り立ちと仕組みを造っているΩ神の天地創造の原理を知る必要があります。これは、別文。
 このためには、第一に、私たちが現実に生きている世界Ⅵ~世界Ⅶ+Zの世界の中では、自分が身近で接するヒトが全て心正しい健康で健全で清らかな心を持った良い人/善い人とは限らないことを、自分の自覚的な知識にしておくべきです。こうはっきりというと「人間関係の基本は先ずは自らが率先して行う相手に対する愛と信頼である。だからあなたの言うことは受け入れ難い。」と言われることがあります。しかし、こう言って私の忠告に従わない人たちは、悪意のある相手方の仕掛けを自分の方で速やかにリセットする相手を絶対的に超越する確かな原理とこれに基づいた実際のハウツーを知らない限り、実際には密かに悪意のある下心を持つヒトの格好の餌食になることを繰り返すことになります。
 このためには、他の何でも無い「一般法則論」で、全てのヒトが、自分が、意識のある心を持って生まれている目的と意義を強く深くよく認識し理解することが肝要です。
 人間関係と言えば、特に「男女の仲」が問題です。
 高校生の時に「女性が仕掛ける性的な罠に嵌められないように気を付けなさい」という忠告を世界史担当の先生から頂いた話は先日しました(つい先日、私とほぼ同年代の大学教授から、まだ「紅顔の美少年」だった中学生のときに、通学の電車の中で女性から激しい痴漢行為をされて、耳元で女性の激しい息遣いを聞きながら、それに反応し応じたら何かトンでもないことになると直感して必死に堪えた話を聞きました)。
 中学から高校の音楽担当の国立大を出たばかりの本当に美人の先生からは「性が違うから性にまつわる話は一切しない!」と言われたことがありました(なお、この先生は芸大を目指す教え子の受験指導中に恋愛関係になり結婚された、と後に噂で聞きました)。
 この二つの事の真偽を、これ以降、色々の場面や新聞報道等の事件を例に検証し続けてきたものです。
 この結果の教訓は、意識のある心/理性の働きで認識し理解する以上に、男女の特に性的な関係は自覚的に意図的に秩序付けて制御し調節することはとても難しい、ということです。
 男女とも、意識には上らない性的な衝動をもたらす生化学的なレベルの生理で、異性を無意識の内に求めて活発な行動に出ることを、竹内久美子さんの本で知りましたが、これを何か/何故かムラムラしイライラするほどの感情に襲われた個人的な体験に重ね合わせて受け止め理解したものでした。
 四十歳前後の夫も子供もある女性が、出会い系サイトや職場で知り合った二十歳以下の男の子と性的な関係を続け、挙句の果てにその女性を自分一人のものにしたがった相手に、家族を含めて殺傷される事件が、前の事件を忘れない内に繰り返されています。この女性は自分が殺されるときに「なんでこうなるの!?」と思い、性的な快楽を楽しみつつ、相手を自分の好きなように手玉にとれる、と踏んでいたのに! と悔やんでいたかも知れません。しかし、性の衝動エネルギーを、無意識の心の知恵を利用せずに、理性の力/意識のある心の力だけで正しく秩序づけ制御し調節しコントロールしようとするのはとても難しい、と断定して良いでしょう。
 こうだからこそ、例えば最初から不良品を作り出さない製造システムを作ってこれを維持する品質管理の方法を参考に、自分が望みもしない人間関係/異性関係を自動的かつ必然的に決して作り出さない「正しい人間関系作りのシステム」を作らなければならないことになります。
 乱暴な自動車運転でしばしば暴走を繰り返すようなことをしていて、それでも一切交通事故を起こさないように幸運を頼りにするような異性との出会い方/交際の仕方をしていて、間違いを起こさないしそのつもりも無い、と言い張っても、この世界を/人間関係を造り支配し秩序付けている自然法則+エネルギー一体不可分の働きには話が通用しません。全てのシステムは造ったシステムの通りに精密に結果が自動的かつ必然的にでますから。
 こういう訳で、私は、個人的に次のような簡単なルールを作って使っています。
 今、ここで一緒に居てお酒も飲んでいる相手は、その場の成り行きや出来心で、或いは突然に悪心を起こして(女性の立場ならば「据え膳食わぬは男の恥だ」と突然に襲いかかれることがあっても「まっ、いいか・・・」と思って)、行くところまで行ってしまっても良い相手か? そうなったときに後で後悔することにならないか? ということを、遅くともその場で自ら自覚的に意図的に判断し選択することです。
 いや、そのような相手では無い!!! と判断したら、断固とした決断をしてその場を離れることです。この場合、全てのことに通じますが、迷い、中途半端で曖昧な態度を採用してはならない、ということです。「問題の先送り」は最悪です。
