いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

一般法則論の真偽や実用性等を検証して頂くこと カメさんのコメントに関して一言

2011-02-23 01:19:44 | 一般法則論
 一般法則論の真偽や実用性等を検証して頂くこと カメさんのコメントに関して一言

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対


○この文の目的
 カメさんのブログに私が一般法則論のブログを読んで下さいと書き込みしたので、カメさんのブログの中と、ここにコメントを頂きました。
 この意味は、皆さんに一般法則論の真偽と実用性等について検証して頂く必要性がある、ということです。

○カメさんのコメント
 まずは、カメさんのコメントについて確認します。
 
 カメさんのご自身のブログでのコメント。
(一般法則論者さん)、有難うございます。
 仰せの事について理解は出来ますが、神の世界は人間の世界では無いので、人間の世界では人間の話をすれば道理は適うと私は思って、ブログで神の話を書いています。
 貴方は私のブログを読んでコメントして頂いたでしょうか。私がどんな事を書いているかを知ってコメントして頂いたでしょうか。
 これが人間の世界のコメントです。
 人間の世界には神はいません。
 2011/2/20(日) 午前 7:21 [ カメさん ]                     

 一般法則論のこのブログへのカメさんのコメント
 読ませて頂きましたが、先ず第一印象としては特別珍しい話ではないと思いました。15:52 2011/02/20
 私も創造主としての神を信じていますが、これまでにいろいろ思いを書いて来ましたが、結論としては無駄な努力でした。
 人間は神ではないので、自分が神になって人間の世界の道理を悟り、それを発信する事なんだと最近は思っています。
 神である事は間違いない事実ですが、それは個々の人の思いであり、人間は誰も神や仏、そして自分と言うモノを肉眼で見た事も無いでしょう。
 人間に観える世界で生まれて生きて死んで行く道理を話す事せば、人間の頭で理解できると思います。
 神は神思う心の中に生まれてくるモノであり、思わない人に神を説いても、その人も神に生かされている人ですから、神の話を説いて対立するのであればその行為を止めるべきです。
 私も貴方と同じような押し付けのコメントを書いて他者のブログで迷惑がられました。

○私達が生まれ住んでいるこの世界の成り立ちと仕組みについて根本的に異なる見解
 カメさんと一般法則論者の私とでは、私達が生まれ住んでいるこの世界の成り立ちと仕組みについて、根本的に異なる認識と理解をしています。
 例えば、カメさんは、「神の世界は人間の世界では無い」し、「人間の世界には神はいません。」と言われます。
 カメさんも神の存在証明を試みられたようですが、一般法則論のような、仮令一般法則論的な天然自然の存在の創造主である神の存在証明は絶対に認めないといわれる方々がおられても、それでもなお自然科学が認める「慣性の法則」が持つ属性に基づいた、これ自体で客観的に唯一・絶対・普遍的にかつ不変的に実在する、誰かヒトがでっち上げたのではない天然自然の存在の創造主である神の存在証明は出来なかったようです。
 しかし、一般法則論では、私達が生まれ住んでいるこの世界は、天地創造の最初から丸ごと神の世界=Ω神の世界=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られた世界であり、Ω神の天地創造の目的とこれを実現するΩ神の天地創造の理法に絶対的に支配されている世界です。
 端的に言えば、私達ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が生れ住んでいる世界は、最初から最後まで、この世界の何処に行っても、神の国の中にあります。
 Ω神の世界の中で、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)です。
 そこで、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトとして生きるように、Ω神によって定められています。
 しかも、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトとして生きるのを容易にするため、Ω神は、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを丸ごと活用して生きる「ヒトの生き方の原理」を定め、更にこれをハウツー化した「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法も用意してくれています。
 ヒトの生き方の原理+「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法は、俗に言う自然治癒力/自然回復力を自覚的に意図的に利用することを可能にし、例えばいわゆる「不治の病」など無いようにしてくれています。

 カメさんの世界観と人間観では、仮令、人/「自分が神になって人間の世界の道理を悟」っても、創造主である神の天地創造の理法に属し、これに任せたときのみ使うことが可能になる自然治癒力/自然回復力を最初から使うことは原理的に/自然法則的に出来ないことは明らかです。

○何事も世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)で出来ているこの世界の成り立ちと仕組みの全体の中に常に位置づけて考える
 今、ここにある、私達が生まれ住んでいる世界の起源は、世界Ⅰ存在のΩ神による天地創造の目的に始まりました。→上掲の一般法則論の世界観の図解参照。
 そして、世界Ⅳ段階で、今から137億年前のビックバン/天地創造をもたらした宇宙的大爆発により物質で出来た宇宙が造られました。
 この後、物質で出来た宇宙の中に、46億年前に太陽系ができて地球が誕生し、地球上での生命の誕生と進化、人類の誕生とこれに続いて各人の人生と文化・文明の誕生と進化が今現在まで続いていて、この中にあなたや私=一般法則論者が生まれて、今、ここに生きているわけです。
 このような世界の誕生の過程を、一般法則論では、「世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)」と略して表記しています(注記1)。
 世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなるという一般法則論の世界観の中で、ヒトの起源とその生き方の原理の決定は、世界ⅠのΩ神の所から始まった、と断言しています。
 世界Ⅰにその存在根拠と存在目的と存在理由のあるヒト(宇宙大では宇宙人一般)という存在の生き方の原理を知り、受け入れることは、言い換えると、無我、無心、無私になることを自分の生き方の原理することを意味しています。
 このブログでの私個人を押し出すのではなくて「一般法則論者」という言い方をしているのは、これを示しています。
 一般法則論では、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とは何か、その生き方の原理は何か、実際にどうしらこの世で生きることができるのかを考えるときには、常に必ず世界ⅠのΩ神の所に立ち返り、Ω神が造っている世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)全体の中で考えます。
 しかし、例えばマルクス主義/共産主義のように、イギリスの産業革命の中で独自に発達した資本主義を資本主義の全てだと思い込んで、「資本家/資本主義に一方的に支配されるヒト」という、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトに生まれているヒトの本質にはありもしない人間観をでっち上げて、資本家/金持ち一般を嫉妬し、資本主義を否定する革命理論を間違って作り上げた例があるように、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)全体を知らず、この中の自分がしばしば恣意的に選んだ宇宙史や人類史の一場面で、ヒトの本質や生き方の原理やこのハウツー等を説く間違いをする人たちが後を絶ちません。
 話が飛びますが、イスラム原理主義の悲劇は、近代化して成功した西洋キリスト教世界に遅れを取ったのは、自分達イスラム教徒による神への信仰の仕方が至らなかったのだと理解して、信仰熱心な方々が「イスラム復興運動」を大々的に始めてしまったことです。
 こうではなくて、西洋キリスト教世界がやったように、神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを自然科学的に/自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きによって解明し理解することでした。

○天地創造の意図を最初から持つ創造主である神とこの神が造った世界に関する見解の「たたき台」としての一般法則論
 「私も貴方と同じような押し付けのコメントを書いて他者のブログで迷惑がられました。」とカメさん。
 一般法則論者の私は、他者(のブログ)に、一般法則論の世界観と人間観と神観念等を無理やり押し付けることをしたことはありません。
 一般法則論者がしているのは、比喩的に言えば「そら、あそこに、女優の○○○さんが来ています!」と指差ししてあなたに教えることです。
 このとき、あなたに、「そら、あそこに、女優の○○○さんが来ています!」という一般法則論者の私の言葉を鵜呑みにして信じて欲しいわけでも、その女優さんを指差すその指先を見て欲しいわけでもありません。
 あなたには、「そら、あそこに、女優の○○○さんが来ています!」という言葉で、あなたご自身で女優の○○○さんが本当にそこに来ているのかを確かめて欲しいわけです。
 これによって、「そら、あそこに、女優の○○○さんが来ています!」と指摘した一般法則論者の私の言葉の真偽や適否や確実性や信頼性等を確認して欲しいわけです。
 この意味で、「そら、あそこに、女優の○○○さんが来ています!」という一言は、自他共に、あなたと一般法則論者の私が一緒に、観察/観測/検証出来る事実や論理に基づいて客観的にその真偽や適否や信頼性や確実性を確かめるべき「たたき台」になるものになります。

○「たたき台になるものを提示する」という考え方の習慣は中学生のときから
 「たたき台になるものを提示する」という考え方は、私の中学生のときからの習慣です。
 私は、幼児のときから、それが何であるのかを説明できないけれども、自分が生れたこの世界は、自然の法則によって絶対的に支配されていて、何をするのでも自然の法則に則った正しいやり方や良いやり方をしなければならない、と生得的にというか本能的にというか、とにかく知っていました。
 言い換えると、何がそれをする正しいやり方であり、良いやり方であるのかの根拠は、私にあるのではなくて、万人にとって客観的な存在の自然の法則にある、という考え方を幼児の時から今の今までずっとしている、と言うわけです。
 正しさや良いことの根拠を自分に置かなくて済むことは、自分を客観視することを可能します。
 比喩的に言えば、「何を着てどんな格好をしていても私の正体/本質は私という存在として不変だ」と言うことを可能にしてくれることです。
 別の言い方をすると、自然の法則には根拠が無い、ヒトの理屈がでっち上げた「踏み絵」を仮令踏んでも何ちゅうことは無いといえることです。誰も「踏み絵」と無理心中しなくて良いわけです。
 お見合いパーティに参加して、声を掛けた相手に仮令百回お付き合いを断られても、それで「自分の人格的存在まで否定されたような気持ちになった」と言う必要は無いわけです。
 しかし、何かをするときに、具体的にそれをする、自然の法則に確かな根拠のある信頼性と確実性のある正しいやり方や良いやり方は何であるのかはすぐには分からない/自明ではないのです。
 正しいやり方が自明ではないときには何を頼りにしたらそれが何かを見つけることが出来るのかも、私はずっと知りませんでした(注記2)。
 そこで、何がそれをする自然の法則的に確実で信頼性のある正しい良いやり方であるのかを探して、不安で落ち着かない気持ちで絶えず試行錯誤をしていました。
 言い換えると、自分のすることに確信と自信が常に持てなくて、二十歳過ぎても情緒不安定児でした。
 二十歳を過ぎてもなお情緒不安定児の私をよく支えてくれたのが、感謝しきれないほどの恩義がある、大学のサークルの友人たちでした。
 こういうわけですから、友人や仲間と何かを一緒にする場合には、自然の法則に根拠のある、何がそれをする正しいやり方や良いやり方であるのかを知る/発見する過程で、正しい/良いと考えるやり方をたたき台として自分も出すことを義務のように感じてきました。
 そして、中学生1年生のある日、父母の前で私としては「たたき台」の積もりで出した物(これが何であったのかは思い出せません)が、「お前はそんなトンでも無いことを考えているのか!!!」と言われて、本当に困ってしまったことがあったものです。
 この中で、そのとおりにすればひとまず上手く行くことが保障されている「ハウツー物」があることを、幼児の時に知って、以来、ハウツー物が大好きになりました。
 また、いわゆる成功物語に好んで耳を傾けることが好きな人生にもなりました。
 ハウツー物や成功物語は、「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法の実際の活用にも、基礎となり、前提になり、成功の確信にもなるものとして、今でも日常的にいつでも学ぼうとしています。

○たたき台となるものを提示するという自覚も意図も無い方々
 あちこちのブログを読みますと、そこで展開されている話の正しさの根拠を、自分が学んだ先生の学説とかご自身の存在や人格の正しさに置かれている方々が沢山おられるようです。
 そこで、自分の世界観や人間観とは異質の例えば一般法則論の話を書き込みされると、自分の人生の師としている先生を否定され、自分の存在や人格が否定されたと勘違いされて、書き込みは削除され、この後、「一般法則論」の話は書き込み禁止の設定になるのだ、と推測しています。
 また、ブログの中で展開している自分の主義・主張の真偽や適否やその有効性や実用性を、読者に広く一般的に絶えず検証して頂くということにも関心がなくて、「どうだ! 俺様の考えは凄いだろう!」式になる方々も少なくないようです。
 中には最初から書き込みは一切出来ないブログ等もあります。
 その方が大学の先生であると知ると、この先生は科学的な学問の仕方を未だご存知では無い、と断じたくなります。
 つまり、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)がこの世で幸せに生きる為の大前提になっている、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの解明のために、古代ギリシャの哲学者や釈迦やイエス・キリストやムハンマドに神のことを教えた大天使やノーベル賞を頂くような科学的な大発見をした人たちなどの有名人を含む全人類がこれまで総掛かりでやってきた試みに貢献し役立つ何かを自分も提供して、その真偽や有効性や実用性を皆に吟味してもらう、という意図/目的が最初から無いのです。
 また、指摘されて自分は役に立たず違ったものを提供していたと知ったら、それを引っ込める勇気も無いようです。

○究極の万物理論/永遠の哲学としての一般法則論
 はっきり言いますと、この世界の成り立ちと仕組みがどうなっているのかに関して、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きだけで全て解明しようとしている一般法則論を超えることは難しいですよ。
 「オッカムの剃刀」という言葉があります。
 Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神、自然法則、エネルギーの3語でこの世界の成り立ちと仕組みを解明し説明し尽くすという一般法則論は、これ以上の単純化は意味が無いほどの話の単純化をしています。

(天地創造の目的を最初から持つ創造主である神、自然法則、エネルギーの三語で済むわけ)
 自然法則とエネルギーは、自然科学が物質世界の成り立ちと仕組みを説明するために使う基本的な概念です。
 ヒトが観念的にでっち上げた存在では無い天然自然の存在の創造主である神は、元々天然自然の存在として知られている自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが持つ「慣性の法則」性から論理的に自動的かつ必然的にその存在が導きだされる存在です。
 Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神、自然法則、エネルギーの3語が揃うことによって、自然科学が解明している物質世界だけでなく、精神世界も同じく解明することができます。 

 Ω神の自然科学的な存在証明だけでなく、ヒトの心の起源と中身を解明するいわゆる「心の哲学」に関して、それがΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ていると断言できる哲学に到達できるヒトには、いわゆる悟りの体験が必要不可欠です。
 ヒトの存在根拠と存在目的と存在理由とヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みはヒトの生活基盤になるものであることを、一般法則論では客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に説明しています。
 今、天文学で話題なっている、暗黒物質/ダークマターと暗黒エネルギー/ダークエネルギーの正体の解明では、この世界の成り立ちと仕組みがΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ていて、かつ、Ω神の存在とその役割、自然法則の働き方の原理、エネルギーの起源と役割、Ω神と自然法則とエネルギーとの関係等について自覚的な知識が無いと不可能と申し上げて良いでしょう。

