いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

自然科学の定義の変更  自然法則、エネルギー、偶然の法則

2010-01-28 01:51:58 | 一口解説/一口メモ
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対


○科学の定義を変更します
 自然科学という学問は、この世界の成り立ちと仕組み、特に物質で出来た世界を、自然法則とエネルギーの2語で説明し尽くせると考える学問、とこれまでここでは繰り返し述べてきました。
 しかし、この考え方は、不完全だと気付きました。
 そこで、自然科学について、新しい定義をします。

○私たちヒトと言う存在とヒトが生れ住むこの世界の成り立ちと仕組みを何語で説明できるか?
 一般法則論では、これまで、自然科学は、この世界の成り立ちと仕組みを、特に物質的な世界/物質界/物質世界の成り立ちと仕組みを、自然法則とエネルギーの2語で説明し尽くそうという学問的理論だ、と説明して来ました。
 これに対して、物質世界とヒトの心の世界(精神界/精神的な世界/精神世界)とを合わせて一つに総合化して統一的に説明するには、Ω神(オメガシン)=創造主である神(とその天地創造の目的)+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで説明する必要がある、と一般法則論では説明して来ました。
 即ち、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)から成るこの世界の成り立ちと仕組みの全体を丸ごと説明するには、Ω神=創造主である神(とその天地創造の目的)、自然法則、エネルギーの3語が必要不可欠だ、ということです。
 この3語から論理必然的に派生する、例えば、創造主である神の天地創造の目的、自然法則の働き方の原理、自然法則とエネルギーとの間の一体不可分の関係とその働きなど、基本的な概念も必要とします。
 なお、これらは、一般法則論を正確に精密に説明するために必要な専門的な術語/専門語のつもりです。
 この点は無条件に受け入れ下さらないと、一般法則論の説明が分からなくなります。

○自然科学を再定義 自然法則+エネルギー+偶然の法則の3語
 これまで、自然科学は、この世界の成り立ちと仕組みを自然法則とエネルギーの2語で説明し尽くそうとする学問的な理論だ、と一般法則論では言ってきました。
 しかし、自然科学の実際に即して正確に言えばーーー、
 自然科学は、自然法則とエネルギーの2語に加えて、この世界の成り立ちと仕組みの創造主である神に当る存在を認めないことに端を発した「(確率的)偶然」という概念を持ち出してこの世界の成り立ちと仕組みを説明するもの、と定義すべきもののようです。
 例えば、137億年前のビック・バンに始まったとされる宇宙の創世は、量子論的な偶然の揺らぎに基づいて始まった、と天文物理学者は主張します。
 この結果、偶然に造られたこの世界の成り立ちと仕組みには、存在理由も存在目的も無い、と自然科学者は断言して憚りません。
 更に、この世界の成り立ちと仕組みの中に、偶然の積み重ねで行われた進化の過程を経て生れたヒトにも、最初から、何の存在理由も存在目的も無い!!! と生物学者は断定しています。
 これは、一般法則論者の私が勝手に決め付けている話では無いことは、常識に属する、と申し上げても良いでしょう。

○天然自然の存在の創造主である神を認めない不都合は自然科学者も直感的に知っているはず
 自然科学者が、天地創造の瞬間に、偶然の法則を持ち出さなければならなかったのは、創造主である神そのものか、これに代わる何かの存在抜きには、天地創造が行われなかった、と直感的に理解していたからでしょう。
 自然科学者も、自然法則とエネルギーの2つの概念のみでは天地創造の瞬間を説明するのは無理で、自然法則とエネルギーの他に、これらをいわば道具にして天地創造を行った存在、いわゆる創造主である神が必要だ、と気付いているでしょう
 しかし、自然科学者には、一般法則論で「慣性の法則」を自覚的な知識にすることによってその存在証明をしている天然自然の存在の創造主である神を思いつかなかったのでしょう。
 創造主である神と言えば、市井の人たちの常識と同じように、宗教学や社会学が学問の対象にしている文化・文明現象の宗教信仰の中のヒトがでっち上げた物と観念されている創造主である神しか、自然科学者も知らず、これが創造主である神の存在に関する全ての知識と勝手に思い込んでいることにあるのでしょう。
 それに、一般法則論で説明しているように、自然科学者も含めて、全てのヒトは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)から成るこの世界の成り立ちと仕組みの絶対的かつ宇宙大で普遍的な存在の天然自然の創造主であるΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトです。
 この情報は、自然科学者の無意識にも生得的に書き込まれています。
 ということは、この世界は物質のみで全て出来ている世界のみが唯一の実在という唯物論者の自然科学者も、一般法則論で言う意味の悟りの体験ができるということです。
 言い換えると、唯物論者の自然科学者にも、一般法則論が理解し受け入れることができる、ということです。

○偶然と言う概念は偶然を否定する因果必然の自然法則の概念と絶対的に矛盾します
 この世界の成り立ちと仕組みを、自然法則+エネルギー+偶然の法則の3語で説明する。
 しかし、偶然という概念は、自然法則が「偶然を否定する」因果必然の法則であるという科学者一般の理解と本質的に矛盾します。
 この点に関して、天文物理学者の説明はありません。
 なお、自然法則とは、原因と結果の間を客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に結び付けている因果必然の天然自然の法則です。
 天然自然の法則とは、法律やゲームの規則のような、ヒトが人工的に作ったもの、では無い、という意味です。

○偶然という概念と因果必然の天然自然の法則である自然法則とが矛盾する理論的な根拠の説明
 自然科学の常識では、137億年前の天地創造の瞬間にも、自然法則が存在し働いていたことを認めています。
 その自然法則は、今も少しも変わらずにそのままの形で働いていることも、自然科学者は知っています。
 その自然法則は、今も少しも変わらずにそのままの形で働いていることも、自然科学者は知っています。
 この根拠は、自然法則は「時間という属性」を全く知らず、今と昔の区別を自然法則は知らないことにあります。そこで、例えばVTRに録画した映像を逆回しに再生することができるわけです。なお、時間と言う属性を担っているのは、エネルギーの専売特許的な役割です。
 そして、自然法則は、偶然の出来事を絶対的に否定する天然自然の法則です。
 自然科学者もこのことは知っています。
 そこで、それがたとえ天地創造の最初の瞬間だろうと、因果必然の天然自然の法則とこれを否定する偶然の法則が同時に存在して一緒に、或いは因果必然の法則と偶然の法則とが順次に働いた、というのは無理のある考え方/理論です。

○正しい考え方
 ヒトの存在を含むこの世界の成り立ちと仕組みを説明するのに、自然法則+エネルギー+偶然の法則の3語では、不都合で具合が悪いのは明らかです。 
 正しくは、物質世界だけでなく、精神世界も丸ごと説明できる、Ω神=創造主である神(とその天地創造の目的)+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きでこの世界の成り立ちと仕組みを説明するのが正解でしょう。
 これにより、天然自然の存在の創造主である神の存在証明も、ヒトの持つ意識のある心の起源とその役割も、ヒトとヒトの住む世界の存在目的等も無理なく自然に説明できることになります。

○偶然の法則を認める不都合な真実
 自然科学者/科学的技術者/科学哲学者までが偶然の法則の存在を常識にしています。
 こう申し上げても、決して事実には反しないでしょう。
 しかし、この常識がもたらす弊害は少なくはありません。
 つまり、例えば、欠陥商品/欠陥製品に基づく事故等を、技術者等が、偶然の所為にして対応が遅れたり、責任逃れをしたりすることです。
 このことに関する詳しい考察は、別の文にします。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

自然史と人類史の究極の到達点/ゴール  附 悟りの体験の客観性とその真偽の検証可能性

2010-01-27 02:35:30 | この世界の成り立ちと仕組み
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対 


○自然史と人類史の究極の到達点/ゴールについての考察
 私たちが生まれ住んでいる世界が造られた過程を「歴史」と名付けると、これは、一般法則論では、Ω神が造った天然自然の世界の歴史と、Ω神により自らの化身かつ分身の存在として造られたヒトが作った歴史の二つしか無い、という話を、1月18日の文でしました。
 そして、前者を自然の歴史/自然史と名付け、後者を人類の歴史/人類史と名付けて呼ぶことにするという話をしました。 
 では、自然史と人類史のそれぞれの行く末、即ちその究極の到達点/ゴールは何でしょうか?
 これが問題になります。
 この文では、これを明らかにします。