 問題は、「私と個人的に付き合ってください」とか「結婚を考えてください」と迫って来た相手ならば、自然にその相手との心理的/身体的な距離のとり方を自覚的に意図的に制御し調節して正しくし、時には相手の出方を警戒しながら行動することが出来るけれども(これが行き過ぎて、相手をストーカーにしてしまうことも多々あるようです)、こうでは無い場合です。
 先日、ある落語会の後の「打ち上げパーティー」に出て、その日の演題に登場したお姫様をそれ以上は無いくらいにとても可愛く品良く上手に演じた女性落語家(中々の美人)の傍に行って話しをしたのですが、その会場となった部屋の造りや同窓の好もあって、お互いの体が触れんばかりの身体距離での会話になりました。
 今一つ。もう十年位前になりますが、二十年ぶりで訪れたある女子大学の大学祭で、ある宗教関係のサークルの展示場で、最初1メートル以上離れた距離で話を始めたのに、私の唾が相手の肩に飛んで気がついたら、殆どお互いの身体が触れんばかりの距離で、私が小柄の女子学生(小顔で女優の八千草薫さんをもっと現代的な美人にしたような印象の人)の目を上から覗き込むような形で話をしていた、ということがありました。
 この二つの例のように、最初に個人的な関係を特に意識しない相手に対しては、更に性的な関係に発展する可能性を秘めた、しばしば体の一部分を接触させ、相手の体を触るようなことが自然に行える/(あからさまに言えば相手からセクハラの声が出ない形の「生きた蛙をそのまま茹で上げる式」状態を保ちながら)いわゆる「性感帯」を狙って密かに意図的に巧みに愛撫を仕掛けることがさり気無く出来る身体距離で同席する/この身体距離に伴って交わされる会話のことぱ使いも会話の内容も自然に心を開いて親密なものになる、ということがよく起こります。
 しかも、こういう席では、理性の働きを否応無しに低下させる飲酒が伴うことも稀ではありません(ちょっとお酒を飲むと笑い上戸になる女性がいます。理性の箍が外れ出した明らかな徴候です。また、こうだと直ぐに気付いて更に理性の箍を緩めさせる次のステップに巧みに誘導できる人たちもいます)。そして、これが、しばしば男女の仲で意図せず望みもしなかった間違いを起こす直接的/間接的な原因になる身体的距離になるわけです。しかし、多くの人たちが、この事に、無知で、無自覚で、能天気で、無警戒で、無防備です。
 この文を書いていて、夜も遅い時刻の駅の改札口を出たら、先に行く若い男女の様子が、ご夫婦でも恋人同士でも無い、??の感じだったり、朝、新聞を取りに外に出たら、最寄の駅方向に向かう通勤/通学の人たちに混じって、ご夫婦でも恋人同士でも無さそうな男女が通りがかって、??? と感じたことがあったことを思い出しましたが、これは今思うと合コンの後のいわゆる「お持ち帰り」を目撃したのかも知れませんね。
 腕を組んでデモに参加した男女がいつしか足を絡ませる仲になったことが昔よく在った、という話も聞いています。
 そう、また一つ思い出しました。
 大学に入った年の秋の大学祭の最終日のことです。この時に「後夜祭」と言って、日が落ちて暗くなった大学の校内いっぱいに広がって、男女がフォークダンスを踊ったのでしたが、これが終わった後そのままラブホテルに直行する男女がいることを知りました。この目的でそこに集まってくる多数の女性たちさへいるのです。結婚した夫婦の間では無い行き擦りの相手と性行為をするという私には考えられないことをする人たちを知って、私はとても驚きました。この瞬間の私はかなりのショックを受けていたようです。この私の真正面にいて、私の異常に気付いた、私が属していたサークルの先輩のご友人で慶応大学の人が、その場で私に「そういうことがあるのだよ。」と一言声を掛けてくださいました。この一言で私は我に帰り、救われた気持ちになったものです(→一夫一婦制の根拠=結婚の原理)。
 幼児の時の戦争の記憶も含めて、この後、直視し難い、認めたくない受け入れたく無いような、過酷で悲惨な事故や事件や気が動転しそうな事実/現実に直面しても、人生には「そういうことがあるのだ」/「そういうこともあるのだ」と一先ず理解して、冷静に事態を自分から突き放し客観化して眺めることを覚えました。そして、この後で、自分は何がその為にできるのかを冷静に考えることが出来るようになりました。世の中には「頭を冷やして冷静になれ!」という周りの人たちの説得も無視して「自分が何とかしなければ!」と戦場のイクラに出掛けて、テロリストの人質になってしまうような人たちも居るわけですが・・・。
 これ以降、大関魁皇をもっとハンサムにしたようなこの方に似た容貌の人に出会った瞬間からその人に好意を持ってしまう癖が出来たほど、その方のその場の一言は、私にとって「一生もの」のとても有り難い一言になりました。