○まとめに代えて
 一般法則論の真偽と論理的な首尾一貫性、説明の仕方、話の持っていき方の適否、その有効性と実用性等を、あなたも吟味してください。
 特に、問題は、ここで私が説明することと、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで説明している一般法則論との整合性です。
 一般法則論に未だ統合されていない考えを自覚も無いままに間違って一般法則論の一部として説明しているかも知れないからです。
 具体的な例で言えば、ピーマンが嫌いなヒトの話をここで力を込めてしたものですから、気がついたら、私自身もピーマン嫌いになってしまったのですが、「ミイラ取りがミイラになってしまった」訳ですが、この例は、日の丸を日本国の国旗と認め、国歌「君が代」を歌うことは自分の思想と良心の自由が侵されるという主張が、比喩的に言えば「聖人を直接みたら目が潰れる」という迷信や「怪物メドウサを見た人は石になってしまう」(ギリシャ神話)式の迷信に等しいものだと2011年の建国記念の日の文に書いたことと、私の心の中の何処かで矛盾しているものがあるから発生したものだと分かります。
 それでも、一般法則論は一般法則論としてこれ自体で正しい! と言い張れば良いのでしょうか・・・。
 
 一般法則論の真偽と論理的な首尾一貫性、説明の仕方、話の持っていき方の適否、その有効性と実用性等について、あなたの吟味を改めてお願いします。

○注記1 世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)は現代の文明国人の常識的な宇宙観/世界観の枠組みの中に収まる
 世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)と略記した一般法則論の世界観は、現代の文明国人の常識的な宇宙観/世界観の枠組みの中に位置づけて理解することができるものです。
 現代の文明国人の常識的な宇宙観/世界観の枠組みとは、既に科学的に学問的に明らかにされている、大雑把に言えば、ビックバンによるこの宇宙の誕生→太陽系と地球の誕生→地球上での生命の発生と進化→人類の誕生→人類の文化・文明の誕生→今、ここに生きているあなたや私の存在とその人生という過程のことです。
 注記1の終わり

○注記2 正しいやり方が自明ではないときにはどうしたら良いのか?
 正しいやり方が自明ではないときにはどうしたら良いのか?
 今ならば、それは、「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法にあることを客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に知っていて、この通りに確信と自信をもって出来ます。
 もちろん、これが良くできるようになるには試行錯誤を伴う練習/修行で経験を積むことが必要です。
 その内にこれをするコツが分かって、例えば、おらが村の伝統芸能の資料館を作って、これと共に村の伝統芸能を後の世まで生きたままで残すために、おらはどうしたらよかんベーか? というような着想が自然にできるようになり、実際にこれが出来てしまうことになります。
 注記2の終わり


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

一年を振り返って あなたに期待しています あなたは愛されていることを忘れないでください +追記

2010-12-31 04:24:24 | 一般法則論
一年を振り返って あなたに期待しています あなたは愛されていることを忘れないでください

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対 


○この文の目的
 2010年の最後の日になりました。
 そこで、簡単に一年を振り返ります。

○この1年の世界
 今年も色々のことがありました。
 これを短い言葉で総括すれば・・・
 1 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神の存在を知らず、
 2 Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを知らず、
 3 Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトについて知らず、
 4 ヒトの生き方の原理の存在を知らず、
 5 ヒトの生き方の原理に基づいた日々を生きるハウツーを知らず、
 6 実際には、現在では、ヒトの生き方の原理に基づいた日々を生きるハウツーに関する知識が、「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法や成功哲学を説いた本等の形で容易に手に入るのに、自らの無知と不勉強を棚に上げて、潜在意識の活用法などはオカルト的な迷信と切り捨て、政治の力でこの世に生まれてきた手間を掛けただけで容易に楽しく健康に豊かに生きられるようにして欲しいという人たちが相変わらず人類の大勢を占めた一年でした。

○Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの理
 例えば・・・・・
 テレビを観るには、「テレビ受信機の原理的仕組み」で造られた「テレビ受信機システム」を使う。
 しかし、テレビ受信機に跨っても空は飛べません。
 空を飛ぶには、「空を飛ぶことが出来る原理的仕組み」に基づいて造られた例えば「飛行機システム」のような機械が必要です。
 以下の話は同様です。
 BSデジタルテレビを観たかったらこれに対応したテレビや受信機を使う。
 電話を掛けたかったら電話機を使う。
 お湯を沸かしたかったら、お湯が沸くような機器/道具を使う。
 これらのことがその通りに可能なのは、この世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神が、この世界の成り立ちと仕組みを創造した最初から唯一・絶対・普遍的に保障していることに、その根拠があります。
 当然に、お湯を沸かす道具で電話を掛けたり、テレビを見たり、空を飛んだりすることは出来ないわけです。

○ヒトとして生まれてヒトとして生きるのにも生き方の原理的仕組みがある 
 上の話と同じように、ヒトとして生まれたこの世界の中で現実に実際に生きるには、ヒトの生き方の原理に基づいた「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法を使う、というのが、Ω神が決めたヒトの宿命です。
 このことを、この一年は、このブログの中で繰り返し取り上げました。
 仏陀の遺言的に言えば、この話は、「自燈明かつ法燈明」に要約できます。
 お役に立ったでしょうか・・・。

○あなたや私は類的な存在ではない!
 あなたや私は、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)以外の生物一般がそうであるようないわゆる「類的な存在」(個体の生死は種の集団の中の非個性的な1存在に過ぎない)ではありません。
 あなたや私は、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトとして、Ω神による天地創造の直接の唯一・絶対・普遍的な目的です。
 あなたや私は、他の誰でも無い、あなたや私であることに特別の存在目的と存在理由があります。
 全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)が、この世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神によって絶対的に愛され守られています。
 但し、こうであることを生きるには、個人的な意志の力や政治等に頼るのではなくて、「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法に任せて生きることが必要不可欠です。
 この事実も、明らかにしました。

○分かった! これで上手くいく・・・
 ヒトの生き方の原理+このハウツーの「求めよさらば与えられんの原理」/潜在意識の活用法/引き寄せの法則の活用法を使う中で、「分かった! 出来た! これで上手く行く(この道のプロとして生活できる・・・・・)」の境地に到達することが必要で大切だ、という話もしました。
 個人的にも、これで上手く行く! という自信をこの歳になってやっと持てるようになったことが幾つかありました。
 この関連で、一万時間または十年の真摯な修行の結果として自然に到達できる、一流/名人/達人/天才になる原理的仕組みが既に明らかにされていることも紹介しました。

○全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)の誕生に先立って・・・
 全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)の誕生に先立って、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みとこれを唯一・絶対・普遍的に支配しているΩ神の天地創造の目的と自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きがある。
 このことを、古代ギリシャで人類が最初に自覚的で意図的に哲学した時代に溯って説明しました。

○暗黒物質/ダークマターと暗黒エネルギー/ダークエネルギーとは何かについて一般法則論で説明出来ると分かった
 今年は、小惑星イトカワから砂を持ち帰った探査機ハヤブサが話題になりました。
 また、暗黒物質/ダークマターと暗黒エネルギー/ダークエネルギーとは何かについても、これを解明するという実験装置が稼動に入ったこともあって、世界的な話題になりました。
 この中で、それが何かを、一般法則論的に客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に説明出来ることがわかりました。
 しかし、この説明は未だは中途半端です。
 この世界の成り立ちと仕組みの誕生とこれに自然法則的に論理必然的に伴う重力の起源についてもっとちゃんと説明する中で、暗黒物質/ダークマターと暗黒エネルギー/ダークエネルギーの誕生の仕組みを説明する必要があります。

○2011年という新しい年へ
 一般法則論のことでも個人的な課題でも、今年遣り残したとても大事な課題が幾つかあります。
 果たせなかった約束もありました。
 しかし、「話は順繰りに成功へ向けて正しく進んでいる」という確信があります。

 いざ 新しい年へ

 この一年間、当ブログを読んでくださった方々に深く感謝します。
 有難うございました。

 I WILL GET YOU!!!

 良い新年をお迎えください。
 Ω神の化身かつ分身の存在のヒトとしてのあなた本来の真面目躍如の年になりますように・・・。

○追記1 全てのヒトがΩ神によって絶対的に愛され守られている、その形 2011年1月1日 午前1時43分加筆
 「全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)が、この世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神によって絶対的に愛され守られています。」と申し上げました。
 この実際は、ヒト、即ちあなたや私の体を覆う皮膚の外側からΩ神があなたや私を守る防禦服のような物を着せてくれるのではありません。
 正に自然治癒力/自然回復力がそうであるように、あなたや私の身体を覆う皮膚の内側の体の芯の中心から外に向けてあなたや私を守る唯一・絶対・普遍的な強い守りの力が働くのです。
 この力の正体は、Ω神の天地創造の目的を実現するために存在し働いている無意識/潜在意識の力/この世界の成り立ちと仕組みを造る原理である自然法則+エネルギー一体不可分の法則の力です。
 そして、この事実、即ち、Ω神の存在とΩ神が造ったヒトとヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みを認めて受け入れるときに、より一層強力にあなたや私を守る力が発動するのです。

 日々の生活の中での身心とこの周辺の安全無事/平穏さの確保。
 諸々の能力や才能や知識・教養、更にはお金に象徴される豊かさまた富んでいるいう感覚など。
 病気等に対する抵抗力としての自然治癒力/自然回復力。
 このほか。

 これらは、あなたや私の皮膚の外側から「部品」や「補助具」(例えば近眼用の眼鏡/セイフティ・ネット)や「幸運や家内安全や交通安全をもたらしてくれるというお守り/護符」のような形で、Ω神によって或いは社会的な制度や政府や政治家等によって取り付けられるのではありません。
 これらは全て、あなたや私の体を覆う皮膚の内側の中心に存在し、これから外に向けて自動的かつ必然的に働くものです。
 言い換えると、「自燈明かつ法燈明」ということです。
 追記1の終わり

○小惑星イトカワから砂を持ち帰った探査機ハヤブサの地球帰還を可能にした奇蹟 2011年1月1日 午前2時05分加筆
 一度は大宇宙の中で行方不明になったハヤブサを、万が一の故障に備えて用意周到に作られたハヤブサの仕組み+神頼みで、再び地球からの制御の下に置くことに成功し、無事にその探査目的を果たすという快挙について、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みを丸ごと利用して事を成す例として説明しました。
 何をするのでも、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きを丸ごと利用する。
 このことは、1万時間或いは十年間ルールに則った真摯や修行の当然の成果として一流/名人/達人/天才になるときにも必要不可欠です。
 追記2の終わり
 

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

哲学の仕方の再確認 哲学者 田辺元氏の哲学者としての生き方を知って

2010-12-20 14:49:06 | 一般法則論
 哲学の仕方の再確認 哲学者 田辺元氏の哲学者としての生き方を知って

○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対

○この文の目的
 この文では、哲学者 田辺元氏の哲学者としての日々の生き方を知って、改めて哲学の仕方の再確認をします。

○哲学者田辺元氏の日々の生き方
 読売新聞2010年12月11日の朝刊に橋本五郎氏の文があります。
 この文の中に、橋本氏が「少しでも学びたいものだと痛切に思う」、哲学者田辺元氏の哲学者としての生き方が紹介されています。
 以下に、橋本氏の言葉をここに記録します。
 
 「その日常は峻烈極めた。弟子の相原信作は書いている。
 <先生は精神の弛緩を表現する一切のものを嫌悪し、職務上の最小限度の必要以外には、世間との接触を忌避した。それは無限の醜悪として先生を殆ど生命を脅威にするほどに戦慄せしめたように思われる。先生は三十余年の京都生活において京見物されたことなく、大阪にいきしことなく、大学人以外と交わられしことなく、いわば病毒を避けるように世間を避けた>
 京大退職後は群馬県北軽井沢の山荘に住み、死去するまでの20年間、一度の例外を除き山を下りることはなかった。冬季には氷点下十数度の地に身を置き『厳しい懺悔苦行の生活』(下村寅太郎)を送った。
 哲学とは己を律し、血涙を流して常に自分を捨てては新しくするというところに成り立つと考えていたからだ。田辺自身ニーチェの言葉を引用している。
 <厳しい高冷の空気に慣れ、氷結の山間に心を練ることが哲学にふさわしい>」。

 引用の終わり

○しかし間違っている
 上で引用した文で分かる、田辺氏の哲学者としての在り方は、何とも苛烈ですね。
 しかし、田辺氏は、哲学の仕方が原理的に本質的に根本的に間違っておられた、と一般法則論的には申し上げざるをえません。
 どこがどう違うのか?
 この答えは、以下に説明します。

○一般法則論的な哲学的な思考方法の常識
 一般法則論的な哲学の仕方では、まず、最初に、あなたや私がここに存在し日々生きているという素朴な認識論的事実を出発点とします。
 そして、自分の身体を覆う皮膚の外側の世界に目を向けると、自分の身体を覆う皮膚の外側に世界が時間的にも理屈的にも先に存在していて、この世界の中にあなたや私が後から生まれてきた、という事実を知ることになります。
 言い換えると、この世界よりも先にあなたや私が存在していて、あなたや私が自分の身体を覆う皮膚の外側の世界を作ったのでは無い、という事実に気がつくことになるはずです。
 そして、この世界は、あなたや私がこの世界の中に生まれて来る直前に造られたのでは無いことも知ることになります。
 しかも、この世界は、この世界を造る何らの原理や法則も無しに、出鱈目に偶然に気まぐれに造られているのではなくて、そこには明らかに何らかの根源的で普遍的で包括的な原理によって造られている普遍的で包括的な秩序があることが、経験則でも分かるし、また、天然自然の物質的な世界は、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きで造られ支配され秩序付けられていることは自然科学的事実/真理であることが既に明らかになっています。
 これは、言い換えると、既に自然科学的にも社会科学的にも自明のはずの知識です。

○一般法則論の見解
 一般法則論では、次のように説明しています。
 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みは、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られていること。
 こうして造られた世界は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)からなる、因果法則的、時間的、空間的な成立順序と秩序ある広がりをもっていること。
 この世界は、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)より先に存在していたこと。
 全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)の順序で成立した宇宙の歴史の中で、世界Ⅴ段階でこの世界の中に誕生したこと。