○自然史と人類史のゴールを決めたのはこの世界の成り立ちと仕組み全体の創造主である神のΩ神
 自然史と人類史のゴールを決めたのは何者か?
 一般法則論でのこの答えは、私たちヒトという存在(宇宙大では宇宙人一般)と私たちが生れ住むこの世界の成り立ちと仕組みの全体を創造したΩ神である、ということになります。
 Ω神以外にこれを決めた存在は無い、と一般法則論では断定します。
 理由は、私たちヒト(宇宙大では宇宙人一般)を創造し、私たちが生まれ住む世界を創造したΩ神のみが自然史と人類のゴールを決めることが出来るからです。
 Ω神の天地創造の目的は、自らの生き方を主体的に自由に選んで決めてその通りに生きることが出来る生得的な能力を持つ、Ω神自らの化身かつ分身の存在としてのヒトを無限に造りだして、その一人ひとりになって様々な生き方を試し、遊び、楽しむことにあります。
 なお、「自らの生き方を主体的に自由に選んで決めてその通りに生きることが出来る生得的な能力」とは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中では、世界Ⅴ段階で「意識のある心」を持つΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒト(宇宙大では宇宙人一般)に生れる、ということです。
 Ω神は、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトになって生きる。
 この為に、その前にヒトが生きる基盤になり、そのインフラになる世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)から成るこの世界の成り立ちと仕組みを造った訳です。
 もう、自然史と人類史のゴールが何かは分かりますね。

○自然史のゴール
 自然史のゴール/究極の目標は、「自らの生き方を主体的に自由に選んで決めることが出来る能力が備わった意識のある心を持つ」、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトを、この世界の中に創造することと、これに先立ってヒトが住むために必要となる世界の仕組みを造ることです。
 これに尽きます。これ以外には何も存在しません。
 これは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中で、世界Ⅰ~世界Ⅴの部分を意味します。
 この内、「(世界Ⅳ~)世界Ⅴ」の部分は、天然自然の世界+天然自然の世界の進化発展のゴールとしてのΩ神の化身かつ分身の存在のヒトの誕生を意味します。
 世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みにおいて、世界Ⅴでヒトがこの世界に誕生した後、ヒトが作る世界が「この世/現世/俗世」と人が名付けて呼ぶ、人類史=(世界Ⅴ~)世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)の世界です。

○コンピューター用語で説明すると・・・
 「世界Ⅳ~世界Ⅴ」の部分は、コンピューター用語では、物としてのコンピューターを意味する「ハードウエア」の部分に当ります。
 「世界Ⅳ~世界Ⅴ」は、もちろん、ヒトが造ったのでは無い、天然自然の存在のハードウエアです。
 「世界Ⅰ~世界Ⅲ」の部分は、Ω神=創造主である神(とその天地創造の目的)+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在+Ω神による実際の天地創造行為を意味します。
 「世界Ⅰ~世界Ⅲ」の部分は、コンピューター用語では、「世界Ⅳ~世界Ⅴ」というハードウエアを創造し、これを支配し、維持・管理し、機能させるための「ソフトウエア」を意味します。
 この意味の「ソフトウエア」は、天然自然のコンピューターを動かす基本的な操作・稼動システムを意味するOSとOSを基礎にして働く応用ソフト、例えばワープロソフトに当るヒトの生き方の原理やこれをハウツー化した潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法を意味しています。
 この意味のソフトウエアは、もちろんヒトが作った物ではなくて、Ω神が造り、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)の存在に先立って存在している天然自然の存在のソフトウエアです。

○人類史のゴール
 人類史のゴールは、一言で言えば、ヒト/人類(宇宙大では宇宙人一般)が、地上にΩ神の意図する「神の国」を作ること=地上の天国=地上の楽園を作ることです。
 ヒトが、「Ω神の化身かつ分身の存在のヒト」としてこの世に生まれて存在しこの通りに生きると、この世界は、Ω神が全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)の為に意図し期待している通りに、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が住む世界は、Ω神の「神の国」、言い換えると、地上天国/地上の楽園が実現していることになります。
 そして、これが、Ω神が天地創造の最初から予め意図し定めている人類史のゴール/究極の到達点になります。
 但し、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)がこの世に生れて生きると、自動的かつ必然的にこの世が地上の天国になる/神の国に成る、ということではありません。
 なお、人類史の究極の到達点になる神の国/地上の天国/地上の楽園とは何かに関する具体的なイメージが問題になります。
 これについては、文を改めて後に説明します。

○ゴールに到達したことを判断する手段・方法としての悟りの体験
 自然史の究極のゴールは、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトの誕生、略して、「Ω人(おめがじん)であるヒト」の誕生です。
 Ω人は、第一に、「Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト」の意味です。
 Ω神は、私たち人間存在とヒトが住むこの世界の成り立ちと仕組みの創造主である神(とその天地創造の目的)+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きの意味です。
 第二に、Ω人とは、「絶対的無意識状態の心を持つ存在のΩ神」が、「意識の在る心を持つΩ神」になって誕生した者、という意味です。
 以上、第一と第二の意味のヒトという存在を「一言で表す用語」として「Ω人」/オメガジンと省略して言うことに、一般法則論では決めました。
 では、「Ω人の誕生」をもって、「自然史の究極のゴール」と「判断する基準」は何か?
 この答えは、Ω人であるヒトが、Ω神とΩ神が造った世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)で成り立っているこの世界の成り立ちと仕組みを悟る/発見することが出来るようになっているかどうか、という点にあります。
 「Ω神の存在とΩ神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの発見」は、一言でこれを表現すると、いわゆる「悟りの体験をする」ということです。
 Ω神の存在の発見をする悟りの体験は、いわゆる神の存在証明が完全完璧に出来るようになることを意味します。
 また、「単なる神の存在証明」ではなくて、ヒトとヒトが住む世界の創造主である神の実在を証明する、という意味です。
 (創造主である)神の存在証明は、この条件を満たすときにのみ、それがされた、ということができます。
 そして、ヒトが実際に悟りの体験をしたとき、自然史のゴールに到達した、ということが出来ます。
 この「一般法則論のブログ」の筆者の私も、1963年の秋に、その悟りの体験をしています。
 では、人類史の場合、そのゴールに到達したことが何で分かるのか?
 これが次の問題です。
 この答えは、悟りの体験の中で自然に分かるのです。
 自然史のゴールは、ヒトがΩ神の化身かつ分身の存在のヒトとして誕生すると、Ω神の存在と、Ω神が創造主としてこの世界の成り立ちと仕組みを造ったことと、ヒトはΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトであり、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトとして生きる存在理由と存在目的を持って生れてきていることを、この目的を全うする為に全てのヒトが「意識のある心」を持って生れていることを、いわゆる「悟りの体験」をして知ることが出来るようになっています。
 悟りの体験は、ヒトの心の中だけで行われます。→次項で説明
 この瞬間は、無意識にある記憶を意識化するように、全てのヒトの心の奥底にある絶対無意識のΩ神とヒトに関する全情報を意識化するという形で行われます。
 「絶対無意識の意識化」は、私たちが日常的に働かせている意識が無意識の世界にまで自然に、自動的かつ必然的に拡大する「意識の変性状態」と呼ばれる意識の中でのみ起こります。 
 これらは、ヒトが決めたのでは無くて、ヒトを創造したΩ神が決めたのです。
 そして、悟りの体験をヒトがすると、例えば「地球上での自然史」が完成した証拠だ、と悟りの体験をした人は自得出来るように、Ω神は決めています。

○ヒトの心の中だけで行われる悟りの体験は個人的で主観的なもので客観性も普遍性も無く真偽の検証も出来ない説は間違い!!!
 悟りの体験は ヒトの心の中だけで行われる。
 こう申し上げると、直ちに、「ヒトの心の中だけで行われる悟りの体験は個人的で主観的なもので客観性も普遍性も無く真偽の検証も出来ない」と勝手に決め付けて、意味の無いことだ、という方々がいます。
 このブログにもこの意味の書き込みをされる方がいます。
 一言でいえば、こういわれる方々は、未だヒトの心とは何かについてご存知ないのです。
 この方たちは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組み全体の中におけるヒトの心の存在目的も存在理由も、ヒトにとっての機能と意味も、この起源も未だ何も知らないのです。
 そして、姿・形の無い心など独自に実在せず、物質で出来た脳が作り出す幻のようなもので、これ自体で独自の役割など無い式のこの世界の成り立ちと仕組みの仕組みには何の根拠も無いという妄想を信じているのです。
 「信じている」と申し上げたのは、心とは何か、物質とは何かについて、この方々は、感覚的に観念的にその存在を考えているだけで、未だその存在の有無や真偽を自覚的に意図的に検証したわけではないからです。
 言い換えると、他人の説の単なる受け売りでそうだと信じているだけなのです。
 しかも、この人たちは、自分こそ、唯物論に基礎を置く自然科学をよく理解し受け入れて生きている科学的で成熟したな人間と言う妄想を持っていたりします。
 