 人同士の間の身体的距離が持つ意味に関しては、例えば電線に止まるムクドリの群れは個体同士の間に一定の間隔を置いて止まる例を含めて、生物が他者との関係を意識的に或いは無意識的に一定の身体的距離を保つことで制御し調節し正しく秩序づけていることを発見した、次の凄い本を読んでください。
 エドワード・ホール 著  日高 敏隆 / 佐藤 信行 (翻訳) かくれた次元 (単行本) みすず書房
 ついでに、同じ著者による、次の名著も読んでください。
 エドワード・T・ホール 著 國弘 正雄・他訳 沈黙のことば(単行本)  
 注記6の終わり

 道元禅師の言葉を、以下のように表現し直します。
 「仏の側から自動的かつ必然的に自然に行われて自分が仏であることに目覚める」。

 前から一般法則論の文中で紹介している、インドのウパニシャッド哲学のものと記憶する表現を借りればーーー

 神は、岩石の中では眠り、植物の中では目覚め、動物の中では活動し、人の中では自らに目覚める。
 
 これが、悟りの体験、と言われるものです、それも、本物の悟りの体験。

○創造主である神自らによる自らに関する情報の開示をヒトが受け取ることが悟りの体験になることとこの意味
 ヒトが体験する悟りの瞬間は、言い換えると、仏/Ω神自身が、自らの存在に関する情報をヒトに対して自ら自己開示する瞬間です。
 そこで、本物の悟りの体験をすれば、そのヒトは誰でも、自らの言葉で客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的かつ正確に的確に、仏/Ω神という存在と、神仏が創ったこの世界の成り立ちと仕組みはどうなっているのかについて語ることができるようになります。
 「自分は悟りの体験をした」或いは「この世界の成り立ちと仕組みの根源について知る神秘体験をした」と公言しながら、最初にいわゆる「神の存在証明」をして、仏/神仏とは何か、悟りの体験とは何かを、創造主である神が創ったこの世界の成り立ちと仕組みはどうなっているのかを、悟りの体験の無い人達に理解することができる言葉で語れないのは、その悟りの体験/「神秘体験」は、「仏/神仏自らが、悟りの体験をしたヒトに、自らの存在に関する情報の開示をしてくれた」本物の悟りの体験では無い、と断定することができます。
 一般法則論者の私も、悟りの体験を1963年の秋にしたとこのブログの中で公言しました。
 そのときの私の悟りの体験の瞬間は、仏の側/Ω神の側から進んで自らの存在に関する情報の自己開示をし、自らの実在性の存在証明を私のためにしてくれた瞬間、言い換えると、私の存在証明がされた瞬間/私の存在証明をΩ神にしてもらった瞬間/全てのヒトがそれぞれに、唯一・絶対・普遍かつ独自の存在=オンリー・ワンの存在であることの証明をしてくれた瞬間であったかどうかは、このブログで説明している一般法則論の内容がその真偽を証明しています。

○悟りの体験はこの世界の成り立ちと仕組みを発見する究極の方法
 以上の説明でお分かり頂けるように、悟りの体験は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みを丸ごと発見し解明し理解するための究極の方法だ、ということができます。
 この点で、たとえ逆立ちしても、この世界の成り立ちと仕組みを創造したΩ神の存在を発見することができない唯物論的な自然科学は、この世界の成り立ちと仕組みを発見し解明し理解する目的には不完全な方法だと断言することができるでしょう。