○世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)
 一般法則論の理解によれば、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きによって(世界Ⅰ~世界Ⅲ)、今から137億年前のビックバン/天地創造をもたらした宇宙的大爆発に始まった宇宙の誕生と、これに続く、私達人類が生まれ住む太陽系の第3惑星の地球を例にとれば今から46億年前にその誕生があり、そして、地球上での生命の誕生と進化の歴史をへて(ここまでが世界Ⅳ)、私達人類の直接のご先祖様が誕生したのが(世界Ⅴ)今から十万年前後前・・・、というのが、この世界の現実です。
 この後、地球上の各地で文化・文明が起こり、その興亡の歴史を繰り返して、現在に至っているわけです(世界Ⅵ~世界Ⅶ+Z)。
 この人類史の途中(世界のⅥ)で、この世界の創造主である神/神仏の存在を発見する或いは気付くことで宗教が誕生したわけです(但し、この世界の成り立ちと仕組みの創造主である神としての神仏に関する知識はその殆どの場合で未だ不完全で発見者の妄想的な見解を含むものでした)。

○世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)の中のあなたの存在の位置づけ
 この文を読んでくださっているあなたはきっと、今から1万2~3千年前の縄文時代から始まった日本列島のヒトの歴史の積み重ねの成果を生きている、ということになるでしょう。

○宇宙史/世界史に関する宇宙大で普遍的な常識
 今簡単に説明したΩ神の存在に始まり、137億年前のビックバンから今現在までにいたる歴史は、誰かがこうだと言ってでっち上げたものではなくて、古今東西の学者による自然科学的学問また社会科学的学問で発見された事実に基づいています。
 この事実は、地球上/この他の惑星に過去と現在そして未来に生まれる全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)にとって唯一・絶対・普遍的で客観的な事実ということができます。

○社会構成説の間違い
 なお、私達が五感で知っている通りの世界はヒトが観念的に作ったものだ! と主張するのが、社会構成説の名で知られている見解、特に「社会学」の見解ですね。
 この世界の成り立ちと仕組みがどうなっているのかは、ヒトが、特に学問的な知識と教養のある立派な人々の多くがどう考え思うかで決まる、というのが、社会構成説。
 しかし、これは、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)がこの世界に生まれ出る前から存在していたこの世界の成り立ちと仕組みを完全に絶対的に無視する妄想的な見解です。
 即ち、社会構成説は、人間絶対中心主義の世界観ということができます。
 あなたは、大丈夫ですか?!
 しかし、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)の存在よりも先にこの世界が自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きで造られて存在しているからこそ、この事実を知らず、或いは、例えばそれは西洋キリスト教に基礎を置く自然科学に特有な世界観で仏教徒やイスラム教徒の自分にはそれを認めて受け入れるかどうかの主体的な自由があると言い張っても、自然科学が発見している例えば万有引力の法則の絶対的な支配下に、宗教信仰の如何には一切関係なく否応無しに全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)があることになります。
 

○この世界はヒト(宇宙大では宇宙人一般)が人工的に作ったのでは無い天然自然の世界
 この世界は、自らの存在を含めてヒト(宇宙大では宇宙人一般)が作ったものではないという意味で、自然科学的には、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きに基づいてそれ自体で自然に造られた天然自然の存在だ、ということになります。

○日本国のような文明国に生まれると中学生頃までには宇宙史的な常識が自然に身につく
 日本のような文明国に生まれると、自分の存在の前にこの世界が既に存在していたという事実に関する知識は、中学生になる頃には自然に身に付ける知識になります。
 今から六十年以上前の個人的な体験によれば、小学校三年生頃に買った絵入りの本(原書はアメリカの本だったようです)で、地球の誕生から恐竜の誕生までの歴史を初めて知りました。
 この後、学校で習う歴史や参考書して買った本や博物館の展示等で、宇宙史や自然史や世界の文明や技術/発明の歴史を学びました。
 小学生から中学生に掛けて天文学に興味を持ち、同じ趣味の友人と、通学していた中学校の校庭の片隅で、校庭にいる自分達の存在を、今ここにいる自分達の存在→←自分たちが今いる校庭→←その中学校がある町→←区→←東京都→←関東地方→←日本国全体→←アジア全体→←地球→←太陽系→←太陽系を含む私達の銀河系→←私達の銀河を含む銀河団→←銀河団の集まり(島宇宙)→←宇宙全体と、大声を出して確認しながら意識の範囲を拡大して、ビックパン(この頃は宇宙が誕生したのは150~200億年前といわれていたと記憶)に始まった大宇宙の中に位置づけるという遊びをして、ふざけあったことを記憶しています。→意識のある心が及ぶ範囲を宇宙大にまで自覚的に拡大する練習の話 自分で自分を知るための自己観察の方法 下  平和の定義 を含む 2004年12月1日 

 個人的には、もう2~3歳の幼児の時から、それが何か知らないけれども、何か絶対的な法則に支配されていて、何をするのでもこの絶対法則に従って行動しなければならないことを知っていました。
 これが、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きをいわば道具に使ってヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトの生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みを造った究極の存在としてのΩ神の発見に繋がることになりました。

○古代ギリシャの哲学の黎明期でもこの世界は全てのヒトの存在よりも先に実在していたことは常識だった
 人類史上、初めて本格的に哲学することを始めた古代ギリシャ(紀元前六世紀頃)の哲学者たちにとっても、この世界は、ヒトが哲学をする前に既に実在していた天然自然の存在だという事実は、当然の常識だったと断定しても良いでしょう。
 この上で、ではこの世界の最初に存在し、ヒトの存在を含めてこの世界を存在させるに至った根源的で根本的な究極の天地創造の目的/原因/原理/法則/理由/根拠である天然自然の存在は何か? 言い換えると、この世界を造った根源的で普遍的な原理であり、従ってヒトとヒトの生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みとこれを支配する秩序は何かを根源的に普遍的に包括的に説明できる原理は何か? という問いを、ギリシャの哲学者は、自覚的に意図的に発したわけです。
 このような、天然自然の世界の成り立ちと仕組みを造った普遍的で根源的な説明原理は何かを問うのが、「哲学する」という最初の定義/原義だったわけです。
 そして、この答として、古代ギリシャの哲学者たちはそれぞれに、それは、水だ/一者だ/原子(アトム)だ/神だ/イデアだ/存在だ/流転だ・・・、と言ったと現在に伝えられているわけです。
 究極の存在が、古代ギリシャの哲学者の間で一つの物にならなかったのは、一般法則論的に説明すれば、Ω神が天地創造のために使った自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きは、宇宙大で唯一・絶対・普遍的ものであり、こうならば自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きを使ってこの世界を造った究極の存在も宇宙大で唯一・絶対・普遍のはずだ、という現在の一般法則論的/自然科学的な見解を未だ知らなかったからだ、ということができます。

 一般法則論では、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みの天然自然の存在の創造主である神としてのΩ神の存在証明をして、Ω神こそ、私達が今五感でその存在を知ることが出来るこの世界を造った根源的で根本的な究極の天地創造の普遍的で絶対的で包括的な目的/原因/原理/法則/理由/根拠である天然自然の存在であることを明らかにしています。
 即ち一般法則論は、創造主である神とはいかなる存在か、人間(宇宙大では宇宙人一般)とは何か、この世界はどのように造られたのか(自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働き)、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)がこの世界を認識し理解できる原理は何処にあるのか(ヒトの心の起源とその役割)、ヒトの存在根拠とその存在目的/存在理由(Ω神の天地創造の目的)、これを実際に生きるヒトの生き方の原理とこのハウツーの実際、人類史の究極の目的は地上に神の国を造ることなどを明らかにしています。

○既に実在しているこの世界を造った根本原理を解明しようとした古代ギリシャの哲学は無視され忘れ去られた
 話が前後しますが・・・。
 古代ギリシャの哲学は、その後、人類史から一度忘れられてしまうことになったけれども、イスラム教の文化がこれを保存していて、中世のキリスト教世界に伝えられ、キリスト教神学の根拠付けとして再登場することになったと聞いています。
 この後から改めて西洋中心に哲学の歴史が始まります。
 しかし、西洋の哲学の歴史の中で、全てのヒトの存在の前にこの世界がそれ自体で既に存在していた、という素朴な認識と理解は、疑われてしまい、忘れ去られることになります。
 これに替って、この世界は1度一切存在しないことにして、何も無い所/ゼロからこの世界の成り立ちと仕組みとこれを造った原理を哲学者が考え出すのが哲学することだ(→デカルト)、というおかしなことになってしまったわけです。
 そして、このような哲学の仕方が、今現在まで哲学とこれから派生した自然科学を代表とする学問一般の本流になっている、ということが出来ます。
 この結果は、哲学者の数だけ哲学がある、言い換えると、ヒトとヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みを説明する、哲学者個人の見解に基づいた原理があるということになっています。
 哲学者田辺元氏も、この式の哲学をされていた、という訳です。
 しかし、これは、普通の人たちが素朴に認識し理解しているこの世界の存在に付いての常識に明らかに反することです。

○マルクス=エンゲルス=レーニン=スターリン=毛沢東の見解
 ましてや、マルクス=エンゲルス=レーニン=スターリン=毛沢東の見解のような、世界Ⅰ(Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働き)に始まる全宇宙史の中の最終段階に過ぎない人類史の中だけでヒトという存在とその生き方の原理を、唯物論的弁証法を原理にして全て説明できるという見解は、妄想以外の何物でも無いわけです。
 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とは如何なる存在か、またヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みは、この世界が最初に創造された137億年前のビックバンのときには既に、私達ヒト(宇宙大では宇宙人一般)には何の相談も無く、承諾もなく、一方的に絶対的に、Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで決まっていたのですから・・・。
 このような言い方が何か変に思われる方々は、例えば携帯電話機は、携帯電話機には一切相談も承諾もなく、ヒトが勝手に携帯電話機はこういうものだと決めて作っている事実に気付くのが良いでしょう。
 しかも、ヒトが携帯電話機を始め、自らの日々の生活とこの積み重ねで一生涯の人生を作ったり、文化・文明を作ったりしているのは、この世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトとして、Ω神のやり方を真似てそれをしているのですから・・・。

○まとめ
 哲学者田辺元氏の哲学的な生き方を知って、その間違いを指摘しました。

○追記1 J ・R・ブラウン著 なぜ科学を語ってすれ違うのか みすず書房
 この本は、2010年12月19日の読売新聞の本の紹介欄に取り上げられているものです。
 原題は、WHO RULES IN SCIENCE?/誰が科学を支配しているのか?
 この本の中では、科学の支配者は、科学者か社会構成主義的な社会学者か? ということのようです。
 一般法則論的な理解では、科学を始めとする学問一般やヒトの持つあらゆる知識やヒトとしての在り方や生き方の原理やヒトの持つ能力と才能の全てを支配しているのは、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトの生まれ住むこの世界の唯一・絶対・普遍の創造主であるΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きです。
 簡単に言い換えると、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みを支配しているのは、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)より先に法則的な秩序の下に存在しているこの世界の成り立ちと仕組みです。
 しかし、この本の著者も、この本の紹介者の池内了(宇宙物理学者)氏も、一般法則論のような視点ではお考えでは無いようです。
 念のため、後ほどこの本に直接当ってこの真偽を確かめます。
 追記1の終わり


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

「一般法則論でしている話は難しい」という指摘に答える その1 総論

2010-08-03 23:45:58 | 一般法則論
 「一般法則論でしている話は難しい」という指摘に答える その1 総論 
 
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい。
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                     


○この文の目的
 「一般法則論でしている話は難しい」というご指摘が度々あります。
 そこで、一般法則論の難しい所を、幾つかの話題に分けて、少しでも易しく説明することを試みようと思います。
 最初は、総論。
 各論は、次以降の文から。

○一般法則論の話が難しいとは思わない方々も居る
 一般法則論の話が難しいと思わない方々がいます。
 この方々は、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが生まれ住んでいるこの世界の成り立ちと仕組みを解明するために存在する学問の仕方を、ご存知のようです。
 そして、一般法則論者の私と発想の仕方が共通しているし、同じ発想、同じ問題意識を共有しているのだ、と推測します。
 例えば、21世紀の今現在、人類が抱えている様々な難問を如何にしたら解くことが出来るのか、という事に関心を持ち、その難問を解く試みをしている人たちの見解に注目し、その真偽と有効性を常に問い、自らもその試みをして答を求めているなど。
 例えば、今、現在、世界各地で様々な形で発生している宗教対立の問題。
 この問題を解消しないと、いつまでも宗教戦争が続いて、人類は、地球大で一つの平和な世界を構築することが出来ません(注記4)。
 では、この問題は、どう扱ったらうまく解くことが出来るのか?
 このような場合には、ヒトとヒトが住むこの世界の成り立ちの原点に戻って、如何なる原理で今あるような姿/形に造られたのかを問う「哲学」という名で知られている「思考の仕方」/「思考のパターン」/「思考の型」が有効である、と直ぐに理解できるなど(注記1)。
 言い換えると、一般法則論では、哲学とは何かを一度自覚的に意図的に考えたあとで、この成果に基づいて、哲学をしています。
 
○一般法則論では哲学した結果は・・・
 一般法則論では、一般法則論的な哲学をしています。
 この結果はーーーー
 特定の宗教宗派でいう神仏の存在には一切関係の無い、天然自然の存在の創造主である神が実在しています。
 これを、一般法則論では、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が作ったのではない、「天然自然の存在のΩ神(おめがしん)=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで出来ている」創造主である神が実在している、と説明しています。
 天然自然の存在の創造主である神ですから、地球人類の間だけでなくて、宇宙大では宇宙人一般とも自動的かつ必然的に一つに共有している創造主である神です。
 また、天然自然の創造主である神ですから、他の天然自然の存在物、例えば火山や地球や太陽と同じように、自然科学的にその存在を客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に解明できますし、その存在証明も、自然科学的にできる存在です。
 実際、一般法則論では、天然自然の創造主である神は、一部のヒト(宇宙大では特定の宇宙人)が自分達の宗教信仰の中で勝手にでっち上げた存在ではないので、万有引力の法則と同じように、自然科学で言う「慣性の法則」に基づいて、宇宙大の規模で自然科学的にその存在証明ができることを明らかにしています。
 即ち、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みを造った天然自然の存在の創造主である神、一般法則論で言うΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きを、天然自然の創造主である神の存在に関する共通認識の基礎にすれば、ヒト/人類(宇宙大では宇宙人一般)の中に、最初から宗教対立など生まれようが無い、という訳です。