 はっきりと申し上げれば、「ヒトの心の中だけで行われる悟りの体験は個人的で主観的なもので客観性も普遍性も無く真偽の検証も出来ない」という方々は、世の中にとって実害をもたらす困った人たちなのです。
 「人としてこの世に生まれる手間を掛けただけで人として生きられないのは、世の中の仕組みが間違っているのだ」式の考え方や、「正直に頑張って生きていればいつか必ず報われる(テレビドラマの中の台詞)。もし、こうならなかったら、正直者から搾取する人たちがいるからだ。正直者に応えてくれる神も仏も存在していないからだ!」式の考え方があります。
 これらの考え方をする人たちは、心など存在しないし、心の存在はヒトが自らの幸せな人生を築く上で何の役割も果たしていないと勝手に思い込んでいるのです。
 この人たちは、自分が科学的人間であることを自負しておられて、ヒトが生きる根拠にし、基礎にしているこの世界の成り立ちと仕組みに関して世の中からこれ以上何も学ぶことは無いと思い込んでいる人たちか、これらの人たちの妄言を知らず知らずのうちに自分の考え/信念として取り込んでしまった人たちなのです
 言い換えると、この方々は、潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法を知り、これを使うことへの道を自ら閉じてしまうことをしているのです。
 この因果必然的な結果は、「この世の中は生き辛い」になり、自民党政府を民主党政府に取り替えればナントカなる式の発想をして、自ら更に生き辛さを増す、ということになります。
 心の実在を知り、心の働きの一つである覚り/悟りの体験がもたらしてくれるΩ神が造った世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みに根拠のある「ヒトの生き方の原理」とこれをハウツー化した潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法を知らずに生きることなど、本来誰もできません。
 「正直に頑張って生きていればいつか必ず報われる(テレビドラマの中の台詞)。もし、こうならなかったら、正直者から搾取する人たちがいるからだ。正直者に応えてくれる神も仏も存在していないからだ!」式の考え方は、Ω神が決めたヒトとしての正しい生き方や上手な生き方があって、これに正しく正確に知って、これに正しく則り、これに正しく従わなければ、幾ら真面目で正直に努力して生きてもこの世では生きられない、という単純な真理を無視した考え方です。
 この簡単に真理を知らずに、自らの無知と不勉強を他人の所為、世の中の政治の仕組み、悪の資本主義とこれを採用する資本家の所為にする思想等にかぶれて行動しても、何の意味もありません。
 ましてや、テレビやビデオで提供されている韓国の時代考証など一切無い歴史ドラマや現代ドラマの中に描かれている通りに、韓国/朝鮮民族の生き方に人類にとって模範とすべき真の歴史や人生の真実や科学技術や真の文化・文明が昔からあるとか、共産党独裁の自民族絶対的中心主義の中国の一部になって、日本人で在ることを止めれば幸せになれるという妄想を信じて行動するのは、自らの人生を自ら破壊することを意味します。しかし、政治家にも財界人にもこのような人たちがいるようです。哲学力の貧困はどうしようも無い。
 何事をするのでも、それをする正しいやり方や上手のやり方があることを知って、行動しなければならない。
 この世界の成り立ちと仕組みに根拠のある、もう子供で知っているこの真理を、大人になっても未だ自覚的な知識にしていない人たちが、世の中、多すぎます。
 「正直に頑張って生きること(これは正しくてとても良い事です)」+Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みとこれに根拠のあるヒトの生き方の原理とこれをハウツー化した潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法に関する無知と不勉強こそが、全人類的な諸悪の根源です、資本主義や市場経済やグローバリゼーションや私的所有権や自民党や宗教信仰にあるのでは無くて!!!

○悟りの体験の瞬間の再説明
 悟りの瞬間は、既にお話ししてあります。即ちーーー
 悟りの瞬間は、ヒトが「悟る」のでは無くて、Ω神により、ヒトは「悟らされる」のです。
 これを、道元禅師は「仏の側から行われて」と表現しました。
 一般法則論では、同じ意味のことを次のように説明します。
 この世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神が最初に存在しています。
 このΩ神が、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)から成るこの世界の成り立ちと仕組みを創造しました。
 そして、世界Ⅴ段階で、Ω神は、自らの化身かつ分身の存在としてのヒトを造りました。
 ヒトには、Ω神が造った世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みを発見し、理解し、この知識に基づいてヒトの世界/人類史を造る(Ω神側からの視点)/作る(ヒトの側からの視点)能力を予め与えてあります。
 そして、この世界の成り立ちと仕組みを、この創造主であるΩ神の存在と共に発見する/知る「悟りの体験をする」という名で知られている体験があります。
 この悟りの体験がどういう条件で可能になるのかも、Ω神は予め決めています。
 そして、これは、Ω神が自らの化身かつ分身の存在のヒトに向けて、Ω神自身の存在に関する情報と、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みに関する情報を、ヒトとは何かの情報も含めて、Ω神自らが情報開示をする形で行われます。
 この瞬間は、一瞬の間に、自動的かつ必然的にかつ客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的にかつその真偽が検証可能な形で行われます。
 なぜ、悟りの体験は、一瞬間で行われるのか?
 この答えは、悟りの体験は、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中で、時間が未だ生まれていない、無時間の世界=「永遠の今しか無い」世界で、毎秒約30万キロメートルで一定不変の光の速度が絶対的に支配している縦と横と高さのある三次元の空間(世界Ⅳ以降)も未だ存在していない、「永遠に不変・不動で不滅のここ」しかない無次元の世界Ⅰにのみ常在しているΩ神の心と、Ω神の心を起源にしている全てのヒトの心が一つになるときにのみ、悟りの体験は可能だからです。 
 と同時に、悟りの体験の中では、Ω神が造った自然史の延長線で始まる人類史のゴール、即ち、神の国=地上天国=地上の極楽=地上の楽園とは何かも自然にわかるのです。
 なぜならば、神の国=地上天国=地上の極楽=地上の楽園は、Ω神が天地創造の最初から予め意図し定めている人類史のゴール/究極の到達点だからです。

○悟りの体験は一瞬間で行われることとはΩ神による天地創造も一瞬間で全て行われたことを意味する
 悟りの体験は一瞬間で済む。
 これは、無時間で無次元の世界Ⅰに存在するΩ神の心と、Ω神の心を起源にしている全てのヒトの心が一つになって行われるからでした。
 ということは、Ω神による天地創造も一瞬間で行われたことになる筈です。
 正にこの通りです。
 Ω神による天地創造は、一瞬間の内に完全完璧に行われ、一瞬間で全てが完成したのです。
 言い換えると、天上の神の国も、天然自然の存在の地上の神の国=この世の極楽=地上の天国=地上の楽園も、Ω神による天地創造に自動的かつ必然的にともなって、自然に、即座に即刻に完全完璧に造られた、ということです。
 この事実は、神に祈る技術の使用/潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法の中で、重い病気が一瞬間で完全完璧に永久に自然治癒する例でも知ることができます。

○神の国=地上天国=地上の極楽=地上の楽園は天然自然のΩ神が決めた天然自然の存在
 神の国=地上天国=地上の極楽=地上の楽園とは、ヒトが観念的に頭の中ででっち上げたものではありません。
 この世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神が、天然自然の創造主である神であるようにΩ神が自らの化身かつ分身の存在のヒトが造る人類史のゴールについても決めている、天然自然のものです。
 ついでに指摘しておくと、全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)は、最初から「神の国」の中に生れてきます。
 しかし、この後自らを神の国から追放する妄挙に殆どのヒトがでます。詳しいことは別の文で。

○筆者の悟りの体験が人類最後の悟りの体験では無い 念のため
 悟りの体験は、一般法則論者の筆者の私がした1963年の体験が、人類史上の最初のものでありかつ最後のもの、ということではありません。
 私のした悟りの体験に先立って、決して多くは無いけれども、昔から繰り返し悟りの体験が行われてきました。
 イエス・キリストにもこれは在ったし、釈迦にも道元禅師にもありました。
 この先も、人類がそれを必要とするときに、そのたびごとに「悟りの体験」をするヒトが現われることになるでしょう。
 古代インドのウパニシャッド哲学では、このことを、次のように表現しました。
 