念のために再確認しますが、悟りの体験は、純粋に心の中の体験です。これを次に再確認しておきます。

○悟りの体験は心の中の体験が意味すること
 悟りの体験は心の中の体験。 
 詳しく言い換えるとーーーー、
 世界Ⅴで物質的な身体+非物質的な心をもって生まれたヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心は、世界Ⅴで、世界Ⅰ存在の絶対的無意識の存在のΩ神が、意識のある心を持つΩ神として誕生した、ということです。
 この結果は、この私/あなたや私は、意識のあるΩ神として、全体で「世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)」からなる全世界を常に絶対的に超越して存在し機能している世界Ⅰで自覚的に働く/自らそう働かせることを、悟りの体験をして出来るようになったし、こうだと悟りの体験を未だ知らない人たちにも説明して、意識のある心の働かせ方の原理と意識のある心の働かせ方のコツ/ノウハウの情報を提供できるようになった、ということです。 
 具体的に言えば、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みを絶対的に普遍的に不変・不動的に超越して存在する世界Ⅰ存在のΩ神の立場に自覚的に意図的になることで、世界Ⅴでヒトとして生まれ実際に生きることを始めた世界Ⅵ存在の今現在の私たちが犯す様々な間違いを、自覚的に意図的にリセットして、最初からやり直すことが常に出来ることが、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中で原理的にシステム的に制度的に絶対的に保障されている、ということです。
 このことは、全てのヒトに普遍的に絶対的に等しく与えられていますから(→この世界の成り立ちと仕組み)、たとえこのことを自覚的な知識にしていなくても、例えばパソコンの操作の中で「リセットする」ような形でこれが自然に出来ています。
 しかし、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中での「リセットの原理」を自らの自覚的な知識にすることで、例えば自らの身体にガンをもたらした自らの間違った思考を自ら自覚的に意図的にリセットしてガンを自然治癒させるようなことが出来るようになります。→病気を精神力/祈りで治す原理/ヒーラーになる原理。更なる説明は別の文。

○道元禅師の言う「仏」は一般法則論ではΩ神のこと
 道元禅師が悟りの体験でその存在を知った/発見した「仏」とは、一般法則論で言う「創造主である神(の天地創造の目的)+自然法則+エネルギー三位一体不可分の存在のΩ神」と一つ同じ存在です。