 この話の全体が、このブログのタイトルにもなっている、「いわゆる神の存在証明がもたらす意味について/創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。」という大風呂敷を広げる話になっています。

○一般法則論の話の前提は自明では無いので当然に話の前提になる事を一つ一つ説明する必要がある
 天然自然の存在の創造主である神の存在証明をし、これから演繹的にヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが生まれ住むこの世界の存在目的と存在理由と、これを今私たちが生きている物質的な世界の形にする原理を説明する話の過程は、誰にとっても自明であるわけではありません。
 具体的には、例えば、いわゆる「神の存在証明」をするための方法、哲学の仕方、この世界をヒト(宇宙大では宇宙人一般)が認識し理解することが出来る原理など、誰にでも、いや、哲学者とか自然科学者や学者などの専門家の間でも、自明のこと、ではありません。
 そこで、一般法則論では、以下のようなことは、一つ一つ一般法則論の立場で再説明しています。
 こうする必要がある、としかし直ぐに分かる方と分からない方がいます。
 この必要性が分からない方々は、一般法則論って難しい・・・、と感じる事の一つかも知れません。

○上にした話を原理的に考えると・・・2010年8月4日午前3時すぎ追加
上にした話は、比喩的に言えば、大根を食材にした料理を作ると決めたあと、大根の調理目的に合わせた包丁を選び、これを先ず研ぐことから始める、という話です。
 これを、「仕事の段取りをする/つける」という事もあります。
 もう人間を何年かやっていると、何をするのでも大概のことは、それをするのは原理的に初めてということは普通無くなるものです。
 何かの学問をするのも、原理的には、多くの人たちが既に体験済みの料理をするときの一般的な原理と同じだったりするものです。
 そう、何をするのでも、これを成り立たせている原理的仕組みから考え、その原理は自分がこれまで体験してきた事の中で既に使ったことがあるのかを考えてみて、過去の体験を生かすことを試みる、という戦略はしばしば役に立つものです。

○一般法則論で再考してその根拠を確かめたこと
 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが生まれ住む世界を創造した、天然自然の存在のΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働き
 Ω神の存在証明の仕方
 哲学の仕方→「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 生得的な、身体感覚、イメージ力、とりわけ言語能力を介して、悟りの体験をし、哲学し、学問し、科学して、この世界の成り立ちと仕組みを認識し理解する道具であり、自他の存在を認識し理解する道具であり、他の誰でも無い自らの独自な生き方を選んで決めるための道具である、ヒトの心の起源とその中身、特に意識のある心の存在目的と役割(注記2)/(注記3)
 世界の見方と考え方
 世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)の順序で造られたこの世界の成り立ちと仕組み→一般法則論の世界観の図解 このブログの2008年12月3日の文
 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の本質は、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト
 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が生まれ住んでいる世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの究極のゴールと進化/発展の歴史
 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の生き方の原理
 学問の目的/役割
 自然科学の定義
 137億年前のビックバンのときに、空間3次元、時間1次元からなる物質的な世界が造られた仕組み
 これらの説明に自動的かつ必然的に伴う、一般法則論を客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に説明するのに必要な特定の概念とこれをあらわす為の幾つかの専門用語の創出
 など。

○一般法則論で哲学するために再考したことを言い換えると
 一般法則論では、独自に哲学した結果・・・
 既成の何か特定の宗教が持つ神学/教学や、例えばヘーゲル哲学や、マルクス主義/共産主義や、「超ひも理論」という宇宙論や、「オートポイエイシス」とかいうシステム論や日本国憲法前文やその九条や政治権力/特定の政党の主張の有効性等を、その真偽を無検証で、無条件に既に確立した学問的な成果とか最新の知識と決め込んで、これを基礎に一般法則論を組み立てる式のことを全くしていない、ということです。

○一般法則論の話が難しく感じる方々にとって何が難しいのか?
 推測するに・・・。
 多分、上に説明したような一般法則論的な発想の仕方に慣れておられないのでしょう。
 或いは、何処の馬の骨だか知らない者の言うことなど、そもそも聞く耳を持たない! のかも知れません。

○神仏の存在を知らず認めない立場では一般法則論は理解し難いのかも・・・
 また、・・・・・。
 神仏と言えば、宗教。
 宗教と言えばイスラムのテロリストやオウム真理教の事件。
 イスラムのテロリストやオウム真理教の事件と言えば、宗教は怖い。
 宗教は怖いから、これが説く神仏の存在も怖い!!!!!
 (話が堂々巡りになりした)。
 だからヒトに恐怖をもたらす宗教など無くなれば良いし、自分は無宗教だから宗教を信じている人たちよりも一歩先を歩いている。
 そもそもこの世に人工の物だろうと天然自然の物だろうと神仏など存在しないし、人類には神仏の存在は一切不要のものだし、現に自然科学は神仏の存在を否定しこれ無しで成功している!
 こういう発想の仕方/考え方をする人たちにとって、宗教では無いと言いながら、天然自然の存在の創造主である神を説く一般法則論は怖い! のかも知れません。
 しかし、全人類が無宗教になることは、絶対にありえません。
 宇宙大で唯一・絶対・普遍の存在であり、天然自然の存在の創造主である神の実在は、明らかだからです。

 間違った考え方を克服できない方々の間違いの根本的な原因は、一般法則論が明らかにした、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの全体を理解することが出来ないからでしょうね。

 以上の話は、天然自然の存在の創造主である神に関して、神経言語プログラミングで言う「リフレーミング」を一般法則論的にやっている例になるでしょう。

○ヒトを物質的な存在と考えている限り無明を生きることになる
 当然に、創造主である神=Ω神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きの化身かつ分身の存在としてのヒトは、物質的な存在に尽きる存在でないことになります。
 最近流行の無宗教の葬式は、故人との単なるお別れの会になり、故人の特定の墓を作らないやり方は、故人を死んだら全て無くなってしまう、単なる物質的な存在に過ぎない、という考え方が根底にあるのでしょう。
 言い換えると、最近流行の無宗教の葬式は、その殆どの方々が無明の人生を生きたと推測できる故人の供養の意味を忘れたものだということが出来るかも知れません。このことに関しては、なお、考察を継続中。

○天然自然の存在の創造主である神を知らない自然科学/学問一般は人類的な難問を解く知識と力が根本的にない
 ヒトの存在とヒトが住むこの世界の成り立ちと仕組みを、確率的な偶然の法則+自然科学者にとっても一般的な常識である、偶然とは相容れない因果必然の法則である自然法則+エネルギーの3語で解き明かそうとし、神の存在を知らない自然科学が、今現在人類が抱える諸問題を解く力が無いのは、例えば宗教対立を一つの例に採っても既に事実によって証明済み、と申し上げても良いでしょう。
 繰返して確認しますが、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みは、天然自然の存在のΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで全てできています。
 したがって、これ以外の原理や方法では、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みを十二分に解明することは、原理的に不可能です。
 話は、例えば電気冷蔵庫は、電気冷蔵庫の存在目的+自然法則的に決まっている電気冷蔵庫の原理的仕組み+実際に電気冷蔵庫を作る為のノウハウを決めている自然法則+エネルギー一体不可分の働きに基づいた実際の電気冷蔵庫システムという考え方以外の、例えば尺八の存在目的や尺八を作る原理や方法では、電気冷蔵庫の成り立ちと仕組みは解明できませんし理解でき無いのと同じです。
 確認すると、一般法則論では、確率的偶然の法則という存在の替りに、天然自然の存在の、最初から天地創造の明確な目的を持って存在している、宇宙大で唯一・絶対・普遍かつ不変・不動の創造主である神を認めます。
 自然法則は、最初から天地創造の目的/原因を持つ創造主である神の仕事の原理だからこそ、その目的/原因を実現するために自動的かつ必然的に因果必然の法則という属性を備えることになったわけです。→自然法則が何故因果必然の法則という属性を持つのかの原理的な説明

○一般法則論は我々の敵!?
 「唯物論とか社会主義/共産主義とか弱者とかジェンダー・フリーとかには根拠が無い」という一般法則論は、自分たちの信念体系を破壊される恐怖を感じて、一切シャットアウト! の人たちは確かにいます。
 しかも、自らが抱える難問を、自らが主張する立場や考え方では、相変わらず解けないで、未だに自ら困っているのに・・・。
 きっと、これらの方々は、前世からの「業」が深いのでしょうね。
 社会や人類にとって迷惑な存在は、一般法則論(者)ではなくて、唯物論とか社会主義/共産主義とか弱者とかジェンダー・フリーとかを主張する人たちです。
 まさに、神経言語プログラミングの対象になっておかしくない人たちの例。

○まとめ
 一般法則論は難しいと言われる方々がおられるので、一般法則論を突き放して観る「メタ一般法則論」の話を始めました。
 この文は、その総論のつもりです。
 次以降の文で、各論に入ります。

○注記1 神経言語プログラミング/NLP
 神経言語プログラミング/NLPは、ヒトが抱えるあらゆる問題/難問を解決することができる有効で適切な思考の型/思考のパターン/思考の枠組みを、自覚的に意図的に、選んだり、変えたり、新しく構築したり、新しく発見したり発明したり創造したりすることの必要性とその実際の具体的な方法を発見した、とても凄い心の使い方に関する技術です。
 例えば、知的な障害があって、うまく社会生活ができず、盗みを働いてはこれまで5回も刑務所に入ったというヒトの例では、検事も弁護士も裁判官/裁判所も、「このヒトを救う方法は刑務所に入れることだ」という凝り固まった一つの思考パターンしか出来なかった、と分かります。
 このヒトに対して、あるNPОが、その生活習慣、即ちこれまでの思考の型を変える事で自助自立した社会生活ができるように支援中という話を、NHKの番組、クローズ・アップ現代で知りました。
 このNPОの方々が、神経言語プログラミングについてご存知であるかどうかは、その番組では分かりませんでした。
 しかし、間違いなく、神経言語プログラミングの手法に当るものを活用しています。
 一般法則論は、神経言語プログラミング者も未だ知らない、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みに関する認識と理解に関して、宇宙大で万人が共有すべき根源的で原理的な哲学、具体的には、存在論、認識論、創造論、学問観/自然科学観、世界観と人間観と人生観と歴史観(これらは全て思考の型の例)等を提案するものです。
 一般的に言えば、弁護士と裁判官/裁判所は、「分かっちゃいるけど止められない」というヒトの行動の型、言い換えるとそのヒトの思考の型/思考の習慣/癖について、自覚的な認識と理解が甘くて、何の確かな証拠も根拠も無いのに、一回一回の犯罪行為は、それぞれが過去の思考の癖とこれに基づいた行動とは関係の無い、独立したそれ独自の思考の結果だとか「まだ少年でその人格は可塑性に富んでいるから、このまま様子を見よう」式の型に嵌った一つの思考に強く拘るようです。
 この根底には、この世に生まれる手間を掛けただけのヒト、はっきりと言えば、生物のヒトとして正常に育ってない人たちの立ち居振る舞いで犠牲になる人たちには泣いていただいて、その悪行よりも人権を尊重するのが大事だというインチキ人権尊重思想がある、ということが出来そうです。→なお、戸塚ヨットスクール事件
 つまり、犯罪者の処遇には、神経言語プログラミングの技法の採用が必要だ、ということです。

 神経言語プログラミングに関する必読の本の例
 L・マイケル・ホール 橋本敦生監訳 浅田仁子訳 NLPハンドブック 神経言語プログラミングの基本と応用 春秋社 2006年

 注記1の終わり

○注記2 <心>はなぜ進化するのか 心・脳・意識の起源 という本の序文の書き出し
 A・G・ケアンズ-スミス著 北村美都穂訳 <心>はなぜ進化するのか 心・脳・意識の起源 青土社 2000年
 この本の序文の書き出しは以下のようです。

 「生命の起源と、意識のある心の起源とは、科学の二つの最重要課題である。」
 「・・・意識の根源の現象は、感じと感覚である。たとえば、飢えや痛みの感じ、青い色の感覚、等々だ。・・・すなわち、痛みや飢えのような感覚を生ずる能力は、(生物進化の中で)自然淘汰で完成させられたのであり、それは、これらの感覚が有用だったからだ。」

 しかし、この本の著者は、無意識の心の中から意識のある心が生まれた目的と過程について、物質の何らかの状態に答を求め、一般法則論のようには説明できません
 一般法則論では、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の意識のある心の起源とその存在理由と存在目的は、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトの住むこの世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神の天地創造の目的にその直接の根拠があると考えます。
 一般法則論のこのような考え方は、天然自然の存在で慣性の法則でその存在証明のできる、天地と天地の間に生まれ住むヒト(宇宙大では宇宙人一般)の創造主である神を、未だ知らない、この本の著者やこの著者が参考にしたこれまでの科学の成果からは生まれようが無い考え方です。
 どちらの考え方が有用であるかは、あなたにもお分かり頂けると思います。
 注記2の終わり

○注記3 ヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心
 一般法則論では、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)とヒトが生まれ住むこの世界の成り立ちと仕組みを造っているのと一つ同じ原理でヒト(宇宙大では宇宙人一般)の心が出来ている、と言います。
 こうなっているから、自分自身も他者もこの世界のこの世界の成り立ちと仕組みも客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に正確に精密に認識し理解し、この知識に基づいて、一つ同じ世界を宇宙人も含めて万人で一つに共有し、自らの人生を築き、皆で協力してチームワークを一つにして、諸々の文化・文明を作ることができるのだと説明しているわけです。
 この世界の成り立ちと仕組みを造っている原理とは、天然自然の存在のΩ神=天地創造の目的を最初から持つ創造主である神+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きのことでした。
 注記3の終わり

○注記4 グローバル化反対の立場
 全人類が地球大で一つになることは、地域の文化の独自性を失うことを意味するから、絶対反対の立場を採る人たちもいます。
 本当にこうなるでしょうか?
 例えば、日本食が世界的に普及しつつあると聞きます。
 これによって、日本以外の地域の独自の食文化が破壊されなくなりつつあるのでしようか・・・。
 また、日本の食文化は、その独自性を失いつつあるのでしょうか・・・。
 注記4の終わり


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

一般法則論の使命  迷子さんの質問に答える

2009-12-15 00:42:38 | 一般法則論
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01


○迷子さんからのコメント
 批判じゃないです。率直な質問です。

 あなたの世界の捉え方はそうであっても、あなたの身の回りの人は魔境の中で生きている人ですよね?
 魔境の中にいる人をぼくは、社会的一般価値規範に浸されているゆえに葛藤する主体、と捉えて言っていますが。
 市場主義が個人への内面化に進行しつつある中、魔境に入る人は増加していると思います。
 こんな世の中でひとり悟っていいことはあるのですか?
 快楽の獲得様式が身近な他人とも異なっても楽しいものなのですか?