 神は、岩石の中では眠り、植物の中では目覚め、動物の中では活動し、人間の中では自らに目覚める。

○共産主義世界の実現は人類史のゴールではない 念のため
 誰かヒトがでっち上げて作ったのではない、天然自然の存在の創造主である「Ω神」が創造した「世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)から成るこの世界の成り立ちと仕組み」について、最初から何も知らないマルクス主義/共産主義が思い描き、ヒトの意思の力と暴力革命でのみ実現できるというプロレタリアート独裁/非資本家階級の働く人による独裁の社会が地上に天国をもたらす、と本気で信じている人たちが、現在の日本にも少なからず存在し、日本の学会やマスコミや文化や政治の世界を支配しています。
 これは、マルクス主義/共産主義が日本に紹介されて以来の知識人や大学生や軍人(二・二六事件を起こした人たちも)の常識だった、と聞きます。
 現在の民主党政権を担う人たちも、この一部と断言しても良いでしょう。
 しかし、マルクス主義/共産主義的な意味の地上の天国は、この世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神の天地創造の目的には全く存在しないものです。
 Ω神が造った世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みを全く知らないマルクス=エンゲルスがでっち上げた地上の天国概念の克服は、全地球人類的な課題です。

 以上、簡単に、自然史と人類史のゴール/究極の到達点について説明しました。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

自然史と人類史

2010-01-17 16:28:45 | 一般法則論の世界観の図解説明
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


○自然史と人類史
 「歴史」と私たちが名付けて呼ぶものは 「私たちが生まれ住んでいる世界が歩んだ来た過程」のことだ、と言うことが出来ます。
 この意味の「歴史」は、大きく二つに分けることができます。

 即ち、一つは、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)が造ったのでは無い、Ω神によって造られた、ヒト(宇宙大では宇宙人一般)がこの世界の中に登場する前から存在した、「天然自然の世界の歴史」です。
 これは、「天然自然の世界の歴史」、略して、「自然史」と言うことにします。

 世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)から成るこの世界の成り立ちと仕組みで言えば、自然史は「世界Ⅰ~世界Ⅴ」の部分に当ります。
 正確には、世界Ⅳ~世界Ⅴが自然史の本体で、原因と結果の間を客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に結び付けている因果必然の自然法則でもある唯心論的天地創造の原理に則ってΩ神が働いた「世界Ⅰ~世界Ⅲ」部分が自然史を造った原因の部分と言うことができます。
 (世界Ⅰ~世界Ⅲ~)世界Ⅳ~世界Ⅴ。

 今一つは、「私たち人類が自ら作った人類の歴史」です。
 これは、人類の歴史、略して「人類史」と言うことにします。
 人類史は、人類(宇宙大では宇宙人一般)が、即ち、地球上で言えば、いわゆるビックバンに始まる宇宙史に続く地球史の中での進化の歴史の最後に現われたヒトが、自ら造った歴史の意味です。
 これは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界全体の成り立ちと仕組みでは、(世界Ⅴ~)世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)に当ります。
 そして、世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)が人類史の本体で、世界Ⅴが、原因と結果の間を客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に結び付けている因果必然の自然法則でもある「唯心論的天地創造の原理」に則って人類史を造ったヒト/人類です。

○歴史は自然史と人類史しかない
 上で、「私たちが生まれ住んでいる世界が歩んだ来た過程」は、自然史と人類史の二つからなるという話をしました。
 私たちが言う「歴史」は、大別すれば、結局、「自然史」と「人類史」の二つしか無い、ということです。

○自然史と人類史という用語と区分は一般法則論が決めたものではない
 「私たちが生まれ住んでいる世界が歩んだ来た過程」を「自然史」と「人類史」に分けることと、「自然史」と「人類史」という術語/用語は、もちろん、このブログ、一般法則論独自の、筆者個人が勝手に名付けしたものではありません。
 例えば、次の本の題名にも使われています。
 
 和田純夫 140億年の9つの進化を探る 読んで楽しむ教科書 ベレ出版 2004年3月
 嶺重慎/編著 小久保英一郎/編著 宇宙と生命の起源 ビッグバンから人類誕生まで 岩波ジュニア新書477 岩波書店

 また、「自然史」と「人類史」という用語でインターネット検索すると、一般法則論で言うのと同じ意味の話が見つかります。
 念の為に確認しました。

○自然史と人類史の究極の到達点/ゴールについての考察は別の文でします
 自然史と人類史と言えば、それぞれの行く末、言い換えるとその究極の到達点/ゴールは何か、が問題になります。
 このことについては、別の文にします。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

全てのヒトは完全完璧に造られていて、病気等を知らない事について

2010-01-09 02:22:58 | 神の化身・神の分身のヒト
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z

 書き込みの訂正が出来る本文で答えます。

○迷子さんの問い
 もう一度ききます。精神病はどう説明するのですか?失敗作ですか?
 回答がないなら一般という名前はおかしいとみなします  迷子 

○迷子さん
 本当に、このブログの文を読んでいますか?
 パソコンの画面で、では無くて、紙に印字して繰り返し正確に読めているのかを確かめながら、読んでくださっていますか・・・。

○もしかしてうつ病とかで・・・
 もしかして、うつ病とか何かで、本等の文を集中して読むのが苦痛ならば・・・

 例えば、医者の指示に従って抗うつ薬を飲み、後は、自分の身心が生得的に持つ自然治癒力/自然回復力を信頼して、これに任せて、余計なことは一切考えずに、ひたすら眠ることです、野生動物がするように・・・。

 全てのヒトの心の根底/絶対的無意識/世界Ⅰ存在のΩ神の所には、全ての病気を完全完璧に完治させることが出来る物凄い威力が備わっています。
 ドンな病気でも完全完治させる治癒力を解放すには、一つには、何も考えずに休むことであり、眠ることです。
 Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中では、全ての病は完全完璧に完治することになっています。
 治らない病気は、原理的に無いのです。
 全ての病は、必ず完全完璧に完治します。
 これは、癒されるヒト一人のためにとっての恩恵ではなくて、宇宙大で全てのヒト(宇宙大では宇宙人一般)に等しく当て嵌まる普遍的な絶対真理です。
 但し、ヒトによっては、いつまでも病気でありたかったり、自らが許し難いと思い込んだ自らの行為の償いとして、自らに科した罰として、自然治癒力/自然回復力が働くのを自ら妨げることもありますが・・・。

 以下は、以上の話が本当に仮の話で済んだ場合の話。

○迷子さんに問います
 全てのヒトは、この世界の成り立ちと仕組みの唯一・絶対・普遍の創造主であるΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトの故に、一般法則論/潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法/ベイルズ氏のYour Mind Can Heal You という本が説いていること/「ニューソート・新思想系の生長の家」の教義等では「この世に病気など一切無い!!!」という説明をしていることを知っていますか?
 一般法則論では、このことを繰り返し述べています。
 この点が、未だご理解できないようです。

○全てのヒトは病気等を知らない完全完璧な存在に造られています
 この世界の成り立ちと仕組みの創造主であり、ヒトの創造主であるΩ神は、この世界の成り立ちと仕組みの仕組みと自らの化身かつ分身の存在のヒトを完全完璧に造っています。
 Ω神から見れば、自らの化身かつ分身の存在として造ったヒトに、一人の例外も無く、失敗作などありません。
 全てのヒトを最初から絶対的に完全完璧に造ってなかったら、ヒトに生れたΩ神は、この世で生きて何かを実現する前に、病気や事故等で死んでしまうことがあることになって、わざわざヒトに生れた目的を実現できません。
 この世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神はこうだと決めているから、ヒトが間違って病気になると、これを治すΩ神による自然治癒力が自動的かつ必然的に働くのです。
 また、事故等に遭わないように、全てのヒトの心の根底にある絶対的無意識/潜在意識/Ω神の理法がヒトを安全無事な方向へ自然に或いは自動的かつ必然的に導くことがあるのです。これは本当のことです。このような仕組みの有無を小学校5~6生の時からずっと解明し続けた結果、こうだと分かりました。意味のある偶然の一致の体験も、同じ仕組みです。このことについて話すと長くなりますので、詳しいことは、別の文にします。

○Ω神は馬鹿ではありません
 Ω神は、全知全能で全てをお見通しであって、自らが造るものを、たとえその一例でも失敗作に間違って造るような馬鹿者ではないのです。
 この点では、Ω神に、全く手抜かりが無いし、手抜きがないのです。
 ヒトになったΩ神は、病気など知らないだけでなくて、貧乏も、失敗も挫折等も知りません。
 こうだと決まっているから、ヒトが間違って病気になると、これを治すΩ神による自然治癒力が自動的かつ必然的に働くのです。
 ヒトになったΩ神には、結婚相手が居ないとか不妊とか難産とかも一切ありません。
 この世で生きるために必要なことは何でも学んで物に出来る能力も、全てのヒトにΩ神は等しく与えています。
 この生得的な何でも完全完璧に学ぶ能力を使うことに、これを発揮することにヒトは手抜きがあってはなりません。