 以上の説明は、「悟りとはつまり思い込みの事ですね。」という問い/指摘に関する答えです。

ヒトの悟りの体験は仏の側から仏自らによる情報開示と存在証明によって行われるその3

2009-11-01 23:06:15 | 悟りの体験
○本物の悟りの体験は個人的なものではありえない
 本物の悟りの体験には、原理的に、個人的で主観的な思い込みが入り込む余地はまったくありません。
 なぜならば、上で説明したように、ヒトによる悟りの瞬間は、悟りの体験をするヒトに対して、仏/神仏/Ω神の側から進んで神仏が自らについての情報開示をして、自らの実在性とその本質を明らかにするものだからです。
 また、「『哲学の道具箱』という本で哲学的思考の大前提を再確認する(2009/07/02)」の中でも説明した通り、世界Ⅴで初めてこの世界の成り立ちと仕組みの中に誕生したヒトにとって、この前から存在し、世界Ⅴでヒトを誕生させた世界Ⅰ~世界Ⅳの存在の実在性は、所与のものであり、その実在性は万人にとって絶対的に普遍的に不変・不動的に客観的な存在です。
 そして、世界Ⅰ~世界Ⅴは、私たちの日常の言葉では「天然自然の存在」の世界を意味します。
 「天然自然の存在」の世界とは、ヒトが人工的に作った物では無い、という意味です。
この中には、世界Ⅰ存在の天然自然の存在のΩ神も当然に含まれています。
 天然自然の存在は、自然科学の解明対象です。したがって、天然自然の存在のΩ神の存在も、本来自然科学の解明対象になります。
 理屈から言っても、世界Ⅴの段階で、天然自然の存在の一部としてこの世界の中に誕生し、世界Ⅵ以降で実際に活動を始めたヒトという存在が、自らがこの世界に誕生する前の天然自然の世界を作ることが出来るわけがありません。
 しかし、この極めて当たり前のこの事実を、自らの自覚的な知識にしていない多くの人たちがいます。
 そして、この人たちは、「天然自然の世界も他者の存在/自分以外のヒトの存在を含めて、ヒトである自分の心が作り出して存在させているものだ」という「(社会)構成説」(「超越論的主体(一般法則論的に言えば「Ω神」のこと)なきカント主義」という哲学用語があると知りました)などの形で知られている珍説を大真面目で唱えている始末です。
 「ヒトの心が世界を作り存在させている」と言う仏教の唯識説、これの元になったインドの哲学も、天然自然の世界の客観的実在性を、またこれを造り出しているΩ神の存在を知りません。
 構成説は、実際には、自然科学的な発見は、その時代の特定の文化・文明に生きているヒトの妄想的な仮の世界観であるに過ぎないことを絶えず自覚的な知識にしておかなくてはならない! という主張になります。これが、しかも、文部科学省の理科教育の責任者の見解だというのだから困ります。→浅田彰・佐和隆光・長野敬他 科学的な方法とは何か 中公新書 814(1986)
 しかし、ちょっと考えてみても、例えば携帯電話機やパソコンが、西洋科学に基づき、これを考案し作ったヒトの妄想的な仮の世界観/自然観に基づいて作られているというのは、それこそ根拠の無い妄想です。携帯電話機もパソコンもその他全ての科学技術的な文明の利器は、この世界の成り立ちと仕組みに関する、西洋キリスト教文明が育んだ、物質的世界の仕組みを自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て説明しようと言う唯物論的な世界観に確かな根拠があるものです。
 中国には、西洋の科学とは異なる独自の科学がある、と言う人たちが居ます。毛沢東による中国土着の科学的な技術で先進国に追いつき追い越すことを意図した「自力更生」という妄想を礼賛する説などは、科学やこれに基づく科学技術とは何かを知らないことに基づく珍説です。

○6万年前から人類は一つ同じ世界を共有して生きていると言える自然科学的な根拠
地球上では6万年前に世界Ⅴ段階で人類が誕生し、この世界の成り立ちと仕組みの解明を始めたときに存在したのと一つ同じ地球、月、太陽、大宇宙を、今、現在ここに生きている私たち全てのヒトが一つに共有して生きています。
 6万年前も今も一つ同じ世界を人類が一つに共有して生きているいるのは、この間創造主である神(の天地創造の目的)+自然法則+エネルギー三位一体不可分の存在とその働きが途中一度も絶えることなく絶対的に続いているからです。
 しかも、実際にこの世界の成り立ちと仕組みを造っている自然法則には時間の観念が無くて、この世界が誕生した137億年前も、地球が誕生した46億年前も、地球人類が誕生した6万年前も、今、現在もまったく一つ同じ形の自然法則が存在し働いているのです。
今も昔も一つ同じ自然法則が存在し、途中途絶えることなく働き続けている。
過去から現在をとおって未来に向けて1方向に進む「時間の矢」を伴った時間がある世界を造り出したのは、この世界の成り立ちと仕組みの物質的な姿・形を造る素材になっているエネルギーの働きで、これのみ。