○自らの間違った考え方で自らを苦しめる人たち
 「魔境の中にいる人」は、あなたが理解されている通りに、それ故に自ら葛藤し苦しむことになります、その根本原因も知らずに・・・。

○神の国=天国には入れ無いあるキリスト教信者の話
 「快楽の獲得様式が身近な他人とも異なっても楽しいものなのですか?」というご質問で、キリスト教の信者というヒトの次の話を思い出しました。

 自分がこの世の快楽等から身を遠ざけているのは、この善行の故に死後に自動的かつ必然的に天国に入り、そして、自分は天国にいて、地獄に落ちて苦しんでいる人たちを眺めるのを楽しみにしているからだ。

 このキリスト者の考え方は、根本的に間違っていると言えます。
 「他人の不幸は蜜の味」式の考え方は、根本的に「天国的な考え方」ではありません。
 ということは、このような考え方をしている限り、金輪際、神の国にも天国にもご縁が無い!!! ということです。

○神の国=天国に入れるのは善行ではなくてこの世界の成り立ちと仕組みの絶対的秩序に調和して生きる生き方
 また、善行をするヒトが、神の国に自動的かつ必然的に入れるのではありません。
 Ω神=創造主である神(とその天地創造の目的)+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで全て造られている世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みをよく理解して、この世界の成り立ちと仕組みの絶対秩序に調和する考え方をして生きる人たちだけが、この世でもあの世でも神の国に入れる=天国/極楽の生活を楽しむことができます。

○一般法則論者の使命
 Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを知っている一般法則論者の使命は、これを未だ知らない人たちのために、自らが作っている魔境の世界から完全完璧に離脱することができる具体的な手段・方法=ヒトの生き方の原理とこれをハウツー化したもの、この一実例としての「祈りで病気を治す心理的/霊的な技術」の説明をすることです。
 これは、世界Ⅵ以下に根拠を置いて生きるのではなくて、世界ⅠでΩ神と共にあって、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトであり、意識のある心を持つΩ神として生きる生き方です。即ち、世界Ⅰに根拠を置いて生きる生き方です。この生き方を自覚的に意図的に採用して生きることです。

○ベイルズさんの本が安くなっています
 祈りで癒す心の技術。
 この実際を説明している次の本の紹介は、一般法則論者の使命の一部。
 この種の本としては、ベイルズ氏の著書は、この右に出るものが無い、傑出したものです。

 Frederick W. Bailes   Your Mind Can Heal You

日本のアマゾンでの洋書扱いで、全体が白い表紙で一番安く手に入るもの。先日よりも値が下がりました。
 インターネット上で、この本の目次を見ることができます。

○病気等を癒す技術を自分の物にする意義ーーー底抜けの安心感と解放感を知ったレイキの実践者
 レイキ(霊気)で自分や愛する家族を病気から守れるし、また、たとえ病気になっても、それを医者や薬に頼らなくてもレイキで必ず治せると分かり、実際に自分もこれが出来ると分かったときの底抜けの安心感、解放感は、何物にも換え難いことを知ったというヒトの話を、ブログで読んだことがあります。
 正に、この通りです。
 一般法則論では、Ω神=創造主である神(とその天地創造の目的)+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みを知ることによって得られるヒトの生き方の原理とこれをハウツー化した潜在意識の法則の活用法/祈りで癒す方法を自分のものにできることによる底抜けの安心感と解放感に代わり得るものは何も無い、と知ることになるはずです。

 しかし、例えば、自民党政府を、「人の命と生活を大切にする」という民主党政府に取り替えてみても、こうは行きません、絶対に!!!

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


○追記1 サウさんからのコメント
 これは、一般法則論の目的、これをする話の持っていき方、一般法則論の話の前提等、お話ししなければならないことが沢山あるものですから、一言では申し上げることができません。いま、準備中。
 追記1の終わり

○追記2 予定説
 カトリックでは異端とされているらしい、ジャン・カルヴァンによって提唱された予定説(よていせつ)は、この世での善行は死後に天国に入ることを保障しないし、そもそも、誰が天国に入れるのかは、神の専権事項で、神のみが知る、と言う話のようです。
 真実は、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの中で、ヒトはΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトとして、この世界の成り立ちと仕組みの全体の秩序に絶対的に調和する考え方を採用して生きれば、即この地上で天国=神の国に入れる、ということです。
 注記2の終わり

ジョン・W.モファット/著 水谷淳/訳  重力の再発見 を手にして 

2009-11-28 11:44:46 | 一般法則論
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01

○自然法則とエネルギーとの関係も自然法則の働き方の原理の存在も知らないで・・・
 久しぶりに書店に出掛けました。
 何冊か目に付いて手にした本の中に、次の本がありました。

ジョン・W.モファット/著 水谷淳/訳 重力の再発見 アインシュタインの相対論を超えて  早川書房 2009年11月

 ご存知のように、重力のような宇宙全体の成り立ちと仕組みを説明する理論であるアインシュタインの相対性理論と、電子のような小さなものを扱う量子論とを一つの原理で説明することを、科学者はこれまで色々と試みてきましたが、未だこれに成功していません。
 この本の著者もこの試みをしている科学者の一人のようです。
 そして、アインシュタインの相対性理論と量子力学理論との理論的な統合を目指すことに関連して、私にとっては初めて知る重力理論を含めて、重力を説明しようとする、422頁もある分厚い本です。
 しかし、この本の著者も、自然科学とは、この世界の成り立ちと仕組みを、特に「物質」と私たちが名付けて呼ぶもので出来ているこの世界の成り立ちと仕組みを、自然法則+エネルギー一体不可分の法則(注記1)の働きの現われとして解明する学門だ、という自覚的な知識をお持ちではないようです。
 言い換えると、この本の著者も、重力理論でこの世界の成り立ちと仕組みの解明を言う前に、科学という学門をするのには必要不可欠なはずの以下のような基礎的で基本的な問いをして、これに自覚的に意図的に答えることを一切しないで話を進めています。

 自然法則とは何か?
 エネルギーとは何か?
 自然法則の働き方の原理は何か?
 自然法則とエネルギーとの関係はどうなっているのか?
 自然法則とエネルギーとが一体不可分でこの世界をどのように造っているのか?
 自然法則とエネルギーだけで、そこに高度な知性の働きを発見することが出来るがこの世界の成り立ちと仕組みが造れるのか?
 この他。

 この世界の成り立ちと仕組みを造っているこのような法則や原理の解明しないで、この世界の成り立ちと仕組みを解明しようとするのは、学門として変だし、間違っている!!! とはっきりと言うべきでしょう。
 しかし、個人的には、こう言い切ることが出来るようになるまで、何年も葛藤がありました。

○注記1 自然法則+エネルギー一体不可分の法則という表記
 自然法則とエネルギーとは、Ω神が造った世界Ⅰ~世界Ⅴからなるこの世界の成り立ちと仕組みの中で、一体不可分で存在し、一体不可分で働いて物質的な世界を造っています。この実際の活動は、世界Ⅰ~世界Ⅶ(+Z)の中で、世界Ⅲから始まりました。
 そこで、これまでの一般法則論の文の中では、自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働き、という表現をしてきました。
 これに加えて、先の文から、自然法則+エネルギー一体不可分の法則という言い方もすることにしました。これは、その法則性を意識しての表現です。
 注記1の終わり

○私が間違っているのでは・・・
 この世界の成り立ちと仕組みの造っている自然法則+エネルギー一体不可分の働きの存在。
 二十三歳の時に悟りの体験をして、この体験により、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組み(世界Ⅰ~世界Ⅴ=天然自然の世界の自然史)+Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)が作っている世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)=ヒトが作った人類史の全体が分かり、これをちゃんと理屈で説明しようと試みはじめました。
 しかし、三十年以上も前から、一般法則論的な理解では、この世界の成り立ちと仕組みを造っている自然法則+エネルギー一体不可分の働きの存在を知らないでこの世界の成り立ちと仕組みを解明しようとする上記の本のような例に接して、私の考えは間違っているのでは・・・、と深刻に悩むようになりました。
 何しろ、私は、私たちが存在しているこの世界の成り立ちと仕組みの解明を学問的に自覚的に意図する科学的研究者としては素人で、相手は物理学でノーベル賞をもらったりしている方々なのです。
 しかし、身の周りにあるヒトが作った文化・文明的な諸文物は、自然法則+エネルギー一体不可分の法則で作られているのは明らかです。
 それどころか、自然法則+エネルギー一体不可分の法則の働きだけではそれらは作ることができません。
 ヒトが文化・文明的な諸文物のいわば創造主である神になり、自然法則+エネルギー一体不可分の法則をいわば道具にし素材にしてそれらを作っている、ということさへ出来るのです。
 しかも、悟りの体験を通して既に私が知っている知識では、ヒトが文化・文明的な諸文物を作るのに使っている自然法則+エネルギー一体不可分の法則は、Ω神が天然自然の世界の成り立ちと仕組みを造るのに使っているのと全く一つ同じものなのです。
 また、自然法則+エネルギー一体不可分の法則を自覚的に意図的に文化・文明的な諸文物を作るためにヒトが使えるのは、ヒトがΩ神の化身かつ分身の存在として生まれているからです。
 しかし・・・。

○注記2 絶対的無意識の存在のΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒト=Ω人/オメガジン=意識のある心を持ったΩ神
 Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)について、Ω人(オメガジン)と一般法則論で勝手な命名。
 Ω人は、世界Ⅴで絶対的無意識の存在のΩ神が意識のある心を持つΩ神として誕生し、世界Ⅰ~世界Ⅶからなる世界全体の仕組みの中で、世界Ⅰに立ち返って意識のあるΩ神として活動するように運命づけられている存在。
 なお、世界Ⅰは、世界Ⅱ以下を絶対的に超越して存在する「永遠に今、ここ」のみの世界。空の世界。完全完璧な絶対的な神の国の世界。
 注記2の終わり

○間違っているのは私では無いという確信
 長い話をはしょって結論だけを言えば、特にここ数年で、科学者一般は、この世界の成り立ちと仕組みを自然法則+エネルギー一体不可分の法則で説明している自覚がないのだ、ということを確信すようになりました。
 そして、自然法則とは何か、エネルギーとは何か、自然法則とエネルギーとの関係はどうなっているのかなどについて、科学者一般は、何の自覚的な知識もないのだ!!!!! と断言できるようになりました。
 言い換えると、一般法則論者の私がしているこの世界の成り立ちと仕組みに関する説明の試みは正しいのだ、と確信するようになりました。
 で、課題は、一般法則論を科学者一般に受け入れられるように説明するにはどうするか、ということになりました。

 以上、本屋さんで手にした本で一般法則論について思ったことを述べました。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

ゲバラさんの書き込みにまずは答える  黒澤監督の話の文へのコメント

2009-08-23 02:13:05 | 一般法則論
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境     (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ      (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
空の世界     妄想の世界
Ω神= 〔A→  ∥Z→    (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→ (M  ) ) ) ))∥〕 Ω=神の国
  ∥  創造神 ↑      Ω神の 天然自然 物的  俗・人・子・文歴  記憶
 霊的      M     理法  の世界  Ω人  人・生・孫・化史  ↓
 心的     ^(記憶)                          Z→→→→→Z
存在のΩ人


Aleido Che Guevaraさん
 一般法則論者としては、願ったり叶ったりの、とても有り難い内容の書き込みに、心からお礼申し上げます。
 有り難うございます。
 なぜ、お礼申し上げなければならないのか?
 この答えは、一般法則論の説明に失敗していることが明らかになったからです。
 詳しい説明は、文を改めて、この本文でします。
 コメント欄は、5千文字の字数制限もありますから・・・。

 なお、「客観的な物質的基盤を背景にして必要な知識を身に付けるという精神活動を認めるということは人間の精神活動のあり方が物質を本源とするといっているのと同じことです。」というのは、間違いです。
 この物資で出来ている世界の中で、人としてより良く/より善く主体的に自覚的に生きるために、自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られている物質的な世界を、自覚的に意図的に主体的に制御するために知るのです。
 科学的な技術は、正にこうしています。
 だから、たとえば人が本来生存し得ない筈の宇宙空間への冒険を意図して、これが実際にできるのです。

 唯物論者で共産主義者のあなたも、「人の精神のあり方は物質を本源としている」ので、女性の挑発的な態度や服装や性的魅力に溢れた肢体等で否応なしに強姦せざるを得ない主義/「据え膳喰わぬは男の恥」派のようですね。

 もう、二十・三十年前の話です。
 学生たちの手でバリケード封鎖され、警察の支配が及ばなくなった京都大学構内で、男子学生たちが女子学生たちを追い回して強姦したことについて、女子学生たちが学生集会で告発し抗議したという事件があった、と報道した週刊文春だったか週刊新潮の記事に怒ったと思われる関係者が、出版社の玄関に火炎瓶を投げ入れて逃げたという事件がありました。
 ゲバラさんの書き込みで、この事件を思い出しました。

 新聞を取り、ここに載る本の広告や週刊誌の目次等に目を通すだけでも、色々の知識が手に入りますね。
 新聞のテレビやラジオの番組表を読むだけでも、時代のトピックスや事件が何かが自然に分かります。
 たとえば、盗聴・盗撮が考えうる殆どあらゆる所で行われているのを知ったのも、テレビの番組欄でした。

 このブログの筆者

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

一般法則論に理解を示して下さる方々に感謝しています

2009-02-02 02:05:12 | 一般法則論
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的   人・子・文歴  記憶
(心的なD)     M(記憶)          ヒト   生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                   Z→→→Z

○一般法則論に理解を示して下さる方々に感謝しています
 哲学一般や一般法則論に否定的な方々が、確かに存在します。
 それでも、一般法則論の文を読んで、直ちにその意味することや人類の未来に向けてその可能性を理解し支持してくだる方々がいることは、とても嬉しく、深く感謝をしています。
 この方々の中には、深い哲学的な思索の結果や精密な学問的な探究心が及んだ結果として、一般法則論の可能性を理解して下さったのではないらしい方々もいます。
 この方々は、一般法則論を、直感的に或いはその方が現に実際に生きておられる自らの生き方の姿勢/哲学/職業に結び付けて、その方自らの生き方と一般法則論の可能性と将来性を理解して下さっているようです。
 一般法則論とは、正に、ヒトが実際にこの世で生きる為に役立つモノを意図しているので、このような方々がいて下さることが、とてもとてもとても嬉しく思います。
 もちろん、これは、あなたのことです!!!