 天の父が完全であられるように、あなたがたも完全なものになりなさい。マタイ伝 五章四十八節 イエスの教え

○Ω神が自らの化身かつ分身の存在として造ったヒト=自分を自ら「不完全な者」と見くびってはいけません
 全てのヒトは、全知全能のΩ神の化身かつ分身の存在としての完全完璧な存在のヒトです。
 この事実を、ヒトが、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みについては何も知らないのに、自ら否定してはなりません。
 これは、格言に言う「天に向かって唾をする」ような行為です。
 子供でも、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトであることに例外はありません。
 いわゆる「ゆとり教育」の考案者と推進者は、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトを見くびり馬鹿にした考えの持ち主です。

○Ω神が造った世界を丸ごと発見する悟りの体験もヒトは出来る
 Ω神が造った世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)から成るこの世界の成り立ちと仕組みの全体を丸ごと正確に発見することが出来る、「悟りの体験」をすることができるようにも、Ω神はヒトを造っています。

 神は、岩石の中では眠り、植物の中では目覚め、動物の中では活動し、人の中では自らに目覚める。
    ウパニシャッド哲学

○イエスの時代から説かれてきたこと
 このようなことを、イエスは二千年前に説きました。
 しかし、世の中の殆どの人たちは、イエスの言葉を全てのヒトに当て嵌まる真理を説いたのだとみなさず、この理を未だに知りません。

○文字通りの意味でヒトは意識のある心を持つΩ神 絶対的無意識の存在のΩ神との違いもここに
 私たちが生れ、存在し、生きているこの世界の成り立ちと仕組みは、Ω神=創造主である神(とその天地創造の目的)+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在、と一般法則論で名付けている「創造主」が造ったものです。
 この世界の成り立ちと仕組みの中で、全てのヒトは、Ω神の天地創造の目的物である、「Ω神の化身かつ分身の存在のヒト」として造られています。
 全てのヒトは、文字通りにΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトです。
 一つ異なるのは、Ω神は絶対的無意識の存在であるのに対して、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトは、意識のある心を持つΩ神だ、ということです。

○ヒトが意識のある心を持って生れているΩ神であることの目的 ヒトが持つ「意識のある心」の存在理由
 絶対的無意識の存在のΩ神は、創造主である神として予めすることができると決まっていることしか出来ません。
 これに対して、全てのヒト=意識のある心を持つΩ神は、意識のある心が持つ、自らのあり方や生き方の方向を自ら主体的に自由に選んで決めることができる能力を持って生れている、ということです。
 ここにこそ、意識のある心を持つヒトの存在理由と存在目的があります。
 ですから、全てのヒトは、自らが持つ意識のある心を自覚的に意図的に活用して、自らの生き方を、自覚的に意図的に選択し決めて生きることが必要で大切になります。
 言い換えると、誰でも、常にΩ神と共にあって、Ω神の理法を活用しながら、精神的にも身体的にも経済的も自助自立して生きるべき存在だ、ということです。
 こうしないで、他人を頼りにし、政府や国家を頼りにし、他人の指揮・指示・命令に従ってのみ生きることを第一にするのは、意識のある心を持つΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトには相応しく無いどころか、根本的に間違いです。

○病気等は全てヒト自らが間違った信念で自ら作り出したもの
 精神病に限らず、一切の身心の病気は、「病気がこの世にはある」という「人類的な妄想」を真実だと選択し受け入れていることを下地にして、ヒトの何かの思考/思いが原因設定になって、この因果必然の結果として、ヒトであるその人が自らを病気にするのです。
 例えば、恥ずかしいと思うと、その積りではなくても、何故か顔が赤くなります。
 このような心と体の関係は、各人が自ら決めたのではありません。
 心と体の関係を決めているのは、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みそのものにあります。
 そこで、自分では気がつかない思考習慣が自らを何かの病気にすることになるのです。
 この世界の成り立ちと仕組みとヒトを造っているΩ神=創造主である神(とその天地創造の目的)+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きは、ヒトの心の中身そのものにもなっていることを思い出すべきです。
 即ち、ヒトの心の在り方や働きは、自らの身心の状態と密接に関係がある、ということを意味します。
 この中で一番問題なのは、心の乱れです。
 心の乱れとは、例えば、些細なことでイライラ苛立ち、周りの人たちに当り散らし、怒るような習慣のことです。
 乱れた心の状態が、そのヒトの身体に関係がなく、無影響であるはずがありません。
 自己否定的な思考習慣=信念も、ヒトが「Ω神の化身かつ分身の存在」として生れている通りに生きることを、大いに妨げます。
 
○間違った信念/思い込み/マインド・セットは完全完璧にリセットできる
 幸い、ヒトの間違った考え方は、完全完璧にリセットできます。
 リセットする手段・方法は、一般法則論でも潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法/ベイルズ氏のYour Mind Can Heal Youでも説明しています。

 心と体/病気になった体との関係は、「恥ずかしいと思うと赤面する」例のように、ヒトの意識ある心には未だ理解し難いものです。
 しかし、心と体の関係を、例えば、ある特定のヒトの、ある特定の思いとそのヒトの身心のある特定の病気との関係を、Ω神の理法は完全完璧に知っています。
 と同時に、全ての病気等を癒す手段・方法も、Ω神の理法は知っています。
 そこで、Ω神の理法を頼りにし、それに任せれば、全ての病気は、Ω神の理法が自動的かつ必然的に自然に癒してくれます。
 このことを理解して、全てのヒトは、Ω神が定めている通りに、自分は完全完璧な存在だと思う生き方をすべきなのです。但し、Ω神の理法を使うには、Ω神とΩ神の理法の前で、無我無心になって、謙虚で素直なヒトになる必要があります。

 間違った考えをヒトがする所は、一般に、(世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの中で)世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)の中です。
 世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)は、物質で出来ている現世のヒトの世/この世の世界のことです
 この現世は、味噌も糞も区別せずに一緒にするような何でも在り、の乱れた世界です。
 言い換えると、Ω神がヒトに化身かつ分身して生きる筈の世界=地上の天国は、未だ実現してはいないということです。
 そして、何でも在りの乱れた「この世」の世界を「世界の全て」と間違って思い込み、しかも、この世界でそれと自覚の無いままに全ての問題が解決できると間違って思い込みます。
 この時に、多くの人たちが、Z/人類的な妄想を基準にして、これに基いた間違った思考をしてしまいます。
 この因果必然的な結果が、この世で病気や貧困や紛争/戦争等の不幸と混乱をもたらすことになります。
 これをリセットするのは、「意識のある心を持つΩ神のヒト」の心が本来ある所の世界Ⅰに戻り、世界Ⅰ存在のΩ神と共にあって、この世界の創造主である神であるΩ神の心をヒトである自分の心にする事です。
 例えば、病気など知らないΩ神の心にヒトの心を一致させれば、世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)=この世では病気は必須と間違って思い込んでいるヒトの心の習慣は、自動的かつ必然的にリセットされてしまいます。
 即ち、これは、壊れたパソコンを製造元に送り返して、そこで、製造元に全て任せ切って故障の箇所を診断して修理してもらうのと話は同じです。
 これが癒されるということの中身です。
 この結果は、世界Ⅱ~世界Ⅲ一体不可分の働き=創造主である神(とその天地創造の目的)+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の働きにより、世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)での病気等が完全完璧に治ったヒトの体験になります。
 但し、セロ時間で無次元の心の世界の世界Ⅰ~世界Ⅲでは即座に治癒がおこなれても、この結果が物質的な3次元と時間1次元で出来ている世界Ⅵ~世界Ⅶ=この世で具体的な形になって現われるのには、時間がかかることがあります。しかし、それでも、治るまで、癒す処置を続けることが良いことになります。

○一般法則論を学ぶ主体はあなた以外には存在しません
 なお、あなたに限らず、一般法則論/潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法/ベイルズ氏のYour Mind Can Heal You 等からあなたが謙虚に学ぶ必要性を感じ、実際に学ぶ行動をするのは、常にこう知ったご本人だけです。
 あなたに代わって、あなたのために、私や他の人たちが一般法則論を知り、謙虚に学び、理解し、自分の物にすることは絶対にできません。

