○一般法則論の世界観の図解
以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
空の世界 妄想の世界
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→ (M )))))∥〕 Ω=神の国
∥ 創造神 ↑ Ω神の 天然自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
霊的 M 理法 の世界 Ω人 人・生・孫・化史 ↓
心的 ^(記憶) Z→→→→→Z
存在のΩ人
○jackさんから「唯物論を論破する」の文に書き込みを頂いた質問に答えたいと思います
>悟りの体験っていきなりくるものなんですか? →頓悟説
>ちょっとずつ見えてきてあるときぱっとひらけるってことですか? →漸悟説
悟り方の本質をついたとても良いご質問です。
答えは以下のようになります。
○悟りの体験は「あっ、分かった!」体験と原理的に同じ
悟りの体験は、私たちの日常生活の中でも体験する、「あっ、分かった!」体験と原理的に同じです。
つまり、悟りの体験でも「あっ、分かった!」体験でも、この体験に関連する無意識にある情報の全部が一気に一瞬で意識化されることなのです。
この時に、「喉の所までそれが出掛かっているのだけれども・・・」という体験が先行することがあります。
しかし、この段階では、意識化されるべき無意識の情報は何か分かりませんし、先行する知識との関連も分かりません。
○手品師が帽子の中から鳩を取り出すように
悟りの瞬間は、長い話の結論だけを言うと、手品師が帽子の中から例えば鳩を取り出す時は、鳩を丸々一羽分を一気に全部取り出すように、無意識の情報が丸ごと全部が取り出されます。
すなわち、悟りの体験の時には、Ω(おめが)神とΩ(おめが)神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの全体が丸ごと一気に全部瞬間的に意識化されます。
○ばらばらにされた鳩の体の一部分が時間をかけて順に或いは脈絡も無く出てくるのではない
手品師が、帽子の中から鳩を取り出すとき、ある瞬間には鳩の羽一枚、別の瞬間には鳩の足の一部分が出てきて(この段階では何が出てきたのかその全体像は不明ですね)、この積み重ねである日鳩の体全体が全部過不足なく揃って、初めて帽子の中から出てくる筈だったのは鳩だと「悟る」ことになる式ではありません。この式だと間違って思い込んでいる人に限って、悟りの体験がありません。
鳩は、常に必ず、一羽が丸ごと全部一気に手品師の帽子の中から出てくるのです。
なぜ、こうなのでしょうか?
○鳩が丸ごと一羽単位で出てくるこの世界の成り立ちと仕組みがある
鳩は手品師の帽子の中から一羽が丸ごと出てくる。
この理由は、Ω(おめが)神が、この世界の仕組みを、鳩一羽単位、猫一匹単位、犬一匹単位・・・・で造っているからです。
より正確に言うと、Ω(おめが)神は、この世界の成り立ちと仕組みを、鳩一羽単位、猫一匹単位、犬一匹単位で「量子化」し、構造化し、システム化する形で全て造っているのです。
世界Ⅵ存在の私たちの世界では、Ω(おめが)神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みはこのように最初から造られているのです。
つまり、例えば鳩を認識し理解するのは常に鳩一羽分を一気に丸ごと認識し理解する方法が、Ω(おめが)神がこの世界の成り立ちと仕組みの全てを造っているこの世界の中での「お約束事」なのです。
悟りの体験と特に言われる体験は、Ω(おめが)神とΩ(おめが)神が造っているこの世界の成り立ちと仕組み全体がひとつの単位になって意識化されることになります。
具体的には、世界Ⅰから世界Ⅶ+Zで出来ているこの世界の成り立ちと仕組みの全体構造/世界システムの全体が、悟りの瞬間に一気に一瞬間で分かることになります。
○なぜ悟りの体験は一瞬間で行われるのか?
なぜ悟りの体験は一瞬間で行われるのか?