○今も昔も一つ同じ自然法則が存在し途中途絶えることなく働き続けているという実際の意味の確認
 今も昔も一つ同じ自然法則が存在し、途中途絶えることなく働き続けています。
 このことが意味しているのは、例えば次のようなことです。
 天地創造の瞬間に働いた自然法則は、今も少しも変わらない機能と形で働いています。
 この論理必然の結果としてーーーーー
 唯心論的天地創造の原理で造られている世界が、人類が地球上に誕生してからは唯物論的天地創造の原理に代わった、と言うのは間違いです。
 世界Ⅴで人類が誕生し、世界Ⅵ以降の世界で活動を始めると同時に、天然自然の存在のΩ神はお払い箱になって、天然自然の存在の神が存在しない/神など存在し得ないし一切神など存在してはいけない世界で、ヒト/人類が神として地上に君臨するようになった、ということは起こっていない、ということです。Ω神による天地創造の最初も今も、Ω神によるこの世界の支配は絶対的です。ヒトは誰もΩ神に取って代わる存在になることは出来ません。
 私が中学生か高校生のころ、創価学会では、日蓮と釈迦は過去には存在したが今は存在しない仏=「過去仏」であり、今現在実在する仏は池田大作会長だと説いていると聞いて、とても驚いた記憶があります。もちろん、これはΩ神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みには何の根拠も無い間違った見解です。他の仏教宗派からもこの点を批判されてその後このことを表立っては言わなくなったようですが・・・。
 最近では、オウム真理教の教祖が自分を神として崇めることを説いて、今も彼の信者の間ではその通りに信仰されているようです。
 今も昔も、いわゆる悟りを開いたとか神に会う体験をして自分が教祖になり救世主を名乗る形の宗教では、自分を生き仏として信仰の対象にする例はよくある話ですね。
 「いや、ヒトがΩ神に取って代わると言うのは間違いだ。もちろん、ヒトが神の化身かつ分身という汎神論的な考え方も我が宗教の唯一無二の『聖典』が教えている通りに絶対に認めない。神は唯一絶対的な超越神だ。ヒトが神になれるはずが無い。本当は、その神は我が宗教宗派が信仰の対象/目的にしている唯一絶対至高の神になっているのだ。大昔存在した神は今や我が宗教宗派が認める神の第一/最初の絶対的な信者なのだ」と主張する宗教もあります。しかし、こういうこともこの世界の成り立ちと仕組みの成り立ちの順序から言ってありえません。この宗教は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みも、Ω神の何たるかも、また、Ω神の天地創造の目的が何かを全く知らないのです。
 「我が宗教宗派の信仰生活の中で、ヒトの存在を含めたこの世界の成り立ちと仕組みの創造主である神の実在を信じることが出来る。だから神の存在証明は一切全く必要ではない。そもそも、神の存在証明は誰にも出来ない。だから、神の存在証明を試みることは反対だし、これをしてはいけないものだ」。インターネットであちこち検索していると、頑なにこう主張する人たちがいることを知ります。しかし、特定の宗教宗派の人たちのためだけに存在する創造主である神ではなくて、全てのヒトの創造主である神のはずですから、こうだから自分たちが信仰する宗教宗派を全人類に向かって布教し信者にしようとさへしているのですから、自分たちは神の実在を既に知っているから、神の存在証明は一切不必要だし、これをしてはならない! とさへいうのは、変な理屈です。しかも、この変な理屈で、信者以外の人たち一般が、彼らの宗教宗派の神学で一方的に有無を言わさずに裁かれ罰せられたりする現実があります。オウム真理教が起こした無差別テロ事件は、この実例。イスラームの過激派によるテロ事件は、この別の例。この現実があるのに、なお、「信仰の自由を守れ」と言って、オウム真理教を擁護した著名人たちが居たことを/9・11事件の折に「ざまあ見ろ!」と自らのブログに書いた社民党の国会議員がいたことを、この間違いが間違いとして全人類的に理解される日まで、オウム真理教の事件/9・11事件とともに忘れてはならないでしょう。
 マルクスの共産主義の誕生により、ヒトの生き方の原理は、Ω神が決めたものが社会主義/共産主義的生き方に取って代わられた、という南米で広まっているカトリック系の「解放の神学」も間違いです。マルクスの考え方は、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みには何も根拠がありません。