○この世に生れる手間を掛けただけでは生きられない
 誰でも、この世界に生れる手間を掛けただけでは、この世で思い切り自由に生きることはできません。
 この世に生まれたら、何が何でも、Ω神が造った世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)から成るこの世界の成り立ちと仕組みを発見し理解し、これに根拠のある「ヒトの生き方の原理」と、既に発見されている、「ヒトの生き方の原理」をハウツー化した、潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法を自分の物にすることです。
 なお、ヒトの生き方の原理に関して、一般法則論で説明している、この世界の成り立ちと仕組みの創造主である神の存在に根拠を置いたハウツー以外の手段・方法は無いことを、しっかりと理解することです。
 このことを、一般法則論はまとめて説明をしています。
 しかし、何事もそうですが、一般法則論で説明していることを、あなたはご自分で試してみる必要があります。
 これは、一般法則論を知ったあなたにしか出来ません。
 あなたもご存知の通り、料理の本を幾ら多数読んでも、実際にその内の一つでも料理を自分で作ってみなくては、料理の腕は身につきませんし、上達しません。
 もちろん、一般法則論等を学ぶのに、手抜きをしたら、その結果は、自分自身にそのまま戻ってくることになります。
 カンニングすることなど何の役に立ちません。
 自分の生は自分で生きる、というΩ神の定めた掟を、何か別のものに取り替えることは誰にもできません。

○あなたを一般法則論の理解者にし一般法則論を使える者にすることは私には全く出来ない
 私は、あなたに限らず、私以外の誰かを、一般法則論の理解者にすることは、絶対にできません。
 一般法則論を謙虚に学び理解し、これを自らの人生を生きる事に実際使うことができるのは、あなた以外にはいません。
 こうであることを無視して、一般法則論に限らず何事でも「俺を分からせ理解させ納得させよ!!!」と要求されても困ります。
 こんなことは、誰にも原理的に出来ないからです。
 一般法則論を謙虚に素直に学ぶことができるのは、あたなご自身しか存在しないからです。
 もちろん、例えば「一般法則論とは『阿』だ。こうだと心得よ/理解せよ」式の極端に抽象的な話は、私はしません。
 一般法則論を説明するに当って、文字が読めて、普通の常識と教養を持つヒトであり、かつ自ら進んで学ぶ意欲と理解できるまで繰り返し挑戦する忍耐力が在るヒトには理解できるような文章を書くことを、一般法則論の筆者は心がけています。

○子供の学ぶ権利と言う考え方の間違い
 「子供の学ぶ権利」とか言って、上に説明した理を無視した要求をする人たちがいるのは困ったことです。
 子供だって自ら進んで学ぶ意欲とこの行動が無ければ、何も学ぶことが出来ません。
 しかも、本来全ての子供は、学ぶことにおいて全て天才なのです。
 しかし、実際には、子供は教育の現場では知的能力の劣った馬鹿者扱いされています。
 ブルンナー氏の「教育の過程」という本 岩波書店で、原理的な適切なモデル/比喩等を使った上手い教え方をすると、一見すると大人にも難しいような概念を子供に理解させ物にさせることが出来る、ということが分かった、と言うことを知ったのは、もう50年近く前の話です。
 この当時、NHKテレビの理科関係の講座では、とても巧みな実験装置を工夫し発明して、自然法則とエネルギーの説明をしていましたし、今、現在もこれは続いています。
 なお、貧困や紛争や宗教的な理由等によって、子供たちが学ぶ機会を与えられていない場合は、また別の解決策を考えなくてはなりませんね。

○自分の命を他人に代わって生きてもらうことはたとえ一秒でも出来ません
 上の話を言い換えると、あなたの命を、あなた以外の他の人が代わって生きることは、一秒たりとも出来ない、ということです。
 あなたもその他のヒトも全て、それぞれ自分の人生は自分で生きるように、Ω神により、最初の呼吸の時から最後の呼吸の時まで決められている、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトです。
 この事実を理解して受け入れないと、この世での各人の生は成り立ちません。
 しかし、こうする覚悟が出来ていない人たちが少なからずいますね。

○非物質的な心は常に世界Ⅰに、物質的な身体は常に世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)に
 なお、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)から成るこの世界の成り立ちと仕組みを、私の家の仏間とこれに付属する押入れ+仏間に接し、仏間を絶対的に超越して存在する廊下に見立てて説明した文を読み返してください。
 ヒトの物質的な身体は、物質で造られている(世界Ⅳ~世界Ⅴ~)世界Ⅳ~世界Ⅶ(+Z)=この地上世界/この世にあります。、
 意識のある心を持つΩ神=非物質的な心/精神/人の魂は、この世界の成り立ちと仕組みの唯一・絶対・普遍の創造主であるΩ神と共に、常に世界Ⅰ(~世界Ⅱ~世界Ⅲ)にあります。
 世界Ⅰは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)から成るこの世界の成り立ちと仕組みの全体の中で、特別の地位にあります。
 世界Ⅰは、未だ時間も空間も無い世界です。
 これによって、世界Ⅰ世界は、「世界Ⅱ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)世界」から絶対的に超越して存在する神聖不可侵の世界になっています。
 具体的には、「永遠の、今、ここ」しか存在しない世界です。
 この世界Ⅰの中で、この世界の成り立ちと仕組みも全てのヒトの存在も、誕生したときからこの瞬間まで、ただの一度も間違いを犯したり病気になったりしたことが無い、完全完璧な神聖不可侵の存在/原型的イメージとして存在し続けています。
 これが、現世的な間違った思考をリセットし、それに取って代わるべきの「ヒト本来の正しい思考」の唯一・絶対・普遍の源です。

○一般法則論で祈る=ヒトの生き方の原理を活用するコツ/ノウハウ
 Ω神は、世界Ⅰに常にあって自らの世界を創造しました。
、意識のある心を持つΩ神であるヒトも、常に世界Ⅰにあって、Ω神がしたように、自らの独自の人生を築いて行くように定められています。
 これを理解するのが、ヒトの生き方の原理を活用するコツ/ノウハウです。
 なお、人の生き方の原理=潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法などと呼ばれるもののことです。

○自らの人生を創造する原因を設定する心は常に世界Ⅰに、身心の在り方と願望が具体的な形をとって現われる結果の世界は物質界に
 この点に関しては、心も物質世界の「世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)」=「この世」に全てある、という間違った考え方が世間一般に間違って信じられています。
 これは、「身心一如」という表現や「身心相関病」の理解にも影を落としています。詳しいことは、別文。

○「回答がないなら一般という名前はおかしいとみなします」と言いますが・・・
 一般法則論の「一般」には最初から大袈裟な意味などないことを、なぜ「一般法則論」にしたかの文で既に説明しています。
 急な状況で{一般法則論}と名付けることになった話の全体を一言で表す用語/一般法則論での術語/専門語が必要になったので、S・I・ハヤカワのいう「一般意味論」やベルタランフィーの言う「一般システム論」からの連想で、とっさにこう決めたものです。
 これは、他の名付けでも良かったのです。

○「一般法則論」よりも「阿吽法則論」だったかな・・・
 今、改めて思えば、「一般法則論」ではなくて、「阿吽の呼吸」と言う場合の、「阿吽法則論」の方が良かったのかも知れません。
 阿吽の「阿」は「Ω神」、「吽」は「意識のある心を持つΩ神のヒト」。
 各人が自らの人生を創造するには、常に、「Ω神とこの化身かつ分身のヒト」との間の「阿吽の呼吸」が必要だし大事だからです。
 また、「阿」は、「Ω神とΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒト」の意味で、「阿」に自動的かつ必然的に応えて天地創造の仕事をする「吽」は、「Ω神の理法」に該当します。

 しかし、そのとき、とっさに、「阿吽法則論」という言葉は思いつきませんでした。
 でも、「一般法則論」と言うと、何となく自然科学的な「自然法則」っぽく聞こえませんか・・・。
 

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。 

NHKスポーツ大陸で荒川静香さんを取り上げた番組を観てください

2010-01-06 18:53:19 | 神の化身・神の分身のヒト
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z

○世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)を部屋の構造に見立てて祈る 2009-12-31 23:49:06
 一般法則論の世界観の図解の理解の為にこの文も参照してください。  


○NHK総合で今夜放送される「スポーツ大陸」で荒川静香をさん取り上げた番組を観てください
 今夜、一月七日の午前零時十分から放送の「スポーツ大陸」で、荒川静香さんがトリノ・オリンピックで、日本選手の中では唯一の金メダルを取るまでの過程を記録した番組を、是非観てください。