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

明けましておめでとうございます

2009-01-01 01:52:55 | 一般法則論
 明けましておめでとうございます。

  平成21年/2009年 元旦
          一般法則論者

 一般法則論を説明しているこのブログは、まだ話の途中です。
 よろしくご参加のほどを願います。


○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの十二月三日の文をお読みください。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的   人・子・文歴  記憶
(心的なD)     M(記憶)          ヒト   生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                   Z→→→Z

 創造主であるΩ神を全ての起源とするこの世界の成り立ちと仕組みの図解=一般法則論の世界観の図解を基にして、Ω神の視点でこの世界の成り立ちと仕組みを観ることを習慣にして下さい。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。




潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は未だに疑似科学扱いか・・・

2008-06-29 05:45:05 | 一般法則論
○潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は未だに疑似科学扱いか・・・
 新聞の記事から考えました。

○秋葉原殺傷事件に関する石田衣良氏の見解を紹介する記事を読む
 読売新聞の2008/06/28 の朝刊に、秋葉原殺傷事件について著名人の見解を紹介している連載記事で、作家の石田衣良氏のお考えが載っています。

○一般法則論者としてあるべき態度の再確認
 念のために再確認すると、そんなことはもう二度とあってはならない事件だと確認したら、もうその事件から離れて、創造主である神の化身かつ分身の存在のヒト本来の正しいあり方に心の目を向けて、目をここから離さないことだ、というのが、潜在意識の法則/引き寄せの法則を知る者への忠告です。
 このことを再度確認したうえで、本題に入ります。

○石田氏の見解
 石田氏の見解を乱暴に要約すると、『一度負けたらおしまい。再チャレンジは無理』という風潮がはびこるなかで、親も教師も官僚も失敗を恐れ何事も無難に過ごそうとする。「失敗してもはい上がれる『柔らかな粘り』のようなものを子どもたちが学べる環境を作るべきだ」ということです。

○なぜ潜在意識の活用法に話をもっていかないのだ!
 これを読んで、私は、そんな遠まわしの言い方をしないで,石田氏は、なぜ、小説を書くことで活用されているはずの「潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法」についてずばりふれないのだ! と思いました。
 実際、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は、ヒトとしての生き方の原理があることを知らずに、生きるのがつらく難しくなっている人々の実用になるからです。
 石田氏は、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法が世間で疑似科学あつかいされていることに配慮しているのでは!?
 こう、かんぐりました。

○石田氏の小説作りの現場 NHKの番組をみた
 石田氏の小説は読んだことがありません。
 しかし、半年くらい前のNHKの番組で、石田氏の小説作りの現場を紹介するのをみました。
 その方法は、小説のネタになる言葉をパソコンに登録した後は、潜在意識に任せ切りにして、潜在意識に小説を造らせて、後はこれを意識化してパソコンで文字にする、というやり方です。

○小説家は潜在意識を活用して小説を書いているのは明らか
 このときに、確か、石田氏の口からは潜在意識という言葉は出なかったと記憶します。
 潜在意識ではなくて、「小説の神様」みたいな言葉だったかも・・・。
 しかし、東西の小説家の物語作りの方法では、潜在意識の活用法が広く一般的に行われていることは、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知っているヒトならば、すぐに発見することが出来るくらいに、明白なことです。
 そこで、石田氏の小説作りの現場を紹介するその番組をみて、すぐに、石田氏も潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を使っていることを発見したわけです。

○番組の中で潜在意識を使って絵本の物語を作る実験をした
 その番組の中では、石田氏が、書斎にある辞書を手に持って三度適当に開いたページから目に付いた三つの言葉を使って、自殺しようと考えている少女をして自殺を思いとどまらせることが出来る内容の短い絵本の物語を、確か三日のうちに書くという課題に挑戦する様子も紹介していました。
 これを石田氏が行った過程は、正に潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法そのものに則った方法でした。

○出来た物語の批評―――余談
 この結果できた物語は、番組がお願いしたと思われる、何処かの女子高のクラスの皆に読んでもらって、批評してもらう、ということまでしていました。
 この中で、「説得力がなく、自殺を止められない」という意見がありましたが、私もそう思いました。

○無意識の意識化を左右するそのヒトの人間的な出来具合―――余談
 石田氏が作った絵本の物語はいま一つだった。
 この原因は何だったのか・・・。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則は、「求めよ。さらば与えられん。」の形で働く因果必然の法則です。これは、求めたとおりの結果を得る、ということです。
 これを言い換えて、「入ったもの/入れたものが出てくる」原理、山に向かって叫んだ通りにこだまが返ってくる「やまびこの法則」で働くと説明しています。
 このときに、実際に、潜在意識/無意識から何が返ってくるのかは、その人個人の「意識のある心」と「無意識の心」の中身次第です(この中身は何でも広く見聞きして自分なりに考えてみることや自分が直接体験して見ることで鍛えることができます。この場合、トースターの使い方の全体像のような良いモデルが役立ちます)。
 なぜならば、無意識の意識化は、常にその人らしくされるからです。
 無意識の意識化も、その人個人の意識と無意識の心が、絶対的な無意識の存在に繋がっている無意識からの情報を受け入れ、受けとめる準備が出来ていないと、日常生活で見聞きした通り一遍の世間的な常識や風潮等に沿ったものしか得られないものです。
 あなたもやればできる、と諭されても、「一度負けたらおしまい。再チャレンジは無理」という考え方を強固に持っていたら、この通りに考え行動することに自然になるでしょう。
 一言で言えば、無意識の情報の意識化は、その人の体験と知識と人間的な出来具合で決まります。
 こういう一般的な原因に加えて、説得力が今一つ無かった物語を作った石田氏は、自殺を決意したヒトの世界観や人間観や人生観を認識し理解する思考の枠組みとこれを訂正する知識と経験が不足しているからだ、と推測できます。
 話を、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法は未だ疑似科学扱いである話に戻します。

○世間体を憚ってか中々いわゆる超能力的なことを認めたがらない人たちの存在
 石田氏は、小説家という自らの仕事を、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法に自覚的に意図的に則ってされていることは、NHKの番組の映像で判断しても明らかです。
 しかし、秋葉原で事件を起こした人物は、ヒトとしての生き方(の原理があること)が分からず、潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知らないから、そんなことをしたのだ、と小説家の石田氏の立場では当然に出てきて良いはずの一言がありませんでした。
 大槻某教授も、自らが持参したスプーンを、目の前で清田某氏がいわゆる超能力で曲げるのを見て、そのときには、立会人の漫画家のつのだじろう氏も同席しているところで、清田某氏の超能力がインチキではなくて、本当にそういうことが在り得ると認めたのに、後になって全てのことが無かったことにする、と大槻某教授から一方的に言ってきた、という話もあります。
 この話は、次の本に載っています。
 森 達也(2001) スプーン 超能力者の日常と憂鬱 東京 飛鳥新社

 なお、この本の読後感を述べているブログをいくつか読みました。
 その感想は、超能力の科学的な根拠となるこの世界の成り立ちと仕組みと超能力の源になるヒトの心の起源と中身とその役割について、まったくご存知ではない方々がここにおられる、という一言にまとめることができます。

○一般法則論で変わることを期待
 森達也著の「スプーン」を読んだ方々の感想について、それは、超能力の科学的な根拠となるこの世界の成り立ちと仕組みと超能力の源になるヒトの心の起源と中身とその役割をまったくご存知ではないことに基づいている、と申し上げました。
 要するに、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みについても、ヒトの心とは何かについても、無知である、無意識にある生得的な知識の意識化が未だされてない、ということです。
 ということは、一般法則論が世の中の常識になれば、特に科学者の常識になれば、今の状況は変わり得る、ということです。
 潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知らないで生きるのは、誰にとっても人生における最悪かつ最大の悲劇だ、と申し上げることができるからです。

○この世界を科学的にみるということを知らない科学者たち
 一般法則論では、私たちが生きているこの世界の中で接する全ての現象/森羅万象は、例外なく、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きそのものの現われであるか、あるいはこれに根拠が正しくある方法でヒトが行動している結果が存在しているか、または、これを知らない人たちが自分たちで勝手にでっち上げた規則/ルールや方法で間違ったことをしている状態が出現しているか、の何れかだ、と理解しています。
 言い換えると、そこに働く何らかの法則の存在が無いという意味の「偶然」や「混沌」など、この世界には何処にも絶対に存在しない、ということです。
 この点に関して、法律家ならば、人間社会があるところには必ず法律の類が存在し絶対的に行われていて、そこには偶然など無いことを知っています。
 オカルト的な迷信家と世間から見られている神秘主義家の人たちも、この世界は因果必然の法則で全て造られていて、偶然のことなど何も無い、とよく知っています。
 しかし、科学者は、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きが宇宙大で絶対的に普遍的に存在し働いている自然の世界に直接接していながら、これを疑い続け、偶然の法則もこの世界には存在し働いている、と何かというと言います。これを、科学的な謙虚さと錯覚しているみたいです。

 この世界の現象を、すべて、そこに何かの法則が存在して働いた結果として見る。
 特に、その法則を、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギ一三位一体不可分の働きだと知る。
 これが、私たちが存在し生きているこの世界を科学的に見る方法です。
 これは、科学者たる者の常識、絶対常識であるはずです。

 しかし、物質的な、唯物論的な科学の信奉者であり、かつ、ヒトの心の起源とその中身と役割についてもまったく知らないことも知らない科学者は、例えば次のような現象を目の前にしたり、人の体験談として聞いたりすると、すぐにそれを否定し偶然であると言い張ったり、まったく聞かなかったことにして無視する態度にでます。
●いわゆる超能力を使った超常現象
●全身にガンが転移してもはや西洋医学では治療のしようが無い患者が、しばらくして元気になって現れて、医学検査でガンなど患者の体の何処にも無いことが分かったあと、それは神に祈ったら治ったと聞かされた場合など
 ガンが治った例は、「神に祈って病気が治せる」科学的な仕組みを自分が発見する機会にし得る、「セレンディピティ」の例に該当しそうです。
 しかし、西洋医学=唯物論的な科学では不治の病が、ヒトが生得的に持つ自然治癒力を活用する色々な代替医療で治っている体験談を幾らきかされても、多くのお医者さんが、それをただ無視し続けるのが、実情のようです。
 この事実は、医学界の外にいる私が知っている以上に深刻な問題らしい。
 これは、一重に、科学とは何か、科学的な世界観とは何かについて、科学者自身が、未だ一意的に/一義的にかつ客観的にかつ明確にかつ確定的に知らない、ということにあるに違いありません。

 一般法則論を人類の常識にしなければなりません。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 
 


「すべてのアメリカ人のための科学」という提言を知る

2008-03-15 17:07:43 | 一般法則論
 「すべてのアメリカ人のための科学」(Science for All Americans)という、アメリカ人一般の科学的リテラシー(基礎的な教養)を向上させようという提言「プロジェクト2061」を、民間団体の全米科学振興協会が、1989年からしていることを、数日前に知りました。

 日本では、文部科学省が音頭をとって、「すべてのアメリカ人のための科学」の日本版を作るプロジェクトが、「科学技術リテラシー構築のための調査研究」と言う形で既に始まっている、と知りました。

 「すべてのアメリカ人のための科学」については、これを紹介している日本のインターネットの次のサイトを読むと、その中身が分かります。
 科学技術リテラシー構築のための調査研究 研究の詳細と参考資料

http://www.jst.go.jp/shincho/db/seika/2006_s/2006_s_1/2006_s_1_4_kagakugijyutsu/2006_s_1_4_kagakugijyutsu_1_4_2.htm

 この中に、「すべてのアメリカ人のための科学」の目次が紹介されています。
 これを読むと、中に何が書かれているのかが推測できます。

 また、「すべてのアメリカ人のための科学」の序文についても、抜粋が紹介されています。
 これを読むと、「提言された内容、即ち、知識と技能」は、有用性/社会的責任/知識の内的価値/哲学的価値/少年期の豊かさ等に貢献すべきものだ、と書いてあります。
 更に、「すべてのアメリカ人のための科学」の中身は、生物学・健康科学パネル報告書/数学パネル報告書/物理学・情報科学・工学パネル報告書/社会科学・行動科学パネル報告書/技術パネル報告書で構成されていることが紹介されていて、その目次も紹介されています。

 これは、「すべてのアメリカ人のための科学的なリテラシー」向上に関する提言が目配りすべき範囲を意識化し自覚化しているものとして、同じく、一般法則論の形で、「宇宙大で通用する地球人の為の哲学的なリテラシー」(この中に、哲学はもとより、科学・技術と宗教とヒトとしての日々の生き方の原理等を含みます)の向上を意図している一般法則論者としては、とても参考になります。

 ただ、「すべてのアメリカ人のための科学」には、「自然科学とは、ヒトが作ったのでは無い、私たち全てがこの世界に生まれる前に、既に万人に等しく客観的に絶対的に普遍的に不変的に実在する天然自然の世界の成り立ちと仕組みを、(天然自然の存在の創造主である神+)自然法則+エネルギー一体不可分の働きで説明尽くそうとする学問である」式の科学の定義が無いようです、自然科学についてどう定義しているか、興味津々で接したのですが・・・。

 一般法則論の哲学的な強みと言えば、「絶対的な無意識の存在(創造主である神)の意識化」を原理としているいわゆる「悟りの体験」の仕組みを明らかにし、創造主である神の存在証明をヒトがするのではなくて創造主である神自らにさせ=自然科学的にし、この世界の成り立ちと仕組みは天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られている、と言い切っているところでしょう。

 なお、一般法則論で言う天然自然の存在の「創造主である神」を因数分解すると、次のようになっています。
 創造主である神=〔創造主である神、自然法則、エネルギー〕

 そして、一般法則論は、ヒトの存在理由/存在目的と人類史的な使命を明らかにし、天然自然の存在の創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みから、これを前提にしたヒトとしての生き方の原理とその実際まで首尾一貫した論理で説明しているところに一番の利点がある、と思っています(今の段階は一般法則論の自己宣伝に努めなくてはならない所、と自覚しています)。即ち----

