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いわゆる神の存在証明がもたらす意味について

創造主である神の存在証明をして、この神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを説明し、人類史のリセットと再構築を試みる。

世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)を部屋の構造に見立てて祈る

2009-12-31 23:49:06 | 一般法則論で説明する世界観の図解
○このブログを初めて読んでくださる方は次の文を先に読んで下さい
 「哲学の道具箱」という本で哲学的思考の大前提を再確認する 2009-07-02 05:01 掲載
 この文は、紙に印字して良く読んでくださることを、お願いいたします。

○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に、入れ子構造の図解を、まずしてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
 この文は、紙に印字してよく読んでくださることをお願いします。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境  (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ    (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
         妄想
Ω神= 〔A→   ∥Z→ (B→ (C→   (D→  (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑  理法  自然   物的   俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)        Ω人   人・生・孫・化史  ↓
唯一絶対                                 Z→→→Z


○筆者の意図を述べたこのブログの最初の文、2004年10月下旬に始まる文を読んで下さい。
 一般法則論は、私たちが生きているこの世界の成り立ちと仕組みをΩ神=創造主である神(とその天地創造の目的)、自然法則、エネルギーの3語で客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に説明し尽くすことを意図する文/論文です。
 このために、必要最小限の術語/一般法則論の考え方を説明する「専門用語」を「例えば~」という形の実例で定義をしながら使っています。
 何かについて、理論的に首尾一貫した説明するときには、日常言葉だけでは不便で、自動的かつ必然的にこのために客観的にかつ一義的/一意的に明確にかつ確定的に定義された専門用語/専門の術語が作られます。

 なお、一般法則論を説明するための術語を、あなたの好みの自分語に置き換えて作ることも出来ます。
 その物を指す「正しい名前」/「正しい言葉」/「正しい言語」は、原理的に無いからです。
 一般法則論は、日本語でしか説明が出来ないものではありません。英語や中国語という言語は無いので、例えば北京官語にも翻訳できます。
 これは、一般意味論を学んだヒトの常識です。
 そこで、国語で言う「イヌ」を英語では「dog」と言えるわけです。
 但し、一般法則論を説明するために筆者が考えて造った専門語を、あなたの「自分言葉」に取り替えることは、実用的にはしない方が良いでしょう。
 ヒトを表す名前は私の姓名以外にはあってはならず、他人に、この私を表す姓名以外の、私が知らない独自の固有の個人的/主観的な姓名をそのヒトの為に勝手に付けられては、私には理解出来ないからそれを認めず許さない、など式のことを言い張ってはいけません。
 自分は他の誰でも無い独自の存在であり、自分独自の世界を築くために、何を表現するのでも自分独自の言葉を発明する式のつもりで、
例えば、「電気回路は、抵抗器、コンデンサ、コイル、以上の三つを組み合わせて作ることが出来る機能素子で全て出来ている」(電気回路、抵抗器、コンデンサ、コイル、機能素子は、それぞれ専門用語)という文を、全部自分独自の用語に置き換えてしまうと、後で他人と電気回路に関して情報交換が出来なくなります。
 このようなことを、自覚的な知識にしておられない方々がいますので、念のために説明しました。 
 2009年12月31日追加

○この世界の成り立ちと仕組みは世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)で出来ていることを体感化する工夫
 この世界の成り立ちと仕組みは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)で出来ている、と一般法則論では説明しています。
 これを体感する一つ方法をここに説明します。
 それは、筆者が、毎日の祈りの中で実際に使っている方法です。

○自然史と人類史の理解
 この世界の成り立ちと仕組みは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)出来ています。
 全体は、世界Ⅰから始まって、途中途切れることの無い連続した時間で、世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)まで一つに繋がって出来ています。
 この内、(世界Ⅰ~世界Ⅱ~)世界Ⅲ~世界Ⅴまでは、「自然史」と呼ばれています。
 「世界Ⅰ~世界Ⅱ」の部分が括弧の中に入っているのは、自然史を記録し書くヒトたちが、その存在を知らなかったり、認めていないことを、一般法則論の立場で表したものです。、
 自然史とは、ヒトがこの世界に誕生する前からそれ自体で存在し、ヒトが作ったのではない天然自然の世界の歴史のことです。
 正確に言えば、自然科学者や科学哲学者は、自然科学とは、物質的な世界=世界Ⅳ以下の成り立ちと仕組みを自然法則とエネルギーの2語(世界Ⅲ)のみで説明し尽くそうとする学問だ、という自覚的な知識がありません。
 そこで、科学者は、実際には、((世界Ⅰ~世界Ⅱ~)世界Ⅲ~)世界Ⅳ~世界Ⅶ式に物質世界を説明しようとしていることになるでしょう。
 一般法則論的には、自然史の全体は、私たちヒトという存在と私たちが住む世界を創造したΩ神=創造主である神(とその天地創造の目的)+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在=世界Ⅰから始まり~世界Ⅴまでです。

 (世界Ⅴ~)世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)は、「人類史」と一般に呼ばれています。
 人類史は、世界Ⅴで誕生したヒトが、自らの生活/人生と文化・文明を自ら作って来た歴史です。
 人類史は、自然史の延長線上にあります。
 人類史は、自然史の延長線上にあるだけではなく、自然史を基礎にし、自然史をインフラにして成り立っています。
 これは、一般法則論が発見した事実でも、一般法則論者の私が勝手にでっち上げたものでもありません。
 これは、いまや人類的な常識に属しています。例えば、地球温暖化の議論。
 しかし、多くの人たちは、自分が生きるための基礎になっている世界Ⅰ~世界Ⅴの存在とその役割が持つ意味を知りません。
 言い換えると、人類/各人が抱える問題を、(世界Ⅴ~)世界Ⅵ~世界Ⅶ(+Z)の中だけで解決できると間違って思い込み、実際にこうしています。この結果は、常に挫折しかありません。例えば、核兵器の全廃や地球温暖化対策の世界各国の主張。

 一般法則論や、一般法則論がその理論的な根拠を与える、潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法は、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの全体を丸ごと認識し、丸ごと利用して生きる生き方です。

 自然史と人類史という区分を知らないとか認めないとか信じられない方は、例えば次の本を読んで下さい。

和田純夫著 宇宙創成から人類誕生までの自然史 140億年の9つの進化を探る 読んで楽しむ教科書  ベレ出版 2004年3月
         (世界Ⅲ~ ~世界Ⅴ)
 嶺重慎/編著 小久保英一郎/編著 宇宙と生命の起源 ビッグバンから人類誕生まで  岩波ジュニア新書 477 岩波書店
                    (世界Ⅲ~  ~世界Ⅴ)

 本では無くて、東京の上野公園にある国立科学博物館のような自然史博物館の展示でも、自然史を知ることかできます。
 個人的には、小学生のころから、ここへ何度も通ったものです。

 人類史に関する本は、ずばり「人類の歴史」という題の本から、世界史、日本史、英国史、文化・文明史、宗教史、哲学史、戦争の歴史、服装史、栽培植物の起源など、枚挙に暇がありません。
 今、インターネットで「歴史 本」を検索用語にして検索すれば、沢山の本が出てきます。
 人類史など無いとか知らないと言い張る方々は、これらの中からあなたに合った本を是非探して読んで下さい。

○世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)を六畳の部屋の構造に見立てて体感する
 前置きが長くなりました。
 この世界が、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)で出来ている。
 これを、私は祈るときの前提であり基礎に使っています。
 具体的には、我が家の六畳の仏間全体を、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)に見立てて、祈ることにしています。
 仏間とは、仏壇がある部屋の意味です。

 六畳の間とは、畳が6枚敷いてある部屋のことです。
 畳一枚は、縦の長さを1とすると、横が2の長さになっています。
 我が家の六畳の仏間は、仏壇が東側の壁の中に嵌め込み式になっているので、丸々六畳の広さが使えます。
 部屋の南は、一間半の廊下があり、ガラス戸を介して、屋外に繋がっています。
 廊下と部屋の間には敷居があって、障子で部屋と廊下を仕切ることができます。障子は普段開いています。
 部屋の北側は、襖がある押入れがあります。普段、押入れの襖は閉じています。
 この部屋は、畳がつぎの様に敷いてあります。
 仏壇の前は、廊下に立って部屋の中を見ると(自動的かつ必然的に北向きに立つことになります)、畳が二枚縦に敷いてあります。
 そして、廊下と平行に畳が横に一枚、押入れの前に横に一枚畳が敷いてあります。
 残りの二枚は、縦に並べて敷いてあります。
 このブログの中で図解する方法を知らないので、この文を読んだあなたが、我が家の六畳の部屋の図解をしてみてください。
 このような我が家の仏間を、次のように、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)に見立てています。