○夢を叶えるのは単に夢見る以上のことが必要だと分かります
 「夢を叶える」という過程では、何が必要で、何をしなければならないかを、荒川静香さんの例はよく教えてくれます。
 また、身贔屓の不公平な判定が行われないように、技術点中心にビデオを使って判定することになった中で、観客に感動を与える演技をする選択をあえてした荒川静香さんの、金メダルをもたらした、何度観ても感動する実際の映像を楽しんでほしい、と思います。

 私は、今夜の分を見れば、三回目になります。

 「スポーツ大陸」と言う番組は、成功術のノウハウが詰まっている番組だ、と私は理解していますので、よく観ます。
 世の中には、ゼロから始めて三年で、目の肥えた観客が居る世界でプロ・デビューするような物凄い猛者もいますが・・・。

 取り急ぎまして・・・。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

大江健三郎氏のお話から  文の推敲は枝葉末節事になることも・・・

2010-01-06 11:25:49 | 一口解説/一口メモ
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


○筆者の意図を述べたこのブログの最初の文 2004年10月下旬に始まる文を読んで下さい 附 一般法則論を説明する専門用語
 一般法則論は、私たちが生きているこの世界の成り立ちと仕組みを、Ω神=創造主である神(とその天地創造の目的)、自然法則、エネルギーの3語で客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に説明し尽くすことを意図する文/論文です。
 このために、Ω神=創造主である神(とその天地創造の目的)+自然法則+エネルギーの3語とこれから論理必然的に派生して出て来る用語など、必要最小限の術語/一般法則論の考え方を説明する「専門用語」を「例えば~」という形の実例で定義をしながら使っています。
 何かについて、理論的に首尾一貫した説明するときには、日常言葉だけでは不便で、自動的かつ必然的にこのために客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に定義された専門用語/専門の術語が発明され/作られます。

 なお、一般法則論を説明するための術語を、あなたの好みの自分語に置き換えて作ることも出来ます。
 その物を指す「正しい名前」/「正しい言葉」/「正しい言語」は、原理的に無いからです。
 一般法則論は、日本語でしか説明が出来ないものではありません。英語や、中国語という言語は無いので、例えば北京官語にも翻訳できます。
 これは、「一般意味論」を学んだヒトの常識です。
 そこで、国語で言う「イヌ」を英語では「dog」と言えるわけです。
 但し、一般法則論を説明するために筆者が考えて造った専門語を、あなたの「自分言葉」に取り替えることは、実用的にはしない方が良いでしょう。
 ヒトを表す名前は私の姓名以外にはあってはならず、他人に、この私を表す姓名以外の、私が知らない独自の固有の個人的/主観的な姓名を誰かの為に勝手に付けられては、私には理解出来ないからそれを認めず許さない、など式のことを言い張ってはいけません。
 自分は他の誰でも無い独自の存在であり、自分独自の世界を築くために、何を表現するのでも自分独自の言葉を発明する式のつもりで、
例えば、「電気回路は、抵抗器、コンデンサ、コイル、以上の三つを組み合わせて作ることが出来る機能素子で全て出来ている」(電気回路、抵抗器、コンデンサ、コイル、機能素子は、それぞれ専門用語)という文を、全部自分独自の用語に置き換えてしまうと、後で他人と電気回路に関して情報交換が出来なくなります。
 このようなことを、自覚的な知識にしておられない方々がいますので、念のために説明しました。 
  2009年12月31日追加


 以下が本文。

○作家大江健三郎氏の推敲の痕のある生原稿
 今日、新年一月五日のNHKの番組「スタジオ・パークでこんにちは」に作家歴五十年余りの大江健三郎氏が出演されました。
 この中で、大江健三郎氏の手書きの生原稿が登場しました。
 それは、原稿の最初の文に付け加えられた推敲の痕や別の紙を貼り付けて最初の文を書き換えた所があるものでした。
 大江氏によると、推敲は、一つの文を書く時間全体の3/4を占めるそうです。
 ただ、最初の文を書いてからどの位の間隔を置いてから推敲するのかに関する話はありませんでした。
 大江氏に話を聞いた山本アナウンサーが、この点に関するご自身の体験がたぶん無いので、大江氏にこのことを訊くことが出来なかったのでしょう。
 一般的に言えば、最初の文を書いてから、少なくとも翌日まではそのままにして置いてから初めて読み直して推敲するのが良い、と言われていますね。
 この一般法則論の文でもこうしています。但し、誤記、誤字、脱字、不適切な表現等の訂正はこの限りにあらずです。
 今、一つ、最初の文を書いてから、これを忘れてしまうくらい放っておいて、初めて推敲する、というやり方もよく知られています。
 一般法則論の文でも、書いたままで放ってある文が幾つもあります。

○同じ本を繰返して読む習慣
 大江氏は、本を読むときには、その中身を正確に読むことを常に心がけておられるそうです。
 この目的で、同じ本を繰り返して読む、それも、そのたびごとに心をその本に集中して読むことを習慣にしている、と言っておられました。そこで、お酒を飲んだときには、本を読まないそうです。
 また、再読する場合、前にメモをとっておいた場所だけでなく、必ずその本全体を読み直すことにしておられるそうです。

○大江氏の読書習慣の起源
 本は正確に読むことと、同じ本を繰返して読む。
 この習慣は、健三郎少年が、公民館にある二百冊の本を全部読んだとお母さんにお話ししたら、公民館に連れていかれて、お母さんが本棚から取り出した本の内容についてお母さんから訊かれたときに、夏目漱石の「坊ちゃん」については答えられたけれども、「心」については答えられず、読んだ本の内容を答えられないのではその本を読んだことにはならないとお母さんに諭された体験に基づいているそうです。

○読んだ本の最初の印象/理解を記した文は大切  余談
 インターネットのブログに、自分の読んだばかりの本で知ったことや学んだことを記録したものを載せているものがあります。
 これは、私個人の体験でも、とても大切だ、と理解しています。
 同じ本を後で読み直したときに、先の自分の理解の適否や真偽を検証できるからです。
 言い換えると、これによって、本の内容を正確に読む自分の読書能力が分かるからです。
 また、最初に読んだときから何年もたって読むと、その本から学んで実際に身に着けたものが何かの確認にもなります。
 更に、最初に読んだときから何年もたって読むと、新しい視点で同じ同じ本を読んで、別の評価が出来るようになります。

○歩みだす方向や目的/目標の選択間違いや戦略的失敗は戦術では修正できない
 話が変わります。
 計画術で有名な格言は、「戦略的な間違いや失敗は戦術では修正できない」というものがあります。
 何かをする計画やこれを実行する方針が間違っていれば、その計画をどんなに正確に忠実に実行しても狙った目標は達成できない、というわけです。

○計画術の前提になる世界観・人間観・人生観・歴史観等が大切
 また、そもそも、計画術の前提になる、以下のようなことが問題です。
 第一に、達成目標、実現目標、実現目的や歩き出す方向が根本的に間違っていたら、何も有意義なことを達成できません。
 第二に、目標を達成するには、それが何であれ、それをする正しい手段・方法や更にそれを上手に達成することが必要であることを知らずに、何でも力ずくでやろうと考えていたら、事はうまく実現できません。
 第三に、自分が持つ世界観や人間観や人生観や歴史観等が間違っていては、人迷惑この上もありません。

○世界観とは何か
 世界観とは、一般法則論でも言う、この世界の成り立ちと仕組みはどう出来ているのか、ということに関する自分の認識と理解に基いた自分自身の答えのことです。

一般法則論では、この世界の成り立ちと仕組みは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)でできていると言い、これは、Ω神=創造主である神(とその天地創造の目的)+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きで全て説明できると言い切っています。

○人間観とは何か
 人間観とは、一般法則論でも言う、「人とは何か 人は何処から来たのか 人は何処へ向かうのか」ということに関して、自分はどう認識し理解しているのかに関する自分自身の答えのことです。

 一般法則論では、全てのヒトは、この世界の成り立ちと仕組みの唯一・絶対・普遍の存在のΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトであり、自らの生き方を主体的に自由に選んだとおりに生きる能力を生得的に備えた「意識のある心を持つΩ神」だと理解しています。

○人生観とは何か
 人生観とは、一般法則論でも言う「ヒトはどう生きたら、良く生き、幸せになれるのか」という「ヒトの生き方の原理」に関する自分の認識と理解に基いた自分の答えのことです。

 一般法則論では、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトとして生まれ、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトの自覚を持って、Ω神の定めた「ヒトの生き方の原理」に則って、世界Ⅰ/この世界の成り立ちと仕組みが世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)で出来ていることを筆者の家の六畳の仏間の構造に見立てた話の中では、世界ⅠのΩ神の世界に見立てた、仏間に接する廊下にΩ神と一緒に立つ形で、Ω神と常に共にあって、常に世界Ⅰ/廊下に立って世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)=仏間全体を視野に入れ、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)全体を丸ごと認識し活用する形で、自覚的に意図的に生きるのが、ヒトの生き方だと言います。