 この世界を造っている原理(ヒトとヒトが住むこの世界の成り立ちと仕組みの存在理由と存在目的を明らかにする、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き)=ヒトの心の中身とその働きの原理=この世界を認識し理解する原理=この世界の中でヒトがヒトとして生きる原理・生きる拠り所になる原理=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きを丸ごと活用する、潜在意識の法則(引き寄せの法則)の活用法を身に付けること。

 正直なところ、「すべてのアメリカ人のための科学」も日本版のそれも、一般法則論の「宇宙大で通用する地球人の為の哲学的なリテラシー」でカバーできる、と思い、「やれやれ・・・」というと気持ちです。
 1963年の秋、23才の時に悟りの体験をして以来、その中身をどう説明したら良いのか、「天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き」=無意識の力の導きのみを頼りにして試行錯誤をして来て、途中何度か「これで良いのか?!」という迷いとも戦いながら、やっとその目処が出来た、という所まで来ましたから・・・。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 投稿したその直後から、誤記等に気が付くことが、未だ続いています。


○「エネルギーは創造主である神の心身」云々に関する誤解を解く

2008-03-14 21:51:39 | 一般法則論
○「エネルギーは創造主である神の心身」云々に関する誤解を解く
 一般法則論の説明の中で-----
 なぜ、(天然自然の存在の)「創造主である神の心身」が、自然科学で言う「エネルギー」に、また、創造主である神の「天地創造の原理」が「自然法則」にそれぞれ該当するのか?
 このことについて、簡単に説明をしておきます。

○この世界は私たち全てに先立って存在していた
 私たちが住む太陽系を含むこの宇宙の存在は、私たち全てがこの世界に生まれる前に、天然自然の存在の創造主である神によって、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きによって、全て造られたものです。
 私たちがこの世界に生まれると同時に、否応なしに、既に造られて存在しているこの世界の中に自動的かつ必然的に組み込まれる形で、この世界の成り立ちと仕組みが与えられます。
 自分が生まれる前に既にあった文化・文明や人類の歴史についても、全ての人が、同じくその中に自動的かつ必然的に組み込まれる形で生まれてくることでも話は同じです。

 また、私たちヒトという存在も、自らがヒトであるという自覚を持つ前に、既に、創造主である神によって造られた存在です。
 以上のことは、宇宙大で客観的に絶対的に普遍的に認めることができる事実であり、真理です。
 この事実/真理を、一般法則論者と自然科学者はもちろん、全ての人が最初から一つに共有しています。
 この結果、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中で、一般法則論で言う創造主である神の心身と創造主である神の天地創造は、自然科学にとっても、一つ同じものになります。

○自然科学の目で見直す
 この世界は、創造主である神が、自らの心身を、天地創造の原理に則って、自己展開する形で造った(この過程を自然史とすると、人類が天地創造の原理に則って作りつつ有るのが人類史。これについては余談として別の文)。
 この事実を、自然法則+エネルギー一体不可分の働きでこの世界の成り立ちと仕組みを説明する自然科学の目で見直して見ましょう。
 そうすると、「創造主である神の心身」とは、自然科学で言う「エネルギー」のことだ、と分かります。
 同様に、「創造主である神の天地創造の原理」は、自然科学的には「自然法則」のことだ、と分かります。

○名付けの順序
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中では、「創造主である神の心身」が、エネルギーという言葉よりも先に存在していました。
 同じく、「創造主である神の天地創造の原理」が、自然法則という言葉に先立って存在していました。
 また、創造主である神の心身も、創造主である神の天地創造の原理も、共に、万人にとって、万人に先立って、客観的に絶対的に普遍的に実在しています。
 即ち、一般法則論者にとっても、自然科学者にとっても、創造主である神の心身と創造主である神の天地創造の原理は、共に、先に実在していることになります。
 そこで、「創造主である神の心身」を「エネルギー」と名付け、「天地創造の原理」を「自然法則」と名付けて呼んでも良いことになります。
 この理を理解していないと、なぜ(例えば)エネルギーが創造主である神の心身を指す/意味するのか? という話しの順序/名付けの順序が転倒した疑問をもって間違って悩むことになります。

○ブタの名前の付け方 -般意味論的な常識
 念を押すとブタを豚と名付けて呼ぶ必然性は何も無いように(現に生物学的には一つ同じブタについて異なる言語ごとに異なる名前を付けて呼んでいます)、創造主である神の心身や創造主である神の天地創造の原理を、エネルギーや自然法則と名付けて呼ぶ必然性は無い、ということです。→一般意味論的常識。正しい名前が在るという迷信。
 つまり、創造主である神の心身のことを、「エネルギー」以外の名前を付けて呼んでも良い訳です。
 しかし、この世界の成り立ちと仕組みを造っている、唯一絶対普遍かつ客観的に実在する基本的な要素である「創造主である神の心身」をヒトそれぞれに勝手な名前を付けて呼ぶのでは、他者に話しが通じなくなります。
 そこで、「創造主である神の心身」と「創造主である神の天地創造の原理」を指して言う呼び名を、今では地球人全体で唯一殆ど無条件・無留保で共有し得る「世界観」/「自然観」を提供している自然科学の分野で、それぞれ、「エネルギー」と「自然法則」と言っている言語習慣を尊重して、この呼び名を地球大で万人が一つに共有する用語にしようと、一般法則論では意図している訳です。
 なお、エネルギーという言葉はとにかく、自然法則という言葉は、物理・化学の辞典にも独立の項目として載ってはいませんので、未だ学術用語ではないようです。

○一般法則論の説明に当たって勝手に新語を作らないようにしている
 一般法則論で、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きでこの世界の成り立ちと仕組みを造っている神仏の存在について、「何か偉大な存在」とか「それ」とか「何とかの神」とか「何とかの大明神」とか、勝手に独自の名前を付けて呼ばないのも、一般法則論でのエネルギーと自然法則に関する名付けの原則が同じく当て嵌まります。

 また、無我・無心・無私・直感、直観など、日本文化・文明の中では日常的に使われていて、私たちには辞書で一々確かめなくても直感的に分かる言葉=日常言葉についても、一般法則論的な新語を使わずにその儘使っています。
 但し、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みの中で、これらの日常言葉が指し示す「現地その物」は何かを説明することは、出来る限りしているつもりです。例えば、創造主である神について、その存在証明をして・・・。

○無我・無心・無私でこの世界の成り立ちと仕組みに直接向かい合う状態
 無我・無心・無私でこの世界の成り立ちと仕組みの丸ごと全体に直接向かい合う状態に入ったときにこれをこう説明する用語を知らない欧米の人達は、それを「ゾーンに入る」(メンタル・トレーニングや神経言語プログラミング=NLPなどの分野)(注記1)/「完璧な自信と集中力を漲らせ、神がかり的、奇蹟的な好プレーを連続させる理想的な心理状態=メンタル・タフネス」(注記2)などと表現しますね。

 しかし、「この世界を造っている原理(天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き)=ヒトの心の中身とその働きの原理=この世界を認識し理解する原理=この世界の中でヒトがヒトとして生きる原理・生きる拠り所になる原理=潜在意識の法則(引き寄せの法則)の活用法」という一連の原理的関係を前提で考えると---
 天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られているこの世界の成り立ちと仕組みそのもの丸ごと全体に、無条件・無留保で、無我、無心、無私になって素直に謙虚に向き合う瞬間は、この世界を造っている原理と(途中の原理を括弧に入れて)潜在意識の法則の活用とが直結した状態になっている、と言うことができます。
 この意味で、ゾーンに入るとか言うよりも、これを端的に「この世界の成り立ちと仕組みそのもの丸ごと全体に、無条件・無留保で、無我、無心、無私になって素直に謙虚に向き合う瞬間」というのが、良いのではないか・・・、と思います。

○注記1 ゾーンとNLPに関しては株式投資家の心理面での強化の必要性を説く本
 株式(証券)投資に成功するために必要不可欠な心理面での条件/心の構えがあり、これを知ってその強化の方法を説く本が現れました。
 マーク・ダグラス(?) 世良敬明訳(2007) ゾーン 相場心理学入門 東京 パンローリング
 エイドリアン・ラリス・ダグラス(2001年) 井上 実訳(2008年) NLPトレーディング 東京 パンローリング

○注記2 メンタル・タフネスについて
 ジム・レーヤー(1987年) 小林信也訳(1987年) メンタル・タフネス 東京 TBSブリタニカ

○一般法則論的な意味の天然自然の存在の創造主である神を色々に名付けて呼ぶ
 宗教学では、仏教でいう仏とキリスト教などで言う神や神道でいうカミ等を区別します。
 しかし、一般法則論では、現地=天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きに於ける創造主である神そのもの=神の実物/実体を、地図化している人たち=実物の神を認識した人たちがそれぞれ異なる名前、即ち、仏、神、カミ等と名付けて呼んでいる、と理解しています。
 一つ同じ実体について沢山の名前/呼び名があるのは、ブタの名前が言語毎に異なるのと本質的に同じです。

○仏の慈悲と神の愛の違いを論じる人もいますが・・・
 仏の「慈悲」とキリスト教で言う「神の愛」とはどう異なるか? と大真面目に論じている論文もあるようです。
 この話の大本は、一般法則論で言う「天然自然の存在の創造主である神の愛」そのもの=現地について、仏教とキリスト教それぞれの立場で異なる「地図」を作った、ということでしょう。
 仏の慈悲と神の愛の大本になる、一般法則論で言う「創造主である神の愛」そのもの=「現地そのもの」を明確に説明しないで、或いは、現地その物を直接体験する方法を説明しないで、「創造主である神の愛」という実体はただ一つの同じ物に関する異なる地図の違いを、あたかも「創造主である神の愛」そのものに地図と同じ違いがあるみたいに論じているようなものだ、と私は理解しています。

○一般法則論的な意味の天然自然の存在の創造主である神を「神仏」と言うとき
 神とカミと仏を区別しない日本文化・文明独自の考え方がある、と思います。
 「世界は江戸化する」等の著書でお馴染みの、「日本文化・文明は現在の世界が抱えている諸問題をとっくの昔に解決済み」と言われる日下公人氏は、日本独自の神道の他に、外国から入って来た諸宗教、即ち仏教、儒教、道教、景教、回教その他を全部一つに足して、その良いとこ取りをして、新しく「日本教」/「日の丸教」を作って、世界に先駆けて全宗教の統一と総合化を果たして、宗教信仰の対立を無くしていると言います。
 それも、このことを、もうとっくの昔にやり遂げた、という訳です。
 この日本的な宗教環境の下で、全宗教の神を一つにまとめて、「神仏」と呼ぶのが、日本文化・文明の用語法、ということです。こう私は理解しています。

 日本以外の文化・文明では未だに、諸思想・諸哲学や全宗教の統一と総合化ができないでいます。
 これが未だ分からない人達が日本にもいて、日本国内でも自分達が信仰する宗教宗派を唯一絶対のものにしようと、覇権争いをしています・・・。
 唯物論に基づくマルクス主義や社会主義等は、ヒトが抱える諸問題の根本的な解決には実際に無力で、人々の間に対立と争いをもたらして、その良き人格/人間性を破壊して、社会の中に憎しみと暴力を常態化させるだけなのに、未だにこの思想が唯一絶対普遍かつ至高のものだと言い張る人達が、政治の世界だけでなく、教育やマスコミの世界を支配しています。この悪魔の思想は、一般法則論の常識化で自然消滅を待つしかありません。
 御本人達は仮令認めなくても、それでもこの世界の成り立ちと仕組みは、一個人がでっち上げたマルクス主義等で出来ているのではなくて、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来ているし、彼らも、天然自然の存在の創造主である神の化身かつ分身の存在として造られているヒトとして生きるのが一番相応しく、これが、党中央や政治や有名な進歩的な文化人などに頼らなくても自らの主体的な自由な判断と決断で自然に楽しく生きて幸せになれる一番の方法だと自然に知る時が来るのは、一般法則論的には明らかだからです。

○纏め
 一般法則論で言う、天然自然の存在の創造主である神の心身と創造主である神の天地創造の原理を、自然科学ではそれぞれエネルギーと自然法則と呼ぶのは、別に一般法則論者の私一人の独断でも勝手でもない、という話を、余談を交えてしました。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。


井上順孝・國學院大学教授等による大学生の宗教意識調査に関する新聞記事

2008-03-05 01:35:44 | 一般法則論
○井上順孝・國學院大学教授等による大学生の宗教意識調査に関する新聞記事
 読売新聞2008年3月4日の夕刊に、井上順孝・國學院大学教授を中心にする研究グループが、日本と韓国の大学生を対象に、宗教意識に関する調査を行って明からなったことを紹介する記事があります。
 なお、報告書は実費で配付中。問い合わせ先は国学院大03・5466・0205

 この調査によると、日本の大学生では全体の87%が、「命の大切さを教える授業を充実させた方がいい」と答えているそうです。
 また、「高校までに日本や世界の宗教文化について基礎的な知識を学ぶべきだ」と答えた大学生は80%にもなるそうです。

○この記事を読んで思うこと
 この報告書に関する記事を読んで、高校までに日本と世界の宗教文化に学んでおくべきだ、という回答が80%にも達しているのは意外でした。
 この背景には何があるのか?
 宗教文化は人間/自分にとって如何なる意味を持つものだ、と考えているのかによって、宗教文化は彼ら大学生にとって肯定的な意味にも否定的な意味にもなり得ます。

○一般法則論の宗教観
 宗教(宗教文化)とは何か?
 一般法則論的な答え。
 宗教は、いわゆる神仏の存在を認め、神仏が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中で、(現世のことだけではなくて来世を含めて)人としてあるべき良い/善い生き方の原理とこの原理に基づいた人としての実際の生き方を説くもの、です。

 問題は、以下の点で多くの宗教宗派の説明が曖昧であることです。
①その神仏とは如何なる存在であるのか、
②神仏が造ったこの世界の成り立ちと仕組みはどうなっているのか、
③神仏の存在と人(個人と人類の両方)との関係はどうなっているのか、
④・・・

 加えて、その宗教宗派の信者の信仰を組織化して強化し支え継続させるための教団が、信仰これ自体や信者の教化や保護等をそっちのけにして、教団の組織の運営に係わる人達の野心や私利私欲を満たす為の存在にいつの間にかなってしまう例を、普遍的に観察することができます。
 つまり、宗教文化は、人の良い/善い生き方の原理を元にした人の実際の生き方を純粋に説くものではなく、教団の組織の運営に係わる人達の野心や私利私欲を満たす為に、信者に他の宗教宗派との争いの方を要求するような、著しく歪んだものになっています。

 昔から手を変え品を変えて繰り返されてきたのは、悟りが得られるという宗教を騙って、自分を教祖にして、自らの性的な欲望を満たすために、もっともらしい教えを説いて、信者を毒牙にかける式のもの。
 最近では韓国発の「摂理」。
 1970年代の「和尚」ことバグワン・ラジネーシによる老子や荘子の教え(を自らの悟りの体験による裏付けもなしに丸暗記したものと私は理解していました)を説きながらフリー・セックスが目的の集団。
 古くは、立川流真言など。

 ついでに言えば、悟りの体験は、性行為の中では原理的に得られません。
 悟りの体験は、絶対的無意識の存在の創造主である神を意識化して確かめることを原理としている体験だからです。

 これでは、純粋に宗教文化を求める若者達の要求に真正面から応えることができません。
 あなたなら、善い/良い宗教文化を求めているに違いない若者達のために、何が出来、何をしますか?