 廊下は、Ω神が存在する世界Ⅰです。こう見立てています。
 廊下と部屋の間にある敷居は、Z/魔境の世界のつもりです。ここには障子が嵌められています。
 廊下から障子の嵌っている敷居を跨いで部屋に踏み込んで最初に踏む畳は、天地創造の活動に入ったΩ神=創造主である神(とその天地創造の目的)+自然法則+エネルギーの三位一体不可分の存在とその働きが行われている、世界Ⅱ~世界Ⅲに見立てています。
 これに続く縦に並んだ畳との間には、畳の縁があります。これを目安にして、縦に並んだ畳全体を世界Ⅳに見立てています。
 ここは、物質的→生物的→心理的→霊的な進化の自然史の世界です。
 この縦の畳と、押入れの前に横に敷いてある畳との間の境界には畳の縁があります。これを世界Ⅴに見立てています。
 世界Ⅴは、世界Ⅳの進化の頂点であり、Ω神の天地創造の目的物である、Ω神自らの化身かつ分身の存在の、意識のある心を持つΩ神としてのヒトが誕生した所です。
 押入れの前に横に敷いてある畳は、世界Ⅵ=この世の全て=人間世界の全てに見立てています。
 押入れの襖は、ヒトの記憶の世界を意味する世界Ⅶに見立てています。
 襖を開くと現われる押入れの中は、Z/魔境の世界です。

 以上説明した様に、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)を、我が家の仏間の構造に見立てています。
 これを、実際の祈り方の中でどう使うかの説明は、次です。

○Ω神とヒトによる天地創造の順序と過程を仏間の構造で確認
 祈る私は、最初に、Ω神が存在している世界Ⅰに見立てた廊下に立ちます。
 つまり、祈る私は、この世界の成り立ちと仕組みの創造主であるΩ神が存在している世界Ⅰの所に、自らの生き方を自由に主体的に選んで決めることが出来る機能を備えた意識のある心を持つΩ神として、絶対的無意識の存在のΩ神と一緒に立つ、ということです。
 Ω神が存在する世界Ⅰに見立てた廊下にΩ神と一緒に立つとは、祈る私は、私たちが生れ住むこの世界の成り立ちと仕組みの唯一・絶対・普遍の創造主であるΩ神が自動的かつ必然的に持つ属性の全てと、Ω神の天地創造の意図を認め、受け入れ、全て自分の物にすると決めて、こう宣言するという意味と目的がある行為です。
 そして、常に必ずここから祈りを始めます。
 Ω神による天地創造の順序と過程は、世界Ⅰに始まり、世界Ⅴでひとまず終わります。
 何かの実現の為に祈るとは、世界Ⅰ~世界Ⅴ(~世界Ⅶ)からなるΩ神による天地創造の過程をなぞることです。
 そこで、廊下から歩を進めて、世界Ⅴに見立てた畳の縁まで来て、ここで一度立ち止まります。
 ここから一歩前に足を運ぶと、そこは、世界Ⅵに見立てた押入れ前の畳の上に立っていることになります。
 世界Ⅵからは、「Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒト」=「Ω人」が作る世界です。
 
 この通りのことを、世界Ⅰに見立てた廊下に立って、仏間に入り、世界Ⅵに見立てた押入れ前の畳まで進み、世界Ⅶに見立てた押入れの襖を手で触ってここが記憶の世界だと確認します。
 そして、閉じられた襖に隠れて見えないけれども、押入れの中は、Z/魔境の世界のことだと確認します。

 こうしてから、世界ⅠのΩ神の所である廊下に直ちに戻ります。
 そして、Ω神と共に廊下に立って、特定の願いを実現する祈りをします。
 祈ったことの実現は、文字通りの意味で全知全能のΩ神の理法/潜在意識の法則/引き寄せの法則/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理に任せてしか出来ません。
 Ω神が存在する世界Ⅰに見立てた廊下でする何か特定の目的を実現するための祈りは、本来、自動的かつ必然的に全知全能の実現力を持つ世界Ⅱ以下の働きに取り上げられ、世界Ⅶ/この世の成り立ちと仕組みの中で実現することになります。
 何かを祈ると/何かを考え思いイメージすると自動的かつ必然的にこう思ったことが世界Ⅶの、私たちが「現実の世界」/「実際の世界」/「この世」と呼んでいる物質世界で実現することになります。
 こうなのですが、何をするのでもヒトである自分の意志の力や家族や誰か特定の他人や策略やお金の力や腕力や暴力や権力や法律的な力等に頼って事を実現しようとする悪弊に慣れ親しんでいる人たちが少なくない事実があります。
 そこで、自覚的に意図的に、祈ったらその実現は、全知全能のΩ神の理法に全面的に、洗いざらい引き渡して、その実現を任せる、と明確に言葉にすることが役立つわけです。
 理屈はこうですが、世界Ⅰに見立てた廊下でΩ神と共に祈ったことは、世界Ⅱ以下の過程を自動的かつ必然的に踏んで、世界Ⅵで自動的かつ必然的に実現していることを、即ち、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)の構造を仏間の構造に見立てたのですから、廊下から押入れの前の畳まで歩を進めて、ここに立ち、祈ったことがここで既に実現していることを確認し、感謝し、その嬉しい感じを世界Ⅶ体験として味わうことにします。
 こうすることは、「祈るとき、それは既に得ているものと思いなさい」というイエスの教えにも適っています。
 イエスのこの教えは、ヤッホーと叫べは、ヤッホーとこだまが返ってくるようにΩ神の理法は働く、という原理に根拠があります。
 そこで、何事をするのでも、自分にはそれが出来る或いは出来ないと思ったとおりの結果をΩ神の理法から返事をもらうことになるわけです。
 そして、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中では=原理的には、全てのヒトが、Ω神の化身かつ分身の存在としてのヒトであり、ヒトがしたいと思うことを実際に実現してくれるのは、全知全能のΩ神の理法ですから、このことが本当に理解できれば、原理的には、原則的には、ヒトに不可能は無いことになります。
 以上で、一つの祈りが出来たことになります。

 そして、私が祈るときには、祈るたびごとに、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶの全部の過程を、我が家の六畳の仏間の構造に置き換えてすることになります。

○物質的な身体は世界Ⅵに、非物質的な存在の心/精神は世界Ⅰにあることを確認する
 上の通りに、Ω神とヒトによる天地創造の過程を確認すると、私は、世界Ⅵに見立てた押入れ前の畳の上に立っていることになります。
 ここ、世界Ⅵは、世界Ⅳに始まる物質的な世界の一部です。
 そして、これは、祈る私の物質的な身体は、世界Ⅵに在ることを示しています。
 しかし、祈る私の心/精神は、非物質的な存在です。
 で、祈る私の心/精神は、物質で出来ている世界Ⅳ~世界Ⅵには存在していないことになります。
 では何処に、私の心/精神はあるのか?
 この答えは、祈る私の心/精神は、心の故郷であり、心の発祥地である世界Ⅰに存在する非物質的な存在のΩ神の心の所に、常に必ずΩ神と共にあります。
 即ち、祈る私の物質的な身体は常に世界Ⅵに、祈る私の心は常に世界Ⅰに、Ω神の心と共にあることになります。
 そして、意識のある心を持つΩ神としてのヒト=Ω人として、世界Ⅱ~世界Ⅲ=潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法に則って、自らの日々の生活と一生涯と文化・文明を創造することが出来ることになります。
 そこで、祈るために、祈る私は、世界Ⅰに見立てた廊下に戻り、ここに立って、絶対的に無意識の存在のΩ神と常に共に在って、意識のある心を持つΩ神として、仏間全体=Ω神が創造した世界全体=世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)全体を視野に入れて、これを丸ごと物にし、利用し、活用して、実際に祈ることになります。

○Ω神の魂とヒトの魂=Ω人の魂
 心とこの働きは、「非物質的なΩ神という存在」を意味する「Ω神の魂」の心であり、その活動です。
 私たちが生まれ住んでいるこの世界は、私たちヒトの存在を含めてその全体が全て、Ω神の魂が持つ心の活動一つから誕生したものです。
 全てのヒトは、唯一・絶対・普遍の存在のΩ神の化身かつ分身の存在としてのヒトです。
 ヒトが持つ心/精神は、Ω神の心/精神から誕生しました。
 しかし、幾つもの存在に分離・分割することが、創造主である神の属性として原理的に絶対に出来ないΩ神の唯一・絶対・普遍性により、結局、全てのヒトが、唯一・絶対・普遍の存在のΩ神のただ一つの心を共有して使うことになります。
 祈るヒトは、以上の事実/宇宙大で普遍的で絶対的な真理に基礎を置いて祈ることになります。