この答えは、悟りの体験も「あっ、分かった!」体験も、共に「心の中の体験」だからです。
ヒトの心の起源は、世界Ⅰに存在するΩ(おめが)神の心にあります。
即ち、ヒトが世界Ⅴ~世界Ⅶ+Zの物質で造られた世界の存在になっても、ヒトの心は、世界Ⅰにのみ永久に永遠に常在し常住するΩ(おめが)神の心そのものであり、世界ⅠでΩ(おめが)神の心と常に一緒で一つなのです(この仕組みがΩ(おめが)神の心がする正しい思考のあり方から外れたヒトの間違った思考を絶対的にリセットできる原理、言い換えると病気等を絶対的に癒せる原理/ヒトを全ての害や敵意等から絶対的に守ることが出来る原理になっているのですが、この意味・機能の説明は別の文にします)。
そして、世界Ⅰは、未だ時間も空間も生まれていない「永遠に今、ここ」の世界です。
悟りの体験も「あっ、分かった!」体験も、共に「心の中の体験」として、常に必ず世界Ⅰの中でのみ行われます。
即ち、悟りの体験も「あっ、分かった!」体験も、共に「心の中の体験」として一気に一瞬間でおこなわれるし、こうである筈のものなのです。
○まとめ
悟りの体験は、一気に一瞬で行われる(漸悟の悟り方では無くて頓悟の悟り方)わけが、あなたにもお分かり頂けるような説明ができましたでしょうか・・・。
以下は余談。
○悟りの体験は「仏の側から行われる」
道元禅師は、悟りの体験の瞬間を「仏の側から行われて」悟りの体験ができることを正しく知っておられます。
即ち、悟りの体験は、ヒトの意思の力では出来ないのです。
これは、記憶にあるものを、意思の力で強制的に思い出すことができないのと原理的に同じです。
バイアグラを必要とする方々が存在するのも、原理的に同じです。
しかし、Ω(おめが)神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みがこう出来ているお陰で、それをする正しい方法が何かまったく分からなくても、「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」式の試行錯誤を繰り返す中で、正しい方法で正しく行われた一回があればこの瞬間に、仏の側から、即ち、Ω(おめが)神またはΩ(おめが)神の理法=自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが自動的にかつ必然的に行われて、的に鉄砲の弾が当たることになります。
「仏の側から、常に、自動的にかつ必然的に行われる」。
本当に有り難い仕組みですね。
こう思いませんか?
余談の締め
例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。
以下のものを参考に入れ子構造の図解を描いてください。
入れ子構造の描き方や記号の意味は、このブログの2008年12月3日の文をお読みください。
世界Ⅰ 〔世界Ⅱ「魔境 (世界Ⅲ(世界Ⅳ (世界Ⅴ (世界Ⅵ (世界Ⅶ)))))」〕 世界Ⅰ
空の世界 妄想の世界
Ω神= 〔A→ ∥Z→ (B→ (C→ (D→ (H→E→F→G→ (M )))))∥〕 Ω=神の国
∥ 創造神 ↑ Ω神の 天然自然 物的 俗・人・子・文歴 記憶
霊的 M 理法 の世界 Ω人 人・生・孫・化史 ↓
心的 ^(記憶) Z→→→→→Z
存在のΩ人
○jackさんから「唯物論を論破する」の文に書き込みを頂いた質問に答えたいと思います
>悟りの体験っていきなりくるものなんですか? →頓悟説
>ちょっとずつ見えてきてあるときぱっとひらけるってことですか? →漸悟説
悟り方の本質をついたとても良いご質問です。
答えは以下のようになります。
○悟りの体験は「あっ、分かった!」体験と原理的に同じ
悟りの体験は、私たちの日常生活の中でも体験する、「あっ、分かった!」体験と原理的に同じです。
つまり、悟りの体験でも「あっ、分かった!」体験でも、この体験に関連する無意識にある情報の全部が一気に一瞬で意識化されることなのです。
この時に、「喉の所までそれが出掛かっているのだけれども・・・」という体験が先行することがあります。
しかし、この段階では、意識化されるべき無意識の情報は何か分かりませんし、先行する知識との関連も分かりません。
○手品師が帽子の中から鳩を取り出すように
悟りの瞬間は、長い話の結論だけを言うと、手品師が帽子の中から例えば鳩を取り出す時は、鳩を丸々一羽分を一気に全部取り出すように、無意識の情報が丸ごと全部が取り出されます。
すなわち、悟りの体験の時には、Ω(おめが)神とΩ(おめが)神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みの全体が丸ごと一気に全部瞬間的に意識化されます。
○ばらばらにされた鳩の体の一部分が時間をかけて順に或いは脈絡も無く出てくるのではない
手品師が、帽子の中から鳩を取り出すとき、ある瞬間には鳩の羽一枚、別の瞬間には鳩の足の一部分が出てきて(この段階では何が出てきたのかその全体像は不明ですね)、この積み重ねである日鳩の体全体が全部過不足なく揃って、初めて帽子の中から出てくる筈だったのは鳩だと「悟る」ことになる式ではありません。この式だと間違って思い込んでいる人に限って、悟りの体験がありません。
鳩は、常に必ず、一羽が丸ごと全部一気に手品師の帽子の中から出てくるのです。
なぜ、こうなのでしょうか?