○宗教的・スピリチュアルな生き方に関する一般法則論の常識的な答え
 宗教的・スピリチュアルな生き方に関する一般法則論の「常識的な答え」と言いました。
 ここで言う「常識的な答え」とは、この世界にヒトとして生まれた人の全てが、無意識的に生得的に本能的に、一般法則論で説明しているようことを既に知っている、という程の意味です。
 実際、一般法則論とはまったく関係なく、一般法則論で説明しているのと同じことを説く方々のブログがあります。
 引き寄せの法則を説く本も、この例になります。
 マイケル・J・ロオジェ(2003・2006) 石井裕之監修(2007) 引き寄せの法則 東京 講談社 黄色の表紙の本。あなたは既に読みましたか?

 一般法則論では、全ての人がこの世界に誕生する前からそれ自体で独自に存在し、私たち全ての創造主になった天然自然の存在の創造主である神の存在証明をして、この世界の成り立ちと仕組みは、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで全て造られている、と説明します。
 そして、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きということを敷衍して、次のような原理があることを指摘します。

 この世界を造っている原理(天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き)=ヒトの心の中身とその働きの原理=この世界を認識し理解する原理(→言語能力と表裏一体。一般意味論で言う「現地と地図との関係の比喩」の自覚的かつ意図的な採用)=この世界の中で生きる原理・生きる拠り所になる原理=潜在意識の法則(引き寄せの法則)の活用法。

 話は、ここまで徹底しないと、日常生活の中で、一生涯を通して本当に実用になる本物の宗教文化を説明したことにはならないでしょう。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。


追記
 tanpopoさま
 ご理解とご支援に感謝します。
 世界がこれ本来通りの良い方向に向くように、微力ながら尽力をしたい。


一般法則論で言う「哲学」  木田元 反哲学入門の紹介記事を読んで

2008-02-14 04:20:22 | 一般法則論
 一般法則論で言う「哲学」  木田元 反哲学入門の紹介記事を読んで
 この文では、一般法則論でいう「哲学」について、説明をします。

○哲学とは何をすることか  木田元 反哲学入門(新潮社)の場合
 2月13日(2008年)の読売新聞の夕刊に、木田元 反哲学入門(新潮社)の紹介記事がありました。短い文なので、全文を引用します。
 「自然を超越した原理を設定し、それを参照しながら存在するもの全体を問う思考様式が、哲学だ。それが、自然を対象化する発想のない日本になじむ筈がない。キリスト教神学は超越する神を想定し、知を通して神に迫った。哲学は神を理性に置き換え、(注記 理性を神として)世界と人間を問うてきた。本書は、西洋思想のエッセッスを理解し相対化するための、読む思想史入門だ。」

○私の知っている哲学とは
 私が、哲学に関する「図解書」などで知っている哲学とは、私たちが生きているこの世界を造り支えている根源的な原理を明らかにするのが哲学だ、というものです。
 そして、この世界を造り支えている根源的な原理は何かを、真面目に真剣にトコトン追求していくと、最後は、否応なしに、この世界を創造した神の存在の有無に必ず行き着くことにならざるを得ない、と言います。
 この世界を創造した神の存在の有無にまでその哲学的な思考が及ばないのは、本物の哲学思考をしているとは言い難い、とさへ言われています。

○実際の哲学的な思考の成果
 実際の哲学的思考では、と言っても、殆ど哲学は西洋のものですがーーーー
 神の存在証明を試みて、哲学者の誰も未だ成功してないとか・・・。
 この世界の成り立ちと仕組みを自然法則+エネルギー一体不可分の働きの現れと理解して、自然を自然法則+エネルギー一体不可分の働きで解明して大成功している科学・技術を全く無視し、哲学的な思考をするに先立って全てを疑い、哲学的な思考に何の前提を認めず、置かず、現に実在している自然法則+エネルギー一体不可分の働きも無視した「哲学的な思考」をして、この結果は、多くの哲学者が、それぞれに存在論とか認識論とかをそれぞれ別々に個別的に独自(哲学者一人一説!)に論じて話が纏まらないとか・・・
 哲学は(原理的に?!)人の生き方の原理を明らかにすることができないので実用にはならない、と哲学者自身が宣言する、というものです。

○一般法則論との違い
 西洋の哲学が、今現在もたらしているものについて、一言簡単に指摘しました。
 この点に関しては、この世界の成り立ちと仕組みは、天然自然の存在の創造主である神の存在証明を一義的/一意的に明確に確定的にかつ客観的にして、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られており、そして、この世界を造っている原理=この世界を認識し理解する原理=この世界の中で生きる原理・生きる拠り所になる原理の関係があり、人としての生き方は、結局生きているこの世界の科学的・学問的な発見とその解明に掛かっている、という一般法則論とは大違いである訳です。

○「反哲学入門」の紹介記事に対する一般法則論的な突っ込み
 一般法則論論者の私がこの文を読んで解釈したことは、以下の通りです。
 哲学は、「自然を超越した原理を設定し」てしまうもののようです。
 その原理とは、ここでの文脈で言うと、「理性という神」のことのようです。
 しかし、何を根拠にして、この原理を設定できるのでしょうか?
 これが、ここだけの文では分かりませんね。

 一般法則論では、創造主である神は自らが造った世界を絶対的に超越して存在しつつ、同時に、この世界の全てを自らの身心を自己展開する形で造っている汎神論的な世界です。 

○特に「自然を対象化する発想のない日本」に関して
 ここに引用した文の中で、「自然を対象化する発想のない日本」と言っています。
 これは、本当でしょうか?
 正確には、西洋哲学式の「自然を超越した原理を(自覚的に意図的に勝手に?!)設定」してから、この設定した原理に基づいて自然を見る考え方を、日本、日本民族/日本人はしない、という意味でしょう。
 言い換えると、日本では、日本民族/日本人は、西洋とは異なる原理で自然を対象化し、理解している、と言うのが良いのではないでしょうか。

○日本民族/日本人の自然との係わり方
 日本人は、縄文の時代から今日まで、大自然と一体不可分で、大自然の中に埋没して存在し、自然を全く意識せず、自然の中で無我夢中で生きてきた訳ではありません。
 狩猟をするのでも、漁業をするのでも、農業をするのでも、槍や鏃(やじり)や刀のような武器を作るのでも、土器などの生活道具を作るのても、鎌などの農具を作るのでも、否応なしに自然に自然と直接的に向き合い、自然を意識化して、これとの対応の仕方を試行錯誤して正しいかつ的確な方法を見つけて来た、と言うべきでしょう。
 日本の農民一般が持つ農業技術は、世界的にみても、とても高度で精密なものだ、と聞いています。
 この結果が、現在の「クール・ジャパン(恰好良い日本)」と賞賛される日本文化の繁栄の基になっているし、日本人が得意とする精密な物作りの技術になっている、と言って良いでしょう。
 また、日本の四季の変化に富む自然に接して、例えば雨の降り方を細かく区別して表現する感覚=言葉による表現を発達させたり、俳句や和歌など自然を歌った文学も盛んです。
 こういうことは全て、「自然を対象化する発想」がなければ生まれなかった、と断言して良いでしょう。

○日本民族/日本人の自然観とこれを支える原理
 では、日本民族/日本人が自然に接するこれらの根底に、何か日本民族/日本人特有の、世界の他の民族には無い独自の自然観やこれを支える何かの原理があるのでしょうか?
 それがある、と私は思います。
 それは、天然自然を丸ごと一つのものと受け止めて、これに対して、「現物・現場・現実尊重原理」とでも言うべきもので接して、それ自体で在るようにして在る自然に忠実に精密に寄り添う行動様式を発達させてきたことではないのか、ということです。→借景

○自然との係わり方が人格の陶冶まで行く  華道など「道」を説く考え方
 しかも、同時に、大自然に、「現物・現場・現実尊重原理」とでも言うべきもので接して、それ自体で在るようにして在る天然自然により忠実により精密に寄り添って、より満足の行く完全完璧な物を作るには、これをする人が、自然を前にして、天然自然の仕組みなど自分は実は殆ど知らないことを発見し自覚し、「俺が俺が」という自己主張や、自分の個性や独自性の主張を引っ込めて、自然の前に無我・無心になり、謙虚に己を虚しくすることが必須であることを発見し、自然に求道的になり、自然の道を究め、これを実際に可能にする自らの人格(=天然自然の在り方により忠実に精密に寄り添った行動の仕方の型)を磨くことに到った、ということでしょう。
 これが、「華道」や「茶道」や「剣道」と言った、「~道」がついたハウツー物を生み出した原因でしょう。
 古典芸能の世界では、「芸の道はその人の人格の陶冶と表裏一体」という言われていることを知っています。

○上の説明の一般法則論的な根拠の説明が必要ですね
 日本民族・日本人の自然観や自然との接し方の原理の根拠になるものを、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで説明するこの世界の成り立ちと仕組みの中にちゃんと位置づけて説明する文が、ここに必要ですね。
 そこで、この文を、後で付け加えるつもりです。
 2008.02.14 19・19

○「華道」・「茶道」・「剣道」は韓国起源である筈が無い!
 日本人のような自然観や自然との接し方を知らないように見える韓国・朝鮮で、朝鮮人が、「華道」や「茶道」や「剣道」を生んで、日本に伝えた、という主張を、韓国・朝鮮の人達がしている、という話を聞いています。
 しかし、今説明したように考えると、また、人としての最高の生き方の原理だと思い定めた儒教的行動様式を究め、儒教に基づいて政治をする人達にとっては、物作りなどは卑しい仕事であるという文化の下で、韓国・朝鮮の人達は、たとえ逆立ちしても、「華道」や「茶道」や「剣道」を独自に生み出せない、と言い切って良いでしょう。

○結論めいたことを言えば・・・
 西洋哲学式の思考方法は、現在明らかなように、成功しているとはとても言えません。
 「神は死んだ」とニーチェが言ったときに、西洋哲学も一緒に破綻し死んでしまった、と言って良いでしょう。
 フランスでは、高校で哲学の授業が必須だ、と聞きます。
 しかし、その哲学の授業で、人間とは何か、人としての生き方の原理は何かを学んでいないことは、政府が、働き方が悪ければ解雇もあり得る自由主義的な雇用形態を産業界に導入しようとしたら、若者達が大騒ぎをして反対した一事を持ってしても明らかです。

 この話は差し置いても、西洋哲学が、人類にとって、唯一可能な普遍的で絶対的な哲学の仕方、とは到底思えません。
 日本民族/日本人が、西洋哲学的な思考が出来なくても、少しも困ることはありません。
 それどころか、日本民族/日本人が「日本の文化」の形にまとめあげているその根底にある自然観や自然との接し方の原理(「現物・現場・現実尊重原理」)の方が、人類にとってより普遍的だ、とさへ言えます。→例えば、植林の文化

 自然科学者の間に、西洋哲学は、自然科学の成果の後追いをしているだけで、自然科学を導くような独自の物が何も無い、という認識がある、と知りました。
 まったく、この通りだ、と言えます。

 この点では、一般法則論は、自然科学とは、この世界の成り立ちと仕組みを自然法則+エネルギー一体不可分の働きで説明し尽くそうとしている学問である、と定義して、これを十全に行うには、天然自然の存在の創造主である神を自然科学的に発見して取り入れる必要性を説いたり、自然法則とエネルギーの持つ性質や働き方の原理や自然法則とエネルギーとの間にある関係など、自然科学を始めとする学問一般の基礎になる原理を独自に説明しているし、例えば、超弦理論には、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているこの世界の成り立ちと仕組みに根拠が無いことを指摘しているように、「一般法則論」の形の哲学は自然科学の後追いだけでは無いことを、広く一般的に認めて頂けるものと思います。
 また、私たち人類がこの世界に誕生する前から、この世界は存在し、そこでは既に天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きがあった、と指摘して、この事実を、全人類が一つに共有できる共通の客観的な世界認識と生き方の原理にしようという提案を、一般法則論ではしていますが、この点でも、これまでの哲学の射程を遙かに越えるものだ、と広く一般的に認めて頂けるものと思います。

 この話、まだ書きかけの感じがしています。
 しかし、心ならずも文を載せる間隔が開いているので、話の途中ですが、とにかく公開します。
 例により、誤記・誤字・脱字等があれば、気付き次第、訂正します。

 追記
 2月13日(2008年)の新聞の朝刊に載っていた女性週刊誌の記事の紹介広告に、次のことが載っていました。

 草刈民代(42)「子供を生みたい」でバレエ引退

 草刈民代さんと言えば、「Shall we dance?」という映画で、とても美しいダンスを見せて下さった方、と私は記憶しています。
 この女性週刊誌の記事の広告を読んで、草刈民代さんの願い通りになるように、陰ながら神に祈りたいと思いました。
 なお----
 神=この世界の成り立ちと仕組みの全てを造り支配し秩序付けている天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働き=潜在意識の法則=引き寄せの法則、です。
                   以上

明けましておめでとうございます

2008-01-01 00:46:51 | 一般法則論
 新年、明けましておめでとうございます。
 平成二十年(2008年)  元旦

 一般法則論を、今年もよろしくお願いいたします。

 昨年からの積み残しがあります。
 これもできるだけ早く片づけます。

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