○ヒトの身体も心も全て世界Ⅵ~にあるという誤解が人類的な常識
 物質的な身体は世界Ⅵに、非物質的な存在の心/精神は世界Ⅰにある。
 これは、一般法則論の発見です。
 また、潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法での常識です。
 しかし、これまでの人類的な常識は、心も体も全て世界Ⅵ~世界Ⅶの中だけに在る、と考えてきた、と申し上げて良いでしょう。
 言い換えると、世界Ⅵ~世界Ⅶ+Z存在のヒトには、世界Ⅰ~世界Ⅴは、意識のある心にはその存在を知ることが出来ない無意識の世界の中に在って、事実上、存在していないのです。
 この結果は、ヒトがこの世に在って生きることとは、世界Ⅵ~世界Ⅶ+Zの中だけで成り立っている、ということになります。
 具体的には、ヒトの意志の力が全て、遺伝子に根拠のある才能の有無が全て、お金や財産の多寡が全て、政治が全て、腕力や暴力や権力が全て、学歴や卒業した大学のブランドが全て、競争に勝つことが全て、法律/平和憲法が全て・・・、という生き方になります。、
 そこで、世界Ⅵ~世界Ⅶ+Zを超えるいわゆる神仏の存在を持ち出して、これに頼って生きるのは、科学的で合理的な精神が働かない、心が弱い迷信的なヒトのみがする行為であり、科学時代を生きる成熟した大人の人間は、科学と自分自身以外の如何なる存在も頼りにはしないものだ!!! という主張が、もっともらしく唱えられたりします。
 しかし、こう主張する人たちは、世界Ⅰ~世界Ⅴが存在し果たしている役割について無知です。
 上掲の、「和田純夫著 宇宙創成から人類誕生までの自然史」などをたとへ読んでも、自分が生まれ住む「世界Ⅵ~世界Ⅶ+Z」の世界の外にあって自分とは直接関係の無い世界としか受け止めることが出来ないのが一般的です。
 こういう方々は、意志の力もお金も才能も、権力も政治も法律も憲法も学歴等も全く通用しない、例えば不治の病などに侵されたときに初めて、これまでの自分の生き方の基礎にしてきた考え方が無力だと知ることになります。
 いや、こうだと気付くのは、それでも一部の人たちのみです。
 心の闇/無明の闇は深いのです。
 しかも、心は世界Ⅵ存在だと決め込んでいたのでは、癒す力を持つ心本来の力を発揮させることが出来ません。
 癒す力を持つ心の働きは、世界ⅠでΩ神と共にあって、Ω神と共に祈って初めて本来の力を発揮できます。こうだと、絶対的に決まっています。

○「世界Ⅵ~世界Ⅶ+Zの世界だけが世界のすべて」人間が目覚めるとき
 「世界Ⅵ~世界Ⅶ+Zの世界だけが世界の全て」の人間、即ち、仏間で押入れの前の畳にいて、自分が生きている世界はここが全てと間違って思い込んでいるヒトが、例えば不治の病を病んで、いわゆる精神世界/スピリチュアルな世界/心霊世界に関心を持つとします。
 これは、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)を仏間の構造に見立てた場合、北向きに、即ち押入れの前に畳みに立ち、押入れの方を向いていたのを、180度振り返って、南の方を見て、自分が来た道である世界Ⅰ~世界Ⅴを確認することを意味します。
 しかし、世界Ⅰ~世界Ⅴは、このヒトにとって、その殆どが無意識の世界に属しているのが普通です。
 特に、世界Ⅰ存在のΩ神は、その手前にある障子=Z/魔境に妨げられて見えないことが一般的です。
 もちろん、Ω神側から見れば、常に、障子が嵌っている敷居=Z/魔境は一切存在していません。
 たとへいわゆる精神世界/スピリチュアルな世界/心霊世界について解説しているヒトたちの話を頼りにしても、この人たちの殆ど全てが、世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)からなるこの世界の成り立ちと仕組みの全体を知りません。
 いわゆる精神世界/スピリチュアルな世界/心霊世界を説く人たちの多くは、また、潜在意識の法則の活用法/引き寄せの法則の活用法/病気や誤った信念や思い込みを癒す原理の活用法のことをよく知りません。
 このために、いわゆる精神世界/スピリチュアルな世界/心霊世界でも説く祈りをしても、効果が出なかったりします。
 世界Ⅰ~世界Ⅴ~世界Ⅶ(+Z)から成るこの世界の成り立ちと仕組みを説明する一般法則論の出番になります。


 年をまたぎそうなので、ひとまず投稿。



 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

一般法則論の世界観の図解新 テスト 2009年3月12日

2009-03-12 23:29:52 | 一般法則論で説明する世界観の図解
 一般法則論の世界観の図解新 テスト 2009年3月12日

○Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組み全体の「見える化」の試み(矢印の順序で天地創造)
(注記1 Ω神=天然自然の存在の唯一絶対の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在)
(注記2「矢印」の前後は、原因と結果の関係/論理的前後/時間的前後/超越と被超越等の関係を示す)
(注記3 等号「=」/「∥」は、等しい関係/同じことの言い換え/同じ範疇内の大小関係等を示す)
(注記4 「・」は、隣接する用語間の単なる仕切り/区切りを示す)

世界Ⅰ    〔世界Ⅱ 「魔境 (世界Ⅲ   (世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ      (世界Ⅶ→世界Ⅰ
Ω神 =   〔A→   「Z→  (B→      (C→    (D→   (H→E→F→G→(M)」〕→Ω神
絶対的無意識 創造神  ・   Ω神の天地  天然自然 Ω人の  俗・人・子・文明 人が生きた記憶
天地創造の              創造の理法  の世界  物的身体 人・生・孫・歴史   ↓
第一原因者                ∥           ↑    ↑          Z化(妄想化)
魔境/世界Ⅲ以下を絶対超越 自然法則+エネルギー →Ω人の生き方の原理

絶対的無意識のΩ神の天地創造の目的は意識のある心を持つΩ神の創造=Ω人の創造
  ∥
霊的・心的存在のΩ人たるヒトの宇宙的地位
  ∥
Ω人=生物学的存在のヒト=西洋哲学でいう「理性」のあるヒト


Ω神の魂・Ω人の魂・俗人の魂という新しい用語の追加

2009-03-09 23:24:44 | 一般法則論で説明する世界観の図解
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境     (世界Ⅲ(世界Ⅳ  (世界Ⅴ (世界Ⅵ      (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
空の世界     妄想の世界
Ω神= 〔A→∥ Z→    (B→ (C→   (D→   (H→E→F→G→(M )))))∥〕 Ω=神の国
創造神 ↑ Ω神の 天然自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
 霊的     M      理法  の世界   Ω人   人・生・孫・化史  ↓
 心的     (記憶)                            Z→→→→→Z
存在のΩ人 

○Ω神の魂・Ω人の魂・俗人の魂 重要な用語の名の追加について
 これまで、Ω神(世界Ⅰ存在)、Ω人(世界Ⅴ存在)、俗人(世界Ⅵ存在)と名付けてのについて、それぞれの後に「~の魂」という言葉を付け加える用語を作ることにしました。
 即ち、Ω神、Ω人、俗人という表現/用語の他に、Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂、と言う新しい用語/表現を作った、という訳です。
 これによって、例えば、「魂を磨く」/「魂を成長させる」/「魂を汚すようなことをするな!」/「世界Ⅱ以下~世界Ⅶ~Zを絶対的に超越して存在する常に永遠に絶対的に清浄無垢の神聖不可侵の魂」という存在/「不死不滅の永遠の生命力を持つ魂」/「魂と魂が出会う」/「魂の叫び(を聴け!/に応えよ!)」等の表現に中身となる意味を与え、実体化しよう、という訳です。
 Ω神、Ω人、俗人は、言わば「魂」をその内に秘めている外観の包装物です。
 この通りに表現すれば────
 Ω神(の魂)、Ω人(の魂)、俗人(の魂)です。

○Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂の間にある基本的原理的関係
 Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂の間の基本の原理的関係は、Ω神、Ω人、俗人の間にある関係と同じです。
 即ち、Ω神の魂=Ω人の魂=俗人の魂です。
 大小関係をより正確に表現すれば────
 Ω人の魂は、俗人の魂より大きく、その内に俗人の魂の全体を含みます。
 Ω神の魂は、Ω人の魂と俗人の魂よりもも大きく、Ω人の魂と俗人の魂の全てをその内に含んでいます。