○鳩が丸ごと一羽単位で出てくるこの世界の成り立ちと仕組みがある
鳩は手品師の帽子の中から一羽が丸ごと出てくる。
この理由は、Ω(おめが)神が、この世界の仕組みを、鳩一羽単位、猫一匹単位、犬一匹単位・・・・で造っているからです。
より正確に言うと、Ω(おめが)神は、この世界の成り立ちと仕組みを、鳩一羽単位、猫一匹単位、犬一匹単位で「量子化」し、構造化し、システム化する形で全て造っているのです。
世界Ⅵ存在の私たちの世界では、Ω(おめが)神が造っているこの世界の成り立ちと仕組みはこのように最初から造られているのです。
つまり、例えば鳩を認識し理解するのは常に鳩一羽分を一気に丸ごと認識し理解する方法が、Ω(おめが)神がこの世界の成り立ちと仕組みの全てを造っているこの世界の中での「お約束事」なのです。
悟りの体験と特に言われる体験は、Ω(おめが)神とΩ(おめが)神が造っているこの世界の成り立ちと仕組み全体がひとつの単位になって意識化されることになります。
具体的には、世界Ⅰから世界Ⅶ+Zで出来ているこの世界の成り立ちと仕組みの全体構造/世界システムの全体が、悟りの瞬間に一気に一瞬間で分かることになります。
○なぜ悟りの体験は一瞬間で行われるのか?
なぜ悟りの体験は一瞬間で行われるのか?
この答えは、悟りの体験も「あっ、分かった!」体験も、共に「心の中の体験」だからです。
ヒトの心の起源は、世界Ⅰに存在するΩ(おめが)神の心にあります。
即ち、ヒトが世界Ⅴ~世界Ⅶ+Zの物質で造られた世界の存在になっても、ヒトの心は、世界Ⅰにのみ永久に永遠に常在し常住するΩ(おめが)神の心そのものであり、世界ⅠでΩ(おめが)神の心と常に一緒で一つなのです(この仕組みがΩ(おめが)神の心がする正しい思考のあり方から外れたヒトの間違った思考を絶対的にリセットできる原理、言い換えると病気等を絶対的に癒せる原理/ヒトを全ての害や敵意等から絶対的に守ることが出来る原理になっているのですが、この意味・機能の説明は別の文にします)。
そして、世界Ⅰは、未だ時間も空間も生まれていない「永遠に今、ここ」の世界です。
悟りの体験も「あっ、分かった!」体験も、共に「心の中の体験」として、常に必ず世界Ⅰの中でのみ行われます。
即ち、悟りの体験も「あっ、分かった!」体験も、共に「心の中の体験」として一気に一瞬間でおこなわれるし、こうである筈のものなのです。
○まとめ
悟りの体験は、一気に一瞬で行われる(漸悟の悟り方では無くて頓悟の悟り方)わけが、あなたにもお分かり頂けるような説明ができましたでしょうか・・・。
以下は余談。
○悟りの体験は「仏の側から行われる」
道元禅師は、悟りの体験の瞬間を「仏の側から行われて」悟りの体験ができることを正しく知っておられます。
即ち、悟りの体験は、ヒトの意思の力では出来ないのです。
これは、記憶にあるものを、意思の力で強制的に思い出すことができないのと原理的に同じです。
バイアグラを必要とする方々が存在するのも、原理的に同じです。
しかし、Ω(おめが)神が造ったこの世界の成り立ちと仕組みがこう出来ているお陰で、それをする正しい方法が何かまったく分からなくても、「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」式の試行錯誤を繰り返す中で、正しい方法で正しく行われた一回があればこの瞬間に、仏の側から、即ち、Ω(おめが)神またはΩ(おめが)神の理法=自然法則+エネルギー一体不可分の存在とその働きが自動的にかつ必然的に行われて、的に鉄砲の弾が当たることになります。
「仏の側から、常に、自動的にかつ必然的に行われる」。
本当に有り難い仕組みですね。
こう思いませんか?
余談の締め
例により、誤記・誤字・脱字等がありましたら、気付き次第訂正します。
書き込み後、二日くらいは、訂正や加筆を繰り返すのが習慣になりましたので、よろしくお願いいたします。