○歴史観とは何か 
 歴史とは、一般法則論でも言う、自然史と人類史のことです。
 更に、Ω神の天地創造の目的に照らして、これまでの人類史を評価するのが、一般法則論的な歴史「観」になります。
 もし、これらが曖昧だったり、根本的に間違っていたら、何を言っても、何をしても無駄と言うものです。

○歴史を歴史の中身の一部である犯罪事件の捜査をモデルに考える
 歴史全体は、犯罪事件の捜査をモデルに考えることができます。
 そもそも、犯罪事件は、人類史の一部です。
 全ての犯罪事件は、既に過去に行われて、それが如何なるもので在るかは、今現在を基準にして観ると、既に、原理的には、全てのヒトに絶対的に等しく、客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に終わり、その何たるかも確定しています。→哲学的思考の大前提
 この世界の成り立ちと仕組みがこうであって初めて、科学的な手段・方法に基いた客観的な犯罪捜査が、原理的に可能になるわけです。
 もし、犯罪事実が、犯罪捜査に当たる人たちの主観的な偏見や判断や願望や予断等を基礎に決まることになっていたら、犯人と犯罪行為が、犯罪捜査に係わる人たちによって、勝手に好きなようにでっち上げられることになってしまいます。実際、特に旧ソ連圏ではこれが当たり前だったようですが・・・。
 ましてや、犯罪捜査は、「在るべき犯人」や、「在るべき犯行事実」や「そうあって欲しい犯罪事件とその犯人」をでっち挙げることではありません。
 犯罪事件は、「何が犯罪行為になるか」を刑法など法律で事前に定めてあることを前提にし、犯罪事件の犯人の特定や、裁判法廷で犯人を有罪にすることができる、過去の犯行事実を立証できる諸々の物証/人証/書証等の証拠を基礎にしてKJ法的に/発想法的に組み立てられる、その犯人による犯罪事件の全体像を発見し描き出すことで、初めて成り立つものです。
 犯罪事件をその一部に含む「歴史」全体についても、犯罪事件をモデルに考察したことがそのまま当て嵌まります。
 但し、百年も千年ももっと前の歴史的な事実は、その真偽の確定の前に、その有無を確かな証拠に基いて確定することが難しいのが一般的です。民族によっては、過去の歴史に関する資料や物証等を殆ど残して無いことだって珍しくはありません。
 最近発生した犯罪事件でさへ、確かな証拠が残ってなくて、犯行状況の確定や犯人捜しが難航することがあるのは、誰でも知っています。
 その部分を、そのときそう在りたかったとかそうあるべきだったという願望で、過去の歴史をでっち上げたのでは、それは歴史と言うことはできません。

○韓国起源説  ウィキペディア
 過去の歴史をでっち上げる。
 この点に関して、韓国/朝鮮民族と中国は、日本が歴史的事実を隠しているとかでっち上げたとか捻じ曲げたと言い張って、「そうあって欲しかった誇り高い民族の歴史」をでっち上げることに熱心です。というよりも、中国とこの支配下に千年もあった朝鮮民族は、歴史をそのときの支配者がでっち上げることを文化的な習慣にしてきたようです。
 NHKで放送されている韓国の歴史ドラマでは、時代考証が全くされていないと思うものがあります。
 韓国では過去の歴史をでっち上げていると聞いたので、この真偽を確かめるために観た「イ・サン」という歴史物のテレビ・ドラマでは、国立の銃製造所が出てきたり、一面にコスモスらしい花が咲き乱れる野原が出てきたりしていました。
 イ・サンを見て、朝鮮ではいつから銃の製造が始まったのか知りたくなって、インターネットで調べたら、銃は、ライフル銃も含めて全て韓国が起源と言うものがあって、宗主国の中国がなぜこの事実を知らずにいたのかとかライフルということばは韓国語で何というのかなどの書き込みが沢山されているのを知りました。→韓国起源説 ウィキペディア(Wikipedia)参照

○自分が選んで繰り返し読む本と自分が書く文/本は如何なる世界観や人間観等に基いているのか・・・
 自分が選んで繰り返し読む本、自分が書く文や本等が、間違った世界観や人間観や人生観や歴史観等に基いていたのならば、何かいわんや、と言うことになるでしょう。
 こう考えると、文の推敲など、枝葉末節のことになります。
 大江健三郎氏に関しては、見当外れな世界観と人間観と人生観と歴史観を持つ進歩的文化人という評判の高いヒトのお一人です。
 一般法則論的な世界観、人間観、人生観、歴史観の観点でも、こう判断することができます。

○大江健三郎氏の本
 ここに、「救い主」が殴られるまで 燃え上がる緑の木 第一部 新潮社 1993年があります。
 この中に「救い主」こと、ギー兄さんが登場します。
 ギー兄さんは、病気の超能力治療が出来るヒトです。
 「屋敷」の百歳近くになって亡くなったお祖母ちゃんの遺体を森に埋めた日に、鷹に襲われて腕に怪我をした時からギー兄さんは周りの人たちから超能力があると何故か言われるようになり、ご本人はその能力を信じて居ない中で、実際に医者に見離された心臓病の子供等の治療に成功して、ご本人もその気になり、さらには、半陰陽の性器をもつ「オトコオンナ」の女性サッチャンを女にし、サッチャンに、ギー兄さんは救い主と呼ばれるようになったことで第一巻は話が終わります。
 しかし、こう読むまでは、何の説明もなくお祖母ちゃんは突然に「オーバー」に呼名が変わったり、突然に登場する何人もの人たちの関係を理解するのに時間が掛かりました。
 英訳された物を読んで、初めて内容が分かったという、大江ファンの上智大学の先生の話もあります。これは、ご本人がこういうのを、私が見ていたテレビで聞きました。これは、大江氏がノーベル文学賞を受賞したときだったかも知れません。
 とにかく、簡単な内容のことを難解な文にするヒトだ、というのが、私の大江健三郎氏の文章に関する最初からの印象です。


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

明けましておめでとうございます

2010-01-01 13:29:21 | 余談
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
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唯一絶対                                 Z→→→Z


○筆者の意図を述べたこのブログの最初の文、2004年10月下旬に始まる文を読んで下さい。
 一般法則論は、私たちが生きているこの世界の成り立ちと仕組みをΩ神=創造主である神(とその天地創造の目的)、自然法則、エネルギーの3語(とこれから自動的かつ必然的に派生する用語)で客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に説明し尽くすことを意図する文/論文です。
 このために、必要最小限の術語/一般法則論の考え方を説明する「専門用語」を「例えば~」という形の実例で定義をしながら使っています。
 何かについて、理論的に首尾一貫した説明するときには、日常言葉だけでは不便で、自動的かつ必然的にこのために客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に定義された専門用語/専門の術語が作られます。

 なお、一般法則論を説明するための術語を、あなたの好みの自分語に置き換えて作ることも出来ます。
 その物を指す「正しい名前」/「正しい言葉」/「正しい言語」は、原理的に無いからです。
 これは、一般意味論を学んだヒトの常識です。
 そこで、国語で言う「イヌ」を英語では「dog」と言えるわけです。
 但し、一般法則論を説明するために筆者が考えて造った専門語を、あなたの「自分言葉」に取り替えることは、実用的にはしない方が良いでしょう。
 ヒトを表す名前は私の姓名以外にはあってはならず、他人に、この私を表す姓名以外の、私が知らない独自の固有の個人的/主観的な姓名をそのヒトの為に勝手に付けられては、私には理解出来ないからそれを認めず許さない、など式のことを言い張ってはいけません。
 自分は他の誰でも無い独自の存在であり、自分独自の世界を築くために、何を表現するのでも自分独自の言葉を発明する式のつもりで、
例えば、「電気回路は、抵抗器、コンデサ、コイル、以上の三つを組み合わせて作ることが出来る機能素子で全て出来ている」(電気回路、抵抗器、コンデサ、コイル、機能素子は、それぞれ専門用語)という文を、全部自分独自の用語に置き換えてしまうと、後で他人と電気回路に関して情報交換が出来なくなります。
 このようなことを、自覚的な知識にしておられない方々がいますので、念のために説明しました。 
 2009年12月31日追加


 明けましておめでとうございます。

 一般法則論の説明を更に進めます。
 未だ、「後のことは、あなたに任せます。」と言うことが出来ないようです。

 今年も宜しくお願いいたします。

  一般法則論者


 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。