  Ω神の魂=Ω神の魂>Ω人の魂>俗人の魂

 但し、Ω人は、Ω神の化身かつ分身の存在として、Ω神の存在を否定することもできる絶対的に自由な主体者として造られているので、Ω人の魂は、現象的には、Ω神の魂の働きの外へ出ることがあります。これを妄想と言います。
 しかし、この場合でも、Ω人の魂が持つ機能は、必ずΩ神の魂の機能の一部であることには少しも変わりはありません。
 これは、比喩的に言えば、台所用の包丁として作られている物を、間違って殺人の道具に使うようなものです。

○「~の魂」を付ける新用語を作った理由
 Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの中で───
 Ω神、Ω人、俗人は、Ω神の天地創造の理法/自然科学で言う「自然法則+エネルギー一体不可分の働き」を、この世界を造る為の言わば「道具」にし、この世界を造るための素材に使う役割を担う「創造的行為の主体」となる絶対的な存在です。
 「こうある筈の存在だ」と、Ω神が全て造っているこの世界の成り立ちと仕組みの中で最初から決められています。
 Ω神、Ω人、俗人は、Ω神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの中で、「それ自体で、自立し、自律し、自己組織化され、自己完結している独自で不変の主体的な絶対存在」です。
 しかも、Ω神、Ω人、俗人の本質は、非物質的な心/精神と呼ばれるものです。
 そこで、Ω神、Ω人、俗人とそれぞれ名付けた存在の「それ自体で、自立し、自律し、自己組織化され、自己完結している独自で不変の主体的な絶対存在」を自覚的に意図的に意識化し、独自の固有の名前を付けて、しっかりと私達の意識に上らせようという訳です。この意図です。
 即ち、Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂。
 従って、この文の最初に掲げた一般法則論の世界観の略図は、Ω神(の魂)、Ω人(の魂)、俗人(の魂)のつもりものになります。

 一般法則論の世界観の図解をした2008年12月03日以降の文も、当然にこのような意味になります。

○名付けの効用を生かす
 何かについて、それを表す固有の名前を付ける効果/効用があります。
 例えば、あなたや私の名前。
 時代区分の名前の例えば、江戸時代、事件や出来事に付けられた名前の例えば、大化の改新/明治維新/カノッサの屈辱/2・26事件/原爆の日など多数。
 特定の概念を一言で言い表した言葉として、宗教、自然科学、自然法則、エネルギー物理学、化学、哲学、存在論、認識論、創造論、学名など。
 簡単な覚え易い特定の「名前」や「見出し」等を付けて「固有名詞」化することで、その全体を一言で表す。
 これに反する話は、落語の「寿限無」という「題」/と名付けられた話。
 この効用は、あなたも御存知の通りです。
 このことを意識して、一般法則論では、ここで使う概念の名付けをしています。
 例えば、一般法則論やΩ神、Ω人、俗人という言葉。
 この世界の成り立ちと仕組みは、創造主である神、自然法則、エネルギーの3語で話せるという時の、創造主である神、自然法則、エネルギーと名付けられた概念。
 そして、今、新しく、「Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂」という言葉。
 もちろん、名付けの対象は、私達が生きている全世界の最初に存在し、世界の根源的な始まりの世界を意味する「世界Ⅰ」に実在するΩ神から全て出たこの世界の成り立ちと仕組みの中にはその存在が実在しない/実在し得ない、例えば架空の動物の「龍」とか「マルクス主義」とか「平和運動家」とかガルトゥング氏がその存在と効用を主張する「構造的暴力とこの克服」などもあります。
 これはこれとして、この世界の成り立ちと仕組みとこの世界の中で起こっている諸々の事に付けられた「名前」を知らないで、例えば「自然法則」という「言葉」とこの言葉が指し示している意味/中身/概念/実体について、万人に通用し得るような何かを考えることは、事実上できないものです。
 自分が生まれて生きているこの世界の成り立ちと仕組みについての無知と不勉強は、その御本人にとってだけでなく、その人の周りの人達にとっても、社会全体にとっても、国家や全人類にとっても損失でありかつヒト迷惑なことです。

○なぜ例えば「(Ω神の)神格/霊格」ではなくて「~の魂」なのか?
 Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂。
 しかし、何故、例えば、Ω神の神格/霊格、Ω人の神格/霊格、俗人の神格/霊格ではいけないのか?
 こうであっても良いのかも知れません。
 しかし、一般法則論では、「神」という言葉を敢えて採用している理由を前に説明しましたが、この場合と同じ考え方で、「~の魂」という言葉を選んだのです。
 「神」という言葉を一般法則論で使うことにした経緯をここで繰り返して説明すると────。
 「神」という文字をみれば、また、「カミ」という言葉を耳にすれば、すぐにそれが何を指し、何を意味しているのかが「分かっている」と、本当は個人レベルではもちろん未だ人類全体のレベルでも何も知らない筈のことについて、直ちにそう間違って思い込む人達が普通にいます。
 こうであることを充分承知で、言い換えると、「神」という文化・文明的/歴史的な「手垢」のついた名前であることを承知で、誰かヒトがでっち上げた存在では無い、私達全ての存在に時間的にも論理的にも先立って、それ自体で在るようにして在る天然自然の存在の「神」であるΩ神を指し、Ω神を意味する言葉として、一般法則論の中では敢えて昔ながらの「神」という名を残して使うことに決めました。
 Ω神を指し、Ω神を現す言葉として、「神」という言葉は人類の文化・文明の歴史の中でこれ以上一般的に知られている言葉は無い、と考えるからです。
 言い換えると、一般法則論で、Ω神について、勝手な名前を発明して付けるのは適切では無い、ということです。
 同じく既に文化・文明的/歴史的な「手垢」のついた名前であることを承知で、「魂」というよく知られている名前を敢えて採用し、使うことに決めました。
 即ち、Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂。
 Ω神、Ω人、俗人のという存在の中心にある不変かつ永遠不滅の創造活動の心的/精神的主体について、人類はずっと「魂」と名付けて呼んで来た、と言って良いでしょう。
 これについて、一般法則論が勝手に変な名前を付けるのは良くありません。

○Ω神・Ω人・俗人は単に霊的/心的/精神的な存在では無い
 Ω神、Ω人、俗人は、一般法則論の説明では、その本質/実体は、全て非物質的な存在です。
 即ち、Ω神、Ω人、俗人は全て、本質的に非物質的存在=霊的な存在であり、心的/精神的存在です。また、こう名付けて呼ぶものです。
 同時に、Ω神、Ω人、俗人は、この世界を造る、それ自体で自己完結して独自に存在する主体的な存在であることも見逃せません。
 そこで、これを担う中核の存在性を意識化し自覚的な知識にするために、Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂という訳です。

○まとめ
 用語、Ω神、Ω人、俗人には、それぞれこの後ろに、「~の魂」という言葉を付けることにしました。
 昨日、3月8日に、こう決めました。
 また、Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂と名付けたこの日を、「サンパチの魂の日」と名付けました。
 先の「Ω人、俗人」と名前を付けた3月3日は、「雛祭の改新の日」と言うことになります。
 これによって、Ω神、Ω人、俗人の活動の不変の中心/核心となる「霊格」を意識化し自覚的な知識にして、これを意識し、自覚して生きよう、という訳です。
 Ω神の魂、Ω人の魂、俗人の魂。
 Ω神(の魂)、Ω人(の魂)、俗人(の魂)。

 以下は余談です。

○昨日観梅に行ってきました
 昨日2009年3月8日、大学時代のサークルのOB・OG会の仲間の友人達と、鎌倉(神奈川県)へ観梅に行ってきました。
 昨日は、一週間前は雨の予想でしたが、それが前日には日中は曇りの予想になり、当日は、春の日が差すまで回復しました。これは、参加した仲間の中に「晴れ女」と「晴れ男」が揃ったお陰かも知れません。
 梅の花は、既に盛りを過ぎていました。
 それでも、梅の香を、皆で楽しんできました。
 そもそも、大学時代のサークルのOB・OG会の仲間の友人達は、私にとっては、その元気な顔を見、その笑い声を聞くだけで、とても嬉しくなります。
 それに、大学時代のサークルのOB・OG会の仲間達には、「一般法則論者の私」の「お里のほど」が知られていますので、とても安心です。

 話が飛びますが、松本清張氏の小説の主人公には、時には反社会的な行為をしてまで苦労して現在の社会的地位と名声を築いた人物が、自分の過去を知る人達を全て消しに掛かる、という筋のものがあります。
 もちろん、このようなことは間違いです。
 Ω神の存在とΩ神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みも、これに根拠のあるΩ人/ヒトの生き方の原理の存在も知らず、従って、Ω人の生き方の原理を担うΩ人の魂の存在も御存知では無かったと思われる松本氏らしい人物を中心に据えた小説の創造、と理解しています。
 以上