 北欧のフィンランドの例のような、「(かっての英国の「揺り籠から墓場まで」ではなくて)「胎児から墓場まで」、「この世に生まれる手間を掛ける」だけで生きることが国家社会の福祉制度として自動的かつ必然的に保障されることになって、Ω神の存在もΩ神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みも知らず、ヒトの存在目的も存在理由も知らず、これに基づいたヒトの生き方の原理も知らずに(この世界の成り立ちと仕組みの解明をする哲学や自然科学やこの世界の成り立ちと仕組みの解明を行う広い意味での学問一般など糞食らえ! という訳です)、Ω神の化身かつ分身の存在として生きること止めても、ヒトとして幸せに良く生きることができる、という主張も間違っています。Ω神が定めたヒトの生き方の原理を政治制度や経済制度や諸々の社会制度や福祉制度で全面的に置き換えることは決して出来ないのです。
 先日、衆議院選挙の前でしたが、NHKの特集番組でフィランドの福祉制度を取り上げて、礼賛していました。この番組の視聴者からもたとえ高負担になってもこれなら安心して暮らせるから良いという礼賛の声が多数寄せられていました。その番組に出演しておられた、長年フィンランドの福祉制度を研究してきたという先生は、遂に「我が世の春が訪れた」と得意顔のご様子に見えました。
 自然科学の発達により、ヒトは、Ω神が造った今現在のヒト/人類以上の新人類/超人類を作り出すことができる、というのも間違いです。科学技術も魔法も超能力もΩ神の全知全能さを超えることは絶対にできません。
 例えば、空中で停止飛行/ホバリングしたり、急反転したり、急降下や急上昇をすることが自在にできるトンボの飛行術を、人類は未だ手に入れることができません。先日、そのトンボの翅の構造を解明してこれを基に真似して作った風車の羽根は、ヒトが理屈で考えて作った風車が風速5メートル/秒にならないと回り出さないのに、風速1メートル/秒で回り出し、風速が30メートル/秒になっても安定して回り続けているのに、ヒトが理屈で考えて作った風車の羽根は風速30メートル/秒の風に耐えられなくなって壊れてしまう映像をあるテレビ番組で見ました。この映像を見て、創造主である神+自然法則+エネルギー三位一体不可分の働きで造られているトンボの翅の凄さを知りました。
 創造主である神(の天地創造の目的)+自然法則+エネルギー三位一体不可分の存在とその働きに代わって、法律、特に平和憲法が世界を支配し秩序付けさへすれば、また広島と長崎でオリンピックを開催すれば、この世界全体の成り立ちと仕組みも知らず、ヒトとは何かについて一切全く知らなくても、核兵器がなくなり、カントの言う世界に恒久平和が訪れるという考え方も、妄想以外の何ものでもありません。
 自民党政権から民主党政権になれぱ、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを知らず、ヒトとは何かも知らず、この世界の成り立ちと仕組みに根拠のあるヒトとしての生き方の原理もこれをハウツー化した潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法/日本古来の「言霊の法則」等の実際について何も知らず学ばずこれらを使わなくても、党の「マニュフェスト」で宣言し、この実現を官僚に任せるのではなくて、「友愛精神」の下で民主党の政治家の指導で実行すれば、命が大切にされる社会生活が実現できる、というのも、何の根拠も無い妄想です。民主党政権を実現させた国民多数の支持と期待など、何の役にも立ちません。世界Ⅰ~世界Ⅴで既に決められ確立している「ヒトの生き方の原理」は、世界Ⅵ存在の国民の多数決で決めることが出来るものではありませんし、変えることもできません。これが民主党という政治家集団には来る式の考え方が、行き詰まり破綻するのは時間の問題です。
 それでも、人類史を振り返ると、間違った政治が、結果的には地球上にΩ神の意図する「地上に神の国を実現する」方向に大きく前進させる、という逆説的なことがよく起こります。平和主義者の視点では今もまだ否定的にしか評価されない第一次と第二次の世界大戦のおかげで人類全体の福祉が向上した例もあります。
 ヒトが作ったものの多くは、時代が変わるとリセットの対象に否応なしになります。これは、ヒトの作るものには、Ω神が直接造った天然自然の存在物に働くような自然治癒力や自然回復力が一切存在せず、働かないことからも明らかです。即ち、人類にとってもはや不要になった時代遅れのものがいつまでも存在し続けることが無いようにするためです。

○Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みをものにする主体的で自覚的な修行が必要
 Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを離れて、これを無視しては、この先も未来永劫にわたって、ヒトがヒトとして生きることはできません。これは、不変、不動の永遠の真理です。
 Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みは、大人になれば自然にわかるようになる保障は何もありません。
 今、現在の地球人類は、このことを、自ら進んで、主体的に、意識的に、自覚的に、意図的に、意欲的に学んで、それなりの修行をして身に付け、日々の生活で使えるものにする必要があります。
 これは、何かの技術やスポーツや芸道や武道を身に付けるときに要求されることと全く同じです。
 一般法則論はこのことを明確に主張し明確に説明します。

○この世界の成り立ちと仕組みを認識し解明し理解するヒトとヒトの心もヒト或いは宇宙人が作ったのではない
 この世界の成り立ちと仕組みを認識し解明し理解するヒト(宇宙大では宇宙人一般)とそのヒトの心という存在とその働き/機能ですら、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が自ら作ったのではありません。
 こんなことは、自然科学的な証明なしで自明のことに属すると断言しても良いくらい明らかであるというのに!!!!!

○天然自然のΩ神の存在の客観性
 天然自然の世界の創造主である神は、世界Ⅰ存在のΩ神です。これのみです。
 繰り返していいますが、Ω神は、天然自然の存在の一部どころか、世界Ⅰ~世界Ⅴからなる天然自然の世界を創造した唯一絶対普遍かつ不変かつ不動の第一原因者である創造主である神として、世界Ⅰに実在するものです。
 このΩ神に関する自然科学的な知識が、原理的に、主観的なものや多数決や信仰で決まるものであるはずがありません。
 また、Ω神の存在を含めて、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの全体をヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心の働きで認識し理解できるようになっているのも、Ω神が自らの化身かつ分身の存在に造ったヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心をそうできるように造ってくれていることに根拠があります。
 なお、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの図解(2008年12月3日の文)では、Ω神が存在する世界Ⅰは、図解する紙の「地」を使うと説明しています。Ω神が実在する世界Ⅰの外には何も存在していないことを図解するためです。
 世界Ⅰは、非物質的な世界=魂とか心とか精神と名付けて呼ぶ世界です。
 非物質的な世界とは、物質(世界Ⅳで初めてこの世界に誕生)が持つ時間も空間も未だ存在していない世界です。
 言い換えると、永遠の「今、ここ」しか存在していない世界です。

○ゼロ/空/無は世界Ⅰの存在を指す言葉
 この世界Ⅰの存在を、インド哲学では「ゼロ」と言い、禅仏教では「空(くう)」と言い、老子・荘子思想では「無(む)」と言います。
 仏教で言う「仏の慈悲」とキリスト教で言う「神の愛」の違いを論じる人たちがいます。しかし、この二つの概念が世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中で指し示しているのは、一つ同じΩ神の絶対愛/この世界の何処に向かっても敵意や悪意や憎しみや嫉妬や怒り等を一切絶対的に持たず、最初からこういうことを一切知らない、良き事/善き事のみを望み、自他共に絶対肯定の構えのΩ神の心のあり方のことです。→創造主である神の原理的仕組み。
 同様に、ゼロ、空、無は、言葉は異なっても、一つ同じ世界ⅠのΩ神の存在を意味しています。

○この世界の成り立ちと仕組みの発見と解明と理解の間にある原理的関係の再確認
 ヒトは、この世界の成り立ちと仕組みを知り理解し、この理解に基づいてヒトが生きている世界を制御して、自らの人生と文化・文明を創造することが出来る。
 これを可能にする、Ω神がこの世界の成り立ちと仕組みを造っている原理=この世界の成り立ちと仕組みを認識し解明し理解する原理=各人の人生と文化・文明的な諸文物を創造する原理=これらのことを認識し解明し理解しまた創造するヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心の成り立ちと仕組み、という関係があることも、既に説明済みです。
 例えばヒトの冷蔵庫を作る目的+自然法則+エネルギー一体不可分の法則で作られている冷蔵庫は、ヒトの冷蔵庫を作る目的+自然法則+エネルギー一体不可分の法則でしか解明し理解することができません。これを例えばマルクスの資本論で解明し理解しようとしても、冷蔵庫これ自体の解明はできません。しかし、こんな簡単なことをどうしても理解したがらず、頑なに理解を拒否し続ける人たちがいます。

 以上の説明を全部ひっくるめて、初めて悟りの体験が可能であることの根拠やその中身の自然科学的な客観性が説明できることになります。

 世界の進化の世界Ⅴ段階(約6万年前)にヒトがΩ神の化身かつ分身の存在として誕生してから現在まで、ヒトが誕生した母体であり、ヒトの生活の基盤/インフラであり、ヒトが生きるために必要な諸々の資源を提供してくれる源であるこの世界の成り立ちと仕組みを、全人類が総掛かりで解明に取り組んできた成果を大まとめにして、一般法則論の形で統合し総合化して説明するという試みをしている、という自覚が、この前の文を書き終わって、この世界の成り立ちと仕組みの実際を説明する次の文を書いている最中に突然に生まれて、改めて私自身の知識の棚卸しをしておりました。
 

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。