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


追記
 本日、3月9日の夜10時から、ポアンカレ予想についてここで書くことにNHKの番組を放送中です。
  以上



2008年12月3日の「一般法則論の世界観のみえる化の図解」の修正の件

2009-03-03 22:00:00 | 一般法則論で説明する世界観の図解
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください(2009年3月3日修正)。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (H→E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的    人・子・文歴  記憶
(心的なD)    M(記憶)           Ω人     生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                    Z→→→Z

 今日、2009年3月3日は、桃の節句。
 そこで、夕方、近くの花屋さんに行って、桃の蕾がいっぱいついた一枝を買って帰りました。
 女性方、桃の節句、おめでとうございます。
  一般法則論者

○2008年12月3日の「一般法則論の世界観のみえる化の図解」の修正をしました
 2008年12月3日の「一般法則論の世界観のみえる化の図解」の修正をしました。
 修正し変更した点は、以下の通りです。
 
○修正と変更点
 D=「意識のあるΩ神の化身かつ分身のヒト」を、D=Ω人に名称を変更しました。
 そして、D=Ω人とE=Ω神人各人の人生の間に、H=俗人を挿入しました。
 これに伴い、2008年12月4日以降の文の冒頭に掲げてある一般法則論の世界観の簡略図も、この文の冒頭のよう順次に修正することになります。

○変更前の原文のときの理解とその後の修正の経緯
 2008年12月3日現在の時点では、この図解は、「Ω神が造る完全完璧な世界の図解」のつもりでした。
 そこで、D=ヒトは、Ω人であると同時に、世界Ⅵ存在のヒトでも当然にΩ人である、としたのです。
 しかし、Zをこの図解に入れましたから、D=Ω人であっても、世界Ⅵ世界のΩ人は必ずしもΩ人では無いことを見える化する必要が生まれました。
 また、一般法則論の世界観の見える化の図解を使って祈るときに、H=俗人の見える化が役に立つと分かりました。
 そこで、これを「H」と記号化して、世界Ⅵの住人=俗世界の住人=「俗人」と名付け、見える化することにしました。
 H=「俗人」を一般法則論の世界観の見える化の図解の中に位置づけると、D=Ω人の後で、E=Ω人各人の人生との間になります。

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。

聖なる世界と俗なる世界の関係の図解

2009-01-18 19:56:33 | 一般法則論で説明する世界観の図解
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ   (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
           妄想 
Ω神= 〔A→  ∥Z→ (B→  (C→  (D→   (H・E→F→G→(M)))))∥〕    Ω=神の国
  ∥        ↑   理法   自然  物的   人・子・文歴  記憶
(心的なD)     M(記憶)          ヒト   生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                                   Z→→→Z


 この文では、「現地と地図」の比喩で一般法則論の世界観の図解化を説明した文の注記2で簡単に説明した「聖なる世界」と「俗世界」と名付けた用語について、この両者の関係について、また図解化をして頂くことにします。

○聖と俗と名付けた文をその儘ここに再掲載
 聖なる世界と言い、俗なる世界と言い、2009年12月3日にこのブログに載せた「一般法則論の世界観の図解」が大前提になっています。
 以下、再掲載。

 世界Ⅰ~Ⅲの世界を「聖」なる世界と名付けることにします。
 世界Ⅳ~Ⅶの世界を「俗」世界と名付けることにします。

 「人は地獄に足を突っ込んで立ちつつ、頭(=心)は雲を上に突き抜けた天国にある」。

 即ち、人は、聖と俗の世界を常に併せ持つ存在です。
 聖なる世界は、ヒトとヒトが住むこの世界の成り立ちと仕組みの絶対的創造主であるΩ神と、Ω神の化身かつ分身の存在のヒトが共にある世界です。
 私達ヒトが生きている現実の世界は、「聖と俗」とを一つに合わせたもので成り立っています。
 そして、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みでは、聖なる世界の絶対秩序の中に俗世界がある、という形になっています。→一般法則論の世界観の入れ子構造の図解を参照
 しかし、人類は、「聖」なる世界の役割を知らず、現在「聖」な世界を見失い、 「聖」なる世界の存在を否定し、「俗」なる世界を、自分たちが生きている現実世界の全てだ、という間違った考え方に毒されています。

○聖と俗の世界というΩ神が造った世界の分け方の再確認と今一つの分け方
 「聖」世界は、「図解」では、世界Ⅰ~世界Ⅲを一言に纏めて名付けたものです。
 「俗」世界は、同じく、世界Ⅳ~世界を一言に纏めて名付けたものです。
 これに関連して、Ω神が直接造った世界の範囲と人が直接作る世界の範囲という区別が必要だと分かりました(注記1)。

○「聖」世界と「俗」世界の関係について図解化する
 私達が生きている「現実世界」と呼んでいる世界は、聖なる世界と俗なる世界からなっています。
 このことについても、図解化をしておきたいと思います。
 この図解も入れ子構造になります。
 ということは、この図解をブログに載せるとその形が崩れてしまうことになります。
 そこで、入れ子構造関係を、この文では、先にしたように、括弧記号の関係で示して、これを元にして、皆さんで「聖と俗の世界の関係を示す入れ子構造」を完成して頂くてことにします。

○聖と俗の世界の入れ子構造の図解の描き方
 〔現実世界の全体=聖なる世界+俗世界=(Ω神が絶対支配する聖なる世界(俗世界))〕
 簡単な図解です。

○Ω神が絶対支配する聖なる世界の入れ子に書き込む言葉
 「Ω神が絶対支配する聖なる世界」の入れ子には、次の如き書き込みをします。
 世界Ⅰ~世界Ⅲ
 現実世界①
 心/精神の世界
 (Ω神とΩ神の心を持つヒトによる)俗世界の自覚的・意図的な制御(をする)

○「俗世界」の入れ子に書き込む言葉
 「俗世界」の入れ子に書き込む言葉は以下の如くです。
 世界Ⅳ~世界Ⅶ~Z
 現実世界②
 物質世界/物質的身体

○簡単な解説
 俗世界は、聖なる世界の中に抱かれて存在し機能しています。
 この逆の関係ではありません。
 しかし、俗世界に属する物質的身体に自動的かつ必然的に伴う「五感」がもたらす現実感に圧倒されて、現実は物質的身体が存在する世界Ⅳ~世界Ⅶ~Zが全て、という錯覚に多くの人達がそれと自覚が無い儘に陥ります。
 この錯覚に気が付いて、聖なる世界を含めた全体が、私達が実際に生きている現実世界の全てだ、という正しい認識を持つことです。

○聖と俗との関係を理解する比喩としての芝居の舞台
 何処かの劇場で実際に演じられているお芝居の舞台をイメージして下さい。
 お芝居の世界は、非日常的/非現実的な仮想の世界/バーチャル・リアリティの世界/Zの世界です。
 しかし、劇場の舞台も、舞台の上でお芝居を演じる俳優さんたちも、現実の世界に属しています。
 また、劇場の舞台の上の「現実の世界」は、聖なる世界(一言で言えば俳優さんの「心の在り方」の世界)と俗なる世界(身体と舞台とこれに伴う装置)が一つに重なって存在しています。
 そこで、舞台で芝居を演じている俳優さんが、お芝居の役や舞台上のセットや相手役等や或いはその舞台とは関係なく個人的に/私的に何かの「メンタル・ハザード」/「迷い」/「心配」等を持っていると、これが心の乱れとなって舞台上でその立ち居振る舞い方になって現れることになります。

○注記1 Ω神が造る世界とヒトが作る世界
 Ω神が造る世界とヒトが作る世界の区別があります。
 この区別をしておく必要があります。
 これについては、「Ω神とヒトとの関係について」2009年1月16日で説明しています。
 注記1の終わり

○余談
 ヒトがヒトを裁くことができるのか、という問題は、別の文にします。

 例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。


一般法則論の世界観の図解を横から見た図解  2009年03月03日修正

2009-01-18 00:50:02 | 一般法則論で説明する世界観の図解
○一般法則論の世界観の図解
 以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
 入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。

 世界〔世界「魔境 (世界(世界(世界(世界       (世界)))))」〕世界
  Ⅰ  Ⅱ     Ⅲ  Ⅳ  Ⅴ  Ⅵ         Ⅶ     Ⅰ
      ∥妄想
Ω神=〔A→∥Z→  (B→(C→(D→(H→E→F→G→ (M))))∥〕Ω=神国
 ∥    ∥↑   理法 自然 物的  俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD) M(記憶)      Ω人  人・生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                          Z→→→→Z

○一般法則論の世界観の図解を横から見た図解
 2008年12月03日(123の並び)日付の一般法則論の世界観の図解を横から見た図解を作ります。
 まずは、その図解。名前を、一般法則論の世界観の「立体図」とします。

 一般法則論の世界観の図解を横から見たもの。
 これは、私達が生きている世界は、世界Ⅰを基礎にし、常に永遠に変わることなく、世界Ⅰの上に成り立っていることを明らかにするものです。


 Ω神の世界=神の国
  ↑
  A
  ↑       Z界 生き方の原理を知らないヒトの苦悩の生老病死の記憶
  ↑       ↑
 世界ⅦM ヒトが生きた記憶
  ↑
      Ω人と各人の人生/各人の子孫/人類の文化・文明/人類の歴史
 世界Ⅵ  ヒトが作る世界 H・E・F・G
  ↑
 世界ⅤD Ω神の化身かつ分身のΩ人(宇宙大で言えば宇宙人一般)の誕生
  ↑
 世界ⅣC ここから宇宙の果てまで広がる、物質で出来た天然自然の世界の誕生
  ↑
 世界ⅢB Ω神の全知全能の理法の働き/自然法則+エネルギー一体不可分の働き
  ↑
  Z界   Ω神が作った世界には存在しない世界 Ω神が造ったこの世界の成り立ちと
  ↑   仕組みに基づいたヒトの生き方の原理を知らないヒトたちが生きた記憶が
  ↑   人類の潜在意識化してΩ神の発見を妨げる。
  ↑   悟りの体験ができずM→Z→M→Zの輪廻の世界を生きることになる。
  ↑
  ↑
 世界ⅡA 唯心論的創造原理+汎神論的天地創造の原理で天地創造を始めたΩ神
  ∥
 Ω神の意識のある心を持つ化身かつ分身のヒト(宇宙大で言えば宇宙人一般)
     ∥
 世界ⅠΩ神 無次元(無時間で無空間)の非物質世界に心のみで出来ている、
 絶対的無意識の存在の、天然自然の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在の創造主であるΩ神

 例によって、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気が付き次第訂正します。
 書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
 

一般法則論の世界観を「見える化」した図解  2009年3月3日修正

2008-12-03 13:58:29 | 一般法則論で説明する世界観の図解
○一般法則論の世界観の図解に重要な修正をしました 2009年3月3日
 以下に説明する重要な修正をしました。
 D=Ω神の化身かつ分身のヒトとE=各人の人生の間に、H=世界Ⅵ存在のヒト/俗世界人間のヒト=「俗人」を挿入しました。
 また、D=ヒトをD=Ω人(おめがじん)に変更します。
 これに伴い原文の一部を書き換え、また一部を削って、それを別の文に移しました。

○前書き
 この文では、一般法則論で説明している世界観を「図解化」=「見える化」します。
 一般法則論の世界観の眼目は、この世界の全て、Ω人の全てを、この世界の成り立ちと仕組みの全てを造ったΩ神の観点で見ることを憶えることです。この練習をすることです。
 各人の在り方/生き方のリセット、人類史のリセットは、Ω神の目でこの世界とΩ人を観ることに自動的かつ必然的に伴って行われます。

○お手数でも図解を紙に書いてくださるよう、お願いします
 Ω神・A・B・C・D・H・E・F・G・M・Z。
 Ω神を下地にして、Aを一番外の枠に、Mを最内枠にした入れ子構造の図解を作りました。
 プリンターでA4の紙(印字した紙がΩ神の場)に印字すると綺麗な図が出来ます。
 しかし、このブログに載せると、入れ子構造の枠がずれてしまって正しく表示出来ません(未明に1分前後の間、テストの為に載せたのにこれをダウンロードしてくださった方が複数おられました。驚きました)。
 何か良い方法があるのかも知れませんが、それを探している時間が無いので、以下の図を参考に、お手数でも皆さんそれぞれにその入れ子構造の図を紙の上に描いて下さい。これをお願いします。
 これに伴い、図解を見ればこれで一般法則論の世界観が一覧できるようにと、図解の中に書き込んでいた説明文を省略しました。
 この文では、基礎的な説明を加えた図解をまず先に作って頂くことにします。
まずは、一般法則論で説明する世界観の図解(神が実在している世界図)。

○図解の作り方の本になる図(神が実在している世界図)
 以下の図の〔((・・・))〕の括弧の対応は、入れ子構造を示しています。
 紙に描く入れ子構造は、円形でも四角形でも三角形でもお好きな形で描いて下さい。
 この先の「一般法則論」の話は、これから描いて頂く「世界観の入れ子構造の図解」が皆さんのお手元にあることを前提にして、話を進めます。

○Ω神からMまで一直線上に揃えて描くことなど
 Ω神からMまで、そして、矢印で再びΩ神までは、一直線上に揃えて描くことをお勧めします。
 図ではこのワープロの画面の字数枠の制約で矢印を一部省略しています。
 Zは、図のように、Mから一段下げた直線上に描くことをお勧めします。
 そして、Zの入れ子構造内は、斜線を引くとか色分けすると、その魔境的本質を際立てて表すことができるでしょう。
 世界Ⅰから世界Ⅶまでの表記は、Ω神からMまでを描いた直線と直角に交わるように、上から順に入れ子構造の中に書き込みますと、見栄えが良い図になるでしょう。
 注意すべきことは、Zは、創造主である神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みの中には元々存在していませんから、世界の番号が無いことです。
 Bの「理法」、Cの「自然」、Dの「物的Ω人」などの書き込みは、B、C、D等が何を意味するかに関するメモです。省略してもお分かりになる方はそうして下さい。

 世界〔世界「魔境 (世界(世界(世界(世界       (世界)))))」〕世界
  Ⅰ  Ⅱ     Ⅲ  Ⅳ  Ⅴ  Ⅵ         Ⅶ     Ⅰ
      ∥妄想
Ω神=〔A→∥Z→  (B→(C→(D→(H→E→F→G→ (M))))∥〕Ω=神国
 ∥    ∥↑   理法 自然 物的  俗・人・子・文歴  記憶
(心的なD) M(記憶)      Ω人  人・生・孫・化史  ↓
 唯一絶対                          Z→→→→Z

○略図
 神が実在している世界図を更に簡略化したもの。
 この世界の成り立ちと仕組み(C~M)が創造主である神「Ω神=A+B(=自然法則+エネルギー一体不可分の働き)」によって全て造られていることを示す。

 Ω=〔A→(Z)→B→(C→(D→(H→E→F→G→(M)))→〕→Ω=神の国
 ∥  求めよ  さらば 与えられん          ↓
 D                          Z→→→Z

○上の図において、括弧と矢印の意味
 括弧、・〔・「・(・)」〕・は、入れ子構造の関係を示します。
 「=」/「∥」は等号。左辺と右辺は等しい関係にあるか同じことの言い換え、と言う意味。
 この世界の成り立ちと仕組みの中では、同じ世界に存在している、という意味。
 「→」/「↓」/「↑」は、因果関係の順序/論理的に前後の順序/時間的に前後の順序を示します。
 同時に、矢印の方向は、超越関係=不可逆の関係にあることを示しています。
 即ち、矢印の先にあるものを、矢印の根本にあるものが一方的に超越し、一方的に支配し、制約し、限定し、影響を与える関係にある、という意味。
 この反対の関係、即ち、矢印の先にある存在が、矢印の根本にある存在を支配し、影響を及ぼすことは原理的に絶対的に無い、という意味。
 言い換えると、矢印の先にある存在にとって、矢印の根本にある存在は、原理的に絶対的に神聖不可侵の存在、という意味です。
 Ω神は、この世界の成り立ちと仕組みにおいて、矢印が発生する最初の所にありますから、Ω神は、この世界の成り立ちと仕組みの中で、絶対的超越の地位=絶対的神聖不可侵の地位にある、言い換えると、絶対的超越は絶対的自由さを持つ地位にあることになります。更なる意味は別の文で説明します。
 神が存在している世界の図の中で、等号と矢印とが一緒に存在しているΩ神とΩ人の関係については、Ω人は絶対的無意識の存在のΩ神が意識のあるΩ神になった存在だという意味です。
 という意味は、Ω神=Ω人の関係ですから、Ω神の持つ全ての属性、例えば絶対的自由さを全てのΩ人が生得的に本質的に持つ、ということです。詳しい事は別の所で説明。

○文字記号の簡単な説明
 説明すること、説明したいことは沢山あります。
 しかし、ここでは差し当たり必要な説明に止めます。

○世界Ⅰ 無時間で無次元の「絶対的に、永遠の、今、ここ」しか無い心の世界
 世界Ⅰ Ω神
 Ω神(おめがしん。ギリシャ文字で大文字のΩは「究極」を表し、英語のZに当たります)とは、ヒトが造ったのではない、私達Ω人(宇宙大で言えば宇宙人一般)がこの世界に誕生する遙か前から、それ自体で在るようにして在る、天然自然の存在の創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在の創造主である神を、一言にまとめて表現したものです。
 私達人間存在と私達が住む宇宙大の世界の全てが、Ω神ただ一つから生まれました。
 言い換えると、私達が生まれ住む物質的な4次元世界が存在するようになる前の、「絶対的に、永遠の、今、ここ」にしか存在しない、無時間で無次元の非物質的な世界=私達が心とか精神と呼ぶものだけで構成されている世界が世界Ⅰ。
 Ω神は、Ω神によって造られた多様性のあるこの世界の大本であるが故に、Ω神自体は何か特別の姿・形を持つ存在であってはならないという意味で「ゼロ」/「空(くう。カラッポ)」の存在です。このような存在は、既に特定の姿・形がある物質なものではありえません。そこで、Ω神は姿・形の無い非物質的な存在、即ち、私達が心とか精神とか魂と呼ぶものになります。また、世界Ⅳで物質が誕生する前の世界Ⅰの存在のΩ神であり、物質的世界の創造主である神のΩ神が物質的な存在である訳も無いことになります。
 なお、図解では、Ω神を、紙の余白に描きました。これがもたらす誤解を解く話は別の文。

 以下は、英文字で、ABC・・・と続けます。
 その全体を簡単に物語ると・・・。
 唯一絶対普遍かつ至高の創造主である神であるΩ神が、自らの化身かつ分身の存在のΩ人(宇宙大で言えば宇宙人一般)を無数に無限に造り出して、その一人一人になって様々に生まれ、様々に生きて、様々に遊び楽しむことを実現する目的で、自らの天地創造の原理=自然法則に則って、自らの心身=エネルギーを宇宙大に自己展開する形で、Ω人(宇宙大で言えば宇宙人一般)の存在を含めて、全体でただ一つのこの世界の成り立ちと仕組みを造りました。
 この物語を、「汎神論的天地創造の原理」と一般法則論では名付けることにします。
 「汎神論的天地創造の原理」に則ってこの世界の成り立ちと仕組みが造られました。
 同時に、Ω神は、自らが造ったΩ神の世界=神の国を原理的に絶対的に超越した神聖不可侵の存在として世界に君臨しています。→先の矢印の説明参照。

○世界Ⅱ A 実際に天地創造を開始したΩ神=創造主である神
 世界Ⅱ A
 Aは、Ω神の天地創造の意図の実現に向けて、Ω神から分化し分節して、「唯心論的創造原理」(+「汎神論的天地創造の原理」)に則って実際に天地創造を開始した創造主である神の意味です。
 創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の存在のΩ神が、Ω神が意図する天地創造の為に、創造主である神と自然法則+エネルギー一体不可分の働きとに分化し分節したことを明確にする為には、世界Ⅱに創造主である神を位置づけることが必要です。

○世界Ⅲ 因果必然の法則である自然法則+エネルギー一体不可分の働きの世界
 世界Ⅲ B
 Bは、一言で言えば、Ω神の理法/Ω神の天地創造の原理/Ω神の活動の原理。
 自然科学では、自然法則+エネルギー一体不可分の働き。
 Bは、原因(天地創造を開始したΩ神の天地創造の意図)と結果(私達Ω人と私達が生まれ住んでいる物質的な世界)の間を繋ぎ、非物資的な心の思いを物質的存在に変換する力を持つ、因果必然の法則/善因=善果・悪因=悪果という性質を持ちます。
 同時に、Bは、この世界の絶対的な成り立ちと仕組みを絶対的に造り、その絶対的秩序を造り、これを自動的かつ必然的に維持する機能/役割を合わせ持っています。これは、自動的かつ必然的な自然回復力/自然治癒力の源の力になります。
 言い換えると、Ω人はΩ神が造った世界の秩序を否定し変更することは結局出来ません。つまり、Ω人の作ったものに自然修復力が自動的かつ必然的に働くようにすることは原理的に出来ない、ということです。なぜならば、天然自然の自然回復力がΩ人の造った物を再び自然に戻すからです。これを正しい意味の「エントロピー増大の法則」と言います。
 言い換えると、人類史は否応なしにΩ神の国=神の国を地上に実現する道を歩んでいる、ということです。
 平たく言えば、「正義が勝つ。何かの政治思想や宗教等を根拠に不正や悪をなす者は、結局この世でもあの世でもその立場を正当化できる根拠は無い!」
 この世界にとってΩ神の理法はこのような意味を持つものですから、Ω神と言えども、自らの天地創造の原理/自らの活動の原理を一瞬たりとも無視しこれを否定し或いは止めて活動することは絶対的にできません。これはいわゆる奇跡や超能力の理解に欠かせない点です(これに関連して奇跡と超能力の話は、別の文にします)。

 同じことの説明を繰り返します。
 Ω神の天地創造の意図=心の思いを形あるものにすることに向けて、Ω神から分化し分節して、実際に物質的な世界を造る為に活動に入った、因果必然の法則の、Ω神の理法/自然法則+エネルギー一体不可分の働き。
 なお、エネルギーはΩ神の心身が源。自然法則は狭い意味のΩ神の天地創造の原理。→汎神論的天地創造の原理
 Ω神の理法/自然法則+エネルギー一体不可分の働きは、宇宙大で普遍的で絶対的。
 Ω人(宇宙大で言えば宇宙人一般)は、これに代わる如何なる力も持ちえない。
 イエスが、これを無視する者は絶対に許されることがない存在として「聖霊」と呼んだのは、このBの働きのことです。
 自然科学的には、Ω神の天地創造の目的通りにこの世界の成り立ちと仕組みを造ることにおいて、自然法則とエネルギーとが一体不可分で果たす機能/役割、この両者の関係、働き方の原理(この世界の成り立ちと仕組みがシステム化されている原理/物質化し量子化されている原理/重力が発生する仕組みなど)等の解明が必要になります。

○世界Ⅳ Cの世界は宇宙の果てまで広がる全体でただ一つの天然自然の世界
 世界Ⅳ C
 Cは、原因=結果の因果必然の法則の働き=A+B一体不可分の働きにより創造された、宇宙大の物質的な天然自然の世界であり、Ω人=Dの生活基盤/インフラになるものとして、Ω神が自らの化身かつ分身のΩ人(宇宙大で言えば宇宙人一般)に予め用意して与えてくれた物=所与のものです。この中には男女の性別と性差も含まれています。
 世界Ⅳは、時間1次元、縦×横×高さの空間3次元からなる4次元世界の誕生。
 なお、アインシュタインが、単なる4次元世界ではなくて、時空一体不可分の世界であることを発見しています。これは、汎神論的天地創造の原理の働きが自動的かつ必然的にもたらしたものです。詳しい説明は別の文でします。

○世界Ⅴ 意識のある心を持つΩ神=Ω人の誕生
 世界Ⅴ D
 世界Ⅳの中に、物質で造られた世界Ⅳ=天然自然の世界を母体にして進化の名で知られる過程を経て誕生した、非物質的な心と物質的な身体を合わせ持つΩ人(宇宙大で言えば宇宙人一般)の誕生。
 Dは、絶対的無意識の存在のΩ神が、自らの生き方を自由に考え、選んで決めることが出来る能力/機能を持つ「意識のある心」を持つ存在=Ω人(宇宙大で言えば宇宙人一般)を創造するために天地創造を開始した究極の到達点=意識のあるΩ神です。
 即ち、絶対的無意識の存在のΩ神→物質の誕生と進化→物質で身体が造られていてかつ生命活動をする生物の誕生と進化=(等号は同時進行の意味。以下同じ)生物の身体を支配し動かす基本のソフト(OS)をハードウエア化した脳神経系の誕生と進化=大脳の誕生と進化=心/精神の誕生と進化→絶対的無意識の心の中から意識のある心の誕生と進化=意識のあるΩ神の誕生=この世界の成り立ちと仕組みの進化の頂点を意味する存在の誕生→Ω人は自らがΩ神の化身かつ分身の存在であることを悟る霊的進化の途上(個人と民族と文化・文明によってその儘では/その中では霊的進化が止まってしまう場合があります)。

 「神は、岩石の中では眠り、植物の中では目覚め、動物の中では活動し、人間の中では自らに目覚める」──ウパニシャッド哲学

 地球46億年の自然史が示すように、Ω人に意識のある心が誕生までの間は、全世界は殆どの時間、無意識の世界の中にありました。
 なお、心と体は心身一如の関係にある。→心身相関病
 Ω人の意識のある心は、世界Ⅰに存在する絶対的無意識の存在のΩ神が、意識を持つ者になった存在であるが故に、世界Ⅳにではなくて、常に世界Ⅰに、絶対的無意識のΩ神と共にある。
 西洋哲学では、意識のある心を持つΩ人の存在を「理性」的存在と言います。しかし、これが意味することは、絶対的無意識の存在のΩ神が意識を持つΩ神の存在になっていることであることを未だ自覚的な知識にしないでいます。 このために、「理性」を持つのは、白人の西洋人のみという理解の下で理性の無い非西洋世界の文明開化=植民地化を善意で行う間違いをしました。
 物質的な身体は、物質世界Ⅳにある。Ω人の五感と感情は物質的な身体に自動的かつ必然的に伴うものとして造られている。
 意識のある理性的な心は世界Ⅰに、全世界を造り支配しかつ世界を絶対的に超越して存在し機能している神聖不可侵のΩ神と常に一緒に存在し、意識のある心を持つΩ神として活動しつつ、身体はΩ神による絶対的かつ一方的な創造と支配の下にある物質の世界Ⅳにあります。
 Ω人の理性的で非物質的心は常に世界Ⅰに、感覚的で物質的身体は常に世界Ⅳに。
 そして、唯心論的創造原理の下でのこの統一が「心身一如」の生き方。言い換えると、理性主導で感情がこれを支持する生き方。
 これが、人間存在の本質的理解の要。
 Ω人は、否応なしに、この本質を生きるべき宿命にある存在。
 これが意味することは、別文。

○Ω人が作る世界であるH・E・F・G・M・Z
 以下は、H・E・F・G・M・Zは、全てΩ人=Dが生きることで自動的かつ必然的に作られる世界です。

○世界Ⅵ Ω人が作る世界の中身
 世界Ⅵ H・E・F・G
 H=「俗人」は、俗世界(世界Ⅵ)に存在し生きている現実のΩ人=「俗世界人間」に付けた(新しい)名前です。
 Ω人は、本来、D=「Ω神により彼の化身かつ分身として完全完璧な存在に造られているΩ人」という「聖なるΩ人の本質」を生きるべき存在です。
 しかし、「人間とは何か?」という問いの答えとして「聖なるΩ人の本質」を発見することが出来ないままに世界Ⅵ世界の中で歴史的、文化・文明な存在のΩ人として生きる=俗世界の中に生まれて生きる間に、人類の殆んど全ての人たちが、非D化したΩ人=変質して生まれたΩ人になっています。
 即ち、H=「俗人」のΩ人には、あなたや私が、文字通りにΩ神の化身かつ分身の存在のDであるΩ人としての悟りと自覚がある人、即ち、意識のあるΩ神である場合と、未だΩ人の本質を悟らず、文字通りの「俗人」である場合の二つの異なるΩ人を意味することになります。
 Eは、H的各人の人生。
 Fは、H的各人の子孫。
 本来は、不死不滅の永遠の生命体であるΩ神の化身かつ分身の存在=D=新しいΩ人の新たな誕生の継続を意味します。
 Gは、Ω人が作る日々の生活・習慣・人生・文化・文明的諸文物。この結果の文化・文明の人類史。
 問題は、人類は、これまで、Ω神とΩ神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みについて未だ悟らず、物質的世界で「人間は(理性的存在ではなくて)感情の動物である」と間違って理解し、或いは、Ω神の存在を知らず、ヒトを神に祭り上げて、この理解の下で、全てのことをΩ人とΩ人が住む世界の中で感情的なまた物質的な辻褄あわせをして満足する或いは不満足な生き方していることです。
 そこで、Ω人の生き方もΩ人が作る文化・文明が、Ω神が意図している、Ω人がΩ神の化身かつ分身らしく生きて地上に神の国を作ることに合っているとは限らない不都合なことが多々起こっていることです。例えば酒/麻薬に溺れて心と体を壊す。貧困や紛争や戦争。
 一般法則論は、人類のこれまでの間違った在り方をリセット/ご破算にして、人類史を正しく地上に神の国を実現する方向に戻そう、という意図を持つものです。

○世界Ⅶ Ω人がこの世に生きた記憶の世界
 世界Ⅶ M
 Mは、Ω人がこの世で生きた記憶のことです。
 記憶は、Ω人が生きることに自動的かつ必然的に伴って生まれる仕組みがあります。
 以下は、この仕組みの簡単な説明。

○Ω人の記憶の役割
 一般法則論の理解では、私達が生きているこの世界は、私達自身の存在を含めて、Ω神を究極の起源にし、究極の根拠にして、全て創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られています。
 そして、この世界のこの成り立ちと仕組みを認識し理解するΩ人の心も同じく創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きでできています。
 この世界の成り立ちと仕組みを造っているのと一つ同じ原理をΩ人の心の中身にし、その働きにしているからこそ、Ω人は、この世界の成り立ちと仕組みを完全・完璧に認識し理解することが原理的にできる訳です。→一般法則論の認識論
 そして、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを正確に認識し理解することが、Ω人がこの世界の成り立ちと仕組みの中で、この世界の成り立ちと仕組みに則り、この世界の成り立ちと仕組みに調和して生きることの大前提になります。
 そこで、この世界の成り立ちと仕組みについて認識し理解したことは、頭の中の「世界地図」として「記憶」して置くことが現実に役に立ちます。
 つまり、Ω人がこの世界の成り立ちと仕組みの中で生きた記憶が自動的かつ必然的に自然に、心の印象記録化=無意識の中身になる情報=この世界の成り立ちと仕組みの地図になるように、この世界の成り立ちと仕組みが出来ています。
 記憶は生きているΩ人の記憶と意識のある心の機能を失った死者が無意識/潜在意識に残した記憶の全てからなります。
 問題は、Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みを、Ω人が正確に認識し理解することが簡単では無いことです。これには、意識のある心が、この世界の成り立ちと仕組みの創造主である絶対的無意識の存在=Ω神を認識できるような「意識の変成状態」という特別の意識状態になる必要があるからです。即ち、いわゆる悟りの体験が出来る心の状態になることです。
 人類史は、これにずっと失敗し続けて来た、と言っても大袈裟ではありません。
 そもそもこの世界の成り立ちと仕組みの全体をその儘丸ごと認識し理解する方法についてさえ、正しい理解も理論もありませんでした。
 この失敗し間違った結果が、次のZの話。

○Z 人が間違って生きた体験が記憶化し真理化される現象の問題
 Z 魔境 創造主である神が造った世界には全く存在しない世界
 Zが生まれる根本原因は、ここで説明している創造主である神が存在しているこの世界の成り立ちと仕組みを知らず、これに基づいたΩ人の生き方の原理を知らず、これを実用化した潜在意識の法則/引き寄せの法則の活用法を知らずに、人類が日々を生きていることの避けられない結果です。
 一言で要約すれば、Zは、Ω人が殆どそれと自覚が無いままに作ってしまった、「人生を生きることに関する間違った思い込みの総体」のことです。
 Ω人の心とその働きは創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで出来ています。そこで、Ω人の記憶作用とこの結果の記憶そのものも、創造主である神+自然法則+エネルギー一体不可分の働きで造られているΩ人の心の働きの一部に自動的かつ必然的になります。
 しかもこれZを、その真偽を科学的に検証もしないで、それ自体で自明の人間的真実/人生の真理と、多くの人達が勝手に決め込んで、他人にもこうであると認めるようにしばしば強要します。例えば、俗に言う「平和憲法」への信仰の強要。
 Zの大本は、Ω人が間違った生き方をした人生についてのやる瀬無い記憶にあります。
 この間違った思い=Zが、俗人の人生を作り上げる強力な力、しかし意識化され自覚されていない、原因設定に自動的かつ必然的になります。そして、この拡大再生産が行われます。
 この結果は、「人生は自分の思い通りにならない」というような人生を否定的にする思い込み/偏見/Ω神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みには何の根拠も無いマルクス主義のような思想や医者や薬剤師や代替医療に頼る人達が結局頼らざるを得ない自然治癒力の存在を真正面から否定する「人は病気になるように出来ている」という間違った信念になります。

○Zを意味する言葉/用語の例
 Zの言い方には、色々とあります。その例。
 過去の個人的/民族的/人類的な諸々の記憶。
 坐禅で言う「魔境」。
 メンタル・ハザード/心理的な障害物。
 親思考→F・ベイルズ 大原武夫訳 信念─幸福な生活を生む力 ダイヤモンド社
 以上。